この日は朝から33度を突破する猛暑で、都心のほうから遊びに来た人々だけでなく、地元からも海に涼を求めにやってくる海水浴客で浜辺はごった返していた。当然ながら店内も客で一杯になっている。
(はぁ…毎日海を眺めながらぜんぜん遊びにいかない、と言うのも精神衛生に良くないな…もっとも、女物の水着なんて持ってないけど)
 店の窓の向こう側に広がる浜辺の光景を見て、治子は溜息をついた。最近はさやかの加入にくわえ、ナナや昇もようやく仕事に慣れてきたので、考え事をする余裕も増えている。しかし、それでも労働基準法を遵守するにはあと一人はバイトを加える事が必須だと夏姫は断言していた。そこで、店の玄関には今も求人広告が張り出されている。
 そして、求人広告を必要とする原因はもう一つ…いや、もう一人いる。
 ガッシャーン!!
 またしても激しくガラスや皿の砕け散る音が聞こえてきた。
「あああ、す、すみません!」
 朱美だった。お客さんに出す前の料理を思い切りひっくり返してしまったのだ。
「ど、ど、どうしよう…」
 パニック状態になりかけている朱美。治子はすぐにフォローに入った。
「お客様、大変失礼しました。直ちに代わりをお作りしますので、誠に申し訳ありませんがもう少しお待ちください」
 まず客に謝罪し、オーダーを確認する。
「朱美さん、すぐにこのオーダーをもう一回作るように厨房までお願いします」
 治子の言葉に、朱美が「わ、わかったわ」と言って厨房に向かって駆け出す。こう言う時は、なんでも良いからやるべきことを示せば、とりあえずパニックだけは避けられるものなのだ。
 オーダーを再注文している間に、治子は散らかった皿とコップと料理の残骸を片付け、それから普通の仕事に戻ろうとした…が、朱美がいない。
「朱美さんは?」
 とりあえず近場にいたナナに聞いてみると、彼女は黙ってバックヤードのドアを指差した。どうやら、また夏姫に呼ばれて怒られているらしい。
「朱美さんも、もう少し落ち着いてくれれば良いと思うんですけど…」
 溜息をつくようなナナの言葉に、治子は危惧を感じた。いくら頼りないと言っても、朱美は店長(代理)なのだ。軽んじるような事をそうそう言って良いものではない。
「ナナちゃん、そういう事は言っちゃだめだよ」
 治子のたしなめるような口調に、ナナは胸を突かれたような表情になった。
「すいませんでした。でも、私は朱美さんがダメだって言いたかったんじゃないです。逆に、頑張って本当の店長になって欲しいです」
 ナナがそう言った時、バックヤードから朱美が出てきた。かなり落ち込んだ表情をしている。それだけで、少しフロアの雰囲気が暗くなったような気がした。
(うーん…朱美さんのことは本当に何とかしないと…)
 このままでは、本人のためにも店のためにも良くない。朱美のためにできることは何かないものだろうか、と治子は考えていた。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


13th Order 「二人でお酒を?」


 混雑はランチタイムを過ぎても、まだまだ途切れる事無く続いていた。この騒がしさに拍車をかける存在が、そう、親子連れの存在…と言うか、子供の存在である。大人しく席に座って料理が来るのを待っているような子供は少数派で、海に来た興奮を持て余して、そこらを駆け回って発散させているのが大半である。
「き〜ん…えいっ!!」
 今も、治子の背後から走ってきた4〜5歳の男の子が、追い抜きざまにその手を閃かせた。その瞬間、治子のお尻にクーラーの生み出すひんやりとした空気の感触が当たり、続いて持ち上がった布地がふわりと落ちて足に当たった。
「え…な、何今の?」
 その異様な雰囲気に治子が立ち止まる。すると、周囲の男性客たちから「おおっ!?」と言うどよめきがあがった。そして、30半ばと見える男性が「こらーっ!!」と叫びながら走っていき、治子を追い抜いた男の子を捕まえた。どうやらその子の父親のようだ。
「すいません、もう本当に悪ガキで…」
 男の子を引きずった父親が治子の所にやってきて、ぺこぺこと謝る。
「あの、何が?」
 まだ事態が飲み込めない治子に構わず、父親が男の子の頭を抑える。
「ほら、お前もお姉さんに『ごめんなさい』しなさい!」
 父親は男の子に頭を下げさせようと手に力を入れるが、男の子も反抗期なのか、さっぱり父親の言う事を聞かない。それどころか、とんでもない行動に出た。
「いやだもーんっ!えーいっ!!」
 男の子の手が止めようも無い勢いで持ち上がり、その途中にある「障害物」を跳ね除けた。すなわち…治子の制服のスカートを。布地がふわりとめくれ上がり、純白の下着が周囲の男性客の目を射た。
 悪ガキの永遠の伝統芸、スカートめくり。さっきは後ろからだったが、今度は前からの二度目が炸裂した瞬間だった。一回目より大きなどよめきがあがる。
「え…」
 次の瞬間、治子は凄い勢いでスカートを押さえつけ、床に座り込んでいた。顔が羞恥で火照るのが自分でもわかり、喉元まで悲鳴が出かかる。
(あれ?)
