それは、源さんこと店長の一言から始まった。
「穂村さん、三日ほど別の支店にヘルプに行ってくれませんか?」
 ちょっと話がある、と店長室に呼び出された鳴美に店長が言ったのは、そんなお願いだった。ヘルプとは、どこかの店で欠員が出たり、イベントがあって人手が必要な時に、臨時に他の店から出される応援の事だ。ファミレスでは良くある事らしい。
「ヘルプ……わたしがですか?」
 意外な頼みに首を傾げる鳴美。実態としてベテラン並みの実力を持つとはいえ、彼女はウェイトレスとしては新参で、しかもバイトだ。加えて、自分では言いたくないが、見た目がこれだから頼りない。しかし。
「穂村さんは、大空寺さんや玉野さんをヘルプに出して問題ないと思いますか?」
「思いません」
 店長の質問に、鳴美は躊躇無くきっぱりと答えた。この人格者を絵に描いたような源さんが店長をしているここならともかく、他の店にあの二人を出すなど言語道断。間違いなく大騒動の元になるだろう。
「涼宮さんも、ヘルプとして行ってもらうにはまだ少し不安がありますし、私としては貴女が一番適材だと思うのですよ」
 店長の思わぬ自分への高い評価に、鳴美は思わず涙ぐみそうになった。そこまで信頼されていては、引き受けるしかない。
「わかりました。わたしで良ければ、お引き受けします」
 鳴美の言葉に、店長は穏やかに笑って頷いた。こうして、鳴美の臨時ヘルプが決定したのである。
 しかし……行く先で待っている相手の事を知っていたら、鳴美は絶対にこのヘルプを引き受けなかったに違いない。


誰が望む永遠?

第八話:嫌過ぎる再会



 鳴美がヘルプで行く事になった「すかいてんぷる」の支店は、それほど遠い場所ではなく、電車で二駅ほど行ったところだった。もともと、市内でも山の手の方は鳴美の母校でもある白陵柊をはじめとして様々な学校が多い文教地区なのだが、この駅の周辺は、有名な女学校やその付属校が固まっている場所だった。駅前を歩いているのも、その学校の生徒らしい中高生の女の子が多い。
「さすがに夏休みでも学生が多いなぁ……」
 部活に向かうのか、ラケットケースなどを担いで学校へ向かう女の子たちの波に紛れて、鳴美は店への道を歩いた。中学生らしい娘たちを見上げる形になっているのには、流石にへこんだが。
「うう……大きくなりたい」
 そう呟いたところで、すかいてんぷるの看板が見えてきた。店の作り自体は、鳴美が働いている店と大差ない。勝手知ったるなんとやらで裏に回り、従業員用玄関のインターフォンを押す。
「ど、どちらさまですか?」
 男の声がインターフォンから聞こえてきた。
(なんか、聞き覚えのある声だな?)
 鳴美は思ったが、それがどこで聞いた声なのかは思い出せなかった。とりあえず用件を話す。
「今日からヘルプに来た、穂村と申します」
「あ、ああ。待ってましたよ。そのまま入ってきてください」
 インターフォンが切れ、玄関のロックがはずれた。鳴美は扉を開け、店長室へ挨拶に向かった。ドアをノックし、先ほどのやり取りを繰り返す。
(やっぱり、聞いた事のある声だな)
 誰だっけ? と鳴美は首を傾げつつ、ドアを開けた。
「失礼しま……すっ!?」
 室内を見て、鳴美は絶句した。そこにいたのは、30過ぎくらいの男性だった。源さんのような渋さはかけらも無く、冷房の効いた室内なのに、いかにも暑苦しそうに汗をかいている。そのうっとうしい男に、鳴美は見覚えがあった。いや、ありすぎた。
 それは、まだ鳴美が孝之だった頃の話である。当時から孝之は「すかいてんぷる」でバイトをしていたが、その頃源さんの前任者として店長をしていたのが、今目の前にいる男だった。
「ほ、穂村鳴美ちゃんだね……いやぁ、君みたいな可愛い子に来てもらえるなんて、うれしいなぁ」
 男はだらしなく笑った。この男、かなりヤバめのロリコン趣味なのである。女子店員へのひいきは凄まじく、男子は毎日針のむしろに座っているような気分を味わったものだった。理不尽な理由で給料を減らされた事も、一度や二度ではない。
(こ、この店に配転されていたのか……)
 鳴美はてっきりこいつはクビになったとばかり思っていたのだ。その嫌な思い出が今、目の前に蘇っていた……しかも、昔とはまた別の形で。
「あ、あの、すいませんわたし帰ります」
 変態店長の舐めるような視線に、全身に悪寒が走った鳴美は、その場で回れ右して逃げ出そうとした。
 しかし回り込まれた。
「な、何で逃げるのかな?」
 腕ががっしりと掴まれる。汗の感触がとても気持ち悪い。おまけに荒い息がかかる。
「ぎゃーっ! に、逃げないから離せこのへんたーいっ! っていうかハァハァするなぁ、ばかぁ!!」
 店に鳴美の悲鳴がこだました。

