下着類を買い込んだ穂村姉妹は、今度は駅前のアパレルブランドショップの集まったビルに来ていた。一見無難なチョイスに見えるが、実はそうではない。愛美が鳴美に着せてみようと思っているブランドの店は、このビルの中にしかないのだ。
「それじゃあ、入りましょうか」
「うん、あれ…?」
 愛美に手を引かれた鳴美だったが、ふと鼻をくすぐった香りに、思わず足を止めていた。覚えのある、香水の香り。これを良く使っていたのは…
「どうしたの?」
 妹の不審な行動に、愛美が怪訝そうな表情を向ける。だが、鳴美は立ち尽くしたまま、一点を見つめていた。
 白いワンピースに身を包んだ、髪の長い女性。香りの源は彼女だった。そして、彼女は鳴美が良く知る人物でもあった。
(そ、そんな偶然って…)
 ぶっちゃけありえない、と鳴美が思っていると、彼女の視線を感じたのか、女性が振り向いた。そして、二人の視線が空中で絡み合った。


誰が望む永遠?

第三話:着せ替え人形のキモチ(後編)



 と、女性は鳴美の隣に顔なじみを見つけ、視線をそらした。
「あら、穂村さん…ですよね。その節はお世話になりました」
 女性がにっこり笑って頭を下げた。
「涼宮さん。もう、出歩けるようになったんですね」
 愛美が微笑み返す。そう、この白いワンピースの女性こそが、鳴美(孝之)の元恋人一号、涼宮遙その人だった。懐かしさのあまり、鳴美は一瞬泣きそうになった。
 高校最後の夏、遙から告白される形で、二人は恋人同士になった。まだ孝之がダメ人間になる前の話だ。孝之は遙の家族に対する受けも悪くはなく、特に妹の茜からは「お兄ちゃん」と呼ばれて慕われた。もし、あんな事さえ起きなければ、二人はそのまま幸せな人生を歩んでいけたかもしれない。
 しかし、遙が事故に会い、目覚める見込みのない昏睡状態に陥ると、彼女を守れなかったとして孝之は糾弾され、家に近づく事すらできなくなった。孝之自身、自責の念で押しつぶされ、転げ落ちるようにダメな人になってしまったのは、既に述べたとおりである。
 その遙は少し前に昏睡から回復していたが、もはや彼女の周囲に孝之の居場所はなかった。
「ええ、リハビリも終わって、先生も太鼓判を押してくれましたから」
 遙はそう答えた。本人の資質もあるのだろうが、3年間眠っていたため、同じ年齢の水月や、年下の愛美と比べても、遙は無垢な印象を周囲に与える女性だった。眠っている間に伸びた髪の毛をそのままにしているのも、高校時代の「歩く少女漫画」と言うあだ名そのままの純真そうなイメージを強めていた。
「ところで、そちらの娘は?」
 鳴美はさっきの水月の事を思い出して、思わず身を竦ませた。が、愛美はかまわず紹介する。
「あ、私の妹の鳴美です。字は美しく鳴る、って書くんですよ」
「へえ、妹さん…可愛い娘ですね。鳴美ちゃん、年はお幾つ?」
 発音の類似性を思い切り流された。鳴美は安堵する反面で、(遙にとって、「なるみ」という名前の重みはそれだけですか?)と心の中で泣いた。
 とは言え、ちゃんと返事をしないと変に思われるので、鳴美は内心の動揺を隠して答えた。
「18歳です」
「そうなんだ」
 遙はまた特に不審に思った様子もなく頷いた。
(ま、また流された…って言うか、遙、目を覚ましてから天然ぶりに拍車掛かってないか?)
