前回までのあらすじ
 海辺の街の二日目を迎えた往人と空の国崎兄妹。仕事に出かけた二人は過激な女医、霧島聖とその妹の佳乃、そして謎の地球外毛玉ポテトと知りあう。午後の仕事を前に、観鈴の家で昼食を取る二人。はたして午後にはどんな出会いが待っているのか…

 み〜んみんみんみんみんみ〜ん… み〜んみんみんみんみんみ〜ん…

「ごちそうさま」
「うむ、ごっそさん」
「お粗末さまでした」
 相変わらずの蝉時雨をBGMに、空、往人、観鈴の3人は昼食を終えた。ちなみに、今日のメニューは冷やし中華だった。
「さて、一休みしてから出かけるとしますか」
 午後も人形劇に行く事に積極的な空に対し、往人はやはりめんどくさそうにごろんと横になる。
「行きたくねぇな…この暑いのに」
 部屋の温度計は33度を指している。日陰でこれなら、日向に出れば35度は軽く突破してくれるだろう。たしかに普通の人間ならば絶対に外に出たいなどとは思わないであろう数字ではある。
「だからさぁ…その暑苦しい黒の長袖シャツはやめようよ。そりゃぁ汚れが目立ちにくいかもしれないけどさ」
 暑いのを口実に怠けようとする兄に、空が呆れたように言う。薄手とはいえ、熱を吸収する黒の服はたしかに夏向きではない。長袖ともなればなおさらだ。しかし、往人は頑なにそのシャツを着る事を止めようとはしなかった。
 その時、往人が何か言うよりも早く、観鈴が何か良い事を思いついたように手をぽんっと打った。
「そうだ、良いのがあるよ!!」
 言うなり奥の部屋に駆けて行く観鈴。一体何をするのか、と国崎兄妹が興味を持って見る中、観鈴は手に一着のシャツを持って現れた。
「じゃ〜ん。これなら往人さんも着られるでしょ?」
 観鈴が広げたTシャツ…それは白地に緑の線でデフォルメされたステゴザウルスが書かれた可愛らしいデザインのものだった。上に「GAO GAO」と言うロゴが付いているところが彼女らしい。
「前に買ったんだけど…サイズ間違えて大きいの買っちゃったの。どうしても暑いんだったらこれで…」
「嫌だ」
 観鈴に最後まで言わせず、往人は一言の元に彼女の提案を却下して捨てた。
「が…どうして?」
 一瞬「がお」と言いかけて、辛うじて踏みとどまると、観鈴は拒絶の理由を聞いた。
「ンなメルヘンちっくな服なんか恥ずかしくて着られるかっ!」
 往人が怒鳴ると、観鈴はもう一着、同じデザインだがサイズの小さなTシャツを取りだした。
「大丈夫。これを私も着るから、そうしたら恥ずかしさも半分こ」
「却って倍増するわっ!!」
 自分と観鈴のペアルック姿を想像し、往人はさらにボルテージを上げて怒鳴った。観鈴の目にじわっと涙があふれる。それを見て、さすがの往人もちょっとたじろいだ。
「う…仕方ない。そうだ、空。お前が着ろ」
「ええっ!?」
 いきなり名指しされた空が驚いてのけぞるが、今にも泣きそうな観鈴の顔に、仕方なく承諾する。
「…わかったわよ。観鈴、あたしが代わりに着てあげるから泣かないで」
 空が言うと、観鈴は笑顔に戻って「本当?」と尋ねた。
「…本当よ」
 空は肯いた。「にはは、やった」と喜ぶ観鈴からステゴザウルスTシャツを受け取り、奥の部屋で今着ている水色のシャツと交換する。若干サイズが大きいが、裾を縛るか何かすれば着られない事はない。鏡の前でシャツを着こみ、自分の姿を映してみながら、空はある重大な問題点に気が付いて呟いた。
「…って、あたしがこれを着たところで兄貴の暑苦しさはなんの解決にもなってないじゃない…」

AIR SideStory

”The 1016th Summer――”

