前回までのあらすじ
 ミス美崎海岸コンテストに出場する事になった治子たち、Piaキャロット四号店の女性店員一同。そこへ、治子の様子を見に東京からやって来たあずさ、つかさも参戦し、コンテストの本選出場は見事にPiaキャロット関係者だけで占められる。そして、一回戦を経て残ったのは、治子、朱美、さやか、あずさ。果たして勝つのは…?

『二回戦の対決方法は…これだっ!』
 司会者が叫ぶと同時に、スクリーンにカタカナ3文字の種目が表示される。

「クイズ」

 意外な対決方法に、観客の間からどよめきが上がる。
『美しさには容姿だけでなく、知性もまた必要、と言う趣旨から設けられているこの対決、さまざまなジャンルから出題される問題に、先に5問正解したほうが勝者だ!』
 説明を聞きながら、治子は唸った。自慢にはならないが、彼女はこういうのは苦手だ。
(朱美さんはどうかな…)
 対戦相手となる彼女の様子を見ようと、治子は視線を横に向けた。朱美はどこか引きつった笑顔を浮かべ、額には冷や汗が浮かんでいた。どうやら、彼女もあまり得意ではないらしい。
 視線を逆に向けてさやかとあずさの様子を見ると、この二人は楽しそうな笑みを浮かべていた。治子は安堵の溜息をついた。この二人は得意か、もしくは好きそうだ。当たっていたら負けただろう。
『さて、それでは会場設営のために、10分間休憩をいただきます! 戦いの始まりは10分後! お見逃しなく!!』
 司会者の絶叫が青空に吸い込まれていく。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


