壁に描かれた「ゼーレ」の紋章の前に、人類補完委員会議長であるキール・ローレンツと、委員会メンバーである英・仏・露、そして粛正された米代表に変わって新たに選出された伊代表が集っていた。
「エヴァシリーズに生まれいずるはずのないS2機関…」
「まさか、かの様な手段で自ら取り込むとはな」
「我ら『ゼーレ』のシナリオとは大きく違った出来事だよ」
「この修正、容易では無いぞ」
 キールを除く委員達が口々に懸念を表明する。もともと、近頃の事態は彼らの描いたシナリオと大きく異なる方向へ展開しつつあったのだが、初号機の覚醒と解放はそれを決定づける出来事だった。
「既に死海文書の予言もあてにならなくなっている。第十三使徒と第十四使徒の出現間隔は1ヶ月はあったはずだ」
「実際には5日か…」
 英仏代表のやり取りを聞きながら、キールは初めて言葉を発した。
「冬月、六分儀、お前達は何を考えている?」


新世紀エヴァンゲリオンREPLACE
第弐拾話 心のかたち、人のかたち



第1日 NERV本部 発令所

「エヴァ各機の損傷はヘイフリックの限界を超えています」
「時間がかかるわね。…全てが戻るには」
 マヤの報告にリツコは溜息を付いた。ただでさえ第13使徒戦で受けた打撃を回復しないうちの連戦で、エヴァ各機は深刻なダメージを受けている。事実上稼動状態にある機体はなかった。パイロット達も、レイは未だ初号機より救出されておらず、シンジ、カヲルとも先日までの全治二週間が一ヶ月に延長される重傷を負った。
 それどころか、この本部や第三新東京市の防衛システム自体が半壊状態にあり、現時点で使徒に侵攻されれば、ひとたまりもなく敗北を喫する事になるだろう。
「幸い、MAGIシステムは移植が可能です。明日にも作業を開始します」
「でも、ここはダメね」
 崩れ落ちた瓦礫にコンソールの大半を破壊されたオペレートステージを見渡してリツコは言った。
「破棄決定は、もはや、時間の問題です」
 先の戦いで負傷し、頭に血の滲んだ包帯を巻いたままの青葉も自分の推論を述べる。
「そうね…取りあえず、予備発令所を使用するしかないわね」
 リツコの言葉にマヤが尋ね返す。
「MAGIはなくとも、ですか?」
「そうよ。ほこりを払って、午後には仕事を始めるわよ」
 仕方の無い事とは言え、マヤは気乗りのしない顔をする。
「椅子はきついし、センサーは硬いし、やりづらいんですよね。あそこ」
「見慣れたこの発令所と造りは同じなんだけどね」
 と青葉。マヤは微笑んで頷いた。
「違和感、ありますよね」
 文句を言いながらもマヤは自分の座席に付けているネコのプリントが入ったクッションを外し、青葉と相談しながら必要な書類をダンボールに入れ始める。 危ないところを助けてもらったためか、マヤが青葉に向ける態度は以前よりずっと親しげだ。
「使えるだけマシよ。使えるかどうかわからないのは初号機ね」
 零号機・弐号機と使徒の戦いで半壊したかつてのケイジを見ながら、リツコは今日何回目になるかわからない溜息を付いた。


第2日 NERV本部 エヴァンゲリオン・ケイジ

「ケイジに拘束…大丈夫でしょうね」
 覚醒した初号機だが、使徒殲滅からしばらくして活動を停止し、回収後ケイジに拘束されていた。ちなみに、このケイジは参号機用に用意されていたものである。
「内部に熱、電子、電磁波、化学エネルギー反応はなし。S2機関は完全に停止しています」
 装甲板――そう呼称されていた拘束具が剥がれた箇所に包帯を巻かれた初号機を、キャットウォークから見上げるミサトと日向。
「そう、動くはずが無い。でも、この初号機は2度も動いたわ。」
 1度目はレイが初号機に初搭乗する前、彼女を落下する瓦礫からかばった時。2度目は言うまでもなく、先の第14使徒戦である。
「黙視出来る状況だけでは、うかつに触れないわよ」
 ミサトは初号機の胸の位置にある赤い球体、S2機関を睨む。
「うかつに手を出すと何をされるかわからない。寝ているライオンのようなものですね」
 日向の感想に、ミサトは呟いた。
「…そんな可愛いものじゃないけどね。むしろ、子供を守る母親熊と言うべきだわ」
 初号機を、この世で最も遭遇したくない最強の野獣に例えるミサト。その確信的な言葉に、日向は彼女がこの機体に関する何かを知っているのだと確信した。
「重いんですね。この機体に隠されたものは」
 日向の言葉にミサトは頷く。何故気づいたのか、とは聞かない。それくらいの洞察力が無ければ彼女の部下は勤まらない。
「悪いわね。これからも危険な事に付き合ってもらうわよ」
 ミサトは微笑み、きびすを返した。
「危険ですか…いいですよ、貴女とならどこへでも…」
 その日向の呟きはまだミサトには届いていなかった。


同日 某所

「だが、事態はエヴァ初号機の問題だけではない」
 会議はまだ続いている。
「さよう、エヴァ各機の大破。本部施設の半壊。セントラル・ドグマの露呈。被害は甚大だよ」
「いずれは捨てるもの。だが、まだ早すぎる」
「我々がどの程度の時と金を失ったのか、見当もつかん」
「これも冬月の首に鈴をつけておかなかったからだ」
「鈴はつけてあった。ただ、鳴らなかっただけだ」
 キールは言った。「鈴」とは自分達の手の者、すなわち本部に侵入させたスパイの事を指す。だが、キールは情勢を判断し、もはや「鈴」が自分達の手から離れている事を確信していた。
「呑気な事を…議長、彼らは神を手にしたのですぞ。もはや我々の言う事に素直に従うはずが無いのは明白です」
 苛立ったように言う露代表に、キールは視線を向けた。
「まつろわぬ神など神ではない」
 冷たい口調でキールは言った。
「それは悪魔と言うのだ。ならば、我々の手でそれに対抗する神を作るまで」
 座がどよめく。
「では、議長…エヴァシリーズにあれを?」
「左様。それには今しばらく時間がかかるだろう。それまでは彼らを活かしておいてやる。だが…」
 キールは卓上のグラスを手に取り、床に投げつけた。鋭い音を立てて砕け散るグラス。
「最後の使徒が消えた時、次にこうなるのは彼らだ。今日はこれまでとする」
 キールは散会を宣言した。それは、同時にNERV日本本部に対する宣戦布告でもあった。


