空港は過ぎようとしている夏の、最後の一時を楽しもうと言う人々で溢れていた。
『間もなく、羽田発函館行き、YAL213便の搭乗受付を開始します。お乗りの方は…』
 場内アナウンスが流れ、Piaキャロット四号店一行が乗る飛行機の受付が始まった事を知らせる。それまでベンチに座り、思い思いに喋っていた一行は、さっそく受付をしようと立ち上がった。しかし、一人だけ立たない人間がいた。
「…お姉さま? 行きますよ?」
 美春に呼ばれ、物思いにふけるようにじっとしていた治子は、そっと顔を上げた。
「ん? あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしてた」
 治子は答え、ようやく立ち上がったが、その表情にはこれから旅行に行こうという高揚感は見られず、むしろ憂いの色が濃く漂っていた。
「治子ちゃん…身体の具合でも悪いの?」
 貴子が心配そうに声をかける。彼女は治子の具体的な悩みの内容を知っているだけに、それを引きずっているのかと思ったのだ。
「いえ、大丈夫ですよ。早く行きましょう」
 治子はやっと笑顔を浮かべたが、憂色を消し去るには程遠い作り笑顔だ。それでも、みんなが心配そうに見守る中、治子は率先して搭乗ゲートに向かった。その心中には、誰にも明かすことの出来ないものが秘められている。
(これだけは…自分でどうにかしないと)
 彼女の憂鬱…それは、二日前の夜中に始まった。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


24th Order 「焦りとすれ違い」


「君は…!」
 言葉に詰まり、立ち尽くす治子の前に、占い師…いや、そんなものではないだろう。謎を秘めたあの少女、玉蘭が立っていた。
「久しぶりあるな」
 玉蘭はあまり友好的ではなさそうな声で挨拶をしてきた。そして、まだ玄関の所に立ち尽くしている治子に指図した。
「早く入って、ドアを閉めるよろし」
「あ、あぁ…」
 治子はドアを閉め、鍵をかけると、玉蘭と向かい合った。
「今日は…何の用で?」
 治子が言うと、玉蘭は呆れたような溜息をつき、用件を口にした。
「最後の警告をしに来たある」
「…最後…だって?」
 ただならぬ雰囲気に、治子も自然と身を固くする。
「そう…最後ある。私はこの一月、ずっとあなたの行動を見ていたある。全くあきれ果てた話あるな…女にしても、もって生まれた性格は変えられないあるか」
「うぐ…」
 糾弾するような玉蘭の言葉に、さすがの治子も、言葉に詰まった。
「い、いやでも…まさか美春ちゃんや朱美さんや貴子さんがああなるとは…」
 治子は反論を試みた。確かに、「相手が同性でも良い」と言うようなニュータイプがこんなにいるとは、普通は思わないに違いない。
「そんな事はどうでも良いある」
 玉蘭は治子の言い訳を一蹴し、本題を切り出した。
「もうすぐ…今から5日のうちに正しい答えを出せない限り、あなたには世にも恐ろしい天罰が下る事になるある」
「お、恐ろしい天罰…? それも、5日のうち!?」
 治子は絶句した。あまりに急な話だ。しかも、天罰…これ以上恐ろしい何かが起こると言うのか?
「む、むちゃくちゃだ…そりゃ、俺のしたことは良くない事だけど…そこまでされなきゃいけないものなのか?」
 たかが二股とは言いたくないが、女の子にされたり、さらに恐ろしい罰を受けなければならないほど、とてつもない罪悪だとは思えない。すると、玉蘭は首を横に振った。
「あなたの罪はただの罪ではないある…人の世界では裁けないもの。だから私が遣わされたある」
「…え?」
 意味がわからん、と思った治子はもっと詳しい事を訊こうとしたが、それよりも早く玉蘭は身を翻し、窓枠に立って宣言した。
「あと5日…どうすればみんなが幸せになれるのか、よく考える事ある!」
 その瞬間、玉蘭からまぶしい閃光が放たれ、治子は思わず悲鳴をあげて目を閉じた。強いショックが身体を走り抜け、彼女の意識はそのまま暗転した。
 翌朝…治子はベッドの上で目を覚ました。一瞬、夢かと思った彼女だったが、窓枠に玉蘭の足跡が付いているのを見て、あれは現実だったのだと認識した。

