NERV本部 第一会議室

 普段、冬月・ゲンドウが「ゼーレ」とのコンタクトに使う第一会議室。今までその二人以外入ることを許されなかった部屋に、ミサトが足を踏み入れた。部屋には何の明かりもともされておらず、闇に包まれている。ミサトが一歩を踏み出すと。上からスポットライトがミサトに当てられる。
「NERV日本本部作戦部長、葛城ミサト三佐…召還により参りました」
 ミサトが身分を申告すると、闇の中から声が響いてきた。
「ご苦労。君を呼んだ理由については既に聞いているだろうな」
「はい」
 ミサトが頷くと、声の調子が変わる。
「結構。では、聞こう。葛城三佐。先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね?」
 先の事件…すなわち、使徒による初号機の取り込みの事である。
「いいえ。被験者の報告からそれは感じ取れません。イレギュラーな事件と推定されます」
 ミサトは自分に当てられる光を通して闇の向こうを見つめたが、声の主は見えなかった。しかし、その声に秘められた強烈な圧迫感は彼女が体験した事の無いものだった。しかし、ひるまず彼女はきっぱりと答えを述べる。
「サードチルドレンの記憶が正しいとすればな…」
「それも問題ありません。専門医の診断によっても、記憶の外的操作を受けた痕跡は認められません」
 ミサトはプレッシャーを受け止めながら、声の調子を分析し、自分を尋問している人間が5人いると分析した。
「エヴァのACレコーダー(心理記録機)は作動していなかった。確認は取れまい?」
「使徒は人の精神・・・。心に興味を持ったのかね?」
「その返答はできかねます。果たして使徒に心の概念があるのか、人間の思考が理解できるのか、全く不明ですから」
 プレッシャーに負けることなく、きびきびと答えるミサト。その姿は自信に満ちている。
「今回の事件には使徒がエヴァを取り込もうとした新たな要素がある。これが予測される第十三使徒以降とリンクする可能性は?」
「これまでのパターンから使徒同士の組織的なつながりは否定されます」
 もはやミサトは闇の中の見えない相手に気後れしていなかった。
「左様、単独行動であることは明らかだ。…これまではな」
「…それは、どういうことでしょうか?」
 相手の思わせぶりな言葉に、思わずミサトは逆に問い掛ける。相手も思わず言ってしまった一言らしく、断固とした態度でミサトの言葉を遮った。
「質問は我々が行う。君の質問は許されない」
「はっ、失礼しました」
「以上だ…。下がりたまえ」
「はい。失礼します」
 尋問は打ち切られ、ミサトは暗い部屋を退出した。明かりが灯り、部屋の中に冬月と「ゼーレ」のメンバーたちが現れる。
「イレギュラーな事態か…冬月、お前はどう思っているのだ」
 キールが冬月に問う。
「確かに。死海文書に記された第12使徒の記述と比べると、大きな違いがあります。しかし、現状でも実態はシナリオよりやや逸脱しています。この程度の誤差は許容範囲ではありませんか?」
 冬月の言葉に、イギリス代表が噛み付く。
「シナリオの逸脱だと?貴公の行動がそれをもたらしているのではないのか?」
 冬月も負けてはいない。
「心外な言われ様ですな。シナリオを完遂するための核であるチルドレンの拉致を指示した方の言葉とも思えませんが」
 英代表の顔が紅潮した。冬月は鼻で笑った。第四使徒戦直後の三人娘拉致が、日本本部の勢力強化を恐れる英代表の謀略であることは先刻承知済みだったからだ。
「貴様こそ無礼ではないか!何の証拠があってそのような事を言う!」
「証拠がないのはそちらとて同じ事。それより、ここはそのような瑣末な問題を話し合う場ではありますまい」
 英代表を軽くいなした冬月に同調するようにキールが言う。
「左様…深遠なる目的達成のためには争い合っている場合ではない。冬月よ」
「はっ」
 キールの呼びかけに冬月が背を伸ばして答える。
「使徒は知恵を身につけつつあるようだ。いや、『取り戻しつつある』…というべきかな?そうであるならば、残された時間は余りにも少ないぞ」
「承知しております」
 冬月が頭を下げると、キールは頷いて閉会を宣言した。
「ならば良い。今日の会議はここまでとする。全ては我らがシナリオのために――」
 全員が「我らがシナリオのために」と唱和し、会議は終了した。冬月は溜息をついて椅子から立ち上がった。
「ご苦労だった。葛城君」
 外に出た冬月はミサトにねぎらいの言葉を掛けた。本来、この証人喚問にはレイ本人が呼ばれるはずだった。だが、冬月はレイと「ゼーレ」の委員たちを合わせたくないと考えた。実際に彼女は前回の対使徒戦で心身ともに消耗が激しく、とても「ゼーレ」と接触させるわけには行かなかったのである。
 そこで、冬月が「ゼーレ」のメンバーたちに対しても気後れする心配がなく、なおかつ彼らに対して隙のない答弁を行える人物としてミサトを指名したのである。
「いえ。任務ですから、司令」
 ミサトが言った。文句のつけようがないほど冬月の期待に応えた彼女だったが、その肩に微かな震えが走るのを見て、冬月は彼女の肩に手を置いた。
「気負うな、葛城君」
「あれが…『ゼーレ』。私の本当の…」
 ミサトが言った。その声には、長年の仇敵に対するかのような静かな、だが強烈な憎悪と敵意が込められていた。
「そうだ…。我々の真の…。だが、彼らに対抗するにはいまだ時が来ていない。しばらくは同床異夢の関係を続けていくしかあるまい」
「はい、司令」
 二人が発令所に向かおうとしたとき、冬月の携帯電話が鳴った。
「ワシだ…青葉君か。…何!?本当か!?」
 青葉の報せに、冬月の顔色がさっと変わる。
『本当です。二時間前に確認されました。至急発令所へお越しください』
「わかった。すぐ行く」
 電話を切った冬月にミサトが話し掛ける。
「何があったのですか?司令」
「…北米第二支部が消滅した。これは容易ならん事態だぞ」
「…あそこには建造中のエヴァ四号機が…!」
 事態の重大さを知り、ミサトも絶句した。


