かつて、この地上に一つの文明世界があった。その文明の起源はおおよそ5万年前に溯る。
 現在知られている限り、その文明世界はおおよそ三つの勢力に分かれていたと思われている。
 一つは、現在の中東から欧州を中心とし、アフリカから南極へ至る地域を支配していた勢力。仮に<カナン>とこれを呼称する。
 一つは、両アメリカ大陸…特に南米大陸北部から中米にかけてのカリブ海沿岸を中心としていた勢力。こちらは<アトラント>と呼称する。
 そして、その狭間にあって両者の絶え間ない干渉を受けていた無数の弱小勢力である。
 12000年前、<カナン>と<アトラント>の対立は遂に全面戦争へと発展した。両者の勢力はあらゆる面で互角だった。正面からの戦いでは決着は付かないと悟った両者は、ユーラシア大陸東部の第三勢力をできるだけ多く自分達の陣営に取り込む事で、パワーバランスを崩し、戦局を己の有利に展開する事を狙う。はたして、両者の間で無力さに震えていた小国群の点在するユーラシア東部は二大勢力の激戦が展開される修羅の戦野と化した。
 とりわけ最大の激戦区となったのが、今現在「日本」と呼ばれる地域である。太平洋を越えて侵攻した<アトラント>はこの島に巨大な地下要塞を築いた。その防御力はすさまじく、要塞攻略に向かった<カナン>軍はどれほどの屍山血河を築いても、この要塞に手を触れる事はかなわなかったのである。

 戦争が始まってからおよそ200年後、<カナン>に天才的な科学者が誕生する。彼の名はノア・ゼーレ。精神力を物理応用する理論を完成させた彼は、その理論を元に強大な兵器システムを完成させる。<光体>と呼ばれる特殊素材製の機体に人間の魂そのものを動力源として取り込み、再生機能すら備え、無限の時間駆動しつづける単独機動兵器「使徒」。固体ごとにそれぞれ特殊な能力を与えられた使徒を一つの有機的ユニットとして運用する事で、凄まじい戦闘力を発揮させるそのシステムは、「アポカリプス・システム」と呼称された。
 アポカリプス・システムは、初陣となった日本攻略において圧倒的な破壊力を見せ付ける。ユーフラテス河畔の秘密工場で製造されたたった4体の使徒は、日本に駐留する<アトラント>将兵の半数を一方的に殺戮し、200年にわたり一千万人を越える<カナン>将兵の血を吸ってきた地下要塞を、わずか一日で陥落させたのだ。
 自ら奪取した要塞の司令官となったノア・ゼーレはそれを拡張し、自らの研究を更に推し進める。さらに、同様の要塞を南極や本国の死海沿岸、アララト山直下にも築き、究極の兵器システムの構築に全力を注ぐ。
 それは、アポカリプス・システム開発の過程で明らかになったATフィールド…すべての生命が持つ、自らを形作る心の壁に着目したものである。16体の使徒を連結する事により、敵地をATフィールドで封鎖。それを反転・破壊することで、範囲内のあらゆる生物を瞬時に原始海洋を満たした生命のスープの状態へと還元させると言う究極の無差別殺戮兵器だった。ノア・ゼーレはこの「ライフ・ブレイカー」と名づけたシステムを持って、<アトラント>の全市民を瞬時に全滅させると言う、悪魔も鼻白むような計画を実行しようとしていたのだ。

 しかし、彼ほどの天才をもってしても見落としがあったのか、あるいは何者か…それは「神」であるのかもしれない…の妨害があったのか、「ライフ・ブレイカー」システムは、その初の実戦投入において暴走する。その効果は破滅的なものだった。全世界を覆ったアンチATフィールドは<アトラント>のみならず、<カナン>、そして彼らに踏みにじられた第三勢力の市民たちをも生命のスープへ還元し去ったのである。精神兵器防御システムを持つアララト山直下の要塞から地上に出たノア・ゼーレと彼の一族が見たものは、人間だけでなくあらゆる生命…植物や細菌に至るまでが消滅し、赤い海に覆われた荒涼たる世界だった。
 この「ファーストインパクト」により、38000年の栄華を誇った先史文明世界はそのすべてが赤い大洪水の中に消滅し、砂上の楼閣よりももろく崩壊し去ったのである。

 生き残ったノア・ゼーレは、己の傲慢の余りにも大きな代償を支払わされる事になる。己の罪の大きさに苦悩する彼にできる事は、要塞に設置された遺伝子ライブラリやクローニングマシーンを持って生命を再生させる事だった。最初に鳩が、次いでカラスが再生され、大空に放たれた。要塞は大地を覆う生命のスープを吸い上げ、多くの生命が再生されていった。やがて地球がかつての青さを取り戻したとき、ノア・ゼーレは一族を集めて宣言した。
 我らは購いきれぬ罪を背負う者である。我が子らよ、心せよ。贖罪は我らが血の定めである。今二度蘇ったこの世界が、我らの轍を踏まぬよう、我らは見守らなければならない。それが我が一族が未来永劫背負うべき宿命である――。
 ノア・ゼーレはそれを遺言としてこの世を去る。背徳の要塞は封印され、彼の子供たちが興した12の家は世界へ散っていった。贖罪の誓いを守るために。
 しかし、大いなる罪の一夜が明けてより12000年。不磨のはずだった誓いは時の流れに朽ち果て、祖先が犯した罪を今再び繰り返そうとする愚者達が出現した。


