クレーター湖の岸辺に、古代の自宅はあった。雪と結婚した直後、北関東メトロポリス建設計画が持ち上がった頃に購入したものだ。それからの数年間は、古代もまだ太陽系内を仕事場にしており、雪との時間も今よりずっと長かった。娘の美雪が生まれたのも、この家だ。
しかし、今見る自宅には明かりは無く、まだ美雪は帰っていないようだった。自宅であるにもかかわらず、なぜか一瞬入るのをためらった古代だったが、首を振って余計な雑念を振り払うと、彼は五年ぶりに家に足を踏み入れた。
「……ただいま」
返事はないと、そう分かっていても古代は帰宅の挨拶をした。そうすれば、雪が何事も無かったように「おかえりなさい、あなた」と言ってくれるような気がした。
もちろん、誰も答えはしない。古代は湖に突き出たテラスに出ると、置いてあったチェアに腰掛けて、もう一度雪の手紙を取り出した。
『あなた、海はいかが? 宇宙はあなたの海ですものね』
それ以上、読むのがためらわれた。その時、背後から声が聞こえた。
「帰ってたんだ」
古代ははっとして振り向いた。そこに、五年ぶりに見る娘、美雪が立っていた。
雪の才女振りが遺伝したのか、飛び級を繰り返し、十五までに高等教育を終えた彼女は、獣医の卵として佐渡の経営する動物病院兼動物園である「佐渡フィールドパーク」を手伝っている。雪からの手紙にも、娘が見所があると佐渡から褒められた事を、我が事のように喜ぶ記述が何度もあった。
「あ、ああ。お帰り、美雪」
古代は手紙をしまいこんで立ち上がり、娘を見た。しかし、今の美雪は、古代の記憶の何処にもない、冷たい表情で彼を見上げていた。気圧される古代に、美雪は言った。
「お父さんのせいよ」
母の事を責められている、と気づくのに少しかかった。そんな事はない、という言葉が一瞬喉元まで出掛かる。しかし、結局は無言のままの古代の横を通り過ぎて、美雪はテラスの手すりに体重を預ける。
「お父さんがずっと家を留守にして……だから、お母さんは淋しかったんだよ。ずっと、ずっと淋しそうだった。わたしの記憶にあるお母さんの笑顔は、いつもどこか曇ってた」
父を糾弾する言葉を、美雪は吐き出し続ける。
「だから、お母さんは少しでもお父さんに近いところに行きたくて……! お父さんのせいよ! どうして、どうして傍にいてくれなかったの!?」
古代の方を向き、叫ぶ美雪の目からは、大粒の涙がこぼれていた。
「……済まない。確かに、俺はお前たちに甘えて、父親として、夫としての義務を放棄していた。本当に……済まなかった」
古代は言った。しかし、その謝罪の言葉は、美雪の怒りを呼び起こした。
「違うわ。そんなんじゃない。お父さんは、宇宙に……〈ヤマト〉に捉われてるんだわ。今でも……もうあのフネは沈んだのよ。十七年も前から、あの海に眠ってるのに!」
美雪が指差す先に、アクエリアスが月光を浴びて輝くのが見えた。アクエリアスは氷でできているため、常に太陽から見て地球の影に隠れる軌道に固定されている。夜になれば、常にアクエリアスは空に見ることができる存在だった。
「……そうだな。確かに、俺はあの頃が忘れられないんだろう」
古代はアクエリアスを見上げ、娘の言葉に頷いた。忘れられるはずが無かった。彼にとってわずか数年の軍人としての生活の大半が、〈ヤマト〉と共にあった。生死をかけた戦い、栄光、挫折、友との絆、そして、最愛の人との出会い……古代にとって〈ヤマト〉は青春そのものであり、己の半身だった。
だから、〈ヤマト〉が沈んだ後、古代はそれを埋める方法を代わりの船で……己の意思のままに動かせる船を持ち、それで航海を続ける事でしか埋められなかったとも言えた。雪や美雪の存在も、残された半身を充実させる事はできても、〈ヤマト〉と共に失われた古代の半分を埋める存在ではなかった。
そして今、娘に指摘されて、古代ははっきりと理解した。やはり、自分は欠けた存在なのだと。貨物船で航海し続けても、それが満たされる事はないのだと。
ならば、自分がすべき事は一つではないか、と古代は思った。失われ、帰ってくる事の無いものに捉われる事をやめ、前へ歩き出す事。そして、今この手で守れるものを大事にする事だ。
この時、古代は十七年間、心のどこかで抱き続けてきた青春……〈ヤマト〉への執着を、捨て去っていた。
「美雪」
古代は娘に声を掛けた。美雪がはっと顔を上げる。父の声に、今までに無い何かを感じたのかもしれなかった。
「俺は、雪を……お母さんを諦めてはいない。お前のお母さんは……宇宙で一番強い女の人だ。俺が挫けそうになったとき、怪我をして戦えなくなった時、いつもお母さんが傍にいて、俺を癒し、立ち直らせてくれたんだ。そのお母さんが、死んだりするものか」
古代はそう言うと、美雪に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。
「お母さんは父さんが必ず見つけ出し、助け出す。その前に、俺はお母さんの仕事を引き継がなければならない」
美雪は父の言葉の意味を悟り、目を見開いた。
「お父さん、それって……」
その時、古代の携帯電話が着信音を鳴らした。ポケットから取り出したその画面には、島の名前がある。古代は通話ボタンを押した。
「古代だ」
名乗ると同時に、電話の向こうから騒然とした様子が聞こえてきた。それを背景音に、島が緊迫した声で話し出す。
『緊急事態です。第二次アマール・エクスプレスが謎の敵艦隊による攻撃を受けた、との通信を最後に消息を絶ちました!』
古代は眉をひそめた。
「第二次船団は、前回の襲撃場所から離れた空域で待機していたんじゃなかったのか?」
『はい。地球から一万五千光年……前回襲撃箇所の二千光年手前の公海上です。ガルマン領に移民船団を送り届けた後の護衛艦隊を合流させ、戦力を強化していたのですが……』
古代は頷いた。
「わかった。今から行こう。詳しい話はそちらで聞く……いや、迎えはいい。自分の車で行くよ」
古代は電話を切ると、娘の顔を見て尋ねた。
「美雪は、何次の船団に搭乗予定だ?」
「えっ……第四次……だけど……」
娘の答えに、古代はそうか、と笑った。
「お前を直接守る事はできないが、お前が行く道は俺が開けておく。佐渡先生とアナライザーによろしくな」
