NERV本部 司令公室

 司令公室と言うとさぞかし広くて快適な、そして清潔な部屋を連想するかもしれない。 しかし、NERVの司令公室にそれは当てはまらない。部屋の主である冬月コウゾウの実際的な性格を反映し、こじんまりとまとめられている。15畳ほどの広さのある公室には冬月の執務机と応接用のソファガ置かれ、壁は一面生物学を中心とした冬月の蔵書を収めた本棚で覆われている。そのうちの数冊は冬月自身の著書だ。
「で、対外宣伝工作の首尾はどうかね」
 冬月はソファに腰を下ろし、目の前の人物に言った。
「こちらに資料を用意してます」
 その人物――加持は答えた。
「連中が情報公開法をタテに迫っていた書類ですが…ダミーを混ぜてあしらっておきました」
 そう言うと、加持は応接テーブルの上にその書類を投げ出した。『使徒と呼称される物体 及び 人類補完計画(仮称)に関する第一次中間報告書』とタイトルが付けられた、国語辞典ほどもある分厚い書類だ。
「ま、ダミーに気が付いても、洗い出すだけで半年、残った部分を読んで、自分たちが我々にコケにされた事に気がつくまで半年、ってとこでしょうな。それまでにこちらのシナリオは完遂済みという訳で」
 書類をぱらぱらとめくった冬月は、満足げな笑みを浮かべて書類をゴミ箱に放りこんだ。
「さすがだな。こちらはこれで済んだだろう。で、例の件に関する工作の方だが」
 冬月はフォルダから写真付きの書類を取り出した。
「ああ、これですか。既に手は打ってあります」
「そうか。では、シナリオ通りに。――おっと、もうこんな時間か」
 冬月は腕時計を見て言った。
「例の会議ですか?」
 加持が尋ねると、冬月は不満げな表情で答えた。
「ああ、全く…地球の裏側で会議を開くとはな。済まんが、レイの針路相談の方はよろしく頼むよ」
 人類の存亡を背負う組織の長から、孫を思いやる祖父の顔に戻って冬月は言った。
「ええ、お任せ下さい」

新世紀エヴァンゲリオン REPLACE

第七話 「人の造りしもの」


冬月邸 朝

 レイの寝起きは悪い。
「おふぁようございまぁ…ふ…」
 完全な低血圧体質の彼女は、その日もぼさぼさの髪の毛に大あくびをしながら居間に入ってきた。第壱中においてマナ、ヒカリと人気を三分する美少女と呼ばれるレイだが、彼女に好意を抱く男子達も、今の姿を見れば百年の恋も醒めるだろう。
 しかし、ここでそんなレイの姿を見ているのは加持だけであり、彼は苦笑しただけだった。
「やあ、おはよう。レイちゃん。朝食できてるよ」
 そう言いながら加持は焼いたトーストを彼女の席の前に並べ、紅茶を入れてやる。ちなみに加持はコーヒー党で、冬月は日本茶派だ。
「は〜い…」
 気の抜けた声で返事をし、レイは食卓についた。さすがにお腹にものが入ってくると目も覚めてくる。
「今日、学校に来るんですか?」
 紅茶に牛乳を入れてかき混ぜながらレイが尋ねた。今日は二年生の針路相談で、父兄も交えた3者面談が開かれる。
「ああ、本当は司令が行きたがったんだが、海外支部視察ではね」
 加持は答えた。NERVは本部こそ日本にあるが、海外5支部のうち4つ(英・独・仏・露)は欧州に集中しており、残り一つはアメリカにある。いきおい日本からでは目の届かない事も多い。
「おじ様、忙しいんですね…でも、加持さんは大丈夫なんですか?」
 レイが聞くと、加持は手を振って笑った。
「ま、それもお兄さん代わりの義務って奴さ。レイちゃんの将来と仕事なら、レイちゃんの方が大事に決まってる。それに…」
「それに?」
 レイが聞くと、加持はニヤリと笑った。
「俺は仕事をサボる口実は見逃さない主義なんだ」
 その答えに、思わずレイは爆笑した。

 楽しい朝食が終り、レイは着替えて髪をブラッシングしていた。おかっぱ頭の彼女の髪は、伸ばせば典型的な日本美女の条件に合致するストレートの黒髪だ。友人たちからは「伸ばさないの?」と聞かれているが、レイは笑って何も答えない。
 その時、やわらかな電子音が部屋に響き渡った。
「はい。ああ、わざわざありがとう。うん、ちょっと待っててくれ」
 インターホンで応対した加持がにこやかに笑いながら受話器を置く。
「レイちゃん、洞木さんと霧島さんだよ」
「え?あっ、ちょっと待ってて」
 そう言うと、梳きかけの髪を放り出してレイがぱたぱたと玄関へ向かう。
「おいおい、レイちゃん。いくら友達の前でももうちょっと身だしなみに気を使ったほうが良いんじゃないか?」
 加持が呆れたように言うと、レイはぷうっと膨れた。
「ふぅんだ。加持さんこそ、もう少し服装に気を使った方が良いですよ」
 加持は苦笑した。彼の普段の服装は、よれよれのワイシャツにNERV士官用のスラックス、靴は正式には革靴なのだが、スニーカーを愛用、とNERVの定める服務規定の完全な違反であった。
 これが、後ろで縛った髪と不精ひげと言う彼の容貌と合わさると「ワイルドな大人の男」と言う雰囲気をかもし出すのだから、加持なりのコーディネイトの妙と言うものなのかもしれない。
 やがて玄関の方から3人の少女達がお喋りに興じる声が聞こえ始めた。
「ちょっと待っててね、まだ髪梳いてる最中だったから」
 そう言ってレイが洗面所に戻り、マナとヒカリが家の中に入ってきた。
「お邪魔します」
「お邪魔しまぁす」
 丁寧に頭を下げるヒカリと、戦自風敬礼をしながら元気良く挨拶するマナ。
「やあ、いらっしゃい」
 加持は微笑んで二人に手を挙げた。そうしているうちに、髪の手入れを終えて鞄を持ったレイがやってきた。
「行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
 家を出て行こうとしたレイだが、ある事に気がついて加持に向かって振りかえる。
「加持さん…ちゃんとしたカッコで来てくださいね。そのままだと、ちょっと…」
 よれよれのシャツに目を止めて、レイがちょっと顔をしかめる。
「…善処しよう」
「きっとですよ?じゃ、行ってきます」
 ドアが閉まり、3人は賑やかに話しながら学校へ向かって行った。こうして見ると、普通の少女達と何の変わりもない。
「うん、良い傾向だ」
 満足げに呟き、加持は自室に向かった。
 久し振りに、制服の上着を出さなくてはならない。