NERV本部 発令所

 正面のメインディスプレイに衛星からの画像が映し出されている。
「今から約3時間前の映像です」
 ポインタデバイスを手にした青葉が解説をはじめる。
「これが異変発生前の映像です」
 彼がポインタデバイスのトラックボールを操作し、画像を切り替えた。一面の雪原――セカンドインパクト発生前は「世界の食料庫」とさえ言われた肥沃な穀倉地帯だった北米中西部――の直中、10キロ四方に及ぶ広大な敷地の中に、無数の施設が点在している。全世界のNERVでも最大級の研究・製造施設だったNERV北米第二支部の威容である。
「そして、これが異変発生の直後になります」
 青葉が画像を切り替えた。次の瞬間、発令所の要員達の間から声にならないどよめきが漏れた。それまで画像の中心部にあった第二支部は綺麗さっぱり消滅し、地面には雪もなく十数年ぶりに覗いたであろう土が剥き出しになっている。
「一体何があったんだ?」
 日向がうめいた。
「北米第二支部は消滅し、生存者は皆無か…一体何が起きたと思う?」
 冬月が言うと、青葉が手にしていたファイルをめくって言った。
「タイムスケジュール的には…消滅時における作業は、コアの搭載作業となっています」
 これに対し、マヤが挙手して発言する。
「私見ですが…第二支部はひょっとして内向きのATフィールドを生成する実験を行っていたのではないでしょうか?」
「どうしてそう思ったのかね?」
 このマヤの言葉に、ゲンドウが説明を求める。
「あ、はい。この事象は『爆発』ではなく、『消滅』ですよね。実際衛星解析でも熱や放射線は検知されていませんし…恐らく、ごく短時間内向きのATフィールドが発生した場合に、このような形で範囲内のものが亜空間に吸い込まれ消滅する事が考えられます」
 マヤの推論を補強するようにリツコが言う。
「この仮説をMAGIで検証してみましたが…ほぼ99.89パーセントの確率で正しいと言う結果が出ています」
 続いて、加持が報告する。
「三日前の話ですが、欧州支部合同の学術顧問団が北米第二支部に入っています。主に宇宙物理学などの関係の連中ですが」
 それらの報告に、冬月は溜息をついた。
「なるほど…内向きのATフィールドを使えば宇宙の原始の姿を見られるからな…」
「しかし…エヴァ四号機を起動したとしても、パイロットがいなければ、ATフィールドを発生させる事は出来ないのでは?」
 日向が疑問を述べると、加持も頷いて先を続ける。
「その事に関連して…気になる報告が来ています。学術顧問団が全長10メートルほどもある大荷物を持ち込んできたと…」
 その発言は、冬月、ゲンドウ、ミサトを驚かせるに十分だった。
「司令、これはおそらく…」
「ああ、間違いないな…これで、パイロットを抑えているという日本本部の優位も失われたか」
「ダミープラグ・システム…完成していたのね」
 他の要員達もざわついている。欧州の主要三支部――ドイツ、フランス、イギリスが中心となって開発していたエヴァの無人自律操縦システム、いわゆるダミープラグの存在は彼らにも周知の事だったからだ。
「あれが完成したとなると…欧州支部の連中は強気になるだろうな。まあ、この事故で一つ失われとしても、バックアップが無いとは考えられんし…」
「彼らも『最期の時』に備えて準備をしていると言う事でしょう」
 冬月とゲンドウは話し合った。
「ともかく、現状はかなり混乱している。引き続き、情報の収集に当たってくれ。解散」
 冬月が号令を掛け、スタッフたちは部署に散っていった。
 その時、冬月の机に置かれた電話が鳴った。冬月は背筋に緊張が走るのを感じた。彼の机の電話は他の支部や「ゼーレ」の幹部からのホットラインであり、普通の回線には繋がっていないからだ。つまり、ここへ電話してくるのはかなりの大物と言う事である。
「もしもし。冬月ですが」
『冬月君か。私だ。フォクスルだ』
「フォクスル委員?何用です、一体」
 冬月は内心驚きながらも尋ねる。電話の相手は、混乱の渦中にあるはずの北米トップ――「ゼーレ」のメンバーであり、人類補完委員会米代表のアラン・フォクスルだったのだ。
『何、大した用ではないさ。君もこちらの混乱は知っているだろう』
 フォクスルの言葉に、冬月はええ、と答えた。それを聞いたフォクスルは穏やかな口調で切り出した。
『そうか。それでだな、私のところの第一支部で建造された参号機、あれを君に預けたい』
 その言葉に、冬月は仰天した。参号機はある特殊な改造を施した機体であり、実験用に完成後欧州へ送られる予定の機体だったからだ。
「しかし、あれは『委員会』の直属機ですぞ。貴方の一存で動かせるものではありますまい」
 冬月が言うと、フォクスルは乾いた笑いを漏らした。
『「委員会」か…気にするな。私はもうすぐ解任される身だ。多少問題を起こしたところで関係ない』
「解任?まさか。第二支部の事で貴方に責任がかかるはずが…」
『あるんだよ、それが。管理責任だけは私にあってね。全く癪に障る事だが』
 フォクスルの自嘲にも似た声が聞こえた。北米第二支部は北米にあるとは言え、合衆国が提供したのは土地のみ。資金は殆ど欧州諸国が負担し、運営自体も欧州諸国より派遣されていたスタッフの合議制が取られていた。アメリカ支部はほとんどタッチしていない部署だったのだが、名目上の管理権だけはアメリカにあったらしい。
『まだ正式決定は出ていないが、この椅子に座っていられるのもあと2、3日と言うところか。参号機を日本へ送るのが、私の最後の仕事になるな。無論私の独断だ。君は黙って受け取ってくれさえすればいい』
 戸惑った冬月は、フォクスルに言った。
「しかし、何故です。あの重要な機体を、貴方の独断で日本に送るなど…下手をすれば粛清の対象になりますぞ」
 その冬月の一言に、電話の向こうのフォクスルは晴れやかな笑い声を上げた。
『はは、今の君の一言で決心がついたよ。どちらかといえば我々と対立しつつあるにもかかわらず、私の心配をするとはな。やはり後の事を託せるのは君だけのようだ』
「一体貴方は何を言っているんです」
『ここだけの話だが、我がアメリカ支部はセカンドインパクトで国の大半が凍土になって以来、完全に政治力を失っている。欧州の「ゼーレ」本流から見れば、我が合衆国などはもはや用済みの存在なのさ』
「…それで?」
『冬月君、前世紀、我が合衆国は君の国とは同盟を結んでいた。いや、実質的に効力を停止してはいるが、今も関係は続いている。力を失ったとは言え、その関係の中で我々が君の国に築き上げた情報網は伊達ではないのだよ』
「貴方の望みはなんです?」
『君の計画を完璧にすることだ。いや、君たちの、というべきかな』
「…仰る意味がわかりませんな」
『今更とぼけなくても良いだろう。私はおそらく君たちの望みを知っているし、それに協力したいとも思う。だが、私は古い血脈の鎖に囚われており、それを断ち切る方法を知らん。それに、その一員として、自分が君たちが望む世界に生きているべき存在ではないという事も承知している』
 冬月は黙ってフォクスルの言葉を聞き続けていた。
『だから、だ。君に参号機を渡す。それが私に出来る数少ない償いの一つなのだ。この悪しき世界に対する、な』
「…貴方とは、友人になっておくべきでしたな」
 冬月が搾り出すように言うと、フォクスルも万感の思いを込めて答えた。
『ああ、残念だ。だが、人生とはそうしたものさ』
「そうですな…さようなら、友よ」
『ありがとう、友よ。さようなら』
 電話は切れた。冬月は受話器を置き、しばし考え込んでいたが、傍らに控えていたゲンドウに指示を下した。
「六分儀…すまんが、加持君を呼んでくれ」


