織江が働くようになってからしばらくして、店の忙しさもようやく一段落してきた。お盆の帰省シーズンが過ぎて、それまで大型連休を利用して来ていた遠来の海水浴客が減ってきたからである。それでも他店のイベント日並みの混雑が続いている事に変わりは無かったが、感覚が麻痺したのか、全員が「ずいぶん楽になったなぁ」と思う始末だった。
そうした中で、休み無しに働いてきた店員たちにも骨休めをする機会が巡ってきた。
「え、夏祭り?」
治子は首を傾げた。話を持ってきた昇は大きく頷いた。
「そうなんスよ。なかなかの賑わいッスよ」
その昇の言葉に、治子はますます首を傾げた。
「それは良いけど、そうなるとまた忙しいんじゃあ…」
そんな大きなイベントがあるなら、間違いなく店は混雑するはずだ。ところが、その治子の懸念を地元っ子であるナナが打ち消した。
「それがですね、お祭りのある神社は、町の東側なんですよ。だから、明日は間違いなくお店はがら空きになります」
治子はなるほどと頷いた。美崎町は海に突き出た小さな半島になっている。四号店はその西岸にあって、東岸に出るには自然公園のある山…というか丘を越えなくてはならない。客が流れてくることはまずありえない距離だ。
「そこで」
夏姫が従業員一同を見渡して言った。
「明日は、夕方から臨時休業にします」
店員たちが驚くより早く、その後を引き継いで朱美がにこやかに笑いながら言った。
「ずっと忙しかったみんなへのご褒美です。お祭りを楽しんで来てね」
次の瞬間、店内に大いに歓声が湧き起こった。
Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory
Seaside Bomb Girl!〜その少女、不幸につき〜
19th Order 「お祭りの夜」
そして、次の日になった。予想通り、夕方も4時を過ぎると客はまばらになり、臨時休業にしても何の不都合も無くなった。夕方5時には店を閉め、一同はそれぞれ寮や自宅に一回戻る事にした。
「では、集合は6時に駅前で」
夏姫が言った。彼女とナナ、織江は自宅なので、寮組とは別に集合場所を決める必要があった。
「わかりましたー」
「了解です」
口々に返事をすると、一行は寮組と自宅組に別れて歩き始めた。さっそく美春が治子の腕を取った。
「お姉さま、楽しみですねっ」
ニコニコ笑いながら言う美春。治子は頷いた。「お姉さまと呼ぶな」と言うのは、もうとっくに諦めていた。
「めいっぱい楽しみましょうね」
すると、今度は美春への対抗心も剥き出しに、反対側の手を握って朱美が言ってきた。治子は頷いたが、早くも始まった美春VS朱美の鞘当てに、心底困りきった表情をしていた。
(どうすりゃいいんだ、俺は)
そんな治子を、明彦は複雑な表情で見ていた。
(…治子さんって、女の子の方が好きだったりするのか…?)
ここ数日の事件を総合すると、どうもそう言う結論しか出てこない。先日やって来た2号店の店員…治子の前の同僚にしても、治子に対する敵意はあったが、それは嫉妬とか悪意ではなく、治子を思い通りにできない苛立ちやもどかしさと言う面が強いように思えた。
もし、自分の観測が正しいなら…明彦は思った。
(俺は、治子さんを振り向かせられるだろうか?)
