悪夢でも絶望でもない話


十月の章 三都物語のお嬢様


 スポーツの秋、運動の秋、食欲の秋、読書の秋、と言うように、古来より秋は何をするにも良い季節である、とされている。九月の間は活発に活動していた秋雨前線も十月のはじめにはほぼ消え去り、まさにその通りの、何かをしたくなる爽やかな秋がやってきた。
 しのぶたち聖エクセレント女学院の乙女たちはこの良き季節に何をするかというと……

「お前ら、早く並べー」
 2−A担任、出雲彼方の声が玄関前に響き渡る。その声に、おしゃべりに興じていた生徒たちが一斉に動き出し、各クラスごとに列を形成していく。
「それでは、間もなく出発するわけだが……忘れ物はないな?」
『はーい』
 彼方の言葉に少女たちが声を揃えて答える。
「よし。では、みんなバスに乗り込め」
 彼方が言う通り、玄関前には各クラスに一台ずつバスが用意されていた。そのフロントグラスには次のようなプレートが掛けられている。
『聖エクセレント女学院一年生 修学旅行御一行様』
 そう、彼女たちはこれから五泊六日というなかなか豪気な日程で修学旅行に出かけるのだ。行き先は京都、大阪、神戸の三都物語ツアーである。
 お嬢様学校にしては国内旅行というのは質素に見えるが、実はエク女は全学年とも修学旅行があり、二年生は沖縄、三年生はカナダへ行くらしい。さすがにほぼ全員エスカレーター進学のこの学校ならではのイベントと言えよう。
 さて、バスに乗り込んだしのぶは、意外と内装が豪華なのに感心した。普通、観光バスというと通路をはさんでニ列ずつ椅子が並び、かなり窮屈なものだが、これはさすがにお嬢様学校御用達という事もあり、椅子を半分に減らして一人あたりのスペースをゆったりと取った、乗り心地の良さそうなバスだった。クラスの人数自体が少ないからこそ使える車種でもある。
「わぁ、椅子も結構フカフカだよ〜。見て見てしのぶちゃん」
 彩乃が椅子をトランポリンのようにして跳ねている。
「はしたないわよ、河原さん」
 柚流がクラス委員長としての責任感から彩乃を嗜める。が、視界の外でぽふんぽふんと間抜けな音がするのを聞いて、柚流はそちらを見た。
 しのぶが彩乃と同じ事をしていた。
「うん、これなら目的地まで快適に過ごせそうだな……ん? どうした柚流」
 悪びれた様子もなく言うしのぶに、柚流は額を押さえて言った。
「何でもないの……ちょっと意外な人の意外な反応を見て驚いただけ……」
「?」
 柚流の様子を見て、しのぶは首を傾げた。そこへ、前の席に座った帆之香が声をかけてきた。
「勝沼さん、なんだか凄く楽しそうだね」
 しのぶは頷いた。
「まあな。私はあまり旅行など行けなかったからな」
「え? そうなの? 勝沼さんの家なら、いっぱい旅行してると思ってたけど……」
 帆之香の疑問に、しのぶは何気なく答えた。
「私はあまり身体が丈夫なほうじゃなかったし、親もいなかったからな。旅行などめったに行かなかったよ。行ってもこの前行った別荘辺りがせいぜいだな」
 それを聞いて、帆之香だけでなく、柚流や彩乃、その他彼女の言葉を聞いていた全員が沈黙した。ややあって、帆之香が気まずそうに謝る。
「ご、ごめんなさい……悪い事聞いちゃった」
 しのぶはこれまであまり身の上を話さなかったので、級友たちは彼女のあまり恵まれているとはいえない家庭環境のことを知らなかった。しかし、しのぶはぜんぜんそれを不幸だとは思っていなかったので、帆之香の謝罪を笑い飛ばした。
「なに、気にはしてないさ。今はこうやって遠くに旅行に行ける。それで良いじゃないか」
 帆之香はそれに笑って応えたが、心の中では涙していた。
(勝沼さん……健気だなぁ……私なら絶対泣いちゃうと思うのに)
 それは、紫音など一部の人間を除けば、ほぼ共通する感想だった。純真なお嬢様たちの瞳には、しのぶが「家庭の不幸にもめげずに頑張っている見習うべき少女」として映ったのである。
 
 やがて、全員がしっかり乗り込んで椅子に座ると、バスは動き出した。数分走ったところで立ち上がったのはバスガイドさんである。見たところ、お客である少女たちとはさほど歳が離れていない……ひょっとしたらまだ十代かもしれない……という若々しい美人だ。
「皆様、本日は帝都観光バスをご利用いただき、まことにありがとうございま〜す」
 外見にふさわしい朗らかな声でバスガイドが挨拶をする。
「わたくし、バスガイドの片瀬愛でございます。これから五日間、皆様のガイドを勤めさせていただきます。よろしくお願いしま〜す」
 ばらばらと拍手が起こる。愛は満面の笑顔で手を差し上げた。
「ありがとうございます。それでは皆様、さっそく右手をご覧下さい。見えますのが東京のシンボルというべき東京タワーでございま〜す。最近では、戦車を溶かして作った鉄で建設した、なんてトリビアが……」
「いや、まだ案内しなくて良いから。地元だし」
 彼方がツッコんだ。
 
