龍神鎮魂祭まであと二日、と言う日の事。久しぶりに客が途切れ、かなは前からの予定通り、しぐれに会いに行く事にした。肉気を抜いて、代わりによく出汁を利かせて煮込んだ生麩を使った、しぐれ仕様の味噌チャーハンと、これも肉を少なめにして澄乃に作ってもらったおかず類という、ちょっと豪華なラインナップのお弁当を持っての登山である。
「ふぅ…ちょっと重いかな。でも、しぐれが喜んでくれるといいな…」
 この寒さにも関わらず額ににじんだ汗を拭い、かなは呟いた。ちなみに、以前は着物姿のまま山に来ていた彼女も、さすがに無理を悟り、それ用の服を買った。ジーパンと厚手のトレーナー、赤いダウンジャケットと言う実用本位の組み合わせである。
 そして、もう一つ買ったもの…それは線香と花束だった。今まで何度もあの石積みのお墓に来た事はあるが、こうして何かを手向けた事はない。しぐれも喜んでくれるだろう。
「さて、あとひとがんばり」
 荷物を背負いなおし、かなは再び雪の山道を進み始めた。


SNOW Outside Story

雪のかなたの物語

第20回 夢の通い路


 大体いつもの時間にたどり着くと、しぐれは先に来ていて、墓の前で祈りを捧げていた。邪魔をしないように彼女が祈り終えるのを待ち、かなは声をかけた。
「こんにちは、しぐれ」
「…あ、かな…こんにちは」
 しぐれの顔が微かにほころぶ。かなはちょっと待ってて、と言って荷物を降ろし、中から取り出した小ぶりの花束を三つの墓の前にそれぞれ捧げた。そして、雪に線香を立てた。
「かな…それは?」
 しぐれが不思議そうな表情で線香を見る。
「これは線香だよ。こうやって、亡くなった人を慰めるの。…知らない?」
 しぐれがええ、と頷く。かなは、百聞は一見にしかず、と線香に火をつけた。風に乗って香りが漂った。
「お香でしたか…」
 しぐれがその香りをかいで納得したように言う。かなは線香を知らないしぐれの不思議さに首を傾げた。そのしぐれは、線香の香りを気に入ったようだった。
「気持ちの落ち着く香りですね…きっと、みんなも喜んでくれます」
 そう言って、しぐれは石積みに目を向ける。優しくて、そして悲しみに満ちた眼差し。
「一箱あるから…しぐれが持ってる? 私はいつもは来れないし」
 かなが提案すると、しぐれは少し嬉しそうに頷いた。しかし、すぐに困ったような表情に戻ってしまう。
「でも、火の付け方がわかりません」
「簡単だよ。ライターもあるもの」
 かなが100円ライターを差し出すと、しぐれはそれを見てますます困った表情になった。
「…ひょっとして、使い方がわからない?」
 かなが聞くと、しぐれは恥ずかしそうにこくりと頷いた。かなはライターのスイッチをしぐれに見せるように持つと、使い方を実演して見せた。
「ここのダイヤルを親指の腹でこするようにして…ほら」
 火がつくと、しぐれは目を丸くして、揺らめく小さな火を見つめた。そして、心底から感心したようにため息をつく。
「便利なものが…あるのですね」
 しぐれはライターを受け取ると、何度か練習して火をつけてみた。しかし、使い慣れないせいか、つい長く火をつけすぎたらしい。
「…つっ…!」
 小さく叫んで、しぐれはライターを取り落とした。雪の上に落ちたライターが、小さく「じゅっ」という音を立てる。
「しぐれ、大丈夫!?」
 本人よりも驚いたのは、かなのほうだった。慌ててしぐれの手を取り、指先を確かめる。幸い、やけどはしていないようだった。
「気をつけなくちゃダメだよ」
「は、はい」
 かなが手を離すと、しぐれは赤い顔で頷いた。その間にかなは持ってきたレジャーシートを広げ、その上に弁当箱を置く。
「今日は少し豪華版だよ」
 かなが言うと、しぐれもようやく平常心を取り戻して頷き、シートの上に座った。そして、二人だけの昼食会が始まる。こうやって村を一望しながら他愛のないおしゃべりをするのは、かなのお気に入りの時間だった。もっとも、しゃべっているのは主に彼女一人で、しぐれは相槌を打っているだけなのだが。
 弁当もほとんど食べ尽くし、少し空気が緩んできたところで、かなは今日ここへ来た本題を切り出した。
「しぐれ、そろそろお祭りの時期らしいんだけど、知ってる?」
「…ええ、知っています」
 しぐれは頷いた。
「その時は花火も上がるんだけど、そうしたら山の中で雪崩が起きるかもしれないんだって」
 かなの言葉の続きに、しぐれは首を傾げた。
「花火に…雪崩、ですか?」
「そう。しぐれ、山の中に住んでるんでしょう? 危ない事だし、祭りの間、うちに来ない?」
 その瞬間、しぐれの表情に翳りの色が差した。以前にも、かなはしぐれに龍神天守閣に遊びに来ないかと言った事がある。その時、しぐれは辛い思い出があることを理由に、行くのを断っていた。
「でも、私は…」
「うん、しぐれの気持ちはわかってる。でも…こんな山の中にいるのは心配だから」
 かなはまっすぐにしぐれの目を見た。嫌がるのを無理やり誘うのは良くないが、今は何故かそうしなければならないような気がした。
 しぐれはしばらく躊躇っていたが、かなの強い気持ちに心を動かされたのか、小さく「はい」と頷いた。かなは安堵のため息をついた。
「良かった。それじゃあ、祭りの前の日…明日の今ごろに迎えに来るね。ここで待ってて」
「はい」
 今度はさっきよりもはっきりとしぐれが頷く。かなは最後にもう一度念を押して、家路についた。途中龍神の社を通ると、祭りの準備はもうほとんど整っているようだった。
「おや、かなちゃん、祭りは明日じゃぞ」
「気が早いのう」
 まだ何かの仕事をしていた村人が笑いかけてくる。かなは苦笑して手を横に振った。
「違いますよ。友達に会ってきた帰りなんです」
 すると、村人たちの間になにやらざわめきが起きた。青年団の一人が恐る恐る尋ねて来る。
「と、友達って…まさか男の人じゃないよね?」
「違いますよ。女の子ですよ」
 かなが否定すると、安堵の空気が流れた。
(…なんなんだろ)
 自分の言葉に一喜一憂する男衆を見て、かなは不思議に思った。その時、先日の澄乃の声が蘇って来た。
(かなちゃんって、村の男の人たちには大人気なんだよ)
 いやまさか。だって自分は、元はと言えば…
 元はと言えば…
 なんだっけ?
 かなは顔をしかめた。それは、時々ふっと彼女の脳裏に浮かんでくる想念だった。自分には、自分でも知らないなにかがある、と言う観念が頭から離れないのである。
「かなちゃん、顔色が悪いぞ」
「帰って休んだ方が良いんじゃないか?」
 その様子を心配した男衆たちの声で、かなは頭に浮かんでくる何かを振り払った。
「そうですね…それじゃあ、皆さんがんばってください」
 笑顔で礼を言い、かなは石段を降りていった。その後姿を見送ると、何故か猛然と仕事を再開する男たちであった。

