前回までのあらすじ
 体力測定の結果が良かったために、色んな部活から激しい勧誘合戦を受けたひろのは、自分に合った部活を探すうちに格闘少女松原葵と出会い、彼女と共に総合格闘技エクストリーム部を創設。マネージャーに就任する。
 その影で、彼女に対して復讐を誓う一人の少女がいる事を、ひろのはまだ知らない。


To Heart Outside Story

12人目の彼女

第五話

「暴発する青春」



 エクストリーム部の創立からさらに一週間が経過した。
「それでは、今日の朝練はここまでにしま〜す。お疲れ様でした!」
『押忍!お疲れ様でした!!』
 1年生にして部長を務める松原葵の号令に、朝早くから武道館に集まっていた部員達は一斉に唱和した。朝練に参加するほど熱心でない者もいる事はいるが、とりあえず今朝は30人ほどが練習に来た。
 あれから部員はもう少し増え、最初の37人から45人まで増えている。うち、21名が空手部からの移籍組で、葵も良く練習相手に元空手部員を指名していた。
(にしても、葵ちゃんは強いなぁ…)
 ひろのは感心しながら後片付けを始める葵を見ていた。今朝は組み手5本をこなしたのだが、いかにも屈強そうな男子元空手部員相手に1分以内で勝ってみせた。彼女の変幻自在の技に、まだ空手しか知らない男子部員が幻惑されたと言うのもあるだろうが、それにしても対した実力ではある。1年生にして部長を務めるのも当然と言えよう。
 それで、ひろの自身は何をしているかと言うと、マネージャーらしく後片付けや胴着の洗濯、練習時間の計測、それにトレーニングメニューの決定である。掃除・洗濯は一人暮らしをしていた関係で良くやっていたから苦になるほどではないし、メニューを考えるのもこれはこれで面白い。
 葵からは先輩も武道をやってみませんか?と誘われているのだが、今のところその気はなかった。男の頃なら積極的にやっていたかもしれないが、女になってから闘争本能が弱まったのか、格闘技をやると言う行為には余り興味が持てなかった。
 逆に言うと、掃除洗濯が面白かったり、葵の手助けをするのが嬉しかったりするのは、母性本能が強まったからかもしれない。長瀬ひろの、いつのまにやら「可愛い女の子路線」驀進中である。

「あ、そろそろ芹香先輩が来るかな」
 さて、部活が終わった頃には時刻も8時を回っていた。部活の時は芹香と一緒に登校する事はできないため、屋敷の最寄りのバス停からの定期券を買っている。セバスチャンはひろのが一人で登下校する事をえらく心配したのだが、子供じゃないから大丈夫だと押し切った。ただし、条件として芹香が登校してきた時は、必ず迎えに来る事、と言われている。ひろのはエプロンを外し、校門へ向かった。