同日 NERV本部 予備発令所

 鋭い警告音が発令所内に鳴り響いた。
「やはりダメです。エントリープラグ排出信号、受け付けません」
 マヤが何度も初号機にエントリープラグのイジェクト命令を出すが、モニターには『REFUSED』の文字が点滅するばかりで、肝心のエントリープラグはびくともしない。
「予備と疑似信号は?」
「全て拒絶されています。直結回路もつながりません」
 リツコの指示を受け、マヤのキーボードを叩くが、やはり初号機からの反応はない。
「予想通りね。排出されても困るんだけど」
 リツコが言った時、青葉が報告した。
「プラグの映像回路、つながりました。主モニターに回します」
「これは!?」
 モニタの画像がプラグ内のライブに切り換わった瞬間、発令所にどよめきがわき、やっとの思いで加持が声を振り絞る。
「…これがシンクロ率400%の正体。レイちゃんはいったいどうなってしまったんだ…!?」
 エントリープラグ内にはレイの着ていた青いプラグスーツと白いヘッドセットだけが漂い、レイの姿は何処にもなかった。
「初号機に取り込まれてしまったのよ…」
 リツコが沈痛な表情で言った。
「どういう事なんだ?」
 加持が尋ねる。
「シンクロ率は、ただ単にパイロットとエヴァの神経の事だけを指す訳ではないの。そこには自我や精神と言った、もっと幅広い、搭乗者とエヴァそのものも含まれている。だから、シンクロ率が高くなればなるほど、エヴァを完全に自分自身のように感じることができる…でも、それを超えると自我境界線が曖昧になってしまって…ついにはエヴァと同化、つまり一体となってしまうの」
 そのリツコの説明は、加持だけでなく、多くのオペレーター達にも衝撃を与えた。
「馬鹿な…なんなんだ、エヴァって…ただのロボットでない事は気づいていたが、それにしても…」
 加持が絞り出すように言った時、背後から声がした。
「…そろそろ、エヴァと言うものの正体に付いて話す時が来たのかも知れんな」
 冬月だった。ゲンドウも傍に控えている。
「司令!それに、副司令も…」
 加持が言うと、ゲンドウが口を開いた。
「まず、はじめに言っておこう。レイは初号機に取り込まれた。だが、レイの肉体を構成していた粒子、そして彼女の魂はまだ初号機の中にそのまま存在する。すなわち、レイはまだ生きているのだ。我々は彼女を救い出さねばならん」
 発令所内に衝撃が走った。それを見て、冬月が後を引き取る。
「だが、それを実行するには諸君らがエヴァというものを完全に理解している事が肝要だ…よって、今まで秘められていた真実を全て明かす事にする。いままで隠していた我々に対する怒りもあるかもしれないが…今は聞いて欲しい」
 全員が威儀を正し、冬月の言葉の続きを持った。
「では…」


第3日 NERV本部 技術部長室

 リツコの机の上に無数のレポートが載せられていた。彼女はそれに片端から目を通し、使えそうな部分を抜粋してはまとめていく。
「やってるな、りっちゃん」
 加持が顔を出した。数日前、同居人の少女が消失した事への衝撃を隠せなかった時の影はもう無い。希望が見えた事で、いつものペースを取り戻していた。
「ええ、やはり情報が公開されたのが大きかったわね。みんな、張りきってサルベージ計画に関する理論をまとめてきているわ。マヤなんて、私や父さんですら気づかなかった事を発見したくらいよ」
「へえ、そりゃ凄いな」
 加持は感心しながらも、リツコがゲンドウを「父さん」と呼んだことに気が付いた。あの、2日前の信じがたい話は、ゲンドウを憎んでいたはずの彼女の心情にも大きな影響を与えたものらしい。
 それほどの重みを持っていたのだ。エヴァは現代科学の産物ではない、という明かされた真実は。

