※このお話の主人公、長瀬ひろのちゃんは魔法で女の子に変身させられてしまった浩之ちゃんです。
…と言う設定を何人の人が覚えているだろう(爆)。

前回までのあらすじ
 水着も購入し、いよいよ一週間の予定で小笠原の来栖川家の持ち島に遊びにいく事になったひろのたち一行。しかし、こうしたイベントが平穏無事に終わったためしのない彼女たちだけに、今回も早くも漂うトラブルの危険な香り。果たして彼女たちを待ちうける運命とは…?

To Heart Outside Story

12人目の彼女

第二十一話

思い出の夏休み編A「11少女&セバスチャン漂流記」


 ここは南国パラダイス。降り注ぐ太陽の光と立ちこめる黒い煙。吹きぬけるさわやかな潮風に混じる、南国の花の甘い香りと油の燃える匂い。打ち寄せる潮騒の心地よいリズムと、ぱちぱちと爆ぜる炎の音。
 何やら描写の後半部分に南国に似つかわしくない不愉快な描写が混じっているようだが、それは気のせいでもなんでもない。
「…沈んでいくね」
「…そうだね」
 傍らに立つ志保の言葉に、ひろのは相槌を打った。彼女たちがいるのは来栖川家が小笠原諸島の一角に所有する小さな島。名前は一応正式なものがあるらしいのだが、近所の島(と言っても一番近い島まで100キロ近くあるのだが)の住民たちは、だいたい「来栖川のお島」で済ませている。
 その島の海岸で、ひろのたちは彼女たちをここまで運んできた来栖川家のクルーザーが炎に包まれて波間に没していくのをじっと見ていた。
 なんでそのような事になったのか…原因はいろいろあるのだが、順を追って説明するためには時間をある程度遡る必要があるだろう。

 2時間前、来栖川家が所有する大型クルーザーは波をけたてて快調に航行していた。横須賀を出航してからおよそ1日。夏の日差しが降り注ぐ中、風はさわやかで波も穏やか。芹香特製の酔い止めの薬のおかげで、船酔いにかかる人間もいない。実に快適な船旅だった。ひろのは左手で船尾のデッキの手すりにつかまり、日よけに被っている麦わら帽子を右手で抑えながら、朝の光にきらめく海の景色を飽きもせずに眺めていた。
「うわぁ〜…朝の海って言うのも良いねぇ…」
 どこまでも広がる水平線を見つめながらひろのは言った。船の上ではさすがに彼女も普段のようなひらひらの服は着ておらず、Tシャツにショートパンツの上からパーカーと言う動きやすい服装。すらりとした形の良い脚が剥き出しになっている。
「たまにはこんな旅も良いものよ」
 今回のホスト役である綾香が言った。船室の壁に身体をもたれ掛けさせ、海を眺めている…振りをしてひろのの脚を鑑賞している。長くて無駄な肉が全く付いていないひろのの脚は、力はともかく見た目では綾香の鍛えこんだ脚に勝るとも劣らないきれいなものだ。
 あのふとももで枕をしてもらったらきっと寝心地が良いだろうなぁ…と思うと、その想像にちょっと頬の緩む綾香。
「あと2時間ほどで到着じゃ」
 そこへ、何故か…いや、やはりと言うべきか、こんなときでもきっちりとタキシードを着こんだセバスチャンが操舵室から降りてきた。唯一普段との違いは、眼鏡をサングラスに変更している事で、そうしていると結構怖い。
「あれ、おじいちゃん。舵は?」
 ひろのが聞くと、セバスチャンはセリオに預けてきた、と答えた。今回の参加メンバーの中で、船の操縦技術を身に付けているのはセバスチャンとセリオである。セリオはサテライト・システムでわかるが、セバスチャンの操船技能はどこで身に付けたのか。
 ためしにその事を聞いてみたひろのに、セバスチャンはこう答えた。
「うむ、昔海軍でな…」
 セバスチャンがいったい幾つなのか、謎が深まってしまったひろのであった。
 それはさておき、
「あの島に行くのも久しぶりねぇ」
 綾香が言った。セバスチャンを見る目がどことなく厳しいのは、ひろのと二人っきりの時間を邪魔されたからだろう。もちろん、セバスチャンが邪魔するつもりで来た事は言うまでもない。
「前回は去年の正月を迎えた時でしたな。すると1年半ぶりになりますか」
 セバスチャンは正確な答えを言う。そんな島丸ごと使った別荘を1年半に1度という割合でしか使わない来栖川家の大富豪らしい豪快さに、ひろのはあらためて感嘆の思いを抱いた。
 その時、カンカンと言う音が響いて、フライパンとおたまを持ったあかり、それに真帆がデッキに出てきた。
「ひろのちゃん、綾香さん、朝ご飯できたよ〜」
 あかりがそう言うと再びフライパンとおたまをカンカンと打ち鳴らす。
「今朝は昨日釣れたお魚の残りでいろいろ作ってみました」
 と、これは真帆の言葉。なにしろ26時間と言う長い航海なので、食事も全部船内だ。料理の方はあかりと真帆が共同で作っている。腕のほうはほとんど互角だ。
「うん、今行くよ」
 ひろのが真っ先に反応し、綾香、セバスチャンも続く。船内の食堂に入ると、料理の良い匂いが鼻をくすぐった。
「あら、朝から良い匂いね〜」
 起きてきたところらしい志保が鼻をひくつかせながら食堂へ入ってくる。智子も一緒だ。
「「「おはようございま〜す」」」
 きれいに挨拶をユニゾンさせて一年生三人組もやってきた。特に、大好きなイルカのいる島、と言う事で、出航以来笑顔の絶えることがない琴音はいよいよ後少しで念願のイルカに会える嬉しさから、いつにも増してテンションが高い。一瞬、くまに出会ったあかりの事を思いだして、彼女も暴走するのでは…とひろのは少し心配になった。
「わぁ、おいしそうですね」
 葵がメインのフィッシュフライサンドに視線を止めて目を輝かせる。彼女は小柄な身体で激しい運動をこなすだけに燃費も悪い。食べる量は11人の中でも随一だ。
「…」
 芹香も何も言わないながらも楽しそうにしている。操船を担当しているセリオ以外のメンバーが全員揃った。ただし、マルチは食事をしないので、主に給仕を担当する。
「それでは…いただきます」
『いただきま〜す!!』
 最年長者と言う事で、食前の挨拶の音頭を取ることになったセバスチャンに続き、9人の少女たちが唱和する。大きな一切れを取ってかぶりつく葵。見た目は上品に食べているが、良く見ると食べる速度と量が尋常でない綾香。芹香と琴音はちゃんと食べているのかどうかわからないくらい一回に口に運ぶ量が少ない。食事の仕方にもそれぞれの個性がある。
「ん…美味しい。やっぱりあかりと真帆さんの料理は美味しいね」
 ひろのがフィッシュフライサンドをつまみながら言った。
「ほんまやね。二人ともプロになってもやっていけるんちゃうの?」
 智子も感心したように言う。その時、セバスチャンが嘆かわしい、と言わんばかりにため息をついて言った。
「むぅ…11人も女の子がおって、料理をちゃんと作れるのが2人しかいないとは…時代は変わったものじゃ」
 確かに、古い価値観ではセバスチャンの言う通りだろう。ちなみに、セリオも料理は作れるが、サテライト・システムを利用しての事なので数には入れない。
「ひろの、お前も料理の一つは作れるようにならなくてはいかんぞ」
 セバスチャンの言葉に、ひろのは少し困ったような顔をした。浩之時代は自炊と言ってもご飯を炊くぐらいで、おかずは出来合いのものを買って来て食べていたので、彼女は料理が作れないからだ。
「う〜ん…そのうちね」
 ひろのが適当にごまかすと、あかりがにっこりと笑った。
「あ、それじゃあ今度わたしがお料理を教えてあげるね」
「え?あかりが?」
 ひろのが言うと、あかりは肯いた。
「ひろのちゃんだったら器用だし、きっと上手になれるよ」
 そう言われれば、それなりにやる気が出てきたりするのが人情と言うものである。ひろのもちょっとその気になって、あかりに料理を習う事にした。

