前回までのあらすじ


 恐怖のストーキング男、橋本の魔の手を辛くも逃れた長瀬ひろの(旧名:藤田浩之)。しかし、彼女を狙っているのは橋本だけではない。
「お付き合いしたい」と願う男達だけでなく、憎悪と嫉妬から彼女の物理的排除を望む者も中にはいたのだった。

To Heart Outside Story

12人目の彼女

第八話

「ここで会ったが百年目」



 バスが排気ガスを残して走り去ると、ひろのは駅前のロータリーを後にして歩き出した。時間は7時5分前。今日は朝練の日である。
「んっ…んん〜っ…!!はふぅ…あぁ…朝日が気持ち良いなぁ」
 ひろのは歩きながら大きく伸びをした。空からは春の日差しが降り注ぎ、スズメやその他の鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。
「うん、何だか今日は良い事が有りそうだな」
 ひろのは微笑んだ。まさに、そんな予感を誰にでも抱かせるほど、それは爽やかな朝だったのだ。
 少なくとも、その瞬間までは…

 何時ものように、ひろのは正規の通学路になっている商店街を途中で抜け、公園に入った。ここの遊歩道を抜け、階段を登るとほんのちょっとだけ近道になる。
「ん〜♪るる〜♪」
 自然と出てくる鼻歌を歌いながら、ひろのが公園の森のところへ差し掛かった時だった。
 がさっ!!
 突如として、茂みの中から何かが出現した。
「ひゃっ!?」
 ひろのは驚いて数メートルを飛び下がった。鞄を胸の前で掲げ、防御体制を取ると、相手を観察する。
「…あ、怪しい・・・!」
 ひろのは思わず唸った。それは、空手着を着込み、顔面に赤いスカーフか何かで覆面をした謎の人物だった。身長は多分、ひろのより高い…180センチはあるだろうか?
「…長瀬、ひろのだな?」
 謎の覆面は低い、ドスの利いた声で言った。
「…そうですけど」
 よっぽど「いいえ、違います」と言おうかと思ったが、待ち伏せを掛けて来た以上、こっちの素性を知っているのは確実そうなので、下手な事は言わない事に決めた。
(それにしても、この間の長瀬技師と言い、どうしてこの公園には変なのが待ち伏せしてるんだろう…通るのやめようかな…)
 ひろのが日常における危機管理について考えを巡らし始めた時、謎の覆面はビシッとひろのを指差して宣言した。
「長瀬ひろの…私はお前に全てを奪われた。なによりも愛する者を…その復讐の為、お前を倒す!」
「…え?」
 眼前の覆面がいきなりムチャクチャ重い理由を言い出したので、ひろのは戸惑った。そんな事をした覚えはない。だが、覆面は何かを考える時間を与えてはくれなかった。
「イェアァァァァァッ!!」
「ひゃぁっ!?」
 一瞬で距離を詰めた覆面の拳が、風を巻いてひろのを襲う。間一髪でかわしたものの、前髪が数本、切られて宙を舞った。
「ま、マジっ!?」
 相手がとんでもない力の持ち主と分かり、ひろのは脱兎の如く逃げ出した。だが、相手の方が遥かに速い。たちまちひろのを追い抜いて前に回り込む。
「逃がすものか!死ね!」
 今度は神速の前蹴り。咄嗟にかざした鞄が吹き飛ばされ、空高く舞い上がった。
「…私の攻撃を2発までかわすとは…素質はあるようだな。もっと違う出会い方をしていれば、強敵ともとして拳を交わす事ができたかもしれないものを…」
 覆面は何やら自分の宿命に浸っている。が、ひろのはそれを聞かずに飛ばされた鞄の行方を目で追っていた。ひょっとすると…
「だが、運命とは残酷なものだ。次は外さない。今度こそあの世とやらへ行くが良い」
 そうやって覆面が踏み出す。しかし、確実な死が迫ったにもかかわらず、ひろのは逃げ出さない。どうやら考えていた通りになったらしい。
「ふむ…逃げぬか。良い覚悟だ。では、行くぞ!」
 覆面が構えを取った瞬間。
 がつんっ!!
 さっき飛ばされたひろのの鞄が落下してきて覆面の脳天を直撃した。
 しかも角の部分だった。
 し〜ん…
 しばし沈黙した時間が流れ、頭に鞄を生やした覆面はフッと微笑むとどうとばかりに倒れた。
「つ…塚原卜伝一の太刀の変形か…まさかこんな手で来るとは…やるな」
 そう言い残すと覆面は気絶した。塚原卜伝一の太刀の変形と言うのは、上空に投げた刀を相手の上に落して攻撃するトリッキーな技である。もちろん、ひろのはそんな技は知らないし使えない。ただの覆面の自爆である。
「…助かった。でも、何だったんだろう、こいつは」
 覆面の頭から鞄を引っこ抜いたひろのは、倒れた相手を一瞥すると、足早にその場から逃げ出したのだった。
 もう、金輪際この公園は使わないと決意しながら…

