2004年12月13日 1630時 Tactics連邦大陸南部軍政地区(旧Air皇国) とある海辺の町


 紙を切り裂くような、甲高いバイクのエンジン音がだんだん近づいてきたかと思うと、ドンガラガッシャーン、という派手な音が轟いた。
 それから間もなく、玄関の引き戸をガラガラと開ける音と共に、ひとりの女性の声が居間に届く。
「観鈴ー、居候ー、今帰ったでー」
 この家――神尾家の主、神尾晴子である。そして彼女を出迎える人物がふたり、晴子の娘(本当は養女)である神尾観鈴と神尾家の居候、国崎往人。
「お母さん、お帰り」
「晴子、また飲んでるのか……」
 往人の指摘する通り、晴子の顔はほの赤く、呂律もぎこちない。これでバイクを運転して帰って来たのだから大した度胸、いや無謀である。
「当たり前や。これが飲まずにやってられるかっちゅーねん」
 だが、晴子はそれが当然であるかのように言い放った。
「お母さん……また兵器のお仕事?」
「兵器言うな!」
 ポカリ、という乾いた音。晴子が娘の頭を拳で叩いていた。本気ではないが、それでもかなり痛そうだ。
「が、がお……」
 今度は往人も加わってげんこつを与える。乾いた音が連続する。彼は晴子から、娘がこの口癖を使った場合、躾るように言われていた。
「うう……ふたりでぶった……」
「まったく……ウチが何のつもりであれを造ったと思っとるんや。『電磁飛翔体加速装置』……兵器とちゃうで……」
 神尾家の当主であり、Air国立大学工学部電磁物理学科の教授、神尾晴子。
 今は少なからぬ量のアルコールが回っているその脳から、「ストーンヘンジ」こと正式名称「120センチ対地対空両用磁気火薬複合加速方式半自動固定砲」は生み出されたのである。


 カノンコンバットONE シャッタードエアー
 
  Mission6 ストーンヘンジ咆哮


「ほれ居候、酒や酒! あんたも飲まんかい!」
 この自宅から内陸に数百km離れた(今はTacticsに支配されている)皇国の首都、カンナにあるAir国立大学から数時間かけて帰宅した晴子。向こうで飲んできたにもかかわらず、まだ飲み足りないらしく、往人にからんでいる。
 彼女は1週間のうち4日を大学で過ごし、残りの3日を自宅で過ごすという生活を続けていた。晴子が留守の間、娘の観鈴は家を守らなければならないが、その生活も昔よりは遥かにましだった。ストーンヘンジを開発していた頃は1ヵ月に一度くらい戻ればまだ良い方で、3ヶ月顔を合わせなかったこともあるくらい当時の晴子は多忙を極めていた。
 それに、今は往人がこの家に、娘と一緒にいる。晴子は口ではとやかく言いながらも、この素性の知れない居候に大きな信頼を寄せていた。
「あんた、何があったんだ? いつも酔っ払ってるが今日は半端じゃないぞ」
 と、信頼されているはずの往人が一応、諌める。
「……あの連中、残りの1門を直せとかほざきおった」
「ストーンヘンジのこと?」
 法律上(停止されたAir皇国の法律だが)まだ酒を飲める年令には達していない観鈴が冷水の入ったコップを手渡しながら尋ねる。晴子はそれを受け取りながら頷いた。
「そうや。この前、ISAFが高槻艦隊とかいうTacticsの艦隊を散々どついたらしいんやけど、その影響やろな」
 ラジオやテレビ、インターネット、そして新聞までも、あらゆるメディアが厳重に統制されている中、本来なら知り得ない出来事をあっさりと言う晴子。彼女はその情報を、大学のコンピューターからインターネットによる不正規のアクセスで手に入れていた。
 ちなみに晴子の言う「残りの1門」とは、コーヤサンのかけらが至近に衝突したため、天空を指しながら故障したストーンヘンジ4番砲のことである。だから、現在稼動状態にある砲は7門となる。
「で、直せと言われてどうしたんだ?」
 今度は往人が質問する。冷水を一気に飲み干し、一息ついて回答する晴子。
「無理だと言ってやったわ。あれは隕石が地表に激突してターンテーブルが歪み、旋回不能になったんや。地面を深く掘り起こして旋回部分から取り替えんとあかん。一体どんだけの時間と金がかかるやら……」
 先ほどまで冷水が注がれていたコップに、今度は一升瓶の中身を注ぐ晴子。米から醸造された酒――日本酒は、クラナド大陸でも良く飲まれているメジャーな酒である。
「大体、ウチにそんなこと言われても困るわ。ウチが図面引いたんは、弾の加速部やで」
 確かにその通りである。彼女がストーンヘンジ開発に関わったのも、彼女が電磁学の権威であり、リニアで砲弾を加速して撃ち出すレールガンの実現に最も近い地位にいたからに他ならない。
「それで、お母さんは何で怒ってるの?」
「ああ、その後はそいつと大喧嘩や。とにかく直せ、無理や、直せ、無理や……その応酬合戦を1時間ぐらいやったかな?」
「大変だったんだね」
「まぁ、連中も相当焦ってるみたいやな。やっぱ高槻艦隊がおっ沈んだのが効いとるんやろ。ああ愉快愉快! あっはっはっは!」
 開き直って盛大に笑う。その高槻艦隊の壊滅で数千人の死傷者が出ているはずだが、彼女は祖国を軍靴で蹂躙した相手に情けを見せなかった。酔いが醒めればまた別なのかもしれないが……。
 ひとしきり爆笑した後、晴子はポツリと呟いた。
「まったくほんまに、この国はどうなってしまうんやろうなぁ……」

