NERV本部 特別会議室
出席者だけを照らすスポットライトと、それに照らされた人物だけが闇の中に浮き上がる特別会議室。 そこに今、2人の人物だけが席に付いていた。
国連特務機関NERV司令、冬月コウゾウと人類補完委員会議長・キール・ローレンツ。
その時、立体映像投影装置のスイッチが入る鈍い音と共に1人の男が突然に席に現れた。 その音が4回続き、出席者は4人に増えた。
「揃ったな・・・。」
ゆっくりと顔を上げ、キールが5人を見渡す。
彼らこそが、真のNERVの上位組織「人類補完委員会」、通称「委員会」メンバーの全員だった。主席、キールをはじめとして、全員が世界的な大企業、大財閥、巨大財団のトップである。彼ら自身は表に出る事はないが、一言で世界経済を動かし、国連やその加盟国の元首でさえ逆らう事の出来ない強大な影響力を有していた。言わば、世界を支配する影の権力機構。それが人類補完委員会である。
「では、始めよう…。冬月」
「は…」
キールの指示に、冬月が手元のスイッチを押すと、テーブルの中心部に立体映像が浮かび上がった。この映像は周囲のどの方向から見ても全く同じに見えるよう特殊な処理が掛けてある。
「本日の議題は、使徒の再来より本日に至るまでの事実の検証である…」
キールが言う通り、モニターに第3使徒の姿が映し出されていた。
新世紀エヴァンゲリオンREPLACE
第拾四話 「ゼーレ、魂の座」
検証・第一次直上会戦
ホログラフィック・ディスプレイにはバックアップ・システムを利用した疑似暴走状態により、使徒に猛攻を浴びせ沈黙に追いやっていく初号機の姿が映し出されていた。
「この戦訓は我がフランス支部でも重視されている」
鷲鼻の老人が言った。フランス代表である。
「ダミープラグ・システム…その有用性は疑問であると愚考します」
冬月が言った。
「自律操縦で使徒を撃破可能だったのは、あくまで第三使徒が近接戦闘型であり、その能力を見切った葛城作戦部長の手腕によると思いますが」
冬月の言葉に仏代表の顔に怒気が生じる。
「我がフランスが開発したシステムが役立たずだと言うのか?パイロットが乗らねば使えぬバックアップ・システムとは格が違うのだぞ」
「…失礼しました」
冬月は素直に頭を下げるが、その顔には恐縮したような表情など浮かんではいなかった。
「よせ。ともかく…何の訓練もしていない少女が、システムの力を借りてとはいえ使徒を打ち破った…彼女の功績は特筆に価する。確かお前の姪の娘と言ったな、冬月」
キールの言葉に、冬月は微笑を浮かべ頭を下げる。
「ええ…まあ、気分的には自慢の孫と言った所ですが」
冬月の顔は笑っていたが、内心ではかすかに怒りを覚えている。功績を賞賛しながら、奴はレイの名前を呼ばなかった。本心ではパイロットの事などどうでも良いと言う事だろう。
「うむ…では次だ」
検証・第二次直上会戦
果敢な、と言うより無謀な突撃をかける初号機。だが、相手の鞭による攻撃を無力化した初号機は格闘戦に持ち込み、使徒を撃破した。
「ほぼ原形をとどめた使徒のサンプル…分析結果は未だ提出されておらんな。どういうことかね、冬月?」
キールが言った。
「何しろ極めて特異な物質…物質であるかどうかすら疑問な存在ですからな…」
冬月はそれだけを述べ、結果提出に付いては明言を避ける。
「プラグ内に民間人を入れた事があったな」
と、これはイギリス代表。
「あの件に付いては解決済みのはずです」
冬月は受け流した。
「まあ、よほど我が方の秘密保持体勢に不安を抱かれた方もいるようですが…」
「当然だ」
英代表が言うと、冬月は鼻で笑った。
「不安なら自分の手駒をお使いになる事ですな。本質をはぐらかし、他人に事の遂行を委ねるのは失敗の元です」
「な、なにを…!」