古代はそう言うと、娘に背を向け、去って行った。美雪は何と言って良いかわからず、父の背中が消えていくのをじっと見送っていた。
三日前の惨劇が、スクリーン上で再生されていた。
圧倒的多数の敵艦隊によって包囲され、滅多打ちに合う護衛艦隊。彼らが殲滅され崩壊した防衛線から、敵艦や艦載機が雪崩れ込み、無防備な移民船を次々に沈めていく。何十万、何百万と量産される人々の死。
「これで、第二次船団も壊滅か……」
流石に青ざめた様子の真田と、悔しげな表情を浮かべ、歯噛みする島の横で、古代はある事に気づいていた。
「こいつらは……俺が遭遇したのとは違う連中だな」
その言葉に、真田が古代の方を向いて尋ねる。
「どういう事だ?」
「先日の最初の襲撃をかけてきた敵と、俺が〈ブルーノア〉で遭遇した敵は、同タイプの艦でした。ですが、こいつらは違う。艦のデザインも戦術も違いすぎる。それに、幾つかの勢力か国の連合軍のようだ」
それを聞いて、島はオペレーターの一人に声を掛けた。
「折原君、先日のものと、今回の敵艦を、タイプ別に分類、拡大してくれるか?」
「はい、局長」
オペレーターが答えて、コンソールを叩く。十数秒で、島のオーダーどおりの画像がスクリーンに表示された。
まず、古代が遭遇した、くさびを組み合わせたようなスタイルの敵艦。第一次移民船団を攻撃した敵の主力艦だ。
それに対し、今回の襲撃で出現したのは、大きく三つのタイプに分かれた混成艦隊だった。
まず、先端に大口径砲を搭載した三角柱状の船体を複数組み合わせた、双胴または三胴形式の艦。色調は白とグレーの組み合わせ。彼らは機動力を生かして常に有利な位置を取り、激しく砲撃を浴びせかけてくる戦法をとっている。
次に、ジャガイモのような主船体の下部から巨大な円錐状の構造物を吊り下げ、そこから多数の艦載機を発進させる、青と緑を主体とする艦。艦載機を攻撃の主力としてはいるが、母艦の方も侮れない火力を発揮し、一体となって圧迫を加えている。
最後に、寝かせた短剣のような船体の峰の部分に、ひし餅のような上部構造物を載せている、赤と黒を主体とした配色の艦だ。彼らは上構からビームとミサイルを乱射しながら突撃し、最後は船体で体当たりを仕掛け、地球艦船を切り裂いて葬っている。
艦のデザイン、戦術、色調、どれをとってもまったく異なる文明圏に所属する艦である事は明らかだった。
「では、いくつもの国の連合軍が、地球に敵対していると言うのか?」
真田の質問に、古代は頷いた。
「何か……移民を妨げる大きな意志の力が感じられます。とりあえず、この艦のシルエットを、ガルマン・ガミラスやボラーに照会してみたらどうでしょう? 彼らの方が、この宙域の国や軍には詳しいはずです」
真田はうむ、と腕を組んだ。
「やってはみるが、彼らは既に大使館を引き上げている。答えが返ってくるには相当時間がかかるぞ」
「やらないよりはマシです。敵の情報が分からずに出撃するのは恐ろしいですからね」
古代の言葉に、真田はその真意を悟った。
「と言う事は……お前」
古代ははっきりと首を縦に振った。
「ええ。第三次移民船団護衛艦隊司令の役目、お引き受けします」
それを聞いて、真田と島の顔に喜色が浮かんだ。真田は右手を差し出し、古代の手をしっかり握る。
「そう言ってくれると思っていたよ、古代。だが、ありがとう。どうか地球人類の未来を頼む」
加えて島が言う。
「古代さんの現役復帰と、司令就任については、既に根回しが済んでいます。渋る連中もいましたが、真田さんが全員論破してくれましたよ」
「まぁ、それは仕方が無い。俺は嫌われ者だからな」
古代が苦笑すると、真田と島は遠慮の無い笑い声を上げた。そして、真田は古代が帰って来て以来、ようやく見せる彼らしい不敵な、そしてどこか悪戯っ子じみた笑みを浮かべた。
「お前の乗るフネは、もう用意してある」
「え?」
訝る古代に、真田は思いがけない名前を出した。
「宇宙戦艦〈ヤマト〉だ」
信じがたい名前を聞いて、古代の目が驚きに見開かれる。その反応が思い通りのものだったのか、真田は笑みを大きくしながら腕を組んだ。おそらく島も知っていたのだろう。古代に親指を立てた拳を突き出し、ウィンクして見せた。
「〈ヤマト〉が、お前の帰りを待っているんだよ」
真田に言われても、古代はまだその言葉が信じられないように、その場に立ち尽くしていた。
翌日、慌しく現役復帰と司令就任の手続きを済ませた古代は、真田が用意した科学局のシャトルで、宇宙へ上がった。美雪に一言留守にする、と挨拶したかったが、娘は佐渡フィールドパークで飼育しているライオンの出産が近く、泊り込みの仕事となり帰ってこなかった。電話にも出ようとせず、古代はアナライザーに伝言を託すしかなかった。
『古代さン、雪サんを助けテくだサイよ。そうでなかッタら、ボクが古代さンをお仕置きしマス』
アナライザーにはそう乱暴なハッパをかけられ、古代は苦笑した。
「お前だと何をされるか分からんな。まぁ、任せてくれ」
そういい残し、シャトルに乗り組んだ古代の目の前に、アクエリアスの大氷塊が見えてきていた。その側面に、奥の方へ切れ込む大きなクレバスがあり、シャトルはそのちょっとした峡谷のようなクレバスの中へ入り込んでいった。
「アクエリアスにこんな所があったのか……」
地球を旅立つ時、帰ってきた時、必ず傍を飛び、この海に眠る〈ヤマト〉と沖田の霊を弔ってきた古代も、この亀裂の事は知らなかった。まして、この中で……
「〈ヤマト〉の再建は、ほぼ完了している。現在は最終チェック中だ」
真田が言ったとき、亀裂の行き止まりに設けられた、巨大なエアロックが開放されていくのが見えた。その扉には地球連邦の国章に加え、〈ヤマト〉の紋章たる錨のマークが鮮やかに描かれていた。そのエアロックの中へ、シャトルは滑り込むように入港していった。
厳重な身体チェックを済ませ、古代は真田に連れられて奥を目指した。通路の壁は多くが氷をそのまま使っており、金属部分には霜が降りている。氷河の中を進むような幻想的な光景の中を十分ほど歩き、その突き当たりに、それはあった。扉を開き、中へ踏み込んだ古代は、広大な氷の空洞の中に鎮座しこちらを睥睨している鋼の巨体に、言葉を失った。
かつての水上艦艇の意匠を引き継ぐ球状艦首と、その上に優美なカーブを描いてそびえる艦首部分。そこに口を開け、今だ見えぬ敵手に挑みかかる日を待つ波動砲口。