「エヴァは我々が作ったものではない。我々は、ただ単に設計図を見つけ出し、今ある技術で建造可能なようにスペックダウンさせてから、建造したのだ」
 冬月はそう言った。座がざわめく。
「すると…その設計図は誰が作り出したんですか?」
 マヤが手を挙げて発言した。
「うむ…ここから先はにわかに信じがたい話になるが…かつて、この世界には現代よりも遥かに進んだ文明が存在していた」
 ゲンドウが答えた。聴衆が一瞬ざわめくが、ゲンドウの顔に真剣なものを見て、ただの与太話ではないと判断する。
「エヴァは、かつてその文明が生み出した兵器だったのだ。そして、使徒も…」
「使徒が…!?」
 再びざわめく一同。
「そう、エヴァも使徒も同一の思想上に設計された兵器であり、本来は同一の素材でできている。君たちも知っているだろう。エヴァと使徒が、構成素材の差こそあれ、人類と99.89%まで一致する固有波形パターンを持っている事を」
 これには技術部員を中心に頷く者がいた。
「だが、使徒を構成する素材や、動力源であるS2機関は現世文明には再現不能だった。だから、有機素材でエヴァを作り、動力は電気とした。原形に比べればその力は数パーセントも再現できていないかもしれないがね」
 現用兵器を遥かに凌ぐ力を持ちながら、本来の性能の数パーセント…エヴァの持つ潜在的なポテンシャルに、またも大きなざわめきが漏れる。
「すると、司令。使徒はどうなんです。あれも誰かが作ったのですか?」
 日向が質問した。
「いや。あれは、彼らを産み出した文明が崩壊した際に、稼動不能となっていたものが復活したのだ」
 冬月は答えた。
「そもそも、エヴァの設計図は前世紀に中東の死海で発見された古代文明の遺産…いわゆる『死海文書』の中に含まれていた」
 そこで、冬月はゲンドウに合図した。ゲンドウは頷き、一歩進み出た。
「あとは私が説明しよう…『死海文書』解読の結果、ある場所にエヴァを含む古代文明の兵器製造工場が存在する事が分かり、その地に調査隊が派遣された。そこは…南極だった」
 南極。その単語を聞いた瞬間、何人かの顔色が変わった。
「調査隊は『死海文書』の記述どおりに兵器工場を発見し、そこで遺棄されていた兵器を発見した。それがエヴァの原形、第一使徒『アダム』だ。調査隊は『アダム』の再起動実験に着手した。しかし…実験は失敗した」
 ゲンドウの言葉に、青葉がうめいた。
「実験の失敗。まさか…」
 ゲンドウは頷いた。
「そう言う事だ。『アダム』は暴走後、大爆発をおこし、消滅した。人類の半分を巻き添えにしてな…それがセカンドインパクトの真実。そして、私はその愚かな行為を行った者達の生き残りなのだ」
 ゲンドウが南極にいた事はここにいる全員が知っている。そして、セカンドインパクトの爆心地から生還してきたことも。これまで、ゲンドウが自分とセカンドインパクトの関わりに付いて話した事はなかったが、それが遂に本人の口から語られた。
「諸君らの中にはセカンドインパクトで大事な人を亡くした者もいるだろう…私を憎んでくれても構わない。だが、私は己の犯した罪を贖うことを誓った。その誓いが果たされたら、諸君らが私を復讐の贄に捧げても恨みには思わない」
 そして、ゲンドウはその場に膝を突いた。
「このような事を言えた義理ではないことはわかっている。が、あえて諸君らにお願いする。それまでは、私に力を貸して欲しい。この通りだ…」
 次の瞬間、ゲンドウはそこにいた全員があっと驚く行動をとった。床に手を付き、深々と土下座したのだ。
 しばし、沈黙した時間が流れた。だが、それを打ち破った者がいた。
「顔を上げてください、副司令!」
 加持だった。
「俺も家族や友人を失いました…しかし、今更その事で貴方を恨みには思いません。そんなことをしても誰も喜びませんから」
「その通りですよ、副司令」
 日向が同意の声をあげた。
「失われた過去を嘆くより、未来を掴もう…NERVにいる人間は、その志があったからこそ集まってきたんです」
「たとえ貴方が俺にとっての仇だったとしても、俺には30億人に及ぶ死者の恨みを背負って生きる事なんてできません。それができる副司令だからこそ、信じて付いて行く価値があります」
 青葉も頷いた。それをきっかけに、全員がゲンドウを許し、これからも付いて行くという意思を表明した。ただ一人、リツコを除いて。だが、リツコは全員が静まり返る中、ゲンドウの傍に歩み寄った。
「母さんは知っていたのね?貴方の志を」
 その言葉に、ゲンドウは頷いた。
「ああ…俺はあいつに愛してもらう価値などなかったのに、それでも許してくれた」
 リツコは微笑んだ。
「そう…たぶん、兄さんもわかっているのね。そうでなければ一緒に戦ってくれるはずがないもの」
 謎めいた一言を口にし、リツコはゲンドウに手を差し出した。
「立って、父さん。貴方のやったことすべてを許せる訳ではないけど、でも、私は貴方に力を貸します。母さんが信じ、兄さんが理解した貴方の志に」
 手を差し伸べる娘の姿に呆然としているゲンドウの肩に、冬月が手を置いた。
「六分儀、お前がワシをNERVの司令に推挙した時に言ったな。自分には人望がないから、それを寄せられる価値がないから、かわりに部下をまとめる役になって欲しいと。だが、強い意志と正しい志を持った人間には人望も価値も自然と付いてくるものだよ」
 ゲンドウは何も答えなかった。立ち上がりもしなかった。ただ、そこで男泣きに泣いたのであった。

「そう言えば、今日は副司令は?」
 加持が尋ねると、リツコは端末にスケジューラーを呼び出して答えた。
「…えっと…あの子達のお見舞いに行った様ね」
「カヲルとシンジ君か。もう意識は大丈夫なのか?」
 加持の懸念にリツコは答えた。
「ええ、2人ともエヴァが大破した瞬間はシンクロが切れてたから」
 腹部が吹き飛ばされた零号機にしろ、首が切断された弐号機にしろ、シンクロしたままだったらパイロットにショック死しかねないほどのフィードバックをもたらしただろう。
「カヲルの腕も、奇麗に切断されたせいでかえって神経へのダメージもなかったし…ただ、さすがに落ち込んでいるみたいだけどね」
「だろうな」
 加持は頷いた。勢いに任せて出撃はしたものの、結局返り討ちにあい、またしても機体を大破させてしまったのだ。2人とも責任感が強いから、精神的打撃は大きいだろう。
「まあ、副司令のことだから上手くなだめるだろうけど…」


同日 第三新東京市中央病院 NERV専用病棟

 救出されたシンジとカヲルは、同じ病室に入院していた。見舞いに来たゲンドウは、2人の調子を確かめる一方でレイが初号機に取り込まれた事を話した。
「そうですか…綾波君がそんなことに…」
 カヲルは目を伏せた。
「ボクがもっとしっかりしていれば…」
 その言葉に、シンジが反発した。
「そんな事無い。悪いのは僕だよ」
 先にアンビリカル・ケーブルを切られて戦線離脱し、カヲルに負担を掛けたことにかなり責任を感じているらしい。いつになく強い調子で自分を責める。
「よさないか、2人とも。自分を責めてもどうにもならん」
 ゲンドウがたしなめた。
「全く…この間のレイと一緒だな。第13使徒戦の後でレイもずいぶん自分を責めていたな」
「え?」
 ゲンドウの言葉に、2人は顔を上げた。
「だが、レイは自分が落ち込んでることでお前達を心配させたらいけないと言って立ち直ったんだ。お前達も、余計なことを考えずに、早く良くなれ」
「副司令…」
「父さん…」
 ゲンドウの言葉に、2人は返す言葉が見つからず、ゲンドウの顔を見上げる。
「わかったな?レイは必ず、われわれが助け出す。元気になって、笑顔でレイを迎えてやってくれ」
「はい!」
 大声で返事する2人。ゲンドウは破顔すると2人の頭をくしゃくしゃになで、病室を後にした。