市立第壱中

 本来なら午後の授業が行われる時間帯だったが、教室は閑散としていた。針路相談の為午後の授業はキャンセルされ、その日面談が行われる生徒だけが残っていたからである。
 順番は五十音順なので、あ行のレイとか行のマナは1日目に順番が来る。ヒカリ、シンジはかなり後の方だった。とは言え、ヒカリも友人二人に付き合って教室の片隅でお喋りをしている。
 その時、軽快なエンジン音が響き渡った。
「あ、加持さんだ」
 加持の乗るフィアット500のエンジン音を聞き分けてレイが言うと、マナとヒカリは窓際に寄った。
「…あ」
レイが思わずため息をつく。フィアットから降りた加持は、簡単なジャケットを羽織っただけのラフな恰好だった。実は制服をクリーニングに出したままだったと言う事を忘れていたのだ。
 しかし、マナはお構い無しだった。
「加持さぁ〜ん♪」
 彼女の能天気な声が聞こえたのか、加持は教室の方を向くとにやっと笑ってVサインを送った。
「あれほどちゃんとした恰好で来てね、って言ったのに…」
 レイが言うと、マナは反論した。
「なんで?あれがかっこいいんじゃない。ほんと、加持さんってお・と・な・の男性、って感じよねぇ〜。ヒカリもそう思わない?」
 いきなり話を振られてヒカリが混乱する。
「え?えっ…その…私は」
 そのリアクションを見たマナは、やれやれと言う感じで肩をすくめた。
「はあぁ。なんだかな〜。二人とも子供なんだから」
「ああ〜っ、何よそれぇ!」
「きゃっ!?ちょ、ちょっと二人ともぉ!」
 馬鹿にされた、と見たレイとヒカリがマナに襲いかかった。抑え付けて、「そう言う事言うのはこの口ぃ?」と言いながらマナのほっぺたを引っ張ったり、頭をぐりぐりしたりする。もちろん本気ではない。
 おかげで、呼び出しアナウンスに気が付かなかったレイは先生にこっぴどく叱られた。

放課後 NERV本部、第一実験場

 学校の後、レイは日課である起動実験のためNERV本部を訪れていた。今日は緊急時を想定し、プラグスーツ無しでシンクロを行っている。Tシャツにショートパンツと言う服装のレイは、コクピットシートに座り、軽く操縦桿に手を添えていた。
(ここに乗るのも慣れちゃったな…)
 最初の頃は制御室からの指示に答えるのに精一杯だったレイも、今ではマニュアルを頭に叩き込み、応答しながら別の事を考える事ができるまでになっていた。
(わたしとシンジ君しか乗れないもの…血の匂いがするLCL…どうしてこんなに落ちつくのかしら)
 一瞬ある感想が浮かび、まさかそんな事はないだろうとレイは頭を振った。落ちつけるようになったのは、慣れによるものだと考え直す。もっとも、最初に彼女が思い浮かべた事を知れば、驚く人間もいたかもしれない。それは、こう言うものだった。
(お母さんに抱かれるって、こんな感じかもしれない…)

 実験終了後、レイと実験スタッフ達はリフトで上層階へ向かっていた。スタッフ達は今回の実験結果の分析と、今後の見通しについて話し合う事に余念がない。
「初号機の追加装甲板の見通しはどうかね」
 ゲンドウが尋ねると、日向が書類をめくって答える。
「予算は通りました。が、2セット分だけですね。前回のような使徒が来れば3セット、余裕を持つなら5セットは欲しい所ですが…」
「ドイツから弐号機が来ればちょっとは楽になるでしょうか?」
 言ったのはマヤだ。
「どうかな。地上の使徒の撤去もうちで予算を持っているし…あんまり変わらないんじゃないかな」
 と青葉が答える。
「『委員会』は相変わらず支出には渋いですからね。司令も苦労されているんじゃないでしょうか」
 ミサトが言った。訪欧中の冬月のスケジュールには、「委員会」との予算をめぐる直接折衝も含まれている。
「仕方あるまい。人はエヴァのみで生くるにあらず、だ」
 ゲンドウが表情は変わらないものの、内心ミサトと同感だと言いたげな苦々しい口調でそう言ったとき、リフトは目的地についた。
「では、解散だ。それぞれの部署は今日の1800時までにレポートを私宛に提出してくれ。綾波君は帰って良し」
「了解!」
「はい」

