静寂の中で、対峙する二つの影があった。
一つは汎用人型決戦兵器、エヴァンゲリオン初号機であり、もう一つは正体不明の人類の敵、使徒。
「シンクロ率、48.6パーセントで安定。ハーモニクス、全て正常」
「戦闘行動に問題無し」
オペレーター達の報告を聞いたミサトは頷くと、エヴァ初号機に乗るレイに呼びかけた。
「いいわね、レイ」
「は、はいっ!」
ミサトの呼びかけに、操縦席のレイが慌てて答える。
「インダクション・モード(誘導様式)の使い方は説明した通り。目標を照準環のセンターに入れて、スイッチ。復唱は?」
「も、目標をセンターに入れて、スイッチ!」
「よろしい。では、攻撃開始!」
ミサトの命令を受け、レイはゴーグル式のターゲッティング・デバイスを目の前に持ってきた。手にしたリニアレール式の大口径機関砲、バレット・ライフルの横に装備された照準装置に合わせ、デバイスの視界が変化する。
そして、使徒の姿が照準環の中央に来た瞬間、レイは気合を入れるために叫びながら引き金をひいた。
「目標をセンターに入れて、スイッチ!」
次の瞬間、203ミリというかつての巡洋艦の主砲に匹敵する大口径を持つバレット・ライフルが唸り、タングステン弾芯の徹甲榴弾を吐き出し始めた。
弾丸はマッハ4を越す速度で使徒に向けて殺到して行き――
全弾が外れた。
「な、なんでぇっっ!?」
レイが叫んだその瞬間、使徒の顔面に閃光が走り、視界が白で埋め尽くされた。レイは、自分が破れた事を知った――
その時、第三新東京市の風景が消え、エヴァはホログラフを用いた、だだっ広い訓練場の中に立っていた。
「これで十五戦全敗…無様ね」
ミサトが呆れかえった声で言った。
「まさかとは思うけど、伊吹二尉、照準が狂っているとか言う可能性は?」
「お言葉ですが葛城作戦部長、その可能性はありえません」
技術部の技量を疑われたマヤがふくれたように、わざとミサトを役職名で呼んで答える。
「だとすると…これも一種の才能かしら」
エヴァの戦闘訓練において、射撃に関しては惨憺たるレイの成績を前にミサトは言った。
レイのエヴァ・パイロットとしての訓練メニューは、エヴァに乗っての格闘、白兵戦、そして射撃。格闘や白兵戦ではレイはかなりの成績を出している。しかし、射撃となると根本的にセンスが無いのではないか、と思えるほど悲惨なものだった。今日も朝から射撃では止まった目標にすら命中を出していない。
「もういいわ、レイ。上がって」
ミサトが言うと、レイは「はい…すみません…」と、さすがにうなだれた表情で頷いた。
「それにしても、よくまたエヴァに乗る気になりましたよね、彼女…」
マヤが言うと、ミサトも頷いた。
「加持君がいろいろと気を使って、コンディションを保ってやっている、って言うのもあるけど…なんか、学校でいい事があったらしいわよ」
「いい事?」
「私にもよく分からないけどね」
ミサトとマヤがそんな会話をしている頃、レイはシャワー室でまだ「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ…」と、イメージトレーニングを続けていた。
少なくとも、彼女は努力家ではあった。
新世紀エヴァンゲリオン REPLACE
第参話 「鳴らない、電話」
2週間前 第三新東京市々立第壱中学校2‐A
「おっはよーっ!」
朝から教室にハイテンションな挨拶がこだました。声の主はショートカットの茶色がかった髪の毛が快活な印象を与える少女。
「おはよう、霧島さん」
「おはよう、マナ」
クラスメイトたちが一斉に返事をする、この少女の名前は霧島マナ。明るい性格でクラスのムードメーカー的な存在である。
「あれ、今日は委員長と一緒じゃないの?」
女子の一人がマナに尋ねた。
「ヒカリ?ヒカリならノゾミちゃん…妹さんのお見舞いで、ちょっと遅くなるって」
マナが答えた。すると、教室のドアを開けて髪を二つに分けて結んだ少女が入ってきた。彼女が話題の主で、マナの親友でもあるクラス委員長の洞木ヒカリである。
「あ、ヒカリ、早かったね」
マナが手を上げて挨拶すると、ヒカリも手を振って応えた。
「委員長、妹さんの調子は?」
周りの女子が聞いた。
「うん、順調で、あと何日かの内には退院できるって」
ヒカリが言うと、あたりに安堵の空気が広がった。
「良かったわね、ヒカリ」
マナが言うと、ヒカリもニッコリと笑って応える。
「でも大変だよね、戦争に巻きこまれるなんて」
生徒の一人が言うと、周りの少女達がうんうんと頷いた。それを見て、ヒカリとマナは少し複雑な表情になった。
「そう言えば、今日転校生が来るんだって?」
一人の少女が言うと、場にざわめきが広がった。
「ホント?」「どんな子かな」「可愛い男の子だと嬉しいな」…etc
「マナは何か知らない?」
友人たちが期待に満ちた視線をマナに向ける。彼女はどう言うわけかこうした情報に詳しいのだ。
「残念、女の子だってさ」
マナが言うと、な〜んだ、という声が上がったが、今度はその転校生が可愛いかどうかで話題が広がって行く。
その時、始業のベルと共にクラス担任である数学の教諭が入ってきた。生徒たちは急いで自分の席に戻る。ヒカリが気合を込めて「起立!礼!着席!」と号令をかけると、担任はのんびりとした声で切り出した。
「え〜、今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります。今日からこのクラスに新たな仲間が加わる事になりました」
数日前からの噂の裏づけが為され、生徒たちの間にどよめきが広がる。
「みんな、静かに!」
ヒカリがビシッと言うと、そのどよめきは瞬時におさまった。やや生真面目なヒカリだが、クラス委員長としては誰もが認める統率力の持ち主であった。担任はヒカリに礼を言うと、廊下のほうを向いて言った。
「では、新しい友人を紹介しましょう。お入りなさい」
その声に応じて扉が開かれ、転校生が入室すると、生徒たち、特に男子生徒の間に大きなどよめきが広がった。
「では、自己紹介を」
「は、はいっ!第二新東京から越してきました、綾波レイです!どうか、よろしく!」
緊張に負けない様に、大声を張り上げて自己紹介をするレイ。マナやヒカリなど、どっちかと言うと勝気な性格の女子が多いこのクラスにおいて、緊張に頬を染めて挨拶するレイには、男の保護欲や独占欲を刺激する何かがあったらしく、一部の男子生徒はすでに彼女に熱のこもった視線を送っていた。一方の女子生徒も、一部何らかの危機感を覚えた少女が敵意のこもった視線を男子とレイの両方に送っていたものの、おおむね彼女に好印象を持ったようだった。
「で、席の方ですが…六分儀君の隣が開いてますね。洞木さん、案内してあげてください」
「はい。じゃ、綾波さん、こっちよ」
ヒカリに手を引かれ、レイは指定された席へ歩き出した。
(六分儀…シンジくんの事?)