第5日 NERV本部 技術部長室

「これがレイのサルベージの計画表よ」
 そう言ってリツコは、加持に簡単な冊子を差し出した。
「ずいぶんと速かったんだな」
 ページをめくりながら加持が感心したように言うと、リツコは笑って首を横に振った。
「基本的なプログラムは、10年前に完成していたの。それ自体は再度の実行に備えて父さんが何度か手直ししていたし、私はそれを焼き直したに過ぎないわ」
 そう言いながらも、リツコの目の下には隈ができていた。相当、無理をしたのだろう。
「10年前…レイちゃんのお母さんの時か」
 リツコは頷いた。

第2日 NERV本部 予備発令所

「さて…エヴァと使徒の決定的な違い、それは動力源にある」
 説明が再開された後、まず冬月がこうはじめた。
「エヴァは内部の素体を構成する筋肉組織に外部からの電気を信号化して伝え、それをパイロットとの神経接続で制御して駆動する。これに対し、使徒は内蔵する半永久機関であるS2機関を動力源兼制御システムとして動作する」
 聴衆は黙って冬月の説明を聞いていたが、次の言葉に大きくどよめいた。
「このS2機関だが…これまでは原理不明と言うことで詳細を公表してこなかった。しかし、本当は原理も仕組みも分かっている」
 これに対し、マヤが挙手する。
「では、なぜ秘密に?それに、原理が分かっていれば作れるのでは?」
 冬月は頷いた。
「秘密にしていたのには理由がある…その原理が余りにも問題になり過ぎるからだ。こいつは、人間の魂を必要とするのだ」
 聴衆が冬月の言葉を理解するまで、しばらく時間がかかった。
「どういう事なんですか?その…人の魂が必要と言うのは?」
 理解しがたい、と言うように尋ねたのは青葉だった。
「それには、使徒を創り出した古代文明の特質を説明せねばならんな」
 ゲンドウが講師役に回った。
「古代文明と現世文明の最大の違い、それは古代文明が人間の精神の力を物理的に解明していたことにある。古代文明においては、精神力を持ってエネルギーを伝達し、巨大な文明を築いていた」
「それでは…まるで魔法ではありませんか」
 日向が言うと、ゲンドウは頷いた。
「その通り。実際に、現代に伝えられている魔法や魔術の伝承の中には、古代文明の遺産がわずかなりとも含まれているのだ。『死海文書』もそうした研究の中から発見された」
 ここで冬月が後を引き取る。
「S2機関は、そうした精神文明と言うか…魔法文明の究極の到達点の一つだ。人の精神活動…すなわち魂を封じ込め、そこから無限のエネルギーを引き出すだけでなく、高度な演算装置としても使用する…S2機関と言う名称はそこから与えられたのだ。Soul生け贄Sacrifice とする機関、という意味だがね」
「…非人道的なものですね」
 マヤの呟きに、冬月が答える。
「非人道的、か…確かにな。だが、私は古代人を責めることはできんよ。その非人道的なことをやってしまったのだからな」
 聴衆が一斉に冬月を見た。
「当初、エヴァはS2機関で動く予定だったのだ。私は『死海文書』を参考にして模造したS2機関をエヴァに搭載し、起動実験を行った。だが、私はそのときS2機関の本質を知らなかった。パイロットに志願した人間が消えてしまったのだ。今回のレイのようにな…S2機関にOSとして取り込まれてしまった。しかも、模造したS2機関は原形の力を発揮できないものだった。パイロットとエヴァの間のインターフェイスの役割しか果たせないものだったのだ」
 これまでで最大級のどよめきが場を満たした。
「いい訳がましくなるが…彼女の犠牲によって、S2機関の本質と問題点が明らかになったのだ。その実験結果を元に死海文書の未解読部分の研究は飛躍的に進み、その中にはS2機関に取り込まれた人間の再生も含まれていた。今回はその時の研究を元にサルベージを行う」
 まさに希望があることを知り、全員が威儀を正して説明の続きを待つ。冬月とゲンドウ、途中からはリツコも加わって、サルベージに関する資料が説明された。それらは各部門の要員に配られ、それぞれの観点からチェックを行うように指示が下ったのである。
 そして、それらは今リツコの手でまとめられ、より完璧な計画へと練り上げられようとしていた。

「後は完全なプログラムの作成と必要な機器の製作。………サルベージは1ヶ月後になると思うわ」
「俺に手伝えることは?」
 加持の質問に、リツコは答えた。
「特にはないわ…でも、『ゼーレ』との対立が決定的になりつつある今、これらの資料を彼らに渡すのは危険ね」
「なるほど…そう言うことなら俺の出番もあるな」
 加持は男くさい笑みを浮かべ、リツコに向けて親指を立てた拳を突き出した。


NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"
EPISODE:20 Liberation


第7日 レイの夢

(ここは…どこ?)
 レイは目を開けた。心地よいぬくもりと安らぎに包まれて。会話が聞こえる。
「…本当に、良いのか?」
「ええ…貴方の抱く志に、わたしは邪魔になります」
「しかし…」
「いいんです…わたしは、自分の個人的な復讐に貴方を巻き込もうとしました。ですから…わたしには貴方を愛し、愛される資格はないんです。それに…」
「それに?」
「貴方の心には別の人が住んでいます…」
「…俺は勝手な男だ。ナオコを裏切ることになりながら君と…」
「知っていて、貴方を求めたのはわたしです。悪いのはわたしなんです。貴方には責任は…」
「…」
「では…」
「待ってくれ。せめて…」
「…なんですか?」
「生まれてくる子が男ならシンジ、女ならレイ、と名づけて欲しい」
「…シンジに、レイ…」
「リツコの次に子供を授かったら付けようと思っていた名だ。その子が俺の子である証だ。たとえそれを世間に向けて明らかにできないとしても、俺は君と娘の事は忘れない。誓うよ」
(これは…お母さんのお腹の中にいる時の記憶…?)
 レイはその会話の正体を知った。
(これは…お母さんとお父さんの会話…でも、お父さんの声には聞き覚えがある…どうして…?それに、シンジって…どういう事なの…?)
 レイは疑問に思いながらも、再びまどろみの中へ落ちていく…