 神尾晴子のこの一言は、Air皇国の国民全ての思いを代表していると言えるだろう。
 2003年、Tactics連邦は国の内外に抱える様々な矛盾――コーヤサンによる被害、それにより大陸各地から流入した大量の難民、その難民の処遇を巡る大陸諸国との対立、そして上手くいかない復興と悪化する経済――に耐えきれなくなり、自国にカンフル剤を注入する目的で、大陸諸国へ電撃的に侵攻を始めた。
 彼らがまず最初に狙ったのが、晴子も開発に参加したストーンヘンジである。本来ならばコーヤサンの破片を撃ち墜とすために造られたこのレールガンは、普通の兵器として考えたら絶大な射程と威力を持つ大砲でもある。これの捕獲に成功したら、今後の大陸制圧は成功したも同然となる。
 結局、ストーンヘンジを防衛していた国連軍(ストーンヘンジは国連の管理下にあった)は圧倒的なTactics軍によって瞬く間に駆逐され、ストーンヘンジも無傷で彼らのものとなった。
 勢いに乗ったTactics軍はAir皇国の首都、カンナを目指して進み、市の郊外でAir防衛隊と激しい戦闘を展開した。
 そのさなかである。Air皇国の皇主が、過労と心労が原因と思われる脳溢血で倒れ、その日のうちに崩御したのは。未曾有の国難に立ち向かうも、圧倒的な敵の力に押されて事態の改善を図れず、ついには命をすり減らした皇主の逝去により防衛隊は戦意を喪失、市郊外の防衛線はついに破られ、カンナ市内にはTactics軍が突入して市内戦が展開されようとしていた。
 ことここに至り、Air皇国はTactics連邦に無条件降伏する。戦闘は即時停止され、1000年の伝統を持つ首都は悲惨な市内戦を免れた。古い街並と市民を救ったのは皇妃の英断によるものだった。夫を喪った皇妃は悲しみを振り払い、議会と防衛隊に政治的影響力を発揮した。彼女の鶴の一声に、徹底交戦も止むなしとしていた政府が動かされたのである。
 しかし、これで大陸最古の国家、Air皇国は独立を失い、Tacticsの軍政下に入った。皇家こそ護持されたものの、皇統の存続は危うかった。皇主夫妻には子供がいなかったからだ。
 国の元首にして象徴の皇主を喪い、その後継ぎもなく、さらには国そのものを失ったAir国民の嘆き、それはまさに晴子の嘆きと完全に合致していた。

 晴子は酒を一口だけ飲むと、マイナス思考を追いやって、つとめて明るく言った。
「さて、今度はあんたらの近況を聞かせてもらうで。居候、人形を動かすんは上達したか?」
「それがね、往人さん今日はお金貰えたんだって」
「いくら?」
「400クラナド円だ」
 往人は「円」と言ったが、正式には「クラナド円」という。大陸の共通通貨で、大陸武装中立宣言が成される際、大陸諸国の経済的結束を高めるために制定された。名前は母国日本の通貨から拝借している。
 ちなみに、この時点での為替レートは、1ドル=198クラナド円である。戦争が始まる前は140円台を保っていたが、戦争勃発と長期化でクラナド円売りが進んていた。
「何や、それっぽっちかいな。大道芸人を目指すなら1日5000クラナド円は稼げんようにならんとな」
 こうして親子と居候、3人の楽しい宴は夕食を挟んで夜遅くまで続いた。血の繋がらない母娘、そしてある日突然神尾家にやって来た男。しかし、彼らの間にはまぎれもなく絆が存在した。「家族」というあたたかい絆が。


 
2004年12月16日 1655時 フェイスパーク地方 太陽光発電所


 またひとつ、巨大な太陽電池板が木端微塵に砕かれた。爆弾の炸裂で無数の破片が舞い上げられ、太陽の光を鈍く反射する。相沢祐一は、その光景が繰り返されるたびに憂鬱な気持ちが胸に広がっていくのを感じていた。
 この場所から1000km離れた海辺の町で、親子プラスひとりの居候が楽しい宴会を行ってから3日が経過したこの時、祐一は任務で太陽光発電所の上空を飛び、それをせっせと破壊していた。
 眼下に広がるフェイスパーク地方の大地は、平均して海抜500メートルの高さにある。ここフェイスパークは、「メサ」と呼ばれる上部を平らに切り取ったような形をした岩地が続き、しかもあらゆる場所に巨大な亀裂が入った不思議な地形をしている。この大地を流れるフェイスパーク川が、数万年の歳月をかけて深い渓谷を創造したのだ。フェイスパーク渓谷が「クラナドのグランドキャニオン」と呼ばれる所以はそこにある。
 またこの地は天候が安定し降水量が極端に少ない。太陽光発電所がここに建設された理由は、日照時間が長く太陽発電に都合の良い条件が整っていたからである。
 しかし今、この世界でも最高の発電効率を持つ最新の太陽光発電所はただ破壊されるのみだった。原子力発電所に匹敵する発電能力の高さゆえ、Tactics軍に占領された軍需工業地帯に電力を供給し、敵の軍備増強に一役買っているという現実がこの発電所の運命を決定した。
(ああ……また1枚割れた。何だか、この戦争で俺たちは自国の施設ばかり破壊してるな……)
 いくら祖国がTacticsの占領下にあり、あらゆるインフラが軍用に使われているとはいえ、以前襲撃した石油化学コンビナートもコンベースの港湾施設も、そして今回の発電所もKanon国にとっては重要なものばかりである。
 こんなことをしていたのでは、いつか国を取り戻したとしても、何も残らないのではないか? 祐一は下で吹き荒れる鉄と炎の嵐を見つめながらそう感じざるを得なかった。
 だが同時に、Tacticsの支配力と軍事力を削ぎ落とし、祖国を奪還するのにインフラの破壊が効果的なことも祐一は認めていた。理屈と感情は別ということである。
『祐一君っ、方位300にマッケンジークレーターだよ。目標まで6000メートル』
「了解」
 無愛想に返答して指定された方角へ向かう。任務が任務だけに、彼は虫の居所があまりよろしくないのだった。