同時刻 大西洋上空五万メートル
 
 その頃、冬月はドイツ支部での折衝と視察を終え、アメリカ支部のあるカリフォルニアへ向かうSSTO「オービタル・ダンサー」の機内にいた。
 SSTO(Single Stage To Orbit――単独軌道往還機)はスペースシャトルに代わる新世代宇宙往還機で、その名の通り補助ロケットなどを使わず、自力で滑走路から普通の飛行機のように離陸。マッハ20を超える超高速で宇宙まで駆けあがる。
 こうした高性能で、しかも高価な宇宙機を開発、運用することには批判も多かった。しかし、国連は断固として宇宙開発の再開を推し進めた。
 何しろ、前世紀末は気象観測、通信、偵察、資源探査などあらゆる場面で人工衛星が活用されていた時代である。セカンドインパクトの結果、地球の地軸が傾斜し、その影響で人工衛星の大半が軌道を外れ利用不能になったが、その多くは適正な軌道に再配置する事で再利用が可能であった。
 地上のインフラが破壊され、その再建が容易に行えないこの時代、置き直すだけで機能が元通りになる人工衛星の魅力は、何者にも換え難いものがあったのだ。
 今冬月が乗っている「オービタル・ダンサー」はSSTOの中で最も初期に開発された機体で、エヴァ流に言えば零号機である。実用型開発の為の運用試験を行った後、国連のVIPが移動する為の超高速旅客機に改造されていた。
「ここ、よろしいですか」
 新聞を読んでいた冬月に、一人の男が声をかけた。NERV中国連絡部の代表で、たしか帆とか言う名前だったな、と冬月は思い出した。
「構いませんよ」
 冬月は答えた。帆は「謝謝」と礼を言い、冬月の隣席に腰掛けた。
「サンプル回収の修正予算、意外にすんなりと通りましたな」
 帆はそう言うとポケットサイズのウィスキーの瓶を取り出して口をつけた。
「自分たちが生き残る為の予算ですからな。文句は言わせませんよ」
 冬月は新聞から目を離さずに答えた。数時間前、冬月はドイツ支部で「委員会」のメンバーと予算折衝を持った。冬月は丁寧な口調で予算の必要性を訴え、それを勝ち取った。
 会議が終った時、涼しい顔をしていたのは冬月と、オブザーバーとして出席した帆を初めとする支部非所在国の代表だけで、「委員会」のメンバーは怒りで真っ青な顔になっていた。帆の見るところ、冬月の意見は「委員会」の吝嗇ぶりに対する完全な罵倒だった。
「まあ、本当に必要な予算はいくらでも出させるべきですからね」
 帆は笑った。
「もう一つ、ニュースがあります。現在までに起工された4機以降のエヴァシリーズに建造予算が降りました」
 そのニュースに、冬月の表情がぴくりと動く。
「確かかね?」
「ええ、アメリカは最後まで抵抗したんですが。あそこも食って行かなきゃ行けませんからね。まして国の4分の3が凍土と化した後では」
「ふむ…」
 冬月はわずかに顔をしかめた。アメリカ支部についたら、事情を聞かねばならんな、と考える。
 アメリカはセカンドインパクトの際に北半球で最大級の打撃を受けた国の一つだった。
 セカンドインパクトによって地球の地軸は傾斜し、極点は移動した。新しい北極はそれまでの経緯度で言えば西経89度、北緯41度に転移し――そこにはシカゴという街があった。
 セカンドインパクトの翌日から北米大陸では気温が急激に低下し、3日後には実に60度近くも気温が下がった。この為に二千万人以上が凍死し、北米中西部から南部にかけての穀倉地帯は全滅。この影響でほぼ同数が餓死した。
 その結果アメリカは大国の位置から滑り落ち、セカンドインパクト後に温暖化した日本やヨーロッパ諸国が世界で主導的な位置を占めることになる。今やロッキー以西しか人の住めないアメリカが、食う為にはなりふり構わない行動を取るのも仕方の無い事ではあった。
「で、君の国はどうなのかね」
 冬月は帆に尋ねた。
「我が国は、八号機から資本参加することになっています」
 帆は答えた。中国は壊滅した北米に代わって食料・工業製品の産地としての地位が急上昇した。技術面ではともかく、資本参加に障害が無いくらいの金は十分に持っていた。
(…今からエヴァシリーズを量産した所で、シナリオに間に合わぬ事は老人達も知っているはず。となると、やはりその矛先は…ふむ、ちと怒らせすぎたかな)
 冬月は心の中で唸った。そんな内心も知らぬげに、帆は言った。
「エヴァシリーズが揃えば、使徒とやらがいくら攻めてきても安心できるというものですな…どうです、一口」
「…頂こう」
 帆から受け取ったウィスキーを冬月はあおった。産地の気候変動で、今や前世紀の数十倍に値段が高騰している酒だが、嫌な話を聞いたせいかうまみが感じられなかった。

翌日朝 冬月邸

「おふぁよう…ございま…ふ…ん?」
 相変わらず大あくびをしながら起きてきたレイは、いつもこの時間は起きているはずの加持がいない事に気が付き、首を傾げた。
「まだ寝てるのかな…ん、そんな事無いか」
 テーブルの上に朝食の用意がしてあるのを見て、レイは自分の考えを打ち消す。トイレかなと思ったとき、背後の加持の部屋の方でドアの開く音がした。
「あ、おはようございます、加持さ…」
 振りかえりながら挨拶をしたレイは、その途中で大口を開けたまま固まった。
「か、加持さん、その恰好…」
「ん?どうだい、似合うかい?」
 加持が身に付けていたのは、儀典用礼服として定められている、濃紺のNERV上級士官第一種制服だった。詰襟を上まできっちりと締め、制帽を小脇に抱えている。トレードマークの不精ひげも今日は綺麗にそり落とし、髪をオールバックにしてまさに颯爽たる青年士官というイメージに大変身していた。
「今日は旧東京に出張の仕事でね。帰りは遅いか、明日になるかもしれないから、夕食は適当にとってくれ」
 加持の言葉に、レイはこくこくと頷く。
「じゃあ、行ってくる」
 そう言うと加持は制帽を被り、部屋を出ていった。残されたレイはその後姿をじーっと見つめていた。
「かっこいい…」
 彼女のトリップは、マナとヒカリが迎えに来るまで続いた。お蔭でレイは学校に大遅刻してしまい、二日続けて先生の大目玉を食らった。

関東湾上空

 ゲンドウと、彼の護衛として同行する加持を乗せた「ストームバード」は一路旧東京の放置区域にある目的地を目指していた。眼下には旧東京湾と旧相模湾が海面上昇によって繋がり、さらに関東平野の遥か北方へ押し寄せた海、関東湾が広がっている。所々に顔を覗かせているのは、水没しきらなかったビルの名残だろうか。
「で、その計画に戦自はどれくらい関わっているのかね」
 ゲンドウが眼下の海面を見つめながら尋ねた。
「巧妙に偽装されていましたが、ダミー企業やペーパーカンパニーを通じてかなりの資金を供与しています」
 加持は答えた。
「ふむ…道理で好き勝手にやっているようだな」
 ゲンドウが見下ろす水平線の彼方に、今日の出張先――海岸線に沿って建てられた巨大な施設と、廃墟の広がる荒野が見えてきていた。
第二十八放置区域。水没を免れ、関東湾に突き出す半島となっている旧狭山丘陵周辺に広がるこの地区は、セカンドインパクト時に押し寄せた津波が東京湾岸に建てられていた重化学工業施設を破壊し、その残骸を打ち上げた場所である。大量の化学物質によって土壌が汚染され、再開発は完全に断念されていた。こうした放置区域は日本全国で百数十箇所存在する。
 が、今眼下に見える第二十八放置区域には、巨大なドーム状の施設とそれを取り巻くヘリポート、巨大な格納庫が建てられていた。日重共――日本重化学工業共同体が建設した実験場である。重化学工業の残骸が死に追いやった土地に、また再びそうした産業の施設を建設するのは、どうにも「寒い」光景だな、と加持は思った。
 その実験場へ向け、「ストームバード」――これも日重共の製品だ――はゆっくりと降下して行った。

