第三新東京市 ショッピングモール「クロスシティTOKYO-3」
「ねえねえ、これなんかどうかなぁ」
「ええっ!?は、派手すぎると思うわよ、マナ…」
「レイの言う通りよ、マナ。中学生がそんなデザインのを着るなんて…」
売り場にきゃあきゃあという少女たちの声が響き渡る。場所は水着売り場。レイ、マナ、ヒカリの第壱中が誇る美少女トリオはこの日、間近に迫った沖縄への修学旅行に備え、新しい水着を買いに来ていたのだ。
もちろん、本来は第壱中にも学校指定の水着、いわゆるスクール水着はある。が、たまの旅行くらい自由なデザインのものを着用しても良い、という項目が修学旅行の心得にあったのである。
当然の事ながら、あまりにも過激な水着は教育的指導を受ける可能性があるが、公立学校にしては生徒に理解があると言えるだろう。
とは言え、ヒカリがいる限り過激な水着を買えるはずもなく、レイはおとなしめの白のワンピースタイプ、マナはパレオ付きのスカイブルーのセパレート、ヒカリはレイより更にデザイン的にはおとなしめのモスグリーンのワンピースをそれぞれ選んだ。
5泊6日の日程で行く沖縄への修学旅行は、毎日訓練に明け暮れ、一朝事あらば命懸けで戦わなくてはならないレイにとってもまたと無い気分転換になる、はずだったのだが…
新世紀エヴァンゲリオン REPLACE
第拾話 「マグマ・ダイバー」
NERV本部
「えええっ!?修学旅行に行っちゃ駄目なんですか!?」
呼び出しを受けたチルドレンたちへの修学旅行参加禁止の通達、それに大声を上げたのはレイだけだった。
シンジは相変わらずの無感情だったし、カヲルに至ってはドイツに修学旅行なる存在が無く、その意味も分かっていなかったからである。
「当たり前でしょう。いつ使徒が攻めてくるか分からないのよ?」
レイにとっては青天の霹靂とも言うべき無情の通告をした張本人、ミサトは呆れたように言った。
「ううぅ〜〜そんなぁ…」
思わず肩を落とし、がっくりとうなだれるレイ。
「楽しみにしてたのに…泳ぎたかったのに。スキューバ・ダイビングもしたかったのに…」
うなだれたままぶつぶつと呟くレイ。それを見て加持が口を開いた。
「まあ、そう落ちこまないでくれよ。いつかこの埋め合わせはするから」
「はい…」
いつになるかわからない口約束ではそれほど元気もでないレイだったが、それでも返事をすると発令所を出ていった。
「…ちょっと可哀相だけどね」
さすがのミサトも気の毒になったのか、レイの後ろ姿を見送って言った。
「ところで加持一尉、葛城一尉。修学旅行とは何ですか?」
未だに良く分からない概念が気になるのか、カヲルが口を開いた。
「ああ、あれは割と日本独特の風習だからな…。ま、ぶっちゃけた話学校全部でパック旅行に行って、名所旧跡を見たり、買い物をしたりして遊ぶ、と言うようなイベントかな」
加持が言うと、カヲルは笑った。
「ふぅん…なんと言うか、日本の学生は気楽ですね」
馬鹿にしたような言い方のカヲルだったが、続くリツコの一言に固まる。
「気楽ね…まあ、いい機会だからあなたはもう少し日本語を勉強したほうが良いわ。こないだの国語のテスト、私見たわよ」
日頃小難しい、芝居じみた言い回しを多用し、国語力も有りそうに思えるカヲルだったが、しゃべるのはともかく「読み書き」は割と壊滅的な成績だった。
「ははは…ま、まあ努力しますよ…ところで、赤木先輩たちはどこへ修学旅行に行ったんですか?」
旗色が悪くなった事を悟り、話題を変えようとしたカヲルだったが、加持、ミサト、リツコの三人は苦いものを飲み込んだような顔をしていた。ややあって、加持が口を開いた。
「俺達は…修学旅行は体験していないんだ。セカンドインパクトがあったからな」
「…」
さすがのカヲルも話題の振り方を間違えた事を後悔した。
NERV本部 温水プール
ザバッと言う音を立て、レイはプールから上がった。
「ふう…」
軽く顔を手で拭い、体をプールサイドに引き上げる。
「気持ち良い…さすが加持さん、話が分かるわ」
呟くレイ。本来この時間は水泳による基礎トレーニングの時間なのだが、修学旅行に行けないチルドレンたちのために加持が自由時間にしても良い、という許可を出したのである。
「あれ?」
レイがプールサイドを見渡すと、シンジが何故か持ち込んだ端末で何かの勉強をしていた。
「どうしたの?シンジ君」