 この太陽光発電所は、施設の一部がコーヤサンによりできたクレーター――マッケンジークレーターの中に建てられている。すり鉢状にになったクレーターの中央に集光塔が、その周りをソーラーパネルが取り囲んで構成されたタワー集光方式の発電プラントである。まだ建設されてから4年と経っていない。建設にも多額の費用がかかっている。
 祐一はこの施設が完成した時のマスコミ報道をよく覚えている。原発にも劣らない発電所、しかも原発とは異なり廃棄物を全く出さないと誉め、彼も世界に先駆けてこれほどのクリーンな発電所を持った祖国に一種の誇りを感じたものだった。
 祐一はその多大な労力を費やして建設されたばかりのプラントへ爆撃態勢を整えるべく高度と速度を調節した。
『祐一君っ、今だよっ!』
「メビウス1、投下!」
 あゆの声を受けて爆弾投下のスイッチを押す。主翼から8つの黒い塊が離れ、そのまま下に――いや、そのままには落ちなかった。
 爆弾そのものは誰が見ても「これは爆弾だ」とわかるオーソドックスな見た目――先端は尖り、後ろには4枚の羽が十字状に取りつけられている――だが、本来軌道を安定させるためだけの羽は微妙に角度を変え、落下地点そのものを変えようとしていた。
 今回の目標は全く動かない固定目標であるため、祐一たちが持ってきたのは誘導爆弾である。人工衛星のGPSを頼りに目標へ向かい、命中誤差は約10メートルのGPS誘導爆弾――JDAM。レーザー誘導爆弾よりも精度は多少低いが、安く、そして何よりも母機が投下後に目標へ機首を向けてレーザーを照射しなくとも良いという利点がある。爆弾を落としたらそのまま離脱できるので、生還の可能性が高まるのだ。
 やがて、集光塔が爆発に飲まれ、根元から倒壊した。


 
同日同時刻 大陸中央部某所


 フェイスパーク地方の太陽光発電所から西へおよそ1100km離れた無人の荒野の中に、それはある。
 特殊なコンクリートで固められた地面の上に、8つの建造物。それらは見るからに頑丈そうな角張った台座の上に、細長い棒と板が合わさったようなもの――レールガンを載せている。
 小惑星コーヤサンがロシュ限界を突破して砕け散り生ずる1000以上の隕石を迎撃するために1996年から建造が開始され、99年5月に完成した「大陸を守る巨人」、隕石迎撃砲ストーンヘンジ。
 周りに大きさを比較するものが存在しないため、遠くから見ると意外に小さいように見える。しかし、すぐ近くに寄ると、そのような印象を抱いたことが愚かしく感じられるだろう。
 ストーンヘンジの砲口径は120センチ、砲身長は100、すなわち砲身の長さだけでも120メートルはある。砲身の後ろにある砲弾装填装置や駐退機等も含め、砲本体を最大仰角の90度に立てた場合、コンクリートで固められた地面からの砲口までの高さは170メートル。まさに人類史上最大最強の大砲である。
 砲が巨大ならそれらを支える土台もまた巨大だった。
 コンクリートパネルが敷き詰められた土台は完全な円形だが、その直径は何と4kmにも達し、小さい都市がすっぽりと収まるだけの面積がある。その円の中に8基の砲が円周状に、均等の間隔を保って配置されている。この施設の異名はそんな砲配置が由来で、外見が世界的に有名なイギリスの古代遺跡、ストーンヘンジにそっくりなことからいつしかそう呼ばれるようになった。
 世界中から6000人以上の科学者・技術者の英知を結集し、のべ数十万人の作業員を動員して、十数兆クラナド円の予算と3年の歳月をかけて建造されたこの巨人は、99年の7月にその能力を最大限発揮した。自らも隕石によって1門の砲を失ったが、それでも大小合わせて200以上の隕石を迎撃して大陸を守った。もしもストーンヘンジがなければ、大陸での災害犠牲者は1000万人を超えていただろうとも言われている。
 しかし、そのストーンヘンジは今、Tactics連邦軍の手の内にある。Tacticsはこれを使って陸空軍の軍事行動を支援、最終的に大陸のほぼ全土を占領した。大陸の巨人はその役割を終えたばかりか、逆に(Tactics連邦を除いた)大陸諸国の独立と自由を束縛する要因の1つとして存在しているのだった。

