その少女は、鏡に映った己の姿をじっと見つめていた。
 別に、「あぁ、私ってなんて可愛いんだろう」と言う風に見とれている、と言う訳ではない。その表情には人間の持つ4つの感情、いわゆる「喜怒哀楽」のうち、「喜」と「楽」が欠落してしまったかのような暗い表情が浮かんでいる。
「はぁ・・・」
 そのチェリーピンクの形の良い唇から、いかにも物憂げなため息が漏れた。
「…俺、なんでこんな格好してるんだろう」
 姿形に似合わぬ「俺」と言う一人称を使いながら、少女は自分の姿を確認する。フローラルミントを基調とした少し露出度の高い服装に包まれた彼女の肢体は、男だったら思わず食指を伸ばさずにはいられないような健康な色香を漂わせている。張り出した胸も、締まった腰も、細くすらりとした手足も、どれも形よく整っている。
 そして、何よりも彼女の第一印象を決定付けるであろうその容貌は、身体に見合った美しいものだった。笑っていれば、さぞかし周囲の人間を明るくさせそうな愛嬌を持った顔だった。
「…似合うのがかえって鬱だよな…」
 彼女がそう呟いた時、廊下のほうから声が聞こえてきた。
「前田さ〜ん?そろそろ時間ですよ。急いできてくださいね」
「あ、はい。わかりました、店長」
 彼女はそう答えると、それまで鬱だった表情に無理やり笑顔を浮かべた。笑顔は接客の基本。それができるくらいには、彼女はこの世界で経験を積んでいる。彼女がこのファミリーレストラン「Pia☆キャロット」で働き始めてもう1年以上が経つのだ。ただし、ウェイトレスとしての経験は、まだ10日にも満たない。
 彼女の名前は、前田治子。しかしそれは仮の名前。本名は耕治と言う。男のような名前だと言うのももっともで、つい先日まで彼女は本物の男だったのだ。
「ふぅ、良し、行くか」
 治子はフロアへ続く扉を開ける。そこで、新しい職場での本格的な日々が彼女を待っている。
 この物語は、一人の少女がその肩に背負う、数奇な運命の物語である。
 …なんて、そんな重い話ではありませんが。

Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory


Seaside Bomb Girl!
〜その少女、不幸につき〜


1st Order 「天罰は突然に」


 それは、今を去ること1年と数ヶ月前の話だった。
「そこのお兄さん」
 耕治はそんな呼びかけに思わず振り向いていた。
「…オレ?」
 自分を指差す耕治に、声の主…古風な中国風の衣装をまとった少女が肯いた。
「お兄さんにはなかなか不思議な運気が見えるあるよ」
 謎の少女はそんな訳のわからない事を言った。
「はぁ?」
 思わず間抜けな声を挙げる耕治。少女はかまわず言葉を続ける。
「この先、お兄さんは必ず良い出会いをするある。ただし、その出会いを大事にしないと必ず罰があたるよ」
「どう言うことだ?あ、おい!待てよ…行っちまった」
 言いたいことを言って去ってしまった少女。その正体と言葉の真意に首をひねりつつ、耕治は「Piaキャロット」の面接に向かったのだった。
 しばらくして、耕治はあの少女の言ったことが少なくとも一つは当たっていたことを知った。首尾良く面接に合格し、「Piaキャロット」で働き始めた彼は、二人の美少女と出会ったのだった。
 勝ち気な性格だがスタイル抜群の日野森あずさ。
 一人称が「ボク」と言う親しみやすい性格の榎本つかさ。
 あずさとは最初の出会いがひどいものだったためにしばらくは冷戦状態が続いたのだが、やがてうちとけるようになり、水族館でデートをしたりするまでに関係が発展した。
 が、問題はあずさとの関係改善がなされる前に、つかさとも親しく付きあうようになっていたこと。
 また、耕治自身どっちとより深い関係を結ぶべきか、迷いがあったことである。
 そして、世の中には実に含蓄のある言葉が存在していた。
 曰く、二兎を追うものは一兎も得ず。