「じゃあ、今日のお昼ご飯の下ごしらえだけ今のうちにしておくから、手伝ってね」
 朝食後、クルーザーのキッチンで臨時に開かれた「神岸あかり料理教室」。講師役のあかりはお昼に浜辺で行う予定のシーフードバーベキューの材料を前にそう告げた。
「「はーい」」
 生徒二名の声が唱和する。生徒役はひろのとマルチの二人。と言うのも、朝食時にみんなが嬉しそうに食事をするのを見ていたマルチが
「わたしもそんな風に食べてもらえるお料理を作りたいですぅ」
 と言って、あかりに料理を習いたいと申し出たのである。
「良いんじゃないかな?マルチちゃんがお掃除以外に興味を持つのは初めてだし」
 と、賛成したのは真帆である。マルチとは来栖川家(&長瀬邸)のメイドとして同僚関係にある真帆は、マルチが掃除が大好きなのでついついそっちばかりやらせてしまう事をちょっと気にしていたのだ。 
「じゃあ、一緒に習おうか」
 ひろのが言うと、マルチは嬉しそうに「はいですぅ」と答えた。ひろのとしても、マルチが「社会のゴミさん掃除」ばかり上手くなるよりは、料理が上手くなってくれたほうが嬉しいのである。
「じゃあ、まずは野菜から」
 あかりが手本としてざくざくざくざく…と手早くピーマンを4つ切りにする。
「おお〜」
 感心して見守るひろのたち。あかりは二人に包丁を渡した。
「じゃ、やってみて」
「う、うん」  ひろのは包丁を構え、あかりのやっていたのを思いだしながらピーマンを手に取った。そして、思いきって切っていく。
 ざくざくざくざく…
「あ、上手じゃない、ひろのちゃん。やっぱり器用だね」
「そ、そうかな?」
 ひろのは照れた。実際、彼女はあかりほど見事ではないにしても、かなり上手に包丁を使っていた。それに対し、マルチの方は予想通り苦戦している。
「はぅ〜…うまくできませぇん」
 ざく…ざく…ごんっ!!
 見ていたひろのとあかりの顔が引きつった。マルチはまな板ごと野菜を切っていた。ごんっ!!と言うのはその時の音である。
「ま、マルチちゃん…もう少し肩の力を抜いて…ね?」
 あかりが慌ててマルチの肩に手を添える。
「はうぅ…すいませぇん」
 マルチの泣き声。しかし、あかりに手を添えてもらっても、根本的にマルチの方がパワーがあるのだからあまり意味が無い。ざくっ…という野菜を切る音に混じって…と言うよりは、「ごん」だの「ばす」だのという包丁を使っているときにはありえないような謎の音に混じって時々野菜をちゃんと切っていると言う感じである。
「あうぅ…この包丁は使いづらいですぅ…使いなれたものを使って良いですか?」
 そのマルチの言葉に、にんじんを切っていたひろのは不吉なものを感じて振り向いた。そして、その予感の正しさを知る。
「わぁぁぁっ!?マルチ、それダメ!すぐにひっこめ…」
「ビームサーベル!」
 マルチがビームサーベルをピーマンに振り下ろす。その光の刃はピーマンをやすやすと切断…と言うか蒸発させ、流し台をも切り裂いて、そこにあったパイプを両断した。そして…閃光が走った。

