※このお話は、日々可愛くなっていく一人の女の子と、日々人として大切な何かを失っていく彼女の友人たちの物語です(殴)。


To Heart Outside Story

12人目の彼女

第三十話 熱闘文化祭編@ 「出し物論争」


 まだ夏の名残を残していた9月も終わり、季節はいよいよ本格的な秋へと向かおうとしていた。東鳩高校ではこの季節にいくつかの大きなイベントを迎える事になるが、その一つが文化祭である。普通なら体育の日がある10月に体育祭をやり、11月の文化の日前後に文化祭をやるのだが、東鳩高校の歴史は両祭日の制定以前にさかのぼるので関係ない。似たような古い歴史を持つ寺女も日程的には同様だ。 
 オーソドックスに「東鳩祭」と名づけられているこの文化祭、中身の方も一見したところ普通の文化祭と大差はない。各部活、同好会、クラブ、クラスがそれぞれに趣向を凝らした展示を行っている。もっとも、「個性派・東鳩高」だけあって、とんでもない展示に関する伝説が少なくない。
 例えば、どう見ても学校関係者ではない女性たちが大行列を形成する漫画研究会の展示や、毎年怪我人続出の空手部の「演武」などが代表例である。しかも、なまじこういう例があるせいで、伝説に残る展示をやろうと異常に張り切る連中が後を絶たない。
 そして、その代表格がひろのたち2−Aの教室にも存在した。