新世紀エヴァンゲリオンREPLACE

第弐拾参話「涙」



「以上が、死海文書…発掘されたノア・ゼーレの死海要塞データベースから解読された、先史文明の歴史だ」
 ゲンドウの話が終わったとき、それを聞いていたNERVの全要員が凍り付いたように身じろぎもしなかった。ファーストインパクトと現世の「ゼーレ」の野望が結びついたとき、その先に来る単語を想定して誰もが言葉を失っていたからである。
「つまり、『ゼーレ』の目的とは…サードインパクトを発生させる事…?」
 日向が震える声で言うと、ゲンドウは肯いた。
「そうだ。正確には、自分達が選んだ一握りの人間を除く全人類を抹殺し、残った選民による千年王国を建国する事…それが彼らの野望だ」
 その余りに狂った理想に、要員達の間から怒りの声と溜め息が同時に漏れ出す。それを制してゲンドウは言った。
「すでに彼らは一度その計画を実施に移した事がある。すなわち、15年前のセカンドインパクトだ。あの時は暴走した使徒が一体だけだったため、被害は南回帰線以南に留まったが…」
 すると、青葉が手を挙げて質問した。
「副司令、そこが良く分からないのですが…使徒はサードインパクト発生のためにライフ・ブレイカーを発動させるキーではないのですか?それを我々が倒してしまったのでは、手段を失ってしまうと思うのですが」
 青葉と同様の疑問を抱いた者は多かったらしい。そうした者は顔を見合わせて肯き、説明を求める。それに答えたのは冬月だった。
「それはな、システム・アポカリプスの構造的な欠陥によるものだよ。使徒が人の魂…S2機関を動力源としている事は承知しているな?だが、そうである以上、使徒の最終的な行動には、そこに宿る人間の精神状態が反映される」
 冬月はお茶で唇を湿らせ、言葉を続けた。
「つまり、S2機関化した際にできるだけ大きなエネルギーが抽出できる人間を選んだものの、彼らは訓練された軍人などではなく、魂が殺戮の罪の意識に耐えられずに暴走してしまったのだ。12000年を経た今の使徒に至っては、制御する方法すら確かではない。『ゼーレ』でさえ15年前にはそれを思い知ったのだ」
 冬月の答えに、何かに思い当たったのかマヤが声を上げる。
「そうか…分かりました!と言う事は、『ゼーレ』のエヴァシリーズは撃破された使徒に代わって、ライフ・ブレイカーの部品となるように作られたのですね」
「そうだ。良く見たな、伊吹君」
 ゲンドウは肯いた。
「『ゼーレ』の目的にとって、使徒は邪魔な存在でしかない。彼らがNERVを創設し、この地に置かせたのは、ここならば確実に彼らを迎え撃てるからだよ。なぜなら、復活した使徒はそのプログラムに従い、攻略目標であるこのジオフロント…すなわち、<アトラント>の地下要塞跡地を目指すからだ」
 何人かの要員があっと言う声を上げた。広い世界で、なぜ使徒がこのジオフロントを目指してやってくるのか、その謎がようやく解けたからだ。
「使徒は全部で17体。一方、エヴァシリーズは我々のものと『ゼーレ』の物をあわせても12体。いくらか数が不足しているが、既にセカンドインパクトにさらされた南回帰線以南を除外する地域をカヴァーするには12体で事足りる。すべての使徒が消えた後、間違いなく『ゼーレ』はNERVを滅ぼし、我々のもつエヴァを奪取しにかかってくるはずだ」
「使徒を倒した後の、『ゼーレ』との戦いが最終決戦となる…」
 日向が言い、エヴァシリーズ9体を敵に回すその困難さを想像して、青葉が生唾を飲み込む。
「大丈夫よ。私たちは負けるわけには行かないもの。幸い、ここは<アトラント>の地下要塞の跡。十分な準備を整えて待ち受ければ、勝てない戦いじゃないわ」
 ミサトが言うと、加持も肯いた。
「奴等にはまた屍山血河を築いてもらうさ」
 その時、ゲンドウが意外な事を言い出した。
「いや…できれば無駄な流血は回避したい。我々の敵は『ゼーレ』だけだ。彼らに操られ、ここへ攻めてくる者たちには罪はないのだ」
 冬月も同調する。
「その通りだな。例え『ゼーレ』を打倒したとしても、流れる血が大きくなればなるほど、後に禍根を残すだろう。それを避けるにはただ一つ、情報戦で奴等に先んじるしかない」
 そう言って、冬月はリツコを見た。
「リツコ君、MAGIシステムの整備を万全に頼む。恐らく『ゼーレ』は先手を打ってMAGIの電子的封鎖を試みるだろう。それを許したら孤立した我々に勝ち目はない。MAGIと言う世界に開かれた窓口があってこそ、我々はここにこもって戦えるのだ」
 リツコは真剣な表情で肯いた。
「任せておいてください。どんな侵入者であろうと確実に撃退できる万全の防御プログラムを作ってみせます」
 次に、ミサトが報告する。
「作戦部と保安部の共同による、軍事侵攻に対する防衛計画は既に立案済みです。無論、あと2回の使徒の攻撃による最悪の被害を見越してです。少なくとも4個師団の攻撃には十分耐える成算があります」
 それを聞いて冬月は笑った。箱根と言う天嶮に4個師団もの軍を投入する物理的余地はない。つまり、軍事進攻に関して言えばこの第三新東京市は難攻不落と断言できるのだ。
「よろしい。後二ヶ月…いや、もっと短いかもしれないな。今年のうちにはすべてのケリがつくと言う事だ。できれば勝利で来年を迎えたいものだな」
 ゲンドウが言った。それは、そこにいる全員の偽わざる思いだった。



