このお話は、すっかりかわいらしくなった一人の女の子と、すっかり骨抜きにされてしまった彼女の友人知人たちの織り成す物語です。

To Heart Outside Story

12人目の彼女

第三十九話「激闘合同体育祭」

 澄み切った青空に、どーん、どーんと言う音を立てて、花火の白い煙が弾ける。東鳩市総合グラウンドの競技場には多くの人々が集まり、その時を待っていた。
「選手入場!」
 やがて、アナウンスと共に、スタンドの一方に陣取ったブラスバンドが指揮者の振るタクトに合わせて勇壮な行進曲を奏ではじめた。その曲にあわせ、グラウンドに続々と選手たちが入場してくる。
 それが終わると、今度は逆サイドのスタンドで配置についていた別のブラスバンドが演奏をはじめた。いや、ブラスバンドと言うのはやや不正確である。吹奏楽器だけではなく、バイオリンなどの弦楽器やピアノまで置かれ、小さいながらも管弦楽団の態を成していたからである。
 彼女たちの奏でる、勇壮というよりは優雅な調べに合わせ、先ほどとは別の選手たちが行進する。ほどなくして全員が整列すると、アナウンスが選手宣誓を告げた。最初の選手団と次の選手団から代表が一人ずつ前に進み、演壇の上に用意されたマイクの前に立った。
「宣誓! 私たち両校生徒一同は、スポーツマンシップと、それぞれの学校の精神に則り、最後まで正々堂々と戦い抜くことを誓います」
 そこで二人の代表は言葉を切り、それぞれに名乗った。
「選手代表、東鳩高校、長瀬ひろの」
「選手代表、西園寺女学院、来栖川綾香」
 そう、この日は東鳩高校の体育祭であると同時に、西園寺女学院の体育祭でもあり、両校が合同で体育祭を行う事になっていたのである。
 どうしてそんなことが起きたのか…話は少し時間をさかのぼる。

「え、ひろのの学校もうすぐ体育祭なの?」
 紅茶をすすりながら綾香が言った。夕食も終わり、ひろのと来栖川姉妹によるお茶の時間の出来事である。
「うん、秋のイベントの締めくくりだね」
 ひろのは頷いた。本来ならもう少し早い時期に行われるのだが、つい先日まで、東鳩高校の校庭は、文化祭で破壊された校舎を修理する間使われていた仮設校舎で埋まっていた。
「ふーん…ひろのはどんな競技に出るの?」
「えっと…二人三脚と、障害物競走かな」
「姉さんは?」
「…」
「借り物競争と騎馬戦? あ、騎馬戦は全員参加か」
 芹香はこくこくと頷く。妹と違って運動神経が人並み以下な芹香は、あまり体育系のイベントでは活躍できないのだった。その点、借り物競争はそれほど身体を使う必要が無い。
「綾香のところはもうやったの?」
「ん? 寺女もまだだけど…」
 ひろのの質問に綾香は答え…そして、急にあるアイデアを思いついた。
(これは千歳一隅のチャンスかもしれないわね)
 綾香の頭脳は猛烈な勢いで回転し始めた。突然何かを考え出した綾香を、ひろのと芹香は不思議そうな目で見ていた。
 翌日、ひろのが学校から帰ってきて部屋で寛いでいると、内線電話が鳴った。
「もしもし?」
『あ、ひろのちゃん? 綾香様がいらっしゃってるんだけど』
 真帆からの電話だった。ひろのは頷いて一階の応接室に降りた。綾香と向かい合って座り、真帆が紅茶を淹れてくれるのを待つ。
「ありがとう、安藤さん。ちょっと二人きりで話したいから、席を外してくれる?」
「かしこまりました。何かありましたらお呼びください」
 真帆が一礼して去ると、早速ひろのは綾香に問い掛けた。
「綾香、どうしたの?」
 普段は食事の後にゆっくり話をする時間があるだけに、こんな早いうちから綾香がやってきた事に、ひろのは首を傾げた。
「いや、たいした用事じゃないのよ。ちょっとこれ見て」
 綾香はそう答えると、もってきた鞄の中からプラスチックのフォルダを取り出した。それには二枚の書類が挟んであった。綾香はそれをひろのの前に並べた。
「えーっと、セキュリティ申請書?」
 ひろのは書類のタイトルを読み上げた。何の書類なのかさっぱりわからない。そこで、彼女のために綾香が解説してくれた。
「こんど、うちのセキュリティシステムが新しくなるのよ。それで、あらかじめセキュリティに引っかからない権限をひろのにもあげようって訳」
「え? 良いの?」
 ひろのが驚くと、綾香はもちろん、とばかりに大きく頷く。
「当然よ。ひろのは家族みたいなものだもん」
 その言葉に、ひろのは嬉しそうに微笑むと、応接テーブルの脇に置かれたペン立てに手を伸ばした。
「ありがとう、綾香。ちょっと待っててね」
 そう言って、ひろのは二枚の書類に素早く自分の名前を書き込み、ハンコを押して綾香に渡した。
「これで良いかな?」
「ええ、ばっちりよ」
 綾香は満足そうに頷き、紅茶をすすった。彼女はひろのとしばらく談笑した後、用を思い出したと言って長瀬邸を後にした。上機嫌で鼻歌など歌いながら自宅に戻り、自分の部屋に入ると、さっきひろのに書かせたばかりの書類を取り出した。
「ここを、こう…あ、あった。ここね」
 書類の表面に指を這わせ、微妙な凹凸を感じ取ると、そこに爪を引っ掛ける。そして慎重に持ち上げていくと、なんと書類の表面がはがれ、「セキュリティ申告書」の見出しとその下の本文の部分が元の書類から捲れあがった。その部分は単なるダミーのシールだったのだ。
 それもそのはず、彼女がひろのに説明したセキュリティの強化計画など、最初から存在しない。全ては、この隠匿された本当の書類にひろののサインを書かせる事が目的だった。その目的の物を目にして、綾香は満足そうに微笑む。
「ふふふ…これで、ひろのをモノにする準備は一つできたわね…」
 そして、数日後。綾香の策謀の一環が、具体的な形で東鳩高校の生徒たちに示された。