 何かおかしい、と思ったその瞬間、感じていた恥ずかしさは消え、治子は落ち着きを取り戻して立ち上がった。そして、男の子の頭を撫でてやる。
「んふふ〜…ダメだぞボクぅ〜…そういう悪さをしちゃあ」
 あくまでも朗らかな口調で、治子は男の子の頭を撫でまわした。しかし、男の子のしてやったり、と言う表情は消え、恐怖がそれにとって代わった。そして…
「ご、ごめんなさい…おねいちゃん…」
 謝罪の言葉が彼の口から飛び出すと、治子は手を離した。
「わかればよろしい。もう二度と女の子にこういう事をしちゃダメだぞ?」
「う、うん。もうしないよ…」
 そう言うと、少年は父親に抱きついてぐずり始めた。そこであらためて父親が謝罪し、治子は笑顔でお気になさらず、どうぞごゆっくり、と応じて仕事に戻った。ちなみに、治子が男の子に何をしたのかと言うと、頭を撫でる振りして手のひらに親指を入れ、関節部分でつむじをぐりぐりとこねくり回してダメージを与える技だった。
(…さっきのスカートをめくられたときのあれはなんだったんだ)
 歩きながらも未知の現象に首をかしげる治子に、美春が近寄ってくる。
「大丈夫ですか?お姉さま」
「…だから、店内でその呼び方は…まぁ、大した事は無いけど」
 治子が答えると、美春は溜息をついた。
「今日はとりわけ子供だらけで大変ですよ…昇君はさっき、何とかレンジャーごっこしてる子供たちに怪人呼ばわりされて集団襲撃受けてましたし」
「それはまた、的確な表現と言うか命知らずと言うか」
 治子は感心した。ちなみに、実際の怪人の強さなど知らないが、昇はそいつらとバーリ・トゥードをやっても圧勝できるだろう。
「ナナちゃんもスカートめくりされてさっきまで泣きかけてましたし…最近の子供はマセてますねぇ」
「と言うか、親の方でちゃんとそばに置いていて欲しいんだけどなぁ」
 治子は言った。二号店でまだ彼女が耕治だった頃の思い出が蘇ってくる。近所の未亡人、山名春恵の娘、かおる。舌ったらずで自分の事を「かぁる」と呼んでいた彼女が迷子になって店に来たときは、なかなか泣き止んでくれなくて大変だったものだ。
「あーん、おうち、おうちかえるのぉー!!」
「そうそう、こんな感じで…って、え?」
 治子は周囲を見渡した。すると、フロアの一角で小さな女の子が泣いていた。迷子…ではない。ちゃんとそばに親がいるが、どうやら家に帰りたいらしい。
「今日はおばあちゃんのところにパパとママと一緒に泊まる約束でしょう?」
「ふぇぇぇん、おうちがいいのぉー!!」
 母親が宥めるが、女の子はますます火がついたように泣き叫ぶばかりだ。
「こりゃマズいな。何とかしないと」
 治子はその親子連れに近づいて声をかけた。
「あの、お客様どうかなさいましたか?」
 すると、母親が顔を上げて申し訳なさそうな顔をした。
「す、すいません…子供がぐずってしまって…」
 治子は頷くと、しゃがんで視線を子供の高さに合わせた。
「どうしたのかな〜?泣いちゃだめだよ〜?」
 かおるをあやす時のように、満面の笑顔で優しく問い掛けた治子だったが、その報酬は大泣きで返された。
「ふえぇぇぇぇぇぇんっっ!!」
「な、なんで…?」
 治子はかおるとの付き合いで学んだ対子供コミュニケーション能力を粉砕され、愕然とした。するとそのとき、背後から朱美の声が聞こえてきた。
「前田さん、ちょっと良い?」
「は、はい…ん?」
 振り返った治子は、朱美が両手に一つずつ持っている物を見て、目を丸くした。それは、キャッシュカウンター横のおみやげ物コーナーで売っている、一個300円くらいの犬と猫のぬいぐるみだった。
 朱美が何をするつもりなのかわからなかったが、とりあえず任せてみようと、治子はその場をどいた。朱美は両親から女の子の名前を聞くと、治子と同じように女の子と同じ視線になり、彼女の前にぬいぐるみを出した。
「こんにちは、何を泣いているのかわん?夏美ちゃんが泣くとボクたちも悲しいにゃん」
 ぬいぐるみを交互に前に出して喋り始める朱美。どうやら一人芝居のようだ。すると、泣き叫んでいた女の子の顔が少し穏やかになった。
「くすん…わんちゃん、ねこさん…」
