※このお話は、日々可愛くなっていく一人の女の子と、日々人として大切な何かを失っていく彼女の友人たちの物語です(殴)。



前回のあらすじ

東鳩高校の文化祭。ひろのたち2−Aでは男子が支持するコスプレ喫茶案と女子が支持するカジノ案が激突。女子は調略で雅史と垣本を味方につけるも、あかりの裏切りにより敗北する。


To Heart Outside Story

12人目の彼女

第三十一話 熱闘文化祭編A「前夜祭動乱」

 祭りの前日には、不思議な興奮がある。ここ東鳩高校も例外ではなく、明日からの文化祭を控えて生徒たちは自主的に夜まで準備・設営作業を続けていた。
 コスプレ喫茶をすることになったひろのたちの2−Aでは、内装のセットは男子が担当し、女子の方は衣装の準備に追われていた。空き教室の一つが待機所兼更衣室に充てられ、そこではミシンのうなる音が響き渡っている。
「いいんちょ、サイズの方はどう?」
「まぁ、きつくはないな。うん、だいじょうぶや」
 ひろのは智子の衣装を合わせていた。サイズに間違いが無い事を確認し、クラス一の同人オタク娘、岡田美奈子率いるミシン班に手渡していく。ちなみにあかりや理緒もミシン班だ。
「いいんちょのサイズはこれでオッケーだって。よろしくね」
 あかりに待ち針で仮止めした衣装を手渡すと、あかりはそれをしげしげと眺めてため息をついた。
「う…やっぱり保科さんおっきいなぁ…羨ましいなぁ…」
 もちろん、バストサイズのことを言っている。そんなあかりに、殺気だった表情の美奈子が叱責を浴びせた。
「ほらほら、手を止めないで神岸さん!まだいっぱいあるんだから!!」
 怒られたあかりは慌てて仕事を再開するが、ちょっと不満があるらしく口の中で文句を言っていた。
「そんなこと言ったって、衣装選びが遅れたのは岡田さんのせいなのに〜」
 あかりにしては珍しく恨み言だ。しかし、無理も無い話である。美奈子が一切の妥協を廃して「似合う」コスプレを徹底的に追及したため、衣装作りの時間にしわ寄せが来たのは事実だ。
 もっとも、女子の大半は、美奈子が矢島から主導権を強奪してくれたおかげで、自分たちの心理的負担が減ったことを歓迎していたが。
 ぼやくあかりをなだめ、智子のところへ戻ってみると、彼女は既に制服に着替え終わっていた。ただし、一箇所を除いて。
「お疲れ様、いいんちょ。でもその頭のははずした方がいいよ」
「え?あ、忘れとった」
 智子は衣装に合わせた頭飾りをはずした。カチューシャにウサギの耳と巨大なサイコロがついた、デザイナーの感性を誉めるべきかツッコむべきか迷う代物だ。これにアン○ミラーズ風の衣装を組み合わせるのが智子のコスプレで、なんでもどこかのゲーム屋のイメージキャラらしいが、ひろのも智子もあまり知りたいとは思わなかった。
「…これを一日中か…新手の嫌がらせちゃうやろな…」
 智子が唸る。少し前までは彼女と美奈子は不倶戴天の仇敵だっただけに、割り切れないものはどうしてもあるようだ。
「そ、それは無いと思うけど…」
 ひろのは苦笑したのだが、はたと自分の衣装を思い出して考え込む。最初、ひろのが指定されたのは、ボンデージルックのようなレザーの服に天使と悪魔の羽のようなものが付いた、露出度極悪な某格闘ゲームのキャラだったのである。それだけは勘弁してくれとひろのが泣いて頼んだこと、さすがにそれは健全性という点でマズいだろうという先生サイドの指摘により、ひろのがそのコスプレをすることは免れた。
 その代わりとして渡された衣装は、よく分からない生き物の着ぐるみ風の衣装だった。幼児向け番組の変なキャラクターのようだ。
「…やっぱり嫌がらせかな」
 ひろのは呟いた。確かに、露出度は極めて低いが、これもまた別の意味で恥ずかしさ満点のデザインである。
「そうね、そんな格好じゃ雅史は喜んでくれないわよね」
「うん、そうだね…」
 背後からのささやきに思わず答えてしまったひろのは、その質問の意味と自分の答えの意味を悟り、ぼん、と音を立てそうな勢いで真っ赤になった。背後を振り返り、ささやき声の主に向かって手を振り上げる。
「志ぃ〜保ぉ〜っ!?」
「あはは、ごめんごめん」
 追いかけるひろのと、逃げ回る志保。控え室は笑いに包まれたが、そんな中で、密かに雅史の事が好きな美奈子一人が怒りでかすかに体を震わせていた。
(くっ…見せ付けてくれるじゃないの、長瀬さん…やっぱりいぢめてあげるわ)
 すると、ふっとひろのが足を止めた。
「…どないしたんや?」
「いや…なんか、今寒気が…」
 智子の質問に答え、ため息をついて手近な椅子に座り込む。
(うぅ〜…結構泥沼だよ…)
 志保の囁きにうっかり答えてしまったが、あれは本心だった。着ぐるみを見ながら、夏こみパで着たカードマスターピーチの衣装を思い出し、あれくらいかわいい方が喜んでもらえるかもしれない…と思ってしまったのである。
(でも、あれスカートとか短くて恥ずかしいし…)
 そこまで来ると、やはり今から別の衣装に替えて欲しい、とは言い出せない。それに、ひろのに萌えるコスチュームを着せても単なる利敵行為だと気付いた美奈子は、着ぐるみ等の羞恥系(?)コスチュームを大量に用意していたから、ひろのが萌え系の衣装を着る機会はないはずだった。
 しかし、その事に気がついている人間が一人いた。
(岡田さん…ひろのちゃんに可愛い衣装を着せない気だね。そうはいかないもんね)
 あかりだった。何しろ、彼女はひろのの萌えるコスプレ姿見たさに裏切りを敢行したのだから、ひろのがあんな着ぐるみを着せられているのでは、何の甲斐もない事になってしまう。それはあかりの望むところではなかった。
 あかりは智子の衣装を直し終えると、そっと美奈子が用意してきたひろの用着ぐるみの山に近づいていった。そして、すばやく細工を施す。
(これでよし…っと)
 あかりが元の位置に戻り、済ました顔をしていると、智子に直した衣装を着せるのを手伝っていたひろのの所へ、美奈子が近づいていった。
「長瀬さん、貴女の分も細かいところを直すから、ちょっと着て」
「え?うん、わかった」
 智子の手伝いを志保に引継ぎ、ひろのは美奈子が用意した衣装を手に取って広げてみた。
「…こ、これを…?」
 思わず絶句するひろの。それは、ニワトリの形をした着ぐるみだった。
「そうよ、早くして」
 ひろのとしても、それを着るのはかなり嫌だったのだが、美奈子の有無を言わせぬ口調に仕方なく、手早くタンクトップとショートパンツだけに着替える。さすがに制服のまま着ぐるみは着られないからだ。そして、着ぐるみに袖を通す…というより、背中のジッパーをあけて潜り込んだ。
「岡田さん、ちょっとジッパー上げてくれる?」
「おっけー」
 美奈子がちょっとジッパーを上にあげたその瞬間、事件は起こった。

