美春が入居してから、まだ5日も経たないアパートの前に、一台のミニバンが停車した。運転しているのは貴子。同乗しているのは治子、美春、それに腕力要員として連れてこられた明彦と昇である。
「ここで間違いないのね?」
 貴子の問いに、助手席に座っていた美春が頷く。
「OK。急いで積み込みを済ませちゃって」
 貴子の言葉に、同乗者の4人は一斉に車を降りて美春の部屋に向かった。例の男たちが店に来ている以上、美春の家が見つかるのも時間の問題…そう判断して、治子が美春に寮への引越しを提案したのだ。
「寮…ですか?でも、もしあいつらが来たら…」
 ためらう美春に、昇が胸を叩いて答えた。
「大丈夫。あんな連中、俺と明彦で追っ払ってやりますよ。なぁ?」
「え?お、おぉ。任せてください」
 明彦も頷く。美春の目に一瞬頼もしげな光が浮かび、すぐに消える。それを見て取って、治子が口を開いた。
「いざとなったら、私も手伝うし、それに管理人の貴子さんが昇君を一撃でKOする剛の者だから頼りになるよ」
「それに、温泉もあるしね」
 もう一人の住人、朱美が言うと、ようやく美春も寮への移動に同意したのだった。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


9th Order 「一つの決着」


「なんだか、夜逃げするような気分だわ…」
 そう言いながら、美春は鍵を開けた。部屋の中にはそれほど荷物がなかった。小さなテーブルとベッド、机、CDラジカセ、テレビなど。それに、服の入った衣装ケース。治子の持ち物と大差がない。
「これなら男手は必要なかったかな…」
 治子が言うと、美春がかぶりを振った。
「ベッドは、ちょっと重いかも…」
 そうは言っても、パイプベッドなのでそれほど重いわけではない。
「とにかく、急いで済ませましょう」
 明彦の言葉に、美春は一瞬ためらうような素振りを見せた後、「ええ、そうね」と頷いた。
(おや?)
 治子は美春の反応に首をかしげた。基本的に社交的と言って良い彼女が、明彦にだけは何故か敬遠するような反応を示すのだ。
(なんだろうな…)
 そう思いながらも、美春に続いて部屋に入った治子だったが、荷物の整理中に、ふと小さな写真立てを見つけた。幸せそうに笑う男女の写真が挟んである。女性は、おそらく数年前の美春だろう。まだ髪を染めていなかったらしく、黒い地の色である。肌も今よりずっと白い。そして、男のほうは…
(…神無月?いや、違うな)
 それは、治子も一瞬間違えるほど、明彦に似た印象の少年だった。違うのは、前髪が明彦よりやや短めで、目が垂れ目ぎみなところだろうか。
「それ…私の弟なんです」
 突然美春に声をかけられ、治子は驚いて我に返った。
「あ…ご、ごめん。勝手に人の写真なんか見ちゃって…」
 謝る治子に、美春は「良いですよ」と謝罪は不要な事を伝え、荷物の整理に戻った。治子も作業を再開しながら、写真について考えていた。
(弟さんがいたのか。神無月によそよそしいのは、弟さんに似ているから…なのか?でも、仲は良さそうだけどなぁ)
 考えれば考えるほど謎は深まったが、だからと言って美春から根掘り葉掘り事情を聞くのもためらわれる。そうこうしている間に、荷物の整理は終わり、運び出しが始まった。結局、弟との事については聞けずじまいだ。
(ま、いいか。そのうちまた聞く機会もあるだろ)
 治子はそう思いなおして、ダンボール箱の一つを抱えた。分解したベッドを一人で担いだ昇の活躍もあり、運び出しが完了するまではわずかに30分。トータルでもわずか1時間ほどの早業引越しだった。

