テーブルの上には無数のご馳走が並んでいた。温泉旅館「龍神天守閣」の女将にして、料理長でもあるというつぐみが腕によりをかけて作った豪華絢爛たる山海の幸が、匂い、見た目、香りで食欲を刺激してくる。味と食感を楽しめるのももう少しの辛抱だ。
 なお、つぐみは料理長であるが、その下に他の料理人がいるわけではなく、ついでに言えば仲居やその他の従業員もいない。これでどうやってこの広い旅館を仕切っているのだろう、と出雲彼方改め出雲かなは不思議に思った。
「もしもし、かなちゃん〜」
「えぅー、かなちゃん、無視しないでよ〜」
「かなちゃん、せっかくの歓迎会なんだからそう言う態度はよくないわよー」
 かなが考え事をしていると、テーブルについている他の3人…小夜里、澄乃、つぐみが次々に呼びかけてきた。その呼びかけの中に、彼女本来の名前は含まれていない。
「うぅ…わかりましたよ。もう好きに呼んで下さい…」
 抵抗の無益さを悟ったかなは、目の幅涙を流しつつ、3人のほうに向き直った。目の前に置かれているコップを手に取る。
「それでは…かなちゃんの生還と龍神村再訪を祝って、かんぱいー!」
『かんぱーい!』
 つぐみの音頭でコップが打ち鳴らされる。かなはやけ気味に、他の3人は楽しそうにグラスの中身を飲み干した。大人二人はビールだが、かなと澄乃はまだ未成年と言う事で、コップの中身はしっかりウーロン茶である。
 しかし、かなのウーロン茶は、妙に塩っぽい味だった。


SNOW Outside Story

雪のかなたの物語

第3話 温泉奇譚


 宴会は始まってすぐに終わった。なぜなら…
「えぅ〜、お母さん、お母さんってば〜…起きないよ〜」
 澄乃が畳の上で大の字になって寝ている小夜里を揺すぶっていた。しかし、小夜里は全く起きる気配が無く、真っ赤な顔で安らかな寝息を立てている。彼女の席には、中身が半分ほど減ったビールのコップが置かれていた。
 ちなみに、それが一杯目である。
「相変わらず弱いわねー」
 こちらは何回か杯を重ねてもビクともしていないつぐみが言った。
「はぁ…小夜里さんって、ものすごくお酒が弱かったんだ…」
 かなはたった半杯でダウンした小夜里を呆れたような、感心したような表情で見た。そして、あることに気がついた。
「小夜里さんがこれだと、澄乃家に帰れないんじゃないか?」
「えぅ?」
 かなの言葉に澄乃が首を傾げた。
「だって、車はお前の家のだろ?」
 かなが説明すると、澄乃はポンと手を打った。
「えぅ〜…そうだったよ〜」
 頷いて、再び母親を起こしに掛かる。それでも小夜里が目を覚ます気配は無い。かなはつぐみのほうを向いた。
「つぐみさん、二人には泊まっていってもらおうよ。小夜里さんがこの調子じゃ、目を覚ましても運転なんてさせられないし」
 かなが言うと、つぐみはあごに手を当てた。
「そうねー、事故死でもされちゃ寝覚めが悪いわねー」
 物騒な事を言って、つぐみは澄乃に声をかけた。
「と言うわけだからー、澄乃ちゃんも今夜はうちに泊まって行ってねー。どうせそうなったら小夜里も明日まで目覚めないからー」
「えぅ〜…良いの?」
 澄乃が聞くと、つぐみはにこにこと笑いながら頷いた。
「それじゃあ、お世話になります」
 澄乃はしっかりした口調で頭を下げた。こうして、雪月母娘のご一泊が確定したのである。
 結局、残った3人で駄目になりやすいものや生ものを片付け、残った分は明日の朝ご飯にまわすことにした。食事が終わると、つぐみはかなに言った。
「じゃあ、片づけしてくるからー、かなちゃんは二人の部屋を用意してあげてねー」