 ぱんっ!

 そんな音が聞こえたような気がしたほど鮮やかに、ひろのの着ぐるみが弾け飛ぶようにしてバラバラになっていた。
「え…!?」
「な、何よ、これ…」
 呆然となるひろのと美奈子。その光景を見ていた他の女子たちも、何が起きたのかわからずきょとんとしている。ただ一人、あかりだけがこっそりと握りこぶしに親指を立てて「ぐっ!」と呟いていたが、それに気付くものはいなかった。
「ありゃあ…これは酷いわね。明日までに直すのは無理よ」
 バラけた布片を拾い上げて志保が言う。しかし、ここまで綺麗に解体されていては、明日までどころか、修復する事自体が不可能に違いない。
「おかしいわね…古かったのかしら」
 気を取り直し、美奈子が別の衣装を手に取る。大変有名な黄色い電撃ネズミをイメージした着ぐるみだった。
 1分後、その着ぐるみも見事に弾け飛んでいた。
 5分後、美奈子が意地になって着せようとした着ぐるみは、全て残骸と化していた。
「そんな馬鹿な…長瀬さん、あなたまさか…?」
 衣装をことごとく破壊された美奈子が疑いの目でひろのを見る。その火を噴きそうな視線に、ひろのはたじろいで後ずさった。
「な、なに、岡田さん。まさか私が衣装に細工をしたとでも…?」
 ひろのはちょっと震える声で聞いた。しかし、美奈子の疑いはひろのの予想の斜め上を超音速で飛んでいた。
「長瀬さん、あなた太ったんじゃないでしょうね」
 あまりの一言に、ひろのはばったりと倒れた。見かねて間に割って入ったのは、美奈子の友人吉井夏樹だった。
「美奈子…いくらなんでもそんな事で服が弾けるはずがないでしょ?」
「まぁ、そうなんだろうけどこれじゃあねぇ…」
 美奈子は残骸と化した着ぐるみを見てため息をついた。
「予備の衣装は何かあったかな…サイズが合うのは宮内さん用のものくらいだけど…」
 美奈子はレミィに目を向けた。レミィが着ているのは、スカーフに十字架のついた、シスター服をアレンジしたようなデザインの衣装で、人気ゲームのヒロインの高校制服だった。そのレミィに、美奈子の友人その2、松本ちとせが演技指導している。
「えっとね、笑うときは『にはは』って笑うんだよ」
「エーット…NIHAHA!」
「宮内さん、それじゃアメリカン過ぎだよ〜」
 なかなか苦戦しているようだ。しかし、コスプレ喫茶に何故そこまでの演技指導が必要なのか、それは美奈子以外にはわからない。
「…よしっ!」
 何かを決断したらしく、美奈子はちとせを呼んだ。
「ちとせ、やっぱり宮内さんはワルキューレで行くわ。AIR制服は長瀬さんに回して」
「うん、わかったよ〜」