 ストーンヘンジの中央部地下150メートルの奥深くに、8門(現在は7門)のレールガンを制御する射撃指揮所(接収前は管制センターと呼ばれていた)がある。砲は完全自動制御式なのだが、人間が操作することもできる。もっともそれは大まかな目標を指定する程度しかできないのだが。
 指揮所はかなり広い面積を持ち、宇宙ロケットの発射管制室に良く似た雰囲気を醸し出している。そこでは何人もの軍人がそれぞれの任務に就いていたが、今その中で最も重要な役割を果たしていたのは、部屋の中央に設置された砲の目標指示装置の前に座っている女性だった。
「はいはいっ……と。目標指定、ISAFの攻撃隊……」
 Tactics陸軍の柚木詩子中尉(ストーンヘンジは国防総省の直轄下あるが、彼女は陸軍からの出向だった。なおストーンヘンジ操作要員は、砲を扱う機会の多い陸軍出身者が大半を占めている)は、大きなモニター画面の前でペン型のコントローラーを用い、その画面に触れていた。画面にはストーンヘンジの射程を表す円があり、その円内にはISAF空軍の存在を示すシンボルマークがある。
 そのシンボルマークをコントローラーで2度叩く。それで画面表示が黄色から赤に変化する。円の中心――ストーンヘンジのシンボルマークから、目標への予想弾道が描かれ、同時に弾着予定時刻と命中率が映し出された。なお、これらの画面表示は同じものが指揮所正面にある大型マルチビジョンにも映っている。
「45パーセントか……遠い割には結構良いんだね」
 詩子はひとり呟いた。発射した砲弾のうち約4割が敵に何らかのダメージを与えられるらしい。おそらく天候に恵まれているのだろう。砲の命中率を下げる大きな要因は風や雨などの気象状況である。それらの情報は射程内のあらゆる場所に無数に設置された観測装置、衛星軌道上の気象衛星からデータリンクを通じて送られる。今回の砲弾進路上には良い天気が広がっているのだと詩子は感じた。
 しかし、命中率の高い理由はそれだけではない。ストーンヘンジの弾道計算には、8台を1セットにしたスーパーコンピューターを1024セット、合計で8192台が使用されている。この莫大な数のスパコンで、大陸の大気の状態や目標の未来位置を精密にシミュレートし、超遠距離射撃にもかかわらず驚異的な命中率を実現しているのだ。
 しかも、発射する砲弾にはジャイロと方向舵が組み込まれており、砲弾そのものが自力で直進する能力を持っている。さらにはGPSや無人偵察機の照射するレーザーで誘導されるタイプの砲弾も存在する。
「はい、決定っ!」
 詩子は画面上の「実行」と書かれた個所を叩く。それで照準は完了した。この砲がまだ隕石のみを目標としていた時には、これら一連の操作は全てコンピューターが行い、完全無人操作が可能だった。しかし、そのコンピューターは隕石「だけ」を狙うようにしかプログラムされていない。詩子のような砲操作要員が必要なのは、ストーンヘンジを軍事用に転用しているからである。この砲の本来の目的はあくまでも隕石の迎撃なのだ。
(また何人も殺しちゃうのかな……。茜、あたしがこんなことやってると知ったらどう思うだろ?)
 Tactics軍がストーンヘンジを占領し、開発技術者たちに(半ば強制的に)整備させてこの戦争に使い始めて以来、詩子はこの地下の射撃指揮所でこうやって砲の目標指定操作を行っていた。
 戦争初期は忙しかった。地上目標を砲撃するためのシステムを構築した後は味方の支援のため、空中・地上を問わず射程内に存在する敵へ照準を合わせ続けた。ある時には十数機のISAF機を僅か1斉射で撃墜し、またある時には敵の防衛線に構築された堅固な永久保塁を跡形もなく吹き飛ばした。それらの行為がTactics軍の進撃を助け、大陸本土を制覇させるに至ったのだが、詩子は幼なじみの親友――今は首都ファーバンティの国防総省で主計科の仕事をしている――を思い出すと、あまり手放しで喜べなかった。詩子は自分の仕事を親友に教えていない。彼女の任務は軍事機密の壁が厚いのだった。
 そんな詩子の思いとは裏腹に、ストーンヘンジは彼女の指示に忠実に従い、今回使用する1、2、3、5番砲塔の4基が射撃に必要な角度を得るべく動き出した。

 ストーンヘンジの砲塔は、砲架部は発射の衝撃に耐えるため重く、砲身は自重による歪みを抑えるため軽く造られている(ただし「頑丈に」という要素は両方に共通する)。その重量は旋回部も含め1基あたりおよそ2万トン。それにも関わらず、旋回速度は12度/秒(360度旋回に30秒)、仰俯角速度は5度/秒(最大俯角−5度から最大仰角90度まで19秒)と、2万トンの重さを感じさせないほど速い。モーター方式と油圧方式の2つを併用し、莫大な力で駆動しているからである。
 その砲塔が遥か遠方の敵へ砲口を向けると同時に、内部では砲弾を砲身へ込める作業が進められている。
 正式名称からもわかる通り、ストーンヘンジは純粋な電磁砲ではない。砲弾の発射には火薬の爆発力と電磁力の両方が用いられる。リニアだけで砲弾を撃ち出そうとすると、電力がかかり過ぎ、そして何よりも、膨大な電気抵抗が高熱を生み、砲身を融解させてしまうという重大な問題が出てくる。そのリスクを回避するためのハイブリッド方式である。
 まず、砲弾に最初の推進力を与えるのは装薬――火薬で、その爆発力で砲弾は砲身内を進み出す。次に磁力が砲弾を加速して凄まじい運動力を与え、120メートルの砲身を進み切って外に飛び出すのである。砲の初速――砲弾が砲口を出る時の速度は5km/秒――マッハ15にも達し、最大射程は1200kmという長距離になる。大陸のほとんどがストーンヘンジの射程に納まっている。
 初速は理論上では8km/秒も可能だったのだが、まず何よりも信頼性優先という開発方針からあえて5km/秒に抑えられたという経緯がある。その代わり、8門を円状に――死角がないように配置し、複数の砲で同一目標を射撃できるようにして、威力の低下を補っている。
 ストーンヘンジの破壊力を直接担う砲弾は、直径120センチで重量は30トンというとてつもない巨弾である。弾種は主に徹甲榴弾、榴弾の2種が存在する。
 目標の内部に突入して炸薬を炸裂させ、破壊する徹甲榴弾は、弾芯が劣化ウラン製。いわゆる湾岸戦争症候群などの奇病の原因とも言われている物質だが、これに代わるタングステンは希少金属のために極めて高価、これでストーンヘンジ用の弾を造った場合、1発あたりの価格は10億クラナド円にもなるためにやむなく安価な劣化ウランに白羽の矢が立てられた。
 榴弾は、軍用で使われているものをそのまま拡大したもので、技術的に特に難しいということはない。爆発範囲が広いので比較的小さい隕石――直接命中させるのが困難――を対象としている。
 今回の目標は空を高速で飛ぶ飛行機なので、選定されたのは榴弾。信管は時限式。その30トン――薬莢とその中の装薬も含めた合計重量は36トン――の巨弾が地下の弾薬庫からエレベーターで上に運ばれ、さらに砲架部から砲身部へと移される。砲身の仰角は目標の方位によって変化するので、砲弾の角度を砲身に合わせる角度同調装置を通して砲尾にある装填装置へと辿り着いた。
 砲の尾栓は鎖栓式閉鎖機(砲弾装填後は自動的に閉鎖する。戦車砲や野戦砲によく見られるタイプ)で、どんな角度でも装填が可能である。角度同調装置と鎖栓式閉鎖機の組み合わせにより、砲の発射速度は2発/分と、口径の大きさと比べて異例なまでの速さを実現した(ただし、この発射速度は最初の3、4斉射だけである。その後は施設地下の蓄電器の電力が切れ、新たな充電を要して発射速度は低下する)。発射速度が早いということは、目標が門数より多い時には極めて重大な意味を持つ。早ければ早いだけ連続して多目標を迎撃することが可能だからだ。
 開発当初から、構造の複雑な角度同調装置は信頼性が懸念されていた。信頼性を求めるのならば、装填は固定角(砲身を決められた角度に固定して装填する)方式が断然優れている。しかし、どのくらいの大きさの隕石がどれだけの数降ってくるのかという予測は難しかった。最初の何斉射だけとは言え、多数の目標に対し迅速に対処することもまた重視しなければならない。そしてあえてこの複雑なシステムを採用したのだ。
 無論信頼性も限界まで高められた。砲の左右に同じシステムをそれぞれ設けて万一の故障に対処しているのもその一環である。なお普段は右のシステムで揚弾を行い、左のシステムで薬莢の処理――地下の薬莢保管庫に下ろす作業をしている。右が故障した場合は左で揚弾し、薬莢は砲の外に強制排出する(砲の爆風により、薬莢があらぬ方向へ転がったりすることもあるのであまり好ましくないが)。左が壊れた場合もまた薬莢を外に捨ててしまえば良い。
 装填機に乗った砲弾は、ラマーで砲尾に押し込められる。砲弾に負けない大きさの巨大なラマーが唸りを上げて薬莢の底部を力強く押し、弾は完全に薬室へと挿入され、ラマーが後退すると閉鎖機はすかさず自動で閉まる。これで全ての射撃準備が整った。

