「本店からヘルプで来ました、高井さやかです。皆さんよろしくお願いします」
 四号店のフローラルミントの制服に身を包んださやかがぺこりと挨拶をすると、スタッフの間から拍手が湧き起こった。
「よう大将、彼女、お前さんを追ってきたんだろ?可愛いよなぁ…けなげだよなぁ…」
 昇が明彦のわき腹を肘でつつきながら言う。
「バカ野郎。そんな事は…」
 ない、と言おうとして、明彦は夕べ治子の言ったことを思い出した。
(たぶんね。彼女がここへ来た理由は、君を追いかけて、と言う動機が強いと思うよ)
 それが本当なら、明彦には嬉しい事だった。しかし。
(今の俺に…その高井の気持ちに応える覚悟は…)
 さやかと治子の間で揺れ動く想いを抱えたままの明彦には、その覚悟はまだ望めないものだった。黙り込む彼を、さやかと治子は複雑な表情で見ていた。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


11th Order 「はじめての…」


 その日も、相変わらず客足は凄いものだった。しかし、昨日までと違って、治子には仕事が非常に楽に感じられた。
(うーん、やっぱりベテランがもう一人入るとぜんぜん違うなぁ)
 治子は感心した。実際、さやかの仕事振りは見ていて文句のつけようがないものだった。オーダーのとり方、料理の運び方、片付けるタイミング、どれをとっても見事である。
 おかげで、治子は安心して仕事に励むことができたのだが、さやかの方でも治子の仕事振りは意識していた。
(さすが社員の人…落ち着いていて丁寧で、それでいて早いのね。でも、私だって負けないんだから)
 治子には負けない、と言う意識からさやかの仕事の能率があがり、釣られて治子のスピードも上がる、と言う良い循環ができ、四号店の回転は今までになくスムーズなものになっていた。が、どこにでも例外と言うものは存在するようである。
 突然、コップをひっくり返す時のけたたましい音が響き渡り、「うわっ!?」と言う男性の叫び声があがる。店内の視線が一気にその場所へ集中した。そこでは…
「す、すみません!すぐにお拭きします!!」
 謝罪しながら、布巾で客のズボンを拭おうとしている朱美がいた。足元には割れ砕けたコップと琥珀色の液体が散らばっている。どうやらアイスコーヒーをひっくり返したらしい。
「朱美さん、ちょっと待った!」
 治子は朱美の行動を制止した。「え?」と言う表情で治子を見る朱美に、治子はやさしく声をかけた。
「朱美さん、急いでバックヤードからタオルを取ってきて。できれば洗濯したてのやつを」
「…あ、う、うん。わかったわ」
 朱美は我に帰った。動転していたとは言え、お客様の服をテーブルを拭くのにも使っている布巾で拭おうとしたのはマズい行動だった。まして、相手は男性だし、場所は股間の付近である。顔を赤くしながらバックヤードに向かう朱美をちらりと見送り、治子は手近にいたさやかに指示を出す。
「高井さんはほうきとちりとりを持ってきて。あと、できればモップとバケツも」
「は、はい」
 さやかが急いで行動を起こす。その間に治子はキャッシャーに行ってマニュアルに規定された額を取り出し、コーヒーをこぼされた客に差し出して頭を下げた。
「大変失礼しました、お客様。こちらはクリーニング代としてお納めください」
「あ、ああ…これはどうも」
 頷く客にもう一礼し、治子はテーブルの上を片付けた。さやかも到着してガラスの破片と氷をほうきで取り除き、コーヒーをモップに吸わせる。そこへ、朱美が帰ってきた。
「あ、あの、こちらをお使いください。大変失礼しました」
 まだ動揺が残っているのか、赤い顔をしながらタオルを差し出す朱美。客は寛容な人物だったのか、笑ってタオルを受け取り、ズボンを拭き始めた。最後に揃ってもう一度客に謝罪する。
「あ…あの…ありがとう、前田さん」
 事が済むと、朱美は消え入りそうな声で治子に礼を言った。治子は笑って首を横に振った。
「良いですよ。それより、朱美さんに怪我がなくてよかった」
 その言葉に朱美が顔を赤らめたとき、ナナが朱美のそばにやってきた。
「朱美さん、夏姫さんがお呼びですよ」
 ナナの言葉に、朱美はさあっと顔を青くした。ナナの表情からして、夏姫は相当怒っているようだ。何しろ、直接的な怒りの対象ではないナナの表情さえ強張っているのだから。
(これは荒れるな…)
 同情を禁じえない治子に、朱美は悲壮な表情でもう一度礼を言うと、バックヤードに通じるドアに消えていった。それを見送ってため息をつき、再び治子は仕事に戻る。
 掃除道具を片付けたさやかは、そんな治子の冷静な対処に感心していた。見ると、明彦も治子のてきぱきとした手並みに賞賛の視線を送っている。
「なるほど…明彦が気にするだけのことはある人だわ」
 さやかは呟いた。ちょっと年上のお姉さん、前田治子。容姿と言い能力と言い、紛れもない強敵である。しかも、尊敬できる強敵だ。さやかは闘志がますます湧いてくるのを感じていた。