「おばあちゃんは夏美ちゃんが来るのを楽しみに待ってるわん。おばあちゃんは夏美ちゃんの事が大好きにゃん」
 そこへ、朱美がさらにぬいぐるみを振るって熱演を続けると、ついに女の子は泣き止み、ぬいぐるみを見て楽しそうに笑い始めた。
「ボクたちも夏美ちゃんのおばあちゃんに会いたいわん。一緒に行っても良いかにゃん?」
「うん、わんちゃんもねこさんも一緒に行くのー」
 女の子は大はしゃぎで、さっきまでの嫌がり方はどこへやら、親に早く行こうとせがみ始めた。それを見て、朱美はにっこり笑うと女の子にぬいぐるみを手渡した。
「はい、夏美ちゃん。一緒に連れて行って可愛がってあげてね」
「うん!」
 大喜びする女の子。一方、両親は申し訳なさそうな表情で朱美を見た。
「あの、すいません。お幾らでしょうか…?」
 ぬいぐるみの値段を気にする母親に、朱美は首を横に振って答えた。
「いえいえ。どうかお気になさらずに。私からのプレゼントにさせていただきますので」
 これには両親もひたすら恐縮だったが、どうやら事件は一件落着とあいなりそうだった。
「すいません、朱美さん。私じゃどうにもなりませんでした」
 例の親子連れから離れたところで治子が礼を言うと、朱美は手を振って礼は無用と言う意思を示した。
「良いのよ。前田さんにはいつもお世話になりっぱなしだし…たまには私も何かしないとね」
 朱美はにっこり笑った。そのまま仕事に戻っていく。治子も、これで朱美が自信を取り戻してくれるなら良いなぁ、と思いつつ仕事に戻ったのだが、その後も朱美は皿を割ったり、水をこぼしたりする小さなミスを連発したのだった。

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしてます」
 挨拶と共にこの日最後の客を送り出し、店は閉店準備に入った。朱美がキャッシャーを締めている間に、治子は手早くその他の作業を進め、店内の掃除にかかる。
 それが終わると、治子はちょっと残業していく事にした。フロアでの応対に忙しく、倉庫の整理がまだ完全に済んでいなかったのである。
「よいしょっと…うーん、重い…」
 治子はツナ缶の箱を棚の上に載せようとしていた。この程度の作業は楽勝、と思っていた治子だったが、軽々と持ち上げられたはずの箱は渾身の力をこめてもなかなか持ち上がらない重荷と化していた。
「はぁ…こればっかりは男の時の腕力が懐かしいよ…」
 ぼやきながら脚立を降り、次の箱を持ちあげる。
「うぅ〜んっ!よいしょっと…」
 力をこめ、箱を持って脚立を登った瞬間、トラブルは起きた。ぐらり、と足元が傾く…と言うか、脚立全体が傾いた。どうやら、完全にストッパーをはめていなかったようだ。
(…なんて、冷静に考えている場合じゃ…わああぁぁぁっ!?」
 思考の途中から悲鳴に変わり、治子は床に倒れ…なかった。
「あれ?」
 背中に何か柔らかくて暖かい感触があり、それがぐいぐいと押してくる。そのおかげで、脚立の角度は元に戻った。治子は安堵の溜息をはきつつ、背後を振り向いた。そこで治子を支えていてくれたのは、朱美だった。
「前田さん、大丈夫?」
「…は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
 脚立から降り、治子は朱美に深々と頭を下げた。もしあのまま転倒していたら、大きな怪我をしていたかもしれない。
「でも、朱美さん、どうしてここに?」
 治子が聞くと、朱美はにっこり笑って答えた。
「事務の仕事が終わったから、手伝ってあげようと思って…さ、早く片付けてしまいましょ」
「あ、はい」
 治子は頷き、今度はちゃんとストッパーをつけて脚立に登った。念のため、朱美に押さえておいて貰う。それが終わると、二人で手分けして、来た荷物を棚に仕舞っていった。そして、10分後。
「前田さん、ちょっと脚立押さえておいてくれる?」
 朱美がドリンク用のストローを入れた箱を持って頼んできた。
「はい、良いですよ」
 治子は脚立の脚を押さえ、ストッパーをかけた。そこを朱美が登っていく。その様子を何の気なしに追って行き…
(うをっ!?)