第12日 第三新東京市中央病院 NERV専用病棟

「そうなんだ…綾波さんがねえ…」
「まだしばらくは掛かるだろうね」
 会話しているのはカヲルとケンスケだった。同室のシンジはリハビリに行っているので、今はいない。
「みんなが来ないと、教室も寂しいよ…とうとう、市外への疎開も始まったしね」
 ケンスケは言った。先日の戦いではNERVだけでなく、第三新東京市も大きな被害を受けている。兵装ビルの誘爆や火災で数十棟の建物が全半壊し、シェルターも天井が崩落するなどして数百人単位の死傷者が出た。
 このため、遂にNERV関係者の家族も含む疎開が始まり、家を失った人々を中心に市外へ引っ越す者が出始めた。
「うちのクラスは特に疎開に引っかかった人はいないんだけど…怪我した奴もいるし、全体で15、6人は来てないかな」
「そうか…それは詫びしいね」
「カヲルも早く良くなれよ?この際綾波さんと洞木さんに戻ってきて欲しいなんて贅沢は言わない。男でも構わんから、早く出てきてくれ」
 その言葉にカヲルが突っ込む。
「綾波君と洞木君ねぇ。良いのかい?霧島さんが聞いたら怒るよ」
 ケンスケはまともにうろたえた。
「な、な、な、何言ってんだよカヲルっ!俺と霧島さんはそんなんじゃないんだ!」
 赤くなったケンスケにカヲルが追い討ちを掛ける。
「そんなんじゃない?良いのかなぁ。そんな事言って。この間散々トウジ君をからかっていた様だけど、君も守勢に回ると彼のことは笑えないよ」
 一緒になってトウジをからかっていたことを棚に上げたような態度のカヲルに、ケンスケは痛烈な反撃を試みた。
「そう言うカヲルはどうなんだよ…綾波さんのこととかさ」
 カヲルはまともに引きつったような顔になると、空のシンジのベッドを見た。
「…ボクの場合はさ、相手が手強すぎるんだよ…」
「…納得」
 ケンスケとカヲルは顔を見合わせ、深い溜息を付いた。


第15日 レイの夢

 レイの長い長い夢はまだ続いていた。
 幼い彼女は母に背負われていた。その母は昔の冬月と思われる男性と歩いている。
「なぜだね?なぜ、志願したのだ?」
「この子に、明るい未来を見せてあげたいんです。こんな地獄のような世の中じゃなく…」
「生きていれば、どこだって天国になる…君の口癖ではなかったかね?」
「ええ…でも、その地獄を作り出した責任の一端が自分にもあると思うと…」
「…あれを引き起こしたのは彼らであり、君に責任はないと思うが」
「いいえ。『宗家』一族として、わたしは彼らを止めなくてはならなかったのです。ですが、わたしはそうすることができませんでした。今度こそ、わたしにできるやり方で、彼らを止めなくてはならないんです」
「…君は強いな」
「あの人に教わったことですよ」
「そうか…奴には話したのかね?」
「いいえ。聞けば、あの人は絶対に止めようとするでしょう」
「…そうだな…私も恨まれることになるな」
「すいません、先生」
「いや、かまわんよ。だが、実験が終わったらあいつにはちゃんと話してくれ」
「…はい、そうします」
(…お母さん…何があったの…?)
 レイの意識は再び溶けていく…


第18日 市立第壱中

 その人物が教室に入ってきた時、真っ先に大声を上げたのはマナだった。
「ヒカリ!もう、大丈夫なの!?」
 マナが叫びながら駆け寄ったのはヒカリだった。松葉杖を突いてはいるが、どうにか歩けるようになったらしい。
「うん…こんな大変な時だからね。みんなの傍にいたかったの」
 ヒカリは笑った。
「それよりも、今度はレイが大変なんだってね…」
 その言葉に、マナの表情も曇る。
「うん…何度か病院に行ってみたけど、面会謝絶だったし…渚君やシンジ君は何か知っているみたいだったけど、教えてくれなかった」
 ヒカリも頷いた。
「うん。私も何度かレイに会いたいって言ったんだけど、だめだった。ただ、加持さんに会った時に言われたわ」
「…なんて?」
「レイのために、祈ってあげてくれって。今はさまよっているレイの魂が、どこにも行かない様に呼びかけてくれ、って…」
 マナとヒカリは顔を見合わせた。
「そう…だね。それくらいしかしてあげられないかもしれないけど」
「学校の帰りに、神社にでも行こうか。レイが戻ってくるまで、毎日でも」
 ヒカリの提案に、マナが頷く。
「うん、そうしよう!相田君や鈴原君にも声を掛けて、みんなで」
 その日から、市内のあちこちで神社や寺に参る中学生の姿が見られるようになり、次第にその数は増えていった。


