身体が揺さぶられる感覚と共に、かなは目を覚ました。
「かなちゃん、気分は?」
「かな、大丈夫か?」
 つぐみと旭が枕もとに座っていた。辺りは明るい。いつのまにか朝になっていたようだ。
「ん…」
 身体を起こそうとして、かなはまるで力が入らないことに気がついた。視界も霞みがかったようになっている。
「…だるい…」
 起きるのを諦めて答えると、つぐみがかなの額に手を置いてきた。そして、驚きの表情を浮かべる。
「いけないわー、昨日より熱が上がってるみたいー」
 かなが差し出された体温計をくわえると、鼻の向こうに微かに見える水銀の目盛りが急上昇するのが見えた。時間を待って彼女の口から体温計を引き抜いたつぐみは、慌てたように立ち上がった。
「…何度?」
 まずいのかな、と思って聞くかなに、つぐみは部屋の扉を開けながら答えた。
「40度よー。いますぐ誠史郎さんに往診を頼むから、待ってらっしゃいねー」
 扉が閉められ、つぐみが廊下を走り去る音が消えると、旭が泣き出しそうな表情でかなを見た。
「かな、ボクを置いて死んじゃダメなのだ」
 縁起でもないことを言い出す旭の頬に、そっとかなは手を当てる。やはり熱いのか、ぴくっと震える旭に、かなは優しい声で言った。
「大丈夫、こんな事で死んだりしないから」
「ほ、本当なのか?」
「うん、本当」
 その言葉を完全には信じていないのかもしれないが、とりあえず笑顔の戻ってきた旭にもう一度笑顔を見せ、かなは天井を見上げた。いつもと違って、そこは遠くに見えた。


SNOW Outside Story

雪のかなたの物語

第15回 風邪引きの日


 電話を終えたつぐみが持ってきてくれた加湿器がしゅうしゅうと水蒸気を吐き出す中、かなはぼーっと何を考えるでもなく過ごしていた。正確には、熱で頭が回っていないだけである。今はつぐみは仕事、旭も出かけたらしく、話相手もいない。
(…しぐれさん、どうしたかな)
 唐突にそんな事を思い出す。今日も彼女は雪山のどこかにいるのだろうか。
(なんか、しぐれさんって、前にどこかであったような気がするなぁ…)
 それが何時、どこでの事なのかはわからないが、確かにどこかで出会ったような気がしてならない。それがいつの記憶なのか…と思ったとき、ぱたぱたという足音が聞こえ、部屋の扉が開かれた。
「じゃじゃーん!」
 口でファンファーレを鳴らしながら現れたのは旭だった。お盆を持っていて、その上には小さな土鍋が載っている。
「かな、朝ご飯を作ってきたのだ」
「え?」
 かなはなんとか身を起こすと、旭はかいがいしくちゃぶ台を用意し、お盆をその上に置いた。土鍋本体と蓋の隙間から、わずかに湯気が立っている。
「ボク特製のおかゆなのだ。これを食べれば風邪なんて吹き飛んでいくのだ!!」
 胸を張る旭。かなりの自信作であるらしい。かなは感心したように旭の顔を見上げた。
「すごいな。旭が作ったの?」
「そうなのだ。つぐみさんは忙しいから、ボク一人で作ったのだ」
「…一人で?」
 かなは鍋を見た。このところ急激に料理の腕を上げつつある旭の作だけに、期待はできる。額に当たっていた濡れタオルを鍋つかみ代わりにして、彼女は蓋を取った。
「…おっ」
 思わず感嘆の声が漏れる。鮮やかな緑の葉っぱが浮かぶきれいなおかゆだ。お米の匂いがかなの鼻腔をくすぐる。そういえば、昨夜の夕食もあまり食べられなかったし、お腹がすいている。
「ありがとう、早速頂くよ」
 かなは添えられていた塩をぱらりと振って、れんげを手に取った。旭が見守る中、早速ひとすくいして口に運ぶ。そして…
「…ぶふっ!?」
 かなの目が点になり、次の瞬間咳き込んだ。旭が慌ててその背中をさする。
「か、かな、大丈夫なのか?」
 呼びかける旭に、かなは涙目で尋ねた。
「あ、旭…これ、何を入れたの?」
 おかゆを…正確にはそこに浮かぶ葉っぱを指差すかなに、旭はなんでもない事のように答えた。
「ピロピロ草なのだ」
「…ぴ、ぴろぴろくさ?」
 その怪しげな名前をおうむ返しするかなに、旭は頷く。
「そうなのだ。身体の調子が悪いときに食べると良く効くのだ」
 どうやら、正式名称は不明で旭が勝手にそう呼んでいるだけの事だが、その辺に生えている薬草か何かであるらしい。確かに効くのかもしれない。しかし、苦くて食えたものではなかった。
「そ、そう…ごめんね、旭。やっぱりちょっと食欲がない…」
 かなは頭を下げてから横になった。まだ舌がしびれている。
「そ、そうなのか…」
 心底がっかりする旭。かなは胸がちくりと痛むのを感じたが、食べられないものは食べられない。もう一度謝ると、旭はしおれた様子で鍋を持って部屋を出て行った。しかし、数分後。
「ぴきゃーっ!!?」
「…あ、やっぱり」
 厨房のほうから聞こえてきた旭の悲鳴に、かなは目を閉じて祈りを捧げた。