 ぱぁんっ!
 実に小気味良く甲高い音が響き渡った。音源は耕治の顔面とあずさの手。つまり、ビンタである。
「あなたって…あなたって…本っっっ当に最低っ!顔も見たくないわっ!」
 怒りで顔を真っ赤にしたあずさが憤然と立ち去ろうとする。ダメージで顔を赤くした耕治は慌てて声をかけようとした。
「お、おい…待てよ日野森…」
 その時、彼の左腕にしがみついていた人物がそれを阻止した。
 つかさだった。
「どういうこと?耕治ちゃん」
 めったに怒らない…と言うよりは怒ることがあるのか?と思うほど朗らかな性格のつかさだったが、この時ばかりは違っていた。表情こそ冷静だが、目に炎のような揺らぎがある。
「え?え?いや…その…」
 耕治は口篭った。事態は昨日に遡る。

「ま、前田君…明日、ひま?」
 顔を赤くした(当然ながら怒りが理由ではない)あずさが尋ねてきた。つまり、明日デートしない?というお誘いなのだろう。
「明日?う〜ん…ゴメン、明日はちょっと用事があって」
 耕治は答えた。もともと、その日は先につかさとの約束があったのだ。
「そうなの?残念…」
 あずさはがっかりしたような表情だったが、じゃあまた今度ね、と言って帰っていった。そんな彼女を見ながら、それならまた別の休みに声をかけてみようかなと耕治は思った。
 まさか、今日街中でばったり鉢合わせするなんて思っても見なかったのだ。潔癖な性格だけに、自分が耕治とだけ付きあっているように、耕治も自分だけを見てくれていると思っていたあずさの怒りは爆発。言い訳のひますら与えずに耕治を張り倒したのだった。
 そして、つかさもあずさの態度から耕治が自分とあずさの二股をかけていたのではないかという事を悟っていた。いくら温厚な彼女でも、許せることと許せない事とがある。
「い、いや…オレは…」
「見そこなったよ、耕治ちゃん」
 つかさはプイっとそっぽを向くと、いままでしがみついていた耕治の腕を離し、足早に雑踏の中へと消えていった。
「ま、待ってくれよ、つかさちゃん…」
 耕治は手を伸ばした。しかし、身体は動かなかった。
 自分の優柔不断な性格が、あずさとつかさの両方を裏切り、傷つけた事を、彼も悟っていたからだ。
 翌日、耕治は店に出た。あずさとつかさも同じシフトだったが、彼とは口一つ聞こうとしなかった。こんな時に「やーねーもう痴話ゲンカ?」とか言って状況を茶化してくれるフロアスタッフチーフの皆瀬葵も、いつもと様子が違うことを感じ取ったのか何も言わない。異常なまでに重苦しい雰囲気の中、耕治は全身に針を突き刺されるような思いで仕事を続けた。
 そして、仕事が終わった後…
「はぁ…何やってんだろう、オレ…」
 耕治はため息を付きながら寮にある自分の部屋へ戻ってきた。異常なほどの疲れが身体全体に溜まっているのを彼は感じていた。何しろ、あずさたちの視線と来た日には氷点下を通り越して絶対零度である。それに一日中さらされるのはすでに拷問だった。
「ふぅ…あれ?ドアが開いてる。鍵をかけ忘れたのかな…?」
 耕治は自分の部屋の雰囲気がいつもと違うことを感じ取っていた。何か、生き物の気配がする。
(まさか…泥棒か?)
 常識的に考えれば、彼のような物を持っていない男の部屋へ入る泥棒などいるはずがない。しかし、この不景気の世の中だから何が起こるかわからない。耕治は傘立てから一本、適当な傘を取ると、それを構えてそろそろと前進した。
 そして、自室の灯りを付け、飛びこむと怒鳴った。
「誰だ!?…あれ?」
 耕治の目に飛びこんできたもの…それは、先日出会った中国風の衣装を来た謎の少女だった。
「君は、この前の…いや、そうじゃない。オレの部屋に入りこんで何をしているんだ?」
 耕治が言うと、その少女はゆっくりと口を開いた。
「玉蘭」
「え?」
 耕治が聞き返すと、少女は自分を指差しながらゆっくりと立ちあがった。
「玉蘭。それが私の名前ある。あなたは私の忠告を無視した、だから罰が当たるね」
「なんだって?君はいったい…」
 耕治が玉蘭に近づこうとすると、彼女は大声で言った。
「あなたは運命の出会いをするチャンスが2度あった。それなのにそれに気づかずにどっちつかずの態度を取った。だから、出会いの相手を怒らせてしまったね」
「う…」
 反論しようのない玉蘭の言葉に耕治は口篭った。
「私の言うことを聞かず、運命の相手だったかもしれない女の子も怒らせる。そんな女心のわからない奴は、罰があたる。少しは自分の身になって考えることができるようにしてやるあるよ」
「何?いったい君は何を…」
 耕治が「罰を当てる」事の真意を問うよりも早く、玉蘭の口から気合の入った呪文がほとばしった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
 耕治にはわからない言葉のその呪文は、強烈な閃光となって彼の身体を包み込む。全身に凄まじい激痛と熱さが襲いかかり、耕治は悲鳴を挙げた。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 猛烈な苦痛が五感を焼き尽くし、耕治にはもう何が起きているのか知覚できなくなっていた。消えていく意識の中で最後に見たものは、悲しそうな少女の顔の幻影だったが、それがあずさなのか、つかさなのか、それとも玉蘭なのかはもう彼にはわからなくなっていた。
 それが、「耕治の」最後の記憶だった。