自分が朱美や美春と比べて魅力ある存在かどうか、悩む明彦だった。そして、さやかもまた、彼と治子を交互に見て、いろいろと悩んでいた。
(明彦、やっぱり治子さんの事を見てる)
既にライバルがいるのに、それでも治子に惹かれるのか。自分は、治子と比較してそんなに魅力が無いのか。さやかの悩みは尽きない。
(もっと、頑張らなきゃ…)
明彦にもっとアピールするため、さやかは万が一のために持ってきた「あれ」を使う事を決意した。
一行が寮に帰ってくると、ニコニコと笑いながら貴子が出迎えた。
「おかえり〜。確か今日はお祭りに行くのよね?」
「ええ、貴子さんも来ますか?」
朱美が頷くと、貴子は腕を組んで少し考えた後に、首を横に振った。
「行きたいのは山々だけど、見たいテレビがあるのよね〜…まぁ、若者で楽しんでいらっしゃい」
いかにもお祭り騒ぎの好きそうな貴子にしては珍しい返事だったが、まぁ地元で何時でも行けるから構わないのだろうと治子は思った。
「わかりました。じゃあ、みんな30分後に集合ね」
朱美の言葉に頷き、一行は解散した。治子はシャワーを浴びて軽く汗を流し、服を着替えて財布だけを持つと、玄関ホールに向かった。
「あ、治子さん」
やはり男は準備が早いのか、先に来ていたのは明彦と昇の二人だった。
「待たせちゃったかな?」
治子が答えると、昇がぶんぶんと首を振った。
「とんでもない!今来たところッスよ!!」
その勢いに治子が苦笑したとき、階段の上で人の気配がした。治子たちはその方向を振り返った。
「おお?」
治子は目を丸くした。階段を下りてくるのはさやかだったが、彼女は目にも涼やかな浴衣姿だったのである。彼女のお気に入りの色らしい、爽やかなペパーミントグリーンを基調としたデザインのものだ。3人は思わず彼女の姿に見とれた。
「お待たせ」
ホールまで降りてきたさやかは、そう言うと少し恥ずかしそうに微笑み、明彦を見た。これが、治子に勝つためのさやかの切り札だった。
「どう、似合う?」
その言葉に金縛りが解けたのか、まず昇が明彦の背中をどやしつけながら言った。
「いや、すっげぇ似合ってるよ、さやかちゃん!なぁ、明彦」
昇の馬鹿力で背中を叩かれて咳き込みそうになった明彦だったが、そればかりではない赤い顔でさやかを見つめて何度も頷いた。
「あ、ああ…その…良く似合ってるよ」
芸の無い誉め言葉だったが、それだけに真情のこもったものだった。さやかは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、明彦」
そこで、治子も声をかけた。
「凄く可愛いよ、さやかちゃん」
治子にしてみれば何気ない一言だったが、その言葉はさやかの胸を強く打った。
(あ、あれ?)
治子の誉め言葉に、明彦に誉められた時のそれと同じようなときめきを感じ、さやかは胸を押さえた。
(なんで…治子さんに誉められてもどきどきするんだろ…)
自分の不可解な反応にさやかが自問自答していると、朱美、美春の2人もやってきた。
「あ…さやかちゃんも…」
そう言う朱美は夕焼け空のようなオレンジから赤へのグラデーション、美春は空色をベースに笹の葉のような緑の模様があしらわれたデザイン。2人もやっぱり浴衣姿だった。
「先を越されたなぁ」
苦笑しながら、美春は治子の方を向いて尋ねてきた。
「どうですか?お姉さま」
「私はどうかしら?」
朱美がやはり対抗心を剥き出しにして聞いてくる。治子は無難な答えにとどめた。
「美春ちゃんのは可愛いデザインだし、朱美さんは大人っぽくて、どっちも良く似合ってると思う」
