そこは、海辺の小さな町にある唯一のバス停だった。強い日差しに照らされた円形の停留所名表示板は色がくすみ、ところどころペンキが剥げている。
 風雨にさらされてしわの寄った時刻表は空白だらけで、時々思い出したようにバスの発着時間が記されている。トタンでできた待合所は木の骨組みが朽ちかけ、建てられてからの時間の長さを感じさせた。
 その時の止まったような停留所に、珍しく二人の客が降り立ったのは、夏の暑い盛りの昼下がりだった。

 み〜んみんみんみんみんみ〜ん……み〜んみんみんみんみんみ〜ん……

 二人を出迎える、盛大な蝉時雨。そして、焼け付くような日差し。
「あぢぃ…」
 一人がそう感想を漏らした。光の加減によっては銀髪と見える、不思議な色の髪をした青年だった。顔立ちは整ってはいるが、ろくな手入れもしていなさそうなぼっさぼさの髪の毛と、全身から漂う荒んだ雰囲気がその好印象をぶち壊しにしている。
「そんな格好してるからだよ、兄貴」
 もう一人が答えた。長い黒髪が印象的な少女。相手への呼びかけからして、彼女は青年の妹であるらしい。年の頃は16〜17と言ったところか。一見大人しそうな少女だが、口の聞き方と瞳に宿る光は勝ち気そうだ。もっとも、彼女でなくとも、青年の季節を無視したような黒の長袖のシャツには突っ込みを入れたくなるかもしれない。
「うるさいな。この格好は俺のポリシーだ。ったく…一人ですずしげな格好しやがって」
 青年は妹に向かって言った。妹の格好は鍔広の麦藁帽子に草色のサマードレス。兄よりは数倍涼しそうな格好ではある。
「それと、兄貴はよせ。お前も女の子なんだから、もう少し可愛げのあるしゃべり方をだな…」
 兄が説教モードに入ろうとすると、妹はすかさず口答えした。
「それより、早く町のほうへいこう。ここじゃ暑くてかなわないよ」
「…あぁ、そうだな」
 話の腰を折られた兄は仕方なく妹の提案に答え、荷物を詰めたバッグを背負い直すと歩き出した。妹も、荷物を載せたカートを引いて歩き出す。しばらく歩いたとき、二人の眼前に海が開けてきた。その海岸に沿って、町が開けている。海風が吹きぬけ、火照った身体に心地よい。
「あ…」
 妹が声を上げた。足を止め、その風景に心奪われたように立ち尽くしている。兄が怪訝そうな顔で妹の顔を見た。
「どうした?」
「え?あ、あぁ…なんでもないよ。ただ…すごく懐かしい気がしたから」
 妹は慌てて首を振って歩き出した。
「…?」
 兄は妹の様子に釈然としないものを感じながらも、続いて歩き出した。
 町はすぐそこだった。

AIR SideStory

"the 1016th summer"

