女の子になって二日目、前田耕治改め治子は人と会うために駅前に向かっていた。相手が時間に正確な人なので、念のため10分前に着くように寮を出たのである。ところが、女の子になって背や歩幅もやや小さくなった事を忘れていたので、到着したのは5分前だった。そして、相手は既にそこで待っていた。
「涼子さん、すいません。お待たせしましたか?」
 治子に気がつくと、待ち合わせの相手…2号店マネージャーの双葉涼子は読んでいた文庫本から目を離し、にっこりと笑った。
「ううん。私も今来たところよ。ところで…すごい格好ね」
 涼子の言葉に治子は赤面した。
「は、はぁ…何しろ服が全部大きくなってしまったものですから」
 そう答える治子の格好は、ぶかぶかのTシャツに、これまた丈の長すぎるGパン。どれも裾を折り返したり、ベルトをきつく締めたりしてずり落ちないように工夫しているが、はっきり言って変であった。
「それは仕方ないわね…ともかく、体にあった服を揃えないと」
 そう、今日の目的は買い物である。大きくなってしまった耕治時代の服は今の治子にはほとんど着られない。早急に新しい服を手に入れる必要があった。
 幸い、治子もある程度の貯金はあったし、涼子と店長が少しずつカンパを出してくれたので、それなりの量の服が揃うはずだった。涼子に連れられ、治子はファッション店の集まったビルに入っていった。

Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


2nd Order 「治子のテリブル・ショッピング」


「さて、まずはここからね」
「はい…って、ええっ!?」
 涼子に最初に連れてこられた店を見て、治子は目を見張り、次いで赤面した。その場所とは、ランジェリーショップ。つまり下着専門店だった。
「あ、あの、涼子さん?本当にここからですか?」
 治子が恐る恐る、と言った感じで尋ねると、涼子は当然と言うように頷いた。
「もちろん。女の子にとっては重要なところよ。身体に合わない下着を着けていると、体型が崩れたり変な風に疲れたりするし。それに、ここで正確な身体のサイズを測っておけば後で他の服を買うのにも便利になるのよ」
 そう言うと、涼子は手近の店員を呼び止めた。どんな御用でしょうか?と言う店員に対し、治子の両肩を持って前に押し出す。
「この娘の服を買いに来たんですけど、身体のサイズを測ってもらえますか?」
 店員は治子の格好を見て一瞬変な表情をしたが、すぐに営業スマイルに戻って言った。
「かしこまりました。では、こちらへ」
 そう言うと、二人を案内して店の奥へ向かう。そこにあったのは、良く使われるボックスタイプの狭いそれとは違う、四畳はありそうな大きな試着室だった。壁には大きな鏡があり、何に使うのか4段ほどの引き出しも付いている。ドアを閉めると、店員は治子に向かって言った。
「それではお客様、服を脱いでいただけますか?」
「…はい?」
 一瞬何を言われたのか理解できず、きょとんとした治子だったが、次の瞬間もう何度目になるのかわからない赤面した表情で叫んだ。
「な、な、なんで脱ぐんですかっ!?」
「なんでって…そうしないと正確なサイズが測れませんが」
 不審そうな口調で言う店員に、涼子が慌ててフォローに入る。
「あぁ、ちょっとすいません…この娘、こういうおしゃれをした経験が無いものですから」
 そう言うと、治子の肩を抱き寄せ、耳打ちをする。
「前田君、戸惑うのはもっともだけど、女の子はそう言うものなのよ。我慢しなさい」
「はぁ…」
 しぶしぶ治子が納得し、服を脱ぎ始めると、涼子は安堵のため息を吐いた。すると、店員がなぜか涙ぐんだ目で涼子に話し掛けてきた。
「ふ、不憫な娘なんですね。おしゃれした事が無くて、お兄さんか誰かのお下がりなんて。よほど家が大変なのね…」
「はぁ?」
 今度は涼子が戸惑う番だった。どうやら、店員は治子の格好を見て、何やらものすごい波瀾万丈の人生ストーリーを脳内構築しているらしい。
「あ、いえそう言うわけでは」
 涼子は訂正しようとしたのだが、その前に店員の力強い宣言が響き渡った。
「任せてください。私があの娘に似合う下着をばっちり選んでみせます!」
「…よろしくお願いします」
 説得をあきらめて涼子は頭を下げた。事情はどうあれ、店員がやる気になってくれた事自体は歓迎すべき事ではある。
 その後、服を脱いで下着姿…と言っても、女物の下着なんて持っていないので、ノーブラにトランクスと言うある意味倒錯した姿だった…で身体のサイズを測った。そして、その結果。
 身長は158センチに縮んでいた。これには治子も大ショックである。なにしろ、15センチ以上も縮んだのだ。
 一方、スリーサイズは上から87(D)、54、85。これには涼子がダメージを受けた。
「わ、私より大きい…」
 ショックで白くなりかけている治子と涼子をよそに、店員は大いに張り切っていた。
「まぁ…素敵なスタイルね。これは選びがいがあるわ」
 そう言いながら、売り場と試着室を往復しては次々に数々の下着を持ち込んできた。ショックから醒めた二人が辺りを見回すと、そこは目に痛いほどのカラフルな布地の山になっていた。
「こ、これわ…」
 思わず息を呑む治子。そこへ、ブラを手にした店員が目をきゅぴーん、と輝かせ、じりじりと迫ってくる。その姿に、治子は生物の本能を揺さぶられる危険なものを感じた。
「て、店員さん、何をっ!?」
「もちろん試着ですよ。さぁ、時間はたっぷりあります。どんどん行きましょうっ!」
 治子は後ずさったが、いくら試着室としては広いと言っても、所詮四畳。逃げ場はなかった。
「わーっ!?」
 試着室から治子の悲鳴が聞こえた。