 結局、謎の覆面の襲撃によりひろのは朝練に10分遅刻した。
「どうしたんですか?ひろの先輩」
 先に来ていた葵が不思議そうな表情で聞いてくる。
「うん?い、いや…ちょっと寝坊しちゃって」
 ひろのは誤魔化した。先日の橋本騒ぎもそうだが、一生懸命な葵のところに自分の揉め事を持ち込んで迷惑を掛ける訳には行かない。芹香や琴音もそうだ。
 そう言えば、橋本先輩は図書館で襲われたあの日の数日後に出会ったけど、人の顔を見るなりダッシュで逃げていったのは何だったのだろう。なんだか真っ青な顔で「NHKが…NHKが来る!!」と叫んでいたが…
 考えがそれた事に気が付いてひろのは頭を振った。
 ともかく、どうやら人違いで自分の事を仇と狙っているようだが、誤解で殺されたのではたまらない。話し合いで誤解を解かなければならないが、今朝の問答無用ぶりだと話をする暇があるかどうか。となれば…
「あ、そうだ。葵ちゃん、マルチに会ったら私が用事があるから来て欲しいって伝えてくれる?」
「マルチちゃんにですか?いいですよ」
 力には力を。やりたくはないが、相手があくまでも戦うならこっちもそれなりの手段を用意するまでである。

