ざっぱざっぱと水を掻き分ける音が響き渡る。ここは市民プール。夏の間はみんなの憩いの場として親しまれている場所だ。日が高くなるにつれて芋を洗うように大混雑してくるここも、朝早い時間ならそれほど混んでいない。
「ふぅ……良かった。意外と泳げるな」
 25メートルプールを往復してみて、鳴美は呟いた。遥に誘われた海行きまであと数日を控え、今の身体ではどれだけ泳げるのか、一応確かめに来たところだ。
「これなら適当にごまかして、泳げるようになったのは水月と茜ちゃんのおかげだって言えば、何とか丸く収まるか……」
 当初海行きを断ろうとして「泳げないから」と言い訳した手前、あまり泳ぐのが上手くても困るし、本当に泳げないのもまた困るが、少なくともそういう心配はなさそうだった。
 安心したところで、鳴美はプールを出て、家に買えることにした。水泳能力を確かめるのが目的であって、別に泳いで遊ぶわけではないからだ。今日はバイトは無いが、それならそれで家に帰って掃除や夕食の準備もしなくてはならない。
 ところが、更衣室に近づいたとき、突然プールの塩素くさい空気を吹き払うような熱い風が吹きぬけた。同時に悪寒を感じる。もしやこれは、と鳴美が嫌な予感に囚われ、逃げ出そうとするよりも早く、プールに大音響の叫びが轟いた。


誰が望む永遠?

第七話:低抵抗仕様



「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ! 会いたかったぞ我が妹よおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
 あまりの大声に鳴美は身が竦み、その場に立ち止まった。そこを間髪入れず、浅黒く焼けた頑強な腕が抱え込む。
「にゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」
 悲鳴をあげる鳴美。加えて加害者から頬ずり攻撃を仕掛けられる。剃り残したひげの感触が痛い。
 いくら午前中でまだ人が少ないと言っても、当然こんな騒ぎを繰り広げていれば注目を集めるわけで、監視員と警備員がまとめて走ってきた。
「おい、お前! 何やってんだ!!」
「その娘を放しなさい!!」
 そう警告されても、熱い風の男……すなわち、鳴美の押しかけ兄、剛田城二は「妹」を抱く手を止めずに言い返した。
「な、何だお前ら! 兄妹のスキンシップを邪魔するのか!?」
 じたばたと手足を動かしながら「はーなーせー」と叫ぶ鳴美を見る限り、明らかに嫌がっているのは確かなのだが、ここまで確信持って「兄妹」と言い切られては、警備員も監視員もツッコミを入れられない。が、代わりに入れてくれた人がいた。
「いい加減にしなさい、このおバカー!!」
 その声と共に、城二の顔面を何か白いものが強打した。プールの備品であるビート板だ。
「ぶしっ!?」
 奇妙な叫びを上げた城二が顔面を押さえ、鳴美は解放された。が、腕の中から滑り落ちるときに、城二の足を思い切り踏みつけてしまう。彼女は体重が三十kg台しかないが、それでも一点集中すればなかなかの破壊力。城二は激痛に飛び上がった。
「ぬおぉーっ!? わぶっ!!」
 飛び上がって、落ちた先はプールだった。水柱を上げて城二が轟沈する。飛沫を浴びながら、鳴美は顔を上げた。そこには予想通りの相手がいた。
「あ、ありがとう……えーと、千鶴ちゃんだっけ?」