 数分後、治子がトイレに行こうとバックヤードに入ると、事務室から夏姫の声が聞こえてきた。
「先輩、貴女は本当に店長の自覚を持って仕事をしているんですか?今日のような有様では、前田さんやバイトの子達のほうがよっぽどしっかりして見えます!」
(うわ、夏姫さん怒ってるな…)
 治子は思わず肩をすくめた。ちなみに、彼女がバイトの子達と区別されているのは、治子が一応Piaキャロットグループの正社員だからである。
「良いですか、先輩は店長と言っても、あくまでも代理なんですよ。今の地位は見習いみたいなもので、月末の審査の結果次第では降格もありうるんです」
 え、そうだったのか?と治子は思った。しかし、考えてみれば、朱美は最初の時に「店長と言っても代理です」と挨拶していたような気がする。実務経験をつんで、いつかは幹部候補になり、やがては店長に…と考えていた治子だったが、そのシステムまでは良く調べていなかった事を思い出した。
(あぁ、迂闊だよなぁ…そういうことはちゃんと考えておかないと)
 治子が意気込みばかりで実際の行動が伴っていなかった昔の自分を反省していた時、夏姫のお説教は最後の段階を迎えていた。
「まぁ…今回のことは先輩も十分反省しているようですので、話はここまでにしておきます。今後も気をつけてください」
「わかりました…」
 しゅんとなった朱美の声が聞こえ、部屋を出てくる気配がする。やばい、と思った治子は、慌ててトイレに飛び込んだ。そう言えば、本来の用事はこっちだったな、と思い出し、用を足す。この感覚はいまだに慣れないものがあるが。
 すると、誰かがトイレに入ってきた。誰だろう?と治子が思ったとき、その人物が「う、ううっ…」と声をあげるのが聞こえた。朱美だった。
(朱美さん?どうしたんだろう…)
 治子はそっとドアに顔を近づけて、わずかな隙間から外を覗いた。すると、朱美が洗面台に手を突き、鏡に向かって泣いているのが見えた。
(…こんなところで、我慢してたのか…)
 治子が見ているとも知らず、朱美はしばらく涙をぽたぽたと流していたが、やがて、二、三度自分の頬を叩き、顔を洗った。ハンカチで水気を拭うと、鏡に向かって精一杯に気合を入れた顔を作ってみせる。
「がんばらなきゃ…夏姫ちゃんの期待に応えるためにも」
 朱美はそう言うと、笑顔を作ってトイレを出て行った。しばらくして、治子もトイレを出た。フロアに戻ってみると、朱美はもういつもと変わらない明るい笑顔で仕事をしていた。
(朱美さんの為にも、俺もがんばろう)
 自分の少し先を歩んでいる先輩として、そして、何よりも自分の夢のためにがんばる女の子としての朱美を、治子は精一杯支えてあげようと思った。

