彼女が車内に入ってきた時から、その姿は既に車内の男性の注目を浴びていた。背こそそれほど高くないが、スレンダーな肢体に似合わない形よく突き出した胸が着ているTシャツを内側から押し上げている。さらりとした長い黒髪は、はちまきのように巻いたリボンで括られ、活動的な雰囲気をかもし出していた。
 彼女は空いている席の一つに腰掛けると、窓枠に肘を突いて、手に顔をもたれ掛けさせた。その形のいい唇から、ふぅ、という溜息が漏れる。その仕草がなんとも魅力的で、男たちは思わず彼女に視線を釘付けにされた。
 注目を浴びているとも知らず、彼女は車窓の向こうに過ぎていく街並みに名残惜しげな視線を向けている。その表情に、男たちは色々と想像を逞しくした。きっと、この街に何か悲しい思い出でもあるに違いない。ひょっとしたら、恋に破れたとか、大事な人を置いてきたとか、そんな所だろうか。だとしたら、声をかけるチャンスかもしれないぞ?
 実際には行動を起こす男はいなかったが、彼らの想像は概ね当たっていた。ただ、彼女が破れた恋は複数の相手と同時に付き合うという普通とは言いがたいものだったし、付き合っていた相手は女性だった。
 と言うより、彼女は恋に破れたときは「彼」だったのであり、そのために全てを…過去の自分すら無くして、見知らぬ土地へ流れていくところだった。
 彼女の名前は、前田治子。かつての名前は、耕治と言う。彼女の物語は、ここから始まるところだった。


Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


4th Order 「そして舞台は変わる」


 美崎海岸行きの急行に乗ってからまだ次の停車駅にも付かないと言うのに、治子は何度目になるかわからないほどの溜息をついていた。
(はぁ…やっぱり不幸だよなぁ…)
 治子はそう思いながらまたしても溜息をつく。覚悟完了してないじゃないか、とツッコミを入れたいところだが、彼女の立場に置かれれば、誰だって運命の不条理さを呪いたくもなるだろう。
 その時、電車は最初の停車駅に到着した。この駅には、治子も何度か降りたことがある。この近くに「Piaキャロット」の本店があるのだ。場所が近いこともあり、本店と2号店は相互研修やヘルプの往来が盛んで関係が深い。
(4号店はまだここから3時間先か…遠いなぁ)
 治子は事前に渡された資料の内容を思い出した。美崎海岸は首都圏外縁のリゾート地として、以前から発展していた街である。ただ、交通手段はこの在来線の急行しかない。そのせいか、極端にリゾート化することも無く昔ながらの町並みも残ると言う、面白い場所であるらしい。だからこそPiaキャロットが出店を計画したのだろう。
 そんなことを思っていると、突然声がかけられた。
「あの、ここ開いてますか?」
 治子は顔を上げた。向かいの席を指して、彼女より少し年下に見える男性が立っていた。まだ青年とはいえない感じだ。
「開いてるけど…」
 治子は答えた。同時に、頭の中で何かが引っかかる。どうも、この少年を知っているような気がするのだが…
(気のせいだろ。俺には男の顔を覚える趣味はない)
 礼を言いながら向かいの席に座る少年を見ながら、治子はそう自分の考えを打ち消した。しかし、打ち消しきれない。やっぱり、自分はこいつの事を知っている。
(誰だったかな…)
 考え込んでいると、少年が口を開いた。
「あの…俺の顔に何かついてますか?」
 治子は我にかえった。考え込んでいる間中、少年の顔を凝視していたらしい。
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしてただけ」
 治子はそう言うと、再び車窓の風景に視線を戻した。いや、正確には車窓の外は見ていない。そこに映った少年の様子を見ていた。
(あ〜…誰だっけ…思い出せそうで思い出せん…気持ちが悪いなぁ)
 必死に記憶を呼び起こそうとする治子をよそに、少年はしばらくは起きていたが、やがて眠ってしまったようだった。車体の振動に合わせて首が揺れている。
(しかし…こいつも不景気そうな顔だな)
 治子は思った。眠っているにもかかわらず、彼の顔には深い苦悩のようなものが刻まれていた。何かよくない夢でも見ているのか、時々小さな声で寝言を漏らしている。治子は思い出すのをあきらめ、自分も到着まで一眠りするか、と考えた。しかし、ふとその時、床に何か小さな紙片が落ちているのに気がついた。彼が持っていたものかもしれない。治子は紙片を摘み上げた。何かが書いてある。
(えっと…美崎海岸…海岸通り…丁目…ん?これって4号店の住所じゃないか。こいつもうちの関係者か?)