 日野森あずさは寮の自室…耕治の隣の部屋で物思いに沈んでいた。
「…前田君の馬鹿…」
 最初の出会い…彼と出会い頭に激突し、胸を触られる…と言う最悪の出会い。それ以来、二人はいつも喧嘩ばかりしてきた。が、いつのまにかあずさは耕治のことを片時も忘れられない、そして彼を想う度に胸が切なくなるような感覚を覚えていた。
 それが、恋だと気づいたのはつい最近のことだ。ぎこちなくではあったが、二人はやがて喧嘩もしなくなり、やがて初めてのデートをし、恋人同志の関係へ進んでいけたと思っていた。
 しかし、それもつかさと楽しそうに歩いている耕治の姿を見た途端に崩れ去った。ひどい裏切り。もうあんな奴のことなんて知らない、と思っていた。
 でも、やっぱり忘れられない。初めて好きになった人だから。
「前田君の馬鹿」
 もう一回つぶやいた。そして、心の中で自分のことも馬鹿だと考える。
 明日、明日になったら、また店で耕治と出会う。そうしたらどんな顔をすれば良いんだろう。
 しかし、彼女は耕治に会うことはできなかったのだった。

 翌日、あずさはいつもより早く店に出た。道で耕治と出会うのを防ぐためだ。ところが、時間になっても耕治は店に現れなかった。
「前田君どうしたのかしら…あずさちゃん、様子見てきてくれないかしら?電話にも出ないのよ」
 マネージャーの双葉涼子が1時間ほどしてあずさに頼んできた。時間はお昼のかき入れどきにまだあるから、寮まで行って様子を見てくることは可能だろう。
「え…でも」
 あずさは躊躇した。しかし、その時手を挙げた人物がいた。
「涼子さん、ボクが見てくるよ」
 つかさだった。思わずあずさが彼女の顔を見ると、視線が合った。あずさは理解した。つかさも耕治との事をはっきりさせたいのだ。
「二人で行ってきても良いですか?ひょっとしたら病気とか大変なことになっているかもしれませんし」
 あずさが言うと、涼子はちょっと渋い顔になったが、結局は肯いた。