「全砲門発射準備完了」
 射撃を担当する砲手が報告する。照準を担当する詩子もそれに続いた。
「目標、ISAF空軍攻撃隊。照準良し。目標へ自動追尾中!」
 こうして最終確認が成されると、ストーンヘンジの指揮官――砲台長の中崎陸軍准将がゆっくりと腕を上げる。空調は完璧なのに、手や額には汗が滲んでいた。久しぶりの砲撃で緊張しているのだった。
 彼は腕を振り下ろすと同時に、裂帛の気合を込めて腹の底から号令を発した。
「ストーンヘンジ第1斉射、射ぇー!」

 砲手が引き金を引くと、電気信号はコンピューターを経て4基の砲塔へ達し、薬莢内の発射薬に火をつけた。膨大な爆発が30トンの巨弾を前へと進ませる。この時点では大した速度ではないが、砲身をある程度進むと今度は電磁の力が加わった。専用の原子力発電所と施設地下の蓄電池からもたらされる大量の電力が、弾に信じ難いほどの推進力を与える。こうして火薬だけでは理論上不可能な運動エネルギーを得た砲弾は砲口を離れ、1100km離れた場所めがけて飛翔した。
 砲口の周りの空間が、一瞬だけ蜃気楼のように揺らぐ。砲弾の通過後、瞬間的に真空が生まれることと大気との摩擦熱でそのような現象が生まれるのだ。
 各砲身の閉鎖機から空になった薬莢が排出され、装填機に返される。すると今度は元来た方向とは逆に流れ、薬莢排出口から左の角度同調装置へ、そして砲架側のエレベーターへ、最終的には弾薬庫隣の薬莢保管庫に運ばれる。前述したようにこれら一連の後始末は、往路で通った揚弾装置の反対側にある排出装置(予備の揚弾装置)で行われる。それと同時に、往路側では次弾を装填する作業が先ほどと同じプロセスで続けられていた。

『うぐぅっ……』
 指定された目標を破壊し終え、部隊の集結空域に向かっていた祐一にあゆの呻きが聞こえた。いや、祐一だけではなくこの空域で回線をオープンにしているISAF全機に届いているだろう。
「どうした、何があった?」
 あゆの感情の変化に気づいた祐一が言った。あゆが今回のように呟くのはあまり良くないことが起きた時だけだと祐一はこれまでの経験から見抜いていた。
『ストーンヘンジからの砲撃を確認! 弾数4、弾着まであと90秒!』
「ストーンヘンジ!?」
 やはりろくなことじゃなかったな。叫びつつ祐一は頭の傍らでそう思った。
『くそっ! ついに巨人がおいでなすったか!』
 祐一の僚機、斎藤が叫んだのを皮切りに、ISAFパイロットたちが次々に呪詛の言葉を吐く。
『ああ、なんてこった!』
『冗談じゃないぞ! こんな所で死ねるか!』
『こんな所まで届くのか!? 1000kmは離れているんだぞ!』
『スカイエンジェル、どうすればいいんだ!?』
 作戦を終えた所で突然の凶報、部隊は半ばパニックに陥った。しかし、あゆは皆がさらに混乱することを言い出した。
『みんな高度を600メートル以下に落として! じゃなきゃやられちゃうよっ!』
『なんだって!?』
『600メートル!? 低過ぎるぞ! それにここは……』
 ここがどんな場所なのかに気づいたあるパイロットが絶句する。
 そう、ここは平均の高さが海抜500メートルの高地である。あくまでも「平均」なので、それよりも高いところもあれば低い所もある。高度をそこまで落としたら地面と激突してしまう危険性も出てくるのだ。
 その時、とにかく高度を落としてできるだけ危険から離れようとしていた祐一の目にあるものが映った。
 フェイスパークの大地を大きく分断する亀裂。地球の自然が営々と作り上げた無数の渓谷。彼はとっさに言った。
「谷間だ。谷の中なら600以下で飛べるぞ」
『正気かメビウス1!? あんな狭い所なんて飛べない。壁にぶつかっちまうぞ!』
「でもそうしなきゃ、あの魔物のような大砲に墜とされるだけだぞ!」
『谷間を飛ぶ自信のある人は飛び込んで! そうじゃない人は低空を全速力で逃げてっ!』
 あゆのこの一言で撤退の方針は決定した。いや、秩序だった編隊はバラバラに崩れ、個人単位での飛行になっているから、もう撤退ではなく潰走という方が正しいかもしれない。
 閉所飛行を言い出した祐一はもちろん断崖を縫って飛ぶアクロバットを選んだ。急激に高度を下げる。HUDに投影された高度表示が目まぐるしく変化すると同時に草木がほとんど見られない土色の地面が瞬く間に近づき、そしてその下へと入った。機体を水平に戻す。
(……言い出したは良いものの、確かに怖いな……)
 左右に聳える断崖絶壁。それが機体のすぐ傍まで迫っている。そして前を望むと岩の回廊が続いている。先が完全に見渡せないのは複雑に曲がりくねっているからだろう。
 祐一は操縦桿とスロットルを握る手が無意識のうちに震え出す感覚を味わっていた。黄色中隊と戦った時とは違う、じわじわと溢れ出すような恐怖。しかし本当に震えることはできない。この場での操縦ミスは即座に死へ繋がる。
「斎藤、どこだ?」
『お前さんのすぐ後ろだよ、メビウス1』
 降り返ると、確かにF/A−18C――斎藤の機体があった。飛行に神経を集中するあまり気づかなかったらしい。
「お前までこっちに来たのか……。俺だけだと思ったぞ」
『この2ヵ月半、俺はお前さんと組んで何かと上手くやってきたからな。今度もそれに賭けたのさ』
「済まない……」
『おっと、そろそろ時間だぜ。爆風に飛ばされないことを祈ろう』
 斎藤がそう言って会話を締めくくると、あゆが警報を発した。フライ・バイ・ワイヤ方式の操縦装置がどこまでストーンヘンジ砲弾の爆風に対応してくれるか。とにかく祐一は己の愛機を信じて操縦桿を握りなおす。
『ストーンヘンジの弾着まであと10秒……8、7、6、5、4、3、2……弾着、今っ!』
 その瞬間、祐一の頭上で何かが煌いた。そして彼と彼の愛機は大地震もかくやと思われる振動に襲われ、嵐の直中に曝された小船のように翻弄された。