 紙片を読んで治子が改めて少年の顔を見た瞬間、記憶が蘇った。
(あ…こいつ、神無月じゃないか。道理で見たことがあるわけだ…)
 治子は納得した。神無月明彦。本店のマネージャ、神無月志保の親戚だったはずだ。やはり本店でバイトしていて、一度二号店にヘルプで来た事がある。
(本店からのヘルプって神無月だったのか。しかし、コイツどうしたんだ?)
 治子の知っている限り、明彦は割と明るい性格の少年だった。付き合いは短いが、少なくともこんな暗い顔をする男ではなかったように思う。
(聞いたら悪いだろうな
)  人の悩みなど、興味本位で聞いて良いものではない。まぁ、どうせ仕事場は一緒なのだし、そのうち聞く機会もあるだろう。
(俺も寝るか…)
 紙片をポケットにしまいこみ、治子は窓枠に頭をもたれ掛けさせて目を閉じた。

 治子が目を覚ますと、車窓の外には海が広がっていた。だいぶ目的地に近づいたらしい。軽く伸びをして辺りを見回すと、さすがに乗客の数もかなり減っていた。
「ん…?」
 明彦がなにかきょろきょろと足元や通路、椅子の下を見回していた。何してんだ?と思ったのも束の間、治子は明彦があの紙片を探しているのだと言うことに気がついた。彼女はポケットに手を入れ、紙片を取り出すと明彦に差し出した。
「探してるのはこれ?」
 治子が言うと、明彦は紙片と彼女の顔を交互に見渡し、それから頷いた。
「は、はい。これです。ありがとうございます」
 礼を言い、明彦は治子の手から紙片を受け取った。これからいっしょに働くことになりそうな相手でもあることだし、少し話しておくか、と治子は考え、口を開いた。
「美崎海岸まで?」
 見知らぬ女性に声を掛けられ、明彦は戸惑ったような表情をしたが、やがて頷いた。
「ええ。ちょっと仕事で…あなたは?」
「お…私も美崎海岸まで。やっぱり仕事」
 また俺、と言いかけて、治子は「私」と言いなおした。
「へぇ、そりゃ奇遇ですね」
 明彦が答える。さっきまで暗かった表情に、少し明るさが戻っていた。そして、治子の顔を見て、首をかしげる。
「…あの、失礼ですけど、前にお会いしたことがありませんでしたか?」
(む、なかなか鋭いな)
 治子は感心した。しかし、以前会ったときと今では全くの別人なので、くすりと笑ってごまかすことにした。
「それって、ナンパの手口としては使い古されてないかな?」
 この一言に、明彦はまともに動揺した。口をパクパクと金魚のように開閉し、それから搾り出すように「そんなつもりじゃ」と弁解する。治子は吹き出しそうになった。なかなか純情な奴だ。
『次は美崎海岸、美崎海岸。終点です。ご乗車長らくお疲れ様でした。次は…』
 その時、車内アナウンスが流れ、終点が近いことを告げた。
「さてと…やっと到着かぁ」
 治子は座席の自分の横に置いていたバッグを手に取った。やがて、電車は美崎海岸駅のホームに滑り込んでいった。

「暑い…」
 駅から一歩出た治子はつぶやいた。何しろ、3時間以上も冷房の利いた電車の中にいたのだから当然である。たちまち吹き出した汗が彼女のTシャツに染みて、生地が身体に張り付いた。
「さて…どっちに行けばいいのかな?
」  治子は向こうを出るときにもらった地図のコピーを取り出した。地図と言っても、手書きのものであまりわかりやすいとは言えない。とりあえず駅の周辺案内地図と比べて目的地を割り出そうとしたその瞬間だった。
「ねぇ君ぃ、どこに行くんだい?」
「俺たちが送っていってやろうか?」
「え?」
 治子は地図から顔を上げた。すると、そこには彼女の行く手をふさぐようにして二人の男が立っていた。いかにも軽薄そうな外見の連中だ。その視線に、治子は背筋に寒いものが走るのを感じた。元男である彼女には、その視線が何なのか良くわかったのだ。
(なんだろ…これ…もしかして、本物のナンパ?)