「あ、はい」
 かなは頷くと、小夜里の介抱をしている澄乃に一声かけて隣の部屋に行った。押入れを開けて布団を抱え出す。
(これからここでバイトするとなると、やっぱりこう言う事を覚えなくちゃいけないんだろうな)
 そう思いながら、かなは布団を二組用意して、元の部屋に戻った。澄乃はまだ小夜里をうちわで扇いでいた。
「澄乃、布団用意できたぞ」
 かなが声をかけると、澄乃は振り返って頷き、一つお願いをしてきた。
「うん、じゃあ、お母さんを連れて行くのを手伝って」
「わかった」
 かなは頷くと、澄乃に指示を出した。
「たぶん、俺の方が力があるから、上半身の方を持つよ。澄乃は足の方を頼む」
 しかし、澄乃は動こうとしなかった。かなは首を傾げた。
「どうしたんだ、澄乃?」
 かなが言うと、澄乃はちょっとだけ怒ったような表情で言った。
「かなちゃん、『私』」
「へ?」
 澄乃の言葉の意味がわからず、間抜けな声で聞き返してしまったかなに対し、澄乃は今度ははっきりと言った。
「かなちゃん、女の子は『俺』なんて言ったら駄目なんだよ〜。ちゃんと『私』って言わないと」
「…お前、結構容赦無いのな」
 かなはちょっとだけ泣きそうになった。しかし、このままでは事態は動かない。仕方なく、覚悟を決めてかなは言った。
「じゃ、じゃあ…私のほうが力があるから、上半身の方を持つよ。澄乃は足の方を頼む」
「うん、わかったよ〜」
 今度は素直に頷き、澄乃は小夜里の足を抱えた。かなは小夜里のわきの下から手を入れるようにして肩を抱え、澄乃の顔を見た。
「じゃあ、いっせーのせで持ち上げるぞ」
「うん、いっせーのせっ!」
 掛け声をかけ、二人は小夜里の身体を持ち上げた。華奢な彼女の身体だが、結構重い。
(うお…軽そうなのに…いや、俺が力がなくなっただけか?)
 かなは自分の腕を見た。この細腕に、男のときのがっちりした腕と同じだけの力があるとは思えない。非力さを嘆きつつ、かなは小夜里の身体を隣室の布団に運んだ。澄乃が身体に掛け布団をかけてやるときも、小夜里は全く目を覚ます気配も無く、すやすやと眠っていた。
「ふぅ…疲れた」
 かなは腕をぐるぐる回して肩をほぐした。すると、また小夜里をうちわで扇いでいる澄乃が声をかけてきた。
「かなちゃん、お風呂に入ってきたら?」
「ん?」
 かなは腕をまわすのを止めて澄乃を見た。そこへ、つぐみが戻って来た。
「そうよー。疲れているときは温泉につかるのが一番!」
「あ、つぐみさん。聞いてたんですか?」
 かなが言うと、つぐみは例によってニコニコと笑いながらすらすらと温泉の効用を述べ始めた。
「そうよ〜。うちの温泉につかれば、頭痛、肩こり、神経痛、筋肉痛、生理不順まで、ありとあらゆる更年期障害に効くのよー」
「…更年期障害…?」
 かなが不審そうな声で言うと、つぐみははっとしたような表情になった。
「あら、ごめんねー。いつもこうやってお客さんに効用を教えるのが楽しみなのよー。でも、かなちゃんはまだ若いから更年期障害なんて関係ないわよねー」
「は、はぁ…って言うか、更年期障害を気にするような年齢まで女でいたくないんですが…」
 元に戻れる当ては無いが、出来ればそれまでには男に戻っていたいと心から願うかなだった。
「ともかく、お先に風呂入らせてもらいます」
 かなはそう言うと、廊下に出て浴場の方へ向かった。そして、更衣室の前でふと足を止める。
「…どっちに入れば良いんだろうな」
 そこには「男」「女」と書かれた暖簾がかけられていた。しばらく考えた後、かなは男湯の暖簾を潜った。