 そんな一幕もあったが、旅気分と愛の明るいキャラクターも相まって、車中は常に明るいムードだった。バスも特に渋滞に巻き込まれる事なく、快調に走りつづけている。
「♪中央自動車道〜」
 カラオケ大会もはじまり、現役アイドルの礼奈と鈴が今走っている高速道路をモチーフにした有名な歌を歌っている。もっとも、歌に出てくる場所はとっくに通り過ぎていたりするが。
「お……もう長野県か。来るのは初めてだな」
 窓の外を見ながらしのぶは言った。窓の外を「これより長野県」の看板が流れ去っていく。
「本当ね。あの辺の山が日本アルプスかしら?」
 帆之香が遠くを指差した。まだ雪や紅葉の季節には早いが、恐らく夏を越したのであろう雪渓に彩られた山々が見える。
「どうだろうな……お、電話だ」
 しのぶはポケットから携帯を取り出した。発信者は「木戸」となっている。彼女は通話ボタンを押した。
「私だ」
『木戸です。今、お嬢様のバスから何台か後ろに付けています』
 しのぶは椅子を回し、窓に顔をつけて後ろの方を見た。エク女のバスの車列から二〜三台挟んで、木戸たちが乗っている四輪駆動車が見えた。
「ああ、見えてる。で、首尾はどうだ?」
 しのぶが聞くと、木戸は誰かに聞かれるのを警戒しているように声を潜めた。
『かかりました。先ほど通過したインターチェンジから黒い怪しげな車が乗り込みました。接近して確認しましたが、乗っているのは……』
「磯部か」
 しのぶが確認すると、電話の向こうで木戸が頷く気配がした。
『はい。正確には、連中の手の者ですが……』
「わかった。きっと何処かで仕掛けてくると思うが、しっかり見張っていてくれ」
 しのぶは電話を切った。一緒にトランプをしていた彩乃や帆之香が不思議そうな眼で彼女を見ている。
「しのぶちゃん、今の電話なに?」
 あまり日常会話に聞こえなかったしのぶの受け答えに興味を持ったのか、彩乃が尋ねて来た。
「いや、大した事はない。野暮用だ」
 しのぶは誤魔化すように微笑むと、殊更明るい声で言った。
「それより続きを……って、誰だ人が電話している隙にババを押し込んだのは! 紫音か!?」
 
 実は、この修学旅行に当たって、しのぶは旅行を楽しむ事とは別に、一つの計画を立てていた。それが、数度に渡って彼女を襲撃・暗殺しようとした首謀者と目される磯部家を「釣る」ことである。
 彼女が乗ったバスが堂々と本拠地の近くを通り過ぎて行ったら、絶対にちょっかいを出してくるだろうと、と踏んでの事だった。そのために古手川、直人、木戸の三人を別の車で追いかけさせ、磯部の刺客が来るかどうかを確認させたのだ。
 果たして、磯部は彼女の見せた隙に乗ってきた。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか? いずれにせよ楽しみな事だな)
 しのぶは罠の効果を考えてにんまり笑ったが、ひなの声に我に返った。
「しのぶおねえちゃんの負けなの」
「……あ」
 手元に残ったジョーカー一枚に、しのぶはがっくりと肩を落とした。

 途中のサービスエリアで昼食を済ませ、一行が京都に到着したのは午後二時少し前だった。まずバスが向かったのは、京都にやってくる修学旅行生たちの定番中の定番、清水寺だった。
「はい、皆様ごらんください〜。この有名な舞台は五百本以上の木組みで支えられ、その木の寿命は1200年以上と言われておりま〜す」
 愛が張り切ってガイドに専念している中、電話がかかってきた。しのぶが通話ボタンを押すと、流れ出してきたのは直人の声だ。
『お嬢様、ガードはしっかりしておりますので、安心してご旅行をお楽しみください』
「うむ……連中はどうしてる?」
 しのぶが聞くと、直人は手短に報告を返してきた。
『近くにいますが、さすがに観光客や御学友の皆さんの前では手を出しかねているようですね。お嬢様からだと、背後に20メートルほど下がったところにいます』
 しのぶはそれを聞くと、ポケットからコンパクトを取り出し、悟られないように背後を見た。鏡には明らかに他の観光客とは異質な空気を背負った連中が映っていた。
「……今時メン・イン・ブ○ックとはわかりやすいな」
『せめてエージェント・ス○スくらい言いましょう、お嬢様』
 一般常識のないお嬢様に、直人がため息をつくのが受話器の向こうから聞こえた。
『ともかく、わかりやすいのは有り難いですが、陽動の可能性もあります。注意なさってください』
 直人の言葉にわかった、と答え、しのぶは電話を切った。そろそろ、一行は愛に引率されて動き出そうとしていた。
 
