※女の子の過去を詮索するのはルール違反ですよ(殴)。 

前回までのあらすじ
遠足の途中山で遭難したひろの。彼女を救ったのは男の頃からの幼なじみ、雅史だった。それ以来、雅史に対する思いの変化したひろのは…

To Heart Outside Story

12人目の彼女

第二十八話 「地獄のカオスでーと・リターンズ!」


「はぁ…」
 ひろのの健康的なピンク色をした唇から、さわやかな秋の気候に似合わない、アンニュイなため息が漏れる。隣の席に座る智子をはじめ、周囲の人間はみな気もそぞろだ。数日前の遠足で、思わぬ天候の急変から遭難したひろのは、助けられて以来ずっとこうなのだ。
「ふぅ…」
 再び聞こえてくる物憂げな声。一同はひろのが見ている方向にいる人物に注目する。そこには、中性的な容姿を持った一人の少年がいる。彼は、周囲から突き刺さる非好意的な視線…中には殺意まで昇華されたものが混じっている…を浴びているように見える。
ため息の原因…雅史がそんな状態にあるとも知らず、ひろのは彼に視線を向け続けている。助けてもらって以来、彼女は雅史が心のどこかにずっと存在していることに戸惑っていた。
(はぁ…どうしちゃったんだろう、私…)
 どうして、雅史のことがこんなに気に掛かるのか。命を助けてもらったから?でも、それなら他にもそういう人はいる。例えば、坂下に命を狙われたときは葵に助けてもらったし、男に乱暴されかけたときは志保や琴音に助けてもらった。
 しかし、彼女たちに今の雅史に対するそれのような、訳の分からないもやもやとした感情を抱いたことはない。
(なんだろうな…私は雅史の事は良く知っていたと思ったんだけど…)
 雅史はあずかり知らぬことだが、ひろのにとって雅史は幼なじみだ。あかりほど長い付き合いではないが、それでも小学生からずっと同じクラスだったし、それなりに深い友情もあったと思っている。
(でも…考えてみると雅史の事で知らない事ってあるよね…あんなに…力があるとは思わなかったし)
 女の子としてはかなり大柄な(何しろ雅史より背が高い)ひろのを軽々と背負って山道を歩いて行った雅史。その案外広い背中に身を預けて眠り込んでしまった自分の事を思い出すと…
 雅史を見るひろのの頬が羞恥でピンク色に染まった。その瞬間、教室に立ち込める暗い色の情念が一段とその密度を増した。
 それはもちろん雅史に向けられたものなのだが、当の雅史はそれにも気付かずぼうっとしていた。何しろ、彼はひろのを助けたときに、決して望んでも得られない経験をしていたからである。
(ふぅ…長瀬さん…やっぱりスタイル良いんだな…あんな格好見ちゃったし)
 山の中でひろのを見つけたとき、彼女は服を乾かしている最中で、身に着けているものといえばブラとショーツだけと言うあられもない姿だった。透けるような真っ白な肌に映える、鮮やかなピンク色の下着だけというひろのの姿は今思い出しても…
(いや、駄目だ駄目だ。こんな事考えちゃあ。でも…)
 その後、思わず泣き出してしまった彼女をその姿のまま抱きしめてしまったし、また、熱を出して動けなくなった彼女を背負って山を降りもした。その時に服越しに感じられた彼女の体温と、押し付けられる豊かな胸のふくらみの感触が…
(だから駄目だって僕!そんな…いやらしい眼で長瀬さんを見るなんて…ぼ、僕は…はぁ…駄目な人間だ)
 雅史の悩みは、若く健康な男子が好きな女の子の裸同然の姿を見てしまえば否応無しに抱かざるを得ない種類のもの。時々矢島に煽られて暴走してしまうことがあるとは言え、雅史は基本的にまじめな少年なのだ。
  おかげで、どうしてもあの山中の経験の事が忘れられない彼は、ひろのを見るたびに自己嫌悪に陥り、周囲からの悪意にも全く気付かないでいたのである。まぁ、彼に向けられていた殺意だの嫉妬は人間が耐久できる限界値を超えた密度を持っていたので、そういう意味では幸いなことだったかもしれない。
 とばっちりを食ったのは教師たちである。直接自分に向けられたものではないとは言え、広くもない教室にさまざまな悪意が凝り固まって渦を巻いていたのでは、精神的健康に良いはずがない。この数日間で、「2−Aに行くのはイヤだ」と言い出した教師の数は既に3人に及んでいた。

 そんな風にして2−Aの教室が精神戦闘の魔窟と化してから5日目。遠足の日からは1週間目にあたるその日、このままではいけないと最初に決意したのはひろのだった。この5日間、ずっと落ち着かない気持ちで過ごしてきたのである。自分の気持ちが何なのか、雅史に対するこの思いは何なのか、確かめないことには健康によくない。
 意を決したひろのは、授業の終了と同時に、雅史の席に近寄った。
「ま、雅史君」
 かなり頑張ったのだが、やはり緊張で声が上ずっていた。教室中の視線が彼女と雅史に集中する。
「な、なんだい、長瀬さん」
 雅史もかなり上ずっていた。おかげで、本人たちはいたって真剣であるにもかかわらず、まるで下手な芝居をしているかのようなぎこちない会話になってしまう。
 周囲の(今回の情勢に関してバイアスの掛かった)級友たちには、初々しいまだ付き合い始めの頃の恋人同士の会話のように見えたが。
「あの…明日、時間空いてる?」
「明日…?特に予定はないけど」
 質問に雅史が答えると、ひろのの顔に安堵の表情が浮かんだ。ここで「明日は駄目」と言われようものなら、またこのもやもやした気持ちを1週間引き摺る事になる。それゆえの安堵の笑みだったが、周りの(今回の以下同文)な人々からはものすごく嬉しそうに見えた。そして、決定的な一言を口にする。
「じゃあ、明日一日、私に付き合ってくれないかな」
 その瞬間、時が静止した。
 言われた雅史はもちろん、クラスメイトたちも完全に凝固している。
「…雅史君?」
 固まった雅史の前で、ひろのがどうしたの?という感じに小首を傾げると、雅史の呪縛が解けた。
「あ、あ、あ、あの、長瀬さん。そ、そ、それって、どう言う事?」
 凝固は解けたが、ひろのの言った事を理解してはいなかった。と言うより、信じられなさ過ぎて脳が理解するのを拒否しているのかもしれない。
「どう言う事って…その言葉どおりだけど」
 ひろのが答える。
「そ、それって…デート…って事になるのかな」
 雅史が言った。一瞬、言葉の意味を図りかねてあごに指を当てて考え込んだひろのの顔が、一瞬で真っ赤になる。
「か、考えてみれば…そういうことになるのかなぁ?」
 ひろのとしては、とにかく雅史と話をして、この気持ちに決着を付けたいだけだったのだが、それが世間一般では「デート」と呼ばれる行為に入ることまでは思い至らなかったらしい。
「と、ともかく…明日の十時に駅前に来て欲しいの。良い?」
「う、うん。わかった。駅前に十時だね」
 相談がまとまり、ひろのは奇妙な静寂に包まれた教室を出て行った。少し遅れて雅史も去っていく。それからさらに時間を置いて…
『えええええええぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ!!??』
 学校中を揺るがすような絶叫が2-Aの教室から湧き起こった。