 治子は思わず叫びそうになった。ちょっと上を見上げると、朱美のスカートの中が完全に覗けてしまったのだ。
「えい…っと」
 朱美が荷物を載せようと力を入れるたびに、レースをたっぷりあしらったピンクのショーツに包まれた彼女のお尻がふるふると揺れる。その様子をぽかーんと見上げていた治子だったが、慌てて視線をそらした。顔に血が上り、早鐘を打つ心臓を無理やり鎮めようとする。
(び、びっくりした…って、待てよ?すると、さっき俺が先に登ってたときは、朱美さんからも見えていた…?)
 その可能性に気が付き、治子の熱はますます高くなった。抑えようとしても収まらない。
「…前田さん、どうしたの?具合でも悪いの?」
「…え?あ、いえ…大丈夫です」
 ふと気付くと、とっくに脚立を降りた朱美が心配そうに治子の顔を覗き込んでいた。治子が慌てて答えると、朱美はまだ心配そうながらも、脚立を折りたたんだ。
「なら良いけど…これで一通り終わりね。そろそろ帰りましょ」
「は、はい」
 治子は頷き、朱美の後に続いた。ようやく気分が落ち着いてくる。
(最近は女の子の裸を見るのにも慣れたけど、ああいう思わぬシチュエーションだとどきどきするなぁ…)
 治子は思った。まぁ、それ自体はまだ彼女が男の感性を失っていない証拠なので、悲しむべき出来事ではない。
(問題は…俺はパンツを見ちゃった事と、見られたかもしれない事、どっちがより恥ずかしかったのか…)
 これに関しては、どうも後者の時のような気がする。かと言って、安心するために朱美に「さっき私のパンツ見ませんでした?」とも聞けない。
(うーん、昼間の事と言い、最近女の子である事に流されてないかな…気をつけなくては)
 そう思った治子は、着替えの時でも朱美の方を覗き見ては、自分がまだそれに興奮できる事を確かめてほっとしていた。しかし、直後に傍から見るとほとんど変態でしかない、と言う事に気付き、かなりヘコんだ治子だった。

 ようやく着替えも終わり、店の戸締りをして外に出たのは、10時を少し回った頃の事だった。昼間の猛烈な暑さも去り、海からの風が程よい涼しさをもたらしていて、治子は思わず伸びをして言った。
「うう〜ん…さて、ご飯どうしようかな…」
 午後シフト(夜勤)メンバーの夕食は基本的に寮の外で食べるのが原則である。貴子に頼めば何か用意してくれるかもしれないが、住人の朝食、夕食作りに加え、あの広い寮の掃除や、しち面倒くさい制服のクリーニングまでこなしてくれている貴子に、これ以上面倒をかけるのは申し訳ない、との理由からそうなった。治子がどこに行くか考えていると、朱美が言った。
「あ、一緒に食べに行こうか?良い店知ってるのよ」
「あ、良いですね」
 治子は頷いた。この時間だと、コンビニで弁当を買って帰るか、駅前の牛丼屋ぐらいしか選択肢がないところだった。朱美のお勧めがあると言うならそれも良いだろう。
「決まりね。じゃあ、行きましょう」
 朱美が先頭に立って歩き出し、治子もすぐに後を追う。行き先は、駅前ではなく住宅地の一角にある、ちょっとしゃれた一軒家風の店だった。どうやら食事もできる洋風居酒屋と言う感じの店らしい。中に入ってみると、内装も落ち着いた感じで、ゆっくりと食事をするには最適な環境だった。
「いいお店ですね。どうやって見つけたんです?」
 席について治子が言うと、朱美は照れたように笑った。
「実は、夏姫ちゃんの行きつけのお店なの。私は何回か連れてきてもらっただけ…で、何か飲む?」
 治子はメニューを見た。アルコールも載っているが、やはり避けるに越した事は無い。
「私はジンジャエールで良いですよ。朱美さんは?」
「私はカルーアミルクかな。すいません、オーダー良ろしいですか?」
 朱美がウェイターを呼び、飲み物の他に料理やつまみになりそうなものを数点注文した。しばらくして、届いた飲み物で二人は乾杯した。
「今日はお疲れ様でした」
「お疲れ様」
 軽くグラスを打ち合わせ、治子はジンジャエールを一口すすった。疲れた身体に程よい甘味と炭酸の刺激が心地よい。グラスを置いて向かいの朱美を見ると、彼女は最初の一息でカルーアミルクを一気に飲み干していた。治子の後頭部に汗の玉が一つ浮いた。
(…朱美さん、あんまりお酒強くないんじゃなかったっけ?)