 かつての恋人の妙な反応に、鳴美はどうして良いものか困ってしまった。そっと愛美に尋ねる。
「お姉ちゃん、遥って、こういう性格じゃなかったと思うんだけど…」
 愛美は沈痛な表情で答えた。
「…うん、なんか、事故の後遺症らしいわ」
 その答えに、鳴美は密かに泣いた。が、遙は何か感慨深そうに話している。
「妹さんとお買い物…良いなぁ。最近、茜なんて付き合いが悪くって」
「あら、でもあんなに熱心にお見舞いに来てくれてたじゃないですか」
 話し相手になる愛美。密かに恋敵同士で、愛美などこっそり遙の抹殺を考えた事もあるほどだが、今は元入院患者とナースとしてごく普通の関係になっている。まぁ、そうでなければ困るのだが。
「そうなんですけど、私ずっと学校休学していたから、今度復学すると、妹の同級生なんですよ。その辺が複雑らしくって」
 そう言って遙は苦笑する。なるほど、それはそうだよなぁ、と鳴美は妙に納得した。
「それで、お買い物って、服ですか?」
 遙が聞いてきた。
「ええ、鳴美ちゃんの服を買いに。あんまり服持ってないものですから」
 愛美がにこやかに答える。
「じゃあ、一緒に見てまわっても良いですか? やっぱり、連れがいるほうが楽しいですから」
 すると、遙は思いがけない提案をしてきた。愛美は一瞬驚いたが、ふと横にいる鳴美を見た。
「鳴美ちゃんは良い?」
「わたしは構わないよ」
 鳴美は頷いた。男だった時は家族の妨害に遭って見舞いにも行けなかったし、こうして元気になった姿を見るのは嬉しかった。
「じゃあ、ご一緒しましょうか」
 愛美が頷き、三人は一緒に服を見てまわる事になった。

 そして、三十分後…鳴美は更衣室の中で、色とりどりの服の山に埋もれそうになっていた。
「あの、お姉ちゃん、遙さん、どうしてもこういうのじゃなきゃダメですか?」
 鳴美が困惑と共に持ち上げたのは、まるで人形に着せるような、ふりふりひらひらの服だった。
「うん、だって鳴美ちゃんにだったらすごく似合いそうなんだもん」
「きっと可愛いわよ」
「はぅ…」
 鳴美は困った。彼女としては、もう少し動きやすい普通の服を望んでいたのだが、愛美と遙はあくまでも自分たちの趣味を鳴美に投影したくてたまらないようだった。
 更に不幸な事に、遙と愛美の趣味は一致していた。特に遙は自分でもそういうふりふりひらひらの服を愛用していて、今も要所要所にフリルとレースを多用したワンピースを着ている。まぁ、遙の場合はそれが嫌味なく似合う稀有な資質の持ち主だから良いのだが…
(茜ちゃんが遙と買い物に来たくなかったのは、ひょっとして服の趣味が合わないからでは…)
 鳴美はそんな事を思った。茜はおっとりした姉と違って行動的な少女で、水月に憧れて水泳をしているくらいだから、こういう服はあまり好きではないに違いない。
「うー…着てみるだけだよ?」
 それでも、鳴美は彼女たちが選んできた服を着てみる事にした。圧力に押されたというのもあるが、妹が一緒に来てくれないと寂しがっている遙を元気付けるためなら、ちょっと恥ずかしい服を着るくらいはなんでもないと思ったのである。
 貧相な胸を見られるのは嫌なので、鳴美は遙に背を向けると、服を脱いだ。そして、最初に手にとった白いブラウスとスカートの組み合わせに挑んでみる。着替え終わって振り向くと、遙と愛美が感嘆の声をあげた。
「うわぁ、可愛い〜!」
「そ、想像以上に似合うわ、鳴美ちゃん」
「あ、ありがとう…」
 鳴美は顔を赤らめた。さっきの下着の試着時には、自分の姿をあまりじっくりと鏡では見なかったのだが、今回はちゃんと全部見ていた。だから、自分が水準以上に可愛い少女の姿をしている事は確認できていたのだが、こうやって面と向かって誉められれば、やはり照れる。しかし。