英代表は戦慄に身を震わせた。この男…プラグに入った民間人を誘拐に見せ掛け抹殺するこちらの策を見抜いたとでも言うのか?痕跡を辿っても日本政府の上層部で追及の糸が途切れるよう細工したはずだが…
「民間人に関しては良かろう…我々も忙しい身。些事で会議を長引かせるわけにはいかん」
「左様」
比較的穏健派の米代表の言葉にキールは同意し、議題は第五使徒戦の検証へ移った。
検証・ヤシマ作戦
第三新東京市の空を飛び交う膨大なエネルギーを秘めた光線。人類の歴史上類を見ない強大な火力をぶつけ合う戦いを制したエヴァと、敗北しその向こうで崩れ落ちていく第五使徒。
「エヴァンゲリオン初号機の二度に渡る大破。冬月、我々の財布とて決して無限ではないぞ」
「承知しております」
キールのやや苦いものの入った声に冬月は頭を下げた。
「それにしても…チルドレンか。素晴らしいな…」
「は?」
キールの意味不明な言葉に顔を上げる冬月。
「綾波レイと…六分儀シンジ、と言ったか…見目良き子供たちだ。人類の未来を背負うにふさわしいと思わぬか?」
キールの言葉に委員たちは頷く。そこにはどこから入手したのか、あのレイとシンジの微笑みが映し出されていた。
(…)
委員たちの思わぬ反応に居心地の悪さを覚える冬月。議題は次へ進む。
検証・旧伊東沖遭遇戦
海中を行く巨大な影。その一撃に沈む艦艇群。義経の八艘飛びを連想させる弐号機の華麗な機動。その口をこじ開けられ、超至近距離から叩き込まれる砲弾の爆発に千切れ飛ぶ使徒。
「いささかイレギュラーですな」
「左様。これはシナリオには無い出来事だぞ」
委員たちの言葉に冬月は頷き、口を開く。
「確かに…ですが、修正の範囲内です」
米代表が沈みゆく艦艇に沈痛な視線を向ける。
「国連に預けたとは言え…もとは我が国の船であり、我が合衆国の若者だ。惨いものだな」
「下らぬ感傷は捨てよ。我らはより大きな大義の元に依って立つ事を忘れてはならぬ」
キールの叱責に米代表は押し黙った。冬月はやや好意的な視線を米代表へ向ける。祖国の没落により、委員会内でも末席に近い位置に落ちたこの人物が、未だ人間らしい感情を持っている事を好ましく思ったのだ。
検証・旧沼津迎撃戦、第三次直上会戦
分離した使徒の猛攻に翻弄される初号機、弐号機。無様な敗北を喫し、国連軍のN2兵器によってようやく使徒の足止めに成功する。
「N2兵器は貴重なのだ。あまり浪費されては困るな」
露代表が顔をしかめた。
「承知しております。ですが、使わねばならぬときは使わねばなりますまい」
冬月が答えると、露代表はますます顔をゆがめた。
「現存するN2兵器は992発。それ以上は製造できんのだ。以後は気をつけてもらいたい」
気をつけたいのは冬月とて山々だ。何も好き好んで大量破壊兵器などに頼りたくはない。ましてN2兵器の正体を知る冬月にとってはなおさらの事だった。
一方、映像は第三次直上会戦のシーンへと移っていた。合わせ鏡のような華麗で息のあった動きで使徒を追い詰め、打ち倒す二機のエヴァ。
「なかなか見事な戦い振りだな」
キールの言葉に委員達が賛意の声を漏らす。
「今後もこうした戦い振りを期待しておるぞ」
映像は第八使徒戦へと移る。
検証、A−17発令
最強の国連軍事行動分類コード、A−17の発令を受け、世界がただNERV一つのために動いていく。世界は動きを止め、すべてが浅間山に収束されていく。
「知っているか?冬月。このたった三日間で世界経済は今年マイナス成長が確実視される打撃を被ったそうだぞ」
キールが言うと、冬月はフッと鼻で笑った。
「存じています。ですが、なんでも委員諸氏傘下の企業は大きく利益を上げたそうですね」
キールも笑った。
「おまえは経済にも詳しいようだな、冬月。まあ、事前に知っていたことで幾ばくかの利益を得たことは確かだ」