日重共実験施設 大ホール

 パーティーに出るのも地位が上の人間の仕事のうちだ――とは良く言われるけどな…
 加持はそう心の中で呟きつつ、日重共社長の退屈きわまる祝辞を聞いていた。パーティーには各界から錚々たるメンバーが集まっていた。現与党の幹事長、戦自の東部方面総監、傘下企業の重役・・・etc、etc・・・その中で国連関係の出席者はゲンドウと加持の二人だけだった。
 日重共は2005年、セカンドインパクトと1週間戦争によって施設の大半を失った重化学分野の企業を救済する為、生き残った企業の大半を合併させ、国が資本を半分拠出する事で成立した、半官半民の企業体である。
 その成立の起源からして国策企業である事は明白であり、重役に前世紀より悪名高い「天下り」によって高級官僚や引退した政治家を迎えるなど、国との結びつきは強固だ。
 その日重共が完成にこぎつけ、今日めでたく披露パーティーを開く事になったのが、新世代単独人型兵器「JET ALONE」、通称JAだった。パンフレットには「従来の兵器では対抗し得ない未知の脅威の迎撃を目的に――」とある。名指しこそしていないが、対使徒戦を念頭に置いた兵器である事は明らかであり――それはすなわちエヴァ、ひいてはNERVに対する挑戦と同義語であった。
 ようやく、社長の挨拶が終った。次に壇上に上がったのは、30代半ばと思われる技術者風の男性だった。
「JA開発担当の時田シロウであります。早速ですが、JAの画期的な性能について、これよりプレゼンテーションを行いたいと思います」
 時田と名乗った男は既に出席者全員に配られていたパンフレットを取り出した。同時に、同じものが背後のスクリーンに投影される。そこから先は、時田の独壇場であった。
 曰く、JAは原子炉を搭載し、不細工な外部動力に頼らない完全な無補給兵器である(原子炉なんか積んで、安全性に問題は無いのか?)。
 曰く、JAは完全な無人兵器であり、運用者の意に反して制御を失う事は無い(機械に任せればOKだとでも?そりゃ認識が甘いな)。
 曰く、JAは極めて大火力の兵器を搭載しており、例え相手がアニメ的なバリアを張ろうが確実にそれを撃破しうる(良く調べちゃいるが勉強不足だな。ATフィールドはバリアとは違うんだよ)。
 こうした説明が延々と繰り返された。時田の説明はわかりやすく、またウィットもあって、会場が笑いの渦に巻き込まれる事もあった。が、NERVの二人にして見れば面白くも何とも無い。ちなみに、説明の後の括弧内は加持のツッコミである。ゲンドウは何を考えているのか、無言であった。
「では、最後に既にJAに先駆けて人型兵器を運用しているNERVの六分儀副司令に講評などを頂きたいかと存じますが…いかがですか?」
 時田は説明の後、そう言って不意にゲンドウに話を振ってきた。手際良くボーイがマイクを持ってくる。会場の視線がゲンドウに集中した。そこに決して好意的ではない視線も多く含まれている。が、ゲンドウはそれで動じるような男ではなかった。
「いや、実に素晴らしい内容でした。お話が『事実なら』我々としても実に『心強い限り』ですな。ただ…」
 ゲンドウは話の端々に皮肉の成分を含ませながら言った。
「最先端の科学と言えど、人の心なしには成立し得ない。それだけは忘れるべきではありません」
 そのゲンドウの言葉に、時田が嘲笑するような声で言う。
「ほほお、興味深いですね。人の心とやらであの化け物が抑えられるとでも?」
「ええ、もちろんです」
 N2兵器使用など、手段を選ばないやり口で任務を達成してきた国連非公開特務機関のトップクラスの人物が、「人の心」などと言うあまりにもイメージにそぐわない発言をした事で、会場のあちこちから失笑が漏れる。その中にはあからさまな嘲笑と、ささやかな罵声が混じっていた。

控え室

 パーティーは終り、午後からのJA公開試運転に向け、準備が始まっていた。招待客はそれぞれの控え室に散り、休憩を取っていた。もちろんゲンドウと加持もそうしていたが、二人に割り当てられた部屋は、ロッカールームだった。これだけでも、日重共とその背後に控える戦自が、NERVをどう思っているかわかろうというものである。
「やれやれ、面白みの無いパーティーでしたな。おまけに控え室はこれだ。午後のショーが無ければやってられませんね」
 仄かに漂う汗や機械油の匂いに顔をしかめつつ、加持は煙草に火をつけた。
「ああ、それに何と言っても食事が不味い」
 ゲンドウが相槌を打った。
「少なくともシンジの料理を食っている身としてはあんなものは料理とは認めん」
 加持は苦笑した。
「冷めているというのもマイナスでしたがね…まあ、それは料理人のせいじゃありません。あの、時田という男。いささか調子に乗って喋り過ぎですね。どうします?」
 時田の説明は、戦自や日重共がエヴァや使徒の能力について、ある程度調べている事を示していた。少なくと、エヴァの暴走やATフィールドなど最高機密に近い事まで、一部ながら掴んでいるらしい。
 加持は、そうした「知り過ぎた人間」について何らかの「処置」をしても良いか、という確認をゲンドウに求めたのだった。だが、ゲンドウは首を横に振った。
「放っておけ。あの男はただ自分自身を自慢し、褒めてもらいたがっているだけだ。己の才能を過信する輩が陥りがちな穴だな」
 そのゲンドウの言葉は、時田に対して手厳しいようでいて、どこかに自嘲に似た響きを含んでいた。


NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"
EPISODE:07 Art of the living

JA管制室

「テスト開始」
 管制室に時田の声が響く。ドーム状の施設最上階に設けられたその部屋の大ディスプレイには、全高百メートル近い巨大な格納庫が映し出されていた。
「全動力開放」
「リアクター内圧力正常」
「冷却機構の循環に異常なし」
 実験が順調に進んでいる事を確認した時田は、満足げに頷いて次の命令を下した。
「格納庫開け」
 その命令が実行され、巨大な格納庫はゆっくりと中央から二つに分かれ、左右にスライドしていく。その中から現われたのは、どこか有機的、生物的な印象のエヴァに対し、冷たく無機的な印象を受ける巨大な人型兵器――JA。
「制御棒、全開へ」
 JAの背中から、中性子吸収素材で出来た6本の制御棒とそれを覆う伸縮式の遮蔽カバーが展開した。その様は角状の背鰭を生やした恐竜を連想させる。
「原子炉、臨界に達します」
「出力問題無し」
「よろしい。歩行テストを開始する。全身微速」
「前進微速!」
 管制員達がコンソールを叩き、JAはゆっくりとその右足を前に踏み出した。続いて左足。その意外にスムーズな歩行に、実験の様子を映し出すディスプレイを見つめていた招待客の間から感嘆の声と拍手が沸き起こった。
「よし、走行テストに移る。兵器テスト予定地の実弾演習場まで前進強速だ!」
 時田が満面の笑みを浮かべて言ったとき、突然コンソールのランプが全て赤に染まった。同時に耳障りな警報が鳴り響く。
「な、何事だ!?」
 一瞬で笑みの消えた顔で時田が叫ぶ。
「り、リアクター内の圧力が異常上昇!」
 蒼白な顔で管制員が報告する。
「ば、馬鹿な!緊急停止信号はどうした!」
「既にやっています!しかし、応答ありません!」
半分泣き顔で言う管制員。
「時田主任!操縦コントロールも死んでいます!前進微速に固定されたまま、こちらの指示を一切受け付けません!」
 操作員も真っ赤な顔で叫ぶ。
「じ、JAが完全に制御…不能だと!?馬鹿な…なぜこんな…」
 全ての自信を打ち砕かれ、茫然自失の時田。管制室は完全な混乱状態に陥り、事態をコントロールする事は誰にも出来なくなっていた。
 その間、事情を知らない見学者達のいる大ホールでは、次第に迫ってくるJAの巨体に最初の歓声は消え、不安の声が上がり始めていた。そのため、施設の警備主任が独断で避難警報を出したときには、JAの左足がドームに振り下ろされていた。
 天井にひびが入り、それがゆっくりと拡大する。やがて、至近距離での核爆発にも耐える超強化コンクリートの壁は、JAの自重には耐え切れず崩落が始まった。出席者達が悲鳴を上げ、我先に逃げ出す背後で、数百トンのコンクリートの固まりと、それに数倍する重みを載せた超合金とセラミックの足が豪華な料理を並べたテーブルを押し潰して行く。
 やがて、ドームを半壊させたJAは、前進を止めることなく廃墟の広がるかつての関東平野に踏み出して行った。