 暗い闇の奥底で、「彼」は目覚めた。彼の想いとは必ずしも一致しない、彼を縛るプログラムによって戦闘への準備が始まる。全世界をカバーするほどのセンサーシステムが稼動し、膨大な情報を彼のコアに送り込む。
 かつて、学者だった彼はそれらの情報を手際良く分析し、整理した。海中・陸上・空中・宇宙に敵影なし。ただ、旧「アトラント」地下要塞跡に活動の兆候有り。
 分析開始…終了。結果、破壊を推奨。
 その時、彼のセンサーシステムは現世の文明では捉えられない反応を捉えた。幽子と呼ばれる霊的素粒子の固まりが、彼が眠ってきたこの深い海の底へ転移してくる。
 警戒しかけた彼は、それが懐かしい旧友の固有幽子パターンを持つ事に気が付き、警戒を解いた。やがて、目の前に輝く雪のような光の粒が出現し、それらは見る見る増加したかと思うと一つにまとまって人の形を取った。それは、彼がずいぶん久しぶりに見る旧友の「かつての姿」をしていた。
「久しいな、<詩人>よ。その姿のお前を見るのは何年ぶりだろう」
 彼は言った。<詩人>はその言葉を受けて微笑み、答えを返した。
「12000年と言う所だな。旧き友、<学者>よ。全く、久しぶりだ」
 彼――<学者>は驚いたように答えた。
「12000年か…道理で地上の様子が変わっておるはずだ。<カナン>は不毛の砂漠と化し、<アトラント>もまた凍土の底に沈んでいる」
 その言葉に、<詩人>は苦笑する。
「<カナン>も<アトラント>も、もはやこの世には存在していない。忘れた訳ではあるまい。滅ぼしたのは我々だぞ」
 人間の形をしていない<光体>に宿って表情こそ見えないものの、<学者>は渋い顔になった。
「…確かに。しかし、戦いは続いているようではないか。南半球に<鉄槌の雨>の発動痕跡がある。それだけではない。かつて<格闘士><審問官><雷鳴><海人>の4人が攻め落としたあの地下要塞が復活している。これはどういう事だ?」
<学者>の問いに、<詩人>は歌うように答えた。
「疑問が有るならば、それを自らの目で見て確かめる…それが学者の取るべき態度ではなかったのか?」
「それはそうだが…」
 言い澱んだ<学者>に、<詩人>は笑顔を向けた。彼らの時代より12000年も経った今、現世への好奇心が高まっているだろうに、自分の取るべき態度を忘れていない<学者>を好ましく思ったのだった。
「まぁ良いだろう。できる限りの事は教えてやるさ」
 そう言って、<詩人>は<学者>との間に心理通信回路を開いた。膨大な情報が<学者>に送り込まれる。
「ほぉ…<解放者>たる者が現れたかもしれないと言うのか」
<学者>は興味深そうに言った。彼の脳裏には<詩人>がカヲルに自らのS2機関を託して<光体>を自壊させる光景が映し出されている。
「しかも、あの<闘神>をも破った者がいると言うのか…<闘神>のことだ、自分を討った者に力を奪われても納得して逝くだろうが…興味深いな」
<詩人>は感心している<学者>に言う。
「<闘神>や私だけではない。<勇者>までもが誰かに力を託したようだ。それに…<癒し手>もいるようだな」
「なんと…<勇者>もだと?あれほどの者がか。それに<癒し手>までも…。ふむ…なるほど。確かに、<影>に乗れるような存在は<癒し手>にしか救えまいな。」
<学者>は言った。<影>は事実上無敵とさえいわれながら、自分達の時代には遂に適合者が見つからず、実質的に廃棄されていたような<光体>である。それが動いていたと言う事は、この時代の人間に<影>の乗り手が生まれていたと言う事だ。彼らの中でも最強クラスである<勇者>や<闘神>を従わせ、あるいは下した現世人類に対する興味が<学者>の中に湧きあがる。
「ふむ、面白い。どうせ、嫌でもあの要塞に行かねばならないのだ。かの地にいる者たちの力、この目で見極めてくれよう」
<学者>はその巨体を震わせ、12000年の間に彼の体に降り積もった泥を吹き飛ばすと、太平洋の中心部、深度4000メートル以上の海底からゆっくりと浮上を開始した。
「うむ、では私は先に行っている。存分に見極めてくるが良い。では、さらばだ」
 後に続く<詩人>は速度を上げ、<学者>を追い抜きながら言う。
「そうか。まぁ、勝とうが負けようが、それほど待たせはせんだろうよ。皆によろしくな」
 更に速度を上げ、天空へ消えていく<詩人>に別れを告げ、<学者>は二重螺旋の紐状をした彼の<光体>を一気に海面に浮上させた。久方ぶりに浴びる太陽の光を受け、彼は一路西を目指した。


NERV本部 発令所

 けたたましい警報が鳴り響き、使徒の襲来を告げるメッセージがディスプレイ一杯に点滅を繰り返す。
「状況はどうなっている!」
 専用リフトで司令公室から直行してきた冬月が叫んだ。
「5分ほど前に出現しました。極めて高速で飛来したため、迎撃が間に合いませんでした。申し訳有りません」
 ミサトが頭を下げる。
「かまわん。どうせ使徒相手に効くものではないからな…それより、相手の様子はどうだ?」
 冬月はモニターを見た。DNAを連想させる二重螺旋構造を持つ紐状の使徒は、市街地からやや離れた山林の上空で、直径80メートルほどの輪を描いて高速回転している。
「上空侵入後、定点回転を続けています。他に能動的な行動はありません」
 青葉が報告すると、それを否定するようにマヤが言った。
「いえ…使徒のパターンが不規則に青からオレンジへと変化しています。理由は不明。MAGIは何らかの信号ではないかと判断していますが」
 その報告を受け、冬月が首をひねった時、ゲンドウが到着した。冬月と同じ報告を受けると、何かを思い付いたのか、ゲンドウはマヤに尋ねた。
「伊吹君、使徒のパターン変化の周期を記録しているか?」
「は…いえ、周期と言うか規則的なパターンは認められませんが…一応記録は取ってあります」
 その答えを聞き、ゲンドウはマヤに命じる。
「わかった。その記録を私の前のモニターに表示してくれ」
「はい。今送ります」
 全員の目がゲンドウに集中する。この頼もしい副司令が、今回も何かを思い付いたのかと興味深く見ているのだ。ゲンドウはその中で使徒のパターン変化記録を目で追っていく。確かに、一見全くのランダムに見える。
「…伊吹君、MAGIのEW-666ファイルを開き、その中に使徒のパターン変化記録を投入してくれ」
「はい」
 ゲンドウの命令を受けてマヤが一連の操作を行う。すると、次の瞬間マヤは驚きに目をみはった。今まで何の規則性も見られなかった記録に、明確な規則性が出現したのである。
「これは…!副司令、これは使徒からの呼びかけです!『そちらの切り札を出したまえ。無駄な破壊は私の好む所ではない』と…!!」
「…そうか。やっこさんの目的はエヴァに絞られているようだな」
 何事も無かったように答えるゲンドウに、青葉が質問する。
「副司令、今のは一体?」
 すると、ゲンドウはかすかに笑って種明かしをした。
「いや何、大した事ではない。今のファイルは死海文書解読の過程で出来た、先史文明語と現代語間の辞書だよ。無目的にパターンを変化させる訳が無いと思ったのでね」
 そう言ってゲンドウは冬月に目をやる。向こうの挑戦を受けますか?と聞いているのだ。もちろん、冬月に異存はない。日向に尋ねる。
「日向君、チルドレン達は準備できているかね」
 冬月の質問を受け、日向が頷く。
「はい。零号機から弐号機まで全機準備完了。子供たちも何時でも出られます」
 冬月は満足げに頷いた。レイの初号機、カヲルの弐号機は先の戦いまでに使徒からS2機関を移植されている。いずれも正規の手順外での搭載だったために信頼性に不安があったが、それも今日までの試験で問題ないと判断されている。久々にエヴァンゲリオン3機全機の出撃が行えるのだ。
「よろしい。総員第一級戦闘配備!エヴァンゲリオン全機、発進準備にかかれ!!」
「はっ!」