 と、言う訳で放課後。
「はわわ〜、ひろのさんに誘っていただけるなんて嬉しいです〜」
 お昼休みにやってきたマルチに、ひろのは「一緒に帰ろう」と誘ったのだ。もちろん謎の覆面の事は教えたが、「そんなのへっちゃらですぅ」と言うマルチの言葉を信じ、同行を決める。
 そして、部活終了後、2人で手分けして道着を洗濯してしまうと、2人は学校を後にした。時間はもうすぐ6時半。辺りはすっかり薄暗くなっていた。
 やがて、2人は坂道の途中から階段を降りて公園の遊歩道に踏み込んだ。森の為に遊歩道は更に暗い。一応街灯は点いているものの、人影はほとんどない。襲撃があるとすれば、やはりここだろう。
「…はわ?」
 それまで喋っていたマルチが突然立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「マルチ…来たの?」
 ひろのの呼びかけにも答えず、マルチはじっと辺りの様子を探っている。そして…
「そこですうっ!!」
 どこからともなく取り出したバズーカ砲が火を噴いた。夜目にも鮮やかな白煙を引いて飛んだ砲弾が茂みの一つを吹き飛ばした。
「…外した!?いや…そこです!」
 マルチが上を向いて目からビームを放つ。炎上する茂みの灯りに照らされ、夜空を黒い影が舞っているのが見えた。ビームはその影に吸い込まれていく…が、そいつは超絶の動きで空中で方向転換し、ビームをかわすと地上に降り立った。
「…護衛を連れてくるとは…しかもなかなかの手だれ」
 影が言った。ひろのには聞き覚えのある声だった。今朝の謎の覆面だ。
「…一つ聞きたい事があるんだけど」
 なおも攻撃しようとするマルチを制してひろのが言った。
「なんだ?この期に及んで何を言う」
 覆面が言うと、どうやら話ができるようだと安心してひろのは言った。
「私には貴方に襲われる理由がわからないんだけど・・・私、貴方に何かしたっけ?」
 ひろのとしては当然の疑問だった。しかし、次の瞬間覆面の闘気が爆発的に膨れ上がった。
「わからない…?わからないだと!ふざけるな!!貴様の為に私がどれだけの辛酸を舐めたか!!」
 気合が木の枝を震わせ、時ならぬ落葉の舞いが辺りを包み込む。
「もう、許す事はできない。死を持って償え!!」
「だから何がどうなってぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」
 ひろのの抗議を無視して覆面が疾った。凄まじい手刀がひろのの心臓を抉らんばかりに迫ってくる。
「させませぇんっ!!」
 間一髪、飛び込んだマルチがモップでその一撃を止める。
「邪魔をするな!」
「そうはいきませんっ!!御主人さまを守るのはメイドロボの本能ですぅっ!!」
 そう言って離れると、両者は間合いを測り、やがてマルチが飛び込んだ。リーチではマルチのモップが有利だが、スピードは覆面が上だ。マルチの鋭いうち込みを、覆面は巧みな技巧を駆使して凌ぎ、再び距離を取る。
「やるな…」
「そっちこそですぅ」
 緊迫した空気が辺りに漂い、2人の放つ闘気は一種の「場」を形成して、その表面に触れた木の葉が弾け飛んだ。
(すごい…空気が違う…っていうか、最初から何かが間違っているのは気のせい?)
 ひろのは冷や汗を流しながら2人の戦いを見守っていた。今朝、あの覆面の攻撃を凌ぎきったのがどんなに奇蹟的な事だったか、ようやく知ったのだ。もしマルチが負ければ、たぶん今度こそひとたまりもなく覆面の餌食になるだろう。
(が、頑張れ…マルチ)
 ひろのが固唾を飲んだ時、今度は覆面が攻勢に出た。息をもつかせぬ続けざまの蹴りがマルチに襲いかかる。その負荷に耐えかね、モップにひびが入ったかと思うと真っ二つに折れ飛んだ。
「勝負あったな…その得物無しではお前では私には勝てまい」
「くうっ…まだです!まだ終わりませんです!こうなったらっ!!」
 マルチは右手を腰だめに構えた。その右手から陽炎が立ち昇る。
「私の右手が光って唸りますっ!」
 ごうっ!!
「むっ!?」
 ただならぬ気配を感じ、覆面が構えを取り直す。
「貴方を倒せと輝き叫びますっ!!」
 今やマルチの右手は光輝き、爆発的な力を感じさせた。
「必殺!!爆熱ロケットぱーんち!!」
「おおっ!?」
 全員が叫んだ。ちょっと予想外の展開だった。マルチの全エネルギーを込めた右拳が手首から分離し、ロケット・モーターの炎を吐いて覆面に向かう。
「なんのっ…!受けきってみせる!!」
 覆面が全闘気を腕に集中し、そのロケットパンチを真っ向から受け止めた!!
 凄まじいエネルギーのぶつかり合いは稲妻放電と風を呼び、夜の公園は真昼のような明るさに包まれた。その中で、腕をクロスさせてパンチを受け止めた覆面の影が徐々に後退していく。威力に押されているのだ。
「…行ける…かっ!?」
 ひろのが期待の目で見たその瞬間、覆面が吠えた。
「未熟!未熟!!未熟ぅっっ!!!」
