どさり、と音を立てて、彼の身体は冷たいアスファルトの上に倒れこんだ。
「けっ、いきがってんじゃねーぞ」
 彼をぶちのめしたチンピラはそう言って唾を吐くと、夜の街に消えていった。
(…冷たいのが気持ちいいな)
 彼…鳴海孝之は地面にぐったりと横たわりながら思った。このままだと多分死ぬな、と思いながらも、それをどうこうしようという気がおきない。
(良いんだ、俺はこの世のどこにも必要の無い人間なんだ)
 孝之はそんな捨て鉢な気分に囚われていた。
 2年程前まで、彼の人生は順風とは行かないまでも、それなりに恵まれたものだった。誰もがうらやむ彼女と付き合い、友人も多く、それなりにレベルの高い学校にも通っていた。
 しかし、最愛の恋人…と思っていた涼宮遥が事故に遭い、昏睡状態に陥った直後から、彼の人生は暗転した。動揺した彼は大学受験に失敗し、浪人生活に入る事になった。しかし、初めて味会う大きな挫折に、彼はやけを起こし、眠りつづける恋人がいながら、別の女性に走ってしまったのである。
 その彼女…速瀬水月も、最初はひそかに想っていた孝之が自分のものになった事を喜んだが、衝動的に彼女に走っただけの孝之が、密かに遥の事を思いつづけているのを知り、離れて行った。そして、遥を見捨てた事で、孝之は昔の友人全てに愛想を尽かされる羽目になった。
 人間関係が崩壊した孝之は二度目の受験にも当然のごとく失敗し、あるレストランでのバイトをはじめた。しかし、すっかり自堕落になった彼はそこでも問題を起こしてしまった。折り合いの悪かったウェイトレスと喧嘩していて、弾みで彼女を押し倒すような格好になったところを目撃され、乱暴しようとしていたと勘違いされたのだ。
 言い訳も聞いてもらえず、孝之は問答無用でクビを宣告された。さらに追い討ちをかけるように、入院中の遥が意識を回復した、と言う報せが入った。
 普通なら喜ばしいところだが、遥の耳にはいち早く、孝之の排斥に動く周囲の人間が彼の悪行を吹き込みに行っていた。遥の両親も、孝之の事を許そうとしなかった。とても会いにいける状況ではなかった。
 そして、挙句の果てが今夜の惨状である。自棄酒を飲んでチンピラと喧嘩になり、返り討ちにあったのだ。
 そんな意識を失ったダメ人間の上に、止めを刺すように冷たい雨が降り始めた。


誰が望む永遠?

第一話:なるみ、新生



 雨の街を、一人の女性が歩いている。眼鏡と三つ編みという、地味なスタイルだが、その肢体は服を着ていても隠し切れないほどグラマラスで、女性としての魅力を強くアピールしていた。彼女はにこにこと笑いながら歩いている。しかし、その笑顔はどこか煩悩が溢れていて、ちょっと怖い。だから、良く見ればかなりの美人であるにもかかわらず、彼女に声をかける者はいなかった。
(明日はお休みですね。鳴海さんに会いに行こうかな)
 昨今では珍しく孝之に好意を抱く彼女の名は、穂村愛美。遥が入院している病院に勤めるナースである。
 彼女と孝之が知り合ったのは高校時代。その頃の愛美は、先輩だった孝之にほのかな憧れを抱く、普通の女子高生に過ぎなかった。しかし、彼女は家庭の事情で高校を中退せざるをえなくなり、孝之への恋心も諦めていた。
 それが、先日思わぬ形で再会したのだ。病院内でも女たらしで有名な医師に絡まれて困っていたところに孝之が通りがかり、ピンチを救ってくれたのである。
 その事がきっかけで二人は親しくなり、愛美は孝之の相談に何度か乗ってやっていた。
(私だって…ただの友達じゃない目で見て欲しいです)
 愛美にとっては切なる願いである。最初のうちは、孝之には恋人がいるし、自分をさほどの美人とも思っていない愛美には、孝之と話すだけで幸せに感じられたものだ。しかし、いまや彼女はそれでは満足できなくなっていた。
 孝之に愛されたい。愛したい。恋人になりたい。そういう想いが、今や彼女の心の中を占めつつあったのである。
(どうしても、鳴海さんが私のことを見てくれないなら、いっそ…)