第三新東京市地上

 第三新東京市の市街地中心部には、かつて東京にあった基本水準点がある。地図を作る時の基礎中の基礎データを取るための測量に用いるためのものだ。
 それを重心として正確に一辺が500メートルの正三角形を描く、その頂点の部分にエヴァンゲリオンが出現する。
『みんな、異常はない?』
 ミサトが尋ねる。
「はい、大丈夫です!」
 久々に実戦の場に立つレイと初号機だが、その表情に不安はない。母が残した全てを受け継いだ彼女には、もはや恐れるものは何も無かった。愛用のソニック・グレイブを掲げ持ち、使徒を見据えている。
「こちらも上々です!」
 こちらはカヲル。2人の機体は使徒から手に入れたS2機関を駆動させており、残り稼働時間は無限大を指している。右手に専用レイピア、左手にハンドカノンを持ち、全方位に備えた体勢だ。
「問題ありません」
 最後にシンジ。零号機は依然として動力源をアンビリカル・ケーブルに頼っているが、この3機全力出撃の体勢下では、彼の役目はバレット・ライフルなどを用いた後方支援射撃。接近戦に持ち込まれないようにレイとカヲルを支援する事に専念するつもりだ。
『外見からでは、いまいち攻撃パターンの読めない相手よ。ただ、円形を取っている事から第五使徒同様、荷電粒子砲装備の可能性があるわ。うかつに接近しないように』
「「「了解!」」」
 ミサトの指示に応答し、3人はフォーメーションを崩さないようにじりじりと使徒に接近して行く。使徒は依然として回転を続けていた。


NERV本部 発令所

「望み通りエヴァを出してやったが…反応はどうだ?」
 ゲンドウはマヤに尋ねた。
「はい、エヴァ出現直後より、固有パターンの変化を停止。青に固定しました」
「…奴め、何が狙いだ?」
 冬月が唸った。丸っきりの無防備にも見え、また満を持して待ち構えているようにも見え、実に気味が悪い。
「エネルギー反応の顕著な変化は?」
 ミサトが聞くと、青葉は首を振った。
「ありません。荷電粒子砲発射の兆候なし。熱弾、ガンマ線レーザーに関しても同様です」
 ミサトは時田に目をやった。時田は首を振る。
「わからんな…荷電粒子砲でなければレールガンかエレクトロン・レーザーの可能性も否定できないが…あの形状は別に自分の体を加速路にしようと言う訳でもないのかも知れんな」
 時田のあげた名前は、いずれも高エネルギー粒子や物体を円形加速路で光の速さに近い速度に加速し、相手に叩き付ける兵器である。第五使徒戦の教訓からあらかじめ時田に相手の兵器を推測してもらおうとしたのだが、動きが無ければ解るはずもなかった。
「結局、一当てしてみるしかないのかも知れんな。葛城君、攻撃命令を」
「了解しました」
 冬月の指示を受け、ミサトがマイクを手に取る。
「まずは牽制攻撃をかけて。それで相手の出方を見るわ」


第三新東京市

 ミサトの指示を受け。真っ先に動いたのはレイだった。
「行きます!」
 そう叫んで気合いを入れ、全身のバネに力を込める。そして、一気に解き放った。凄まじい高速の突進から、振りかぶったソニック・グレイブを振り下ろす。それが「光の輪」と化した使徒を捉えたか、と思ったその瞬間。
 光の輪が、弾けるように一本の紐状に姿を変えた。その動きに幻惑され、レイの放った一撃はかすかにその軌跡をそらされて地面に食い込んだ。
「くっ!?」
 レイがソニック・グレイブを持ち直したその時、使徒は空中をうねる大蛇のように意外な高速で飛び、シンジの零号機に襲い掛かろうとしていた。
「…しまった…!」
 シンジは銃を構え、それを迎撃しようとして、射線上にカヲルの弐号機がいることに気が付いた。カヲルもそれを悟り、すぐに射線上からどこうとするが、使徒もすばやく針路を修正して、常にシンジとカヲルを結ぶ直線状に遷移する。そのまま、一気に速度を上げて使徒はシンジに体当たりした。
「うっ!?…うわああああぁぁぁぁっっっっ!?」
 シンジの絶叫が響き渡る。使徒は零号機に巻き付き、その先端は装甲板の隙間を食い破って零号機の体内に侵入していた。


NERV本部 発令所

 シンジの絶叫に、発令所は騒然となった。マヤが零号機の右腕に食い込む使徒の活動を報告する。使徒は葉脈のように無数に別れて零号機の腕の神経系と接続していた。
「使徒、零号機の腕を侵蝕していきます!神経パルスに干渉あり!」
「使徒がエヴァに物理的接触をはかろうとしてるのっ!? 」
 マヤの報告にリツコは叫んだ。前回の心理的接触に続き、更に積極的な行動に出る使徒の行動パターンの変化に、さすがの彼女も驚きを隠せない様子だ。
「レイ、カヲル!急いでシンジ君の救出を!!」
 ミサトが命令した時、それを打ち消すようにゲンドウの叫びが響き渡った。
「いや、待て!しばらく様子を見る!!」
 そのゲンドウの言葉に、ミサトは「しかし…!」と言って司令席を見上げるが、そこに変わらない態度で座る冬月を見出し、ゲンドウの命令が冬月の承認を受けている事を悟った。
「…よろしいのですか?」
 それでもなお問わずにいられないミサトだったが、ゲンドウは頷いた。
「あぁ…これはシンジにとって最後の試練だ」
 謎めいた言葉を発するゲンドウに発令所の視線が集中した。が、ゲンドウはその意味を答える事も無く、祈るような視線で息子の乗る機体を見つめていた。