 校門で待つ事2分ほどで、黒のリムジンがやってきた。いつものように先に降りたセバスチャンが後部座席のドアを開け、芹香をエスコートする。
「おぉ、ひろの。今朝も無事に着いておったか」
 セバスチャンは迎えにきていたひろのに気が付き、相好を崩した。
「無事に…って、大丈夫だよ、おじいちゃん。バスに乗っていくだけなんだから」
 ひろのが言うと、セバスチャンは眉を吊り上げた。
「いかん!そういう油断が良くないのじゃ。良いかひろの、男は狼なのじゃぞ。世間の男どもは皆、お前のような娘を狙っておるのじゃ。うかつに側に近づけるでない」
(あぁ、昔同じよーな事を先輩に言っていたなぁ…)
 ひろのは男だった頃にセバスチャンに「お嬢様に近づく害虫」と言われた事を思い出した。もはやセバスチャンの中で、自分が男だったと言う意識も記憶も消え果てている事を確認し、何だか悲しくなってそっと涙を拭う。
「それでは、しっかりお嬢様を教室までエスコートして差し上げるのじゃぞ」
「…うん、おじいちゃん」
 泣いていた事を悟られないように答えて、ひろのは芹香の手を取った。
「それじゃあ、行こうか、先輩」
 こくこくと芹香は頷き、2人は校庭を横切って歩き出した。その時、背後から声がしてきた。
「やっほぉーっ!ひろのーっ!!それにせんぱーいっ!!」
 振り返ると、手を振りながら志保が走ってきているのが見えた。後ろからあかりも着いてくる。
「おはよう、志保、あかり」
「うん、おはよう、ひろのちゃん。先輩」
 ひろのが挨拶すると、追いついてきたあかりも返事をした。志保が今日も朝練?大変だね、と言い、それにマネージャーだから後片付けを手伝うくらいだよ、と返事をする。芹香がぼそぼそと今日も一緒にお弁当を食べましょう、と発言し、あかりが私もお弁当持ってきたから、みんなで食べようね、と賛同した。
 そんな他愛のないおしゃべりをしながら、まず4階の芹香の教室に到着し、そこで彼女と別れる。寂しげな表情の芹香に手を振り、2年生3人組は自分達の教室へ向かった。
「そう言えば…」
 志保が何かを思い出したように言った。
「1年生に、超能力が使える娘が入ったんだって」
「超能力?」
 あかりがそのキーワードに不思議そうな表情をした。
「うん、なんでも人の未来が見えるとか…予知って言うんだっけ?」
「へぇ…すごいな」
 ひろのは言った。ちょっと前なら馬鹿馬鹿しい、と一笑に付すような話題だったが、自分自身が魔法で女の子に変身した男と言う、この世の神秘そのものな存在だけに、今では世の中何があってもおかしくないと考えるようになっている。
「あら?ひろのはそう言うオカルティックな話題は平気?あ、でもまぁ来栖川先輩の友達だもんねぇ」
 自分の事を棚に上げて言う志保にひろのとあかりは笑い出した。
「でもまぁ、機会があればその娘に私の未来を予知して欲しいな」
 ひろのが言うと、志保はちょっと真面目な顔つきで言った。
「それは…止めた方が良いと思うわよ」
「なんで?」
 志保の意外な反応にひろのが問い質すと、志保はひそひそ声で言った。
「なんでもね、その娘の予知って、全部不吉なんだって…やれ誰が階段から落ちるとか、あの人は車に轢かれるとか。それも全部当たりらしいわよ」
「へ、へぇ…」
 ひろのはそれは危険だと思ったが、それでもその娘に本当に予知能力があるのなら、自分が男に戻れる日があるのかどうか、ぜひ聞いてみたいと思った。芹香がひろのに掛けてしまった魔法を解除する研究は、全く進んでいないらしく、何度聞いても返事は芳しくなかったからである。すがれるものならワラでもすがりたいと思うひろのであった。
 そして、ひろのとその娘が出会う瞬間は、意外にも早くやってきた。

 それは、2時間目の休み時間の出来事だった。喉が渇いたひろのは購買に行き、自販機で好物のカフェオレを買って帰る最中だった。階段を登っていたひろのは、上に一人の少女がいるのを見た。
(誰だろう…可愛い娘だな)
 わずかにウェーブのかかった淡い色の髪、病的と言うほどではないものの白い肌。どことなくおどおどした雰囲気が、久々にひろのの中の「男」の部分を刺激した。その時、ふっとその少女が振り向いた。ひろのと目が合う。
「あ…」
 少女が呟いた。その表情がみるみる曇り、次の瞬間叫んでいた。
「…駄目、危ない!」
(え?)
 ひろのが何が危ないのか分からず心の中で疑問の声を上げたその瞬間、ひろのの爪先がまるで目に見えない力で持ち上げられたように豪快に滑り、彼女の身体がバランスを崩して宙に浮く。
(あれ?)
 何が起こったのかわからないまま、ひろのは階段を転落していった。踊り場の壁にぶつかり、ようやく動きを止めたものの、意識が遠のいて行く。
(一体何がどうしたんだろう…)
 スローモーションのような視界の中を、さっきの少女が駆け下りてくる。その記憶を最後に、ひろのは完全に気絶した。