そんな答えでは満足できない2人が、どっちがより似合っているかを治子に問い質そうと口を開きかけた時、貴子がその場に現れた。
「あら、3人は浴衣なのね。良く似合ってるわよ〜」
貴子の意見はさすがに重い。さやかたち3人は誉められた事に満足して頷いたが、その時には貴子の矛先は治子に向けられていた。
「ダメじゃない、治子ちゃんも負けずに行かないと」
「そんな事言われても、私浴衣なんて持ってないですし」
治子は答えた。ちなみに、今着ているのはTシャツとミニスカートのシンプルな組み合わせである。
「あら、本当に真面目なのね…」
貴子は感心したような、呆れたような口調で言った。治子が水着も持っていなかった事を思い出したのだろう。しかし、そこでにこりと笑うと治子に向かって言った。
「まぁ良いわ。それなら、アタシのお古を貸してあげるわよ」
「え?」
そんな、悪いですよ、と続けようとした治子だったが、それより先に美春と朱美が賛同の声をあげた。
「良いですね。私、お姉さまの浴衣姿も見てみたいです!」
「私も。きっと似合うわよ」
続いて昇も賛成した。
「いやぁ、治子さんの浴衣姿が見られるなんてラッキーだなぁ!」
治子は既に着替えるものだと決め付けているその3人に抗議するように声をあげかけた。
「いや、私はまだ…え?」
言葉の途中で腕がむんずと掴まれ、引っ張られ始めた。貴子の仕業だった。
「さ、早く着替えちゃいましょ。みんなを待たせるのは悪いからね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
治子は抗議の声をあげたが、貴子の力に対抗できるわけも無く、そのまま管理人室に引きずり込まれてしまった。
「もう…貴子さん、強引ですよ」
治子が言うと、貴子はあはは、と笑って手を離した。
「まぁ良いじゃないの。せっかくみんなが期待していることだし、ここは応えてあげなきゃ」
そう言って、貴子は部屋のクローゼットを空け、中から綺麗に虫除けの紙に包まれた浴衣を取り出した。パステル調の紫の地に、さらに淡い紫でもみじの葉のような模様が染め抜かれたデザインの浴衣だった。
「へぇ…綺麗な模様ですね」
治子が感心したように言うと、貴子は大きく頷いた。
「でしょ? アタシと治子ちゃんじゃ背の高さが違うから少し長いかもしれないけど、まぁ大丈夫でしょ」
そう言いながら貴子は浴衣を広げ、異常がないことを確かめた。それを見ながら、治子はまぁ、こういうのも良いか、と思った。どのみち、貴子にかかっては、この浴衣を着ずには外に出してくれそうも無い。
「わかりました。お借りします」
治子が言うと、貴子は嬉しそうに笑った。
「そう? それじゃあ、アタシが着付けしてあげるわ」
「え? そんな、悪いですよ…」
言いかけて、治子は口篭もった。考えてみると、正式な浴衣の着方は良く知らない。
「…すいません、お願いできますか?」
思い直して、治子は頭を下げた。
「わかったわ。それじゃあ、服を脱いで準備して」
貴子の言葉に頷き、少し恥ずかしいながらも治子は服を脱いで下着姿になった。そして、脱いだ服をたたみはじめた直後、貴子の次の言葉に治子は己の判断を後悔した。
「あら、下着も脱がなきゃダメよ」
「あんですとっ!?」
治子は驚きの表情で振り返った。
「ど、どうして下着まで脱がなきゃいけないんですかっ!」
たたみかけの服で身体の前面を隠しながら、治子が真っ赤な顔で叫ぶと、貴子はさも当然と言う表情で言い返した。
「だって、下着のラインが出てたらかっこ悪いでしょう? 大丈夫、しっかり着付けしてれば絶対にわからないから」
「で、でも…」
