寒い日に暖かい布団の中でまどろむ…これほどの至福の時は滅多にあるものではない。
 しかし、その至福の時は、部屋に備え付けの電話の、けたたましいベルの音で一瞬にして破られた。
「はいはい、今出ますよ…」
 出雲かなは布団の中からのろのろと這い出し、受話器を手に取ると、耳に押し当てた。その途端に、受話器の向こうから木琴を鳴らすような音が聞こえてきた。
『ぴんぽんぱんぽーん…おはよーう、清々しい朝よー』
「…はい?」
 木琴のメロディに続いて聞こえてきたつぐみの不必要なまでに朗らかな声に、かなは首を傾げた。
『朝の体操はじめましょー。はいオイッチニィ、サンシッ…』
「あの、つぐみさん?」
 かなが呼びかけても、つぐみの体操の掛け声は続く…と思いきや。
『両手を前に伸ばして背伸びのうんどー…はーい、目が覚めましたかー?』
「…へ?」
 最初の一つの運動だけで掛け声が止まった事に、かなは一瞬間抜けな声をあげた。
『じゃ、次は朝ご飯ですよー。つぐみでしたー』
 がちゃん、と音がして電話が切れる。受話器を持ったまま、呆然と固まっていたかなだったが、気を取り直して考えた。
「…今のがモーニングコール? 何考えてんだろ、あの人は…」
 かなは首をますます傾げた。しかし、つぐみの思考が常人に推し量れるはずも無い。
「まぁ良いや…それより着替えを…」
 言いかけて、かなは重大な事に気がついた。
「しまった、合う服が一枚も無いんだった…」


SNOW Outside Story

雪のかなたの物語

第4話 黒いリボンの少女


 かなが役に立たなくなった着替え類を詰めたダンボール箱の前で思案していると、廊下の方から声が聞こえてきた。
「かなちゃんー、起きてるー?」
 つぐみだった。かなは振り返ると返事をした。
「はい、起きてますよ」
 すると、部屋の戸が開いて、つぐみが中に入り込んできた。手には何か風呂敷包みのようなものを抱えている。
「おはようー、かなちゃん。今日はとってもいい天気よー」
 そう言うと、つぐみは部屋の窓側の障子を開け放った。その瞬間、射し込んで来たまばゆい光に、かなは目を細めた。ようやく目が慣れてくると、かなはそこに広がっている風景を見て思わず息を呑んだ。
「うわぁ…すごいなぁ」
 窓の外には雲ひとつ無い青空が広がっていた。そこから降り注ぐ日差しが雪に反射して、龍神天守閣の中庭を輝く水晶細工のように見せていた。
「良いでしょー。うちの自慢の眺めなのよー」
 つぐみはかなの感心ぶりに満足すると、例の風呂敷包みを床に置いた。
「これ、着替え持ってきてあげたわよー」
「え?本当ですか?」
 かなは驚いて風呂敷包みを見た。大きさから見てそれほどの量ではないらしいが、ちゃんとした服に着替えられるのはありがたいことだ。何しろ、今の彼女の服装ときたら…
「と言うわけでー、そんなセクシーなかっこうしてないで、ちゃんと着替えましょうねー」
 かなは赤面した。
「仕方ないじゃないですか…」
 ぶつぶつと口の中で抗議しながら、かなは風呂敷包みの結び目を解き始めた。夕べ暑くて眠れないような気がしたので、男の時に着ていたYシャツを素肌の上に直接着ることにしたのである。しかし、この格好はすらりとした形の良い足が剥き出しなだけでなく、開いた胸元から谷間が覗いていた。
「あ、でもサイズとかわかるんですか?」
 かなは意外に固い結び目に苦戦しながらつぐみに尋ねた。
「私がかなちゃんぐらいの年頃に着ていたものだからー、たぶん大丈夫よー」
 つぐみは答えた。かなとつぐみでは、身長の差はほとんど無い。かなの方がわずかに高いくらいだ。胸のボリュームはつぐみが圧倒しているが、下着類でなければ気にならないはずだ。
「そうですか…よし、解けた。 …って、なんじゃこりゃあっ!?」
「あ、かなちゃん減点」
 驚きのあまり出たかなの男言葉に、つぐみがすかさず減点を入れるが、かなの方はそれどころではなかった。紺色のプリーツスカートに、同色の上着と赤いスカーフ。