NERV本部 メインシャフト

 NERV本部の名物、玄関からセントラル・ドグマへ通じる長いエスカレーターの上で、ミサトとリツコが会話をしていた。
「参号機がここに?確かあれは『委員会』直属の実験機関が使うはずじゃ?」
 意外な展開に、ミサトの声が思わず高くなる。
「ここで引き取ることになったらしいわ。ただ…それほど重要な機体なのに、決定が早すぎるのが気になるわね。まだ事故から二日しか経っていないのよ」
 リツコも首を傾げる。
「たしかに…弐号機の日本配備の時でも、事前の根回し込みで一週間近く会議をやった末の決定だったのに…妙な話だわ」
 ミサトも相づちを打つ。
「あの惨劇の後ですものね。多少は特例も認められるだろうけど…司令達に聞いても要領を得ないし」
 リツコが言った時、2人はエスカレーターの終点に着いた。
「それで…起動試験はどうするの?」
 ミサトに問われ、リツコは振り向いた。
「パイロットの選任は貴方の職分じゃなかったっけ?それが決まらないと何とも言えないわ」
「そっか…でも、私も参号機が来るのを今知ったくらいだし…」
 急な話で混乱しているのは自分だけではない、と言う事を確認してミサトは溜息をついた。
(急な話と言えば、加持君も出張とかでどこかへ出かけていったっけ…だんだん、動きが加速しているわね)
 既に残る使徒は五体。ミサトは事態が終局に向かって動き始めている事を感じ取っていた。


市立第壱中

 四時限目の終わりを告げるチャイムと共に、トウジが立ち上がった。
「さ〜て、メシや、メシ!これが人生で一番の楽しみやからのぉ〜」
 いつもの決まり文句を吐き、周囲の級友達を苦笑させる。
「あたしたちもご飯にしようか。レイ、ヒカリ」
 マナの呼びかけに、レイとヒカリは頷いて立ち上がった。
「あ…わたし、今日お弁当持ってないんだった」
 レイは気がついた。前回の対第十二使徒戦の後遺症で昨日まで静養していたので、弁当の材料を用意できなかったのだった。
「何か買ってこなくちゃ…ちょっと待ってて」
 マナとヒカリにそう言ってレイがきびすを返そうとした時、シンジがレイの前に立った。
「綾波さん…これ」
 シンジはそう言って、何かの包みを差し出した。
「え?お弁当?」
 シンジは頷いた。それは、綺麗に洗った布で包まれた女の子サイズの弁当箱だった。
「肉は苦手だって聞いたから、野菜と魚中心にしてある。それなら綾波さんでも大丈夫でしょ?」
「う、うん…あ、ありがと…シンジ君」
 真っ赤になって立ち尽くすレイと、平然としているシンジの間にマナが爆弾を投下した。
「ひゅーひゅー、お熱いわね〜見せ付けてくれるじゃなぁい」
「な…何を言うのよっ!?」
 爆弾炸裂。その威力はレイに損害を与え、彼女の顔はますます赤くなる。それを見て周囲のクラスメイトがくすくすと笑い始めた。
「んふふ〜、照れる事ないじゃない」
 ニヤリと笑うマナと、ますます怒るレイ。その様子を見ていたシンジだが、すっと振り返った。
「じゃ…僕は行くから」
 そのまま歩き去ったシンジだが、マナはその後姿に信じられないものを見てしまった。微かに見えるシンジの頬が、僅かだが赤く染まっていたのだ。
「…六分儀君が…照れてる…?」
 どうやら他にも目撃者がいたらしく、まさか、と言いたげに顔を見合わせている。
「あ、あの六分儀君が…」
 ヒカリも目撃者の一人らしく、呆然と呟く。だが、その時彼女の中では一つの想いが形をなしつつあった。
「お弁当作戦って…そんなに効くんだ。よし、私も…」
 ヒカリの謎の決意表明をよそに、混乱と困惑のうちに昼休みは過ぎていった。