 そして、次の日になった。この日も客はない…と言うか、祭りの前後の日は、何故か龍神天守閣は定休日になっている。当然予約は入っていない。
 小夜里の話によると、つぐみは自分が祭りを楽しむために、この時期は宿を休みにして仕事をしなかったのだ、と言う事である。つぐみさんらしい、と思いつつも、そんな気まぐれな経営方針でよく潰れなかったな、と妙な事に感心するかなであった。
 ともかく、約束通りにかなは石積みの前にしぐれを迎えに行った。そこには、彼女の姿は見えなかった。
「あれ? 早く着きすぎたかな…」
 かなは辺りを見回した。雪の上には、昨日供えた花と、線香の灰が散らばっているだけで、あれからしぐれが来たような気配はない。
 ひょっとして、しぐれは来ないんじゃ…とかなが不安な気持ちに襲われたその時、森の方で茂みが揺れる音が聞こえ、しぐれが姿を現した。
「お待たせしました」
「え? だ、大丈夫。そんなに待ってないよ」
 かなはほっとした気持ちになった。すると、しぐれはその気持ちを見透かしたように言った。
「大丈夫です。私は逃げたりはしません。もう、そういうのは嫌ですから…」
「え?」
 しぐれの言葉が、かなには良く聞き取れなかった。しかし、しぐれは微笑を浮かべると、かなを急かすように言った。
「さぁ、行きましょう」
「え? う、うん。そうだね」
 いつもとは少し違うしぐれの様子に調子を狂わされつつも、かなは歩き出した。途中、龍神の社が近づいてくると、しぐれは突然方向を変えて、脇道に入った。
「しぐれ?」
「こっちが近道なんです」
 かなの怪訝そうな様子に答え、しぐれは細い山道を進んでいく。かなはついていくのが精一杯だ。
 30分ほど細い道を進んでいくと、突然視界が開けた。そこは、村の中心部から龍神天守閣に向かう道の途中だった。確かに、5分くらいではあるが近道かもしれない。
(でも、もう歩きたくはないな)
 途中の歩き辛さを考えて、かなはそう思った。ともかく、そこからは彼女が先導し、龍神天守閣へと向かった。
「ただいま〜」
 かなが玄関を開けると、奥から旭が走ってきた。ちなみに、宿の業務は休みなので、澄乃はバイトには来ていない。
「お帰りなさいなのだ、かな」
 そう言った旭が、かなの背後に立っているしぐれに目を留める。その瞬間、彼女は凍りついたように動きを止めた。そして、しぐれも。
「あねぎみ…さま?」
「あさひ…」
 二人がまるで信じられないものを見たように声を漏らす。かなは二人の様子に戸惑った。
「二人とも、知り合い?」
 そう声をかけた瞬間、二人の金縛りは解けた。
「い、いや。人違いだったのだ。ごめんなさいなのだ」
「わ、私も」
 二人は否定したが、そこにはどことなく白々しいものが感じられた。
(別に知り合いでもおかしくない気はするけど…)
 しぐれは山で暮らしているし、旭もかなと出会う以前はそうだった。二人の間に接点があっても不思議ではないが、かなはとりあえず追及しないことにした。
「旭、この人は北里しぐれさん。今日はうちに泊まっていくから、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「わ、わかったのだ」
 かなの紹介としぐれの挨拶に、旭がぎこちなく笑う。
「部屋は、開いてるところを適当に使ってもらうとして…着替えは…」
 そう言って、かなはしぐれの格好を見た。身一つだ。荷物は何も持っていない。
「…まぁ、寝るときは浴衣もあるし、下着は私のを…」
 かなは言いかけて、気が付いた。今まであまり意識していなかったが、しぐれのスタイルは抜群だ。胸もかなよりは大きいだろう。
「サイズが合わないね」
 かなが自分のどこを見ているかに気付いて、しぐれは頬を染めた。
「す、すみません…私、服はこれしかもってないので」
「え?」
 かなは驚いた。いつも同じ格好だとは思っていたが、まさか本当に服がそれしか無いとは思っても見なかった。よく見ると、彼女の服が身体にぴったりした感じなのは、サイズの小さな服を無理やり着ているから、のように思える。
「そのうち、買いに行こうね」
「は、はい」
 かなの言葉にしぐれは頷いた。それから、かなは旭にしぐれを部屋に案内させ、自分は厨房に入った。今日は珍しく、自分で包丁を振るってみるつもりである。もとから澄乃には全くかなわないし、最近では旭も上達著しく、かなが料理をする必要はほとんど無いのだが、しぐれを自分で招いた以上は、自分の手でもてなす決意だった。