空の旅路

第一回
「国崎兄妹、海辺の町に降り立つ」


 兄妹はバス停から続く坂道を降り、小さな住宅地の中を抜けて海辺に出た。道は防潮堤に沿って続いている。その一角に、妹は探していた者を見つけた。「武田商店」という小さな駄菓子屋の前に、数人の子供たちがたむろしている。
「兄貴、カモ発見」
「了解」
 二人は目配せすると、兄は階段に腰掛け、ジーンズの尻ポケットから小さな人形を取り出した。黒い毛糸で髪の毛を再現し、体には妹お手製の服を纏っている。目は黒いボタンで表現していた。見様によっては、可愛い…と言えなくもない、かもしれない。
 兄が防潮堤の階段に腰掛け、その人形を地面に置いてうなずくと、妹は兄に対するときとは打って変わった愛想の良い、良く澄んだ声で叫んだ。
「さあ、良い子のみんなたちっ!!楽しい人形劇が始まるよっ!!」
 その妹の呼び込みの声に、子供たちが何事かと近づいてくる。
「さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。これからみんなに見せるのは、世にも不思議な人形さん。このお兄さんの言うことを聞いて、どんな事でもこなします。では、お兄さん、どうぞ!」
 兄はうなずくと、目に見えない「力」を両手に込め、「立て」と言った。その声が聞こえたように、人形がひょっこりと立ち上がる。
「おぉ〜っ!?」
 子供たちの感嘆の声がもれる。さらに、兄が「歩け」と言うと、人形はとことことその場を歩き始めた。子供たちの声がますます大きくなる。
 しばらく、人形は踊ったりして愛敬を振りまいていたが、最後の大技に入った。ジャンプし、空中で三回転して着地し…ようとして失敗した。子供たちがどっと笑い声を上げる。
 妹は倒れた人形を拾い上げ、耳元に持っていくと、まるで人形の声が聞こえるように何度もうなずき、人形を地面に戻した。
「もう一度挑戦するって!みんな、応援してね!!」
 妹がそう言うと、子供たちは歓声を上げて手拍子を鳴らし始めた。人形は助走をつけ、空中で三回転。見事な着地を決めた。子供たちがいっせいに拍手をする。人形は舞台俳優のように一礼した。
「どう?面白かったかな?」
 妹が微笑みながら子供たちを見回すと、彼らはいっせいに「すげぇや!どんな仕掛けなんだ!?」「すごく面白かったよ!」「もう一度やってみせてよ!!」などと叫んだ。手応えを感じて妹が口を開こうとしたとき、兄が先に子供たちに要求を突き付けた。
「そうか、面白かったか。じゃあ、金を払え」
 一瞬で、その場に沈黙が落ちた。
「どうした?今時ただで人形劇を見れるはずがないだろう?とっとと…」
 次の瞬間、子供たちはお互いに目配せしあったかと思うと、脱兎のごとく逃げ出した。サッカーW杯代表並みのアイ・コンタクトをやってのけたものらしい。
「ま、待ちやがれこのガキども!ただ見する気かぁ!!」
 消える飛行機雲…もとい、逃げる子供たちを追いかけて追いかけて、あの丘を越えそうな勢いで走っていく兄。それを見ながら、ただ一人残された妹は地面に落ちた人形の埃を払い、呟いた。
「全く…我が兄ながら不器用な奴…」
 彼女は幼いころに事情があって親戚の家に預けられていた。母が旅先で死んだ後、ずっと母親と暮らしていた兄と一緒に旅をするようになったのは、つい最近のことである。
 彼女がその間に知ったことは、兄が根っこは善良なくせに、なぜか人を敵に回すような言動しかできない恐ろしいひねくれ者であることだった。
 そんな、他人同然のひねくれ者な兄を何かと心配し、一緒に旅まで始めてしまった自分も、いい加減人が良いと我ながら呆れてしまうが…妹は苦笑しながら武田商店の自動販売機に歩みより、適当なジュースを買って階段の横に座った。いずれ戻ってくるであろう兄のために。
 しかし、数分後。血相変えて走ってきた兄は、いきなり問答無用で妹の腕をつかみ、全力で走り始めた。
「わっ?わわわっ!?な、何なのよ兄貴!!」
 叫ぶ妹に、兄はくいくいっと後ろを指差す。振り向いた妹が見たのは、右手に文化包丁、左手にフライパンを装備した太ったおばちゃんと、天秤棒を持った漁師らしい屈強そうなオヤジだった。何やら叫んでいる。
「うちの子供になにするのよ!!」
「真っ昼間から誘拐たぁふてえ野郎だっ!簀巻きにして海に叩き込んでやる!!」
…どうやら、さっきの子供たちのどれかの親たちであるらしい。そりゃあ、昼間から黒服を着た目付きの悪い男が子供を追いかけていれば、誰だってそいつは悪人だと思うだろう。
「事情っ、話したほうがっ、良いんじゃ、ないのっ!!」
「言ったけどっ、あの連中っ、聞いちゃ、いねえよっ!!」
 きっと兄貴の言い訳もまずかったんだろうな、と思いつつ、相手の逆上ぶりに妹はあきらめて兄にあわせて逃げた。どれだけ走り回ったのか、ようやく追手を撒いたときには、二人はどうやら学校らしい建物のそばに来ていた。
「はぁ…はぁ…ちくしょう…疲れた…」
 防潮堤に腰掛けて毒づく兄。顔は真っ赤に上気し、荒い息をついている。
「お疲れさま。はい、ジュース」その兄に、妹はまだかろうじて冷たさを感じられるジュースの紙パックを渡した。
「おぅ、サンキュー」
 兄はストローをさして一口吸い込み…そして、思い切りむせて、口の中のジュースを吹き出した。
「あ…何よもったいない」
 思わず言う妹に、兄は半分涙目になりながら言った。
「ぐはぁっ!?な、何だこれは!!」
 兄はパックを注視する。
  