 そんな事があって、治子は心の中でずっと玉蘭の言った事を考えつづけてきた。
(正しい答え…誰かに気持ちを絞って、そして告白する…って事なのか?)
 治子が思いを寄せたり、寄せられたりしている相手は6人いる。あずさ、つかさ、美春、朱美、貴子、そして明彦だ。明彦はさすがに困るが、他の5人に関しては…特に問題は無い。美春の強引さには辟易することもあるが、だからと言って彼女が嫌いなわけでもない。
 そう言う意味では、明彦以外の誰かに絞って告白したとしても、後悔しない選択にはなるだろう。問題は、正解を出して元に戻れたらどうするのか、と言う事だ。美春、朱美、貴子は治子の本当の姿を知らない。
 そうすると、やっぱり初志を貫徹してあずさかつかさか、と言う事になるが、今の治子には、自分が4号店の人々を放って元の生活に戻れる自信が全く無かった。
 男に散々な目に合わされつづけてきた美春、そばにいて支えてくれる人がいなければやっていけない朱美、あまりにも重い過去を背負う貴子。この3人の事を忘れる事は、どうしても治子には出来そうもなかった。
(それに、玉蘭は言った…「どうすればみんなが幸せになれるのか」って…誰か一人を選んで、自分だけが元の生活に戻れたとしても、それは絶対に正解じゃない)
 玉蘭はヒントを残してくれたが、ますますわからなくなる治子だった。すると、突然彼女に心配そうな声がかけられた。
「治子さん、身体、本当に大丈夫なんですか?」
 さやかだった。前の席に座っていたのに、腰を浮かして治子の方を振り返っていた。
「え? あ、あぁ…大丈夫。心配しないで」
 治子は手を振って大丈夫、というジェスチャーをしようとしたが、手が動かなかった。不思議に思って手を見ると、右は朱美、左は美春がしっかりと握り締めたまま眠っている。
(そうか、いつのまにか飛行機に乗ってたんだ)
 そんな事も覚えていなかったのか、と治子は苦笑した。その笑顔に気付いたのか、さやかは少し安心したような表情で席に座り直す。
(とりあえず…懸案を一つ解消しよう。後の5人のことはそれから考えるさ)
 懸案、つまり明彦とさやかをいかにして恋人同士にさせるか、と言う件についてだ。これに関しては、あとで貴子とも相談する必要があるが、出来れば当人たち以外全員の協力を得た方が良いかもしれない。
 そう考えた時、飛行機はかすかに振動して、高度を下げ始めた。着陸間近を告げるアナウンスが機内に流れる。
『皆様、本日は大和航空函館行き、217便をご利用いただきありがとうございました。当機は間もなく着陸いたします。席に座り、シートベルトをご着用ください。なお、機長は風間、副操縦士は神崎でした』
 機首カメラの映像を表示している、客室の前方のスクリーンには、北海道の緑の大地がその輪郭を現していた。

