第四使徒戦終了後・エヴァ回収班仮設本部

 レイはパイプ椅子に座り、少しうなだれた姿勢でいた。そばには厳しい顔つきのミサトが立っている。エヴァが回収されエントリープラグから出た後、彼女はマナ、ヒカリと引き離されここへ連れて来られたのだ。
「どうして命令を無視したの?」
 ミサトが尋ねた。
「…すみません。なんだか、わたし…マナとヒカリが震えてるのを見たら…カッとなっちゃって…」
 レイがぼそぼそと答えると、ミサトは溜息をついた。
「友達想いなのは悪い事じゃないわ。でも、良く考えなさい。あなたのした事は、一歩間違えれば友達も巻き込んでひどい事になるところだったのよ」
「あ…」
 レイは息を呑んだ。使徒を倒せたから良いようなものの、もし返り討ちにあっていたら、やられていたのは自分だけでは済まない。マナやヒカリも巻き添えになっていたのだ。
「自分のやった事が理解できた?」
 レイはますますうなだれ、「はい…」と絞り出すような声で答える。
「レイ、あなたには命令違反に対する罰則として営倉3日間を命じます。いいわね?」
「…はい。あ、その…マナとヒカリはどうなったんですか?」
「あの娘たちね?機密に触れたことだし、非常事態宣言時条例違反もあるけど、せいぜい厳重注意ぐらいだと思うわ」
「そうですか、良かった…」
「わかったら行きなさい」
 レイは保安部のバンに乗せられ、本部へ連行された。
「やあ、レイちゃん」
 本部についたとき、始めに彼女を出迎えたのは青葉、日向、マヤのオペレーター3人組だった。
「よくやったわね、レイちゃん」
 マヤが満面の笑みを浮かべて言う。
「これから3日間営倉だって?まあ、信賞必罰は厳密にしなきゃいけないから、仕方がないけど…これ、持って行ってくれよ」
 青葉がレイに何か袋に詰めたものを手渡した。
「なんですか?これ…」
 レイが尋ねると、答えたのは日向だった。
「まあ、営倉に入ったら開けてごらん」
「じゃ、俺たちはまだ仕事があるから…」
 そう言うと三人は発令所の方へ歩いて行った。仕事があるのに、わざわざレイを迎えるためだけに出てきたらしい。
 しばらく歩くと、今度は二人の中年男性が現れた。
「綾波レイさんですね?」
「え?あ、はい」
 レイが誰だろうと思いながら答えると、彼等は微笑んだ。
「失礼しました。私は霧島マナの父で、霧島ヨシヒコと言います」
「私はヒカリの父で、洞木ミキオです。今日は娘がえらい迷惑をかけてしまって」
「え、えっ!?2人のお父さん?」
「ええ、まあ」
 ミキオが頭を掻いた。
「娘にはもう2度とあなたの邪魔はするなとピシッと言って聞かせておきますので、どうか御勘弁下さい」
 ヨシヒコが言うと、レイは慌てて首を振った。
「と、とんでもない!わたしの方こそ、2人を巻き込んじゃって…迷惑だなんて、そんな事全然…」
「そうですか、そう言っていただけると有り難いですよ。最近は家でも娘はあなたの事を良く話しましてね…」
 2人の父親はひとしきりレイに話しかけた後、これはお詫びです、と言ってレイに何かを手渡した。その後も、レイが営倉に入る事を聞き付けた職員達が入れ替わり立ち代り現われ、差し入れをレイに渡したので、彼女の荷物は両手に抱えきれないほどになってしまった。
「俺も結構長い事営倉の立番をやっているがね…」
 やってきたレイを見て、営倉の入り口にいた保安部員が言った。
「そんだけいろいろ持ちこむ奴は初めてだぞ」
 その呆れたような口調に、レイは「や、やっぱりいけませんか?」と尋ねた。
「いや、全然。君の部屋はここだよ」
 保安部員は一番奥の営倉にレイを案内した。途中の営倉はどれも薄暗くて殺風景な部屋が並んでいたが、その営倉は真新しい花柄の壁紙が張られ、ベッドが置かれ、小さいながらテレビもあった。
「あの…ここって…」
「さあ、入った、入った」
 保安部員がレイを強引に部屋に押しこめ、鍵をかけた。
「こ、ここって本当に営倉なんですか?」
 レイが聞くと、保安部員は首を縦に振った。
「その通りだよ。どこから見ても立派な営倉じゃないか」
 彼はそう答え、それから辺りを見まわすとポケットから何か取り出した。
「退屈なら使うと良い。欲しい曲があったらダウンロードしてきてやるから」
 そう言って彼は入り口の方へ戻って行った。レイが手渡されたものを見ると、それはウォークマンタイプのMP3音楽プレイヤーだった。びっくりしたレイは他の荷物も開けて見る。
 マヤからは彼女愛用のものとお揃いの猫柄のミニクッション。
 日向はミステリー小説を十数冊。
 青葉は彼が参加しているバンドのデモデータを収めたMP3用のフラッシュメモリ。
 霧島父は空の写真集。
 洞木父はゲーム付きの電卓。
 他にも、職員がくれたさしいれはどれも心づくしの品々だった。手紙もいくつか添えてあり、それはレイの健闘を称える内容だった。
 後でミサトが様子を見に来たが、差し入れで快適そのものになった営倉を見ても何も言わず、ただ黙って苦笑していただけだった。
 こうして、罰にも何にもなっていないレイの営倉生活は過ぎて行ったのである。