「……ということで、今日から三日間一緒に働く事になります、穂村鳴美です。よろしく」
 朝礼の席で鳴美が挨拶すると、ぱらぱらと拍手が起こった。ちなみに、ヘルプが要請されたのは、店員が数人帰省したためだった。
(また、見事なまでに趣味に走ってるな、あの変態)
 鳴美は店員たちを見て、ちょっとうんざりした気分になった。ホールスタッフには男子店員はおらず、いずれも鳴美ほど幼い容姿ではないが、身長150cmはないであろう小柄な女の子ばかりだ。しかも水準以上の美少女ぞろいである。
 その女子店員たちは、見るからに小学生にしか思えない鳴美を見て、顔を見合わせている。本当に働けるのかと露骨に不安そうだ。
(……まぁ、もう慣れた反応だけど。それにしても、あの店長の下で良くこんなに女の子が残ってるな)
 そう思って店内を見回した鳴美は、ある張り紙に視線を釘付けにされた。よくあるアルバイト募集の張り紙だが、条件がすごい。
「男子お断り。女性店員募集。身長148cm以下。採用時面談あり。 時給1500円から」
 まさに店長の趣味を満たすためだけに、こういう募集要項を作ったのだろう……1500円ともなれば、多少不愉快な事があっても我慢できると言うものかもしれない。ちなみに、鳴美が普段働いている店では、男女問わずバイトの時給は950円だ。
(やりすぎだろ、これは。本部は何も言わないのかな)
 鳴美はそんな事を考えたが、すぐに、うちには何時クビになってもおかしくなさそうなあゆまゆコンビがいるんだった、と思い出した。あの二人を何時までもそのままにしておくのだから、「すかいてんぷる」本部は余裕なのに違いない。
「それじゃあ、みんなは穂村さんと協力して頑張ってください」
 ホールスタッフのリーダーらしい、小柄だけど20代くらいと思われる女性が、手を叩いて言った。店長はこういう場には出てこないらしく、店長室に篭っている……が、正直その方がありがたい。
「はーい」
 ウェイトレスたちが声を合わせて唱和する……が、なんとなく力が抜けたような声だなと鳴美は思った。