治子がそれでも躊躇していると、貴子は目をきゅぴーん、と輝かせ、両手の指をわきわきと動かしながら治子の方に迫ってきた。
「あっそぉ〜? それじゃあアタシが脱がしちゃうけど良いのかな〜?」
「すいません。自分で脱ぎますから、それだけは勘弁してください」
治子は頭を下げて頼んだ。酔った葵と涼子に襲われた時の恐怖は未だに忘れがたい。まして、貴子はその二人を合わせたよりも手ごわいのだ。
その貴子が本気で襲い掛かってくれば、治子に防ぐ術は何も無い。他人の手で強制的に恥ずかしい目に合わされるくらいなら、自分で脱いだほうがまだマシだった。仕方なく下着を脱ぎながら、治子は貴子に尋ねた。
「貴子さん、中杉通りのデパートでランジェリーショップに勤めてる親戚とかいません?」
「? いないわよ。どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです…」
治子はごまかしながら浴衣に袖を通した。貴子の方が少し背が高いせいか、ぶかぶかした感じだったが、帯を締めてもらうと気にならなくなった。
問題は、浴衣に合わせた草履の方だった。これも少しサイズが大きいのだが、服と違って履物のサイズが合わないのは怖い。
「貴子さん…どうにかなりません?」
治子が聞くと、貴子は首を横に振った。
「まぁ、走ったり跳んだりしなきゃ大丈夫でしょ。今日だけ我慢しなさい」
「はい…」
治子は諦めて頷き、草履を履いた。後は転ばないように気をつけるしかない。
治子がどうにか着替えを終えて、待っていた5人の前に現れると、途端に溜息が漏れた。明彦と昇など固まっている。
「へ、変かな?」
その反応が心配になって治子が言うと、美春がうっとりした表情で答えた。
「お姉さま、綺麗です…」
朱美も頷く。
「ほんと。すごく良く似合っているわよ」
「あ、ありがとうございます」
治子が礼を言うと、金縛りが解けたのか、昇が明彦の背中をどやしつけながら言った。
「いや、すっげぇ似合ってますよ、治子さん!なぁ、明彦」
再び昇の馬鹿力で背中を叩かれて咳き込みそうになった明彦だったが、そればかりではない赤い顔で治子を見つめて何度も頷いた。
「い、いやでも…本当、お似合いですよ」
芸の無い誉め言葉だったが、それだけに真情のこもったものだった。治子は礼を言ったが、浴衣の下の事が気になって落ち着かなかった。
「それじゃあ、みんな揃った事だし、行きましょう」
すると、さやかが急にそう宣言し、明彦の手を取って歩き出した。
「え? お、おい、高井…ちょっと待てよ」
明彦がバランスを崩しそうになりながら、それでもさやかの後に続いて歩き出した。さやかの顔には焦りの表情があった。
(やっぱり、治子さん綺麗だった…同じ条件じゃ勝てない)
実際にはそんな事は無いと思うのだが、できるだけ治子から明彦を離しておくほうが賢明だとさやかは思った。しかし、治子から離れたのには、さやか自身自覚しきれていない、もう一つの理由があった。治子を見ていると、さやかまで心臓が高鳴り、身体が火照ってくるのを感じるのだ。
そのなんだかわからない衝動から逃れるように、さやかは明彦を引きずるようにして歩き去っていく。治子がそれを見送っていると、朱美と美春が彼女を左右から挟み込むようにして手を取った。
「さ、行きましょう、お姉さま!」
「う、うん…」
治子は歩き出したが、その足捌きはぎこちない。ただ草履が合わない、というだけの話ではなかった。
(す…スースーする…)
下着を着けていないので、夜気が裾から入り込んでひんやりとしている。その心細さは予想以上のものだった。
(みんなはどうしてるんだろう?)