新世紀エヴァンゲリオン REPLACE

第四話「雨、逃げ出した後」


3日後 NERV本部直通地下鉄駅・正面ゲート

 ようやく営倉から解放(?)され、無数の差し入れのうち返せるものは返し終わったレイが3日ぶりに地上の光を浴びたのは、そろそろこの日のお昼近い時刻だった。
「うー……ん……」
 退屈しなかったとは言え、狭い部屋の中にずっといたせいか、体が心持ち重い。レイは思いっきり伸びをして体をほぐした。
「さて…どうしようかな。みんなは学校だろうし…」
 そう言って、とりあえず家に帰ろうとレイが歩き出した時、遠くの方から聞き覚えの有る声が聞こえてきた。
「レイーっ!」
「やっほうーう!レイ!」
「ヒカリ!マナ!」
 それは学校にいるはずのマナとヒカリだった。しかも二人とも私服姿だ。マナは白のシャツにえんじ色のアクセサリーネクタイを付け、下は紺のタイトミニ。ヒカリは淡いブルーのサマーセーターにチェックのフレアスカートと言う、なかなかに可愛らしい格好だった。
「2人とも、学校はどうしたの?」
 レイが訝しげに聞くと、マナとヒカリは顔を見合わせてニヤリと笑った。
「実はおとついから臨時休校なのよ」
「え?」
 ヒカリの答えにレイがなんで?と言う顔をすると、マナが笑った。
「ほら、レイが戦ったとこって、学校の裏山だったじゃない。あの怪獣を今撤去してるから、その作業の邪魔にならないようにってさ」
 言われてレイはちょっと高台にある学校の方を見つめた。校舎の影に隠れてはいるが、巨大なプレハブのような建物がある。レイが納得した時、後ろから声がした。
「やあ、レイちゃん」
「あっ、加持さん!」
 声の主は加持だった。
「まずは出所おめでとう」
「よ、よしてくださいよ、人聞きの悪い!」
 加持の冗談にレイは真っ赤になって叫び、マナとヒカリは爆笑した。
「ひ、ひどい…2人とも」
 レイがうつむくと、2人は「ごめん、ごめん」と言ってレイの肩を叩いたが、その顔はまだ笑っていた。
「ところで、この人は?」
 マナがレイに尋ねた。
「あ、加持リョウジさん。NERVの作戦部長で、わたしの保護者をしてくれてる人よ」
「よろしく、2人とも」
 加持が手を差し出すと、マナとヒカリはそれぞれ握手を交わした。
「よろしく、加持さん」
 ヒカリは控えめだったが、マナは熱心に加持と握手していた。
「霧島マナです!よろしくお願いします…え〜っと、加持一尉!」
 マナは加持の襟につけられたバッジ――階級章に目をやって答えた。
「いや、そう言う堅苦しい呼び方はやめてくれよ。加持で良い」
「はい、加持さん」
 マナが戦自風の敬礼の真似事をして離れると、加持はレイに向き直った。
「てなわけで、学校は後何日かは休みになるはずだ。で、冬月司令からレイちゃんに3日間休暇を出すそうだよ。その間は訓練も何も無し」
「え、本当ですか!?」
 レイは満面に笑みを浮かべて聞き返した。この時代学校は大抵どこも週休三日制が定着し、子供達の負担は軽いが、レイは学校が無い日もたいてい訓練に行くので、3日間と言うまとまった休みが入るのは第3新東京市に来て以来初めての事だった。
「ほんと、ほんと。でだ…」
 加持は財布を取り出すとお札を何枚か取りだし、レイの手に握らせた。
「レイちゃん、前から服が欲しいとか言ってただろ?これで買ってきなさい」
 その金額を見て、レイの顔が思わず固まる。
「え…でも、こんなにたくさん」
「いいからいいから。勝ったご褒美だよ」
 加持が屈託無く笑い、手を振る。それを見てレイはにっこり笑った。
「ありがとうございます、加持さん!」
「良いってことよ。楽しんでおいで」
「はいっ!じゃ、行こう!マナ!ヒカリ!」
「うんっ!」
 三人の少女達は連れ立ってショッピング・モールの方へ口々におしゃべりしながら歩いて行った。それを微笑ましげに見ていた加持だったが、お金を渡したときのレイの驚きように、ちょっと不審感を抱く。
「はて…現代っ子が三万円くらいで驚くかな…」
 そう言いながら財布を開けた加持は、驚愕にその場で硬直した。
「し、しまっ…」
 加持が渡したのは1万円札3枚ではなく、5万円札3枚だった。つまり15万円。彼の月収の5分の1に達する金額であった。しかし、あれだけかっこつけて渡した手前、「間違いだったから返してくれ」とは言えない。決して言えない。
「とほほ…」
 肩を落とした加持は諦めてNERV本部行きの電車に乗った。その背中にはそこはかとない哀愁が漂い、同乗していた女子職員達の話題をさらったが、彼にとってはどうでもいい事だった。

2時間後、NERV本部・保安部コマンディング・ルーム

 加持がリーダーを務める保安部は、NERV内部の安全を保全し、場合によっては対外的な工作を行う事もある部署である。その中枢であるコマンディング・ルームは発令所よりやや上層にあり、本部のみならず第三新東京市全域にその目を光らせていた。
「おいっす」
 加持は警務員に声をかけ、敬礼を受けながら部屋へ入っていった。部屋自体はそんなに広いものではない。普段は警備システムのオペレーターが数人常駐しているだけなのだ。
 部屋の奥にある部長席に加持が座り、端末の電源を入れたとき、一人の女性オペレーターが彼に声をかけてきた。
「部長、すいません。ちょっと、これを見ていただけますか?」
「ん?」
 加持は立ちあがると、そのオペレーターが指差す端末の画面を覗きこんだ。
「外周警戒線の対人監視システムのログか。これがどうかしたのか?」
 加持が尋ねると、そのオペレーターは頷いた。
「ええ、メインログと予備ログの一部に合わないところがあるんです」
 その声に、加持は真剣な表情になった。
「わかった。メインと予備を並列表示して見てくれ」
「はい」
 オペレーターが端末を操作し、二つのログを並べて表示する。
「時間は昨日の早朝、0439時から0456時までの間です」
「ふむ…」
 加持はログを見比べながら唸った。わずかな違いだ。誤差の範囲と言っても良いような気もする。だが、どこかに違和感がある。
「この地区は鷹巣山南西地区だな…監視カメラの録画画像を頼む」
「はい、10倍で再生します」
 画面の右隅に録画画像が映し出され、高速再生が始まった。画面は竹林の風景を映し出している。時折風で笹の葉が揺れる以外は何の変化も無い。
「ストップ。今度は3倍速で3分過ぎくらいからを頼む」
 加持が指示を出し、再び再生が始まった。
「…今だ、スロー」
 画面がスローに切り替わると、オペレーターも気がついた。茂みの中に、一瞬野犬らしき足の影が映っていた。
「今度は7分過ぎをスローだ」
 加持が言い、指定されたところがスロー再生されていく。
「…あっ!?」
 オペレーターが声を上げた。まったく同じ場所に、まったく同じように野犬の足のような影があったのだ。
「二つを合成して見ろ」
「は、はい」
 オペレーターが震える声と手先で作業をすると、二つの画像はまったくぶれることなく重なった。
「やられたな。誰かがシステムにハッキングしやがったんだ。録画画像を2度流されてる」
 加持が言うと、オペレーターは自分の失態と思ったのか蒼白な顔で「申し訳ありません」と言った。
「いや、君の責任じゃない。むしろ良く気づいたと褒めたいくらいだ。もともとNERVは並みの相手じゃハッキングできないしな。油断があったとしても責められん」
 加持は言った。慰めではなく、全くの事実だった。NERVのメインコンピュータ「MAGI」は第七世代型有機コンピュータと呼ばれるカテゴリーに属するもので、今のところ開発まで半世紀はかかるとされる理論上最高のコンピュータ、量子コンピュータを除けば最強の計算機とされる存在だった。
「MAGIにハッキングをかけてきたとなると、相手はよほどの天才か、あるいは…」
 そこで加持は恐るべき推論にたどり着いた。
「至急、本部に第一級対テロ警戒警報を出せ。それと、全保安部員を召集しろ。他の者は直ちに関係各部署に連絡を取ってくれ」
 加持の指示によってコマンディング・ルームが一気に慌しさを増した。加持は厳しい表情で考えていた。
 MAGIに対抗できるのはMAGI…MAGI型コンピュータは全世界に八台ある。一台…オリジナルはここ、NERV本部に。あとの七台の所在地は第一新東京の国連本部、第二新東京の日本政府、それにアメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアのNERVの海外5支部だ。
 そのうち、このNERV本部へハッキングをかけてきそうなのは1ヶ所しか考えられない。反国連的な思想を持ち、NERVの存在を面白く思わない連中の巣窟。
 そこまで考えたとき、加持は重要な事を思い出した。
(しまった…!レイちゃんたちが危ない…!)
 加持はすぐに発令所への直通電話を取った。
「青葉くんか?チルドレンたちの所在確認を頼む。緊急だ」
『了解してます』
 対テロ警報の発令を知った青葉の声も緊張していた。続いて加持はレイの護衛班に緊急連絡をとるよう命じた。しかし、護衛班との連絡は不通になっていた。
「くそ、至急現地へ1チーム急行させろ」
 指示を下しながら加持はレイたちの無事を祈った。しかし、それがかなり可能性の低い願いである事は、加持も承知していた。