 ようやく仕事が終わり、治子は着替えて帰り支度をしていた。すると、同じく早番組の美春が治子の腕に自分の腕を絡ませて言った。
「帰る前に、ちょっとお買い物していきませんか?お姉さま」
「だからお姉さまはやめてと…いえ、良いです」
 言うだけ無駄バリアを張り巡らしている美春には勝てないと、治子は抵抗を断念した。まぁ、他の人に聞かれていないだけまだマシと言うものだ。
「で、買い物って何を?」
 治子が聞くと、美春は指折り数えて品目を挙げた。
「そうですね、コスメのグッズとか、CDとか…そんなところですか」
「うーん、そう言えば私の分もだいぶ減ってたな。補充しとくか」
 涼子と買いに行った基礎化粧品類がなくなってきてたのを思い出し、治子は美春に付き合う事にした。
「あぁ、でも、今日は高井さんの歓迎会だから、早く帰るようにしようね」
「はーい」
 そんな会話をしながら、二人は寮とは反対側の商店街に向かった。おそろいの化粧品を買ったりして、用事を済ませて帰る頃には、だいぶ空も暗くなっていた。
「…あれ、あそこにいるの、昇じゃないか?」
 帰る途中、治子はアロハシャツにサングラスと言う怪しげな格好で、ビニール袋を大事そうに抱えた昇を発見した。
「そうですね。何してるんでしょう」
 美春も首をかしげる。ちょうど良いので昇に声をかけてみよう、と治子は思った。美春にイチャイチャされるのは不愉快ではないが、精神的には疲れる。
「おーい、昇君、何やってんの?」
 治子が呼んだ瞬間、昇はまるで警官の職務質問に引っかかった不審者のようにびくうっ!と身体を震わせ、それからぎりぎりと治子たちのほうを振り返った。そして、あからさまに動揺した声で叫んだ。
「は、はははは、治子さんに美春さんっ!い、いや、おおお、俺は木ノ下昇なんかではありません。俺にはアロハプリンスと言う名が」
「なぁにがアロハプリンスだバカタレ。さてはその袋に秘密が…」
 呆れのあまり、言葉の前半地が出てしまった治子だが、昇が隠すように持っているビニール袋に目をつけた。
「こ、これは何でもないっすよ!」
 ビニール袋を背後に隠そうとした昇だが、治子がそれを掠め取るほうが先だった。すばやく中身を確認する。
「…なになに…『最終痴漢電車・終点までイかせて』?…なるほどアダルトビデオか」
「はぁうっ!」
 昇は大ダメージを受けてその場に膝をついた。
「よ、よりによって治子さんに見られるとは…」
 滂沱の涙を流す昇に、治子はビデオの入った袋を返した。
「まぁ、健全な青少年としてはこういうものを見たいという気持ちはわからないでもないね。まぁ、こそこそと買うよりは堂々としてるほうが却って不審がられないと思うけど」
 治子は言った。彼女にだって、耕治時代に入手した秘蔵のAVの二本や三本は存在する。今は二号店の寮に置いてあるが。
「うぅ…できればみんなにはこの事は内密に…特に、貴子叔母さんには。口止め料になんでも好きなのを一本差し上げますんで」
 治子は呆れたように答えた。
「あのね、女の子にアダルトビデオあげてどうする、とは思わないのかと…何?美春ちゃん」
 美春に袖を引っ張られ、治子は美春の方を振り向いた。すると、彼女は目をきらきらと輝かせて、一本のビデオを治子に見せた。
「それじゃあ、これを貰いましょう、お姉さまっ」
 そのビデオには「百合の花園・お姉さまと私」と言うタイトルがついていた。治子の後頭部を大きな汗が一粒流れた。
「え…遠慮しとく…」
 治子はそう答えるのがやっとだった。