「確か、今日はお客さんいないって言ってたし…大丈夫だろ」
 女湯に入るにはちょっと勇気が足りない、小心者なかなだった。

 広い露天風呂は湯気に煙り、夜空からはちらほらと雪が舞い降りていた。
「お、いい風情だなぁ…」
 かなは一瞬その光景に見とれた。しかし…
「…くちゅんっ! …うう、見とれてる場合じゃないや。早く入ろう」
 寒風に曝され、かわいらしいくしゃみを一つして、かなはかけ湯をすると温泉に入った。その途端に、刺すような熱さが一瞬走り、それからじんわりとした温かさが身体中に染みとおった。
「うわぁ〜…こりゃ気持ち良いや」
 かなはそうひとりごちながら、水面に顔をのぞかせている岩の一つに寄りかかった。顔を空へ向けると、雪は少しずつ勢いを増して、あとからあとから降り注いできた。
「すごいな…」
 かなの家は平地にある。これほど雪が降る事は滅多に無い。感心しながら、かなは顔を起こした。そして、ゆっくり下に向ける。
「こっちもすごいな…」
 かなはお湯の熱さ以外のもので顔が火照るのを感じた。ちょっと触ってみた事はあるが、こうして今の自分の身体をじっくりと見るのは、これが初めてだ。
 お湯の上に出ている肩の部分は艶かしささえ漂わせる白く滑らかな肌で、肩幅なども一回りどころかふた周りは狭くなったように思える。腕をお湯の中から出してみる。すべすべした肌には一本のムダ毛も生えていない。
 その腕を再度お湯に沈め、そっと自分の胸に当ててみる。ふにゅんっ、と言う柔らかい感触が手のひらに伝わってきた。
「おお…柔らかい…でも、初めて触る女の子の胸が自分のだって言うのは情けないというか、何と言うか…」
 かなは胸に手を当てたまま、だーっと眼の幅涙を流した。
「えっと…次は…」
 かなはそっとお尻を浮かせて、お湯の上に腰を出した。実に細い。きゅっとくびれている。
「うわぁ…細いなぁ…ひょっとして、これって結構ナイスバディなんじゃないかな…」
 男の頃にはグラビアアイドルの写真集や、雑誌のヌードモデルの肢体などを鑑賞したこともあるが、そうした女の子と比べても綺麗な身体をしているように見える。
 かなは腰周りを確認すると、再びお湯の中に身体を沈め、今度は足を水面から出してみた。目が覚めたばかりの時にちょっと見たが、改めて見るとやはり綺麗なすべすべの足をしている。こんな足を目の前に差し出されて、「ほらほら、艶かしいでしょ」なんて言われたら、肉親の足でもない限りむしゃぶりついたとしてもおかしくない。
「ううむ…つ、次は…」
 身体は十分に見た。いよいよ、一番気になっている部分を…かなはそれまでもたれかかっていた岩に座ると、そっと足を開き、自分の股間に手を近づけようとした。するとその時。
 唐突にかなの背後で脱衣所の扉が開き、つぐみの声が聞こえてきた。
「かなちゃんー、背中流してあげるわよー」
「う、うわあああぁぁぁぁっっ!? つ、つぐみさんっ!? どうしてここにっ!?」
 かなは慌てて風呂に飛び込んだ。
「あら、着替えがないと思ったら、男湯の方の更衣室を使ってたのねー。でも、ここは混浴なのよー」
「え」
 かなは絶句した。その顔は後ろめたい事をしようとしていたこともあって、真っ赤になっている。一方、つぐみはそんなかなの反応を誤解して近づいてきた。
「あらー、女同士なんだから気にしなくてもいいのにー」
「俺は男ですっ!」
 かなはあごまでお湯に潜らせたまま叫んだ。すると、背後でざぶざぶと音がして、つぐみが湯船に入る気配がした。彼女はそのままかなの前まで回りこんできた。
「…?」