 どこからどう見ても、立派な女子生徒用セーラー服だった。
「つ、つぐみさん…これは?」
 動揺しつつも問い掛けるかなに、つぐみは懐かしそうな表情と口調で答えた。
「龍神学園の制服よー。今は生徒が減っちゃって、使われてないけどー」
 龍神学園は、村の北のほうにある小中高一環の学校である。この村の学生はみんなそこへ通うのが普通だ。村に学校は他にないし、他所の町の学校に行くには、この村は不便すぎる。当然、つぐみも学園の卒業生だった。
「勘弁してください。まだ昨日のパジャマの方がいいです」
 かなはセーラー服をきちんとたたんで風呂敷に包み直そうとした。しかし、つぐみに止められた。
「だめよー、今日はまた誠史郎さんの所に行くんだからー。ちゃんと外に着ていける服でないとー」
「だ、だからって…普通の服はないんですか!?」
「私は和服がユニフォームですものー。洋服はそれしかないわよー」
 二人が押し問答をしていると、部屋の外から二人に挨拶する声が聞こえてきた。
「おはよう、つぐみ、かなちゃん。…何してるの?」
 小夜里だった。部屋の中を見て、呆れたような表情をしている。
「あ、おはようございます、小夜里さん」
「おはようー」
 かなとつぐみも挨拶を返し、かなが「実は…」と小夜里に事情を話した。すると、小夜里は目を細めて例のセーラー服を見た。
「あら…懐かしいわねー…あたしもこの制服を着て学校に通ったものよ」
 小夜里も学園の卒業生だった。しばらく懐かしそうな表情をしていた小夜里は、頭を上げてかなの顔を見て言った。
「良いじゃない、着てみれば?」
「さ、小夜里さんまで…!」
 かなは裏切られた気持ちに打ちのめされた。しかし、まともそうに見える小夜里も、実際には娘と図って「かな」と言う名前を考えた人である。ある意味予想してしかるべき反応ではあった。
「おはよう〜」
 そこへ、遅れて目を覚ましたらしい澄乃が出現した。まだ眠いらしく、半開きの目をこすっている。そして、かなが手に持っているセーラー服を見て声をあげた。
「あ、それって、龍神学園の昔の制服だよね〜?」
「あら、良く知ってるわね」
 小夜里が澄乃の言葉に反応した。繰り返しになるが、現在学園では生徒数の減少に伴い、制服を廃止している。コスト削減のためだ。当然、澄乃も入学した頃から私服通学である。
「うん、お母さんの昔の写真を見て、着てみたいと思ってたんだよ〜」
 澄乃は憧れをこめた視線でセーラー服を見つめた。そして、かなに尋ねた。
「かなちゃんが着るの? 見たいなぁ…」
「…お前もか」
 かなは観念した。3対1の包囲網では逃げられない。仕方なく、セーラー服に袖を通そうと、かなは着ていたYシャツのボタンに手をかけ―
 ようとして、3人がじっと自分の事を見つめているのに気付いた。
「出てけーーーーっっ!!」
 朝の龍神天守閣にかなの一喝がこだまし、屋根に降り積もった雪が、ごそっと地面になだれ落ちた。

 3人を追い出したかなだったが、セーラー服と言うのは意外に複雑な構造でなかなか着方がわからず、悪戦苦闘の末、ようやく着替える事に成功した。部屋を出ると、そこでじっと待っていた3人が「おお〜」と言う歓声を上げた。
「あらー、やっぱり似合うじゃないー」
「なかなか素敵よ、かなちゃん」
「えぅ〜…うらやましいなぁ」
 つぐみ、小夜里、澄乃が口々に誉めたり感嘆したりしているが、かな本人は「そうですか…」と言う淡白な反応にとどまった。なんだか、自分が徹底的にダメな人になってしまったような気がひしひしとしていたのである。
 まぁ…ピンクのパジャマは理解できる。しかし、これはいくらなんでもないだろう…誠史郎にも何を言われるか知れたものではない。
 涙をこらえつつ、朝ご飯を済ませると、小夜里が言った。
「さて…あたしたちはもう帰るけど、良かったら先生の所まで乗せていってあげようか?」
 当然小夜里の車は昨日乗ってきたそのままに、龍神天守閣の駐車場に止めてあった。お願いします、と答えようとして、かなはあることに気がついた。