 結局、下着選びに二時間もかけ、ようやく治子と涼子はランジェリーショップを後にした。治子の右手には大小の紙袋が一つずつ提げられている。いずれも、あの店員が「真心」を込めて選んでくれたものだ。
「うう…恥ずかしかった…」
 治子は目の幅涙を流した。彼女が下着の付け方について全く無知だと知ると、店員が文字通り手取り足取り教えてくれたのである。
 それだけなら別に良いのだが、店員にその気があるのか、治子にそうしたくなる気持ちを煽る何かがあるのかは分からないが、身体中触りまくられてしまったのだ。
「あら〜…やっぱり若い娘は肌がすべすべでハリがあるわね〜」
 必要も無いのにお腹や脚をぺたぺたと触りまくるのである。これには治子もたじたじだった。
「あ、あの…あまり触らないでください」
 試しに言ってみたが、柳に風、暖簾に腕押しだった。
「あら、本当に似合う下着を選ぶには必要な事ですよ?」
 と言われてしまえば反論はできない。結局、試着の過程で全身見られまくり触られまくりという羽目になったのだった。
「ううう…もうああいう店には行きたくない」
 もうすぐ引越しなので、今日の店にはどの道二度と行く機会はないだろうが、引越し先でああいう店員に当たりませんようにと治子は心から願った。
「あ、で、でも、身体が楽でしょう?」
「…そういえば」
 治子は頷いた。さっきまで着ていた男物の下着を脱いで、買ったばかりの女物に変えたのだが、胸の辺りが楽になった気がする。具体的に言うと、胸の部分に重い物があったために肩に疲れが生じていたのが、ブラを身に付ける事でそれが支えられ、楽になったのだ。
「ね?身体に合った服装って大事でしょう?」
「はい」
 涼子の言葉に、治子は頷いたが、すぐに小さい方の紙袋を見て言った。
「でも、こっちはちょっと…」
 その紙袋には、さっきの店員が趣味で選んだ過激な下着が数点入っていた。黒のレースとか、ガーターベルトとか、日常生活ではとても使いそうも無いブツばかりである。葵あたりなら喜んで使いそうだが…
「そうね、それはちょっと…」
 涼子も頷いたが、さすがに捨てたりするのはもったいないので、そのまま持っておく事にした。
 その他の服を買いに行く前に、二人は昼食を摂る事にした。ビルの最上階はレストラン街になっている。しばらく並んで席を確保した二人は、注文を決めてウェイターを呼んだ。
「私はレディースランチ、ドリンクはアイスティで」
 涼子が注文する。量が少な目のヘルシー志向のメニューだ。
「えっと、俺はカツのしぐれ煮セット。ドリンクはコーヒーで」
 治子の注文に、ウェイターは一瞬妙な顔をしたが、すぐに元のプロの顔に戻ると、「かしこまりました」と言って厨房へ向かって行った。なかなか教育の行き届いた店らしい。普段ならそう言う事を観察するところだが、涼子はまず治子の腕を突付いた。
「なんですか?」
 治子が向き直ると、涼子は少し怒った声で言った。
「だめでしょう。いまの前田君は女の子なんだから、『俺』じゃなく、『私』とかにしないと」
 その言葉に、治子は一瞬酸素不足の金魚のように口をぱくぱくさせた。そして、どうにか絞り出すように声を出す。
「そ、そんなところまで変えるんですか?」
 涼子は頷いた。
「ええ。辛いとは思うけど、向こうで苦労しないためにも…ね?」
 治子はしばらくどんよりした表情になっていたが、何とか顔を上げて頷いた。
「わかりました。お…じゃなかった、私、頑張ります」
 その答えに涼子が微笑んだ時、二人の注文した料理が届いた。
「それじゃあ、頂きましょうか」
「はい」
 食事にかかった二人だったが、しばらくして治子は異変に気が付いた。
 箸が進まないのだ。普段なら、こうしたレストランの料理くらいは軽く平らげるはずなのに、3分の1ほど食べたところで急に満腹になってしまった。
「…どうしたの?」
 箸で料理を突つくだけで、一向に口に運ぼうとしない治子の様子に気が付き、涼子が尋ねてきた。
「その…なんか、急にお腹がいっぱいになっちゃって…」
 治子はとうとうあきらめて箸を置いてしまった。涼子が治子の注文したカツのしぐれ煮セットを見て頷く。
「そうね、ちょっと量が多かったかもね」
「そうですか?」
 治子は聞き返した。入らないのだから説得力はないが、そんなに多い量には見えない。
「女の子の身体になったから、食べられる量が減ったんだと思うわ。身長だって縮んだし、体重も減ったでしょう?」
 涼子の推測に、治子は落ち込んだ表情になった。
「う…そうですね。はぁ、この食欲と実際のキャパシティのギャップにも慣れなきゃいけないのか」
 治子は暗い表情でつぶやいた。結局、その後一口もつけずに片付けてもらい、食後のドリンクを待つ。
「そのうち慣れるわよ。うちのお店にも女性向けメニューはあるし、外食する時はそう言うのを頼むと良いわ」
 涼子のアドバイスに頷く治子。そこへ、彼女のコーヒーが運ばれてきた。習慣通り砂糖は入れず、ブラックのまま口に運ぶ。とたんに治子の表情が渋くなった。
「苦い…」
 いったんカップを口から離し、あらためて飲んでみるが、ひどく苦く感じる。飲み慣れたはずのコーヒーが受け付けられない。
「変だな。これも女の子になった副作用なのか?」
 あきらめて砂糖とミルクを入れて飲むと、今度は飲む事ができた。しかし、美味しいとは感じられない。
「そうねぇ…そう言うのは個人差だと思うけど。葵なんかコーヒーもビールも平気だし」
 涼子は言ったが、治子の味覚の嗜好が変化してしまったのは紛れも無い事実のようだった。
(次からは紅茶にしてみよう)
 治子はコーヒーを半分ほど残しながらそう思った。