レイが歩いていって覗き込むと、端末の画面には難解な数式が並んでいた。
「な、何これ・・・」
レイが尋ねると、シンジは別の画面を呼び出して答えた。そこにはレイにも見覚えのある物体の3Dグラフィックが映し出されていた。
「陽電子狙撃銃の銃身の熱膨張に関するちょっとした問題点を考えていたんだ…これを解決できたら、もっと命中率が向上するはずだから」
「そ、そうなの…」
いきなり難しい事を言われてレイは額に浮かんだ冷や汗をぬぐった。ちなみに、NERVがヤシマ作戦の時に戦自から借りてきた陽電子砲は既に返還され、現在はNERV独自の改造を加えた初号銃(ヤシマ作戦で使用されたのが零号銃)が開発されている。そこには、NERVで唯一陽電子砲を使った経験のあるシンジの意見も大いに参考にされる予定だった。
「へえ、熱膨張の問題かい?」
二人の後ろからカヲルが顔を出した。カヲルは数式を熱心に眺めて、こう言った。
「六分儀君、ここの変数は少し変えたほうが良いんじゃないかな。例えば…」
「ああ、なるほど」
カヲルの指摘で何か突破口を思い付いたのか、シンジは忙しく端末のキーボードを叩き始めた。
「へえ…凄いわね、渚君。大学出たって伊達じゃないのね」
レイが素直に感心すると、カヲルは得意げに鼻をうごめかせる。
「まあね。けど、熱膨張なんて単純なものさ…ものは暖めれば膨らみ、冷やせば縮む。わかりやすいだろ?」
ここで止めておけばいいのに、カヲルは余計な一言を追加した。
「綾波君も、胸を暖めてみたらどうかな。膨張して少しはサイズが大きくなるかも…ね」
みるみる恥ずかしさと怒りでレイの顔が紅潮する。そして、黙ってカヲルの腕をつかむと、プールに放り込んだ。
「ぶわっ!?ごば…ぐべ…た、たすっ…け…っ!」
不意を討たれて溺れるカヲルにレイは怒りの言葉を投げつける。
「渚君の馬鹿っ!えっちっ!どこ見てるのよっ!!」
そう言うと、レイはプールサイドを走って出口へ向かった。
「えっほ、うぇっほ…うう…か、軽いジョークだったのに。相変わらず純情だね。好意に値するよ…」
どうにかプールサイドに上がったカヲルは、死の縁からの生還にもかかわらず相変わらずのカヲル節でレイを見送った。
「そうは思わないかい?六分儀シンジ君」
わざわざフルネームで呼んだシンジは、端末から目を離し、走り去ったレイの姿を見送っていた。
(…?)
ここ何週間かの付き合いで滅多に他のものに興味を示さない事がわかっていたシンジがレイを見ていた事に、カヲルは不思議な違和感を覚えた。
同時刻 浅間山上空
浅間山はかつての群馬・長野県境(現在は関東・松本特別州境)にある、富士山に次ぐ日本第二位の活火山である。セカンドインパクトによる世界規模の地殻変動の影響で2001年に大噴火を起こして以来、活発な活動を続けていた。火口からは噴煙が上がり、その隙間にちらちらと赤い溶岩の池が見える。
その上空を、UNのマークがステンシルされた一機の大型ヘリが飛んでいた。そのヘリは装備された無数のセンサーで火口の情報を採取し、それをどこかへ送りつづけていた。
NERV本部 発令所
情報の送り先、発令所では冬月、ゲンドウ、リツコ、青葉、日向の五人が観測データをにらんで話し合っていた。
「これでは良く分からんな」
冬月が言った。マグマがその膨大な熱量とエネルギーでセンサーを撹乱させてしまうため、採取された情報はいまいちぼやけており輪郭がつかめなかった。
「しかし、この影は気になりますね」
青葉が火口へ通じるマグマの通路の模式図に示された黒い点を指摘する。
「もちろん、無視は出来ない。MAGIの判断は?」
「フィフティ・フィフティです」
ゲンドウが問い、リツコがこれ以上ないと言うほど簡潔、というよりそっけなく答える。それをみて溜息をついた冬月は少し考え、日向に尋ねた。
「現地には…葛城君と伊吹君が行っていたな?」
「はい。既に国立地学研究所の協力を受けて調査中です」
浅間山麓 国立地学研究所浅間観測所
そのミサトとマヤは、観測所のモニタに送られてくる無人観測機からのデータを凝視していた。
「まだ分からないわね。あと100、下げてください」
ミサトの注文に、観測所の所員が泣きそうな顔で抵抗する。
「か、勘弁してください!"ひのかみ"の安全潜航深度は600メートルなんです!もうそれを300メートルもオーバーしているんですよ!これ以上は限界です!」
