前回までのあらすじ

 芹香の魔法により女の子に変えられてしまった藤田浩之は、「長瀬ひろの」と名を変えて学校へ通う事になった。幸い正体がばれる事無くクラスに改めて溶け込んでいくひろの。
 しかし、その影では彼女を我が物にしようとする陰謀(笑)が密かに進められようとしていた。果たして彼女の学校生活はどうなってしまうのであろうか…


To Heart Outside Story

12人目の彼女

第四話

「葵ちゃんFight!!」



 ひろのが学校に通うようになってから一週間。まだつぼみだった桜並木もすっかり満開となり、風が吹くたびに校庭はピンク色の花吹雪に覆われていた。
 東鳩高校において、この時期のメインイベントと言えばそう、部活動の勧誘である。メインターゲットはもちろん新入生だが、東鳩高校では部活は強制ではないため、部活に属さない一部の二、三年生もターゲットとなる。
 ひろのがまだ浩之だった頃、親友の佐藤雅史からは盛んに彼と同じサッカー部への勧誘を受けたものである。しかし、現在ひろのを勧誘しようとする動きは浩之時代を遥かに超える一大ムーブメントとなりつつあった。

「あ、あの、ちょっと…困るんだけど」
 廊下でひろのは十人を超える女子生徒達に取り囲まれていた。浩之の時ならば嬉しいシチュエーションであったかもしれないが、今のひろのは本気で困惑していた。何しろ、この人たちはまるで人の話を聞いちゃいないからである。
「長瀬さん、是非我がテニス部に!!」
「いいえっ!!彼女はバスケ部で頂くわ!これは必然よっ!!」
「なに馬鹿な事を言っているの!?水泳部に決まっているでしょう!!」
「違うわ!!陸上部よ!!」
「バレー部に決まっているでしょうっ!!」
 ひろのを捕まえて、侃侃諤諤の論戦…と言うより、単なる己の意見の押し付けを行っているのは、各女子運動部が派遣した長瀬ひろの勧誘担当係の面々である。ひろのを「十年に一度の逸材」と見込んだ各部活は、彼女の獲得にドラフトに挑むプロ野球スカウトを越える熱意で取り組んでいた。

 話は4日ほど前に遡る。
 その日、初めての体育の授業があったのだ。と言っても、何かの競技をやった訳ではない。体力測定である。
「それじゃ、始めるぞ。全員記入シートを持って順番に各項目をこなしていくように」
 号令したのは体育主任の上原先生である。各生徒は、反復横跳びや伏臥上体そらしなどの、記録を記入するシートを持っていた。終わった項目から記録を書いて埋めていく訳である。
「大丈夫?ひろのちゃん」
 列の端っこでじっとしていたひろのに、あかりが声を掛けた。
「な、何だか恥ずかしいよ…」
 ひろのはか細い声で言った。理由は服装。東鳩高校では女子体操着にブルマーを採用している。当然、ひろのも二年生指定の濃紺色のそれを着用していた。
「え?大丈夫、凄く似合ってるし、それに、可愛いよ」
「だからそれ、嬉しくないよ…」
 あかりの能天気な言葉に、ひろのはるるる〜っと涙を流す。既に制服や普段着はもちろん、下着まで女性用で通しているのだから、いまさらブルマー程度…というのはあくまで理屈。男の意識が抜け様も無いひろのにとっては、ブルマー着用は自分が確実にダメな人になってしまったかのような意識を与えて大変苦痛であった。
「ま、まぁ、いつまでもじっとしてたら終わっちゃうよ?早く終わらせよ、ね?」
 あかりに促され、ひろのは測定を待つ列に加わった。そして、彼女の順番がやってきた。種目は反復横飛びである。
「…ふうっと…こんなものかな。あれ?」
 終わらせて、タオルで軽く汗を拭ったひろのだったが、周囲の見る目がさっきまでと違う事に気が付いて首を傾げる。
「あの…何か?」
 ひろのの質問に、記録を取っていた上原先生が驚いたように言った。
「やるじゃないか、長瀬。平均よりかなり上だぞ」
 そう、ひろのの記録は女子記録の平均をかなり上回るものだったのだ。何しろ、元は男である。しかも、浩之は男子平均と比較しても上の方だっただけに、瞬発力や筋力は女子平均を大きく超えていた。
 その後の種目でも、常に平均値をかなり超える記録を出しつづけたひろのの姿は、多くの人々の印象に残った。その噂はたちまち広まり…そして、各運動部は本腰を入れて彼女の獲得に乗り出した、とまあこういう訳であった。