「ほら、鳴美ちゃん、次はこれも着てみましょう」
「あ、ずるいですよ、涼宮さん。次は私が選んだ服を着てもらわなきゃ」
 遙と愛美が服を持ち、嬉々とした表情で迫ってくる。その迫力に押されて、鳴美はじりじりと後ずさった。可愛いと言われるのは嬉しくても、やっぱり着せ替え人形扱いは嫌だ。
「あ、そ、その…ちゃんと自分で着られる…からっ」
 鳴美は言ったが、遙と愛美にとっては、鳴美が女の子の服を着慣れていないが故の、もたもた感が既に待ちきれない要素になっていたようだった。二人は容赦なく宣告した。
「「待・て・な・い♪」」
 言うや否や、遙と愛美が疾風のように鳴美に襲い掛かってきた。愛美が一瞬で鳴美の身体を身動きできないようにホールドし、遙が手早く服を脱がせる。
「いやああぁぁぁっっ! やめて、二人ともっ!! って言うか、遙本当に病み上がり!?」
 試着室に鳴美の絶叫がこだまする。思わず遙を呼び捨てにしてしまったが、彼女は気付いていないらしく、鳴美を着せ替えるのに忙しい。
「穂村さん、次はこの服?」
「あ、良いですね。それも着せちゃいましょう」
「あ、や、やめてお姉ちゃん…っ」
「鳴美ちゃん、そんなに動かないで…あ、パンツも一緒に脱げ…」
「やああぁぁぁぁっっ!?」
「あら、良いですよ。その服に合わせるんだったら、こっちの下着の方が…」
「そうですね、じゃあついでにブラも外しちゃいましょうか」
「だめええぇぇぇっっ!?」
 地獄とは、まさにこのような状況をいうのであろうか…幾つもの店を連れまわされた後、ようやく着せ替え人形状態から解放され、愛美と遙が彼女たちの個人的主観で選んだ服を購入した時には、鳴美は放心状態で試着室の床にぺたんと座り込んでいた。

 休憩のために入った喫茶店でも、鳴美はまだぐったりとしていた。足元には、服を詰め込んだ紙袋が4つも置いてある…が、途中からどんな服を着せられ、何を買ったのか、鳴美にはまるで記憶が無かった。
 帰って開けてみるのが非常に怖い。
「鳴美ちゃん、なんだか具合が悪そうだけど、大丈夫?」
 遙の自覚なしの一言に、鳴美はさらにダメージを受けそうになったが、かろうじて堪えた。
「…あ、大丈夫です…」
 鳴美は顔を上げて答えた。彼女の疲労は、主に精神面のものだ。鳴美は遙の事をちょっと夢見がちなところ以外は、基本的に真面目な性格だと思っていたのだが、同性の目で見るとそうでもないらしい。少なくとも、年下の女の子を弄り倒して楽しむような性格だとは思っていなかった。
「それにしても、涼宮さんはいい趣味してますね。あれほど鳴美ちゃんに合う服を選べるなんて」
 横で愛美が感心したように言った。
「そうですか? 穂村さんが選んだのも、素敵なかわいい服ばかりでしたよ。さすがお姉さんですね」
 遙が応じる。一緒に服を選んでいるうちに、この二人の間にはしっかりと友情が芽生えたようである。
(…今度、一人だけで買いに来よう)
 鳴美は心に誓った。その後も、主に愛美と遙はすっかり打ち解けた様子で世間話をしていたが、ふと遙が鳴美を更にピンチに陥れる話題に触れた。
「そう言えば、今度海に行くんですよ」
「へぇ、海ですか? もう泳いでも良いんですか?」
 愛美が遙の言葉に目を見張る。看護婦の彼女から見ても、尋常でない遙の回復振りだ。
「ええ、水月や妹に、回復祝いに一緒に行こうって誘われて…そうだ、穂村さんたちも来ませんか?」
 無邪気に言う遙に、愛美と鳴美は思わず顔を見合わせた。
「私…」
「たち?」
「ええ、穂村さんには、入院中にお世話になりましたし…鳴美ちゃんとも仲良くなりたいですし」
 思わず愛美は胸を押さえた。謀殺まで考えた相手に、こうまで好意を示されては、さすがの彼女も良心が痛む。いろんな意味で。
(仲良くなるって、どんな方向!?)