 ナンパ男たちへの対策として、彼らが来たら美春は倉庫整理に回って、明彦か昇のどちらかが彼らに応対し、さらに寮の行き帰りは住人全員での集団行動、という原則が決まって5日経った。
 開店の日と翌日、3日目はやって来て、美春を探していた彼らも、店の全力を挙げた監視体制の元では悪態をつくことすら出来ずに追い返されている。そして、4日目はとうとう来なかった。
 5日目の今日も、まもなく閉店時間を迎えるが、連中は現れなかった。店内を流れる有線放送が「蛍の光」に切り替わり、フロアに出ている全員…治子、朱美、美春、昇が時計を見上げる。ちなみに明彦とナナは早番で帰った後だ。
「…5、4、3、2、1、ゼロ!」
 治子がカウントダウンをする中、午後9時になった。閉店だ。客は既に全員帰り、昇が店の玄関に鍵を掛け、看板を「OPEN」から「CLOSED」に裏返す。朱美がキャッシャーを締め、それが終わると掃除が始まった。
 治子は床のモップがけをしていた。立地条件があれなので、床には海から運ばれてきた…あるいは客の履いている靴やサンダルに付いて来た砂がかなりの量落ちている。おかげで、床はすぐに細かな傷だらけになり、光沢を失う。砂をかき集めて捨て、床を磨いて光沢を取り戻すのは、掃除における重要なポイントだった。
「ふぅ…磨いても磨いても明日にはまたつやがなくなるんだよなぁ…」
 通路をようやく一列磨き終わった治子は、額に浮いた汗を拭ってぼやいた。それでも、綺麗になった床を見るのはなんとなく達成感がある。
「あ、私ゴミ捨ててきますね。終わったら手伝います」
 掃き掃除を終えた美春が、ちりとりの中身をゴミ箱に空け、すばやくゴミ袋を取り出して口を結びながら言う。今日は風が強かったせいか、砂の量も普段より多めだ。
「うん、お願い」
 治子が頷くと、美春は店の裏にあるゴミ捨て場へ続く通路に向かって行った。他のメンバーを見ると、昇はオープンテラスを整備中。風が強いので苦労しているようだ。朱美は、多分事務室で今日の売上を計算しているのだろう。
「ふぅ…早く終わらせて帰ろう」
 治子は再びモップがけに精を出し始めた。次第に光沢を取り戻していく床を励みに、熱心に腕を動かす。そして、通路の途中まで磨いた時、ふと気が付いた。
「…しまった!なんて迂闊な…!!」
 唇を噛み締め、モップを片手に治子は走り出した。

 時間は少し遡る。
 ゴミ袋を手にした美春は店の通用口から出て、横手のゴミ捨て場の扉を開けた。強い風が彼女の制服の飾り布をはためかせ、スカートがめくれそうになる。
「やんっ…もう…」
 片手でスカートを抑えながら、ゴミ袋を捨て場の中に放り込み、扉を閉めようとした、その時だった。
「おっ、出てきやがったか」
「待ちくたびれたぜ、美春ぅ」
「!!」
 美春の全身が緊張した。何時の間にか、例の二人が彼女を挟み込むようにして立っていたのだ。
「そう嫌そうな顔をするなよ。前みたいにかわいがってやるからよ」
 にじり寄る長髪の男、松浦に、美春は慌てて通用口に駆け戻ろうとしたが、相方の金髪男、加藤がすかさずブロックするように立ちはだかった。立ち竦む美春の腕を、松浦が後ろから握って後ろ手に捩じ上げた。
「やだ、痛いっ!離して!離してよっ!!」
 暴れる美春。しかし、松浦は「騒ぐんじゃねぇ!」と叫ぶと、空いている方の手で彼女の口を塞いだ。
「へっ、威勢が良いじゃねぇか…けどよ、裸にされてもその調子でいられるか?」
 加藤がポケットからナイフを取り出した。月明かりが刃に反射して美春の目を射る。恐怖に怯える美春に、加藤は一歩一歩近づくと、ナイフを彼女のビスチェ部分の上の端に載せた。
「暴れるなよ、美春。俺たちだってなぁ、好き好んでお前に傷をつけたくはねぇんだよ。おとなしくしてりゃ怪我はしねぇ」
 そう言うと、加藤は一気にビスチェを縦に切り裂いた。
「!!」
 美春の身体が硬直する。制服の前の部分はへその少し上の部分まで無残に切り裂かれ、小麦色の肌が覗いていた。
「さぁ、楽しもうぜ…美春…」
 加藤の手が美春に伸びる。その手を、美春は絶望に満ちた表情で見ていた。

