2004年11月23日 1230時 コンベース港
その男は食後のコーヒーを堪能しているところだった。
上品なデザインのコーヒーカップに褐色の液体が注がれ、そこから発する芳しい香りを含んだ湯気が男の鼻腔をくすぐる。
一口すすり、カップを机に戻す。Tactics海軍第1機動艦隊――通称高槻艦隊。空母2隻と戦艦1隻を含め大小32隻の艦からなる大艦隊を統率するその男、高槻海軍中将は不意に立ち上がるとテレビモニターのスイッチを入れた。画面に艦橋最上部からの映像が映し出される。彼がいるのは高槻艦隊の旗艦、戦艦<ファーゴ>の長官室だった。
外部からの中継映像は壮観の一言に尽きた。コンベース港の湾内には無数の艦船が浮かんでいる。あるものは埠頭に横付けし、最後の補給を受けているさなかで、またあるものは湾内の海水をスクリューで攪拌させ、海底の泥を海面まで押し上げながらゆっくりと航行している。高槻の旗艦<ファーゴ>も既に錨を巻き上げ、湾外の艦隊終結地点へと微速航行で進んでいた。さらに、ここからは見えないがもう集結地点にいる艦も何隻かある。モニターの中で展開されているそれら一連の光景は、今まさに出撃せんとする艦隊の姿そのものだった。
「ふふふ……もうすぐだ」
高槻は満足げに呟くと、口元にいやらしい、不気味な笑みを覗かせた。
(俺の艦隊で全てにカタをつけてやる。これまで我が軍をコケにしてくれたツケを何十倍にもして返してやる……)
今月7日の空中補給路遮断、19日の石油化学コンビナートへの攻撃で高槻艦隊のノースポイント侵攻はその予定を大幅に狂わされた。しかし、艦隊はついに出撃準備を半分以上完了させ、2日後――25日の朝にはノースポイントへと舳を向ける予定となっている。そして小癪なISAFを叩き潰し、Tactics連邦はクラナド大陸の覇権を握る。高槻はその光景を想像すると込み上げてくる笑いを押さえることができなくなった。
「くっくっくっ……はっはっはっはっはああぁっっ!」
その時、地上からサイレンの音が間延びして高槻の耳に入り、彼の笑いを中断させた。その直後には自室の電話機が呼び鈴を鳴らす。
「高槻だ。何があった?」
受話器の向こうの声は明らかに動揺、いや狼狽していた。
『た、大変です! ISAFの航空隊がコンベース港に接近中、その数100機以上! 直ちに全艦出港……』
その後ははっきりと聞き取れなかった。港の近隣にある飛行場からISAF迎撃のため緊急発進した戦闘機が戦艦<ファーゴ>をかすめて飛び去り、高槻の長官室を轟音で満たしたからである。
無敵艦隊に破局が迫りつつあった。
カノンコンバットONE シャッタードエアー
Mission5 大陸の歌
ISAFがこれまで、嫌がらせとも表現し得る数々の妨害活動を行っていたのは全てこの時のためにあった。高槻艦隊の出撃を遅らせる間にコンベース攻撃航空隊の編成と訓練を進め、絶妙のタイミング――艦隊がコンベース港に戦力を最大限に集結した時点――で攻撃する。
この強大な高槻艦隊が出撃してからでは手がつけられない。だから巣にいるうちに叩くのである。この原理は航空戦も同様で、過去に行われたリグリー飛行場への攻撃もこれと次元は変わらない。
ではなぜ、Tacticsはこうもあっさりと奇襲を許したのか。その理由については、後世になって諸説語られるが、最も真実味を帯びていたのは、過去数度に渡って行われたISAFの補給妨害がこの点でも効果をもたらした、という説である。
高槻艦隊の補給作業は、混乱していた。予定通りであれば全艦補給を迅速に済ませて、直ちに出撃していたのだが、ISAFの攻撃で物資の一部が途絶し、艦隊全体から見た補給作業は長引いてしまった。今の時点で、集結海域で戦闘準備を完了している艦と埠頭で荷揚げをしている艦が混在しているのはそのためである。そして、そこに戦力の空白が生まれた。