「まあ、待ちなさい。ここは彼女の意見を尊重しましょう。ま、彼女の意志は私たちソフトボール部にあると思いますけど。ね?長瀬さん?」
 ソフトボール部の部長がそう言ってひろのの方を見た。
「…あれ?」
 当人を無視して代表たちが言い合いを演じている間に、ひろのはとっくに姿を消していた。
「い、何時の間に!?これはやはりどうしても得なければならない人材のようね…とりあえず、捕まえるわよ!」
『おーっ!!』
「ひろのを見つけて話を聞いてもらう(聞かせる)」事を目的に電撃的団結を果たした代表団は、一斉に走り始めた。

 彼女たちが走り去ってから十数秒後、その場に面した倉庫のドアが開いて、一人の少女が顔を出した。
「もう行ったみたいヨ、ヒロノ」
 少女の言葉に、ひろのが顔を出す。
「あぁ、ありがと、レミィ」
「どういたしマシテ」
 ひろのと、彼女を包囲網から救出したクラスメイトの宮内レミィは廊下に出た。レミィは米系ハーフの美少女で、身長がひろのより高い希有な存在である。身長170を超えるプロポーション抜群の美少女2人が並んでいる光景は、なかなかに壮観であった。
「助かったよ…あのままだと、どうなってたかわからないから」
 レミィはにぱっと笑って手を振った。
「気にしない気にしない。困っているトモダチを助けるのは当然の事ネ」
 人懐っこい性格のレミィは、このところの勧誘騒動と、「転校生」という属性がまだ付いて回るひろのにとって、「友人」として付き合える数少ないクラスメイトだ。
「うん、サンキュ、レミィ。でも…レミィってたしか弓道部だったよね」
 ひろのの問いに、レミィは鷹揚に頷く。
「ウン、そうだヨ。日本のココロを知るにはとても良いクラブ活動ネ」
 ニコニコと笑いながら言うレミィは、それからしばらく弓道と日本文化について楽しそうに話した。部活の事を聞いてみたのに、他の人たちと違って勧誘の「か」の字も出さないレミィにひろのは疑問をぶつけてみた。
「あのさ、レミィは私のこと勧誘とかしないの?」
 その質問に、レミィは意味がわからなかったのか、一瞬あごに人差し指を当てて小首をかしげた。が、すぐにもとの笑顔に戻る。
「ウン、アタシも部長から言われたヨ。同じクラスなんだから、ぜひともヒロノを誘ってくれって」
「じゃ、なんで勧誘しないのかな?」
 この質問には、レミィはすぐに答えた。
「嫌がる人を誘ってモ可哀想ネ。ヒロノはヒロノの一番行きたいトコロに行くのが良いと思うヨ」
 これまで「面倒だから」の一言で部活動に入ってこなかったひろの(浩之時代含む)だったが、レミィの屈託のない、楽しそうに部活の事を話す様子と、この一言にちょっと考えさせられるものがあった。
(一番行きたいところ、か…)
「ヒロノ?」
 考え込んだひろのに、心配になったレミィは声をかけた。ひろのは顔を上げて微笑むと言った。
「サンキュ、レミィ。なんか、ちょっとだけ部活に入っても良いかなって思ってきたよ」
 理由はわからなかったが、ひろのが何か明るくなったのを見て、レミィも楽しくなる。
「そう?良い部活が見つかると良いネ、ヒロノ」
 その時、チャイムが鳴り出した。休み時間が終わる。ひろのとレミィは教室へ向かって走った。