冬月は頷いた。画面では溶岩の中で戦うエヴァがCGによって再現されている。口にパイプをつきこまれた使徒が破裂し、危機に陥った初号機を身を挺して救い出す弐号機。
「捕獲はならなかったか」
「まあ、結果として目的である使徒捕獲には失敗しましたが…殲滅は果たしました。これ以上何か問題でも?」
「いや…事実は事実として確認したまでのことだ」
検証、第四次直上会戦
初の三機共同作戦。市街地に陣取り、溶解液を飛ばす使徒の足を、レイが、シンジが叩き斬って行く。バランスを失い崩れ落ちる使徒に、とどめとばかりに撃ちこまれるカヲルの銃弾。
「外部からの破壊工作を許したそうだな…いささか失態ではあるな」
「は…付きましては対人警備システム拡充のための予算を頂きたいのですが」
キールの言葉を逆手に取り、予算の増額を要求する冬月。
「…冬月、貴様よくそのようなことが言えるな」
この要求に仏代表が怒気をはらんだ声で唸る。
「失敗は失敗として認めましょう。再発防止のためにも先立つものは必要です」
冬月は涼しい顔でその怒声を受け流した。
「…道理ではあるな。だが、それに付いては考慮のうちに入れておこう」
キールが言った。冬月はかすかに眉を動かしたが、何も言わず再びモニタを見つめる。
そこには前衛オブジェのような巨体が映し出されていた。
検証、D−17発令
高度七万メートルの亜宇宙を往く巨体。そのかけらが零れ落ち、地上に破壊をもたらしていく。
やがて自ら落下していく使徒。その巨大な質量を受け止める三機のエヴァ。
「無謀な戦いだな。よくこのような戦いを許したものだな」
呆れたように呟く米代表。
「許すも何も、このときの指揮はすべて葛城君に委ねておりましたのでね」
冬月の言葉に、委員達は理解しがたいと言うように首を振る。
「結果的には成功だったとは言え、我らの切り札たるエヴァ。あまり粗末に扱われては困るな」
キールの言葉に冬月は黙って頭を下げる。
(エヴァの存在意義は使徒の殲滅。それを危険にさらすなと言われても困るのだがな…困ると言えば次の言い訳か)
冬月は立体ディスプレイに現れた文字を見て顔をしかめた。
検証、第十一使徒
襲来の事実は、今に至るまで確認されず。ただし、NERV本部へ侵入との流説あり。
「説明してもらおうか、冬月」
キールの口調が、一切のごまかしを許さぬ峻厳なものへと変わった。使徒の本部侵入――この流説こそが、今日のこの会議を開かせた最大の理由なのだから。
「使徒の本部侵入などは発生していません」
冬月が答えると、英代表が憤懣を込めた口調で言った。
「本当なのだろうな。地下に眠る『アダム』と他の使徒との接触はサードインパクトの誘発、すなわち我らのシナリオの破綻を意味するのだぞ。間違いでは済まされん」
冬月は眉をややひくつかせ、厳しい口調で反論した。
「そのようなことは一切承知しております。任されたシナリオの遂行は万難を拝してやり遂げましょう。代わりに私も来るべき世界において相応の地位を受ける――それが契約ですからな」
「うむ…わかっておればそれで良いが」
英代表が黙ると、キールが再び口を開いた。
「死海文書の記述に従い、シナリオを遂行すること…これ以外にNERVの目的は無い。間違っても新たなシナリオを構想したりせぬことだな」
「は、すべてはゼーレのシナリオどおりに」
冬月が答えると、キールは頷いた。
「では、今回の会議はここまでとする。解散――」
キールが消え、他の諸国の代表も次々に消えていき、部屋の照明が点いた。残された冬月は立ちあがり、委員達の映像が映し出されていた方向を見ると呟いた。
「…俗物を演じるのも、相手にするのも楽ではないな…六分儀に司令を変わってもらいたいくらいだ」
冬月は椅子を戻し、照明のスイッチを切ると部屋を出ていった。
NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"
EPISODE:14 Be buried in thought
NERV本部 中央実験管制室
この日もNERV本部ではチルドレン達の機体起動試験とシンクロ率の測定、ハーモニクスのテストが行われていた。使徒の脅威が続く限り、飽くことなく繰り返されるルーティン・ワーク。リツコが試験の開始を告げる。
「それでは実験を開始します。本日の試験だけど…予定を変更し、試験項目22376から38997までをカット」
チェックリストを見たマヤが驚く。
「先輩、それだと例の試験を丸ごと削ることになりますが…良いんですか?」
「いいのよ。これは司令と、副指令からの直接指示だから」
リツコが答えた。それを聞いて、マヤの顔にほっとした表情が浮かぶ。
「そうなんですか。すると、やっぱり司令部ではあの計画を…?」
リツコは頷いた。
「そう。ダミープラグ・システムは少なくとも本部では凍結よ。今後この計画に関する試験は一切無し」
その言葉に、室内の技術者達が安堵した表情になった。
「そうですよね…あんな非人道的なものは無いほうが良いですよね」
マヤは満面の笑みを浮かべた。ダミープラグ・システムの原型となったバックアップ・システムを用いた初号機の意図的暴走――第三使徒戦の恐怖は、今も彼女をはじめとする多くのNERV要員の記憶に焼きついている。
「あれは一見結構な発想に見えるけど…実際はエヴァを意思を持たない破壊兵器へ変える存在でしかない。私にも科学者としての良心はあるのよ。あんなものを作るなんて願い下げだわ」
リツコは実験に立ち会っているミサトに目をやった。その視線に気付き、ミサトが口を開く。
「軍人としては理想なのよね…相手が何者であろうと、一切の感情を交えずただ殲滅するだけの兵器。でも、人間としては、そんなものに頼りたくは無いわね」
その言葉に、日向は思わず目頭が熱くなった。
(…葛城さん…本当に変わったな。前の近寄りがたい冷たい雰囲気が無くなって、人間が丸くなった感じだ。そして、きっとその変化をもたらしたのは…)
日向はディスプレイの方向を見た。
弐号機、エントリープラグ
プラグの中で目を閉じ、じっと精神を集中させるカヲル。顔には微笑が浮かんでいる。
「カヲル、調子はどう?」
リツコの質問にカヲルは目を閉じたまま答えた。
「順調です。赤木先輩」
カヲルは言うと、目を開けて握った拳を前に突き出し、親指をぐっと立てて見せた。
「随分余裕ね。試験項目を増やそうかしら」
ミサトが言うと、カヲルは慌てて元の姿勢に戻った。
「か、勘弁してくださいよ葛城三佐…」
カヲルが情けない声で言うのを聞いて、管制室の中に笑いの小波が広がる。
「勘弁して欲しかったら集中しなさい」
ミサトの言葉に、カヲルは頷くと目を閉じた。そのやり取りを聞きながら、加持はディスプレイに目をやる。
(カヲルも変わったな。ドイツにいた頃はなんと言うか…隙を見せないと言うか、いつでも自分を完璧な存在に見せようとしていたものだが)
加持はドイツ支部にいた頃のカヲルを思い浮かべた。自分の優秀性にこだわり、常にトップを求めていたカヲル。そのために無茶をする事も多かった。第六使徒戦でもわざわざレイを乗せて使徒と戦うような真似をしている。
が、日本に来てからのカヲルはだんだんそう言う傾向が無くなっていた。ドイツでは支部内や大学で英才教育を受け、誰もが丁重に扱う「皇帝」だったカヲルが、日本で普通の中学生として過ごすうちに良い方向へ変わってきたような気が加持にはした。
(考えてみればカヲルには同世代の友達がいなかったんだな。それがここには大勢いる。シンジ君とも仲は悪くないようだし、護衛の相田君や、学校にもトウジ君とか言う友達がいるって言っていたな)