「どろり濃厚ピーチ味」

 紙パックにはそう書かれていた。とても、爽やかそうではない商品名である。
「…」
 無言で中身が9割以上残っているパックを投げ捨てようとする兄に対し、妹は手を差し出した。
「いらないんなら、ちょうだい」
 兄は振り上げた手に握られたパックと妹を交互に見渡すと、ため息を吐いて妹にパックを渡した。
「言っとくけどな、とても飲めたモンじゃねーぞ」
 忠告する兄にうなずいて、妹はストローに口をつけた。吸い込むと、爽やかな冷たさと、桃の甘酸っぱさ、そして、その好印象を根本的に破壊する、明らかに「飲料物」としての限界を突破しているとしか思えない粘度が口の中に広がった。
「…」
 しかめ面になった妹に、兄はそれ見たことか、と言うような表情になる。しかし、妹は「味は悪くないね」と言うと、続けて飲みはじめた。
「…良くそんなモンが飲めるな、お前。あんまり無理するなよ」
 肺活量が足りないのか、苦戦している妹に兄が言う。しかし、妹は微笑むとストローを吸いつづけた。
「いや…これもなんとなく懐かしい味でさ…どこかで飲んだことがあるのかな。昔はやっぱり飲めなかった気がするけど」
 妹の言葉に兄は嫌そうな顔つきになった。
「なんでそんなモノにまで懐かしさを感じるんだ…まぁ、良い。疲れたから俺はちょっと眠らせてもらう。しばらく起こすなよ」
 そう一方的に言うと、兄は防潮堤に腰掛けたまま目を閉じ、やがて寝息を立て始めた。人形を操るのに「力」を使い、そのあと走り回ったのだからそれは疲れているだろう。妹は横に座り、海からの風を受け止めた。長い黒髪や、スカートの裾が風に流れていく。