 男たちの視線が自分の胸や脚を好色そうに捉えている。彼らに対する嫌悪を感じた治子は横に首を振った。
「いえ、結構です。そんなに遠くないですから」
 発揮した口調で治子は言った。少なくとも、自分なら女の子にこう言われればそれ以上はあきらめる。しかし、彼らは違った。それまでニヤついていた表情が一変し、口調も凄みを利かせたものになる。
「なんだよ、そんな言い方は無いだろ。せっかく俺たちが親切で言ってるのに」
「あーあ、傷ついちゃったなー、俺ら」
(ちっ、こいつらタチ悪いな)
 治子は緊張した。このナンパ男ども、自分たちに付き合うまでは離さない…と言う構えだ。しかも、こういうのに捕まったが最後、無事で帰れる保証は無い。
(絶対嫌だぞ、男にヤられるなんて)
 治子は焦りを感じながらも、打開策を求めて周囲に目を走らせた。すると、一人の人物が目に入った。明彦だ。トイレにでも行っていたのか、治子より後から駅を出てきたらしい。その時、治子の脳裏にある策がひらめいた。
 それは、彼女が耕治だった頃、一回涼子とプールでデートしたときの事だ。水着姿の涼子はそれはもう魅力的で、男たちが群がってきたものだ。しかし、耕治が連れである事を強調されると、男たちは舌打ちしながらでも去って行ったものである。
 これだ、と思った治子は唇を舌で湿らせると、笑顔を作って手を振り上げた。
「ねーえ、神無月く〜ん!待ったぁ?」
 自分の名を呼ばれ、びっくりした明彦が振り向き、ナンパ男2名も治子の見る方に向き直った。その隙をついて、治子は明彦の所に駆け寄ってその腕を取った。
「わ、わわっ!?」
 驚いた明彦だったが、すぐに相手が向かいの席に座っていた女の子だと知り、表情を和らげる。
「あ、さっきの…」
 声をあげる明彦に指を一本唇に当てて静かにさせ、すばやく耳打ちする。
「あそこの男たちに絡まれて困っているんだ。一芝居打つから合わせて。OK?」
 突然の申し出に、明彦はこくこくと頷いた。それを確認して、治子は明彦の腕をしっかりと抱きしめ、彼の肩に自分の頭をもたれかけさせた。
「さ、行こうか、神無月君」
「あ、ああ」
 にこりと笑って言う治子に、明彦が頷く。収まらないのはナンパ男たちだ。
「おい、待てよ、ねえちゃん!」
 後を追おうとする男たちに振り返り、治子は舌を出して言った。
「しつこい男は嫌われるよ」
 それが効いたのかどうかはわからないが、男たちは舌打ちしてきびすを返した。治子と明彦はそのまま駅前ロータリーの出口まで歩く。
「ふぅ…上手くいった」
 安堵のため息をつく治子に、明彦がおずおずと声をかける。
「あの…そろそろ離してもらえます?」
 治子は明彦のほうを向いた。なぜか顔が真っ赤になっている。それは暑さのためではないようだ。そこで治子は気がついた。自分の胸の谷間で、抱きしめた彼の腕をしっかりと挟み込んでいる事に。
「あぁ、ごめんごめん」
 手を離すと、明彦は心臓のあたりを抑えてため息をついた。
「いやぁ、怖がらせて悪いね。とっさの事だったからさ」
 治子が頭を掻くと、明彦は「い、いえ…」となぜか恐縮したように答え、それから気が付いたように声をあげた。
「うん?あなた、なぜ俺の名前を知ってるんですか?」
「え?…あぁ」
 しまった、と治子は思った。こっちは知っているからと言ってつい名前で呼んでしまったが、考えてみれば向こうは「前田耕治」はともかく「前田治子」の事は知らないのだ。
「あぁ…その、君の行き先はPiaキャロットの4号店だよね」
 治子が言うと、明彦はえぇ、と頷いた。そこで治子は右手を差し出した。
「電車の中では言い遅れたけど、私は前田治子。2号店からの派遣要員だよ。君が来る事は2号店で聞いてた。よろしく」