鋭く絞られた艦首部分から、対照的にボリューム感溢れる船体中央部へ続くカーブの上に、艦の牙たる三連装の主副砲が今は静かに佇み、その後方には無数の対空砲で守られた巨閣の如き艦橋があった。
紛れも無く〈ヤマト〉だった。十七年前、この海に沈み、古代の前から永遠に消え去ったはずの艦が、確かにそこに存在していた。
「〈ヤマト〉……」
ようやくその名を呼んだ古代に、真田が答えるように言った。
「そうだ。これが、新生・宇宙戦艦〈ヤマト〉だ。お前に託す希望の艦だ」
「希望の艦……」
古代がその言葉を繰り返す。
「ああ。何時だって、俺たちの〈ヤマト〉は希望の象徴だった。どんなに勝ち目の無い絶望的な戦いも、我々はこの艦と共に勝ち抜いてきた。今また避けられぬ災厄と、待ち受ける敵と、二つの脅威に怯える人類にとって、今一番必要なのは、信じることのできる希望だ」
真田の言葉に、古代は尋ねた。
「だから、〈ヤマト〉を復活させた……?」
「うむ。わざわざアクエリアスで〈ヤマト〉を再建したのもそのためだ。十七年前に沈んだ希望の船が、いままたそこから眠りを破って蘇る。そういう演出をしたかったんだ」
真田が答えた。実際には、この新生〈ヤマト〉は、沈んだ十七年前の〈ヤマト〉をサルベージしリストアしたものではない。完全な新造艦だ。設計自体は先代をベースとし、デザインもイメージを継承してはいるが……
「すこし、大きくなった気がしますね」
古代が言う。真田はその通り、と頷いた。
「先代と比べて、こいつは全長で五十メートル、全幅も十メートル近く拡大してある。それに、新技術実験艦の名目で、ありとあらゆる先端技術を惜しみなくつぎ込んだ。攻防性能、航海性能、電子性能……いずれも先代とは比較にならないほど強化してある。その気になれば、白色彗星帝国の超巨大戦艦と真っ向から撃ち合って勝てるほどにな」
「アレとですか」
古代は唸った。史上、もっとも〈ヤマト〉を苦しめ、敗亡の淵に追い込んだ最強の敵……白色彗星帝国。その大帝専用艦たる超巨大戦艦は全長十キロを越える要塞のような怪物で、もう少しで地球全土を焦土と化すほどの火力を誇った。〈ヤマト〉のいかなる攻撃も通じず、テレサの犠牲によってようやく勝利を得たほどの敵だった。
それを真っ向から撃沈できるだけの戦闘能力……古代には見慣れたはずの〈ヤマト〉が、神話に登場する神殺しの巨竜にも見えた。
「まぁ、詳しくは実際に作業に携わった連中から聞いてくれ。私はすぐ地球に戻って、次の船団の調整をしなきゃならん」
「わかりました」
古代は真田に敬礼した。真田は答礼し、一言短く言った。
「頼むぞ」
古代は無言で頷き、踵を返した真田を見送った。そして、もう一度外から〈ヤマト〉の威容を目に焼きつけ、艦内に続くタラップを登っていった。
最初に古代がやってきたのは、自分が最も長く勤めた場所であり、今後もそうなるであろう第一艦橋……艦の脳髄となる場所だった。エレベーターを降りて一歩足を踏み入れた古代は、懐かしい光景に目を細めた。
「ここは、ほとんどあの頃のままだな……」
新造艦と分かっていても、思わずそう呟かずにはおれない。振り向けば、後方の壁には沖田のレリーフさえ掛けられていた。古代は胸に手を当てて再敬礼し、報告した。
「沖田艦長……古代進、艦長の任を引き継ぎます」
最も尊敬し、今もその言動の多くを指針とする偉大な先達にそう告げて、古代は艦長席に腰掛けた。スクリーンが近年導入著しいホロ・スクリーンとなり、コンソールのレイアウトは一変しているが、椅子の構造はあの頃のままらしい。しばしその感覚を背中と腰で感じ、古代はコンソールに肘をついた。
(皮肉なものだ……もう思い出に捉われるのはやめよう、そう決意した瞬間に、再びお前と出会えるなんてな)
古代は心の中で〈ヤマト〉に語りかけた。
(だが、お前は昔のお前じゃない。俺も、昔の俺じゃない。俺たちは盾、人類を守るための盾だ。その目的のために、俺はお前を徹底的に使い倒す)
そう宣言した時、エンジンの試運転でもしているのか、一瞬艦が震えた。それが、古代には〈ヤマト〉が答えたように感じた。
(望むところだ。私はそのために蘇ったのだから。お前こそ、私を使いこなして見せろ)
古代は微笑むと、コンソールを軽く叩いて、艦に応えた。そして、ある席を見た。
そこはかつてレーダー手席として使われていたスペースだが、現在は艦載コンピュータシステムの統括操作を行うチーフナビ席と、副長席が設けられている。古代はかつてそこで職務についていた人物の事を思った。
(雪、俺はお前が死んだなどとは思っていない。必ず助けにいく。例え地獄の底だろうと、宇宙の地平線の果てだろうと……だが、その前に人類を救う時間をくれ)
今はどこか遠くにいる妻にそう呼びかけ、古代は艦橋を後にした。
艦の軸線を貫くように伸びる広大な機関室は、宇宙戦艦としての〈ヤマト〉の心臓部と言える。第一艦橋同様、ここもかつての〈ヤマト〉とそう変わっていないように思えたが、良く見ると見慣れない部品や機器が多く取り付けられ、かと言って乱雑になる事も無く、機能的にまとめられている。
「これが、最新型の波動エンジンか……」
古代は呟きつつ、システムメニューを見ようとコンソールの一つに近づき、キーを押そうとした。
「おいあんた、そこで何してる!!」
突然、鋭い声が背後から聞こえた。古代が振り返ると、そこには航海班の制服を着た気の強そうな青年が、スパナを振りかざして立っていた。
「俺は……」
古代が名乗ろうとすると、青年はそれを遮る様に腕まくりをしながら迫ってきた。
「見慣れない顔だな。怪しい奴。何しにきたか吐かせてやる!」
「おい、俺は……!」
古代は改めて名乗ろうとしたが、問答無用とばかりに青年が殴りかかってきた。とっさに古代は横に身体をそらして、その大振りの一発を避けると、青年は避けられるとは思っていなかったのか、バランスを崩してエネルギー伝送パイプに頭を強打する。
「ぐえ!?」
非常に痛そうな音がした。古代は頭を抱えている青年に手を差し出した。
「おい、大丈夫か?」
どうやら、威勢は良いものの、喧嘩の腕は大したことがないらしい。そう思った古代だったが、青年はまだやる気だった。振り返り、手をぶんぶんと振り回す。