 しかし、次の休み時間、ちょっと部活の話を聞いてみようかな、と言うひろのの思いはとんでもない事件を引き起こす事となった。階段のところで顔見知りになったバレー部の女子を捕まえて、話を聞いてみようとする。が、彼女は目を輝かせて言った。
「そう!とうとう私たちの部に入ってくれるんですね!?」
 やっぱり人の話など聞いちゃいなかった。
「え?い、いや。ちょっと話を聞いてみたかっただけなんだけど…」
「それじゃあ、早速部室に行きましょう!あ、今部長を呼びますね」
(だ、だから人の話を聞けってば…なんでこうなるんだ?)
 妥協交渉の余地なく、とにかくもうひろのがバレー部に入ると思い込んでいる代表に、ひろのはだらだらと冷や汗を流す。その時だった。
「ちょっと待ちなさいっ!!」
 声と共に、バレー部代表の携帯電話を跳んできた何かが叩き落とした。
「な、何者!?」
 驚愕の表情を浮かべて振り向いたバレー部代表とひろのの目に飛び込んできたのは、バドミントン部の部長だった。飛んできたのはバドミントンのシャトル(羽根)だったらしい。
「抜け駆けは許さないわよ」
 その背後から続々と現れる各部代表。いずれも鬼気迫る表情である。
「長瀬さんをどこの部が獲得するかは今シーズンの大目標…だからこそ、ルール破りを許す訳には行かないのよ」
 と、テニス部部長。
(…俺の意志は?)
 ひろのは思った。しかし、遺憾な事にこの場はそうした常識的な意見が通用する場ではない様だった。そして、次の瞬間さらに事態を混沌とさせる出来事が起きた。
「ちょぉっと待ったぁ!!」
 廊下の反対側から声がかかる。一同の視線が一斉にその方向を向いた。
「ま、雅史!?それに矢島!!」
 ひろのは驚いた。そこにいたのは雅史と矢島、だけでなく、各男子運動部有志の面々だったのである。
「長瀬さんを入部させたいのは君たちだけじゃない。僕たちの話も聞いてもらうよ」
 雅史の言葉に、女子陣が激昂する。
「な、何よそれ!どうして男子の部が長瀬さんを入部させたがるのよ!?」
 その言葉に答えたのは矢島だった。
「わからないか?男子部には<マネージャー>と言う制度があるんだよ」
 今度は男子陣が一斉に頷いた。
「練習に疲れた時!試合に負けそうな時!そんな時に長瀬さんが『がんばってね(はぁと)』と一言言ってくれるだけで、俺達は炎のように萌え、いや、燃え盛るだろう!!それはまさに漢の浪漫ッ!!それを女子に譲る訳にはいかん!!」
 矢島のアジテーションに男子が鯨波の声を上げ、女子は一瞬気圧されるも、やがて負けじと一歩踏み出す。
「そう…でも、あなたたちみたいなムサイ連中に長瀬さんは渡さないわ!!」
「長瀬さんが洗ってくれたユニフォームを着るまでは一歩も退かないぞ!!」
「飢えた狼たちの中に彼女を放り出すなんて真似は許さないわよ!!」
「彼女に応援してもらえるなら死ぬ事だって怖くないぞ!!」
(だからさ、俺の意志は…?)
 何時の間にか、男女各部双方に激しい煽り文句の応酬が飛び交い、事態は一触即発のムードに達していた。ひろのはただ、だらだらと流れる冷や汗を拭う事も出来ずそこに立ち尽くしていた。そして、事態はさらに新たな局面を迎える。
「ちょぉっっと待ったぁぁ!!」
 またしてものその言葉に、一同は声のしてきた階段の方を見た。
「うぉっ!?」
 全員が一斉に驚きの声を上げる。階段の踊り場に勢揃いしていたのは、各文化部系代表団だった。
「長瀬さんを求めるのは体育会系のみにあらず!!私たちの話も聞いてもらいましょうか!!」
 芝居がかった台詞回しで叫ぶのは、演劇部の部長であった。
「久々に出てきた王子様もお姫さまもこなせそうな逸材!汗臭い体育会系には譲らないわ!!」
 演劇部部長が全国の文化会系を代弁するかのような偏見に満ちた一言を放ち、茶道部が慌てて介入する。
「ちょ、ちょっと演劇部さん、まずは体育会系から長瀬さんを奪取する事が目的でしょう。先走らないで下さい」
「ふっ、そうだったわね。とにかく!長瀬さんはこちらで頂くわよ!!」
 勢力が三つ巴になり、お互いに主張を大声で叫ぶ事を繰り返して一歩も引かない。
(…いや、だからさ、みんな、俺の意志は…尊重されないのか…?)
 ひろのは、もはや事態が自分の管制しうる段階でない事を悟った。いや、あるいは最初からそうだったのかもしれない。
 結局、彼女に出来たのはその場を逃げ出す事であった。目的と手段が逆転している連中を後目に、ひろのは二段飛ばしで唯一の退路である下り階段を走って逃げた。