「そ、それじゃあこんな服着る必要はなかったんじゃ…」
「さあ、張り切っていきましょうか、かなちゃん!」
 つぐみがいつになく強い調子で叫び、強引にかなの背中を押して玄関に連れて行く。
「あっ! つぐみさん!! そんな風にごまかさないでくださいよ!!」
 かなは抵抗しようとしたが、両脇を小夜里と澄乃にがっちり固められ、そのまま車まで連行された。
「は、離せー! 着替えるんだー!!」
 朝の龍神天守閣に再びかなの大声が響き渡り、屋根の雪がどさどさと地面に落ちた。

「じゃ、あたしたちはこれで」
「かなちゃん、また後でね〜」
 エンジン音を残して、雪月母娘は去って行った。手を振って見送ったかなだったが、目の前の診療所に入るのは躊躇われた。しかし、つぐみに引っ張られてはどうしようもない。しぶしぶ中についていく。
 幸い、他の客に見られるのでは、というかなの心配は杞憂に終わった。橘診療所は閑古鳥が鳴いていた。人口300人あまりの過疎の村では、それほど患者も出ないものらしい。
「おや、彼方くんか…? なかなかかわいらしい格好で来たねぇ」
 朝一番でやってきたかなを見て、誠史郎はくわえタバコのまま言った。事情を説明しようとすると、つぐみが先に口を挟んだ。
「違いますよー、この娘はかなちゃんですよ」
「え?」
 誠史郎はぽかんと口をあけ、危うくタバコを落としそうになった。慌てて指で挟んで受け止め、灰皿に置くと、かなを見て聞いた。
「そう言う名前にしたのかい?」
「はぁ…まぁ、いろいろ事情がありまして…」
 かなが俯くと、誠史郎はタバコをくわえ直して言った。
「その辺は聞かないで置くよ…ところで、今日の用事は何かな? 昨日の血液検査の結果なら、まだ出ていないが」
「えっと…」
 かなは戸惑った。そう言えば、つぐみに連れてこられただけで、何の用事かは聞いていない。かながつぐみの方を振り向くと、つぐみは頷いて今日来た理由を話した。
「かなちゃんの身体測定をして欲しいんですよー。服を買うのに困りますからー」
「ああ、そういう事か」
 誠史郎は納得して頷いた。
「それじゃあ、こっちの部屋へ来てくれ…えっと…かなくん」
「あ、はい」
 誠史郎に促され、かなは隣の部屋に入った。そこには身長計や体重計などが置かれていた。誠史郎はひきだしを空けて中からメジャーを取り出すと、かなに無造作に言った。
「それじゃあ、服脱いで」
「はい…え?」
 返事をしかけて、かなは固まった。
「な、何故に脱ぐのですか?」
 かなが思わず服を押さえて言うと、誠史郎は事も無げに答えた。
「何故って、身体測定の時はそう言うものだろう? ほら、早く」
「い、いえあのでも」
 かなは戸惑った。脱げと言われても、そう素直には頷けない。こんな身体を人目に曝すのは恥ずかしいからだ。その態度に業を煮やしたのか、誠史郎はおもむろに指を鳴らした。
「むぅ…仕方ない。つぐみさん!」
「♪はぁい」
 突如、かなの背後に回りこんだつぐみが、がっしりとかなの身体を抑え付けた。
「つ、つぐみさんっ!?」
 驚愕したかなに、つぐみがまるで小さい子に言い聞かせるような口調で言った。
「だめでしょう、かなちゃん。先生を困らせちゃあ〜? さ、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ〜?」
 つぐみがさっと手を動かすと、かなの穿いていたセーラー服のプリーツスカートがふわりと床に落ちた。
「うわああぁぁぁっっ!?」
 驚きもがくかな。しかし、つぐみの意外な力の前に、全く身動きが取れない。続いて、つぐみは上着の横のファスナーを開け、スカーフをしゅるりと外した。
「さ、先生。上着の方も今のうちに脱がしてあげてくださいねー」
「うむ」
 誠史郎は頷くと、じりじりとかなの方に近づいてきた。まだ身体のサイズがわからないかなは、当然のことながらノーブラである。ここで上着を脱がされてはたまらない。