 爆発した気合がパンチを跳ね飛ばした。
「そ、そんなばかなです…!!」
必殺の一撃を破られたマルチがゆっくり倒れ込んでいく。
「ま…マルチ!?」
 ひろのが間一髪、地面に倒れる寸前のマルチを受け止めた。エネルギー切れを起こしたらしく、ぴくりとも動かない。
「ま…マルチ…そんな、動いてよ!このままじゃ私殺されちゃうよ!!」
 ひろのは叫んだ。先日の橋本事件と言い、感情が高ぶると女の子らしい仕種に変わるらしい。
「さて…邪魔者は消えた。覚悟するが良い」
 覆面は必死にマルチを揺さぶるひろのの背後に歩み寄った。マルチを抱きかかえたまま振り向くひろのの顔に、絶望の色が浮かんだ。
(こ、この間からピンチばかり…私が一体何をしたというの?)
 己を襲う理不尽な運命の数々に、もはやるるる〜っと泣くしかないひろの。まさに謎の覆面が必殺の一撃を放とうとし、ひろのは目をつぶった。
「…」
 予想された衝撃が襲ってこない。
(…あれ?)
 恐る恐る目を開けると、小柄な人影がひろのを守るように両手を広げて立ちはだかっているのが見えた。
「あ、葵ちゃん!?」
 ひろのは驚いて乱入者―葵を見た。
「大丈夫ですか?ひろの先輩」
 葵が覆面から目を離さずに呼びかけてくる。
「え?あ、あぁ…私は大丈夫だけど…っていうか、葵ちゃん、逃げて!」
 ひろのは叫んだ。葵の強さは知っているが、それも人間レベル。まごうかたなき人外であるマルチと互角に戦うような超人である覆面に敵うとは思えない。
「いえ…大丈夫です。私はこの人を知ってますから」
 葵は覆面を睨み付けて言った。
「え?」
 ひろのが顔を上げると、葵は覆面に向かって言った。
「好恵さん…好恵さんですよね」
 葵の言葉に、好恵と呼ばれた覆面の闘気が和らぐ。
「ふふっ…葵には隠せないわね」
 そう言うと、好恵は覆面を取って素顔を曝した。ボーイッシュ、と言うにはちょっと凄みのあり過ぎる顔立ちの、長身の女性だ。
「…女の人…だったのか?」
 思わず呟くひろのに好恵は殺気に満ちた視線を叩き付けると、打って変わった優しい瞳で葵に向き直った。
「葵…今からでも遅くないわ。私のところに…空手の道に戻っていらっしゃい。エクストリームに進もうなんて、ちょっとした気の迷いよ」
 好恵が優しい言葉を掛けるが、葵は強い意思を込めた表情で首を横に振った。
「いいえ…私は本気です。本気で、エクストリームに懸けようと思っているんです。それは、今まで空手を教えてくださった好恵さんには本当に感謝していますが…私の道は私で決めます」
 葵は、そうきっぱりと言いきった。その態度に、思わずひろのは拍手したいほどの感銘を受ける。だが、好恵には逆効果だったようだ。
「そう…あくまでも自分の過ちを認める気はないと言うのね?ならば…その迷いの元を断ちきるまで!」
 好恵は再び覆面を付けると、ひろのに視線を向けた。その凄まじい殺気が彼女の身体を縛り付ける。
「長瀬ひろの…わたしの葵をたぶらかす憎い女…!!」
 その言葉に、ひろのは今朝の好恵の言葉を思い出した。
(…まさかとは思うけど、こいつの愛している者って…葵ちゃん?それって…いや、そういう事を考えてる場合じゃないよ!逃げないと…!!)
 ひろのは必死に手足に力を入れようとしたが、金縛りの威力は凄まじく、呼吸すら困難になっている。
「…さぁ…そこをお退きなさい、葵。私が貴方の迷いの元を消してあげる。そうすれば、また昔のように一緒に空手ができるわ」
 好恵が一歩一歩近寄ってくる。
「や、止めてください、好恵さん!ひろの先輩は関係ありません!!ひろの先輩は部活のマネージャーと言うだけです!!」
 葵が必死に説得の言葉を紡ぐが、その一つが更に事態を悪化させた。
「部活…?」
 好恵の動きが静止する。
「そう…エクストリーム部ね。だけど、あの部のお陰で部員が全部逃げ出した空手部は崩壊したわ…」
「あ…」
 葵は好恵の一番痛いところを突いてしまった事を悟って絶句する。
「やはり許せないわ…」
 さらに好恵の殺気が膨れ上がったその瞬間、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いた。それはどんどん公園に向かって接近してくる。
「パトカー?なぜここに!」
 好恵が自覚のない事を叫んだ。しかし、マルチがバズーカをぶっ放すわ、ロケットパンチを受けてアーク放電を起こすわで大騒ぎをしていれば、警察が来ない方がどうかしていると言うものである。
「命拾いをしたわね。今日のところは退いてあげるわ。だが、次は必ず殺す!!」
 そう言うと、好恵は疾風のように走り去った。
「た、助かった…」
 思わずへたり込むひろのだったが、葵に引っ張られた。
「安心している場合じゃありませんよ、ひろの先輩!わたしたちも逃げましょう!!」
「!あ、あぁ、そうだね…!」
 ひろのはマルチを背負い、葵の後を追って走り始めた。