 東鳩高校某所に位置する学園内秘密組織「長瀬ひろの保安協会」、略称NHK。その本部に久々にメンバー全員が招集されていた。
「…」
 会長の<ウィッチ>が開会を宣言すると、書記の<リボン>が早速報告を開始する。
「…と言う訳で、明日はひろのちゃんと雅史ちゃんの二人は駅前でデートをする…と言う事になります」
<リボン>の報告が終わった瞬間、場に沈黙が落ちた。デートとそれにまつわるイベントは、NHKにとっての鬼門だ。前回の綾香とのデート(ファンタジアパークの戦い)では、メンバー全員が途中で倒れ、最終的にセバスチャンがひろのを救うと言う大敗北に終わっている。
 その経験から言えば今回の事態はNHK創設以来の危機的状況、と言えるだろう。前回同様、矢島やいぢわる三人組、好恵、そしてなによりも綾香がデート阻止勢力として参戦してくるのは容易に推察できる。おそらくセバスチャンは来ないだろうが…
 そして、NHKも決断を迫られている。もちろん、参戦に異存はない。しかし、どの立場に立って参戦するかはそう軽々しく決断できない。何よりも、今回のデートはひろのから言い出したことなのだ。彼女の望みを守ると言うNHKの理念から言えば、デートを守るほうで立たねばならない。
 しかし、ひろのを雅史に渡したくないのもこれまた事実だ。ひろのの貞操を守る、と言うもう一つの理念では、デートをぶち壊しにしなくてはならない。例え、それによってひろのに恨まれようとも。
「はわわ…私はひろのさんのデートを見守るべきだと思いますぅ」
<ドール>が意見を述べた。彼女はひろのの事は「好き」ではあるものの、恋愛の対象としては見ていないので、ある意味一番冷静な判断が下せる立場にいるとも言える。
「私は反対です。絶対阻止です!佐藤先輩は滅殺です!!」
<ドルフィン>は強行阻止派。ある意味、彼女が一番タチが悪いかもしれない。<ドルフィン>にとって「長瀬ひろの」とは、目指すべき同性である「長瀬ひろの」として、憧れの異性である「藤田浩之」として、限りない憧憬の対象であった。
それを奪おうとする者に対しては、例え相手が神であったとしても戦うことを躊躇しないだろう。
「そ、そこまではしたくないな…私もデート自体はやめさせたいけど、それじゃ二人とも辛いだろうし…」
 報告者である<リボン>は意外にも迷っていた。彼女にはひろの、雅史を至近から観察する機会が多い。この一週間、二人がお互いを意識して悩んでいる事は理解している。かと言って雅史にひろのを渡したくはないし、雅史を倒してひろのを悲しませる事になってもいけない。なかなか難しい立場なのだ。
今のところ、デートに関しては阻止派が1、賛成派が1、保留が1。こうなると、俄然議長にして最終決定権を持つ<ウィッチ>の意見が重要なものになってくる。
「…」
「え?とりあえず見守ることにして、問題が生じたら介入、ですか?」
 こくこくと<ウィッチ>は頷いた。彼女としてもひろのは心配だ。しかし、相手の雅史は少なくともひろのに対しては余り酷い事をするタイプには見えない。修学旅行で覗きをしたとの報告はあるが、他者の煽動により、つい魔が刺しての行動という調査結果も出ている。
 それに、綾香とは違い雅史の戦闘力はSS+評価。その気になればNHKメンバーなら一人でも対等に戦えるのでそう心配は要らない、との判断もある。
「<ウィッチ>先輩がそう言うのでしたら…」
 少し不満そうではあったが、<ドルフィン>も納得する。こうして、NHKの方針は定まった。

 場所は変わって、東鳩市の外れにある広大な敷地を持つ学校…西園寺女学院。その一角にある部屋の中で、一人の少女が呟いていた。
「気に食わないわね…」
 綾香だった。彼女もひろのと雅史のデートに関する情報を既に入手していたのだ。C○Aにも匹敵するとさえ言われる綾香様親衛隊情報部の実力は伊達ではない。
「まぁ、圭子の情報に間違いはないものね。それに、貴女にとっては他人事ではないし」
「あ、綾香さん!」
 綾香に圭子と言われた少女が顔を赤くする。彼女の名前は田沢圭子。綾香様親衛隊情報部長というポストに就いている。かなりの重職であり、親衛隊の中では有力者だ。しかし、他のメンバーたちがいっせいに圭子を睨んだ。彼女が綾香を「さん」付きで呼んだのが気に入らないのである。通常、親衛隊のメンバーは綾香を「さま」付けで呼ぶ。
 そうした中で圭子が「さん」で呼ぶのは、彼女がこの学校では数少ない、綾香に手篭めにされた訳ではなく、自由意志を持ち、実力で綾香に抜擢された存在であることを示す。これだけでも、このショートカットの童顔の少女が、祖先は時代を遡ればさる大名家のお庭番だったという歴史を持つ一族の末裔に相応しい非凡なる才能を秘めている事が理解できるだろう。往々にして妬まれやすいタイプではある。
「まぁ、そう照れない照れない。確かにあの雅史って子は可愛いものね」
 綾香が手を振って圭子をなだめ…るふりをして煽る。ますます赤くなる圭子。そう、彼女は雅史のことが好きだったのだ。
 きっかけは、圭子が情報部長として頻繁に東鳩高校を調べるようになった頃だった。綾香が男の中で要マーク人物とみなした雅史を調査しているうちに、いつの間にかそうなったのである。
「と、ともかく!対策を練らなくてはいけないと思うんですがどうでしょう?」
 これ以上からかわれてはたまらないので、圭子は話題を変えることにした。綾香ももう少し圭子で遊んでみたい気持ちはあったのだが、やはり重要なのはデート対策なので気持ちを切り替えることにする。
「そうね…やはり邪魔するべきね。ひろのが男と付き合うなんて許せないわ。別れてもらわないと」
「いや、まだ正式に交際しているわけでは」
 圭子が一応訂正するが、綾香が人の話を聞いているはずがない。
「そうよ…初デートもファーストキスもあたしが頂いたんですもの。ほかの『初めて』もみんな貰うわ…くすくすくす」
「はぁ…」
 トリップ状態に突入した綾香を見ながら、圭子はため息をついた。この性癖さえなければ良い人なんだけど、と考える。
 もちろん、口に出しはしないが。
「と言うわけで、明日は妨害に出るわ。圭子、セリオ、付いてきて」
「かしこまりました、綾香様」
 綾香の同行の求めに対し、セリオは素直に頷いたが、圭子は驚いて聞き返した。
「わ、私もですか?」
「そうよ。愛しの佐藤君のためにも力を貸してちょうだい」
 要請の形をとってはいるが、実質的には命令だった。仕方なく頷く圭子。こうして、綾香たちの方針も固まった。

 もし思念という物が実体を持つなら、この部屋には原油のように真っ黒い、ドロドロしたものが渦を巻いていたに違いない。
 矢島を中心とした男子の一部グループはNHK同様、東鳩高校の一室に陣取り、ドス黒い思念を垂れ流していた。
「おのれ佐藤め…抜け駆けしやがって…」
「長瀬さんをおんぶしただけでも万死に値すると言うのに…」
 呪詛のようにぶつぶつと呟き続ける男たち。彼らは「長瀬さん最萌」を標榜する「長瀬ひろのファンクラブ」の急進派であり、今回のデートに関する危機感の強さでは他のグループに負けていない。
「そうだ、みんな。事態は一刻を争う。我々はなんとしても明日の長瀬さんと佐藤のデートを粉砕せねばならない」
 矢島が言うと、全員が大いに頷いた。
「そこでだ、俺にアイデアがある」
 矢島がなにやら提案を出した。全員が耳を傾ける。
「まず、みんなはチンピラに変装してくれ。そして、デート中の二人を襲撃。まずは佐藤を抹殺する」
 うんうん、それで?と全員が先を促した。矢島はコーラで唇を湿らせ、先を続ける。
「そこへ、俺が割って入り、長瀬さんを救出。佐藤を倒し、長瀬さんの好感度を上げる。一石二鳥の策だ。どうだろうか?」
「おぉ、なるほど…って、そりゃてめぇが美味しいだけじゃねぇかっ!!」
「ば、ばれたか!!」
 誰かが怒号を上げ、ひとしきり室内に殴打の音が鳴り響いた。やがて、血だまりの中に矢島が沈没すると、一同は誰からともなく顔を見合わせた。
「しかし、策としては悪くない…」
「問題は…」
「誰が救出役になるか、だよな」
 しばし沈黙が流れ…そして、場は動いた。
「俺だ!」
「いや、僕だっ!!」
 室内で大乱闘が発生した。集団心理学によれば、ビジョンとリーダーを持たない集団は内部抗争による自滅の道をたどると言う。
 彼らも例外ではなかった。

 自分をめぐってさまざまな陰謀や、既に流血の惨事が発生しているとも知らず、ひろのは自分の部屋でベッドに寝転がって天井を見上げていた。
「…デート、かぁ…」
 TFPの一件をデートと思っていない彼女にとっては、これが最初のデートである。
「う〜ん…ちょっと気合入れていこうかな」
 そう呟くと、彼女は起き上がり、部屋の隣のクローゼットに入った。未だに袖を通したことの無い方が多いかもしれない服の中から、これはと思うものを探し出す。
「このスカート良いかなぁ…でも、さっきの上着にちょっと合わないかな?するとこっちの方が…」
 姿見に映してみながら、いろいろな服をとっかえひっかえ試していくひろの。彼女がこれほど服装をこだわって選ぶのはこれが初めての事である。やがて、気に入った組み合わせが見つかった。それを丁寧にハンガーにかけておく。
「これで良し…ふぅ…可愛いって言ってくれるかな?」
 そう言って、今度はタンスをあけて下着を選び始める。10分ほどかけて、淡いミントグリーンの清潔なデザインのペアを選ぶ。その瞬間、ひろのは顔を赤くした。
「な、何やってんだろ…私。相手はあの雅史なのに…こんなに服に凝らなくても良いのに」
 床にぺたんと座り込み、自分の舞い上がりっぷりに身悶えるひろの。しかし、だからと言って一度選んだ服を戻すことはしなかった。
「きっと…いろいろ気疲れしてるんだ。早く寝よっと…」
 しかし、その後も浴室で普段よりずっと念を入れて身体を洗う自分を発見したりして、愕然となるひろのだった。