 ちゅどーん!!
 轟音と共にクルーザーが激震した。
「きゃあ!?な、何!?何なの!?」
 爆音の方向へ走ってきた志保は、その場所…キッチンが黒煙に包まれているのを見て絶句した。
「…ひ、ひろの!あかり!マルチちゃん!無事なの!?」
 熱に後退しながらも叫ぶ志保。すると、煙の中から全身にすすをつけたあかりが目をまわしているひろのを連れて出てきた。後からマルチも続いている。
「あかり!大丈夫!?」
 志保の呼びかけに、あかりはうなずく。
「大丈夫…ひろのちゃんもびっくりして気絶してるだけ…」
 そこへ、セバスチャンも賭けつけて来た。
「ぬ、ぬぅぅ!?これはなんとした事じゃ!!」
 叫ぶセバスチャンに、マルチが「あううぅぅぅ、すいませぇぇぇぇん!!」と泣いて謝った。
「そ、その…マルチちゃんがプロパンガスのパイプを切って爆発させちゃって…」
 あかりが事情を説明するが、セバスチャンはそんなものは聞いてはおらず、気を失っているひろのを揺さぶった。
「ひろのおおぉぉぉぉぉ!!しっかりしろおぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!」
 その絶叫に、焦点の合っていなかったひろのの目に光が戻ってきた。
「うう〜ん…」
 ひろのが苦しげに身をよじって声をあげる。そして、ようやく意識がはっきりしたのか、セバスチャンの顔を見上げた。
「あれ?おじいちゃん…そうだ、ガスが…」
 ひろのはキッチンを見る。そこからはすでに炎がちろちろと這い出しており、吹きつけてくる熱も増している。船室を飛びだしてやってきた他のメンバーたちも驚いた目で燃えるキッチンを見ていた。
「これはいかん。火を消さねば。消火器、消火器じゃ!!」
 ひろのの無事を確認してほっとしたセバスチャンも、今度は火災の危機に対処すべく立ちあがる。しかし、一同がキッチンの傍を離れて消火器を探しに出た直後、ガスボンベにまで引火したのか、再び激しい爆発が発生してキッチンが吹き飛んだ。同時に火勢が一段と激しくなる。もはや消火器でどうこうできるレベルではない。悪い事に、爆発で救命ゴムボートが吹き飛んでしまった。
「まずい事になったな…」
 さすがのセバスチャンも、今やキッチン周りが激しく燃え始めている事に動揺する。船の火事はおおよそ海で遭遇する危険の中では一番のものだ。
「ひ、ひろのちゃぁん…怖いよぉ」
「しっかりして、あかり」
「あわわ…神様…」
「みんな、落ち着くんや!」
女の子たちは完全にパニックに陥ってしまい、ひろの、智子、綾香はさすがにしっかりしているものの、火事に対処できないと言う点では変わり無い。その時、操舵室からセリオが顔をのぞかせた。
「セバスチャン様!島が見えます!!」
「何!?それは僥倖!!」
 セバスチャンは舷側から身体を乗りだし、遠くに島がある事を確認する。確かに、「来栖川のお島」だ。 「セリオよ、できるだけ船を島に近づけるのじゃ!!」
「かしこまりました」
 セリオの的確な操舵により、船は着実に島に近づいていく。しかし、その間にも、火はますます強くなっていた。このままでは島に近づく前に船が全焼しかねない。
「かくなる上は…ふんっ!!」
 セバスチャンは上部キャビンの柱を叩き折り始めた。綾香がそれを見て叫ぶ。
「セバスチャン!なにをしてるの!?」
「船を軽くするのです!!お嬢様も手伝ってくだされ!!」
 セバスチャンは答えながらさらにキャビンを破壊しては海に放りこんでいく。事情を理解した綾香も破壊活動に加わると、さすがに破壊王と破壊女王のコンビ。数分で、操舵室以外の上部キャビンはすっかり破壊し尽くされて海に投げ込まれていた。軽くなった船の速度が上がり、島がさっきよりも近づいてくる。
 間もなく、船は島を囲む珊瑚礁の見えるところまで来たが、そこでがくんと速度が落ち始めた。
「エンジンが限界のようです」
 セリオが報告した。エンジンルームまで火が回り始めたらしい。セバスチャンは肯いた。ここまで来れば泳いででも島には行ける。
「脱出しますぞ!!皆、海に飛びこむのじゃ!!」
 セバスチャンに促され、ひろのたちは海に飛びこみ、島目指して泳ぎ始めた。泳ぎの苦手なあかりや芹香も、他の娘たちに助けてもらって無事に島につくことができた。

…こうして、ようやく島に泳ぎついた12人は、ここまでがんばってくれた船が断末魔の刻を迎えるのを見守っていた、と言うわけである。やがて、ゆっくりと傾いたクルーザーは転覆し、赤い船腹を覗かせたかと思うと、そのまま波間に消えて行った。あとには微かに煙が立ち上るのみ。
 セバスチャンは黙って敬礼をし、少女たちも何やら厳粛な雰囲気に包まれて黙祷をささげた。そのまま沈黙する事1分間。
「ところで…他に船はあるんですか?」
 智子がみんなが気にしているであろう疑問を述べた。セバスチャンは首を横に振った。
「あいにく…この島には船は無い。じゃが、1週間後に食料を補充するための船が来るはずじゃ」
「そうよ。それに、別に絶海の孤島って言うわけじゃなく、ちゃんと電話とかもあるんだから」
 綾香も言い、これでみんなの不安は取り除かれた。気を取りなおした一同は、島の中心部にある別荘に向かった。

「…うわぁ…すごおい」
 志保がその「別荘」を見上げて感心した。城のような来栖川本邸ほどの大きさはないが、近代的なデザインの立派な建物だ。別荘と言うよりは小さな美術館などを思わせる外観である。
「新しいのは見た目だけじゃないわよ」
 綾香が何やら自慢げに言う。その間に、セバスチャンは扉の横に付いているテンキーのカバーを開け、パスコードを打ち込んでいた。
「さ、開きましたぞ」
 セバスチャンに促され、一同は中へ入った。外見からは想像できていたが、中はちゃんと近代的なホテルを思わせる内装になっている。大胆にガラスを使った自然光を取りいれるインテリアは、南国らしい明るさを建物全体にもたらしている。
「…」
「え?皆さん部屋割りは分かっていますか?ですか?大丈夫ですよ、芹香先輩」
 ひろのが芹香の質問に答えた。別荘は2階建てで、一つの階に10前後の部屋がある。女の子たちは2階の部屋に一部屋二人で泊まり、セバスチャンは1階の入り口に近い部屋に寝る。島にはこの12人以外の住人はいないのだが、万一の用心のためだ。
 なお、部屋割りだがひろの・あかり、志保・智子、芹香・綾香、マルチ・セリオ、葵・琴音の組み合わせ。真帆は一人で一部屋だが、場所は1階だ。ひろのから見れば真帆は友人と言うか、お姉さん的な存在なのだが、公的には彼女は来栖川家の使用人であり、その辺の公私の区別ははっきりさせている。
「ところで、こんな広い別荘…普段はどうやって管理してるんでしょうか?誰もいないみたいですけど…」  琴音が辺りを見まわす。確かに、人間が常駐していない割には掃除が行き届いていて、管理している者の存在を窺わせる。
「あぁ…それは…」
 綾香が答えようとすると、ホールに声が響き渡った。穏やかそうな女性の声だ。
「いらっしゃいませ、芹香お嬢様、綾香お嬢様」
 綾香と芹香、セバスチャンは別段驚きも見せていなかったが、他の少女たちは驚いて声の主を探す。が、人影は見えない。綾香はにこやかに笑い、天井を見上げて手をあげると挨拶した。
「こんにちわ、エータ。またお世話になるわよ」
 すると、また天井から声が聞こえた。
「荷物は先日届いてお部屋のほうへ運んであります。ごゆっくりどうぞ」
「うん、ありがとう」
 綾香が答え、みんなの方を振りかえった。
「実はね、この別荘自体が一つの大きなロボットなのよ。ま、言うなれば別荘が自分自身の管理もしてるって訳」
 綾香はさっき言いかけた言葉の続きを言った。やはりめったに人の来ない島なので、人間を常駐させておくのは大変らしい。そこで、ロボット化別荘を建てたと言う訳だ。将来的にはバリアフリー住宅や病院などの省力化に繋がる技術なのである。
「へぇ〜…来栖川の技術って本当に凄いんだね…」
 ひろのは感心して天井を見上げる。すると、別荘が答えた。
「恐縮です」
 自分にも返事をしてきた事でひろのが驚いていると、綾香が言った。
「この別荘のAIの名前は<エータ>よ。仲良くしてあげてね」
 少女たちは肯き、口々に挨拶をする。エータもそれに答え、続けて綾香は今後の予定について話した。
「さて…みんな、水着に着替えて30分後に集合。いいかしら?」
 全員特に異存も無く、着替えのためにそれぞれの部屋へ向かう事になった。