「先生、それって本当なんですか!?」
 生徒の誰かの質問に、木林先生は重々しく頷いた。
「あぁ。先方からの申し入れでな。今年の体育祭は西園寺女学院との合同開催と決まった」
『な、なんだってー!!』
 男子が大げさに驚く。これは木林先生が某漫画の主役級キャラと同姓である事に引っ掛けたギャグなのだが、それはさておき、驚きつつもほとんどの男子たちの表情には隠し切れない笑みが浮かんでいた。
 何しろ、寺女といえば名高いお嬢様学校。そこに通う深窓の令嬢たち(男子の先入観に基づき、全員美少女)にお近づきになるまたとないチャンスとあっては、笑みがこぼれるのも無理はない。
 しかし、寺女…というより、そこを実質的に支配する一人の少女の実態を個人的に知っている一部女子としては、困惑の方が先に立つのも無理はなかった。
「ねぇ、ひろのちゃん…これってやっぱり…?」
「うん…間違いなく綾香の差し金だろうね。何を考えてるんだろ…?」
 あかりの言葉に相槌を打ちつつ、ひろのはちらりと雅史のほうを見た。雅史は興奮状態の矢島にまとわりつかれていた。
「おい佐藤、お嬢様だぜお嬢様。すげえよな。これはぜひお知り合いになっておかないと」
「いや、僕は別に…」
 雅史は迷惑そうに答えていた。ひろのがちょっと安心した表情になったとき、その微かな変化を見逃さなかった志保がニヤリと笑ってひろのの肩を叩いた。
「やーねー、ひろのったら。雅史なら大丈夫よ」
「え…わ、私は別にそんなつもりじゃ…」
 ひろのは真っ赤になりながら、話題を強引に変えた。
「と、とにかく…帰ったら綾香とは顔を合わせる事になるだろうから、その時聞いてみるね」
 あかりと志保に向かって言う。綾香の事だから本音を素直に話してくれるとは限らないが、ただでさえ予想を越えた行動を起こすのが綾香と言う少女の恐ろしさである。
 ひろのに予測しきれるような相手ではないので、ストレートに聞いてみる方がまだマシというものだった。

 と言うわけで、ひろのは夕食の後でさっそく綾香に話を聞く事にした。
「ああ、体育祭の事? 確かに生徒の側で、東鳩との合同にしようって提案は出したわよ」
 綾香は澄ました顔で答えた。しかし、彼女が主導したのは間違いないだろうな、とひろのは考え、次の質問をした。
「それで、どうしてまたうちみたいな庶民校と?」
「やっぱり良く知ってるしね。学校の方も、姉さんが行ってて問題ない学校だからってOKしてくれたし」
 これはまぁ、ひろのにも理解できる理由ではある。しかし、寺女の先生たちは、東鳩高校がハイジャック事件に巻き込まれたり、特別校舎が爆発事故を起こしたりしたことを知らないのだろうか?
「うーん…でも、東鳩って、柄は悪くないけど、男子もいるし、問題にならないかな…?」
 ひろのは言った。寺女と合同と聞いただけで、大半の男子が浮き立ったような状態になっていたので、寺女の生徒たちが相手しなくても、男子の中には強引な行動を起こす者がいないとも限らない。
 しかし、綾香には心配は無いようだった。
「東鳩のチーム編成って、クラス別なのよね?」
「うん。今回は男女別だけど」
 ひろのは素直に頷いた。寺女参戦が決まった事で、今年の東鳩高校では男女の成績を分け、それぞれに成績を競う事になっている。なお、なんで寺女の生徒である綾香が東鳩高校の体育祭について詳しいのか、などとは聞かない。綾香とはそういう少女だからである。
「それなら、寺女は生徒数も少ないし、うちだけで1チーム作るから大丈夫よ。それに…みんなボディガードくらいはいるしね」
「…なるほど」
 ひろのはうなずいた。考えてみると綾香がボディガードなど不要(むしろ邪魔)なだけの強さを持っているので忘れがちだが、良家のお嬢様なら間違いがないように、幾重にも防御手段くらい用意しているだろう。
「それにね…学校は違うけど、一回くらいひろのと一緒に何かイベントをしたって言う思い出があっても良いじゃない」
 綾香はそう言って笑った。ひろのはそうかな、と首を傾げたものの、寺女が東鳩と合同体育祭を開く理由については納得してしまい、その真の狙いを聞く事を忘れてしまった。つまりは、上手く綾香にごまかされたわけである。

 とは言え、ひろのの友人たちが、彼女を綾香の魔の手から守ろうと言う考えに変化は無い。競技開始を目前に控え、あかり、琴音、芹香のAチーム(各学年A組合同チーム)有志たちは人の来ない通路の片隅で話し合いをしていた。
「と言う事で、綾香さんが何か悪巧みをしているのは確実だと思うの」
 あかりの言葉に、芹香がこくこくと頷く。身内の反応だけに説得力は大きい。
「そうですね。ただ、何を狙っているのかはわかりませんが…」
 琴音が言った時だった。
「んふふ、皆さんお揃いね」
「!!」
 突然背後から聞こえて来た声に、三人は一斉に振り向いた。そこに、話題の主である来栖川綾香その人が立っていた。
「神岸さんの言う通り、私の狙いはひろの一人よ。できれば邪魔をして欲しくは無いけど…そうも行かないわよね?」
「もちろんですっ!」
 不敵に言い放つ綾香に対し、琴音が先手必勝とばかりに力を放とうとするが、あかりがそれを制して綾香と向かい合った。
「ひろのちゃんを…どうするつもり?」
 あかりの質問に、綾香は腕組みをして考える。
「そうね…ひろののブルマー姿を鑑賞するだけでも、かなり美味しいんだけど…」
 そこまで言うと、綾香は自分の体操服をつまんだ。ちなみに、寺女の体操服は東鳩高校のブルマーに対してスパッツを採用している。
「ひろのにこれを着てもらうようにする、って言うのが最大の目的かしら?」
 綾香の言葉の意味を最初に理解したのは、琴音だった。
「綾香さん、まさか…長瀬先輩を…!?」
「そう、寺女の生徒として転入してもらうわ」
 綾香は琴音の推理をあっさり肯定して見せた。
「信じられない…本当にそんな事できるの?」
 あかりが尋ねると、綾香は良くぞ聞いてくれました、とばかりに2枚の書類をどこからとも無く取り出した。そこにはこう書かれていた。
『退学届 私は一身上の都合により、東鳩高校を退学させていただきます 長瀬ひろの』
『転入願 私は下記推薦者の推薦を添付の上、貴校に転入を希望します 長瀬ひろの(推薦者:来栖川綾香)』
 どちらも本物の書類…東鳩高校への退学届と、西園寺女学院への転入願だ。どちらも、サインは見慣れたひろのの字…これこそ、綾香がセキュリティ申請書と偽ってひろのにサインさせた書類だった。
「こ、これは…そんな…!」
 驚愕するあかり。確かに、この二枚の書類を握ってさえいれば、ひろのを転校させるのも難しいことではない。何しろサインは本物なのだ。
「そんなもの…!」
 琴音が声をあげた瞬間、突然書類が火に包まれた。パイロキネシス…発火能力である。綾香は慌てず書類を投げ捨てた。たちまち灰になっていくそれを見ながら、同じものを何枚も取り出す。勝利を確信していた琴音が愕然となった。
「今のはコピーよ。その気になれば何枚でも出せるわ。本物は私しか知らない、秘密の場所に保管済みよ」
 琴音は救いを求めるように芹香の方を見たが、彼女は黙って首を横に振った。姉妹同士でも秘密はあるし、そこに触れないのは礼儀である。
「と言うわけで、この体育祭の総合成績で、もし貴女達…東鳩高校Aチームが勝ったら、この書類は引き渡すわ。でも、もし私たち寺女が勝ったら、ひろのは寺女が貰う。この勝負…受ける?」
「受けるしかないでしょ」
 綾香の問いに、あかりは力強く答えた。どうやってひろのにサインさせたのかはわからないが、あの書類を取られた時点でこの勝負からは逃げられない。
「…」
「え、ひろのちゃんには知らせなくていいのか、ですか?」
 そこで芹香も意見を述べた。しかし、あかりと琴音は首を横に振った。
「それは…ちょっと言えないですよ。いくらひろのちゃんを守るためといっても、賭けに乗っちゃった以上はバレたら怒られると思うし…」
「隠密に事を運んだ方がいいですよ。明るみに出たら大事になります」
 ひろのを心配させないように、全てを隠密裏に片付けようと言うのだ。こう言われては、芹香も強くは出られない。ひろのに内緒にしておきたいと言うのは綾香のほうも一緒だったので、そちらも異存は無かった。
「じゃあ、そう言う事でよろしくね。言っとくけど…うちはそんなに甘くは無いわよ?」
 そう言い残し、綾香は去っていった。あかりと琴音は一瞬動揺した。綾香は別格としても、寺女は所詮お嬢様学校。体力勝負では庶民の自分たちに分があるはず…と考えていたのを読まれたような気がしたのである。