レイは思った。その、主のいない席は窓際の一番目立たない場所にあった。
「それでは授業を始めます」
教師が声をかけ、レイはノートを机の上に広げようとして――
(な、何これ!?)
机の上に置かれた、見なれない、いや、授業でそれを使うとは知らなかったものに思わず目を見張った。
(さ、さすが最先端の街…松本とは何もかも違うんだ…)
自分が「それ」の使い方に慣れていない事を知っているレイは、思わずため息をつきながら「それ」のスイッチを入れた。日本で一番重い秘密を背負った少女、綾波レイの新たな学び舎での生活は、こうして最初の幕を開けたのである。
授業中
「え〜、この様に人類は、その最大の試練を迎えたのであります。20世紀最後の年、宇宙より飛来した大質量隕石が南極に衝突・・・。」
授業中、担任の先生は自分が経験したセカンドインパクトのことを熱心に語っていた。この学校で黒板の代替品として使われている超大型液晶モニタをペンポインタで叩き、その頃の資料映像を映し出す。
南極解氷によって引き起こされた巨大な津波で壊滅した沿岸の都市…草一本生えない不毛の大地と化した、南回帰線以降の大地…数年前に回収された衛星の記録に残っていた、セカンドインパクト発生の瞬間を捕らえた映像…
この老教師はかつて数学の教師だったのだが、人類が経験した未曾有の大惨事であるセカンドインパクトの経験を語り継ぐ為、社会の教師に転身したと言う過去があった。そのため、この教師の授業は常に熱意に溢れており、生徒たちも普段なら熱心に話を聞くのだが、さすがに今日はそうでもなかった。
原因はもちろん、転校生であるレイの存在であった。
そのレイは、目の前にある「それ」――ノートパソコンタイプの端末――に悪戦苦闘していた。
レイが前住んでいた松本臨時首都、通称第二新東京市は新首都建設までの仮の首都である。仮だとわかっているせいか、インフラの整備は遅れており、学校の授業も黒板と紙とペンで行われる昔ながらのスタイルで行われていた。
だから、レイにとって、将来の新首都という事で最先端技術が豊富に投入されている第三新東京市の学校の授業――端末を初めとする電子デバイスを多用した授業形式は初めての経験であった。
そして、なんとなく使い方が分かってきたときには、次から次へとやってくるメールのために授業どころではなくなっていた。
「綾波さん、趣味は何?」
「好きな男の子のタイプは?」
「スリーサイズ教えてよ」
中にはセクハラまがいの内容もあったが、レイはできるだけそうした質問メールの多くに答えて行った。しかし、十何個目かの質問の内容を見た瞬間、レイは飲んでいたパックのカフェオレを口から吹き出しそうになった。
『綾波さんが、あのロボットのパイロットってホント? Y/N』
口を押さえ、カフェオレを飲み下すと、レイはあたりを見まわした。しかし、別段反応している生徒はいない。あらためて画面に目を戻すと、新しいメールが入っていた。
『わかってるよ。秘密なんでしょ?でも大丈夫。これ秘話回線だから、あたしにしか分からないよ(^^)』
とは言うものの、エヴァのパイロットであると言う事など、漏らしてしまって良いものとはとても思えなかった。レイはマウスを操って「N」をクリックしようとして…
間違って、「Y」を押してしまった。
(ああっ、しまった!)
レイは慌てて「今のは間違い」というメールを送ろうとしたが、相手が誰なのかわからない。困っているうちに、向こうから返事が来た。
『やっぱり?だいじょぶ、みんなには内緒にしとくから。あ、あたし、霧島マナ。よろしくね』
そういう文章と共に、マナの顔写真と席順が表示された。レイがその席のほうを向くと、マナが手を振っているのが見えた。そして、彼女は後ろの席にいたヒカリに何か話しかけていた。
(だ、大丈夫なのかな…)
レイが汗を額に浮かべて見ていると、またしてもメールが来た。
『クラス委員長の洞木ヒカリです。お話があるので、休み時間に屋上まで来てください Y/N』
その事務的なメールの内容が、なんとなく相手が怒っているかのように見えて、レイは一瞬躊躇したが、素直に「Y]をクリックする。そして、ヒカリの方を見ると、彼女はレイの方を見ていて、頷いた。
(なんだろ…大丈夫なのかな…洞木さん、真面目そうな人だけど、まさか…)
レイの脳裏に、一つのビジョンが浮かんだ。パイロットである事を黙っていて欲しかったら…と、マナとヒカリに脅迫される自分。
(ま、まさかね。マンガの読み過ぎよね、きっと)
そう自分に言い聞かせながらも、不安の色は隠せないレイだった。質問メールはまだ来つづけていたが、今の彼女にはそれに答える余裕はすでに失われていた。
休み時間・屋上
授業の後片付けもそうそうに、レイは屋上へとやってきた。そこに待っていたのは、ヒカリだけではなかった。マナも一緒にいて、ベンチに腰掛けて手を振っている。
(ま、まさかぁ〜〜〜っ!?)