 ともあれ、昇を加えた一行は寮に帰ってきた(ちなみに、件のビデオは結局美春が貰った)。とたんに、料理のいい匂いが鼻をくすぐる。
「んー…いい匂い。これは今日もご馳走だね」
 治子が言うと、昇もしきりに頷いた。
「これは叔母さん、高井さんの歓迎会だってんで張り切ってるな」
 すると、厨房から貴子が出てきた。手にフライ返しを持っているのは、多分料理中だからだろう。
「あら、おかえりなさい〜」
「ただいま、良い匂いですね」
 治子が挨拶すると、貴子はニコニコと笑いながら頷いた。
「まぁね。楽しみにしてなさい」
 そう言うと、治子は厨房に戻っていった。料理を楽しみにしつつ、治子たちは部屋に戻り、一休みすることにした。

 夜、遅番組も帰ってきたところで、早速歓迎会が始まった。まずは主賓であるさやかの挨拶から。
「えーと、今日は私のためにわざわざこのような会を開いていただき、本当にありがとうございますっ」
 盛大な拍手。
「高井さんの仕事振りは、今日ゆっくりと拝見させていただきました。忙しい季節ですので、貴女には大いに期待しています」
 夏姫が歓迎の言葉を述べた。そこへ、すかさず貴子が切り込んでグラスを振り上げる。
「はいはい固い話はそこまでにしてかんぱーい!!」
『かんぱーい!!』
 貴子に釣られて、夏姫を除く全員が乾杯してしまったが、ふと気が付いた。こういう時に音頭を取るのは朱美の仕事ではないだろうか、と。案の定、役目を取られた朱美は、空になったグラスを持って泣いていた。
「うっうっ、私はどうせ貫禄がないですよぅ…」
 どうやら今日は泣き上戸らしい。夏姫が慌てて宥めるが、朱美は赤い顔のままぶつぶつと文句を言いながら泣いていた。
 そんなトラブルがありながらも、歓迎会は概ね和やかに進んでいた。しかし、それを一挙に修羅場に落とし込む事態が発生する。その震源地は、例によって貴子だった。
「さて…そろそろあれの出番ね」
 順調に減っていく飲み物や料理からタイミングを計っていたのか、貴子が立ち上がった。
「カラオケですか?」
 アルコールを避けていたため、一人素面の治子が尋ねた。しかし、貴子は右手の人差し指を立ててちっちっち、と舌を鳴らしながら振る。
「ふふふ、甘いわね。そう何度も同じ企画では飽きが来ようと言うもの。今日の決め手は、これよっ!」
 そう言って、貴子がたーん!と小気味良い音を立ててテーブルの中央に置いたもの…それは、数本の割り箸が立てられた、何の変哲もない箸入れだった。しかし、その小道具が意味する所を知る者たちは、一様に顔色を変える。
「こ、これはっ…!」
「あの伝説の!」
「幾多の悲喜劇を生んだと言う…!」
「伝説の遊戯!」
『王様ゲーム!!』
 その叫びに、貴子は戦国乱世の到来を告げる飛天魔軍の長のような笑みを浮かべて応えたのだった…
「あの…王様ゲームって何ですかぁ?」
 無垢なる者が一人いた。ナナである。それを説明したのは昇だった。
「説明しよう…王様ゲームと言うのは、番号の付けられた棒を各自一本取って、1番を引いた人が王様になるんだ。その王様の言うことに、他の番号の人は絶対に逆らっちゃいけない。例えば、2番と4番はキスしろ〜!なんて命令でも絶対服従。その由来は古く、かつて出雲の神様だった大国主命は、この王様ゲームで1番を引いた天照大神の命令で国を譲らされたと言う…(出典:民○書房刊「知られざる世界遊戯大全」)」
「待て待て待て待てっ!前半はともかく後半のはなんだっ!?」
 治子は激しくツッコミを入れた。しかし、ナナは感心したような眼差しで昇を見た。
「凄いです〜…昇さん物知りなんですね」
「ふふ、まあね…」
 ナナの賞賛に鼻高々の昇。良く見ると、ナナの顔はだいぶ赤かった。相当酔っているらしい。
(だめだ…ナナちゃんも壊れてる)
 治子は酒を飲まなかった自分の判断を後悔した。王様ゲームはポピュラーなパーティーゲームではあるが、酒を飲んで理性が吹っ飛んでる状態で行われるため、セクハラそのものの命令や嫌がらせに近い命令が飛び交う修羅場の戦場になるのである。酔ってない人間には辛い環境だった。
「アホらしい…私は降りるわ」
 醒めた声をあげた者がいた。夏姫だ。さっきから水割りを立て続けに飲んでいるにもかかわらず、表面上は平静そのもの。さすがと言えるだろう。しかし。
「あら…逃げるの?」
 この貴子の挑発に、夏姫の眉がぴくく、と動いた。
「聞き捨てならないわね」
 水割りを置く夏姫に、貴子が更なる挑発を仕掛ける。
「ふふん、逃げても良いのよ。厚化粧で歳をごまかしているお年寄りには辛いものねー」
「誰が逃げるものですか。こっちこそ歳の割には色気過剰な人には負けないわ」
 夏姫の身体から白い炎のようなオーラが立ち上り、龍の形になって咆える。同様に、貴子からも深紅のオーラが立ち上り、虎の形を取って吼えるのを、治子の心眼は見たような気がした。
(な、夏姫さんまで…だ、駄目だこれは…こうなったら)
 治子は夏姫の水割りを手にとり、中身を一気に喉に流し込んだ。夏姫のイメージにふさわしく、濃い目の琥珀色の液体が胃の中に落ちていき、全身がかあっと熱くなる。
 これで準備はOK。あとは、運命に身を任せるだけだ。