 ひろの用着ぐるみの壊滅で、配役予定の変更が決まった頃、本来の2−A教室では男子たちが汗を流していた。
「…よし、ここはこんなものか。くそ、岡田めぇ…めんどくさい事させやがって」
 大道具を作りながら不満をぶちぶち漏らしているのは矢島だった。男子も一部コスプレしてウェイターをする事になっているが、矢島はその中には入っていない。裏方の力仕事担当である。コスプレ喫茶と言う案を出したのは彼なのに、何時の間にか美奈子に完全に主導権を奪われているあたり、さすが矢島だとは2−A生徒たちの一致した意見であった。
 その彼が作っているのは、席を仕切る衝立で、それぞれ違った絵が描かれていた。ウェイトレス及びウェイター役はそれぞれの衣装に合わせた絵の描いてある席を担当するのだ。これも、美奈子の発案である。効果的なことは間違いないが、当然作業量は猛烈に増えていた。
「まぁ、そう愚痴るなよ」
 入り口に立てるアーチ型の門を作っている垣本が矢島を宥めた。彼はウェイター組だ。女性客の集客効果が期待されている。
「女の子たちの可愛いコスプレ姿が見られるって喜んでたじゃないか。苦労が増えれば後の喜びも大きいって物さ」
 垣本がそう続けると、やはりウェイター役の雅史もうんうんと頷いた。
「そうそう。この程度の大工仕事ならぜんぜん平気だよ」
 さわやか系な二人はこの状況を全くと言って良いほど苦にしていなかった。ちなみに、ウェイター役はこの二人だけである。やはり、メインは女の子という方針から、ウェイトレス役のほうは、バイトでの経験があるひろの、レミィ、理緒、それにコスプレ慣れしているいぢわる3人組の6人に加え、お目付け役として智子が選ばれ、都合9人で店を切り回す事になっていた(交代制なので常時店にいるのは3〜4人)。他にあかり、志保等数人がコーヒーを入れたりする役を勤める。教室が会場と言う事を考えたら、これ以上は人数を増やせないだろう。
 他のクラスメイトは設営と撤収の手伝いである。矢島はこっちの監督を任されてはいたが、自分もコスプレしてひろのと一日仲良くお仕事ハッピー♪な展開を狙っていた彼としては大いに不満のあるポジションであった。
(くそぅ、発案者であるオレが何故裏方なんだ。当然の権利として長瀬さんと仕事をできるはずなのに)
 矢島はそう考えて心中穏やかならざるものを感じていたが、その彼の発案をひろのが散々嫌がって拒否した事は忘れていた。ウェイター役の推薦があったとき、女子の大半が矢島の排除で一致したのもむべなるかなである。
 その時、がやがやと声が聞こえ、教室の扉が開かれた。
「どう、はかどってる?」
 そう言ったのは、女子たちの先頭を切って帰ってきた美奈子だった。軍服のようなデザインの衣装を着ている。
「へぇ、岡田さんはルリ○リか」
 正体に詳しいらしい男子から感嘆の声があがる。
「まぁ、ボチボチだね…他の人たちは?」
 垣本が答えると、女子たちがぞろぞろと入ってきた。その途端に、教室中の男子が一斉に歓声を上げ、口笛を吹き、中には数人でウェーブを始めるものまで現れた。
 まず、いぢわる三人組は夏樹が巫女さん、ちとせがメイドさんという無敵のツートップ。男子が一斉に怒号にも似た雄叫びを上げる。確かに二人とも似合っているのだが、徹夜で肉体労働中の男子も相当テンパっていた。
「な、なんだか反応がすごいねぇ…」
 ちょっと怯えたような表情のちとせ。夏樹はため息をついた。
「普段のこみパの時と違って、免疫の少ない人たちばかりだからね…このままだと後の4人が出てきたら、どうなっちゃうのかしら」
 夏樹の懸念は的中した。まず出てきた一人目に、再び大歓声が上がる。