 かなが見上げると、身体にバスタオル一枚巻いただけのつぐみが、厳しい顔で仁王立ちし、かなに人差し指を突きつけていた。
「かなちゃん、減点2」
「え? 減点…って何ですか?」
 かながつぐみの言葉の意味を理解しかねて尋ねると、つぐみは人差し指を振った。
「まず、『俺』って言った事」
 続けて、今度は中指を立てる。
「次に、自分は男だって主張した事。これで減点2点よー」
 とりあえず、言葉遣いを注意された事はわかった。かなはその先を尋ねた。
「それで…減点になるとどうなるんでしょう?」
 すると、つぐみは良い質問だとばかりに頷き、その恐るべきペナルティについて語った。
「減点一つにつきー、バイトの日給が10パーセントオフになるのよー」
 かながその意味を理解するまで、若干の時間が掛かった。そして、意味を理解した瞬間彼女は叫んだ。
「な、なにいぃぃぃぃぃっっ!!」
 そして、つぐみはその驚きにも容赦なくチェックを入れてきた。
「だめよー、もっと可愛く驚かないとー。減点1ねー」
「すいません、つぐみさん。お願いですから勘弁してください」
 かなは必死で頭を下げた。お湯の中でなければ土下座ぐらいするところだ。
「それじゃ、やり直しねー」
 つぐみは言った。やり直し…という言葉の意味を必死で考え、かなはある結論に達した。そして、叫んだ。
「ええっ! どおしてぇっ!?」
「はい、合格」
 つぐみは満足げに頷いた。どうやら正解だったらしい…しかし、かなはお湯ではなく自己嫌悪の泥沼に沈みかけていた。
「つぐみさん…お…私をいじめて楽しいんですか?」
 俺、と言いかけ、また減点されてはたまらないと慌てて私と言い直すかな。そんな彼女に、つぐみは心底楽しそうに笑いかけた。
「やーねー、いじめてなんていないわよー。これもかなちゃんに立派な仲居さんになってもらうための修行なのよー」
「…仲居なんですか、やっぱり」
 かなが聞くと、つぐみは頷いた。
「そうね、別に女将でもいいわよー」
「いや、バイトなので仲居でいいです…」
 女将の修行はバイトでやるには本格的過ぎる。かなは素直に断った。
「それは残念ねー。まぁ、いいわ。それより、ちゃんと身体を洗いましょ、かなちゃん」
 つぐみはそう言うと、手をわきわきと動かしながらかなに近づいてきた。話が当初の危険な方向に戻ってきたことに気付き、かなは逃げ出した。
「い、良いですよっ! 身体くらい自分で洗え…うひゃあっ!?」
 しかし、つぐみのほうが速かった。かなは後ろからがっちりとつぐみに捕まえられてしまった。背中につぐみの胸が押し付けられている。
(ああああ、つぐみさんの胸が・・・)
 その感触に混乱したかなは、そのままずるずると引きずられていき、気がつくと洗い場に連れて来られていた。さすがに外では寒い(ちなみに、現在の気温は−9℃)ので、洗い場は建物の中にある。
「まずは髪を洗いましょうねー」
 そう言うと、つぐみはシャンプーとリンスを出してきた。どっちも女性向けの低刺激性の商品である。
「はぁ…本当にやるんですか?」
 逃げられないと悟ったかなは物理的抵抗こそしていなかったが、一応口では抵抗してみた。
「もちろん。女の子はデリケートだから、丁寧に洗わないといけないのよー」
 つぐみはそう答えて、シャンプーのボトルを取ると、手のひらに押し出して、かなの髪にすり込みはじめた。干草色の長い髪が、たちまち泡で覆われていく。
「あら、さらさらして良い髪の毛ねー」
「…そうなんですか?」