 シンジの右腕に走る耐え難い激痛に叫びつづけていた。脳裏に白い火花が飛び散る。一瞬だが意識が遠のき…そして、彼はそれを見た。
「…う?」
 シンジは突然右腕を苛む激痛が無くなった事に気が付き、目を開いた。そして、すぐにそこが慣れ親しんだエヴァのコクピットではない事に気が付いた。
 暗い空に、真っ白な砂の敷き詰められた茫漠たる荒野。そして、目の前には清冽な水を湛えた泉があった。それは、砂漠の中のオアシスのように、そこだけさまざまな植物が生い茂り、楽園の様相を呈している。そこに、彼の良く知る人物がいた。
「…あやな…いや、レイ…姉さん」
 そこにいたのは、レイだった。彼女は一糸纏わぬ姿で泉の水と戯れている。それは、まさに水の妖精と言う形容詞が正しい可憐な姿だった。
「…シンジ君」
 いつしか、レイがシンジの方を向いていた。その裸身を惜しげも無くシンジの視線にさらし、笑みを浮かべて彼に手を差し伸べる。
「シンジ君…わたしと一つになりたくない?」
 レイは悪戯っぽい表情でそう問い掛けてきた。
「姉さん…一体何を…」
 何が起きているのか解らず、呆然とするシンジに、泉から上がってきたレイが抱き着く。その柔らかい感触と、不思議な甘い香りが、一瞬シンジの意識を陶然とさせた。
「姉さん?そんな呼び方しないで。レイって呼んで…」
 レイが、シンジを抱きしめる腕に力を込める。
「わたしと一つになろう…それは、とても気持ちの良い事なのよ…」
 レイの声が、体臭が、感触が、まるで麻薬のようにシンジの心を溶かしていく。独りでに腕が上がり、レイの体を抱き返そうとする…
 その瞬間、シンジは腕に力を込め、「レイ」の両肩を掴むと、その身体を引き剥がした。
「駄目だ…!!」
 そのシンジの言葉に、「レイ」の笑顔が消え、悲しげな表情に変わる。
「どうして…?どうしてそんな事を言うの?こうなる事をシンジ君だって望んでいたはずなのに」
「レイ」がそう言った瞬間、シンジは殴られたような衝撃を受けた。「レイ」の言葉は、シンジの心の奥深くに、本人でさえ気づかぬまま隠されていた思いを暴き立てていた。
 そうだ…僕は…
 かつて、シンジの世界には2人の人間しか存在しなかった。父と、ミサトだ。
 そして、その3人目の住人となったのがレイだった。レイは眩しい光のような存在だった。彼女に照らし出される事で、シンジは世界に様々なものが存在する事に気づいた。
 カヲル、トウジ、ケンスケ、マナ、ヒカリと言った友人たちに。
 義務感で…父の命じるまま、その価値も分からず守ろうとしていた、彼を取り巻く世界の美しさに。
 それに気づいた時、心の底に芽生えたもの…それは、レイへのほのかな想い。
 その事に気づくには、彼はまだ未熟すぎて。
 だが、気づいた時には、決してそれは手を触れてはならないものになっていたのだ。


NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"
EPISODE:23 Become of Human


「だから…気にする事なんて無い。さぁ、わたしと一緒に…」
「レイ」が言葉を続ける。が、シンジはそれを振り払った。
「…違う!姉さんじゃない。姉さんはそんな事は言わない!!」
 シンジは一歩退き、「レイ」を睨み付ける。
「お前は誰だ!!」
「…<兵士>が誘惑にとらわれ、かつ『家族』を思うか…興味深い事だ」
 何時の間にか、「レイ」の後ろに、思慮深げな顔をした初老の男性が立っていた。今の言葉は彼が発したものらしい。
「…あなたは?」
 シンジが言う。男性は、姿形は違うものの、冬月に似た独特の雰囲気を発しており、敵意は感じられなかった。そのためか、シンジはすぐには老人を敵とみなさず、話し掛ける。
「私は…<学者>と呼ばれている。<詩人>と違って、君との接触に痛みを伴う方法しか知らなかったのでね…それは許して欲しい」
<学者>と名乗った男性の言葉に、シンジは驚いて目を見開く。
「すると…あなたは使徒なのか」
<学者>は頷いた。
「<詩人>から話は聞いた。ノアの子孫たちの間にも、まだ志を保つ者がいるとな。だが、この目で確かめるまでは信じられぬゆえな」
 そう言うと、<学者>はシンジを見た。
「君は…造られたもの。<兵士>だな。にもかかわらず、これほど感情が豊かになっているとは…」
<学者>の言葉に、シンジは不愉快そうな表情になり、そして問う。
「なんですか、その、<兵士>と言うのは。確かに、僕は機械によって作られました。しかし、父と母の子である事に変わりはありません」
 そのシンジの言葉に、<学者>は申し訳なさそうな表情になった。
「…そうか。育てた者は君を人間として育てたのか。済まなかった。それでも驚きである事に変わりはない…」
 そう言うと、<学者>はシンジにまつわる驚くべき秘密を語り始めた。


NERV本部 発令所

「使徒、零号機を侵蝕中…いえ、侵蝕停止しました。心理グラフ安定します」
 マヤの報告に、ゲンドウはどうやら狙いが的中したか?と思った。使徒は明らかに人間との関わり方を変化させつつある。おそらく、問答無用でこちらを殲滅するような攻撃には出ず、コンタクトを図ってくるだろうと予想はしていた。
 今回は、既に使徒と接触したレイ、カヲルではなく、シンジに目標を定めてくるだろうと考えていたが、ここまでは予想通りの展開だった。あとは、シンジが上手くやってくれる事を信じるしかない。
「…大丈夫だろうか?」
 心配顔の冬月に、ゲンドウは答える。
「私は…シンジならばやってくれると確信しています」
 冬月は破顔した。
「そうだな。お前の息子なのだからな」
 零号機と使徒に再び動きが見られたのは、その瞬間だった。