 また何時の間にか眠ってしまっていたらしい。再びかなは身体が揺さぶられる感覚と共に目を覚ました。
「かなちゃん、芽依子ちゃんが来てくれたわよー」
「…え?」
 目を開けると、つぐみの背後に立っていた芽依子が右手を上げて挨拶してきた。
「おはよう、かなさん。だいぶお弱りのようだな」
「おはよう…なんで芽依子がここに?」
 かなが問うと、芽依子は左手に提げていた黒い鞄を持ち上げてパンパンと叩いた。かなの記憶が正しければ、それは医者の使う往診用鞄のはずだ。
「と言うわけで…往診に来てやったぞ。一生恩に思うが良い」
 かなは身を起こした。さすがに生命に関わる事だけに反応せざるを得ない。
「ま、待って。誠史郎さんは?」
「隣村の方へ往診に出た。ふふふ、案ずるな。風邪程度なら私でも問題ない」
 ほくそ笑む芽依子に、かなは背中に熱からくる悪寒だけでない寒気を感じた。
「ま、待って。芽依子本職じゃないでしょ」
 つぐみがいるせいか、緊急時でも反射的に女の子言葉をしゃべる自分がちょっと嫌だったが、給料を減らされるわけにもいかない。
「何を言っている。一度は診た仲ではないか。つべこべ言わずにさっさと診察されろ」
 そう言うと、芽依子はあっさりとかなの布団を引き剥がした。かなの抗議には聞く耳持たずである。まずは熱を測り、まだ40度近くあるのを確認すると、往診鞄から聴診器を取り出した。
「肺炎だとまずいからな。呼吸音を聞かせてもらう。という事でかなさん、前を開けるように」
 芽依子の指示の意味がわからず、かなは聞き返した。
「…前?」
「わからない人だな。服の前を開けろといってるんだ」
 芽依子がどこか楽しそうに指示し直すと、ようやく意味を理解したかなは顔を赤らめた。
「どうしてもそうしないとダメ?」
「ダメだ。脱ぐか脱がされるほうか、好きなほうを選べ」
「うう…」
 かなは赤くなりながら、パジャマ代わりのYシャツのボタンを外しはじめた。考えてみれば身体測定で芽依子には全裸を見られているのだから、いまさら恥ずかしがってもどうにもならない気がするが、それはそれである。
 ようやくかながYシャツの前を外し終えると、芽依子は聴診器をかなの胸の谷間に当てた。冷たさとくすぐったさに、かなの身体がぴくん、と小さく跳ねる。
「ふむ…」
 芽依子は構わず聴診器を数回当て直した。その度に反応するかな。くすぐったがりの傾向がある彼女にとっては、拷問にも等しい時間だった。
「肺炎まではいってないようだな。たぶんインフルエンザだろう」
 しばらくして、ようやく芽依子が診断結果を下すと、つぐみが待っていたように口を開いた。
「長引きそうなのー?」
「二、三日は様子を見たほうがいいでしょう」
 芽依子は頷き、一言付け加えた。
「少し過労気味のようですね。できれば、もう少し仕事を楽にしてあげるべきかと思います」
 優しさのこもったその言葉に、かなは思わず芽依子の横顔を見上げた。
「そうねー、わかったわー。おとなしく寝てなさいねー、かなちゃん」
 つぐみも同意し、微笑みかけてくる。かなはちょっとだけ泣きそうになった。人の優しさが身にしみる。
 しかし、感動していられたのもほんのわずかの間だけだった。
「では、薬を出しておきますか」
 芽依子がそう言って、鞄の中から包みを取り出す。そこから薬をつまみ出し、彼女はかなのほうに向き直ると、ニヤリと笑った。
「さて、下を脱いでもらおうかな、かなさん」
「…はい?」
 唐突な言葉に、かなの目が点になる。彼女はYシャツ一枚をパジャマ代わりにしているので、もともと下はショーツ一枚しかはいていない。つまり、下を脱げということは…
「な、なんでそうなるんだ!?」
 女の子言葉を使う余裕もないかなの叫びに、つぐみはダメ出しを行い、芽依子は心底楽しそうに笑った。
「なんでって、見ての通り座薬だからだ」
 芽依子がつまんでいるのは、銃弾に似た形の白い塊だった。
「い、いや…それだけはいやぁーっ!!」
「逃げるんじゃない。これが一番よく効くんだからな」
 這って逃げようとするかな。芽依子とつぐみは目配せすると、かなに襲い掛かった。つぐみがかなの身体を抑え付け、身動き取れなくする。そして、ゆっくりと近づいた芽依子が、かなのお尻を包んでいるショーツを一気にずり下げた。
「め、芽依子…後生だからやめて…」
 涙目で訴えるかなだったが、芽依子は無視した。
「ふむ、安産型だな、かなさんは」
 妙なことに感心しながら、芽依子がかなの脚の間に手を入れ、力を入れて開かせる。そして、目標に薬を当てて一気に押し込んだ
「はあぁぁぁううんっっっ!?」
 宿中にかなの悲鳴が響き渡った。