 そして…夜が明けた。 
 天気は爽やかな秋晴れだった。まさに絶好のデート日和である。一方の当事者である佐藤雅史は約束の1時間も前に家を出て、歩いて20分の駅前ロータリーへ向かった。
 その途中、近道になる公園では十数人の男たちが手に様々な得物を持って待ち伏せていた。全員が身体のどこかに傷を負っているのが痛々しい。
「佐藤は必ずここを通るはずだ。とにかく、あいつを駅前に行けなくする。いいな?」
 その中で指揮をとるのは、なぜか一人だけ怪我一つない矢島。そう、「長瀬ひろのファンクラブ」最強硬派の面々である。昨日の内ゲバでかなり戦闘力を落としてはいたが、それでも数は力。雅史の戦闘力は侮れないが、この人数でたこ殴りにすれば余裕で勝てるはず…だった。
「悪いけど、そうはいきませんですぅ」
「ひろのちゃんが楽しみにしてるデート、壊させはしないよ」
「不本意ですが…これもひろの先輩のため」
「…」
 唐突に四方から声が上がる。最後は「貴方たちを滅殺です」と言っていたのだが、聞き取れた者はなかった。しかしそれよりも重要なのは、矢島たち最強硬派が完全に包囲された、と言うことであった。
「だ、誰だ!?」
 声を上げて四方を見回す最強硬派メンバーたち。しかし、声の主たちは姿を見せない。代わりに彼らを襲ったのは、無数のミサイルと不可視の力、飛来するアイスピックや包丁、そして火球や落雷などの雨あられであった。
「うぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!??」

 ちゅどーん!

 数分後、雅史は公園の前にたどり着いた。が、そこで彼が見たものは…謎の荒野であった。
「あれ?ここって公園だったよね…再開発でもするのかな?」
 首をかしげた雅史だったが、おとなしく公園「だった場所」を迂回することにした。
「早めに出て来てよかったな…長瀬さんを待たせる訳には行かないからね」
 呟いて去っていく雅史。もし彼が荒野の中心をよく見ていれば、そこに黒い「大」の字状の物体多数を見出して、さらに謎を深めたかもしれない。
 黒い「大」の字たちにとってはもはやどうでも良いことであったが。

9:20…長瀬ひろのファンクラブ最強硬派、リタイア。


 ひろのが駅前ロータリーに着いたとき、目印の時計台の下では既に雅史が待っていた。
「お待たせ、雅史君」
「いや、今来たところで…!!」
 雅史は絶句した。今日のひろのの服装…昨日、彼女が1時間以上かけて自分で選んだのは、チェックのプリーツスカートと白いブラウスにえんじ色のベストという組み合わせ。スカートはひろのとしては思い切って短めで、裾がひざ上の長さだった。
 学校では校則を遵守した長めのスカートを装備し、この前はGパンをはいていたひろのの、珍しく綺麗に脚線の出ている服装に、雅史は心臓が高鳴るのを感じた。
「…どうしたの?」
 固まったままの雅史を不審に思ったひろのが訊ねると、雅史は慌ててトリップ先から戻ってきた。
「いや…その。ちょっとびっくりしたよ。その服。似合ってるよ、長瀬さん」
「…そ、そうかな?」
 今度はひろのが赤くなって固まる番だった。雅史もリアクションに困るが、とりあえず強引に先へ進むことにする。
「と、とにかく…お茶でも飲もうか」
「え?う、うん…そうだね」
 そのまま二人は駅前のアメリカンスタイルのカフェに入った。カウンターで注文し、自分でテーブルまで持っていくタイプの喫茶店である。
「僕はアイスコーヒーで…長瀬さんは?」
「あ、私はアイスカフェオレ」
 雅史に注文を聞かれ、ひろのは慌てて財布を出そうとした。それを雅史が止める。
「良いよ、長瀬さん。今日は僕のおごりにしておく」
 ひろのはその雅史の言葉に首を横に振った。
「そんな…悪いよ。今日誘ったのは私なのに」
「いやいや、こう言うときは男がおごるものらしいから」
 そう言って、雅史は強引に二人分の支払いを済ませてしまった。
「それじゃあ、頼んだものは僕が受け取って持っていくから、長瀬さんは席を取っておいて」
「…うん、ありがとう」
 ひろのは礼を言うと、受け取りを待つ雅史を置いて席を確保した。その時、一人の少女が店を出て行ったが、それに気を留めたものは誰もいなかった。

 その様子を、店の外から見つめる目があった。植え込みの影に潜むその視線の主のところへ、店を出てきた少女が合流してくる。
「仕掛けましたよ、綾香さん。…でも、本当にやるんですか?」
 少女は圭子だった。これまで裏方に徹してきた彼女は、綾香やセリオと違って、ひろの争奪戦に参戦しているメンバーに顔が割れていない。隣にいても警戒はされないはずだ。
「そうよ。まぁ、単純な手だけどね。セリオ、準備は良い?」
 綾香が圭子に答えつつ、隣で待機しているセリオに呼びかける。
「余り気が進みませんが…」
 セリオは答えた。彼女の手には細いワイヤーが握られている。戦場でトラップに使ったりする低視認性のものだ。それはセリオの手からずっと伸び、カフェの店内に入って、床の上をずっと伸びて行き、最後はひろのが座っている席の横にあるテーブルの脚に結ばれている。
 セリオが引っ張れば、ちょうど足を引っ掛けやすい高さにワイヤーが張られ、そこを通りがかった人間を転ばせる仕組みになっている。綾香の作戦の眼目は、これで雅史を転ばせ、かっこ悪いところをひろのに見せ付けて、雅史に対しての幻滅を感じさせることにあった。
 ちなみに、用が済んだワイヤーはある角度で引っ張ると簡単に外れ、セリオの内臓ウィンチによって素早く回収することができるので、証拠は残らない。
「ん、佐藤君が動き出したわ。位置について」
 観察役の綾香の言葉に、セリオがいつでもワイヤーを巻き取れる準備に掛かる。夏休みにひろのとは友情を結び、今回の工作にも乗り気ではない彼女だったが、それでもマスターである綾香に逆らうことはできないのだ。圭子もそっと植え込みを掻き分け、店内を覗き込んだ。
「…あっ!?」
 圭子は息を呑んだ。雅史はひろのに真正面から近づく角度で歩いている。もしここで雅史を転ばせたら…
 ひろのは頭から投げ出されたコーヒーを被る事になってしまう。それは余りにも気の毒だ。
「綾香さん、綾香さんっ!角度がまずいですよっ!この作戦は中止した方が」
 呼びかける圭子に、綾香は首を横に振る。
「ふ…それも計算のうちよ」
 綾香の言葉には揺ぎ無い自信があった。彼女にはこれがベストの作戦であると言う確かな成算があったのだ。

(シミュレーション開始)
がっしゃーん!
「きゃあああぁぁぁぁぁぁっっ!?」
 ガラスの割れるけたたましい音と悲鳴。驚いて注目する客の視線の先には、転んだ雅史と、その拍子にトレイから投げ出されたコーヒーでびしょぬれになったひろのがいる。
「な、長瀬さんっ!?」
 慌てて起き上がり、駆け寄る雅史の前で、ひろのの目に涙が浮かぶ。
「せ、せっかく雅史君のために選んだ服なのに…ばかあっ!もう知らないっ!!」
 そう叫んで、泣きながら店を飛び出すひろの。追いかけようとする雅史を例のワイヤーで再度転倒させ、追いかけられないようにする。そして…
「ううっ…えっく…ぐすっ…」
 泣きながら帰るひろのの前に、綾香が現れる。
「ひろの!?どうしたの、その格好は!!」
 さりげなく驚いた演技をする綾香に、ひろのが泣きながら事情を説明する。
「そうだったの…ひどい奴ね。それより、早く服を洗って乾かさないとシミになるわ。ここならクリーニングもあるから、やってもらいましょ。ついでにシャワーも浴びて…」
 そう言いながらひろのをホテルに連れ込む。あとは…
(シミュレーション中断)