 ついに壮絶なる王座争奪戦の幕は開いた。
「さて…それではっ!王様ゲーム、第一回戦っ!いぇーいっ!!」
『いぇーいっ!!』
 貴子の掛け声に全員が唱和し、一斉に割り箸を箸立てから掴み出す。治子の番号は6番だった。
「わ〜い、1番〜。私が王様〜」
 ナナがはしゃいでいた。神は無垢なるものに祝福を与えたらしい。
「それじゃあですね〜、3番の人は7番の人に料理を食べさせてあげる〜」
 ナナの勅命が下された。幸い、治子にはあたらない。ほっとしていると、素っ頓狂な叫びがあがった。
「俺!?」「私!?」
 当てられたのは明彦とさやかだった。何と言うか、狙ったようなピンポイント攻撃だ。
「え、えっと…じゃあ、明彦、何が良い?」
「そ、そうだな…じゃあ、そのなんこつのから揚げを」
 どうやら、明彦が3番でさやかが7番だったらしい。さやかは箸でなんこつ揚げをつまみ、明彦の口先に持っていく。
「じゃあ、明彦、あ〜んってして」
「あ、あぁ…あ〜ん」
 開いた口の中に、さやかがなんこつ揚げを放り込む。その瞬間、やんやの大喝采が響き渡った。
「いよっ、お二人さん!ラブラブだねっ!!」
「命令にないのに『あ〜ん』させるところが粋ねー」
 木ノ下一族の指摘に、明彦とさやかは真っ赤になった。それを見て、治子は良い考えがひらめいた。
(そうか、うまく王様になって、ああいう命令を出してやれば、二人の仲を近づけるのに使えるな)
 確かに、理論的にはそうである。しかし、そのアイデアを形にするには、治子が王様を引き、かつ明彦とさやかの番号を知っていなければならない。言うまでもなく、そんな事を意図的に行うのは不可能である。それを良い考えだと思ってしまうあたり、水割り一杯分のアルコールは確実に治子の脳に深刻なダメージを与えつつあった。
「どんどん行くわよっ!王様ゲーム、第二回戦っ!いぇーいっ!!」
『いぇーいっ!!』
 ゲームは続けられる。果たして、ここからはまさに一回一回が壮絶な戦いと化した。二回戦では朱美の勅命で昇が美春に膝枕してもらうことになり、美春はいやいや膝枕をすることになった。三回戦が始まった瞬間、彼女は昇を突き飛ばして床に転がしたが…
 その三回戦では、その昇が王様になり、○ッキーゲーム(向かい合った二人が一本のポッ○ーの両端をくわえ、少しずつ食べ進んでいく一種のチキンレース)をすることを命じたが、対象が貴子と夏姫だったため、危うく千日戦争(サウザンドウォーズ)が勃発するところだった。
 四回戦、ついに治子にも勅命が降りる時が来た。王様は夏姫である。
「そうね…2番の人、私の肩を揉んでくれないかしら」
 まぁまぁおとなしい内容だった。治子は立ち上がり、夏姫の肩を力を入れて揉む。やはり普段の激務のせいか、かなり凝っているようだ。
「ん…前田さん、結構肩揉むの上手なのね」
「ん〜、そうでしゅか?」
 夏姫の誉め言葉に、治子はちょっと酔いの回った口調で答えた。実は、2号店にいた頃に良く葵や涼子の肩を揉まされたので、自然とコツがわかるようになったのである。
 そんな四回戦も終了し、五回戦目。治子はちょっとあせっていた。
(うう、なかなか王様が取れない…)
 当然である。参加者が9人もいるのだ。そうそう思った通りに王様が来るものではない。しかし、取った割り箸を見た治子は、思わず喝采を叫んだ。