それから4時間前、ショッピングモール

第三新東京市の中心部にあるショッピングモール「クロスシティTOKYO−3」はデパート、スーパー、アミューズメント施設、シネマコンプレックス、専門店街などが地上7階地下3階の巨大な建物と、広い敷地内に詰め込まれた、現在の日本でも有数の複合型商業施設である。
 レイはここの専門店街にあるマナとヒカリが良く行く女子中高生向けのアパレル・ショップへ連れて来られていた。
「これなんかレイにピッタリじゃないかなぁ?」
「ええっ!?ちょっと派手だよ、マナ」
「いいのいいの、レイは素材が良いんだから、もっと飾んなきゃ勿体無いよ」
「ちょっとマナ、レイの言う通りよ。そんな肩の大きく開いた服なんて…」
「ちぇっ。固いなぁ、ヒカリは…」
 洋服コーナーの前できゃいきゃいとお喋りをしながら買い物を楽しむ3人の美少女たち。その華やかな様子に、他の客たちも時々視線を投げかけている。
結局、マナお薦めの袖無しのセーラーカラーのワンピースと、ヒカリお薦めのサマーカーディガンを買い、他にも自分で気に入った服を数点、量の多い分は宅配便で送ってもらう事にした。
「買い物はこんなところね。じゃあ、遊びに行こう!」
 パワフルなマナのリードで、3人はアミューズメントセンターへやってきた。意外にもヒカリがダンスゲームで見事なステップを披露し、マナは射撃ゲームで最高得点を叩き出す。
 そして、レイは初体験の格闘ゲームで乱入者をことごとく撃破してのけた。
「すっごーい、レイ!」
 マナが感心していると、レイはマナのほうを振り向いて言った。
「う〜ん…エヴァに比べたら簡単なものよ?」
 3人のタイプの違う美少女がこうしてゲームで活躍していれば、嫌でも目立たないわけが無い。そのうち、三人はナンパ目的の男達にしつこく付きまとわれるようになった。
「うっとうしいわね〜、どっか違うところに行こうか?」
 何組目かの男グループを何とか追い払ったところで、マナが耐えきれなくなった。
「じゃあ、映画なんてどうかな」
 と、レイは提案した。ちょうど目の前にクロスシティ内のシネコンの広告ポスターが貼られていたのだ。
「いいわね。何見ようか?」
 ヒカリも賛同した。
「え〜っと…」
 選ぶ余地は無かった。公開中のタイトルはSF映画の「セカンドインパクト−世界が沈没する日−」だけだった。前世紀のように毎月新作が公開されていた時代とは異なり、セカンドインパクトでハリウッドや香港と言った映画の都が歴史上の存在になってからは、世界的に不況が続いている事もあって新作映画の公開は半年に1回と言うペースに落ちこんでいる。
「セカンドインパクト」は今話題のトレンディ俳優を主役に器用し、高名なSF作家を脚本に迎え、さらに崩壊したハリウッドから特殊効果の専門家を招聘して制作された。話自体は、前世紀末にブームになった「ダンテズ・ピーク」や「アルマゲドン」などの「泣きパニ」と呼ばれる、感動させるパニックムービーの系譜に属する作品である。
 地球に向かう小惑星を発見した大学教授とその助手が、それが地球に激突するかどうかで対立し、激突不可避と見た助手はこれを世間に知らせるべく行動を起こすが、激突しないという意見の教授は自分の面子を重んじ、これを妨害する。
 そして、助手の危惧した通り小惑星は地球へ落下、セカンドインパクトが起こる。助手は混乱の中恋人と生き別れ、地獄と化した世界をさ迷う。
 やがて復興の兆しが見え始めた世界で助手は日本へ帰還するが、人々のすれ違いは戦争を生み、再び地獄と化した世界で、助手は恋人と再会し、未来への希望を繋いで映画は終わる。
 鳴り物入りで公開されたこの作品だが、出来が良過ぎることが災いして興行成績はいまいちだった。その迫真性が問題とされたのだ。
 15年と言う年月は、人の記憶を風化させるには短か過ぎる時間でしかなかった。
 もっとも、この場の三人にはそれは余り関係が無い。セカンドインパクトも彼女たちにとっては歴史上の出来事だ。レイは余り芸能には興味が無かったが、マナもヒカリもファンだと言う主演男優の名前くらいは知っていた。チケットを買い、三人は館内へ入って行った。