Tactics軍がこのような隙を見せた理由も、これまた複雑だった。
まず第1に、指揮官の性格。無能とは一概に言えないものの、自己顕示欲が強い高槻中将は、出撃予定日を過ぎても空軍の庇護を受けることを良しとしなかった。プライドが高い司令官を頂いたゆえの弊害である。
第2に空軍の事情。彼らもコンベースに大規模な部隊を貼りつけて置きたくはなかった。ISAFが(米空軍の)戦略爆撃機をノースポイントに集結させたことは掴んでいた。が、それがどこを狙うのか、彼らはわからなかった。高槻艦隊の集結地、コンベースを攻撃してくる可能性は無論ある。だがパイロットを複数乗せた後続距離の長い爆撃機なら、空中給油を1度受ければ大陸をどこでも攻撃できる作戦継続時間があった。それこそ、大陸そのものを回り込んで、首都ファーバンティを直接叩いてくることすら可能なのだ。Tacticsは(政治上の理由から)それを最も恐れていた。
とにかく空軍には(不本意とは理解しつつも)戦力を大陸全体に分散配置しなければならない事情があった。大陸にはコンベース以外にも守るべき施設は多数存在し(その最たるものがストーンヘンジである)、負担は広い大陸を制覇すると頂点に達した。ましてやノースポイント航空戦での敗北やISAFのゲリラ的反撃は彼らの負担をさらに増大させ、これまでの防空態勢を維持しつつ、なおかつコンベースを蟻の這い出る隙間もないほどに固めるのは頭痛の種だったのだ。
そして、コンベースは本日――11月23日0600時をもって、臨時派遣されていた戦闘機隊の半数が引き上げ、残る部隊も(連日の厳戒態勢からパイロットたちの疲労が溜まり)警戒を緩めていた。そこにISAFはやって来た。全ての戦力を集中して。
タイミングとしては最悪だった。全艦出港していれば自力で敵を排除できただろうし、逆に補給中だったら空軍の支援が万全だったのである。完全な油断だった。結局、中途半端な状態にあった高槻艦隊には、迫るISAFの大編隊に対して、有効な対応策を取ることができないという結果が現れた。なお、ISAFはそこまで見越して補給遮断作戦を立案したのか、それは定かではない。
8基のターボファンエンジンを轟々とうならせる巨大なジュラルミンの怪鳥が20機、堅固な編隊を組んで、南からコンベース港沖に迫りつつあった。ISAF空軍所属――本来はアメリカ空軍所属だが、義勇軍としてISAFに加わった――の爆撃機、B−52Hストラトフォートレスである。
この20機の周囲をさらに100機の戦闘機や攻撃機が取り囲んでいる。そのうち約半数の機体が、主翼下のパイロンから円筒形の細長い物体に申し訳程度の翼が十字状についている金属筒をぶら下げている。総勢120機の大編隊が一糸乱れず大空を征く。ノースポイントの各航空基地から発進して空中給油により航続距離を伸ばし大陸を大きく迂回、Tactics軍の警戒網をかいくぐった第1攻撃梯団「イート」である。
コンベース港の西からはまた別の編隊が、今度は地を這うような低空飛行で高槻艦隊に積年の恨みを晴らそうと接近中だった。こちらは機首が細く、可変翼を持ち、空力学的にも極めて洗練された優美な外観を誇る大型機――B−1Bランサー超音速爆撃機16機に艦載機が60機、合計で76機。ISAF海軍の空母<イタル・ヒノウエ>から発艦して爆撃隊と合流した第2攻撃梯団「エスケープ」だった。
この2つの梯団によるコンベース攻撃の作戦名は「イート・エスケープ」。ノースポイントへの脅威を長期的に取り払うと同時に、大陸反攻への序曲ともなるISAF乾坤一擲の作戦である。