大ホール

「やれやれ、随分派手なお披露目だな」
 廃墟と化した大ホールの中、制服の埃を払ってゲンドウが言った。
「で、加持君。この後はどうするんだったかね」
同じく埃まみれの制服を手ではたきつつ、加持が答える。
「既に根回しは済んでます。専用輸送機を訓練の名目で厚木に回してますから、私は厚木と話をつけて初号機とレイちゃんをこちらへ寄越します」
「で、日本政府が介入する間を与えず、NERVの手で事態を解決する、か…」
ゲンドウが言うと、加持は頷いた。
「ええ。ですが、内部突入の方法が不明なので、それは副司令にお任せします」
 要するに、ゲンドウにJA内部への侵入法を聞き出せという事だ。
「わかった。では、そちらもしっかり頼むぞ」
「はっ!」
 ゲンドウは頷き、加持の敬礼に答礼すると、崩れていない階段を探して登っていった。

中央管制室

 ゲンドウは瓦礫をかき分けるようにして階段を登っていった。最上部の実験管制室の前までやってくる。中では、時田がうつろな声で呟いていた。
「なぜだ…私の設計は完璧だったはず。それなのに、どうして…」
 ゲンドウは時田の背後に歩み寄り、彼の肩に手を置いた。
「時田技師」
 その声に反応し、時田がゲンドウの方を振り向いた。
「六分儀副司令か…何をしに来たんです。私の無様な姿を笑いにでも来たんですか」
 その捨て鉢な言い方に、ゲンドウの眉がぴくりと動く。
「時田技師、君には失望した」
 その冷たい声に、今度は時田が眉を逆立てる。
「失望した…ですと!?いったい何の権利が有ってあんたは私に――」
 時田は最後まで言い終える事が出来なかった。ゲンドウの鉄拳が唸り、彼は地面に殴り倒された。
「一度の失敗で投げやりになるような男が、よく我々NERVに喧嘩を売る気になったものだな。設計者の責任を果たす気が無いのなら、ずっとそこでいじけているが良い」
「設計者の…責任」
「あとはNERVで処理する」
 そう言ってゲンドウがきびすを返そうとした時、時田は叫んだ。
「待ってくれ、六分儀さん!」
「…何か?」
ゲンドウが足を止めて振り向くと、時田は言った。
「処理するって…いったいどうする気なんです」
「エヴァで奴の足を止め、内部へ人員を潜入させて原子炉を手動で操作、緊急停止させる。幸いうちの加持君は消防士作戦に参加した事もある高濃度汚染区域戦の経験者だしな」
 消防士作戦とは、2010年から12年にかけて世界各地で展開された、国連軍による核物質回収作戦のことである。セカンドインパクトで多数の原子炉が破壊され、広大な土地が汚染された。その中心部には、核物質を収めたままの原子炉が放置されたが、これがテロに使われる事を懸念した国連が回収、封印に乗り出したのだ。加持は自衛隊時代にインドでの作戦に参加し、高濃度汚染地域で実際にテロリストと戦った経験を持っていた。
「それでは駄目です」
 ゲンドウの話を聞いた時田が言った。
「原子炉のコンソールはパスワードを打ち込まなければ操作できません」
 ゲンドウは表情を変えずに言った。
「では、そのパスワードを教えてくれ」
「それは出来ませんよ」
 時田は答えた。
「そいつは第一級の社外秘ですから。それに、内部には侵入者に備えた無数のトラップも有ります」
「ではどうする」
「私も行きます」
 時田はすっかり生気を取り戻した顔で言った。
「パスワード、トラップの配置、両方知っているのは私だけですからね」
 ゲンドウは時田の様子を見てしばらく考え込んだ。立場を考えれば、断るべきだった。が、頷いた。大失敗を犯し、それを償おうとする時田の姿。それはゲンドウにとって他人事ではなかったのだ。
「わかった。加持君と打ち合わせをしてくれ」

NERV専用機 機内

「時田技師が…ですか?」
 無人の荒野を行くJAを上空から監視しつづけている加持は、ゲンドウの言葉に素っ頓狂な声を上げた。
「うむ。トラップなどが有るらしい。彼と一緒でないと任務の遂行はつらいかも知れん」
 受話器の向こうでゲンドウが言う。
「気づかれたらどうするんです」
 加持は思わず小声で言った。
「何とか気づかれないようにしてくれ」
「はあ…わかりました。多少やりづらくはなりますが仕方ないですね」
 加持はそう答え、時田の同行を承諾した。そしてゲンドウとの会話を終えた時、前方に巨大な黒い影が現れた。
 初号機を乗せたエヴァ専用超巨大輸送機、CEX−001「ブラック・マンタ」だった。巨大な黒いブーメラン状の中心部に、紫の初号機が固定されているのが見えた。
「来たか…初号機に回線を繋いでくれ」
「了解」
 無線士に頼み、加持はマイクを握り直した。