 思いつめた愛美は、孝之を何とか自分のものにしようと、いろいろ準備をしていた。それを使おうかと決意しかけていたその時、彼女は路上に大きなボロキレが転がっているのに気が付いた。
「あら…マナーの無い人もいるものね。こんなところに粗大ゴミを捨てていくなんて…」
 愛美はそう一人ごち、立ち去ろうとして気付いた。それはボロキレなどではなく、倒れている人だと言う事に。ナースである彼女は、職業意識から声をかけた。
「もしもし、大丈夫ですか…って、鳴海さん!?」
 そう、それは彼女の愛するダメ人間、鳴海孝之その人だった。

 愛美は濡れタオルをきゅっと絞り、孝之の額に乗せた。彼女が見たところ、いくつか打撲はあるが、それはすぐ治る程度の軽いものだ。むしろ、雨に打たれたことと、アルコールによるダメージの方が深刻だった。少し熱も出ている。
「でも、大したケガじゃなくてよかった」
 愛美は微笑んだ。今彼女がいる場所は、自宅の安アパートだ。このアパート、築ン十年で専用の風呂さえない、今時珍しいくらいのボロで、力士を連れてきて「てっぽう」でもぶちかました日には、速攻で倒壊するかもしれない。しかし、家賃が安いので愛美にはありがたかった。
 そこへ愛美は倒れていた孝之を連れてきたのである。本当なら病院にでも連れて行くべきコンディションかもしれないが、「好きな人を看病できる」と言うシチュエーションの誘惑に勝てるほど、愛美は強い人間ではなかった。
 実際、今も孝之の服を脱がして、身体についた汚れや血を拭き取ったり、その過程で彼の身体を隅々まで鑑賞したり、といった至福のシチュエーションを体験したところである。それを孝之を起こさないようにやる辺り、さすがに愛美はプロのナースだった。
「さてと、お粥でも作ってあげようかしら…」
 汚れた服を洗濯機に入れ、スイッチを入れると、愛美はエプロンをつけて台所に立とうとした。そうだ、目が覚めたら、彼には私の手で食べさせてあげよう。きっと喜んでくれるわ、と新たなシチュエーションプレイを思いついてほくそ笑んでいると、布団に寝かせた孝之が身じろぎした。
「う…」
 もしかして目が覚めるのかしら、と期待して見た愛美だったが、孝之は何かよくない夢を見ているのか、うなされたような声をあげただけだった。そして、その口から一つの名前が出た。
「は…る…か」
 愛美の胸がちくりと痛む。遥は昔勝てないと思っていた孝之の恋人だ。今でも彼にとっては忘れがたい女性なのだろう。それでも、愛美にとっては他の女性の名が愛しい人の口から出るのは辛い。
 辛さのあまり、遥の点滴に○弛緩剤を入れてやろーかという危険な衝動に駆られた事は内緒だ。
 そんな愛美に、さらに追い討ちをかけるように孝之はまた一つの名前を口にした。
「みつ…き…」
 孝之とは一時期恋人だったという水月。彼女もまた、孝之にとっては忘れられない名前なのだろうか。愛美は彼女たちに対する嫉妬心が湧いてくるのを、どうしても抑えられなかった。
 そして、自分の名前は呼ばれないだろうか? と微かな期待をこめて、彼女は孝之のうなされる声を聞いてみた…が、そういうことは無いらしい。しばらくして、再び「はるか…」「みつき…」と二人の名前を交互に呼び始める。
「う、うふふ…」
 その瞬間、愛美の中で何かが切れた。それは、人として大事な何かを繋ぎ止めていたものだったのかもしれない。
「ダメですよ、鳴海さん…いつまでも二人を追ってないで、私だけを見て」
 そう言うと、愛美は押入れからプラスチックのケースを取り出した。そこにはいくつもの薬のタブレットが、種類ごとに分けられて入っている。そのうちの一つを彼女は手にとった。人を洗脳するときに使う、強力な向精神作用のある非合法の薬である。
 愛美が孝之を振り向かせるために用意したものとは、まさにこれだった。
「うふふ…これで、あの二人はすっぱり忘れて、私しか見えないようにしてあげちゃいます♪」
 ヤバげな事をさらりと口走り、愛美は孝之の口にその薬を押し込んだ。続いて、水を飲ませ…意識が無くて飲めないので、彼女は大胆な行動に出た。口移しである。