「弾着、今っ!」
 透き通るような美声で詩子は言った。それはあゆが同時刻に1000km以上離れた所で言った台詞と全く同じだった。無論、彼女はそれを知る由もないが。
 弾着地点近隣のレーダーサイトや無人偵察機、果ては人工衛星までもが砲撃の効果を観測し、その情報は瞬時にここストーンヘンジ射撃指揮所に転送され、モニターなどの表示機器が詩子たちに教える。
 見ると、推定で3機の敵が減っていた。彼女は冷徹に「命中率の割には効果が低い」と判断した。
「敵3機の撃墜を確認。目標は北東に向かって退避中」
 この時点で、ストーンヘンジは3回の斉射を行っている。第1斉射の弾着を観測して修正、第2斉射という正攻法の射撃プロセスの方が命中率は高まるが、弾着まで5分近くもかかるのでは遅過ぎる。したがってコンピューターの予測のみに頼り、命中率の低下を覚悟して途切れなく弾を送り続けた方が良い。
「敵は編隊を崩しつつあります。一部は高度を下げ……渓谷に入った模様です」
「渓谷だと?」
 中崎准将が驚いたような声を上げた。ストーンヘンジの砲撃を避けるためには高度を下げるのが効果的だというのは彼も知っていたが、まさかそんな狭い場所に飛び込むとは想像の範囲外にあった。
「渓谷に入ったのは何機ぐらいだ?」
「8、9機……全体の3割程度です」
 詩子が返答すると、中崎は少し考えるような表情をして、言った。
「谷の上を飛ぶ敵だけを狙おう。渓谷は世界遺産だ。壊す訳にはいかない」
 中崎は名誉を重んじる軍人だった。Tacticsでも有数の富豪の家に生まれた中崎の家庭環境や教育が、彼をそういう風に育んだのだろう。だから国連の世界遺産に登録されているフェイスパーク渓谷を砲撃で破壊することに激しい抵抗を覚えてこの命令を下したのだ。
 もっとも、彼の脳裏には政治的な判断もあった。世界遺産の破壊は、世界世論を敵に回しかねない行為になる。Tactics連邦はただでさえ大陸諸国に武力侵攻して国際的非難を浴びていると言うのに、これ以上は悪化させたくないと彼は思っていた。
「照準修正中……目標未来位置への自動追尾中。各砲塔、射撃準備完了」
 詩子がさらに報告を追加した。
(一介の准将が国の政治を考えるのは筋違いかな?)
 一瞬だけ口元に皮肉な笑みを漏らすが、中崎はすぐに真顔に戻って新たな命令を下す。
「交互射撃に変更する。発射間隔は15秒」
 射撃をこまめに行い照準修正を容易にしようという魂胆だった。
「了解。各砲塔は交互射撃」
 詩子が復唱し、中崎は叫んだ。
「1番砲塔、射えっ!」