"ひのかみ"は日本国立地学研究所が誇る最新鋭の火山探査機で、マグマに直接潜航して火山の内部を調査できると言う画期的なマシンである。
「安全潜航深度が600なら、危険潜航深度はその倍はあるはずですね。まだ行ってください」
ミサトは全く動じる事無く所員の懇願を却下し、仕方なく所員は"ひのかみ"を潜航させていく。が、探し物が見つからないためにミサトが次々に更なる降下命令を出し、遂に"ひのかみ"は危険潜航深度の1200メートルに達した。
「まだですね。あと100、お願いします」
その無情な指示にとうとう所員が涙目になる。
「か、葛城一尉…」
「危険潜航深度が1200なら、限界はすくなくとも1500はあるはずですね?あと100、お願いします」
問答無用のミサト。それを繰り返し、深度が1400に達した所で警告音が鳴り響いた。
「が、外殻に亀裂…お願いです葛城一尉、これ以上は…!」
「壊れたらNERVで弁償します!あと100!」
「そんな無茶な!」
所員が絶叫した。この"ひのかみ"、最新鋭だけに世界で一つしかなく、用途が特殊なだけにお値段は一機三百億円ほどする。
その時、マヤの端末に反応があった。
「反応がありました!解析をはじめます!」
そう言うとマヤは素晴らしいスピードでキーボードを叩いた。画面上を観測データがものすごい速度で流れて行く。
次の瞬間、耳障りな警告電子音と共にモニターがブラックアウトした。
「あああ…ひ、"ひのかみ"が…圧潰…」
所員はショックでがっくりと膝を突いた。あまりにも高価な使い捨てだったが、ミサトとマヤには十分なデータを提供してくれた。
「解析結果でました。…パターン青!使徒です!」
端末のモニタには、卵とその中で眠る胎児のような物体の影が映っていた。
「間違いないわね…これより、当観測所は完全閉鎖。我がNERVの管轄下に置きます。一切の入室を禁止した上で、過去6時間に見聞きした一切の事象は部外秘とさせていただきます」
ミサトは言ったが、既にショックに打ちのめされた所員にはどうでも良い事だった。
そんな所員には目もくれず、ミサトは部屋の外に出ると携帯を取り出し、本部へ繋いだ。
『こちら発令所、青葉二尉』
「青葉君?至急S回線へ切り替えて」
『わかりました。そのままお待ちください』
ミサトの強い語調に、青葉はすぐに回線の切替を行った。ちなみにS回線とは司令宛の秘守回線である。カチ、カチと言う音がして回線が切り替わり、冬月が電話に出た。
『私だ。どうした?葛城君』
「状況Aです。作戦部長としてコードA−17の発令を勧告します」
電話の向こうで、冬月が息を呑む気配がした。
NERV本部 第一会議室
「A−17!こちらから打って出ると言うのか!」
緊急に召集された人類補完委員会のメンバーは冬月の提案に衝撃を受けていた。
「ダメだ!!危険すぎる!!!15年前を忘れたとは言わせんぞ!!!!」
委員の一人が机を叩いた。
「これはチャンスなのです。これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出る為の」
腕組みをした冬月が言う。冷静さを保ってはいるが、背中には気持ちが悪いほどの冷や汗をかいていた。
「リスクが大きすぎるな・・・。」
視力補正バイザーをかけた老人が言った。人類補完委員会主席、キール・ローレンツである。
「しかし、生きた使徒のサンプル。その重要性は既に御承知の事でしょう。あなたがたとて15年前には手に入れようとなさったではありませんか」
冬月が言った。委員たちが思わず口篭もる。
「『アダム』と今回の『サンダルフォン』では重要性も格も違う。同様には比較できんよ」
一人が吐き捨てるように言った。が、キール議長は決断を下し冬月に命令を伝える。
「…良かろう。委員会は総力を挙げてバックアップに回る。だが、わかっておろうな。失敗は決して許さん」
会議は終わり、立体映像投影装置の電源が落ちる時の鈍く響く音と共に委員たちの姿が消えた。
「失敗か・・・。その時は人類そのものが消えてしまいますぞ。・・・司令、本当に良ろしいんですか?」
二人だけとなった会議室の中で、冬月の横に控えたゲンドウがささやくように言った。
「…君の気持ちはわからんでもない。が、今回の勧告は葛城君のものだ」
「ミサトが…」
呟くように言ったゲンドウに、冬月は頷いた。
「うまく行けば、君の計画にとっても大きな切り札になるはずだ。成功させよう」