シンジの世界

「…僕は…<兵士>として作られた物だって…!?」
 シンジは<学者>の言葉に身を震わせた。彼が作られた人工子宮…それは、長引く戦乱で不足した人的資源を補うため、成長過程で兵士としての知識とマインドセットを施されたクローンを生み出すための装置だったのだと言う、その真相に。
「そうだ。上官に背かず、疑問を抱かず、ただ与えられた命令をこなす事…それだけを目的とした理想の兵士を生み出す母体だ」
 その言葉に、シンジはかつての自分を思い出す。
 ろくに感情と言うものを持たなかった自分。
 父と、ミサトの言葉が全てだった自分。
 レイに、死んでも構わないとまで言った自分。
 それは、全て生まれる前からシンジの心に刷り込まれた<兵士>としての本能だったのか。我が身を我が物と思わず、いくらでも交換のきくものとして捉える。
「だが、兵士として成長したはずの君は、普通の人間ほどではないにしても豊かな感情を持ち始めている。この娘の…」
<学者>は「レイ」を見た。
「誘惑に引っかかったのがその証拠だ。<兵士>であれば、そんな欲望は持っていないからな」
 シンジは羞恥で顔が染まるのを感じた。同時に、怒りが込み上げて来る。シンジは理解したのだ。ここがどこなのか。
 砂漠の中のオアシス…無感情な自分に、乾ききった心に、何かを感じる心をくれたレイと言う存在。シンジにとって、いつしか最も大事な存在になっていた少女への想いを大事に仕舞っていた場所。それがここだ。なのに、目の前の<学者>はそこへ遠慮も無く上がり込んできたのだ。
 そして、それよりも激烈だったのは、自分への怒り。何よりも大事な少女に対し、邪な欲望を抱いていた自分への。<学者>は「レイ」の行動を誘惑と呼んだ。そう、まさにその通りなのだ。そして、それはシンジがレイに対して無意識に抱いていた欲望を裏打ちする行動だったのだ。
「…ふざけるな…」
 シンジがうめくように言った。生まれて初めての怒りに、自分を押さえる事が出来ない。目の前の少年の様子が激変した事に、<学者>も気がついた。
(…これは!?)
<学者>が驚くと同時に、シンジはこの14年の人生の中で初めての感情の爆発を<学者>に叩き付けていた。
「ふざけるな!!出て行け。僕の心の中から出て行け!僕の一番大切なものから離れろ!!」
 怒号と共に突進したシンジが拳を振りかぶり、<学者>に叩き付ける。激しい打撃音が響き渡り、<学者>は地面に投げ出された。
(…しまった。私は、この少年の感情の堰を切ってしまったのか。何たる失態…)
 学者は唸った。いきなり接触するには、少年の心はあまりにも純粋で、潔癖過ぎたのだ。同時に、周囲の様子が変化する。今まで何も無かった心の世界に地響きが起こり、地割れが走る。<怒り>の象徴たる火山が突如隆起し、凄まじい轟音と共に溶岩を噴き出す。静かだった大地には<嫌悪>の象徴である砂漠が出現し、猛烈な砂嵐が巻き起こった。<悲しみ>の象徴である氷原の出現と同時に吹雪も巻き起こり、極端な熱さと寒さが<学者>を叩きのめした。
「くぅっ…これはいかん。このままではこの少年が…」
 凄まじい激変の中で、それでも<学者>は周囲を観察していた。少女とオアシスの周りだけは静かだが、周囲には負の感情を表わす荒野や天変地異が荒れ狂い、少年自体をも打ちのめし続けている。このままでは、<学者>だけでなく、シンジ自身も助からない。
(一度現実世界へ…この少年を眠らせるか、気絶させるか…とにかく感情の働きを沈静化させねば)
 学者は念をこらし、その場から姿を消した。


現実世界 NERV本部 発令所

『うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっ!!』
 シンジの凄まじい絶叫が響き渡り、零号機が狂ったように暴れ出す。
「シンジっ!?何があった!?」
 突然の出来事に、ゲンドウが我を忘れて叫ぶ。
「し、心理グラフが…一体何が起きているの!?」
 マヤが戦慄したように言う。それまで平静だったシンジの心理グラフは突如乱れだし、線が交わったり、あるいは切れてはまた描き出されたり、まさに嵐のように混乱していた。
「いかん…っ!!レイ、カヲル!シンジ君を抑え付けるんだ!!」
 冬月が叫び、その声にレイとカヲルが「了解!」と叫んで荒れ狂う零号機に駆け寄ろうとする。しかし、それよりも早く動いた者がいた。
 使徒だった。使徒は零号機に侵蝕していた身体をずるりと引き抜く。そして、全力で零号機を締め上げにかかった。


零号機 エントリープラグ

「ぐうぅぅっ、ぐぅっ!?」
 締め付けられる苦しさに、シンジは目を覚ました。内心で荒れ狂う感情と、締め付けの苦しさに視界が赤く染まる。
『待ってて、シンジ君!今助けてあげるから!!』
 無線から声が飛び込んできた。レイの声。モニターに、うかつに振るえば零号機も傷つけかねないソニック・グレイブを投げ捨て、素手で使徒に挑みかかる初号機の姿が見える。
「…だめだ!!」
 シンジは咄嗟にコントロール・スティックを倒そうとした。しかし、使徒に戒められているせいか、中途半端な動きになってしまう。それでも、差し伸べられたレイの腕を、シンジは何とか避けた。
『シンジ君!?』
 避けられたレイが叫ぶ。彼女は困惑してシンジの名を呼んだのだが、今のシンジにはそれが叱責の声ににさえ聞こえた。
(駄目だ…!駄目なんだ。僕は、もう…!)
 今まで乏しかった感情の目覚めと共に、シンジは自分に対して猛烈な嫌悪を覚えていた。特に、レイに対する想いは、彼女を汚すものだと思うと、このまま消えてしまいたいほどの強烈な己への嫌悪感が背筋を凍らせる。
(…こんな、こんな僕に…人から思われる資格はない!!)
 自分を責める叫びを上げ続けるシンジは、既に半ば正気を失っていた。突然目覚めた「感情」を受け止め、消化する事が出来ず、自分で自分を切り刻みつづける。その彼の目に、シート後方の一つのスイッチが目に入った。
(…自爆装置…これを使えば…)
 この世から消えられる。使徒を道連れにもできる。自由にならない身体を動かし、シンジはじりじりと這って、そのスイッチに手を伸ばした。蓋を開き、レバーに手をかける。


 
初号機 エントリープラグ

 零号機に避けられた初号機が使徒の身体を掴んだ。本能的に、使徒の一部が装甲板の隙間から浸透して初号機の生体部品を侵蝕する。レイの手に激痛が走る。
「くうっ!?」
 痛みに顔をしかめながらも、レイは手を離さない。
「シンジ君、シンジ君っ!返事をしてっ!!」
 もはやシンジは何も答えようとしない。
「お願い!心を閉ざさないで!わたしの声を聞いてっ!!」
 レイが心の底からの叫びをあげた時、彼女の脳裏に声が響き渡った。
(その想い、届ける事を手伝ってやろう)