空の旅路

第四回

「遠野ワールドへようこそ」



 結局、一時間ほどして兄妹は午後の仕事に出かける事にした。ちなみに、空は観鈴のステゴザウルスTシャツのままだ。観鈴が「似合うよ〜」と言って着替えさせてくれなかったのである。
「だからさ、朝早く出たのが間違いだったのよ。きっと、午後から買い物に行く人が多いのよ。きっと」
 商店街に向かう道すがら、空は自分の推理を話しつづけた。この街は田舎だから、住民ものんびりしていてあまり朝から急いで買い物に行く事はしないに違いない。きっとそうだ。
「あぁ、わかった、わかった。そうだと良いな」
 それを頭から信じていない様子で往人があしらう。その兄の態度にむっとするものを感じた空だったが、現実は彼女にとって過酷であった。
「う…どうして…」
 空は絶句した。相変わらず閑散とした商店街。歩いている人は両手の指で足りてしまいそうな気がする。観鈴の高校にはそれなりに生徒がいるようだし、小学生くらいの子供も良く見かけるのだから、決して人口がないわけではないだろうに、これはどうした事なのだろう。
「…謎だな」
 往人がぽつりと呟く。めずらしく妹をやりこめたのは良いが、彼にとっても客が少ないのは愉快な事ではない。
「がっかりしてる暇はない。聖には悪いが少し先へ進んでみるとしよう」
 公演場所を貸してくれている恩人を呼び捨てにして、往人は歩き始めた。
「あ、待ってよ、兄貴」
 歩き出す往人を追って駆けだそうとした空の脳裏に、天啓のように一つのアイデアが浮かび上がった。
「そうだ!兄貴、人形を持ち歩かずに、ずっとあたしたちと一緒に歩かせてみようよ」
 勝手に歩く人形を連れて街を行く兄妹。これはきっと人目を引くに違いない。往人も興味を持ったようだった。
「ふむ…一つやってみるか」
 往人は地面に人形を置き、「力」を込めた。すっくと立ちあがった人形がてくてく…と歩き出す。往人は集中が途切れない程度の速度でゆっくりと歩き出し、空もそれに続く。夏空の下、人気の少ない商店街を歩いていく二人と一体の人形。
 ちょっと異様な光景だった。確かに、すれ違う人々が注目してくる。空は笑った。
「これは結構行けるかも…」
 ぴっこぴっこぴっこ…
「確かに人目は引いているな…しかし、何かが違うような」
 往人が答える。街の人々の視線だが、なんとなく人形から微妙に逸れているような気がするのだ。
 ぴっこぴっこぴっこぴっこ…
「う〜ん、言われてみれば確かにそうかも…で、兄貴、気づいてる?」
 空は先ほどから付きまとう異様な気配について兄に尋ねた。往人は肯いた。
「お前もか。実は俺も妙だなとはおもっていたんだが」
 ぴっこぴっこぴっこぴっこぴっこ…
「二人でいっせーので振り向いてみる?」
 ぴっこぴっこぴっこぴっこぴっこぴっこ…
「賛成だ」
 往人は空の意見に賛同し、立ち止まった。そして…
「「いっせーのせっ!!」」
 兄妹は振り向いた。はたして、そこには「ヤツ」がいた。
「ぴこ?」
 ヤツ…謎の地球外毛玉ことポテトは直立した姿勢のまま、可愛らしく首を傾げた。ポテトの身長は約40センチ。これに対して往人の人形は10センチ。二つが並んで直立歩行をしていれば、大きい上に「ぴこぴこ」と怪音を発するポテトの方が目立つのはあたりまえの話だ。
 もちろん、周囲の視線が集中していたのは人形ではなくポテトである。
「お前が目立つなぁっ!!」
 どがぁっ!!
「ぴこ〜〜〜〜〜〜っ!!」
 往人の怒りのキックが炸裂。またしても夏空に星一つ残してポテトは消え去った。
「ふ…今度こそ宇宙へ帰ったはずだ」
 何事かをやり遂げた表情で往人は呟いた。
「怪獣じゃないんだからさ…それにしても」
 とりあえず兄にツッコんでおいて、空は本題を切り出した。
「この街で人形劇が受けないのってさ、人以外のものが二足歩行していても当然の事だからなんじゃないかな…」
 びしっ
 その空の言葉に往人は凍りついた。もしその通りなら…
 先祖代々の芸がたかが地球外毛玉一つに敗れさった事になるではないか。
み、認められん。断じて認めない。人形使いの沽券にかかわる問題だ。その熱意が往人の氷を解かし、復活した彼は力強く言いきった。
「だったら、意地でもこの街の連中に俺の力を認めさせてやろうじゃないか…空!」
「な、何?兄貴」
 目の中に炎を宿した、今までになく燃える往人の姿に、思わず一歩引く空。
「こうなったら、絶対に前の街以上の稼ぎを出すまでここからは出ないぞ。良いな…?」
「え?あ、あぁ…もちろんあたしはかまわないけど」