攻撃を開始したのは「エスケープ」の方が先だった。Tactics軍の迎撃は先に探知された「イート」に集中し、そこで激しい空中戦が展開されたからである。「エスケープ」は主に地上の港湾施設、及び停泊中の艦船を目標としていた。
大抵の地上爆撃はまず敵の目潰しから始まり、次に対空火器を沈黙せしめて主力の安全を確保、そして肝心の施設や目標を最後に狙う。今回のISAFもこのセオリー通りにコンベース港へ矛先を向けた。とは言っても、ワイルド・ウィーゼル――敵防空網制圧機によるレーダー陣地と対空陣地の攻撃から、爆撃機による重要目標への攻撃間隔は僅か3分足らずしかない、極めて高度な波状攻撃である。そしてまず「エスケープ」の生贄となったのがコンベース市郊外にある飛行場だった。
高度を2000メートルに上げたB−1B編隊の爆弾倉扉が開き、内部のロータリランチャーが回転して細長く角張った物体を順番に切り離した。同時に主翼の下にある、ロータリーランチャーから放たれたものと似たような形をした物体も空に放り出された。B−1Bから投下された物体の大きさは大小2種類に分けられる。胴体に収納されていた翼を開くと、ロータリーランチャーにあった大きい方は尾部のジェットエンジンを始動させてあらかじめ定められた場所へと向かう。主翼下にぶら下げられていた小さい方は微妙に方向を変えつつ緩やかに落下していった。
小さい方は発射からおよそ5分で目標に到達し、信管が作動した。飛行場に飛来したのは内部に無数の小型爆弾を仕込んだスタンド・オフ・ディスペンサー兵器、JSOW――滑空誘導爆弾だった。撒き散られた子弾が雨霰と飛行場に降り注ぐ。
地上にあったTactics空軍の戦闘機は、この鉄と火薬の暴風雨にまんべんなく晒された。今にも離陸しようとしていた機体に小爆弾が直撃して満載した燃料に引火、紙屑のように燃え出し、滑走路が空くのを誘導路で待っていた機体は炸裂した爆弾の破片を浴びて離陸が叶わなくなる。格納庫や掩体豪から引き出されたばかりの機体は、敵機に叩きつけるはずだったミサイルが誘爆して自らの翼やエンジンを爆砕した。哀れな戦闘機たちの末路は様々だった。
この惨劇から生き残った機体もあるにはあったが、それは些細な問題に過ぎない。滑走路も小爆弾によりあらゆる個所がささくれ立ったように破壊され、また炸裂しなかった小爆弾はそのまま地雷として機能するので、とても離陸できる状態ではなくなったからだ。
結果としてはすなわち、コンベース上空の制空権は半ばISAFのものになったということである。制空権のもう半分は「イート」がTactics軍の迎撃機(主に海軍の艦載機)を排除できるかにかかっている。コンベース港の南の上空では大規模な空中戦が繰り広げられていた。
「何をやっている! ISAFの虫けらどもをさっさと叩き落せ!」
高槻艦隊旗艦<ファーゴ>のCIC(戦闘情報中央指揮所)にヒステリックな声が響く。照明が落とされ、無数のディスプレイやアクリルボードのみが光を発するこの暗いCICでは怒鳴る高槻の表情はなかなか窺い知れない。が、どんな感情を持っているのかは、彼の声から誰もが理解できている。
それに対し、レーダー要員たちは一応落ちつきを保って現状を報告する。それはことごとくが高槻の期待を裏切る内容だった。
「第1次迎撃ライン、突破されました。戦闘機隊の被害甚大」
「増援の到着はおよそ10分後の模様です」
「第3中隊の損耗率50パーセントを超えました。離脱許可を求めています」
「離脱だとぉ? 認めん! 敵を全滅させるまで帰ってくるな! 役立たずどもめ!」
高槻は残酷にもそう吐き捨てる。彼は指揮官に絶対必要な条件の一つ、冷静さを完全に欠いていた。
しかし、死守命令を出しても事態は好転しなかった。ますます減る自軍の部隊に対し、ISAFは未だに一定の数を保っている。やがて、決定的な一言がオペレーターの口から飛び出した。