 その後も名所旧跡を回り、五時にはしのぶたちは今日の宿に到着した。最低でも一泊十万円以上と言う高級ホテルだが、実は生徒の誰かの親が持っている会社の系列だったりするので、格安で宿泊できる。なお、移動に使ったバス会社も事情は同じだ。
「それでは、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
 ホテルマンたちの出迎えを受けて、しのぶたちはそれぞれ指定された部屋に向かった。彼女と同室なのは彩乃、帆之香、ひなの三人だ。いまやこの四人の組み合わせはクラスでも定着しつつある。
「あはは、このベッドもマフマフだよ〜」
「何だマフマフって」
 庶民派で、自宅のベッドも実は高級品と言うわけではない彩乃は、バスの椅子に引き続き大喜びしている。
「夕食まではちょっと時間があるわね。みんな、お風呂に行かない?」
 そう提案したのは帆之香だった。このホテルの大浴場は温泉であると「修学旅行のしおり」には書いてあった。
「あ、ボクも行く行くー。しのぶちゃんとひなちゃんも行くよね?」
 真っ先に賛同した彩乃が振り返って尋ねてくるのに、ひなはこくこくと頷き、しのぶもいったんベッドに降ろした腰を上げた。
「そうだな。なんだかんだで身体も凝ったことだし」
 いくら快適な豪華バスとは言え、7時間近くも乗りっ放しだったのだ。それはいい加減疲れもする。四人は連れ立って大浴場に向かった。ところが、そこはエク女の生徒たちでいっぱいだった。
「なんだ、みんな考える事は一緒か」
 しのぶは苦笑すると、開いているロッカーを確保した。持ってきた着替えを籠に置き、おもむろに服を脱ぎ始める。すると、周囲の視線が彼女の身体に突き刺さった。
「……ん?」
 しのぶが周囲を見回すと、帆之香が顔を赤らめて言った。
「その……勝沼さんって、いつも大胆な下着つけてるよね」
 帆之香の表現はそれでも控えめと言うべきで、この日しのぶが身に着けていたのは、レースをたっぷりあしらった布面積の少ないブラとショーツのペアに、ガーターベルトの組み合わせだった。シースルーの部分も多く、素材こそ純白のシルクだったが、非常に扇情的なデザインである。
「うん……しのぶちゃんが着てると、なんか凄くえっちな感じだよね」
 そう相槌を打つ彩乃の下着は、飾り気のないスポーツブラと、ピンクと白のストライプ柄のショーツだった。ストライプ柄は彼女のお気に入りらしい。
「なら、彩乃もこう言うのを着てみたらどうだ? 直人はこれ見て鼻血吹いてたから、効果抜群だと思うが」
 何気ないしのぶの言葉に、彩乃だけでなく、帆之香や周囲の生徒たちも固まった。空気すら凝固したような時間がしばし流れ、まず最初におずおずと口を開いたのは、近くに来ていたせりかだった。
「か、勝沼さん……彼にそう言う格好見せてるの……!?」
「ああ、着替え手伝ってもらったりしているからな」
 しのぶはあっさりと答えた。
「いやっ……不潔よ。不潔だわ……!」
 柚流が委員長のお約束とも言うべき言葉を発する。
「そ、それでしのぶちゃんは気にならないの?」
 彩乃が言った。彼女にしてみれば、ちょっと気になるかっこいいお兄さんが、自分以外の女の子のあられもない姿を見ている、と言うのはかなりショックである。
「うーん……まぁ、たまに勝手に覗いてたりする時は殴るけど……子供の頃からずっと一緒にいた仲だからなぁ。あまり気にはしないな」
 しのぶは答えた。古手川みたいにあからさまに欲情丸出しで覗いてたりするのは、さすがにムカつくし気持ち悪いが、直人の場合はそう言う感じではないので、普段は気にしていない。
「か、かわいそう……椎名さん生殺しだわ」
 帆之香が直人の気持ちを慮って、その境遇に心からの同情を捧げた。
「……入らないの?」
 一方、さっさと入浴体制に入っていたひなは、他の少女たちが違う話題で盛り上がっているのを不思議がっていた。
 
 
 翌日、エク女一行が向かったのは、京都と言えば……の定番のひとつ、太秦映画村だった。
「そういえば、せりかはこう言うところで撮影した事はあるのか?」
「うん。一度だけ、NHKの時代劇にゲストキャラで出たことがあるよ」
 しのぶの質問にせりかは頷いた。そこで、しのぶは後ろにいた帆之香や彩乃たちをみてにやっと笑った。
「だそうだ。と言う事で、ガイドはせりかに決定な」
「ええっ!?」
 驚くせりか。彼女だって、一度撮影に来たくらいでは人を案内できるほど詳しく村内の事を覚えていない。しかし、しのぶ以外の娘たちにも期待を込めた眼差しで見つめられると、嫌とは言えなかった。必死に映画村の雰囲気を味わえるスポットを脳内で検索する。
「あ、それじゃあ……お勧めのところが一つあるよ」
 せりかは言った。