零号機 エントリープラグ

『何をするんだ、シンジ!!やめろぉーっ!!やめるんだぁーっ!!』
 無線から響き渡るゲンドウの声。シンジは微かに微笑んだ。今なら言えるかもしれない。
「ありがとう…父さん。さようなら」
 そのままレバーを引こうとした時、シンジの頭の中に…いや、心の中に絶叫が響き渡った。
『だめえええぇぇぇぇぇぇっっっっ!!』


シンジの世界

 気がつくと、シンジはあのオアシスの前にいた。現実から、またしても自分の心の中へ引き込まれたらしい。辺りを見回すと、そこには2人のレイがいた。シンジの中の「レイ」と、現実のレイ。
「姉さん…どうしてここへ」
 シンジが言うと、レイは涙を浮かべ、そして叫んだ。
「ばか…シンジ君の大ばかっ!!どうして…どうして、自爆なんかしようとしたのっ!?」
 まくしたてるレイの目からは、涙が幾筋も伝い落ち、地面に落ちる。その清らかさに耐えられず、シンジは目を背けた。
「…駄目だ。僕は…嫌な人間なんだ。見てよ、この世界を」
 シンジは周りを見渡す。溶岩を噴き出す火山。凍てつく氷原。荒れ果てた砂漠。我が心ながら…醜い。
「僕は、綾波さん…姉さんを汚すような気持ちを持っていたんだ!!僕は汚れた人間なんだ!誰かに思われる資格なんて無い!!だから、僕なんて…」
 次の瞬間、甲高い音が鳴った。レイが振り上げた手が、シンジの頬を思いきり張り飛ばしていたのだ。
「みんなとの絆を無くしたくない…自分も生き残りたいって…あの時言ったじゃない!いくじなしっ!!あれは嘘だったのっ!?」
 そう言うと、レイの身体から力が抜けた。こらえきれない激情が、怒りから悲しみに変わり、彼女は崩れかける。慌てて抱き止めたシンジの腕の中で、レイは小さな子供のように泣きじゃくっていた。
 シンジはレイを抱きしめたまま、ただ立ちすくんでいた。
「みんなとの絆…」
 その言葉を発したのは、第十使徒の落下直前。決戦を控えて、カヲルを交えて3人で話した時の事。
『無くしたくない、絆なんだ。だから、僕はみんなを守って、僕も生き残る。奇跡を起こしてみせる…』
 そう、確かに自分はそう言った…その気持ちに、今も変わりはあるだろうか?シンジは自分に問い掛けた。
 答えは最初から決まっていた。無くせない。無くしたくない。その気持ちに変わりがあるはずが無い。しかし…
「僕は…」
 まだ躊躇うかのように、シンジが言うと、彼の腕の中のレイは泣くのをやめて、シンジの顔を見上げた。
「良いんだよ」
 レイは言った。
「誰だって…自分が嫌になる時はあるよ。わたしだって…自分の過去から逃げ出したい時があったもの。でも、逃げてちゃ何も解決しないんだよ」
「…姉さんも?」
 レイは頷いた。
「シンジ君は…まだ戸惑っているだけなんだよ。自分が変わった事に。でも、どんなに辛くても、今のシンジ君は…昔のシンジ君より良い方向へ向かっているから。変わっていく自分が嫌になる時があっても…そこから逃げたりしないで…」
「それでも、僕は…自分のことが好きになれないかもしれない」
 シンジが言うと、レイは答えた。
「そう言うこともあるかもしれない。でも、シンジ君は今まで自分が好きとか嫌いとか考えたことないでしょう?結論を急ぐことはないよ。いつか、答えが出せれば」
 シンジは黙ってレイの言葉を聞いていた。そして、一言尋ねた。
「僕は…ここに居ても良いの?」
 シンジの言葉に、レイは頷く。
「もちろんだよ。わたしだけじゃない。父さんだって…カヲル君だって…みんな、シンジ君が居て欲しいと思っているはずだよ」
 その時、シンジは初めて微笑んだ。レイは第五使徒戦の後に、やはりシンジの微笑をみたことがあった。が、今の微笑みはその時よりも輝いて見えた。
「ありがとう、姉さん。僕は今の僕のことは好きになれないけど、でも、自分の望む自分に変わっていけるようにするよ」
 レイは、そのシンジの言葉に笑い返した。
「大丈夫」
 そして、シンジの額を軽く指ではじく。
「もう、シンジ君はシンジ君のなりたい自分に変わり始めているから」
 その時、小さな光の粒が出現し、数を増やしたかと思うと凝集して人の形をとった。
<学者>だった。
「…話は済んだだろうか?」
<学者>の言葉に、レイはうなずいた。必死にシンジに呼びかけていたレイをここへ連れてきたのは<学者>の仕業だった。
「ありがとう。シンジ君のところへ連れてきてくれて。お陰で手遅れにならなくて済みました」
 レイが言うと、<学者>は恭しい、というほどの態度でレイにひざまずいた。
「なんの…君の言葉にならば喜んで従おう。古き同朋よ」
 謎めいた<学者>の言葉にレイは「え?」と言うように彼の顔を見る。
「…知らないのか?君は母から聞いた事はなかったのか?ノアの一族にして<絆と癒しの天使>たる者、リリス。我らが同朋よ」
 その単語に、レイは初号機の中の世界でユイと別れた時の言葉を思い出した。

『くじけないで。あなたの中にある強さを信じて。支えてくれるみんなとの繋がりを信じて。あなたに与えられた力…『絆と癒しの天使』、リリスの力はそのためにあるのだから…!』

「リリス…そう、わたしは…確かに…そう呼ばれて…」
 その言葉に<学者>は頷き、そしてレイの役割を告げた。
「全ての使徒を結び付ける者。周囲の全てを癒し守る者。人間でありながら使徒の力を持つ者。そして、ノア・ゼーレの良心を引き継ぐ者」
レイの脳裏に、12000年の歴史がフラッシュバックする。
 ノア・ゼーレの娘、リリス・ゼーレ。自身優れた科学者であり、疑問を抱きながらも父に従って研究を重ねた。そして、使徒システムの最初の被験者として、強烈なストレスに曝されるS2機関の中の魂を癒す力を持たされた女性。
 力及ばず、多くの使徒の精神崩壊と世界の滅亡を招いた事を父以上に悔い、再生された世界を見守る事を誓った、「贖罪の一族」の始祖。
 人々が再び欲望のままに振る舞い、世界を破滅に導かぬよう繋ぎ止める「碇」の役割を背負いし者。
 レイがユイから受け継いだものの全ては今、解放された。
「…<学者>さん。わたしは、貴方にお願いします。わたしたちと一緒に<ゼーレ>と戦って下さい」
 レイは学者に願った。彼女は使徒としての階級で<学者>の上位にあり、命令して言う事を聞かせると言う手段と、その権限も持っている。しかし、そうしたくはなかった。そして、「願った」事は<学者>にとっては好意を持って受け入れられた。
「もちろんだ。その<お願い>を了承しよう」
 そう言って笑うと、<学者>はシンジの方を向いた。
「君の心を傷付けてしまった。済まなかったな、少年」
 すると、シンジは首を横に振って答えた。
「いえ、良いんです。それに、その事で僕は『人間』になれたと思います」
<学者>は頷いた。
「そうか…お詫びと言ってはなんだが、私の力は君に託そう。受け取ってくれ」
 その言葉と同時に、レイとシンジは光に包まれた。


