※このお話の主人公、長瀬ひろのちゃんは魔法で女の子にされてしまった浩之ちゃんです。  以上の事実は本編を楽しむ上で阻害になる恐れがありますが(爆)、一応お約束ということでご承知おきください。


全壊(爆)までのあらすじ
 小笠原諸島の片隅にある来栖川家のプライヴェート・アイランドに遊びに来たひろのたち。しかし、島の別荘は例によって壊滅。迎えの船が来るまで6日間の彼女たちの野外サバイバル生活が始まる…


To Heart Outside Story

12人目の彼女

第二十二話

思い出の夏休み編B「嵐の中で輝いて」


 小笠原諸島の一角に浮かぶ周囲3キロほどの小さな島。この島は世界的大財閥にして日本屈指の名家、来栖川家の持ち物であり、「来栖川のお島」という通称がある。つい数日前まで、この島には本土でも類を見ない先端技術の塊であるロボット別荘なんかがあったりしたのだが、いろいろあってそれは崩壊し、先端技術の恩恵はこの島から去っていった。
 代わって、なんとか文化的な生活を保持しようとする集団がこの島に滞在していた。そのうちの一人、美しい黒髪を持つ少女が、島を取り巻く珊瑚礁の一角に立っていた。この島のオーナー一族の一人、来栖川綾香嬢である。
 ざっぱーん…
 打ち寄せる波をバックに、髪を海風になびかせ、均整の取れた肢体をハイネックの競泳水着に包んだその姿は、かのボッティチェリの名画「ヴィーナスの誕生」を髣髴とさせるものがあったが、彼女の目は獲物を狙う猛禽の目で周囲の海を見ていた。
 やがて、綾香は力をいれ、足元の岩に向かってその拳を振り下ろした。
「覇ッ!!」
 気合を込めた一撃が岩に向かって炸裂する。衝撃で岩がびりびりと震え、周囲の海面にかすかな細波が立った…かと思いきや、無数の魚がぷかぁ…と浮かび上がった。水中衝撃波で気絶したのだ。
「今よ、回収!!」
 綾香が命じると、待機していたメイドロボチーム、マルチとセリオの二人が浮かんだ魚を椰子の葉で編んだ籠にどんどん放りこみ始めた。
「…確かこの漁法は禁じられている筈なのですが」
 首を捻りながらも忠実に魚の回収を進めるセリオに対し、マルチは「すごいですぅ〜」と綾香の手並みを純粋に賞賛していた。まぁ、セリオの懸念がどうであれ、12人もの人間が食生活を維持していくには、少々荒っぽいやり方を取る事も仕方が無かった。

 海で綾香たちが漁をしている頃、森の中では別のチームが食料調達をしていた。
「ふぅ…結構食べられるものがあるんだなぁ」
 セリオたちが持っているのと同じ椰子の葉の籠に果物を詰めてひろのは言った。パートナーはあかりと智子の二人。智子がセバスチャンから借りてきた野草の本などを参考に、山の幸を調達するのがこのチームの使命である。
「これだけあったらフルーツサラダとかが作れるかな?今晩は楽しみにしといてねっ」
 もぎたての野生のマンゴーを片手ににっこり笑うあかり。
「そら楽しみやね…あ、これは山芋の蔓やないの。これもチェックしとかな」
 こちらは本を片手に食べ物の場所を記録していく智子。こんな調子で、野外生活が始まってから2日が過ぎていたが、食糧難は発生していなかった。彼女たちは現代の都会育ちであり、こうした環境には慣れていないはずだが…
 意外に適応力があるようだった。やはり、女性はいざとなるとたくましいのかもしれない。

「ただいま〜」
 得られた食材を籠に詰めたひろのたちは現在の宿となっている水場近くの小屋に戻ってきた。セバスチャンが別荘が壊滅した翌朝に建てたもので、丸太を壁にして椰子の葉を葺いた屋根を持つ急造にしては立派なものだ。
「あ、お帰りなさい」
 留守番をしていた真帆がひろのたちを出迎えた。
「おじいちゃんは?」
 ひろのが尋ねると、真帆が小屋の裏の方を指差した。
「長岡さんたちと何か作ってたわよ。行ってみたら?」
「志保と?うん、ちょっと行ってみる」
 ひろのは籠を置いて小屋の裏手に回ってみた。すると、そこではセバスチャンと志保、葵、琴音が何やら二つに割った竹を繋いで延々と長く続く樋のようなものを作っていた。
「長岡さん、ちょっとそこ押さえといてくれるかの?」
「ここですか?」
「うむ」
 志保はセバスチャンの指示にしたがって木の枝を組み合わせた脚を押さえ、セバスチャンが竹を渡して、葵と琴音が蔦で結び合わせていく。まるで流しそうめんの設備のようだが、もちろんそうめんなんてこの島には存在しない…というか、別荘ごと灰燼に帰したので、それ以外の設備だろう。
「みんな、ただいま」
 ひろのが声をかけると、四人は汗をぬぐいながら振り返った。
「お帰りなさい、先輩!」
「おお、ひろの。帰ったか」
「お帰り。食べ物は取れた?」
「うん、結構取れたけど…何を作ってるの?」
 ひろのが尋ねると、セバスチャンは作業の手を止めて答えた。
「水汲み用の簡易水道じゃよ。川の上流の滝から水を取って引いてきておるのよ」
 浜辺に流れ込んでいた川の事だ。島の中央部の山から流れ出してくるこの川は、特に煮沸消毒をしなくても飲めるくらいの奇麗な水質を持っていて、言わば島の生命線である。
「これで今日からいちいち水を汲んでこなくてもオッケーよん」
 確かに、これまではバケツでいちいち下の川まで降りて水を汲んでくる作業を1日4〜5回はやっていただけに、それが無くなるのは有り難い。やがて樋が別荘の跡地から拾ってきたアクリルの大きな水槽につながる。
「よし。これで完成じゃ。水を流してみよう」
 セバスチャンがそう言って上流の方へ走っていく。しばらくして、樋を伝ってかなり勢い良く水が流れてきた。
「おお〜」
 ひろのと、何時の間にか見物に来ていたあかり、智子が感嘆の声を上げた。
「やった、成功!」
 志保、葵、琴音が手を取り合って喜び、水を追ってきたセバスチャンも水槽に溜まっていく水を見て満足そうに笑った。
「あら…何を盛り上がってるの?」
 綾香も帰ってきた。そこで、水道が完成してるのを見て目を丸くする。
「あ、お帰り、綾香。マルチとセリオは?」
 一緒に出かけたロボっ娘たちがいないのを見てひろのが尋ねると、綾香は背後の海へ続く道の方を指差した。
「あの娘達なら水車小屋よ。充電してから帰るって」
 川が島の生命線であるもう一つの理由として、水車小屋―水力発電機の存在がある。もともとは別荘へ電力を供給するためのものだが、別荘崩壊後もマルチ、セリオが充電する目的で使われていた。
「おぉ、そうじゃ。明日は水車小屋から電気を引く事にしよう。さすれば夜も明るくなりますぞ!」
「おぉー!!」
 セバスチャンが提案し、一緒に作業していた志保、葵、琴音が賛同の声を上げる。何とか壊れずに残った電球くらいは、瓦礫の山を探せば出てくるだろう。後4日でここを離れると言うのに、島の再文明化に熱心な4人だった。