「やった、おうしゃま〜!」
 正しい発音のできない口で言うと、貴子があれ?という表情をした。自分の割り箸を見て番号を確認し、治子に話し掛ける。
「治子ちゃん…それ、7番じゃないかしら?アタシが1番なんだけど…」
「ふぇ?」
 治子はもう一度良く確認してみた。確かに、1と見えていた数字は7だった。縦の線が箸の中心線から斜めにずれている。
「と、言うことは…」
 治子は酔いが醒めるのを感じた。王様詐称はそう、問答無用でターゲットである。
「あははは、やっちゃったわね〜、治子ちゃん。では、7番は…そうね、6番にキスをするっ!」
 貴子が高らかに勅命を発したその瞬間、場に緊張が走った。ついに王様ゲーム最悪の命令、「キス」の出現だ。これが男同士だったりするともう悲惨である。そして、治子を待っていたのも似たような悲劇の始まりだった。
「ええっ!?」
 6番が悲痛な叫びをあげた。さやかだった。
「…あれ?」
 貴子は首をひねった。確か、6番は明彦だったはず…こっそり見たので間違いない。実は、彼女は例によって治子、さやか、明彦の関係を煽って楽しもうとイカサマをしていたのだ。
 しかし、この時明彦が持っていたのは9番だった。位置関係で貴子からは9が6に見えていたのだが、この際それはもう関係ない。
「そんな、お姉さまの唇が…!」
 さやかに負けず劣らずの悲痛な叫びをあげる美春。
「わっ、わっ、わわ…」
 意味のない声をあげ、見てはいけないものを見るかのように手で顔の前を覆っているが、実は指の間が隙間だらけのナナ。
「あはは〜、やっちゃえ〜」
 気分が操状態に入ったのか、けらけらと笑う朱美。
「…」
 そして、その向こうでやたらと複雑な表情を浮かべている明彦。
(ここで高井さんにキスしちゃったら、神無月には気の毒だよなぁ…それに高井さんも。多分、経験ないだろうし)
 治子は考えた。ちなみに、彼女自身は耕治時代にキスをした経験くらいはある。相手はあずさとつかさだ。ほっぺに、くらいで良ければあずさの妹、美奈と後輩バイトの愛沢ともみ(当時中学生)にもしたことがある。
(…つくづく最低だ、俺)
 自分の所業を思い出してずーん、と治子がヘコんでいると、気を取り直して治子とさやかでもまぁ面白いか、と考えた貴子が煽りに入った。
「さぁさぁ、覚悟を決めてさっさとするっ!」
 仕方なく、治子はさやかのところに行った。そして、そっと耳打ちする。
「えっとね…まぁ、その…おでこにするから…それなら良いよね?」
 唇にキスしろとは誰も言ってない。それを逆手にとった治子の提案に、さやかは無言で頷いた。そして、立ち上がって治子と向かい合う。
「やーれ、やーれ!」
 朱美と貴子の煽りの中、治子は目を閉じたさやかにそっと顔を近づけていった…が。
(…しまった、俺の方が背が低いんだった)
 ほんのわずかだが、さやかのほうが背が高いのである。背伸びをしないとおでこに唇が届かない。だったら、ほっぺたでも良いじゃないか、と思うのだが、まだ酔いの醒めきっていない治子には、それを考える能力が欠けていた。
 そして、背伸びをした瞬間、悲劇の最終段階は幕を開けた。爪先立ちになった瞬間、まだアルコールの影響を受けていた運動神経が、治子の意思に反逆を起こした。バランスが崩れ、治子は前のめりに倒れた。
「えっ!?」
「きゃあっ!?」