「み、宮内さんサイコーッ!!」
「お、俺をヴァルハラまで連れて行ってくれぇ!!」


 絶叫する男子たちに、動じることなく手を振るのはワルキューレに扮したレミィ。兜と胸当ても勇ましく、普段のポニーテールを三つ編みにしている新鮮さもあって、萌死するものが続出した。
 続いて、うさみみのカチューシャをつけた美少女が現れる。一瞬「誰?」と思った男子たちだったが、すぐに思い出した。以前彼らが温泉を覗いたとき、彗星のように現れたなぞの美少女。その正体は…

「委員長きたぁぁぁぁぁっっ!!」
「うおおおぉぉぉぉ、いーいんちょっ!いーいんちょっ!!」


 テンションがレッドゾーンぶっちぎって異世界に突入していく男子。さすがの智子も、これには引いたようだった。
「な、なんやの、これは…」
 ちょっと顔を引きつらせる智子。その横を抜けて、美奈子が廊下に出て行く。そこでは、ひろのと理緒が固まっていた。教室の異様な雰囲気に金縛りにあっているらしい。
「ほら、二人とも早く」
 美奈子に腕を引っ張られ、ひろのは我に返った。
「え?あ、ああっ!岡田さんっ、ちょ、ちょっと待ってっ!」
 抵抗するひろのだったが、美奈子の力は意外に強い。ずるずると引っ張られる。
「良いじゃないの、いずれは見られるんだし往生際が悪いわよ」
「でも、心の準備がぁ…!」
 理緒もあっさりと連行され、3人は教室に入った。一瞬静寂が訪れ、それから歓声が爆発する。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!長瀬さんブラボォーッ!!」
「ビバ、長瀬さん!ジーク、長瀬さん!!」