『ストーンヘンジのさらなる砲撃を確認! 弾数1、じゃない……2、3! 連続して来るよっ! 第1派、弾着まで10秒っ!』
 あゆの警告からきっかり10秒後、ISAF機を120センチ榴弾の爆風と破片が襲った。
「っ、うわああっ!」
 ただでさえ危険な渓谷の断崖絶壁に囲まれ、その上爆風に掻き回され、祐一は思わず絶叫する。翼端すれすれに岩肌が迫るが、どうにか姿勢を制御して激突を免れた。
『ストーンヘンジ第2派、弾着まで10秒!』
「ああくそっ、慎重に飛んでる暇すらないな。斎藤、大丈夫か?」
『なんとかな……でも凄い威力だ。こう揺さぶられたんじゃ酔いそうだぜ』
『弾着まで5、4、3、2……弾着、今っ!』
 次の瞬間、彼らは再び目には見えぬ力に圧倒される。だが、祐一は次の瞬間、これまでとは全く異なる衝撃を受けた。
 何が起きたのか理解する間もなく、機体が180度ひっくり返る。景色も一瞬で反転した。谷底が頭上へ、裂け目から覗く空が死角に入って見えなくなった。慌てて操縦桿を動かす。だが機体は反応しなかった。代わりに警報ランプが激しく明滅し、警報音が鳴り出し祐一の鼓膜を打つ。
(くそっ! 操縦できない!)
 このまま落ちるのか? 最も嫌な考えが祐一の脳裏に浮かぶ。だが次の瞬間、機体が祐一の意思を汲んだ。再び空が頭の上にきた。
 警報は鳴り止んだが、警告ランプは変わらず点滅している。マルチディスプレイにには、左の主翼に異常が発生したことを示していた。
 首を大きく曲げて直に確認する。視線の先にあった光景を見た祐一は、思わずうめいた。
「ぐはっ……」
 左の主翼の先から3分の1がなかった。文字通り消えているのである。
『大丈夫か!?』
「ああ……」
『おい、左翼が……』
「わかってる」
 ここに至って自分を何が襲ったか、ようやく理解できた。
 榴弾は炸薬の炸裂により、弾体の破片と爆風を周囲に撒き散らす弾である。爆風だけでは祐一の陥った状況――翼を切断されることはない。となると、破片が直撃したのだ。榴弾の破片は細かく、そして鋭くなって拡散するような仕組みになっている。
(これがストーンヘンジの威力か……)
 口径120センチ、重量30トンの榴弾は、その破片も桁違いに凄いらしい。いくら多量の炸薬の爆発に、電磁加速で半端ではない速度が加わったとはいえ、ジュラルミンやチタニウム合金で形成された戦闘機の主翼をすっぱりと叩き切ってしまうだけの運動エネルギーを与えられるのだから。
 しかし、F/A−18Cはまだ飛行を続けている。機体のトラブルに対してコンピューターがすぐに対応し、操縦系統を制御しているのだ。おかげで祐一はまだ機体を操ることができていた。
(これが前乗ってたファントムだったら、今ごろ死んでいたかもな……)
 祐一は改めてフライ・バイ・ワイヤの効果を思い知った。これだけの損傷を負ってもまだ飛べる。これなら逃げきれるかも……。
『ストーンヘンジ第3派、弾着まで5、4……』
 そう思うのも束の間、ストーンヘンジの猛威はとどまるところを知らないようだった。

 詩子が見つめるモニターには、ISAFのシンボルマークが円の外に出て行く様子が展開されていた。表示されている敵の数はおよそ14機。射撃開始前よりも半分近くまで減っている。中崎にそれを報告した。
「目標、射程外へと退避しました」
「打ち方止め。戦果の集計を」
「撃墜確実9機。未確認4機。それ以外は撃退扱いになります」
「そうか……」
 中崎は後に続く言葉を飲み込む。「合計25発、約750トンの弾薬を消費した割には少ないな」と言いかけたが、ストーンヘンジのそもそもの建造目的を考えると仕方がない。弾道法則に従って落下してくる隕石と、操縦者の意志で自在に動き回れる航空機――特に機動力が高い戦闘機は全く別物なのだ。そして何よりも、懸命に任務を果たそうとしている部下たちを中傷するような台詞など吐けない。
 中崎は代わりにこう言った。
「敵が谷の中を逃げるのが誤算だったな」
「そうですね」
 中崎と短い会話を交わして画面に向き直る詩子。そこにはもうISAFのシンボルマークは影も形も見当たらない。完全に撤退したのだ。
 今度は砲のチェックが始まった。信頼性を重視して建造された砲とは言えども、最先端の技術が惜しみなくつぎ込まれた繊細な代物でもある。システムチェックは日常茶飯事のように行わなければならない。管制室で砲操作担当官が機械の自動診断リストを注視する。もしもどこかに異常が見つかれば、待機している整備員や技術者が直ちに異常個所に取りついて修理を始める。
 そしてこの段階になると詩子の仕事はほぼ終わった。それでも交代の時間まではここに詰めてなければならないが……。
「でも、これから忙しくなるのかな? なるんだろうな、多分」
 詩子は誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。
 今日この日、ISAFがついにストーンヘンジの射程内に戻ってきたのである。一度は射程からも大陸本土からも追い出されたISAFが。今回はまだ航空機だけだったが、これが何を意味しているか。
 大陸東部の制空権バランスが傾いたということである。このまま事態が進めば、やがてはISAF陸軍が東部のどこかに上陸し、内陸へと進撃を始める。となると、これからストーンヘンジが巨弾を放つ機会はますます多くなることだろう。それこそ戦争初期に、空だろうと陸だろうとあらゆる敵を薙ぎ払い、叩き潰した時のように。
(茜に逢いたいな……。でも、昔みたいに黙って抜け出したら脱走兵になっちゃうね。明日にでも休暇を申請してみよう。無理かもしれないけど)
 さほど遠くないであろう未来を予測すると、詩子はそう決意した。