 ずるべったーん!!

 昨日の風呂場とは逆に、今度は治子が相手を押し倒す形で、二人はもつれ合って転んだ。そして、治子の唇に熱くて柔らかい感触が当たる。目を開けると、すぐそこにさやかの愛らしい顔。視線が合い…、驚いたのかさやかが息を呑んだ瞬間、治子の口の中に負圧が掛かり、舌が吸い出された。それが自分の口の中に似た熱い空間に滑り込む。
(こ、これは…!?)
 治子は全てを悟った。今、彼女はさやかを押し倒す形で思い切りキスをしている。
 しかも、相手の口の中に自分の舌を絡める濃厚なディープキス。
 文字通り、時間が凍った。
 治子は凍り付いている時間の中で、真っ先に解凍すると、そっと自分とさやかの唇を離した。その間に、銀色の糸のような物が一瞬掛かり、ぷつんと切れる。その正体については…考えたくもなかった。
「あ…あの…その…なんと言って良いのか…」
 治子がとりあえず何か言わなきゃ、と口を開いた瞬間、さやかの目にじわっと涙が溢れた。
「い、い、いやあーっ!!」
 叫ぶと同時に跳ね起きたさやかは、そのまま涙の尾を引いて全力ダッシュで食堂を飛び出していく。階段を駆け上がり、部屋のドアを閉めるばたんっ!と言う音が食堂にまで聞こえて来た時、一気に時は動き出した。
「…その…今日はお開きにしましょうか」
「そうですね…」
 さすがの貴子が虚脱したような声で言うと、同じく夏姫が空虚な声で同意した。そして、床にへたり込み、真っ白になっている治子を、さすがに酔いの醒めた朱美と美春が両脇から支えて立たせる。
「ま、前田さん、しっかり…!」
「お姉さま、大丈夫ですかっ!?」
 その問いかけに返事をせず、治子はずるずると引きずられていく。そして、唯一まだ解凍していない明彦の肩を、昇がぽむ、と叩いた。
「明彦…元気出せよ。あとでお前にどれでも好きなものを一本やるからさ…」
 その声が聞こえているのかいないのか、促されるままに食堂を立ち去る。
「あ、あの、夏姫さん、そろそろ帰りましょうか?」
 とりあえず明るい声を出してみるナナに、夏姫は「あなたはいい娘ね」と答え、揃って寮を出て行った。そして、残された貴子は腕を組んで呟いたのだった。
「あ〜あ…ちょっとマズったわねぇ…あの3人、どうフォローしてあげようかしら」
 ちょっとだけ良心が咎める貴子だった。

 こうして、波瀾の歓迎会は悲劇的な幕を閉じたのである。しかし、禍福はあざなえる縄の如し、とも言う。この災いが転じて、治子の上に福をもたらすことはあるのか…
 その見通しは暗いかもしれない。

(つづく)

治子への好意カウンター(爆)
明彦:+1 トータル7ポイント
さやか:+2 トータル2ポイント
朱美:+2 トータル4ポイント
夏姫:+1 トータル1ポイント
貴子:+1 トータル1ポイント


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