 男子たちが口々に叫ぶ。ひろのの格好は、例のゲームのヒロインが着ている制服。キャラにあわせて、髪形も少し変えている。いつもは大きなリボンで後頭部を括っているのだが、今は細めの青いリボンで側頭部を結んでいる。
「長瀬さん、例のポーズやってみて」
 美奈子がひろのを促した。なにやら必殺技があるらしい。
「え?あ、あれやるの…?うん、わかった」
 ひろのは戸惑いつつもスカートのポケットから何かを取り出し、それで口元を隠すようなポーズをとる。それは白い封筒で、「進呈」と書かれてあった。意味のわかった男子たちがひろのコールを繰り返し、興奮のあまり酸欠を起こして倒れる者まで出る騒ぎとなった。
(あ…しまった。また長瀬さん人気を上げてしまった…あたしの馬鹿)
 美奈子はそれを見て、激しく後悔していた。妥協を許さないおたく精神の敗北であった。
 一方、理緒はと言うと、一見シスターみたいな服装だが、下半身はスパッツ。最初にひろのがさせられそうになった過激な服装のキャラが出てくるのと同シリーズの格闘ゲームのキャラで、女の子に見えるが実は男というキャラ。理緒のように小柄な女の子がやっていると破壊力絶大のコスチュームである。
「おお、雛山さんも可愛いなぁ」
「似合ってるぜ、雛山さん」
賞賛の言葉に理緒が真っ赤になってうつむくと、男子たちはこれまた大いに萌えた。いずれにしても、一人ごとに萌え死ぬ男子たちを叩き起こして、改めて萌え殺すような凶悪な連続攻撃であった。
「と、言うわけで、女子は明日から三日間、このメンバーでやっていきます」
 何とか立ち直った美奈子が言うと、もう何度目になるのかわからない大喝采が沸き起こった。それを制して、美奈子は男子二人を呼んだ。
「垣本君と佐藤君はこれから衣装合わせするから、控え室まで来てくれる?」
「「…え?あ、あぁ…わかったよ」」
 そうした中、呆けたようになっていた雅史と垣本は、美奈子の言葉に我に返った。二人とも、それぞれの想い人の艶姿に釘付けになっていたのだった。
(長瀬さん…どんな格好でも素敵だ…)
(吉井さん…やっぱり良いなぁ…)
 ふらふらと美奈子の後に付いていく二人。その間、女子たちは会場設営の手伝いに入り、男子たちが作った大道具を所定の位置に配置していく。
 30分ほどして、扉ががらりと開いた。教室にいた全員がそちらを注目すると、ニコニコ笑顔の美奈子が立っていた。彼女がこんな笑顔を見せるのは珍しいことだ。
「はい、それじゃあ男子のお披露目をしま〜す」
 男子はなんだ、という表情で仕事に復帰したが、女子は興味津々の表情で入り口を見守っていた。
「あー、なんだか恥ずかしいな」
 そう言いながらまず入ってきたのは垣本だった。純白の軍服風デザインの衣装で、なかなかに凛々しい。女子の黄色い声があがった。どこかの秘密部隊長の衣装らしいが、あんな派手な秘密部隊っているのかな、とはひろのの意見である。
「わ、垣本君似合う〜」
「なんだかいつもと感じが違うね」
 その誉め言葉に、美奈子が胸を張る。コスプレイヤーの成功はコーディネーターの成功だ。続いて、彼女は雅史を呼ぶ。
「おぉ〜っ!?」
 女子がどよめき、つられて見た男子も驚きの声をあげた。雅史の衣装は、普通の学生風に見える服の上に、マントを着せて、さらに伊達眼鏡をかけたもの。これは、映画だけでなく宣伝を見た人も多いので、大半が気付いた。いまや世界一有名な魔法使いの少年の衣装だった。
「へ、変なことはないかな?」
 雅史が自信なさげに言うと、志保が首を横に振った。
「そんな事ないわよ。ねぇ、ひろの」
「うん、似合ってるよ」
 ひろのは微笑んだ。彼女は志保と映画を見に行ったのでよく知っていたのだが、実際、それは雅史によく似合っていた。
「ありがとう、長瀬さん。長瀬さんにそういわれると自信がつくな」
 雅史ははにかんだように微笑み、またしても志保にのせられたひろのが真っ赤になって俯くと、周囲のクラスメイトたちがからかい半分に口笛を吹き鳴らした。本人たちの思惑とは別に、どんどんカップリングが定着していくひろのと雅史であった。
(くっ…いかん、いかんぞぉ…このままでは佐藤に長瀬さんを取られてしまうではないか)
 矢島だけは歯軋りしながらその光景を見つめていた。すると、もう一人自分と同じような表情をしている人物を見つけた。美奈子である。
(うぅ〜っ、何よ何よ。似合うって、コーディネートしたのはあたしよ。あたしをもっと誉めてくれても良いじゃない…)
 美奈子は雅史のコスプレを素敵に演出すれば、少しは彼の自分を見る目も変わるんじゃないか、そう思っていたのである。しかし、結局のところ雅史はひろのしか見えていないという残酷な現実を味わう羽目になった。
(でも、あたしはあきらめないわよ。いつか佐藤君を振り向かせて見せるんだから…)
 なかなか前向きな姿勢だった。美奈子が心中密かに決意を燃やして顔を上げたとき、背後から彼女を呼ぶ声がした。
「岡田」
「ん?…なんだ、矢島か」
 美奈子は矢島をぞんざいに呼んだ。この二人はちとせを通じて友情を結んだ仲であった。
「なんだとは酷いな。まぁ、それは良い。お前もあれだろ?佐藤と長瀬さんがこのままくっつくのは嫌だろう?」
「…まぁね」
 美奈子は頷いた。そこで、矢島はずいと身体を乗り出して熱弁を振るう。
「そこでだ、何とかしてあの二人を引き離そうと思う。岡田、今からでも佐藤をシフトから外せないか?」
「それは無理ね」
 矢島の問いに、美奈子は即答した。彼女はひろのに代わって雅史の彼女になることを念願してはいるが、同時に実質的に今回のコスプレ喫茶をコーディネートした責任者として、出展を成功させようと努力している。その構想に雅史は欠かせないのだ。
「今からじゃ、矢島のサイズに合うコスは用意できないし…そもそも…」
 美奈子が口篭もる。その態度に不審を覚えて矢島は問い掛けた。
「そもそも、なんだ?」
「いや、なんでもないわ」
 美奈子は言葉の続きを飲み込んで言った。女子の大半が矢島のウェイター参加を拒否したと言う事実は、さすがに本人に知らせるには酷だった。
「ただし、欠員が出てその代理になる、と言うなら話は別ね」
(矢島にとって)衝撃の事実を話さない代わりに、美奈子は妙なことを言い出した。思わず顔を上げる矢島に向かって美奈子は言葉を続ける。
「最近準備で忙しいもんね。熱を出して学校に来られない人もいるかもしれないわ」
「…あぁ、そうか。そうだよな。俺は健康に自信があるからいいけど、そう言う人も中にはいるかもしれないな」
 どうやら理解したらしく、矢島が頷く。
「わかった、ありがとう、岡田。恩にきるぜ」
 矢島はニヤニヤ笑いながら去っていった。美奈子はふぅ、とため息をつくと手近の椅子に腰掛ける。
「あ〜あ…自分がとんでもなく悪者になっちゃった気分だわ。垣本君には悪いことしたかな」
 矢島がわからなかったときに備え、もう一つ用意していたヒントがある。「矢島と垣本君って体格同じような感じだよね」と言うものだ。この後垣本がどうなってしまうか…それを考えると美奈子はさすがに良心が痛むのを感じた。
それに、美奈子はひろのを敵視してはいるが、雅史との事がなければ結構良い友達になれるかもしれないとも思っている。だから、矢島みたいなバカに惚れられてしまっている彼女はちょっと気の毒だ。
「それでも…あたしは勝ちたいのよ」
 そう呟き、美奈子は立ち上がった。その目にはもう迷いはない。岡田美奈子17歳。戦いに挑む覚悟は、ひろのの周囲に繚乱する強者達にも負けてはいなかった。