 
同日 1818時 ノースポイント ニューフィールド島 アレンフォート基地


 太陽はとうに沈み、闇の中に月と星が光る空を背景に、1機の戦闘機がよたよたと滑走路への着陸態勢へ入った。左の主翼先端が消え失せ、操縦に苦労しているのが基地の地上要員たちもすぐに理解できた。
 しかし、それでもそのF/A−18Cは滑走路の中央に車輪を接地させる。消火器や担架を持って損傷機の着陸を待ち受けていた整備員や衛生兵たちが尾翼のマークに気づくと納得した。ああ、さすがはISAFの撃墜王、メビウス1だな。あんな状態でもちゃんと還ってきた。
 メビウスの輪をあしらったエンブレムを持つF/A−18Cが完全に停止すると、キャノピーが開いてパイロットが顔を見せた。手を振って自分が無事なことをアピールすると、最悪の事態を想定していた衛生兵たちの肩から力が抜けた。
 整備員がコクピットの脇にかけたタラップを下り、両足を地面につけたパイロット――相沢祐一は、自分が生きて大地を踏みしめている感触を味わうかのように何度か軽くジャンプすると、ヘルメットを外した。
(ふぅ……今日も生きて戻ってこれたな)
 頭が外気に触れると、ヘルメットによって蒸発するのを阻まれていた汗が一気に乾き、頭皮が冷却される。それすらも祐一にとっては生き延びたことを実感させた。
「相沢中尉、お怪我はありませんか?」
「ああ、お陰様で。機体もよくここまで持ってくれたし」
 彼を気遣って声をかけてくれた衛生兵に対し、親しげに答える祐一。そして傷ついた愛機を整備員たちに任せることにした。すると、アレンフォート基地の整備長、幸村俊夫大尉が彼の前にいた。顔に白髭を蓄え、いつも目を細めて穏やかな顔つきをしているこの齢60を過ぎた老整備員は、部下の整備員はおろかパイロットたちからも大きな信頼を寄せられている。
 整備員たちを率い、いつも戦闘機を最適の状態に保ってくれる縁の下の力持ち。パイロットに比べると決して目立たないが、航空戦をするにあたり絶対に必要な人材である。実際に祐一は、幸村とその部下たちに対する尊敬と感謝の念を忘れたことはない。現に今度の作戦で、片翼の先端3分の1をなくしても帰還が叶ったのは、彼らの整備が完璧だったからだと信じて疑わなかった。
「おお、相沢中尉。今日も死に損なったようじゃの。なによりなにより」
「整備長、これ修理にどれくらいかかります?」
「修理の必要はないぞ。あんたにはあれが用意されとるからのぅ」
 幸村が指差した先には、真新しいF/A−18ホーネットが照明灯にライトアップされていた。斜め後ろ姿を彼らに披露している。
「……?」
 遠目には完全にF/A−18なのだが、その姿に多少の違和感を覚えた祐一は小走りでその機体に駆け寄る。
「こ、これは……」
 細部が確認できる所まで近づくと、ようやくその違和感の正体が判明した。
 大きい――機体そのものが大きいのだ。つい先ほどまで彼が乗っていたC型よりも1回り、いやそれ以上大型化しているだろうか。そして主翼面積も広がっている。
 祐一はしげしげとF/A−18を眺めながら、機体の後ろから前へと場所を移す。すると決定的なものが見つかった。空気取入口である。現行のC型の半円形に対し、目前の機体は菱形をしている。
 となると、この機体が何かという結論はすぐに出る。
「これがお前さんの新しいパートナーじゃよ。操縦系統やシステムは前のとほとんど変わらんから、すぐに乗りこなせるじゃろ。ほっほっほっ」
 大きいF/A−18を凝視していると、後からやって来た幸村に背中から声をかけられる。何だか楽しそうだった。
「どうしたんですか? こんなものが何でここに?」
「詳しいことはわからんよ。まぁ、ISAFのお偉いさん方がアメリカから上手いことせしめたんじゃろ」
 これが新しい愛機――アメリカ海軍の最新鋭艦上戦闘攻撃機、F/A−18Eスーパーホーネットと祐一との出逢いだった。


 「Mission7 コモナ諸島大空中戦」につづく


 
後書き(技術的無知のさらに追い討ち)


 今回は、この架空世界を象徴しているとも言える存在「ストーンヘンジ」を登場させました。いや、燃えますねぇ、こう言う馬鹿みたいに巨大な大砲は(笑)。ドイツの80センチ列車砲「グスタフ」に通ずるものがあって、こう言うのは書いていてわくわくするものがあります。
 AC04オフィシャルHP(http://www.acecombat04.com/)及び3社から出版されている攻略本で判明している要目・性能はだいたい以下の通りです。

 砲口径   120センチ
 初速    5000メートル/秒
 射程    1200km
 発射角   −5〜90度
 発射速度  1〜2発/分
 駆動装置  電気・油圧

 ですから、本文中にある砲重量、砲身長、砲旋回速度、射撃指揮管制・弾着観測システム、さらには砲弾装填機構は私の完全な創作(妄想)になります。特に、こんな複雑なシステムにしたらトラブル続出間違いなし、と自分でも思ってしまう装填装置は、全長100メートル以上もある砲身をいちいち上げ下ろしするのはさすがに大変そうだと思って、それで思いつきました。今となると、果たしてどっちが大変なのか、自分でも良くわかりませんが(苦笑)。
 なお、装填装置の略図を描いてみましたので、参考にしてください。
 とにかく、ストーンヘンジに関してはAC04の設定をほぼ踏襲しています。私のSSではツッコミどころ満載でしょうが、どうかご理解頂きたく思います(あ、もちろんご指摘は大歓迎です。私も勉強になりますし:笑)。
 それと今回からは、Airのキャラクターを登場させました。晴子さんが天才科学者、というのはなかなかに無理のある設定ですね(爆)。ですが、どうも私の目から見ると、スーツをパリッと着込んだ彼女は何か知的な職業についているのではないか、という第1印象がありまして、その個人的感覚がここまで尾を引いているのかもしれません。
 最近どんどん、当初の空戦モノから離れて、戦闘とは直接関係ない部分の描写まで出てきましたが、なるべく多くのキャラクターを出しつつ、戦争というものの全体像を前線銃後両方の面から書きたいという考えは前から持っていましたので、それでも今後さらにお付き合い下されば幸いです。
 どうもありがとうございました。

管理人のコメント

前回で高槻艦隊を殲滅する大戦果を上げたISAFですが、今回は作品最大の主役メカとも言える「ストーンヘンジ」に苦戦させられている模様。

>自宅から内陸に数百km離れた(今はTacticsに支配されている)皇国の首都、カンナにあるAir国立大学から数時間かけて帰宅

なんでそんなに早く帰って来れるんですか(笑)。さすがは晴子。

>「45パーセントか……遠い割には結構良いんだね」

細かいものを撃つには向かない巨砲でこの損害率はまさに脅威と言えるでしょう。

>アメリカ海軍の最新鋭艦上戦闘攻撃機、F/A−18Eスーパーホーネットと祐一との出逢いだった。

うーむ、ISAFの上層部にはマッコイじいさん(激古)でもいるのでしょうか(笑)。アメリカ本国でも配備の進んでない最新鋭機なのに。

さて、次回は大規模な空母機動部隊戦闘でしょうか?Tactics側もこのままやられっぱなしではいないでしょうし、続きが注目されます。

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