 一方の鳴美は危機感をひしひしと感じていた。と言うのも、この話を受けてしまうと、更なる着せ替えアタックを受けてしまう事になりかねない。しかし、海水浴の日取りを聞いた愛美がスケジュール表を確認して、無常な現実を鳴美の前にさらけ出した。
「あ、その日はちょうど非番ですね。じゃあ、ご一緒させてもらっていいですか?」
 この一言で、鳴美は自分が逃れようのない見えざる蜘蛛の糸に掛かった虫である事を認識した。そして、その糸を張った愛美と遙は、にっこりと笑って鳴美を見た。
「「と言う事で…水着を買いに行くわよ、鳴美ちゃん!!」」
「や、やっぱり…」
 鳴美は泣いた。

 と言う事で、休憩先の喫茶店を出た三人は、水着売り場にやってきた。色とりどりの布地が目にまぶしい。
(そう言えば、高校のの時に一緒に海に行ったっけな…あの時遙はビキニに挑戦して真っ赤になってたっけ)
 懐かしい記憶が鳴美の脳裏に蘇る。あの時は、遙、水月、茜の水着姿を思う存分鑑賞することができて、非常に幸せだった。
 しかし、今度は自分が鑑賞される側だ。こんな貧相な身体を見て喜ぶ男がいるかどうかわからないが…いや、バイトをしていたファミレスの前の店長が、あからさまにロリコンだったっけ。海にアレの同類がいないとは限らない。
 そう考えると、鳴美はまだ見られてもいないというのに、全身になんだか周囲の視線が絡み付いているような気がして、背筋が寒くなった。
「お、お姉ちゃん、遙さん、やっぱりわたし行かない…だから水着いらない」
 鳴美が言うと、遙が不思議そうな表情をした。
「え? どうして? 楽しいよ、海」
 そう言ってから、彼女は何かに思い当たったらしく、ぽんと手を打った。
「あ…ひょっとして、鳴美ちゃん、泳げないとか?」
「そ、そういうわけじゃ…いや、そう、そうなの! だから海は…」
 鳴美は遙の勘違いを逆手にとって、咄嗟に泳げない事にした。本当は人並みくらいには泳ぐ自信はある。いや、この身体の運動能力が未知数なので、ひょっとしたら本当に泳げないかもしれない可能性はあるが、ともかく、泳げない者を無理矢理誘う事はあるまい、と彼女は判断した。しかし。
「そうなんだ。じゃあ、やっぱり来るといいよ。一緒に来る水月は昔水泳の選手だったし、私の妹の茜は現役だから、きっとわかりやすく教えてくれるわよ」
「それは良いアイデアですね。ぜひ教えてもらいなさい、鳴美ちゃん」
「はぅ…」
 思い切り逆効果だった。一緒に来る相手のスキルを失念していた。大不覚である。ちなみに、愛美はもちろん鳴美(というか孝之)が普通に泳げるであろう事を知っていたが、ここはあえて黙っていた。
「と言う事で、さっそく選びましょうね〜。鳴美ちゃんにはこういう可愛い路線がいいかな?」
 遙が早速用意したのは、黄色のワンピースの水着だった。腰の後ろにリボンがついていて、スカートのような飾り布を留めている、ちょっと少女趣味の水着。さすがに、昔自分がやられたように鳴美にビキニを着せようと思うほど、チャレンジャーではないらしい。
「まぁ…無難かと」
 鳴美は頷いた。彼女のスタイルでビキニとかセクシー系な水着を着ても、ただひたすらに悲しいだけである。しかし、そこへ愛美が割って入った。
「いえ、遙さん。鳴美ちゃんの可愛さを引き立てるには、そんなありきたりの水着ではダメです。これがベストオブベストですよ」
 妙に力説しながら愛美が差し出した水着を見て、遙は絶句し、鳴美は凝固した。紺色の地味を極めた色使いに、厚い重そうな布地。ファッション性などかけらもない、実用最優先のデザイン。
 いわゆるスクール水着であった。加えて、鳴美の母校(小学校)の推奨製品であるところがイヤ過ぎだ。
「あの、穂村さん…それはちょっと」
 遙が言った。いくら見た目がアレでも、鳴美は(表向き)18歳である。高校出ている娘にそれはないだろう、という感想を抱く程度には、遙は常識人であった。
「お姉ちゃん、さすがにそれはイヤだよ」