 それから10分後、3人は駅前のヤクドナルドで一息いれていた。とは言え、マルチはエネルギー切れのために動く気配はないが…
「その…すいません。好恵さんの事で迷惑かけちゃって…」
 頭を下げる葵。
「いや…どうして葵ちゃんが謝るの?」
 ひろのは烏龍茶をストローですすりながら言った。どう考えても、悪いのはあの好恵と言う勘違い女ではないか。
「でも…先に好恵さんの期待を裏切ったのは私のほうなんです」
 そう言って、葵は好恵との因縁を話し始めた。

 葵は好恵の家がやっている空手道場で空手を学んだ。好恵は葵から見ると姉弟子であり、幼馴染みのような存在に当たると言う。
 その道場にはもう一人、綾香と言う女の子の弟子が通っており、3人は仲の良い姉妹のように良く遊び、また競い合って成長していった。
 しかし、ある日突然その関係は終わりを告げる。3年前、その綾香が空手を辞めると言い出したのである。彼女が新たに目指すもの、それはまだ無名だった総合格闘技大会「エクストリーム」であった。空手だけでは飽き足らなくなっていた綾香は、より新しいステージに移る事を望んだのだ。
 好恵は大反対し、出て行くなら自分を倒してからにしろと綾香に決闘を申し込んだ。そして…敗れた。綾香はまさに天才児と呼ぶにふさわしい才能の持ち主だったからだ。
 綾香に敗れた好恵は、それから何かが乗り移ったように稽古に没頭していった。一方、葵は新たな世界へ羽ばたいた綾香を眩しく思っていた。そして、彼女と同じ世界に行く事を夢見るようになった。
 だが…それは、好恵との決別も意味していた。綾香ほどの才能がない(と自分を評価している)葵は、三年前から更に腕を上げた好恵相手に勝つ事は思いも寄らない。だから…逃げるようにして好恵の元を去ったのだ。

「結局…私は卑怯なんです。ちゃんと好恵さんに納得してもらって、それから出てくるべきだったのに」
 うつむく葵に、ひろのは言った。
「それは違うな。そりゃ、黙っていたのはまずかったかもしれないけど…そもそも、好恵さんとやらには君のやりたい事を邪魔する権利なんかないんだから」
 え?と言うように葵が顔を上げた。
「さっき公園で言ってたじゃない。私は私の道を自分で決めるって。それは全然間違った事じゃないよ。むりやり引っ張り戻そうとしている好恵さんの方が間違っている」
「ひろの先輩…」
 葵はちょっと涙ぐんだ目でひろのを見上げた。
「とはいえ…あの葵ちゃんを連れ戻す為なら手段選ばなさそうな所はどうにかしないと…この分だとまた襲ってきそうだし、マルチよりも強いみたいだし…」
「はぁ…綾香さんがいてくれれば良かったんですけど…」
 肩を落す葵。
「で、その綾香さんって人は?」
 ひろのが聞くと、葵はびっくりしたように言った。
「え?ご存知ないんですか?エクストリームの女子無差別級のチャンピオンですよ。今はアメリカ遠征しているからいませんけど…」
 無差別級…ひろのは唸った。そんなところで優勝しているからには確かに天才…というか、あの好恵に勝ったと言うだけで十分人外の資格があると思う。一体どんな娘なのだろうか。
(…いざとなったらおじいちゃんに頼むしかないかな?)
 おじいちゃんことセバスチャンは、戦後の焼け跡でストリート・ファイトで食い扶持を稼いでいたところを、今の来栖川家当主の厳彦氏に拾われたと言う。超人的戦闘力という点で好恵に引けを取るものではない。多分、ひろのの為なら軍隊の一個師団くらい壊滅させるだろう。
…いや、それはいくらなんでも無理か。
 最近周囲に人外が増えたので、ついつまらない想像をしてしまったが、セバスチャンに頼るのは本当に最後の手段にしようと決めた。容赦が無さ過ぎるからだ。いくら向こうが命を狙ってきているとは言え、こっちも殺す気で対抗するつもりはない。なんとか穏便に解決したいところだ。
(そう言えば…葵ちゃんはどうなんだろう?)
 人外2人が通っていた道場の弟子。普段の練習を見ている限りでは、普通の人間レベルだと思っていたが、実際にはどうなのか。他の部員に合わせる為に、敢えて力をセーブしていると言う事はないのか?
「いえ…そういう事はないです」
 葵の言葉でひろのは我に返った。
「え?」
「ですから…力を隠してるなんてことはないです」
 ひろのはしばらく考えてから、質問した。
「ひょっとして、口に出してた?」
 葵は頷いた。
「…ごめん」
 葵は首を振った。
「いいですよ。気にしていませんから」
「と、ともかく…」
 ひろのはわざとらしく咳払いをしてから言った。
「できるだけ単独行動は避けるよ。だから、明日からしばらく朝練には一緒できないけど…」
 葵は少し悲しそうな表情になったが、すぐに頷いた。
「そう…ですね。私も何とか好恵さんを説得してみます」
「うん、お願い…」
 そこで話は終わり、ひろのはマルチを引きずって家に帰った。