「ふふふ…完璧な作戦だわ」
 不気味な笑いを浮かべる綾香。その考えを、圭子は的確に読んでいた。
「綾香さん…貴女は鬼です」
 彼女はこの時、来栖川綾香という少女の恐ろしさをこれまでになく強く意識していた。
「あら、これは圭子にとっても一石二鳥の作戦よ?」
 鬼扱いは心外だとばかりに胸を張る綾香。
「え?」
 思いもかけない言葉に、圭子は思わず間抜けな声を上げる。その彼女に、綾香は自分の作戦を語って聞かせた。

(シミュレーション再スタート)
 泣きながら走り去ったひろのを呆然と見送る雅史。しかし、悪いのは自分なので何も言えない。
 仕方なく、店を出る雅史。転んだときに負った怪我から血が流れるのにも気付かず、ふらふらと町へさまよい出る。その時…
「あの、血が出てますよ」
 そう言いながら圭子がハンカチを差し出す。
「え…?悪いよ」
 ハンカチを返そうとする雅史。圭子はかまわずハンカチを傷口に押し当てて流れる血を拭う。
「あ、ありがとう。君は?」
 戸惑う雅史に、圭子はにっこり笑って答える。
「私、寺女の2年生で田沢圭子って言います」
「田沢…さん」
 雅史の目はしっかりと圭子を見つめ、新しい恋が始まったことを告げていた。
(シミュレーション中止)

「そんなに上手くいくはずないじゃないですか…」
 圭子があきれた様に綾香に言う。たかがハンカチごときで雅史をときめかせることができると思うほど、彼女は自分を過信していない。
「そうかしら。圭子って結構可愛いのに…」
 綾香の言葉に、圭子は真っ赤になる。何か言い返そうと口をあけたとき、綾香が叫んだ。
「今よ、セリオっ!」
「はい、綾香様」
 綾香が今こそ決定的瞬間とばかりに叫び、セリオが素早くワイヤーを引く。圭子も慌てて覗き窓に視線を移した。カフェの中では、今まさに悲劇が起ころうとしていた。
(ごめんなさい、ひろのさん…)
(佐藤さん…許してください)
セリオはひろのに、圭子は雅史に、それぞれ心の中で詫びた。

「うわっ!?」
 セリオに引っ張られ、ぴんと張ったワイヤー。それが雅史の脚に引っかかる。体制を崩した雅史の上体が大きく振れ、その手に持ったトレイからアイスコーヒーとアイスカフェオレが飛び出した。黒と茶色の液体が無数のしぶきとなって宙を舞い、ひろのの頭上から降り注いでいく。
「…!」
 ひろのも、咄嗟の事で反応できない。彼女が綾香のシミュレーション同様の姿に成り果てるかと思ったその瞬間。
 ひろのも、雅史も、綾香も、圭子も、セリオも。全員が信じられない、と言う表情でその光景を見つめた。
 まず、ひろのの頭にこぼれそうになったコーヒーなどが空中で静止し、グラスや氷も凍りついたようにその動きを止めていた。
 雅史も、完全にバランスを欠いて、倒れそうになっているにもかかわらず、自分の身体が何かで支えられたように安定を保っていることに驚いていた。そして、さらに不思議なことが起こる。身体がぐっと持ち上げられ、普通に立っている状態に戻されたのだ。
 同時に、空中に浮いていたコーヒーとカフェオレがビデオの逆回転を見るようにグラスの中へ戻っていき、最後にグラスも雅史が持ったままのトレイの上に降りる。全てが終わったとき、雅史はワイヤーに引っかかって転倒しかける前の状態でそこに立っていた。
「い、今のはいったい…?」
 ひろのも雅史も今起きたことが理解できず、ただ呆然としているだけだった。

 一方、綾香は途中から何がおきたのか把握していた。すぐにセリオにトラップを解除させ、ワイヤーを回収する。
「やっぱり来ているようね…」
 綾香は油断なく辺りを見回した。今のところ不審な気配はないが、向こうだってそうそう簡単に自分たちの居場所を明かすことはしないだろう。
「あ、あの…綾香さん、今いったい何が?」
 こちらはまだ状況が分からないでいる圭子に、綾香は素早く囁く。
「ひろのの<ガーディアン>よ。来ているわ」
 その単語に、圭子が全身を緊張させる。
「と言うことは…NHKですか…」
 圭子の声が震える。彼女を含め、ひろの争奪戦に関与している人々の間では恐怖の代名詞とも言える人外軍団、NHKこと長瀬ひろの保安協会。その名を聞くだけで恐怖が襲ってくるのも無理はない。
「たぶんね。これ以上ここで仕掛けるのは難しいわ。とりあえず静観よ」
 圭子の言葉に頷く綾香。その背後で、セリオはひろのが無事だったことにほっとしていた。

 一方、不思議な力で助けられた二人は、テーブルに付いて注文した品をストローですすっていた。雅史は向かいに座るひろのの顔を見る。
(こんなに間近で長瀬さんの顔を見るのは初めてかな…)
 雅史は思った。この間は、恥ずかしくてまともに彼女を見られない状態だったのだ。改めて間近で見ると、やはりひろのは美少女と呼ぶに相応しい顔立ちをしていることが分かる。あまり化粧っ気はないらしく、せいぜいピンクのリップクリームを引いているくらいだが、素顔に近い状態でも十分に可愛いのだ。
 そんな美少女と二人きりになっている現状が信じられない。雅史は思い出したように口を開いた。
「長瀬さん」
「ん…なに?」
 ストローにつけていた唇を離してひろのが顔を上げる。
「その…今日はいったいなんで僕と?」
「なんでって…」
 ひろのは言葉に詰まり、困った顔をした。もちろん、今日雅史を誘ったのには「自分の気持ちをはっきりさせる」と言う目的はある。しかし、そのための具体的な手段は何も考えていなかったのだ。とにかく、雅史と一緒にいれば何かが分かるかもしれない、と言うあやふやな理由でしかない。
 だから、考えた挙句にひろのはごまかす事にした。傍から見ると自爆度満点のごまかし方だったが。困った顔のまま、ひろのは逆に雅史に聞き返した。
「私と一緒じゃ…イヤかな?」
「と、とととととと、とんでもないっ!!」
 雅史は慌てて首を横に振った。
「そう?良かった」
 ひろのはにっこり笑った。雅史が自分といることを嫌がっていないことに安心したのだ。その笑顔を見せられた雅史は、それだけで天にも昇りそうな心地を味わう。
(素敵だ…長瀬さん。難しいことを考えるのはやめて、今は彼女といられることを楽しもう)
 雅史はそう思った。
 反面、ひろのはどうやって自分の雅史へのこのもやもやした感情を確かめようかと悩んでいた。そして、本人の前ではどうも上手く考えがまとまらない、と考えていた。
(ううん…考えてもしょうがない!とにかく、一日ずっと雅史の側にいて、何を感じるか確かめてみよう)
 問題の先送りではあったが、とにかく一緒に遊んで楽しもう、という事で二人の思惑は一致した。同時に口を開きかける。
「あの…」
「ねぇ…」
 言葉がバッティングした事で、言いかけた言葉がとまってしまう。
「長瀬さんからどうぞ」
「ううん、雅史君から」
 意味もなく譲り合う二人。やがて、どちらともなく顔を見合わせて笑い出してしまう。
「とりあえず、どこか遊びに行ってみよう」
「うん、そうだね」
 雅史があらためて提案し、ひろのもそれに賛成する。空になったグラスを置いて、二人は休日の街に繰り出す事になった。
 そして、監視する者たちもまた、二人を追って移動していく。
 
 カフェを出たひろのと雅史は、商店街を歩いていた。休日という事で人出はそれなりに多い。最初は少し間を空けて歩いていた二人も、周囲の人ごみが増えるに従い、だんだん身体を寄せ合うような体勢になってくる。それでも、何度か二人ははぐれそうになった。
「雅史君、腕組んでいこうか」
 ひろのはそう提案し、雅史が返事をするより早く、彼の腕に自分の腕を絡ませた。
「な、長瀬さんっ!?」
雅史は驚いてひろのを見た。確かにはぐれる心配はないが、代わりにひろのの柔らかい身体が押し付けられてくる。特に、腕には彼女の豊かな胸が当たる形になっていた。雅史は真っ赤な顔になって耐えた。ここまでくると拷問に近い。
 それを少し離れた場所から観察して、悔しさのあまり目の幅涙を流している人物が一人いた。
「お、おのれ長瀬さんめぇ〜!あたしには逆立ちしてもできない攻撃を〜!!」
 いぢわる3人組のリーダー、貧乳クイーンこと岡田美奈子である。しかしながら、現在彼女は単独行動中。いつも一緒にいる松本ちとせ、吉井夏樹の二人の友人はいない。何故かというと、話は昨日の放課後に遡る。