「……で、コスプレか?」
 武家の娘の姿をしてしのぶは言った。町人の娘の姿をしたせりかは、その不機嫌そうな声に一瞬怯えたような表情を見せた。ここは、来村者に時代劇の登場人物の格好をして楽しんでもらうコーナーだ。
「えー、楽しいじゃない」
 笑ったのは女武芸者の格好に着替えた彩乃だ。その横では、女医の姿をした帆之香がうんうんと頷き、お姫様姿のひながニコニコと笑いながらしのぶを見上げていた。
「楽しいよね、しのぶおねえちゃん」
「……まぁ、悪くはないが……」
 ひなの無邪気に輝く目を見て、しのぶはつい本音を言ってしまった。実は着替えている間、結構楽しかったのである。
「……う」
 自分を微笑ましげに見つめる友人たちに、しのぶは顔が熱くなるのを感じた。
「なんだ、しのぶちゃん結構ノリノリなんじゃない」
「し、知らん!」
 彩乃のからかうような言葉に、しのぶはいたたまれなくなって、着替えコーナーを飛び出して行った。
「まったく、あいつらは……」
 しのぶはブツブツと文句を言い、お堀端を渡る風で火照った顔を冷やしつつ、時代劇に出てくる街並みを進んで行った。しばらくして、彼女は堀を渡る小さな木橋の袂に出た。
「ふぅ……ちょっと一人で来過ぎたか。引き返すか……」
 とりあえず、着替えコーナーに戻って、元の服に着替えよう、と思ったその時、立ち並ぶ町屋の陰から、バラバラと数人の男たちが現れた。いずれも侍姿で、最初、しのぶは撮影現場に紛れ込んでしまったのかと思った。ところが、男たちはしのぶを包囲するように半円を作り、一斉に抜刀した。
(……真剣!?)
 直人が持っていて見慣れているだけに、しのぶはそれが竹光などではない事を確信した。鈍色の光を煌かせて迫る男たちに、それでもしのぶは自分のプライドにかけて、弱みを見せないように言った。
「……磯辺の手の者か?」
 どうやらリーダー格らしい男が答えた。
「さて。いずれにせよ、大人しくついてくれば良し。さもなくば殺して良いと御前は仰せだ」
 御前という言葉に、しのぶは思わず吹き出しそうになった。男がそう呼んだ相手……磯部家の当主、権造は決してそう呼ばれるような、威厳のある人間ではない。写真で見る限り、神経質そうな老人だ。
 しかし、その手の者が、今彼女の生殺与奪を握ろうとしている。前には真剣を持った男が6人、背後には堀。まさに背水の陣だ。しかも、彼女がコスプレをしているのが災いして、通りがかる観光客たちも、事態の深刻さに全く気付いていない。
「あれ、何かの撮影かしら?」
「アトラクションかもよ」
「ちょっと見ていこうか」
 と言ったのんきな声さえ聞こえてくる。しのぶは舌打ちした。せめて、制服姿だったら、もう少し動きやすいし、ギャラリーも変だと思ってくれるのだろうが。
(何とか逃げるしかないな……まったく、こんな時にあの三人は何をやってるんだ!?)
 主のピンチに姿を見せない古手川、直人、木戸に心の中で毒づいた時、前触れなくそれは襲ってきた。
「!」
 咄嗟に身を横に引いて斬撃をかわす。銀色の光が堀端の柳の枝を、数本斬り飛ばした。
「今のは警告だ。もう一度言おう。大人しくついて来い。さもなくば殺す」
 男の眼は本気だった。しのぶの首筋を冷たい汗が伝う。しかし、ここで屈するわけには行かない。言う事を聞けば、殺されるよりも酷い目にあわされる事は明白だ。
「断る」
 しのぶが短く答えると、男は苦笑した。
「肝の据わったお嬢さんだ。殺すには惜しいな……だが、これも仕事なんでね、悪く思うな!」
 男が刀を振り上げる。ところが、それがまさにしのぶを袈裟斬りにするかと思われたその瞬間、骨が砕ける鈍い音と共に、男の手から刀が弾き飛ばされた。
「ぐあっ!?」
 手を押さえて男がうずくまり、仲間たちに動揺が走った。そこへ、のんびりとした声がかかる。
「大の男がよってたかって女の子一人を襲うとは、穏やかじゃねぇなぁ」
 木戸だった。手には長い紐のついた金属の棒を持って、くるくると回している。どうやら、それを投げてリーダーの手を砕いたらしい。
「お嬢様を襲う不埒者は、斬る!」
 続いて直人。既に彼の刀も鞘から抜き放たれ、鈍い光を発している。
「よーし、木戸、直人、やってしまえ」
 最後に古手川が進み出てきた。彼の言葉に応え、木戸と直人がダッシュする。事態の急変を飲み込めなかった男たちの二人が、一瞬で倒された。一人は直人の峰打ちを首筋に受け、白目をむいて昏倒する。もう一人は木戸の振るった得物を鳩尾に食い込まされ、カエルが潰れるような悲鳴をあげて崩れ落ちた。
「お、おのれ!?」
 残る三人がようやく我に返り、木戸と直人に襲い掛かったが、その末路は大して変わらなかった。強烈な一撃を受けて次々に地に這わされる。最後の一人が悲鳴をあげて堀に叩き込まれ、大きな水飛沫があがると、ギャラリーから拍手喝采が湧いた。
「お嬢様、ご無事ですか?」
「お怪我はありませんか?」
 口々に言いながら走り寄ってくる部下たちに、しのぶは安堵と怒りの入り混じった声で答えた。
「怪我は無いが……お前たち、その格好はなんなんだ」
 そう……三人もコスプレをしていたのだ。直人は若侍、木戸は岡っ引き、古手川は水戸のご老公風の格好をしていた。
「いやぁ、お嬢様がコスプレをしているのを見て、つい合わせたくなりましてな」
 古手川がカンラカンラと笑う。
「最初は嫌だと思ったんですが、結構いいですねぇ。本当に時代劇の雰囲気に浸れますよ」
 木戸も得物……よく見ると十手だった……を手に朗らかに笑う。
「どうです、似合いますか? お嬢様」
 刀を鞘に収めた直人に、しのぶがにっこり笑った。
「ああ、よく似合うよ……でもな」
 そこで、彼女の顔が夜叉に変化した。
「余計な演出に凝るなこのたわけーっ!!」
 しのぶの怒りの声と共に、水柱が三つ上がった。
 