授業中の空想を思い出し、思わず引き返そうとしたレイを、マナが後ろから捕まえた。
「きゃっ!?」
「ちょ、ちょっと、綾波さん、どうしたの?」
マナが心配そうな声でレイに聞くが、レイはパニックを起こしていた。
「お、お願い!あの事は、あの事は秘密なの!お願いだからばらさないでぇ〜〜〜!!」
焦るレイに、マナが優しく話しかける。
「うん、分かってるよ」
「へ?」
レイがマナの方を振り向くと、マナはニッコリ笑った。
「心配しないで。あたしのお父さんもNERVの関係者なの。それに、ヒカリの用事もそんな、綾波さんを脅そうとか、そんなんじゃないからさ」
マナが言うと、ようやく落ちついたレイは、ヒカリの方を見た。
「ほら、ヒカリ、綾波さんに言いたい事があるんでしょ?」
マナが呼びかけると、ヒカリは近寄ってきて、そしてレイの手を握った。
「ありがとう、綾波さん!」
「へ?」
いきなり礼を言われ、訳がわからずきょとんとするレイ。
「こないだ、あの怪獣が攻めてきたときに、私の妹が、瓦礫の下敷きになって、怪我しちゃって…」
そのヒカリの言葉に、レイの顔が曇った。
「ま、まさか…わたしのせいで?」
おずおずとレイが言うと、ヒカリは慌てたように首を横に振った。
「ち、違うの!私とマナがノゾミ…あ、妹の名前なんだけど、ノゾミを助けようとして…でも、あの怪獣が近くにいたから、救助の人も危なくて近寄れなくて…」
マナとヒカリの回想
激しい爆音と共に、数ブロック先のビルが倒壊した。火災が起こり、あちこちでサイレンが鳴り響く。熱く灼けたコンクリートの破片が降り注ぎ、間断無く地響きが襲ってくる中、3人の少女達は必死に駆け続けた。
たまたまビルの屋上のカフェテラスにいたマナ、ヒカリ、そしてノゾミの3人は、避難警報が出されたときにもちろん地下のシェルターへ逃げようとした。
しかし、使徒の攻撃によりこの一帯の送電がストップしてしまい、エレベーターやエスカレーターが全て動かなくなってしまった。少女達が非常階段を駆け下りて地上に降りた時、シェルターはすでに閉鎖されていた。
「お、お姉ちゃん!どうしよう!」
泣きべそをかくノゾミ。
「とにかく、どこか隠れられる場所を探しましょ!」
ヒカリの提案に、3人は街の中を走り始めた。
しばらく夢中になって逃げ場所を探していたとき、ノゾミの悲鳴にマナとヒカリは振りかえった。そして、二人はそこに信じられないものを目にする。
「な、何!?」
「怪獣!?」
そこには使徒がいた。思ったより近く、二ブロックほど先に立つその巨体は、何かを捜し求めるかのようにきょろきょろと頭を振り、そして光線を放つ。
「なんだかわかんないけど、ヤバイよ!あいつから反対に逃げるわよ!」
マナが叫び、洞木姉妹が頷いたとき、3人の頭上を光線が駆けぬけた。熱さと衝撃波に悲鳴を上げ、その場にうずくまったとき、ノゾミの悲鳴が聞こえた。
「ノゾミ!」
恐怖に引きつったヒカリの声がした。マナが振りかえると、光線にかすられたビルの破片が落下し、車を押しつぶしていた。その隙間にノゾミが挟まっている。
「助けて!お姉ちゃん!」
慌てて駆け寄ったマナとヒカリは、力を合わせて瓦礫を除けようとした。しかし、何百キロもあるコンクリ片は14歳の少女の細腕には到底手におえる代物ではなかった。
そうしている間にもかすられたビルは火災を起こし、火の粉が舞い落ちてくる。
「もうダメ…お姉ちゃん…逃げて…」
「バカ!そんな事できるわけ無いでしょ!」
弱気になったノゾミをヒカリが叱り付けるが、彼女の目にも涙が浮かんでいた。
(ああ…助けて、誰か…)
マナが祈るように呟いたとき、少し離れた地区の交差点から、湧き出すように巨大な影が出現した。
(また、出た…?ううん、何か違う。あれって…)
なぜか分からないが、マナはその新たな影に敵意を感じなかった。やがて怪獣がその影――エヴァ初号機に向かって行くと共に、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。
レスキュー隊の到着だった。
「つまり、綾波さんはあたし達の恩人って言うわけ」
マナがそうまとめると、レイはようやく事情を理解してホッとしたように笑った。
「そ、そうなんだ…いきなり、あのロボットのパイロットってホント?なんて聞かれたから、てっきり…」
レイが言うと、マナがちょと上目遣いにレイの顔を覗きこんで言った。
「てっきり…なに?まさか、あたしたちが綾波さんを脅してあんなコトやこんなコトまでしようと思ったとか?」
「う…うん」
「あんなコトやこんなコト」の意味する所が何かはわからなかったが、レイが頷くと、マナは大げさに天を仰いで言った。
「ひっど〜い!あたし達ってそんなに悪っぽいぃ!?」
「あ、あっ!ごめんなさい!」
レイが慌てて謝ると、マナはあはは、と明るい声で笑った。
「いや、そんなに気にしないでね。こっちこそ、綾波さんの事怖い人じゃないかっておもってたんだから。ね、ヒカリ」
マナがヒカリの方を振り向く。
「ちょ、ちょっと…マナ!」
ヒカリが抗議の声を上げたが、マナは構わず続ける。
「あんなロボットのパイロットをしてるくらいだから、やっぱり、軍隊調にピシッとした人なんじゃないかなんて、ヒカリが…むぐっ!?」
「ちょ…それ以上言わないでっ!」
ヒカリが慌ててマナの口を押さえ、二人はじたばたと暴れる。それを見ているうちに、レイの顔に笑いがこみ上げてきた。
「ぷっ…うふふっ…あはははは…」
笑い出したレイに、じゃれあっていたマナとヒカリは一瞬不思議そうな目を向けたが、あまりに無心なレイの笑いに二人もつられはじめ、やがて屋上に3人の少女の弾けるような笑い声が流れていった。
「あはははは…ふふっ、あたしたち、良い友達になれそうね、綾波さん」