 鳴美が首を横に振ると、愛美は残念そうな表情をしたが、すぐに第二候補を出した。
「じゃあ、これで」
「中学校の推奨になっただけじゃない!」
 ある意味予想通りの展開だったので、鳴美は間髪いれずにツッコんだ。すると、愛美は床にしゃがみこんで、指で「の」の字を書いた。
「ふぅん…鳴美ちゃんのいけず。お姉ちゃんの選んだ水着は着てくれないんだ」
 何気ない、いじけた台詞。しかし、それは鳴美の脳裏に、強烈なメッセージを浮き上がらせた。
「これ以上怒らせる事は死を意味する! それが、それが、それが、穂村愛美だッ!(ドッギャアアァァァァァン)」
 と。鳴美は見る間に顔色を青くし、ガタガタ震えながら愛美の横にしゃがみこんで言った。
「ご、ごめんね、お姉ちゃん。わたし、それも着てみるよ」
 すると、愛美はたちまちご機嫌になり、鳴美の肩を押すようにして試着室に連れ込んだ。
「うふふ、やっぱり鳴美ちゃんは可愛いわね。じゃあ、さっそくお着替えしましょうか〜」
「へ、わっ、自分で着れるってば、お姉ちゃん!」
 鳴美の悲鳴に、呆然と姉妹のやり取りを見ていた遙が我に返った。
「あ、ずるいですよ、穂村さん! 先に持ってきていたの私なのに!!」
 遙もカーテンを開けて、試着室に入り込もうとする。すると、既に鳴美は服を全部引っぺがされ、水着に足を通そうとしているところだった。
「やああああぁぁぁっっ! 遙さん、カーテン閉めてカーテン!!」
 店内に鳴美の悲鳴が響き渡った。それにしても、何故この騒ぎで店員は来ないのだろう、と思った鳴美だが、要は君子危うきに近寄らず、という事のようだった。

 大騒ぎの末、遙の抗議により、先に彼女が持ってきた水着を試着することになった。鏡に映してみると、なかなかかわいい。据え付けのアクセサリーらしいイルカのエアマットや浮き袋が似合う。
「やっぱり、思った通りかわいいわよ、鳴美ちゃん」
「は、はぁ…」
 鳴美は自分の水着姿を見て赤くなっていた。朝から裸に下着姿と恥ずかしい格好は一通りしているが、これはこれでまた恥ずかしいものがある。
 ふと気付くと、カーテンの隙間に愛美の目が光っているのが見えた。どうやら、早く着替えた方がよさそうである。
「そ、それじゃあ、次のも着てみますね」
 そう言って、鳴美は遙を試着室から追い出した。そして、さっき着かけていたスクール水着を手に取る。
(それにしても、お姉ちゃんは何でこれを着せる事にこだわるかな?)
 鳴美がそう思った時、それを読んだように、背後から答えが聞こえてきた。
「それはね、胸が大きいとそれは似合わないからよ」
「うひゃああぁぁぁぁっっ!? お、お姉ちゃん、何で入ってくるのっ!?」
 カーテンの隙間から侵入してくる愛美の姿に、鳴美はホラー映画の怪人に襲われるヒロインのような気分を味わっていた。
「私が似合わない服でも、鳴美ちゃんなら似合うかもしれない。そんなお姉ちゃんのどりぃ〜むなのよ」
「そ、それはわかったけど…」
 鳴美は一歩後退。しかし、愛美は二歩前身。
「という事で、早くお姉ちゃんに最高のどりぃ〜むを見せてちょうだい、鳴美ちゃん!」
「見せるから、早くカーテンしめてっ!」
 鳴美は愛美も追い出し、急いで着替えた。そして、鏡を見る。
「…うわー…小学生だ」
 鳴美は自分の姿に落胆した。体型的にスクール水着は似合いすぎだった。髪形が愛美に合わせて三つ編みにしてあるのも、外見年齢を下げる効果があった。どこからどう見ても、立派な小学生である。
「女の子になるならなるで、どうして年齢相応の外見にならなかったかな…」
 鳴美はため息をつく。その時、カーテンが開いて愛美が入ってきた。
「うわぁ、やっぱり似合ってるわ。素敵よ、鳴美ちゃん」
「それ喜んで良いんですか、お姉ちゃん」
 鳴美は複雑な表情をした。しかし、愛美はそんな鳴美の言う事など聞いてはいなかった。
「う〜ん…でも、やっぱり足りないものがあるわね。これを書かないと」
 そう言うと、愛美はいきなりポケットからマジックを取り出し、鳴美の着ているスクール水着の名札部分に素早く「6−3 なるみ」と書き付けた。