「まさか長瀬さんが自分から誘うなんて…彼女に佐藤君を取られるわけにはいかないわっ!断固、デート阻止よっ!!」
 教室の中で叫ぶ美奈子。つい先ほどのひろのが雅史を誘うという衝撃的な事件から立ち直ったばかりだ。
「そうは言っても美奈子…あんた、佐藤君に何らかのアクションを起こしたことなんてないじゃない」
「うんうん、確かに長瀬さんが先手を打ってこういう行動に出るとは思わなかったけどね〜」
 そこへ夏樹、ちとせのふたりが相次いで発言した。夏樹はひろのとは直接利害の対立する関係がないし、ちとせもどうやらひろのが矢島に対してではなく雅史に対して好意を抱いていることが分かったので、余裕の表情だ。
「くっ…そりゃまぁ、そうなんだけどさぁ」
 美奈子は言葉に詰まった。押しの強い性格に見える(実際そうなのだが)彼女も、事が恋愛となれば話は別だ。いかに雅史に好意を抱いていると言っても、そんなに簡単に「デートしてください」とか「付き合ってください」というほどの度胸は持っていない。
 しかし、ひろのが美奈子以上に恋愛に関しては奥手に見えたので油断していたのである。ひろのが積極的な行動に出て、はじめて自分も何かしなくちゃいけない、と思ったのだ。ひろのが「ここぞという時に」行動力を発揮する性格だと知っていれば、美奈子だってもう少し早くから雅史への攻め方を考えたかもしれない。
「と、とにかく…なんとかして佐藤君と長瀬さんのデートをやめさせるのよ!」
 美奈子は自分を鼓舞するように叫んだが、実のところ彼女にも具体的な案は全くない。あるのは上手くいきそうもないアイデアだ。
 例えば、ひろのがトイレにでも入ったとき、後から付いていって彼女の後頭部でも殴って昏倒させ、拉致してしまう…などの手である。しかし、そう簡単に人を気絶させるなんてできないし、そもそもいくら恋敵といってもクラスメイトで友達にそう言う事をするほど、今の美奈子は悪人ではない。昔ひろのをいじめた事をちゃんと反省してはいるのだ。
「う〜ん…どうすれば良いんだろう」
 結局、その日はひろのと雅史を引き離す手が思いつかず、懊悩する美奈子だった。

 それでも、今日になってひろのと雅史の様子を見に来たのはさすがの根性だった。ちとせと夏樹は自分たちが行かない、と言えば美奈子もあきらめるだろうと思っていたのだが、美奈子はそれでくじけるような少女ではなかった。
 朝早く起きるとサングラスとマスクで変装―少なくとも本人はそのつもり―し、駅前に移動。ひろのたちを見つけてからは、電柱や木の陰に隠れてひろのたちを尾行していた。そして、二人が仲良く見えるたびに、隠れている場所で地団太を踏みまくっているのである。はっきり言って怪しいことこの上ない光景だった。
 そして、それだけ怪しいと綾香たちの目に美奈子が留まるのも当然だった。
「ん?あの娘もひろのたちを追っかけてるのかしら?」
 綾香の疑問に、圭子が素早く頭の中のデータベースから情報を引っ張り出す。
「…長瀬さんのクラスメイトの岡田美奈子さんですね。あのツインテールには見覚えがあります」
「ああ、そう言えば」
 綾香も思い出した。花火大会のときに来ていたのを思い出したのだ。その姿を見ているうちに、綾香はニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「使えるわね…あの娘」
 
 お昼を回り、ひろのたちは昼食を取ることになった。場所は定番のヤクドナルドだ。さすがに休日とあって、席は隙間無くびっしりと埋まっていた。
「うわっ…やっぱり人いっぱいだな。長瀬さん、また席とって置いてくれるかな。品物は僕が持っていくから」
 喫茶店に引き続き2回目のおなじ役割分担なので、ひろのも素直に了承する。雅史に注文を告げ、ひろのは席を探した。すると、そこで意外な人物と遭遇する。
「あれ、長瀬さんじゃない。おはよぉ〜」
「あれ?岡田さん」
 手を振りながら声をかけてきた相手を認め、ひろのは微笑んだ。夏のこみパ以来打ち解けた仲だと思っている美奈子が手招きをしている。
「良かったら一緒の席にしない?なかなか席空きそうも無いでしょ」
 美奈子がそんな事を言う。ひろのは辺りを見回した。確かに、だれもがおしゃべりに夢中になっていたりして、しばらく空席はできそうに無い。
「う〜ん…でも…」
 流石のひろのも、雅史と来ているだけに友人とは言え、第三者が一緒の席になる事にためらいを見せる。それに、確か美奈子は雅史のことを…と考えていると、品物を受け取った雅史がやって来てしまった。
「どうしたんだい、長瀬さん…って、岡田さんも?」
 やはり意外な人物との遭遇に驚く雅史。すかさず美奈子が雅史に言った。
「佐藤君、良かったら相席にしない?見てのとおり空席ないし」
 ひろのは雅史の顔を見た。すると、雅史は笑顔を見せて頷いた。
「良いの?助かるな。ありがとう、岡田さん」
 そう言って、テーブルの上にトレイを置き、美奈子の斜向かいに腰掛ける。
(え…?)
 雅史のあっさりとした反応にひろのが驚いていると、美奈子の声がした。
「長瀬さん、どうしたの?早く座ったら?」
「え?あ…うん」
 ひろのは雅史の向かい、美奈子の隣に腰掛けた。向かいに座っている雅史の顔を見るが、特に変わった様子はない。しかし、彼の振る舞いはひろのにとっては少しショックだった。また、胸のどこかにちくりとした痛みが走る。
(岡田さんも一緒で良いって言って欲しくなかったなぁ…)
 ひろのはそう考え、そのことに愕然とする。
(え…?ちょっと待って。私は…そんなに雅史の事独占したいって考えてる?雅史にも自分のことだけ見て欲しいって…そう思ってる?)
自分の中の雅史への気持ち…それがますますわからなくなり、困惑するひろの。たが、雅史の方はそこまで考えていなかった。ただ単に、席が確保できて有難かっただけである。それに、美奈子の気持ちを知らない雅史には、彼女たちの間にある気持ちの微妙な対立は分からない。
 しかし、深刻な表情で黙り込んでしまったひろのの様子に、何か自分が失策を犯したかもしれないと言う可能性には気付いた。ただ、それが何なのかは分からず、考え込んでしまう。
 黙りこんでしまったひろのと雅史を見ながら、美奈子はポケットに忍ばせていた謎の薬を取り出していた。この店に来る前、綾香から預かってきた薬である。
(来栖川さんはこれでデートを台無しにできるって言ってたけど…本当かな?)

 それは、この店に来る5分ほど前のことだった。
「岡田さん」
 名前を呼びながら肩を叩いてきた人の存在に、美奈子は飛び上がって驚いた。
「だ、誰かは存じませんがあたしは岡田などと言うものではっ!」
 一応変装して尾行中なので身分をごまかそうと思ったのだが、振り返ってみると、その人物はそれほど親しくは無いにしても一応知り合いだった。
「こんにちは。この間は花火のときに会ったわね」
「…来栖川先輩の妹さん?」
 特に綾香に声をかけてもらうほど親しくしていた覚えはなかったので驚いた美奈子だったが、次の言葉にもっと驚かされることになる。
「岡田さんもアンチひろの×佐藤君カップル派かしら?」
「え!?」
 絶句する美奈子に、綾香は自分もそうだと告げ、一本のアンプルに入った薬を手渡した。
「これは?」
 戸惑う美奈子に、綾香はいたずらっぽくウインクしながら言った。
「大丈夫、毒なんかじゃないわ。ただ、これを佐藤君の口にするものにちょいと混ぜればデートはぶち壊し間違い無しよ」
 普通なら、そんな行動を起こすのは躊躇われるはずだ。しかし、美奈子は操られたようにその薬を一服盛ることを承知してしまっていた。むろん、女の子を落とす綾香必殺の眼力によるものであるが、それは美奈子の知るところではなかった。