 何はともあれ、しのぶを襲った男たちは壊滅し、木戸の部下によって引っ立てられていった。最後まで何かのアトラクションと信じて疑わなかったギャラリーたちの賞賛の言葉を背に、しのぶはその場を後にした。
「ふぅ……まったく、疲れる話だ」
 期せずして、自分を囮に刺客をおびき出し、捕らえると言う計画は成功したのだから、まずは満足すべきだろう。それでも、さすがに白刃に身を晒した緊張感は、彼女を疲れさせていた。早く着替えてリラックスしようと思い、着替えコーナーへの角を曲がる。すると……
「あら、誰かと思えば勝沼さんじゃありませんの」
 背後からの声に、しのぶはぎくっとして立ち止まった。振り向くと、そこには紫音が立っていた。
「コスプレですの? なかなか似合ってますわよ」
 おほほほほ、と笑う紫音。どう見てもバカにしている。しのぶは一番見られたくなかった相手に今の姿を見られた事で、かなり動揺していた。
「そ、そうか……ありがとう。じゃあこれで」
 何か言い返す余裕も無く再度振り向くと、今度は目の前に彩乃たちがいた。しかも、既に着替えている。
「あ、しのぶちゃん。こんなところにいたんだー」
「まだそれ着てるの? 実は結構気に入ったんでしょ」
「おねえちゃん、かわいいの」
 友人たちが口々に発する誉め言葉に、しのぶの精神的疲労度は、更に危険値まで上昇した。
「……お前たち……もうほっといてくれ」

 翌日、一行は二つ目の都、大阪へ移動した。初日は大阪城や千里公園などを見物し、二日目が待望の自由行動となる。しのぶはいっしょに行動する事になっていたいつものメンバー……彩乃、帆之香、ひな、柚流とホテルのロビーに集合した。
「さて、どこへ良く予定だったっけ?」
 しのぶは土地鑑も予備知識も何も無いので、全ての予定を人任せにしていた。そこで、予定担当の帆之香が気合を入れて付箋を貼りたくった「大阪・神戸ガイドマップ」を鞄の中から取り出し、ぱらりとページをめくった。
「それじゃあ、最初は通天閣ね」
「通天閣と言うと、あの東京タワーみたいな奴か」
 しのぶは生粋の大阪人に聞かれたら、その場でドラム缶に生コン漬けにされて、南港に放り込まれそうな暴言を放った。通天閣と東京タワーは設計者が同じなので、印象が似てくるのも無理は無い……が、建設は通天閣の方が二年ほど早い。従って、大阪人の前で東京タワーの優位を示すような言葉は禁句である。
 幸い、彼女の言葉を聞いていた大阪人はいなかったので、しのぶが映画村に続いて生命の危険に晒される事態は避けられた。
「じゃあ、まずはそこに行くか。帆之香、案内頼むな」
「まかせてっ!」
 帆之香は力強く宣言した。
 