「やるじゃねぇか、おっさん……」
「おっさん……」
古代はちょっと傷ついた。確かに三十八歳は若くはないが……おっさん呼ばわりを受けるほど老けているつもりもない。さて、どうするか。この小生意気な小僧に礼儀と分を弁えさせるべきだろうか、と考えていると、横合いから飛んできたスパナが、青年の側頭部にクリーンヒットした。
「うぼぁ!?」
ひっくり返る青年。よほどの威力だったらしい。
「小林、何やってる、この馬鹿者!!」
聞き覚えのある声が近づいてきた。古代がそっちを振り向くと、そこには懐かしい顔があった。声の主は古代の前で直立不動の姿勢をとり、最敬礼する。
「お久しぶりです、古代さん!」
「ああ、久しぶりだ。立派になったな。見違えたぞ、徳川」
古代は答礼すると、声の主――旧〈ヤマト〉機関部員、徳川太助の肩を叩いて挨拶した。徳川にはかつての少年の面影はなく、父であり初代〈ヤマト〉機関長である故・徳川彦左衛門よりは、その後任で徳川を一人前の機関部員に育て上げた山崎奨を思わせる雰囲気を漂わせている。
「真田さんから話は聞いていますよ、古代さん。また一緒に働ける事になって嬉しいです」
笑みを浮かべる徳川に、古代も笑顔で答える。
「ああ。今度はお前が機関長だな。お前がいてくれるのは心強いよ。こちらこそよろしくな」
握手を交わし、にこやかに話す二人の横で、立て続けに頭部に痛打を食らった青年――小林が、よろよろと立ち上がった。
「あの、機関長……こいつはいったい?」
こいつとはもちろん古代の事である。すると、徳川は目を吊り上げて怒鳴りつけた。
「ばかもん! 喧嘩を吹っかける前に相手を良く見ろ!! この方は艦長だぞ!!」
「え」
小林は改めて古代を見る。戦闘班所属を示す艦内服の上に漆黒のキャプテンズ・コートを羽織り、襟には艦長と艦隊司令長官の職分を示す徽章。そして、袖には中将の位を表す三本線と三ツ星を合わせた袖章が飾られている。
「し、失礼しました!!」
「そう堅くならなくていい。それより、名前を聞こうか」
古代が苦笑しながら言うと、小林は最敬礼を維持したまま答えた。
「防衛軍パイロット、小林淳です」
古代はそう答える小林の制服に、ウィングマークがあるのに気づき、質問した。
「君は航海班のようだが、飛行機も飛ばすのか?」
自分の好きな話題を振られて嬉しくなったのか、小林が明るい声で答えた。
「はい! 戦車やアストロバイクから戦艦まで、俺に動かせない乗り物はありません。中でも戦闘機は得意中の得意です」
「そうか、それは凄いな」
微笑む古代に、徳川が言う。
「腕は保証しますよ。ただ、軍人としての規律がどうも……」
「ハハハ、それは俺に言えることじゃないな。で、徳川は今は何を? やはり機関室周りの建造指揮か?」
古代が笑いつつ、徳川に質問を振る。
「いえ、私は〈ヤマト〉再建計画の現場指揮で、ここの工廠長です。機関部に関しては……」
徳川がそこまで言ったとき、賑やかな声が艦首側から聞こえてきた。
「待ってました!」「何時紹介してくれるかと」「思いましたよ!」
古代がそちらを向くと、髪を逆立たせた小林と同年代かと思われる青年が二人、駆け寄ってきた。顔立ちは区別がつかないほどそっくりで、どうやら双子らしい。
「君たちは?」
古代が聞くと、双子は最敬礼を決めながら答えた。
「機関部制御室、天馬翔!」「同じく、走!」
「〈ヤマト〉の機関部を設計したのは」「俺たちの仕事です!!」
二人で交互に話すのだが、声の質までそっくりなため、一人で話しているようにも聞こえる。
「ほう、それは頼もしいな」
古代は言う。自分たちがこの青年たちと同じ年代だった頃は、波動エンジンはイスカンダルからもたらされたばかりのオーバーテクノロジーで、何もかも手探りで使い方をマスターしていくしかなかった。徳川の時代でさえも、まだ技術を教えるノウハウは揃っておらず、初航海の時に徳川はエンジンへのエネルギー弁と非常制動装置を間違え、艦を停止させた事がある。
それから二十年近くを経て、この年代の若者が波動エンジンの設計、開発をこなすまでになったのだ。感無量とはこの事だろう。
「良ければ、この二人に新波動エンジンの説明をさせましょう。いかがですか?」
徳川の質問に、古代は頷いた。
「そうだな。頼めるか?」
天馬兄弟は手をパンと組んでガッツポーズをとった。
「モチの」「ロンですよ!」
どうやら、頼まなくても説明したくてウズウズしていたようだ。古代は徳川と顔を見合わせて笑うと、ゲストを置き去りにしてさっさと進んでいこうとする兄弟の後を追った。
新波動エンジンの炉心部分は、エンジンの最前部にあって、艦外から取り込んだ宇宙の根源エネルギーである「宇宙波動」をエネルギーに転換する、波動エンジンの中枢だ。生成されたエネルギーは電力に転換されて艦内に供給されるほか、直接攻撃的なエネルギーとして、主砲、副砲に供給される。しかし、その大部分はプラズマ化したタキオンとして後部ノズルから噴射され、艦を推進させる事に使用される。
「その炉心ですが、かつての〈ヤマト〉は一基で動いていました」
徳川が言うと、天馬兄弟が後を続けた。
「ですが! この新生〈ヤマト〉は」「波動炉心六基で動いてるんです!!」
「六基だって!?」
古代は驚いてエンジンを見る。その最前部、炉心ケースから波動砲に直結してエネルギーを供給するストライカーボルト……拳銃の撃針にあたる部分が、確かに六基にまとめられて置かれていた。
「と言う事は、波動砲も?」
古代が聞くと、徳川が頷いた。
「はい、六連発が可能です。ワープ性能も大幅に向上しました」
さらに天馬兄弟が炉心を支える構造物と一体化した機械を叩きながら言う。
「見てくださいよ、このスーパーチャージャー」「こいつでエネルギーを増幅して発射する六連トランジッション波動砲は」「月だって吹っ飛ばせるほどの威力があるんですよ!」
スーパーチャージャーは炉心の発生するエネルギーをさらに増幅し、強化する装置だ。波動砲発射やワープで炉心のエネルギーが急激に減少した時に、それを回復させる機能も司っている。
「ただ、波動砲発射後のエネルギー回復に時間がかかる、と言う欠点は解消されておりません。特に六連発すれば、〈ヤマト〉の機能回復は先代よりも時間がかかります」
徳川の言葉に、古代は気を引き締める。