NERV本部 作戦部長室
 リツコはミサトに呼ばれ、作戦部長室へ来ていた。
 ミサトの机にはうず高く書類が積まれ、いつ崩れてきてもおかしくないような惨状を示している。僅かなスペースに置かれた写真立てだけが、ミサトのプライベートの面を主張していた。その写真には、幼い頃の彼女と、父である葛城博士が並んで立っているところが写っている。
「何よ、改まって・・・。」
 リツコは差し出された椅子に座り、ミサトは机に腰かけた。
「松代での参号機の起動実験だけど…テストパイロットが見つかったわ」
「4人目…フォース・チルドレンが決まったの?」
 リツコが驚いた。
「ついさっきね。これが報告書」
 その書類を見たリツコは、思わず顔をしかめた。
「これは…この娘が…」
「子供たちも良く知っている娘だものね。チームワークという点では申し分なしよ」
 ミサトは言った。リツコは頷いたが、同時に不安も覗かせる。
「でも…乗る機体が参号機というのがね…出来ればレイかシンジ君に任せたいところだけど…」
 ミサトも頷く。
「そうね…でも、テストにエースパイロットを引っ張っていって、その間に使徒に出現されたら万事休すよ」
「仕方ないわね。この事…親御さんは?」
 リツコが尋ねる。
「その事なら、司令たちが説得にあたるはずよ。もっとも、最終的にはフォース本人の意思が最優先されるわ」
「そうね…でも、話し辛いわね」
 リツコの言葉に、ミサトは頷く。
「ええ…いくら大人ぶって見せても、結局は子供たちを危険な目に合わせているだけ。みんなで生き残るためには仕方のないことだし…奇麗事は言ってられないのはわかるけど」
「その覚悟を決める事…その勇気こそ、私たち大人に必要なものじゃない?」
「そうね…」
 二人は溜息をつき、書類に目を落とした。


市立第壱中 放課後

 終業のチャイムが鳴り、ホームルームも終わると、当番でない生徒たちは続々と帰宅し始めた。
 そうした中で、クラス委員のヒカリは学級日誌を書いたり、花瓶に水をやったり、下校前のチェックに忙しい。その横で、鞄に必要なものを詰めたトウジが帰ろうとしていた。
「ちょっと、鈴原君!」
 マナがトウジを呼び止める。
「お、なんや?霧島」
 意外な人物の呼びかけに、トウジが立ち止まる。
「なんや、じゃないわよ…もう。鈴原君もクラス委員でしょ?ヒカリを手伝ってあげなさいよ」
 マナが言った。トウジがクラス委員なのは事実である。もっとも、少し前まで彼はサボリ常習犯だったため、懲罰的な意味合いでやらされているのだが。
「え?なんやめんどくさいなあ…」
 文句を言ったトウジだったが、素直に手伝い始める。それを見て満足げに頷いたマナは、続いてヒカリに声をかける。
「ヒカリ、今日、あたし他に用事があるから先に帰るわね」
「え?そうなの?」
 顔を上げるヒカリにマナは頷くと、レイに声をかけた。
「じゃ、行こうっか、レイ」
 話を振られたレイはきょとんとした。
「え?わたしはヒカリを待って…」
 レイが返事をしようとした途端、マナはすかさず踏み込むとレイの口を封じた。
「もぐっ!?」
「やぁねぇ、レイ。いっしょにアレ見に行こうって言ってたでしょ!じゃあねぇ〜ヒカリぃ」
 マナは強引にレイを引きずっていき、教室を飛び出した。そして、後にはヒカリとトウジが残された。
「…霧島の奴、なんぞ悪いモンでも食ったんちゃうやろな…」
「マナったら…どうしたのかしら?」
 首をひねっていた二人だったが、やがてトウジがヒカリのほうを向いて言った。
「ま、ええわ。それよりちゃっちゃと済ませよ」
「え?う…うん!」
 ヒカリは一瞬戸惑い、次に明るい声で返事をすると仕事を再開する。その顔は微かにピンク色に染まっていた。

 一方、階段の所では引きずられていったレイが息を整えていた。
「はあ…はあっ…な、何なの?マナ…わたしマナと何か約束してたっけ…?」
 レイが涙目で言うと、マナは澄ました顔で答えた。
「ううん。なんにも」
 そのしれっとした声にレイは思わず脱力する。
「マナ…じゃあ…何なの?」
 尋ねるレイに、マナはニヤリと笑った。
「んふふ、ヒカリと鈴原君の間を取り持ってあげるのよ」
 そのマナの言葉に、レイはきょとんとした表情になった。
「ヒカリと…鈴原君がどうしたって?」
 このレイの言葉に、マナは大げさに肩をすくめて見せる。
「わかんないかな〜ヒカリって鈴原君が好きなのよ」
「えええっ…もがっ!?」
 レイは驚きのあまり大声をあげそうになり、マナに口をふさがれた。
「しっ!聞こえちゃうでしょ!」
 再び窒息しそうになって、顔を真っ赤にしたレイが首をこくこくと振る。それを見て、マナは手を離した。
「はあ…はあっ…な、何なの?マナ…声が聞こえると何か大変なの…?」
 レイが涙目で言うと、マナは再びニヤリと笑った。
「んふふ…決まってるじゃない。友人としてはぜひともヒカリの恋の成就する瞬間を見届けようというわけよん」
「要するに覗きなのね…」
 レイがジト目でツッコミを入れる。
「…言うようになったわね、レイ。ま、そうなんだけど。で、どうするの?見る?」
 マナが聞くと、レイは首を縦に振った。
「うん。興味がないって言うと嘘になるし…ヒカリがそうだったなんて知らなかったから」
「そうこなくっちゃ!ま、レイもシンジ君に告白するときの参考になるかもよ?」
「な…何を言うのよ…」


NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"