「は…」
NERV本部 ブリーフィング・ルーム
「これが今度の使徒ですか…」
リツコの示した使徒の解析図を見てレイは言った。姿形云々より、煮えたぎるマグマの中で平然としていると言うその非常識さに呆れるばかりである。
「そうよ。まだ成体になっていない、サナギの状態みたいな物ね。 今回の作戦は使徒の捕獲を最優先とします。出来うる限り原型をとどめ、生きたまま回収する事。」
「出来なかった時は?」
リツコの作戦内容を聞きながら、やはりカヲルもモニターに映る使徒に驚きの表情をしている。
「即時殲滅。良いわね?」
「はい」
唯一、驚きを表面に表わしていないシンジが答える。
「で、今回の作戦では実際に溶岩の中に潜り、使徒を捕獲する潜航役が一番重要なの。その役だけど…」
リツコが説明を続けようとするのを、カヲルが手を挙げて遮った。
「溶岩の中、と言う事はF型装備ですね」
「…ええ、そうね」
何故かリツコが眉をひくつかせて答える。F型装備は超高熱環境下戦闘を想定したもので、五千度の熱にも耐える特殊なスーツをエヴァに着せるものだ。
「じゃあ、ボク以外には該当者はいないと思いますが」
カヲルは胸を張って言った。
「どうして?」
レイが尋ねる。
「ふふ…F型装備はドイツ支部の開発でね…まだボクの弐号機用以外は出来ていないのさ」
カヲルはますます胸を張って答えるが、その頭をリツコのファイルバインダーが引っぱたき、カヲルはのけぞって倒れた。
「な、何をするんですか!?赤木先輩!」
慌てて起き上がるカヲルに、リツコは冷たい声で答えた。
「カヲル…あなたのF型装備は、他の全てと一緒に伊東沖の海底よ」
「あ…」
カヲルは思い出して息を呑んだ。第六使徒戦で使徒に撃沈されたエヴァ輸送船「グリザベラ」には、持ち出す事の出来なかった特殊装備が多く積まれていたのだ。
「では、僕ですか?」
シンジが尋ねるが、リツコは首を横に振った。
「いいえ…プロトタイプの零号機には特殊装備のアタッチメントが無いの。残念だけど…」
そう言われて、シンジは頷くと一歩下がった。
「という訳なので、本来ならカヲルなんだけどレイにお願いします」
とほー、という顔のカヲルを尻目に、リツコはレイに向き直った。
「わたしが、ですか?」
きょとんとするレイに、リツコは頷いた。
「初号機にはF型はないけど、その代わり対核戦用のD型装備を耐圧・耐熱仕様に改造したものを使います。ちょうど今ごろは出来ているはずだわ」
そう言ってリツコはケイジへ向けて歩き始めた。チルドレンたちもその後を追った。
ケイジ
「こ、これがD型装備…?」
あまりの光景にレイは言葉を失った。目の前には変わり果てた姿の初号機がある。その全身は特大の潜水服に似たスーツで覆われ、ヘルメットのグラスの向こうに初号機の顔が納まっている様は滑稽ですらあった。
「そうよ。まあ、性格にはD型改とか、D'型とか言うほうが正確かもしれないけどね」
着膨れた初号機を前にリツコは言った。
「たしかに…これなら安心そうですね」
レイは言った。一方、カヲルはD型が美意識になじまなかったらしく、自分が選ばれなかった事にホッとしていた。
「あと、プラグ周りも変わるわ…えっと」
そこでリツコは時計を見た。
「あら…もう現地へ向かう時間ね。後は向こうで説明するわ」
「はい!」
NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"
EPISODE:10 DEEP LED
相模・松本自動車道 御殿場IC付近
民間車両のほとんど走っていない道路上を、護衛の装輪装甲車や攻撃ヘリに守られたNERVのコンボイが征く。その数三十両以上。その中の一台、移動前線司令部車の中でチルドレンたちとリツコは沿道の風景に目をやっていた。エヴァはいったん厚木に送られ、専用輸送機「ブラック・マンタ」で現地へ空輸される予定だ。
「ほとんど車が通らないですね」
レイが言うと、リツコが頷いた。
「ええ…さすがA−17だわ」
「A−17?」
「ああ、それはね…」
耳慣れない言葉に首をかしげたレイに、カヲルが説明をはじめた。要約するとこうだ。
コードA−17。国連指揮下の軍事組織が行う作戦には重要度に応じて上はAから下はEまでのコード分類があり、それぞれがさらに作戦の種類で1から5の数字がつけられる。