マナが言うと、レイも笑い過ぎで出てきた涙をぬぐって頷いた。
「そうね。でも、友達になるんだったら綾波さん、なんて呼び方はヘンだよね」
「そうね、じゃ、これからはレイって呼んでも良い?あたしはマナでいいからさ」
「私もヒカリで良いよ。よろしくね、あや…レイ」
「こちらこそ。ヒカリ、マナ」
誰からともなく3人は手を差し出し、しっかりと握り合った。
(そっか…わたしが戦った事で、助けられた人もいるんだ)
戦うのは今でも怖い。でも、悪い事ばかりじゃない。
レイは、二人の友達を見ながら、今なら前向きに戦って行ける、と思い始めていた。
厚木・戦略自衛隊関東防空司令部
最初にその兆候を関知したのは、富士山に設置された大型超水平線レーダーだった。海面が上昇した結果、標高こそ3776メートルから3702メートルに下がったものの、依然として日本の最高峰であるこの山は、同時に最も遠くまで見渡す警戒の目でもある。
「未確認飛行物体、防空識別圏内に侵入。高度100メートル以下の超低空で進行して来ます。速力、毎時44ノット。全長は150乃至200メートルの間と推定されます」
富士山から送られてくるデータを読みとってオペレーターが報告した。
「目標、こちらからの呼びかけに返答ありません。IFF(敵味方識別装置)に反応無し」
それらの報告を聞いて、防空部司令の空将補が命令を下した。
「待機中のスクランブル編隊に発進命令を出せ。目標に接触、正体を確認せよ」
「了解、スクランブル出ます。コールサインはフォレストベア1〜4。別名あるまで発砲は禁止。これより目標をアニー1と呼称します」
命令を受け、フォレストベアのコールサインを持った日重共(日本重化学工業共同体)VF/A−1「ストームバード」重垂直離着陸戦闘攻撃機の4機編隊が、翼端に一基づつ備えられたフレキシブル・スラスターの轟音を響かせて離陸して行った。国連軍やNERVでも採用されている巨大な機体が、マッハ1・2の速力で海上の目標――アニー1に向かって飛行して行く。
「司令、これは…あれですかね」
情報参謀が状況表示盤をにらむ司令の傍でささやくように言った。
「そうだろうな。あんな低空をあんな非常識な低速で侵攻して来るやつはおらん。間違いなく、使徒とか言うあれだろう」
二人の表情は厳しい。日本本土を守る二つの軍隊――国連日本駐留軍(UNJDF)と、日本政府直属の戦略自衛隊(戦自)。3週間前、戦自と比較して5割増し以上の戦力を有するUNJDFが使徒に挑み、大打撃を被って敗退した事はすでに知られている。
「手を出すべきじゃありませんね」
「そうだな。あんなのとやりあって、大事な隊員達を失うのは愚の骨頂だ」
「まったくです」
そう話している間に、フォレストベア編隊はアニー1に接触しようとしていた。
『こちらフォレストベア・リーダー。アニー1を目視で確認。…こいつぁ…』
「どうした、フォレストベア」
『こいつはお嬢さん(アニー)なんて可愛いもんじゃないな。ナマズのオバケが空を泳いでいやがるよ』
「OK、そいつはうちの獲物じゃない。写真だけ取って引き上げろ」
「了解」
神の使いを意味する人類の敵、第4の使徒の出現は、こうしたやり取りによって歴史に記録される事となった。
NEON GENESIS EVANGERION
OTHERSIDE STORY "REPRACE"
EPISODE:03 Girl's Kingdom
第三新東京市
低い、だがよく通るサイレンの音が第三新東京市にこだまする。
『避難警報が発令されました。生徒の皆さんは、至急、先生方の指示に従ってシェルターへ避難してください。繰り返します…』
校内アナウンスと共に授業は全て中断され、生徒たちは指示に従って校庭の地下に設けられたシェルターへと整然と避難していく。
レイもクラスメイトに倣って席を立った時、スカートのポケットに入れておいたポケットベルが振動を発した。緊急時の連絡用にと加持から渡されたものだ。
『出撃だ。迎えの車を回すので、校門前で待機していてくれ。 加持』
レイが顔を強張らせると、マナとヒカリがそれに気づいて近寄ってきた。
「どうしたの?レイ」
「ひょっとして…出撃?」
交互に小声で話しかけてくる2人に、レイは頷いた。
「そっか…がんばってね、レイ」
「私達にはそれだけしか言えないけど…」
その声に、レイは感じていた恐れが、少しづつ薄らぐのを感じた。心の底からレイの事を心配し、応援してくれるかけがえの無い友達。
彼女達の為にも、わたしは頑張る。
レイは決意を秘めた眼差しで駆け始めた。
NERV本部・発令所
「総員、第一級戦闘配備!」
司令席に座る冬月が年齢を感じさせないよく通る声で号令した。
「了解。中央ブロック、収容開始」
青葉が答え、コンソールを操作して市民の避難状況を確認し、集光ビルなどの非武装施設を地下のジオフロント天井都市部へ格納して行く。その一方で、装備完了した兵装ビルや、エヴァの武器を格納した武器庫ビルと言った戦闘施設は続々と地上へ上げられ、第三新東京市は使徒迎撃要塞都市としての威容を整えて行った。
「全地区の兵装、武器庫ビル配置完了。現在の稼働率、77.9パーセント」
「強羅絶対防衛線、各武装展開完了。稼働率99.2パーセント」
「戦闘に支障ありません」
ミサトが振りかえって冬月に報告した。頷く冬月。彼の横に普段は控えているゲンドウの姿は、今日は見られない。兵装ビル強化のための予算折衝で第一新東京(那須新首都)の国連本部へ出張しているのである。彼の努力が無ければ、今だ迎撃施設の稼働率は5割に達していなかったはずだ。
「六分儀の居ぬ間に第四使徒の出現か。意外に早かったな」
冬月が言うと、ミサトが頷いた。
「ええ、前回は15年のブランク。今回はたったの3週間ですからね」