 そして、夕食時。
 水気の足りないご飯と、程よく炭化の進んだ焼き魚、そして溶岩のようにとろけた煮物…と、なかなかに豪華なラインナップが食卓を飾る事になった。
「…」
「…」
「…」
 旭としぐれ、それに桜花が無言でそれらを見つめていた。別に非難がましい感じは無いのだが、かなは思い切り縮こまっていた。
「う、うう…」
 やっぱり自分はチャーハンしか作れないのか、とかなが半分泣きそうになった時、桜花が元気よく叫んだ。
「いただきますなのじゃー」
 そして、美味しそうにそれらをかきこんでいく。その様子は、別段無理をしているようには見えない。
「いただきますなのだ」
「いただきます」
 旭としぐれも続く。旭は元気良く、しぐれはあくまでも慎ましやかに料理を口に運んでいる。
「あ、あの…みんな、大丈夫?」
 かなが恐る恐る尋ねると、旭が頷いた。
「味付けはバッチリなのだ」
「母上の料理は美味しいのじゃ」
 桜花が続くと、しぐれも「ええ、そうですね」と頷いた。かなが厨房に入っている間に、この3人はそれなりに打ち解けていた。特に、しぐれが桜花を見る眼差しは、身内のように優しい。
「な、なら良いんだけど…」
 そう言いながら、かなは自分も食べ始めた。確かに、味は悪くない…それは味見のときに確認済みだ。しかし、火加減水加減の失敗による歯ごたえの悪さは否めない。
「しぐれ…ごめんね」
 夕食の後、かなはしぐれにもう一度謝った。せっかく招いておいて、失敗作を食わせていては申し訳が立たない。
「良いんですよ」
 しぐれは優しく微笑んだ。だからといって、かなの気持ちが収まるわけではない。
「そ、そうだ…お風呂に入ったら? ここの露天風呂は最高だよ?」
 なんとか挽回しようと、かなはしぐれをお風呂に誘った。
「そうですね…では、そうしましょう」
 その提案にしぐれは頷き、二人は浴場の方へ向かった。