「う…腹減ったな」
 どうにか修羅場から逃げる事に成功したひろのは、何時にない空腹感を感じた。芹香やあかりはお弁当を持って来てくれたかもしれないが、教室へ戻る道は部活勧誘部隊に封鎖されている。やむなく、彼女は購買に走る事にした。
「久々に…カツサンドでも食べようかな。お金もある事だし」
 ちなみに、ひろののお小遣いはセバスチャンが「ひろの、小遣いをやろう」の一言でぽんっと五万円ほどくれたので、カツサンド代くらいわけはない。
 なお、「ありがとう、おじいちゃん」と礼を言った次の瞬間、真っ赤になったセバスチャンがさらに一万円くれた事は内緒だ。
 そして、ひろのが渡り廊下に出てきた時、その声は聞こえてきた。
「エクストリーム同好会に入りませんか?私たちエクストリーム同好会は総合格闘技を通じて…」
 格闘技に興味があったわけではない。
 エクストリームという言葉は、聞き覚えがある、程度の認識だった。
 それなのに、ひろのは足を止めていた。そこに運命の選択肢があったかのように。
 そこでは、一人の小柄な少女が廊下を行く生徒たちに懸命に訴えかけていた。
「そもそも、エクストリームは立ち技、グラウンド、サブミッションなど、古今東西のあらゆる格闘技を集大成し、さらに精神面も鍛える東洋独自の道(タオ)という考え方をも…」
 はっきり言って、ひろのには少女の言っている事がよくわからなかった。他の生徒たちも興味を持てなかったのだろう。聴衆はひろの一人で、あとの生徒たちは少女の横をすり抜けていくだけだった。
 しかし、ひろのには少女の懸命さが伝わってきた。そこには、楽しそうに部活について語ったレミィと共通の、今夢中になっている事のある人間特有の輝きがあった。その時、じっと話を聞いてくれているひろのに気がついたのだろう。少女が駆け寄ってきた。
「あの…さっきからずっと聞いてくださってますよね。格闘技に興味、おありですか?」
 少女がはにかむような表情で聞いてきた。好きな事を語っている間は夢中になれるが、いざ人と話すとなるとちょっとあがってしまうタイプなのかもしれない。
「え?ええっと…まぁ、人並みには…」
 ひろのは適当な事を答えつつ、少女を観察した。おそらく新入生なのだろう。見かけない顔だったが、十分に可愛らしい、と言える外見だった。光の加減で青く見える髪の毛をざっくりとしたショートカットにしている。身長はひろのより20センチは低い。
「えっと…君、新入生だよね?」
「…?はい、そうですけど」
 ひろのの質問に、少女は小首をかしげて返事をする。
「それなのに、なんで同好会の勧誘を?」
 この質問に少女は微笑んだ。
「この学校にはエクストリームの同好会が無いですから、自分で作ろうと思ったんです。でも、なかなか話を聞いてくれる人がいなくて」
 ひろのは少女の言葉に素直に感心した。無いなら作ってしまおう、という考えは最近はなかなか見られない前向きなものだ。まして、彼女はつい10日ほど前にこの学校に入って来たばかりの新入生なのだ。
「そりゃすごいな」
 自然とひろのは感嘆の思いを口に出していた。
「え?」
 少女がまた小首をかしげる。
「いや、なかなかそういう自分で先頭切って何かしようって言うのは難しいって事。大したもんだと思うよ」
 ひろのの褒め言葉に、少女は頬を赤く染めた。
「そ、そうですか…?」
「うん、そうだと思うよ」
 照れる少女とひろの。何となく、話の接点が見つからなくなったその時、ひろののお腹が「きゅうっ…」と可愛らしい音を立てた。
「…あ」
 今度はひろのが赤くなる番だった。少女は一瞬ひろののお腹を見つめ、それからクスクスと笑い出す。
「そう言えば、お昼ご飯まだ食べてなかった…ちょっと君、あまり笑わないように」
 くすくす笑いと言うよりは爆笑しそうなのをこらえているらしい少女は、涙を拭いながら謝った。
「…す、すいません…ぷっ…」
 ひろのは少し憮然とした表情になったが、すぐに少し微笑んで少女に尋ねた。
「また、話を聞きに来て良いかな」
 すると、少女はさっきまでのおかしい笑いではなく、嬉しい笑顔を浮かべて頷いた。
「はい、喜んで!わたし、放課後は裏の神社で練習してますから!」
「裏の神社ね。うん、それじゃあ、また」
 そうして、ひろのは少女と別れて食堂へ行った。購買の製品がコッペパンを残して既に売り切れているのは目に見えていたからだ。
「あ、そう言えば名前も聞いてなかったな」
 うどんをすすりながらひろのは呟いた。