 そして、翌日。ひろのはマルチ、芹香と共にリムジンで登校していた。
「…」
「え?今日は部活ではないのですか?って?…ちょっと事情がありまして」
 芹香の問い掛けにひろのが答えると、芹香は小首を傾げた。
「…」
「…え?どんな事情ですか?って?…それはちょっと…」
 まさか命を狙われているからとは言えない。
「…」
「え?何か助けて欲しければ相談に乗る…ですか?…ありがと、芹香先輩。でも、これは私の問題だから…大丈夫。心配しないで」
 ひろのは芹香まで巻き込みたくない一心で事情を内緒にしていたが、詰めが甘かった。
 マルチに口止めさせるのをすっかり忘れていたからである。

 東鳩高校某所にある校内秘密結社、NHK(長瀬ひろの保安協会)本部…ここに4人の幹部が久々に集結していた。まぁ、幹部と言ってもメンバーもまたこの4人しかいないのだが。
「…」
 会長<ウィッチ>の報告を受けて、<リボン><ドルフィン>の2人が顔を見合わせる。
「まさか<ドール>ちゃんが敗れるほどの相手がいるとは…世の中って広いのね」
<リボン>の言葉に<ドール>が「はわわ…」とうなだれる。
「それほどの相手だと…私が出ましょうか?」
<ドルフィン>の言葉に<ウィッチ>が首を横に振った。
「どうしてですか?このままだと長瀬先輩が危ないと思いますが…」
 その<ドルフィン>の反論を受けて<ウィッチ>が説明する。
「…」
「…え?長瀬先輩が平和解決を望んでいる?…わかりました。そういう事なら仕方ないですね…ですが…もし、その好恵と言う人が長瀬先輩に手を出したら…」
「わかってる。その時は、容赦なく滅殺…だよ」
<ウィッチ>の意を汲んで<リボン>が説明した。<ドルフィン>も頷く。
「ただし、警告はまずするけどね。ひろのちゃんに危害を加えようとすればどうなるか、って」
<リボン>の言葉に他の3人も頷き、かくして警告作戦は実施された。

 昼休み、覆面こと好恵(フルネーム・坂下好恵)は、ある男に屋上へ呼び出されていた。
「…貴方が私を呼ぶなんてちょっとびっくりね。どう考えても私は貴方のタイプじゃない…そう思っていたけど?」
 好恵の言葉に呼び出した男――橋本貴之は答えた。
「その通りだ。俺だって好きで君を呼んだ訳じゃない」
 橋本はふて腐れたように言うと、背中をもたれさせていたフェンスから剥がし、好恵のそばまでやってきた。
「聞いた所によると…長瀬ひろのさんにちょっかいを掛けているらしいな」
 橋本の言葉に好恵の表情が険しくなった。
「どうしてそれを…?」
 橋本の表情も負けずに厳しくなった。
「どうでも良いだろう、情報源は…ただ、一つだけ言える事は、あの娘には手は出すなって事だ」
 いつになく真剣な橋本の表情に、好恵はただ事でないものを感じて問い詰める。
「ちょっと…それはどういう…」
「良いから聞け。これは忠告だ。理由は聞くな。聞けば…俺みたいに知らなくても良い事を知ってしまう羽目になる。そうなる前に…長瀬さんからは手を引くんだ」
 それだけ言うと、橋本は去って行った。彼の懐には一通の手紙が入っていた。オレンジの種五粒と共に、「坂下好恵が長瀬ひろのに近づくのを阻止せよ NHK」と書かれたものが…
「…なんで俺がこんな事をしなきゃならないんだ」
 橋本は泣いていた。しかし、断れば抹殺されるのは確実だった。なぜなら、オレンジの種五粒とはKK○伝統の暗殺予告だからである。
 さて、橋本の「忠告」を受けた好恵だが、その言葉の意味を考え込んでいた。
(長瀬ひろのに近づくな…?たしかにあの女は来栖川の縁者…バックは大きい。しかも…あのいい加減な橋本君を真剣にさせるほどの何かを持っている…もしそんな危ない女のそばにいるのなら、ますます葵を引き離さなくては)
 考えた結果、好恵は葵の「救出」をますます硬く決意した。しかし、橋本の態度を見て手段を変える必要性は感じていた。好恵はしばらく長瀬ひろのを観察してみる事にした。結果、事態は思わぬ方向へ展開する。