 これまでの思い出を検索して治子は思ったが、朱美は頓着せずに、二杯目のいちごミルクのカクテルを頼んでいた。そして、三十分後。
「…という訳なのよ〜。ちゃんと聞いてるぅ?前田さん」
「ええ、聞いてますよ」
 すっかり出来上がりモードに突入した朱美の話を、治子は苦笑混じりに聞いていた。内容は、夏姫との学生時代のエピソードについてが大半だ。
 例えば、高校時代、二人で潰れかけていた部活に入り、さまざまなアイデアで新入生を集め、見事に再生させたと言う話。
 例えば、大学時代、学祭実行委員会に入って、あらゆる手段を尽くしてライバル校よりも大物のアーティストや講演者を招聘する事に成功した話。
 酔った朱美が時々エンドレステープ状態になって同じ所を何度も繰り返す事もあったが、その内容は聞いていて楽しいものだった。そして、治子は朱美と夏姫の関係をうらやましいと思った。この二人は先輩、後輩の仲であるだけでなく、お互いにパートナーとして絶対の信頼を寄せられる対象だと思っているのだ。
(俺には…そういう奴はいなかったかもしれないなぁ)
 Piaキャロットのバイトを紹介してくれた親友の真二…涼子の従弟だ…はいたが、朱美と夏姫のような関係ではなかった。
 それにしても、と治子は思う。朱美はしきりに夏姫の事を誉めているが、話を聞く限り、この二人が行動を起こすときは、まず朱美が音頭を取り、それを夏姫がサポートする形を取るようだ。治子は自分の考えに確信を持てた。
「…だからねぇ〜、店長には私みたいなトロい女よりも、夏姫ちゃんみたいなしっかりした人が〜」
「そんな事無いと思いますけど」
 自虐モードに入っている朱美の言葉を遮って治子は言った。
「…え?」
 とろんとした目つきながらも、治子の言葉は聞こえているらしい朱美が顔を上げる。
「朱美さんは夏姫さんのほうが凄いって言いますけど、その夏姫さんに全力を発揮させているのは朱美さんじゃないですか?夏姫さんだって、朱美さんだからこそ安心してついて来れるんだと思いますよ」
 実際には放って置けない気持ちになっているだけかも、と思いつつ、それは口には出さない。
「…そう…かなぁ…」
 朱美が疑わしそうな声を出した。
「ええ。私は人の実力って、ただ頭が良いとか、ものを良く知ってる、とかだけじゃなくて、人徳…って言うのかな。人をひきつける力なんかも入ってると思うんです。それから言えば、朱美さんは凄い力を持っていると思いますよ」
 治子は言った。朱美は失敗が多いし、外見も年下のはずの治子や夏姫の方が逆に年上に見えるくらい童顔で小柄で、威厳は無いに等しい。しかし、スタッフの間で朱美を嫌ったり軽んじたりする発言をする者は皆無なのだ。
「だから、自信を持ってください。私は外様ですけど…四号店の店長は朱美さんしかいないって思ってますから」
「…ありがとう、前田さん」
 治子の言葉を聞いてからしばらくして、朱美が言った。
「嘘でも…嬉しいわ」
 目に少し涙を浮かべ、朱美は言った。その笑顔を見て、治子は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
(…可愛いな、朱美さん…いやいや、これは年上の人に失礼かもしれないけど)
 気持ちを落ち着かせようと、治子はジンジャエールを口に含んだ。

 それからさらに30分後…二人は食事を終え、寮に帰っていた。しかし、朱美がヘベレケになっているため、タクシーを呼んでの御帰宅である。運賃を支払い、治子は真っ赤な顔の朱美を車内から引っ張り出した。
「朱美さん、しっかりしてください」
「はりゃん…うふふ…酔っちゃったかなぁ〜?」