 空港の建物から出てくると、クーラーで冷えた身体にはちょうどいいくらいの陽気が一行を出迎えてくれた。
「結構気温は高いみたいだねー」
「でも、そんなにじめっとしてない分過ごしやすいんじゃないかなぁ」
 ナナと織江がそんな会話をしている。治子は温度計にもなる腕時計の表示を切り替えた。気温は29℃。思っていたよりは涼しくないが、暑さでうだるような気分ではなかった。
「それじゃあ、まずは宿に移動して荷物を置きに行きましょう」
 思い思いの相手と話している一行をまとめようと、朱美が声を張り上げる。とりあえず、治子は手を挙げた。
「どうしたの? 治子ちゃん」
 それに気付いたのか、朱美が指名してきた。一行も彼女が何を言うのかと興味を持って見つめる。
「宿に行くのは知ってますけど、交通手段はどうするんですか?」
 治子は質問した。事前の説明会でも、「どこへ行くのか」については詳しく聞いたが、「どうやって行くのか」については聞いていない。
「貴子さんが任せなさいって言ってたけど…」
 朱美は自信なさげに答えた。そういえば、さっきから貴子の姿が見えない。どうやら、貴子に一任していたらしい。その時、どさっと言う音が聞こえて、一行はそちらの方を振り向いた。
 昇だった。この豪胆にして無神経な男が、荷物を取り落とし、美崎の海よりも真っ青な顔でがたがたと震えている。
「…昇? どうしたんだ?」
 親友の尋常ならざる様子に明彦が声をかけると、昇は明彦の肩を掴んで叫んだ。
「い…いやだ…お、俺は死ぬのは嫌だ! みんな、今すぐバスか電車を調べるんだ!」
「…はあ?」
 明彦だけでなく、他の全員も首を傾げる。すると、昇はもどかしそうに説明を始めた。
「た、貴子叔母さんの運転はヤバいんだ! 命が惜しければ今すぐ…」
 しかし、最後まで言い終えないうちに、彼の言葉はクラクションにかき消された。振り向いた昇が、「ああ…」と絶望的な声をあげて地面に膝をつく。そこでは、貴子の運転するマイクロバスがアイドリングの音も軽やかに停車していた。
「はぁい、みんな乗った乗った」
 運転席から貴子がピースサインを出して誘う。治子は乗降口に歩み寄った。
「どうしたんですか? このバス…」
 治子が質問すると、貴子は胸を張って答えた。
「レンタルよ。あぁ、大丈夫。ちゃんと免許は持ってるわ!」
 そう言って目の前に差し出された免許を治子は確認した。大型二輪、普通車、大型車の所にチェックが入れてある。
「あ、本当だ…凄いじゃないですか」
 治子は貴子に尊敬の視線を送った。ちなみに、彼女は無免許である。仮に持っていたとしても、今は本来実在しないはずの「前田治子」と言う女の子の姿なので使えないが。
「さすが貴子さん、意外な特技の女王」
 美春が感心する。確かに、貴子は多才な芸の持ち主だ。家事全般を得意とし、デザイナーとしての技術もあり、モデルだった事もあり、元ミス美崎海岸で戦闘力は超人級。それを考えれば大型車の免許くらいあっても不思議ではないかもしれない。
「じゃあ、早速乗りましょう」
 朱美が荷物を担ぎなおし、真っ先にステップに足をかけた。他の一行も後に続く。しかし、歩道の上で黄昏ている昇一人が動かない。貴子はいったんバスを降り、昇の肩に手をかけた。ぴくりと震える昇。
「ほらほら昇、早く乗りなさい。いくらアタシが天才ドライバーと言えども、ナビがいなきゃ目的地につかないでしょ」
「天災ドライバーの間違いだろ…」
 思わずぼそりと言う昇。しかし、貴子の額に青筋を出現させるのには十分だった。
「グダグダ言わずに、さっさと乗るっ!」
 貴子は昇の首根っこを掴むと、強引に引きずってバスに乗せた。ダッシュボードから地図のコピーを取り出し、怯える甥っ子に手渡す。
「ほら、レンタカー屋さんの人に場所は聞いておいたから。あの赤い点までナビ頼むわね」
「…おう」
 昇は地図を受け取り、妙に丁寧にシートベルトを締めた。その表情には諦観が漂っている。
「良いよ」
 昇が頷くと、貴子は右腕をまっすぐに伸ばして前方を指差し、陽気に叫んだ。
「では、出発!」
 貴子の足がアクセルを踏み込んだ。