「いや〜ん、わたしったら何てダ・イ・タ・ン♪」
 一人でもだえる愛美。あとは彼が目を覚ましたら、自分が恋人だった、と刷り込むだけである。
「さぁ、鳴海さん…今こそ私のものに…」
 そう愛美が耳元で囁いた瞬間、孝之の身体に変調が起こった。
「う、うぐぅ!?」
 孝之の体が突然痙攣した。肌の色が黄から白へ、白から赤へ、赤から青へとめまぐるしく変わる。
「え? な、鳴海さん!?」
 愛美はその尋常でない様子に何かまずい事になったと気付き、慌てて薬の説明書を読み返した。
「し、しまったわ! 量を間違えたみたい! えーと、解毒剤は…きゃっ!?」
 慌てた愛美は、薬の入ったケースをひっくり返してしまった。蓋が開いて、薬がこぼれ、混じりあう。どれも似たような白いタブレットなので、区別がつかない。
「な、なんてことっ!? えーと、説明書だと…解毒剤は確かこの…」
 愛美はそれでも散らばった薬の中から、それらしいのを探し出し、孝之の口に押し込んだ…が。
「※#$&*@!?」
 孝之の症状はさらに悪化した。薬を間違えたらしい。
「ああああ、えーと、今のはこっちのだったのかしら!? じゃあ、こっちを飲ませて…」
 パニックになった愛美は手当たり次第に薬を飲ませ始めた。素直に救急車を呼ぶか、あるいは薬を吐かせれば良いようなものだが、そこまで頭が回らないようだ。そして…
 孝之の動きが突然止まった。
「あ…」
 直ったのか、と期待した愛美だが、直後にその目が驚愕に見開かれた。
 孝之の体が縮んで行く。180近くはあっただろう長身が見る間に縮んで行き、それと反比例するように髪の毛が伸びていく。かと思えば手足の無駄な毛はほとんど抜け落ち、肌がすべすべになっていく。
「え? え? ええっ!?」
 愛美はもはや言葉も出ないほどの驚きようだ。僅か五分ほどで、孝之の身体は完全に変化していた。
「お…女の子…かしら?」
 そう、孝之の身体は、見た感じ10代前半かと思われる少女のようになっていた。動悸が収まってきた愛美は、そっと「孝之」の身体に触れた。柔らかい。プニプニした手触りだ。男女はともかく、子供の身体っぽくはある。
「胸は…あまりないかしら」
 愛美は「孝之」の胸に触れる。薄いが微かに膨らんでいて、弾力が感じられる。男の胸ではない。
「…」
 さらに、愛美は「孝之」の股間を見てみた…が、そこには先ほど身体を清拭した時に見た(放送禁止)は存在しなかった。代わりに、愛美にもついている(自主規制)があった。
「…女の子、だわ」
 愛美は途方にくれた。たぶん、薬の組み合わせが悪かったのだろう。手当たり次第に飲ませた薬が、孝之の体内で何らかの変化を起こし、このような結果になったとしか考えられなかった。
「も、元に戻せるかしら…でも、どういう作用かわからないわね」
 愛美は焦ったあまり、適当に薬を飲ませていたものだから、何をどれだけ投与したかがさっぱりわからなかった。これでは追試験もできない。
「どうしたものかしら…」
 愛美は悩んだ。悩んだが、そう長続きはしなかった。
「それにしても…か、可愛い…流石は鳴海さんね」
 愛美の意識は寝ている孝之に奪われていた。もともと彼は「男らしい」よりは「優男」の部類に入る容姿だったが、13〜4歳の少女化したことで、その見た目は今や「可憐」に分類されるレベルまで進化していた。その表情を見ていると、もはや愛美は孝之が男だろうと女だろうと無問題だと思い始めた。
「よし、少し手違いはあったけど…鳴海さんは私が面倒見るわ!」
 少女な孝之の魔力に囚われたとは言え、愛する男性を少女にしてしまった事を「少し手違い」と言い切る辺り、流石は妄執の電波娘である。そして、孝之は己の身に起きた事も知らず、苦悶の表情のまま眠りつづけるのだった…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・―||:


 朝が来た。どこかで鶏の鳴く声が聞こえる。愛美の住む辺りは古い住宅地で、鶏を飼うような余裕のある作りの古い家も多い。
 ちりりりりり…という軽やかな目覚ましの音とともに、愛美は目を覚ました。
「ん…今日はいい天気ね」
 昨夜の雨は上がったらしく、空は青く晴れ渡っていた。二人で暮らす日々の始まりに相応しい。
「と言うわけで…起きて起きて」
 愛美は隣で眠っている少女な孝之を揺すった。
「う…う〜ん?」
 孝之は目を覚ました。と言ってもまだ意識ははっきりしてないらしく、きょりきょろと辺りを見回す。
「…あれ? 俺の部屋じゃない?」
 愛らしい声で「俺」と言う孝之。愛美は萌えた。
「ここは私の部屋よ」
「え? …ほ、穂村さん!?」
 孝之は愛美に気がつくと、真っ青な顔になった。
「な、何で穂村さんがここに? ま、まさか昨日酒に酔った勢いで何かしたんじゃ…うおおおお、またか!? またやっちまったのか、俺!?」
 自棄になって水月を抱いたときの事を思い出し、自己嫌悪にのた打ち回る孝之。愛美は整理しなおした薬箱から精神安定剤のアンプルを取り出し、注射器に詰め、おもむろに孝之に一発打ち込んだ。
「はうっ!?」
 極太のものを突き刺されて苦痛に息を呑む孝之…全てを注ぎ込んだ後、愛美は尋ねた。
「落ち着いた?」
「落ち着いた…って言うか、痛い…」
 涙目で愛美を見る孝之。非常に愛らしい。愛美はますます萌えた。が、ここで情熱に身を任せる前に、やらねばならない事がある。
「う〜…さっきからなんか声が変だな。妙に甲高いと言うか…」
 自分の身体に起きた異変の兆候を感じ取り、のどに手を当てる孝之。そして、彼(女)は気が付いた。喉仏がなくなっていることに。
「…お?」
 それでも、まだその理由と意味を理解できないのか、間抜けな声をあげる孝之。精神安定剤が効いているせいもあるだろう。愛美は今のうちに、と手鏡を出して孝之の肩を叩いた。
「鳴海さん、ちょっとこれを見て」
「え?」
 孝之は鏡を受け取って覗き込んだ。そして、きょとんとした表情で言った。
「…誰?」
 小首を傾げるその仕草も実に可愛い。愛美の萌えは頂点に向かって突っ走りつつあったが、ここはまだぐっと抑えて、言葉を続ける。
「もっと良く見て」
 孝之は頷いて、鏡をじっと見る。笑ったり、顔をしかめたりと表情を変えてみて、そして気が付いた。鏡に映っているその見知らぬ少女が、他ならぬ自分の姿である、と言う事に。
「な、な、なんじゃこりゃあっ!?」
 精神安定剤の効果も及ばない驚愕に目を見開いて、被弾したジー○ン刑事のように叫ぶ孝之。その手で素早くほっぺたをつまみ、思い切り力を入れる。
「いたあっ! ゆ、夢じゃない…!?」
 これが事実である事を認識して、孝之は呆けた。手から鏡が零れ落ちる。愛美はそれを受け止めて、孝之の肩を叩いた。
「残念ですけど…本当です」
「そ、そんなバカな…目が覚めたら女の子になってたなんて、マンガやゲームじゃあるまいし」
 孝之は呟き、それから愛美を見た。
「ほ、穂村さんは何で俺がこうなったか知ってるんじゃ?」
「いいえ…倒れてた鳴海さんを見つけて、ここまで連れてきたのは確かですけど、夜中に突然苦しみだして、あっという間にそうなってしまったので、理由までは…」
 愛美は首を横に振り、平然と大嘘をついた。しかし、ここで本当の事を孝之に言うことは、もちろん不許可だ。
「そう…くそ、どうして…俺がこんな目に会わなくちゃいけないんだ」
 人間関係の崩壊は自分にも原因のあることだと自覚しているから、まだ納得はいく。しかし、さすがに性別が変わっただけでなく、年齢まで下がってしまったなどという超非常事態には納得がいかない。しばらく俯いていた孝之だったが、顔を上げると、涙のうっすらと浮かんだ瞳で愛美を見つめた。
「穂村さん…俺、こんなになっちゃって、どうしたらいいんだろう?」
 そこが愛美の限界だった。彼女は孝之の肩に手を回し、思い切り抱きしめる。豊かな胸に顔を押し付けられ、孝之は窒息しそうになった。
「安心して、鳴海さん。あなたの面倒は、私が見てあげます」