そして、最後に緊急度に応じて低い順に0〜7までの数字がつく。A−17の場合は最重要度攻勢作戦の緊急度7となる。作戦コードの中で最も重大な事態の場合に発令されるコードなのだ。
このコードが発令されると、国連参加各国は国連の行動に無条件かつ最大限の支援を行う事が義務づけられ、国民の行動も著しく制限される。過去に発令されたのは、国連がまさに存亡の危機を迎えたあの一週間戦争における国連軍の反撃時ぐらいのものだ。
過去NERVの対使徒作戦で一番重大だったのがヤシマ作戦のA−25(最重要度防御作戦の緊急度5)である事を考えると、それだけに、今回の作戦には絶対失敗が許されない。
また、A−17の17には足して8、8日間発令されると世界経済が崩壊してしまう、と言うくらい影響力があるとも言われていた。
カヲルの説明にレイだけでなくほかのスタッフも暗くなり、車のいない道路に自分たちの背負ってしまったものの重さを改めて感じつつ、一同を乗せた司令部車は一路北へ向かっていた。
浅間山 火口
コンボイが運び込んだ膨大な資材を使い、わずか一日にして火口の周りに作戦遂行のための準備が整えられた。火口壁から火口中心部まで耐熱素材の巨大な橋が建設され、その上にエヴァを吊り下げるための超大型クレーン車が陣取った。
また、万一にでも噴火の危険があれば直ちに待避できるように、山全体に数千個の地震計や地熱計、各種センサーが散布され、噴火の兆候を見逃さない体制が取られる。
「ふう…熱そうだね。地獄の釜と言うのは、きっとこういうのに違いないよ…」
火口のふちにいくつか作られた耐熱コンクリートの待避壕から百メートルほど下の溶岩湖の湖面を見下ろし、カヲルは唸った。橋の上では、初号機の準備が進んでいる。
レイはD型専用プラグスーツを着込んでいた。胸の部分にふたつ、バルブのようなものがある以外は一見、デザインに変更はない。
「赤木博士、これっていつもとどこが違うんですか?」
レイが尋ねると、リツコは丸い物体をレイに手渡した。ヘルメットだ。
「D型プラグとスーツには、ノーマルとかなり違う所があるわ。まず、そのヘルメットをかぶって、プラグに入ったら二本のホースがあるから、それとそのスーツの胸にあるバルブを繋ぎなさい」
レイは言う通りにして、プラグに入ると床から伸びるホースとスーツを繋いだ。
「これで良いんですか?」
『OKよ。じゃ、注水開始』
「へ?」
レイが聞き返そうとした時、ホースから勢い良くLCLが吹き出した。たちまちヘルメットの中にまでLCLが満ちてくる。
「きゃっ!?な、何これ!!」
驚くレイを、リツコが落ち着くようになだめる。
『いい、レイ。D型は本来対核戦用だから、断熱能力はF型に負けるわ。溶岩の中に入ると、プラグの中でも百度以上まで温度が上がる可能性があるの』
「じ、じゃあどうするんですか?」
そんなの聞いてない、とばかりにレイが言う。
『まあ聞きなさい。それで、スーツの中だけLCLを満たして、それを冷却して循環させる事であなただけは熱から守るの。プラグにはLCLの代わりに断熱液を入れるわ』
ちなみに、本来の対核戦用D型装備では、放射線吸収材である重水をプラグに入れる。
『それなら、スーツの中は30度か、上がっても40度までには抑えられるはず。のぼせるかもしれないけどね…』
「はあ…」
良く分からないながらも、茹で死ぬ心配はないとわかり一安心のレイ。そのそばから、プラグ内に断熱液が注水される。
『さて…準備は良い?』
通信相手がリツコから、合流し、指揮権を委ねられたミサトに変わった。
「あ、はい」
電源が接続され、正面メインディスプレイに外部の光景が映し出された。さらに、左右のサブディスプレイにそれぞれの乗機で待機するシンジとカヲルが映し出される。
「綾波君…気を付けて」
カヲルが言う。
「綾波さん…気を付けてね」
シンジが言い、ぎこちない笑みを見せた。それを見て、レイは緊張が解けるのを感じた。
「うんっ!じゃあ、行ってくるね!」
『降下開始』
ミサトの号令と共に、3本のケーブルと、正副二本づつに予備、計5本の冷却液循環パイプ、耐熱カバーを掛けたアンビリカル・ケーブルと様々な接続ラインのためにまるで不格好な操り人形のような姿になった初号機はマグマの海へ降下していった。
「あ、そうだ…ジャイアント・ストロング・エントリー…なんちゃって」
レイが修学旅行で一番楽しみにしていたスキューバ・ダイビング。そのために買った入門書の一節を思い出し、そのポーズで初号機は火口への潜航を開始した。