 どれだけそうしていたのか…ふと、妹は背後を振り返った。
 そこには、一人の少女がいた。長い髪の毛をポニーテールに結い、背後の学校のものと思しき制服に身を包んでいる。年の頃は、おそらく妹と同じくらいだろう。
「…そこで、何をしてるのかな?」
 妹は尋ねた。少女がそこにいることを、彼女はとっくの昔に気がついていたのだ。
「何か、話したいこととかあるんじゃないの?」
 妹が更に言うと、少女は苦笑した。
「にはは…どうしてわかったのかなぁ?」
 妹も微笑み返した。
「だって、さっきからずっとこっちのほうを見てたから」
 そう言うと、妹は立ち上がって少女と向かい合った。
「で、どんな御用?」
 妹が言うと、少女はなぜかうろたえたように顔を赤くした。
「え?えっと…それは…」
 少女は口篭もっていたが、やがて意を決したように妹の顔を見据えた。
「そ、その…お友達になってくれないかな…って」
 初対面の人間に対して、余りにも唐突なお願いだった。妹は何も言わずに少女の顔を見つめている。呆れられたと思ったのか、少女は慌てて誤魔化すように手を振った。
「に、にはは…やっぱり、ダメだよね。初めて会った人に…」
 その瞬間、妹が少女の言葉を遮って口を開いた。
「あたしはかまわないよ」
 一瞬、相手が何を言ったのか、理解できないと言った表情で口を開けた少女だったが、やがて聞いたことの意味を確かめるように妹に話し掛けた。
「…本当?」
 妹は肯いた。
「本当」
 少女は確かめ直す。
「本当に本当?」
 妹も肯き返す。
「本当に本当」
 少女はまた確かめ直す。
「本当に本当に本当?」
 妹もまた肯き返す
「本当に本当に本当」
 少女は三度確かめ直す
「本当に本当に…」
「あーもう本当だってばっ!!」
 妹が先に切れた。
「そんなにしつこく確かめることはないでしょうがっ!!あんたそんなに友達いないのっ!?」
 詰め寄る妹に気圧され、少女が半分涙目になって呟く。
「が、がお…」
 ぽかっ!!
 その瞬間、妹が少女の頭を殴っていた。
「イタイ…どうしてそういう事するかなぁ…?」
 頭を押さえ、本格的に涙目になって訴える少女に、妹も不思議そうな顔で殴った自分の手を見つめる。
「…どうしてだろ。なんか、反射的に…」
 そして、いまだ半泣きの少女に向き直る。
「…あ〜、悪かったわよ。それはともかく、友達になっても良いって言うのは本当だよ」
 妹は言った。同時に、何でだろうと心の中で思い返す。
 自分は旅の途中だ。母親からは兄が引き継ぎ、自分にはない能力…手も振れずに人形を動かす「法術」の使い手たる一族が代々受け継いできた使命――この空のどこかにいる、翼を持つ少女を探す旅の。
 当然、次の土地へいく路銀さえ稼げれば、すぐにでも他の土地へいくはずだ。今だって行こうと思えば行けないことはない。余裕がないだけで。
 それなのに、どうしてこの行きずりの相手と友達になろうなどと考えたのか…妹にはわからなかった。ただ一つ言えること、それは、その選択は間違ってはいない、と言う確かな予感。
(昔見た夢と…関係あるのかもしれない)
 妹がそこまで考えたとき、聞こえてきた声が彼女を現実に呼び戻した。
「…すず」
「え?」
 妹は少女に聞き返した。
「だから、神尾観鈴。わたしの名前」
 少女――観鈴はそう言って、顔を膨らませた。
「友達になるんだったら…自己紹介しなきゃダメ」
「あぁ…そういう事か」
 妹は苦笑すると、すうっと一息吸った。
「あたしは…空。国崎空。こっちの寝こけてるのは兄貴の往人」
 その名前を、観鈴は反芻した。
「そらさんと…ゆきとさん?」
 空は手を振った。
「さんはつけなくて良いよ。見たところ、あんたとあたしは同じ年くらいみたいだし…そのかわり、あたしもあんたを観鈴って呼ぶ」
「うん。わかった。…空…ちゃん」
「…この年になってちゃん付けで呼ばれるのもどうかと思うけど」
 空が言うと、観鈴は苦笑した。
「にはは…わたし、人を呼び捨てにするのちょっと苦手」
「そう…ま、良いか」
 空は観鈴に「空ちゃん」と呼ばれる事を受け入れ…そして、尋ねた。