(…なんでこんなこと引き受けちゃったんだろ。でも…やるしかないよね)
 うつむくひろのと雅史はテーブルの方を見ていない。美奈子は素早くスポイト状の容器に入ったその薬を雅史のコーヒーに混入した。
 その様子を、客に混じって店内に潜入した圭子も確認していた。薬の正体は一滴で12時間は目が覚めなくなる強力な睡眠薬。デートの最中に寝られたりしては、いくらひろのが温厚でも怒って帰るだろう、と言うのが綾香の目論見であった。
(どうかな…長瀬さんって優しそうな人だし、どうにか最後までお世話しそうな気もするけど)
 圭子はそう思ったのだが、デートが続行不能になると言う点ではかなり強力な作戦だったので、止めたりはしなかった。
 今のところ、NHKによる妨害阻止工作はない。雅史がコーヒーを飲みさえすれば作戦完了だ。そして、気分を落ち着けるためか、雅史はコーヒーに手を伸ばしている。
(…完了…かな?)
 そう思った瞬間、思いもよらないことが起きた。
 ばしいっ!
 煎り豆が弾けるような音と共に、雅史の持っていたコーヒーのカップに穴が開いた。そこからコーヒーがしぶきとなって飛び散る。
「え?」
 何が起きたのか分からず、目を点にして穴の開いたカップを見る雅史。ひろのも「何が起きたの?」と言う目でそれを見ている。
 その一方で、事態を把握していたのは圭子だった。
(狙撃!)
 慌てて、弾丸が飛んできたであろう方向に目を向ける。そこは窓になっていたが、換気のために開けられていた。その先には狙撃に適してそうな雑居ビルがあるが、もう狙撃手の姿は見えない。
 一人で緊迫している圭子のことなど知るよしも無く、ひろのと雅史は不思議そうにカップを見ていた。
「…なんだろう…不良品だったのかな?」
「さぁ…岡田さんはどう思う?」
 ひろのは聞いてみたが、返事が無い。よく見ると、美奈子はぐっすりと寝込んでいた。飛び散った睡眠薬入りコーヒーが口に入ってしまったのだ。
「…寝てる…どうしたのかな」
「起こすと悪いかな」
 気が付くと、時間も客の入るピークを過ぎていて、いくつか空席ができていた。雅史は事情を説明してコーヒーを入れなおしてもらいに行き、その間にひろのは席を移動する。それを見ながら圭子は携帯電話で作戦失敗の連絡を入れた。

13:02…岡田美奈子、リタイア。


 結局、悩み事をうやむやにしたまま二人はヤクドを出た。まぁ、食事時というのは悩みを抱くには余り似つかわしくない時間帯ではあるのだが。
「えっと…どこへ行こうか?」
 雅史の質問に、ひろのは小首を傾げて考える。
「どこでも良いよ…雅史君のお勧めでもなんでも」
 特に意見が無いので、ひろのは雅史に任せることにした。雅史は頷いて、ゲームセンターなどに連れて行ってくれるが、ひろのは半分くらいうわの空だった。頭の中ではずっとさっきからの考えに取り付かれている。
 やがて夕方となり、二人は大きな池のある公園に来ていた。すでに山の端に夕日がかかり、池の水面を赤く染めていた。
「長瀬さん」
 雅史の呼びかけに、ひろのは我に返った。
「うん…?なぁに?」
 自分の考えに没頭していて、雅史の事を余りかまっていなかったことを思い出し、ひろのは慌てて笑顔を浮かべる。しかし、雅史は笑っていなかった。
「ひょっとして…僕と一緒にいるのはつまらなかった?」
 雅史の言葉に、ひろのは愕然となった。それは、逆に自分が感じていたことだったからだ。雅史が美奈子の申し出を簡単に受けたとき、ひょっとしたら自分と一緒では雅史はつまらないのではないか、と思ったのだ。
「ち、違うよ。そんなこと全然思ってない」
 ひろのは慌てて釈明した。それだけでは不親切だと思い、言葉を重ねるが、だんだん言っていることが支離滅裂になっていく。
「その…この間から…助けてもらったときからずっと雅史君のことが忘れられなくて。雅史君のこと考えると、他のことも全然手に付かなくて…自分でもおかしいくらい自分の気持ちが分からなくて…その…うぅ、なんて言ったら良いのか本当に分からないんだけど」
 頭の中が混乱してくる。雅史のことばかり考えている自分。彼を見ていると胸が痛くなる自分。雅史が他の女の子と話すのがなぜか嫌だと思う自分。それらは、ちょっと前までなら存在しなかったはずの自分。
「そんな風に、一人の人のことだけを考えてるなんて事は今までなかったのに」
 その時、頭の中でそれらの自分の断片が一つに噛み合う様な気がした。
 私は…「雅史を独占」したい…?
「本気?」
 ひろのは自問自答した。その…自分は今は女の子だけど、元は男だ。雅史も男で、しかも幼なじみで親友だった。良い奴だということは十分知っている。でも…だからって…
(私は…雅史の事が『好き』なのかな?)
 その「好き」は友達としての「好き」ではない。もっと重みのある「好き」。「女の子として」「男の子である」雅史を「好きだ」と思う気持ち。本当に、私はそう思っているのかな…
 そこまで考えた時、雅史の言葉が聞こえた。
「…僕も…僕もそうだよ、長瀬さん。初めて長瀬さんを見たときから…僕は長瀬さんの事が忘れられなくなったんだ」
「え…」
 ひろのは顔を上げて雅史を見る。
「僕は、ずっと長瀬さんのことが好「そこまでよ」」
 雅史の言葉を、突然大きな別の声がかき消した。
「何っ!?」
 雅史が振り向くと、そこには池に流れ込む小さな川の水源になっている噴水があり、そこに飾られた彫刻の上に謎の人物が立っていた。
 なぜ、謎かというと、その人物は仮面舞踏会で身につけるようなマスクで顔を隠していたからである。服装から見て若い女性のようだが。
「ひろの…長瀬さんはあなたには渡さないわよ、佐藤君」
 そう言うと、謎の人物は彫刻の上からジャンプした。彫刻の上にいるときは分からなかったのだが、正面の一人の影にあと二人隠れていたらしい。やはり同じようなマスクを身につけた女性が並んでひろのたちと対峙する。
「き、君たちはいったい…」
 雅史の声に緊張が滲んだ。どうやら、相手が並々ならぬ力量の持ち主と見切ったようだ。
「私たちは…秘密組織NTT!『長瀬ひろの寺女招聘対策委員会』の略よ。そして、私はリーダーの<クイーン>!」
 最初の一人目が組織と自分の正体を明かすのに続き、鮮やかな赤毛の女性が少し恥ずかしそうに名乗りを上げる。
「…同じく、私は<スカーレット>です」
 そして、最後に前の二人よりはやや造りの小さいショートカットの女性が名乗りを上げた。
「同じく、<ミスティック>です!」
 三人がポーズを決めるのと同時に、どーんという音を立てて演出の爆発が巻き起こった。あっけに取られるひろのたちの前で、決めポーズを見事に取り終えた三人がひそひそと話をする。
(あの…いつの間にこんなマスクや爆発を用意してたんですか?)
(…しかも決めポーズまで。佐藤さんを直接止める準備をするからと言われて何かと思えば)
(まぁ細かいことは良いじゃないの。こう言うのはお約束を踏んでこそ楽しいのよ)
 そんな会話が行われているとも知らず、ひろのたちは気圧された様に後退した。雅史は冷や汗を流す。<スカーレット><ミスティック>の二人は自分と互角のレベルだろうが、<クイーン>はリーダーだけあって相当な実力だ。少なくとも自分のかなう相手ではない。
「長瀬さん…逃げるんだ。僕は何とか時間を稼ぐ」
 悲痛な決意を込めて雅史が告げると、ひろのはいやいやをするように首を横に振った。
「そ、そんな…出来ないよ!」
「駄目だ。残念ながら僕の力じゃ君を守りきれない。だから…」
 雅史がさらに逃げることを促そうとしたとき、異変はさらに次の段階へと進んだのである。
「待ちなさいっ!!」
 そんな声と共に、ひろのたちとNTTの間に一陣のつむじ風が巻き起こった。吹きつける風に一瞬全員が目を覆い…次の瞬間、つむじ風の中から4つの人影が出現した。見覚えのあるとんがり頭巾の4人である。
「NHK、ここに推参!ひろのちゃんは絶対に渡さないっ!」
<リボン>が言うと、<ドール>も声を合わせる。
「ひろのさんの幸せは私たちの幸せですぅ。邪魔はさせませんですぅ」
 そう言うと、<ドール>はひろのたちの方を振り向いて言った。