「さて、このクラスの出し物やけど…なんか意見のある人はおらへんか」
 HRの時間、司会進行役の智子が言った。この辺の決定権は全て生徒たちに任されており、よほど非常識もしくは反社会的な展示をしない限り、教師の方がとやかく言う事はない。
「ねぇねぇ、ひろのちゃんは何がいいと思う?」
 あかりがひろのの方へ身を乗り出してきて尋ねて来る。ひろのは首をひねった。
「う〜ん、そう言われてもねぇ…何が良いかな」
 そう簡単にアイデアが出るわけもない。ちなみに、ひろのが所属するもう一つの組織、エクストリーム部は去年までは空手部が行っていた演武を代わりに行う事が決定している。
「飲食関係は簡単だけど、被ると面白くないしね」
 ひろのの言葉に頷くあかり。喫茶店などの軽食・飲料物関係の展示は比較的お手軽にできるのがポイントだ。しかし、それだけに出展する数も多い。去年は全体の半分近くが飲食関係になってしまい、さすがに学校側から問題にされた。特に数が制限されるとか言う事はないのだが、自主的に飲食関係は避けようという動きは生徒たちの中に出ていた。
 が、あえて自分の信じる道を貫く者も中には当然いるわけで。
「…ん?矢島君、なんか意見があるんか?」
 智子が挙手している人物に目を止めて指名する。
「は、この不肖矢島、意見を述べさせていただきます!」
 起立した矢島は、よくわからないノリで前口上を述べた。そのとりあえず重大そうな言い方に、クラスメイトたちが期待を込めた眼差しを彼に送る。その一種高揚した雰囲気の中で、矢島は核心を述べた。
「俺は喫茶店がいいと思います!」
 その言葉を聞いた瞬間、教室の中に「しょせん矢島か」と言う白けた空気が漂った。実際に空気が白く染まるものならば、ミルクを流したように真っ白になるのは間違いなかった。
 しかし、矢島の意見はまだ続きがあった。
「もちろん、ただの喫茶店じゃウケは取れない。ずばり、コスプレ喫茶だ!!」
 一瞬教室に沈黙が下りた。その沈黙を打ち破ったのはひろのだった。
「ええええぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」
 いきなり大声を出したひろのに、クラスの視線がいっせいに集中する。それに気づいたひろのは「あ…」と声を上げたきり、真っ赤になって沈黙した。
 しかし、内心では「冗談はやめてよ…」と半分泣き出したい気持ちになっている。なにしろ、彼女にはコスプレに関するトラウマがあった。琴音に連れられて行ったこみパでコスプレさせられ、カメラ小僧に包囲された時の辛い思い出が蘇ってくる。
 しかし、思わず絶叫してしまった事はひろのにとっては災いとなった。「コスプレ喫茶」と聞いて(そんなオタクな企画…)と思ったクラスメイトたちが、ひろのにコスプレさせたら激しく萌える事に気が付いたのである。
(な、長瀬さんのコスプレ…萌える。これは萌えるぞぉぉぉぉっ!)
 特に男子たちは一斉に萌壊し始めていた。
(長瀬さんのナース服…良いよなぁ…それで先生とか呼んでもらったりして)
(巫女さんもきっといけるぞ。それでお払いとかしてもらったりしてな)
(ぴ、ピーチだ。カードマスターピーチだ。それで一つ変身シーンを再現してもらうのだ)
…なんと言うか、コスプレと言うキーワードばかりが先に立って喫茶の部分は忘れられていると言うか、すっかり彼らの妄想の中はイメクラ状態にまで突入しており、健全な高校生としてそれはどうかと小一時間(以下略)な状態であった。
「はぁ…矢島君の意見はコスプレ喫茶やね。他に意見はないんか?」
 議事を進める智子。彼女自身も矢島の提案にはツッコミたいことが山ほどあるのだが、だからと言って問答無用で「却下や」と言える権限が彼女にあるわけもない。いくらクラス委員長だったとしてもである。
「ほら、他に意見はないんか?」
 智子が同じ言葉を繰り返しつつ、ひろのの顔をちらりと見る。そのしぐさの意味をひろのは理解した。要するに、対抗意見を出して立ち向かえ、と言う事だ。ひろのが別の出し物を提示し、それにコスプレ喫茶案よりも多くの支持が集まれば、彼女がコスプレさせられる事はない。
(ありがとう、いいんちょ)
(ええよ。私も気持ちは長瀬さんとおんなじや)
 目で二人は会話した。気持ちが通じ合っている事を確認し、ひろのはどんな企画を提案すればいいか、頭をフル回転させて考え始める。そして、彼女は夏休みの最後の方で、セバスチャンや厳彦が海外視察で行ってきた場所を思い出した。
「はい」
「長瀬さん、どうぞ」
 手を挙げたひろのを智子が指名し、彼女に視線が集まる。
「えっと、カジノなんてどうかな」
 ひろのは言った。セバスチャンは厳彦氏の海外視察に随行したとき、モナコのカジノへ行ったらしい。彼自身はまじめなので遊びはしなかったが、厳彦氏はかなり楽しんだと言う事だ。
「もちろん、お金をかけるのはまずいから、儲けた分は景品と交換、と言う事になると思うけど」