「で、友達になるのは良いけれど…何をするの?」
 ぴゅううううぅぅぅぅぅぅぅ……
 強い海風が二人の少女の服や髪の毛をなびかせた。
「にはは…それは…考えてなかったなぁ」
 ぽかっ!
「イタイ…」
 うりゅ…っと涙目になる観鈴。本日二回目の空のツッコミが炸裂したのだった。
「考えなしかっ!あんたはっ!」
 空の怒鳴り声がこだまする。
「う…そんな事ないよ。ちゃんと考えてたもん。お友達を作って、みんなで遊んで、この夏休み楽しく過ごすんだって。みんなで浜辺で砂遊びしたりとか…一緒にお祭り行ったりとか…絵日記も書くんだもん」
 観鈴の「考え」を聞いていた空は、どことなく脱力したような表情で観鈴の顔を見た。ずり下がったサマードレスのストラップがその気の抜けっぷりを表していてちょっと微笑ましい。
「ねぇ、観鈴…」
 空は言った。
「あんたの学校、あれだよね」
 そう言いながら、今二人が立っている防潮堤の脇の建物を指差す。
「にはは、そうだよ」
 にこにこと微笑みながら答える観鈴に、空は痛烈な一言を投げかける。
「あたしの目が正しければ、あの学校は高校だと思うんだけど、なんで観鈴みたいなお子ちゃまが通っているのかな?」
 さすがの観鈴もこれには傷ついたらしく、目に涙を浮かべた。
「が、がお…」
 ぽかっ!!
「イタイ…どうして叩くのかなぁ?」
「いや…ごめん。でも、本当なんでなんだろう?」
 またしても反射的に観鈴の頭を叩いた空。自分の手を不思議そうに見ている。
「と、ともかく…みんなで一緒に遊ぶの」
 観鈴が気を取り直したように言うと、空は不思議そうな目で観鈴を見た。
「みんなって…ここにはあたしと観鈴の二人しかいないんだけど」
 空が言うと、観鈴はにはは、と笑った。
「ううん。わたしと、空ちゃんと、お兄さん」
 視線がいまだに寝こけている往人に向いている。空は黙って首を振った。
「止めたほうが良いよ。兄貴ってそういうキャラじゃないし」
 そう言ってみて、空は想像してみる。海岸で3人、「わーい」とか意味不明の歓声を上げながら、砂のお城を築き上げる…あの仏頂面で愛想無しの往人がそんな事をしているところを想像すると…
「…寒っ!」
 この真夏になぜか強烈な冷気を感じる空。これ以上想像すると夏に凍死すると言う三面記事モノのダメージを受けるのは確実だったので、空は慌ててその想像を打ち消した。
「そうかな?空ちゃんのお兄さんなんだから、きっと良い人なんでしょ?」
「兄貴が?」
 まぁ、悪人ではない…というか、悪人ぶってるけど実は根が善人だと言うのは、一緒に旅をしていてわかった事だ。かといって、見ず知らずの女の子相手に一緒に遊ぶほどでもない。と言うか、往人は基本的に人付き合いの下手な人間なのだ。
 なにしろ、兄は生まれてから23年間、母親と一緒に旅をしていて、他人と深く付き合った経験がない。4年前に母親が死んでから、去年空と再開するまでの間は、人形を動かす大道芸で食べていたとは言うが、そうとは信じられないほど客の気を引くのが下手だった。
 空が一緒に旅をするようになり、客引きやおひねりの収集を手伝うようになってからは、二人でも衣食には困らないでやっていけているが、放っておいたらこの町あたりで路銀が尽きて、どこへも行けなくなっていたのではないだろうか…
 ちょっと恐い想像になってしまった。空はまた頭を振って想像を打ち消す。
「まぁ、兄貴は一応大人だし…」
 空がそう答えると、観鈴はがっかりしたような表情になった。
「遊んでくれないんだ…でも、空ちゃんは良いよね?」
 すぐに笑顔に戻る。同性ながら、その眩しい笑顔に空は気圧された。しかし、同時に笑顔の中にほんの少しだが寂しさが含まれている事にも気がついた。
「あぁ…良いよ」
 そのせいか、空は自然に答えていた。観鈴の寂しさに負けて。
「にはは、やった。何して遊ぶ?」
 満面の笑顔を作る観鈴に、空はたまには子供っぽいのも良いか、と思い直し、「なんでも。観鈴のやりたい事を」と答える。観鈴はすぐに砂遊びを提案し、二人の少女は砂浜で砂の城を作り始めた。