やはり浴衣を着ている美春や朱美も下着を着けてないのかと思い、治子は2人の胸元やお尻の部分を観察した…が、良くわからない。すると、2人が照れたような視線を治子に向けた。
「どうしたの?治子ちゃん。じっと私たちのことを見て…」
最初に朱美が言うと、次に美春が少し赤い顔で、治子に耳打ちした。
「その…お姉さまが見たいって言うのなら、私は…どんな恥ずかしいところでも…」
「え? い、いや、別にそんなつもりでは」
治子はしどろもどろになって弁解した。やはり、見る部分がデリケートなところだけに、二人には気付かれていたらしい。治子は黙って下を向き、朱美と美春が楽しそうに話すのに、適当に相槌を打ちながら歩いていった。
そして、そんな彼らの様子を見ながら、貴子は一人「面白くなりそうね…」とほくそ笑むのだった。
治子の着替え時間もあって、寮住まい組6人が駅前についた時には、約束の時間を3分ほど過ぎていた。夏姫たち自宅組はすでに集合済みである。
「ごめんね、夏姫ちゃん。待った?」
朱美が声をかけると、腕時計を見ていた夏姫は顔を上げて朱美の方を向いた。
「少し遅刻でしたね。ですが、私も今来たところです」
そう答えながら、夏姫は女性陣4人の浴衣姿に目をみはった。夏姫自身は普段着らしいノースリーブの上着と黒のタイトスカートの組み合わせである。彼女を含む自宅組では、ナナだけが赤地に手毬の模様を散らした柄の浴衣で、織江はやはり普段着のTシャツとショートパンツだった。
「わ、みんな素敵だなぁ…ボクもめんどくさがらずにそう言うカッコで来れば良かった」
織江は感心した口調で言った。
「う…皆さんやっぱりそう言う大人っぽいデザインなんですね…」
ナナが言った。確かに彼女の浴衣は少し子供っぽいデザインかもしれない。しかし、治子としてはナナは大人ぶるよりも、そう言う子供っぽい(というと角が立つが)可愛いデザインの方が似合うと思っていた。
「ナナちゃんも可愛いよ。ねぇ、木ノ下君」
「全くッスね…って、何で俺に話を振るんですか?」
治子に話し掛けられた昇が反射的に答え、それから首を捻ると、昇に誉められたナナはぱっと顔を赤らめ、昇の手を握った。
「ありがとう、昇さん」
そのナナの行動に、昇もまた顔を赤くする。
「お? お、おお…」
意味の無い言葉で返事をする昇。
(はぁ…神無月とさやかちゃんもアレくらい素直だったら楽なのに)
そんな二人の様子を見ながら、治子は小さく溜息をついた。
「では、皆さん集まった事ですし、目的地に行く事にしましょう」
すると、夏姫が本来の目的である祭り会場への出発を宣言した。それに頷き、一行は人の流れに沿って現地へと向かった。
祭りの会場は町で一番大きな神社の境内にあった。まず、一行は神社に参拝した後、それぞれ好きな方に向かう事になった。帰りは入り口の鳥居のところで待ち合わせる。治子は財布から奮発して100円玉を取り出して賽銭箱に投げ入れ、拍手を打って祈った。
(どうか、一日も早く呪いが解けて男に戻れますように…)
熱心に祈り終えて振り向くと、そこには朱美と美春の二人が待っていた。どうやら治子から離れる気はないらしい。
「何を祈ってたの?治子ちゃん」
「それは…内緒です」
朱美の質問を笑顔ではぐらかすと、美春が治子の浴衣の裾を引っ張った。
「お姉さま、おみくじでも引きませんか?」
美春の言葉に治子が顔を上げると、社務所の軒先におみくじを入れた六角形の箱が置いてあった。
「うん、たまには良いかな?」
治子は頷くと、社務所にいた巫女さんに200円払っておみくじを引いた。美春と朱美もそれぞれにおみくじを引く。
「うーん…中吉。何か良い事ありそう」
「末吉かぁ…ちょっと派手さが足りないなぁ」
一応は吉を引いて喜んでいる二人に苦笑しつつ、治子は自分のおみくじを解いた。
「えーっと…ん?」
治子は固まった。そこには赤で描かれた「大凶」の文字がはっきりと書かれていた。それを見て、美春も朱美も思わず凍りつく。
