カノンコンバットONE シャッタードエアー
クラナド大陸史
作:U−2Kさん
第2新大陸
ポルトガル生まれの探検家、フェルディナンド・マゼラン率いるスペインの探検船団が幾多の苦難を乗り越え、世界1周を成し遂げて(マゼラン本人はフィリピンで原住民に殺害される)から3年後の1525年、イギリスの探検家、ディングウォール・クラナドが中部太平洋において巨大な陸地を発見した。後に、発見者の名にちなんで「クラナド大陸」と名付けられたこの大陸が西洋史に登場した瞬間である。
新大陸(アメリカ大陸)の次に存在が判明したこの新たな大陸は当初「第2新大陸」と呼ばれる。クラナド大陸と呼ばれるようになるのはディングウォール・クラナドが第2次探検隊を率いて再び大陸調査に訪れた1529年からである。
しかし、この大陸はすでにヨーロッパ諸国が手を出せる状態ではなかった。多数の人口とある程度まとまった国家群、そして決して無視できない有力な軍事力が存在していたのだ。
またクラナド大陸は欧州からはあまりにも遠かった。西回り航路なら大西洋を横断した上、難所マゼラン海峡を突破してさらに太平洋を北西に突っ切らなければならず、また東回り航路でも、1498年にポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えて到達したインドよりも遥かに遠く、航路を創設するにはとにかく多大な困難が伴った。それゆえ、ヨーロッパの目はより近い場所にあるアメリカ大陸に重点的に注がれていた。
欧州諸国の植民地獲得競争からあえて無視された(せざるを得なかった)クラナド大陸は独自の発展を遂げることになる。
日本人の流入
南北に約2400キロ(北緯約34度から60度)、東西に約3600キロ(東経約160度から西経160度)の大きさを持つクラナド大陸は場所によって様相が大きく異なる。
北部は寒帯から亜寒帯に属し、最北部地域のアイスクリーク地方は一面が氷河に覆われている。南部は逆に亜熱帯に属し、チョッピンブルグ地方は深いジャングル、赤道に近いコモナ諸島は常夏の島として有名な観光地であると同時に宇宙基地があることでも知られる。
大陸全体を見ると、基本的には温暖な地域が多く、土壌も肥沃なため農業生産量は多い。また海流の関係から沖には良い漁場が点在し、漁業も栄えている。かと思えば山岳部には鉄鉱石・石炭・ボーキサイトなどの鉱物も豊富であり、果てはウラニウムまでも産出、南部沿岸にはいくつかの海底油田すら存在する。「この大陸に無い物は無い」と、とある地質学者に言わしめるほど資源の豊富な陸地なのである。
クラナド大陸には50万年前頃から人類が生活を営んでいたと考えられている。現代においてクラナド原人と称されているその人々の生活は狩猟から農耕へと進歩し、緩やかな発展をしてきたが、西暦1000年頃から彼ら先住民の生活は大きく変化する。大陸の東には日本列島が存在する。そこから暖流に乗って日本民族が大陸に流れ着き、大規模な流入を開始したのである。
日本最古の歴史書「日本書紀」にもクラナド大陸の存在を思わせる文章があり、日本人は古くから謎の大地に興味を持っていた。一体いつ頃から日本人がこの大陸に移民を始めたのかは良く知られていない。恐らくは縄文時代からこの大陸に流れ着く者もいたであろうと想像されている。
移民が本格的になったのは西暦1000年前後、各地の武士団を巻き込んだ朝廷における権力闘争で都を追われた貴族・武士が新たな生存の場を求めて大陸に渡ってからであり、12世紀の源平合戦で敗れた平家の残党、南北朝時代に負け組となった南朝の武士、領土を奪われた戦国大名、桃山・江戸時代に禁止されたキリスト教の信仰を捨てきれなかったキリシタンなど、大陸は何らかの理由で日本に住めなくなった日本人の受け皿となっていったのである。
異民族の流入は日本人だけではなかった。欧州列強の苛烈な支配に苦しむ南米の先住民、アメリカ合衆国の西部開拓によって土地を追われたネイティブアメリカン、また北米先住民と同じような目にあったオーストラリアとニュージーランドの先住民、奴隷の立場を拒んでアメリカを脱出した黒人、そして欧州各地で迫害を受けるユダヤ人など、世界中で虐げられた民が自由と豊かさを求めてクラナド大陸への移民となった。