「あ、なるほど…神無月明彦です。よろしく…」
 治子の説明…いささか不自然だったが、明彦は信じたようだ。が、手を差し出しかけて、ふっと動きを止める。治子は一瞬怪訝に思ったが、すぐに思い当たって言った。女性の手を握っていいのかわからなかったようだ。
「あー、余り気にしないように。握手くらい平気だから」
 そう言って、治子のほうから明彦の手を握る。それでようやく明彦も握手を返してきた。
「しかし、何があったんですか?」
 詳しい事情を聞きたがる明彦に、治子は説明しようとした。
「だから、さっき話した通りで…ナンパがしつこかったから、とっさに君を…」
 そこで、治子は口篭もった。電柱に手をつき、必死にこみ上げる何かに耐える。
(と、とっさの事とは言え…あんな女の子した言動をするなんて…ダメじゃん俺…)
 こみ上げる何か、それは自己嫌悪の念だった。それを見ながら、明彦もまた何かがこみ上げてくるのを感じた。
(そんなに怖かったのか…それなのに、あんなに気丈に振る舞って…すごい人だな、治子さんって)
 こみ上げる何か、それは治子への好意だった。治子と明彦、二人の出会いはなにやらとんでもない騒動の火種になる気配が濃厚だった。

 その後、何とか立ち直った治子と明彦は、他愛の無い話をしながら海岸通りに通じる長い坂道を下っていった。あたりにはサーフボードをルーフキャリアに積み込んだ車や、これから海に繰り出すらしい荷物を持った人々がぞろぞろと同じ方向へ向かっている。
「こりゃあ、店が本格的に始まったら忙しくなるな…」
「そうですね」
 治子の言葉に明彦が相槌を打つ。海岸に出てみると、その言葉は確信に変わった。平日だと言うのに、砂浜は人でいっぱいだった。多少うんざりした気持ちになりつつ、海岸線に沿って歩く事しばし。目的地が見えてきた。
「あ、あそこですね」
「はぁ…確かに変わった店だな」
 建物の外観がはっきりしてくるに連れて、他の店舗には無いPiaキャロット4号店独特の構造が明らかになってきた。
 店は砂浜に清水の舞台よろしく鉄骨を組んで作った土台の上に乗っていて、海岸通りだけでなく砂浜からも上ってくる事ができる。そして、他の店と比べるとオープンテラスの割合が多い。海の家をおしゃれにしたような感じだ。
 そして、田舎のほうの店であるせいか、面積がかなり広そうだ。地元募集のバイトだけでなく、本店や二号店の方からもヘルプを呼ばなくてはならない理由がわかった気がした。
「ともかく入りましょうか」
「あ、そうだね」
 店をじっと見ていた治子は、明彦の言葉に我に返ると、彼の後に続いて玄関側の階段を上った。扉には「Piaキャロット美崎海岸通り店、8月1日新規開店!!」と言う看板がかけられていた。その看板を脇にどかして扉を開ける。その途端にひんやりとしたクーラーの冷気が中から流れ出てきた。同時に、客の来店を告げるベルが鳴る。内装はほぼ完全に稼動しているようだ。すると、店の中から女性の声が聞こえてきた。
「もしもし、うちはまだ営業していないのですが」
 その声のした方を見ると、少し赤っぽい髪の色をした小柄な女性が立っていた。横には、逆に背の高い、いかにも切れ者、と言う印象の女性が立っている。
「いえ、客じゃありません。お…私は2号店からの派遣要員で来ました、前田治子です。こちらは本店からの要員で神無月明彦君」
 治子は先に身分を明かして頭を下げた。すると、明彦が慌てたように続く。
「あ、か、神無月です。よろしくお願いします」
 すると、小柄な女性のほうがにっこり笑って挨拶を返してきた。
「お疲れ様。私はこの四号店の店長…と言ってもまだ代理ですけど…を務めている、羽瀬川朱美と言います。よろしくお願いします」