 その不安を拭いきれないまま、開会式は終わり、女子徒競走の順番がやってきた。走る距離は50メートル、東鳩のA〜Eに寺女チームを加えた6チームの代表10名が参加する。
「あ、やっぱり綾香出てきてるな」
 観客席からグランドを見下ろしてひろのが言った。綾香は寺女チームの戦闘で軽くストレッチをしている。横には圭子も立っていた。まず、寺女で体力勝負となれば、この二人は欠かせない人材だろう。
「初っ端から綾香さんかぁ…あれ?他の選手…」
 ひろのの隣で双眼鏡を片手に選手たちの様子を見ていたあかりが首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや…あの人たち、本当に寺女の生徒なのかな?」
 ひろのはあかりから双眼鏡を借りて、寺女選手団を見た。そして、次の瞬間唖然となった。

 グラウンドでは、出場選手の一人である琴音が、綾香を見つめて眉を吊り上げていた。
「替え玉出場とは…綾香さん、卑怯です!」
「ほほほ、何の事かしら?」
 琴音の抗議を、綾香は笑って受け流した。彼女の背後には、圭子を除けば寺女の生徒どころか、高校生であるかどうかすら怪しいと思われる、やたら屈強なアスリートたちが控えていた。どう見ても、そこらの体育大学辺りから助っ人を引っ張ってきたとしか思えない。
「彼女たちはれっきとした寺女の生徒よ。何も問題は無いわ。ねっ?」
『押忍ッ!!』
 怒号のような返事。綾香の言葉に偽りは無い。彼女たちは確かに寺女の生徒である。ただ、その地位にあるのは今日が最初で最後だが。どうも、この代理選手たちに全てを任す気なのか、寺女のお嬢様たちはスタンドに陣取って優雅に観戦する構えだった。
(仮にバレたとしても、替え玉出場を規制するルールがない以上はどうって事ないわ)
 当たり前のことだが、たかが学校の体育祭に、ここまで大掛かりな不正を企む者はいない。従って規制もない。そこを突いた、綾香のあざといまでの策略だった。
 ちなみに、この作戦には思わぬ副次効果もあった。
「げ…あんなのかよ…くそ、やる気が失せたぜ…」
 お嬢様が出てこないことを知り、東鳩高校の男子陣は軒並みやる気を失いつつあった。が、本筋とはあまり関係ないので割愛する。
(なるほど、自信たっぷりなわけですね。でも、こっちだってそう簡単には勝たせませんよ!)
 琴音はそう決意すると、自分の位置に戻った。そして、いよいよ競技が始まった。教師の一人がピストルを天に向け、引き金に指を引っ掛けて力を込める。
「位置について…用意…どん!」
 パーン、と言う乾いた音と共に、並んだ選手が一斉に飛び出す。先行したのは寺女チーム。東鳩の5チームを軽く引き離しての勝利だった。
「やりぃっ!」
 指をパチンと打ち鳴らして勝利を喜ぶ綾香。早速寺女チームの点数が「3」になる。ちなみに、今回の体育祭のルールでは、一位が3点、二位が2点、三位が1点もらえる事になっている。
 続く第二走者、第三走者も寺女が制した。早くも9点。他のチームはまだ4〜5点止まりだった。
 そして、第四走者。綾香はここで自分が走るつもりだった。さらに第五走者は圭子。中盤までに全て一位を取り、東鳩高校の出端を大いにくじく作戦である。
 一方、東鳩高校の側では、Aチームに琴音が出てきていた。さらに、五番手には葵がいる。協力を得るため、琴音は葵には綾香との賭けの事を話していた。
「そう言う事だったんだ…うん、わかった。全力で行くね」
 寺女の尋常でない様子を訝っていた葵も納得し、入念にストレッチをやり直している。琴音は安心してスタートラインに立ち、横にいる綾香と視線の刃を交わした。
「琴音ちゃん、私と勝負とは良い度胸ね」
「必ず勝ちます」
 視線だけでなく、言葉でも戦う二人。とは言え、綾香は自分の優位を確信していた。琴音が超能力を使い、かなりの高速で飛ぶ事ができるのは知っている。しかし、地面を移動する分には普通の人とあまり変わらなかったはずだ。
 その点、綾香は全力で走ればオリンピック選手も目じゃない速度を出す事ができる。琴音がただ足の速い女の子である、とすれば十分に勝算はあると判断した。
 もちろん、琴音の超能力が地上でも通用する可能性はある。だから、結局全力で戦う必要はあるだろう。獅子はウサギを狩るにも本気を出すものなのだ。
「位置に付いて…用意…」
 いよいよ号令が掛かった。綾香は身体の重心を移動させ、最速で走れる体勢を整える。
「どん!」
 ピストルの音がパーンと鳴り響く。その「パ」の部分で綾香はもう全力ダッシュに移っていた。ほとんどドラッグレーサーのような凄まじい速度で走る綾香だが、その感覚は後方でもがく常人レベルの選手たちの動きを捉えていた。あれは追いついてこない。そうほくそえんだ綾香だが、ふとあることに気が付いた。
 琴音の気配が無い。
 しまった、と思うより早く、前方、ゴールラインの手前に突然琴音が出現した。瞬間転移だ。琴音が余裕の表情でゴールラインを切ったのは、さらに加速を掛けた綾香がゴールに飛び込む寸前だった。
「その手があったわね…すっかり忘れてたわ」
 二位の旗を持つ綾香は悔しそうに琴音に言った。
「私だけじゃありません。葵ちゃんだって頑張ってるし、綾香さんにひろの先輩は渡しません」
 琴音が胸を張って断言する。彼女の言う通り、葵は圭子との人外レベル競争を辛うじて制し、A組チームに二つ目の1位をもたらしていた。たぶん、この場に陸上の公式記録員がいたら、100メートル9秒を軽く切るペースをたたき出した4人の存在にパニックになっていただろう。
 しかし、結局気を吐いたのは琴音と葵の二人だけで、10回戦中8回戦は寺女が制するという結果に終わった。この時点で寺女チームの得点は28点。A組チームの得点は13点で、いきなり倍以上の大差をつけられる結果となった。
「まずいね…まさかここまで負けるなんて」
 あかりは危機感を滲ませた口調で言った。一方、ひろのを巡る賭けの存在を知らない志保や智子は気楽そうな態度だ。
「綾香さんも良くやるわねー」
「負けず嫌いもあそこまで行くと相当なもんやね」
 そんなんじゃない、とあかりは言いたくなったが、ひろのの手前本当の事を口には出せなかった。琴音と葵、芹香も不安そうな表情をしている。しかし、それを一掃したのは、なんと賭けの対象であるひろの本人だった。
「いや、そうでもないんじゃないかな?」
 全員が一斉に彼女を注目した。
「寺女の人たちは身体能力は高そうだけど、それだけで勝てる競技ばっかりじゃないからね。特にチーム競技ではこっちが優勢だと思う」
 ひろのの説明に、全員がなるほど、と頷く。確かに、身体能力のみでケリの付きそうな競技と言うと、あとは最後のチーム対抗リレーくらいしか無いかもしれない。
 そして、ひろのの予測は早くも次の競技で的中する事になる。
『プログラム2番…パン喰い競争』
 選手たちがぞろぞろと集合する。その中に理緒の姿があった。
「理緒ちゃん、がんばれ〜」
「雛山さんファイト〜」
 クラスメイトたちが盛んに声援を送るが、理緒はただじっと一点を見つめていて、返事をしない。
 級友たちが異変を感じた時、真っ先にスタートラインについた彼女は、号砲と同時に真っ先に飛び出した。
「は、早い!?」
 寺女側スタンドでは綾香がその反応速度に驚愕していた。さっきの徒競走の時の彼女よりも、今の理緒が勝っていたかもしれなかった。
 理緒は2位以下を大きく引き離してパンの下に到着すると、小さな体格からは想像もつかないような大ジャンプを見せ、ぶら下がっていたあんぱんをゲットした。そして、他の選手たちがパンをくわえるかくわえないかの内にゴールを果たす。圧倒的な早さだった。
「り、理緒ちゃんすごい…」
 志保が感心し、大歓声の中、係が理緒に一位の旗を渡そうとする。しかし、彼女はそれを無視してスタンドに駆け寄った。何事か? と観客たちが見守る中、理緒は最前列に来ていた弟妹たちにパンを半分に割って与えていた。
「はい、良太、ひよこ。良く噛んで食べるのよ」
「わーい! ありがとー、ねーちゃん!」
「いただきます」
 雛山家の事情を知る者も知らぬ者も、思わず涙する光景だった。

 それでも、まだパン喰い競争は走る、跳ぶ、と身体能力を問われる面があるだけに、寺女替え玉チームが最高の成績を上げて終わった。しかし、次はムカデ競争だった。これは即席チームがそうそう勝てるような競技ではない。息の合った足運びでクリアしていく東鳩高校の各チームに対し、寺女チームは数歩ごとに転倒が続出する惨状で、ものの見事に最下位に終わった。
「これはちと予想外だったわね…」
 寺女側スタンドで、綾香は渋い表情になった。実を言うと、今回の替え玉作戦で集まった人材は、全てそれを立てた各生徒の人選による。時間との兼ね合いで綾香が一括して人選することが出来なかったのだ。これが、チームワークの欠如という形であらわれている。
「チーム競技だけ、本人が出るようにしては?」
 圭子が助言したが、綾香は首を横に振った。
「余計勝ち目が失せるわ」
「…そうですね」
 圭子もすぐに自論を引っ込める。無理も無い。お嬢様学校で、生徒の大半が幼い頃から蝶よ花よと育てられ、体育にしても怪我をしないようにお遊戯の延長戦のような事ばかりしている彼女たちの級友は、体力勝負に関しては幼稚園児並に頼りにならなかった。
「まぁ、今のリードを守り切る事さえできれば問題無しよ…次の競技は?」
 綾香が質問すると、圭子が手にしていたプログラムをさっとめくった。
「二人三脚ですね。長瀬さんも出場しますよ」
「それは見なきゃ」
 綾香は荷物の中からオペラグラスを取り出した。