 客がいないので、今日の露天風呂は、しぐれのために貸しきりになっているようなものだった。
「しぐれ、背中くらい流してあげようか?」
 かなが冗談めかして聞くと、しぐれは少し沈んだ表情で首を横に振って答えた。
「いいえ…それより、私が入浴している間は、絶対に中を見ないでいただけますか?」
「…うん、わかった」
 何故か、とは聞けなかった。しぐれの表情は、そのくらい真剣だったからである。旭や桜花たちも一緒に入れない事を約束し、かなは脱衣場を離れた。
 そして、彼女が入浴している間、かなはサイズの合った浴衣と、自分の下着の中で、比較的サイズの大きなものをしぐれのために用意した。ブラは無理でも、ショーツくらいなら大丈夫だろう。
「しぐれ、着替えここにおいて置くよ」
 脱衣場に入ったかなは、外のしぐれにそう声をかけると、彼女の脱いだ衣服を手にとった。帽子に、肩の大きく開いたセーター、ミニスカート、ニーソックス、下着類。しぐれが着ている間は気付かなかったが、良く見ると結構汚れや解れが目立つ。
「繕う…のは無理でも、洗濯ぐらいはしたほうが良いかなぁ…」
 そう呟きながら、かなはしぐれのストールを手に取った。どちらかと言うとストールよりはマフラーくらいの幅の布で、防寒に使えるとは思えないほど薄い。
「…あれ? なんだろう、この布…」
 かなはすぐにそれがただの布ではない事に気がついた。驚くほど薄くて軽いのに、非常に暖かいのだ。しかも、他の服とは違い、この布にはほとんど汚れや解れが目立たない。見た目は絹に近いが、明らかに違うものだった。
「確かにこれを巻いていれば、寒いのも気にならないかも…でも、本当に何なんだろう?」
 かなの知識には、こんな布は存在しなかった。思わず考え込んだ時、風呂場のほうで何か重い、どさりと言う音が聞こえた。一瞬遅れて、湯桶が転がる乾いた音が響く。
「…しぐれ!?」
 異変に気付き、かなは「絶対に中を見ないで」と言うしぐれの言葉も忘れ、浴場の戸を開けた。
 湯船を出たところで、夜目にも鮮やかなしぐれの白い裸身が、洗い場の上に倒れていた。かなは慌てて彼女の傍に駆け寄った。
「しぐれ!? しっかりして!」
 かなは声をかけながら彼女の身体を揺すった。傍で見ると、しぐれの身体はピンク色になり、特に顔は赤い。明らかに湯当たりの症状だった。
「このままじゃいけないな。とりあえず部屋に…」
 そう呟きながら、かなはしぐれの身体を抱き起こそうとして、それに気がついた。
「…これは…!?」
 かなは真っ青になった。しぐれの青に近い黒髪。そこから、なにか突起物が覗いている。そう、まるで角のような…
「…うっ!?」
 その時、かなの脳裏に映像が浮かんだ。それは、今と同じような状況の映像だ。風呂場で倒れている、長い黒髪の女性。その頭部には、やはり似たような角が生えている…いや、全く同じ物だ。その女性はしぐれだった。
「しぐれ…これはいったい…う…うぅ…っ!?」
 同時に、かなは、まるで錐を揉み込まれるような強烈な頭痛に襲われた。目の前がぐるぐる回り、身体を起こしている事すら辛い。
(痛い…頭が割れそう!! でも、しぐれをどうにかしなきゃ…!!)
 気力を振り絞り、かなはしぐれの身体を抱きかかえると、必死の思いで部屋に戻った。脱衣場でそれだけは回収したあの不思議な布をしぐれの身体にまとわせ、布団に横たえる。その間にも、かなの頭痛はますます酷くなっていた。
(ああ…な、何かが噴き出してくる…っ!?)
 極彩色の色彩が脳裏で弾け、続いて暗黒の世界が彼女を包み込み…意識が途絶えた。しぐれに寄り添うように、かなは畳の上に倒れた。
 それが、彼女の不思議で長く、そして辛い旅の始まりだった。

(つづく)

前の話へ     戻る      次の話へ