 次に、背の高い女性が、こちらはにこりともせず、治子と明彦を値踏みするような視線を向けながら挨拶をした。
「私はマネージャーの岩倉夏姫です。お二人の事は派遣元の店長やマネージャーから良く聞いています。経験豊富だそうですが、その分新規の人たちをフォローしてがんばってもらいます。神無月君は男性スタッフが少ないので、ウェイターだけでなく倉庫の整理など力仕事もお願いする事になるでしょう。また、前田さんは接客の経験者が貴方と店長代理しかいないので、他のフロアスタッフの見本となってください」
 息もつかせず機関銃のように話す夏姫に、朱美が苦笑しながら言う。
「夏姫ちゃん、二人とも来たばかりで疲れてるだろうし、経験者なんだからそんなに言わなくてもわかってると思うわよ」
 すると、夏姫は目を吊り上げて言い返した。
「お言葉ですが先輩、そんな甘い考えではこの先やっていけませんよ。私にはこの店を運営していく義務があります。そのためには店長代理にもそれ相応の覚悟をしてもらわないと。それから、仕事場では夏姫ちゃんと呼ぶのはやめてくださいとあれほど…」
 夏姫のくどくどと言うお説教が続く。すっかりしょげ返る朱美。会話の内容からして朱美の方が年上らしいが、これではまるで逆である。
(うわ、夏姫さんって厳しそうな人だなぁ…同じマネージャーでも涼子さんとはずいぶん違うな)
 涼子はどっちかと言うと穏健な方で、仕事でもあまり小言を言った事が無い。おかげで、2号店はPiaキャロットグループの中でも特に家族的、とまで言われる独特の雰囲気があったものだ。
 横を見ると、明彦も同じような事を考えていたらしく、同時に治子の方を向いた。顔を見合わせ、思わず苦笑する。
「ともかく」
 朱美へのお説教を終えた夏姫が軽く咳払いして注意を促す。治子と明彦は慌てて前を向き、姿勢を正した。
「今日は、到着の報告と、私たちへの顔合わせのあと、少し接客の練習をします。その後で社員寮の地図を渡しますので、寮に行って明日からの仕事に十分備えてください」
「「はい」」
 二人が声をそろえて返事をすると、落ち込んでいた朱美が何かを思い出したようにぽんと手を打った。
「そうだわ。みんなの分の制服がもう届いているの。試着してみない?サイズが合っているかどうかも確かめなきゃいけないし」
 そう言いながら、朱美は夏姫を見た。異存は無かったらしく、夏姫も頷く。
「じゃあ、更衣室へ行きましょう」
 そう言いながら朱美はスタッフルームに続くドアを開ける。すると、そこには一人の女の子がいた。目が大きく、無邪気そうな印象を与える少女だ。年齢は治子より一つか二つ下、と言うところだろう。
「あら、君島さん。どうしたの?」
「えっと、店の中を覚えようと思って、あちこち見てました」
 朱美の質問に答える少女。朱美は頷くと、治子たちに少女を紹介した。
「この娘は、アルバイトの君島ナナさん。こちらは今日からこの店に来る事になった前田さんと神無月君」
「あ、はい。君島ナナです。こういうところで働くのは初めてなので、どうかよろしくおねがいしますっ」
 そう言って、ナナと名乗った少女はぺこりと頭を下げた。なかなか一生懸命な感じに、治子は好印象を持った。そこで、自分からも挨拶し、ナナを交えた4人で更衣室へ向かった。
「もうロッカーにはみんなの名前が貼ってあるから、そこを使ってね」
 更衣室に入ると朱美が指示を出した。そこで、治子は自分のロッカーを探した。まず、ドアに一番近いところ…ここは朱美だった。隣が夏姫で、自分のは3番目。さらに先へ行くと、「冬木」と言う苗字がある。これは、今日この場にはいない人のようだ。そして、その隣がナナ。
(…5人だけ?)