 入場門の前で、ひろのは大きく伸びをして身体をほぐしていた。
「うん…レミィ、準備OK?」
「まかせるネ!」
 当然というべきか、ひろののパートナーはレミィだった。体格はほとんど一緒だし、仲が良いだけに息も合っている。練習の時もこの二人以上に速いペアはいなかった。
「ひろのさん、レミィさん、頑張ってくださいね〜」
 そこへ、順位の旗を持ってやってきたのはマルチである。ひろのは挨拶をして、ふと首を傾げた。
「あれ、マルチ、競技には出ないの?」
「はい、私もセリオさんも競技には出てないですぅ」
「人間の方々と私たちでは、能力が違いすぎますから」
 マルチの説明をフォローしたのはセリオである。彼女も旗持ちををはじめとして、完全に裏方の仕事だけを手伝っていた。ひろのは頷いた。
「なるほど…でも、ここじゃあんまり関係ないような気がするけど」
 確かにマルチたちメイドロボは常人の数倍の身体能力を持つ。100メートルを4秒前後で走破し、数百キロの荷物を持ち上げる事だって可能だ。しかし、東鳩と寺女には無数の人外の者が棲息しており、彼女たちを超える強者がごろごろしている。
「そうかもしれませんが、私たちはこっちのほうが性にあってますから」
「じゃあ、私たちは仕事に戻りますね〜」
 そう言って、二人のメイドロボは戻って行った。ひろのは手を振ってその後ろ姿を見送る。マルチが一位の旗を持っているのを見て、彼女はパートナーに言った。
「よし、マルチに会いに行くよ、レミィ
「OKネ!」
 レミィも力強く答え、二人の足首をリボンで結ぶ。出番は間もなくだった。

『プログラム7番、女子二人三脚です』
 アナウンスの声と共に、ひろのたちを含む選手は入場門を潜った。その途端に、割れるような歓声が彼女たちを包んだ。特に騒がしいのは東鳩高校の男子チームだ。彼らはこの競技に誰が出るのかちゃんと知っていた。
「おお、長瀬さんだ。胸揺れるぞ、胸」
 一部の男子、及び綾香が期待に興奮しながらひろのに双眼鏡やカメラを向ける。そうした視線に気付く事も無く、ひろのとレミィは選手の待機ゾーンに入った。
「なんだか緊張するね」
 ひろのはそう言ったが、レミィの方は全く気にしていなかった。
「リラックスしていこう、ヒロノ。緊張していたら実力は出せないヨ」
「うん、頑張るよ」
 レミィのアドバイスに応えてひろのが笑った時、最初の組のスタートを告げる号砲が鳴った。ちなみに、ひろのたちは最後の組だ。
 二人三脚もパートナーシップ重視の競技だけに、東鳩高校側も善戦する。むしろ押しているくらいだった。寺女側の替え玉選手のチームは即席ペアがたたって、なかなか勝てない。最初の徒競走終了の時点では15点だった点差が次第に縮まり、ひろのたちの順番が回ってくる頃には、あと3点というところまで迫っていた。
「よし、これに勝ったら最低でも1点は縮むよ! 頑張ろうっ!
「絶対に勝ちは譲らないネ!」
 ひろのとレミィはそう言って気合を入れ、ゴールラインについた。当面の強敵であろう寺女チームに目をやる。ひろのたちほどではないが、そこそこ背が高く、速そうな二人組だ。息も合っていそうに見える。
『位置について…よぉーい、どん!』
 係が号砲を鳴らした。ひろのとレミィは一気に飛び出した。背が高く、足の長い二人のスピードは速い。みるみるうちに他のペアを引き離し…ていなかった。
「! やっぱり!!」
 ひろのはちらりと横目で、寺女チームの二人が並んで走っているのを確認した。やはり、この二人はちゃんとコンビネーションが取れている。
「レミィ!」
「OK!」
 ひろのの叫びにレミィも応え、二人はさらにスピードを上げた。しかし、寺女チームを引き離す事が出来ない。逆に相手が先に出ようとするのを、必死に速度を上げて並走して行く。ゴールテープが近づき…二組はほぼ同時にゴールラインに飛び込んだ。
「はぁ…はぁ…どっちが勝ったの?」
「わ、わからないヨ…」
 座り込み、喘ぎながら周りを見回すひろのとレミィ。しかし、旗を持ったマルチとセリオはこちらにやってこない。ひとのたちと、審判を勤める教師たちが何やら話し合っているのを交互に見ている。観客たちも、何が起きたのかとざわざわし始めた。
『えー、ただいま順位の判定を巡って話し合いが行われています。しばらくお待ちください』
 アナウンスが流れ、状況を説明した。それで観客の疑問は解消されたらしいが、今度はどっちが勝ったか、を巡って意見が飛び交っていた。
 やがて、教師の一人が放送席に来ると、マイクを掴んで説明を始めた。
『協議の結果、写真判定にて順位を決定する事になりました』
 そんな事できるのか、と言う声があがったが、この総合グラウンドはプロサッカーや国際大会級の陸上競技も行える設備を持っており、心配は無用だった。やがて、オーロラビジョンに二組のゴールの瞬間の写真が映し出された。
『おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!?』
 大きなどよめきと共に、ひろのは真っ赤になった。二組のゴールはほぼ同時…少なくとも、身体の位置は全くといって良いほど同一だった。
 しかし、わずかに早く、ひろのとレミィの胸がゴールテープを切っていた。相手は二人ほど胸が豊かではなかったのである。
『写真判定の結果、勝者、東鳩高校女子A組チーム、長瀬・宮内ペア!!』
 どっと歓声が上がり、勝ったひろのとレミィに対し、賞賛の雨が降り注ぐ。いや、賞賛していたのは勝利だけではなかったかもしれないが。
「すごいですぅ〜、さ、こちらへどうぞ〜」
 駆け寄ってきたマルチが二人を一位の位置に誘導した。彼女はしきりに感心しているが、ひろのは勝った事よりも、判定写真への恥ずかしさのほうが上で、ずっと赤い顔をしていた。もっとも、受けたダメージは女性としてはかなり屈辱的な敗北を被った相手のほうが大きかったようだが…