 数日後の放課後。ひろのはマルチを連れて武道館への道を急いでいた。朝練は出ないとしても、さすがに通常の部活には出る必要がある。
「待ちなさい」
「…その声はっ!?」
 慌てて振り向くひろの。何時の間にか、背後に好恵が立っていた。マルチがひろのを守る為に前に出る。こんな事もあろうかと、ここ毎日昼休みにフル充電にしておいた。
「安心なさい。校内でやりあう気はないわ」
 そう言うと、好恵は中庭にひろのたちを誘った。中庭はそれなりに人目はある。それなら心配ないだろうと考え、ひろのは好恵の誘いを受けた。
「まず…あなたを襲った事、謝るわ」
 好恵は意外な事を言い出した。ひろのの目が驚きに丸くなる。
「…どういう事ですか?」
 警戒しながら好恵に訊ねる。
「ここ数日あなたのことをそれとなく観察させてもらったわ。あなたがあいつの意向を受けて、葵をエクストリームの道に引き込もうとしていたんじゃないかって思ってたけど…どうやら私の早とちりだったようね。疑って悪かったわ」
「…はぁ…」
 ひろのは好恵の言葉の意味が良く分からずにいた。好恵の言う「あいつ」が何者なのか…ひょっとして「綾香」と言う人の事だろうか?
「だから、あなたを倒したところで意味はないわね。むしろ、葵を悲しませるだけかもしれない。だから、抹殺はしないわ」
「そ…そうですか…私もそれなら助かります…はい」
 事情はまだ良く飲み込めないが、とりあえずもう襲われる事はないらしい。ひろのはホッとした。しかし、安心するのは早かった。
「それにね、私…あなたの事に興味が出てきたの」
 好恵がひろのの方に向かって一歩踏み出した。その顔には怪しげな…いや、妖しげな微笑みが浮かんでいる。
「…はっ?」
 その顔を見たひろのの背筋に、言いようのない悪寒が走った。一瞬体が逃げ出そうとするが、何故か全身が金縛りのように動かない。
(…こ、これは昨日の殺気を使った金縛りと同じ…いや、「気」の質が違う。あえて言うなら…)
 ひろのはそこで好恵の顔を見た。何故か頬がかすかにピンク色に染まり、目が潤んでいる。
(敢えて言うなら…色気?)
 ひろのは好恵の過去の言動を思い出した。「私の葵を」とか、どうも怪しげな事を言っていた気がする。ひろのはイヤ過ぎる想像を胸に、震えながら口を開いた。
「あ、あのっ…好恵…さん…?」
「…なぁに?」
 好恵は答えた。何だか口調もさっきまでと全然違う。
「そ、その…質問なんですけどぉ…好恵さんって、その…女の子とか…好きな人ですか?」
 直球だった。
(だぁぁぁぁ!!もうちょっと考えろよ、俺!!)
 心の中で頭を抱えるひろの。
「えぇ…そうね。特に、あなたみたいな可愛い子は」
 しかも、ライナーで打ち返された。
「あっ…あはっ…あははは…っ…」
 もはや笑うしかないひろののすぐ側まで好恵が近づいてきた。
「憎悪で目が曇っている時は気づかなかったけど…長瀬さんって」
 好恵は手を伸ばしてひろのの頬を優しく撫でた。
「やっぱり…きめが細かくてすべすべした肌…それに、このさらさらの髪の毛」
 頬を撫でたその手で髪の毛をいじる。
「体型のわかりづらい制服の上からでもそうとわかる大きな胸に…すらっとした足」
 ひろのの感じた悪寒が最高潮に達した。
「葵みたいな妹タイプも捨て難いけど…あなたも…わたしの好みよ」
 センターバックスクリーン直撃の特大満塁ホームラン。ひろののイヤ過ぎる想像はいま、確信に変わった。ショックで凍り付いたひろのの手に、好恵は懐から取り出した一通の封筒を手渡す。
「それを葵に渡してちょうだい。私からだと言って。今日の用事は…それで終わりよ」
 そう言うと、好恵は踵を返した。数歩歩いて、何かを思い出したようにひろのの方を振り向くと
「うふっ、じゃぁね」
 ウィンクと共に投げキッス。そして、好恵は今度こそ去って行った。
「…」
 残されたひろのは、力尽きたようにぺたんとその場に座り込んでしまった。真っ白になり、ただ吹きぬける春の風に揺られている。
「ひろのさん?ひろのさん、どうしましたですか?」
 特に好恵が暴力を振るう気配も見せなかったため、そばで待機していたマルチがひろのの異変を悟って彼女の体を揺さ振る。だが、ひろのの世界に色が戻ってくるまではしばらくの時間が必要だった。