火口内部
溶岩の中って、意外に静かなんだ、とレイは思った。順調に潜航していく初号機は既に深度1000メートルに達している。今の所、ディスプレイに怪しいものは見当たらない。
「こちら初号機。現在深度1038メートル。外部温度1547度。初号機体表温度238度。プラグ内温度76度。LCL温度32度」
『了解。何か見えるものはない?』
留守番で本部に残る青葉、日向に代わって一人でオペレーティングを担当するマヤが尋ねる。ちなみに、見えるかと言っても、溶岩内では光学的な観測手段は何も使えない。主に音波で周囲を走査するソナーを使用し、その情報を映像処理してディスプレイに映しているのだ。
「今の所ありません。良い湯加減で眠くなりそうです」
通信機の向こうでスタッフが大笑いする声が聞こえた。
『クスクス…その調子よ。がんばってね』
「はい」
通信の間に、深度は1300メートルに達していた。観測結果が正しければ、そろそろ何か見えてきても良いはずだが…そう思った時、ディスプレイの端に何かが映り、レイはそれを注視した。
「…!こちら初号機!深度1382メートルで使徒発見!目標の深度は1540メートル前後です。降下速度を落として、少し右へ振ってください」
『了解』
一気に現場に緊張感がみなぎり、レイはマグマの対流で少しづつ揺れ動く使徒に向かって慎重に指示を出していく。
「もう少し右…今度は左…ええ、そのまま降ろして…ストップ!」
今や、初号機と使徒は十数メートルの距離にまで接近していた。レイは捕獲用の電磁キャッチャーの枠を使徒にかぶせ、スイッチを入れる。溶岩の中を視線が通るとしたら、白いスクリーンのようなものに捕らわれた使徒の姿を確認できただろう。
「こちら初号機、使徒を捕獲しました!」
『了解!これからケーブルの巻き上げにかかります』
がくん、と言う衝撃と共に、初号機はゆっくりと地上へ向けて上昇し始めた。
異常が起きたのは、深度600メートル付近だった。ぬるま湯状態のLCLの心地よさにうたた寝してしまっていたレイは、突然の衝撃に一瞬で目を覚ました。
「えっ…きゃあっ!?」
『こちら司令部。どうしたの、レイちゃん』
「使徒が…使徒が動いています!」
ディスプレイの中で、胎児のような姿で丸まっていた使徒が、急激に成長し古代魚を思わせる異様な姿へ変貌していく。
『しまったわ…!圧力と温度が下がったせいで休眠状態から解けたのね!これは予想外だったわ…』
リツコが叫んだ。既に使徒はキャッチャーに納まりきらないほどの大きさに成長しようとしている。
『作戦目標を変更、使徒殲滅を優先します!初号機はキャッチャーを破棄、零号機、弐号機は戦闘準備!ケーブル巻き上げ速度上げて!』
ミサトが瞬時に判断を下し、レイは爆発ボルトの起爆スイッチを入れた。キャッチャーと初号機の接合部分が吹き飛んで外れ、ゆっくりと沈降していく。それが内側からはじけ、使徒はマグマの海に泳ぎ出た。ビジュアルソナーの画面上を、古代魚と三葉虫を足して二で割ったような異様な影がゆっくりと移動していく。
その隙に、レイはDスーツの足に装備されたプログ・ナイフを抜いた。同時に使徒が向かってくる。高温高圧のマグマの海の中、そいつは信じられない事に口を開けた。
「このっ!」
レイはナイフを振るった。が、ねっとりしたマグマの抵抗、関節の自由が少ないDスーツの構造、体を固定する無数のラインが邪魔をして普段のような速い斬り込みが出来ない。ナイフは使徒の体表に弾かれ、それどころか高熱・高圧で劣化した刃はぼろぼろに砕けた。逆に触手のようなひれの一撃がレイを襲う。
「熱っ!!」
衝撃と共に脇腹に火箸を押し付けられたような熱さと激痛が走り、レイは苦悶に身を捩った。
『綾波君!?』
『綾波さんっ!?』
『レイちゃん!?』
「くうっ…大丈夫です…!」
今の一撃でスーツに小さな亀裂ができ、飛び込んだマグマのしぶきがエヴァの脇腹に当たったのだ。幸い、スーツを満たす冷却材が亀裂から侵入したマグマを固め、そこを塞ぐ。が、外から伝わる熱で冷却材が沸騰し、泡が立ち上っていく。
(…あれ?)
冷却材がマグマを固め、スーツに出来たへこみが、冷却材の沸騰で中からの圧力が高まったために元に戻るのを見て、レイは何かを連想した。
(…単純なものさ…ものは暖めれば膨らみ、冷やせば縮む。わかりやすいだろ?)