「にゃああぁぁぁっっ!? な、何てことするんですか、お姉ちゃん! もうこれ買うしかないじゃないですか!! って言うか、なんで6−3!? せめて3年生だったらまだ中学とか言えたのに!! あと、書くのは名前じゃなくて苗字じゃないんですかはっ…!?」
 鳴美は愛美の暴挙に猛烈な勢いで抗議した。あまりに勢いが良すぎて、最後は酸欠になりかけ、めまいを起こして、その場にへたり込んでしまう。
「大丈夫? 鳴美ちゃん」
 こほこほ、とか細く咳き込む妹を、愛美は優しく抱き起こした。そして、質問に一つずつ答えてやった。
「まず、書いたのは絶対に鳴美ちゃんにこれを着て欲しかったからで、6−3なのは様式美だからで、名前なのはそっちの方がかわいいから、よ」
「…!」
 酸欠なりかけの状態でツッコミを叫ぼうとした鳴美は、本格的に酸欠を起こし、愛美の腕の中でぐったりとなった。
「…あ」
 さすがにまずいと思った愛美は、鳴美の身体を横にすると、水着の肩紐をずらし、胸をはだけさせた。これは、人工呼吸をする前に、胸を圧迫する要素を少しでも減らすための処置である…が、ほんの微かに膨らんだ鳴美の胸を見て愛美は微笑ましげな表情を浮かべた。その上で人工呼吸を施す。この辺はさすがにナース。手馴れたもので、気道を確保すると、思い切り息を吹き込む。数回それを繰り返すと、青白かった鳴美の顔に血色が戻ってきた。
「ん…」
 朦朧としていた意識が回復してくると、鳴美の目の前には、目を閉じて唇を近づけてきている愛美のアップがあった。
「はいいいぃぃぃぃぃっ!?」
 人工呼吸を受けている最中とは知らない鳴美は飛び退き、愛美は床にキスをする羽目になった。
「お、お姉ちゃん、何事ですかっ!?」
 ドキドキする胸を抑え…ようとして、そこがはだけさせられている事に気付き、赤面しながら鳴美が聞くと、愛美は一瞬残念そうに舌打ちをしたが、すぐににっこりと微笑み、鳴美を抱きしめた。
「良かった。叫びすぎで酸欠を起こしたから、人工呼吸をしてたのよ。回復してよかった♪」
 愛美はそう言ったが、そのボリュームのある胸に顔を挟まれた鳴美は、再び酸欠の危機を迎えていた。
「むー! むー!」
 ばたばたともがき、やっと顔をずらして息を吸い込むと、カーテンを開けて中の様子を覗き込んでいる遙と目が合った。
「あ…」
 鳴美は自分を取り巻く危険なシチュエーションに気がついていた。姉が妹の水着を半分脱がせてぎゅっと抱きしめているという、どう見ても異常な状況だ。何を言われるかと鳴美が身構えていると、遙はくすっと笑った。
「姉妹で仲が良いのね。うらやましいなぁ…」
「そ、その感想はおかしくないですかっ!?」
 鳴美は叫んだ。たった一日…いや、数時間で、愛美と遙に抱いていた、真面目でおとなしい人、という共通するイメージを、完膚なきまでに爆砕された気がした。

 そして…結局、鳴美はかわいい水着とスクール水着の両方を買わされていた。鳴美としてはスクール水着はいらなかったのだが、愛美が落書きをしてしまったのでは仕方がない。
「お姉ちゃん、無駄な買い物しすぎじゃない?」
 いつのまにか、両手で持ちきれないほどに膨れ上がった紙袋の山を見ながら鳴美は言った。
「そうでもないわよ。女の子は普通に暮らしていくだけでも、いっぱい服が必要なものよ」
 愛美はそう答えた。まだまだ男としての常識が抜けきらない鳴美は「そうかなぁ…」と思ったが、思い返してみれば、遙も水月も、デートの度に違う服を着てきては、感想を迫ったものだった。
(なるほど、ああいうノリか…)
 鳴美が納得した時、遙が声をかけてきた。彼女も何着かの服や水着を買っていた。ただし、どんな品かは見せてくれなかった。遙は思い切り自分の事を見たのに、不公平だと鳴美は思った。
「それじゃあ、そろそろお別れだね。海に行くの楽しみにしてるね」
「はい、わたしも」
 ちょっとした不満を押し隠して、鳴美は微笑んで答えた。遙と一緒の海。すっかり回復した彼女を見る事ができるのは、きっと気分が良い事だろう。