 やっぱり、ダメだったんだ。
 私は、こいつらから逃れられないんだ。
 また玩具にされて…
 もう…良い。
 これが、私の運命なんだ。
 頭の中を、諦めの言葉がぐるぐると回る。ここ数日の幸せが、淡雪のように消えていく。
 もう、何も見えない。
 見たいものが…わからない…


 加藤の手が美春の制服の残り部分を一気に引き裂こうとした、その瞬間だった。
 があんっ!!
 轟音と共に、通用口が開かれる。そこから差し込んだ光が美春の意識を覚醒させた。そして、その光の中に浮かぶ人影。
「美春ちゃんっ!!」
 それは、美春が一番聞きたかった人の声だった。
「は、治子さんっ!?」

 嫌な予感は大的中だった。扉を開けた瞬間、治子はそう思った。揉みあう3人の人影。一人は女の子で、二人は男。女の子…美春の制服は見るも無残に切り裂かれ、男たちが彼女に何をしようとしていたのか、一瞬で理解できた。
 そして、その光景は一瞬で治子の怒りを沸騰させるには十分だった。
「貴様らぁぁぁぁ!!」
 絶叫と共に手にしたモップを振りかざし、治子は走った。いや、疾った。距離を詰め、思わぬ乱入者の出現に呆然としている金髪の頭に横殴りにモップを叩きつける。
「ぐあっ!?」
 不意を討たれた金髪が、のけぞって倒れる。
「こ、このアマ!?」
 美春を捕らえていた長髪は彼女を離して武器を手にとった。ポケットから取り出した棒のような物が、一瞬で40センチくらいに伸びる。特殊警棒だ。
「美春ちゃん、逃げろ!」
 叫びながら治子は長髪にモップを突き出す。その攻撃は特殊警棒で払われ、相手の身体には届かない。
「は、治子さんっ!」
 美春は動かない。治子のことが心配なのだろう。治子はもう一度怒鳴った。
「俺のことは良いから、早く逃げろっ!逃げて、昇…いや、警察呼んで来い!!」
 叫んで続けざまにモップを繰り出す。相手の長髪も必死で払う。喧嘩の場数で言えば、間違いなく彼の方が上だっただろう。腕力も全く違う。それでも、モップと特殊警棒ではリーチに差がありすぎた。反撃の機会をつかめない。
「は、はいっ…!」
 切り裂かれ、はだけそうになるビスチェ部分を抑えて美春は通用口に向かって走り出そうとした。しかし、その瞬間彼女の足に何かが絡みついた。
「きゃあっ!」
 悲鳴をあげて倒れる彼女に、そのからみついた何かが馬乗りになる。
「逃がすかよっ!!」
 さっき、治子に殴り倒されたはずの金髪だった。モップの威力を借りたとは言え、治子の腕力では仕留め切れなかったらしい。
「美晴ちゃん!…ぐっ!?」
 気を取られた瞬間、彼女の手の甲にしびれるような痛みが走った。思わずモップを取り落とす。スキを突かれ、長髪に警棒で殴られたのだ。それでもモップを拾おうと屈んだ瞬間、モップは長髪に蹴飛ばされ、数メートル先に飛んでいった。
「チョーシこいてんじゃねぇぞ、この女!!」
 逆上した長髪の声と共に、治子の目の前で火花が散った。意識が朦朧とし、口の中に血の味が広がる。殴られたのだと悟るには、少し時間がかかった。
 そして、気づいたときには長髪が彼女の身体にのしかかろうとしていた。
「てこずらせやがって…ちょうど良い。オメェも美春と一緒にひん剥いてやるぜっ!!」
 長髪がそう言うと、治子の制服に手をかけて、一気に布地を引き裂いた。目にも涼しげなターコイズグリーンの布地が、夜風に飛ばされてどこかに飛んでいく。