「こちらの都合はお構いなしか」
冬月が言うと、ミサトが彼女にしては珍しく、冗談めかした口調で言った。
「女性にはもてないタイプですね」
発令所の中に苦笑が広がる。そうした中、なぜか日向だけが懐からメモ帳を取りだし、
「葛城さんの好みは…」
などと言いながら何かを書きこんでいた。
「使徒、外周警戒線を突破!」
青葉が叫ぶように報告した。
「日向君、攻撃開始よ!」
「あ、はいっ!」
慌ててメモ帳を脇に置き、日向はコンソールに手を走らせた。次の瞬間、強羅絶対防衛線に展開する無数の火器が一斉に攻撃を開始した。
山腹に埋め込まれたVLS(垂直発射式ミサイルランチャー)が猛烈な白煙と共に無数のミサイルを射出し、ロープウェイに偽装された対空レーザーバルカンが深紅の火線を宙に描き出す。しかし、それらは使徒の展開するATフィールドに阻まれ、空しく空中で散って果てた。
「軍用規格以上の大威力兵器でも無理か…税金の無駄だな」
冬月が無数の爆発に取り巻かれながら悠然と飛行する使徒を見て言った。NERVの装備する兵器は、相手が使徒という特殊な存在である事から、射程や精度より威力を上位に置いたものがほとんどだ。
通常兵器相手なら一撃で殲滅できるそれも、使徒相手ではまさに蟷螂の斧と言うべきだったが、それでも使徒はうっとうしいのか、比較的火力の薄い方へ進路を変えて行く。
「よし、時間稼ぎはできそうね」
ミサトは満足げに呟いた。地下では到着したレイと、初号機の出撃準備が進められている。時間稼ぎさえできればあとは彼女に任せるまでだ。
「…それが一番心配のような」
レイの射撃の腕を思いだし、ミサトは小さく呟いたが、それを聞いたものは誰もいなかった。
第三新東京市第335地下避難所
かち、かち…とテレビモードにした携帯デジタルツールのチャンネルを切りかえる音がする。
『ただいま、相模特別州を中心として関東・東海全域に発令された特別非常事態宣言のため、通常の番組は全て放送を中止しています。宣言の解除が確認され次第通常の番組に復帰しますので、そのままでお待ち下さい』
しかし、どのチャンネルに変えても、どこか風光明媚な場所の静止画と共にそのテロップが流れて行くだけ。
「あ〜あ、やっぱりダメね。映らないわ」
ツールを脇に置き、マナが溜息をついた。
「仕方ないわよ。あんな国連軍でも敵わないような怪獣が攻めてくるなんて、公にはできないもの」
ヒカリが言った。
「大丈夫かな…レイ」
心配そうに呟くヒカリにマナが言う。
「だいじょぶだよ。この前もレイは勝ったんだもの」
「うん…そうなんだけど」
それでもまだ心配そうなヒカリに、マナはちょっと考えこむ表情になり、ついでニヤリと笑った。
「だったらさ…見に行かない?」
「え?見に行くって、何を?」
不思議そうな表情になったヒカリの耳元に口を寄せ、マナがいたずらっぽくささやく。
「もちろん…レイの戦いぶりよ」
それを聞いたヒカリは一瞬呆け、それから猛然と喋り出した。
「な、なに考えてるのよマナ!見に行くって事は外に…もぐっ!?」
「しっ!声が大きいわよヒカリ!」
慌てたマナがヒカリの口を抑えつけ、それからきょろきょろと落ちついて話のできそうな場所を捜していると、担任教師が話しかけてきた。
「どうしました?霧島さん、洞木さん」
「い、いえっ…そ、その…洞木さんがちょっと気分が悪いらしいんです!」
「そうですか、それはいけませんね。大丈夫ですか、洞木さん」
ヒカリは返事ができない。代わってマナが答える。
「そ、その…トイレに行って来ていいですか?」
「もちろんですよ。霧島さん、ついて行ってあげなさい」
「はいっ!」
元気良く返事をすると、マナはヒカリを引きずってトイレに連れ込んだ。
「ぷ、ぷはあっ…わ、私を…こ、殺す気?マナ…」
窒息しかけ、涙目で抗議するヒカリ。
「あはは、ごめんね、ヒカリ」
マナは笑ってごまかしたが、すぐに話を元に戻した。
「実際問題さ、やっぱり心配じゃない、レイの事…」
真剣な顔で言うマナに、思わずヒカリは頷く。
「応援しかできないとしても、せめて見えるところで見守っていたいじゃない。上の事がなにもわからない地下で、じっと祈ってるだけなんて、そんなのは嫌よ」
顔を伏せて言うマナを、ヒカリは悲しげな顔で見た。ヒカリはクラス委員長として、万が一先生の身になにかあった時に備えて、シェルター出入り口のロックを解除するパスコードを知らされている。その気になれば外へ出て行く事ができなくはないのだ。
「仕方ないわね…」
ヒカリは呟いた、
「行こう、マナ。レイの事を応援しに行こう」
そう言ってヒカリがマナの肩を叩いたとき、マナは素早く顔を上げ、ヒカリに抱きついた。
「きゃっ!?」
「ありがと、ヒカリ!だからヒカリって好きよ!」
「ちょっと、何言ってるの!」
そう言いながらも、親友が元気を取り戻した事にほっとしたヒカリだったが、マナが舌をいたずらっぽく出して、「してやったり」と言う表情をしていた事には気がつかなかった。
洞木ヒカリ、14歳。しっかりしてはいるが人の良い娘ではあった。
第壱中裏山
「うわあ〜、すっご〜い!」
マナがビデオモードに切り換えたデジタルツールのファインダーを目に当てて、きゃあきゃあと歓声をあげている。
「あっ、あれは『ストームバード』!うわあ、それもNERV仕様だぁ」
頭上をフライパスして行くNERVの攻撃隊に声援を送るマナ。彼女の父親は、ミサトや加持の推薦でNERVに移籍するまで、戦略自衛隊の腕利きの航空指揮官だった。現在の職務は、NERV作戦部支援班の航空作戦課長。つまり頭上を飛んで行くNERV機はマナの父親の部下なのである。その影響か、マナもミリタリー全般に知識が深い。悪い言い方をするなら、軍事オタクだ。
(もしかして…私、騙されたの?)