「「そうかっ!」」
どうやらカヲルも同じ結論に達したらしく、同時に叫ぶ。
「きのうのあれ!」
思い出したレイはシンジに呼びかけた。
「シンジ君!ナイフ貸して!今すぐに!」
『ナイフだね。わかった』
その場にいただけにシンジも二人の思い付きを察したらしく、プログ・ナイフを鞘ごと取り出すと眼下のマグマの海へ投げ込んだ。大人は呆然とするばかりだったが、次のレイの言葉でリツコ、ついでマヤが悟った。
「冷却材のパイプ、三番以外閉鎖してください!」
「わかったわ!マヤ、全冷却材を三番に集中!」
「もうやってます!」
ミサトも、シンジのナイフを受け取ったレイが三番のパイプを切断し、先端にナイフを突き刺すのを見て、子供たちのやろうとしている事がわかった。
「そっか、熱膨張ね!」
その時には、レイはパイプを握って冷却材が噴出しないようにすると、方向転換して再度襲撃してこようとする使徒に正対していた。再び口を開く使徒。今度こそ食いつこうとしている。
「えいっ!」
タイミングを図り、レイは使徒の口にパイプを突っ込んだ。ナイフが口内に引っかかり、冷却材が噴出する。それは瞬時に沸騰して数千倍の体積へ膨れ上がり、使徒の体を内側から吹き飛ばした。
「やったあっ!!」
ビジュアルソナーの中で、使徒が腹から破裂して飛び散るのを見て、レイは歓声を上げた。破片はもはやマグマのエネルギーに耐えず、崩壊していく。
「…えっ!?」
レイの笑顔は瞬時に消えた。使徒の頭部が執念の為せる技か、接続ラインに食いついたのだ。頭部が分解する直前、残る冷却パイプ、アンビリカルケーブル、そして何より大事な耐熱ケーブルの二本までが食いちぎられた。最後の一本も、裂け目が入っている。
「そ、そんな…」
ケーブルが徐々に裂けていく。
「ここまでやったのに…こんな事でおしまいなの…?」
現在深度は350メートル。冷却材が切れ、電源が内部だけになった今、火口まで泳ぎきる事は不可能だった。
「もう、ダメなのね…」
ケーブルが千切れ、一瞬沈降する感覚があり…レイが目をつむった瞬間、沈降は止まり、上昇感がそれに取って代わった。
「えっ!?」
驚いてレイが目を開けると、そこには弐号機の姿があった。ビジュアルソナーの映像ではなく、Dスーツの耐熱・耐圧スコープの向こうに見える、本物の弐号機。
「…ATフィールド!」
『そうだよ、綾波君』
映像が回復し、カヲルの顔が映し出された。
「な、渚君…」
今や、初号機はATフィールドでマグマを押しのける弐号機の小脇に抱きかかえられる格好になっていた。
「助けに来てくれたの?」
『フフフ…ボクは借りたものは返す主義なんだ。君には色々と借りがあったからね…これでおあいこさ』
そのカヲル節の言い回しに、レイは思わず泣き笑いの表情になった。
「ばか…でも、ちょっとかっこいいよ…」
『ふふ、では、参りましょうか、姫』
かくして、初号機は灼熱のマグマの海から生還した。
夕刻 浅間温泉のとある一軒宿
「ふううう…あ〜、極楽、極楽…」
年寄りくさい台詞を吐いて、露天風呂の中で思いっきり手足を伸ばしたのは、作戦終了後の汗を流しに来たレイだった。作戦終了の後、報告会の席上でゲンドウはその場でチルドレンたちに特別休暇を与える事を提案し、冬月も即座にそれを承認したのだ。
『せっかくの修学旅行をつぶして悪かったな。思いっきり楽しんできなさい』
冬月はにこやかに笑い、作戦参加要員全員に特別休暇3日をその場で与えて通話を打ち切った。
「うふふ、冬月のおじ様と副司令さんには感謝しなきゃ…」
さっきまで潜っていた浅間山を見上げて呟くレイ。その顔がにへら〜っと緩んでいる。
「何独り言を言っているの?」
「きゃっ!?がばっ!?ぐぼぐぼぐぼ…ぶはっ!?」
突然の呼びかけに驚き、思わずバランスを崩して風呂の中で溺れそうになるレイ。何とか体勢を立て直してみると、声の主はミサトだった。リツコとマヤも来ている。
「…何してるの?」
「…ブザマね」
「大丈夫、レイちゃん?」
一見マヤだけが心配しているようだが、実は三人ともくすくす笑っていた。
「ひ、ひどいです…びっくりしたじゃないですか」
「ふふ、ごめんね」
いつになくやわらかな態度で笑うミサト。温泉と言う事でかなりリラックスしているらしい。
そして、数分後。
「じゃあ、勝利と、特別休暇を祝して…乾杯!」
「かんぱーい!」
四人はミサトが持ってきたビール、お酒、ジュースを桶に入れて浮かべ、温泉伝統の宴会体勢に突入しようとしていた。
「ふうう〜っ!こういうところで呑むお酒は格別ね!」
「そうね…美味しいわ」
普段冷静なミサトの豪快な飲みっぷりに、プライベートの彼女を知らないレイとマヤはちょっと驚いていた。