 ビート板を手にしていたのは、先日バイト先で会った茜の親友、榊千鶴だった。一応確認したのは、千鶴が眼鏡を外していて、印象が変わっていたからだ。
「はい、こんにちわ、穂村さん」
 千鶴はにっこり笑うと、鳴美に挨拶を返した。その背後では、やはりこの前もいた、まだ名前のわからない彼女の級友たちが、警備員や監視員に頭を下げて引き取ってもらっていた。
「あはは……そんなかしこまった呼び方しなくていいよ。鳴美で」
 鳴美は言った。彼女にとっては、「穂村さん」はやはり姉である愛美の事を連想してしまうし、「なるみ」の方が昔から持っていた名前で、愛着がある。だから、そっちの方で呼んでほしかった。
「そうですか? じゃあ、鳴美さんって呼びますね」
 答える千鶴。相手が一応年上だと知ってからは、鳴美への話し言葉が丁寧になっていた。
「ふぅ、死ぬかと思った」
 そこへ、浮上してきた城二がプールサイドへ上がってきた。
「う……」
 思わず、鳴美は千鶴の後ろに隠れた。年上が年下の女の子を盾にするのはちょっとアレだが、流石にこれは仕方がない。
「剛田君、ダメでしょう。鳴美さんがおびえているわ」
 千鶴が叱るように言うと、剛田は頭を下げた。
「申し訳ない。つい愛が暴走して」
「愛なのか、あれは」
 そこにまだ名前を知らない、普通っぽい少年がツッコミを入れてきた。さらに、鳴美に向けて頭を下げる。
「いや、本当すいません。こいつも悪い奴じゃないんですけど、どうにも理性が乏しいので」
「白銀、人をゲダモノみたいに言うな」
 城二が憮然とした表情で言う。
「似たようなモンだろう
 白銀と呼ばれた普通そう少年はあっさりと城二の反論をいなすと、鳴美に今度は挨拶として頭を下げた。
「と言う事で、委員長と剛田のクラスメイトで白銀武と言います。よろしく」
 鳴美を年上と認めていたためか、武の態度は丁寧なものに変わっていた。ちなみに、委員長とは千鶴の事だ。
「ボクは鎧衣尊人です。よろしく」
 女の子と見間違えそうな中性少年も挨拶をしてきた。
「鑑純夏です。タケルちゃんの幼馴染みです。よろしくお願いしますね、鳴美先輩」
 女の子も挨拶をしてくると、武がツッコんだ。
「純夏、俺の幼馴染みだって、そんな自己紹介があるかよ」
「えへへ〜」
 苦笑いする純夏。幼馴染み同士仲が良さそうだ。鳴美にはそういう仲の友人はいないので、ちょっと羨ましい。
「改めまして、穂村鳴美です。よろしく」
 そう言って、鳴美は三人を見回した。
「それにしても、白銀に、鎧衣に、鑑? なんか、みんな凄い名前だねぇ」
 鳴美は言った。彼女のもとの苗字、鳴海もちょっと珍しい苗字だが、この三人ほどではない。
「あはは、良く言われますよ」
 武が笑った。
「ところで、鳴美先輩は何をしてらっしゃるんですか?」
 純夏が聞いてきた。
「わたし? ちょっと泳ぎの練習を……って、さっきから先輩って言ってるけど、それって?」
 鳴美は質問に答えつつ、純夏の自分への呼びかけに疑問を覚えて聞き返した。確かに、鳴美は元はと言えば彼らと同じ白稜柊の出身なので、「先輩」と呼ばれてもあながち間違いではない。
 しかし、その経歴の事は店長以外には話していないので、純夏に先輩と言われる理由はないはずだ。そう思っての逆質問に、純夏はにっこり笑って答えた。
「あ、私今度先輩と同じお店でバイトをする事にしたんです。だからですよ」
「え゛」
 鳴美は驚いた。こんな、純夏みたいな、ちょっと天然そうな女の子があの店でバイトを?