「こ、このやろ…制服を…」
 まだ殴られた衝撃でまだもつれる舌で治子が声をあげると、長髪はますますいきり立った。
「それがどうした?オラオラ、次はその邪魔っけな布だ!」
 長髪が治子のストラップレスブラに手をかけ、力任せに左右に引きちぎった。彼女の豊かな二つのふくらみが夜気に晒される。
「へへ…最初に駅で見た通りだぜ。良い身体してんじゃんよ」
 長髪が好色な笑いを浮かべる。
「後で俺と代われよな!!」
 美春を襲っている金髪が叫んだ。布地がびりびりと裂ける音がして、治子の前を濃い緑色の何かが飛んでいく。制服のスカート部分だ。
「そう焦るなって」
 仲間に答えながら、長髪が治子の胸に手を伸ばしてくる。治子はその手首を握って力を込めた。
「無駄だ。そんな細腕で俺を止められると思ってんのかよ」
 嘲笑するように、長髪が腕に力を入れる。それが、治子の待ち望んだチャンスだった。
「そっちこそ…調子に乗るなっ!」
 治子は逆に相手の腕を引っ張ったのだ。自分の力と治子の力が加わり、相手の上体が一気に倒れてくる。その一番の急所に向かって、治子はカウンターで自分の頭を突き上げた。
 どがっ!
「ぐえ…!!」
 鈍い音と同時に、治子の頭は相手の顔面にめり込んでいた。治子自身もかなりのショックを受けたが、予期していた分相手よりもダメージは軽い。
「う、うぐ…!」
 長髪が治子の身体から転がるようにして落ちる。顔面を抑えた手の間から、赤い液体がぼたぼたと流れた。鼻血でも出したらしい。見ると、露わになった治子の上半身や制服のスカートにも赤黒いしみが飛び散っていた。
「思い知ったか馬鹿野郎が…俺がこんな身体で苦労してるのに、のほほんとしやがって…」
 治子は立ち上がって言った。他人からしたら意味不明な言葉だが、彼女にしてみれば本心だった。二又くらいで自分は女の子にされてるのに、もっと酷い事をしていそうなこいつらが何も天罰がないなんて、理不尽に過ぎる。
 そう思って怒りがますます込み上げてきた時、背後から声がした。
「動くな!美春がどうなってもいいってのか!?」
 しまった、と治子は慌てて背後を振り返った。そこでは、美春を羽交い絞めにした金髪が、ナイフを彼女に突きつけて立っていた。制服は原型を全くとどめないほど引き裂かれ、淡いグリーンのショーツ一枚にされた美春が力なくうなだれている。
「は、治子さん…逃げて…」
 美春が声をあげると、金髪は「うるさい!」と言いながらナイフを余計に突きつける。
「そうはいかないよ」
 治子は美春に向かって微笑みながら答えると、金髪の顔を見据えた。
「俺はどうなっても良いから、美春ちゃんは離せ」
 治子は言った。多分、このままだとこの男たちに良いように乱暴され、酷い目にあわされるだろう…が、まだ自分ひとりのことなら我慢できる。しかし、美春にはそうなって欲しくない。これから治子が会わされる仕打ちは、多分昔美春も受けていたものだろうからだ。
「バカ言ってんじゃねぇよ。そんな事言える立場だと思ってるのか?」
 金髪は嘲笑った。自分の優位を確信した者特有の嫌らしい笑いだ。
「くそ…なんて女だ…」
 横で、倒したはずの長髪が火の出そうな視線で睨みつけながら起き上がった。治子は、女の身の非力さを嘆いた。
(くそ、男の身体だったら…さっきので一撃必殺だったのに)