 つぐみの感嘆の声に答えながら、かなは確かに髪の洗い方一つとっても、ずいぶん男のときとは違うなぁ、と感じていた。男の頃はトニック系のシャンプーをぶっかけ、掻き毟るようにして洗い、お湯をかぶって流すと言う豪快な方法で髪を洗っていた。
 つぐみはかなの髪の毛を丁寧に洗い、シャワーで流してから今度はリンスをすりこんだ。
「リンスも欠かしちゃ駄目よー。あっという間に枝毛だらけになるから」
「は、はぁ…わかりました」
 かなは頷いた。面倒くさいが、やはり結構髪の毛の長いつぐみの言う事だから、従っておいたほうがいいだろう。
(そう言えば、澄乃も結構綺麗な髪の毛だったな…今度どうやってるのか聞いてみよう)
 かながそう考えているうちに、リンスをシャワーで流して、かなの洗髪は終わった。絞ったタオルで軽く水気を取り、頭の上でまとめてお湯に浸からないようにする。ここまでで、既に彼方の頃なら2回風呂に入ってまだおつりが来る位の時間がたっていた。
(た、大変なんだな、女の子って)
 かなが洗髪の手間に感心するやら呆れるやらでいると、つぐみが言った。
「あとは、お風呂出た後で乾かす方法を教えるとしてー、次は身体の洗い方ね」
 かなは慌てて背後のつぐみのほうを振り返った。
「ま、待ってよつぐみさん。身体くらい自分で洗えるって」
 さっき言い損ねた言葉を今度こそ言うと、つぐみは首を横に振った。
「駄目よー。さっきも言ったけど、女の子はデリケートだから、身体の洗い方も男の子とは違うのよー」
 そう言いながら彼女が用意しているのは、柔らかそうなスポンジとボディシャンプーだった。どっちもお肌への刺激は少なそうなものだ。
 つぐみはかなの右腕を取ると、スポンジでそっとこすり始めた。くすぐったいような柔らかいタッチだ。
「つぐみさん、くすぐったい…」
 いや、実際くすぐったかった。かなは身体を震わせながら訴えたが、どうやらつぐみには逆効果だった。
「そう? ごめんねー」
 謝りながらも、手は止めない。よりいっそう微妙な力加減でこすってくる。その度に身体をぴくぴくと震わせるかな。右腕だけこすられた時点で、彼女の全身はピンク色に染まっていた。
「はぁ…はぁ…つ、つぐみさん…こすり方のコツはわかったから、後は自分でやります…」
 かなが言うと、つぐみはちょっと残念そうな表情をしたが、スポンジを渡してくれた。かなはそれを受け取って、左腕を柔らかいタッチでこすり始めた。さすがに自分でやっている分にはあまりくすぐったくは無い。
 しかし、腕を洗い終わり、普段のくせで胴体の方に移った瞬間、かなは全身をぴくんと震わせた。
「う…う、んんっ!?」
 スポンジは彼女の胸に押し当てられていた。さっきは上から触っただけで何ともなかったのだが、手を動かした瞬間に名状しがたい感覚が身体をかけぬけたのである。
「あら、どうしたのー、かなちゃん?」
 手を止めたかなにつぐみが尋ねてくる。
「いえ…なんでもないです」
 かなはそう言ってごまかすと、手の動きを再開した。しかし、例の感覚が止まらない。
(うう…お、女の子の身体って…すごく敏感なものなんだな…)
 思わず甘い声をあげそうになるのをこらえつつ、ようやくかなは身体を洗い終わった。
(は、早く慣れないと…風呂に入るたびにこれじゃ死にそうだ…)
 湯に浸かっていないのに、すっかり火照った身体を一度外に出て覚まそうと腰を浮かせたその瞬間、つぐみがかなの肩を押さえて強引に座らせた。
「はぁうんっ!?」
 敏感になっているところを触られて思わず悲鳴をあげるかな。そのかなの耳元で、つぐみがささやくように言う。
「だめでしょー、かなちゃん。まだ洗ってないところがあるじゃないー」