「敵爆撃機隊、ミサイルを発射! その数およそ……本艦のレーダーでは捉えきれません!」
B−52Hを始めとする「イート」が高槻艦隊という巨鯨に、銛――AGM−84ハープーン空対艦ミサイルを打ち込む様が、レーダーの画面に映っている。オペレーターの言う通り、あまりにも多過ぎて画面の一角が点で埋め尽くされている。
それを受け、高槻とは少し離れた場所で多少慌てたような声がする。オペレーターに当り散らしている高槻はそれに気づかない。声の主は<ファーゴ>艦長、名倉由依大佐である。
「あわわ、どうしましょう?」
「どうもこうもないわよ! とにかく迎撃するのよ!」
怒鳴り返したのは巳間晴香中佐。<ファーゴ>の副長を務めている。階級は当然由依の方が上だが、そんなことを気にする素振りもなく、関係が逆転している。
「でも本艦はエリア・ディフェンス(広域防空)の兵器を持ってませんよ〜」
「ぐっ……」
その通りだった。<ファーゴ>は艦隊旗艦として護衛される立場にある艦で、長距離艦対空ミサイルなどは搭載していない。個艦防空(ポイント・ディフェンス)用の短距離艦対空ミサイルや対空機関砲のCIWS(近接防空用高性能対空機銃)は豊富だが……。
「イージス巡洋艦<エルポッド>、目標を捕捉、敵ミサイル数は200以上! 速度は約900km!」
「護衛艦全艦、迎撃戦闘を開始」
と、そこでついにエスコート役の巡洋艦や駆逐艦がISAFとの戦闘に加わった。データリンクが成されているため、護衛艦からの情報がリアルタイムで<ファーゴ>にも送られている。
「まぁ、後は護衛艦に任せて、こっちに当たりそうなのだけは自分たちで対処するしかないですね」
「そ、そうね……」
事態を成り行きに任せるしかないと思ったのか、由依が達観論を述べると、晴香もそれに同意せざるを得なくなった。とにかく<ファーゴ>には自衛用の兵器しかないのだから。
(でも、いくらイージスがあるからとは言え、今回ばかりは無理なんじゃないの?)
晴香は内心でそうつけ加える。あえて口には出さない。部下たちの手前、士気を落とすような発言はできない。
(200発……イージスの対応能力を超えてるわよ……)
晴香は、自分の顔から血の気が引くのを自覚できた。顔色の変化はCICの暗さが誤魔化してはくれたが。
コンベース港の軍事施設には、艦隊よりも先にISAFのこれまで溜まりに溜まった鬱憤が叩きつけられた。いや、何隻もの艦船がまだ停泊したままだったから、それらは洋上の仲間たちよりも早くその生命を絶たれることとなった。
ここでも「エスケープ」の攻撃が猛威を振う。コンベース飛行場を襲ったJSOWと共に爆撃機から切り離された飛行体が大挙して飛来した。その物体は巡航ミサイル――AGM−86「ALCM」である。
巡航ミサイルの代名詞とも言えるトマホーク――BGM−109よりも新しい、この空中発射専用の巡航ミサイルは、人工衛星からの電波で破壊すべきものの位置を特定し――GPS誘導により、それぞれの目標へと10メートル以内の誤差で弾着した。主な目標となったのは、停泊中の艦船、造船ドック、そして潜水艦用のブンカー(掩体豪)などである。特にブンカーは堅固に防御され、それを破るためにALCMは強力な貫通能力を持った弾頭が取りつけられていた。
重要施設の周辺に配置されていた対空機関砲やミサイルが抵抗を試みる。が、主要なレーダーサイトはワイルド・ウィーゼルの手にかかって既になく、それに加えて超低空から回避運動をしつつ突進してくるALCMの撃墜は容易ではなかった。それでもいくつかのALCMはTactics軍の火線に捉えられ、また火矢――ミサイルが突き刺さって義務を果たす前に墜とされたが、彼らができたのはそこまでだった。