「ま、まぁ…気にしないほうが良いわよ」
まず解凍した朱美が治子を慰めると、美春も自分の中吉のおみくじを見せる。
「ほ、ほら、お姉さま。私の中吉と朱美さんの末吉を合わせたら、プラスマイナスゼロですよ」
治子もようやく気を取り直した。
「そ、そうだね…吉ばかりの中に一枚くらいこれが入ってても、逆に運が良いよね…あはは…」
そう笑いながら、治子はその大凶のおみくじを紙縒りにして木の枝に結んだ。しかし、結び目はかなり乱れていた。占いなど普通なら笑い飛ばせるところだが、何しろ占い師に呪いをかけられて今の自分があるだけに、これは本心から笑えない。
「と、とにかく楽しく遊んで嫌な事は忘れちゃいましょう」
美春の勧めに従い、治子は露店の並んでいる方向へ足を向けた。
年に一度の夏祭りとあって、露店の数はなかなか多かった。たこ焼きやクレープ、チョコバナナなどを買って食べたりしているうちに、治子も気が晴れてきてようやく楽しく遊べるようになった。
そうやって数軒の露店を巡っているうちに、治子は一軒の露店に目をとめた。金魚すくいだった。
「お姉さま、金魚好きなんですか?」
「ん? 嫌いじゃないよ」
美春の質問に治子は答えた。金魚が好きというよりは、涼しそうだという理由で見ていたのだが、その治子の言葉を聞いた瞬間、美春と朱美は百円を露店の親父に差し出していた。
「「おじさん、一回!」」
声を揃えて網を要求しながら、美春と朱美は顔を見合わせた。どちらも、金魚をたくさんとって治子に喜んでもらおうという魂胆らしい。お互いに負けられない、という気持ちを視線にこめると、二人は猛然と金魚をすくいだした…が、不器用なのか慣れていないのか、あまりすくえていない。朱美など、水面に突っ込んだ途端に網を破っている始末である。
「ちょ、ちょっと、二人とも…」
二人が何度も網を代えて競争を続けるのを見て、治子は止めようとしたのだが、勝負の世界に没入した彼女たちは全く聞いていない。治子が溜息をついていると、後ろから声がかけられた。
「あら、前田さん。どうしたのかしら?」
治子が振り返ると、そこには夏姫がいた。
「はぁ、二人があの調子でして…夏姫さんはお一人ですか?」
治子が答えると同時に質問すると、夏姫は頷いた。
「君島さんは木ノ下君と一緒だったし、高井さんと天野さんは神無月君と一緒だったわね。だから、私一人」
そう答える夏姫の表情は、穏やかな微笑こそ浮かべているものの、どこか寂しげだった。それを見て治子は一つ提案した。
「じゃあ、良かったら一緒に見て回りませんか?」
「あら…良いのかしら?」
夏姫の言葉に治子は頷いた。
「ええ、あの勝負、まだ終わりそうも無いですし…」
美春と朱美の勝負はまだ続いている。夏姫は苦笑して治子の方に向き直った。
「じゃあ、ご好意に甘えちゃおうかしら」
「はい、行きましょうか」
治子と夏姫は連れ立って歩き出した。
夏姫と一緒に歩き始めた治子だったが、もう十分にお腹一杯だったので、食べ物は買わず他の店を見て回った。意外にも、と言うべきか、夏姫はけっこうノリがよく、二人で射的ゲームをしてキャラメルを射止めるなどして祭りを楽しんだ。
「次はどこ行きましょうかねぇ」
取ったばかりのキャラメルを一個、口に放り込んで治子が夏姫のほうを見ると、夏姫は足を止めて何かの屋台に見入っていた。
治子が数歩戻ってその屋台を見ると、それはおもちゃのアクセサリーを売っている屋台だった。プラスチックにメッキを施した台座に、これまたプラスチックでできた、宝石のイミテーション…と言うのもおこがましい…がつけられた指輪や、いかにもパチモノっぽいぴかぴか光る真珠のネックレスが並べられている。ただ、ニセモノと言ってもデザインはそれほど悪くは無かった。
「…夏姫さん?」
声をかけようとして、治子は思いとどまった。夏姫は何か懐かしいものをみているような視線で、それらのおもちゃ…特に指輪に見入っていた。