はしゃぐマナに、思わずヒカリは心の中で呟く。ちなみにヒカリの父親はNERVの経理部に務めている。毎日国家予算並の金額と向き合うのが仕事だ。
(ま、いいか…)
ヒカリ自身、本当は外でレイを見守りたかったのかもしれない。そう思ったとき、ヒカリは委員長としてではなく、レイの友達としての立場で行動する事を選ぶことにした。
「レイは…まだ来ていないのね」
「そだね、例の怪獣もまだ見えてないし…あっ、あれかな?」
マナが指差したのは、黒煙たなびく強羅絶対防衛線の方角だった。山肌に沿う様にして、ナマズの怪物のようなものが市街地の方へ向けて飛んでいく。
「こないだのとはずいぶん違うのね」
ヒカリが言う。マナはツールを使徒に合わせてじっと撮影していた。
「あっ、この前のロボット!レイだわ!」
最初に地下からせりあがってきたエヴァを見つけたのは、ヒカリだった。
「ロボットじゃなくて、汎用人型決戦兵器、エヴァンゲリオンだよ」
マナがオタクらしく、レイに教えてもらった正確な呼び名にこだわる。
「どっちでも良いじゃない」
ヒカリはそう答えると、手をメガホンにして叫んだ。
「がんばってーっ、レイ!」
「がんばれーっ!」
マナも手を突き上げて唱和し、2人だけの応援団の声が山間にこだました。
エヴァ初号機・エントリープラグ
『いいわね、レイ』
ミサトからの通信がレイの耳に飛び込んできた。
「はい」
『目標をセンターにいれて、スイッチよ。落ちつけばできるわ』
「はい!」
今エヴァに装備されているのはバレット・ライフルだった。未だに使いなれていない武器だが、敵の出方がわからない以上、まずは遠距離から叩いて見るのが常道である。何しろ、今回の使徒は前回と違い、強羅絶対防衛線や出撃したNERV航空隊を無視し、全く反撃しなかったからだ。NERVの攻撃には相手の能力を探る威力偵察の面もあるのだが、反撃してくれないのでは探りようが無い。
その使徒が、エヴァに気がついたのか、今まで地面と水平にしていた胴体部分を垂直方向に移動させる。その様は、鎌首をもたげて向かい合う相手を威嚇する蛇のようにも見えた。
「今よ、レイ!」
「はいっ!目標をセンターにいれて、スイッチ!」
おまじないのようにレイが叫びながら操縦桿のトリガーを引くと、エヴァの抱えるバレット・ライフルが加速レールの立てる「ビューン」と言うような音と共に、秒間数100発の速度で203ミリ砲弾を吐き出し始めた。放たれた砲弾はマッハ4の速度で使徒へ向かっていき…
次々に命中した。
「やった、当たった!」
実戦で初めて出したクリーンヒットに、レイが歓声をあげる。勢いを得た彼女は照準を固定し、使徒にタングステンと高性能爆薬の奔流を浴びせ掛けた。続けざまの爆発が使徒の姿を覆い隠す。
「ばかっ!調子に乗りすぎよ!撃つのを止めなさい!」
ミサトが怒鳴った。爆煙で使徒の姿が見えなくなった事に危惧を抱いたのだ。
「え?」
レイが不思議に思いながらも射撃を止めたとき、煙の中に光が煌いた。
「え…きゃあっ!?」
とっさにかざしたバレット・ライフルがその光に真っ二つに切り裂かれ、バランスを崩したエヴァはレイが立て直す間もなく地面にしりもちをついた。その前に、二本の光る鞭のような触手を繰り出した使徒が姿を現す。
「レイちゃん!急いで後退して!一ブロック後ろの武器庫ビルに代えのライフルを用意してある!」
日向の声に、レイは急いで立ちあがり、背後に向かって駆け出した。しかし、それは最も危険な背中を敵に見せる行為だった。
「きゃっ!?」
背中へ加えられた光の鞭の痛烈な一撃に、エヴァはつんのめって倒れた。命の綱のアンビリカル・ケーブルが切断され、それまで「88:88:88」と稼働時間が無限大である事を指していたメーターがめまぐるしく変化し、残り稼働時間が少なくなって行く事を冷酷に示す。
レイはもはや予備のライフルを取るどころではなく、振り下ろされる使徒の鞭を回避するのが精一杯だ。しかし、ついに避け切れず足に使徒の触手が絡み付く事を許してしまう。そのまま使徒はジャイアントスイングの様にエヴァを振りまわし始めた。
「きゃあああああっっっ!?」
猛烈な遠心力に悲鳴をあげるレイ。それがふっと消えた瞬間、彼女は今、自分が――エヴァが投げ飛ばされ、宙を舞っている事を知った。
「うそ…!」
第壱中裏山
「うそ…!」
レイと異口同音の声をあげたのは、マナとヒカリも一緒だった。最初は銃撃で優勢に戦いを進めているかに見えたレイのエヴァが、使徒に捕まった次の瞬間には大回転をはじめ、挙句の果てにこっちへ飛んでくるのだ。
「こ、ここに落ちてくるわよ!」
マナが叫ぶ。
「に、逃げなきゃ!」
マナが慌ててヒカリの手を引っ張り、駆け出そうとするが、ヒカリは動かない。
「だ、ダメ…足がすくんで」
「ヒカリ!」
次の瞬間、エヴァの巨体が彼女達の上に覆い被さった。
「きゃああああっっっ!?」
エヴァ初号機・エントリープラグ
「うう…?」
レイはうめきながら頭を振った。振りまわされた事と投げられたショックで頭が朦朧とする。
「うわ…こんな…」
意識がはっきりしてくると、さっきまで目の前にいた使徒は1キロ近く向こうに離れ、初号機は山の斜面に大の字になっているのがわかった。人間の感覚なら20メートル以上吹っ飛ばされたようなものである。レイはエヴァの状況をチェックした。
「えっと、状況は…異常無し、異常無し…え?」
対人センサーに反応あり。種別…NO MARKED。つまり、NERV関係者以外の第三者。距離…ごく至近。
「どこにいるのかしら?」
レイはモニターを素早くチェックした。そして、信じられない事に地面に突いたエヴァの手の、広げられた指の間で抱き合うようにして座り込んでいる二人の人物を見つけ出す。
「ま、マナ!?それに、ヒカリまで!」
恐怖に震える二人の親友の姿に、レイは仰天して叫んだ。しかし、それを気遣う余裕もなく、センサーが耳障りな警告音を発して使徒の接近を告げた。
「くっ…!」
無情なまでの正確さで、エヴァに向けて光の鞭が放たれた。
NERV本部・発令所
「山の斜面に一般市民だと?」
冬月が青葉の報告に、やや困惑した表情で言った。
「どうやらレイちゃんのクラスメイトの様です」
「加持君」
冬月が加持の方を見ると、彼は頷いた。
「既に保護のため一斑を向かわせました。ですが、到着には5分少々かかります」
「エヴァの残り稼動時間は4分を切っているんだぞ。それでは間に合わん」
第壱中裏山
エヴァは振り下ろされた使徒の光の鞭を手で受け止めていた。避けようにも、それをすればマナとヒカリを巻き込む事になる。レイはためらうことなく、エヴァの体を楯にして二人を守ろうとした。