映画館前

 その青年は少女達を優しげな目で見守っていた。その楽しげな様子に、彼自身もなんとなくほのぼのとした気分にさせられていた。
 そして、それが彼の命取りとなった。気がついたとき、彼は自分の首に何かが引っかかっている、そんな感触を受け――それが何かに気がつく間もなく意識が深い闇の中へと吸い込まれて行った。
 青年の背後から気配も無く忍び寄った男は、彼の首に巻きつけた細いワイヤーロープを緩め、力を失ったその体を支えつつ腕時計型のコミュニケーターに呼びかけた。
「こちらズールー。標的1を無力化」
『御苦労、ズールー。始末を終えたらホールで合流しろ』
「了解」
 ズールーと名乗った男は暗がりに青年の体を運び込み、あたりのガラクタでカモフラージュすると足早にその場を立ち去った。
 レイを守る障壁の一つが、こうして崩れ去った事を、当人は知る事も無く映画を楽しんでいた。

映画館内

 世間では平日という事もあって、客の入りはそれほどでもなかった。レイ、マナ、ヒカリの3人は食い入る様にスクリーンを見つめる。
『駄目だ…あの小惑星は地球に落ちる。落下個所は南極になるだろう。我々の科学は…あの大自然の脅威にはまったくの無力なのか』
 セカンドインパクト発生の直前、主人公の若き天文学者は観測所の床に崩れ落ち己の無力を嘆く。
セカンドインパクトはこの世に地獄を出現させた。南極で発生した推定威力二十五万メガトンの大爆発は平均2000メートルの厚みを持つ南極氷床を瞬時に融解させ、世界の海面を70メートル上昇させるに足る莫大な水が海へ流れ込んだ。それは南半球で平均300メートル、北半球でも100メートルを越す巨大な津波となって海岸地帯を薙ぎ払った。
 そればかりか、衝撃は地軸を傾斜させ、攪拌された大気は史上最大級の暴風雨と化して荒れ狂い、揺さぶられた大地は炎を吹き上げ、大地震が各地を襲った。
 その日――1次災害だけで23億人が死者の名簿に名を連ねた。
『なんということだ…これが我々の住む世界だと言うのか。これは…地獄だ!』
 主人公がうめく。
『先生!貴方にはこの地獄の行く末を見届ける義務がある!あの大激突を予知できたはずなのに、何もしなかった貴方には…』
 主人公は赤く染まった海と、荒涼たる不毛の地と化した大地を見つめ、恩師を詰問していた。
 セカンドインパクトは南半球、特に南回帰線以南に文字通り壊滅的な被害を与えた。海水は変質して真っ赤な、血のような色をした液体へ変化し、大地は草木一本生えない荒野になった。そこにはありとあらゆる生命が存在しなかった。そう、人間だけでなく、細菌やカビと言った微生物の類さえも。
 現在南回帰線以南への侵入は、海上陸上を問わず国連によって一切禁止され、厳しい監視が行われている。赤い海水は地軸変動によって出現した環南回帰線停滞域――極端な風と水の流れが無い地域によって北上を抑えられているが、境界線に近い地域の人々は離れた空さえも赤く染めるその不気味な海に恐怖を抱いていた。
 映画は進み、この映画で最も賛否両論分かれたシーンへと突入していた。
『なぜだ!この世界を救うため誰もが手を取り合わなければならないのに…何故殺し合う!』
 海岸を埋め尽くす上陸軍を前に、主人公は絶叫する。反国連諸国軍による日本本土上陸――世に言う一週間戦争のはじまりのシーンだった。
 セカンドインパクトから2年。首都が1999年に第1新東京市(那須新首都)へ移転していたことにより、最初の津波によって政府が壊滅する事を免れたために、あの未曾有の災害の中かろうじて秩序を保ち得た日本へ国連が移転した。国連は混乱の中世界各地で頻発する紛争を抑止するため、日本政府から指揮権を委譲された自衛隊を中核とする常設国連軍を創設、世界各地へ派遣した。
 それは大きな成果を収めたが、国連と日本政府の強引な「調停」は、それを受けた勢力双方の恨みを買った。やがて極秘裏に反国連諸国は同盟を組み、2003年10月、日本本土への上陸を開始した。目標は第一新東京――国連本部と第二新東京(松本臨時首都)の日本政府の解体。1週間に及ぶ凄絶な戦闘の始まりだった。
『アユミ、俺は二度とおまえを離さない。例えサードインパクトが起きて世界が滅びてもだ…』
『ユウジさん…私も…』
 物語はクライマックスに差し掛かり、戦禍の中再開した恋人達はお互いの温もりを確かめ合っていた。周囲は人間が作り出した戦場という名の地獄だった。
 上陸軍はわずかに残存していた自衛隊留守部隊の激烈な抵抗を受け、その前進はストップしていた。戦闘開始から4日目、旧アメリカ軍を中心とする国連軍予備部隊が到着し、反撃が開始された。
 一般市民を楯として抵抗する上陸軍に対し、国連軍は仮借ない反撃を加え、一般市民ごと敵を殲滅して行った。上陸軍の組織的抵抗が途絶したのが開戦7日目…この時、すでに戦闘の巻き添えを受けて死亡した一般市民の数は70万名にも達していた。
 戦史にその悲惨さで名を残した一週間戦争はその後の日本に大きな影響を与えた。国連軍の指揮権を持たないが故に大きな犠牲を払った日本政府は自前の軍事力を保持する必要性を感じ、いったん国連に預けていた自衛隊を自国に戻し、国家戦略を実現する為の新自衛隊――戦略自衛隊を創設。
 そして、第三の首都候補地として、要害の地である箱根を決定した。だが、北海道の支笏湖畔や福島の猪苗代湖畔といった、もっと良い条件を備えた候補地を押さえて箱根が選ばれた理由は国家機密とされた――