 ひろのとあかりの部屋は2階の角の部屋で、南と東に向かって大きく窓が開いており、その窓を開けるとさわやかな風が室内を吹きぬけた。一応クーラーはついているのだが、これならそれを使う必要もなさそうだ。そして何よりも素晴らしいのが…
「見て見て、ひろのちゃん。すごい眺めだよ」
 あかりの声に、ひろのは窓の方へ向かった。そして、そこからの眺望に思わず感嘆のため息を漏らした。
 南には、白い砂浜の広がる入り江があり、小さな川が流れ込み、砂浜を二つに分けていた。沖の珊瑚礁で波が遮られる静かな海面は、目の覚めるようなコバルトブルー。東には山があり、こちらも本土では見られないような濃い緑が広がっている。この島は小笠原の中でもかなり南に寄っているせいか、風景も非常に熱帯に近いものがあった。
「すごいね。本当に日本じゃないみたい」
 海の美しさに、泳ぐのが楽しみになったひろのは、さっそく部屋の片隅に積んであった段ボール箱を開けた。服等のかさばる荷物は事前に送ってあったのが幸いだった。船に積んでいたら、持ちだす余裕も無く一緒に沈んでしまったに違いない。水着に着替えて上からパーカーを羽織ると、ひろのたちは集合場所の1階ホールへ向かった。

「おまたせ〜」
 ホールには既にひろのとあかりを除く全員が集合していた。ひろのの水着姿をはじめてみる一年生三人組と真帆が歓声をあげる。
「わぁ、素敵です!長瀬先輩!!」
 琴音が目を輝かせた。彼女の水着は腰の回りに短いスカートのように飾り布のついた、白の水玉を散らした水色のワンピース。琴音らしい可愛らしいデザインのものだ。
「やっぱりひろの先輩はスタイルが良くてうらやましいです…」
 と、こちらは少し濃い目のピンクのワンピースを着ている葵。
「ありがとう、琴音ちゃん、葵ちゃん」
 ひろのが少しはにかみながら言うと、真帆も感心したようにひろのの水着姿を論評した。
「ほんと、うらやましいわね。私もあやかりたいわ」
 赤いビキニを装備する真帆のサイズは身長161センチ、83/55/84となかなかのスタイルの持ち主である。しかし、ここには東鳩高校2年生でベスト5に入る成長記録のスピード違反者3名(ひろの、智子、志保)に加えて、これまたスタイルの良さでは人後に落ちない来栖川姉妹もいるため、真帆と言えども霞んでしまうのが実情だった。
 その真帆は何故か水着の上からエプロンを着ていた。その事をひろのが質問すると、真帆は苦笑しながら答えた。
「あぁ、これ?皆さんが遊んでいる間にお昼ご飯の用意をしちゃおうと思って」
 良く見ると調理道具を詰めたバスケットなど、かなりの量の荷物を持っている。
「私たちも手伝うんですよ〜」
 バーベキュー用の炭火コンロを持って張りきるのは、スクール水着を着たマルチと先日買った紫のワンピースを着るセリオ。さすがにマルチと言えども炭火を爆発させる事はできないだろうから、点火方法にさえ気をつけていれば大丈夫なはずだ。
「それにしてもマルチ…他に水着は無かったの?」
 ひろのが聞くと、マルチはちょっと照れたように笑った。
「わたし、水着はこれともう一つしか持ってないんですよー」
「そのもう一つは?」
 葵が尋ねると、マルチは謎な事を言った。
「重いので持ってこれなかったんですよ〜。なにしろ魚雷八本とヒートロッド装備、最大潜航深度1000メートル、最大速度70ノットののお父さん特製ですから」
『それはぜっったいに水着じゃないっ。水中用パワードスーツ!』
「は、はわわ…」
 全員がマルチにツッコんだところで、セバスチャンがやってきた。
「準備はできましたかな。それでは参りましょうか…むぅ!?」
 やっぱりタキシードで完全武装したセバスチャンが目を見張り、硬直した。
「…どうしたの?」
 ひろのの言葉に、セバスチャン再起動。しかし、顔は真っ赤になっている。
「い、いや…なんでもない」
 答えながらも女の子たちから目を背けるセバスチャン。はっきり言って、美少女11名、とりわけ、ひろのと来栖川姉妹の普段もっとも身近で見守り慈しんでいる少女たちの水着姿の競演は、彼には刺激が強すぎた。照れ隠しに、セバスチャンは食材の入った巨大なクーラーボックス…というか冷蔵庫を担ぎあげた。そのセバスチャンが先導し、少女たちは下の浜辺へ続く道を下っていった。
 砂浜に付いて見て、少女たちは歓声をあげた。既に何度もここへ来た事のある芹香と綾香は慣れているが、他の9人にとって、これほど見事な砂浜を自分たちだけが占有しているというのは初めての経験である。
真っ白な砂が太陽の光を反射してまぶしく輝き、沖の珊瑚礁に守られた入り江の中は、プール並みに静かで、目をこらすと色鮮やかな魚たちが泳いでるのが見える。
「わぁ、凄いです!!」
 イルカを筆頭に海棲生物全般をこよなく愛する琴音が目を輝かせながら海に入っていった。超能力を併用しているのか、魚に負けない速度と動きで泳いでいる。その様は本当に人魚のようだ。 「まずはじっくりと焼こうかしらね」
 と言うのは志保。ビーチパラソルとビーチマットを用意し、サングラスをかけて砂浜に寝そべっている。 「綾香さん、あの岩まで競争しませんか?」
「あら、葵ったら勝負する気?ふふ…負けないわよ」
 綾香と葵のグラップラー娘たちは沖合2キロほどのところに見える小さな岩を目指して競争をしていた。モーターボートのような豪快な水しぶきをあげ、人間が水中で出してはいけない速さで爆走していく様はかなり怖い。
「さて…どうしようかな」
 ひろのは何をして過ごすか、と考えて辺りを見まわした。すると、あかり、智子、芹香の3人が近づいてきた。
「長瀬さん、確か泳げたはずやね」
 智子が問いかけてくる。ひろのは肯いた。一般人レベルでは十分な運動神経を持つひろのは泳ぐ方もそれなりにこなせる。
「それやったら、神岸さんと来栖川先輩に泳ぎ方を教えるのを手伝ってんか」
 智子が言った。すると、あかりと芹香がすがるような目つきでひろのに迫ってきた。二人とも全く…と言って良いほど泳げないのだ。船から脱出するときはあかりはセリオ、芹香は綾香に助けてもらって島にたどり着いていた。ちなみに、智子は泳げる方だ。
「ひろのちゃん、お願い」
「…(よろしくお願いします、ひろのさん)」
「うん、良いよ」
 二人の懇願をひろのは快く受ける事にした。やる事が決まっていなかったのだから何の問題もない。足が付く程度の深さのところに4人は入っていき、まずは泳げない二人の腕を取って身体を浮かせる練習からはじめた。
「あかり…もっと身体の力を抜いて。沈んじゃうよ」
 ひろのは手だけを海面に出して、あとは沈んでいるあかりを引っ張りあげて言った。そこへ行くと、教え方が上手いのか教わり方が上手いのかはわからないが、智子と練習している芹香はややぎこちないながらも一応浮いている。
「だって…怖いんだもん」
 ちょっと涙目のあかりが言う。
「それに…みんなほど浮力がないし」
 あかりは波でかすかに上下動しているひろのの胸を見て言った。智子も芹香も85オーバー級だし、結局はそこに話が行きつくらしい。
「…そういう問題じゃないって」
 ひろのはツッコんだ。
「力を抜けって言ってもね、だらーんと全く無力にするんじゃな
くて、楽なように、自分がやり良いようにしろってこと」
 ひろのがそうアドバイスすると、あかりは少し考え込んだ。
「う〜ん…とりあえずやってみるね」
 あかりは身体を浮かし、イメージのままに手足を動かしてみる。すると、今までとはうって変わってスムーズに泳げるようになりだした。
「わ、わっ。泳げるよ、ひろのちゃん!わたし泳いでるよ!!」
 喜ぶあかり。しかし、ひろのは複雑な気持ちだった。
(あかり…それは犬かきだよ。やっぱりあかりって…犬チック…)
 その時、真帆が昼食ができたと言う知らせをメガホンで叫んだ。遠くまで泳いでいっていた琴音や葵、綾香も帰ってきて、浜辺でのシーフードバーベキュー大会が始まった。
 午後もたっぷりと南国の海を堪能し、別荘に帰った後はあかり&真帆コンビの夕食に舌鼓を打った。そのまま広間でゆったりとした時間を過ごす事しばし。
「皆様、お風呂の準備が整いました」
 エータの声が告げた。
「お風呂かぁ…私は入るけど、みんな、どうする?」
 ひろのが尋ねた。海水浴をしていたときの塩気は、浜に流れ込んでいた清流で洗い流してあるが、日が暮れて涼しくなってきた事もあり、寝る前にゆったりと温まりたいところだ。
「わたしも一緒に入るよ」
 当然あかりがひろのと一緒の入浴に名乗りをあげる。
「あたしは後で良いや」
「私もや」
 最初に返事をしたのは志保と智子。二人は大広間の40インチテレビにゲームを繋ぎ、「バーチャルグラップラーズ」の対戦プレイに熱中していた。対戦成績はほぼ互角。一見堅物イメージの智子だが、実は大のゲーム好き。ひろのと渡りあえる志保相手に良い勝負をしているのだから、相当な実力者と言えよう。決着が付くまでは風呂は二の次と言う事らしい。
「あ、じゃあ私入りまーす」
「私も」
 入浴組に名乗りをあげたのは琴音と葵の二人。昼間はしゃぎすぎたせいか、少し疲れているようで二人とも眠そうにしている。
「…」
 芹香は読書中で、今良いところなので読み終わってからにする、と答えた。
「私は後で良いですよ」
 真帆は立場上、芹香より先に入るのは遠慮した。
「私達は必要ありませんから…」
 と、これはメイドロボ組のセリオとマルチ。  
「綾香は?」
 まだ態度を表明していない綾香にひろのが尋ねると、綾香は少し考えてから答えた。
「う〜ん…ちょっと寝る前のトレーニングをするから、その後で良いかな」
 トレーニングと聞いて、葵が入浴を先延ばしにして同行を申し出たが、綾香はトレーニング室の狭さを理由にそれを断った。
「いいから、ゆっくりあったまってらっしゃい」
 そう笑顔で言う綾香に送られ、入浴組の4人は浴場へ向かった。