 やがて、陽が傾きはじめ、空と海が赤く染まるころ、二人の城は完成した。
「にはは。すごいのができたねぇ」
 観鈴は笑った。二人が作った砂の城は、小さいながらも砂の彫刻展に出したいくらいの出来だった。
「うん。もって帰りたいくらい」
「帰る?」
 空がそう答えると、観鈴はあたりを見回して、今が夕方になっている事に気がついた。
「わ…もう、帰らなきゃ…空ちゃんは?」
「あたし?そうだね…どこか泊まる場所を探さないと」
 空は答えた。まぁ、民宿か旅館の一軒や二軒は探せばどこかにあるだろう。
「泊まる場所?」
 観鈴が不思議そうに尋ねてくる。
「ん?あぁ、あたしたち、旅の最中だから」
「わ、旅人さんなんだぁ…道理でこの町じゃ見掛けない人だと思った」
 観鈴がやけに感心したように言う。が、続けて言った彼女の言葉が空に打撃を与えた。
「でも、この町、泊まるところなんてないよ」
「…マジ?」
「うん。マジ」
 空の呆れたような言葉に観鈴は頷く。言われてみれば、これだけ泳ぐのに適した海岸線の側に、店が武田商店しかなく、ここまで来る途中にも宿泊施設は見なかったような気がする。よほど外部の人が来ないのだろう。
「…今日は野宿かぁ」
 空は言った。まぁ、兄と旅をするようになってから何回かは経験のある事だが、年頃の少女としては避けられるものなら避けたいところだ。特に夏はシャワーが使えないと臭いし痒いし、非常に惨めな気持ちになる。
 すると、観鈴が思いがけない事を言い出した。
「良かったら、わたしの家に来ない?」
 空は驚いて尋ねた。
「観鈴の家に?家の人とかは?」
「大丈夫だよ。お母さんはそういう事あんまり気にしないし」
 観鈴はアバウトな事を言う。空は、とりあえず往人を起こして意見を聞く事にした。
「兄貴っ!起きろっ!!」
 耳元で叫びながら揺さぶる。腕を組んで寝こけていた往人はううむ、と呟くと大きく伸びをした。
「空か…どうした?」
 兄の言葉に、空はのんきだなぁ、と言うような呆れ顔の表情になった。
「いやね、この町には泊まれるような場所がないんだってさ」
「マジか…」
 往人はうめいた。すかさず空が言う。
「でも、この娘が、家に泊めてくれるってさ」
 そこで、初めて往人は観鈴に気がついた。
「誰だ?そいつ」
 すぱぁーん!!
 その瞬間、空がどこからともなく取り出したビニールスリッパの一撃が往人の頭に炸裂した。
「ぐわっ!?な、何しやがんだお前は!?」
 立ち上がった往人が空に詰め寄る。180センチを超える往人に対し、空は頭一つ分は背が低いが、一歩も退かない。
「あーもう初対面の人をどうしてそいつ呼ばわりするかなこの兄貴はっ!まして泊めてくれる人だっつーのに!!」
 空が怒鳴り返すと、往人はバツの悪そうな顔になった。
「そ、そうか…で、お前、名前はなんて言うんだ」
 そこで観鈴が自己紹介し、往人も名乗った。そして、往人は観鈴に質問を投げかけた。
「止めてくれるのはありがたいんだが、飯はつくのか?」
 あつかましい質問だった。ここで再び空のスリッパが炸裂しそうになったが、当の観鈴が止めたので、事無きを得た。空を止めると、観鈴は素直に肯いた。
「わたしに作れるものだったら」
「じゃあ、ラーメンライス」
 往人は言った。ラーメンライスは往人の好物。空も嫌いではない。旅人である二人にとって、食事で贅沢する事はあまり許されない。奮発してもこれくらいが関の山だった。