17th Order 「栄冠は君に」


 そして、瞬く間に10分間が過ぎ去った。幕の降りたままのステージに司会者が立ち、観客に呼びかけた。
『お待たせしました! これより第二回戦を始めます! 最初の対決は、羽瀬川朱美さんと前田治子さん。最新の情報によれば、前田さんは羽瀬川さんが店長を勤めるレストランのウェイトレスさんだそうで、上司と部下と言うドラマチックな対決になります!』
 おおお、と観客席が沸き立つ。しかし、その中で既に服を着替え、観客に紛れ込んでいる敗退者4人は平静な表情だった。
「それなら先輩と私の対決だって…」
 夏姫が言う。
「それにしても、どっちを応援して良いのか困っちゃいますねー」
 ナナが言うと、美春は迷わず答えた。
「私はお姉さまを応援するわよ!」
「じゃあ、ボクも」
 つかさがやはり治子応援派への帰属を宣言し、夏姫は朱美を応援する事にした。ナナは中立…と言うか、どっちも頑張れ派である。
『では、早速対決を開始しましょう!』
 司会者が腕を振ると幕が開き、クイズ仕様にセットアップされたステージが姿をあらわした。治子、朱美は既に解答席に座っている。席自体はベニヤ板を組んで作ったボックスとパイプ椅子だったが、早押し用の赤いボタンが付けられていた。
 そして、一番のポイントは、変なシルクハット形の帽子を被らされている事だった。この帽子は早押しボタンと接続されていて、押すと挙手した手の形のプレートが中から立ち上がるようになっている。昔なつかしの、大陸を横断するクイズで使われていたのとそっくりの代物だった。
(は、恥ずかしい…)
 解答者2人の思いは共通である。ある意味、水着姿なんかよりよほど恥ずかしいものがあった。
『用意はよろしいですか?』
 司会者の質問に治子たちは首を振って答えた。
『では、第一問! 俗に七つの海と言われますが、この七つの海とは、北太平洋、南太平洋、北大西洋、南大西洋、インド洋、南氷洋とどこの事を指すでしょう?』
 え、どこだっけ?と治子が思うより早く、隣の朱美が早押しボタンを押す。「ピンポーン」と言うチャイムと共に、朱美の帽子の挙手プレートが立った。
『おっ、羽瀬川さん早い! では、お答えをどうぞ』
 感心する司会者に促され、朱美は自身満々で答えを言った。
『日本海!』
 ブブー、と冷酷に不正解のブザーが鳴った。朱美の笑顔が凍りつく。
『はい、残念でした〜。前田さん、わかりますか?』
 司会者にいきなり話を振られ、治子はうろたえた。まだ正解がわからない。あてずっぽうに治子は答えた。
『ち、地中海?』
 ブブブー、と不正解のブザーが鳴り響く。会場に笑い声が満ち、朱美と治子は恥ずかしさで真っ赤になった。
『残念でした。正解は北極海、または北氷洋です。お二人とも得点なし! 次の問題に行って見ましょう!』
 司会者が励ますように言いながら、次の問題を読み上げる。
『サイコロの1から6の目、全部かけるといくつになる?』
 今度は治子が先にボタンを押した。正解をどうぞ、と言う司会者の言葉に頷き、治子は答えを言った。
『120』
 ブブーッ!と不正解のブザーが鳴った。治子は頭の中が真っ白になった。どこで計算を間違えたかと自問自答する。
『だめですねー。羽瀬川さん、どうぞ』
『え、えーと…360…かしら?』
 またしても不正解だった。朱美も凍りつき、司会者が苦笑しながら答えを言う。
『720です。二人とも緊張気味ですか?落ち着いていきましょうね』
 会場から爆笑が漏れる。しかし、二問立て続けに間違えた二人は、焦りとショックで完全に浮き足立っていた。その後の問題にも不正解を繰り返す。典型的な自爆パターンだ。
「何やってるのかしら、あの2人…」
 夏姫が嘆くような、怒るような声で言う。確かに見てるだけの人間と解答者では後者の方が余裕がないとはいえ、あまりにも酷すぎる。
「お、お姉さま…しっかり…」
「朱美さん、がんばれー」
 美春が祈るように言い、ナナが声援を送るが、それらは2人に届かないまま、とうとう15問目まで対決はもつれこんだ。正解はいまだに出ていない。
『えー…対決が長引き、両者一歩も譲らないため、特別ルールを適用します』
 焦れたのか、司会者がルールの変更を宣言した。
『以降の問題で、最初に正解した方が、決勝進出となります。お2人とも頑張ってください』
 なんと、特別ルールは一発勝負となった。しかし、これも自爆の連発でズタボロ状態の治子と朱美には逆効果。ますます緊張が高まる。2人とも顔面蒼白で、いつ倒れてもおかしくない。
『では、問題! アガペー、フィリア、エロス、これらは何を意味する言葉でしょう?』
 治子はこの設問に、完全に真っ白くなった。そんな単語聞いたこともない。いや、エロスは知っているけど、そんな言葉の意味を言って良いものだろうか?
 すると、朱美がボタンを押した。治子はホッとした。ここで負けても、この苦しみから解放されるなら一向に構わない。そして、朱美は司会者に促され答えを言った。
『哲学』
 ブー、と不正解のブザー。朱美はまたしても凍りついた。
『惜しい。哲学の用語には違いないですが…前田さん、おわかりになりますか?』
 司会者がマイクを向けてきた。しかし、治子の意識は空白だ。ただのうめき声がその唇から漏れた。
『あ…い…?』
 その瞬間だった。高らかにファンファーレが鳴り響き、紙吹雪が舞った。司会者が興奮気味に叫ぶ。
『正解! 答えは、愛という意味です!! この瞬間、前田治子さんが決勝進出を決めました!!』
 焦れていた観客たちが待ってました、とばかりに歓声を挙げ、惜しみない拍手を治子と、敗者である朱美に送った。
『え? えええっ!? か、勝ったの?』
 その大騒ぎに、混濁していた治子の意識が覚醒した。近寄ってきた司会者が治子を立たせ、握手をする。
『おめでとうございます。一時はどうなるかと思いましたが』
 司会者の忌憚のない意見に、治子は赤面して俯いた。
『す、すいません…あがっちゃってぜんぜんわけがわからなくなりまして…』
 消え入りそうな声で言うと、その様子に萌えた観客たちが祝福の声と拍手を治子に送った。そして、帽子を脱いだ朱美が握手を求めてきた。
「おめでとう、前田さん。決勝戦も頑張ってね」
「あ、ありがとうございます…」
 治子は朱美の顔を正視する事ができなかった。自分の勝利は、ほとんど偶然と言うか、詐欺同然である。朱美に申し訳ない気持ちで一杯だった。それも、周囲の人々の先入観では、嬉しさのあまり感極まっての行為に見えたが。
『それでは、前田さんには控え室で待っていただいて…第二試合を行います。高井さやかさんと日野森あずささん、ご入場ください!』
 司会者の言葉に促され、治子はステージを降りようとした。すると、袖の部分であずさと出会った。
「決勝進出おめでとう」
 あずさは言った。祝福の言葉だが、相変わらず口調は刺々しい。
「あ、ありがとう…」
 治子が答えると、あずさはふん、と鼻を鳴らしてステージへ向かって行ったが、治子とすれ違う時に何かを呟くような声が聞こえた。
「何よ…たしの…持ちも知ら…いで…」
「え?」
 治子はあずさの方を振り返ってみたが、もう彼女の声は聞こえなかった。
「どうしたんですか、治子さん?」
 代わって、背後からさやかの声が聞こえた。治子は慌てて振り返った。
「な、なんでもないよ…頑張ってね」
「…?はい」
 さやかは頷きながらも、妙に気落ちした様子で控え室に下がる治子を心配そうに見送った。
(どうしたんだろう…やっぱり、あの人とは争いたくない…のかな?)
 先にステージに出たあずさを見つめ、さやかは自分に気合を入れた。勝たなくてはならないような気がした。