 1時間後、函館郊外の温泉地にあるホテルは平和だった。
 しかし、その平和は突如破られる。ホテルに通じる道を爆走してきた一台のマイクロバスが、スピードを落とさないまま突っ込んできたのだ。玄関の外で待機していたベルボーイとガードマンは、自分たちの方に突っ込んでくるバスを見て、一気に硬直した。
(ぶ、ぶつかる!?)
 大惨事を予感した次の瞬間、バスは急減速しながら前輪を軸に90度回転し、玄関の前にぴたりと静止した。
 言うまでもなく、これはPiaキャロット四号店ご一行様のバスである。
「はい、着いたわよ〜」
 バスの中では、貴子が後ろを振り返ってそう呼びかけた。しかし、そこに返事をする気力を残している者は皆無だった。全員が真っ白に燃え尽きている。
「こ…ここはどこ? ひょっとして天国?」
 虚ろな表情で朱美が言った。その隣の席で、夏姫はまっすぐ前方を見つめたまま、石像のように凝固している。
 その後ろでは、ナナと織江が二人肩を寄せ合ったまま眠るように失神しており、さらにその後ろでは屈みこんだ明彦の背中を、さやかが擦っていた。
「あ、明彦…大丈夫?」
「あ、あぁ…なんとかな」
 そして、最後列の席では、美春が治子に抱きついたまま泣いていた。
「お、お姉さま…私たちもうダメなんでしょうか?」
「…いや、大丈夫。着いたみたいだから」
 治子の指摘に、意識を残していた者が正気を取り戻す。失神していたナナと織江もどうにか起き上がってきた。
「よ、良かった…生きてる!」
「助かった…」
 車内に漏れる安堵の声と溜息に、貴子はぷうっと顔を膨らませた。
「何よ、失礼ねぇ…ちょっとドリフトとスピンターンをしただけで」
「いや、みんなの方が正しいだろ…」
 シートベルトを外しながら昇はツッコんだ。

 バスでホテルに来るだけで相当疲労した人間が出たので、最初の観光予定地に出かけるのは1時間ほど延期される事になった。そして、その間に貴子と美春の部屋で、一つの会議が行われようとしていた。
「えー…お集まりの皆さん、ありがとうございます」
 司会進行は貴子、出席者は治子、朱美、夏姫、美春、ナナ、織江、昇。以上8名である。来ていない2名がどうしたのか気になったのか、ナナが手を挙げた。
「あの〜、神無月君とさやかちゃんは呼ばなくて良いんですか?」
「それをこれから説明しようと思ってたのよ」
 貴子はそう答え、本題に入った。
「と言う事で、みんなに集まってもらったのは他でもないわ…神無月君とさやかちゃんをこの旅行中にラブラブにしようという計画を…ちょっと、どうして立つわけ、そこの人?」
 貴子が指名したのは夏姫だ。彼女の表情には呆れかえったような表情が浮かんでいる。
「何を言い出すかと思えば…そんなのは二人で決める事であって、私たちが干渉する立場では…」
 すると、貴子は夏姫の言葉を途中で遮って発言した。
「まぁ、本来ならね。でも、きっかけは大事よね。ねぇ、治子ちゃん?」
「え? は、はい」
 急に話の矛先を向けられ、思わず頷く治子。それを見て、夏姫もいま元木と晴れて婚約者同士でいるのは、治子と言うきっかけがあったことを思い出した。確かに、そんな自分には貴子の言葉を否定する事は出来ない。
「そ、それはそうですが…だからと言って面白半分にそんな事を…」
 それでも反論を試みる夏姫。しかし、貴子はそれも一蹴した。
「失礼ね、面白半分じゃないわよ。あの二人がいつまでも落ち着かないのは、仕事にも差し支えるんじゃないの?」
 夏姫は考え込んだ。確かに、あの二人はお互いに素直になれないところがあり、時々衝突している。その度にシフトをいじって二人が顔を合わせない「冷却期間」を作るのは彼女の仕事だった。
 そういう考えてみたら馬鹿馬鹿しい手間が省けるようになるのは、確かにありがたいかもしれない。夏姫は座り直した。
「話だけは聞きましょうか」
 貴子はにんまり笑った。見事釣り成功。まぁ、夏姫がこの企てに積極的に参加しなくとも邪魔してくるとは思えなかったので、釣れなくとも別に良かった。しかし、協力が得られれば仕掛けは格段に楽になる。
 もっとも、冷静に考えれば、さやかも明彦ももうすぐヘルプ期間が終わって美崎海岸を去ることになるので、夏姫が考えるべき問題ではなくなるのだが、それには誰も気づいていないようである。
「OK。じゃあ、まず第一段階だけど…」
 詳しく話し出す貴子。それを見ながら、治子は貴子が協力者で本当に良かった、と思っていた。さやかと明彦をくっつけようと言っても、彼女にはそれをお膳立てするプランニング能力が欠けている。今貴子が発表しているような計画は、何も思いつかなかったに違いない。もっとも、第二段階以降は「そんなに上手く行くかな?」と言う疑念が差したのも確かだったが…