 空は肯いた。彼女にとってもこの街は特別な場所だった。何かはわからないが、この街には他とは違う雰囲気が漂っている。その謎を解くまで、空はこの土地を後にはしたくなかった。
 とは言え、現在、兄妹の所持金は2万円ちょっと。前の街での稼ぎは3万円だった。しかし、ここに来てからの稼ぎは、まだ聖のくれた千円だけなのだ。3万円と言う目標額は果てしなく遠そうだ。
(あたしのこの土地へのこだわりがなくなっても…お金が稼げないばかりに二度と出て行けなくなるんじゃないかなぁ…)
 そう思って空がため息を付いたとき、背後から往人の声が聞こえてきた。
「よし、空、ちょっと頼みがあるんだが」
「ん?何よ兄貴…それはなんのマネ?」
 空は往人の行為を見て呆れたような声を出した。彼は、そこらの小石を集めて土台にし、人形を立てていたのである。それは、さながらラグビーボールを立てるような光景だった。
「うむ…さっき蹴り飛ばしたあの毛玉だが…昼前に姿が見えなくなるほど蹴ったのに、あっさり復活していただろう?」
「…まぁ、確かにそうだけど…」
 兄の真意が掴めず首を傾げる空に、往人はとんでもない事を言いだした。
「そこでだ、人形を蹴飛ばしてくれ、空」
 ごがあっ!!
 人形の代わりに往人のこめかみに空のローリング・ソバットが叩きこまれた。
「のごあぁぁぁぁっっっ!?」
 激痛にのたうちまわる往人に、空が怒りの声を浴びせた。
「この馬鹿兄貴っ!!言うに事欠いて商売道具を蹴り飛ばせですってぇ!?何考えてんのよっ!!」
 青筋立てて迫り来る空に、往人はおびえたように後ずさりながらも弁解した。
「ま、待て!取りあえず俺の話を聞いてくれ」
「つまんない事言ったらトドメ刺すわよ」
 腕を組んで仁王立ちする空。往人は自分の考えを言った。
「よ、要するにだ…飛んでいく人形を俺が法術で空中キャッチして、元の場所に戻そうと言うわけだ」
 つまり、蹴飛ばしても即座に復活するポテトの向こうを張って、人形にも同じ事をさせようと言う事らしい。空は呆れたように言った。
「ポテトに勝つって…そう言う事じゃないと思うんだけど…」
 しかし、往人は拳を握って言った。
「何を言う!敵にできる事はこっちもできて当然だ!お前の蹴りなら…あの世界を狙える一撃なら行ける!」
 なんの世界を狙うのかは謎だが、それは蹴り飛ばすだけなら誰にでもできるだろう。問題は、往人の法術がちゃんと人形をキャッチできるかどうかなのだ。第一、この人形は国崎一族代々の人形使いたちが思いを刻んできた、いわば家宝。それを考えると蹴り飛ばすなんてできない。
「…そうか…まぁ、そうだよな」
 冷静さを取り戻してきたのか、空が自分は蹴らないというと往人は肯いた。
「何も地球外生物のマネをする事はない。あいつは歩いて怪音を発するだけだが、俺はこいつに宙返りをさせる事もできる!それを考えれば…」
 往人がそう言って人形を指差したその時、子供たちがにぎやかに遊びに行く相談をしながら往人と空の間に割り込んできた。
 そして、そのうちの一人が目ざとく「蹴ってくれ」と言わんばかりの体勢に固定された人形に目を付ける。
「わー、なんだこいつー。変な人形!!」
 そう言うと、その子供は足を振り上げた。
「「あ、やめ…」」
 ぱこーん!
 国崎兄妹が止めに入るよりも早く、子供のキックが人形に炸裂した。抜けるように真っ青な夏の空へ向けて、重力の法則を無視したようにぐんぐん舞い上がっていく白い人形。
 それを呆けたように見送っていた兄妹だったが、人形を蹴った子供が仲間の「何やってんだよ、おいてくぞー!」と言う叫びとそれに答える「今行くよー!!」と言う声に、先に空が我に帰った。彼女はとっさに兄に向かって叫んだ。
「兄貴っ!法術、法術っ!!」
「あ?お、おう!」
 蹴る人間は変わったが、これはチャンスかもしれない。覚醒した往人は意識を集中し、「力」を放出する。
「さぁ、戻って来い!!」
 きらーん。
 人形は空へ消えた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 しばしの沈黙。ややあって、空が往人の顔を覗きこむ。
「…兄貴?」
 往人は照れたように頭をかいた。
「うむ…まぁ、そのなんだ…やっぱり力が届かなかったみたいだな、うん」
 空はため息を付いた。
「はぁ…やっぱりあたしが蹴らなくて正解だったわね…って、そんな事言ってる場合じゃないわ!探しに行かないと!!」
「お、おう!」
 人形が消えた方向へ向かい、兄妹は全力で駆け出した。