「ごちそうさまー」
「う〜ん…お腹いっぱいだよぉ」
 皆が取ってきた材料を使って作り上げた夕食が終わった。メニューは海で採れた魚を、天然塩を振って焼いたもの、あかりの作ったフルーツサラダ、貝の塩スープなど。手に入る調味料が塩しかないのが残念だが、あかりと真帆の2人の鉄人は工夫してメニューが単調にならないようにしていた。
「さて…明日の予定は何にしようかな?」
 志保が提案した。部屋の中は蝋燭の明かりに照らし出されてほのかに明るい。ちなみに、この蝋燭は芹香が魔法の儀式やアロマテラピー用に大量に持ち込んだものの一部だったりする。
「野菜類は結構余ってますから、魚だけ捕ってくれば遊ぶ余裕はありますよ」
 と、これは真帆が食料の現状を報告する。考えてみると、初日の海水浴以外はサバイバルばかりやってきたので、全く遊んでいない。
「そっかぁ…じゃあ、どこか見に行こうか?」
 ひろのが言った。事前の情報では小さいながらも見所満載な島だったはずだ。
「はい!」
 琴音が元気良く手を挙げる。
「私、イルカを見に行きたいです」
 満面の笑みを浮かべて言う琴音。彼女の言うイルカは、ここからだと島の裏側にある崖の洞窟にやってくる。洞窟の内側がかなり広い天然のプールになっていて、外敵の心配無しに子育てのできる良いスポットになっているらしいのだ。
「琴音ちゃんはイルカか…他には?」
 志保が意見を求めるが、特に異論はないらしい。
「そうか。明日は魚獲りはワシがやっておこう。みんなで行って来なさい」
 セバスチャンの言葉に歓声が上がった。

 翌朝、ひろのたち女の子組11人は道を知っている来栖川姉妹の先導で森の中を進み始めた。何と言っても、楽しそうなのは琴音だ。
「琴音ちゃん」
 ひろのは琴音を呼び止めた。
「はい?なんですか、長瀬先輩?」
 こぼれるような笑顔のまま振り返る琴音。その可愛らしさはなかなかに凶悪なレベルに達していた。ひろのも軽く動悸を覚え、まだ自分が可愛い女の子を見てそう言う反応を示せる事に安堵したりする。
「うん、前から聞こうと思ってたんだけど…琴音ちゃんは何でイルカが好きなの?」
 ひろのは以前からの疑問を琴音にぶつけてみた。美術部所属の彼女は描く絵の大半をイルカをモチーフにしており、今回島に持ってきた大きなエアマットもイルカのデザインだ。
「えっとですね…私がまだ小さい頃なんですけど、水族館でイルカのショーを見たんです。その時に、風で飛ばされてプールに落ちた帽子を、イルカが拾ってくれたんです」
「…と言う事は、それ以来?」
 ひろのが聞くと、琴音は頷いた。
「ええ。その時の事が忘れられなくて。将来はイルカの飼育係とか、イルカを研究する学者になれたらなって…そう思ってます」
「そうなんだ…夢が叶うと良いね、琴音ちゃん」
「はいっ!」
 ひろのは琴音がしっかりした将来の展望を持っている事に感心した。その事を言うと、琴音は首を横に振った。
「いえ…わたしがそうやって将来に希望を持てるようになったのは、長瀬先輩のおかげですよ。先輩が、わたしの能力の事を認めてくれたから…」
 琴音は頬をピンク色に染めてひろのの顔を見上げた。
「だから、わたしは先輩にすごく感謝してます」
「あはは…なんだか照れくさいな」
 ひろのが頭を掻いた時、先頭を歩いていた綾香が声を上げた。
「着いたわよ。あれが、イルカの洞窟の入り口よ」
 綾香が指差した方向には、想像よりもずっと大きな洞窟の入り口が丘の麓にぽっかりと口を開けていた。中からは潮騒のような音が聞こえてくる。
「綾香、あの音は?」
 ひろのが尋ねる。
「外海に通じてる穴から波が流れ込んでくる時の音よ。さ、行きましょうか!」
 綾香が持ってきたマグライトのスイッチを入れた。同じ物をひろの、志保、智子も持っており、一斉にスイッチを入れて洞窟内部を照らす。内部は意外とごつごつしたところが無く、歩きやすそうだった。
「…」
「え?歩きにくいところはないけど、意外と床が滑るから気を付けてくださいね、ですか?わかりました。芹香先輩」
 芹香の注意を受け、全員がそろそろと中に足を踏み入れた。幅は2人が並んで通れるほどだが、天井は高い。途中で幾つか分岐があったが、順路以外の横穴はロープで封鎖してあった。
「…懐かしいな〜。ちっちゃい頃、横穴を探検してておじい様やセバスチャンに怒られたっけ…」
 幾つかの穴の前で綾香が遠い目をして言う。
「昔からそんな事ばかりしてたんだ…」
 ひろのが言った。さぞかし子供の頃から悪さばかりして周囲の人達を困らせていたに違いない。なんだか容易にその情景が想像できた。
「あはは…いや、その…ほ、ほらっ!着いたわよ!!」