「と言うわけで、この場は逃げてください。後は私たちが引きうけますぅ」
「え…でも…」
 戸惑うひろのの腕を、雅史が引っ張った。
「なんだか分からないけど…ここは逃げよう」
 雅史は強い調子で言った。NHKから見れば、彼も「敵」の一つだったはず。それなのに、ここで雅史にひろのを任せて自分たちが闘うと言うことは…
 あのNTTとは、NHKと雅史の共通の敵であり、ひろのにとってより危険な存在だと言うことだ。
「わかったよ…感謝する!」
 雅史はそう言うと、返事も聞かず強引にひろのの腕を取ってその場を走り去った。後を追おうとするNTTの前に、NHKの4人が素早く展開して道をふさぐ。
「…どうやら、どうしても一戦交えなくちゃいけないようね」
「望むところだよ!」
 ひろのを巡り結成された二つの秘密結社、NHKとNTT。雌雄を決するときは唐突にやってきた。
「面白い…受けて立つわ」
<クイーン>はそう言うと一歩踏み出し、後の二人に指示を与える。
「姉さ…じゃなくて、向こうのリーダーの<ウィッチ>は貴女たちじゃかなわないわ。私が相手をするから、貴女たちは上手く後の3人をしのいで。決着が付き次第応援に入るから」
「わかりました」
「はいっ!」
<スカーレット><ミスティック>が緊張の面持ちで返事をする。
「では…行くわよっ!」
<クイーン>が<ウィッチ>へ向けてダッシュする。それを守ろうと割り込んで来た<ドール>に対し、<スカーレット>がさらに割り込みをかけた。
「はわわ…邪魔をしないでくださいっ!」
「私にも退けない事情があるんです」
<ドール>が無数の火器を乱射する。しかし、<スカーレット>の機動性は予想以上だった。飛び来る火弾を紙一重で見切ってのけ、接近戦のレンジに潜り込む。
「はわっ!?」
<スカーレット>の手刀が無数の残像を伴って繰り出される。火器を捨て、モップで迎え撃つ<ドール>。白熱した戦いが始まった。
 一方、<ミスティック>は<リボン>と交戦していた。<リボン>のフライパンや刺身包丁の猛攻に対し、<ミスティック>も苦無を両手に持って応戦する。たまに距離が取られると、二人の間を凄まじい密度と速度を持ってさいばしや果物ナイフ、手裏剣や鉄針が飛び交った。しかし、お互いにダメージを与えられない。
「くっ…この人、強い!」
<ミスティック>がうめくと、<リボン>も感心したように言った。
「まだこんなに強い人がいたなんて…信じられない」
 そして、<ウィッチ>と<クイーン>の一騎打ち。<ウィッチ>の呪文一つに付き激流や猛吹雪、稲妻や火災が襲い掛かるが、<クイーン>も全くひるむことなく「気」を込めた手足でそれらを払いのけ、接近して打撃を打ち込む。<ウィッチ>が魔力の盾を張っているために牽制にしかならないが、二人の戦いはほぼ互角だった。
 しかし、その戦いの中で、全員がある事に気が付いた。お互いに一対一で戦っているが、もともとNHK側のほうが一人多かったはず。その残りの一人はどこへ…
(しまった!抜け駆けされた!!)
 全員が唸った。

 激しい爆音や剣戟(?)の音が鳴り響く戦場から必死に逃げるひろのたち。その時。
「…!!」
 突然、雅史が立ち止まった。どうしたの?と聞きかけて、ひろのは上空から伝わってきた強烈なエネルギーに身を竦ませる。恐怖に耐えて見上げると、そこにはとんがり頭巾を被ったNHKの一人…<ドルフィン>が浮かんでいた。
「NHKの方針には反しますが…私はどうしても佐藤先輩にひろの先輩は渡せません」
<ドルフィン>はそう言うと全身から真紅のオーラを噴き出した。
「くっ!」
 雅史がすばやくどこからともなくサッカーボールを取り出す。しかし、既に戦闘態勢を整えていた<ドルフィン>との速さの差は歴然だった。
「遅いです!」
「うわっ!?」
<ドルフィン>が叫ぶなり、雅史のサッカーボールが音を立てて破裂した。無意味なゴムと皮の切れ端と化したサッカーボールが雅史の手から飛び散る。そして、雅史が体制を整える暇を与えず、<ドルフィン>が続けざまに波動を打ち下ろした。
「逝ってください、佐藤先輩!」
 物騒なことを言いながら攻撃を続ける<ドルフィン>。雅史は攻撃をよけるだけで精一杯だ。
「や…やめてっ!やめてぇっ!!どうしてこんな事をするのっ!?」
 ひろのは攻撃を止めさせようと<ドルフィン>に呼びかける。しかし、彼女は攻撃を止めない。
「これも…ひろの先輩のためですっ!」
 雅史を倒さない限り、彼にひろのを取られてしまうかもしれない。そう思い込んでいる<ドルフィン>はそう答えると、ひろのに手を向けた。その瞬間、ひろのの周りに淡く赤く光るドームのような物が出現する。
「こ、これは…いたっ!?」
 ひろのがドームに手を振れた瞬間、火花が散って手に鋭い痛みが走った。
「私の作ったバリアです。その中にいる限りは安全です」
<ドルフィン>はひろのの質問に答え、雅史への攻撃を続行した。打ち下ろされる光の弾丸の密度が増し、その一発が雅史の足を直撃した。
「うわあっ!?」
 雅史が足を押さえて倒れ込む。外傷は見当たらないが、かなりのダメージが行ったらしい。何とか立ち上がろうにも、足に力が入らないらしく地面でもがくだけだ。
「雅史っ!?雅史ーっ!!」
「君」をつけるのも忘れて雅史の名を呼ぶひろの。その上空で、いったん攻撃を中止した<ドルフィン>が必殺の一撃の準備にかかる。真紅のオーラが渦を巻き、練り上げられ、すさまじい威力を秘めたエネルギーの奔流へと収束する。
「これで終わりです、佐藤先輩!」
<ドルフィン>がその一撃を投げ下ろしたその瞬間。
「だめぇーっ!!」
 信じられない光景に、<ドルフィン>が目を見張った。ひろのが彼女の力では破れないはずのバリアを打ち破り、外に飛び出したのである。そして、迫りくるエネルギー波と雅史の間に腕を広げて割り込んだ。
「ひ、ひろの先輩!!なんて事をっ!!」
<ドルフィン>は絶叫した。ひろのではあの一撃に耐え切れない。しかし、一度撃った技はもう止めることはできない。
「な、長瀬さん!」
 雅史も絶望の叫びをあげた。足を怪我したとは言え、全力でガードすれば自分はあの一発に耐えられた。しかし、ひろのでは無理だ。
 戦うのを止めて現場に駆けつけてきたNHKの残り3人、NTTのメンバーたちもその光景を目の当たりにした。声を上げる暇もなく、全力で飛び出す6人。しかし、タイミングが間に合わない。
「…!!」
 声にならないどよめきの中、真紅のエネルギー弾がひろのを直撃した。
 最悪の光景に、誰もが言葉を失った次の瞬間…

「…えっ!?」
 最初に気づいたのは<リボン>だった。ひろのを呑み込んだ赤い光。それが、球体のような形を取ってわだかまっている。その中心に…ひろのが無事な姿のままでたたずんでいた。
「ひろのちゃ…」
 慌てて駆け出そうとした<リボン>を<クイーン>が制止する。
「待ちなさい!あなたはこれを感じないのっ!?」
 一瞬いぶかしく思った<リボン>だったが、すぐに<クイーン>の言った事に気がついた。ひろのを中心としたエネルギー、それが急速に力を増していく。
「こ、これは…みなさん、ここは危険ですっ!!」
<ミスティック>が叫んで離脱しようとする。しかし、他の者たちは、ひろのへの想いから一瞬反応が遅れた。そして…
「きゃあああぁぁぁぁぁっっっっ!?」
「いやーっ!!」
 ひろのを取り巻くエネルギーが爆発的に弾け、衝撃波がNHK、NTTの区別なく吹き飛ばした。爆心にいたひろのと雅史は無事だったが、<ウィッチ>も、<リボン>も、<ドルフィン>も、<ドール>も、<クイーン>も、<スカーレット>も、そして一瞬早く逃げた<ミスティック>さえその威力に巻き込まれて宙を舞わされる。
 破壊は彼女たちだけでなく公園にも及び、石畳は剥がされて飛び散り、木々は根こそぎなぎ倒され、ベンチや街灯は原形を残さず粉砕された。
 やがて、荒れ狂った破壊の嵐がようやく収まったとき、ひろのを中心とした半径3メートルほどの爆心点を残し、公園は跡形もなく消え去っていた。シンボルだった大きな池でさえ、飛んできたがれきに埋もれてわからなくなっている。
 そして、ひろのは力尽きたようにゆっくりと倒れた。
「な…長瀬さん…っ!」
 一部始終を見届けた雅史は、どうにか足の感覚が元に戻ってきた事を確認し、ひろのの身体を抱き上げると、急いでその場を逃げ出した。