「さて、次は普段着ね」
 気を取り直して涼子が言った。下着に関しては知識も経験も無いのですべてお任せにした治子も、これに関しては趣味を押し出す余地がある。
「あの、できれば男の時とあんまり変わらない服が良いんですが」
 治子は言った。スカート類は制服に着替える時にどうしても着なくてはならないので、せめて普通の服はGパンなどのズボン・パンツ類にしたかったのである。しかし、涼子は少し考え込むそぶりを見せた。
「あの…何か問題でも?」
 治子が聞くと、涼子は「そうね…」と相づちを打ち、それから答えた。
「できれば、普段の日もスカートを履くように心がけた方が良いと思うわ。スカートで動き回る感覚に慣れるために」
「え」
 治子は戸惑った。それは、確かにズボン類とスカートでは履いている感覚がまるで違う。下着が直接外気にさらされる感じは確かになかなか慣れないだろうが、しかしそれがそれほどの大問題なのだろうか?
 しかし、問題は別のところにあった。理由が良く分からないらしい治子に、涼子が理由を言う。
「あのね、スカート…特に、うちの店でもアイドルやスクールみたいなミニのを着ている時は、気をつけないと下着が見えてしまうのよ。前田君は不慣れだからなおさら危ないわ」
「う…それは確かに」
 治子は頷いた。彼女自身、耕治だった頃はそんなシーンにぶつかる事を期待して女の子を見た事もあるから尚更である。
「と言うわけで…ミニスカートも入れて服を決めるわね」
「…はい」
 もはや反論できず、結局治子の新しい服は、かなりの部分がスカートで占められる事になった。