 それから1時間ほど二人は人形を探しまわったが、どうしても見つからなかった。
「空、そっちはどうだ?見つかったか?」
「ううん。だめね…ないわ」
「くっ、なんてこった。このままじゃマジで俺たちはおまんまの食い上げだぜ…」
 商店街の外れまで来たが、人形はまだ見つからない。常識で考えれば子供のキックごときでそこまで人形がすっ飛んで行くはずはないのだが、何しろ神尾母娘や霧島ファミリーのいる町だ。何が起こるかわかったものではない。それに、誰かに拾われたと言う可能性もある。
「あれ?ここは…」
 人形を探しまわっていた空は、商店街のはずれの十字路のところでその建物を見つけた。
駅舎…らしい。ただし、ずいぶん前に廃線になったのだろう。駅名を示す看板は取り払われ、窓にはベニヤ板が打ちつけられている。
 そして、そこに探しものはあった。飛んでいったはずの人形。ただし、その場所に存在していたのは人形だけではなかった。
「にゅふふ〜♪」
 一人の少女が人形の手足を引っ張って伸ばしている。黄昏の空の色をした長い髪の毛をツインテールに結った、12歳くらいの女の子だ。ただし、それは背丈などの体格だけの話。無心に人形で遊んでいる姿は、もっと年下の…3〜4歳の幼女のような無垢な雰囲気を漂わせている。人気のない廃線の駅舎と彼女の取り合わせは余りにも異質で…それでいて奇妙にマッチしてもいた。
(なんだか…おとぎ話の中の光景みたい)
 そんな感想さえ空に抱かせた。ただし、彼女がそんな風に雰囲気に呑まれていたのもほんの一瞬の事。少女が限界まで引き伸ばしつつある人形への危機感が、空を我に帰らせた。
「あ、ちょっと、そこの…」
 空が少女に呼びかけようとしたその瞬間、背後から遥かに大きな怒声が響き渡った。
「あああ、そこのガキっ!!人の商売道具に何しやがるっ!!」
往人だった。彼はずかずかと空を追い抜くと、少女の横に立つ。
「んにゅ?」
 少女は肩を怒らせ、目を吊り上げて近づいてくる往人に気が付き、人形を右手に持ったまま立ちあがった。少女と正対する形になった往人が手を差し出し、居丈高に言う。
「おい、チビ。それは俺のだ。返せ」
 ただでさえ目つきの悪い往人が、高いところから見下ろしているのだ。普通の子供なら一発で逃げ出すところだが、その少女は一味違った。
「んん〜?」
 腰に手を当て、堂々たる態度で往人を見上げる。そして、頭のてっぺんからつま先まで見渡した。
「んん〜??」
 さらにもう一度。そして、どうやら彼女の中で答えが出たらしい。少女はびっくりしたような声で言った。
「にょわっ、へんたいゆうかいまだっ!!」
 妙な笑い声とうなり声以外で彼女が初めて発する意味の通った言葉は、傍で聞いている空にもこう聞こえた。
「変態誘拐魔」と。
「だ、だ、だ、だれが変態誘拐魔だっ!!」
 ぶるぶる震える往人が拳を振り上げる。次の瞬間。
「よるなっ、へんたいゆうかいまっ!!」
 ごめすっ!
「ぐぁ…」
 いきなり往人が倒れ伏した。その時空は、往人が少女に暴力を振るう前に止めさせようと、後ろから往人に飛び付こうとしているところだったのだが、往人が倒れたのはそれよりも早かった。
「…ば、馬鹿な…あの身体で…空並みの一撃が放てるのか…」
 みぞおちを抑えた往人が絞りだすように言った。どうやら、信じられない事なのだが、往人に強烈な一撃をぶちかましたのはこの少女であるらしい。
「まいったか、へんたいゆうかいま!」
 えっへん、とばかりに胸を張って勝ち誇る少女。そこへ、空は歩み出た。
「こんにちわ」
 空はまず挨拶からはじめた。いきなり居丈高な態度に出て失敗した往人の轍を踏むわけにはいかない。