エヴァンゲリオン初号機 エントリープラグ

 レイは少し驚いていた。急遽市外への出動が命じられ、専用リニアカーで厚木までエヴァで運ばれたと思いきや、この巨大な飛行機に括り付けられて発進したからである。しかも、相手は使徒ではないらしい。
 じゃあ、いったい何がと思った時、加持からの通信が入った。
「はい、レイです」
「レイちゃんか。急な出動で悪いね」
「いえ…で、相手はいったいなんなんですか?」
「それはこれから資料を転送する」
 加持が言うと、メインモニタにJAの3面図とスペックが並んだ。
「戦自が民間企業をダミーにして作った、対使徒用人型兵器だ。サイズやその他は余りエヴァと変わらん。そいつが今暴走中でね」
「これを壊すんですか?」
「いや、それはまずい。壊すとか、放っておくとかすると原子炉が爆発して関東一帯を汚染しかねないんだ」
「はい…って、それってすごく大変じゃないですか!」
 何気ない加持の一声だったが、レイは驚いて叫んだ。
「大変なんだよ。で、中に人が入って原子炉を止める。その乗り込む時に、エヴァで奴を止めておいてほしいんだ」
 それまた何気ない一言だったが、レイは中に入るのが加持だと悟った。
「そんな…加持さん…」
「誰かがやらなきゃいけない事だからな。だったら自分で行くのが一番確信が持てるってものさ」
「…」
「心配するなよ。俺は必ず帰る。約束するよ」
 加持は努めて明るい声で言った。
「俺を信じてくれ」
「…はい!」
「よし。また後で会おう」
 受話器の向こうのレイが、やや不安げながらも力強く返事をした事に満足し、加持は通信を切った。
「後は時田技師だな。到着までどれくらいかかる?」
「あと五分ほどです」
 加持は地図をにらんだ。JAの予想進路上に大きな施設がある。
「5分か…一歩間違うと一般居住区に突っ込んでしまうな。それに、ここはまちがいなく踏んづけちまうぞ。ここは何だ?」
 加持は尋ねた。今回の作戦は、決して一般市民に被害を出さない事が重要な条件だった。尋ねられた航法士が地図を覗き込んで答えた。
「ああ、こいつは戦自の訓練施設ですよ」
「そうか、じゃ、ほっとけ。どうせ人がいても逃げるだろ」

戦略自衛隊 訓練施設

 この建物には、特別志願青少年士官候補生養成コース、通称特願と呼ばれる過程に関係した戦自の隊員達が集まっていた。名前は厳めしいが、要するに少年兵を養成するコースである。戦自の上層部が将来戦自をしょって立つエリートを育てるために設立したのだが、その実態からして完全な国際条約違反の施設であった。
 もっとも、己の存在が国際的にどうかという問題とは関係なく、将来のエリートへの第一歩を踏み出したという点で所属するものたちの志気は高い。
 それも、その日までだった。突然、避難警報が鳴り響いたのである。
「何があったんだろう…まさか、敵襲かな」
特願候補生の一人、相田ケンスケは同期生たちとシェルターへ急ぎながら話し合っていた。
「どうかな。最近第三新東京の方ではかなりの戦闘があったって聞いているけど」
 その同期生は言った。
「どうせなら戦わせてほしいよな。そのための訓練なんだから…」
「全くだね」
 ケンスケが同期生に同意した時、窓の外に異様なものが見えた。
「な、なな、なんだよ、あれ…」
震える声で同期生が言う方向を見て、ケンスケは絶句した。巨大な人型の影と、その上空を飛ぶブーメラン型の巨大な飛行機。
「噂で聞いた事があるぞ…日重共が開発してるって言う大型ロボット兵器だ」
 ケンスケは言った。彼はこうした噂に詳しかった。
「そんなものがあるのか。でも、あの飛行機は?」
「わからん。でも、ヤバいぞ。あいつ、こっちへ向かってくる」
 ロボット――JAという名前までは、さすがにケンスケも知らない――はまっすぐ彼らのいる訓練施設を目指してきた。
「うわっ!に、逃げろ!」
 見とれていたケンスケ達は慌てて逃げ出し、その直後に施設はロボットに踏み潰された。激しい振動が地面を揺るがし、かろうじて踏み潰されずに済んだ建物を倒壊させていく。
 どうにかケンスケが立ち上がれるようになった時、JAは遥か彼方に去ろうとしていた。
 と、その時、例の巨大機はゆっくり高度を落とし、JAの後ろから突っ込んだ。そして、後部から何かを切り離す。
「またロボットか!?」
 ケンスケは叫んだ。それはエヴァ初号機だったが、もちろんケンスケはその名も知らない。だが、傾きかけた夕日を浴びて着地し、最初のロボットへ向かっていくそれは、やけに美しく見えた。
「…いいなぁ」
 瓦礫の山の中で、ケンスケは放心したように呟いた。
「俺もいつか、あんなのを自分で動かしてみたい…」
 見守るケンスケの前で、初号機はJAに取り付いていった。

初号機

「くうっ!向こうの方が力が強いの?」
 JAの肩を掴み、前進を引き止めようとしたレイだが、原子炉を搭載したJAは動力が電池に過ぎない初号機よりもはるかに高出力だった。やや遅くなりはしたものの、初号機を引きずってひたすら直進する。
「何とか止めないと…こうなったら…」
 レイは緊急用ブーストのレバーを引いた。電池の消耗が目に見えて速くなっていくが、その代わり初号機は今までに倍する力でJAを押え込み、ついにその前進を止める。
「加持さんっ!今っ!後30秒しか持たない!」
『わかった!ありがとう、レイちゃん!』
 ストームバードが急速接近し、ホバリング姿勢にうつると、ハッチを開けて防護服に身を固めた加持が飛び出した。続いて別のヘリが接近し、同じ格好の時田がJAの首筋にホイストを降ろして乗り移る。
『こっちはOKだ!離して!』
「はいっ!」
 残り稼働時間7秒と少しで、初号機はJAを放した。その間に、加持と時田はJAのハッチを開け、中に入る事に成功していた。
「加持さん…頑張って…」
 ブーストを解除し、膝まずくような姿勢になる初号機。その中でレイは祈るように目を閉じ、その思いを表わすように初号機の手が祈りの形に組み合わされ、そして全動力を使い果たし沈黙した。