 女子の間からへぇ、と言う感嘆の声があがる。コスプレ喫茶になってしまえば彼女たちも一蓮托生、と言う事でひろのの案には大いに興味を示しているようだ。
「他に意見は?」
 智子が意見を求め、無いと判断すると次の段階に進んだ。
「よし、ほなどっちの案が良いか、みんなで考える時間にします。決選投票は1時間後で」
 智子は言った。今のところ、大勢は男子が支持するコスプレ喫茶案と、女子が支持するカジノ案に分かれている。そして、2−Aの男女比は男子21名に対して女子18名。
 つまり、カジノ案勝利のためには男子から少なくとも二人を切り崩さなければならないのだ。智子は切り崩し工作の時間を稼ぐために、決選投票を先延ばしにしたのである。
 智子の宣言と同時に、クラスの女子は輪を作って話し合いを始めた。まず、志保が口火を切る。
「いい、みんな。男子の案を通した日にはあたしたち全員大恥よ。断固阻止の気構えでいてね」
 女子たちがいっせいに頷く。
「問題は、男子の側から誰をこっちに取り込むか、だね」
 ひろのが言うと、理緒が提案した。
「垣本君はどうかな。確実だと思うけど…」
 これには誰も異存は無かった。垣本は修学旅行でも唯一覗きに参加しなかったなど、男子の中では常識派で通っている。女子が男子案を嫌がっている事を伝えれば、まず味方になってくれるだろう。
 早速、ちとせの推薦で夏樹が使者として垣本の所へ向かった。
「あの、垣本君」
「ん?なんだい、吉井さん」
 自分の席で居眠りを決め込んでいた垣本は夏樹の声に身体を起こした。そこで彼女が事情を伝えると、垣本は大きく頷いた。
「そうか。まぁ、そう言うことなら女子案に賛成するよ。俺もあんまり矢島の案には賛成できないしね」
「ありがとう、垣本君!」
 夏樹が礼を言うと、垣本は顔を赤らめて手を振った。
「いや…たいしたことじゃないし」
 その光景を見ていたひろのはそっとちとせに耳打ちした。
「松本さん…ひょっとして垣本君って」
「うん、たぶんそうだよぉ〜夏樹ちゃんは気づいてないけど」
 ちとせは頷いた。彼女自身片思い人生を送っているだけに、同類の匂いはすぐに気づくらしい。決してただの天然ポケではなかった。
「さて、これで垣本君は良いとして…」
 そう呟いた女子たちが一斉にひろのを見た。
「な、なに?」
 いやな予感に囚われつつひろのがみんなに尋ねると、志保がとんでもない事を言い出した。
「いやね、ひろのに雅史を説得してもらおうかと思って」
「な、何で私が?」
 ひろのが志保の言葉に拒否の意を示すと、志保は周囲の女の子たちと顔を見合わせて話し始めた。
「だって…ねぇ?」
「長瀬さんと佐藤君って…アレだし」
「当然の人選よね」
 一応、前回のデートの時には二人の関係は保留、と言う事でひろのと雅史の間では合意が出来ているのだが、そんなことは知らない女子たちにとっては、「ひろのと雅史は付き合っている」と言うのは既成事実だった。もともと雅史は女子の間ではけっこう人気のある方だっただけに、ひろのへの友情とは別にやはり嫉妬ややっかみがでてくるのは仕方の無い事ではある。
 まぁ、志保なんかはひろのをからかって楽しんでいるだけだと思うが。
「うう…雅史とはまだ違うのに」
 公認カップル扱いされた事でかなりショックを受けたひろのだったが、それでも気を取り直して雅史のところへ行く事にした。ところが、席を見ると雅史の姿はどこにも無かった。
「…あれ?」
 ひろのが首を傾げた時、近くにいた男子生徒が声をかけてきた。
「長瀬さん、佐藤に用かい?あいつなら矢島と一緒に出て行ったけど」
「矢島君と?…まさか!?」
 ひろのが思わず唸ったとき、智子が手を叩いた。
「矢島君、佐藤君と長瀬さんの接触を阻止する気やな」
「そっか、雅史がひろののお願いを断れるはず無いもんね。先手を打たれたわ…矢島の癖に生意気な」
志保もかなりひどい言い方で頷く。とは言え、矢島にしては上出来な作戦であるのは間違いなかった。
「まずいネ、ヒロノがマサシを説得する時間がなくなるヨ」
 レミィが言った。このままでは垣本の取り込みに成功しても、20対19で女子案の負けだ。
「探すしかないな。みんな、気合いれや」
「矢島が抵抗したら殺っちゃっていいわよ。あいつを投票させられなくしても男子の票は減るからね」
 智子が行動方針を決定し、志保が補足を加える。女子たちは頷くと、一斉に矢島と雅史の行方を追って探しに出始めた。
「私も行こうかな…あれ?あかりは…?」
 ひろのも出かけようとして、同行者にあかりをと望んだのだが、こんな時真っ先に一緒に行こうという筈の彼女はどこにもいなかった。
「…?珍しい事もあるなぁ…あ、レミィ。一緒に探しに行く?」
 たまたま近くを通ったレミィに声をかけてみると、もちろん彼女は快くOKしてくれたので、一緒に雅史たちを探しに行く事になった。