「え?…わぁ…」
 一行は目を丸くしてその場所を見渡した。直径が100メートル近くは有りそうな巨大なホール状の空間で、天井が抜けて20メートルくらいの穴になっており、そこから日の光が燦燦と降り注いでいる。今入ってきた通路のほぼ反対側に、海に通じる通路があって、そこから波が打ち寄せてきていた。
「すごい…天然の大プールって感じだね」
 ひろのがそう呟いた時、ホールの中央部分にいくつもの波紋が現れた。
「あっ!ひろの先輩、あそこ!!」
 葵に言われるまでもなく、全員がそこに注目していた。3匹のイルカが目から上の部分を水面上に突き出し、こっちを見ている。
「わ…本物だぁ…」
 志保が感動したように言う。イルカは円を描いて泳ぎ回りながらひろのたちの様子を見ていたが、やがて敵意が無いとわかったのか、ゆっくり岸に向かって泳いできた。
「うっ…か、可愛いっ!」
 真帆が感極まったように叫ぶ。やがて、傍に寄って来たイルカ達は頭を水面から持ち上げ、挨拶するように「きゅいーっ」と言うような鳴き声をあげた。
「こんにちわ、イルカさん」
 琴音が挨拶をすると、イルカ達は一斉に鳴きながら彼女のそばに集まってきた。まるで彼女の言葉が分かっているかのようなその動きに、みんなはビックリして琴音を見つめる。
「きゅいっ。きゅきゅいっ」
 そして、琴音の方もイルカの鳴き声に合わせて頷いたり笑ったりしている。驚いている他の10人を代表して智子が尋ねた。
「姫川さん、イルカの言う事がわかるんか?」
 琴音は頷いた。
「ええ。だいたいの事は。テレパシーを使えば言葉に関係なく意志は通じますから…」
 なるほど、とひろのは頷いた。これはまさに琴音ならではの能力だろう。琴音はさっき希望の職にイルカの飼育係と海洋学者を挙げていたが、どちらにしても彼女の天職と言うべきかもしれない。
「みんな良い人で、全然心配無いよ…って、言ったら、信じてもらえました」
 にっこり微笑む琴音の後ろで、イルカ達が頷くように頭を振る。その仕草がまた可愛らしく、一行の間にほのぼのした雰囲気が漂った。
「ですから、みんなも呼んでくるそうです」
「え?」
 琴音の言葉の意味が分からず、一瞬首を傾げた一行の前で、海側の入り口から続々とイルカ達が入り込んできた。最初の3匹と合わせて10匹以上のイルカがホールの中を泳ぎまわる。
「うわ…凄いわね。私たちも何回かここに来てるけど、こんなにたくさん集まったのは初めて見るわ…」
「…」
 綾香が言い、芹香もこくこくと頷いた。2人とも頬がピンク色に上気していて、初めての経験にかなり興奮している事がわかった。
「良かったら一緒に泳ぎませんか、って言ってますけど…どうします?」
 琴音がイルカの言葉を通訳して提案してくる。もちろん、みんなに異存はなかった。

「えいっ!」
 志保が打ち上げたビーチボールを、イルカが器用に口で受け止め、投げ返してくる。それをトスする智子。人間VSイルカのビーチバレーはなかなか白熱した展開になっていた。
「きゃー、きゃーっ!楽しいですーっ!!」
 イルカの背中にしがみついて叫んでいるのはマルチだ。天真爛漫な性格だけに、早くもイルカと大の仲良しになってしまったらしい。
「やーん、すごーい!楽しいっ!!」
 イルカに乗っているのはマルチの他にあかり、芹香の泳げないコンビ。自分の力だけでは絶対に味わえない速度で水上を進むのは爽快な気分だった。
「きゅい、きゅい、きゅいきゅいっ!」
「そうなんですか?それは楽しそうですね。私も今度ぜひ…」
 セリオは何故かイルカの1匹と楽しそうに会話をしていた。どうやら、イルカ研究のデータでもダウンロードしたらしい。傍で聞いているぶんには何を話題としているのか全くの謎なのだが。
「それでは位置に付いて…よーい、スタート!」
 真帆の号令を受けて綾香と葵、そして特に泳ぎの早いイルカが勝負を開始する。
 そして、ひろのはと言うと、琴音と一緒にリーダー格のイルカの背にまたがって水中を進んでいた。琴音が超能力で2人の頭の回りにだけ気泡を作り出しているので、息が詰まらず実に快適に海中散歩を楽しむ事が出来る。一度ホールから出て外海に出ると、上空から差し込む日差しに珊瑚や熱帯の魚達が揺らめいて見え、幻想的としか言いようの無い光景だ。
「うわぁ〜…凄いなぁ。まるで夢みたいだ」
 ひろのは言った。とても現実のものとは思えない体験だ。
「楽しいですか?長瀬先輩!」
 後ろから彼女の腰に掴まっている琴音が尋ねてくる。
「うん、最高だよ、琴音ちゃん!」
 ひろのは叫んだ。船が沈んだり、別荘が壊れたり、サバイバル生活になったり、色々大変な事が多かったけど、この島に来て本当に良かったとひろのは思った。