NERV本部 発令所

「…使徒が…零号機に再度融合…いえ、吸収されます!」
 マヤが叫んだ。使徒の抑え込みと初号機の接触を受けて停止していた零号機に、使徒が吸い込まれるようにして消えていく。
「零号機に高エネルギー反応。コア、S2機関に置換されます」
 青葉が報告し、冬月はようやく緊張の糸を解いた。
「六分儀、やはりやってくれたようだよ。お前の息子と娘は」
 そう声を掛けられたゲンドウは頷いた。その表情は安堵感に満ちている。子供たちの勝利を信じていたとは言え、やはり気が気でない思いをしていた事は間違いない。
「これで…16体の使徒が消えた。残るは1体のみです」
 ゲンドウが言う。
「そうだな。しかし、その最後の1体は…」
 冬月の言葉に、ゲンドウは頷いた。
「ええ。死海文書の記述に寄れば、最後の使徒は…<自由なるもの>。最も特異な性質を持つとされ、その正体がまるでつかめぬ相手です」
「そいつを押し立てて…いよいよ最後の戦いが来るな」
 2人は顔を見合わせ、いよいよ次こそが全ての命運を決する戦いになる事を確認した。



 そのいずこにあるとも知れぬ部屋に、<ゼーレ>の主要メンバーが集っていた。多忙であるためか、立体映像投影システムのある場所で参加しているものはいないらしい。元からこの部屋の主である委員長、キール・ローレンツを除く残り9人の姿はなく、代わりに音声のみの参加である事を示す「SOUND ONLY」の文字を浮かべた黒いモノリスの映像が席にある。
「第十六使徒が消えたか」
「一応、シナリオ通りではある」
「同時にNERVの役割も消失したと言う事でもある」
「我らに逆らうと言っても、所詮我らの道を開くだけの道化役者。消えてもらおうではないか」
「だが、奴等は手強い」
「そのためにあの国の政府を篭絡してきたのだ」
「NERVを倒すだけが役目の、やはり道化にしか過ぎぬがな」
「どんなに硬いダイヤモンドも、多くのハンマーで力任せに叩けば砕けぬ事はない」
「そして、砕け散り、利用価値の出たダイヤのかけらは全て我らのものとなる」
 委員たちのそれぞれの発言を聞き、キールは頷いた。
「左様。いささか手順の狂った部分もあるが、全ての準備は整った。全ての不要になったものを切り捨て、我らがこの世界の何もかもを統べる約束の日が来る」
 狂気に満ちた熱情を込めて、キールは言葉を紡ぐ。
「明日こそは永遠の聖日。新たなる千年王国の建国を告げる日となるであろう」
 おおうっ、と委員たちがその声に唱和した。その声には、悔恨と自責の涙のうちに死した遠い祖先を悼む気持ちは微塵も含まれていなかった。

 
そして…人類の歴史上、最も長い一日の夜明けが来る…


(つづく)

次回予告

 国連からのNERV解体命令。拒否。そして、宣戦布告。
 人類の敵と戦ってきたNERVの最後の敵は、同じ人類となる。侵攻する戦略自衛隊最強部隊。それを迎え撃つNERVに秘策はあるのか。最後の決戦の火蓋がいま、切って落される。
 次回、第弐拾四話
「終わる世界」

あとがき

 だから書くのが遅いって…
 という訳で、ご無沙汰しております。さたびーです。REPLACE第弐拾参話をお送りします。これでNERV側のエヴァ全機がS2機関搭載機となり、チルドレンの補完も一応完了。最後のエヴァ戦は凄まじい事になるでしょう(爆)。
 まだ最後の使徒は来ていませんが、次回よりEOE編となります。最後の使徒との戦いはこの中で一緒に描く予定です。NERVとゼーレが完全に敵対関係に陥っているのに、のんきに転校してくるはずが無いですからね(笑)。誰かが精神崩壊を起こして予備が必要なわけでもありませんし。
 と言う事で、次回をどうか気長にお待ち下さい(おい)。
2001年9月某日 台風の迫る日に さたびー拝




さたびーさんへの感想はこちら


Anneのコメント。

うむぅ〜〜・・・。今までの謎が大解明っ!!と言ったところでしょうか?

>ノア・ゼーレ。

これ、上手いと思いました。
まさか、ファーストインパクトと旧約聖書のノアの大洪水を関連づけるなんて・・・。
確かにサードインパクトのあの世界は正にそれですからね。

>「『ゼーレ』の目的にとって、使徒は邪魔な存在でしかない。
> 彼らがNERVを創設し、この地に置かせたのは、ここならば確実に彼らを迎え撃てるからだよ。
> なぜなら、復活した使徒はそのプログラムに従い、攻略目標であるこのジオフロント…
> すなわち、<アトラント>の地下要塞跡地を目指すからだ」

何故、使徒達が第三新東京市を目指すかについては諸説が色々とありますが・・・。
この物語の設定を使うと、このセリフに凄く説得力がありますね。
いやはや、さたびーさんにはいつも驚かされます。

>「シンジ君…わたしと一つになりたくない?」

やっぱり、シンジはレイの事がラブだったのね♪
はい、ちょっぴり安心しました。
しかも、この様子だときっと夜な夜な悩んでいたに違いない(ニヤリ)

>『何をするんだ、シンジ!!やめろぉーっ!!やめるんだぁーっ!!』
>「ありがとう…父さん。さようなら」

う〜〜〜ん・・・。正に親子愛っ!!
こういうセリフ、原作でも聞きたかったな・・・。(しみじみ)



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