 2時間後……
「帆之香、ここはどこだ?」
「あれぇ? えーっと、うーん……」
 五人は人ごみの中で迷子になっていた。帆之香が何か間違えたのは確かだが、地図を間違えたのか、降りる駅を間違えたのか、それもわからない。
「あ゛〜〜〜〜ごめん、わかんなくなっちゃった……」
 しばらく地図を睨んでいた帆之香がギブアップを宣言した。残り4人の溜息が雰囲気を重くする。
「まぁ……迷ったものはしょうがない。とにかく、誰かに現在地を聞こう」
 しのぶは道を尋ねる事を提案した。彩乃たちも頷き、暇そうな人を探す。しかし、だれもが忙しそうに歩き回り、あるいはけたたましく喋りあっている。東京から500キロ離れただけだと言うのに、ここはまるで異国のようだ。特に、東京のごく限られた街並みしか知らないしのぶには、強くそう感じられた。
(賑やかで……良い所だ、ここは)
 しのぶはそう考えて、昔の自分なら、絶対にそんな事は思わなかっただろうな、と苦笑した。あの頃なら、「愚物どもに外出禁止令を出せ」くらいは言いかねなかっただろう。
 こうやって自分の足で外に出歩くようになって、自分の部屋以外の世界を知った事が、考え方が変わってきた最大の理由だろう。それは、たぶん良い事なのだろう、としのぶは思った。
 適当に歩くうちに、一行は大きな橋にぶつかった。欄干につけられた銘文を見て、彩乃が首を傾げた。
「えーっと……これ何橋って読むの?」
「えびすばし、よ。すると、これは道頓堀ね」
 柚流が答えた。それを聞いて、帆之香が水面を見下ろしながら言う。
「これが道頓堀なの? じゃあ、よく人が飛び込んでいるのはここなのね」
 それを聞いて、今度はしのぶが首を傾げた。
「飛び込み? こんな街の真中で自殺の名所が?」
 それを聞いて、他の四人が思わず吹き出した。
「ちがうよ〜、しのぶちゃん。阪神ファンは、チームが勝つとここから川に飛び込んでお祝いをするんだよ。テレビで見た事無い?」
 スポーツに関しては、やるだけでなく見る事にも興味が無いしのぶは、プロ野球のこともぜんぜん知らなかった。
「ふぅん……なんだか良くわからないが、阪神ファンと言うのは熱いんだな」
 答えるしのぶの表情は、何処か秘境の少数民族が今に伝える奇習について聞かされたときのようだった。
 そんな風に大阪名所の一つを見ていた彼女たちに、五人の軽そうな男たちが近づいてきた。そのうちの一人が、妙に気さくな口調で声を掛けた。
「よおっ、嬢ちゃんたち」
 振り向く少女たち……全員極上の美少女ばかり……に、青年Aは思わず口笛を吹くと、にこやかに言葉を続けた。
「こらべっぴんさんばかりやなぁ……なぁ、嬢ちゃんたち、大阪来るん初めての人たちやろ。案内したろか?」
 うしろの青年Aの仲間たちが笑顔で頷く。どう見てもナンパ目的だったが、相手はしのぶ以外純情可憐が売りの聖エクセレントの乙女たちである。そんな下心に気付くはずもなく、帆之果が嬉しそうに例のガイドマップを開いて、青年に見せた。
「良いんですか? すいません、助かります。実は、通天閣への道を知りたいんですけど……」
「通天閣? ちょいと待ってや。 えーと、今おんのがここやから……ここやな」
 青年がガイドマップを見ながら、丁寧に道を教えた。
「ありがとうございました。みんな、道わかったよ。行こう!」
「お兄さん、ありがとう」
「お世話になりました」
「ばいばいなの」
「大儀だった」
 それぞれに礼を言い、彩乃とひなは手まで振って別れを告げると、歩き出す少女たち。にこやかに手を振って見送った青年だったが、その頭に仲間たちの痛烈なツッコミが決まった。
「な、何すんねん!」
 痛みをこらえる青年Aに、仲間の一人が言った。
「何すんねんちゃうわ。あっさり見送ってどないすんねん」
「せ、せやった」
 ナンパ目的で近づいたのに、あっさりとお嬢様オーラに浄化され、本来の目的を見失っていた事に、青年Aは気が付いた。彼らは慌てて既にかなり先行していたしのぶたちに追いついた。
「おーい、嬢ちゃんたち」
 さっきの男たちが追って来たのを見て、少女たちは首を傾げた。
「何か?」
 代表して柚流が聞くと、青年Aはにこやかな態度を崩さずに答えた。
「また道に迷ったら大変やろ。俺らが連れてってやるわ」
「え……でも、悪いですよ」
 帆之香が遠慮した。しかし、今度は男たちとしても、この極上の獲物を逃がすわけには行かない。半ば強引に彼女たちを先導して歩くようになっていた。
「しのぶおねえちゃん、親切な人たちだね〜」
 状況を疑っていないらしいひなに対し、しのぶは腕組みをして、懸念を口にした。
「どうかな……私は、これはいわゆるナンパという奴ではないかと思うんだが」
 しのぶの言葉に、彩乃が吹き出した。
「やだな、やめてよしのぶちゃん。ボクなんかナンパしてもしょうがないじゃない」
「……いや、彩乃は結構可愛いからな。わからないぞ」
 しのぶが真面目くさった口調で言うと、彩乃の顔が真っ赤になった。
「は……あはは。そんな事ないよ。東京でもナンパされたことなんかないし」
 それは当たり前で、東京ではエク女と言えば高嶺の花中の高嶺の花。度胸のある男でも、恐れ多くてナンパなど出来たものではない。しかし、ここは大阪。エク女の知名度はそれほどでもなく、男たちは自分たちが引っ掛けたのが、とんでもない良家の娘たちだと言う事には、全く気付いていなかった。
 一方、しのぶはさすがに用心深かった。何しろ、彼女自身もと男であって、彼らが狙いとするところを正確に悟っていた。
(みんな男に免疫なさそうだからな……念のためにあいつらに来てもらうか)
 そう考え、ポケットの中の携帯に手を伸ばすと、あらかじめ決めておいた番号を打ち込んで発信した。これで、何かあったときにすぐしのぶを助けに来てくれるボディガードたちが配置されるはずだ。
 しのぶが何かあったら自分たちを叩きのめそうと考えているとは露知らず、男たちは何時の間にか誰がどの娘を狙うか、協議を終えていたらしい。一対一の状況を作ろうとしていた。しのぶに近づいてきたのは、背丈が一八〇以上あり、顔もまぁまぁ美形と言って良い青年……仮に青年Bとしよう……だったが、しのぶにとっては男の顔など、皆地蔵も同然である。
「俺、名前は……ってんだけど、君は?」
「勝沼しのぶ」
 しのぶは無愛想に答えたが、青年Bは大仰に感動した。
「しのぶちゃんかぁ……可愛い名前やなぁ。君にぴったりやわ」
「なれなれしくちゃん付けで呼ばれる謂れはない」
 そこへ、しのぶは冷水を浴びせ掛けるような、殊更冷たい声で言い放った。青年Bは引き攣った笑顔のまま固まったが、そこで怒り出すほど短絡的ではなかった。
「そ、そうか。そらすまんかった。でも、しのぶちゃん、って呼ぶのが可愛くてええと思うけどなぁ」
 めげる気はないらしい。しのぶは軽くため息をつくと、「好きにすれば?」と言った。結局どう呼ばれても、青年Bに親しげに話し掛けられるのが気持ち悪い事に変わりは無い。
「おお、ほんならしのぶちゃん、って呼ばせてもらうわ」
 青年Bは嬉しそうに笑うと、何処から来たのか、何歳か、趣味は、あのドラマは見たか、などと一生懸命話題を振ってきた。しかし、しのぶはそれらのほとんどを無視した。まぁ、興味がない話題が多く、答えられない、と言うのもあったのだが。十分くらい好きなように話させて、そろそろ諦めただろう、と思ったしのぶは、横目でつっと青年Bを見ると、さっきよりも冷たい声でボソッと言った。
「……それで?」
 青年Bが鼻白むか、自分に話し掛けるのを諦めるか、と期待したしのぶだが、青年Bの反応は彼女の思いを裏切った。
「くぁーっ!! つれない娘やなぁ、しのぶちゃんは。でも、それがええ。たまらんわ」
 しのぶは物凄く落胆した。
(ダメだ……コイツじいと同じ性癖だ)
 今のやり方では、相手にこっちの嫌がっている気持ちは伝わらない、と判断したしのぶは、より直接的な攻撃に出た。
「そんな中身のない話……興味ないわ」
 相手を激しく見下した発言だったが、青年Bはまだまだめげなかった。
「なら、どんな話題やったらええんや?」
 しのぶは顎に手を当てて、彼がついて来れそうもない話題を振った。
「そうね……今後のイラク情勢の見通しとか、ロシアからの石油パイプラインのサハリンルート決定に対する考察とかはどうかしら」
 青年Bはしのぶの言葉をまるで全く知らない外国の言葉を聞いているような、唖然とした表情をして聞いていたが、やがて目の幅涙をだーっと流した。
「しのぶちゃん……そんなに俺と話すのは嫌なんか」
「別に」
 しのぶはそれっきり青年Bに視線を向けず、他の少女たちの様子を観察した。柚流はしのぶほどキツくはないものの、似たような対応を取ったようで、男が気まずそうな表情をしている。これは心配ないだろう。
 彩乃も話し掛けられても上の空、と言う感じだが、これはただ単に照れているだけのようだ。しかし、男のやる気を削いでいるのは間違いないようで、話題に困っている様子がうかがえる。これも心配ない。
 問題は、帆之香とひなだ。帆之香の相手はかなり人懐っこいらしく、上手く話題を合わせて彼女を笑わせたり、楽しませたりしている。ひなの相手は更に問題だ。一見普通に話しているように見えるが、相手が一方的に話し掛けていて、ひなも少し怯えているようだ。
(うーん、まずは帆之香の相手のほうから片付けるか)
 しのぶがそう判断した時、一行は通天閣に辿り付いた。
 