 二人三脚が終わり、既に注目度も選手のやる気もなくなっている男子の種目がいくつか終わった。今度は女子の障害物競走である。これもひろのが出る種目のため、ギャラリーが一気に盛り上がった。
「サァ、みんなを応援するワヨ! Fight! Fight!」
 そう言って応援を盛り上げようとしているのは、何時の間にかチアリーダーの服に着替えたレミィだ。その横では…
「な、なんで私までこんな事せなあかんのや…」
「は、恥ずかしいです…」
 何故か巻き添えを食らった智子と琴音が、一緒に同じ格好で応援をしていた。
 応援されるひろのは、練習した通りに障害を突破する手順を、頭の中で確認していた。障害は網潜り、平均台、袋抜け、跳び箱の4つ。袋抜けは底を抜いた麻袋に身体を通して抜ける、と言う障害で、意外にこれが難しい。
(練習通りにやれば、問題は無いと思うけど)
 何か嫌な予感を感じつつ、ひろのはスタートラインに立つ。今回は一番最初の組だ。号砲が鳴り響き、一斉にスタートする。ひろのは最初の網と平均台を難なくクリアし、先頭に立った。
「良いわよ、ひろのー!」
「ひろのちゃん、行けー!」
 志保とあかりが声援を飛ばす。その声が聞こえたわけではないが、ひろのは一位をキープすべく、張り切って麻袋を手に取り、足から通して行った。ところが…
「あれ?」
 袋が胸に引っかかった。
「おかしいな…練習の時は平気だったのに…いたたっ!?」
 力を込めて袋を上に引っ張ってみるが、やっぱりだめだった。それどころか、まるで麻袋が身体に絡みついたように外れなくなってしまう。
「ひょっとして…これ練習用のより小さい…?」
 ひろのは暗澹たる気持ちになった。既に他の選手は苦労しながらも袋抜けを成功させ、ゴールに向かっている。負けるのは仕方ないとしても、こんな恥ずかしい格好のままなのは嫌だった。
「す、すいません! リタイアします!!」
 ひろのが訴えると、ちょっと様子がおかしいな、と思っていた先生たちがひろののそばに駆け寄ってきた。
「長瀬、大丈夫か?」
 体育の先生が聞いてきた。ひろのが袋が外れない事を伝えると、先生はすぐに袋を外す手伝いをしようとした。が、よじれた麻袋はがっちりと彼女の身体に絡み付いて外れない。おかげで胴が締め付けられて胸が強調され、おまけにブルマーの中に入れていた体操服もまくれあがって、すべすべしたお腹と背中が剥き出しになっていた。息苦しさに上気した表情も重なって、妙に色っぽい。
「い、痛いです…先生…もっと優しくしてください…」
「し、仕方ない…刃物もってこい、刃物!」
 聞きようによっては危なく聞こえるひろのの言葉に、先生が赤面しつつも指示を出したのは、様子を見に来ていたマルチだった。
「は、はわっ!? 刃物ですか? ちょっと待ってくださいね…はい、どうぞ」
 マルチが出したのは刃にダイヤモンドを使った対戦車チェーンソーだった。
「んなもん危なくて使えるかっ! 普通のはさみで良いんだっ!」
「は、はわ〜っ!!」
 先生に怒られ、慌てて本部テントに向かうマルチ。結局、麻袋を切って脱出するまで、ひろのは3分近くも恥ずかしい格好を晒す羽目になったのだった。

 その頃、寺女スタンドでは、綾香が至福の表情で後ろに控えている圭子に、親指を立てた拳を突き出していた。
「…グッドジョブだったわよ、圭子」
「ありがとうございます」
 圭子は頷いた。袋をミニサイズにすりかえたのは、陰行の術でグラウンドに潜入した彼女の仕業だった。
「おかげで、ひろののすっごくそそる表情がいっぱい写真に撮れたし…点差は開いたし…うふふ、一石二鳥とはこの事ね」
 策略の成功に浮かれていた綾香は、相手にも自分と同じように卑怯な手段を使ってでも勝つ事に躊躇の無い人間がいるのを、すっかり忘れていた。

「え、ひろのちゃんのあれは綾香さんのせい?」
 琴音に通路に呼び出されたあかりは、思わぬ事を告げられて驚いた表情を見せた。
「ええ、妙に浮かれてて隙があったので、テレパシーで心を読んでみたんです」
 顔に憤りの表情を貼り付けた琴音が答えた。あかりは少し考えて、ごそごそと何かを取り出すと、琴音に手渡した。それはトランプほどの大きさのカードだった。何かが書いてある。
「なんですか、これ?」
 訝る琴音にあかりはそっと耳打ちした。それを聞いて、琴音はにっこり笑った。
「もちろん。簡単な事ですよ」

 次の種目は、芹香も出る借り物競走だった。号砲と同時に飛び出した寺女の選手が、封筒を開けてみて愕然とする。
「な…何これ!?」
 そこには「鎌倉の大仏」と書かれていた。おろおろしているうちに、他の選手がみんなゴールしてしまう。怒った寺女の選手は、審判に抗議した。
「ああ、これは冗談で混ぜたカードだね。借りられないものは別に飛ばして、他のを引いても良いんだよ?」
 審判は事も無げに答えた。ルールを良く聞いていなかった事を悟り、悄然と帰る寺女選手。しかし、同様の運命が他の選手にも怒涛のように襲い掛かった。
「えっと…ゴルバチョフのサイン? これは捨てて… え? 親魏倭王の金印? これも捨てて…こっちは…徳川埋蔵金ですってぇ!? ちょっと、ジョークカード多すぎるんじゃないの!?」
 寺女の選手が涙目で叫ぶが、他の選手はほとんどジョークカードに当たらない。スタートでは遅れまくった芹香も、一発で「水筒」という楽なカードを引いて悠々とゴールしていた。
 結局、寺女選手団はことごとく玉砕し、0点に終わってしまった。余りの事に綾香が真っ赤な顔で立ち上がる。
「こ、これは…姉さんたちの仕業ね!?」
 綾香の推測は当たっていた。あかりが作った大量の偽ジョークカードを、琴音がピンポイントで寺女の選手が引いた封筒に転送していたのである。しかし、からくりがわかったところで、もはや後の祭りであった。
 これにより、障害物競走で再び開いた東鳩高校各チームと寺女の点差が、一気に縮まった。勝負の行方は午後の騎馬戦などの大物競技に持ち越されることになった。