 1時間後、会議を終えて一行は函館市内へ向かった。最初に行くのは名物のカニ市場である。ここには二時間カニ食べ放題のバイキングをやっている店があり、もちろん申し込み済みだ。
「さて、お昼まではまだ少し時間がありますね。まずは自由行動にしましょう」
 駐車場に停めたバスの横で、やはり自然と引率役となっている夏姫が言った。
「はーい!」
 もうすぐカニ三昧ということで上機嫌な一行が勢い良く返事する。その中で貴子だけがちょっと不機嫌なのは、さすがにホテルまでのようなアクロバティックな運転で振り回されてはたまらないと思った他の全員の懇願により、安全運転を強制されたからだろう。
 しかし、すぐにニヤリと笑った貴子は、ぐっと腕を天に突き上げて叫んだ。
「よーし、行くわよーっ!」
「おーっ!」
 貴子の声に応え、会議に出ていた8人がいっせいに唱和し、市場に向かって駆け出した。冷静なはずの夏姫も同様だ。驚いたのはさやかと明彦である。
「え? えええっ!? ちょ、ちょっと…」
 さやかがいったい何事かと呼び止める暇もなく、8人はあっという間にその場から姿を消した。そして、その場には彼女と明彦だけが残された。明彦も困惑した表情だったが、ふと自分たちしかいないことに気づき、さやかに声をかけた。
「え、えっと…行くか?」
「う、うん」
 さやかはぎこちない態度でいっしょに行動することに同意し、二人は歩き始めた。すると、そこらの物陰でいっせいに怪しげな影がうごめいた。
 先に行ったはずの、Piaキャロット4号店一行だった。じっとさやかと明彦の一挙手一投足に視線を注いでいる。
「二人をいっしょに行動させる、と言う作戦第一段階は、まずは成功っと…これを三日続ければ相当に効果があるはず」
 貴子はほくそ笑んだ。
「でも、これだけであの二人の仲が進展するかしら?」
 懐疑的な声を出した朱美に、貴子が自信に溢れた笑みを返す。
「そのために第二段作戦があるのよ。じゃ、行くわよ。昇」
「オッケィ!」
 やる気に満ちて小道具を取り出す貴子と昇。第二段作戦の仕込みに走る二人を見送り、美春は治子にささやいた。
「お姉さま、上手く行くと思います?」
 治子は首を傾げながら答えた。
「わからないなぁ…でも、私たちじゃあの二人ほど芝居っ気無いしね。任せるしかないよ」
 実際、貴子に任せた以上は信じるしかない。とりあえず、治子たちは先回りして貴子たちの仕込みの首尾を確かめることにした。