 東京タワーより低いとはいえ、さすがに展望台からの眺めは爽快だった。
「なるほど、結構眺めは良いんだな……あれは大阪城か」
 しのぶは一瞬だけそれを楽しんだが、まずは友人たちの方をどうにかするのが先だ。彼女は相手がトイレに行っている隙に、そっと帆之香の傍に寄ると、一言囁いた。
「帆之香、さっきの彼は、お前と文学の趣味が合うらしいぞ。彼の友達から聞いた」
 その瞬間、帆之香の顔がパッと輝いた。しのぶが離れると同時に戻ってきた相手に、にこやかに何かを話し掛ける。最初は調子を合わせようとしていた男だが、すぐにそうできなくなり、それどころか気持ち悪そうな表情になっていった。
(……まぁ、ハードコアな男同士の恋愛の話題を熱心に語られたら、そうなるよな)
 しのぶは自分で考えた策略ながら、帆之香の相手に同情した。こっちはこれで良いとして、次はひなだ。しのぶが近づいていくと、困っていたひなは明るい笑顔になった。
「おねえちゃん……」
「よしよし、後は任せておけ」
 しのぶはひなの頭をくしゃくしゃと撫でると、場所を入れ替わった。その途端、ひなの相手……青年Cとしよう……が不機嫌そうな表情になる。
「……なんか用か?」
 あからさまに拒絶する雰囲気に、しのぶはちょっとムッとした。
(コイツ、私が傍に来ても嬉しくないのか)
 自分がスタイルも良く、昔の自分なら手篭めにせずにはいられないような美少女である事を自覚している彼女としては、その反応ははなはだしく面白くない。
(良かろう、コイツがひなの事など見れなくなるようにしてやろう)
 ナンパ男を撃退する、と言う当初の目的を忘れ、しのぶは部下たち相手にも滅多に見せない、極上の笑顔を青年Cに向けた。
「ちょっと、あなたとお話がしてみたくて」
 まず、普通の男なら一発で舞い上がる破壊力だったが、青年Cは無感動だった。
「こっちに話はないな」
 しのぶは笑顔のまま固まった。何時の間にか芽生えていた彼女の「女の子としてのプライド」は、かなり良い感じに破壊されていた。が、青年Cがしつこくひなに追いすがろうとするのを見て、慌ててアクションを起こす。
「あ、ちょっと待って……」
 今度は「はかなげ系」を装い、青年Cの腕に自分のそれを絡める。ついでに、ボリュームのある胸に押し付けておく事も忘れない。
(……どうだ?)
 これならかなり効いただろう、と予測したしのぶだったが、確かに効いていた。ただし、彼女の予想とはまったく別のベクトルで。
「離せ!」
 腕を乱暴に振り払われ、しのぶは呆然となった。そこまで激しく拒否されるとは思わなかったのだ。何故? と思ったその時、青年Cのブツブツと言う呟きが聞こえてきた。
「……ったく、冗談やない。育ちすぎやないか。やっぱり女の子はちっちゃ……」
「そういう趣味かこの野郎!!」
 しのぶは青年Cのテンプルに必殺の一撃を叩き込んだ。
 