 放課後、教員用玄関を使って勧誘部隊の目を誤魔化したひろのは、裏の神社に続く階段を登っていた。丘の中腹にある東鳩高校の、更に上にあるこの神社は、「ほこら」と言う方が近いような、小さな無人の社だった。その割に境内は広いので、運動にはもってこいかもしれない。
 というか、ここまで登ってくるだけでも結構な運動だよな…とひろのが思った時、上の方から切れ目のない打撃音が聞こえてきた。
(…?)
 一体何が?と思いながら階段を登りきったひろのの目に飛び込んできたのは、大きな木の枝から吊るしたサンドバッグを叩く体操服姿の、あの少女の姿だった。彼女が拳やキックを撃ち込むたびに、小気味の良い音が響き渡る。その見事な身体捌きにひろのが見とれていると、気が付いた少女が練習を止めて駆け寄ってきた。
「先輩!ホントに来てくださったんですね!!」
「あ、あぁ。練習中に迷惑だったかな」
 満面の笑顔で自分を迎えてくれた少女に気圧されるようにひろのがうなずくと、少女はぶんぶんと首を横に振った。
「とんでもない。それじゃあ、こっちでお話しましょう」
 そう言うと、少女は社殿のぎざはしに腰掛けた。ひろのも隣に座る。
「そう言えば、自己紹介をしていませんでしたね。わたし、1−Bの松原葵と言います」
 ひろのも自己紹介する。
「おれ…じゃなかった、私は2−Aの長瀬。長瀬ひろの」
「長瀬…ひろの…?」
 葵は首を傾げ、しばらくしてポンっと手を打った。
「あぁ、思い出しました!2年生に長瀬って言うすっごく美人で評判の先輩がいるって。先輩がそうだったんですかぁ…もっと早く気づいても良かったのに」
(評判…なのか?)
 男の頃なら、志保が誰が男の子に人気があるの、ないのと教えてくれたものだが、最近の志保はそう言う事はしない。よって、ひろのは自分に美人であるが故の人気があるなどとは思っても見なかった。
「でも、長瀬先輩みたいな人が格闘技に興味があるなんて、ちょっと意外ですね」
 その葵の言葉に、ひろのはちょっと困った。実際、彼女は格闘技にさほどの興味がある訳ではない。明るく、そして一生懸命に自分の思うところを話す葵に心を引かれたからだった。
 かといって、「格闘技じゃなくて、君に興味があるんだ」などと言うのはどう考えてもナンパの手口である。いや、それならまだしも今の自分は女だ。女の子にナンパまがいの台詞を言うのは非常にマズい気がする。特に、最近自分を見る目が変になって来ているあかりの事を思うと尚更だ。嫌われるくらいならフォローのしようもあるが、もしこの子が「そういう趣味」だったら…?
 ひろのはぶんぶんと頭を振って嫌な想像を追い出した。少し考えて、言葉を口にする。
「いや、実は格闘技の事はあまり良く知らないんだ。でも、葵ちゃんが凄く楽しそうに話しているから、どんなものなんだろうと思って」
 ひろのの言葉に、葵はそうなんですかぁ…と、一瞬落胆したような表情になるが、すぐに顔を上げる。
「あ、でも…最初は健康法と言うかたちで基本をやってみるのもいいですよ。太極拳なんかはそうですし、ボクシングとエクササイズを合わせたボクササイズ、というのもありますし」
 葵はそう言って、格闘技と健康に付いて話し始める。ちょっと専門用語が多くて分からないところもあったが、葵はなかなか話し上手で、ひろのはつい聞き入ってしまった。話は健康法から、さらに葵が目指している総合格闘技「エクストリーム」にまで及び、気が付く頃には、空はすっかり夕焼けの色に染められていた。
「わ…もうこんな時間。すいません、長瀬先輩。すっかり長話にしちゃって」
「ううん、楽しかったよ」
 ひろのは恐縮する葵に答えた。本心だった。目を輝かせながら熱っぽく語る葵を見ているのが楽しかったと言っても良いかもしれない。
「そうですか…わたしも、久しぶりに聞いてくれる人がいて嬉しかったです」
 葵は安心したようににっこりと笑い、ひろのも釣られて笑った。そして、話を聞いているうちに決めた事を口にした。
「私、葵ちゃんの同好会だったら、入っても良いよ」
「…え?ええっ!?本当ですか!?」
「うん、本当」
 ひろのは頷いた。同好会は正規の部活と違い、学校からの予算が出たりはしない分、設立に必要な要件は緩い。構成人数10人以上とされる正規部と違い、芹香のオカルト同好会のように、極端な話メンバーが1人でも成り立つのだ。
 ただ、運動系は格闘技のような個人競技でも、練習相手がいるため最低2人は必要と言うのが不文律である。ひろのが入れば、エクストリーム同好会はちゃんとした同好会として学校に認められ、校内での活動もやりやすくなるのだ。それは大きい。
「でも、良いんですか?」
 葵が心配そうに尋ねてきたが、ひろのは心配いらないと言うように手を振って答えた。
「私は、葵ちゃんみたいな一生懸命な子は放っておけないから。助けてあげたいって思うから」
「…ありがとうございます、先輩」
 葵は頭を下げた。