 やがて、時計の針が11時近くを指すころ、2−Aのコスプレ喫茶の設営準備は完全に終了した。美奈子が凝りに凝って演出しただけあって、一見学校の教室であるとは気付かないほどの空間になっている。
「ふぅ、これで後は明日の本番を待つだけね」
 美奈子が満足げに呟いた。テーブルは全て純白のテーブルクロスを敷いて花瓶を起き、椅子もクッションを置いて座り心地を良くしている。カーテンも特別にレースのものに替えた。黒板などの学校であることを示す調度は、全て壁紙やタペストリーで覆って見えなくした。
「確かに。でも、ここまで凝る必要はあったのかな」
 ひろのが首をひねると、美奈子は人差し指を立て、ちっちっち、と左右に振った。
「わかってないわね。コスプレ喫茶と言えば、オタクなイメージ。それを和らげるには部屋をすっきりさせないと」
 そう言って置いて、美奈子は大声を上げた。
「はい、それでは明日から働く人は集合〜。シフト決めと予行演習をするわよ」
 美奈子の言葉に、ひろのたちが教卓(レジとして使われる)の周囲に集まった。ところが、一人足りない。
「おや?垣本がいないな…どうしたんだろう」
 雅史が教室中を見回す。しかし、あの目立つ白い軍服は見当たらない。
「トイレでも行ってるのかな?」
 ちとせがのほほんとした声で言ったとき、教室の扉ががらがらと開かれた。
「よぉ」
 軽い口調で手を上げたのは、垣本が着ていたはずの白い軍服を着込んだ矢島だった。
(あぁ…やっぱりね)
 ある程度この展開を予測していた美奈子だけは動じなかったが、他のクラスメイトたちは矢島の登場に、あるものは激昂し、あるものは困惑した。
「ちょっと…矢島君、どうして垣本君の衣装を着てるの!?」
「そうよ、そうよ!」
 女子たちの間では怒りの声の方が大きく、また次々にあがる。しかし、矢島は恐れる風もなく悠然とあたりを見回して、理由を話し始めた。
「なんかな、垣本の奴気分が悪いから帰るってさ。で、休むから代理に俺を指名してきたってわけだ」
 矢島の言葉に、女子たちがじっと彼の顔を見る。ところが、嘘をついている顔に見えない。
(…本当かしら?)
 と思った一同が美奈子の方を見る。こういう時はどうしたらいいのかのルールは定めていなかった。
 美奈子は扇動した分矢島の暴走を予期していたのだが、一つだけ計算外だったことがある。髪型が元キャラに似ているせいか、矢島の方が垣本よりもコスチュームが似合っていたのである。
(垣本君には悪いけど、このまま矢島で行くのも悪くないか)
 美奈子はすばやく決断し、頷くと手招きをした。
「まぁ、良いわ。早くしてよね」
 美奈子が認めると、矢島は「ありがたい」を連呼して、店員役の列に割り込んだ。ちゃっかり、ひろのの横のポイントを確保している。
「がんばろうね、長瀬さん」
「え?あ、う、うん…」
 さわやかに白い歯を光らせ、親指を立てた拳を突き出してくる矢島に、ひろのは思わず頭を下げて頷く。その瞬間、教室のあちこちに殺気が漲った。
(おのれ矢島君め〜…ひろのちゃんの横に立つなんて)
 あかりが思わずフライパンを取り出したくなるのを、志保が必死に抑える。もちろん、男子は全員殺意のこもった視線を矢島に送りつけていた。
(ん…?)
 その時、殺気を感じ取れる一部の生徒たちは、濃密なそれを察知して顔を上げ、その発生源を確認して驚いた。雅史だったのである。
(あ、あの佐藤が…怒っている)
 一同は戦慄した。いつもは穏やかな微笑を浮かべる雅史…春の日差しのごとき雰囲気を持ち、怒りと言う単語には常にほど遠いところにいると思われた人物。俗に、そんな人こそ怒らせると怖いと言う。
その俗説を裏付けるかのように、今の雅史は、一見普段と同じに見えながら、逆にそれだけに恐ろしい威圧感と言うか、怒りを全身からほとばしらせていた。雅史はゆっくりと歩き、ひろのと矢島の間に割り込んだ。
「な、なんだよ佐藤…」
 雅史の強引な行動に抗議の声をあげた矢島だったが、雅史は「いや、別に」と一言答えただけだった。その静かな一言がまた恐怖を煽る。
「…いいから、始めるわよ」
 幸せなことに殺気を感じる力がない美奈子が不穏な空気をものともせずに言った。まずはシフト決めだ。東鳩祭は金・土・日の3日間で、朝の9時から夕方の4時まで開かれている。7時間あるので、午前シフト4時間、午後シフト4時間で、お昼の忙しい時間はシフトが重複するように設定された。
 さらに、接客係9人は3人1組に分かれ、3日間のうち2日を担当する。そうすれば、1日は完全フリーになるからだ。
 そう、問題はひろのが誰と誰とで組になるかであった。
「僕は長瀬さんと組になりたいんだけど…」