『お待たせしました! 第ニ試合をはじめます!!』
 あずさとさやかが準備を終えたのを確認し、司会者は叫んだ。観客が飛び入り組でありながら、ここまで勝ち進んだ二人に大喝采を送る。
「なぁ明彦、さやかちゃんって頭良いのか?」
 客席では昇が明彦に尋ねていた。
「え?そうだな、学校では優等生だったから、頭はいいと思うけど、クイズに強そうな物知りかどうかはわからないぜ」
 明彦が答えた時、司会者の出題が始まった。
『それでは第一問! 海王星の大きな衛星で、アニメのタイトルにも…』
 素早く二人の手がボタンを叩く。わずかに早かったのは、さやかの方だ。
『トリトン!』
 さやかが答えをコールすると、ピロロロロロン、と言う正解のブザーが鳴り響いた。スクリーンに表示されたさやかの名前の下に「1」の数字が入り、観客がどっと湧く。
『お見事! 高井さんが1ポイント先取です! 続けて第二問、<智に働けば角が立つ。情に掉させば流される>の書き出しで始まる…』
 再度、二人の手が激しくボタンを叩いた。今度は、あずさのほうが早い。
『草枕っ!』
『お見事! 正解は夏目漱石の「草枕」でしたっ! 日野森さんも1ポイントゲット!!』
 再び大歓声。治子VS朱美とは打って変わってハイレベルな争いに、観客の盛り上がりもヒートアップしている。控え室でその様子を見ていた治子は、この二人に当たらなくて本当に良かったと胸をなでおろしていた。
 対決は両者一歩も譲らないまま続き、4対4の同点で9問目を迎えた。これに勝った方が決勝進出となる。
『さぁ、これが決着になるのでしょうか? 問題です!』
 司会者の煽り台詞に、さやかも、あずさも、見守る観客も、息をのむ。
『美崎海岸から東京方面へ向かう急行電車、停車駅はいくつ?』
 一般教養には即答してきた2人も、この問題には意表を付かれた。慌ててここへ来た時の事を思い出しながら、指折り停車駅を数える。そして、先に数え終わったのはさやかだった。ボタンを叩き、挙手プレートを作動させる。
『高井さんが早かった! さぁ、お答えをどうぞ!!』
 司会者に言われ、さやかは答えを口にした。
『11駅!』
 これがラストコールになるのか、と固唾を飲んだ観客の耳に、ブザーが聞こえた。
 ブブーッ!
 不正解だった。さやかの顔色が変わる。
『残念! 日野森さん、答えをどうぞ』
 司会者があずさに解答権を移動する。あずさはゆっくり息を吸い、答えを言った。
『12駅です』
 その瞬間、ファンファーレが鳴り響き、あずさの頭上から紙吹雪が舞い散った。正解だ。歓声が爆発した。
『その通り! 美崎海岸、日の入岬、海鳴…桜美町、横浜…高田馬場、中杉、以上12駅です!』
 答えを聞いて、さやかは自分の敗因を悟った。彼女が乗ってきた駅は高田馬場。始点・終点の中杉駅を数えるのを忘れていたのである。
『これで、二人目の決勝進出は日野森あずささんに決定だ! おめでとうございます!!』
 拍手が鳴り響く中、二回戦は終わった。決勝戦は治子対あずさという、まさに因縁の対決と言うか、当事者たちにとっては頭痛もののカードとなったのである。