 別荘の浴場はなかなかの広さだった。仮に女の子11人全員が一度に入っても十分な広さである。おかげで、4人はゆったりとお風呂を楽しむ事が…
「やっぱりひろの先輩のスタイルは素敵です…」
「一歳違いなのに凄い違いですよね…私も長瀬先輩みたいになりたいな…」
 訂正。ひろのは余りくつろげていなかった。葵も琴音も、まだ1年生と言う事を考慮しても決してグラマーとはいえない。それだけに、ひろのを見つめる視線には熱いものが篭っており、ひろのとしては少し気恥ずかしいものがあった。
「あ、葵ちゃん、琴音ちゃん…あまり見つめないでよ…」
 決して温まったせいだけではない理由で顔を赤くし、湯舟に鼻すれすれまで身体を沈めていくひろの。そんな彼女の反応を、あかりは「やっぱりひろのちゃん萌え萌えだよ…」と言いながら見ていた。さすがに前回、水着を買いに行った時の一件の事があったせいか、後輩たちの前であるからかは不明だが、暴走することはなかったが。
 しかし、人知れず暴走しようとしていた一人の少女により、穏やかな夜は一変して破局の一夜へと突入していくのである。

 その場所は、別荘の地下にあった。トレーニング室…ではない。この別荘、<エータ>の中央管制室である。人工知能による完全自動管制をうたっているこのシステムだが、だからと言って人の手による操作を完全になくす事はできない。こうした部屋を設ける事は必須だった。その部屋の中で、何者かが作業をしている。
「ふふふ…さてと、エータ、女湯の映像を三番に回して」
「はい、綾香様」
 そこにいたのは綾香だった。手にはデジタルビデオデッキを持っており、それを管制室のモニターのジャックに繋いでいた。やがて、エータが映像をモニターに映し出す。
「…おおっ♪」
 綾香は小さく歓声をあげた。そこには、入浴中のひろのたちのあられもない姿が映し出されている。さっそく綾香はデッキの録画ボタンを押した。セットされたDVDにとてつもなく貴重な映像が録画されていく。
『長瀬先輩、背中流しますねっ』
『ん?いいの?琴音ちゃん。じゃあお願いしようかな』
『うわぁ〜…やっぱり長瀬先輩のお肌きれいです…真っ白で…染み一つなくて』
『そんな事ないよ。琴音ちゃんのほうがすべすべしてきれいな肌だと思うよ』
 そんな会話もマイクに拾われ、収録されていた。仮に東鳩高校の男子がこのDVDの存在を知ったら、おそらく全財産を投げ出してでも購入したいと思うだろう。これはそれほどの宝であった。
「ふふふ…これから7日間この映像を拾いまくれば…一生もののお宝ゲットねっ♪」
 無論、綾香にはこの映像を流出させる気などはさらさら無い。自分の秘蔵のコレクションとして楽しむつもりであった。しかし、映像に無中になる余り、綾香ともあろう者が身近に迫り来るものに気づかなかったのは、後に彼女をして一生に一度あるかないかの大不覚となった。
「…」
「え?良いものを見ていますね、って?そりゃそうよ。こんな良いものが他にあるはず無いじゃない」
「…」
「え?楽しそうね、綾香ちゃん?うん、とっても…たの…し…」
 そこでようやく綾香は気が付き、からくり人形のようなぎこちない動きで振り向いた。
「ね、姉さん…!」  そこには芹香が立っていた。綾香は芹香が静かな中にも…いや、彼女としては最大級の怒りの表情を浮かべている事を悟り、全身総毛立つのを感じた。
「…」
「え?そのディスクをよこしなさい?…そ、それはできないわ。いくら姉さんの頼みでもね」
 綾香は言葉を紡ぐうちに落ち着きを取り戻した。最初こそ芹香の怒りにひるんだ綾香だが、冷静になれば、今の状態は彼女の得意とする接近戦のレンジ。この状況下ならば芹香を速攻で眠らせて、ディスクを持って脱出するのは綾香ならばそれほどの難事ではない。逃げてしまえば後はどうとでもごまかせる。
(悪く思わないでね…姉さん!)
 綾香は呼吸を整え、一挙動で芹香めがけて打撃を繰り出した。当たれば、痛みは無いが一瞬で相手を気絶させる事ができる必倒の技である。しかし。
「!」
 綾香の拳は何も無い空中を殴りつけて静止していた。いや、彼女の拳が止まった空間が歪み、そこから牛の頭と屈強な肉体を持つ謎の怪物が出現する。
「こ、これは…!」
 さすがの綾香もこれにはたじろいで1歩下がった。
「…」
「え?私の守護魔神です…?姉さん、これはどうみても悪魔よ!!」
 綾香は叫んだ。世間的に見れば綾香の主張の方が支持を得られそうだったが、しかしその魔神は主である芹香にはちゃんと忠誠を誓っているらしく、恭しく芹香の前にかしずく。
「…(綾香ちゃんを捕まえてください)」
「ゴアッ!!(御意)」
 そして、魔神は綾香に向き直った。戦う気は満々のようだ。綾香は覚悟を決め、構えを取る。悪魔だか魔神だか知らないが、どうせセバスチャンより強い事はあるまい。ならばそれだけで勝ち目は十分だ。
「いくわよ!」
「ゴアッ!!」
 そして、戦いは始まった。
 彼女は困っていた。彼女の仕えるべき人物が相争い、しかもその戦いは十分に彼女の安全を脅かすものだったからだ。
 彼女には、まず主人と、その他の客の安全を守り、その範囲内で自分の安全を守ると言う本能がある。しかし、主人を守ろうとすれば自分が危険であり、自分に迫る危険を排除すると…主人を排除しなくてはならない。なぜなら、彼女に迫る危機は主人たちそのものだからだ。
 彼女にはこのようなジレンマを解決する能力は無く、その思考は出口の無い迷宮に迷いこんでいた。
 そして、解決方法が無い…と悟ったその瞬間、彼女―全自動別荘型ロボットのエータは…暴走した。…と言うか、人間風に言うならキレた。