 額に冷たい感触を、身体のあちこちに痛みを感じて、ひろのは目を覚ました。
「う…ん?」
 目を開けると、真っ白な天井が飛び込んできた。そして、鼻に付く消毒液の臭い。
「あ、目を覚ました!」
 聞き覚えのある声。その方向に顔を動かすと、見慣れたあかりの顔が飛び込んできた。
「良かった…もう、このまま目を覚まさないかと思った…」
 その目に涙が浮かんでいる。ひろのは苦笑した。
「大袈裟だなぁ、あかりは…それはそうと、ここは?」
 ひろのが尋ねると、保健の山岸先生が姿を現した。
「見ての通り、保健室よ。貴方は階段から落ちて気絶したの。幸い、外傷はほとんどないみたいだけどね」
 山岸先生はそう言うとひろのの額に乗せていた濡れタオルを取り上げて水に付け、絞り上げて再び乗せた。
「そうですか…すいませんでした」
「お礼ならこの娘に言いなさい。貴方が階段から落ちた事を知らせてくれたのはこの娘なんですから」
 ひろのが礼を言うと、山岸先生は苦笑して、カーテンで見えない方向に手招きをした。それに応じて、おどおどした態度の少女が姿を現す。階段の上にいた少女だった。
「あれ…君は」
「…一年の姫川琴音って言います…その…さっきはすいませんでした」
 琴音は頭を下げた。
「なんで謝るの?」
 ひろのが琴音の不思議な態度に問い掛けると、琴音はびくりと体を震わせ、またしても「ごめんなさい…!」と謝りながら保健室を飛び出していった。
「…?」
 残されたひろのとあかり、それに山岸先生は訳が分からず首をひねる。その時、志保が保健室に訪れてきた。
「ひろの、大丈夫?」
 ベッドの上で横たわったままのひろのに目を留め、志保が心配そうに訊ねてくる。
「うん?あ、あぁ…もう大丈夫」
 ひろのは先生と目を合わせ、彼女が頷くと身体を起こした。打ち付けたらしい身体の所々に鈍い痛みがあるが、もう大した事はない。
「ところで、今の娘…」
 志保がドアの方を見ながら言った。
「ん?確か…琴音ちゃんと言ってたかな…1年生だよ。階段から落ちた事を報せてくれたんだ」
 ひろのが答えると、志保は何やら厳しい顔になった。
「ひろの、多分あの娘よ。噂の超能力少女って言うのは」
「え?」
 ひろのは再びあかりと顔を見合わせ、琴音が出ていった方角を見た。その時だった。
「ひろのぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!」
 大音声と共にセバスチャンが乱入してきた。先生の机の上の書類が飛ぶくらいの風を巻き込みつつ、凄まじい速度でひろののベッドに接近してくる。その様は黒い服もあいまって、まるでホバー推進するド○のようだ。
「わっ!?わああぁぁっ!?お、おじいちゃん!?」
 驚いたひろのが叫ぶ暇もあればこそ、○ム、いや、セバスチャンはひろのの身体を背中と膝の下に手を入れて支える、いわゆるお姫さま抱っこにして抱き上げた。
「ひろのぉぉぉぉぉ!!今病院に連れていってやるからな!!」
「わっ、わっ、わぁぁぁっ!!お、落ち着いてよおじいちゃん!だ、誰だ、おじいちゃんに連絡したのはぁ……!!」
 廊下の彼方にひろのの悲鳴が尾を引いて消えていく。セバスチャンが嵐のようにひろのを連れて去って行くと、後には呆然とするしかないあかり、志保、山岸先生が残された。
「…御家族の方に連絡を…と思ったのだけど…まずかったかしら?」
 事情を知らなかった山岸先生が呟くと、セバスチャンの「バカ祖父」っぷりを知るあかりと志保は大きくうんうんと頷いた。
 結局、その場では琴音の話題はそれ以上出ようもなかったが、だからと言って当事者がその事を忘れてしまった訳ではなかった。