JA内部

 暴走し、破滅に向かうリアクターから漏れ出る熱で、JA内部は二百度を超す高温になっていた。通路の内部が陽炎のように揺らいで見える。
「こりゃまずいな…早めに終わらせないと。時田技師、炉はどっちですか?」
 加持が言うと、時田は「あっちだ」と言って右手奥を指差した。
「OK。手早く行きましょう」
「余裕は後5分ってところだな」
 時田も応じ、二人は通路の奥に向かって歩き始めた。通路はメンテナンス用のもので、全体的に六角柱状のJAの胴体外周を一回りしているらしい。60度に曲がっている最初の角を左に曲がろうとしたとき、時田が加持を引き止めた。
「なんです?」
 加持が聞くと、時田は黙って金属板を角の向こうに放り投げた。次の瞬間、真紅の火線がほとばしり、金属板は無数の穴をうがたれた。
「対人レーザーユニット?」
 加持が唸ると、時田は頷いた。
「侵入者対策用のトラップだ。今切るよ」
 そう言うと、時田は壁のメンテナンスハッチを開けると、無数の電線の中から一本のコードを選り分け、それをニッパーで切断した。
「これで良いはずだ」
 時田が金属板をまたしても放り投げたが、今度はレーザーが飛んでくる事はなかった。
「行こう。後3分しかない」  加持は頷いて時田の後を追った。その後2回ほどトラップがあったが、時田はたちまちそれらを解除してみせた。
「ここが制御室だ」
 時田はその頑丈なハッチの横にあるテンキーをすばやく押してパスコードを打ち込み、ロックを解除すると、そのままハッチをこじあけた、その瞬間だった。
「ぐあっ!?」
 開いたハッチの中から鋼鉄の腕のようなものが飛び出し、時田を打ち据えたのだ。彼の体は通路の壁に叩きつけられた。
「何だ!?」
 加持は通路に出てきた「それ」を見て唸った。蟹のような、六本足の巨大なロボットだ。時田を叩きのめしたのは、やはり蟹のはさみを連想させる二本のマニピュレーター。
「こいつ!」
 加持は背中に背負っていたサブマシンガンを素早く構え、一連射を見舞った。しかし、「それ」の表面で火花が飛び散っただけで、相手は何のダメージも受けていないらしい。「それ」は意外に素早い動きで接近し、腕を振るった。とっさにかわした加持の頭上で、壁が引き裂かれる。
「おいおい…」
 その破壊力に戦慄しながらも、加持は軽い調子で言うと、拳銃で腕の関節を狙い撃った。全弾を叩き込むとようやく腕は機能を停止したが、もう一本は依然健在だ。
「どうしたもんかな」
 加持は呟いた。万が一に備えて持ってきた武器だが、弾丸の残りが少ない。どうもこれはまずいかもしれない、と思った瞬間、時田の声が響いた。
「加持さん、離れろ!」
「!」
 とっさに反応してその場を飛びのいた瞬間、「それ」が青白い光に包まれた。
「うお!?」
 激しい放電音がして「それ」が崩れ落ちた時、そこには時田が立っていた。「それ」の引き裂いた壁から電線を引きずり出し、「それ」に巻き付けショートさせたのである。
「大丈夫か?時田さん」
 力尽きたように座り込む時田を支えてやりつつ加持は尋ねた。
「肩の骨をやられたらしい。…それは補修用の自律作業機だ。この熱さで搭載していたコンピュータがいかれたんだな…」
 時田が喘ぎながら答える。
「私の事は良い。それより…時間が無い。はやく、制御室へ。パスワードは…希望…だ」
 それだけ言うと、痛みからか時田は気を失った。
「そうか…感謝する、時田技師」
 そう言うと、加持は邪魔物のいなくなった制御室へ入り込んだ。パスワードの事は既に「知っている」情報だったが、やはり関係者から直接聞いたという事で信憑性は高くなった。
「…希望…と」
 加持はコンソールのキーボードからパスワードを打ち込み、メニューを呼び出すと「スクラム(緊急停止)」にカーソルをあわせてリターンキーを叩いた。

日重共 実験施設

 大パネルに映し出されていたJAの動きが鈍くなり、やがて停止するのをゲンドウは見ていた。制御棒が収納され、変わって放熱板が展開される。
『こちらNERV、加持。緊急停止作業は成功した。繰り返す。緊急停止は成功した!』
 次の瞬間、危険を承知で残っていた作業員達の間から歓声が爆発した。口々に叫びながら、ゲンドウに手を差し出し、握手をする。なにしろ、事態を収拾したNERVの副司令というだけでなく、今日招待されていた要人達の中で唯一逃げなかった人物である。原子炉爆発の危険がある、と言う一事だけで、他の招待客たちは雲を霞みと逃げてしまっていた。
政府や戦自の幹部であり、ゲンドウよりもはるかに今回の一件に対して重い責任を負っていたにも関わらず、である。
 ゲンドウはその何も知らない作業員達からの握手攻めに応じてやりつつ、かすかな良心の痛みを感じていた。逃げた卑怯者たち、ああいう連中を陥れる事には何の遠慮も無いのだがな、とゲンドウは思った。
「さて…」
 騒ぎの輪から抜け出したゲンドウは、携帯電話を取り出すとメモリーから本部発令所への直通ダイアルを回した。
「もしもし…ああ、青葉君かね?第二段階へうつってくれたまえ」

JA

 上空から舞い下りたヘリが、負傷者専用の救難ホイストを降ろした。加持はそれを受け取り、時田の体を固定してやる。
「貴方には世話になったな」
 加持が言うと、時田は笑った。
「君がいなかったら、私は作業機に殺されていたさ。おあいこだ」
 時田は無事な方の手を差し出して加持と握手を交わした。
「六分儀さんにもよろしく。彼の言葉が無かったら、私は立ち直る事が出来なかっただろうからな」
「副司令が?」
「ああ。頼むよ…」
 そう言い残し、時田の体はヘリに巻き上げられ病院へ向けて飛び去っていった。