 寮へ向かう間、あずさとつかさの二人は無言だった。お互い耕治のことで話したいことはあるのだが、どうにもきっかけが掴めないのだ。
 やがて、一言も話さないまま二人は耕治の部屋の前までたどり着いてしまった。二人同時にドアをノックしそうになり…手を止める。二人は顔を見合わせた。
「つ、つかさちゃんからどうぞ」
「あ、あずさちゃんこそ」
 意味もなく譲り合い…結局、あずさがドアを叩くことになった。
「前田君、前田君、いるんなら返事をしてよ」
 返事がない。部屋の中は静まり返っているようだ。考え込むあずさの横で、つかさが試しにドアノブをひねってみた。
「…あれ?鍵が開いてるよ」
 がちゃりと音がして、ドアが開いた。あずさとつかさは再び顔を見合わせ、思いきって中に入ることにした。
「前田君、入るわよ…」
 あずさが先頭に立って部屋に入る。玄関には靴とサンダルが乱雑に脱ぎ散らかしてあった。出かけた様子はない。
「お邪魔します…」
 静まり返った部屋の雰囲気に飲まれてか、つかさも妙に神妙な声で言うと中に入った。寮の部屋はワンルームで、台所兼廊下の向こうがすぐに部屋だ。
「…ひっ!?」
 あずさは息を飲んだ。開け放たれた廊下の向こう、部屋の中に誰かが倒れている。
「耕治ちゃん!?」
 つかさも気が付き、喧嘩していたことも忘れたように二人はその人物のところへ駆け寄った。しかし…
「え…誰?」
「耕治ちゃんじゃない…女の子?」
 二人ともあっけに取られる。床に倒れていたのは一人の女の子だった。あずさは自分の容姿に自身を持っているほうだったが、その自分を基準にしてもかなりの…いや、下手すれば自分よりも美少女に分類されるかもしれない顔立ちの持ち主だった。長い髪の毛をバンダナ風に結んだリボンでくくり、だぶだぶの男物の服を着ている。背はあずさより若干高めで、スタイルはよさそうだった。周りで二人がばたばたと足音を立てたのに目を覚ます気配がない。よほど深く眠っているようだ。
 冷静さを取り戻すにつれ、あずさとつかさは猛然と怒りがこみあげてくるのを感じた。耕治の奴は、自分たちだけでなくこの娘にもちょっかいをかけていたのか。というか、この女は何者か。耕治の部屋に入りこんで寝ているこのずうずうしい女は。
「ちょっと、あなた」
 あずさはその少女の身体を揺すった。なかなか目を覚まそうとしなかった彼女も、二度、三度と身体を揺らされているうちに意識を取り戻したらしい。
「う…ん…」
 そんな風に聞こえる吐息をもらし、少女は目を開けた。
「う…ここは…あれ?日野森につかさちゃん」
 その見知らぬ少女に名前を呼ばれたことで、あずさとつかさは当惑したように顔を見合わせたが、やがてあずさがムッとした顔で少女に詰め寄った。
「何よ。あなたに日野森なんて呼び捨てにされるいわれはないわ」
 そのあずさの言葉に、少女は謝罪の意を表明するように頭を下げる。しかし、続けて彼女が発した言葉は、またしてもあずさの思うものと微妙にずれていた。
「う…まだ怒っているのか。まぁ、そりゃそうだよな…つかさちゃんにも本当に悪いことをしたと思っている」
「キミ…何言ってるの?」
 つかさも不審と困惑に満ちた声で言った。この謎の少女が何を言っているのか、さっぱり訳がわからない。
…謎の少女。
 そこで、つかさは根本的な疑問をほったらかしにしていた事に気が付いた。そもそも彼女が何者なのか、それを知るのが先決だ。
「キミ、いったい誰なの?」
 つかさがその質問を発した瞬間、少女の顔になんとも言えない絶望と苦渋が入り混じった表情が表れた。
「つ、つかさちゃん。つかさちゃんまでそんな事を言うのか?そ、そりゃあオレのことなんて忘れてしまいたいくらい怒っているのかもしれないけど」
 ここに至って、あずさも怒りよりは少女の正体を知ることへの欲求が強くなっていた。何があったのかは知らないが、明らかに自分たち二人を知っていて、しかも何かにおびえているかのような行動。
 ひょっとしたら…姿の見えない耕治はとっくに逃げ出していて、彼女はそれをごまかすためにここにいるのかもしれない。
…なんで彼女がそんなことを引き受けるのか?
 ま、まさか…この娘は私たちも知らない耕治の三人目の彼女?
 いや、もしかしたら耕治に何か弱みを握られてこんなことをしている可能性だってなくはない。おのれ前田耕治。全女性の敵め!
 頭の中でそれだけのシナリオを瞬時にくみ上げたあずさの全身から怒りの炎が吹き上げる。少女はおびえたようにあとずさった。
「ふふふ…まぁ、あいつには後で徹底的にお仕置きをするとして…本当のところを聞かせてもらうわ。まず、あなたはいったい何者なの?」
 そのあずさの言葉に、少女ははぁ、とため息を付いた。その口が開かれる。ようやく正体を語るのか、と期待して身を乗りだすあずさとつかさに、少女はとんでもないことを言いだした。
「わかった…そこまで怒っているんなら二人の言うことに全面的に従うよ。オレの名前は前田耕治。…高校の三年生で、現在夏休みを利用してファミリーレストランでバイト中の君たちの同僚。…これで良いか?」
 しかし、言い終わってから少女は何か失敗したらしいことに気が付いた。あずさの顔が怒りで赤いのを通り越して蒼白になっている。かとおもいきや、あずさは少女に組みついて襟首を掴むと一気に絞めあげてきた。
「ふざけるのもいい加減にしなさいよ!あんたのどこが前田君なのよ!本当のことを言いなさい!今すぐに!!」
 しかし、首が絞まっている少女は答えるどころの騒ぎではない。
「や、やめ…っ…日野森…し、死んじまう…」
「日野森って呼ぶなぁ!何度も言うけどあんたにそう呼ばれる筋あいはないわ!!」
 そのうち、少女の顔がどす黒くなり、やがて紫色に変化し、ついで紙のように白くなり始めたところで、友人の狂態にあっけに取られていたつかさがわれに返った。
「あ、あずさちゃん!それ以上は本当に死んじゃうよ!?」
 つかさがようやくあずさを止めたときには、少女は半分逝きかかった状態で、本日二度目の失神をしていた。