「…うう、昨日はひどい目に合った」
 ひろのはそう言いながら階段を降りていた。学校から無理矢理ひろのを拉致していったセバスチャンは、その足で来栖川系列の病院に直行。無理矢理彼女に精密検査を受けさせたのである。
「大丈夫、異常はありません」
 担当の医師が言うと、セバスチャンは顔を乗り出して怒鳴った。
「本当かっ!?本当に異常ないのか!」
「…ありません」
 ちょっとムッとしたらしい医師が語気を強めていうが、そんな事を聞くセバスチャンではない。
「だめじゃ!まだ安心できん!!もう一度検査を…」
「「いい加減にしなさいっ!!」」
 医師とひろののダブルツッコミが炸裂した。
 その後、なおも心配しつづけるセバスチャンをどうにか説得して家に帰ったひろのだが、階段から落ちた事より、セバスチャンの異常な心配の方が疲れたのは確かである。悪意でやっている訳ではないぶん余計に。
「さて…」
 ひろのは階段を降りきり、中庭に続く扉を開けた。そこに目当ての人物がいる事を確認して声を掛ける。
「姫川さん」
「きゃっ…!」
 目当ての人物――琴音は、いきなり声を掛けられた事に驚いて振り向いた。そこにいるのが昨日彼女の目の前で不幸に遭った先輩だと気が付き、身を硬くする。
「…あの…何か?」
 琴音が訊ねると、ひろのは微笑んで言った。
「うん、昨日の事なんだけど…全然君のせいじゃないから。それだけは言っておきたかった」
 ひろのが自分を責めに来たのではないと知り、琴音は一瞬拍子抜けしたような顔つきになったが、またすぐ暗い顔付きに戻る。
「でも…先輩もご存知ですよね。私がなんて言われているか」
 ひろのは頷いた。不幸の予知能力少女。それがこの娘――姫川琴音につけられたあだ名だ。志保やその他の事情通の生徒に当たって話を聞く限り、琴音が「予知」した直後に不幸に遭ったり、遭いかけた人間は両手の指では足りない。ひろので13人目らしい…が、14人目説と11人目説もある。縁起が良くないので、ひろのは14人目説を採ることに決めた。
「一応ね…でも、そんなの私は信じない」
 ひろのの言葉に、琴音は驚いたように彼女の顔を見た。
「どうして…ですか?先輩だって昨日、私の予知が当たって…」
 呟くように言う琴音に、ひろのは指を一本立てた握りこぶしを振ってその言葉をさえぎった。
「いや、姫川さんの超能力を信じない、って言うわけじゃないよ。話を聞けば聞くほど、どうも君の力は本当らしいように思えるし…」
 ひろのはそこでいったん言葉を切った。
「ただね、不幸だけしか予知できない、って言うのはおかしいよ。姫川さんみたいな優しい娘が持っている力が、そんな風になってるのは間違ってる」
 ひろのの言葉に、琴音の目が大きく見開かれた。そして、その目尻から涙がぽろぽろと零れ落ちる。そんな、自分を肯定してくれるような言葉を掛けてもらったのは初めてだったのだ。
 知りたい、と思った。この優しい先輩は一体どんな人なのか。そう思った瞬間、琴音の脳裏に想いも掛けない映像がフラッシュした。
「…ええっ!?」
 琴音が大声を上げたのを聞いて、今度はひろのが驚いた。
「ど、どうしたの?」
 ひろのが聞くと、琴音は一瞬後ずさった。
「せ、先輩…そんな。先輩って…男の人だったんですか!?」
「そうだよ…って、ええ〜っ!?」
 琴音の爆弾発言に驚くひろの。そして、ひろのが反射的に返した肯定の返事に、やはり驚愕の色を隠せない琴音。
「「どういうこと…?」」
 2人の疑問の声がきれいに唱和した。

 まず、事情を説明したのは琴音だった。
「先輩の言葉が嬉しくて…そうしたら、『見えた』んです。先輩が男の人から今の女の人の姿に変わるシーンが」
 その説明に、ひろのは納得の行かない部分を感じて訊ねた。
「…逆じゃなかった?俺が女から男に戻るシーンではなく?」
 そう言うと、琴音は首を横に振った。
「いえ…暗い部屋の中で、先輩が光に包まれながら、男の人から女の人に変わっていくシーンでした。間違いありません」
 ひろのは落胆しつつも頷いた。それは、恐らく自分が芹香の魔法失敗で今の姿に変身させられた時の映像だろう。逆だったらいつかは自分が男に戻れる事の証明になるのだが。
「それよりも先輩、どういう事なんでしょうか」
 琴音に問われ、今度はひろのが自分の身の上を語り出した。