「アカリと一緒じゃないなんて珍しいね、ヒロノ」
「うん…そう言えば、あかり今日は途中からあまり目立たなかったな」
 そんな会話をしながら校内を進むひろのとレミィ。既に他のクラスでは何をするか決定して準備にかかっているところもあるようだが、そうした場所で作業中の生徒たちも、ひろのとレミィの二人を見るとしばし手を休めて思わず見入っていた。なんと言ってもこの二人はやはり目立つ。
「さて、どっちのほうから探そうかな?」
 階段まで来た所でひろのは上下を見渡した。東鳩高校は3階建てで、学年と同じ数字の階に教室があると言うシンプル・イズ・ベストな構造をしている。
「アタシは1階だと思うヨ」
 レミィが妙に確信を込めた口調で言う。なんで?とひろのが聞くと、レミィはにんまりと笑って答えた。
「イザとなったら、校舎の外に出て逃げられるでショ?」
「あ、なるほど…」
 納得して、ひろのは1階に降りた。1年生たちのクラスはもう殆どが出し物を決定し、準備にかかっているらしい。みんなが慌しく動き回っている。
「あっ、ひろの先輩!」
 その時、葵の呼ぶ声が聞こえてきた。振り向くと、琴音とマルチも一緒だった。3人は一斉にひろのの方に向かって走ってくる。
「こんにちわですぅ、ひろのさん」
「どうしたんですか?こんな時間に」
 口々に言う3人娘。
「ん、ちょっと人探しをね。それはそうと、1−Aはもう何をするか決まったの?」
 ひろのが聞くと、琴音がいたずらっぽく笑って答えた。
「ふふっ、当日まで内緒ですよ。でも、先輩もぜひ遊びに来てくださいね」
「うん、わかった」
 ひろのが頷くと、3人とも嬉しそうな顔で声をそろえ、「お待ちしてま〜す」と言う。どんな展示をするのかはわからないが、きっと自信があるに違いない。
「ところで、誰を探してるんですかぁ?」
 マルチが訊ねてきた。ひろのが矢島と雅史の事を話すと、琴音が露骨に嫌そうな表情になって言った。
「あのお二人ですか…」
 琴音はひろのの事が大好きだ。当然、ひろのにちょっかいをかける男は全員敵であり、打倒すべき相手だ。同じように…いや、それ以上にひろのの事が好きなはずのあかりが、どっちかと言うと「ひろのの幸せ」を重視して行動するのに比べると、恋敵を抹殺してでもひろのを自分のモノにしようとして行動する琴音の想いは、ちょっと独善的かもしれない。
 とは言え、ひろのの役に立とう、と言う琴音の気持ちは間違いなく本物だった。
「わかりました。クラスメイトだけでなく、ほかのクラスの子達にも聞いてみますね」
「うん、ありがとう、琴音ちゃん」
 ひろのは礼を言うと、再びレミィと一緒に歩き出した。1階にある特別教室などを見て回っていく。サボリの定番、保健室も見てみたが、二人の姿は無かった。
「いないねぇ…」
「別の階に行ってみようカ?」
 レミィの言葉に頷き、今度は3階へ向かった。ここはもちろん3年の教室が集まっている。しばらく行くと、予想通り芹香と出会った。
「こんにちは、芹香先輩」
 ひろのが挨拶をすると、芹香はこくりと頷いて挨拶を返してくる。
「何だかファンタジックなファッションネ」
 レミィが芹香の姿を見てそう言った。今日の芹香は、普段は部活の時しか身に付けない黒のトンガリ帽子とマント、そして紫の羅紗に乗せた水晶球という魔女らしい格好をしていた。
「…」
「え?私のクラスでは占いの館をやるので、その準備です…ですか?へぇ〜…ぴったりですね」
 芹香の事情説明を聞いて、ひろのは大いに納得した。簡単な相性占いみたいなものは他の生徒がやるが、一番本格的な水晶占いは芹香が担当するらしい。そこまで聞いたとき、レミィが提案を一つ出した。
「そうだ、セリカ先輩にマサシとヤジマの行く先を占ってもらう、って言うのハどうカナ」
「あ、それいいアイデアだね。芹香先輩、ちょっとお願いがあるんですけど…」
 ひろのが芹香に事情を話すと、芹香はこくこくと頷いた。二人を促し、オカルト同好会の部室までやってくる。ちなみに、オカルト同好会は特に単独の展示は行わない。芹香としては占い担当でも十分、と言うところだろうか。
「…」
「え?それでは始めますから、少し静かにしてください…ですか?はい、お願いします」
 ひろのとレミィは黙って芹香と水晶球を交互に見つめる。芹香が低く呪文を唱えながら水晶球に手をかざすと、彼女の魔力に反応して水晶球は淡く輝き始めた。
(わ…綺麗…)
 思わず息を呑むひろの。レミィも驚いたらしく、身じろぎ一つしない。やがて、水晶球の輝きは水面を走るさざなみのように姿を変え、揺らぎ始める。それがしばらく続き、ふっと光が消えた。
「…終わったんですか?」
 ひろのが訊ねると、芹香は頷いて結果を話し始めた。
「…」
「なになに…近き場所…一つ屋根の下…触れえざる扉…不可侵の聖域?」
 抽象的な言葉の連続に、ひろのは首を傾げる。
「どういう意味ナノ…?」
 レミィもさっぱり訳がわからない、と言う表情でさかんに首をひねっている。困惑する二人の後輩に、芹香が済まなさそうに言った。
「…」
「え?占いはあくまでも道を指し示すものだから、そのものズバリはわからない?そっか…でも、ありがとう、芹香先輩」
 謎が増えたような気もするが、芹香に礼を言って二人はオカルト同好会の部室を後にした。
「ふぅ…わからなくなっちゃったね」
 ひろのが言うと、レミィは頷きながらもまた別の提案をした。
「アタシたちだけじゃわからないけど、トモコとかリオとか、頭のいいヒトに聞けばわかるかもしれないヨ?」
「う〜ん、そうだね。ちょっとみんなに相談してみようか」
 レミィの提案を受け、ひろのは教室に向かう事にした。時間は後30分ほど残っている。