第22日 レイの夢

 レイの夢は続いている。いや、それは記憶の旅なのだろうか。自分でも良く覚えていない、山岸家に引き取られる以前――4歳の頃より前の時間を、今レイは生きている。
 彼女はガラスに顔を付け、眼下で行われている複雑な作業を見詰めつづけていた。
(…ここは…発令所?でも、少し違う…)
 それは、先日第十三使徒に破壊された松代の第二実験場…当時の日本本部だが、レイがそれを知る由も無い。
 眼下では、エヴァに作業員が取り付き、エントリー作業を行っている。プラグには今しも一人の女性が乗り込もうとしていた。レイには、それが母親だとはっきりわかった。
「冬月先生…いくらパイロットの娘さんとは言え、子供を発令所に連れてくるというのは…六分儀副司令が知ったら良い顔をしませんよ」
 オペレーターの一人が、まだ黒い髪の残っている若い冬月に苦言を呈している。
「そのパイロットの意思なのだ。彼女はその子に未来を渡すために志願してくれたんだ。だから、私は彼女の意思をかなえてやりたい」
「…そう言うことでしたら、何も言いませんが」
 そんな会話をしている間にも、準備は進められていき、ついに母がエヴァに乗り込む時がやってきた。エントリープラグがエヴァの体内へ吸い込まれていく。
 だが、唐突に破局はやってきた。
「シンクロ率、急激に上昇!100パーセントを越えてなおも上昇中!」
「パイロットの自我境界線が消失しかけています!」
 満ち溢れる絶望的な報告の渦に、冬月が叫ぶ。
「いかん!脱出するんだ!」
 だが、無線の向こうから返ってきた声は、悲しいほどに冷静だった。
『いいえ…先生。こうなることはわかっていました。だから、わたしは脱出しません』
「なんだと!?どういう事なんだ」
 母の言葉に、冬月は驚いて説明を求める。
『騙してすみません、先生…ですが、わたしには罪を償い、彼らと戦い、その子の未来を守り、そして、あの人の志に助力する方法は、これしか思い付かなかったんです…』
 その時、オペレーターがシンクロ率が300パーセントを超え、エヴァが完全に制御不能…暴走状態に陥ったことを報告した。
「やめるんだ!わかっているのか、このまま自我を失ってしまったら…取り込まれてしまうぞ!この子はどうなる!今一番親を必要としている時期なんだぞ!」
『…悪いとは思っています…せめてものお返しに…わたしの端末を調べてください。先生達が『死海文書』を完全に解読する手がかりになるはず…役立ててください…』
「駄目だ!戻ってくるんだ、ユイ君っ!!」
 冬月の絶叫。
『ああ…もう、これ以上は…どうか、早く逃げて…!…ああっ!!』
 その瞬間、シンクロ率が400パーセントを超えた。母――ユイの自我という最後の鎖を断ちきったエヴァが咆哮する。爆発的に膨れ上がる不可視の力――ATフィールドが嵐の様にケイジを荒れ狂い、発令所のガラスを粉砕した。

 気が付いた時、レイは冬月に抱きかかえられる様にして床に倒れていた。目を開けると、視界が一面真っ赤に染まっている。
「駄目だ…!レイ!見るんじゃない…!」
 レイが覚醒したことに気づいたのか、冬月が慌ててレイの目を覆おうとする。だが、その一瞬にレイはその赤色の正体を知っていた。
 暴発したATフィールドに粉砕され、無数の肉片と血飛沫と化して床に散らばった、作業員の遺体…次の瞬間、レイは心の底から絶叫していた。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」

(…そうだ。わたしはこの時から…お母さんが消えた時からエヴァを知っていた。そして、この時からわたしはお肉が食べられなくなったんだわ。わたしは確かにこの光景を見たんだ…)
肉が食べられないこと、レイはその理由をどうしても思い出すことができなかった。だが、それは決して思い出したくない二つの思い出…母の喪失と、この無残な光景に結びついていたのだ。
そして、再び意識が温かい闇の中に溶けて行く。
(次は…どこに…)


第30日 NERV本部 予備発令所

 遂に、全ての準備は整った。完成したサルベージ計画の要綱と膨大なプログラムを収めたDVD-ROMを手に、椅子に座り込むリツコ。
「さすがですね、先輩。サルベージ計画の要綱を本当に一月でまとめてしまうなんて」
 コーヒーを差し出してマヤが言う。
「ん――ありがと。でも、この計画は私がまとめた物じゃないわ。10年前から暖められていたものよ」
 マヤは頷いた。
「ああ、そうか…初号機の最初のパイロットになった人のためにですね」
「そう…その人のサルベージは、計画されたものの実行はされなかったわ。本人が帰還することを望まなかったから」
 そのリツコの言葉に、マヤは不思議そうな表情になった。
「望まなかったって…どう言うことなんですか?」
「その人は…エヴァの秘密を一番良く知っていた人。誰かが犠牲にならなければ、エヴァを動かせないと知っていた。だから、あえて自分がそうなったのよ…」
 リツコの説明に、マヤはやはり首を傾げる。
「そんな…凄い人がいたんですか?冬月司令や六分儀副司令でさえ知らなかったらしいのに…」
 リツコは頷いた。
「いたのよ。でも、司令達に教えればエヴァを作ることを躊躇うと思っていたんでしょうね。全ての秘密を背負って…最後に司令達に託してエヴァの中へ消えていったのよ」
 リツコは初号機を見上げた。
(ユイさん…今、貴女はレイと会っているのでしょうね。一体何を話しているんですか?)