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 開店すると、早速団体客が入ってきた。部活前に少しエネルギーを補給しておこうと言う事か、体育会系らしい女生徒たちが多い。重めのデザートやフライドポテトと飲み物と言う組み合わせで軽く食事を済ませ、店を出て行く。同じようなグループが多く、結構忙しい。
「注文を確認します。鳥のからあげ、クラブサンド、パンケーキ、キウィヨーグルトドリンク、アイスカフェオレ、健康野菜ジュース。以上でよろしいですか?」
 鳴美も忙しく飛び回って、注文を取っていた。それを厨房に伝え、飲み物を作って出してしまい、待機スペースに戻る。
「うーん、なんか客の数の割りに忙しいような?」
 鳴美はそう呟きながら、ホールを見渡し……異変に気がついた。
「……あれ?」
 ホールスタッフの数が少ない。朝礼の時は5人くらいいたはずだが、何時の間にか鳴美とチーフだけになっている……いや、あとの3人もいる事はいるのだが、客の中に友人が混じっているのか、立ち話をしていて全く働いていない。
(そりゃ忙しいはずだよ)
 鳴美は憮然とした表情になると、チーフを呼び止めた。
「チーフ、あの娘たち良いんですか?」
 鳴美は言った。直接注意しても良いが、自分ではドスが利かないし、一応外様なので気も使う。チーフから注意してもらうほうが良いだろうと考えたのだ。
 しかし、チーフはふるふると諦めた表情で首を横に振った。
「ほうっておきなさい、穂村さん。あの娘たちは店長のお気に入りよ。迂闊に注意したら……」
「ああ、なるほど……」
 鳴美は頷いた。要するに、あの変態は可愛い娘を集めて満足しており、彼女たちの働き振りには全く気を使っていないのだろう。たぶん、何をしてても注意しないに違いない。
「まったく、相変わらず最低だなぁ、あの店長」
 鳴美が思わず言うと、チーフは目を丸くした。
「穂村さん、店長を知ってるの?」
「わたしの店の前の店長ですよ、アレ」
 鳴美はチーフの質問に答えた。溜息をつくチーフ。
「そう……あなたなら優遇されたと思うんだけど、やっぱりイヤ?」
 鳴美は頷いた。
「まぁ、人としては当然かと」
 そう答えておいて、鳴美は腕組みをした。実は、彼女にはチーフと話しているうちに思いついた秘策があった。たぶん、これをすれば当面の問題は解決するに違いない。
 ただし、それを実行してしまうと、人として大事な何かを失うのは確実だった。さすがの鳴美も、躊躇せざるを得ない。
(こんな小さな女の子の姿で、今更男の尊厳を云々しても始まらないか……)
 しかし、結局鳴美は秘策を実行する事にした。自分は数日でいなくなるが、このままではチーフや真面目に働いている子がかわいそうだ。
「チーフ、ちょっとだけこの場をお願いします」
 鳴美はそう言うと、チーフの返事も聞かずにバックヤードに入っていった。まっすぐ店長室へ向かい、ドアをノックする。
「すいません、店長。いらっしゃいますか?」
 声をかけてみたが、返事が無い。特に出ていった様子も無いのにおかしいな、と思って見ると、鍵はかかっていなかった。そこで、意を決して開けてみる。
「店長さーん……あれ、いないな」
 室内に変態店長の姿は見えなかった。トイレにでも行ったのだろうか、と思いながら部屋を見渡し、鳴美はまた気付いた。この店長室、自分の店のそれと比べて、微妙に狭いような気がする。
(ホールや厨房の作りは同じなのに……変だな)
 よく見ると、机の斜め後ろに別の部屋に通じる扉がある。奥にもう一室設けてあるらしい。何の部屋かはわからないが、店長はそこだろうと当たりをつけて、鳴美はその扉をノックした。
「店長さーん。いらっしゃいますか?」
 声をかけると、鍵が開く音がして、扉が少しだけ開いた。予想通り変態店長はそこにいた。何か異臭すら漂っている気がする。
「や、やあ。なにかな?」
 仕事もせずに、なにかなじゃないよ、と鳴美は文句を言いたくなったが、それはこらえて、胸の前で手を組むと、少し息を止めて顔を赤くした。その上で、上目使いに変態店長の顔を見る。
「あ、あの……お願いがあるんです……お話、聞いてくれませんか?」
 変態店長が激しく動揺するのが手に取るようにわかった鳴美だったが、自分も激しく動揺していた。
(うわぁ……こんなのに媚を売らなきゃいけないなんて。屈辱的だっ!)
 情けなさに涙が出そうだった……というか実際に出たが、それが駄目押しになった。目を潤ませた美少女のお願いに勝てる男はそうはいない。まして変態なら。
「わ、わかったよ。僕で良いなら何でも聞いてあげよう」
 変態店長はちょっと慌てたように言うと、奥の部屋を出て鳴美にソファの方を指差して見せた。しかし、鳴美は首を横に振った。そこまで長引く話ではない。
「実は……」
 そう切り出すと、鳴美はあまり働かない例の三人の名前を挙げて、店長に言った。
「店長さんから諭してくれれば、きっと三人とも真面目に仕事してくれると思うんです。わたしからじゃ言い出し辛くて……」
 そう言って、鳴美は顔を伏せた。すると、変態店長は妙に張り切った表情で頷いた。
「う、うん。そうだね。鳴美ちゃんの言う通りだ。あの娘たちには、僕のほうから言うよ」
 そう言って、ホールに出て行った変態店長は、まだ友人たちと立ち話をしているウェイトレスに近づくと、二、三言注意した。注意された娘たちは一瞬不満そうな顔をしたが、さすがに店長には表立って逆らえない。渋々仕事を始めた。
 店長の後から戻って行った鳴美を見て、チーフは目を丸くした。
「凄いわね。どうやったの? あの店長を動かすなんて」
 チーフはその手腕に喜んでいたが、鳴美は曖昧な笑みを浮かべて首を横に振った。さすがにアレは恥ずかしくて言えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・−||:


 ともあれ、話に夢中だった三人が仕事に復帰したので、鳴美の負担は軽くなった。ただ、時々視線を感じる。ちらりとそっちを見ると、サボリ側三人が険悪な目で彼女を睨んでいた。
(あー、やっぱり怒ってるか。謝らないけどね)
 鳴美は苦笑した。向こうも自分たちが突然叱られた元凶が誰かはわかったらしい。
 とは言え、鳴美はそんな視線は気にしない事にした。非友好的環境に置かれる事には慣れている。それに、三人束になったところで、あゆ一人よりはずっと恐くない。
 そんな状態で、お昼の時間になった。昼食を食べようと、朝部活に来ていた少女たちが店にやってくる。炎天下で運動をしていただけに、どの娘たちも水をかぶったように汗だくだった。
「涼しい〜」
「生き返る〜」
 鳴美は口々にそんな事を言いながら入ってくる彼女たちを席に案内し、お冷と冷たくしたおしぼりを配ってやった。見ると体操着のままで、それが汗で透けて下着の線や模様がうっすらと浮かび上がったりしているが、女の子ばかりという事であまり気にしていない。
(うーん、これは男の目には毒かな。ホールスタッフを女の子で固めたのは正解かも……まぁ、怪我の功名みたいなもんだろうけど)
 変態の趣味もたまには役に立つ。鳴美は男の視点で店内を見つつ、そう思った。しかし、すぐに考え事に浸る余裕も無くなる。注文を決めた少女たちが、一斉に呼び出しボタンを押し始めたからだ。
「はい、ただいま伺います」
 返事をすると、鳴美は手近なテーブルに駆け寄って、手早く注文を取った。それを数回繰り返していると、別のテーブルで大声が上がった。
「ちょっとゆっこぉ、早くしなさいよ」
「おなかペコペコなんだからさぁ」
 客の少女たちにウェイトレスの少女が責められていた。たぶん学校ではクラスメイトか何かなのだろう。
「あ、う、うん。ごめん。ちょっと待ってて」
 ウェイトレスの少女はそう謝りながら、POS相手に悪戦苦闘しているが、上手く操作できないようだ。鳴美はその場に駆け寄った。
「どうしたの?」
 鳴美が聞くと、ゆっこと呼ばれた少女は半泣きの表情で鳴美を見た。午前中サボっていた娘の一人だ。
「なんか、メニューがぐちゃぐちゃになっちゃって……」
 答えるゆっこの手から、鳴美はPOSを取り上げた。
「ちょっと貸してね」
「え、あ……ちょっと」
 ゆっこが何か抗議しているが、鳴美は構わずPOSを見た。
「ああ、何個か二重注文になっちゃってるね。たまにタッチパネルが敏感な事があるから、POSはしっかり持たなきゃダメだよ。ほいほいっと……」
 鳴美はすぐに原因を突き止めて、注文を全キャンセルし、初期状態に戻すと、ゆっこに返した。
「落ち着いて操作すれば大丈夫。じゃ、もう一回」
「う、うん」
 自分より頭半分ぐらい小さく、年齢も4〜5歳は下に見える鳴美の思わぬ手際に驚いた様子を見せつつ、ゆっこはPOSを操作して、今度は間違いなく注文を取り終えた。それを確認して、鳴美がまた別のテーブルへ向かう。その後姿を、ゆっこはそれまでとは違う目で見ていた。

 その後も、鳴美は鮮やかな働きぶりでホールを仕切った。と言っても、鳴美に言わせれば、真面目に働いていなかった三人が駄目すぎるだけだ。あゆまゆコンビは問題児だが、あゆは客に暴言吐いたりはするが、仕事自体は割と上手にこなすし、まゆもドジはしてても真面目な分、三人よりは明らかに仕事ができるほうである。
(今までフォローしてたチーフさん、大変だっただろうなぁ)
 鳴美はちょっと同情の篭った目でチーフを見た。本来の店では職制上あゆがチーフだが、事実上チーフの役目をしているのは、実は鳴美になりつつあったりするので、この店のチーフの苦労は他人事には思えなかった。
 一方、ゆっこたち三人も、次第に真面目に働くようになってきていた。目の前で自分たちよりもずっと幼く見える鳴美がはきはきと働いている姿を見れば、それより仕事ができない自分たちの姿が恥ずかしくなったとしても無理はない。
 こうして、午後になると全員が普通に働くようになり、部活帰りの級友たちがウェイトレスに声をかけても、ちょっと立ち話をするくらいで、午前中のように話に専念すると言う事は、もうなくなっていた。
 