「それでは、また二週間後に」
 愛美も丁寧に挨拶した。彼女の言う通り、海に行くのは二週間後だ。ちなみに、スタイルが良いだけあって、愛美は堂々とビキニ…それもサイドがひもという大胆なデザインの物を買っていた。姉の意外なチョイスに鳴美が目を丸くしていると、愛美はウィンクして言った。
「大丈夫。鳴美ちゃんもきっとこういうのが似合うようになるわよ。私の妹だもの」
「いや…血は繋がってないからわかんないんじゃないかな…」
 鳴美は小声でツッコんだ。しかし、愛美くらい…と言う贅沢は言わないが、遙くらいにスタイルがよくなれば、もう少し女性として胸を張って生きて行けるような気はする。ずっと今のままのお子様と言うのは困りものだ。
 ともかく、二人は遙と別れて家路についた。大量の紙袋をどうにか運び込むと、ただでさえ狭い愛美の部屋は、足の踏み場もない状態になってしまった。
「さて、まずはタンスを開けないとね」
 愛美はそう言うと、部屋の隅にあるタンスを一段一段開けて、ダンボールを切って作った間仕切りを入れた。それから、手際よく鳴美の服をタンスに詰め始める。まるで魔法のように、服はタンスの中にしまいこまれた。
「す、すごい!」
 鳴美が驚きと感嘆の入り混じった声で言うと、愛美は振り返ってにっこり笑った。
「こつさえ掴めば、たたんだ服ってものすごくかさばらなくなるのよ。鳴美ちゃんにも今度教えてあげるわね」
 穂村愛美、伊達に十数年間家事をしているわけではない。料理や洗濯も上手で手際が良いことは、鳴美は孝之の頃に知っていた。一度部屋を片付けにきてくれたことがあるのだ。愛美はその時の腕を再演しようと言うのか、エプロンをつけて立ち上がった。
「あとは…夕ご飯を食べたらお風呂に行きましょうか」
「お風呂?」
 鳴美が不思議そうに聞くと、愛美は周りを見ろと言った感じで周囲を指差した。
「見ての通り、ここ古い家だから、お風呂場がないのよ。だから、近所の銭湯に行ってるの」
「はぁ、銭湯…」
 鳴美は首を傾げた。今時の子らしく、鳴美は銭湯に行った経験がない。男だった頃の自宅マンションはユニット式ではあったが、ちゃんと浴室があった。
「銭湯か…ん?」
 そこで気が付いた。今の鳴美は女の子である。と言う事は、当然入るのは女湯の方で…
「うぐぅ」
 迂闊にも想像してしまい、鳴美はダメージを受けた。そんな彼女を、愛美が後ろから抱きしめる。
「え、お、お姉ちゃん?」
 愛美のいきなりの行動に戸惑う鳴美。背中に姉の豊かなふくらみがぐりぐりと押し付けられている。たちまち心臓がドキドキと高鳴るが、それに冷水を浴びせるように愛美が言った。
「だめでしょう、鳴美ちゃん。女の子なのに、女湯を想像して赤くなるなんて。そういうえっちな娘は、お仕置きしちゃうわよ?」
 からかうような口調なのに、鳴美は心臓麻痺を起こしそうな恐怖を感じ、愛美に謝り倒した。
「ご、ごめんなさい、お姉ちゃん! お仕置きは勘弁して!」
 実際にお仕置きした事などないのに、その単語を口にする時の愛美の雰囲気は、確実に鳴美の心にトラウマを仕込んでいた。無垢な女の子が自分の一言でおろおろする事に快感を覚えつつ、愛美はよしよしと鳴美の頭を撫でた。
「うそよ、鳴美ちゃん。さ、ご飯を食べたら出かける準備をしましょ」
「はい、お姉ちゃん」
 ほっとして頷く鳴美。こうなると、逆に愛美の優しい微笑と頭を撫でられる事の気持ちよさが、先程の不安のためにより強く感じられ、鳴美はものすごく安らいだ気持ちになった。もともと、孝之の頃から愛美は「甘えられる人」として認識されていたが、その傾向がますます強くなっていく。
 鳴美が女の子への転生を遂げてから、まだ20時間あまり…しかし、愛美による人格改造計画は、着々と進み、鳴美をかわいい女の子へと近づけつつあった。

(つづく)


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