「…と言うわけだったんだ、実は」
 簡潔にまとめたつもりだったが、ひろのの話が終わる頃には昼休みは終わりかけていた。
「そんな事が本当にあるんですか…びっくりです」
 生きた神秘としては自分にも匹敵する存在に初めて出会い、琴音は驚きに目を丸くしていた。
「俺もびっくりだよ。しかし、琴音ちゃんに俺の過去が『見えた』と言う事は…やっぱり間違いなく超能力があると言う事か。確か<過去視>と言う種類だな」
 オカルト同好会の部室を良く訪れ、芹香が収集している失われた大陸の名を冠したオカルト・超自然科学系の雑誌を暇つぶしに読んでいた事もあるひろのには、意外と超能力の知識があった。
「でも、過去視と予知は全然違う能力だよな…ひょっとしたら、琴音ちゃん、君は凄い力の持ち主なのかもしれないよ」
「え?」
 ひろのの言葉に、意味が良く分からず小首をかしげる琴音。
「良く超能力者を名乗っている人は多いけど、大半はトリックだよ。でも、君は間違いなく知らないはずの俺の過去を当てたんだ。予知もホンモノかもしれないし、ひょっとしたらもっとたくさんの能力を持っているかも」
「…そういうものでしょうか?」
「あぁ。もちろん、その力を怖がる気持ちは分かるよ。でも、使いこなせないから怖いんであって、頑張って使いこなせるようになればきっと、君の助けになると思う」
(力を…使いこなす?)
 琴音にとって、それは思っても見なかった発想だった。力はいつでも勝手に発動しては、彼女を不幸に陥れるものでしかなく、できれば無くなって欲しいものだった。生まれ持ったこの力にずっと振り回されてきた彼女にとっては、その力の正体は知りたくない、恐ろしい事だったのだ。
「できるでしょうか。私に」
 琴音の言葉に、ひろのは大きく頷いた。
「できるよ。幸い、手伝ってくれそうな人もいるし…」
 そこで昼休み終了5分前の予鈴が鳴った。ひろのは放課後に琴音と会う約束をして、いったん別れる事にした。
 次は「手伝ってくれそうな人」に話を通しておかなくてはならない。