 屈辱の診察時間が終わり、かなは布団を被って泣いていた。
「えう〜っ!」
「…ん?」
 澄乃の声が聞こえたような気がして、かなは目を覚ました。何時の間にか寝入ってしまったらしい。廊下に続く扉の方を見るが、澄乃の声は聞こえない。時計を見ると、もうお昼を過ぎていた。
「…気のせいか」
 寝直そうとすると、今度ははっきりと澄乃の声が聞こえた。
「えうーっ!」
 同時に廊下をばたばたと走り抜けていく音がする。何事かとかなは身を起こした。熱が下がっているのか、朝ほど身体はだるくなくなっていた。念のため、半纏を着込むと、彼女は扉を開けた。
「澄乃?」
「あっ、かなちゃん! おはようだよ〜」
 廊下には、洗濯物を抱えた澄乃がいた。髪をポニーテールに結って、龍神天守閣の仲居の制服である着物を着込んでいる。
「ど、どうしたんだ? その格好」
 かなが目を丸くすると、澄乃は照れたように笑った。
「かなちゃんの代理でお手伝いに来たんだよ〜。 似合う?」
「あ、あぁ…似合うよ」
 かなが誉めると、澄乃は照れ笑いを大きくした。しかし、すぐにかなの様子に気がついてまじめな顔になる。
「あっ、ダメだよ、かなちゃん。まだ寝てないと」
 叱責するような澄乃の言葉に、かなは素直に頷いた。
「ん? あぁ、そうだな…また後でな、澄乃」
「うんっ!」
 頷いてパタパタと廊下を走り去っていく澄乃。それを見送り、かなはおとなしく布団に戻ることにした。楽になったとは言え、まだ熱はあるし、長い時間身体を起こしているのは辛い。横になってしばらくすると、再び彼女は眠りの世界に引き込まれ始めていた。
「かなちゃん、起きてる〜?」
 突然、部屋の扉が開き、澄乃の間延びした声が聞こえてきた。かなは一瞬でうたた寝の状態から引きずり出された。
「わ、な、何?」
 かなが身体を起こして扉の方を見ると、澄乃がニコニコしながら手に持っていた小さな鍋を掲げて見せた。
「お昼ご飯まだなんでしょ? 作ってきたよ〜」
「え、す、澄乃が?」
 かなが驚く前で、澄乃はちゃぶ台を用意してその上に鍋を置く。蓋を取ると、良い香りが部屋中に漂った。
「鶏粥だけど、食べられる?」
 澄乃がかなの顔を覗き込むようにして尋ねてくる。口で答えるよりも早く、香りに食欲を刺激されたかなの身体が正直な反応を見せた。お腹が「くぅ…」と鳴ったのだ。
「…あ、ありがとう」
 思わず赤くなりながら、かなは鶏粥をれんげですくった。念のため、ピロピロ草が入ってないかどうか確かめるが、それらしきものは見えなかった。
「いただきます」
 一安心し、かなは粥を口に運んだ。次の瞬間。