 最初に異変を悟ったのは、入浴中のひろのとあかりだった。
「う〜ん、良いお湯…気持ち良いね〜」
 のんびりと言うあかりに、ひろのは微笑みで応じる。
「そうだね。いい湯加減で…」
 言いながら、ひろのは首を傾げた。あかりが不思議そうな表情で尋ねる。
「どうしたの?」
「いや…なんだか、このお風呂熱くなってきたような」
 そう答えた瞬間、二人は明確に危険を察知した。
「熱いーっ!?」
「きゃあ、きゃあ、きゃあ!」
 転げるようにして湯舟から脱出するひろのとあかり。振り返ったその視線の先で、風呂の湯がぐらぐらと沸き立ち始めているのを見て、二人の後頭部を大粒の冷や汗が伝う。
「あ、あかり、大丈夫!?」
「わ、わたしは平気…」
 無事を確認しあう二人の背後で、今度は琴音と葵の悲鳴が響き渡った。
「きゃあああぁぁぁぁぁ!!」
「ふ、二人ともっ!?」
 振り返ったひろのは目を疑った。壁に掛けられたシャワーホースが怪しげな生物のようにくねり、琴音と葵に襲いかかっている。
「いやーんっ!?絡みついてくるーっ!?」
「こ、こっちに来ないで!!」
 恐怖と驚愕の余り、二人とも超能力やエクストリームの技を駆使する事すら忘れているようだ。あっけに取られるひろのの足首に、いつのまにか這い寄ってきたシャワーホースが巻きつく。
「きゃあああぁぁぁぁぁっっ!!」
 ホースに引っ張られ、バランスを崩して転倒するひろの。その瞬間、他の3人の心が一つになった。
「ひろのちゃん(ひろの先輩、長瀬先輩)に何をするのよーっ!!」
 無数の閃光が走ったかに見えた。あかりの包丁、葵の手刀、琴音の見えない刃が瞬時にシャワーホースをずたずたに分断し、ひろのをその魔の手から救った。床に倒れたひろのをあかりが抱き起こし、ゆさゆさと揺さぶる。
「ひろのちゃん、ひろのちゃん!大丈夫っ!?」
「う、うん…ちょっとびっくりしただけ」
 ひろのは辺りを見まわす。無数の輪切りにされたホースはもはや完全に動きを止めていたが、煮えたぎる風呂と言い、何らかの異変がこの別荘に生じた事は明らかだ。
「とにかく、いったんここを出よう…」
 ひろのの言葉に残りの3人もうなずき、一同は風呂場の出口へ向かった。と、その時。
「ひろのおおおぉぉぉぉ!!無事かああぁぁぁぁっっ!!」
 風呂場の扉をがらっと開け、飛びこんできた人物。それはセバスチャンだった。悲鳴を聞きつけてすっ飛んできたものらしい。
「お、おじいちゃんっ!?」
「おお!無事かっ!!…ぬううぅぅぅっっ!?」
 驚くひろのの姿を確認し、一瞬喜んだセバスチャンの目が大きく見開かれ、ひろのの姿に釘付けとなる。その反応をいぶかしんだひろのだったが、すぐに自分の今の格好を思いだして瞬時に真っ赤になった。
 そう、ここは風呂場。彼女はさっきまで入浴中であり、つまり全裸だった。
「お、おじいちゃんのえっちーっ!」
 ごぎゃあっ!!
「のぐおはぁっ!?」
 あかり、琴音、葵が信じられない表情で見守る中、セバスチャンの巨体が宙を飛ぶ。ひろのが思わず繰り出した正拳が一撃であの無敵の漢を吹き飛ばしたのである。ノーガードだったとは言え、これまでセバスチャンにそれほどの打撃を与えた人物はひろのが初めてだった。
「…はっ!?あ、あぁっ!!つ、つい…」
 我にかえったひろのは、自分の行為を反省した。セバスチャンとて別に覗きに来た訳ではないのだ。
「うむう…良いパンチじゃったぞ、ひろの。ワシは出ているから早く着替えなさい」
 そのセバスチャンだが、ひろのたちの方を見ないようにして起き上がっていた。さすがと言うべきか、吹き飛ばされてもダメージの方は軽微だったらしい。ひろのにはセバスチャンの基礎防御力を抜くほどの攻撃力は無かった。
「う、うん。ごめん、おじいちゃん」
 出ていくセバスチャンに謝り、ひろのは急いで服を着る。あかり、琴音、葵も着替える。しかし、その途中でまたしても悲鳴が聞こえてきた。居間の方…と言う事は、志保と智子と真帆だ。セバスチャンと合流した4人は廊下に出た。
「…わあっ!?」
 ひろのは唖然とした。壁のあちこちが開き、フレキシブルパイプ状の腕を持つマジックハンドが大量に出現している。彼らは明らかに敵意を持った動きで5人を包囲しようとしていた。
「なんじゃこれは。別荘のメンテナンス機能が暴走しておる…エータ!エータよ、返事をせぬか!!」
 セバスチャンは天井に向かって呼びかけたが、返事は無い。その間にもマジックハンドはどんどん迫ってくる。
「強行突破しかなさそうですね…」
 琴音の言葉に後の4人も肯く。
「よし、ワシとはぐれないようにな。行くぞ!」
 セバスチャンの合図と共に5人は走り出し…そして、マジックハンドとの戦いが始まった。

 数分後、マジックハンドや暴走する全自動掃除機と言った敵を片っ端から粉砕した一行は居間にたどり着いた。しかし、そこには2つの巨大なマジックハンドが待ち構えていた。それ自体はセバスチャンとあかりが一瞬で撃破したが、ここにいたはずの志保たちの姿は見えず、智子とやっていたゲームがむなしくデモ画面を流しつづけていた。
「志保!いいんちょ!!真帆さん!!!いないの!?」
 ひろのは大声で呼びかけた。すると、窓の向こうから弱々しい返事が帰ってきた。
「ここにおるで〜」
「なんなのよぉ、一体」