 愛美の言葉に、孝之は胸の谷間から彼女の顔を見上げた。
「ほ、穂村さんが?」
 愛美は頷いた。
「ええ。今の鳴海さんは女の子…男の人としての鳴海孝之である事を証明する証拠は何も無いですよね。そうなると、戸籍も使えないし、何かと不便だと思うんです」
「だから、とりあえず、私と一緒に暮らしていれば、そういう煩わしさは無いと思うんです」
 孝之は愛美の言葉を考えてみた。今の彼(女)は、バイトを首になったばかりだ。職は無く、収入も無い。この身体じゃ働けないし、今住んでいるマンションの家賃も払えない。それ以前に、管理人は孝之の部屋に住み着いた「見た目13〜4歳の女の子」が誰なのか不審がる事だろう。
 そして、親は自分の事がわからないだろうし、わずかな貯金を使い切ってしまえば、もうのたれ死ぬしかない。
 その暗い未来を想像して、孝之は全身を震わせた。戸籍も何も無い少女の自分が、誰かの助け無しに暮らしていけるとは、孝之にはとても思えなかった。
「鳴海さん、大丈夫ですか!?」
 愛美の言葉に、孝之は我に返った。視界の中で、愛美の顔がぼやけて見えている。どうやら、恐怖の余り、無意識のうちに泣いていたようだ。
「あ…だ、大丈夫…」
 孝之は涙を拭った。そして、自分を真摯に心配してくれている愛美の温もりを、とても心地の良いものだと思った。
(ああ…俺にも…こんな俺にも、こうして身を案じてくれている人がいたんだ)
 その人こそが自分を少女に変えた元凶だとも知らず、孝之は拭ったはずの涙が再び溢れてくるのを感じた。愛美は孝之が泣いている間、ずっと抱きしめてくれていた。そして、慰めるように、あるいは諭すように言った。
「私は思うんですけど、鳴海さんは女の子に変わってしまいましたけど、それはただ変わったんじゃなくて、生まれ変わったようなものだと思うんです」
「生まれ…変わった?」
 孝之の言葉に、愛美は頷く。
「涼宮遥さんの事もそうですけど、速瀬さん…でしたっけ? お二人の事を大事にしようとして、結局どっちつかずで傷つけただけだって、ずっと悩んでたじゃないですか」
 孝之は頷いた。二人いた恋人との関係の破局は、元はと言えば、自分の優柔不断で流されやすい性格が招いた事だ。
「それで周りの人からずっと誤解されたままで…誰にもわかってもらえなくて…辛かったでしょうね。でも、今の姿なら…その女の子の姿なら、また新しく人間関係を作り直していけるんじゃないですか?」
 孝之ははっとした。言われてみれば、あるいは愛美の言う通りかもしれない。この少女の姿になった事で、今までの人間関係も過去も、全て否応無しに断ち切られた。
 ならば、このまっさらな新しい世界に、新しい何かを築いて行けるのではないか。過去の反省を活かした、男の自分よりもマシな何かを。
 そういう風にあっさりと愛美に丸め込まれる辺り、姿が変わったくらいでは、「流されやすい」と言う孝之の本質はまったく変化が無い…むしろ酷くなっていることが良くわかるが、少なくとも、孝之はこれが自分を変えることのできるチャンスだと考え始めていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・―||:


 どれくらい時間がたったのか、ようやく落ち着いた孝之は、今後の事を決めようと思った。すると、愛美が思いがけない事を言い出した。
「それで、鳴海さん…新しい名前を決めませんか?」
「え?」
 孝之はきょとんとした。すると、愛美は理由を説明し始めた。
「一緒に住むとなると、鳴海さんの事を、大家さんとか近所の人に説明しなくちゃいけないと思うんですけど、他人だとやっぱり変な目で見られますから、妹という事にしようと思うんです」
「妹って…俺は穂村さんより年上なんだけど…」
 孝之はそこまで言いかけて、今の自分の容姿を思い出した。見た目が13〜4歳の少女で、体格もそれに見合った貧弱なものだ。どう考えても、愛美より年上には見えない。
「うーん…まぁ、仕方ないか。すると、新しい名前って、穂村なんとか子になるのかな?」