加持はカヲルが友人の話をするのを、日本に来てから初めて聞いたのだった。
(うん、良い傾向だ。しかしあれだな。ドイツじゃ多少のわがままでも通っていたカヲルに初めて浴びせた三連発。あれがカヲルが変わる一番のきっかけだったかもな)
加持はその三連発の最初の一撃を放った人物に目をやった。
零号機、エントリープラグ
「シンジ君、調子はどうかしら?」
マヤの呼びかけに、シンジは閉じていた目を開け、うなずいた。
「いつもと同じ、大丈夫です」
シンジはそう言って微笑むと、再び目を閉じた。
(シンジ君は随分明るくなったわね。こんなとき笑う事なんてなかったのに。まあ、人の事は言えないけど)
ミサトは思った。同居している自分でさえ、かつてはシンジの笑顔をほとんど見たことはなかった。正確には自分に向けられた笑顔、と言うべきか。シンジが笑顔を向ける相手は、かつてはゲンドウぐらいのものだった。
(そう言えば最近は家でも良く笑いかけてくれるようになったし…やっぱり、あの時の)
ミサトはヤシマ作戦が終わった直後、自分の判断でレイを救い出し、そして笑ったシンジを思い出す。
(人形みたいに受動的な子だったのに…言われなくても感じる絆みたいなものを感じたのかしらね)
ディスプレイの中で、リラックスした表情を浮かべるシンジを見ながら、ミサトは思った。
(言われるままに行動するだけで良しとしていたシンジ君を、私もそれでいいと思っていた。いつのまにかあの子を使徒を倒すための道具だと考えかけていた。それに気付かせてくれたのは…そして、シンジ君を変えたのは…)
ミサトはディスプレイに視線を移した。
管制室の人々が見つめる先、そこには一人の少女がいた。
初号機、エントリープラグ
起動実験はパイロットにとっては退屈極まりないものだ。要は精神を集中させ、ひたすらエヴァと一体化した自分を思い浮かべつつじっとしているだけの事だからである。
しかも、退屈だからと言って居眠りなどしてしまうと、あとで怒られるので、レイは実験に意識を向けつつ、いろいろな事を考える術を身に付けるようになっていた。
(…血の匂いがするプラグ…もうすっかり慣れちゃったな…)
レイは頭の中でこれまでの事を回想していた。
(ここに来て…いろんな人に出会った。冬月のおじ様。加持さん。六分儀副司令。ミサトさん。赤木博士。マヤさん。青葉さん。日向さん…)
まず手近なところで、今目の前で作業している人たちの事を考える。
(それに、大事な友達。マナ。ヒカリ。渚君。鈴原君。相田君。ノゾミちゃん…そして…)
横にいる零号機のほうを見る。
(シンジ君…)
レイはシンジのことを考えた。
(大事なクラスメイト。戦友。でも、それだけじゃない何かをシンジ君には感じる。なんだろ…言葉には言い表せないこの感じ…)
例えば、そう…
(まるで…家族に感じるような、そんな感覚なのかな)
レイは思った。彼女は本当の意味で家族を持った経験が無い。家族と言うものの感覚を知らない。
(でも、家族と言うなら冬月のおじ様や加持さんのほうが近いのに。それなのに、なんだろう)
そうか。
(似てるんだ…昔のわたしと、シンジ君は)
レイは思い当たった。
(昔のわたしは…その名前で呼ばれるのが嫌で。誰にも馴染めなくて。いつも一人で…)
レイは松本にいた頃の自分を思い出す。
(その、一人ぼっちだった頃のわたしと、ちょっと前までのシンジ君と)
でも、今は違うな、とレイは思った。
(今はみんながいる。だから、もう2度と寂しくなんてならない)
そう、もう自分は一人じゃないんだから。
(だから、わたしは頑張れるんだ…)
実験管制室
「シンクロ率…レイちゃんがとうとう70%を超えてきましたね」