 そして、放課後。ひろのが琴音を連れてきたのはオカルト同好会の部室だった。
「あ、ここ…!」
 琴音の驚きの声に、ひろのは頷いた。
「そう。俺が女に変身した部屋だよ」
 すると、その言葉に芹香がちょっと落ち込んだ様子を見せた。ひろのは慌ててフォローした。
「…あ、ごめん。先輩を責めている訳じゃないんだ」
 それで安心したのか、芹香は立ち直ると2人にハーブティーを勧め、琴音の話を聞こうとした。最初は緊張していた琴音も、ハーブティーの効果か次第に落ち着きを取り戻し、今までの経験を話した。やがて、芹香はぽつぽつと今までの話で分かった事をまとめ始める。
「…すると、琴音ちゃんの能力は予知じゃない?」
 ひろのの言葉に芹香はこくこくとうなずいた。彼女によると、未来は常に不確定なもので、幾重にも分岐し、変化していくものだから、既に確定した「過去」なら分かっても、その殆ど無限大に拡大していく可能性のどれが実現するかを当てるのは不可能だと言う。
「えっと…良く分からなかったけど、琴音ちゃんの力が予知でないとすると、なんなんだろう」
 ひろのが疑問を提示すると、芹香はまたぽつぽつと説明し始めた。
「え?未来を自分の思ったように変化させる力があれば良い?どういう事?」
 どんな未来がやってくるのかも分からないのに、未来を思い通りにするなんてそれこそ不可能じゃないのか?と思ったひろのだったが、次の説明で理解した。
 未来を予知する事はできない。だが、自分の思う未来を実現させるのは困難ではあるが、不可能ではない。「テストで100点を取る」と宣言し、猛勉強して実際に取れば、「自分が100点を取ると言う未来を予知した」のと同じ事になる。
 芹香が考えるに、琴音が「予知」と思っていた力は、彼女の思い描いた誰かの危機を本当に起こしてしまう力…恐らく念力の類だと言うのだ。
(そう言えば…)
 ひろのは階段から落ちた時の事を思い出した。あの時、踏み降ろしかけていた足が不自然に持ち上げられたようになってバランスを崩したのだ。
「じゃあ…琴音ちゃんは俺が階段から落ちる事を心配し過ぎて、無意識に念力で俺の足を持ち上げてしまったのか…?」
 芹香はこくこくとうなずいた。その時、床に何かが落ちて壊れる音が響いた。
 琴音だった。手にしていたハーブティーを煎れたカップを取り落とし、ブルブルと震えている。
「そ、そんな…今まで起きた不幸な事件はみんな私の力のせいなの…?」
 ひろのと芹香は自分たちが不用意に発言してしまった事を悟った。震える琴音にひろのが声を掛けようとする。
「いや…琴音ちゃん、君が悪いわけじゃ…」
 だが、琴音はもうひろのの言葉を聞いていなかった。彼女の身体から不可視の力が漏れだし、髪を舞い上げる。
「いや…いやぁぁぁぁっ!!」
 琴音が絶叫を上げた瞬間、力が一気に膨れ上がった。咄嗟に結界を張って力を受け流す芹香。しかし、ひろのにはそんな器用な事はできない。ひろのは琴音の力に吹き飛ばされ、床に投げ出された。
「うあっ!!」
「…!!」
 床に転がったひろのに芹香が慌てて駆け寄った。大丈夫ですか?と尋ねる。
「う、うん…大丈夫だよ。それより、琴音ちゃんは?」
 2人は琴音のほうを見た。頭を押さえてうずくまる琴音の身体から淡く光る波動のようなものが漏れだし、床の上をすべるように流れていく。それに触れたものが舞い上げられ、空中を乱舞する。
「…」
「力が暴走している?大変だ…何とかしなきゃ!」
 琴音に駆け寄ろうとしたひろのを、芹香がしがみつくようにして止めた。
「どうして止めるんだ?先輩…わっ!?」
 芹香の真意を確かめようと振り向いたひろのだが、その瞬間髪の毛が結界に触れて火花を散らした。ショックが頭に伝わり、一瞬意識が朦朧となる。
「…え?今外に出たら琴音ちゃんの力で潰される…?マジか」
 芹香はこくこくと頷いた。そして、ぼそぼそと何かを告げる。
「え?超能力の影響を受けずに琴音に呼びかけるには、霊的な方法を使うしかない…?って、どうやって?」
 首をかしげたひろのに、芹香はスカートのポケットから護符のようなものを取り出してひろのの首に掛けた。
「え?相手の心の中に入り込む道具?…本当ですか?」
 さすがにそんなものが都合良く出てきた事に驚くひろの。だが、芹香は自分を信じてください、と言うように熱のこもった目でひろのの顔を見つめた。
「…わかった。やるよ。で、どうすれば良いの?」
 決意して尋ねたひろのの目の前で、芹香は床に小さな魔法陣を書き、その上に座れと言う仕草をした。ひろのが座ると、芹香は目を閉じてください、と言って呪文を唱え始めた。
(…大丈夫かな。今度目覚めた時に人間外になってなければ良いけど)
 考えてみれば今の自分のありさまも芹香の魔法のせいだということを思い出し、冷汗を流したひろのだったが、もう後には引けない。しかし、呪文が完成して魔法陣が光り始めたのを見た瞬間、やはり後悔が先に立った。
「やば…先輩、やっぱり…」
 やめよう、と言おうとしたがもう遅かった。光が立ち上り、ひろのの意識はその中に吸い込まれていった。

「…はっ!?」
 ひろのは目を覚ました。上半身を起こし、辺りを見まわす。
 そこは、海中のようなイメージの世界だった。足元には白い砂。上からは揺らめく光が降り注いでいる。
「…ここが…琴音ちゃんの心の中?」
 そう呟いた瞬間、ひろのの視界を何かが横切った。慌ててそっちへ視線を向ける。すると、それは一頭のイルカだった。イルカは身をくねらせて空中を泳いでいく。直感的に、ひろのはそのイルカが泳ぐ方向へ向けて走り始めていた。