 孝之が腕を組んで考え込むと、愛美が提案した。
「鳴海さんの苗字を使って、『鳴美』と言うのはどうでしょうか? 愛美と鳴美なら、いかにも姉妹っぽい感じですし」
「穂村鳴美…か…」
 孝之はその名前を口の中で何度か反芻した。自分の本来の名前の一部も入っているし、それほど悪い響きではない。
「うん…それで良いと思うよ。ありがとう、穂村さん」
 孝之はこうして新たな名前を受け入れた。この瞬間、鳴海孝之と言う人間は消え、穂村愛美の妹、穂村鳴美がこの世に生を享けた。
「それでは、私のことは今後『お姉ちゃん』と呼んでくださいね。私は『鳴美ちゃん』と呼びます」
 愛美が言った。
「お、お姉ちゃんですか」
 孝之改め鳴美が一瞬戸惑ったように繰り返したが、すぐに頷いた。
「えっと…では…『お姉ちゃん』」
 鳴美が試しに呼んでみる。その愛らしい声での呼びかけに、愛美は一瞬魂を天国に飛ばされそうになった。離脱しかけた幽体をむりやり身体に引き戻して、冷静なように見せかけながら頷く。
「い、いいですね…では、『鳴美ちゃん』」
「はい、お姉ちゃん」
 呼びかけに答える鳴美。愛美は再びあの世に旅立ちかけた。そんな彼女をよそに、鳴美ははにかんだように微笑む。
「な、なんだかちょっと良いかも…俺、きょうだいがいなかったから、お姉さんがいるのに憧れてたし」
 その言葉の中に含まれた不穏当な一語を、愛美は聞き逃さなかった。
「こらっ! 鳴美ちゃん!」
「は、はいっ!?」
 それまで優しかった愛美の発したいきなりの叱責の声に、鳴美は飛び上がって姿勢を正した。すると、愛美はすっかり姉の口調で叱った理由を話した。
「鳴美ちゃんはもう女の子なんだから、『俺』なんて言っちゃダメでしょう? ちゃんと直さないと…お仕置きよ?」
「は、はいっ!」
 鳴美はこくこくと頷く。なんだか知らないが、ここで愛美に逆らったら何をされるかわからない、という危機感を本能が知らせてくれた。
「えっと…じゃあ、『私』とか『あたし』とか…ですか?」
 鳴美が候補を二つ出すと、愛美は首を横に振って、どっちにもダメ出しをした。
「『私』だと固いし、『あたし』は似合わないわね。ここはやっぱり、『わたし』で行きましょう」
 発音は同じでも、微妙なニュアンスの違いで愛美は鳴美の一人称を決定した。
「わたし…ですか」
 考え込む鳴美に、愛美が一つ提案をする。
「じゃあ、練習のために自己紹介をしてみましょう。『わたしの名前は穂村鳴美です』って」
「はい、お姉ちゃん」
 鳴美は頷くと、すうっと息を吸い、愛美の顔をしっかり見て言葉を発した。
「わたしの名前は、穂村鳴美です。よろしくお願いします」
 それを聞いた愛美は、にっこり笑って鳴美を誉めた。
「良くできたわ。可愛かったわよ」
「ありがとう、お姉ちゃん」
 誉められた鳴美も素直に笑った。
「さて…そうすると、次は買い物に行かなくちゃね」
「買い物?」
 唐突な愛美の言葉に、鳴美は面食らった。すると、愛美は鳴美の身体をじっと見て答えた。
「だって、いつまでもそんな格好でいるわけには行かないでしょう? ちゃんと服を買わないと」
「え…あっ!?」
 鳴美は、そこで初めて自分の格好に気が付いた。素裸にタオルケットを巻いただけのセクシーな格好だったのだ。とはいえ、残念な事に、鳴美では色気と言うものは、まったくと言って良いほど無かったが。
 頬を赤く染めて恥ずかしがる鳴美。愛美はニヤリと笑うと、どこからともなくメジャーを取り出し、妹ににじり寄った。鳴美がその圧迫感に押されて後ろへ下がる。
「お、お姉ちゃん、何を?」
「それはもちろん、服を買う前に身体のサイズを測るのよ。さぁ、観念してタオルケットを取りなさい♪」
 そう答えて、愛美は鳴美の身体に巻きついたタオルケットを剥ぎ取りに掛かった。
「わーっ!? お、お姉ちゃんっ!? こっちにだって心の準備って物が…!? やああぁぁぁぁぁっっ!」