EPISODE:17 Resolution


第三新東京市 夕景

 山の稜線に夕日が沈みかかり、芦ノ湖の水面が金色に輝いている。その街の夕景の中を、NERV行きの列車が走っている。その向かい合わせになったボックスシートに、冬月とゲンドウが座っていた。
「街か…人の作り出した楽園だな」
 冬月が言った。第三新東京市の夕景――とりわけ、夕日を浴びて輝く芦ノ湖は彼のお気に入りの風景の一つだった。
「かつて暮らした楽園から死と隣り合わせの荒野に追放された人間…そのか弱い人間たちが、楽園と引き換えに手に入れた知恵で改めて作り上げた自分たちの楽園ですか」
 ゲンドウが答える。その口調は皮肉なようでいて、そのか弱い人間たちに対する愛情が籠もっている様にも聞こえる。
「自分たちの楽園…例えそれが死の恐怖から逃れるため、快楽を追い求めるためだけのものだとしても?」
 冬月がからかうように言うと、ゲンドウは頷いた。
「神から与えられたお仕着せの楽園と、自分たちで手に入れた楽園…いくら堕落していようが、後者の方が勝る事数万倍…いや、数億倍でしょう」
 冬月は頷いた。
「この街はどうかな?自分たちを守るために武装した楽園だ」
「敵のうろつく外界から逃げ込む事の出来る臆病者の街…それもまた良いでしょう。臆病者の方が長生きできます」
 ゲンドウが言ったとき、列車はトンネルに入り、しばらく闇の中を抜けた後、ジオフロントに入った。数百メートル下の第二芦ノ湖も、集光ビルから送られる夕日の光を浴びて金色に輝いている。
「第三新東京市の第七次建設計画もようやく完了…いよいよ完成だな」
 今までより明るい夕日に目を細めながら冬月が言った。第七次計画の完了と共に集光ビルも定数がそろい、ジオフロントに注ぐ日光は地上のそれと変わらないものとなる。
「北米第二支部の事故…その後『委員会』よりの説明は?」
「なしのつぶてです。予定外の事故ですからね…連中も慌てているんでしょう」
 冬月の問いにゲンドウが答える。
「しかし、ここに来て大きな損失だな」
 冬月は溜息をついた。四号機は日本本部配属が内定していた。
「代わりに参号機が手に入るのは朗報ですがね。まあ、あれも不要といえば不要ですが。本部ここと三機が残っていれば十分です。我々のシナリオは1つ予定を繰り上げるだけですみます」
 ゲンドウの言葉に冬月は頷き、愉快そうに笑う。
「まあ、そうだ。しかし、『委員会』は血相を変えていたぞ?今ごろは慌てて行動表を修正しているだろうな」
 ゲンドウもそれに釣られて笑った。
「死海文書にない事件も起こります。あれに囚われた老人たちにはいい薬ですよ」
「違いない」
 二人は顔を見合わせ、愉快そうに笑う。その間にも列車は滑るように空中軌道を走り、NERV本部ピラミッドに向けて吸い込まれていった。


私立第壱中

 教室の扉がそっと開き、まずマナ、ついでレイが覗き込んだ。夕日の差し込む教室の中では、ヒカリとトウジがクラス委員の仕事を片付けながら話をしている。
 レイとマナの二人はそっと聞き耳を立て、会話の内容を聞き取ろうとしていた。

「あ、あのね…鈴原…」
 ヒカリの呼びかけに、トウジは机を整頓する手を休めて振り向いた。
「なんや?いいんちょ」
「鈴原ってさ…いつも購買部のお弁当やパンだよね…」
 ヒカリが言うと、トウジは頷いた。
「ああ。せやけど作ってくれる奴がおらんからなぁ」
 トウジの答えに、しばし沈黙したヒカリだが、おずおずと口を開く。
「あ、あのね…鈴原。私の家、私と、姉さんと、妹と、父さんと…4人なんだけど、ご飯は私が作ってるんだ…」
 ヒカリの言葉に、トウジは大いに頷く。
「そら難儀やなぁ。そやけど、納得や。前に食わせてもろうたいいんちょの料理、美味かったからのう」
 トウジの無骨な褒め言葉に、ヒカリの頬がますます紅潮する。
「あ、だ、だけどね…父さんは帰ってくるの遅いから、家でご飯食べる機会も少なくて…で、いつも材料が余っちゃうんだ…そ、それでね…」
 そこで、ヒカリは固まった。何度も胸の中で練習した、次の一言が出ない。
『良かったら、鈴原にもお弁当にして持ってきてあげようか?』――その一言が。
(どうして?言えないよ…)
 ヒカリの肩が震える。何度も練習したはずなのに。自然と顔が下がり、唇をかみ締めてしまう。
「そら、勿体無いなぁ」
 トウジののんびりした声に、ヒカリの金縛りが一瞬で解ける。
「えっ!?」
 顔を上げたヒカリに、トウジが言った。
「食いモンを粗末にしたらアカン。残飯処理するんやったら、ワイが何ぼでも手伝うで」
 思わぬトウジの反応にきょとんとしていたヒカリだったが、やがてその顔が笑み崩れた。
「う、うん!手伝って!」

 廊下では、レイとマナが向き合っていた。
「うんうん、初々しいわね〜。それにしてもヒカリってば大胆よねぇ。『鈴原君のご飯作らせて』、なんて。きゃっ」
 トリップしているマナに、レイが冷や汗を流しながら声をかける。
「う、初々しいって…幾つよ、マナ…それに、かなり脚色入ってるわよ、それ…」
 レイの言葉に、マナはいたずらっぽく笑って答える。
「ま、細かいことは良いじゃない。これでヒカリと鈴原君も安泰ね。やっぱりお弁当の力は偉大だわ。そう思わない?レイ」
「そうね…って、何を言わせるのよ」
 レイが言うと、マナはレイの腕を引っ張った。
「まあまあ。それより、二人帰るみたいよ。隠れないと」
「きゃっ!?きゅ、急に引っ張らないでよ、マナぁ〜」
 二人が隠れると同時に、ヒカリとトウジは教室を出てくる。そして、肩を並べて帰っていった。すこしぎこちないが、それは幸せそうな二人の光景だった。