 世の中の女の子も、こういう気持ちを味わった事があるのかな…と思うと、治子は悔しさが溢れてくるのを感じた。
「くっ…お前だけは我慢ならねぇ…散々犯した後で、ぶっ殺して山に埋めてやる…!」
 長髪が怒りに満ちた声で、ありがたくない宣言をしてくれた。
(今度こそ万事休すか…くそ、先走りすぎた。昇にでも声をかけておけば…)
 後悔しながら治子が目を閉じたときだった。
「ぶっ殺されるのは、お前らだぜ」
 野太い声が耳に飛び込んできた。そして。
「う、うわっ!?な、なんだこりゃあ!?」
 美春を捕まえていたはずの金髪の悲鳴が聞こえた。治子は目を開けた。
「昇!」
 そう、そこには今呼んでおけば良かった、と思ったばかりの人物…昇がいたのだ。金髪の頭を後ろからがっしり掴み、あまつさえ信じられない事に持ち上げている。とんでもない馬鹿力だ。さすがは木ノ下一族の系譜に連なる者である。
「食らえ!木ノ下グレイテストミラクルマッハダイナマイトハンマーマグナムパーンチ!!」
 やたら長い必殺技名を叫びつつ、昇は何の変哲もないパンチを持ち上げている男にぶち込んだ。しかし、その馬鹿力をもってすれば、単純な技もまさに一撃必殺。きりもみ回転しながら宙を吹き飛んだ男は、相棒を豪快に巻き込みつつ地面に叩きつけられ、そのまま数メートルを転がって行き、防潮堤防にぶつかって止まった。もちろん、今度こそ完全KOである。
「天魔伏・滅っ!」
 謎の決め台詞を吐きながらガッツポーズをとる昇の前で、助かった事が信じられない、とばかりにへたり込んだ美春の身体を、治子がしっかりと抱きとめた。
「は、治子さん…私…」
「もう大丈夫だよ、美春ちゃん。今度こそ本当に終わりさ」
 ねじくれた人形のようなボロクズになって倒れている男たちを一瞥して治子が言うと、美春は治子に抱きついて泣き始めた。その背中を撫でてやりながら、治子は昇を見上げた。
「助かったよ。ありがとう」
「…なに、大した事じゃないですよ。機会があればぜひこうしてやりたかったんでね」
 昇はニヤリと笑った。
「それにしてもよく気づいたね」
 治子は言った。相変わらずの強風はびょうびょうと音を立てて唸っており、波の音とあわせると悲鳴をかき消すくらいの勢いになっている。すると、昇はポケットからターコイズグリーンの布地を取り出した。引き裂かれた制服の一部だ。
「これが飛んできたので、まさかと思いまして」
「なるほど…」
 治子は唸った。一見アレでも木ノ下一族。馬鹿には出来ないものだ。
「そのうちお礼はするよ」
 治子も笑い返して答えると、昇はニヤリ笑いをさらに大きくして答えた。
「ん?お礼なんて良いですよ。今十分もらってますし」
「…は?」
 昇の言葉の意味がわからず、一瞬きょとん、とした治子だったが、昇の真っ赤な顔と荒い息を見て、ふと思い出した。いま、自分と美春がどんな格好をしてるか、という事に。
「見るなーっ!!」
 ばきょんっ!!
 治子が振り下ろしたモップの一撃が昇の脳天に炸裂した。
「ぐはっ!や、役得…って事ではダメですか…!?」
 昇は倒れた。モップを投げて、治子はため息をつく。いい奴なんだろうが、ちょいと無神経過ぎだ。
「まったく…この状況でよくそんな事がいえるな…感心して損したぜ」
 その時、朱美が呼んだものなのか、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。