 意外に肉体労働でもあるナースの愛美は腕力も強く、鳴美は必死の抵抗空しく一糸まとわぬ姿にされる。そこへ、ひんやりしたメジャーが身体に巻きついてくる感触が走り、鳴美はバシバシと床を叩いてタップした。が、愛美には通じない。
「こらっ、おとなしくしなさいっ!!」
「ひぅ…きゃははははははっ!? お、お姉ちゃんくすぐったい!」
 大騒ぎの末、鳴美の身体のサイズが測られた。その結果はと言うと…

身長:137cm
スリーサイズ:上から69、48、71。

「ち、小さい…」
 手とひざを突いて_| ̄|○なポーズをとる鳴美。がっかりしたのは主に身長面である。
「あ、天川さんより小さいかも…」
 天川さんと言うのは愛美の勤めている病院の同僚ナース、天川蛍のことで、見た目は本当に小学生並みの女性だ。その彼女よりも小さいと言うことで、鳴美の精神的ダメージはさらに積み増しされた。
「これだと、私の服はどれも着られないわね」
 グラマーな愛美の服は、どれも鳴美にはサイズが大き過ぎる。ベルトをきつく締めても無駄だろう。すると、愛美が何かを思い出した。
「そう言えば、大家さんの所のお孫さんが、鳴美ちゃんと同じくらいの体格だったような…ちょっと服を貸してもらえないか、聞いてくるわ」
 そう言うと、愛美は鳴美を置いて部屋を出て行った。残された鳴美はタオルケットを身体に巻き直し、姉の帰りをぼうっと待つ。
(はぅ〜…ちっちゃいなぁ。この先成長したりするのかな?)
 身体年齢が見た目どおりなら、今後成長期を迎えるような気もするが…もし見た目だけで、もう成長期の終わった年齢の身体だったらどうしよう。
 そんな事を考えていると、パタパタパタ…とサンダルをつっかけた足音が近づいてきて、愛美が戻ってきた。
「鳴美ちゃん、服借りられたわよ。早速着替えて」
「あ、はーい」
 返事をして愛美の差し出した服を受け取った鳴美だが、それを見て言葉を失った。
 赤いプリーツスカートに白のブラウスはまぁいいとして、問題はアニメキャラのプリントされたショーツと黄色い安全帽。
 どう見ても、小学生の服装だった。いや、今時こんなベタな子供っぽい服を着た小学生はいない。
「お姉ちゃん…そのお孫さんって何歳なんですか…」
 ようやくショックから立ち直った鳴美が聞くと、愛美はあごに人差し指を当てて考えた。
「えーと…確か10歳だったかな…? 発育良いのよ、その子」
「…10歳の子供並みですか、わたし」
 再び_| ̄|○ポーズをする鳴美だった。
「ま、まぁ、元気出しなさい、鳴美ちゃん。もうちょっと大人っぽい服買ってあげるから」
「…はぁい」
 のろのろと着替えをする鳴美。しかし、ようやくタオルケットから解放されて普通の服になったものの、その姿はまさに「ランドセルしょって学校行きましょう」な世界。と言うか、安全帽までちゃんとかぶってるところが致命的だった。
「あうう…」
 鏡に映った自分のあまりの子供ぶりに更なるダメージを受ける鳴美。一方、愛美は上機嫌である。
「大丈夫、可愛いわよ、鳴美ちゃん」
 そう言いつつ、こっそり取り出した携帯電話のデジカメで鳴美を激写。もちろん、子供っぽい服を選んで持ってきたのは、わざとであり確信犯である。
「ほら、落ち込んでないで行きましょう
「…はい、お姉ちゃん」
 嫌だと思いつつ、鳴美は愛美について家を出た。この羞恥プレイから逃れるには、ちゃんとした服を買うしかないからだ。もっとも…
(うふふふふふ…やっぱり可愛いわね。可愛すぎるわ、鳴美ちゃん。さて、どんな服を買ってあげようかしら。やっぱりゴスロリかしら、ピン○ハウスかしら?)
 スポンサーがこんなことを考えている時点で、鳴美の不幸は決定済みのようであった。

(つづく)


あとがき

 70万ヒット記念新連載第二弾は、いろいろな意味で「君が望む永遠」の二次創作です。どっちかというと鬱で重い話なのですが、この話はもちろんおバカなコメディです(笑)。
 とりあえず、歴代のうちの娘でもミニマムなキャラになってしまった鳴美。彼女が今後どう弄られ成長していくのか、お楽しみに。


戻る