「せ、先生! やめてください!!」
 必死に訴えるが、誠史郎は聞く耳持たない。いよいよ彼の手がかなの上着に掛かったその瞬間だった。
「やめんか、この変態ヤブ医者っ!」
 少女の叫び声と共に、誠史郎の頭に勢い良く何かが叩きつけられた。すぱーん!と言う小気味良い音がして、誠史郎は「おうっ」と言う、ダメージを受けたのか受けてないのかわからないような声をあげてしゃがみこんだ。
 すると、その巨体の陰から、一人の少女が姿を現した。手にはビニールスリッパを持っている。たぶん、それで誠史郎の頭を引っぱたいたのだろう。
「まったく…これだから患者が来ないのだ」
 溜息をつくように言って、少女はスリッパを履くと、顔を上げた。
「申し訳ない、うちのバカ父が失礼な事を…」
 そこまで言って、少女は固まった。そして、かなも固まっていた。
「…私?」
「俺?」
 しばらくして、二人は同時に言った。二人の少女は、思わずそう言ってしまうほど、良く似た容姿を持っていた。少し違うのは、かなの方がロングヘアなのに対し、少女の方は黒いリボンをヘアバンド風に巻いたショートカットであること。そして、かなの方が若干年上らしく見える事だ。
 正確な時間はわからないが、かなりの時間二人は見つめ合っていた。やがて、少女の方が視線をそらし、誠史郎に問い掛けた。
「…またどこかで拾ってきたのか?」
 すると、誠史郎はすっと立ち上がって答えた。やっぱり、スリッパごときではたいしたダメージではなかったようだ。
「君ではあるまいし。彼女は出雲かなくん。つぐみさんの従妹だそうだ」
「出雲…かな? 彼方ではなく?」
 少女が不思議そうに言う。そこでかなは口を開いた。
「出雲かなです。よろしく」
 そして、一旦言葉を切って、もう一言続けた。
「あなたが…芽依子さんか」
 澄乃、つぐみ、誠史郎が自分と見間違えたそっくりな少女、芽依子。それは彼女以外にありえないだろう。その確信を持っての問いかけに、少女は頷いた。
「確かに私は橘芽依子だが…かなさんと言ったな。一体あなたは?」
「俺は…」
 あんたに死んだ事にされた者だ、と言おうとしてかなは思い出した。芽依子が診たのは、あくまでも男の「出雲彼方」であって、今の自分…「出雲かな」ではない事に。
「…その…なんと言うか」
 どう説明したら良いものか、かなが迷っていると、つぐみが先に答えた。
「あらー、かなちゃんと彼方ちゃんは同じ人よー。生き返ったらかなちゃんだったのー」
 アバウト極まりない説明だった。案の定、芽依子の顔に混乱の色が浮かぶ。
「生き返った…まさか…しかし…」
 なにやらぶつぶつと言いながら考え込んでいた芽依子だが、顔を上げると誠史郎に言った。
「彼女の身体測定なら、私がやっておく」
「そうか、よし。任せたよ芽依子」
 意外にも誠史郎はすんなりOKを出した。彼が診察室へ戻っていくとつぐみも後を付いて行き、部屋にはかなと芽依子だけが残された。そして、芽依子はかなの顔をじっと見た。
「…彼方さん…なのか?」
 かなは頷いた。そして、気になっていた事を逆に質問した。
「そうだけど…何故俺の名前を知っているんだ?」
 さっき「かな」と言う名前を聞かされた芽依子は「彼方ではなく?」と聞き返していた。つまり、彼女は以前から彼方の名前を知っていた事になる。
「澄乃から聞いた」
 芽依子は手短に答えた。かなはさらに質問した。
「澄乃とは知り合いか?」
「同級生でな。親友だ」
 芽依子はその質問にも手短に答えた。しかし、それだけではさすがに愛想がないと思ったのか、一言付け加えた。
「澄乃は彼方さんにずっと会いたがっていたからな…彼方さんが来ると聞いてずっとその事ばかり話していたよ」
 それなら、芽依子がすぐに彼方の事がわかったとしても不思議ではない。しかし、かなには、何故かそればかりではないような気がした。まるで、芽依子の方はさらに昔から彼方の事を知っていたかのように思えた。
(…10年前、俺は芽依子とも会っているんだろうか?)