NERV本部 司令公室

「失礼します」
 呼ばれてきた人物は、冬月だけでなく、ゲンドウもそこにいることを知って少し驚きながらも挨拶した。
「良く来てくれた。まあ、かけたまえ」
 冬月は自分の正面のソファを指差し、来客は一礼して腰掛けた。
「で、ご用向きはなんでしょうか?」
 来客が尋ねた。冬月がゲンドウに目配せすると、ゲンドウは頷いて書類入れから一冊の書類を出し、来客の前に置いた。
「これは…?」
「フォース・チルドレンに関する書類だ。本人に話す前に、まずは君に話を通しておく事が大事だと思ってね」
 ゲンドウが言い、書類を見るよう合図する。頷いて書類を手に取り、目を通し始めた来客は、驚きに目を見張った。
「これは…なぜあの娘が!?」
 来客が叫ぶように言うと、ゲンドウが答えた。
「…仕方があるまい。そういう子供たちを集めて保護しているのだからな」
 来客は頷いた。
「そう…でしたね。おかしなものです。今まで自分の娘がそうなる可能性に気づかなかった」
 冬月は申し訳なさそうな顔になった。
「…君は反対だろうな」
 その言葉に来客は頷く。
「…親としては当然の事です。しかし、あの娘は承諾するでしょうね。止めても無駄だと思います。親友と一緒に戦える事を…喜ぶでしょう」
 冬月は頭を下げた。
「済まない…娘さんを預からせてくれ」
 来客は微かに震える肩を落とし、冬月に手を差し伸べた。
「…頭を上げてください、司令。それを決めるのは私ではありません。あの娘です」
「そう…だな。本人には、明日通達する。私が直接出向くつもりだ」
 冬月は言った。書類を手に取る。そこに貼り付けられた写真には、彼も何回か会った事のある少女が微笑んでいた。


市立第壱中 

 四時限目の終わりを告げるチャイムと共に、トウジが立ち上がった。
「さ〜て、メシや、メシ!これが人生で一番の楽しみやからのぉ〜」
 今日も今日とていつもの決まり文句を吐き、周囲の級友達を苦笑させる。
「あたしたちもご飯にしようか。ヒカリ、レイ」
 マナが呼びかける。ここまでは、普段と変わらないいつもの風景。しかし、今日立ち上がったのはレイだけだった。
「…あら、どうしたの?ヒカリ?」
 マナはニヤリと笑いながらヒカリに呼びかけた。ヒカリは頬をピンク色に染め、もじもじと両手をつつき合わせながらマナを見上げた。
「うん…ちょっと、用があるから…先に行ってて…」
 消え入りそうな声でヒカリが言う。マナのニヤニヤ笑いはますます大きくなった。が、そこでレイが助けに入った。マナの制服の袖をくいくいと引っ張る。
「じゃ、先に行ってるね。行こ、マナ」
 言うや否や、ずりずりとマナを引きずって歩き始めるレイ。
「きゃっ…!?ちょ、ちょっと、レイ!」
 慌てるマナに、レイがマナの向こうを張るかのようなニヤリ笑いでささやく。
「んふふ…昨日のお・か・え・し」
「れ、レイ…」
 絶句したマナを引きずってレイが去ると、ヒカリはようやく立ち上がった。その手には、鞄から取り出した巨大な弁当箱が抱えられている。


市立第壱中 屋上

 レイがマナを引きずってきた先は、校舎の屋上だった。
「れ、レイ…どうしたのよ。これからが良い所だったのに」
 マナが抗議すると、レイは笑った。
「だめだよ、マナ。見られてちゃ恥ずかしいでしょ?」
 説得力のある一言であった。舞い上がっていたとは言え、衆人環視の中で「お弁当作ってあげる」発言を行い、なおかつシンジに弁当を手渡したレイである。その恥ずかしさは経験者にしかわからない。
「…う。まあ、そうだけど…」
 マナが頷きながらも口を尖らせる。が、次の瞬間レイは思わぬ一言を口にした。
「と、言うわけで。ここから見ようということ」
 そう言いながらフェンスに寄ったレイに続いてそこへ行ったマナは、思わぬ光景に口をあんぐりと開けた。
 そこは裏庭の見える場所だった。そこで、ヒカリがトウジに弁当を手渡していたのだ。
「れ、レイ…これって…?」
 マナが言うと、レイは種明かしをした。
「実はね、鈴原君がお昼どこで食べるのが好きか、相田君に聞いたんだ。ついでに、どこからそれが見えるかもね」
 この一言に、マナは思わず唸った。
「や、やるわね…レイ。さすがのあたしもびっくりだわ」
 そう言いながらも、マナはヒカリとトウジの二人から目を離さない。残念な事に声は聞こえないのだが、弁当を広げたトウジが、一口食べてなにやら感想をヒカリに言ったのは見えた。それに、ヒカリが真っ赤になっているのも。
「あはは、やってるやってる」
 マナが笑った時、呼び出しのアナウンスが鳴った。
『2年A組の洞木ヒカリさん、洞木ヒカリさん。至急、校長室まで来るように。繰り返します。2年A組の――』
 そのアナウンスに、レイとマナは顔を見合わせた。眼下では、一瞬戸惑ったヒカリが、トウジに何か言った後、玄関の方へ走っていくのが見えた。
「どうしたんだろ…ヒカリ…何かやったのかな?」
「まさか…ヒカリに限ってそれは有り得ないわね」
 囁きあうレイとマナ。残されたトウジは黙って弁当を食べていた。が、時々ヒカリが去っていった方を見ている。その目はどことなく心配そうなものだった。
 結局、ヒカリが校長室から戻ってきたのは5時間目も終わり近くの事だった。その顔は悩みに沈んでいる。
「ヒカリ、どうしたの?」
 レイとマナが心配そうに尋ねたが、ヒカリは弱々しく笑って
「ううん…なんでもないの」
 と答えた。どうみてもなんでもないようには見えなかったが、それだけに深い事情を聞くのが二人にはためらわれた。