 午前中のプログラムを全て消化し、食事の時間になった。生徒たちは思い思いの場所で弁当を広げる。ひろのはいつものメンバーと一緒である。あかりと真帆が気合を入れて作りまくった料理の数々が、豪勢な重箱に入れられて広がっていた。
「相変わらず美味しそうね」
 志保が待ちきれないように割り箸を割った。
「あの…私たちも呼ばれちゃっていいのかな…?」
 遠慮がちに聞くのは理緒だった。後ろに弟妹を引き連れている。
「もちろん。お弁当はみんなで食べたほうが美味しいからね。良太君とひよこちゃんもどんどん食べてね」
 良太が歓声を上げ、ひよこは丁寧にお礼を言ってから料理にかぶりつく。それをきっかけに食事が始まった。
「それにしても、結構いい勝負になっとるなぁ」
 智子が電光掲示板を見て言った。現在、A組チームがトップに立っており、一点差で寺女チーム、その後をE組が追っている。
「最初にあの寺女の人たちを見たときは、どうなるかと思ったけど」
 あかりが頷く。
「まぁ、後は団体戦主体だし、何とかなるでしょ」
 志保が気楽そうに言う。残る午後の女子の競技は、リレーと騎馬戦である。このうち、大逆転の可能性があるのは騎馬戦で、逆に言えば、これさえ制してしまえば、もうそのチームの勝利は動かない。
「ええ、絶対に勝って行きましょう! ひろの先輩のためにも!!」
 葵が気勢をあげた。その瞬間、場は対照的な二つの反応に分かれた。あからさまに顔色を変えたあかり、琴音、芹香と、きょとんとしたそれ以外である。
「…なんで私のためなの?」
 ひろのの言葉に、今度は葵が首をかしげる。
「え? だって…この勝負に負けたら、先輩が寺女に行っちゃうって聞いたんですけど…」
 ひろのは口から料理を噴きそうになった。
「だ、誰がそんな事を!?」
 葵は琴音の顔を見た。そして、こう聞いた。
「…ひょっとして、言っちゃいけない事だった?」
 琴音が青い顔でこくこくと頷く。
「…どういうことか説明してくれる? 琴音ちゃん」
 ひろのが有無を言わせぬ口調で聞いた。さらに、志保も親友の異変に気づいて尋ねる。
「あかり、なんか顔色悪いわよ。まさかあんた…」
 琴音とあかりは観念して頷き、今回の一件の裏に潜む事情を洗いざらいしゃべらざるを得なかった。
「…なるほど」
 全てを聞いたひろのは大きく頷いた。
「あ、あの…ひろのちゃん、怒ってる?」
「ううん。別に」
 あかりの質問に、ひろのは首を横に振った。自分に無断で賭けに乗ったのはちょっと腹が立ったが、問題はそれよりも綾香である。
「まったく…変な事ばかり考えるんだから。綾香にはちょっとお仕置きしないと」
 ひろのが言うと、あかりと琴音、芹香はちょっと引きつった表情になった。ひろのは絶対に自分たちにも怒っていると思ったのである。しかし、ひろのは微笑むとあかりたちのほうを見た。
「と言う訳で、協力してね。みんな」
 3人をはじめ、志保や智子もこくこくと頷く。ひろのは手短に作戦を説明した。その間に、女子リレーが行われ、陸上部の俊足選手を集めたA組チームが寺女との熾烈なデッドヒートを制し、一位を取っていた。これで両者の得点差は70対70と、遂にA組チームが寺女チームと同点に追いついていた。勝負の行方は騎馬戦で決せられる事になったのである。