三日後 NERV本部 司令公室

 結局、ゲンドウと加持の二人が第三新東京市に帰ってきたのは、事件から三日語の事だった。事後処理に時間を取られたためである。国連や日本政府を無視しての独断でのエヴァの出動とJAの阻止。どちらも大問題である事に変わりはない。
 が、日本政府は独自に事態を収拾する能力が無かった事をゲンドウに鋭く批判されて沈黙し、国連の方も結局は下部組織であるNERVの活動に文句を付けはしなかった。
 その間に、事件の波紋は大きく広がっていた。JAが住宅地ぎりぎりで停止したために多くの目撃者が出た事。そして、ゲンドウが青葉に指示して事件をマスコミにリークさせたためにそれこそ日本政府を揺るがしかねない大騒ぎになったためである。
 まず、日重共の社長が責任を取って辞任。次いで密かにこの一件に関わっていた戦自上層部の反国連急進派の主立ったメンバーも、保身を図る政府首脳の身代わりとなって相次いで左遷された。そして、NERVは極秘扱いの使徒襲来との関係もあり、完全にお咎め無しだった。
「まあ、我々にとっては最善の結果に終わった…そう考えて良いのかな?」
 そうした記事の載った新聞を置いて、冬月は加持に尋ねた。昨日欧州・アメリカ出張から帰国したのだ。
「はい。現在までに、第三新東京市内で保安部がマークしていた戦自の出先機関的な事務所や店に、撤退が相次いでいます。強硬派の勢力減に伴う、我々に対する工作費の減少が理由でしょう」
 加持は答えた。
「これは予定外の事でしたが、戦自の少年兵養成コースも閉鎖されたそうです。すでに、有能な人材を発掘すべく一部では接触を開始しています」
 冬月は満足げに笑った。
「うむ。作戦は成功だな。今回の一見に関する資料は、全て封印したまえ」
「了解しました」
 そう言うと、加持は一礼して部屋を出ていった。それを見届け、冬月は机の上の電話を取って番号をプッシュした。
「もしもし。私だ。…君にはまた借りが出来たな」
『返す事はありませんわ。他ならぬ冬月先生の頼みですから』
 電話の向こうの声が答える。
「まさか、連中もドイツから仕掛けをされたとは思ってはいないだろうな」
 冬月が愉快そうに笑うと、電話の相手も笑った。
「帰国前の最後の仕事ですわ。それでは先生、近いうちに必ず――」
「うむ。リツコ君も達者でな」
 冬月は電話を置くと、急に暗い顔付きになって椅子に体を預けた。
「まったく…生存のためとはいえ、こんな後ろ暗い事に首を突っ込む事になるとはな…」
 そう言って自嘲気味に笑う。今回のJA暴走事件――とそれによる反NERV勢力の弱体化――それは彼の指示によって仕組まれたものであり、戦自のレイ拉致未遂に対するNERV側のカウンターパンチだった。
「まあ良い。六分儀の計画に賛同した時から、既に私は引っ込みの付く身分ではなくなっているのだからな」
 そして、冬月は再び仕事に戻った。

とある部屋

 同じ頃、時田も自分の部屋にいた。彼は責任を問われなかった。NERVがこの一件では完全に裏に回ったため、JAを止めた功績者は彼一人という事になったのだ。会社はその功績を称え、彼を新設の部の部長として昇進させたが、そこには一人の部下も無く、今後も配属される見込みはなかった。実質的な左遷だった。世間体はどうあれ会社を危機に陥れた人物を放っておくほど、日重共は甘い会社ではなかった。
「まあ、いいさ。六分儀ゲンドウ、加持リョウジ。どっちも凄い男だ。あんな連中のいるところに喧嘩を売るべきではなかったんだ」
 時田はそう思っていた。近いうちに辞表を出すつもりだった。政治目的の入ったものではなく、自分の作りたいものを作る仕事をしたい。時田はひたすら名声を追いかけていた数日前の自分がこうも変わってしまった事に驚いていたが、決して悪い気持ちはしなかった。

朝、通学路

 旧東京から帰ってきた加持が、次の日にはもういつものだらしない格好になっていたので、レイは落胆していた。
「もう…加持さんったら…あの日はあんなにカッコ良かったのに」
 レイがぼやくと、マナが笑った。
「そうかな?レイだって人の事は言えないわよ。目が覚める前って、それはもうひどいんだから」
 続いてヒカリも言った。
「でも、良いじゃない。お互い気の置けない関係で。なんか、本当の家族っていう感じよ」
 そのヒカリの一言に、レイははっとした顔になった。
「家族みたい?それが本当に?」
 普段自分を飾る事無く生きている加持と、お互いが理想の家族を演じようとしていた、松本の養父母の家での生活。それを思い出した時、レイは本当の家族がどういうものなのか、それを理解したような気がした。
「そっかぁ。家族かぁ」
 レイはそう言ってふふふっと笑った。人と人が自分の意志で作っていくもの、家族…くつろげて、帰れる場所。自分を待ってくれているところ。それが今のわたしにはある。
 とても、幸せな気分だった。


次回予告

 ドイツのヴィルヘルムスハーフェンを出港し、一路日本へと向かうエヴァ弐号機とそのパイロット。
 やたらと小難しい台詞を乱発する少年にレイは戸惑い怒る。
 そして突然の使徒襲来は起動した弐号機に初の水上戦を強いる。
 何もかもが混乱する大海戦、そして奇抜な作戦。果たしてエヴァは使徒に勝てるのか?

次回、第八話「カヲル、来日」


あとがき

 あはは…(乾笑) 前回投稿よりやたらと時間が空いてしまって申し訳ありません。とはいえ、自分のマシンが故障したために続きを書こうにも書けなかったのですが…
 さて、第七話です。SS界ではこの回は割と扱いがひどくないですか?まあ、チルドレン達の出番が少ないので、カットしたりオリジナルの話にしたくなる気持ちは分からないでもないですが、世界観説明の話としてはなかなか便利な回ですよ。あと、ケンスケの出番ってこれで終わり?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、多分どこかで出てくると思います。ファンの方はお楽しみに。
 次回はいよいよ奴が登場。作者の好きな海戦のお話なので、こだわりをたっぷり入れて派手に行こうと思います。
 では、また第八話でお会いしましょう。

2000年6月吉日 さたびー拝

現在私のパソコンは故障しております。従って、感想メールなどの返事は大幅に遅れる可能性があります。あらかじめご了承ください。
さたびーさんへの感想はこちら


Anneのコメント。

はっきり言って原作では無意味とも言えるエピソードでしたが・・・。
意外や意外、最初こそ原作通りですが、終盤の時田が格好良く光っているではないですかっ!!
それにゲンドウ、加持、時田の様子から、その内に時田がネルフにでも来そうな勢いですね。

>加持が身に付けていたのは、儀典用礼服として定められている、濃紺のNERV上級士官第一種制服だった。
>詰襟を上まできっちりと締め、制帽を小脇に抱えている。
>トレードマークの不精ひげも今日は綺麗にそり落とし、髪をオールバックにしてまさに颯爽たる青年士官というイメージに大変身していた。

ミサトの場合はそれで・・・と言う印象があったんですが、加持だと全く想像がつかない(^^;)
特に無精ひげがなく、髪がオールバックと言うの辺が・・・。(笑)

>「何があったんだろう…まさか、敵襲かな」
>特願候補生の一人、相田ケンスケは同期生たちとシェルターへ急ぎながら話し合っていた。

おおっ!?やはりケンスケは鋼鉄のボーイフレンドでしたかっ!!!
しかも、エリート舞台とはケンスケ感涙物ですね(笑)
これ程、ケンスケが厚遇条件で扱われているSSは密かに初めてかも(^^;)

>「これは予定外の事でしたが、戦自の少年兵養成コースも閉鎖されたそうです。
> すでに、有能な人材を発掘すべく一部では接触を開始しています」

だけど、潰れちゃったみたいで、やはりケンスケは所詮ケンスケでした(笑)
でも、さたぴーさんの後書きによると再登場はある様なのでこれは楽しみですね♪
だって、ケンスケとは思えない重要そうなキャラでいかにも登場しそうですから(爆)



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