「ラーメンセット?」
 首を傾げる観鈴に、往人はラーメンとご飯だと答えた。
「あ、それならできるよ」
 観鈴がなぜか嬉しそうに言う。往人は肯いた。
「そうか。じゃあ、頼む」
「うん。じゃあ、こっちだよ。空ちゃん、お兄さん」
 観鈴が二人を先導して歩き出し、空もそれに続こうとして…立ち止まった。
「どうしたの?兄貴」
 なぜかこぶしを握り締めて震えている往人に向かって呼びかける空。すると、往人はゆっくりと観鈴に近寄り、彼女の方に手を置いて言った。
「今、俺の事をなんて呼んだ?」
「え?お、お兄さんって…」
 観鈴が戸惑ったように答えると、往人は涙をこらえるように空を見上げ、そしてもう一度観鈴に向き直った。
「良かったら、お兄ちゃんと呼んでくれ」
 ごぎゃっ!!
 次の瞬間、何かヤバい音をたてながら、空の跳び蹴りが往人の側頭部に炸裂した。
「のごあああぁぁぁぁぁっっっ!!??」
「何を抜かしとるかこのバカ兄貴がぁぁぁっっっ!!」
 苦痛にのた打ち回る往人に目を吊り上げて怒る空。往人は立ち上がるとこめかみを押さえながら怒鳴り返す。
「やかましいっ!可愛い妹は男のロマンだっ!!」
「あたしが可愛くないとでも言うのかっ!このクソ兄貴ぃっ!!」
「こんな事する奴が可愛いと言えるかぁぁ!!」
 怒鳴りあう国崎兄妹を見ていた観鈴が思わず笑う。
「にはは…仲が良いんだね」
「「いや、それは絶対違う」」
 くるっと振り返り、息の合った反論を返す国崎兄妹。思わず観鈴はたじろぐ。
「が、がお…」
 ぽかぽかっ!!
「イタイ…」
「いったー…」
 頭を押さえてしゃがみこむ少女二人。観鈴は空に、空は往人に叩かれたのだった。
「これからお世話になる家の人をいじめるんじゃない」
 往人はそう言うと、観鈴の頭をなでてやりながら起こした。
「にはは…ありがとう、お兄さん」
「いや、だから…なんでもない」
 お兄ちゃんと言わせようとした往人だったが、後ろで空が放つ殺気に気がついて黙った。
「と、ともかく…行こう」
「む〜…」
 笑う観鈴と、面白くなさそうな空、そして無表情に戻った往人は観鈴の家に続く坂を登っていった。

(つづく)

 次回予告
 神尾家でごちそうになった国崎兄妹。そこへ、家主である観鈴の母、晴子が帰宅する。大酒飲みの晴子に振り回される兄妹+観鈴。大騒ぎの一夜は今始まった…
 次回、空の旅路第二回
「神尾家の夕べ」
 お楽しみに。


 
あとがき

 はじめて「AIR」のSSを書きます。
 それなのに、いきなりオリジナルキャラ出してるし…(爆)。
 と言うわけでオリキャラの往人君の妹、国崎空ちゃんですが、容姿としては彼女の遠い祖先である裏葉を十代まで若返らせて、ちょっと目つきをきつくした感じだと考えれば目安になるでしょう。
 性格は身内(兄)には強いが、世間に対しては人当たりの良いタイプ。年齢は17歳で、AIRヒロインたちと同世代。半年高校に通っただけで、いきなり休学届を出して兄にくっついて旅に出てきたチャレンジ精神にあふれた女の子です(違)。
 最初はほのぼのしてますが、だんだんシリアス路線に行く予定。しばらくは愉快な国崎兄妹と、海辺の町の人々の掛け合いにお付き合いください。
 ではでは。

 
2001年 10月 さたびー拝


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