 やがて、日が傾いてくる頃、さすがに疲れた一行はホールの岸に戻って休んでいた。
「はぁ…遊んだ遊んだ。本当にもう…最高…!」
 志保が仰向けになって、火照った身体を脚を海水に浸す事で冷ましながら言えば、
「うん、くまも良いけど、イルカも捨て難いよね」
 すっかりイルカファンになってしまったあかりが応じる。そうしている間にも、天井から覗く空の色が青から次第に赤へ変わっていく。もうすっかり夕方だ。
「名残惜しいけど、そろそろ戻らなくちゃね」
 ひろのが立ち上がる。すると、智子が名残惜しさだけでない嫌そうな表情になった。
「はぁ…またあの森の中を歩いて帰るんか…ちょっとげっそりやな」
「ま、仕方ないわよ。行きましょうか」
 綾香も立ち上がる。琴音がイルカの群れに挨拶した。
「それじゃあ、私たちは帰るね。さよなら、イルカさん」
 すると、イルカの一匹が「きゅいっ!」と鳴いた。その声に、琴音が驚いたような表情を見せる。その表情の変化を見て取った葵が尋ねた。
「どうしたの?琴音ちゃん」
 振り向いた琴音の表情は、喜びで輝いていた。
「イルカさん達が送っていってくれるって…」

 ざっぱ〜ん…どどどどどどど…
 まるでどこかの映画会社のオープニングに使われそうな、岩に波が砕け散る光景。その岩の上で、漢セバスチャン長瀬源四郎は仁王立ちしていた。そして…
「ふんっ!!」
 ごがあっ!!
 足元の岩に必殺の掌底を叩き込んだ。やはり浮かび上がる無数の魚たち。そこへ素早く網を打って魚を掬い上げる。何の事はない。彼もまた禁断の漁法で今日の糧を集めていたのだった。
「ふむ…こんなものかの」
 セバスチャンが漁獲量に満足の言葉を漏らした時、彼は沖合に気配を感じた。
「む…イルカか」
 夕暮れの海に、イルカがジャンプを繰り返しながらこっちへ向かってくるのが見える。なかなかに詩的な光景だ。セバスチャンはしばらくその光景を堪能していたが、そろそろ女の子達が帰ってくるであろう事を思い出し、網を背中に担ぎ上げた。
「さて、帰るか…む?」
 彼の耳に、沖合から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。辺りを見回すが、イルカの他に見えるものはない。
「…空耳かのう…」
 セバスチャンが首を傾げた時、今度ははっきりと聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おじいちゃーん!ただいまー!!」
「セバスチャン、やっほぉ〜!!」
 ひろのと綾香の声だ。一体どこだ、とセバスチャンが目を凝らした時、目の前に巨大な水飛沫が上がった。
「ぬおっ!?」
 驚く彼の頭上を飛び越える巨大な影。イルカだ。その背中に、ひろのがまたがっていた。
「ひ、ひ、ひ、ひろのぉっ!?」
 驚愕に硬直した彼の回りをイルカが飛び越えていく。その全てに少女が乗っていた。ラグーンの内側に着水したイルカたちは素早く整列し、彼の方を向く。ひろのが片手を上げた。
「驚かせちゃったかな?」
「な、何事じゃ…一体」
 さすがのセバスチャンも、我に返るにはしばらく時間が必要だった。

 やがて、陽が完全に沈む前に、ひろのたちはイルカと別れた。水平線の向こうへ、別れを惜しむようにジャンプしながら去っていくイルカに、少女たちは手を振りつづけた。
「…そろそろ帰ろうか?」
 イルカたちの姿が完全に見えなくなった頃、ひろのが切り出し、一行はようやく帰路についた。しかし、琴音の顔は暗いままだった。
「琴音ちゃん、そんなにがっかりしないで。また会えるよ」
 ひろのが慰めると、琴音は首を横に振った。
「違うんです。ちょっと気にかかることがあって…」
「…気にかかること?」
 ひろのが尋ねると、琴音は思いも寄らない事を言い出した。
「さっき、イルカさんたちが言っていたんです。もうすぐ、恐ろしいものがこの島にやってくるから、できれば早く逃げろ、って…」
「恐ろしいもの?…何なの?」
 琴音は首を振った。
「わかりません…ただ、イルカさんたちは本気で心配してましたから…なんだか、嫌な予感がします」
 琴音の言葉には、かつての「不幸を呼ぶ少女」時代のような暗い響きがこもり、ひろのも思わずそこら辺に何かが潜んでいそうな気がして身体を震わせた。
 しかし、島を襲う「恐ろしいもの」の正体は、ひろのの想像を超えて強大かつ恐るべきものだった。

 翌日…島での5日目、それまでの抜けるような青空とは異なり、空には多くの雲が浮いていた。風が強くなり、沖合いには白波が立っている。
「なんだか天気が悪くなりそうだな…」
 海に魚を採りに来たひろのは呟いた。
「そうだね…なんだか嫌な天気…」
 一緒に来ていたあかりも横に並んで空を見上げる。普段、漁場としている岸から200メートルほどの岩場はかなり荒い波に洗われていて、とてもではないが危なくて近づけない。
 どこで魚を取るか考え始めた時、森の方からセリオがやってくるのが見えた。珍しく走っている。
「あれ?どうしたの?セリオ」
 ひろのがセリオに呼びかけると、彼女はひろのたちの目の前まで走ってきて言った。
「セバスチャン様がお呼びです。すぐに小屋へお戻りになるように、との事です」
 ひろのとあかり、そして今日一緒に来ていた葵は顔を見合わせた。
「何があったの?」
 セリオの顔に浮かんだ真剣な表情を目にしてあかりが尋ねた。すると、セリオは3人を愕然とさせるような事を言った。
「大変なことになりました。…嵐が来ます。それも、超大型の台風です」
『台風っ!?』
 声をそろえて叫ぶ3人に、セリオは重々しく頷いた。