「前田君、あまり縮こまらなくても良いわよ」
 少し遅れ気味で歩く治子に、涼子が声をかける。
「え、で、でも」
 うつむき加減の治子が顔を上げた。現在、彼女は買ったばかりの服に着替えている。上はフードの付いたパーカーのようなデザインのTシャツ。しかし、下はひざ上20センチはあろうかと言う赤に黒いチェックのミニスカートだった。
「気を付けないと下着が見える」と言われた後だけに、どうしても意識してしまい、うまく歩く事ができない。
「危ないようだったら教えてあげるから、思い切って歩いてみて」
 涼子に言われながら、治子は少しずつ歩き方を学習していったが、2回くらいは涼子の指示が間に合わず、スカートが危険なレベルまでまくれあがってしまったようだった。顔を真っ赤にしつつも、何とかコツが掴めてきた頃、治子は最後の目的地に辿り着いた。
「涼子さん、ここは…」
 尋ねる治子の鼻を、濃密な香料の香りがくすぐる。涼子はそのコーナーに入ると治子を手招きした。
「見ての通り、化粧品売り場よ」
 周囲には口紅やファンデーション、コスメ用品などが展示されている。どれも治子には縁の無い物だ。
「それはわかりますが…まさか?」
 治子が不吉な予感をおぼえて顔を上げると、涼子は微笑んで頷いた。
「そうよ。前田君にも簡単なお肌の手入れや化粧法を覚えてもらいます」
 治子は後ずさりしながら首を横に振った。
「そ、そんなの良いですよ…面倒くさいし」
 すると、涼子はまじめな顔で言った。
「だめよ。お客さんに少しでも良い印象を与えるように、多少なりともメイクはしておいた方が良いわ。あまり厚化粧は論外だけど」
 そう言うと、涼子は治子を強引に試供品のコーナーに座らせ、ファンデーションと薄い色の口紅、それにアイシャドウなどで簡単にメイクをし始めた。
「あら、前田君のお肌ってきめが細かいから、お化粧ののりが良いわね」
「そ、そうですか?」
 そんな会話をしながら五分ほど作業をし、涼子が治子から離れる。
「これでよし、と…さ、鏡を見てご覧なさい」
 頷きながら、治子は鏡を見た。そして、そこに映し出されていた顔を見て絶句した。
「…こ、これが…俺?」
 しばらくしてから治子は唸るように言った。驚きの余り、「私」と言いかえる事を忘れていた。
 頬は健康的な色に輝き、うっすらとピンク色に色づいた唇とお互いに引き立てあっている。眉は形良く整えられ、目は輪郭がはっきりして、しっとりとした雰囲気を漂わせている。
 治子はもちろん化粧をしなくても十分水準以上の美少女なのだが、ちょっとした細工でその魅力をさらに高める事ができる事を、涼子は教えていた。
「全部無香料の品だから、お客様に匂いで不快感を与える事はないし、派手でもないわね。どう、前田君」
 涼子に呼ばれ、治子は我に返った。そして、慌てて首を縦に振る。
「あ、は、はい。正直びっくりしました」
 涼子は満足げに微笑んだ。
「でしょう?前田君も自力でこれくらいはできるようになってもらうわよ」
「わ、わかりました」
 こうして、治子は涼子の手ほどきで化粧法を習い、また必要な物も買い揃えた。

 ようやく買い物が終わった。しかし、買い物の前後では治子を見て同一人物だと気づく事のできる人間は、ほとんどいなかったに違いない。それくらい治子は変貌していた。今朝の野暮ったい格好をした少女は消え、代わりに誰もが振り向くような美少女が一人誕生していた。
 それから簡単に夕食を済ませ、二人は寮に帰る事にした。
「涼子さん、今日はありがとうございました」
 両手いっぱいの紙袋をぶら下げた治子が頭を下げる。買った量が多いので一部は宅配便に回したが、2〜3日分の服は手で持って帰る事にしたので、結局大荷物なのである。
「どういたしまして。何かわからない事があったら相談に乗るわ」
 そんな会話をしながら寮の玄関まで来た時、治子は今一番会いたくて、それでいて会いたくない二人に出会ってしまった。
「あ…」
「…」
 あずさとつかさだった。どうやら、シフトが終わって帰ってきたところらしい。あずさは一瞬ぽかんとした表情で治子を見ていたが、すぐに憤然とした表情になって寮の中へ入っていった。つかさも何か言いかけたが、やはり無言でその後に続く。
「…前田君」
 涼子に声をかけられ、治子は我に返った。ちょっと放心状態だったらしく、手から買い物袋が落ちて、中身が少し覗いていた。慌てて拾い集める。
「前田君、大丈夫?」
 涼子が尋ねる。治子とあの二人の間のいきさつは涼子も聞いていた。彼女には、女性として耕治に対する憤りもあったが、それが原因で過酷な…過酷すぎる運命を背負った治子を責める気はなかった。
「え、ええ…大丈夫です」
 治子は立ち上がって言った。
「良いんですよ…二人を傷つけて、今はこんな格好なんですから…嫌われて当然です」
 ふらふらと部屋に戻ろうとする治子に、涼子は声をかけていた。
「前田君…明日のシフト、夜間に変えておくから」
 治子とあの二人は離しておく方が良いと言う涼子の判断だった。治子は頷いて感謝の意を示し、部屋に戻って行った。
(前田君…頑張ってね)
 涼子にはそれしか言えなかった。

(つづく)

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