最後の夜 レイの夢

 目を覚ました時、レイは見覚えのある光景の中に立っていた。マユミと別れた、大草原の中の小さな駅。
「また、ここに来たんだ…そうだ!」
 レイは辺りを見回した。そして、目当ての人物の姿を確認した。
「お母さん!いるんでしょう、お母さん!」
 レイが叫ぶと、ホームの端に以前レイを元の世界へ案内してくれたあの女性――レイの母親、ユイが立っていた。
「レイ…覚えていてくれたのね?」
 ユイはレイに歩み寄り、彼女の身体をしっかりと抱きしめた。その目から幾粒もの涙が零れ落ちる。
「お母さん…会いたかった。ずっと、会いたかった…」
 レイもユイの背中に腕を回し、涙声で言った。
「ごめんね、レイ…あなたをずっと独りぼっちにして」
「ううん…わたし、思い出したの。お母さんのお腹にいた時のこと、お母さんの背中に負われてた時のこと、そして、お母さんがいなくなった時のこと…お母さんは、わたしの為にエヴァに乗ったんだね」
 そのレイの言葉に、ユイは驚いたような顔で娘の顔を見た。
「レイ…そう、聞いていたのね」
「うん。いろんな事を聞いたの。わたしの名前のこと、エヴァのパイロットに志願した時のこと…お母さんは…何か目的があったのね」
 ユイは立ち上がり、ホームのベンチに腰掛けた。レイも一緒に座る。
「ええ…わたしはある人たちと戦ってた。彼らはわたしの一族を滅ぼし、ずっと受け継いできた使命を乗っ取って、自分の都合の良い様に変えてしまった…」
 レイはユイの告白を聞いていた。
「その人たちと戦う為に、わたしは貴方のお父さんに近づいたの。最初はただ利用するだけのはずだった。でも…」
「好きになったの?」
 レイの言葉に、ユイは少女のように顔を赤らめた。
「ええ…でも、あの人には奥さんも子供もいたの。わたしはけっきょく、あの人の家族には勝てなかった。最後にはあの人は家族の元へ戻っていったけど、あの人を利用しようとしたわたしには、あの人を引き止めることはできなかったわ」
 ユイは遠くを見つめながら言った。
「むしろ、わたしの方があの人から離れることを望んだ…あの人の邪魔になりたくなかったから」
 ユイは寂しげな顔で言葉を紡ぐ。だが、そこには後悔の色だけはなかった。
「あの人は…自分の犯した罪を懸命に清算しようとしていた。だけど、あの人に罪を犯させたのは、わたし。わたしとその血族の人々なのよ。だから、わたしはあの人と一緒にはいられなかった」
 ユイは一区切り語り終えたのか、口を閉じた。草原を吹き渡る風が2人の髪を揺らす。やがて、沈黙を破ってレイが口を開いた。
「お母さん…」
「聞きたいことがあるのね?」
 レイは頷いた。父のこと、父の罪のこと、母の言う「血族」の事…だが、ユイは首を横に振った。
「わたしが教えてあげられることは、もう全部話したわ。あとは、あの人に…お父さんに聞きなさい」
 その思いがけない言葉に、レイは母の顔を見上げる。
「お父さんに…!?お父さんに会えるの?お父さんは、すぐそばにいるの?」
 ユイは頷いた。
「ええ。ずっとあなたのそばにいたわ。元の世界へ戻れば、きっと出迎えてくれるはず」
 ユイがそう言った時、遠くから汽笛の鳴る音が聞こえた。


第31日 NERV本部 予備発令所

「マヤ、デストルド反応には十分注意して」
「はい」
 予備発令所の緊張は、今までに来襲したどんな使徒との戦いよりも強い緊張の中に包まれていた。まさに今からレイのサルベージが行われようとしていたのである。
 オペレーター達が忙しく働き回り、リツコの、ゲンドウの、そして冬月の指示が飛ぶ。仕事がない筈のミサト、加持、そしてようやく退院したシンジとカヲルの4人も、心配そうにその場に詰めかけていた。
 モニタには全ての準備を整えた初号機の姿がある。エントリープラグは機体から慎重に引き出されてサルベージに関わる様々な装置を取り付けられ、胸のS2機関も露出させられて、やはり様々な機器が接続されて、サルベージの開始を待ち受けていた。
 やがて、全ての準備が完了した事を確認したリツコは、司令席に陣取る冬月、ゲンドウに向かって頷いた。2人も頷き、サルベージ開始の許可を暗黙のうちに出す。それを確認するとリツコはモニターに向き直り、片手を軽く挙げると、一気に振り下ろした。
「サルベージ、スタート!」
 その宣言とともに、MAGIに貯えられた膨大なプログラムが動き出し、サルベージが始まった。オペレーター達は、モニターに表示される様々な数値を睨みながら、忙しくコンソールを叩く。緊迫した空気が流れる中、人々の祈りが交錯した。
(レイ…還って来てくれ)
(レイちゃん…還って来て!)
(綾波さん…助けてくれたお礼を言わせてよ)
(綾波君、ボクはまだ君に借りを返せていないよ)
表現は様々に、しかしたった一つの想いは、時空を、次元を、あらゆる壁を越えてその世界へと届きつつあった。


レイの夢

 草原の向こうから、それはやってきた。古ぼけた、だが暖かみを感じさせる小さな一両編成の列車。列車はブレーキの音を響かせ、ホームに滑り込んだ。ドアが開く。
「行きなさい、レイ。みんなが待っているわ」
 ユイが言った。レイは頷き、ベンチから立ち上がった。
「お母さんは、まだここに残るのね…?」
 デッキに足を掛け、レイはユイの方を振り向いた。
「ええ。全てが終わるその時までね」
 ユイは頷き、最後にもう一度レイを抱きしめた。
「頑張って、レイ…」
「うん、お母さん…行ってきます」
 レイがデッキに入り込むと、ドアは閉まり、列車は走り出した。レイが窓を開けると、ユイは列車とホームを併走しながら言った。
「最後に、これだけは教えておくわ。レイの、そしてあの人の、いいえ、世界が本当に戦うべき相手は使徒なんかじゃない。わたしたち、人類で最も古い家系…『贖罪の一族』を裏切り、かつての罪を繰り返そうとしている人々よ。最後の使徒が倒れた後に、きっと今までで一番辛い戦いが待っているはず。でも…」
 ユイは言葉を継いだ。
「くじけないで。あなたの中にある強さを信じて。支えてくれるみんなとの繋がりを信じて。あなたに与えられた力…『絆と癒しの天使』、リリスの力はそのためにあるのだから…!」
「リリス…?」
 その事を聞こうとした時には、列車は駅を出て、草原の中に走り出していた。ホームで手を振るユイの姿がたちまち小さくなっていく。
「リリス…」
 もう一度、その言葉を口にしてみる。何故か、懐かしい…それこそ魂に刻まれた、遠い昔から知っていた、自分の名前のように感じられる。
 その瞬間、彼女が乗る列車は進行方向から射し込んできた光に包まれていった。