 十分後、小屋には島の住人12人全員が緊急召集されていた。
「緊急事態じゃ。超大型の台風が今夜から明日にかけてこの島を直撃するかもしれん。セリオ、情報を頼む」
 本題を切り出したセバスチャンに促され、セリオは話し始めた。
「はい。最新の情報では、中心気圧975ヘクトパスカル、中心付近の最大風速55メートル、暴風圏半径が200キロ以上の超大型で非常に強い台風です。今はこの島から500キロ以上南ですが、時速30キロで北上していますので、明日の未明には暴風圏に入る可能性があります」
 その報告に座は騒然となった。
「イルカさんの言ってた恐ろしいものって…これのことでしょうか」
「有り得ない話や無いね。動物は人間にはわからんことでも察知できるような鋭敏な感覚があるというし」
 智子が琴音の言葉に相槌を打った。
「でも、何でそんなことが…あ、セリオは衛星経由でインターネットにつながるんだっけ」
 ひろのが言うと、セリオはうなずいた。
「はい。一応毎日天気予報は見ていたのですが、昨夜のうちに急激に台風が発達したようです」
 昨日までは小さな低気圧だったので、あまり気に留めていなかったらしい。
「それじゃあ、セリオを通じて助けが呼べるんじゃないの?」
 志保が言うと、セバスチャンが首を横に振った。
「無理ですな。今となっては風も波も強すぎる」
 そして、ふと全員が気がついた。セリオを通じて助けを求めれば、何もこの島でサバイバルライフを送る必要はまったくなかったのでは…
「と、ともかく、そんな台風に直撃されれば大変な事になる。今日は全員で小屋の補強を行う」
 全員の抱いた気まずい思いをごまかすようにセバスチャンが言った。その場のノリと雰囲気で事態を先に進めるとろくな事にならないという好例だった。
「幸いここは森の中じゃ。風はそれほど強くは吹かないと思う。雨漏りさえ防げれば何とか持ちこたえられるじゃろう」
 そう言うと、セバスチャンは具体的な作業割を少女たちに割り振っていった。

「せーの、てぇーい!!」
 ごがあっ!!
「もういっちょ!!」
 どごむっ!!
 激しい打撃音と共に、地面に杭…と言っても枝を落としただけの丸太だが…がめり込んでいく。杭を押さえているのは葵、そして、打ち込んでいるのは綾香である。
 その、打ち込む方法がジャンプして杭の頭に踵落しを叩き込む、と言う豪快かつ尋常でない方法だったりするのは、まぁいつものことであろう。いまさらそれで驚く一行でもない。
「次は、杭と小屋をしっかりと固定するんや」
「それが終わったら屋根に重石を載せましょう」
 智子は作業の監督役をセリオと分担して担当している。さすがにクラスをしきる委員長。指揮監督はお手のもので、全員が効率良く動いている。
「良し、ロープを引くのじゃ。せーの!」
「せーのっ!」
「おっけ!今のうちに結ぶわよ!!」
 ひろの、志保、芹香、琴音、マルチはセバスチャンの手伝い。主に体力のあるひろのとマルチが力作業を手伝い、芹香、志保と琴音が細かい作業を行う。現在は屋根と杭を結んで固定する作業の真っ最中。それが終わったところから、セバスチャンが椰子拭きの屋根に石を載せて、風で飛ばないように固定していく。
「あかりさん、お芋はゆであがった?」
「はい、大丈夫ですよ。今そっちにまわしますね」
 あかりと真帆は今のうちに大量の食事を作っていた。魚などは腐ってしまうのが心配なので、主に植物性の素材を使っている。
 夕方4時頃には、小屋の周りに防風柵が完成し、つっかい棒も立て終わった。それに呼応するかのように、風が強くなり、上空はすっかり雲に覆われて、夏だと言うのにあたりはすっかり暗くなっていた。
「…ふぅ…疲れたなぁ…でも、これで少しは安心かな?」
 ひろのは時々風で震える屋根を見上げながら言った。突貫作業を終えた12人は、それでも不安から身体を寄せ合うようにして小屋の中で外の様子をうかがっていた。さすがに窓はないので直接外を見ることはできないが、森の木々をざわざわと揺らす風の音が空全体を覆い尽くすように響き渡っている。
「今晩は交代で見張り番をした方がいいかもね。3人ずつ4交代で」
 綾香が提案した。それに全員が感心して賛同しかけたとき、綾香が言った。
「えっと、それじゃあ私はひろのとセリオと組ということで…」
 ドサクサにまぎれて自分に都合の良い組み合わせを作ろうとする綾香に、すかさずあかりが異を唱える。
「ええ〜っ!?だめだよ!ひろのちゃんと一緒に組むのは私だよ」
「私もひろの先輩とが良いです…」
「同じく」
 葵と琴音もひろのとの組み合わせを希望し、たちまち部屋の中が騒がしくなった。やがて、誰がひろのと組むかで空気が一触即発の雰囲気を帯び始めたその時、当のひろのがすっと割って入った。
「…ここはおとなしくくじ引きで決めよう」
 タイムリーな提案だった。まぁ、それならと納得しかけた争奪戦参加一同にひろのは付け加えて言い渡した。
「ただし、イカサマ、超能力、魔法は禁じ手」
 その言葉に、一部非常にがっかりした顔をした者もいたが、それはともかくとしてくじ引きは実施された。オーソドックスに、同じ数字の書かれた紙縒りを引いたもの同士がグループである。
 結果、グループは以下の通りに決定した。
 1番 綾香、あかり、智子
 2番 ひろの、真帆、セリオ
 3番 芹香、マルチ、志保
 4番 琴音、葵、セバスチャン
 皮肉にも争奪戦参加メンバー全員がひろのとのペアから外れた。まぁ運命とはそんなものである。