マヤが感嘆の声をあげた。ディスプレイの向こうには、安らいだ顔のレイがいる。
「ハーモニクスも今まで以上ね。本当に目覚しい進歩だわ」
リツコが言うと、ミサトが口を開いた。
「シンジ君も凄いわね。65%に届きそうだわ」
その言葉にマヤが同意の頷きを返した。常に80%台をキープしているカヲルに比べればまだ及ばないが、レイと初めて共同作戦を取ったヤシマ作戦、そしてカヲルも加えた第九使徒戦以降の伸びでは、レイをも上回る進歩を見せている。
それに、カヲルもドイツ時代は70%にも届かない事が多かったのだ。
「みんなで良い影響を与え合って進歩しているようね」
リツコは言いながら、心の中で思う。
(リーダーシップは自然とカヲルがとるような形になっているけど…要にいるのはレイね。不思議な娘。周囲に安らぎを与えるような雰囲気を持っている)
その時、リツコは気が付いた。
(そうか…あの娘の母親と一緒。あの女性も、周りに自然と安らぎをもたらすような…砂漠のオアシスのような人だった)
リツコはかつて大学の先輩であり、母の友人でもあったその女性の事を思い出した。
(考えてみれば、私は父さんには怒りを感じていても、あの女性にはそうではなかったわね)
母、ナオコと前後して亡くなったその女性の思い出に怒りなどの負の感情を伴うものが無い事に気がつき、その不自然さにリツコは首を傾げた。
(母さんから父を奪った女…それなのに、どうして?)
どことも知れぬ場所
その部屋は、NERVの第一会議室に酷似した調度を持っていた。立体映像投影装置付きの巨大な会議卓が部屋の中央に鎮座している。
その卓がNERVのものと違うのは、卓上に「セフィロトの樹」と呼ばれるカバラにおける世界観を表す複雑な模様が描かれ、それだけでなく部屋全体に各種の呪術的な文様が散りばめられている事だった。
その奇怪な部屋に、キールが姿をあらわし、それに続いて次々に人影が現れた。
「集まったな」
キールの一言に人影がいっせいに頷く。キール自身を含め、その数は11人。恐らく最上位者が座ると思われる上座は空席のままとなっていた。
「NERVに離反の動きあり…だが、確証は得られなかった」
キールが言うと、冬月にやり込められた英代表が頷いた。
「不愉快ではありますが…冬月司令はさすがにかつて東方の三賢者に名を連ねただけの事はある。一筋縄では行かぬ奴です」
それに、冬月との会議には姿を見せなかった男…イタリアの代表が口を開いた。
「だが…奴の見張りに副司令として六分儀を送り込んだのだろう。奴は我ら『宗家』と違い傍流だが、我らの目的を良く知っているはず」
「どうかな。傍流と言っても碇家に近しい血の持ち主。我らに仇なす危険は本当にないのか」
オランダの代表が言った。
「奴が碇家の目的を継承していれば…事は重大だぞ」
「いや。近いだけに、碇家が『ゼーレ』を裏切った結果も良く知っていよう。所詮あの男は犬だ。逆らいはすまい」
仏代表が不安を一掃するように言い放った。
「その通りだ。『ゼーレ』の大方針に逆らうものは、たとえ『宗家』筆頭でも粛清は免れんのだからな」
スペイン代表が空席の上座に眼をやった。かつてそこは彼ら全員をすべた筆頭の家格の者が占めた席だった。その筆頭は今は粛清を受け、この世に存在しない。
「左様。『ゼーレ』一万二千年の悲願を果たす事こそ我らが務め」
キールの言葉に、カナダの代表が夢見るような口調で言う。
「『魂の座』計画…我らの悲願にして希望」
アメリカ代表が後を続けた。
「そのための駒も揃いつつある」
ロシアの代表が最後を締める。
「全ては我らがシナリオどおりに…」
代表達の言葉にキールは頷いた。
「長年にわたる裏よりの支配を捨て、我らが名実ともに新世界を統べる日は近い。皆、励むが良い」
「ははっ!」