 到着した警察により、男たちは逮捕された。治子と美春を襲った一件だけでも、婦女暴行、傷害、銃刀法違反、不法侵入などの罪に問われる。
 加えて、調べてみると彼らの車から麻薬が見つかったり、連続暴行事件犯の可能性があったり、その他にも余罪がいろいろあるらしく、厳しい取調べを受けている、との事だ。もう美春の前に姿を現すことはないに違いない。
「そういう意味では一件落着…ではあるんだろうけど、はぁ…」
 治子はため息をついた。場所はお店の事務室。警察での事情聴取から解放された治子、美春、それに昇は、寮に戻ってわずかな仮眠を取っただけで、夏姫に呼び出されていた。
 そして、目の前には厳しい表情の夏姫と、おろおろする朱美。
「さて…呼び出された理由はわかってますね?」
 治子は頷いた。
「昨日の事件のこと…ですね」
 夏姫は頷いた。Piaキャロットでは店内での暴力行為を厳しく禁じている。事件のあった店、というのはそれだけで評判が落ちる。開店から一週間もたたないうちに警察沙汰を起こしてしまった責任は途方もなく重い。
「な、夏姫ちゃん…!」
 たまりかねて朱美が立ち上がる。
「マネージャーと呼んでください」
 冷静に応じる夏姫だが、朱美の気持ちは収まらない。
「そんな事はどうでもいいのっ!3人とも正当防衛なのよ!?警察でもそう言ってたじゃない!それらのに、責任を問うなんて…!!」
 興奮してまくし立てる朱美。しかし、夏姫はあくまで冷静な態度で言った。
「もちろんわかっています。ですが、今回の一件は新聞にも取り上げられていて、関心が大きくなっています。私の一存では処分を決められませんので、本部に連絡して指示を仰ぎました」
 あちゃ、本部まで話が行ったのか…と、治子は頭を抱えたくなった。
「その返事が来ています。まぁ、お聞きください」
 そう言って夏姫がパソコンを立ち上げ、メールを開く。そこには昇宛のメッセージと、治子宛のメッセージがあった。
「まずは、こちらのオーナーの物から」
 と、夏姫がメールの添付ファイルを開くと、昇の声をもっと渋くしたような声が聞こえてきた。治子も何回か聞いた事がある、オーナーの声だ。
『おぉ、昇。元気にしているか?今回の一件は報告を受けているぞ』
 いよいよお叱りの言葉か、と三人が身を固くした時、思わぬ言葉が流れてきた。
『うむ、偉い!良くやった』
「「「…は?」」」
 三人の目が思わず点になる。
『お前がフラフラしていると聞いて、貴子のところに預けたが…どうやら正解だったようだな。良くぞ漢を上げた。今後もこの調子でがんばれ。以上だ』
「そう言えば、泰男オジサンはそういう人だったよ…」
 昇が呟き、治子と美春、朱美は目が点のまま。ペースを維持しているのは夏姫だけだ。
「では、次に行きます」
 夏姫がファイルをダブルクリックする。今度は、治子にとっては懐かしい祐介の声だ。
『やぁ、前田君。話は聞いたよ。君も無茶するねぇ…日野森君や榎本君はあんまり心配させるなって怒っていたよ。はっはっは。まぁ、怪我だけはしないように気をつけるんだよ。じゃ』
 再生が終わり、夏姫が顔を上げる。
「以上です」
 沈黙していた三人のうち、治子が真っ先に手を上げた。
「あの…そうすると、処分とかはどうなるのでしょうか?」
 その質問に、夏姫は机の上の新聞を広げ、地方欄を開くと、三人にある記事を指差して見せた。そこにはこう書かれてあった。
「ファミレス店員お手柄 連続暴行犯を逮捕」
 そして、本文には店の敷地に押し入った犯人を、女性店員二名と男性店員一名が協力して捕まえた、とあった。さすがに三人の名前は匿名になっていたが。三人が唖然とするのを確認し、夏姫は新聞を閉じる。
「オーナーはスキャンダルどころか、良い宣伝になった、と仰っているくらいだそうです。ですから、貴方たちへの処分はありません」
 夏姫の言葉に、三人は胸をなでおろす。が、次の夏姫の言葉に再び緊張した。
「ですが、私は言い足りない事があります」
 そう言うと、夏姫は三人をじっと見渡して、それから優しい表情になって言った。
「大きな怪我がなくて何よりでした。もう、こんな無茶はしないように」
『…はいっ!』
 三人は頷いた。
「では、仕事に戻ってください。きっと忙しくなりますから」
 頷いて、三人は仕事にかかった…が、客の数を見て仰天した。普段の海水浴客だけでなく、地元の住民も押しかけてきたのだ。これも新聞の効果らしい。
 そして、やってきた客の中には思わぬ人物もいた。一人で来た青年が、美春の姿を見て叫ぶ。
「ね、姉さん!」
「春彦!?」
 美春も絶句し、次の瞬間、どちらからともなく駆け寄って手を握り合っていた。話によると、美春が悪い仲間と付き合って家を勘当同然に出ていった後、弟の方も親に反発して家を飛び出し、美春を探していたのだ。今はこの隣町に住んでいて、警備員のバイトなどしながら生活していると言う。
「新聞で興味を持って食べに来たんだけど、まさか姉さんに会えるなんて…」
「私もびっくりよ…心配かけてごめんね、春彦」
 この思わぬ姉弟の再会劇に客席は大いに沸き、Piaキャロット四号店の名声はますます高まったのだった。