 どれくらい進んだのか、気がつくとイルカはどこかへ去り、代わりにひろのは目的の人物を見つけていた。
「…琴音ちゃん」
 うずくまって泣いていた琴音は、その声に弾かれたようにしてひろのの方を向いた。
「先輩…どうしてここに…?」
 つぶやく琴音に、ひろのは精一杯の笑顔をうかべて言った。
「迎えに…来たよ。一緒に帰ろう」
 しかし、琴音は暗い顔をして、視線をひろのからはずした。
「ダメです…私は…皆さんを傷つけてしまって…きっと、これからもそうなんです。だから、私の事は放っておいて下さい」
 そう言って、またうずくまってしまう。ひろのはしゃがみこみ、琴音の肩に手を回してそっと抱きしめた。
「ダメだよ。琴音ちゃんは傷つけようと思ってやったんじゃないだろ?あの人は階段から落ちるんじゃないかとか、上から何か落ちてくるんじゃないかとか…つい心配してしまうだけなんだ。君は…優しい娘なんだよ。そんな娘を放っては置けないよ」
 琴音の身体がぴくりと震えた。
「お昼休みに言ったじゃないか。どんな力でも、上手に付き合えるようになれば君の助けになるって。そのための手伝いをするって。まだ何もしないうちからあきらめるような事言っちゃダメだ。俺は、いやでも君を連れて帰るよ」
 そう言うと、ひろのは方を抱く腕に力を込めて、琴音を抱き上げるようにして立たせた。
「きゃっ!?」
 驚く琴音にひろのは笑いかける。
「行こう、琴音ちゃん」
 その言葉に、琴音の目から涙があふれた。
「良いんですか?本当に私は先輩と行って良いんですか?」
 ひろのは頷いた。
「もちろん。さ、行こうか。…って、どっちに行けば良いんだろう?」
 その時、また一頭のイルカがすうっと視界を横切っていくのが見えた。
「あれ?さっきの…」
 ひろのが言った時、彼女に体を預けるようにしていた琴音が自分の足で立った。
「たぶん…あの子に付いていけば…大丈夫だと思います」
 ひろのはうなずいた。琴音のところまで連れてきてくれたのもイルカだったからだ。2人はイルカの後を追って歩き出した。歩きながら、琴音がひろのに話し掛けた。
「先輩…一つ、お願いして良いですか?」
「ん?なに?」
 ひろのが問い返すと、琴音ははにかむような表情で言った。
「私…力が使いこなせるようになったら、先輩の為にその力を使いたいです…良いですか?」
「俺の為に?…嬉しいな。その時は、是非見せてよ」
 ひろのは微笑んだ。その時は、琴音が自分の為に力で何かするところを見せるだけだ、と軽く考えていたのだが…
「はい、喜んで!」
 琴音はひろのに初めて心からの笑顔を見せた。その時、前方から光が射し込んできて、やがて2人の意識はその中に溶け込んでいった。

「…ん?」
 ひろのは目を覚ました。ぼやけた視界が次第に鮮明になり、芹香と琴音が自分の顔を覗き込んでいる事が分かった。
「良かった…先輩。目を覚ましてくれて」
 琴音は浮かんだ涙を拭いながら微笑んだ。
「琴音ちゃん…君の方こそ良かったよ。暴走が止まってくれて」
 ひろのは上半身を起こした。そこで、場所が保健室だと気が付く。山岸先生が笑いながらカーテンの陰から出てきた。
「あら、目覚めたのね?」
「あ…すいません、連日ご迷惑をおかけしてしまって」
 ひろのが頭を下げると、山岸先生は手を振って気にしない気にしない、と言った。その時だった。
「長瀬さんが倒れただって!?」
「大変だ!お見舞いに行かなくちゃ!!」
 と言う声がしたかと思うと、扉を開けて2人の男子生徒が入ってきた。
 雅史と矢島だった。
 何故か2人とも大きな花束やフルーツバスケットを抱え、完璧なお見舞い体勢を整えていた。
「大丈夫ですか、長瀬さん!」
 矢島が一気にベッドに駆け寄り、ひろのに花束を押し付ける。何を考えているのか菊だの牡丹だの縁起の悪い花ばかりで構成された花束だった。おそらく何も吟味せずに派手さだけで選んだのだろう。
「長瀬さん、リンゴ食べますか?」
 これに比べれば、雅史の選択したフルーツバスケットはまだましだった…が、既に彼がリンゴの皮を剥き、皿にならべて爪楊枝を刺し、あまつさえ一つを摘み上げている理由は不明だった。どうやら、手ずから「食べさせてあげたい」らしいが…
「あ、あの…2人とも…そんな重病人じゃないんだから」
 困り切った表情で言うひろの。その時、矢島と雅史の動きが静止した。かと思うと、妙な動きを始める。
「あ?か、身体が…」
「勝手にぃ…っ!?」
 次の瞬間、彼らは何かに操られるように跳躍。窓からのダイビングを敢行していた。一階とは言え、窓の下はコンクリート製のたたきである。「ごち」というやたらと痛そうな音が2回連続で響いてきた。
「ふ、2人ともっ!?」
 慌てて外に飛び出していく山岸先生。ひろのもベッドから降りて窓に駆け寄ってみると、矢島と雅史は折り重なるようにして白目を剥いて轟沈していた。
「こ、これは…?」
 そこで、はたっと気が付きひろのは琴音の方を見た。
「ね、ねぇ、琴音ちゃん、これはまさか…?」
 ひろのが震える声で訊ねると、琴音は満面の笑みを浮かべて言った。
「はいっ。長瀬先輩が困っているようなので、排除しましたっ!」
 邪気のない声だったが、それだけにひろのは背筋に戦慄するものを覚えた。
「ど、どうしてそう言う事をするかなぁ…」
 思わずゲームの違う台詞で問い掛けるひろのに、琴音ははにかみながら答えた。
「だって…さっき約束したじゃないですか。私の力は先輩の為に使う、って…」
「…あ」
 ひろのは思い出した。心の世界で琴音が言った言葉。
(私…力が使いこなせるようになったら、先輩の為にその力を使いたいです…良いですか?)
 そして、自分がそれに肯定の返事を与えた事も。
(た、確かに俺の為かもしれないさ。力に対してネガティブでなくなったのも良い事かもしれないが…でも、これは…)
 雅史と矢島の惨状と、明るくなった琴音を交互に見ながら、果たして自分のやった事は良い事だったのだろうかと悩むひろのだった。
 ともかく、後に地上最強のエスパーと呼ばれる姫川琴音はここに覚醒を果たしたのである。