「…で、本当のことを話す気になった?」
 落ち着いたとはいえ、火の出るような眼光でにらみつけてくるあずさに恐れをなし、少女はがたがた震えながら部屋のすみっこで小さくなっていた。自然と少女を保護する役に回ってしまったつかさがまぁまぁと言いながら少女に尋ねる。
「あ、あのね。本当のことを言うほうがきっとキミのためだと思うよ。実際、キミは誰なの?」
 少女は震える声で言った。
「だ、だからオレは本当に…そ、そんなにオレのことを怒っているのか?殺したいくらいに」
 ここまでくると、怒りよりも呆れが先に立つあずさ。はぁ、とため息を付いて、少女に言い聞かせるようにして言った。
「あのね、私たちが知っている前田耕治君は男の子なの。あんたは女の子でしょう」
 その瞬間、少女はあっけに取られた顔をした。
「へ?オレが女の子?なんの冗談だよ。なぁ、つかさちゃん」
 少女がつかさに同意を求めるように顔を向けるが、つかさも首を横に振って言った。
「…あのね、キミみたいな娘が男の子を名乗るなんて無理がありすぎるよ」
 少女は沈黙した。そして、ふと奇妙な振る舞いをはじめる。手を挙げたり、首を振ってみたり。あずさたちはふざけるな、と言おうとして、ふと彼女が何かを見ていることに気が付いた。それは、つかさの後ろにある小さな鏡だ。少女はそれを見て、鏡の中の自分がちゃんと自分の動く通りに動くか試しているようだった。
 やがて、動きを止めた少女は、大声で叫んだ。
「な、なんだこりゃぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!?」
 そして、少女―玉蘭の呪いで女の子に変身してしまった耕治は3度目の失神を体験したのだった。