 記憶を辿ってみたが、澄乃と違って芽依子の顔はどこにも浮かんでこなかった。しかし、どこかで出逢ったような気がしないでもない。
「それより…どうして生き返ったんだ?私が診た時はどう診ても死んでいたはずだ」
 芽依子の質問に、かなは首を横に振った。
「俺にもわからん…と言うか、これを生き返ったって言って良いのかなぁ?」
 そう言ってから、かなはある事を思い出した。
「そう言えば、澄乃がお百度参りをしたとか言ってたな…確かに、神様でなきゃこんな事はできないよなぁ」
 かながその思い出した事を口にすると、突然芽依子の態度に変化が現れた。まるで、何かに怯えているような表情をしている。
「…どうした、芽依子?」
 かなは呼びかけたが、青ざめた芽依子の様子は変わらない。その口から、微かに震える声が漏れる。
「…まだ…許されないとでも…天はそこまで…」
「おい、芽依子っ!?」
 かなが芽依子の肩を掴んで揺すぶると、ようやく彼女は我に返ったように顔を上げた。
「あ、あぁ…済まない」
 取り乱した事を恥じるように芽依子は言った。かなが一体どうしたのか、と聞こうとすると、それを打ち消すように芽依子はメジャーを手にして、それを勢い良く引っ張ってパチンと鳴らすと、かなの方を向いた。
「さて、身体のサイズを測ろうか…」
 その声と表情に、かなは戸惑った。芽依子のまとう雰囲気はさっきまでの深刻そうな様子から一変し、まるで獲物を見つけた猫のような雰囲気を漂わせている。
「…芽依子?」
 その気配に、かなは危険なものを感じて後ずさった…が、この部屋は今芽依子が背にしている診察室への扉の他に出口のない狭い部屋だった。すぐに背中が壁に突き当たる。
「では行くぞ、かなさん!」
「いやぁーーーーっ!?」
 部屋にかなの悲鳴が響き渡った。芽依子のあの不思議な反応を詮索する余裕など、今のかなには全く存在しなかった。

 数分後、誠史郎とつぐみが茶飲み話をしていると、芽依子と何故か著しく披露した様子のかなが出てきた。
「どうだったー?」
 尋ねるつぐみに、芽依子はクリップボードに挟んだ紙片に書き込まれた数値を読み上げた。
「身長167cm、スリーサイズは上から88、59、86…ムカつくことに、顔はそっくりなのに私よりスタイルが良い」
 それを聞いた誠史郎が大声で笑った。
「ははは、しかしパパとしては芽依子のどこもかしこも手のひらサイズなスタイルも捨てがた…いっ!?」
 芽依子が無言で足を振り上げ、誠史郎の顔面に履いていたスリッパを直撃させた。そうした目の前の惨劇には目もくれず、つぐみが頷く。
「うーん、それなら基本的に私の昔着ていた服は全部着れるわねー。あとは、帰りに小夜里のとこで下着類だけ買っていけば心配なしだわー」
「…いや、セーラー服以外のまともな服も用意してくださいよ…」
 かながげっそりした表情で言う。あれから、結局芽依子に裸にされて全身調べ尽くされたのだ。非常に疲れる体験だった。
「大丈夫よー。後は普通の着物だから」
 つぐみが答え、かなは一瞬その言葉に頷きかけた。
「あぁ、それなら…って、着物?」
 かなはつぐみを見ながら尋ねた。
「あの…着物って和服?」
 つぐみは当然のように頷いた。
「もちろんよー。仲居さんの制服ですものー。ちゃんと一人で着られるようにしてもらうわよー」
「そんな…」