「うう…」
 ヒカリは感動に目を潤ませて映画を見ていた。ふと横を見ると、レイとマナも食い入る様にスクリーンを…見ていなかった。
(?)
 マナはにへら〜っと笑いながら、レイは顔を赤く染めながら、どこかスクリーン以外の一点を見ている。
(なに?)
 ヒカリは二人の視線の先を追った。 そして、ヒカリは二人が見ている先に繰り広げられている光景を見て絶句した。
 そこでは1組のカップルが暗いのを良いことにいちゃついていた。時折キスをしたり、女性の方が何やら甘い声をあげていたりする。
「ふっ…不潔よぉ〜〜〜〜っ!2人ともぉ〜〜〜〜っ!!」
「ひ、ヒカリっ!?」
 潔癖症のヒカリは感動的な映画そっちのけで違うものを見ていたレイとマナに対して絶叫し、怒鳴られた二人はいきなりの親友の御乱心にパニックを起こす。
「しーっ!!」
 次の瞬間、周囲の注意の声を浴びて三人は固まる。
「あ…」
 それによって三人は恥ずかしさの余りもはや映画もカップルも見るどころではなく、縮こまって過ごした。

NEON GENESIS EVANGELION
OTHERSIDE STORY "REPLACE"

EPISODE:04 Hide in shadow

十五分後

「あー…えらい恥かいちゃったわ」
 マナが苦笑しながら言った。
「ごめん…」
 ヒカリが暗い顔で謝る。
「いいの、いいの。違うものを見てたあたしらも同罪だし。ねっ、レイ」
「えっ!?そ、そのっ…あのっ…」
 顔を真っ赤にし、しどろもどろになるレイ。
「あはははは〜っ、レイったらかわいい〜」
「ちょ…や、やめてよマナぁ〜」
 いきなりマナにじゃれつかれ悲鳴をあげるレイに、ヒカリが思わず吹き出す。その時、モール内の大ホールに取りつけられているからくり時計が陽気な曲を流し始めた。
「あ、もう6時か…時間が経つのは早いわね」
 ヒカリが腕時計を見て時間を確認した。
「そろそろ帰ろうか」
 マナが言い、それにレイも頷いて少女達は出口へ向かった。しかし、そこで彼女たちが見たのは土砂降りの雨だった。
「あちゃ〜、スコールだよ…」
 マナが目に手を当てて天を仰いだ。セカンドインパクト以降熱帯性気候になった日本では、スコールは珍しくない日常の風景の1つである。
「傘持ってこなかったなあ…」
 レイが言った。モールから環状線の駅までは屋根付きのペデストリアン・デッキがあるが、家まではそんなものはないのだ。
「しょうがないわね。やむまでお茶でもしよう」
 マナの提案にレイとヒカリは賛成し、きびすを返した。その時だった。
「ちょっと、お嬢さんがた」
 背後から声がした。何時の間にか、数人の男達が後ろに立っていたのだ。
「なにか御用ですか?」
 ヒカリが言った。その目には「またナンパ?」と言うような警戒感が宿っている。
「ええ、とくにそちらのお嬢さんにね」
 男達のリーダー格らしい30代くらいの角刈りの男がレイに向かって言った。
「わたしに?」
 レイは答え、そして愕然となった。雑誌を上からかぶせて隠してはいるが、男の手には銃が握られていた。その銃口がまっすぐレイを目指している。
「あ、あなたたちは一体…」
「我々の正体など些細な事です。綾波レイさん、それにそちらのお二人も。御同行願えますね?」
 要請の形を取ってはいたが、それは明らかな命令だった。逆らう術は、14歳の少女達には無い様に見えた。しかし――
「きゃああああっ!チカン!えっちぃ〜〜〜〜〜っ!!!!」
 地下三階から地上七階まで吹き抜けの大ホール全体に響けとばかりの絶叫がほとばしった。
 マナだった。その凄まじい叫びに、周囲の買い物客が一斉に彼らの方を注目する。思わず固まった男たちを見て、マナが親友二人をつつくと走り出した。
「今よっ!」
 その声に、レイとヒカリは反射的にマナの後を追う。
「あっ、くそ、待て!」
 男たちのひとり――若手の長身の男が叫び、咄嗟にレイの手を掴もうとした。
「えいっ!」
 その手にレイが振り回したショルダーバッグが直撃した。ショックで口が開き、中に収められていたものがバラバラと床に散らばる。意外に重いバッグの一撃にひるんだ男の手から、レイは抜け出していた。そのまま、三人の少女達は降りしきる雨の中に逃げ出して行く。
「くっ…!」
 手を押さえた長身の男は、怒りに燃える目で思わず懐から拳銃を抜こうとする。それを、リーダーの手が押しとどめた。
「馬鹿者、こんな人前で銃を使う気か!すぐにしまえ!それより追うぞ!」
「りょ、了解」
 男達は全力で少女達の後を追い始めた。

NERV本部・保安部コマンディング・ルーム

 青葉の返答は、加持の勘が最悪の形で的中した事を知らせた。
『ファースト…シンジ君は所在確認できました。病院です。しかし…サード――レイちゃんはロスト。所在不明です』
「わかった。シンジ君のところに至急人員を回してくれ」
 加持は電話を切った。その電話がすぐに鳴り出す。
「もしもし。…そうか、で、容態は?…わかった。衣笠と古鷹の家族には俺から手紙を書いておこう。君はすぐに捜索班に加わる準備をしておいてくれ」
 レイの護衛チームが襲われ、全滅したと言う知らせだった。メンバー3人中2人が死亡し、後の1人も予断を許さない状況だと言う。
 ハッキングを免れた予備ログの分析によれば、侵入した「敵」はせいぜい4、5人と言うところだった。だが、この場合は少数の方が動きを掴みづらい。第三新東京市は人口的には中都市と言うレベルだが、それでも十万人近い人間が暮らしている。そこに紛れた4、5人を捜すのは至難の技だった。
(くそ…後手後手に回っている)
 加持は唸った。レイの反応が最後に観測されたショッピングセンターには、彼女が落として行ったIDカードが残されていた。このカードには自動的に本部のMAGIへ現在位置を転送する機能がある。これを本人が手放してしまうと、本人の位置そのものがわからなくなってしまう。4〜5人でも大変なのに、1人を探し出すのはさらに困難だ。
 その時、ミサトが部屋に入ってきた。
「不手際ね、加持君」
 ミサトの冷たい一言に加持は言葉に詰まった。
「面目無い…」
 加持が言うと、ミサトはフッと笑った。
「らしくないわね。気持ちはわかるけど、焦ったら向こうのペースに持ちこまれるわよ」 そのミサトの一言に、加持は頭を掻いた。
「…だな。ありがとう、葛城」
「礼を言うのは早いわよ。あの娘達を助け出してからにしないと」
「ああ…」
 加持は頷いた。その時、加持の頭に天啓のように閃くものがあった。
「そうか、レイちゃんだけだから見つからないんだ!」
「どうしたの?」
 いきなり大声を張り上げた加持に、ミサトが目を丸くする。
「いや、さすがは葛城だ。良いヒントになったぜ。俺は行く所がある。後は任せた」
 言うなり加持は部屋を飛び出して行った。
「ちょ、ちょっと加持君!後は任せたって…」
 ミサトは加持に呼びかけたが、その時には加持はもう廊下の角を曲がって姿が見えなくなっていた。
「…ホント、何をやりだすかわかんない奴」
 ミサトは呆れたように呟いた。
「…だから、あいつが惹かれたのかもね…」
 その呟きの後半部分は誰にも聞かれる事無く、部屋の天井に消えて行った。