治子が黙ってその様子を見守っていると、ふと夏姫が我に帰ったように治子の方を向いた。
「あら…ごめんなさい」
治子は気にしないで、と言う意思を込めて首を横に振ると尋ねた。
「いえ…指輪好きなんですか?」
すると、夏姫は彼女にしては珍しくそれに答えず、逆に質問で返してきた。
「そうね…前田さんはどうなの?良く、結婚指輪は給料三か月分なんて言うけど、貴女でもそれくらいのものは貰いたいかしら?」
一体何を言い出すのかと治子は訝った。彼女としては、できれば指輪は貰うよりあげる方でありたい。それくらいの「男としての矜持」は持っている。
「まぁ…それは額が高いってのはわかりやすい誠意の示し方だとは思いますけど…別に安物であっても、気持ちが篭っていれば良いんじゃないでしょうか」
治子は答えた。言ってみて、なんとなく給料三か月分も払えない甲斐性無しの言い訳みたいだな、と鬱な気持ちになったが、夏姫にはそれなりに感銘を与えたようだった。
「そうね…前田さんの言う通りだわ」
夏姫は頷くと、財布からお金を取り出し、300円の指輪を買った。アメジストをイメージしたらしい、紫色のガラス玉が銀メッキの台座にはめ込まれた、外見はそこそこ綺麗な指輪だった。夏姫が大事にそれをハンドバッグに仕舞いこむのを見て、治子は首を傾げた。
(あんなもの買って何をするんだろう)
聞けばわかる事だったが、なんとなく治子にはそれを聞き出そうと言う気が起きなかった。指輪を見つめている時の、夏姫の寂しげな顔が記憶に残っていたからかもしれない。
結局、買い物はそれで止めて金魚すくいの屋台のほうへ戻っていくと、途中で朱美と美春の二人に遭遇した。二人とも、手から透明なビニール袋に入った金魚を下げている。
「あ、お姉さま!」
先に気付いた美春が駆け寄ってくる。朱美もそれに続いた。
「見て。結構すくえたわよ」
朱美はそう言って目の高さに袋をかざした。中では5匹の金魚が泳ぎまわっている。美春も負けじと袋を見せる。彼女の方にも5匹の金魚が入っていた。
「あ、本当ですね」
治子は頷いた。あの調子だとかなりお金を使ったんだろうな、と思いつつもそれは口に出さないでおいたのだが、実は二人合わせて5000円近く使っており、それでいて成果は10匹と言う、大変寒い結果になっていた。
(でも、飼うような道具何も持ってないしなぁ…どうしよう)
治子は思った。とりあえず、帰ったら貴子に相談して金魚鉢でもないかどうか聞いてみよう。
そうこうしている間に、祭りも終わりに近づき、人もまばらになってきた。待ち合わせの時間が近づいたので、4人は鳥居のところに向かった。すると、他の5人は既に集合していた。
「や、遅かったッスね」
昇が言った。しかし、その姿を見て一同は呆れたような声をあげた。
『何その格好』
そういわれた昇は、頭に仮面ライダーのお面を載せ、口には息を吹き込むとカメレオンの舌のように伸びる笛(正式名称不明)をくわえ、手には銀玉鉄砲を持っていた。
「むちゃくちゃ楽しんでるわね…」
夏姫が感心すら混じった声で言った。これに対し、もう一人の男である明彦は何も変わったものは持っていなかったが、両脇に控えるさやかと織江はにこにこと満面の笑みを浮かべていた。
「なんか、楽しそうだね」
治子が言うと、二人はどこかで見たようなビニール袋を掲げて見せた。それぞれ中では10匹以上の金魚が泳いでいる。治子がその大漁ぶりに驚くと、さやかが嬉しそうに言った。
「これ、明彦が取ってくれたんです」
「ボクのもですよ」
織江も言った。
「実は、金魚すくいはガキの頃から得意だったんですよ」
明彦が意外な特技の持ち主である事を披露した。治子は素直に感心した。
「へぇ、やるなぁ」
治子の誉め言葉に、明彦は顔を赤くし、いやそれほどでも、と口をもごもごさせて言った。