 そうやって時間は過ぎていき、夕方になった。バイトの3人は先に帰る事になる。
「お疲れ様でした」
 挨拶してくる3人に、鳴美は頷いた。彼女はあと1時間ほど余計に残っていく事になっている。
「うん、お疲れ様。気をつけて帰るようにね」
 鳴美がそう答えると、3人は顔を見合わせた。彼女たちは一応中高生に見えなくもないが、鳴美はどう見ても小学生なので、「気をつけて」という言葉が冗談にしか聞こえないらしい。鳴美もその辺は読み取れたので、苦笑しながら言った。
「たぶん気付いてないと思うけど……わたしは一応18歳だからね」
「ええっ!?」
 それを聞いて、3人は凝固した。みんながこうなる事はわかっているとは言え、やはりヘコむものはヘコむ鳴美である。
「……やっぱりそうなるよねぇ……」
 彼女が溜息をつくと、3人は慌てて再起動した。
「え、あ、いや、そのごめんなさい」
「し、しっかりしてるなぁとは思ったんだけど」
「まさか年上とは……」
 口々に言い訳する3人に、鳴美はパタパタと手を振った。
「あー、別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、一応お姉さんと言うか、先輩から一言なんだけど、ちゃんと仕事はした方が良いよ。この店は特別なんだからね。店長アレな人だし」
 さすがに変態と言う言葉は避けた鳴美だったが、3人の方も心当たりはあったらしい。
「まぁ、それはそうなんですけど……」
「ついどうしても……」
 俯く3人を見て、鳴美は首を傾げた。
(あれ? 意外と素直だね?)
 チーフが注意するなと言うくらいだから、さぞかし言う事を聞かない娘たちなのかと思っていた鳴美は、ちょっと拍子抜けした。やがて、3人が帰っていくと、チーフが鳴美のところに来て言った。その表情には感謝の気持ちが溢れている。
「穂村さん、貴女に来てもらって良かったわ」
「え?」
 どういうこと? と問い返す鳴美に、チーフは暗い表情になって答えた。
「あの娘たち自身は、ちょっと調子に乗りやすいけど、素直は素直なのよ……育ちも良いし。ただ、私みたいなちょっと年上の人が注意すると、たちまち店長に怒られるのよ。あの人は年下が正義らしいから」
「あー、そうですね。わかります」
 鳴美は頷いた。チーフもたぶんそうやって嫌な目にあったのだろう。過去の自分の経験と照らし合わせて、ますますチーフに親近感を抱いた鳴美だったが、次の一言に大ダメージを受けた。
「だから穂村さんも危ないかな、って思ってたんだけど、やっぱり見た目なのかしらね」
「……そうなんでしょうけど、指摘して欲しくはなかったです……」
 ちっちゃい子扱いよりも、あの店長に気に入られているかもしれない、と言う可能性の方が嫌過ぎである。
「でもまぁ……アレのわがままをどうにかするのに貢献できたなら、それはそれで良かったですよ」
 気を取り直して鳴美が言うと、チーフも笑顔で頷いた。

 それからしばらくして、鳴美の勤務時間も終わりになった。チーフや、入れ代わりに来た夜シフトの店員に挨拶をして、更衣室に入る。この時間に帰るのは鳴美一人だった。
「あー、やれやれ。やっと終わった」
 店長がアレという事でちょっと落ち着かなかった鳴美だったが、この店にも良い事が一つあった。
「このお店なら、大空寺に理不尽に蹴っ飛ばされなくて済むのは良いかなぁ……」
 そうなのだ。この店にはあゆがいない。店長の事さえなければ、それだけで転属願いを出したくなる魅力である。
「まぁ、そうもいかないけど。さて、早く帰らないとお姉ちゃんが待ちくたびれちゃう」
 そう言って、鳴美はロッカーを開けた。借り物の制服を脱ぎ、ハンガーにかけると、代わりに私服を手に取る。今日の彼女の装いは、スカイブルーのキャミソールワンピだった。前に遙に選んでもらったものなので、ちょっとフリフリなのが恥ずかしいが、すぐに着替えが済むところは気に入っている。頭からそれを被ろうとして、鳴美はふと手を止めた。
「……ん?」
 なんだか嫌な感じがした。まるで誰かに見られているような……
「……誰かいるの?」
 鳴美はキャミワンピを胸に抱いて、辺りを見回した。しかし、返事はない。
「気のせいか」
 鳴美は首を振って気を取り直すと、改めて私服に着替えた。店長がアレだけに、ちょっと神経過敏になっていたかもしれない。
 しかし、鳴美の感じたものは、決して気のせいなどではなかったのである。

(つづく)



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