市立第壱中 2−A教室

 ヒカリが笑顔を見せたのは、放課後、トウジが弁当箱を返しにきた時だった。
「いいんちょ」
 トウジの呼びかけに、学級日誌を書いていたヒカリは振り返った。
「…あ…鈴原…」
「これ、弁当。…ホンマ、美味かったわ」
 どこか照れた口調でトウジは言った。
「そ、そう…?良かった。喜んでもらえて」
 ヒカリが顔をほころばせると、トウジは鼻の頭を書き、明後日の方向を向いた。
「で、でな…いいんちょ…」
 この豪胆な少年にしては珍しく声が震えている。
「…どうしたの?」
 ヒカリが心配そうに呼びかけると、トウジは思い切ったように口を開いた。
「…そ、その…また、明日、弁当作ってくれへんか?」
 一瞬ヒカリの顔が喜びに輝いた。だが、すぐに申し訳なさそうな顔になる。
「…ごめんね。明日からしばらく、ちょっと…用事があって…学校休むんだ…」
「へ?」
 トウジは思わぬヒカリの一言に固まる。
「あっ!で、でも…帰ってきたら、またお弁当作ってあげる」
「ホンマか!?」
 トウジの顔が喜色に包まれた。
「うん、本当。約束」
 ヒカリも釣られて笑った。その顔面にトウジの無骨な手が突き出される。
「約束やで。指切りや」
 思わぬトウジの行動に戸惑ったヒカリだったが、トウジが真剣な顔つきで、小指を差し出しているのを見て、ニッコリと微笑んだ。トウジの小指に、自分のそれを絡める。
「うん…約束…」
 窓の外に沈む夕日をバックに、少女と少年は絡めた小指で繋がった手を振った。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本呑ます…」
 指切りをする二人の声が教室に流れて行った。
(私、頑張るわ。この約束を守るために…)
 そこには、一人の少女が自分自身に誓う心の声もまた含まれていた。


ジオフロント

 訓練が終わった後、レイはリツコに呼び出され、NERV本部から少し離れた第二芦ノ湖の湖畔に来ていた。
「どうしたんですか?リツコさん。いい物を見せてくれるって…」
 レイが言うと、リツコは立ち止まってある方向を指差した。
「あれよ」
 リツコが指差したもの、それは3メートル四方ほどの広さをもつスイカ畑だった。小さいが、よく手入れされ、持ち主が丹精こめて世話をした跡がうかがえる。
「どうしたんですか?これ…リツコさんが作ったんですか?」
 レイが感心しながら言うと、リツコは首を振った。
「ううん。作ったのは加持君よ。みんなには内緒らしいけど、レイなら彼も文句は言わないでしょ」
 答えながら、じょうろを取って第二芦ノ湖の水を汲む。
「出張の間世話を頼まれちゃって…彼の趣味なの。可愛いとこあるでしょ?」
 微笑みながら水を撒くリツコ。普段技術部長として多忙な毎日を送り、緊張して生きている彼女とはまた違った姿に、レイはリツコの知らなかった一面を見る思いだった。
「加持君が言ってたわ。ものを育てるのは楽しい事だって。こうしているといろんなことが見えてきたり、わかってきたりするらしいわよ」
 そう言いながら、リツコはまた水を汲もうと湖岸に向かう。レイは追いかけて行き、リツコの横に並んだ。
「わたしにも…やらせてくれませんか?」
 リツコはレイを見ると、その手にじょうろを手渡して微笑んだ。
「いいわよ。レイには資格があるわ」
 レイは水を汲み、スイカ畑に撒いていった。
「…たしかに、落ち着いて何かを考えるにはぴったりですね」
 レイは言った。聞こえてくるものと言えば、対流で起こる僅かな風が第二芦ノ湖の湖面に立てる微かなさざなみと、数キロ先を時折天井へ向かって駆け上がっていくリニアトレインのモーター音だけ。地上の第三新東京市では滅多に味わえない、心地よい静寂だった。
「ねえ、リツコさん…?」
 振り向いたレイは、そこにいたリツコが何か思いつめたような表情で自分を見ているのに気が付いて、思わず息を呑む。
「…リツコさん?」
 レイが恐る恐る声をかけると、リツコはそっと顔を上げて言った。
「レイ…今日は、大事な話があって貴方をここに呼んだの。落ち着いて話が出来るように…」
 そう言って、リツコは白衣の下から持っていた書類を取り出した。
「これを…見て欲しいの」
 差し出された書類をレイは受け取った。
「…フォース・チルドレンに関する調査書…?」
 首をかしげて表紙をめくったレイは、驚きに声を上げた。
「…!どうして!?」
 そこには、かけがえのない親友である洞木ヒカリの写真が貼り付けられていたのだ。
「…本当は、今の段階であなたに教えるのは守秘義務違反にあたるわ…でも、レイには教えておくべきだと思ったのよ。その娘の親友であるあなたには」
 レイは首を振った。
「そんな…ヒカリまで…わたしたちみたいな危ない目に…」
 レイが言うと、リツコは優しい声で言った。
「そうね…でも、戦う事を選んだのは、その娘の意志よ」
「…えっ?」
 顔をあげたレイにリツコは言葉を続ける。
「…選ばれて嬉しいって…洞木さんは言ったそうよ。貴方と一緒に戦えるから、って…もう、何かあるたびにレイの事を心配してシェルターでじっとしていなくても済むから…そう言ったらしいわ」
「ヒカリが…そんな事を」
 レイは涙があふれて来るのを感じた。暖かい気持ちがこみ上げてくる。ヒカリが自分の事を思ってくれていた事に。
「…わたし…嬉しいです。ヒカリは…わたしには勿体無いくらいの友達です」
 そう言って、目じりをこする。リツコはレイにハンカチを差し出した。
(…それがあなたの力なのね。レイ。辛い事をいっぱい知っているから、人に優しく出来る。その優しさが、まわりの人たちを変え、輪になって繋がっていく…)
 リツコは何時の間にか、レイの頭を抱きしめていた。そっと頭をなでてやる。レイは驚いたが、素直にそのぬくもりに甘えた。
「…リツコさんって…なんだか本当にお姉さんみたいです」
「…そう?」
 次第に暮れなずむ小さなスイカ畑の横で、二人はしばらくそうやって互いの優しさに包まれていた。