 雅史が言うと、矢島が「じゃあ、俺も」と言い出す。しかし、美奈子や智子としては、男が同じ組に固まるのはあまり賛成できなかった。実質的に生徒しか来ない金曜日なら忙しさもさして心配は要らないが、これが父兄をはじめとして外部の人もやってくる土日には、変な客が入り込む危険性を考慮して全部の時間に男子にいてほしいからである。
「だめよ。男子二人は確実に二手に分かれてもらうわ。これは確定よ」
 美奈子が説明すると、雅史と矢島は視線をぶつけ合い、激しい火花を空中で散らせた。
「佐藤…どうやら決着を付けねばならない時のようだな」
「それは僕の台詞だよ、矢島」
 勝手に盛り上がっている二人を見ながら、ひろのは呟いた。
「いや…私としては雅史君と一緒が良いんだけど…」
 ひろのとしては当然の心情だったが、「勝って彼女を手に入れる」と言う漢の浪漫に取り付かれた雅史と矢島には、残念ながら聞こえていなかった。二人の闘志が高まっていき、それに反比例してあたりを静けさが満たしていった。見守るクラスメイトたちも、しわぶき一つ立てずに二人の対決を見守っている。
やがて、ついに気合の入った言葉と共に二人は動いた。
「いざ尋常に…」
「勝負っ!!」
 二人の腕が電光石火の速さで繰り出される。
「じゃんけんぽんっ!!」
 次の瞬間、二人は構えから腕を繰り出した姿勢で静止していた。手は、雅史が人差し指と中指を少し広げて突き出した形。矢島も同様だ。ようするに、チョキ同士であいこである。おお、とクラスメイトがどよめいた。
「…あいこでしょっ!!」
 再び繰り出される二人の腕。またしてもあいこ。
「…なんだかなぁ」
 智子が呆れたように呟く中、雅史と矢島のじゃんけんは続く。何度かのあいこの後、遂に決着の時がやってきた。
「あいこで…」
「しょっ!!」
 その瞬間、時が止まったような気がした。全員が、その勝負の決着を悟った。雅史の手は固く握られ、矢島のそれは開かれていた。
「ウィナー、矢島昌彦!」
 美奈子が宣言すると、次の瞬間わぁっという歓声が上がった。がっくりと膝を突く雅史が、力なく床を拳で叩く。その敗者を背に堂々と歩み寄った矢島が、ひろのの前に立つと、気障なポーズで一礼して言った。
「と言うわけで…俺と一緒に組んでください、長瀬さん」
「ごめんなさい」
 ひろのは即答した。矢島が一礼したポーズのまま、ダイヤモンドよりも固く凝固する。
「ど、どうして…!?」
 なんとか声を絞り出すようにして問いかけてきた矢島に、ひろのは答えを返した。
「いや…だって、勝った人が私と組めるなんて誰も言ってないし…」
『あ』
 その答えに、全員がそういえばそうだったと納得した。その場のノリで勝負になっていたが、確かにひろのとのパートナー権を賭けると言う話はどこにもなかった。再凝固したのみならず、着ている衣装よりも真っ白に燃え尽きた矢島を迂回し、ひろのが雅史の前に進み出る。
「と言うわけで…一緒に組もうね、雅史君」
「長瀬さん…よ、喜んで!」
 ひろのが差し出した手を雅史が握って立ち上がると、それを見ていたクラスメイトたちが一斉に大歓声を上げた。その横で、矢島がひっそりと灰になって崩れ落ちていったが、気に留める者は誰もいなかった。
「あぁ〜っ!ず、ずるいわよ!!それならあたしも同じ組に入るわ!!」
 抜け駆けを食らった美奈子が慌ててひろのと同じシフトに入る。
「ほんなら、私らで一組つくろか」
「意義なしネ」
「かまわないよ」
 智子、レミィ、理緒もそれを見て手早くグループを作る。残されたのは夏樹とちとせの二人だ。
「ん〜、夏樹ちゃんと一緒かぁ」
「それは良いとして…矢島君とも組むの?」
 ちとせは良くても私は嫌だ、と言う感じで夏樹が矢島のいた方を向く。しかし、そこには彼の姿はなく、衣装だけが脱ぎ捨てられたように床の上に落ちていた。
「…あれ?」
 夏樹が首を傾げたその時、その衣装を拾い上げた者がいた。見ると、それは帰ったはずの垣本だった。
「あれぇ?垣本君、気分が悪くて帰ったんじゃなかったの〜?」
 ちとせが尋ねると、垣本は首を横に振った。
「気分が悪いのは確かだけど…帰ったわけじゃない。矢島に呼ばれて、付いていったら、いきなりあいつの靴を鼻に押し付けられて…不覚だったよ」
 よく見ると、垣本の顔はまだ少し青い。よほど強烈な化学兵器を浴びたらしい。
「まぁ、天罰も下ったようだし、いいや。それよりも吉井さん…一緒の組になって良いかな?」
 衣装を着なおし、今度はちょっと赤くなってたずねる垣本に、夏樹は頷いた。
「うん、良いよ。よろしくね、垣本君」
 夏樹の返事に、垣本はうれしそうな顔で礼を言い、こうしてようやく全部の組が決まったのだった。
 いよいよ、間もなく東鳩祭本番の幕開け。彼らの長く熱い3日間が始まろうとしていた。