「んにゅ?こんにちわ」
 少女が挨拶を返してきた。どうやら、ソフト路線は正解らしい。
「あのね、お嬢ちゃん…そのお人形さんはお姉ちゃんたちのものなの。かえしてくれないかな?」
 空が本題を切りだすと、少女は目を見開いてさっき往人にしたのと同じように、頭のてっぺんからつま先まで、空の身体を見渡した。
「んん〜?」
 例のうなり声のような声を出して考え込む少女。やがて、その目がさらに大きく見開かれた。まるで、信じられないものを見たときのようにだ。呆然とたちすくむ少女の口から微かな声がもれた。
「…うそ…」
「…え?」
 少女の驚きの理由がわからず、こちらもまたたちすくむ空。二人がそうやってしばらく固まっていたその時、背後から静かな声が聞こえた。
「…こんにちわ」
「…はっ!?」
 空が驚いて振り向く。そこには、一見して物静かな印象を見る人に与える一人の少女が立っていた。歳の頃は、観鈴や佳乃と同じく、だいたい空と一緒くらいだろう。そして、背が高い。170センチ近くあるのではないだろうか。空も同世代の少女たちの中ではかなり身長がある方だが、この少女には負けていた。
「あ、みなぎー」
 ツインテールの少女が喜びの声を上げて、みなぎと呼んだ少女に駆けよって行く。
「こんにちわ、みちる」
 みなぎがにっこりと笑ってツインテールの少女―みちるの身体を抱きとめた。そして、空の方を見る。
「…はじめまして。あなたはみちるのお友達?」
「え?…いや…あたしは…」
 空が言おうとしたとき、それを遮るようにみちるの声が響き渡った。
「んにゅ、そうだよ!」
「え?」
 空は戸惑った。このみちると言う子はさっき出会ったばかりで、しかも「へんたいゆうかいま」の連れでもある自分の何がそんなに気に入ったのだろうか?そんなに喜ばれるような事はしなかったはずなのだが…
 空の戸惑いをよそに、みなぎは人を安心させるような微笑みをたたえたまま近づいてきた。
「はじめまして。私は遠野美凪、と言います。あなたは?」
 先に自己紹介されてしまい、空は慌てて自分も名乗った。
「あ…はじめまして。あたしは国崎空。こっちの…」
 地面に倒れたままの往人を見下ろして、空は言葉を続けた。
「死体は兄貴の往人」
 すると、美凪は往人のそばにしゃがみこみ、どこからともなく取りだした棒でつんつんと往人の頭をつついた。思いもかけない美凪の行動に、空の額を汗が伝う。すると、往人が「勝手に殺すな…」と言いながら顔を上げた。美凪はきょとん…とした顔で首を傾げ、何かに思い当たったように手をぽんと打つ。
「ゾンビさん?」
「違う!まだ死んでない!!」
 往人は起きあがり、服の埃を払った。すると、美凪はスカートのポケットに手をいれ、中から「進呈」と書かれた封筒を取りだした。3つ取りだしたそれを、まずは往人に1つ手渡す。
「生き返っておめでとうで賞。ぱちぱちぱち…」
 謎の賞名が付いている上に、自分で拍手の効果音まで入れている。国崎兄妹の額に浮かぶ汗がその数を増していく。次に、空にも1つ。
「これはみちるのお友達になってくれてありがとうで賞」
 最後にみちるにも1つ。
「これはいつも良い子で賞」
「わーいっ♪」
 みちるは素直にはしゃいでいる。空と往人は目くばせすると、同時に封筒を開けて中身を取りだした。
「…こ、これは…?」
 それにはこう書かれていた。「全国共通お米券」と。ちなみに引き換えられる量は5kgである。
(この娘も変な娘だ…)
 兄妹は期せずして同じ感想を抱いた。
「ところで、お二人はこの辺では見ない方ですが…引っ越されてきたのですか?」