「撃ち損じが絶対許されないのは、かつてと同じか」
もっとも、月クラスの天体を爆砕できる兵器が無限に連射可能だったら、それはそれで怖いかもしれないが。そして、説明はさらに続く。
「ワープも、理論的には六基の炉心を切り替えながら使う事で、理論的にはほぼ半永久的にワープし続けられます。イスカンダルまでなら日帰りで行けます」
徳川がさらりと言うが、かつて一年近く掛けた苦難の旅が一日で終わると聞いて、古代は感心すると共に、技術の果てしない発展に空恐ろしささえ感じた。
「しかし、今回はそのワープ性能も発揮する場が無さそうだな」
「移民船はそこまでの出力は無いですからね」
古代の言葉に同意する徳川。全長三キロ、基準排水量換算で一千五百万トンと、新生〈ヤマト〉と比較しても百五十倍以上の質量を持つ移民船は、建造が急がれた事もあり、エンジンは従来のものを使用している。ワープ性能は一回につき四千から五千光年。アマールまでの移動はワープを五回から六回に分けて実施し、二週間前後の旅程となる。
「まぁ、その分有り余るエネルギーで、戦闘の時には期待させてもらうさ」
古代は言った。波動エンジンの出力が先代の十倍以上もあるため、戦闘、航行以外に防御にも豊富なエネルギーが使える新生〈ヤマト〉は、装甲板に新型の波動エネルギー伝達素材を使用し、ビーム兵器による攻撃をほとんど無効化するほどの強大な防御力を誇っている。主砲、副砲も連射性能、火力共に向上しており、波動砲抜きで一対多数の戦闘を可能にしているほどだ。
「よし、機関部については把握した。出撃まで三日、最終調整を万全に頼むぞ」
「はっ!」
古代の言葉に敬礼する徳川以下四人。それに送られて、古代は機関室を後にした。
かつての〈ヤマト〉では潜水時の指揮中枢、と言う事になっていた第三艦橋だが、潜水行動時でも結局第一艦橋で指揮が可能であり、あまり意味のある場所とは言えなかった。
しかし、新生〈ヤマト〉において、ある意味第一艦橋よりも重要な場所に変貌した事を、入った瞬間に古代は悟った。
球形の全視界スクリーンに覆われた室内に、皿のような形の操作席が浮かんでおり、全方向を見ながらの情報処理が可能になっているこの部署は、〈ヤマト〉及び指揮下の全艦船から送られてくる情報を一元的に管理、分析する電子中央情報室、略称ECIだった。
その席の一つでプログラミング作業をしている青年に、古代は声を掛けた。
「どうだ、桜井。〈ヤマト〉のECIは」
「あっ、船長……じゃなかった艦長! 凄いです。さすが防衛軍の最新鋭戦艦です。もう興奮しっぱなしです!!」
青年は古代の下で〈ゆき〉に乗り込んでいた、航海士の桜井だった。商船学校卒で軍人ではない桜井だが、操舵センスと航法の腕、それにコンピュータ技術には非凡なものがあり、古代が真田を通じて防衛軍に桜井の抜擢を認めさせたのだ。
「うむ。お前はアマールへの航海を経験している唯一のクルーだ。パイラーとしても期待しているぞ」
「はい、練習航海で一度行ったきりですが、全力を尽くします」
古代の激励に応える桜井。アマールは現在銀河系内では地球が知っている最遠の文明国家であるため、商船学校では練習航海の最終目的地として選んでいる。なお、パイラーとは本来は「杭打ち機」の意味だが、転じて「未知の航路を貫き切り開く航海の先導者」と言う意味を持つ。
その桜井は、敬礼を解くと一緒に仕事をしていた女性を呼んだ。
「真帆、艦長がお見えになったよ」
「えっ!? あ、し、失礼しました!!」
仕事に夢中だったのか、古代の来訪に気づかなかったらしい彼女は、慌てて敬礼した。その敬礼がどこかぎこちないのは、彼女もまた本職の軍人ではないからだろう。
「折原君だったな。一度、移民計画本部で姿を見たが……ECIの申し子と言われる天才ナビゲーターと聞いているぞ」
その言葉に、女性――ECIチーフナビゲーターの折原真帆は顔を赤らめた。
「まぁ、天才だなんて……」
そこへ、古代は厳しくも温かい言葉を投げる。
「この部屋の機能をどう活かすかが、今回の任務の成否を決めると俺は考えている。二人で連携し、ECIの能力を全て引き出せるよう、よろしく頼むぞ」
「はっ!」
桜井と折原は揃って敬礼した。そこで、古代はちょっと気になったことを尋ねた。
「ところで、折原君は桜井に“真帆”と呼ばれていたようだが……二人はそんなに仲が良いのか?」
その質問に、桜井は赤くなって手を振った。
「い、いいえ! そういう訳では。その何と言うか」
何故かテンパった桜井に助け舟を出すように、折原が答えた。
「あ、私は苗字より名前で呼ばれるほうが好きなんです。その方が親しみが湧くような気がして……ですから、艦長も“折原君”ではなく、できれば“真帆”と呼んでください」
「え?」
古代はちょっと戸惑ったが、試しに呼んでみた。
「あ、ああ……では、よろしく頼むぞ、真帆……これで良いのか?」
「はい!」
満面の笑顔を浮かべる真帆。古代は頭を掻いた。
「ふむ、呼ぶほうは少し恥ずかしいな。女性を下の名前で呼ぶなど、妻と娘にしかしたことが無いんでね」
それを聞いて、真帆はころころと笑った。
「まぁ、艦長も可愛い所がおありなんですね」
「なぬ?」
言葉に詰まる古代。一日のうちにおっさん呼ばわりされた次に、まさか娘よりちょっと上の女の子から、可愛いと言われるとは思わなかった。
「ま、まぁ……ともかく出撃まで三日、調整の方は完璧に仕上げておいてくれ。頼むぞ」
「了解!」
また敬礼に送られ、古代はECIを出る。自分自身の準備もしなくてはならない。それにしても……
「今回は女性乗員も増えたが……気を遣うな」
古代進、三十八歳。銀河有数の戦士であり、妻も子もある身だが、女性との付き合い方に関して強者になれる日は来そうもなかった。
都市部の近郊に急造された乗船施設には、無数の移民船が発進を待っていた。
第三次アマール・エクスプレス……移民船団の乗船順を割り当てられた市民たちは、待機施設から続々と乗船を開始している。そこには無数の人生が交錯していた。
「必ず行くから……アマールで待っていてくれよ」
「うん……」
先に行く恋人を見送る青年が、彼女を抱きしめしばしの別れを惜しむ。
「チビは大丈夫か?」
「うん、元気だよ」