 それから数分後、さやかと明彦はずらりと並んだカニを見て回っていた。今朝獲って来たばかりのカニの中には、まだ生きているものもいて、二人が見ているとゆっくりとはさみを振り上げて威嚇してきた。
「うわぁ…すごいわね。どれか一匹、お土産に家に送ってもらおうかな」
 はしゃぐさやか。明彦は「ああ、良いな」などと言いながら傍に付き添っている。なかなかいいムードだ。
 それを見た治子は目論見が当たりつつあることに安堵したが、次の瞬間、信じられないものを見て仰天した。
 貴子と昇がアロハシャツにサングラスと言う木ノ下一族を象徴する格好で、カニの詰まった箱の前に座っていた。どうやらカニ売りのつもりらしいが、そんな怪しいカニ売りはいない。
「あの二人…あれで変装のつもりなのかしら」
 夏姫は賛同した自分が馬鹿だった、とばかりに盛大なため息をついた。これは今日の作戦は失敗だな、と誰もが思い始めたとき、貴子と昇はパンパンと手を叩いてさやかと明彦を呼んだ。
「おやおやそこのお二人さん、うちのカニはいかがかな?」
「今なら出血大サービスでお安くしとくよっ!」
 その声につられたのか、二人が木ノ下一族の前に立つ。
「あ、本当だ。安いわ」
「あぁ、お土産ならここが良いんじゃないか?」
 どどどどどど、と音を立てて見守る一同はズッコケた。
「な、何でアレでわからないのかしら…」
 朱美が信じられない、と言う表情でつぶやく。治子も心底同感だったが、まぁ、気が付かないほうが都合が良い。二人の鈍さに今は感謝したい気持ちだった。
 ともかく、体制を立て直した一行が再度物陰から覗く。さやかは良さそうなカニを選び出し、袋に入れてもらっていた。そこへ貴子が声をかける。
「もう少し待ってねー。ところで、二人は新婚さん? 良いわねー、若いっていうのは」
 その瞬間、さやかは真っ赤になり、明彦も凍りついたように動きを止めた。しかしその硬直も一瞬のことで、すぐに手を振って否定する。
「ち、ちちちち、違いますよ。俺たちはまだ学生ですし…」
 すると、今度は昇が囃し立てるように言った。
「じゃあ、彼女と一夏の思い出か。いよっ、憎いねこの色男! うりうりうりうり」
 言いながら肘で明彦の方を小突き回す。貴子も調子に乗って
「じゃあ、婚前旅行なんだ」
 などと煽る。
「いや、違いますって!」
 明彦がますます赤くなって大声で言う。その反応に、あ、まずいな…と治子は思った。煽りがしつこすぎる。止めさせようと貴子の携帯に電話しようと思った彼女だったが、一足遅く事態はまずい方向に転がっていた。
「そ、そうですよ…私と明彦はただの同僚なんだから…ね?」
 さやかが言った。言葉の後半は明彦に向けている。明彦のほうも「あ、あぁ…その通りだよな」と応じ、辺りにはなんともいえない白けた雰囲気が漂った。木ノ下一族の二人もようやく失敗を悟って沈黙する。
「お、お待たせ…1000円で良いわよ」
 貴子が動揺した声で言いながら、包んだカニを手渡した。さやかはお金を払い、冷凍宅配便を受け付けているコーナーへ歩いていく。その後に明彦も続くが、さっきのように並んで歩きはしないし、会話も無い。残された木ノ下一族はそそくさと店を片付け、5分ほどで着替えて戻ってきた。
「貴子さん…」
 治子が呼びかけると、貴子は伏目がちに「面目ない」と言って手を合わせた。
「とは言え、二人の意地っ張りも良くないわよねぇ…」
「冗談で切り返せない辺り、二人とも真面目すぎですね」
 朱美と夏姫が口々に言う。それは確かに、と賛同の声があがった。
「ともかく、この失点を次で取り返さないと…夜は函館山でしたっけ?」
「ええ」
 治子の質問に、夏姫が首を縦に振る。百万ドルの夜景とも呼ばれる函館山からの景色。それなら、少なくともカニ市場よりはロマンチックな雰囲気が盛り上がると言うものだろう。
「じゃあ、午後一度宿に戻って休むときに、昇君は神無月君をもう少し煽ってみるように。私もさやかちゃんをもう少しけしかけてみるから」
「了解っす」
 治子の言葉に昇は頷いた。ともかく、目先のことを片付けて、全体のことを考える余裕を作らなくては。
 こうして、Piaキャロット4号店一行の「さやか・明彦ラブラブ化作戦」は次のステージへと移っていくのだった。

(つづく)

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さやか:+1 トータル11ポイント


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