全員が唱和し、キールが散会を告げると映像は全て消えていき、キール一人が残った。
この部屋で彼一人が実体だった。
「トルコ、スウェーデン、中国の代表は一言も口を開かなんだか…あやつらは碇家と関係が深かったからな…いずれ何らかの処置を考えねばなるまい」
キールはそう言うと、反抗的な幹部の席を一瞥した。直接的な視線を遮る視力補正バイザーを通してなお、消える事のない怒気がそこには含まれていたが、やがて彼は振り向くと部屋を去った。
秘密結社「ゼーレ」。人類補完委員会を隠れ蓑とし、NERVを操る彼らは、同時に恐るべき長年に渡って人類の社会を裏面から操ってきた人形使いであった。
だが、その絶対支配に立ち向かう者もいないわけではなかった。
NERV本部 司令公室
司令公室の中に、将棋の駒を盤に置く音が響いた。対局しているのは冬月とゲンドウだった。
冬月は将棋のファンで、アマチュア二段の腕の持ち主。一方、ゲンドウはそれほど将棋好きと言うわけではないが、二人で話をするときには頭を活性化させる道具として、将棋を指すことを好んでいた。
「予定外の使徒侵入…それを知った『委員会』の突き上げですか…」
ゲンドウは言いながら、駒を動かした。
「ああ。まあ、適当にあしらっておいたがね…事態が全て己の掌中にあると思っている連中には良い薬だよ」
冬月は言うと、ゲンドウの一手に応じて自分の駒を動かす。
「切り札は全てこっちが握っているとは言え…厄介ではありますな」
ゲンドウはあごに手を当てた。厳しい手だったらしい。
「まあ、あせる事もあるまい。今のところ、まだ彼らは君が自分達の陣営にいると考えているようだ」
その冬月の言葉に、ゲンドウは笑った。
「猫の首に鈴は付いていると考えているわけですか。鳴らない鈴だとも知らずに…」
そう言いながら、一手を打つ。今度は一転して冬月の顔が渋くなった。
「そう来たか…いや、そうじゃないか…君もあれだ、その…彼らの傍流ではあるわけだしな」
冬月は依然として次の手を考えながら言う。
「血の繋がりは何よりも強い…少なくとも彼らはそう考えているだろうな」
冬月の言葉に、ゲンドウの顔にかすかな怒りが浮かぶ。
「彼女をあんな目に合わせておいてですか?所詮欲のためなら手段を選ばん連中ですぞ」
そのゲンドウの言葉に冬月は将棋盤に向けていた視線を上げた。
「…そう、だな。確かに連中のやる事は予測がつきがたい。自重するとしよう」
「ええ…われわれの財布は彼らに握られています。焦らし過ぎて直接介入を招いてもまずい」
二人は頷きあい、再び盤に目をやった。
「…六分儀よ」
しばらくして、冬月が言った。
「なんです」
ゲンドウが顔を上げると、冬月は昔を思い返す口調で言った。
「お前も…変わったな。昔のお前なら、他人の事で自分の事のように憤ったりはしなかったはずだ」
その師の言葉にゲンドウは苦笑する。
「私は…南極で許されぬ罪に荷担してしまいましたからね。変わりもしますよ。それに、冬月先生こそ変わったと私は思いますが」
「私がか?」
怪訝な表情で問い返す冬月にゲンドウは言った。
「ええ。かつて『東方の三賢者』の中で最も人柄が温和だと言われた貴方が、今では鬼も恐れるNERVの司令ですから」
「何を言っている。司令に私を推挙したのはお前だろうが」
冬月は苦笑すると、一手打った。
「む…」
ゲンドウの顔色が変わる。
「待ったは無しだぞ、六分儀」
冬月は楽しげに笑い、ゲンドウは次の手を考えあぐねていた。
「…参りました」
しばらくして、ゲンドウは打つ手がない事を認め、負けを宣言した。
「今日はなかなか苦しかったぞ」
冬月が笑いながら言うと、ゲンドウは頷いた。
「いずれは負かして見せますよ」
冬月は破顔した。
「期待しているぞ。お前が遂行としている、シナリオが目指す未来と同様に」