 数分後、治子は控え室からステージに戻っていた。横にはあずさが立っている。
「とうとう、直接対決になっちゃったな…」
 治子が言うと、あずさは「そうね」と一言でだけ応じた。治子は久しぶりにあずさの顔を間近で観察した。機嫌は悪そうだが、その美貌は損なわれていない。
(はぁ…馬鹿だよな、俺…)
 もっと彼女を大事にしてやればよかった、と言う後悔の念が湧いて来る。一方、あずさも今では自分と同じ性別の恋人を観察した。男の頃も整った顔立ちの青年だったが、こうして同性になった今見ると、いまだに子供っぽさが抜けない自分よりもきれいだな、と思ってしまう。
(世の中って不条理だわ)
 黙り込んだ2人の様子を、緊張のせいと解釈した司会者が、ことさら明るい声で言う。
『さぁて…今年のミス美崎海岸コンテストも、いよいよクライマックス…決勝戦の開始です!!』
 わあああ、と観客が大歓声で応じた。その反応に満足しつつ、司会者は言葉を続ける。
『その決勝戦ですが、種目は海辺に、夏にふさわしいものを選ばせていただきました…それは、これだ!!』
 司会者が振り返りつつ指し示すスクリーンに、その文字は浮かび上がった。

「ビーチフラッグ」

 これもまた意外な種目に、観客がどよめきを発する。ビーチフラッグというのは、ライフセービングの競技の一つで、砂浜に旗を立て、選手はそこから離れた場所に、旗とは反対の方向を向いてうつぶせになって待機する。
 そして、合図と同時に立ち上がり、振り返り、旗に駆け寄ってそれを取るのだ。瞬発力と、足場の悪い砂浜を駆け抜けるバランス感覚が要求される競技である。
『既に最後の決戦の場は用意してあります! さぁ、出でよバトルフィールド!!』
 司会者が大仰な身振りで合図をすると、ステージの後ろの壁が左右に分かれた。背後の海が一望できるようになり、そこにビーチフラッグのコースが設定されていた。と言っても、スタートラインを示す白いロープと、治子とあずさが奪うべき20センチほどの小さな旗が潮風に揺られているだけだったが…
『それでは、お二人は位置についてください』
 司会者の言葉に従い、治子とあずさは裏手に用意されていた階段を下りてスタートラインに向かった。同時に、ステージがゆっくりと折りたたまれる。どうやら、トレーラーに載せられた移動ステージだったらしい。トレーラーはそのまま移動していき、ビーチフラッグのコースと観客席の間の障害物はなくなった。
 ゆっくり歩きながら、あずさは治子に話し掛けてきた。
「前田君」
「…ん?」
 治子があずさの方を見ると、彼女は相変わらず不機嫌そうな表情で言った。
「あの、さやかちゃん、って言うんだっけ?あの娘からこっちに来てからの前田君のこと、いろいろ聞いたわ」
「そ、そうか…それで?」
 治子は少し動揺しながらも聞いた。さやかのことだから、あまり変なことは言っていないものと期待したいところだが。
「いろいろ頑張ってるらしいわね。不良退治したり、店長さんを助けたり、人生相談乗ってくれたり、頼りになる先輩だって言ってたわ」
「そっか…」
 変なことは言われていないようなので、安心した治子だったが、次の瞬間、あずさの口調が一変した。
「でもね…そういう前田君の見境なく誰にでも親切なところが許せないのよ」
「…は?」
 治子はあずさの言葉に思わず間抜けな声をあげた。どういう意味なのかさっぱりわからない。許せないのはつかさとも付き合っていた事ではないのか?
 しかし、あずさから見れば、恋人(だろう、一応)が誰にでも優しいと言うのは、不安でしょうがないのだった。身勝手でも自分だけ見ていて欲しい。
 そして、治子はあずさのそんな気持ちに気付かないし、あずさは素直に言い出せない。結局、この二人も絵に描いたような自爆少女なのだった。