第三新東京市 第九区

 ばたばたばたばた……
 荒々しい足音が遠ざかったのを確認し、少女達は隠れていた路地から顔を出した。
「行っちゃった?」
「うん…」
 右を覗いていたレイが聞くと、左を覗いていたヒカリが答えた。
「うう、ずぶ濡れだわ…お気に入りの服だったのに」
 マナがそう言いながら濡れて体に張りついたブラウスを引き剥がす。雨の中を逃げ回った3人はずぶ濡れになり、寒さで唇は紫色になっていた。
「何だったのかしら、あの人達」
 ヒカリが言った。
「わかんないわね。レイを狙ってたみたいだけど…」
 マナの言葉に、レイの体がぴくりと震える。
「レイ?」
 それに気がつき、マナがレイに声をかける。
「ごめんなさい、マナ、ヒカリ…」
 レイは震える声で言った。
「また、わたしのせいで危ない目に合わせちゃって…」
 最初の戦いの後で、冬月に言われた事を思い出していた。 
『…国連は必ずしも万人に支持されている存在ではない』
『NERVも、そうした反国連主義者たちのターゲットになるかもしれん――』
 その時に、ヒカリがレイの体を抱きしめた。
「馬鹿なことを言わないでよ、レイ」
 マナもレイの頭を抱くようにして言った。
「ヒカリの言う通りだよ。あの人達がレイを狙ってたとしても、それはレイのせいじゃないもの。ううん、ちがうな。たとえレイのせいでも、あたしたちはレイの味方だよ」
「マナぁ…ヒカリぃ…」
 レイは涙を浮かべて二人の親友を見つめた。
「ありがとう…」
「気にする事無いよ。私たちは友達でしょ?」
ヒカリが言い、ようやくレイの涙も止まった。
「さ、今のうちにここを逃げ出そう。でないと風邪ひいちゃう」
 マナの言葉に二人も頷き、少女達は路地から抜け出した。
「どっちへ行こうか?」
「ここなら、近くにNERVの入口があると思う。あそこに入っちゃえば…」
 レイが言って、マナとヒカリを先導して歩き始めた。二百メートルほど行ったところで小さな雑居ビル風の裏口にたどり着く。ドアの横にビルの外見には似合わない最新型のカードキースロットがあるのでマナたちにもすぐにわかった。
「…あれ?」
「どうしたの、レイ?」
 ショルダーバッグをごそごそと探していたレイの顔が段々青くなって行くのに気がついてヒカリが声をかける。
「どうしよう…IDカード落としちゃった…!きっと、あの時に!」
「あ…」
 レイが追っ手を振り払う為にバッグを振るっていた光景を思い出してヒカリが頷く。
「どうしよう…」
「誰かの家に行こうよ。ここなら、レイの家が近いんじゃないの?」
 マナが提案した。
「そう…だね。今なら…あ、加持さん今日準夜勤だった」
「じゃあ、私の家はどうかな…ちょっと遠いけど。それに、ひょっとしたらレイの家は見張られてるかもしれないし」
 ヒカリが言った。
「そうね…あたしの家はここからだと街の反対側だしね」
 マナが賛成し、3人はヒカリの家目指して歩き始めた。すると、後ろの方から車が走ってくるのが見えた。
「タクシーだ!」
 一瞬、あの男達が車で追ってきたのかと思ったレイたちだったが、それが市営タクシーだと気がついて、手を挙げる。タクシーは彼女たちの数メートル先で停車した。
「どちらまで?」
 運転手の質問に、ヒカリが住所を告げる。それを聞いて運転手は頷くと車を発車させた。
「助かったぁ。これであの人達も追って来れないわね」
 タクシーが走り出すと、ヒカリはホッとしたように笑って言った。
「うん、あとはヒカリの家に着いたら、加持さんに電話をして迎えに来てもらおう」
 レイもニッコリと笑った。
「あたしは着替えたいわ。なんか、ホントに風邪ひきそう」
 マナも、そう言いながら顔は笑っていた。
 最初に異常に気がついたのは、ヒカリだった。
「運転手さん、道が違いませんか?」
 ヒカリが尋ねた。彼女の家があるのは第十九区だが、車は第十八区の方へ向かっていた。
「いいや、違わないよ」
 運転手が答えた。何気ない口調だったが、そこにわずかにこめられた悪意の微粒子を感じとって、レイが反応する。
「運転手さん…まさか?」
 帽子を目深に被っている為に、よく表情の分からない運転手。だが、レイは見た。バックミラーに映った彼の口元に、歪んだ笑いが張り付いている事を。
「いや、見事にひっかかったね、お嬢さん方」
 運転手はクックッと笑いながら車を自律運転に切り替え、懐から銃を抜き出した。
「…!」
 自分達が今度こそ逃れ様の無い罠にはまった事に気が付き、少女達は絶句した。