(つづく)

 
次回予告

 いよいよ始まった東鳩祭本番。自分のクラスの出し物に、部活の出し物に、忙しく駆け回るひろのたち。そこへ乱入する綾香たち一行。トラブルの匂いが濃厚に立ち込め始めた文化祭は、果たして無事に終わるのか?
 次回、12人目の彼女第三十二話。
熱闘文化祭編B「全面戦争」
 お楽しみに。

あとがき代わりの座談会 その31
作者(以下作)「なるほど、今回のコスプレはそれか…前回(カードマスターピーチ)とは打って変わって大人しい系だな」
ひろの(以下ひ)「うん、ちょっとホッとした」
作「ところで、元ネタは知っているのか?」
ひ「え?いや、調べてないけど…」
作「そうか。まぁ、しかしそうやって普段とは違う髪形というのもなかなか新鮮だな」
ひ「そう?実は、結構気に入ってるんだ」
作「そうなのか?じゃあ、これからも時々その髪型にしてみたら良いんじゃないか?」
ひ「うん…でも、先輩が決めてくれたものだしね。やっぱりいつもは普段どおりの髪型にするよ」
作「…そっか。そうだな、作者としては書き分けの手間が省けるし」
ひ「…それが本心ね」
作「き、気にするな」

収録場所:東鳩高校2−A控え室


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