 そして、二人はスタートラインについた。砂浜に張られた白いロープ。その20メートル先に潮風に翻る小さな旗。それがこの勝負の最後の目標だ。
「…っと、これはちょっと邪魔かな」
 治子は準備の前に、腰に巻いていたパレオを解いた。すると、途端に大歓声が上がった。
「わ、な、なんだ!?」
 治子は驚いたが、今まで長いパレオで隠されていた彼女の美脚をついに拝むことのできた観客からすれば、当然の反応だろう。
「おおおお、治子さんの生足!」
 昇が叫びながらカメラのシャッターを切りまくり、その他のカメラを持つ観客も一斉に撮影をはじめて、フラッシュが間断なく治子に浴びせられた。
「モテモテね」
「はは…あははは…」
 あずさの嫌味とフラッシュの嵐に、治子は思わず虚ろな笑いを浮かべた。脱いだパレオを司会者に渡して保管してもらえるように頼みながら治子は言った。
「あ、あの…早く始めてもらえます?」
「そ、そうですね」
 司会者は頷き、マイクを手に取った。
『さぁ、いよいよコンテストも大詰め! 渚の女王にふさわしいのは、前田さんか!? それとも日野森さんか!? 今、決戦の時!!』
 うおおおおお、と大歓声が上がる。
『栄光の旗を掴むのは一人だけです! 位置について!!』
 その言葉に、治子とあずさは砂浜にうつ伏せになった。時刻は夕方に近づいていたが、昼間たっぷりと太陽の熱を吸った砂は、焼けるように熱い。
『用意!』
 治子は手を地面につき、身体を起こしやすい態勢を作る。その途中であずさと視線があった。
「…」
 お互いもう何も言わない。今は語るべき時ではない。そして…
『スタート!』
 司会者が叫ぶと同時にピストルを発射する。その瞬間、治子は弾かれたように立ち上がり、身を反転させて旗に向かって全力疾走した。視界の端にあずさの姿が映る。
(負けられない!勝ちたい!!)
 治子はそう念じ、旗に意識を集中する。その距離が5メートルを切ったその時、治子は跳んだ。プールに飛び込むように、旗に向かって身体を投げ出す。ほぼ同時に、あずさもまた跳んでいた。一本の旗に二本の手が伸びていき、砂煙が巻き起こった。
 治子は、確かにその手に何かを掴んだ…が、砂の感触しかしない。顔を上げ、自分の手の先を見る。そこには一掴みの砂が握られ、そしてそのさらに内側に白いプラスチックの棒があった。その棒には白い布地が巻きついていた。
「や、やった!!」
 治子は跳ね起きた。そして、高々と旗を掴んだ手を天に向かって突き出す。その瞬間、美崎海岸全体に伝わりそうな大歓声が巻き起こった。
『やりました! 旗を掴んだのは前田さん!! この瞬間、栄光の第32回ミス美崎海岸の座は、前田治子さんに決定だぁぁぁぁぁ!!!!』
 司会者が叫びながら駆け寄ってくる。割れんばかりの拍手が降り注ぎ、治子の勝利を讃えた。
『おめでとうございます! 今のお気持ちをどうぞ!!』
「あ、はい…その、嬉しいです」
 司会者がマイクを突き出してきたが、月並みな事しか答えられない。それでも歓声と拍手が再度湧き起こる。
「いたた…」
 その時、あずさが起き上がった。身体が砂まみれになっているが、怪我はしていなさそうだ。
「日野森、大丈夫か?」
 治子が声をかけると、あずさは顔を上げた。その目から一筋の涙が流れている。一瞬治子は狼狽した。泣いているのかと思ったのだ。しかし、あずさは困ったような声で言った。
「目に砂が入っちゃった…」
 治子は安堵した。そして、あずさの方に手を伸ばして言った。
「ほら、日野森、掴まって」
 あずさは頷いて治子の差し出した手を握ろうとした…が、次の瞬間に、この大会最後のハプニングにして悲劇の幕は開いた。涙でにじんだ視界のせいか、あずさは治子の手ではなく、違ったものを握ってしまった。
 治子の水着…その前の合わせ目のリボンを。
「え…?」
 治子が凍りつき、世界が凍りついた。リボンがしゅるりと解け、水着の前の部分が内側からの圧力にはじけるようにして開き、治子の形のいい胸のふくらみが、一瞬で観衆の目に曝された。
「…あ」
 ようやく視界の戻って来たあずさが、自分が何をしたのかに気付いて声をあげたとき、呪縛は解けた。
「き…」
 治子の顔に、一瞬で血が上る。今、数千の目が露わになった彼女の身体の一部分に注がれている。