(…こ、これはっ!?)
 かなは驚きに目を見張った。美味しい。つぐみの料理ほどではないが、間違いなくお金を取れる味だ。こうなると、空腹だったこともあって手が止まらない。彼女は夢中で粥をすすり続けた。
「かなちゃん、美味しい?」
 感想がないことに不安になったのか、澄乃が尋ねて来たときには、粥の残りは半分を切っていた。少し気分が落ち着き、かなはいったん手を止めて澄乃に微笑んだ。
「うん、凄く美味しい」
「本当? 良かった〜」
 澄乃がにっこり笑い、かなはその笑顔に見守られながら、残りの粥を平らげた。差し出されたお茶で、芽依子が置いていった飲み薬をのどに流し込み、ほっと一息つく。
「澄乃、料理上手なんだな」
 かなが誉めると、澄乃はえへへ、ととろけてしまいそうな笑顔で答えた。
「うん、いっぱい練習したんだよ〜。彼方ちゃんのお嫁さんにしてもらうために」
「え…」
 澄乃の屈託のない笑顔と、突然飛び出した大胆な発言に、かなは顔を赤くした。その様子を勘違いしたのか、澄乃が心配そうな表情になって近づいてくる。
「かなちゃん、顔が赤いよ〜。また熱が出たの〜?」
 そう言って、澄乃は手を自分とかなの額に当てる。その手のやらわかさと、ひんやりした感触がかなには気持ちよく感じられた。
「だ、大丈夫だよ」
 照れ隠しのようにかなが言うと、澄乃は安心した表情に戻った。
「そう〜? でも、無理しないでちゃんと寝ててね〜」
「うん…」
 かなは澄乃の言葉に頷いたが、先ほどの澄乃の言葉がまだ引っかかっていた。仕事に戻ろうと部屋を出て行こうとする澄乃を、かなは思わず呼び止めていた。
「あのさ、澄乃…」
「えぅ?」
 振り返る澄乃。しかし、言葉を続けようとして、かなは困った。今の彼女には澄乃をお嫁さんにすることは出来ない。だが、その事に付いてどう聞いたものか。
「その…お嫁さんになりたいって…」
 それでもおずおずと切り出すと、澄乃がぽんと手を打った。
「そう言えば、かなちゃんも今料理を習ってるんだよね〜?」
「え? う、うん。そうだけど」
 かなが答えると、澄乃はにっこり笑ってとんでもないことを言い出した。
「かなちゃんも頑張って料理上手になるといいね〜。良いお嫁さんになれるように」
「…は?」
 かなは凝固した。その前で、澄乃が扉を閉めて廊下に出て行く。しばらくして我に返った彼女だったが、澄乃の言葉のショックは大きく、その場に倒れ伏した。
「…ひょっとして…忘れられてる? 俺が彼方だったって事…」
 がっくりしたせいか、また熱が上がってきた。かなの意識は再び混濁した霧の中に沈みこんでいった。