「二人ともしっかり…」
 窓から漏れる灯りの中に、全身泥と草まみれの三人が現れた。どうやら、マジックハンドにつかまってそこらの茂みに放りだされたらしい。幸い怪我はなさそうだった。
「別荘のコンピュータが暴走したらしいんだけど…」
 ひろのが分かっている範囲で事情を説明しようとしたその時、別荘全体が立っていられないほど激しく揺れた。
「きゃあああぁぁぁぁぁ!!」
 悲鳴をあげて逃げ惑う少女たち。激震が続けざまに襲い、卓越したバランス感覚を持つセバスチャンと、とっさにテレキネシスで空中に浮かんだ琴音以外の全員が耐えきれずに転んだ。揺れはますます激しくなり…揺れというより、下から巨大なハンマーで殴りつけてくるような衝撃へと変わりつつあった。
「これは何事じゃ…ぬお!?」
 何とか床に倒れているひろのたちを助けようとしたセバスチャンが、足元で突然盛り上がった床に吹き飛ばされて窓の外へと転げ出ていく。そして、盛り上がった床は一瞬の後に突き破られ、巨大な何かがそこから出現した。
「か、怪獣…!?」
 琴音が目に脅えの色を浮かべて指さす。そこに出現したのは芹香の召喚した守護魔神だったが、そんな事情を他の者たちが知るよしも無い。そして、今度は別の部屋から「はわわ〜!!」と言うマルチの悲鳴が聞こえてきた。それをその場にいた全員が認識する間もなく、壁をぶち破って綾香が現れる。地下から天井を抜いて出現した先が、ロボっ娘たちの部屋だったらしい。
「ああああ、綾香様っ!!どうか落ち着いてくださいっ!!」
 腰にすがりついて懇願するセリオを振り払い、一個の格闘家となった綾香は魔神と対峙した。
「やるわね…ここまで私と対等に戦えたのはセバスチャンと神岸さんに次いで3人目よ…」
「ゴアッ、ゴアゴアゴアゴアゴア」
 言葉が分かっているのか、魔神も応じる。多分、「人間にしてはやるな」とか言っているのだろうとひろのは思った。
「…って、落ち着いて分析してる場合じゃなくて…芹香先輩!芹香先輩でしょう!!ああいうのを呼んできたのは!!」
 ひろのが呼びかけると、目の前の床板を開けて芹香が地下から出てきた。彼女は落ち着いた優雅な動作で埃を払い、事情を話した。
「…」
「…え?綾香ちゃんに対抗するために格闘魔神を召喚したら、二人の世界に入りこんじゃって言う事を聞いてくれなくなりました?」
 こくこく。芹香はうなずいた。ひろのは額に手を当ててにわかに生じた微かな頭痛を抑える。
「…先輩…姉妹ゲンカもここまで来ちゃうと…いろんな意味でダメだと思う…」
 ひろのの言葉に、芹香は申し訳なさそうな表情をした。もちろん、芹香としてはひろのを守るための行動を取ったつもりなのだが、大事なのは結果であるということは彼女も承知している。
 しかし、のんびりと話をしている場合ではなかった。背後で綾香と魔神が激闘を開始し、二つの肉体がぶつかり合う。その余波を受けて床はめくれ上がり、壁は砕け、天井は落ちた。そして、何やら不吉な音をたててブザーが鳴り響き、エータの声でアナウンスが流れた。
「最終防衛形態発動。最終防衛形態発動。…承認!!」
 その「最終防衛形態」という言葉に、一同は思いきり不安なものを感じた。
「ひろのちゃん、逃げようっ!!」
 頭に中華鍋をかぶって防御姿勢のあかりが言う。西部劇のようにテーブルをたてて飛んでくる破片から身を守っていたひろのと芹香も肯く。
「それじゃあ、いまからバリアを張ります。…残りの力じゃ十秒くらいしか持ちませんけど…その間に!」
 琴音がそう言って意識を集中させると、激闘の現場とみんなの間に淡く光る膜のようなものが出現した。
「みんな、早くっ!」
 窓の外で呼びかける志保たちの声に応え、ひろの、あかり、芹香、マルチ、セリオが外へ飛びだし、最後に力を失った琴音を抱き抱えて葵が脱出する。その勢いで丘を駆け下る少女たちの背後で、これまでで最大級の轟音が夜空を圧して響き渡った。
「あ、あれは…!!」
 振り向いた真帆が脅えた表情で言い、他の少女たちもあっけに取られた表情でそれを見た。
 そこには、別荘は無かった。
 いや、別荘を構成していた物ならあるにはあったのだが、既に別荘ではない物に変わっていたのである。
 建物の両脇が左右に開いていき、残った中央部分が持ちあがる。屋根の部分が左右にスライドして「肩」になり、そこから「腕」が飛びだした。最初に開いた左右部分は中央部分の下に移動して「脚」になり、最後に屋根のあった部分から「頭」がせり出してきた。途中で異変を察して綾香と魔神が飛びだして来たが、変形プロセスは止まらない。
 ちゅどーん!!
 やがて、元別荘は決めポーズを取り、場を盛り上げるためだろう。背後で爆発が起きた。その光に照らされて雄々しく大地に立つ元別荘を見てマルチが感動の余り叫んだ。
「か、か、かっこ良いですぅ!!」
 そう、別荘は変形して巨大ロボットになっていたのである。
「…マルチのお父さんの仕業だな…」
 ひろのは呟いた。ロボット別荘と聞いた時点でこの可能性を疑うべきだった。が、もはや後の祭りである。
 そして、別荘ロボットは綾香と魔神に襲いかかった。最初は呆然としていた綾香たちもすぐに迎え撃ち、激しい三つ巴の戦いが始まった。
「…(何てこと…)」
 芹香の呆然とした一言が、空しく夜空に溶け込んでいった。