 翌日、ひろのがエクストリーム同好会に入ったと言う情報はたちまち校内に広まり、各部活の勧誘団は雲散霧消。しばらくぶりにひろのの元にも静けさが戻って…は、来なかった。
「先輩…これ、どうしましょう」
「う〜ん…」
 机の上に積み上げられた無数の紙片を前に、葵は困った顔になっていた。ひろのも困惑を隠しきれない。
 それらは全て、エクストリーム同好会への入会願いだった。男子からのものが圧倒的に多いが、女子のものもかなりの数がある。ひろの効果はまさに絶大なりであった。やがて、ひろのが覚悟を決めたように言った。
「う〜ん、まぁ、とりあえず全員入れてみたら?半端な覚悟の人は勝手に逃げると思うし…それに」
「それに?」
「この人数なら、正規の部活として設立許可を求めても通るんじゃないかな」
「あ」
 かくして、エクストリーム「部」は男子27名、女子10名(ひろの・葵含む)の正式な運動部として、東鳩高校に産声を上げた。部長には松原葵が就任し、ひろのはマネージャーと言う事になった。練習場所としては武道館が与えられた。練習初日、簡単な挨拶の後、葵は早速指導を始めた。
「それでは、基本の型から入ります。こう構えて…そうそう。では、行きますよ。覇ッ!!」
『覇ッ!!』
 武道館に、37人の気合いの入った声がこだました。