 美凪が首を傾げながら言う。一見した雰囲気が大人っぽさを感じさせるが、そうした小さな子供のような仕草が妙に似合う少女だった。
「いや、俺たちは旅の者だ。しばらくはこの町にいるつもりだがな…あ、そうだっ!」
 美凪の質問に答えた往人が重要な事を思いだして叫んだ。みちるを睨みつける。
「おいっ!チビ!いい加減に人形を返せ!!」
往人の視線は、まだみちるの右手に握られたままの人形に向けられていた。
「チビって言うなぁ!」
 げしっ!
 みちるの脛蹴りが往人を直撃した。
「いてーな、こんにゃろう!」
 ぼかっ!
「にょめらっ!」
 往人がゲンコツでみちるの脳天を殴り返し、みちるは妙な叫び声をあげて頭を抱えてしゃがみこんだ。
「…兄貴…そう言う恥ずかしいマネはやめてよ…」
 いい年こいた大人の男が年端も行かない小さな少女と本気でケンカをしている。その光景の情けなさに空は盛大なため息をついた。しかし、美凪には違う感想があったらしい。頬に手を当てて首を傾げるあのポーズで、美凪は二人に言った。
「…もう二人は仲良しさん」
「「違う(もん)!!」」
 往人とみちるの返事がハモる。そこだけ見ていると美凪の感想もあながち間違っていないような気がしないでもないが、美凪の顔は少しだけ曇った。
「…がっかり」
 あまり表情や口調が変わらないので、本気でがっかりしているのかどうかはちょっとわからなかったが、どちらにしても普通の人とはズレた反応である。やっぱり良くわからない娘だ、と空は思ったが、それでも美凪が悪い人間ではないという事は良くわかった。
 それはともかく、いい加減みちるに人形を返してもらわないと、明日からの仕事に差し支えが出る。空は下手に出てでも、みちるから人形を返してもらう事にした。
「あのね、みちるちゃん…本当にその人形を返してもらえないかな。それがないと、あたしたち凄く困っちゃうんだけど…」
「やだ」
 みちるは拒否した。即答だった。それを聞いていた往人が「この…!」と再び拳を振り上げようとしたが、間髪いれず、空が先に抜いたスリッパが往人の頭を捉えた。
 すぱーん!
「ぐはぁっ!?」
いつもながらの良い音と共に、往人が頭を抱えてうずくまる。
「…お願いだから兄貴は黙ってて」
 なんだかこの町に来てから、これで往人の事はたき通しだな、と思いつつ空は言った。交渉能力と言うものを持たない兄に割り込まれたのでは、話がまとまるものもまとまらない。
「…わかったよ」
 ふてくされてベンチに腰かける往人。さすがの彼も、自分のやり方では埒が開かないと悟ったようだった。空はみちるに向き直った。
「どうして?」
 空は努めて優しい声で聞いた。すると、みちるは返す条件を言いだした。
「みちるちゃん、なんて呼ばれるのやだ。みちるの事はみちる、って呼んでくれたら返したげる」
「まぁ…そんな事で良いんだったら」
 空は肯くと、「みちる、お人形返してくれる?」と尋ねた。
「んにゅ、いいよ」
 みちるは素直に人形を差し出した。空がそれを受け取ろうとすると、みちるは思いもかけない事を言いだした。
「ねぇ、空の事空って呼んで良い?」
「…呼び捨てにして良いかって事?」
 みちるの提案に空が質問すると、みちるは首を縦に振った。一瞬戸惑った空だったが、考えてみればさっきからみちるは美凪の事も呼び捨てで呼んでいる。たぶん、ぞんざいなのではなく、彼女なりの親しさのあらわし方なのだろう。空は微笑んで肯いた。
「あぁ、あたしはかまわないよ」
「んにゅ!それじゃあよろしくね、空」
 みちるが満面の笑みを浮かべて手を差し出して来る。握手を求めてきたようだ。空はみちるの手を握り返した。
「…二人の友情に…おめでとうで賞」