「ううっ…!」
しかし、灼熱の光の鞭はエヴァの手のひらの装甲版を融解させ、レイ自身にも耐え難い痛みを与えていた。
「こ、このっ…!」
それでも、マナとヒカリを巻き込む事を恐れてレイは思いきった行動を取れないでいた。
「どうして…戦わないの?」
恐怖に体が硬直し、その場を動けないヒカリが震える口調で言う。
「あたしたちがいるから…思いきって動けないんだ…!」
そのヒカリを抱きしめるようにして支えるマナが言った。
「どうしよう…!」
NERV本部・発令所
「初号機、活動限界まで3分28秒!」
青葉の報告に、冬月は決断を下した。
「レイ!その2人をプラグに乗せろ!一時退却し、2人を降ろして反撃する!」
その冬月の言葉に、ミサトが目を剥く。
「いけません、司令!民間人をエヴァに乗せるなど言語道断です!」
しかし、冬月は決断を肯んじなかった。
「問題無い。司令として私が許可するのだ」
「しかし…!」
なおも食い下がるミサトを、冬月は一喝した。
「差し出がましいぞ、葛城君!君は上官に命令する気か!」
その冬月の言葉に、ミサトは気圧されたように口をつぐむ。それを見て取ると、冬月は打って変わった穏やかな声で言った。
「葛城君、君の職務は了解している。だが、我々の仕事は人類の未来を守る事だ。目の前の2人も守れんで、それで我らは人類の守り手だと胸を張るわけにはいくまい?」
その言葉に、ミサトは頷いた。
「そう…でしたね。申し訳ありませんでした、司令。ですが、この事が『委員会』の耳に入れば…」
「そうなったときの責任を取るのが私の仕事だ。気にする事は無い」
冬月はそう言いきるとメインディスプレイを見つめた。そこには、レイがすでに行動を起こしている様が映し出されていた。
第壱中裏山
冬月の声を聞いたとき、レイは咄嗟に暴走時に備えてエヴァの姿勢を今の状態で固定する「ホールド」のボタンを叩き、続いてイジェクション・レバーを引いた。
エヴァの後頭部が持ちあがり、エントリーコネクターからプラグが飛び出す。レイはハッチに手をかけ、外へ身を乗り出した。
「レイ!」
マナとヒカリが、エヴァの中から現われた友人に声をかける。
「マナ!ヒカリ!乗って!」
その言葉に、マナとヒカリは顔を見合わせる。
「急いで!」
しかし、続くレイの強い口調に、頷くと2人はプラグに向かって駆け出した。幸い、エヴァが山の斜面に押し倒される形になっているため、地面とプラグの距離は2メートルも無い。外のメンテナンス用ステップを使う事で、マナとヒカリはプラグによじ登った。
「え?何これ、水?」
「大丈夫、この中では息ができるから。早く乗って!」
プラグを満たすLCLに、2人は一瞬逡巡したが、思いきって中へ飛びこんだ。
「うぷっ…ごぼごぼ…」
「うわ〜、不思議な感覚…」
目を白黒させるヒカリに対し、マナは冷静だった。
「2人とも、しっかり掴まっててね」
レイは言うと、イジェクション・レバーをインサートの位置に戻した。エントリープラグが再びエヴァの体内へ収納される。
「…うっ?なに…この感触…」
「頭の中に、何か…!」
「やだ、気持ち悪い…」
プラグが収納され、シンクロ再スタートした瞬間、3人は異様な感触に身を震わせた。レイが呟く。
「なんで…?二人が乗ったから?」
NERV本部・発令所
レイの呟きはまさに真実を言い当てていた。
「二人を収容完了、保護しました」
「思考にノイズ発生。シンクロ率、40.2パーセントまで低下」
その報告をミサトは顔をしかめて聞いた。やはり、パイロット以外の人物が入った事でシンクロ・システムに影響が出ている。辛うじて戦闘可能な数値とは言え、ギリギリのレベルでしかない。
「レイ、後退しなさい」
ミサトは命じた。残り稼働時間は既に2分を切っている。だが、今からなら収容口にたどり着き、マナとヒカリを降ろした上で再度出撃する事は充分に可能だった。しかし…
「嫌です」
「え?」
いつになくきっぱりしたレイの答えに、ミサトが固まった。
「逃げたりなんかしません。許せない…マナとヒカリを危ない目に合わせて…絶対やっつけてやる」
「ちょ、ちょっと、レイ?」
ミサトの目の前で、エヴァが両肩のプログ・ナイフを抜き放ち、それを握り締めると、腕を体の前でクロスさせて使徒に向かって突進した。
残り稼働時間、1:44.52。
「レイ!無茶よ!後退なさい!」
ミサトが叫んだ。ナイフで鞭と戦うのは無理だ。レンジが違うし、変幻自在にして高速――人間の振るう鞭でさえ、達人ならその先端は音速を越える――の鞭の動きは回避が極めて困難なのだ。
しかし、レイはひるまなかった。エヴァの下敷きになりかけ、使徒の偉容の前に震えて動けなかった友人達の姿は、彼女を完全に激怒させていた。突進してくるエヴァめがけ、好餌とばかりに振るわれる光の鞭を前に、レイはナイフを握るエヴァの両腕に限界まで力を蓄えていた。
残り稼働時間、1:36.11。
「隙がないなら――」
レイはそう呟き、加持に個人戦技の訓練を受けたときの事を思い出す。
レイ回想
「いいかい、格闘に限らずどんな戦いでもそうだけど、基本はまず相手の隙をつくことにある」
「はい」
レイが頷くと、加持はレイに構えを取らせた。訓練の成果か、なかなか様になっている。
「良い感じだ。それならちょっとやそっとじゃ相手は攻め込めない。でも…」
加持はレイに近づくと、手を大きく動かしてレイの袖をとるような動きを見せた。レイがそれに気をとられた、その瞬間に彼女は加持に足を払われ、床に転がっていた。何が起こったのか分からないほどの早業だった。
「隙が無ければ、俺が君にやったように、どうにかして相手に隙を作るんだ。まあ、これはホンの心構えだよ。相手がどう出てくるか分からないのが対使徒戦だしね」
「隙が無いなら、作る…」
「――隙が無ければ、作れば良いのっ!」
そう叫ぶや否や、彼女は右手のプログ・ナイフを使徒に向けて渾身の力を込めて投げつけた。使徒が慌てたように左の鞭でナイフを粉砕する。だが、その前にレイは左手のもう一本も投げつけていた。それも残った右の鞭が叩き落す。
残り稼働時間、1:22.07。
それがレイの作り出した「隙」だった。鞭の弱点は連続攻撃ができない事、そして懐に飛びこまれると攻撃力が激減する事だ。ナイフに使ってしまった鞭を元の体勢に戻す間を与えず、エヴァが使徒に全力で突っ込む。
「マナ、ヒカリ!しっかり掴まっててね!」
「え、う、うんっ!」
慌ててコクピットにしがみついたマナとヒカリは、同じ感想を抱いていた。