 一方その頃…
「部長…気を落さないで下さい」
 一人の少女が、神社の境内でうつむく短髪・長身の少女に声を掛けていた。
「いいえ…栄光ある東鳩高校空手部は消滅したわ。今の私は部長ではなく、同好会長よ…」
 部長と呼ばれた短髪の少女は呟いた。先日まで、空手部のメンバーは男女合わせて22名。しかし、その大半がエクストリームに移籍し、いまや空手「同好会」へ成り下がったこの組織のメンバーはこの場にいる2人だけだった。
「部長…」
 少女が慰めようと再び部長を呼んだが、彼女はその言葉を聞いていなかった。
「エクストリーム…あんな伝統のないお遊戯が部になり、あまつさえ我が空手部の全てを奪うとは…!!」
 部長がぎりぎりと奥歯を噛み鳴らすようにして呟く。その声には濃厚な怨念が含まれていた。
「何より…あの女が許せない…長瀬ひろの…!!」
 部長は、手にしていた写真を投げ上げた。それは、最近写真部の主力商品となっているひろののブロマイド(本人不承諾版)だった。が、次の瞬間。
「鬼ェェェェィィッッ!!」
 目にも止まらぬ速さの蹴りが一閃し、ブロマイドを真っ二つに切り裂く。そして、更に無数の拳がそれを微塵に粉砕した。
「長瀬ひろの!なによりも私の葵を奪った報い、必ずくれてあげるわ!!」
 咆哮する部長を目に、少女は心の中で呟いた。
(部長…貴方がそう言う人だから、みんな逃げたんだと思いますよ。だから…私も、さよなら…)
 少女は立ち去り、かくして、前日消滅した空手部から変更された空手同好会も、この日消滅の憂き目を見た。
 一人の復讐鬼だけを残して…

(つづく)

次回予告

 部活にも入り、次第に充実してきたひろのの学園生活。そんなある日、ひろのは階段で一人の少女と出会った。何かに脅えるような仕種のその少女が抱えている重荷を、ひろのは取り除いてやろうと決意する。
 次回、第五話
 「暴発する青春」
 お楽しみに。
 多分この予告も実際とは違うんじゃないかと思います(爆)。


後書き代わりの座談会・その4

ひろの(以下ひ)「…何だか寒気が」
作者(以下作)「風邪か?」
ひ「いや…なんかこう、冷たい視線を感じたと言うか」
作「ここは神域だからな。ヤバイ霊的現象ではないと思うけど」
ひ「やめてくれ、縁起でもない」
作「まぁ、神社で丑の刻参りをすると言う例もある事だし…後で芹香に相談してみたら?」
ひ「うん、そうする…で、芹香先輩の事なんだけど」
作「うん?」
ひ「ちゃんと、俺にかかっている魔法を解く研究はしてくれているのかな?」
作「さぁ?」
ひ「さぁ?って…お前作者だろ。キャラが何やってるのか把握してないのか?」
作「作者と言えど神じゃないぞ。個々のキャラが目の届かないところで何やっているかなんて知るものか。第一…」
ひ「第一?」
作「女の子のプライヴァシーを覗き見するなど私の倫理観が許さん」
ひ「俺のは覗き見しているじゃないか!思いっきり!!」
作「ほぉ。自分を女の子のうちに数えているのか。自覚が出てきたようで結構結構」
ひ「…くっ」
作「それで良いんだよ。これはそういうノリを楽しむ作品なのだから。まぁ、私のネタが尽きる頃には戻してやるから安心しろ」
ひ「…いつ尽きるんだよ」
作「それこそ、さぁ?だ。期待しないで待て。じゃあ、私はそろそろ行くから」
ひ「…くそぉ…本当にここで丑の刻参りしたろか…」

収録場所・東鳩高校裏の神社にて(やはり嘘)


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