 一行が夕食を済ませるころには、風に混じって雨も降り出していた。雨脚はたちまち強くなり、やがて叩きつけるような豪雨に変化した。小屋の周りには溝を掘り、床も高くしてあるので当面浸水の心配はないが、屋根に落ちた雨が滝のように流れ落ちる音は気分を不安にさせた。
 セリオのインターネットによる最新の気象情報では、台風は中心付近の気圧が965ヘクトパスカル、暴風圏半径が250キロに達する超大型台風に発達していた。最大風速は60メートルを超え、さらに発達しながら北上している。既にこの島も暴風圏の端っこに差し掛かっていた。
「それじゃ、おやすみなさい…」
「何かあったらすぐに起こしてね」
 夜の8時ごろ、昼間の疲れもあって一行は早々に眠りについた。最初の見張り役である3人はもちろん別だが。
「…やっぱり…良いわね」
「うん、そうだね」
 最初の番の3人のうち、智子はちゃんと外の様子を窺ったりして真面目に見張りをしていたが、あかりと綾香はそんな事はそっちのけである一点をだけ見つめていた。
 もちろん、ひろのの寝顔である。規則正しい寝息と共に、タオルケットの上からでもわかる豊かな胸が上下している。
「寝顔も可愛いのね…」
「萌え萌えだよね…」
 2人はぼそぼそと話をしている。「どっちがひろのをゲットするか」という点では譲れないライバル同士の2人だが、だからこそひろのを見て愛でると言う点では親友同士のように気が合っていた。
 今のこの2人の関係を表すとしたら、「強敵と書いて友と読む」と言う少年マンガのようなノリが一番ぴったりかもしれない。
「あんたら…ほんまにアレなんやな…」
 そんな綾香とあかりを智子は呆れ顔で見ていた。

 3時間後、交代の時間が来て起こされたひろのは、真帆、セリオと一緒に見張り番をしていた。島は完全に暴風圏に入り、風の唸り声は文字通り暴力的な轟音となって外を荒れ狂っていた。
「さすがにちょっと怖いわね」
 真帆が苦笑しながら言う。頷くひろのとセリオ。嵐の真っ只中でも彼女たちが明るいのは、マルチの様子を観察していたからだった。
「はうぅ〜…お掃除するところがいっぱいですぅ〜」
 どちらかと言うと寝相の良い娘の多い中、寝言を言いながら頻繁に寝返りを打つマルチの姿は、ロボットにはとても見えない。
「こうやって見る分には普通の女の子と変わらないわねぇ」
 真帆が寝ていても人間に近い仕草をするマルチに感心したように言った。
「きっと掃除をしている夢を見ているんでしょうね…って、ロボットも夢を見るのかな?」
 ひろのがふと口にした疑問にセリオが答えた。
「マルチさんは見るそうですよ。マルチさんのコンピュータは人間の脳とほとんど同じ構造の特注ニューロコンピュータを使っているそうですから」
 へぇ、と感心したようにひろのは頷き、セリオの顔を見る。
「セリオはどうなの?夢は見ないの?」
 セリオは首を横に振った。
「私は…マルチさんとは違いますから、夢は見ません」
 彼女のコンピュータは高性能ではあるが、最初から感情を持たせることを狙って開発されたマルチのそれとは違い、従来のコンピュータに近い。実際、彼女の量産型は感情機能を持たないのだ。
「ふぅん…セリオだってマルチに負けないくらい感情豊かだと思うけどね」
 ひろのが言うと、セリオは顔を赤くした。
「…私が…ですか?そうでしょうか…」
 すると、真帆が口を開いた。
「そりゃあ、マルチちゃんに比べれば大人しいけどね。それも個性のうちよ。もっと自分に自信を持ちなさいな」
 そう言ってセリオの肩を叩く。セリオは珍しく嬉しそうに微笑んで言った。
「ありがとうございます、ひろの様、真帆さ…」
 ま、と言おうとしたセリオの唇をひろのが立てた人差し指で塞ぐ。
「…?」
 怪訝そうな顔をしたセリオに、ひろのは微笑んで言った。
「様はやめようよ。そんな風に呼ばれるのくすぐったいから。なんなら呼び捨てでも良いよ」
 セリオは困った顔になった。
「そんな…できません、呼び捨てだなんてそんな事」
 今度は真帆が言った。
「良いのよ、私とセリオは同僚みたいなものだし、私のほうは友達だと思ってるけど?」
 しばらく困っていたセリオだったが、やがて覚悟を決めたように顔を上げて二人の友人の名前を呼んだ。
「ありがとうございます。ひろのさん、真帆さん」
「うん、これからもよろしくね」
 こうして、嵐の中でひとつの友情が生まれたのだった。
「…ひろのって…結構女の子たぶらかすの上手いのね…」
「ひろのちゃんは誰にでも優しいから」
 とは、盗み聞きしていた綾香とあかりの会話である。

 3番目の見張り番は芹香と志保とマルチの組み合わせ。高性能センサーシステムを搭載するマルチの周辺監視能力に期待したいところだが…
 ガガーン!どろろろろろろろろ…
「はわわ〜っ!?」
 轟く雷鳴にマルチは悲鳴を上げて芹香にしがみついた。
「マルチちゃん…雷苦手だったのね」
 意外だ、と言う感じで言う志保に、マルチは耳のセンサーを抑えながら答えた。
「はわわ…あの音は聴覚センサーに響くので苦手なんですぅ…」
「はぁ、なるほど…」
 頷く志保の頭上で、またしても雷鳴が轟いた。マルチが悲鳴を上げ、ますます芹香にしがみつく。その頭を黙ってなでてやる芹香。まるで子供をあやすお母さんのようだ。志保は感心して芹香に話し掛けた。
「それにしても…来栖川先輩は雷とか平気なんですね。凄く落ち着いて見えます」
 芹香は頷いて答えた。
「・・・・・・」
「え?大きな音には慣れています?どうして?」
 いかにも静かな部屋で優雅なクラシック音楽でも聴いていそうな、騒音とは無縁に見える芹香の意外な言葉に、志保は質問を返した。
「・・・・・・・」
「え?魔術の実験とか、セバスチャンの大声とか…?それって…」
 志保の後頭部を一粒汗が伝った。浮世離れした上流階級の人の謎な日常の一端を垣間見た志保だった。