 そして今、しのぶはテラスから、美しい神戸の夜景を見下ろしていた。ここは六甲山の山頂近くにある高級ホテルで、修学旅行における最後の宿として選ばれた場所だった。京都、大阪のようなトラブルは神戸では発生せず、南京町で屋台の豚まんを食べたり、ポートアイランドの遊園地を楽しんだりと、ようやく平穏な修学旅行を満喫したしのぶであった。
「はぁ……」
 しかし、しのぶはちょっとアンニュイ気味だった。その溜息に、一緒に夜景を見ていた帆之香が不思議そうな目を向けてきた。
「どうしたの? 勝沼さん」
 しのぶはテラスの手すりにひじをついて帆之香の方を向いた。
「いや……ちょっとこの五日間の事を思い出してたんだ」
「うん、終わっちゃうとあっという間だよね……明日はもう帰るんだ」
 帆之香は頷いたが、しのぶの思いとは少し……いや、かなりズレがあった。
「いや、そうじゃなくて……どうも、この旅行中に出会った男って、変なのばかりだなぁと思ってね」
 刺客たちやナンパ集団の事を考えながらしのぶが言うと、やっぱりナンパ男に迷惑していた柚流が頷いた。
「そうよね。親切なのは良いけど、強引に押し付けてくるのは困るわ」
 続いて彩乃が言う。
「その点、しのぶちゃんは良いよね〜。帰ったら、お兄さんとか、木戸のおじさんとか、頼りになりそうな人がいるし」
 それを聞いて、しのぶは苦笑した。
「あいつらはダメだ。肝心なところで頼りにならないんだぞ。欲しければやるよ」
 京都では出てくるのが遅れた三人だが、大阪ではしのぶに堀に放り込まれたのが災いして、揃って風邪を引いてダウンしていたらしい。
「え、く、くれるって……」
 彩乃が顔を赤くする。その横で、直人の想いに気づいているらしい帆之香がしのぶに尋ねた。
「でも、勝沼さんはそれでいいの?」
「別にいいよ。私だって、もっと頼りがいのある男がいれば、そっちに……」
 と、そこまで言って、しのぶは自分の発言に愕然となった。
(頼りがいのある男がいれば……その後なんて言おうとした? 私は)
 男が寄って来るなんて真っ平だ、と思っていたはずなのに、私は男に頼りたいと思っているのか? と悩むしのぶ。それは、彼女がだんだん今の女の子としての自分に順応して、正しい存在になりつつあると言う事なのだが、流石に気付く事はなかった。


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