「それは……あんまりお勧めしないなぁ」
 鳴美が言うと、純夏は「なんでですか?」と首を傾げた。
「それはね、あの店には後輩いびりの大好きな怪獣がいるからだよ」
 鳴美が答えると、背後から声がかかった。
「怪獣? それはこういう声かしらねぇ」
「そうそう、そんな声……」
 反射的にその声に答えたその瞬間、鳴美は凍りついた。この声は……まさか!? 振り向いた彼女の目に映ったのは、自分のほっぺたに向かって伸びてくる一対の腕だった。
「人がいないと思って陰口を叩くとはいい度胸してんじゃないのさ」
 腕の主……怪獣こと大空寺あゆは、鳴美のぷにぷにのほっぺたをつまむと、むにーんと横に引っ張った。
「いひゃいいひゃい! ひゃめへひゃめへ!!」
「あーん? 何言ってんだかわかんないわよ」
 楽しそうに鳴美のほっぺたを伸ばしたあゆは、最後に思い切り左右に腕を開いた。ばちん、という音と共に、鳴美のほっぺたにとどめが刺された。
「にゃうううぅぅぅぅぅぅっっ!?」
 しゃがみこみ、真っ赤になったほっぺたをさする鳴美。あゆはその姿を魔王の如く見下ろし、蹴りを入れる構えを見せながら言った。
「ほうら、なるなる。言わなきゃいけない事があるんじゃないの?」
「ご、ごめんなさい!」
 鳴美は飛び上がって謝った。屈辱的だが、この状態で蹴られたら、プールに叩き落されてしまう。
「わかればいいのよ、わかれば」
 偉そうに腕を組んで満足げに笑うあゆに、鳴美はさっきの純夏と同じ質問をぶつけた。
「ところで、なんで大空寺先輩がここに?」
 あゆは偉そうな姿勢のまま、彼女にしか出来ない高慢な発言を放った。
「ふっ、たまには庶民が来るようなプールを見てみようと思っただけよ」
「実は、せんぱいの家のプール、機械が壊れて動かないらしいですよ〜」
 そこへ真相を告げたのは、何時の間にか後ろにきていたまゆだった。
「まゆまゆ! 余計な事言うんじゃないわよ!」
 あゆに叱られたまゆが、首をすくめて逃げる。それを見送り、あゆはこほんと咳払いを一つ。
「ま、それはともかく……そう言うなるなるはここで何してるのさ?」
「え? あ、お、泳ぎの練習を……」
 思わず正直に答える鳴美。すると、あゆはフッと鼻で笑った。
「なに? あんた泳げないの? まぁ、そんなお子ちゃまな水着を着ているようでは当然かしらね」
 馬鹿にした口調で言うあゆ。確かに、鳴美の今着ている水着は前に遙に買ってもらった、黄色いフリフリのワンピースで、泳ぐよりは波打ち際で砂遊びでもしている方が合いそうなデザインではある。
 ちなみに、あゆ自身は胸や背中が大胆にカットされた、背丈の割にはグラマラスな彼女の魅力を引き立てるような、黒のワンピース。まゆは青と白の横ストライプのセパレート。千鶴はモスグリーンのワンピース、純夏が濃青で縁取りされた水色のビキニという、それぞれ個性的なチョイスだ。
「み、水着は関係ないじゃないですかっ!?」
 鳴美は反論した。さすがにそんな理不尽な理由でカナヅチ扱いは酷すぎる。
「それに、最近泳いでなかったから、勘を取り戻しに来ただけで、ちゃんと泳げます!」
 泳げる、と言う鳴美の主張を、またしてもあゆは鼻で笑った。
「そこまで言うんだったら、証明してもらおうじゃないの」
「し、証明?」
 何を言い出すのか、と身構える鳴美に、あゆはプールを指差した。
「あたしと競争して、勝ったらなるなるが泳げるって認めてやるわよ」
「先輩、競争ではなく競泳ではあうっ!?」
 まゆが余計なツッコミを入れて、あゆに殴られた。
「どう? やってみる?」
「や、やってやります!」
 あゆの挑発に鳴美は乗った。ここまで馬鹿にされては後には引けない。こうして、鳴美とあゆの25メートル自由形一本勝負が始まった。

「はい、それでは位置について」
 一番まともそう、という誉められているのか貶されているのかわからない理由で審判を引き受けさせられた武が、右手を高く上げる。飛び込み台に立った鳴美とあゆは、それを合図に身構えた。
「用意……スタート!」