(つづく)


次回予告

 朝起きたひろのは、来栖川家のメイドさんの中に見慣れない緑色の髪の少女を見掛ける。そして、学校でも。マルチと名乗ったその少女は、来栖川が開発したメイドロボ。彼女と過ごす日々はひろのに何をもたらすのだろうか。
 次回、第六話。
「機械の乙女」
 お楽しみに。
 毎度の事ですがこの予告は実際と異なる場合があります。


後書き代わりの座談会・その6

ひろの(以下ひ)「今回は真ん中当たりはちょっとシリアス風味だったかな」
作者(以下作)「原作がある以上は仕方がない。本当はもう少しギャグを増やしたいんだけどな」
ひ「それに、ちょっとファンタジーっぽくもあるかな」
作「あぁ。実を言うと琴音シナリオはあまり覚えてないから、芹香が絡んできた時点で一気にこうなってしまった」
ひ「でも、いつもと変わらずおじいちゃんとか雅史・矢島のコンビはギャグキャラなんだね」
作「まぁ、雅史はともかくセバスと矢島はそういう扱いが多いようだし」
ひ「しかし、矢島の扱いがヒドイなぁ。そりゃ、俺はあかりをやる訳には行かないって言って、矢島の頼みを蹴ったけど、ここまでひどく扱われて良いもんなんだろうか」
作「そうかぁ?恋愛ゲームの男ライバルキャラなんぞ、どれだけひどく扱ってもどこからも文句は来ないと思うけどね。矢島とあかりの恋愛が成就したSSなんて見た事ないし」
ひ「そういうものかな」
作「ギャルゲーの男キャラなんてそんなもんだよ。主人公でもお前みたいな目にあってる奴がいるわけだし、他にもKey作品の主人公には女の子にされてる作品が結構多いんだよ」
ひ「迷惑な…」
作「たいてい顔が分からないから、実は女の子顔で変身したら美少女でした、と言う言い訳も作りやすいし」
ひ「…俺はアニメで顔が出ているんだが」
作「知らんな。私はアニメは見ていない」
ひ「…この野郎…まぁ、それは良いけど。ところで」
作「何だ?」
ひ「琴音ちゃんの心の中にいたあのイルカ、あれって結局なんだったんだ?」
作「………」
ひ「………」
作「…次回をお楽しみに」
ひ「あ!まてこの野郎!何も考えてなかっただろう!」
作「いや…ちゃんと設定はあるんだけど、それはそのうち明かすよ」
ひ「ホントかよ…」

収録場所:東鳩水族館にて(どこだそれは)。


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