 額に何か冷たいものが当たるような感覚があって、かなの意識は再び覚醒した。
「…ん?」
 かなが目を開くと、視界はまたしても霞がかったように不明瞭だった。熱はまだ高いらしい。その視界の端を、何かがうごめいている。それは、彼女の額を撫でていた。
「熱いのう」
「ウニャ〜」
(桜花…シャモン?)
 思いがけない人物の登場に、かなは身を起こそうとしたが、まだ身体が自由に動かせるような状態ではなく、すこし上半身が動いただけだった。しかし、桜花が、かなが目を覚ましたことに気付くには十分だったらしい。気遣うように声をかけてきた。
「あ、目を覚ましたかえ? かな」
「…桜花…どうしてここに?」
 かなが質問で応えると、桜花はかなの額に雪を乗せ直しながら言った。
「旭に、かなが寝込んでいると聞いたのじゃ。かな…気分はどうじゃ?」
「今はそんなに悪くないよ」
 かなは答えた。両親を待つため、いつも神社から外へ出ない桜花が、お見舞いのためにここまで来てくれたことが嬉しくて、気分が良くなっていたのだ。
「でも、かなの身体はまだ熱いのじゃ…」
 かなの手を握りながら桜花が言う。その表情は、まるで自分が熱を出しているかのように、切なげなものだった。それは、かなの桜花をいとおしむ気持ちに火をつけるには十分だった。
「大丈夫…ゆっくり休んでいたらすぐに治るよ」
 手を動かして、桜花の頭をなでてやる。
「桜花はひんやりしてて、触ってると気持ちが良いな」
 かながそう正直に感想を言うと、桜花の顔が輝いた。
「冷たいのが良いのかえ? かな」
「うん、そうだね」
 桜花の質問にかなが答えると、桜花は「ちょっと待っておれ」と言い、部屋の縁側から中庭の方へ出て行った。
「…?」
 桜花の行動が読めず、首を傾げたかなだったが、しばらくして戻ってきた桜花の姿に、思わず絶句する。桜花は一抱えもあろうかという巨大な雪の塊を持っていたのだ。
「かな、これだけあれば冷たくて気もち良いぞよ」
 にっこりと無邪気に笑う桜花。しかし、かなにとっては生命の危機だった。
「あ、い、いや…桜花、ちょっと待って…うぷっ!?」
 逃げる間もなく、かなの額に視界を覆い尽くすほどの雪の塊が乗せられる。それはたちまち彼女の発する熱で融けはじめ、額や頭に無数の小さな川を作りながら布団を濡らしていった。
「かな、気持ち良いかえ?」
 桜花が聞いてくる。本来なら怒る所だが、弱っているうえに、顔面を雪で埋められた今のかなには、その気力がなかった。
「う、うん…桜花、風邪が感染るといけないから、今日はもうお帰り…」
 何とかそう言うと、桜花は名残惜しそうな表情を見せたが、素直に頷いた。
「そうじゃな…わらわまで風邪をひいてはかなのお見舞いに来れぬし…わかったのじゃ。今日は帰るのじゃ」
 桜花はそう言って立ち上がると、シャモンをつれて部屋の出口に向かった。靴を履き、振り返ると手を振って別れの挨拶をする。
「かな、またお見舞いに来るのじゃ」
「ウニャ〜」
 かなも手を振って答えたが、ふと思い出して桜花に声をかけた。このままの布団では寝ていられない。
「あ、桜花…悪いけど澄乃かつぐみさんを呼んで…」
 最後まで言い終えるより早く、桜花が部屋の扉をぴしゃりと閉める音が聞こえてきた。後に残されたのは、ぐっしょりと濡れた布団に横たわるかな一人だけ。
「だ、誰か助けて…こんなんじゃ風邪が悪化するよ…」
 布団を濡らす水の量を自分の涙で増やしつつ、かなは言った。
 結局、水に濡れたせいでかなの病状は肺炎寸前まで悪化し、怒った芽依子に毎日さらに強力な薬を使われ、ようやく彼女が仕事に復帰できるまでに回復したのは、それから一週間後のことだった。

かなの収支メモ
今回は変動なし

(つづく)


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