家から数時間、バスケットの中で車に揺られて乗船所までやってきた犬の体調を、周りを囲んで心配している家族がいる。
第四次以降の乗船順を割り当てられ、今回は参加しない人々も、乗船施設の周囲に集まって「See You Again」「Good Bye」などと書かれた横断幕を持ち、先に行く人々の無事を祈っていた。
やがて、全ての乗船者を収容し終えた移民船は、船体下部から垂直上昇用スラスターを噴射し、次々と出港し始めた。一千万トンを超える巨体が空中に舞い上がる度に、離れた所まで乱された気流の影響か、強風が吹きつけ、轟々と言うエンジン音が地球全土に響き渡るように木霊した。
それを見送る人々も、また各地に見られた。
インド、ヒマラヤ山脈の麓。世界の終焉を前にしても、変わらず修行に励む僧達が、寺院の外に出て上空を埋め尽くして遠ざかっていく移民船に合掌し、神仏の加護を祈り続ける。
欧州の片隅。地球に残る事を決めた羊飼いの老夫婦が、旅立つ家族の乗った船を見上げている。夫は帽子を脱いで手を胸にあて、妻は手を組んで祈りを捧げていた。
南米、、サンパウロ。ほとんどの市民は既に移民船に乗って地球を離れており、街の郊外にある有名なキリスト像が、去り行く移民船をじっと見つめていた。
北米大陸、ラシュモア山。偉大な大統領たちの胸像を刻んだ事で知られるこの山の上も、移民船で覆われていた。それを大統領たちがどんな気持ちで見つめているのかは、誰にもわからない。
アフリカのサバンナ。動物たちが無数の移民船を見上げては吠え、あるいは鳴き声を上げる。まるで、地球を去っていく地球の仲間――人類を見送るかのように。
やがて移民船団は隊列を組み、第一次集結地点である月軌道上に向う。それを迎えるように、月面基地からは二百隻に及ぶ大艦隊が発進してきた。
機関部から上がってきた徳川が、かつて父も座った機関長席に腰掛ける。
「エンジンは万全だ。そろそろ出撃だが、各自準備は良いか?」
既に〈ヤマト〉には選抜された全乗員が乗り組みを終え、各部署で任務についている。ここ第一艦橋にも、選ばれた最良の人材である各部門の班長が任務を開始していた。
「全通信回路オープン。感度は良好です」
通信班長の中西良平が報告する。明るいキャラクターで、第一艦橋のムードメーカーだ。この時も、出撃前の緊張をほぐすように明るい声で言う。
「いよいよ出撃か。緊張したら腹減ってきたなァ」
それを聞いて、真帆が思わず笑い声を漏らした。
「中西君はいつも腹減った、よね」
艦橋に笑い声が弾けた。
「全火器管制システム、オールグリーン」
笑いつつも簡潔に報告するのは、戦闘班の副長で全ての艦載兵器をシステム面で運用する郷田実。寡黙な大男で、見るからに頼りがいのありそうな人物だ。
「ダメージコントロール、艦内修復機構、異常なし」
技師長と応急長を兼任する木下三郎が答える。真田の直弟子の一人で、師匠ほどの天才的閃きは無いが、堅実で隙の無い思考法を持つ青年である。
「レーダーシステム、航法系も問題ありません」
桜井が答える。一方、航海士席では小林が操縦桿を引いたり押したりして感触を確かめていたが、ふと隣席――戦闘指揮席の主に目を留めた。その人物は席の横にあるコンソールを操作し、波動砲のトリガーを露出させる。電影クロスゲージがスライドして現れ、その表面に「TEST MODE」の文字が浮かび上がった。その手つきには問題が無いように見えたが……
「あんたに撃てるのか?」
小林が言うと、戦闘指揮席の主はぎろりと殺気の篭った視線を小林に向けてきた。
「……どういう意味だ?」
小林は悪びれた様子も無く言った。
「負けて帰ってきた奴に、〈ヤマト〉の戦闘を任せて良いのか、って言ってるんだよ」
「貴様……!」
戦闘指揮担当――上条了が拳を固めて立ち上がった。彼は古代の推挙で〈ヤマト〉戦闘班長に抜擢されていたのである。少しでも敵の実力を知っている人間がほしい、と言うのは古代にしてみれば当然の要求だが、敗者に向けられる視線が厳しい事は、古今東西変わりが無い。
「〈ヤマト〉は俺たちが再建したフネだ。むざむざ沈められるのだけは御免だからな」
小林がさらに追い討ちをかけるように言う。上条は答えなかったが、その身体が怒りに震えているのを見て、徳川が立ち上がった。
「やめろ、上条! 小林も失礼な事を言うな!!」
しかし、その時には小林も立ち上がり、上条を受けて立つ姿勢になっていた。まさに殴り合いになろうかと思われた瞬間、決して大きくはないが太く力強い声が二人の鼓膜を打った。
「何をしている、お前たち」
そう言いながら入ってきたのは、技術班の青い制服を纏った男性だった。
「お、大村さん」
上条が敬礼し、一方小林は値踏みするような目で相手を見た。
「あんたは?」
無礼ともいえるその態度に、男性――〈ゆき〉副長だった大村耕作は答えた。
「副艦長の大村だ。お前はチーフパイロットの小林だったな」
小林はなおも反抗的な態度を崩さない。
「副艦長だか九官鳥だか知らないけど、〈ヤマト〉は俺や天馬たちが作り上げたんだ。大事に扱ってもらいたいな」
次の瞬間、大村は一喝を放った。
「逆上せ上がるな、小僧! この艦は貴様の玩具ではないぞ!!」
「!」
怒鳴りつけただけで、手を上げたわけではなかったが、小林はまるで本当に殴りつけられたかと思うほどの衝撃を感じた。一方、大村は一転して静かな口調で、艦橋の全員に言い聞かせるように続ける。
「この〈ヤマト〉が再建されたのは、全人類の希望となるためだ。戦って未来を切り開き、人々を平和な明日に導くために、〈ヤマト〉は復活したのだ。それを成し遂げるためには、艦の乗員は一体であらねばならん。いがみ合いは私が許さん。肝に銘じておけ!」
その言葉が終わった時、苦笑交じりの声が頭上から降ってきた。
「大村さん、あまり俺の言うべき事を取らないでもらいたいな」
「艦長! 総員、傾注っ!!」
大村が号令をかけ、全員が起立して敬礼する中、艦橋最上部の艦長室から降りてきた古代は、答礼して立ち上がった。まず全員の顔を見回す古代。徳川のように十年以上の付き合いがある者もいれば、中西や木下のように、今ほとんど初めて顔を合わせる者もいる。
かつて艦長として仕えた一人、暗黒星団帝国戦での山南艦長の言葉が思い出される。ベテランも若手も平等に扱い、自分自身すら戦いに勝つための部品の一部、と言う冷徹な思考を通した人物だ。