「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」

 治子の唇を割って絹を引き裂くような悲鳴がほとばしった。そして、それを覆い隠すように凄まじい怒号にも似た歓声が、今度は海の彼方にまで届くかと思われる勢いで響き渡った。

 戦いは終わり…海に美しい夕日が沈んでいく。その赤い光に照らされた砂浜を、いくつかの人影が歩いていく。コンテストに出場した8人だった。
 そして、その中心で治子は泣いていた。
「うっ…うっ…ひっく…えぐ…」
 とても気まずい雰囲気が漂う中、ついに耐え切れなくなったのか、あずさが口を開いた。
「あぁもう、いい加減泣き止みなさいよ!」
「うっうっ…そんな事言ったって…」
 治子の精神的ダメージは大きかった。会場にいた人だけでなく、中継のカメラにまであのシーンを捉えられてしまったのだ。一体何人の人間が自分の半裸を見たかと思うと、このまま海に身を投げたい気分だ。
 何よりも、衆人環視の中であんな女の子みたいな悲鳴をあげてしまったことが、一番ショックだった。自分が確実に女の子の方向に流されつつある事を実感してしまう。
 そして、あずさの方も美春、朱美、さやかに睨まれてたじろいでいた。それはまぁ、原因を作ったのは彼女なのだから、治子に泣き止めと言っても、説得力がないこと甚だしい。
「あ、あずさちゃん…とりあえず謝ろうよ、ね?」
 つかさが横から助言してくる。そう、あずさはまだ治子に謝罪していなかったのだ。別に罪悪感を感じていなかったからではなく、逆に大きすぎてどう謝っていいものか見当もつかなかったからだが。
「そ、そうね…」
 それでも、謝らなくてはならないだろう。あずさは呼吸を整え、治子に言った。
「わ、悪かったわ…」
 しかし、治子は泣き止まない。おまけに、誠意のない言い方に聞こえたか、ナナと夏姫もあずさを見る眼が厳しくなった。あずさはたじろぎ、何を言って良いかわからなくなった。そして、思わずとんでもない言葉を口走っていた。
「あぁもう、責任は取るから泣きやみなさい!!」
『え?』
 全員の目があずさに注がれた。あずさも、自分が何を口走ったかを悟って凍りついた。古来よりこう言うときに「責任を取る」と言えば、その意味は…
「ひ、日野森、責任って…?」
 ショックで泣き止んだ治子が顔を上げて言ったその瞬間、あずさの中で何かが切れた。
「な、何を言わせるのよ、ばかあっ!」
 ばっちーん!
 あずさのビンタをくらって治子は吹き飛んだ。あずさはそのまま砂浜をどこまでも走り去っていく。
「あああ、あずさちゃん!?待ってよぉ〜〜!!」
 その後をつかさが追いかけていく。そして、治子は波打ち際に倒れていた。
「お、お姉さま、しっかり!?」
 美春が駆け寄って治子の身体を揺すぶる。しかし今日一日の精神的ダメージで消耗しきっていた治子は、今の一撃で見事に轟沈していた。