 そして、4番目の見張りはセバスチャンと葵、琴音の1年生コンビ。総合能力で言えば最強の3人である。ある意味、この後に起きた事を考えるならば、この3人が見張りだったことは不幸中の幸いというべきだろう。
 時間は明け方近くになっていた。計算上では台風の中心は今まさにこの島に近づいているはずだった。猛烈な風と叩きつけるような雨に、補強した小屋もさすがに軋んでいる。琴音と葵は不安なのか、二人で寄り添って小声で盛んにおしゃべりをしていた。
 一方、セバスチャンは精神を集中していた。実は、彼はこの夜一睡もせずに周囲の様子を探ることに全神経を傾けていたのである。
 その彼が、ふと妙な物音に気がついた。
 ころん…ころころころ…かつん、かつんっ…
「む…?」
 セバスチャンの目が開かれた。風雨の音にかき消されそうではあったが、何かが転がってきて防風壁にあたる音が、断続的に響いてくる。しかも、そのピッチが早くなってくる。
(これは…なんじゃ?)
 セバスチャンは音のして来る方向の壁を見つめた。そっちは、確か…
「…あれ?」
 そこで、葵も異変に気がついた。微妙な振動が床から伝わってくるのだ。最初は風による建物の軋みかとも思ったが、それにしては細かく規則的な振動だ。
「葵ちゃん、これ…」
 琴音も気がついた。彼女はそっと目を閉じ、「力」を建物の外へ向ける。そして、琴音がその正体を感じ取って顔色を変えたときには、床から伝わる振動は寝ていたはずのひろのや綾香が目を覚ますほどのものになっていた。
「な、何?地震?」
 ひろのが言ったそのとき、琴音はこの小屋に迫り来る「破局」の正体を知って叫んでいた。
「ダメ!ここにいたらみんな死んじゃう!!丘が…丘が崩れます!!」
 その叫びに、眠っていた少女たちが驚いて跳ね起きる。そこへセバスチャンの一喝が飛んだ。
「そうか、地滑りじゃ…!!皆、起きるのじゃ!!ここを出る!!」
「ええっ!?」
 地滑り、という言葉の意味を全員が悟り、慌てて行動を起こした。ドアに飛びついた智子が、それを開けようとして力を入れるが、ドアはびくともしない。
「あかん…風圧で押されとる!」
 風が真正面から吹いているらしく、ドアが開かないのだ。その瞬間、葵が叫んだ。
「保科先輩!ちょっとどいてください!」
 慌てて飛びのく智子の前で、葵が必殺の一撃をドアに叩き込む。
「崩拳っ!」
 彼女の拳がドアを破砕し、風圧にも負けないパワーで破片を外へ吹き飛ばす。
「今だ!」
 ドアの近くにいた志保が外へ出る。ひろの、あかり、真帆と外へ出て行く。
「きゃっ!?」
 咄嗟の事で眼鏡をかけ忘れた智子が足を取られて転んだが、それをすかさずセバスチャンが拾い上げた。体力のない芹香を右腕に、智子を左腕に抱えてセバスチャンが風雨の中を疾走する。最後に、綾香とマルチも小屋から脱出していた。
 その瞬間、「それ」は起きた。
 風と雨にさんざんに叩かれ、脆くなっていた小屋のある森の裏手にそびえる、別荘のあった丘の斜面が、見えない巨大なシャベルを突き入れられた様に抉れ、一気に森へ向けて滑り落ちた。その泥と岩の塊は木々をなぎ倒し、巻き込んで破壊力を増しながら、その行く手にあった小さな小屋を直撃する。
 小屋は一瞬で砕け散り、ばらばらの木片となって押し寄せた膨大な土砂と一緒に小川へと叩きこまれた。ただでさえ増水していた小川が瞬時にせき止められたショックで逆流し、茶色く濁った水が津波のように森の中を走りぬけて行く。
 にわか作りの土砂のダムはすぐに崩壊し、泥と濁流は攪拌されて土石流と化して砂浜に流れ込んだ。森は広範囲になぎ倒され、静かなラグーンが押し流されてきた木片で埋まる。その破壊力から逃れられた人間がいるとは、とても思えない惨状だった。