「まさか…世の中に本当にそんな話があるなんて」
 つかさが感に堪えないという表情をした。意識を取り戻した耕治は謎の少女玉蘭との出会いと、彼女の呪文(?)で今の女の子の姿に変えられてしまったらしい、と言う事情を話した。
 コスプレ好きで、漫画やアニメ大好きっ娘でもあるつかさは考え方が柔軟なせいか、先に耕治の事情を理解した。根が真面目なあずさはそれでも信じない様子だったが、耕治が店で働いている人間しか知らないような事情や、あずさとの関係に関する思い出ばなしをすると、さすがにこの少女が耕治であると言うことを認めざるをえなくなった。
「まぁ…信じてもらえたのは良かったけど…それにしてもこんな事になるなんて…」
 まだ青い顔の耕治が言った。
「で…これからどうするの?」
 あずさが尋ねた。耕治は首を横に振る。
「そんなの…オレにだってわからないよ…はぁ…」
 そんな会話の中、耕治は微妙な居心地の悪さを感じていた。さっきまであずさとつかさの2人は怒りのこもった目で自分を見ていた。今もそうだ。まぁ、それはしょうがないとして…今の怒りの成分に、さっきまでとは違う微妙な何かを感じるのである。
 これに一番近いものは…嫉妬、ではないだろうか。だが、なぜこの2人が自分に嫉妬するのか?ともかく、耕治は口を開いた。
「なぁ…やっぱり怒ってるよな」
 その途端、あずさが叫んだ。
「当たり前でしょっ!?」
 つかさも続けた。
「うぅ…ずるいよ、耕治ちゃん」
 耕治は思いきりたじろいだ。もう背後は壁なので下がる場所はないが、それにぴったりくっつくようにする。
「あ、あの…とにかく2人ともごめん。けど、オレは別に二股をかけるつもりじゃ…」
 次の瞬間、あずさがバンバンと床を叩いて怒鳴った。
「そんなことは問題じゃないわよ!!」
「うぅ、そうだよ、耕治ちゃん」
 どうやら、耕治の一言はさらに2人の怒りの火に油…いや、爆薬を注ぐ結果になったらしい。しかし、次に2人が放った言葉は耕治の予想を遥かに越えるものだった。
「「どうして…どうして私(ボク)より美人なの(よ)っ!?」」
「…は?」
 耕治の目が点になった。

「なんなのよその目と言い鼻と言い、顔の輪郭と言い、あたしが毎日朝何十分もかけて手入れして維持しているものなのに、どうしてそう完璧なのよ!!」
「そうだよ、ずるいよ。胸も大きいし、腰も細そうだし…どうやったらそんなに素敵なスタイルになれるの?」
 言い募る2人に、耕治の後頭部から大粒の冷や汗が流れる。
「…いや、そー言われましても」
 ようやくそれだけを言った耕治だが、二人の暴走は止まらない。あまりの理不尽さに半ば自殺したくなった耕治を救ったのは、あずさの携帯にかかってきた電話だった。
「…はい。…ああっ!?す、すいません!今戻ります!!」
 電話を取ったあずさが慌てふためいて答えると、電話を切って立ち上がった。何事かと見上げるつかさと耕治にあずさが大声で言う。
「大変!すっかり忘れてたわ。もうすぐお昼になっちゃう!!」
「あーっ!?」
 つかさも大声を上げた。時間はいつの間にか12時10分前をさしている。
「急いで戻らなきゃ…そうだ、前田君も来なさい!!」
 耕治の手を掴むあずさ。耕治の顔が引きつる。
「ちょ、ちょっと待てよ!この格好で行くのか!?」
「そうよ。これからのこと店長さんとかに相談した方が良いと思うし」
「待てぇぇぇぇぇぇぇ…!!」
 こうして、耕治は有無を言わさず店に引っ立てられて行った。