 かなは肩を落とした。しかし、考えてみれば、10年前に来た時も、つぐみは和服を着て龍神天守閣の手伝いをしていたような気がする。どうやら、今だけではなく昔から和服以外着ていないらしい。
「まぁ…これよりはマシか…」
 かなはセーラー服の裾をつまみながら言った。どうせ手伝いをする以上、いい加減な格好は出来ないのだ。我慢して着物を着るしかないだろう。彼女は覚悟を決めてつぐみに頭を下げた。
「じゃあ、お願いします、つぐみさん」
「オッケーよー。じゃ、早速行きましょうか、かなちゃん。誠史郎さん、またねー」
「ええ、血液検査の結果が出たら、こっちから電話しますよ」
 医者らしい(しかしスリッパの跡をつけた)顔で誠史郎が頷く。かなは彼にも頭を下げ、次いで芽依子の方に向き直った。
「それじゃ、また」
 かなが言うと、芽依子は頷きかけ、それから急に思い出したように口を開いた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 そう言うと、芽依子は診察室を出て行った。何事だろうと思い、残された三人が顔を見合わせると、芽依子は手に何やら細い布を持って戻って来た。
「少し髪を手入れした方がいいぞ、かなさん。これをやるから、使うと良い」
 そう言って芽依子が差し出した布は、二本の黒いリボンだった。おそらく、彼女がヘアバンド風に巻いているのと同じものだろう。
「あ、ありがとう…でも、どうやって付けるんだ?」
 かなが戸惑いつつも礼を言うと、芽依子はかなの髪を左右に分けて一本ずつ括ってくれた。ポニーテールを二本にする、いわゆるツインテールと言う髪型だ。
「こんなものだろう」
 芽依子はそう言って、診察室の壁にかけられた鏡の前にかなを連れて行った。男の頃の名残で、まだ目を隠すような形になっていた髪の毛は綺麗に整えられ、顔がはっきりと露出するようになっている。
「うーん…なんだか照れくさいな。ちょっと子供っぽいような…」
 かなは言ったが、自分の顔でなく見知らぬ女の子の顔なのだと思えば、その髪形は良く似合っていてかわいらしい印象を醸し出していた。
「しかし、そうして見ると、本当にそっくりだな」
「親戚でもないのに、不思議よねー」
 誠史郎とつぐみが口々に言う。その瞬間、芽依子の顔に微かに寂しげな雰囲気が走るのに、かなは気付いた。
(…どうしたんだろう?)
 かながどうしたのか聞こうとした時、今度はつぐみがそれを邪魔した。
「じゃあ、早速小夜里の所に寄っていくわよー」
 そう言って、かなの腕を取って引きずり始めるつぐみ。バランスを崩し、慌ててそれを立て直しながらかなは叫んだ。
「うわっ! ひ、一人で歩けますから引っ張らないでくださいよ、つぐみさん!」
 診察室の出口でどうにか態勢を立て直したかなは、それでも先へ進むつぐみに引きずられつつも、リボンを指さして芽依子に言った。
「ありがとな、芽依子。大事にするよ!」
「そうしてくれると私も嬉しい」
 芽依子は頷いた。かなはそのままつぐみに引っ張られながら雪道を歩いていく。芽依子は窓からそれを見送りつつ、そっと呟いた。
「ひょっとしたら…その姿である事に意味があるのかもしれない。頑張れよ、かなさん…いや…」
 その言葉の最後の方は、誰の耳にも届く事はなかった。

(つづく)


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