 合図が掛かり、飛び込もうとぐっ、と鳴美が身を縮めた時、プールの屋根まで震えるかと思うような大音声が彼女を打ち据えた。
「頑張れええええぇぇぇぇぇぇっっ! 我が妹よおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!」
 城二だった。その声にバランスを崩した鳴美は、水面に全身を叩きつけるようにして落ちた。
「あー、アレは痛いね」
 尊人がのほほんと言う。その通り、鳴美は激痛に唸りつつも、なんとか泳ぎ始めていた。見れば、あゆは身体一つ先を泳いでいる。かなりのロスだ。
(剛田……後で絶対シメる)
 無理そうな決意をしつつ、鳴美は懸命に手足を動かす。
「あら、意外と速いわ、鳴美先輩」
 純夏が感心する。彼女の言う通り、鳴美はじわじわとあゆとの差を詰めていた。最初はあゆの足と同じ位置に鳴美の頭があったのだが、プールを半分過ぎたところで、鳴美の頭はあゆの胸あたりまで迫っていた。
「うむ、さすが我が妹……あの特訓の日々は無駄ではなかった!」
 城二がなにやら涙を流しながら言う。彼の頭の中では、存在するはずがない鳴美との水泳の特訓の日々が、走馬灯のように去来していた……というか、新たな妄想として紡ぎ出されていた。
「お前は何を言ってるんだ」
 武はそんな城二に呆れつつも、審判としての役割を果たそうと、二人の様子をじっと見ていた。
「先輩も鳴美ちゃんもがんばれー」
 まゆが応援する中、あと5メートルと言う距離で、ついに二人の身体が並ぶ。そして……
「ゴール!」
 武が宣言した。泳ぎきった二人がざばっと水面から顔を上げる。
「はぁ……はぁ……ど、どっちが勝った?」
「はぁ、はぁ、当然あたしよね?」
 口々に問うちびっ娘二人。武はプールサイドにしゃがみこむと、そっと勝者の腕を取った。
「この勝負、鳴美さんの勝ち」
 手を差し上げられた鳴美は、一瞬ぽかんとしたものの、次の瞬間喜びを爆発させた。
「やったぁ! どうです大空寺先輩。これでわたしもちゃんと泳げるって、認めてくれますよね!?」
「うぬぬ……」
 まだ負けたことが納得できず、歯噛みして悔しがるあゆだったが、ふとニヤリと笑うと、頷いた。
「まぁ、確かにあんたの勝ちだわ。水中抵抗の差ね」
「へ?」
 鳴美はその言葉の意味がわからず、あゆの顔をぽかんとした顔で見つめた。すると、あゆは鳴美の身体を指でつついた。
「ひゃんっ!?」
 敏感な部分をつつかれ、思わず悲鳴をあげる鳴美に、あゆは敗者とは思えない、勝ち誇った表情で言った。
「それだけ平らなら、水中抵抗は少ないんだから、速くて当然」
 あゆがつついた部分……それは、鳴美の胸だった。
「う……」
 鳴美の目に涙がにじみ、プールの水量を増やした。
「うわあぁぁぁぁんっ! 酷いいぃぃぃぃぃぃっっ!!」
 そのまま駆け去る鳴美。勝負には勝ったが、そんなものは吹き飛ぶくらいの圧倒的な敗北感だった。
「ああっ!? 鳴美先輩っ!?」
 純夏が呼んだときには、鳴美はもう更衣室に走りこんだ後だった。
「よし、ここは俺に任せてくれ」
 そう言って親指を立て、鳴美を追おうとした城二が、女子更衣室手前でプールの警備員に阻止されていた。
「まさに外道……!」
 武が畏怖の目であゆを見ていた。
「せんぱい、ちょっと鳴美ちゃんがかわいそうなのでは……」
「どうだって良いさ、あんなヤツ」
 流石にまゆが抗議したが、あゆは素知らぬ顔だった。しかし。
「ダメでござるよせんぱい。今のは、せんぱいみたいなスタイルの良い人は、絶対に言っちゃいけない言葉です。せんぱいだって、他の人から背が低いとか言われたら、怒るじゃないですか?」
 あまりあゆには逆らわないはずのまゆが、この時ばかりは強い口調で言う。同じ悩みを共有する同志として、彼女には鳴美の気持ちが良くわかった。
「……わかったわよ。しょうがないわね、まったく」
 あゆは頭を掻くと、まゆといっしょに鳴美を探しにいくことにした。

 その頃、鳴美はプール近くの公園で、ブランコに座って泣いていた。
「うう、あんまりだ……」