レイって…怒らせると怖い…
残り稼働時間、1:18.27。
「えええ〜〜〜いいっ!!」
その瞬間、エヴァは全体重とスピードを込めた体当たりを使徒に見舞っていた。ジャイアントスイングのお返しとばかりに吹き飛ばされた使徒は山の麓に転がり落ちて行く。
そして、一緒に斜面を滑り落ちて行ったエヴァは、地面に落ちた使徒に立ち直る隙を与えずすかさず馬乗りになった。いわゆる、マウント・ポジションである。
残り稼働時間、0:55.31。
「やあっ!」
使徒を抑えつけたレイは、胸のコアめがけてまず右の拳を叩きこんだ。続いて左、また右…
丈夫なコアは、最初の一撃には余裕で耐えた。次のニ撃目にも、辛うじて耐えた。しかし、三撃目以降は無理だった。三撃目で小さなひびがコアに走り、それが四撃目、五撃目と繰り返される打撃の度に拡大していく。
残り稼働時間、0:23.09。
そして、十撃目を食らったコアは遂に砕け散り、初号機の拳が使徒の体を貫通した。その途端に、光の鞭は輝きを失い、ただの黒い触手へと変化して行く。
同時に残り稼動時間が00:00.00の表示へ切り替わり、エヴァも全動力を失って沈黙した。
NERV本部・発令所
「使徒、完全に沈黙!」
「初号機回収班、現地に向けて進発します」
不利な状況を覆してのレイの鮮やかな逆転勝利に湧きかえる発令所では、既に戦後処理が始まっていた。
「隙がなければ作れば良い、か…やってくれるよ」
加持はできの良い弟子を持った師匠にも似た満足感と共に呟き、冬月は安堵の息を吐いて司令席に腰掛けた。
そして、ミサトは厳しい目を初号機に送っていたが、ふっと口元に笑いを浮かべた。
「…見くびっていたわね。さすがあの人の娘だわ…」
そう呟くと、彼女は再び冷静な指揮官の顔に戻っていた。
「司令、私は回収作業の指揮を取りに参ります」
「うむ」
エヴァ初号機・エントリープラグ
「お、終わった…」
緊張の糸が切れ、レイはくたっとパイロットシートからずり落ちそうになった。
「れ、レイ!大丈夫?」
そのレイをヒカリが慌てて抱きとめる。
「うん…大丈夫…」
憑き物が落ちたような、虚脱した表情でレイが答える。その憔悴しきった様子は、マナとヒカリの胸を痛めた。
「こんな…怖い事をしているなんて…」
漠然とした憧れでエヴァとそれを操るレイを見ていたマナも、エヴァと使徒の死闘を見た今では、恐れを感じるようになっていた。
「辛くないの?レイ…」
ヒカリに尋ねられたレイは、ふっと笑った。
「辛いよ」
素直に答える。
「辛いし、怖い。逃げたくなるときもあるよ。でも…乗ってて良かったって思う事の方が多いもの」
「え?」
「これに乗れるから、たくさんの人達と出会えた。もちろん、ヒカリとも、マナとも。それで、その人達を守る事ができた。それって…」
ちょっと間を置いて、レイは言った。
「素敵な事じゃない?」
そして、ニッコリと微笑んだ。それは、大輪の花のような笑みだった。マナも、ヒカリも、しばらくの間その笑顔に見とれていた。
「あたし…」
やがて、マナが言った。もうレイへの恐れはなかった。
「レイと友達になれて、本当に良かった」
「私も。レイが友達だって事、誇りに思える…」
ヒカリも言った。
「ありがとう、マナ。ヒカリ」
非常用電源の淡い青い光の中で、3人の少女達はお互いに見つめ合っていた。そこにはもう言葉は必要ではなかった。
電話のように鳴り響いて伝えなくても分かり合える、そうした3人の友情はここに始まったのである。
次回予告
第4の使徒は撃退された。久々の休暇に友情を強めるべく街へ繰り出す3人娘…だが、彼女達の存在を面白く思わぬ者達による企みが密かに進められていた。それを阻止すべく組織は動き出す。そこに手加減と言う文字はなかった。
次回、第四話「雨、逃げ出した後」
あとがき
と、いうわけであのキャラとあのキャラとはマナとヒカリでした。ケンスケの代替キャラとして軍事に明るくても不自然でなく、なおかつ大人しいレイとヒカリを引っ張るには彼女がもってこいでしょう。
さて、本作品世界のレイですが、黒目黒髪のレイは想像しにくいと言う声がありましたので、フォローなどを…
REPLACEのレイはエヴァファンブック「新世紀エヴァンゲリオンPHOTO
BOOK EVE 2015年の女神たち」の60ページに載っている、貞本義行氏の原案版レイをモチーフにしています。
濃いグレーの(イラストによっては黒に見える)髪で、髪型はおかっぱなのですが、この娘を明るくしたのが本世界のレイです。…って、本を持っていない人にはさっぱり分からない説明ですね(殴)。ちなみにゲンドウのイメージも同書から取っています。
次回はレイが前向きで逃げ出しそうも無い性格なので(笑)、原作とは違うREPLACEの世界観を説明するほとんどオリジナルの話になる予定です。あの人やあの人が大活躍します。
では次回にてお会いしましょう。
2000年四月某日 さたびー拝
さたびーさんへの感想はこちら
Anneのコメント。
なるほど・・・。
トウジの妹の代わりにノゾミを配置してヒカリ。
ケンスケの代わりに戦自という設定を生かしてマナ。
うむむ、凄く納得が出来る見事な配置転換で思わず感心して唸ってしまいました。
・・・おや?そうなるとトウジとケンスケの出番は?
もしかして、もしかして・・・・・・。
トウジは真面目な委員長という役柄とは正反対な位置である学校一のアウトローとか?(笑)
更に更に・・・。
「本日、相田ケンスケはレイさんの為に朝6時に起きて髪をセットしてきました。どう、決まってるかな?」
・・・って『鋼鉄のボーイフレンド』な外伝にっ!?
そんなケンスケは嫌だぁぁ〜〜〜っ!!(爆)
>「女性にはもてないタイプですね」
>発令所の中に苦笑が広がる。そうした中、なぜか日向だけが懐からメモ帳を取りだし、
>「葛城さんの好みは…」
>などと言いながら何かを書きこんでいた。
日向、ラブリぃ〜〜♪
でも、きっと報われないんだろうな(^^;)
>「レイ!その2人をプラグに乗せろ!一時退却し、2人を降ろして反撃する!」
>「いけません、司令!民間人をエヴァに乗せるなど言語道断です!」
>「問題無い。司令として私が許可するのだ」
>「しかし…!」
>「差し出がましいぞ、葛城君!君は上官に命令する気か!」
冬月先生、格好良すぎますっ!!
ええ、もうゾクゾクきちゃって、原作の昼行灯ぶりが嘘の様ですね(笑)
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