 ひろのたちが教室に戻ってみると、ちょうど志保、智子、理緒の3人が戻って来ているところだった。
「ミンナ、どうだっタ?」
 レミィが声をかけると、志保がアメリカ人のように大袈裟に肩をすくめて言った。
「ぜんぜんダメね。全くどこへ隠れたやら」
「他のグループもさっぱりだって」
 理緒も頷く。そこで、ひろのは芹香の占いで出たキーワードを話してみた。
「近き場所、一つ屋根の下、触れえざる扉、不可侵の聖域?なんやけったいな話やなぁ」
 智子が首を傾げた。
「前の二つはまだこの校舎内にいる、って言う暗示だよね…でも…」
 理緒が分析してみたが、確実にわかるのは前の二つだけ。それも、ひろのやレミィにもすぐに意味のわかった部分だ。
「後の二つは何かしらね。そんな大袈裟なところ、この学校にあったっけ?」
 情報通・志保にしても、この学校に不可触の聖域があるなどという話は聞いた事が無かった。
 結局訳がわからず、5人が顔を見合わせて「う〜ん?」とうなりながら考え込んだ時、垣本が傍にやってきた。
「長瀬さん、君にお客さんだよ」
「私に?」
 呼ばれたひろのが教室の入り口のほうを振り向くと、そこにいたのは葵だった。
「あれ?どうしたの、葵ちゃん」
 ひろのが訊ねると、葵は部屋の中に入ってきて、重大な事を告げた。
「長瀬先輩!佐藤先輩と矢島先輩の行く先、わかりましたよ!」
『ええええぇぇぇぇっっ!?』
 あまりに意外な葵の言葉に、ひろのたちは一斉に驚きの叫びをあげた。