 ぴちゃ…
「う?ううん…こ、ここは…」
 頬に水滴の当たるのを感じて、ひろのは目を覚ました。辺りは真っ暗で、ひんやりとした空気が流れている。そして、どこか遠くのほうから聞こえてくる「どどどど…」と言う怪音。
「ここは…確か、土砂崩れが…」
 ひろのは考えた。最後に覚えているのは、真っ黒な土砂の波がとても逃げられそうもない速度で背後から迫ってきた事だ。
「巻き込まれちゃったのかな…すると、ここは死後の世界?…なんとなくそんな雰囲気ではあるけど…」
 言葉に出しながら考えをまとめているうちに、ひろのは自分を包んでいるのが真の闇ではないことに気がついた。どこからか、かすかに光が漏れているらしい。次第にものの輪郭がつかめてくる。
「…あ、みんな!」
 目が慣れてきた事で、ひろのは周囲に一行が倒れていることに気がついた。手近の人影…どうやらあかりらしい…に近づき、体を揺さぶる。
「あかり、あかりっ!起きてっ!!」
「う…う〜ん…」
 間延びした声と共に、あかりは目を覚ました。
「あ…ひろのちゃん?ここは…どこ?」
「わからない。とりあえず、手分けしてみんなを起こそう」
 ひろのの言葉にあかりも頷き、周囲に倒れているみんなを起こして回る。やがて、かなり疲労した様子の人全員が無事にそろっていることが確認された。
「…みんな揃っているのはわかったけど…ここはどこなのかしら?」
 綾香が言った。すると、セバスチャンがしばしお待ちを、と言って何やら身体をごそごそと探る。そして、しばらくすると暗がりの中にぼうっとした明りが灯った。
「ペンライトを持っていたのを忘れておりましたわ」
 セバスチャンはそう言って笑うと、ペンライトを辺りにかざした。弱い光だったが、それでも周囲の様子を観察することはできた。
「あれ?ここってイルカの洞窟じゃありませんか?」
 葵が言った。女の子達はその言葉に辺りを見回す。
「・・・・・・」
「え?確かにあの岩壁には見覚えがあります、ですか?」
 こくこく。自分の言葉を拡大してくれた志保に芹香が頷いた。言われてみれば、ひろのも昔綾香が隠れて怒られたと言う枝洞の入り口に見覚えがあった。
「そうだね、でも、どうしてこんな所に…」
 小屋からイルカの洞窟までは歩いて1時間近くかかった。土砂崩れのことを考えなくても、夜道で台風と言う悪条件の下でそう簡単にやってこれる場所ではない。
 その疑問を解いたのは、琴音だった。
「あの…私、土砂に追いつかれそうになった時とっさに…」
「あ…テレポート?」
 ひろのの質問に琴音はこくりと頷いた。
「ただ、行き先をイメージしてなかったので…最近一番思い出深かったここに来たんだと思います」
 ちなみに、琴音のテレポートで脱出しなかったのは、さすがの琴音でも12人を本土まで一瞬でテレポートさせるのは不可能であるという実にもっともな理由による。誰にでも限界はあるのだ。
「すると、あの光はイルカのホールかいな。ともかくあっちに行ってみようやないの」
 智子の提案に同意し、一行はペンライトの光を頼りに洞窟の中を進んでいった。やがて、見覚えのあるあのホールが見えてきた。
「きゅい?」
 彼女たちの気配に反応し、イルカが水面から顔を出す。外海への出口から波がどっと流れこんでくる一角を除けば、ホールの水面はやはり静かなものだった。イルカたちにとっても、嵐の日は安心して避難できる場所なのだろう。二日前よりも多くのイルカがプールを泳いでいた。
「おはよう、イルカさん。台風が行っちゃうまでよろしくね」
 琴音がにっこりと笑って挨拶し、イルカが歓迎するように「きゅいーっ!」と挨拶を返してきた。
 天井から見える空はまだまだ分厚い雲に覆われてはいたが、風雨の峠は越したようだった。

 半日後、台風は北の海上に去った。まだ海はややあれていたが、雨はやみ、風もおさまってきて、雲の切れ間から太陽の光が射しこんでいる。
 その海上を、ひろのたちはまたしてもイルカに乗って進んでいた。森は一面の泥沼と化していて、島の表側に戻るにはイルカたちに頼るしかなかったのである。
 しばらく進み、島の表側に着いたひろのたちは、その惨状に唖然とした。別荘の残骸があったはずの丘の頂上から森に掛けての斜面はごっそりとえぐれ、初日に海水浴を楽しんだ入り江は泥の海になっている。付近の海上には無数の流木も漂っていた。
「ひどい…どうしてこんな事に」
 真帆が思わず漏らした悲しみの声に、ひろのは答えた。
「私はなんとなく理由が分かる気がするな…」
 全員がえ?という表情でひろのを見つめる。そこで、彼女は「答え」を口にした。
「だってさ…あれだけ暴れたら地盤も緩むよ」
「…あ」
 全員が、初日の夜の「綾香対セバスチャン対魔神対ロボット別荘無制限バトルロイヤル」を思いだして肯いた。思わず赤面する来栖川家関係者一同。芹香、綾香、セバスチャンはバトルロイヤルの当事者だし、ロボット別荘だって今ここにはいないが長瀬技師の発明品だ。
「…ごめん。さすがに今回は謝る」
 綾香の珍しく殊勝な一言が、今回の旅を締める言葉となった。一行の耳に、来栖川家が小笠原から飛ばしたヘリの音が聞こえ始めていた。

 結局、別荘は災害で完膚なきまでに破壊されたため、来栖川姉妹や長瀬親子が戦闘の跡を見咎められて当主である厳彦氏の怒りに触れることはなかった。異様なまでに濃密なサバイバル・バカンスで幕を開けたひろのの夏休み。
 しかし、夏はまだまだこれからである。

(つづく)

次回予告

 琴音の意外な趣味に導かれ、とある祭典に初めて足を踏み入れたひろの。そこである行動を取ったひろのは、かつて彼女を脅かしたあの者達と再び出会う。激突する人外VS人外!そして迫り来る大海嘯(謎)!!果たして、彼女は無事にこの場から逃れられるのか?
次回、思い出の夏休み編C「湾岸萌ゆ」
お楽しみに。

後書き代わりの座談会・その22

作者(以下作)「ふう、やっと終わった」
ひろの(以下ひ)「今回は長かったねぇ」
作「体調もあまりよくなかったしな。まぁ、次回のネタに使う某祭典には間に合ったけど(爆)」
ひ「季節は正反対だけどね」
作「しかし、今回の自然の猛威の前にはさすがに人外7人そろえても逃げるのみだったな」
ひ「そりゃあ、いくら綾香やおじいちゃんが強くても台風相手に勝つのは無理でしょ」
作「土石流くらいならセバスチャンが気合一閃、モーゼが紅海を割るように真っ二つに切り裂いても面白かったが…」
ひ「それくらいはやるかも」
作「まぁ、咄嗟の事だったし琴音のテレポートの方が早かったからな」
ひ「それにしても、あの島はちゃんと復興できるのかな…」
作「大丈夫だろう。天下の来栖川家だぞ。その気になれば寸分たがわずもとの状態に復活し、かつより最新のロボット別荘を建てる事だって朝飯前だ」
ひ「もう変形ロボットは良いよ」
作「それもそうだな」
ひ「ではまた次回で〜」
収録場所:脱出先の小笠原


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