その真似は出来なくとも、乗員たちの力を引き出し、一つの目標に向けて結集させることが、古代の――艦長のすべき唯一つの事だ。古代は訓示した。
「諸君、俺が〈ヤマト〉艦長、古代進だ。貴様たちの命、今日から俺が預かる。我々の目的は一つ。〈ヤマト〉と共に、人類を守る。そのために諸君が全力を尽くす事を期待する!」
再び大村の号令により敬礼が行われる。古代は頷いて艦長席に腰を下ろすと、かっと前方を見据え、一言命じた。
「発進準備を為せ!」
「了解!」
全員が弾かれたように任務に就く。全部署から次々に報告が上がってくる。
『機関室、総員配置完了。シリンダー内圧力アイドリング値。何時でもOKです!』
『こちら格納庫。全艦載機及び弾薬類、いずれも定数通り。耐加速固定に問題なし』
『ECI、全オペレータ、配置に就きました』
『生活班より、全生活物資、定数の三割増しで積み込み完了しています』
『医務室、医薬品、医療器具とも全て問題なし』
さらに、中西が報告する。
「月基地より報告。第七、第八、第九護衛艦隊、全艦定刻通り基地を出撃。現在、移民船団と共に月軌道上ポイントA1にて待機中」
やがて、副長席の大村の前のディスプレイに、「全艦発進準備完了」の文字が表示された。
「艦長、発進準備完了です」
大村の席には艦内の全ての情報が集約され、戦闘指揮や機関操作を含む業務が可能だ。今回、艦長の古代が全護衛艦隊の指揮も担当するため、その間彼が事実上の艦長代行として、〈ヤマト〉の全指揮を取るのである。
「よし、ドック上昇」
古代が命じると、大村は頷いてドック管制に命じた。
「ドック上昇、ガントリー外せ」
僅かな振動と共に、〈ヤマト〉直上の天井が開き、その上に巨大な空間が出現する。古代がシャトルで入ってきた、アクエリアスの大氷塊を貫くように伸びるクレバスは、ここで向きを変えて上に十キロほど続いている。そのすぐ先に、古代が〈ヤマト〉が一度浮かび、また沈む幻影を見た海面だった、大氷塊の表面が静かに佇んでいるはずだ。
(だが、今度は幻影ではない。〈ヤマト〉はこの海から旅立つ。もう二度と沈む事はない)
古代がそう考える中、クレバス内を〈ヤマト〉は静かに上昇していく。最初は暗かった氷は、上に向うにつれ表面から差し込む地球光を受けて、青く染まっていく。まるで深海から海面へ向けて浮上していく様のようだ。
「補助エンジン点火」
徳川が命じ、メインノズル下の二期の補助エンジンがプラズマの噴射炎を吐き出し始めた。一気にクレバス内の温度が上がり、艦に付着した氷が溶けて剥がれ落ちていく。
「動力を波動エンジンに伝達、閉鎖弁開け。フライホイール接続十秒前!」
徳川が命じる。それを受けて、機関部制御室では天馬兄弟が息の合った動きでコンソールを操作していた。
「了解、第一フライホイール、接続!」
「第二フライホイール、接続!!」
ほぼ同時、と言えるタイミングで二つのフライホイールが回りだし、天馬兄弟はハイタッチして互いの仕事を讃えた。その前で波動エンジンは急速に出力を高めて行き、六期の炉心が生み出す出力が同調して、艦全体を揺るがすような唸りを上げた。
「波動エンジン点火十秒前。九、八、七……」
徳川が秒読みを開始する。波動エンジンの出力はたちまち十パーセントから二十、三十と上昇し、百を超える。
「ゼロ、波動エンジン点火」
「〈ヤマト〉、発進!!」
徳川の点火指示と同時に、古代は発進命令を下した。小林がぐっと操縦桿を引き寄せ、後部メインノズルから放射される高出力のプラズマ・タキオンがクレバス内の内圧を一気に上昇させて、天井の薄い氷殻を中から打ち破った。
海面に水柱が立つように、粉砕された氷の欠片が宇宙空間に飛び散る中、ついに生命を吹き込まれた〈ヤマト〉の巨体が宇宙空間に躍り出た。プラズマの熱が氷原を一気に溶かし、まるで夏の入道雲のような水蒸気が立ち上る。それを背景に、〈ヤマト〉は氷原を舐めるように加速していく。
「さらば……」
「旅立つ船は……」
いつしか、艦内に歌声が響いていた。〈ヤマト〉がその最初の航海を迎えた際に、誰かが作り広めた艦内歌「我らイスカンダルへ征く」。向う先がテレザートだろうと暗黒星団だろうと、〈ヤマト〉の旅立ちには必ず歌われた、伝統ある歌だ。ただ、そのアレンジは古代や徳川が知っているそれではなく、かなりロック調のものだった。新たな乗員たちのだれかが、そうしたアレンジを施したのだろう。古代は時代の移り変わりを感じた。
(だが、悪くないな)
そう思いながら、古代は目を閉じ、自分も歌声の輪に加わる。
「誰かがこれを……」
「期待の人が……
徳川も歌に加わり、艦内の全員が大合唱する中、〈ヤマト〉はアクエリアスの大氷原の縁を離れ、宇宙に完全に漕ぎ出した。
「第一戦速より第二戦速へ。系内最大速度。月軌道に向います」
加速した〈ヤマト〉は一気にアクエリアスを離れ、地球の影から躍り出た。太陽の光が船体に反射し、虹の輪のような光芒に包まれて、〈ヤマト〉は進む。その雄姿を、地球で見守る男がいた。
「任せたぞ、古代。頼んだぞ、〈ヤマト〉……!」
真田は腕を組み、身じろぎもせずその姿を見送っていた。
発進から数分後、初期加速も終了し、出撃直後の興奮も落ち着いたところで、古代は小林を褒めた。
「小林、見事な操艦だったぞ」
「へへっ、当然ですよ!!」
小林はガッツポーズを決めて見せ、隣の上条に「どんなもんよ」と言わんばかりの視線を向ける。それを感じたか、ちらりと小林を見た上条だったが、何も答えず自分の席にあるディスプレイに目を移す。
挑発をすかされ、つまらなさそうな表情を浮かべて前方を見た小林だったが、次の瞬間おお、と言う声を上げた。木下や郷田も思わず立ち上がり、その光景を見つめた。
月軌道上に、千キロにわたって連なる光の点。第三次アマール・エクスプレスを構成する、移民船六千三百隻、護衛艦隊二百五十二隻、計六千五百隻余り。乗員、乗客合わせて六億三千万人に及ぶ人々が参加する、史上最大の大船団だ。
「すげぇな……」
「俺たちが、六億もの人を守らなきゃいけないのか……」
畏怖にすら近い感覚に捉われる若い乗員たち。一方、古代は平静な表情で中西に命じた。
「中西、第八、第九護衛艦隊司令部と船団長を呼び出せ」