 それから3分後。
「確かにこれは『触れ得ざる扉』で…」
「『不可侵の聖域』だね。間違いなく」
 雅史と矢島の居場所の前で、志保と理緒が大いに納得する。彼女たちが見つめる扉にはこう書かれていた。
【男子便所】
 と。
 なぜ葵がこの場所を知ったかと言うと、彼女のクラスの男子が、1階がふさがっていたために2階のトイレを使いに来て、二人を目撃したのだ、と言う。その男子がたまたまサッカー部で、雅史の事を知っていたのだ。
 確かに、女子はまずこの中に入るはずが無いし、近づく事すらないだろうし、ましてや捜索先として考えもしないだろう。人間心理の盲点をついた見事な隠れ場所であった。
「さて…なんとかここから二人を引き出さないと」
 ひろのが言うと、智子がどこから持ってきたのか、阪神タイガースの応援用メガホンを取り出してドアに向かった。
「あー、あー、矢島君と佐藤君に告ぐ。アンタらは完全に包囲されとるで。無駄な抵抗は止めて大人しく出てきぃや」
 返事は無かった。
「いいんちょ…それで素直に出てくるとは思えないよ」
 ひろのが言うと、智子はまぁ、それもそうやな、と答えてメガホンをしまった。
「雅史、矢島、早く出てこないと後でひどいわよ!!」
 志保が脅迫する。もちろん返事も反応もない。
「このままギリギリまでここに篭る気ね…ムカツクわ」
 志保が歯噛みして悔しがるが、いかに憤ろうとも、男子便所の扉は絶対不可侵の結界と化して彼女たちを阻んでいる。その気持ちはひろのにも良くわかった。
(私も最初入りづらかったもんなぁ…女子トイレに)
 今でこそ慣れたが、女の子になりたての頃は、わかっていても女子トイレに入るのは精神的にキツかったものだ。
 とは言え、中の二人を引きずり出さねばコスプレが待っている。幸い、ひろのは出自が出自だけに男子トイレに侵入するに当たって、他の女子ほどの心理的抵抗感は少ない。
(いざとなったら、私が中に突入するか…)
 今の自分が抵抗する男子二人をどうにかできるかはわからないが、多分あの二人なら手荒な真似はしてこないだろうし、とひろのは覚悟を決めた。その間にも智子、志保は手を変え品を変え中の二人に呼びかけを続けていたが、相変わらず完全無視だった。
「Oh…そう言えばこういうのニを見た話を読んだことがあるヨ。確か…アマノミシオだったカナ」
「レミィ、何かそれ微妙に違うわ」
「宮内さん…それを言うなら天の岩戸だよ」
 レミィの言葉に志保と理緒がツッコミを入れる。確かに、入り込めない密室に篭った相手を誘い出そうとする今の状況は、あの有名な神話にそっくりだ。
「まぁ、アレに例えるんは天照の神さんに失礼な話やけどな…いや、待てよ」
 智子が何かを思いついたらしい。しきりに頭を振り、自分の思い付きを確かめている風である。何しろ東鳩高校でも随一の知性派である智子の考えだけに、一同は固唾を飲んで彼女の様子を見守った。
「…うん…うん。イケるで。これなら確実や。長岡さん、宮内さん、雛山さん。ちょいと耳を貸してや」
 やがて、智子は全てを練り終えたらしく、顔を上げると、まずひろの以外の3人を呼んだ。
「…とまぁこういう手筈や」
「…なるほど…それは確実ね」
「うん、間違いなしだねっ」
「さすがはトモコ、クールなオペレーションネ」
 智子の計画を聞き、しきりに感心する3人。
(あんなに感心してるなんて…どういう計画なんだろ?)
 自分も聞きたいと思い、ひろのがうずうずしていると、ようやく3人が散り、智子は今度こそひろのを呼んだ。
「どういう計画なの?いいんちょ」
「そう焦らんでもちゃんと教えたるよ。なんと言っても、長瀬さんはこの作戦の要やからね」
 そう言うと、智子は背伸びしてひろのの耳元に口を寄せ、そっと囁いた。その内容を耳にした瞬間、ひろのの顔が「ぼんっ!」と音を立てそうな勢いで紅潮した。
「えええっ!?い、嫌よ、そんなの!!」
 ひろのが必死に首を振ると、智子はさも意外そうな表情と口調で言った。
「なんでや?減るもんや無いし」
「そ、それでも嫌なものは嫌!」
「大した事ちゃうやん。何も裸になれっちゅう訳やない。パンツを見せてあげる、って言って誘うだけやから」
「だから、パンツ見せるなんてできないってば!!」
 智子が普段のまじめな口調とは大違いのおどけたような感じで、特に「パンツを見せてあげる」の所だけを強調して言う。ひろのが親友の豹変に戸惑いつつ、さらに反論を試みようとした時、先に智子が動いた。ひろののスカートをつまみ、めくりあげようとする。
「それやったら私が手伝ったるわ」
「やだぁっ!やめてよぉっ!!」
ひろのが半泣きで抗議した時、ばぁんっ!と音を立てて男子便所の扉が開いた。
「長瀬さんのパンツが見られるだって!?」
 矢島だった。そこにいるのは、必死でスカートを抑えているひろのと、してやったりと言う表情の智子、そしてバケツやらモップやらを構えた志保とレミィ。
「しまっ…!」
 罠にはめられた事を悟った矢島が扉を閉める暇もあればこそ。
「えいっ!!」
 理緒がドアの隙間にゴミ箱を押し込んでドアが閉じるのを防ぐ。そして、志保とレミィの獲物が一閃した。
 