「人類再生計画、ですか…順調です。2パーセントも遅れてはいません。今も、シンジが予定の作業を進めているはずです」
「うむ…ロンギヌスの槍か」
冬月は頷き、床に眼を落とした。
NERV本部 最深部「ターミナル・ドグマ」
本部の底、ターミナル・ドグマ…「真の教え」を意味する名を与えられたその地区を、いま青の巨人が行く。
シンジの操るエヴァ零号機。その手には冬月がロンギヌスの槍と呼んだ物体が握られている。それこそ、先日の調査で冬月とゲンドウが南極より持ち帰った巨大な物体であった。
キリストの処刑に使われた、呪われた槍と同じ名を冠する、いわば終末の象徴たる槍。それを救済を暗示させる真の教えに安置すると言うゲンドウの方針。
救済と終末が揃うとき、そこに生まれるものは一体何なのか。それを知る者は、まだ誰もいない。
(つづく)
次回予告
誰よりもお互いを知り、誰よりもお互いを求めていながらすれ違う加持とリツコ。友人の結婚式への誘いは、彼らにどんな変化をもたらすのか?
次回、第拾伍話「嘘と沈黙」
あとがき
まずはお礼から。感想を下さったちぇしゃさん、感想を強要した(爆)ぱたりろさんとケロさん他の皆さん、ありがとうございました。あなた方の励ましがなかったらこの作品の完成はさらに遅れたに違いありません。
と言うわけで、さたびーでございます。REPLACEの第拾四話、ようやく完成にこぎつけました。本当は原作でのセカンドインパクト記念日(おい)には間に合わせたかったんですが。
今回はネットアカウントやメールボックスの原因不明の消失と言う痛手(これまでにもらった感想がみんな消えてしまいました…トホホ)に加え、仕事が忙しく原稿は本当に遅々として進みませんでした。
おまけに原作では総集編ぽかった今回の話をどうまとめるかでも悩みました。
で、まあこういう形になったわけですが…ちょっと失敗かも。
ともあれ相変わらず残暑は厳しいですが、これからは少しづつ涼しくなっていくでしょうし、頑張って先へ進みたいと思います。
ではまた第拾伍話でお会いしましょう。
2000年9月某日 さたびー拝
さたびーさんへの感想はこちら
Anneのコメント。
さたびーさん、まずはおめでとうございます♪
本編再話では滅多にない原作第14話までの到達、遂に折り返し地点を越えましたね。
>「現存するN2兵器は992発。それ以上は製造できんのだ。以後は気をつけてもらいたい」
これ、原作を見ていた時に『おや?』と思ったのですが・・・。
992と言う数字には何か意味があるんですかね?
どうもエヴァを見ていると何かに付けて疑ってしまいません?(笑)
>「外部からの破壊工作を許したそうだな…いささか失態ではあるな」
>「は…付きましては対人警備システム拡充のための予算を頂きたいのですが」
>「…冬月、貴様よくそのようなことが言えるな」
上手いっ!!これは言わば、劇場版の日向と青葉に対する伏線ですね。
実は私もエヴァGでこの伏線を入れる予定でしたが、入れる間がなく劇場版に突入しちゃったんです。
>「そう。ダミープラグ・システムは少なくとも本部では凍結よ。今後この計画に関する試験は一切無し」
・・・となるとバルディエル戦は必然的に変わってきますね。
原作から順当に行けば、やっぱりヒカリが寄生されちゃうのかな?
それとも、原作通りトウジが寄生されてシンジが力の一端を見せるとか?
何にせよ、3話先に迫ったバルディル戦が楽しみです。
>「左様。『ゼーレ』一万二千年の悲願を果たす事こそ我らが務め」
ええっ!?そんな前から?(^^;)
12000年前って紀元前よりずっと前ですよ?
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