この頃に大陸の支配者となっていた日本人は先住民族との混血が進み、ほぼ同化していた。彼らは基本的に新たな移民を拒まず、混血と同化はさらに進んだ。結果、何世代も後になるとクラナド大陸の人間は身体にある特徴を有するようになった。皮膚の色はまぎれもない黄色人種のものなのだが、金髪碧眼の者や茶色の髪に紅い瞳を宿す者、青や紫の頭髪を持つ者など、体毛や瞳の色は実に多種多様となったのだった。
人口の増加と国境の形成
海外からの移民を積極的に受け入れたクラナド大陸は、17世紀と18世紀にかけて人口が大幅に増加する。またそれだけ人口が増えても豊かな国土は人々を養い得た。1600年には推定1500万人だった人口は1800年には6000万人に、1900年には約1億人になる(1998年で1億6120万人)。民族構成は各民族の同化により、基本的に日系が圧倒的多数を占める。
文化形態も基本的には日本式なのだが、世界から様々な民族・人種が文化や学問を伝えたので一種独特なものとなった。箸とフォークを同時に使い、主食は米とパンの2つがある。日本の明治維新における文明開化のような現象が100年から150年早く到来した、と表現するとある程度想像できるだろうか。なお共通言語は日本語、第2共通語に英語がある。
しかし、この大陸は常に平和だった訳ではなく、戦争も幾度となく発生している。国家が地域・民族の共通利益のために形成されれば、その利害を巡って対立も起きるのはこの大陸に限らず世界共通の事例ではあるのだが。
戦争や武力に頼らない利害調整が何度も行われた結果、1880年代には国境がほぼ確定する。大陸のほぼ西半分を支配するTactics連邦。東の沿岸部から内陸部にかけて領土を持つKanon国。その両者に挟まれた形で大陸の中央南部に位置するAir皇国。そして大陸の中央部にはいくつかの小国家や都市国家が形成される。これらの国々の国境は多少の変動はあったものの、基本的に21世紀初頭まで大きな変化はない。
Tactics連邦は1820年にMoon国とONE国、大陸東海岸の国家群が連邦制を導入して建国された国家だが、1863年に東岸諸国群は連邦を脱退した。しかし大陸でも最大の面積・人口・経済力・軍事力を有する大陸最強の大国である。
Kanon国はかつてTactics連邦の一部だった国家群が独立を果たして建国された共和国で、大陸ではTactics連邦に次ぐ強国となる。国の南部は亜熱帯に属し、二期作が盛んで農業生産力は大陸で最も高い。
Air皇国は大陸で最も古い歴史を持つ国で、政体は立憲君主制。国家元首たる皇主(皇家)の先祖はかつて背中に純白の羽を持っていた一族と言われ、伝説上の亜人類「翼人」の子孫であるという神話が残されている。
激動の世紀
クラナド大陸は1850年代頃から産業革命を迎える。豊かな資源と人口増加により確保された十分な数の労働力がそれを可能としたのだ。母国日本よりも早い革命の到来である。基本的に農業が主要産業である大陸はこれで工業化を計るが、食料生産力が高く完全自給自足が可能なこともあり、欧米列強の脅威に晒されていち早い近代化と列強への仲間入りを必要としていた日本よりも構造転換の進行は遅かった。産業革命が最終的に終了したのは1910年頃である。
しかし、この時期に最新の設備と技術を導入したことは大陸の工業国――TacticsとKanonの両国にとっては幸運だった。1914年に勃発した第1次世界大戦でその生産力を大いに発揮し、連合国へ大量の物資(軍需・民需問わず)を供給したのである。人口も上昇を続けていた――消費者が増加していたので、戦後不況や1929年の世界恐慌後は大陸経済圏を形成して有効需要を保ち、この難局を乗り切った。
1930年代になると、欧州では国家社会主義の台頭によりヴェルサイユ体制が崩れようとしていた。また太平洋でも日本が中国へ市場を拡大してアメリカとの対立姿勢を強め、2度目の世界大戦への道はゆっくりと、しかし着実に開かれていった。