 最後の種目…女子騎馬戦。まず6チームが3組に分かれて予選を行い、最後に勝ち残った3チームがバトルロイヤル式で戦うという、なかなかにダイナミックな種目だ。他のたいていのところと同じように、東鳩高校でも相手のハチマキを奪うと討ち取った事になり、多くのハチマキを奪ったほうが勝者となる。
 予選の組み合わせは、A対C、B対E、寺女対Dという組み合わせとなり、既に他の3チームを大きくリードしているA、E、寺女の3チームが順当に勝ちあがった。というより、大差をつけられたB、C、Dの3チームはほとんど戦意喪失状態だったようである。
「やっぱり、ひろのたちのところが勝ちあがってきたわね」
 綾香はにやりと笑う。助っ人を集めて圧倒的かつ確実に勝利するつもりが、ここまで互角の戦いをされるとは意外だった。しかし、その方が彼女の戦士としての血が騒ぐ面白い展開になっていた。決戦で雌雄を決する…燃える展開だ。
 一方、A組チームでもひろのたちが最後の作戦会議をしていた。
「綾香たちとの勝負は手はずどおりに…ただし、その前にやる事があるけどね」
 ひろのの言葉に、主だったメンバーが一斉に頷く。そして、彼女たちは戦闘態勢を整えるために散っていった。
 かくして、グラウンドに3つのチームが勢ぞろいした。60度の間隔を空けて隊列を組み、準備が整ったところで、審判が号砲を鳴らした。次の瞬間、2つのチームが猛然と動いた。
「目標はA組チームよ! でもその前に…」
 寺女チームで綾香が采配を振った。
「敵は西園寺にあり! でもその前に…」
 A組チームではひろのが指示を飛ばす。そして、彼女と綾香の声が重なって聞こえた。
『E組チームを先にやっつける!』
 と言う訳で、A組チームと寺女の両者が一斉にEに突撃をかけた。驚いたのはE組チームの生徒たちである。その驚きから立ち直る暇も与えられぬまま、2倍の敵が彼女たちに襲い掛かった。
「きゃあああぁぁぁぁぁっっ!?」
 悲鳴が湧き起こり、哀れE組チームはあっという間に壊滅してしまった。
 討ち取られたEの生徒たちがぞろぞろと帰っていった後、隊列を組みなおしてA組チームと寺女チームは向かい合った。観客はそのチーム内容の違いに、A組チーム苦戦を予想した。ほとんどが体育会系でパワーのありそうな寺女に対し、A組チームは普通の女の子ばかりである。
 しかし、跳びぬけて人外率が高いA組チームの実力を疑っていない綾香は、これでも安心していなかった。まずは先制攻撃、と綾香が手を振り上げ、突撃をかけようとした、その時だった。
 突然、それまで穏やかだった風が烈風に変わった。それも、綾香たちにとっては向かい風になるように。
「!」
 砂埃が舞い上がって吹き付けてくる。目に砂が入り、寺女の隊列が混乱する。間髪入れず、A組チームが突撃を開始した。
『いっけぇ〜!!』
 A組チームは一気に寺女チームに突入した。未だに砂埃に苦しむ寺女チームの騎手に駆け寄り、次々にハチマキを奪い取っていく。観客はもちろん綾香にとっても予想外の展開だった。
(こ、これも姉さんね…)
 綾香は事態を悟った。芹香が魔法で突風を巻き起こしたのだ。普段の戦いでは、火球だの電撃だのと言った派手な魔法を連発してくる印象が強いが、こうした地味な魔法を使いこなしてこそ、一人前の魔法使い。芹香の面目躍如だった。
「こうなったら大将の…姉さんのハチマキを取るしかないわ」
 綾香は決断した。大将のハチマキを奪えば、その時点でどんなにリードしていたとしても、奪われた方の負けなのである。騎馬戦が一発逆転の種目と言われるのはこのためだった。
 一発逆転に賭けて綾香は馬役の3人を走らせた。A組チームの大将は芹香だったはず。まだ舞い上がっている砂煙に紛れて進み、接近戦に持ち込めば勝てるはずだ。
 綾香自身寺女チームの大将だけあって、彼女を見つけたA組チームが襲い掛かってくるが、ことごとく返り討ちにした。しかし、芹香まで後10メートル、と言うところまで進んだ綾香を待っていたのは、意外な相手だった。
「綾香…」
「ひ、ひろの?」
 そこにいたのは、レミィ、志保、理緒で作られた馬に乗ったひろのだった。
「綾香…あかりたちから話は聞いたよ。あんまり無茶するの止めてくれないかな」
「そ、そう…知っちゃったのね」
 一瞬動揺した綾香だったが、すぐに開き直った。
「でも、それもひろののためよ。ひろのを手に入れるためなら、私はどんな事でもするわ」
「…そんな事したって、私は手に入らないのに…」
 ひろのは悲しげな顔になったが、すぐに綾香を見つめ返した。
「ともかく、芹香先輩には近づけさせないよ、綾香」
「本気? いくらひろのでも、私に勝てるはずないじゃない。大人しくそこをどいたほうが良いわよ」
 綾香は微笑んだ。ひろのは抜群の運動神経の持ち主だが、あくまでも一般人レベルとしては、の話だ。人外たる綾香には到底叶うべくも無い。しかし、ひろのは首を横に振って不退転の意思を示した。