「…ん?」
 顔をくすぐる風の感触に、治子は目を覚ました。
「こ、ここは…?」
 治子が目を開けると、そこには朱美の姿があった。どうやら寮の自分の部屋らしい。朱美たちが連れて帰ってくれたのだろうか。
「あ、目が覚めた?身体の方は大丈夫?」
 にっこりと笑う朱美に、治子は上半身を起こして尋ねた。
「大丈夫…です。あの、日野森たちは?」
 治子は気がかりになったことを尋ねた。
「うん…今日は泊まるのを止めて帰るって」
「…そうですか」
 結局話し合う機会がなかったなぁ、と治子は少し落ち込んだ。すると、朱美は治子の横に腰掛けた。
「ねぇ、治子ちゃん…あの娘たちの事…好きだったの?」
「え?」
 治子は驚いて朱美の顔を見た。彼女の顔は真剣で、冗談で訊いているようには見えない。
「そ、それは…」
 治子は口篭もった。確かに、男だった頃はあずさとつかさの二人とほとんど恋人に近い関係ではあったが、それを正直に言うのはためらわれた。すると、朱美は信じられないような事を言い出した。
「私じゃ…ダメかな」
「…は?」
 治子はぽかんと口をあけた。朱美の目が潤み、いつのまにか上半身に抱きつかれている。
「私じゃ…あの娘たちの代わりにはなれないのかな」
「あの、あけみさん?いったいなにを?」
 次第に強くなってくる朱美の抱きつく力と、彼女の柔らかさ、そして何よりもその言葉に混乱しながら治子は訊いた。
「年下の…それも女の子相手にこんな気持ちになるなんて、自分でも信じられない…でも…」
 朱美の顔が治子に近づいてくる。
「私…治子ちゃんの事が…好き」
(あんですとっ!?)
 治子は目を見開いた。言葉に出せなかったのは、朱美にキスされたからだ。振りほどきたいところだが、今日一日のダメージのせいで、朱美の力に抵抗できない。
 どれくらい時間がたったのか、ようやく朱美の唇が離れた。ショックと酸欠で呆然としている治子に、朱美が言う。
「でも、私の一方的な気持ちだから…もし治子ちゃんが美春ちゃんや、あの娘たちの方を選んでも、私は文句は言わないわ」
 一方的に気持ちを押し付けてこない分、朱美は美春よりは大人だったと言えるだろう。しかし、精神的にとどめを刺された治子は薄れていく意識の中で思った。
(なんでこうなるんだろう…)
 おやすみなさい、と言って部屋を出て行く朱美の声も聞こえず、治子は再び暗い闇の中に沈んでいくのだった。

(つづく)

治子への好意カウンター
朱美:+2 攻略完了(爆)
さやか:+1 トータル6ポイント
明彦:+1 トータル10ポイント


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