 治子は少し不安になった。マネージャーの夏姫はフロアには出ないから、ウェイトレス担当は「冬木さん」を入れても4人しかいない事になる。男子がどれだけいるのかわからないが、予想される忙しさを考えると、この人数では不足ではなかろうか。
「あの、店長」
 治子は既にロッカーを開けて中を探っている朱美に声をかけた。すると、朱美は微笑んで答えた。
「朱美で良いわよ。店長なんて呼ばれると、なんかくすぐったいから」
「…そうも行かないでしょう。夏姫さんの手前もありますし」
 治子が苦笑すると、朱美は頷きながらも妥協案を出してきた。
「仕事中は仕方ないかな。でも、それ以外の時は名前で呼んでくれた方が嬉しいわ」
 治子は頷いて、質問の続きをぶつけた。
「わかりました。じゃあ、朱美さん。男子のフロアスタッフは何人いるんですか?」
 朱美は何でそんな事を?と言うような怪訝な表情をしつつも「2人」と答えた。治子はざっと考えをまとめた。
「ちょっと人が少ないですね。できれば後1人、ヘルプで経験者を呼んで…バイトも増員した方が良いでしょう。毎日がイベント日くらいの気持ちで行くとちょうど良いと思います」
 治子は言った。イベント日というのは、文字通り店の近くで行事があって、客の大幅増が見込める日の事だ。こう言う時はフロアスタッフの人数も普段の1.5倍の態勢で仕事に臨む。
「そう?…そうね、ちょっと夏姫ちゃんと相談してみるわ」
 朱美も納得したらしく、治子の言葉に頷くと、感心したように治子の顔を見た。
「それにしても、やっぱり経験者は違うわね。貴重なアドバイスをありがとう」
「いえ、そんな…」
 治子が恐縮すると、朱美は笑いながらロッカーの中から制服を取り出した。
「さ、早く着替えて夏姫ちゃんに話しに行きましょう」
「はい」
 治子も頷き、ロッカーを開けた。そして…
「…こ、これは…!?」
 治子は驚きに目を見張った。そこにあったのは、彼女が知る「制服」の概念を覆すような代物だった。緑色を主体とした色合いは目に優しく清楚な印象だ。しかし、デザインが奇抜だった。と言うか、奇抜過ぎた。上半身はビスチェのような形で肩紐やえりが無く、下半身は超ミニ。まぁ、パレオのような飾り布がつくが、それも前と後ろの部分はスカートよりも短いので、油断すると大変なことになるだろう。
 他に、脚はオーバーニーソックスと専用の靴。腕は?と見ると、これも上部の膨らんだ別パーツの長袖が付いている。あと、首の部分には襟リボン。それが専用の複雑で大きなハンガー(と言って良いのかどうかも不明)に下げられている。
「これが4号店の夏季専用制服に採用された<フローラルミントタイプ>よ」
 朱美が言った。全体的な印象は、2号店のアイドルタイプに似ていなくも無い…が。
「こっちの方がずっとアイドルのステージ衣装っぽいデザインじゃないか…」
 あきれたように言う治子。隣でナナも困ったような顔で言った。
「どうやって着るんでしょうか…?」
 この声に、朱美も引きつった笑顔を浮かべる。内心では治子たちと似たような感想を抱いていたらしい。
「あ、あはは…じゃあ、私がお手本を見せますので、その通りに着てね」
 朱美はそう言うと、上着をさっと脱ぎ捨てた。着やせする方なのか、意外に豊かな胸が治子の視界に飛び込んでくる。顔立ちは治子と同年代か、と言う童顔の朱美だが、下着は大人の女性らしいレースをたっぷりあしらったセクシーなデザインのものだった。治子は顔にかあっと血が集まって熱くなるのを感じた。
(落ち着け俺。相手は今は同性だ。心頭を滅却すれば火もまた涼し)
 とりあえず難しいことを考えて煩悩を払おうとした治子だったが、次の瞬間その努力は無に帰した。朱美がスカートも脱ぎ捨てて下着だけの姿になったかと思うと、ブラジャーも外してしまったのだ。
「「ぶ、ブラも外すんですかっ!?」」
 期せずしてナナと同時に叫ぶ治子。朱美がやはり引きつった笑顔で答える。
「え、ええ…上着がこの形だから。この専用のストラップレスを使うのよ」
 そう言いながら、朱美はロッカーから専用ブラを取り出して身に付け、次にソックスとスカートをはくと、問題の上着を着た。上着は体に巻きつけるようにしたあと、背中に手を回し、ジッパーを引き上げて固定する。そして、腰の後ろでリボンを結び、次に襟リボンも結ぶ。最後に、ボリュームのある別パーツの長袖に腕を通し、中のマジックテープで締め付け具合を調整した。
「…と、これで完成よ。どうかしら?」
「「おお〜」」
 思わず拍手する治子とナナ。とてもウェイトレスの制服には見えないデザインだが、それはそれとして確かにかわいらしい服ではある。それに、朱美にはよく似合っていた。
「すごく素敵ですね〜」