NERV本部・発令所

「加持さん、本気で言ってるんですか?バレたら俺も貴方もクビじゃあすみませんよ」
 加持の提案を聞いた青葉が呆れたような声で言った。
「もちろん本気だ。あの娘達を救う為だからな」
 加持は真剣な表情で答えた。
「まあ、レイちゃんたちの為ですからね…相手が何だろうと引き下がるわけにゃあ行きませんやね」
 青葉はそう言うとコンソールに向き直った。ふだん使いなれているものと同じ能力を持つ「敵」に対し、彼はこれから戦いを挑むのだ。
 加持の思いつき、それはマナとヒカリのIDカードの反応を追跡する事だった。一般市民用のカードにも、NERVのカードと同様に、所持者の現在地を住んでいる自治体のメインコンピュータに送る機能がついている。
 所持者のプライバシーや行動の自由を侵害するこのシステムは、もちろん第1級の違法行為である。だが、続発するテロや、セカンドインパクトの影響で激増した犯罪を抑える切り札として、日本政府は極秘に一般市民用カードにこの機能を組みこんでいた。
 が、システムの合法性自体はこの場合問題ではない。問題は、第三新東京市、そして同市が属する相模特別州は日本政府の直轄地ということである。つまり、マナとヒカリのデータが送られている相手は第二新東京市の日本政府が所有するMAGI弐号機、NERVのメインコンピュータの姉妹機だということだった。
当然、そのセキュリティは一般的なコンピュータの比ではない。それでも、マナとヒカリの居場所を突き止め、恐らく一緒に囚われているであろうレイを助け出すには、その困難な相手にハッキングをしかける必要があった。
「始めます」
 そう言うと、青葉はキーボードを叩き始めた。まずカリフォルニアへアクセス、そこからパリへアクセス、さらに北京へアクセス…と十数箇所のポイントを経由して行く。相手側セキュリティの追跡を免れる為だ。
「…良し、これからが本番だぜ…」
 最後の経由地、モスクワを通って青葉は日本政府内務省のデータベースへ辿り着いた。そこには目的とするデータが入っているが、これからが最大の難関だ。
「これで…どうだ?」
 青葉の手が忙しく動き、アクセスの痕跡を消す「ワーム」と呼ばれる自律プログラムを日本政府のMAGIへ送りこむ。そうしておいて、青葉は自動パスワード解析・生成システムを起動した。相手のパスワードの構造を解析し、その構造にのっとって生成される無数のパスワードを送りつけるものだ。
 ワームの働きで、本来3回連続でアクセスに失敗すると動き出す相手のセキュリティが、5万回以上の連続失敗も気づかずにいる。しかし、青葉は油断せず新しいワームを次々に送りつけた。
「…通った!」
 数百万個のパスワードが送られた後で、ついにデータベースのロックが解除され、青葉は内部への侵入へ成功した。すかさずID追跡システムにアクセスし、「霧島マナ」「洞木ヒカリ」の名前をインプットする。
「出ました!最新の情報では姥子温泉付近を移動中。東へ向かっています。時速40キロ」
「姥子?新首都高は避けたのか」
「目立ちますからね」
 青葉が答えたとき、画面が真っ赤になった。
「ちっ!感づかれた!」
 青葉が舌打ちしてアクセスを切ろうとする。
「待て!ギリギリまで続けろ!」
 それを加持が抑える。
「ですが…」
「かまわん。できるだけ情報を集めたいんだ」
「…わかりました。どうなっても知りませんよ」
 そう言いながら、青葉は画面上のセキュリティの探知率のゲージを睨む。
「…限界です!」
「よし、切れ!」
 加持が命じ、アクセスが切られた。画面上の探知率は99%を指している。最初の中継地点であるカリフォルニアまでは確実に追跡されていた。だが、それから先はもう分からないはずだった。その間にこちらへ転送されたデータを加持と青葉が睨む。
「どうやら大湧谷に向かっているようだな…なんで行き止まりに入っていくんだ?」
 青葉が言う。
「まずいな…」
 と加持が呟いた。
「何がです?」
 青葉が尋ねると、加持は重苦しい声で答えた。
「行き止まりなのに入っていくって事は、そこが目的地だからだ…迎えが来るのか、それとも…」
「それとも?」
「いや、何があるかは知らんが、こうしちゃおれんぞ」
 レイたちを殺す気かもしれない、という最悪の想像を口には出さず、加持は命令を下した。
「実戦班はフル装備で格納庫へ集結しろ。チームアルファは俺が直卒、ベータは三隈二尉が指揮を取る。5分以内だ」
 加持はそう言いながら駆け出した。そうしながら青葉に「ありがとう、助かった!」と叫び、慌しく発令所を飛び出して行く。大仕事を終えた青葉は、手を振ってそれに答えた。