アメリカ合衆国 サクラメント国際空港

 カリフォルニア州の州都だったこの街は、ロッキー山脈以東が新北極圏に入って以来の合衆国首都だった。と言っても、サクラメント市自体はどこにでもある普通の地方都市、と言う程度の街である。だが、セカンドインパクトによるポールシフトで領土の7割と、人口の6割を失った今のアメリカの首都としては、これでも十分な機能があった。
 その郊外に設けられた、これはさすがに首都の玄関にふさわしい国際空港から、十数機の航空機が飛び立とうとしていた。
 そのほとんどが輸送機だ。なかでも、黒い巨大なブーメランのような機体が特に威容を見せている。参号機を日本へ運ぶエヴァンゲリオン専用輸送機「ブラック・マンタ」である。離陸の順番が来ると、「ブラック・マンタ」は両翼に設けられた8基のジェットエンジンと、離陸補助用ロケットブースターに点火し、凄まじい轟音の尾を引いて離陸する。それに続くように何機もの輸送機が飛び立つ。それらの機体は、もうここへ戻ってくる事はない。
 最後に飛び立つ予定の機の前で、フォクスル「ゼーレ」米代表と一人の男が話をしていた。
「せっかく君を日本から招聘したのに、たった三ヶ月でとんぼ返りさせる事になってしまった。済まないな」
 男は謝罪は無用だ、と言うようにフォクスルに手を振ってみせる。
「とんでもない。日本ではやっていけなくなった私を招いていただき、存分に腕を振るわせてくださった。感謝しています」
「そう言ってくれると助かる。帰国しても元気でな」
「あなたも、フォクスルさん」
 男はフォクスルと握手し、飛行機に乗り込んだ。やがて、彼の乗った機体も駐機場を出て滑走路に入り、「ブラック・マンタ」の後を追って飛び立った。
「これで良い…我らの過ちも、歪みも、彼らが糺してくれるだろう…北米における『ゼーレ』の役割も、歴史も終わり…か」
 そう呟いて見送るフォクスルの背後に、数人の人影が立った。気配を感じたフォクスルは振り向き、そこにいた者達を確認して言った。
「キール議長の手の者か?遅かったな」
 最後の一機の機影が完全に消え去るのと、空港に乾いた銃声が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。
 その銃声は、ほんのつかの間の平和が消え去り、激動の時が到来した事を告げる号砲でもあった。
(つづく)

次回予告

 アメリカから起動実験の為、エヴァ参号機が松代に届く。
 人々は明日の惨劇も知らず、最後の日常を謳歌していた。
 そして、運命の日、全ての光景は子供達の悲劇へと収束する。
 穏やかな時は去り、戦いの狂熱が世界を満たそうとしていた。
 次回、第拾八話「命の選択を」


あとがき

 さたびーです。第三部の最初の回、第拾七話をお届けします。
 今回改めて拾七話を見直して思ったんですが…激動の予感をはらみつつも、全体的には淡々とした、穏やかな雰囲気の回ですね。その原作の雰囲気が少しでも出せていれば良いのですが…
 しかも今回はまたオリキャラが増えてます。『ゼーレ』米代表のフォクスル氏。アークハート提督に続きまたオヤジです。
 女の子を書くのが苦手とは言え、萌え萌え的作品の多いGreen Gablesさんへの投稿作でこれほど中年男性を増やすのはいかがなものかと自分でも思ってしまいますが、なぜか描きやすいんですよねぇ…オヤジ。はっ、自分がオヤジくさいからか!?(自爆)
 さて、次回はその予感が本物となる激戦の回。原作では全編を通じて一、二を争う悲劇的なお話でしたが…さて、REPLACEではどうなるか。書くのが怖い半面楽しみでもあります。
 では次回またお会いしましょう。
 
2001年1月某日 さたびー拝
                                                                    

さたびーさんへの感想はこちら


Anneのコメント。

>「心外な言われ様ですな。シナリオを完遂するための核であるチルドレンの拉致を指示した方の言葉とも思えませんが」

搦め手ではなく・・・。真っ向からの直球勝負。
冬月先生、格好良いですっ!!痺れますっ!!!

>「しかし…エヴァ四号機を起動したとしても、パイロットがいなければ、ATフィールドを発生させる事は出来ないのでは?」
>「その事に関連して…気になる報告が来ています。学術顧問団が全長10メートルほどもある大荷物を持ち込んできたと…」
>「司令、これはおそらく…」
>「ああ、間違いないな…これで、パイロットを抑えているという日本本部の優位も失われたか」
>「ダミープラグ・システム…完成していたのね」

・・・・・・なるほど。
これはかなり・・・。いや、恐らくこれが四号機爆発の原因っぽいですね。
この後に出てくる原作でのダミープラグ、設計だけは起こされたプラモデル、ガレージキットの四号機を考えると。
うむむ・・・。今の今までこんな事は思いもしませんでした。

>「しかし、何故です。あの重要な機体を、貴方の独断で日本に送るなど…下手をすれば粛清の対象になりますぞ」
>『はは、今の君の一言で決心がついたよ。
> どちらかといえば我々と対立しつつあるにもかかわらず、私の心配をするとはな。やはり後の事を託せるのは君だけのようだ』

くぅぅ〜〜〜っ!!熱いっ!!!漢だぜっ!!!!あんたっ!!!!!
で、後書きに『萌え萌え的作品の多いGreen Gablesさんへの投稿作でこれほど中年男性を増やすのはいかがなものか』とありますが・・・。
私も渋い中年男キャラは好きなのでHP管理者としては大OKです(笑)

>「んふふ…決まってるじゃない。友人としてはぜひともヒカリの恋の成就する瞬間を見届けようというわけよん」
>「要するに覗きなのね…」

でも、こういうのって覗くまでが楽しいんですよね。
だって、恋愛成就したら虚しいし、ご破算になれば次の日からどんな顔で会えば良いか解らないし(^^;)
はい、私にもこういう経験があります(笑)

>『2年A組の洞木ヒカリさん、洞木ヒカリさん。至急、校長室まで来るように。繰り返します。2年A組の――』

な、なんとぉぉ〜〜〜っ!?
ヒカリがフォースとは・・・。てっきり、これは性格から言ってマナだとばかりずっと思ってました。



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