17:22…NHK、NTT、双方全員リタイア。


「う…ん…」
 ひろのは微かに声を上げた。意識がゆっくりと戻ってくる。
「こ、ここは…」
 声を上げると、ぼやけていた視界が輪郭を取り戻し、雅史が自分の顔を覗き込んでいる事に気がついた。
「わ、わわっ!?雅史っ!?」
 驚くひろのに、雅史は安心したように笑いかけた。
「良かった。ようやく気がついた。あぁ、まだ無理しないで」
 起き上がろうとする彼女を、雅史がやんわりと止める。ひろのは仕方なく、首だけを動かして周囲を確認した。ジャングルジムや滑り台が見える。どうやらさっきとは別の児童公園らしい。そして、ひろのは自分が雅史に膝枕されていた事に気づき、顔を真っ赤にした。今度は雅史が止める間もなく起き上がる。
「ご、ごめんね、雅史君。もう大丈夫だから」
 もっと寝ていたほうがいい、と言う雅史の言葉に首を横に振って、ひろのはなぜ自分がここにいるのか思い出そうとした。
「わたし…どうなったんだろう」
 ひろのは首を傾げた。雅史をかばってエネルギー波を受けたところまでは覚えているのだが…
「僕にも良く分からない。長瀬さんが吹き飛ばされたと思ったのに、次の瞬間公園のほうが吹き飛んでたんだ…」
 雅史がかすかに顔を青ざめさせて言った。さすがの彼にも恐ろしい光景だったようだ。
「こ、公園が…?他の人たちはっ!?」
 驚いてたずねると、雅史は首を横に振った。
「あの、NHKとかNTTとかの人たちが吹き飛んでいくのは見えたけど…僕が長瀬さんを連れて逃げるときにはいなくなってたから、無事だと思う。一般の人たちはNHK対NTTの戦いが始まった時点で逃げてたみたいだし…」
 多分人的被害はない、と言う事でひろのは安心した。
「…そう言えば、雅史君、足は?」
 ひろのが思い出して尋ねると、雅史は心配ない、と言うように笑った。
「大丈夫。やられたばかりのときは痛かったけど、今はちょっと痺れるだけ」
 そう言って、足の被弾した部分をぱんぱんと叩いてみせる。そして、少し曇った顔になった。
「ははは…情けないな…何かあったら長瀬さんを守って見せるくらいのつもりだったのに…結局逆に助けられちゃったよ」
 自嘲気味に笑う雅史。
「そんな事…」
 ない、と言おうとして、ひろのは口篭もった。今回の一件、狙われていたのは自分ではない。むしろ雅史だ。
(雅史が狙われたのは…私がいたから?私は雅史にとっては迷惑な存在なのかな…?)
 ひろのは暗い気持ちになった。NHKもNTTも、略称だけ見れば自分の独占を図っている組織だ。彼女たちがいる限り、誰と親しくなってもその人に迷惑をかけてしまうだろう。
 その時、雅史がすっと立ち上がり、ひろのの方を向いて言った。
「僕は今日、長瀬さんに自分の気持ちを伝えようと思ってた。でも、僕はまだまだみたいだ。例え、どんな妨害があっても、どんな敵が出てきても、そんなものをみんな撥ね退ける力を持てるまで、その事は言わないでおくよ」
 迷いのない言葉。自分が何をすべきかをはっきりと理解している口調で雅史は力強く宣言した。その笑顔が、ひろのには眩しく見えた。
「雅史君…それって…はっきり言ってるのと同じだよ」
 ひろのが苦笑気味にそう答えると、雅史は「そうかな?」と言って笑った。
「そうだよ」
 と答えつつ、ひろのは思った。
 雅史は自分の事を「まだまだ」と言っていたが、それはひろのも同じ…いや、もっとひどいかもしれない。なにしろ、彼女は雅史に自分の真実の姿を明かしていないのだから。
 今日一日、雅史と付き合ってみて、たぶん自分は彼の事が「好き」なんだと思う。雅史もひろのの事を「好き」でいてくれるだろう。しかし、その想いを口に出す事はできない。自分の正体をはっきりさせる勇気が持てないから。
 だから、自分ももっと強くならなくてはいけない。自分を好きでいてくれる人たちのために。
「じゃあ…そろそろ帰ろうか」
「うん」
 雅史の言葉にひろのは頷き、立ち上がった。新しい決意を胸に秘めて。

 数日後…
 ようやく公園での傷も癒えたNHKのメンバーたちは本部に集合していた。謎の力の暴発により、彼女たちは逃げる事も防御する事もままならず、全員が戦闘不能状態に陥ったのである。やはり、デートは鬼門だった。
「それにしても…この前は酷い目に会いましたね」
<リボン>の言葉に<ウィッチ>と<ドール>がそれぞれに肯く。ちなみに、<ドルフィン>は肯く事ができない。彼女は命令違反とひろのへの攻撃により、第三回NHK秘密裁判の被告席に立たされる羽目になってしまった。
 現在は部屋の隅で簀巻きにされ、顔に「猛省中」などの張り紙をされる過酷なお仕置きを受けている。
「しかし、ひろのさんのあの力は…なんだったんでしょうねぇ…?」
<ドール>が言った。<ドルフィン>の攻撃を受け、かつ跳ね返したひろの。一般人と身体能力は変わらないはずの彼女には絶対にできないはずの力だ。
「ううん。ちょっと違うな。あれは跳ね返したと言うよりも…」
<リボン>が言葉を切る<ウィッチ>が続きを言った。
「…」
「はわ?むしろ、増幅して打ち返した…と言う感じですか?はわ〜…そう言えば」
<ドール>もあの時の事を思い出した。<ドルフィン>の一撃は大型トラックを粉微塵に粉砕するくらいの威力だったのだが、ひろのがそれを打ち返したときには、公園が更地になるほどの威力にパワーアップしていたのである。確かに謎だった。
「どういう事なんでしょうか、<ウィッチ>先輩」
<リボン>の質問に<ウィッチ>はふるふる、と首を横に振る。
「…」
「え?私にもわかりませんが、どうやらひろのちゃんは何かの力に目覚めつつあるかもしれない…ですか?」
 こくこくと<ウィッチ>が肯く。もともとひろのは強力な魔法の影響下で誕生した存在。しかも、その魔法は失敗作であり、何らかの魔法的な力が彼女の中にあってもおかしくはない。さらに<ウィッチ>は言葉を続ける。
「…」
「はい、とにかく私の方で調べてみます…ですか。わかりました。お任せします」
<リボン>が<ウィッチ>に頭を下げ、<ドール>も習う。こうして、集会は散会となった。

「ファンタジアパークの戦い」と比べればささやかながら、それでも大きな被害を出して、ひろのと雅史のデートは終わった。その途中で発揮されたひろのの秘めたる力。
 その謎が明らかになるまで、まだしばらくの時間が必要であった。

(つづく)

 その日は突然にやって来た。
 芹香が手に入れた神秘のキノコ、その名も「セイベツハンテンダケ」。唐突に訪れた「元に戻るチャンス」に、ひろのは戸惑いながらも芹香の作った薬に手を伸ばす。果たして、ひろのは元に戻れるのだろうか?
 次回、12人目の彼女第二十九話
「さようなら、長瀬ひろの」
 お楽しみに。


後書き代わりの座談会 その28

作者(以下作)「む…気がつくと一人出し忘れていたな。まぁ良いか」
坂下好恵(以下好)「良いわけあるかぁっ!!」
作「お、今日のゲストは好恵さんか。まぁ座れ」
好「黙れ!今回こそは久しぶりに出番があると思ったのに…夏休みの間中山にこもって鍛え上げた成果をぶつける先がないでしょうがっ!!」
作「だからって私にぶつけるなよ。だいたい奥地に行き過ぎて帰ってくるのが今になったのは君の責任だ」
好「…う。それはまぁ確かに」
作「しかし、次回こそは出番があるはずだ。それは保証しよう」
好「確かでしょうね?」
作「うむ。作者に二言はない。…まぁ、良い役かどうかは保証の限りではないがな(ぼそ)」
好「何か言った?」
作「いや、何も」
好「何か気にかかるけど…まぁ良いわ。次回に備えて準備をするから帰るわね」
作「ありゃ、帰ってしまった。気の早い娘だな…では次回をお楽しみに」

収録場所:児童公園ベンチ


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