 ぐしゅぐしゅと泣くその姿は、どう見ても小学生で、あゆにお子様扱いされてバカにされるのもしょうがないものがある。しかし、外見はともかく鳴美は子供ではない。自分の外見的印象くらいちゃんとわかっている。
 だからと言って、それをあからさまに指摘されて愉快なはずもない。反論できないとなればなおさらである。
 そうやって鳴美が泣いていると、夏の陽光を遮るようにして、彼女の前に立った人物がいた。
「泣くな、妹よ」
「……剛田君?」
 城二の言葉に鳴美が顔を上げると、城二は何かを差し出してきた。白いハンカチ。意外な気配りだった。
「それで顔を拭くといい」
「……ありがとう、剛田君」
 鳴美は礼を言って、目じりに浮いた涙を拭った。ちょっとだけ城二への好感度がアップする。いつもこうなら良いのに。
「……できれば、お兄ちゃんと呼んで欲しいんだけどなぁ」
「それはイヤ」
 城二の独り言のような台詞に、一瞬で上がった好感度がマイナスに転じる。それでも、鳴美はハンカチを持ってもう一度礼を言った。
「でも、ちょっとだけホッとした。ありがとう。ハンカチは洗って返すね」
 少しサービスして、笑顔を向ける。城二は顔を赤くして、首を横に振った。
「い、いや。良いよ。愛しい妹の涙が染み付いたハンカチだ。汚くなんてない」
「そういう問題じゃないんだけど」
 鳴美はちょっと頭痛を感じつつ、ハンカチを強引にポシェットに押し込んだ。そのまま返したら、何か別の事に使われそうな気がする。
「まぁ……その、なんだ。気にする事はない」
 ハンカチを返してもらえなかった事には残念そうな表情をした城二だったが、シリアスな顔で鳴美を見た。
「え?」
 鳴美が顔を上げると、城二は慰めの言葉を続けた。
「胸が大きくなくても、君は可愛い。いや、むしろ大きくないからこそ。だから、気にしなくてもいい」
 よく聞くと、慰めどころかフォローにもなっていないような気はしたのだが、城二が本心から鳴美を想って言っている事は、彼女にも良くわかった。
「うん……ありがとう」
 鳴美は礼を言ったが、次の瞬間、城二の余計な一言に引きつった。
「でもまぁ、これでお兄ちゃんの気を引くために、豊胸マッサージとかする妹も、それはそれで良しなのだが」
 城二本人は口に出しているつもりはないのだろうが、思い切り考えが口に出ていた。鳴美は地面を蹴って勢いをつけると、ブランコの上に立ち上がった。
「何がそれはそれで良しだ、このおバカー!」
 ブランコが戻る反動で放たれた鳴美の蹴りが、城二のこめかみに突き刺さった。
「うわらばっ!?」
 断末魔の悲鳴をあげて、城二が地面に轟沈する。地面に降り立った鳴美は憤然とした表情で城二の亡骸を見下ろすと、その場を立ち去った。

「はぁ……余計な時間を食っちゃったな。早く家に帰って家の用事を済ませないと」
 城二を倒した鳴美は、そのまま家路についていた。夕べは愛美が夜勤で、お昼頃には帰ってくる。それまでに昼食を作っておいて、夕方までには寝ている姉の代わりに掃除洗濯を済ませておきたいところだ。
 そう思いながら家に続く道へ曲がろうとしたところで、鳴美はばったりと帰ってきた愛美に出くわした。
「あら、鳴美ちゃん」
「あ、お姉ちゃん。今帰り?」
 しまった遅くなりすぎた、と思いつつ鳴美は姉に微笑んだ。
「どこか行ってたの?」
 夜勤明けだけあって眠そうな愛美に、鳴美は水着を入れたバッグを見せた。
「うん、ちょっと泳ぎの練習にね。じゃあ、一緒に帰ろうか。冷蔵庫の中に冷やし中華の材料は用意してあるから」
「あら、良いわね」
 愛美も微笑んだ。今日も暑い。冷やし中華は何よりのご馳走だ。
「それじゃ、帰りましょうか」
 愛美が手を差し出してくる。手を繋ごうと言う事だろう。頷いて鳴美が手を差し出したとき、後ろから声が聞こえた。
「あ、いたいた。先輩、鳴美ちゃんがいたでござるよ」
「そうか」
 鳴美は振り返った。そこには、さっきプールで別れたばかりのあゆまゆコンビが立っていた。まゆはニコニコ笑っているが、あゆは不機嫌そうな顔である。
(……何しに来たんだ?)