それぞれ、古代の隷下にあって戦う艦隊と、船団の指揮官だ。なお、第七護衛艦隊は〈ヤマト〉が艦隊旗艦を兼任し、古代の直卒兵力となる。
「は、はいっ!」
やはり船団の威容に見とれていた中西が、慌ててコンソールを叩く。ややあって、正面スクリーンに三人の人物が姿を現した。
『第八護衛艦隊司令、南部康雄であります』
『第九護衛艦隊司令、北野哲であります』
『第三次移民船団長、太田健二郎です』
それぞれに敬礼する三人の指揮官たち。古代は答礼し、自己紹介した。
「第三次移民船団護衛艦隊司令、宇宙戦艦〈ヤマト〉艦長の古代進だ」
その儀礼的なやり取りが終わるや、古代も三人も顔を笑みでほころばせた。
「久しぶりだな、南部、北野、太田!」
『こちらこそ、古代さんこそお元気そうで』
南部が実に嬉しそうに言う。南部康雄はかつて〈ヤマト〉で戦闘班の副長を務め、砲術の専門家として古代を補佐し、名サブリーダーとして知られた男である。古代が軍を去った後も戦艦の艦長や戦隊司令を歴任し、常に最前線に立ち続けてきた叩き上げの士官でもある。
『古代さんの薫陶を受け、今こそ恩返しの時だと思っています』
北野も秀麗な表情に笑顔を浮かべて答える。北野哲。軍歴の最初を〈ヤマト〉での訓練航海で飾り、その途上暗黒星団帝国との地域紛争を体験し、戦士として大きく成長した。その後も前線勤務と後方でのデスクワークを等分に重ね、将来は防衛軍参謀総長、司令長官などの座に就くのは確実視されるエリートである。
『古代さんに守ってもらえるなら、何も心配はありませんね』
そう応じる船団長の太田は、やはり旧〈ヤマト〉乗員で、航法と索敵探知のエキスパートとして航海を支えた、陽気な熱血漢だ。ディンギル戦後、古代と前後して軍を辞し、航海局や太陽系航海管制の責任者を歴任。第三次船団のリーダーに任じられた。
「この船団はまるで〈ヤマト〉の同窓会だな。ところで、相原はどうしたんだ?」
古代が聞くと、南部が答えた。
『あいつはガルマン・ガミラスへの移民受け入れ交渉役で、デスラーのところに大使として奥さんと一緒に赴任してます。いずれ、アマールで会えると思いますよ』
「そうか。元気でやってるならそれで良いんだ」
古代は頷いた。相原は亡くなった島大介を除くと、旧〈ヤマト〉クルーの中では一番古代と気の合う男だった。護衛艦の幹部を共に勤めた事もあるし、古代に一番諫言をするのも、相原の役目だった。確かに彼なら気難しいデスラーの相手でも平気で務まるだろう。
「ともかく、これで全艦船が揃ったわけだな……これより〈ヤマト〉は先頭に立つ。まずは太陽系離脱航路を進んだ後、アマールへの第一回目のロングワープを行うが、その前に一度全行程を確認する意味で会議を開く。三時間後に〈ヤマト〉まで来てくれ」
『はっ!』
南部、北野、太田が再び敬礼し、画像が切れる。古代は答礼すると、小林に命じた。
「小林、船団最後尾より隊列に入り、最前列へ向かう。できるな?」
艦船が密集している船団内を縦断すると言う、難しい操艦を要求された小林だが、怯みはなかった。
「任せておいてください」
小林は繊細に操縦桿を操り、移民船団の最後尾から隊列内に進入した。
太陽系出発を控え、人々は地球との別れを惜しんでいた。
「さようなら、地球!」
「思い出をありがとう!」
「絶対に忘れないから!!」
嗚咽に混じってそうした叫び声がいくつも聞こえる。間もなく滅び行く星とはいえ、そこは人類が発祥し、連綿と歴史を積み上げてきたかけがえの無い故郷である。加えて、前途への不安もある。移民先であるアユーは地球に酷似した、環境の素晴らしい星と説明されてはいるが、それでもそこはまったく未知の星だ。今まで営々と努力して築いてきた生活基盤の全てを捨て、その星へ移らねばならない、と言う不安が、全員の胸に重苦しく広がっている。
その時、窓際で地球を見つめていた乗客の一人が、それに気づいた。二十代後半の青年だった。
「あれは……」
船団後尾から前方へ向けて、静かに進んでいく一隻の戦艦。角柱状の形態をした他の量産型戦艦とは全く異なる、芸術的とさえ言える曲線の組み合わせで構成された、特徴的なフォルム。彼はその艦に見覚えがあった。
彼が幼い頃、地球を襲った無数の危機。ガミラスの襲来、白色彗星帝国の侵略、暗黒星団帝国の占領、太陽クライシス、そしてアクエリアスの接近。
それらの危機に対し、常に地球人類の守り手として立ち塞がり、ただ一隻になっても戦い抜いた不屈の戦艦。そして、それらの戦いに全て勝ち抜いた、無敵の戦艦。
「〈ヤマト〉……」
彼の呟くような声に、周囲の乗客もそれに気づく。その名を呼ぶ声が広がっていく。
「〈ヤマト〉だ」
「あれは〈ヤマト〉だぞ」
「〈ヤマト〉が私たちを守ってくれるのか……!」
そのざわめきはさらに広がり、やがてその名を呼ぶ一つの声に集約されて行く。
「〈ヤマト〉! 〈ヤマト〉!」
人々が手を打ち鳴らし、足を踏み鳴らして、自分たちを守るため復活した伝説の名を呼ぶ。それは移民船だけではなく、艦隊の各艦艇にも広がっていた。手空きの乗員たちが舷窓や展望台に詰め掛け、〈ヤマト〉に熱い視線を注ぐ。彼らの中には、少なからず〈ヤマト〉の伝説的戦いに憧れ、防衛軍を志願した若者たちが混ざっていた。
「あれが〈ヤマト〉……!」
「〈ヤマト〉と一緒に戦えるなんて……!」
「いつか俺も乗るんだ、あのフネに……!」
一般市民と異なり、防衛軍将兵たちは「〈ヤマト〉が再建されている」と言う話を聞いた事はあったが、今それが事実だと言う事を知り、士気は爆発的に高まっていた。
船団最後尾から最前列へ〈ヤマト〉が向かうにつれ、その興奮は広がって行き、やがて先頭に立った〈ヤマト〉から発光信号が送られるや、それは最高潮に達した。
「我、宇宙戦艦〈ヤマト〉。人類の守りとなるため、十七年の眠りより目覚めたり。これより我、先頭に立つ。いざアマールへ共に征かん」
わあっ、と歓声が爆発する。同時に、六千五百二十一隻の全艦船の指揮官席で、艦長、船長が命じていた。
「発進する! 目標、サイラム恒星系、惑星アマール!!」
かくして、第三次アマール・エクスプレスは悲壮感を払拭し、その旅立ちの第一歩を記したのであった。
続く
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