 そして、夜が明けた。
「これで、掘り出せた荷物は全部かな?」
 瓦礫の中でひろのは確認した。
「うん。マルチちゃんとセリオちゃんにセンサーで探してもらった分は」
 あかりが肯いた。足元には、どうにか掘り出せた自分たちの荷物が積み上げられていた。衣服などは洗濯しなければ着られないが、まずまず無事な方だった。ポータブルMDやゲーム機の類は全滅だったが…
「さてと…いよいよ本当に漂流サバイバル生活っぽくなってきちゃったなぁ」
 ひろのは呟いた。昨晩の綾香×魔神×変形別荘ロボの無制限バトルロイヤルは結局セバスチャンの介入により終結を見た。しかし、その過程で別荘は完膚なきまでに全壊。島の住人12人は見事に寝るところを失ったのだった。船が来る6日後まで、彼らは野外での生活を余儀なくされる事になる。
 なお、張本人の綾香と芹香は先ほどまでセバスチャンのお説教を延々聞かされた挙句、現在は疲れて睡眠中である。
「でも、セバスチャンさんがいて良かったよね。あたしたちだけだと知識が無いから」
 発掘物をより分ける作業をしていた志保が言った。ひろのは「そうだね」と肯きながらも、結局おじいちゃんを連れてきた最大の目的…「綾香の牽制」は上手く行かなかったなぁ、と溜息をついた。そこへ、セバスチャンが帰ってくる。
「ふう…とりあえず、水場の近くに小屋を作ってきた。少々狭いかも知れんが、勘弁してくれ」
 セバスチャンが言った。別荘が壊滅したため、代わりにとりあえず雨風がしのげるだけの場所を作りに行っていたのだ。
「お疲れ様、おじいちゃん」
 ひろのは微笑んでセバスチャンにタオルを差し出した。確かに綾香の暴走は止められなかったが、結果として彼のお陰で残る6日間を屋根のあるところで無事に過ごせそうだ。
(…何のアクシデントも無ければね)
 今までこのメンバーでトラブルが無かった試しなどないのに、淡い期待を抱きつつひろのたちの島でのサバイバル生活は幕を開ける。
(つづく)

次回予告
 小さな小屋での島の漂流生活スタート。文明を失いながらも、意外にのんびりとした時の流れに適応していく少女たち。しかし、のんびりしているからといってトラブルの種が尽きるわけではない。果たして彼女たちを襲う次なる試練とは?島からの脱出はなるのか?
次回、第二十二話 思い出の夏休み編B「嵐の中で輝いて」
 …ってタイトル見たらもろ分かりやん…


あとがき代わりの座談会 その21

作者(以下作)「漂流記とか言いながら、本格的漂流生活は次回以降に持ち越しです。今回はまだ文明が残ってます(笑)」
長瀬技師(以下長)「あああ、私の自信作が…(涙)」
作「で、主要登場人物たちが軒並み連絡取れなくなりましたので、今回のゲストは三国一のマッドエンジニア、長瀬源五郎氏に来て頂きました」
長「あの別荘作るのに苦労したのに…」
作「人の話を聞けよ、おっさん」
長「何を言ってるんです。技術者にとって作品は子供と同じですよ。その子供の一人があんな無残な姿になったというのに…」
作「そんな物騒な子供を作らないでください。相変わら漢の浪漫漫を追い求めているんですな」
長「それが技術者の性というもの」
作「…違うと思うけど」
長「ふぅ…同じ漢だというのにこの浪漫が理解できないとは…嘆かわしい事です」
作「メイドロボや別荘を最終兵器にしといて浪漫で片付けないでください。まぁ、同じ言い訳で覗きやストーキング行為に走られるよりかはマシかもしれませんが」
長「それこそ一緒にして欲しくは無いですなぁ」
作「で、今回の別荘ロボですが、何を考えてあんなものを」
長「面白いからですよ」
作「…」
長「もちろん、市販モデルにも密かに組みこんであります。人型変形住宅は災害時に必ずや役立つ事でしょう!!」
作「やめれ」


収録場所:来栖川工業中央研究所ロビー


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