NERV本部 予備発令所

「プラグ内に生命反応!実体化します!」
 日向が歓喜に満ちた叫びを上げる。発令所が一気にざわめいた。
「綾波さん!」
「レイ!」
 プラグ内を映し出すモニターが一瞬、眩く輝き、レイの姿が一瞬浮かび上がった。そして、次の瞬間、形を失って漂っていたプラグスーツが、中に人が入っている形に伸び、レイの実体が完全にその姿を現した。
「自我境界線、完全に固定化されました! サルベージ成功です!!」
「生きてます! 呼吸、鼓動、脳波、すべて正常!」
 マヤが、青葉が、涙を流しながら叫び、一瞬の後、発令所に本部を揺るがすほどの歓声が爆発した。それはたちまち本部全体に波及していき、職員達は自室で、通路で、その他ありとあらゆる場所で涙を流し、握手を交わし合い、肩を叩きあい、喜びを全身で表わしていた。その喧騒の中で、モニターの中のレイは安らかな寝顔を見せていた。
「救護班、急げ!我々も行くぞ!」
 冬月は指示を出すと同時に席を蹴って立ち上がり、ゲンドウも後に続いた。同時に加持、リツコ、ミサト、シンジとカヲルらも続々と発令所を後にしてケイジへ向かった。


NERV本部 ケイジ

 発令所の幹部達がケイジに着いた時、そこには既に救護班が到着し、レイをプラグから救出し、ストレッチャーに乗せていた。
「レイ!」
 ストレッチャーに乗せられたレイは、その誰かが呼びかける声で目を覚ました。救護班員の一人が口にカバーを当て、酸素吸入をしている。
「…大丈夫…です」
 レイが口を開くと、周囲から安堵の声が挙がった。その中に、ゲンドウがいた。
「成功だ…本当に良かった」
 ゲンドウは呟いていた。小さな声だったが、その声は何よりもはっきりとレイの耳に飛び込んできた。
「レイ…」
 その瞬間、彼女の中で封じ込められていた全ての記憶が蘇った。母の胎内で聞いた声。自分に名を与えてくれたのは、この声だったのだと。
「お父さん…」
 レイは呟き、次の瞬間、ゲンドウをはっきりと見据えて声を発した。
「お父さん」
 その呼びかけは、ゲンドウを愕然とさせた。
「…知って、しまったのか…」
 そのゲンドウの言葉に、事情を知る冬月、リツコ以外の全ての目が集中する。
「副司令が…レイの父親…?」
 ミサトが呟き、シンジが父に問うた。
「父さん、本当なの?」
 ゲンドウは逡巡したが、やがてはっきりと頷いた。
「…そうだ。レイは…私の娘だ」
 その言葉は、静かな、だが巨大な衝撃を持って波紋のように周囲へ広がっていった。
(つづく)


次回予告

 全てを知りたいと願うレイ にゲンドウは己の過去の全てを語り始める。その脳裏を横切る無数の記憶。邂逅、別離、再会、死別。1999年の京都から全てが始まった。
 他人と歩む現在の積み重ねがゲンドウの過去を作ってゆく。彼が全てを費やす組織と共に…。
 NERV。それは果たして人類の砦たりうる存在だったのか?
 次回、第弐十壱話「NERV、誕生」


あとがき

 素直に戻ってきましたね、レイ。まあ、本編のシンジより幸せだからでしょうけど。
 と言う訳で第弐拾話をお送りしました。
 今回は伏線ばらしまくりの回でしたが、はっきり言ってかなり失敗です。もうちょっと、さらりと色んな所で少しづつ伏線を明かしていく予定だったのですが…SSは生き物。なかなか予定通りには行かないものです。おまけに次回も伏線明かしまくりの回になるはず…まだまだ修行が足りないな(笑)。
 しかし、ふと気がつくとこの「REPLACE」が連載開始したのが2000年の3月25日でしたから…書き始めてからもう1年になります。1年経ったのにまだ完結してないんですね。改めて己の遅筆さに愕然とします(自爆)。
 ではまた次回でお会いしましょう。
2001年3月吉日 さたびー拝





さたびーさんへの感想はこちら


Anneのコメント。

>「悪いわね。これからも危険な事に付き合ってもらうわよ」
>「危険ですか…いいですよ、貴女とならどこへでも…」

ふと思ったのですが・・・。
REPLACEなら日向が本懐を遂げられる可能性もありなんですね。
でも、無理なんだろうな。多分・・・。(笑)

>「うむ…ここから先はにわかに信じがたい話になるが…かつて、この世界には現代よりも遥かに進んだ文明が存在していた」
>「エヴァは、かつてその文明が生み出した兵器だったのだ。そして、使徒も…」

原作エヴァ初期構想にあった先史文明説と言う奴ですね。

>「このような事を言えた義理ではないことはわかっている。
> が、あえて諸君らにお願いする。それまでは、私に力を貸して欲しい。この通りだ…」
>次の瞬間、ゲンドウはそこにいた全員があっと驚く行動をとった。床に手を付き、深々と土下座したのだ。

ゲンドウ・・・。あんた、漢だぜっ!!(ハラハラ涙)
原作のゲンドウもこの1/10でも気概があれば物語が少し変わっていたでしょうに・・・。

>「S2機関は、そうした精神文明と言うか…魔法文明の究極の到達点の一つだ。
> 人の精神活動…すなわち魂を封じ込め、そこから無限のエネルギーを引き出すだけでなく、高度な演算装置としても使用する…
> S2機関と言う名称はそこから与えられたのだ。魂(Soul)を生け贄(Sacrifice) とする機関、という意味だがね」

おおうっ!?オカルチックっ!!?
言わゆる禁断であり、外道の秘術『霊子力エネルギー』と言う奴ですね。

>「貴方の心には別の人が住んでいます…」
>「…俺は勝手な男だ。ナオコを裏切ることになりながら君と…」

なるほど・・・。そういう事でしたかっ!!
密かに私的REPLACE最大の謎だったんですが・・・。
ここまで上手く逆転していたとは思いませんでした。
さたびーさん、お見事ですっ!!

>「綾波君と洞木君ねぇ。良いのかい?霧島さんが聞いたら怒るよ」
>「な、な、な、何言ってんだよカヲルっ!俺と霧島さんはそんなんじゃないんだ!」

な、な、何、言ってるんだっ!?カ、カ、カ、カヲルっ!!?
そうだっ!?そうだよっ!!?ケンスケの言う通りだっ!!!?そんなはずないじゃないかっ!!!!?
うっうっ・・・。そうですよね?さたびーさん・・・・・・。(ルルルー涙)



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