 そして、その夜。治子が部屋で休んでいると、ドアをノックする音がした。
「開いてますよ。どうぞ〜」
 治子が言うと、中に入ってきたのは美春だった。
「こんばんは、治子さん…ちょっとお話いいですか?」
「うん?構わないよ。さ、座って」
 治子がベッドに腰掛け、隣を指すと、美春はそっとそこに腰掛けた。何の用かな?と思って治子が美春の顔を見ると、彼女は頭を下げて礼を言ってきた。
「ありがとう、治子さん…おかげで、私は本当に助けられました」
 なんだそんな事か、と治子は笑った。
「お礼なんて良いよ。どっちかと言うと、昇に言った方が良いんじゃないかな。私じゃあの二人をやっつける事が出来なかったんだし」
 治子が言うと、美春は首を横に振った。
「とんでもない!もちろん、昇君には感謝してるし、お礼も言ってきたけど…でも、一番感謝してるのは治子さんです」
「そ、そう?なんだか照れるな…」
 治子が照れ笑いを浮かべた時、ふと美春の表情が真剣な物になった。
「あの、治子さん…私、どうしても治子さんに言いたい事があるんです」
 その口調も真剣そのものだった。
「う、うん…それは、私でよければ聞くけど…?」
 その真剣さに押されながらも治子がそう答えると、美春は何度か口を開きかけ、そしてためらいがちに俯く、と言うような事を繰り返した。よほど覚悟のいる事らしい。
「…緊張しないで。ちゃんと聞いていてあげるから」
 治子が決意を促すように言うと、ようやく覚悟を決めたのか、美春は治子の顔を見つめて言った。
「治子さん…私、治子さんの事が好きです」
「…は?」
 治子は一瞬マヌケな顔になり、それから慌てて頷いた。
「あ、あぁ、その、友達としてって事だよね。それなら私も美春ちゃんの事は好きだよ」
「違います!」
 治子の解釈を美春は打ち消した。
「私…治子さんの事を愛しています」
 そう言うと、美春は治子の体に抱きついてきた。状況の変化についていけず、治子の思考は混乱状態に陥った。
(あー、美春ちゃんの身体柔らかいな…じゃなくて、えーと、美春ちゃんが俺の事を好きだと…愛していますと…ああ、その…月並みな言い方だけどLikeではなくLoveって事か…って)
「あんですとっ!?」
 ようやく状況が整理できた治子は、美春の身体を引き剥がした。
「あ、あ、ああ、あの、美春ちゃん?」
「はい、なんでしょうか?」
 美春は熱っぽい潤んだ目で治子の顔を見た。完全に恋する乙女の瞳だった。
「わ、私の事好きって…本当に?」
 嘘であってくれ、という治子の願いもむなしく、美春はこくんと頷いた。
「私…男の人には酷い目に会ってばかりでした。もう、そんなの嫌なんです。でも、治子さんなら…私のために必死に戦ってくれたあなたなら…私…」
 治子の全身が粟立ち、全身の毛が逆立つ。ここから先は聞いてはいけない、聞けば不幸になる、と野生の勘が告げている。しかし、身体は恐怖に縛られて動かなかった。そして、美春が決定的な一言を放った。
「治子さん…お姉さまって呼んで良いですか?」
 次の瞬間、治子の中で何かが切れた。
「うわああぁぁぁぁぁんっっ!!」
 治子は逃げ出した。その後を驚いた美春が追いかける。
「ああっ、待って、お姉さま!!」
「か、勘弁してえええぇぇぇぇっっ!!」
 寮に二人の悲鳴が響き渡った。

 治子は一人の少女を不幸から救い出し、辛い運命から解き放った。しかし、彼女自身の不幸は、確実に積み増しされているのであった。

(つづく)

治子への好意カウンター
美春:+6 攻略完了(爆)


前の話へ   戻る    次の話へ