「とりあえず、帰りましょうか。金魚の落ち着き先も探さなきゃいけないし」
朱美が言った。少し面白くなさそうな顔なのは、治子が明彦のことを誉めたからだろうか。ともかく、賛同した一行は鳥居を潜って帰り道の石段を降り始めた。
悲劇は、その石段の最後の部分で起きた。
(足が痛い…)
治子はサイズの合わない草履が脱げてしまわないように歩いていたが、必然的に足に無理がかかるせいか、次第に足全体が痛くなってきた。それでも平地に出るまでの我慢と、無理して足を運んでいたのだが、どうやら痛みが顔に出ていたらしい。美春が話し掛けてきた。
「お姉さま、なんだか顔色が悪いですけど…大丈夫ですか?」
「え? いや、大丈夫だよ」
心配させたら悪いと思い、無理に笑顔を作った治子だったが、その瞬間、足が滑った。
「え?」
突然世界が回転し、視界の大半が地面から夜空に変わった。その端を、すっぽ抜けた草履が飛んでいく。同時に身体を浮遊感が包み、それはすぐに落下感に変わった。
「きゃあああ! お姉さまぁっ!!」
「治子ちゃん!?」
周囲の人々の悲鳴が響き渡る。石段から転げ落ちようとしている、と治子が気づき、悲鳴をあげるより早く、明彦の声がした。
「危ない!!」
次の瞬間、治子の身体は明彦に受け止められていた。悲鳴に気づいた明彦が、とっさに落ちてきた治子の身体を抱きとめたのだ。しかし、勢いがついていただけに簡単には止まらず、二人はもつれるようにして地面に転がった。
「あいたたたた…」
落ちたショックでぼうっとする意識を、頭を振ってはっきりさせ、治子は自分の下敷きになっている明彦に呼びかけた。
「ご、ごめん…神無月君。大丈夫?
「あ、はい…大丈夫です。治子さんは?」
明彦の方も無事なようだった。そこへ、他のみんなも駆けつけてきて、口々に安否を尋ねた。
「うん、大丈夫。今どくから、ちょっと待ってて」
しかし、感謝の声をかけつつ、治子が腰を浮かせたその瞬間、異変は起きた。
「…!?」
明彦の目がまん丸に見開かれたと思うと、顔が真っ赤になった。そして、その周囲にいた朱美や美春も唖然とした顔つきになる。
「は、治子さん…そ、それは…?」
「え?」
治子は明彦の視線が向けられているところを見た。落ちた時に乱れたのか、浴衣が捲れあがっていて…
「き…きゃああああっっ!?」
悲鳴をあげて治子は飛び退った。捲れあがった浴衣の裾を掴み、慌ててそこを隠す。
「み…見た?」
治子が聞くと、明彦は一瞬首を縦に振りかけ、それから慌てて横に振った。
「み、見てません! 何も見てませんよ、俺は!!」
それが何なのかは謎だが、彼は明らかに治子の見て欲しくない何かを見ていた。そして、美春がおそるおそる、といった感じで聞いた。
「あの、お姉さま…どうしてパンツを…?」
「だ、だって…貴子さんが浴衣の時は着けないって言うから…」
治子がしどろもどろになって答えると、朱美が心底気の毒そうな声で言った。
「治子ちゃん…それ、騙されてるわよ…」
「えっ!?」
治子が驚きの声をあげると、朱美はそっと治子に近づいて、他の人には見えないように自分の浴衣をめくって見せた。
「最近の浴衣や和服は、そんな事しなくてもわからないようになってるのよ。ほら」
見ると、確かに朱美はちゃんとショーツをはいていた。治子は真っ赤になり、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「はうぅ…貴子さん…恨みますよ」
思い切り騙され、しかも致命的な部分を見られてしまった。余りの事に目の幅涙を流しつつ、「大凶」と言う言葉の意味を深くかみ締めた治子だった。
(つづく)
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明彦:+2 トータル12ポイント
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