 ばきっ!ごわんっ!!

 綾香を筆頭とする人外少女たちに比べればささやかなものだが、それでも矢島をノックアウトするには十分なダメージを2発入れられ、彼は床に崩れ落ちた。その様子を見ながら、智子は眼鏡をくいっと押し上げて呟いた。
「男言うんは…悲しい生き物やな…」
「悲しいのは私だよ…」
 情けなさと恥ずかしさでひろのは呟いた。そして、智子をちょっと睨む。
「いいんちょ…私を囮にしたね?」
「いやぁ、長瀬さんが本気で嫌がってくれんと、この作戦は通用せんからなぁ」
 ニヤリと笑う智子。もちろん、彼女は本気でひろののスカートをめくるつもりなど無かった。そう見せかけて、ひろのが今にもスカートをめくられそうな切迫感の元で声をあげてくれれば良かったのである。矢島がそれを無視できるはずはないからだ。彼が出てきさえすれば、後はいかようにも料理できる。
 名づけて、アメノウズメ作戦。囮が極上だけに成功間違いなしの作戦であった。
「ま、最大のガンはやっつけたわ。雅史、出ていらっしゃい」
 倒れた矢島を簀巻きにして志保が言うと、開いたままのトイレのドアの向こうから雅史が姿を現した。
「な、なんだい?志保ちゃん」
 状況が良くわかっていない、と言う表情の雅史。そこから察するに、どうやら、矢島とグルになっていたわけではないらしい、とひろのは思った。
(良かった…雅史がアレの同類じゃなくて)
 安堵したひろのは、雅史に歩み寄った。
「あのね、実は…」
 ひろのが事情を話すと、雅史はしきりに納得していた。
「そう言うことだったのか…いや、矢島に話があるからってここに連れてこられたんだけど、世間話ばかりで何も特別な話はしてこないし、そのうち保科さんや志保ちゃんが外で何か言ってるし、変だなとは思ったんだ」
「じゃあ?」
 期待を込めてひろのが問うと、雅史はにっこりと笑って頷いた。
「もちろんだよ。長瀬さんが嫌がる事には賛成しない」
 その笑顔ときっぱりした態度に、ひろのは思わず心臓が高鳴るのを感じた。視線が雅史に吸い寄せられ、思わず見つめあってしまう。
「ありがとう、雅史君…」
「いや…どういたしまして」
 ひろのに見つめられ、雅史も赤面して立ちすくむ。その時、志保がわざとらしくコホン、と咳払いをした。
「あ〜あ、見せ付けてくれるわねぇ…このこのっ!」
「そういうのは、後で二人きりで心ゆくまでやってくれんか」
 智子がちょっと渋面で続けば、赤面した理緒が「うぅ…」と何を言っていいのかわからない風情でうめく。
「青春だネ」
 レミィは屈託なく笑い、ひろのと雅史は自分たちの状況に気付いてさらに赤面した。
「さ、そろそろ時間や。決選投票をするで」
 智子がきびすを返し、志保、レミィも後に続く。
「あ、あの〜、矢島君は?」
「棄てときなさい」
 理緒の質問を志保が一言で斬って捨て、トイレの前には簀巻きにされた矢島だけが残された。矢島が復活しても、男子からは既に垣本、雅史が離脱している。予想される投票結果は、矢島案(コスプレ喫茶)が19、ひろの案(カジノ)が20となり、女子の逆転勝利は疑いなしだ。
 その筈だった。