 その様子を見守っていた美凪が、またしてもお米券の入った封筒を差し出して来る。
「わーいっ♪」
「…ありがと」
 みちるは素直に喜び、空は苦笑しながらそれを受け取った。これで、合計15kg分のお米をいつでも入手できる事になった。とりあえず、お米を持っていけば、神尾家に少しはお世話になっているお礼ができるかも…と空は考えた。
 ふと気が付くと、辺りはすっかり夕方になっていた。太陽は山の端に引っかかり、夕焼けの光が周囲を赤く染めている。その光に似た色の髪の少女…みちるはくるっとターンすると、にっこり笑った。
「それじゃ、そろそろみちるは帰るね!」
「また明日、みちる」
 美凪が肯き、空も慌てて別れの挨拶をした。
「じゃあね、みちる」
「んにゅ!それじゃ、ばいばい!美凪、空」
 そう言うと、みちるは商店街の方へ続く道に向かって駆けだして行き、たちまち夕暮れの中に溶け込んで見えなくなってしまった。 それを見送った空は、美凪に尋ねた。
「遠野さん、あの子…みちるってどう言う子なの?」
「みちるは…私の親友です」
 美凪は優しい微笑みをたたえて言った。普通なら、美凪くらいの歳の少女と、みちるとの間では、歳の差などで友情関係などはなかなか結ばれる事はないであろうが、この二人の間だけは別のようだった。空はみちるを「親友」と呼んだ美凪の言葉に、素直に納得する事ができた。
「そうなんだ…」
 なんとなく空まで優しい気持ちになり、二人の少女は夕焼け空を一緒に見つめていた。やがて、美凪がそっと動くと、一礼した。
「それでは…私も帰りますね。さようなら、国崎さん」
「さよなら、遠野さん」
 美凪の影が、急速に暗さを増していく町のほうへ向けて消えていく。数回の点滅と共に、駅前の小さなロータリーを電灯が照らしだした。
「兄貴…あたしたちも帰ろうか」
 空はベンチに腰かけて、無言ですでに夜空になりつつある天空を見上げている往人に言った。
「あぁ…そうだな。結局今日はほとんど儲けにならなかったな」
 元気がなかった。なんだかんだで今日は二日酔いに加えて空やみちるにさんざん引っぱたかれたダメージが累積しているらしい。さすがの空も、ちょっとここ数日の往人の扱いを反省した。
「悪かったわよ。今日は兄貴の好きなものなんでも作るから元気出してよ」
 その言葉に、往人の目がきゅぴーんと光った。
「マジか?じゃあ、帰るまでに考えるか」
「うんっ」
 たまには可愛い妹の役も演じてやるか…と思いつつ、空は往人と共に駅前を去った。町での長い二日目がようやく暮れようとしていた。
(つづく)

次回予告

 とある事情で晴子に人形を取り上げられた国崎兄妹。代わりに押しつけられた変なナマケモノのぬいぐるみ。どうにか1万円稼がなくては人形を取り戻せない彼らは節を曲げてバイトに挑む事になる。果たして二人は1万円を稼ぐ事ができるのだろうか?
 次回、第五回
「遥かなる1万円」
 お楽しみに。

あとがき

 これで主要登場人物はほぼ全員でそろいましたね。いよいよ次回以降、海辺の町を舞台に本格的なドラマの開幕…と行きたいところですが、この先を書く前に「AIR」を再プレイして復習した方がよさそうです。前半部分って、ひたすら平和な日常が続いていて、印象が薄いですから。もっとも、丹念に読んでいくといろんな伏線が見えてきたりするのですが…そう言うシナリオ構成の上手さ、巧みさにどこまで迫れるか…と言うのが課題ですね。
 では、また次回でお会いしましょう。
2001年11月吉日 さたびー拝



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