「え、ええっ!?」
 どこだそれは、とかなが思うより早く、つぐみが言った。
「背中とー…」
 言いながら、つぐみは背骨に沿ってつうっとかなの背中を指でなぞった。
「うぁひぃっ!?」
 飛び上がるかな。つぐみはその身体を押さえ、足の間に手を入れると、上へなぞっていく。
「ここよ。ちゃんと洗いましょうねー」
「うああっっ!? つ、つぐみさん! だ、だめぇっ!!」
 風呂場にかなの悲鳴がこだました。

 それから30分後、ようやく風呂から出たかなは、ふらふらと廊下を歩いていた。すると、そこへお風呂道具を持った澄乃がやってきた。
「えぅ? かなちゃん、どうしたの? なんだか顔が赤いよ〜」
「…あ、澄乃…」
 かなはぼうっとした声で答えた。目に焦点が合っていない。
「か、かなちゃん? つぐみさん呼んだ方がいいかな〜?」
 澄乃も、かなの様子が普通でない事に気付いたらしい。おろおろした声で言ったが、かなはパタパタと手を振ってその提案を拒否した。
「大丈夫…つぐみさんなら、お風呂場だから…俺の事は心配しなくて良いから、風呂入ってきな…」
 そう言うと、かなはふらふらと澄乃の横をすり抜け、自分の部屋に入っていった。
「だ、大丈夫かな〜」
 澄乃はおろおろしていたが、結局風呂に入ることにした。かなの部屋の扉はしっかり鍵が閉まっていたからである。

 その頃、かなは自分の布団を出して、そこに横になっていた。今日はいろんな事があって…ありすぎて、非常に疲れていた。
「はぁ…まさかこんな事になるなんて…目が覚めたら夢だと良いのに…」
 そう呟きながら寝返りを打つ。身体は疲れているのに、なかなか眠れない。人は疲れすぎると逆に目が冴えると言うが、かなの場合はそれだけでもないようだった。
「ふぅ…なんだか、まだ暑いな…」
 また寝返り。風呂場でもいろいろあって、まだ身体の芯に熱が残っているような気がする。それが気になって、どうしても寝られない。何度か寝返りを打ち、このままではどうにもならないと思ったかなは、思い切った行動に出た。
 そっと身体を布団から起こし、小夜里に貰ったパジャマのボタンに手をかける。ぷち…ぷち…と一つずつボタンを外し、上着を脱ぐと、今度はズボンにも手をかけて一気に降ろした。
 それを床に投げ出すと、冬物の厚い生地で出来たパジャマは、意外に重い音を立てて畳の上に広がった。そして、部屋の障子を透かしてわずかに刺し込む雪明りに、かなの真っ白な裸身が照らし出された。
「こ、これで良し…と、次は…」
 かなは屈みこみ、手をごそごそと動かした。
「ん…違う…ここじゃない…んっ!」
 さらに奥の方に指を突っ込み、もぞもぞと動かす。
「ん…あ…これじゃない…んん…あ、あった!」
 そう言ってかなは立ち上がった。その手には白いワイシャツが握られている。今まで手を突っ込んで中をあさっていた、先に宅配便で送った荷物の中に入っていたものだ。
 もちろん男物だから、今のかなにはビッグサイズもいいところである。しかし、かなはそれをショーツ(これも貰い物)一枚の裸の上に羽織って、ボタンを留めた。
「よし、これならあのパジャマよりは涼しく寝られるな」
 満足して、かなはごそごそと布団の中に潜り込んだ。やがて、暗い部屋の中に、彼女の安らかな寝息だけが聞こえてきた。
 かなの龍神村での長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

(つづく)


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