「遅かったですね、ひろの先輩…って、先輩?」
 道場に現れたひろのは、まだマルチに支えられている状態だった。
「どうしたんですか!?まさか好恵さんに…」
 ひろのの腕を掴んで叫ぶ葵に、ひろのはとろん…とした目を向けた。が、葵の揺さ振りと呼びかけに次第に意識を取り戻して行く。
「あぁ…葵ちゃん。大丈夫…別に殴られたとか…そう言う事はされていないよ」
 精神的にはもっときつかったけど。
「ただ…これを預かってきた」
 ひろのは好恵に渡された手紙を葵に手渡した。それをみて、葵が息を呑む。
「…これは!?」
「…なに?」
 葵は封筒をひろのに向けた。そこには墨痕鮮やかに3文字が書かれていた。
「果し状」と。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「…ええっ!?」
 驚くひろのに葵が不思議そうに訊ねる。
「気づいていなかったんですか?」
「いや…ちょっと考え事してたから。それより、中身は?」
 ひろのは慌てて誤魔化すと、葵に中身の確認を促した。葵は頷いて封を切ると、中の便箋を広げる。

「拝啓 松原 葵殿
 貴殿がエクストリームを目指さんとする志は理解できるも、我にエクストリームへの疑念あり。かくなる仕儀にいたりし上は、お互いに技を持ってその存念を語らうべく、ここに貴殿に対し一対一の勝負を所望いたす。
 場所は東鳩高校裏山の神社。日時は一週間後とする。貴殿が勝利した暁には我は貴殿が己の道を行く事を認める所存である。
 敬具
 坂下 好恵」


「…何時代の人だ、あの人は」
 かってに立会人に指名されたひろのは疲れきった表情で呟いた。しかし、読んでいた葵の身体がぶるぶると震え始めた事に気が付いて、彼女の顔を見た。そして、絶句した。葵の顔は蒼白だった。
「そ、そんな…」
 身体ががたがたと震える。
(…結局のところ、避けては通れないのか)
 ひろのは思った。葵の人生は葵が決めるべきだ。それは正しいはずだ。だが、それでも立ちふさがろうとする障害は存在する。
「葵ちゃん…こうなったら…」
 戦うしかないんじゃないか?と言おうとした時、葵の呟き声がひろのの耳に飛び込んだ。
「そんな、私だけじゃなくひろの先輩の運命まで懸けるなんて…そんなの重過ぎるよ…」
 俺の運命がどうしたって?
 ひろのは不審に思って葵の手元を覗き込んだ。そこには、二枚目の便箋があった。

「追伸
我が勝利せし暁には、貴殿のマネージャーである長瀬ひろの嬢を空手同好会へ移籍させる事を認めていただきたい」



 しばらくひろのは放心したように文面を見つめていたが、やがてぎりぎりとからくり人形のようなぎこちない動きで葵を見た。
「葵ちゃん…」
「…は、はい」
「絶対に勝とうね…今日から特訓だよ」
 ひろのの後ろに白く燃えるような気迫を感じ、葵は悲鳴のように答えた。
「は、はい!」
 この時から、ひろのと葵は修羅の道へと踏み込んだのであった…

(つづく)

 
次回予告

 人間の尊厳(主にひろのの)を懸けた世紀の一戦(大袈裟)に向けて、ひろのと葵の二人三脚の日々が始まった。繰り返される特訓の数々。そこへ、一人の少女がアメリカより帰還する。葵が慕い、頼りとする彼女は果たしてひろのたちの救世主となりうるのか。
 次回、第九話
「女王の帰還」
 お楽しみに。
 次回予告と本編の内容の差は仕様です(爆)。

後書き代わりの座談会・その八

作者(以下作)「ぬ、今回はちょっと短いな」
ひろの(以下ひ)「世間様の標準で行けばまだ長いよ」
作「短いものが書けないのは仕様だ」
ひ「少しは努力しろよ」
作「うむ…しかし、お前も大変だな。色んな人から狙われて」
ひ「誰のせいだよ、誰の…」
作「いやぁ、好恵がアレな人だって言うのは最初から予定してたけど、ここまで暴走するとは思わなかったな(笑)」
ひ「もう良いよ…みんな暴走してるから」
作「暴走させた方が楽しいんだよ」
ひ「志保は?」
作「良い人道を暴走中」
ひ「…」
作「まぁ、暴走しないキャラもいるんだけどさ…3人ほど」
ひ「誰?」
作「一人はレミィだ。もともと暴走していると言う説もあるが」
ひ「あとは?」
作「内緒だ。自分で探せ」
ひ「だ、だれか俺に安らぎをくれ〜」

収録場所:東鳩高校近くの公園(嘘)


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