そのような世界情勢の中、大陸は厳しい立場に立たされる。母国たる日本との関係はおおむね良好で、また資源も産出せず国土も狭いため自給自足が不可能な日本の立場には同情的だったが、アメリカと対抗するだけの力もない。日本につくかアメリカにつくか――特にAir皇国の皇家は1800年代末に日本の皇室から皇妃を迎えたこともあり、日本と敵対するのには激しい抵抗があった。
クラナド大陸は第3の道を選択、いや作り出した。武装中立である。大陸の各国家は団結して中立を堅持、連合にも枢軸にも組せず、大陸のどれか1国に攻撃を意図する国・組織は大陸全ての敵と見なすことを世界に対して宣言した。1938年のことである。
この中立を現実のものとすべく、この年から大陸諸国は大規模な軍拡を開始してハリネズミのように守りを固めた。この「大陸武装中立宣言」を可能としたのは、やはり大陸の豊かな資源・農業生産力だった。かつてアメリカが望んでいたいわゆる「モンロー主義」はクラナド大陸で実現されたのである。
結局、1939年に勃発した第2次世界大戦で大陸は戦禍を免れた。1941年には日本とアメリカとの間でついに戦端が開かれたが、両国ともクラナド大陸に手を出すことはなかった。いや、出す余裕がなかった。12月8日に日本海軍の空母機動部隊が米太平洋艦隊の根拠地、サンディエゴを奇襲して始まった太平洋戦争はその後、太平洋や東南アジア各地で激戦を繰り広げつつ、1945年8月15日、日本の無条件降伏で幕を閉じた。
災厄の到来
第2次大戦後も順当に発展を遂げていったクラナド大陸は、戦後の東西冷戦の中でもどちらの陣営にも属さなかった。ただし大陸の経済形態は資本主義であり、立場的には西側に近い。それでも経済活動は東西分け隔てなく行われていたが。
ベトナム戦争が終わった後、Tactics連邦は主にソヴィエト連邦から、Kanon国は逆にアメリカ合衆国から航空機を手に入れていた。何ということはない。両者共地理的に近い国から武器を買っているだけである(Tactics空軍は価格を、Kanon空軍は性能を重視する軍備方針だったという理由もあったが)。そのためTacticsは東側の、Kanonは西側の軍用機で武装するという形式が80年代前半にほぼ固まった。なおフランスなどヨーロッパの機体は大陸諸国の空軍では珍しくない存在である。
1990年、冷戦が終結して東西陣営の対立は幕を閉じる。しかし、大陸と世界の苦難はこの後に訪れる。
1994年、宇宙から地球へ接近する1つの小惑星が発見された。そして5年後の1999年7月、発見者の名前から「コーヤサン」と名づけられたこの隕石は地球に最接近、ロシュ限界を超えた時点で崩壊して無数の小隕石となり、地球に降り注いだ。
世界はNMD――国家ミサイル防衛構想でこれに対抗し、コーヤサンの破片が特に降り注ぐと予測されたクラナド大陸はミサイルだけでなく、Air皇国に巨大なレールガン「ストーンヘンジ」を建造し、隕石を迎撃しようとした。その目論みはかなりの成功を収め、世界はこの災厄をどうにか乗りきったが、大陸、特にTactics連邦は大きな痛手を受けた。
大陸西海岸にあるTacticsの首都、ファーバンティーには沖に隕石が落下して都市の海岸線域はことごとく水没、それだけでも10万人以上の犠牲者を出した。国内には大陸各地から数百万の難民が流入し、その処遇を巡って大陸諸国との対立が深まり、経済も低迷して復興も思うようには進まなかった。
大陸全体で100万人以上の犠牲者・行方不明者を生じたコーヤサンの惨禍から4年後の2003年夏、不況と国内の不満、外国との対立を解消するための最終的手段をTactics連邦は実行に移した。隣国のAir皇国や小国家群へと電撃的に侵攻を開始、それはすぐさま大陸全土を巻き込む大戦争へと発展した。クラナド戦争の勃発である。
コーヤサンはあくまでも「天災」だったが、クラナド戦争はいくら小惑星が遠因だったとはいえ、人が起こした「人災」である。クラナド大陸の歴史が始まって以来の、最大の悲劇がその扉を開いたのだった。
管理人さたびーのコメント
U−2Kさんより素晴らしい作品を頂きました。名作フライトシューティング「エースコンバット4」と「ONE」「Kanon」「AIR」の4つを融合させた、壮大なる物語です。
まずは歴史編ですが…下手な解説をするのは野暮と言うものですね。まずはじっくりと本編を楽しみたいと思います。
戻る プロローグへ続く