「先輩…葛城一尉は私生活ではいつも…?」
「学生時代はそうだったわね」
技術部の二人はひそひそと話している。
「レイ、今日は本当にご苦労様。一時はどうなるかと思ったけどね」
少し酒が回って暑くなったのか、湯船に浮かぶ岩に腰かけて言うミサト。傷どころか染み一つない肢体を、惜しげもなくさらしている。
「あ、はい。ありがとうございます」
答えながらも、レイはミサトの豊かなバストに目をやり、次いで自分のそれを見て溜息を付いた。
(…いいなあ。そう言えば、赤木博士も…)
と思いながら、リツコのミサトほどではないにしろ、大人の女性にふさわしいそこに視線を移し、次いでマヤに…
(………)
「?」
自分を見て暗くなったと思いきや、なぜか安心したような表情を浮かべたレイを不思議そうに見つめるミサト。それに気づいたレイは、慌てて言葉を続ける。
「…あっ!で、でも、やっぱり渚君があそこで助けてくれなかったら、今ごろは…」
「そうね…いきなり溶岩湖に飛び込んだ時は驚いたけど…ああいういざと言う時の行動力はやっぱり男の子よね」
言うなり、ミサトは手にしていたビール瓶を背後に投げつけた。瓶が柵を越えた次の瞬間、「ごぎん」と言う音と、何か重いものが地面に落下する音、そして盛大な水柱が続けざまに上がった。
「…ミサト、瓶の投げ捨ては感心しないわよ」
「いいのよ。行動力も時と場所による、って事が分かれば」
一体何が起きたのかわからないレイとマヤは、お互いに顔を見合わせ首を傾げた。
一方、柵の向こうでは何故か頭にたんこぶ、体中に擦り傷を付けたカヲルが湯船に浮いていた。
「…一応止めたよ…僕は…」
一緒に入浴していたシンジがぽつりと言い、カヲルは
「せ、先達の言葉は大切だね…重視に値するよ…」
と言い残し、沈黙したのであった。
次回予告
一度は力を失った反NERV派。だが、彼らは決して滅びたわけではなかった。その策謀によりすべての電源が止められ、動きを止める第三新東京市。近代設備が何もかも使えないNERVに使徒が迫る。
次回、第拾壱話「静止した闇の中で」
あとがき
今回は読者サービスの回です。特にラストの方(笑)。カヲルファンとマヤファンの皆さん、すみません。
今回作中の「D型装備」は原作とかなり違いますが、原作を見ているときに「顔面守られてないじゃん」と言うしょうもない突っ込みから本作品のD型装備は生まれました。今後も輸送船が沈んだために怪しげな装備品が増えるかもしれません(爆)。
あと、カヲルがシンジのことを「先達」と呼んでいます。先達は「その道の先輩」と言うような意味ですが、別にシンジがミサトの入浴を覗いていたとか、そう言う意味ではありません。
カヲルが帰国子女であるが故の単なる言い間違いだと思ってください。
なんか言い訳ばかりですが、また次回でお会いしましょう。
2000年8月某日 さたびー拝
さたびーさんへの感想はこちら
Anneのコメント。
>「陽電子狙撃銃の銃身の熱膨張に関するちょっとした問題点を考えていたんだ…これを解決できたら、もっと命中率が向上するはずだから」
>「六分儀君、ここの変数は少し変えたほうが良いんじゃないかな。例えば…」
やあ、シンジもカヲルも頭が良いようですね。
でも、反対にレイはやっぱりダメなんでしょうか?(笑)
>「綾波君も、胸を暖めてみたらどうかな。膨張して少しはサイズが大きくなるかも…ね」
カヲル・・・。ナンパですね(爆)
>「ええ…さすがA−17だわ」
>「A−17?」
>「ああ、それはね…」
この以下に書いてあるA−17の説明、さたびーさんの想像的解釈なんでしょうけど・・・。
凄く説得力がある説明だと思いません?
読んでいて「なるほど」と思ってしまいますもの。
何気ない説明ですが、やはり小説と言うのはこうだよなと思い知らされました。
特にエヴァの場合はその時だけ出てきて、全く説明のない単語が多すぎますから尚更ですよね。
>一方、柵の向こうでは何故か頭にたんこぶ、体中に擦り傷を付けたカヲルが湯船に浮いていた。
>「…一応止めたよ…僕は…」
>一緒に入浴していたシンジがぽつりと言い、カヲルは
>「せ、先達の言葉は大切だね…重視に値するよ…」
>と言い残し、沈黙したのであった。
カヲル・・・。やっぱり、ナンパですね(爆)
でも、2人の位置的原作キャラのレイとアスカの様に仲違いしていないのは読んでいて安心できます。
それとも、これからレイを巡って仲違いしてゆくのでしょうか?(^^;)
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