 とうの昔に酔ってますよ、と思いつつ、治子は朱美に肩を貸して寮に入った。貴子が管理人室から出てきて、朱美の様子に目を丸くする。
「あら…朱美ちゃん大丈夫?」
 貴子の心配そうな言葉に、朱美は「だいじょおぶですよ〜」と妙なアクセントで答えた。こりゃ大丈夫じゃないな、と判断した貴子は、治子に朱美の部屋の鍵も渡した。
「じゃあ、ちゃんと部屋まで連れて行ってあげてね」
「はい、すいません」
 治子は貴子に礼を言い、階段を登ると朱美の部屋の前までやって来た。
「今鍵を開けますから、待っててくださいね」
 ふらふらの朱美を床に座らせ、治子は部屋の鍵を開けた。
「朱美さん、部屋に入れますよ」
 治子は呼びかけたが朱美は廊下の床に座ったままニコニコと笑っているだけで、中に入りそうも無い。
「…仕方ないなぁ」
 治子は再び朱美を立ち上がらせ、肩を貸して部屋の中に入った。朱美の部屋を見るのは初めてだが、作り自体は他の部屋と大差ない。治子は朱美をベッドに座らせ…たが、すぐに倒れこんでしまう。
「朱美さん、ちゃんとお風呂とか入らないとダメですよ。明日も仕事なんですから」
 治子は朱美の肩を揺すぶって意識をはっきりさせようとするが、彼女は何やらぶつぶつと呟くだけで、起き上がろうとしない。寝ているのではない事は確かだが…
 仕方が無いので、一度自分の部屋に戻って、しばらくしてからまた様子を見に来ようと思った治子だったが、彼女が部屋を出ようとベッドに背を剥けた途端、朱美のはっきりした声が聞こえてきた。
「前田さん」
「え?は、はい。なんですか?」
 治子が振り返ると、ベッドの上で朱美が治子の顔を見上げていた。
「今日は…いろいろとありがとう。おかげでちょっと自信がついた気がする」
「いえ…どういたしまして」
 治子が微笑むと、朱美が何やら手招きをしてきた。なんだろうと思って治子が朱美に顔を寄せると、彼女は上半身を起こし、素早く治子の肩に手をかけた。そして、力を入れて引き寄せる。驚く治子の視界に朱美の顔がアップで迫ってきた、と思った次の瞬間、治子の唇に熱くて柔らかい感触が重なった。
「!?」
 治子の全身が硬直した。キス。キスされている。朱美は治子に唇を重ねたまま、ぎゅっと治子の肩を抱きしめていた。それからどれだけの時間が過ぎたのかはわからないが、いつのまにか二人の唇は離れていた。
「あ、あ、あけみ…さん?いったいなにを…?」
 動揺しまくる治子に、朱美は潤んだ瞳を治子に向けながら答えた。その頬はピンク色に上気している。治子はその表情をどこかで見た事があった。そう、これは告白してきたときの美春と同じだ。
「これは私の気持ち…」
 なんてとんでもない事を言うんですか朱美さん。こ、これは夢に違いない。いやいや、さっきの熱くて柔らかくて気持ち良い感触は夢じゃない…とすれば、うん、朱美さんは酔っているだけなんだ。ほんの気の迷いさ。
「そ、そそ、そうですか。ああ、あ、ありがとうございますす。じ、じゃああおやすみなさいいいい」
 動揺のあまり、もつれまくる舌でそう言うと、治子は朱美の部屋を逃げ出した。幸い、朱美が後を追ってくることは無かったが、治子は自分の部屋に逃げ込むと、鍵をかけ、ベッドに潜り込んだ。
(あ、明日が来るのが怖い…どうか朱美さんが元に戻っていますように)
 思いつく限りの神様仏様に必死に祈る治子だった。しかし、翌日には更なる恐怖のイベントが彼女に襲い掛かる事になる。

(つづく)

治子への好意カウンター(爆)
朱美:+3 トータル7ポイント


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