「なら、押し通るわ!」
 綾香が突撃し、目にも止まらぬ速さでひろののハチマキを狙う…が、驚いた事にひろのはその攻撃を回避した。
「!?」
 驚いた綾香はさらに数回に渡って攻撃をかけるが、全てかわされる。
「綾香、騎馬に乗ってる限り、いつものようには動けないよ」
 ひろのの冷静な指摘に、綾香は焦った。そこへあかりと葵がそれぞれ乗る騎馬が突撃してくる。
「ひろのちゃん、今助けるよっ!」
「ひろの先輩は渡しません!!」
 二人の戦闘加入により、戦いはまるで「三国志演義」の虎牢関の戦い…劉備三兄弟VS呂布と言った様相を呈した。3人相手に引かない綾香の戦い振りを見て、寺女チームも一気に士気が盛り上がった。少数ながらA組チーム相手に一歩も引かず、逆に討ち取っていく。
「ま、まずいかも」
 味方が押されているのを見て、今度はひろのが焦りの色を見せた。逆に綾香は時間切れまで守っていれば勝てる、と言う感触を掴んだ。しかし、その時あまりにも意外な伏兵が全てをひっくり返した。どこからとも無く伸びた腕が、綾香のハチマキをするっと奪ったのである。
「…え?」
 綾香が余りの事に硬直し、彼女と渡り合っていたひろの、あかり、葵も、茫然自失の表情でその手の主を見た。
「ふふふ…綾香、勝ったわよ!」
 ハチマキを取った者の正体…それは壊滅したはずのE組にいた好恵だった。
「さ、坂下さん? どうしてここに?」
 ひろのが聞くと、好恵はにんまり笑った。彼女が大将を務めているE組チームは初っ端の攻撃で壊滅したが、彼女は何とか脱出し、砂埃に紛れて機会をうかがっていたのである。
「綾香にだけは負けたくなかったものね…久しぶりにすっきりしたわ」
 楽しそうに言う好恵とは対照的に、綾香は屈辱に震えていた。彼女は戦いの結果がどうなったか、既にわかっていたのである。そして、他の者たちも気づくのにはそれほど時間は掛からなかった。
「と言う事は…私たちが一位、E組が二位、寺女が三位って事だよね」
 まずあかりが言うと、いぢわる三人組と組んでいた智子が素早く計算した。
「つまり、私らが73点で、寺女が71点…わたしらの勝ちやっ!」
 わっと歓声が沸いた。智子の言う通り、総合優勝は東鳩高校A組女子チームに決まったのである。余談ながら、無気力化した男子側では、やる気を保っていた雅史と垣本の活躍により、これまたA組チームが勝利し、完全制覇を成し遂げていた。
 喜びに沸くA組チームと対照的にうなだれる綾香の元に、ひろのはそっと近づくとその肩に手を置いた。
「ひろの…?」
「その…何と言って良いのか良くわからないけど、私は綾香のことが嫌いなわけじゃないから」
 ひろのは言った。
「だから…こういう人の気持ちを無視した事をするのだけは、やめて欲しいな…良い?」
「…うん、私が悪かったわ」
 綾香は頷いた。ものすごく怒られても仕方ないと思っただけに、ひろのの思わぬ優しい言葉に、珍しく素直な気持ちになっていたのである。
(そうね…次はもっと上手くやらなきゃ)
 とは言え、そんな事を考えるのが綾香の綾香たるゆえんではあったかもしれない。ともかく、体育祭は見事ひろのたちの勝利に終わり、彼女はまた一つピンチを掻い潜ったのである。
 戦い終わって日が暮れて、片付けに励む生徒たちに吹き付ける風は、もう冬の気配を帯び始めていた。

(つづく)


次回予告

 本格的な冬到来…東鳩市から望む山々にも白銀の色合いが混じり始めた頃、いつものメンバーたちは来栖川家の所有する別荘へのスキー旅行に行く事になった。スキーに温泉、山の幸と楽しみいっぱいの旅行だが、ここにも忍び寄るトラブルの影。彼女たちの運命やいかに?
 次回、12人目の彼女第四十話
「白銀の乙女」
 おたのしみに〜

あとがき代わりの座談会 その39

作者(以下作)「ようやく秋の章が終わりか…長かった」
ひろの(以下ひ)「今回も2ヶ月ぶりでした。ごめんなさい」
作「しかし、体育祭なんて遠い昔の話だから忘れちまったなぁ」
ひ「作者にとっては、もう10年くらい前だもんね」
作「あまり熱心にやるほうでもなかったしな…でも、今回の話を作るためにいろいろ当時の事を思い出したよ」
ひ「と言う事は、今回の話の中には作者の体験談もあるんだ」
作「いろいろとな。どこがとは言わないけど」
ひ「なるほど。さて、次からは冬の季節の話だね」
作「まずは王道らしくスキー行ってみようか」
ひ「あんまり経験無いんだけどなぁ…」
作「でも、一応北陸出身って言う事になってるんだよな」
ひ「う、そ、そう言えば…どこかに練習しに行こうかな」
作「来栖川家なら、何かそういう施設もってそうだけどな」
ひ「よし、早速探して練習しに行こうっと」
作「あ、待てよ…って、せっかちなやつだなぁ…」

収録場所:東鳩市総合グラウンド


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