 鳴美は警戒した。まさか追い討ちをかけにでも来たのか? と思ったその時、まゆがあゆを促した。
「ほらほら、せんぱい」
「わ、わかってるわよ」
 背中を押されたあゆが鳴美の前に進み出てくると、ちょっと視線をそらして、ぶっきらぼうな口調で言った。
「その、さっきは悪かったわよ」
「え?」
 鳴美は一瞬、あゆが何を言ったのか理解できなかった。あのあゆが謝罪? 思わず、鳴美はポケットからティッシュを取り出すと、それで耳を念入りに掃除して、それから聞き返した。
「今、なんて言いました?」
「……あんた、やっぱりあたしにケンカ売ってんじゃないの?」
 あゆがこめかみにはっきりとわかる青筋を立てて言う。それでも武力行使に出ないのは、さすがに愛美の前で妹を蹴り飛ばす事は出来ないからだろう。
「あ、い、いや、そういうわけでは」
 鳴美は慌ててぶんぶんと首を横に振った。ここで怒らせたままだと、明日店でどんな報復を食らうかわかったものではない。
「ただ、ちょっと意外だったもので、つい……」
 鳴美がそう言うと、あゆはふんと鼻を鳴らした。
「見くびってもらっちゃ困るわ。負けを認める事もプライドのうちよ」
「おお〜、せんぱい、かっこいいです」
 まゆが拍手をする。鳴美はほんとかよ、と思ったが、これ以上事を荒立てるのは賢明ではないと思ったので、口では逆の事を言った。
「良いですよ。もう気にしてませんから」
「なら良いのよ」
 あゆはあっさりと言った。やっぱり反省していないようである。
「じゃあ、あたしたちはこれで」
「おさらばでござる、鳴美ちゃん」
 そう口々に言って、あゆまゆは去っていった。鳴美がため息をつくと、成り行きを見守っていた愛美が聞いてきた。
「今の娘たちは、バイト先の人よね?」
「うん。ちょっとプールでいろいろあって」
 鳴美が答えると、愛美はくすくすとおかしそうに笑った。鳴美は首を傾げた。
「どうしたの? お姉ちゃん」
 すると、愛美は嬉しそうな表情で答えた。
「うん、ちゃんと鳴美ちゃんも友達を作ってるんだなぁ、って思って」
「あ」
 鳴美は思い出した。この姿で目が覚めた後、愛美に言われた事を思い出したのだ。この姿でなら、新しく人間関係をやり直せるかもしれない、と。
「……うん、そうかもしれない」
 鳴美は頷いた。あゆにはいじめられているとはいえ、昔ほど刺々しい関係ではないし、茜の友人たちとも知り合った。ちょっとは人間関係が豊かになったと思う。
「良かった。それじゃあ、帰りましょう」
「うん」
 二人は改めて手を繋ぐと、アパートへの道を歩いて行った。

(つづく)



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