 感心するナナ。自分も早く着てみたい、というオーラが目から出ている。
「前田さんはどう思う?」
 ぼうっと見とれていた治子だったが、急に話を振られ、慌てて答えた。
「は?あ、あぁ…大胆ですけどいやらしくないというか…よくこんなデザインが選ばれたものですね」
「なんでも、オーナーの鶴の一声で決まったらしいわ」
 朱美の返事に治子は一度見たことのあるオーナーの顔を思い出した。なんと言うか、そういうことを言いそうにはない紳士然とした人だったのだが、考えてみればこんな小さなチェーンレストランで全店舗に別々の制服を3種類ずつ用意する時点で、明らかに道楽者と認識すべきだろう。
「はぁ…すごい話ですね」
 今後もPiaキャロットで働いていく事を、少し考え直したくなった治子だった。
「さぁ、二人も着てみて」
 そこへ朱美が言った。ナナは大乗り気で、「はいっ!」と元気よく返事をすると、服を脱ぎ始めた。治子もTシャツに手をかけ、思い切って脱ぎ捨てる。そして、ブラのホックに手をかけたときだった。
「ん…?」
 何故か、朱美とナナの動きが止まっていた。そして、じっと治子の方を見ている。正確には、治子の身体のある一点だ。
「…あの、何か?」
 治子が言うと、ナナがぽーっとした声で「大きい…」と呟き、朱美がどこか沈んだ声で「負けた…」とため息とともに言葉を吐き出した。二人の視線は、治子の胸をぴったりとマークしていた。慌てて胸をかき抱くようにする治子。
「あ、あの…あんまり見ないでくださいよ。恥ずかしいじゃないですか…」
 治子が言うと、二人は慌てて視線を外し、「「ごめんなさい…」」と謝った。しかし、その後もちらちらと治子に目をやっているのが感じられた。
(うう…なんだか居心地悪い)
 視線に耐えながら、治子は例の専用ブラを身に付けた。下着まで制服のうちに含まれているなんてめんどくさい話だ。
「これが終わったら、駅前までストラップレスのブラを買い込みに行こうかな…」
 治子が言うと、ナナも「私もそうします〜」と応じた。さらに、朱美も同意する。
 なお、朱美はこのとき買い込んだブラジャーの代金を必要経費に認めさせ、4号店の歴代ウェイトレス全員から感謝されるのだが、それは別の話である。
 話がそれた。ともかく、数分後には治子とナナも制服に着替えていた。更衣室の姿見の前でおかしい所がないか点検してみる。
「えっと、どうかなぁ、ナナちゃん」
「すごく似合ってますよ〜。素敵です、治子さん」
「あはは…あ、ありがとう。ナナちゃんもかわいいよ」
 そんな会話をしながら点検が終わると、3人はスタッフルームへ向かった。すると、男子はとっくに着替えを終えて集合していた。まぁ、治子も耕治の頃に着慣れている全店共通のタキシード風デザインの制服だから、それほど時間もかからないだろう。
 よく見ると、明彦の隣にもう一人、ガタイの大きな青年が立っていた。これが多分男子二人目なのだろう。その青年は女性陣を見て眼を輝かせた。
「おお〜…すごく良いじゃないですか!なぁ、明彦」
「お、俺に振るなよ」
 まるで十年来の親友同士のようなノリだ。二人目の青年、よほど人懐っこい性格らしい。
「木ノ下君も来てたのね。ちょうど良いわ。自己紹介して」
 朱美が言うと、木ノ下と呼ばれた青年はぺこりと頭を下げた。
「あ、どうもっす。木ノ下昇と言います。新規採用のバイトです。どうかよろしくー!」
 軽いノリだ。初対面の治子とナナもそれぞれ挨拶することにした。先にナナが自己紹介し、次に治子の番になる。
「2号店からヘルプで来ました、前田治子です。こちらこそよろしくお願いします」
 挨拶して頭を上げると、昇が何故かポカーンとした表情になっていた。そして、「いい…」と意味不明な言葉を呟く。
「おい、昇?」
 明彦が肘でつつくと、ようやく昇は我に返り、そして慌てて頭を下げた。
「いーえ、こちらこそよろしくです!木ノ下昇、木ノ下昇をどうかよろしくお願いします!!」
 さっきも自己紹介をしていたくせに、やたら張り切ってまた挨拶をする。しかも、まるでどこかの選挙のノリだ。
(…変なやつ)
 治子は思った。すると、夏姫がパンパンと手をたたいて注目を促した。
「はい、そこまで。それでは、今後の予定についてミーティングをはじめます。まず、明日の親睦会について…」
 ようやく仕事らしい雰囲気が戻ってきた。朱美と夏姫の説明に耳を傾けながら、治子は今後のことを思って気を引き締めた。
(がんばろう…いつか自分に戻るときのために)

(つづく)


治子への好意カウンター(爆)
明彦:+1 トータル1ポイント
朱美:+1 トータル1ポイント


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