大湧谷

 大湧谷は第三東京市の東にある展望の名所で、常に地下から蒸気が噴出している事でも知られている。その、市街を望む断崖の近くにタクシーは止まった。すでに辺りはすっかり暗くなり、眼下には市街地の明かりがきらめいている。
「降りな」
 運転手を装った男に銃で促され、レイたちは車を降りた。そこには、リーダーの中年男を始めとする他の男達も待っていた。
「私たちをどうする気なんですか」
 ヒカリが震えながらもリーダーを気丈ににらみつけて言う。
「残念だが、我々が用があるのは綾波さんだけだからな」
 そう言って、リーダーは指で合図した。部下たちがマナとヒカリの肩を押さえつける。
「そちらのお二人には死んでいただく」
 リーダーのその言葉に少女達の顔が蒼白になった。
「や、やめてっ!言うことをなんでも聞くから、二人は助けてあげてっ!」
 レイが叫んでマナとヒカリの方へ駆け寄ろうとするが、彼女もリーダーに体を押さえつけられているために動く事ができない。
「…それは駄目だな。何しろ顔を見られているわけだから」
 リーダーは顔をしかめて言った。その間に、別の科学者風の男がバッグから注射器と薬の入ったアンプルを取り出す。
「これは最近開発された睡眠薬でね、薬効を示した後はすぐに分解されて痕跡が残らないと言う代物だ」
 その科学者風の男が言った。
「それを注射して噴気口の近くに寝かせておけば、後は漂っている火山ガスが片をつけてくれる。苦しみは無い…」
 そう言いながら、アンプルの中身を注射器に吸い上げ、異常なく薬が針の先から出るかどうかを確かめる。
「やめて…やめてっ!」
「お願いっ!二人は、二人は…」
 恐怖におびえる少女に、男が近づいていく。
「…やれ」
 リーダーが命令した、その瞬間だった。
 注射器を持った男の額に小さな穴が開いた。同時に後頭部が爆ぜ割れ、血しぶきと共に男は後ろへ吹き飛ばされ倒れた。
「!?」
 何が起きたのか、誰も理解できないままに、運転手を装っていた男が同じ運命をたどった。
「狙撃だ、伏せろっ!」
 リーダーが叫び、レイに覆い被さるようにして地面に伏せるのと、マナ、ヒカリを押さえつけていた男達が今度は後ろから覆面に野戦服を着た一団に羽交い締めにされ、電磁ロッドで無力化されるのが、ほぼ同時に起きた。続いて、マナとヒカリがその男達に一団に保護される。だが…
「動くなっ!」
 今や一人残されたリーダーが、レイの頭に拳銃を突き付けて叫んだ。
「動いたら、この娘を殺す!」
 その声に、一団の男達は銃を構え、地面に伏せたリーダーとレイを遠巻きに囲む。その中から、一人だけ覆面をしていない男が現われた。
「加持さん!」
 レイが叫ぶ。そう、それは保安部の実戦班を率いて駆け付けた加持だった。この近くに通じているトンネルを使い、本部から直行してきたのだ。加持は頷くと、リーダーに呼びかけた。
「無駄な真似はするな。大人しく投降しろ」
「黙れ!動くなと言っているだろう!」
 男が叫び、レイの頭にさらに銃を押しつける。レイは恐怖に声も出ない。一瞬辺りに沈黙が流れたが、それを破って加持の声が響いた。
「みっともない…貴様にはプロの誇りは無いのか?それとも、俺が辞めてから戦自のルールは変わっちまったのか?」
 その声を聞いて、リーダーの顔色がもろに変わった。
「なぜ、我々が戦自だと」
「小細工のし過ぎだ。堂々と入ってくれば分からなかっただろうに、裏から入ろうとするから、却って手がかりを残す。反国連派で、MAGIをハッキングできる施設を持つのは、戦自しかあるまい」
 加持の言葉に、男は微笑した。加持の言う通りだった。国連軍の一般市民を巻き込んだ戦争の末に誕生した戦自には、日本を守るのは国連軍ではなく自分達だと言う強烈なプライドがあり、それが国連への反感に繋がっていたからである。
「お見事だよ、NERVの指揮官さん。俺たちの負けだ。お嬢さんはお返ししよう」
 そう言うと、リーダーは立ちあがり、レイを引き起こしてやった。
「済まなかったな、お嬢さん」
 リーダーはレイの服についた埃や木の葉を払ってやり、行け、と手を振った。レイは頷き、男から少しづつ離れ始めた。
「よし、銃を捨てろ。それから頭の後ろで手を組んで向こうを向け」
 加持が言った。しかし、男はニヤリと笑って言った。
「お断りだ」
「なに?」
「負けたとは言ったが、投降するとは言っていないからな」
 そして、男は無造作に左手をポケットに突っ込んだ。「カチリ」と言う小さな音が響く。
「貴様、何を!?」
 加持が叫ぶと、男は笑いを顔面に張りつかせたまま答えた。
「デミフレア・ナパームだよ。爆発半径は10メートル、起爆は1分後に設定してある。早く逃げるんだな」
 男の言葉に加持を含む保安部員達の顔色が変わった。
「退避、退避だっ!」
 加持が叫び、レイを引き摺るようにして逃げ出す。全力疾走で逃げ、保安部員達が草の蔭に身を投げ出すと同時に、リーダーのいた辺りでまばゆい閃光がきらめき、続いて腹に響く爆音、そして熱い爆風が彼らをなぶった。
 恐る恐るふりむいた時、戦自の特殊隊員達がいた辺りは、直径10メートルのクレーターになっていた。彼らの存在を示す、何ものも残ってはいなかった。それはデミフレア・ナパーム――重要な物資、機材の破壊に使う特殊爆弾の威力の凄まじさを物語っていた。
「間一髪だったな…それにしても自爆とは…戦自はいつから旧軍並みになったんだ」
 冷や汗をぬぐい、己の古巣に悪態をつく加持。その加持の野戦服の袖を、きゅっと掴む者がいた。
 レイだった。
「加持さん…怖かった!わたし、わたし…!」
 後は言葉にならず、緊張から解き放たれたレイは加持の胸に顔をうずめ、ひたすら泣きじゃくりつづけた。先に解放されたマナは、その光景を優しげな顔で見つめていた。普段なら「不潔よ」くらいは言いそうなヒカリも、何も言わずに親友を見つめていた。
「終ったんだよ、レイちゃん…もう何も心配する事はない」
 加持が優しく言いながらレイの頭を撫でてやると、レイは涙に濡れた顔を上げ、まだ涙をこぼしながらもにっこりと笑って頷いた。
「帰ろう、レイちゃん。俺たちの家へ…」
「はい」
 レイは涙をぬぐって頷いた。雨の後の彼女の逃亡劇は、こうして静かにその幕を下ろしたのだった。

次回予告

 他人との接点を持たず、孤独に生きていく少年、六分儀シンジ。自分の父親にしか心を開かず、レイとの接触でさえ任務の延長として受け取る彼にレイは戸惑う。心が触れ合う事も無く、第5使徒の放つ光が初号機の胸を焼く。
 レイの絶叫が第三新東京市を引き裂く。

次回、第伍話「シンジ、心の向こうに」

あとがき

 いやはや…疲れました。第参話の時も思ったんですけど、女の子同士の会話を書くのって難しいですね。マナとヒカリのファッションも妥当なものかどうか分からないし。いちおう少女マンガ等を参考にして服装を決めたのですが。あ、そう言えばレイの服装は書いて無いや(殴)。
 今回は世界設定含めオリジナル展開中心でした。次回はいよいよシンジが本格的に再登場します。シンジファンの方はお楽しみに。
 …性格とかはかなり違ってますけどね。
では第伍話でお会いしましょう。
2000年5月吉日 さたびー拝

さたびーさんへの感想はこちら


Anneのコメント。

ふむふむ・・・。原作のシンジの立場などに比べてレイは幸せ者ですね♪
だって、今回入った営倉ってば、下手すると自分の家より良い環境でちょっとした旅行気分じゃないですか(笑)
同時に原作ではなかったネルフ職員のチルドレンへの想いも伝わってきて良い感じです。

で、ここでふと疑問に思ったのが『雨、逃げ出した後』のタイトル。
この状態ならレイは家出しないよなぁ〜〜っと考えていたら、なるほど戦自から逃げた後の事を意味していたんですね。
しかし、戦自も積極的ですね。これは今後も一波乱がありそうな予感がします。
これはやはり『鋼鉄のボーイフレンド』な予感が・・・。(笑)

>加持が渡したのは1万円札3枚ではなく、5万円札3枚だった。

おや?5万円札が出来ているんですね。
でも、セカンド・インパクトで激しいインフレがいかにも起きていそうですから、出来ていてもおかしくはないですね。



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