「そ、そんなアホな…!?」
 投票用紙(と言う名のノートの切れ端)を集め、集計し終えた智子は愕然とした表情でうめいた。
 投票結果。
 
コスプレ喫茶…20
 
カジノ…19

 
 女子の思惑を覆し、コスプレ喫茶の勝利。その瞬間、男子は歓声を上げて飛び上がり、女子は信じられない敗北に身体を震わせた。
「垣本君、雅史!あんたたち、ちゃんとひろのの案に投票したんでしょうねっ!?」
 目を吊り上げて迫る志保に、垣本は少し青い顔で頷いた。
「いや、間違いない。俺は長瀬さんの案に投票した。誓って本当だよ」
「僕も」
 雅史も頷く。彼の視線はショックのあまり呆然となっているひろのに向けられていた。
「と、言う事ハ…」
 レミィと理緒が顔を見合わせた。
「女子の中に、男子案に投票した人がいるってことだよね…」
 一同は首をひねり、一つの言葉だけを呟いた。
「…誰?」 
 
 犯人は意外なところにいた。
(…ごめんね、ひろのちゃん。でも…どうしてもひろのちゃんのコスプレ、見てみたいから…)
 あかりだった。ひろのの願いを叶えるか、自分の欲求を通すか。悩みに悩んだ末だったが、今回は欲望の勝利であった。
(わたしも付き合うから…許してね)
 せめてもの贖罪としては、あかり自身もコスプレしてひろのと同じ恥ずかしさに耐える事だったが、それがひろのにとって慰めになるかどうか。
 ともかく、2−Aの出展はコスプレ喫茶と決したのであった。
 その噂はあっという間に校内を駆け巡った。2−Aと言えば、琴音たちがいる1−Aと並ぶ東鳩高校の美少女資源が集中しているクラス。それだけに、誰がどんな格好をするか、あるいは誰にどんな格好をして欲しいかで学校中が持ちきりとなったのである。
「ここはやはり、長瀬さんにメイド服を…」
「保科さんにう○だの格好を…」
「俺は宮内さんにワル○ューレ…」
 こうした危ない話題が、数日にわたって校内で続くのであった。
 そして、郊外でもこの話題に接した者がいた。
「へぇ…ひろのがコスプレね…これは行かずばなるまいわね」
 彼女――来栖川綾香もまた、自校の文化祭をほっぽり出して東鳩高校を訪れる事を決意していた。
 伝説になる文化祭と、それに向けての熱い日々は、ここに幕を開けたのである。

 (つづく)

不本意ながらも出展を成功させるため、一致団結して準備に当たるひろのたち2−Aの生徒一同。開幕を明日に控えて、泊り込みでの準備に勤しむ彼女たちに訪れるトラブルまたトラブル。果たして無事に前夜祭は済むのか?
次回、12人目の彼女第三十一話 熱闘文化祭編A「前夜祭動乱」
お楽しみに。


あとがき代わりの座談会 第30回

作者(以下作)「文化祭か…懐かしい響きだな」
美奈子(以下美)「あんまり昔の事を懐かしがると年齢がバレるわよ」
作「む、今日のゲストは岡田さんか」
美「任せといて。今回のコスチュームアドバイザーはこのあたしよ」
作「ほぉ。さすがはベテランだな」
美「コスプレのほうはそうでもないんだけど、まぁ、イメージ作りがね」
作「ふむふむ。たとえば主要なメンツはどうなんだ?」
美「そうね。例えば佐藤君は最○記の悟□とか…垣本君は守護聖様なんか似合いそうだし…」
作「…おい、男ばっかじゃないか。しかもあからさまにボーイズラブ系ばかり」
美「女の子の方はそんな今からばらしちゃ面白くないでしょ」
作「…それもそうか。しかし、待ちきれないって意見も多そうだなぁ」
美「しょうがないわね。サービスにあたしが何やるかだけ教えてあげるわ」
作「え?」
美「某機動戦艦のオペレーターの娘よ。楽しみにしててね」
作「いや、聞いてないし…」

収録場所:東鳩高校漫画研究会部室


前の話へ   戻る    次の話へ