店へ帰ったあずさとつかさ、連行されてきた耕治を出迎えたのは涼子だった。
「あの、前田君のことなんですが」
 言いかけたあずさを涼子が制する。
「二人とも急いでフロアに入って。前田君のことは後で聞くわ。…あら、その娘は?」
 あずさとつかさの後ろにいる耕治に気が付いて涼子が尋ねた。
「えっと、この娘は…」
 つかさが説明するよりも早く、何かを思いだした涼子がぽんっと手を打った。
「そっか、今日来るように本店のほうに依頼していたヘルプの人ね。いきなりで悪いんだけど、すぐにフロアに入ってくれるかしら。人手が足りないのよ」
 言うなり耕治の手をがしっと掴み、奥に引きずっていこうとする。
「は?はぁっ!?い、いや…オレは」
「ゴメンなさいね本当に。えっと、更衣室はこっちよ。制服のほうは用意してあるから。急いでね。ほら、あずさちゃんたちも早く!」
「ちょっと待ってぇぇぇ……!!」
 耕治は引きずられていってしまった。呆然としていたあずさたちだったが、妹の美奈の「おねえちゃん早くしてよ〜」の声に我に帰る。見ると、人手が3人も抜けているフロアはパニック状態になっていた。そうでなくても今日はもともと近くの公園で行われるイベントのために混雑が予想されていたのだから無理もない。あずさとつかさは涼子に事情を説明するのを諦めてフロアに出ることにした。たぶん、耕治が自分で説明するだろう。

 そのころ、耕治は女子更衣室で途方にくれていた。
「…これをどうしろと」
 彼(彼女)の手にはスクールタイプの制服が握られていた。セーラー服をモチーフにした可愛らしいデザインの制服だが、さすがに自分がこれを着ることは想像していなかった。第一、似合うはずがない。
 じっと固まっていると、扉がノックされた。
「もしもし、早くしてね?」
 涼子の声だった。耕治は涼子に事情を説明する良いチャンスだと思った。
「あの、涼子さんすいません。ちょっとお話があるんですが…」
耕治が言うと、扉の向こうにいる涼子は一瞬沈黙し、それから答えた。
「忙しいのはわかっているわよね?後では駄目?」
「駄目です。どうしても大事な話なんです」
耕治はここぞとばかりに真剣な気持ちをこめて言い切った。それは、涼子にも伝わったらしい。扉が開かれ、涼子が更衣室の中に入ってきた。
「それで、お話って何ですか?できれば手短にお願いしたいんだけど…」
やや困惑気味の表情を浮かべた涼子の目をしっかりと見据え、耕治は言った。
「涼子さん、信じられないかもしれませんが…俺は前田耕治なんです」
「…は?」
涼子の眼鏡がかくん、とずれた。

そして、三十分後。
「…信じられないけど…本当に前田君なのね?」
「はい」
涼子の言葉に耕治は頷いた。信じさせた方法はあずさたちと同じで、耕治と涼子しか知らないような事…例えば、プールでデートしたときの話…などを語ったのである。あずさたちが聞いたらまた怒り狂いそうな話題ではあった。
「…わかったわ。それで仕事しろとはいえないし…とりあえず、事務所まできて。店長と相談しましょう」
「わかりました」
耕治は少しほっとした気分で、持っていた制服を更衣室の机の上に置いた。二人で事務室に行き、30分ほど待っていると、店長の木ノ下祐介が戻ってきた。店長ながら、今でもバイトの間に混じって率先して働く彼は、Piaキャロットへの就職を果たし、今後店長を目指そうと考え始めていた耕治にとって尊敬すべき目標である。
「やれやれ、今日も忙しいね。…ところで双葉君、その娘は?」
 祐介に問われて、涼子は耕治のほうを振り返った。
「それは…本人の口から説明してもらったほうが良いでしょうね」
 涼子に促され、耕治は口を開いた。

 そして、それからまた30分後。
「はぁ…まさかそんなことがこの世にあるとはねぇ」
 耕治の説明を聞き、祐介は二時間ほど前のつかさとよく似た反応を示した。ちなみに、涼子は後からやってきた本物のヘルプの応対に出ていて、ここにはいない。
「しかしあれだね。前田君もなかなかやるじゃないか。日野森君と榎本君と同時かい。しかも、留美とも良く遊びに行ってたじゃないか。はっはっは」
「は?い、いや…確かに留美さんとは良く遊びに行ってましたが、あくまでも友達付き合いの範囲内だと…」
 しどろもどろになる耕治。ちなみに、留美と言うのは祐介の妹で、今は本店のほうで働いている。
「君はそのつもりでも、留美はそうとってはいなかったようだが」
「はうっ!」
 祐介の言葉に、耕治は心臓のあたりを抑えてのけぞった。
「あと、双葉君とプールに行ったこともあるそうだね。美奈君や愛沢君とも仲が良いようだし、皆瀬君とは良く飲んでいるし、縁君がダイエットしたときには早朝ジョギングに付き合ったとか言う話も…」
「て、ててててて、店長っ!?何でその話をっ!?」
 耕治は指折り耕治の交友関係を数え上げる祐介を慌てて止めた。放って置くとどこまで何を言われるかとてもわかったものではない。
「はっはっは、店員の人間関係を把握して円滑な店の運営を図る。これも店長の仕事だからね」
 祐介は爽やかに笑うと、真剣な表情で耕治の顔を見つめ、そして言った。
「前田君、君少し鈍感なんじゃないか」
ぐさ。
 とどめの一言だった。耕治は椅子からずり落ちそうになる身体を必死で支えた。
「あるいは根が真面目なのかもしれないが…君が女の子と真剣な態度で向き合うのは良いよ。だが、どこかで線を引かないと大変なことになる」
 祐介の言葉に、耕治は目の幅涙を流して答えた。
「もうなってますよ…」
 泣きながら、耕治は店長の上げた事例の一つ一つを思い返して考えた。玉蘭はあずさとつかさのことしか言わなかったが、ひょっとしたらそれらの事も「天罰」の内容に入っているのかもしれない。自分は、無意識のうちに多くの女の子を傷つけるような結果を生み出していたのだろうか?
「あぁ、済まない」
 祐介もちょっと言い過ぎたと思ったらしく、話題を変える。
「それで、これからどうする気だい?前田君」
 耕治は涙を拭いて頭を上げた。
「どうする…と言われても…どうしたら良いのかなんて俺にもわかりません」
 良いながら再び俯いてしまう耕治。定石で言えば、玉蘭を探して呪いを解いてもらう事だろう。しかし、ややこしい事に耕治が謝らなければならないのは、あずさやつかさ、それにひょっとしたら他の女の子たちもだ。
「ふむ…どうだい、前田君。少し別の店へ行ってみる気は無いか?」
「…え?」
 祐介の言葉に、耕治は再び頭を上げた。
「今の君に必要なのは、冷静に考える時間だと思う。でも、それは当事者と毎日顔を合わせるここにいたんじゃ無理だ。実は、今度美崎海岸に出店するウチの四号店にヘルプを出してくれと言われていてね。最初は愛沢君をと思っていたが…」
 祐介はそこで耕治を見た。
「君さえ良ければお願いしたい」
 祐介の提案を、耕治はゆっくりと考えてみた。本当は、すぐにでもあずさたちに謝りに行かねばならないのかもしれない。しかし、それはあずさたちとの関係に一つの答えを出すことだ。今の自分にそれができるだろうか?
 いいや、無理だろう。今の自分に必要なのは、性急に答えを出すことではない。ゆっくりと、決して後悔しない答えを探さなくてはならない。
 そう思ったとき、耕治は祐介に頭を下げていた。
「わかりました、店長。その話、お受けします。遠くで少し自分を見つめなおしてきます」
「そうか」
 祐介はかすかに笑って頷いた。耕治の目に光が戻ってきたのを確認したからだ。
「そうなると…前田耕治と言う男の名前では変だな。なにか仮の名前をつけないと書類が書けないが」
「そうですね。すると、できるだけ元の名前を取り入れたほうが違和感が無いとは思いますが…」
 祐介の提案に答え、耕治は少し考え込んだ。「耕」と言う字はちょっと女性名には使えないだろう。すると、残りは「治」と言うことになるが…
「治子、と書いて『はるこ』にしましょう。安直かもしれませんけど」
 耕治は言った。いつの日かわからないけど、元に戻る日は来るはずだ。だから、できるだけ思い入れの無い名前のほうが良い。
「まぁ、君がそれで良いならそうするが」
 祐介が答えた。
「お願いします」
 耕治、改め治子はもう一度店長に頭を下げた。こうして、前田治子と言う名の少女の、波乱に満ちた日が始まったのである。


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