ベトンで固められた潜水艦ブンカーが、横合いからALCMに突入されて砕かれる。ベトンの強度よりもALCMの突進力が勝ったのだ。ブンカー内部に弾頭が侵入し、そこで炸薬が一瞬の生命を得て死の火花を咲かせる。それが4回繰り返された。その時点で今度はブンカーそのものの強度が足りなくなり、最初の命中から10秒後、天蓋が自らの重みで倒壊した。そして、その下には整備中の潜水艦があった。
ブンカーや造船施設が手痛い打撃を受けている頃、停泊中の高槻艦隊所属艦の運命も尽きようとしていた。
近年の軍艦には、満足な装甲というものが施されていない。かつて海軍の主力だった戦艦という艦種は何百ミリもの装甲鈑で守られていた。巡洋艦も装甲は(戦艦ほどではないが)持っていた。しかし現代の艦には、空母のような大型艦を除いて半世紀前の軍艦が持っていたような装甲はまず有り得ない。対艦兵器が砲からミサイルへ移り、それならば命中する前に迎撃してしまった方が効率的だという考えが主流になったという理由からである。それ以外にも、搭載する電子機器が高度化・高価化して建造コストがうなぎ登りとなり、装甲を充実させる余裕がなくなったという事情があった。防御ならばダメージ・コントロールなどを重視するだけにすれば安く上がる。
強力な対空戦能力を秘めたイージス艦――イージス・システムが開発されたのも上記の理由の延長線上にある(初めてイージスを開発したアメリカにはもっと難しい事情が多数あったが、ここでは省略する)。自艦だけでなく艦隊そのものをミサイルの脅威から守る女神の楯。しかし、それが全ての能力を発揮できるのも艦が戦闘態勢にあればこそである。しかも、イージスを含めた艦船が停泊する接岸壁のすぐ近くには高層ビルが立ち並んでいる。そのビルの谷間を縫ってALCMは目標に迫った。
厚さ数メートルのベトンを貫通するだけの性能を持ったALCMの直撃に、これら現代の艦船が耐えられる道理はなかった。CIWSで最後の反撃に出る艦もあったが、それも無駄に終わる。ISAFは念の入ったことに、艦船1隻につき2発以上のALCMを使っていたからである。1発ぐらい破壊できたところで運命は変わらなかった。
せめてもの救いは、湾内の水深が浅く、艦が撃沈されても完全に水没しないことだろう。沈みさえしなければ内部の乗員が生き残る可能性は高まる。しかし、現状でこの点はとりあえず無視しても良い。艦が航行・戦闘能力を失ってノースポイント侵攻が不可能になってしまうことが最も重要だからである。
イージス巡洋艦<エルポッド>は良くその任務を全うしたと言えるだろう。空中発射された100発、いや200発を軽く超える対艦ミサイルの飽和攻撃に晒され、そのうちの4割を僚艦と協同で撃墜したのだから。
艦首と艦尾の甲板に埋め込まれたVLS(ミサイル垂直発射システム)が閃光を発すると、そこから艦対空ミサイルが飛び出し、後にはロケットモーターの噴き出した白煙が残る。それが連続して展開され、<エルポッド>は素人が見ればまるで弾薬庫が誘爆しているかのような印象を受けるかもしれない。
だが、次の瞬間、誘爆は現実のものとなった。
アメリカ製の代表的な対艦ミサイル、ハープーンが時速およそ900kmの終末速度での艦首部舷側――ちょうどVLSのある付近――に突き刺さり、222kgの弾頭を炸裂させる。ミサイルの発射など比較にならないほどの閃光が艦首を包み、轟音と爆炎と艦の破片が四方に飛び散った。火災は瞬く間に艦首部を飲み込み、フェーズド・アレイ・レーダーの貼られている艦橋を焦がす。
<エルポッド>の受難はそれだけにとどまらない。最初の被弾から8秒後、オランダ製の30ミリCIWS「ゴールキーパー」の弾幕をかいくぐった別のハープーンが艦中央部に直撃、レーダーマストが引き千切られて海に落ち、海水の飛沫を盛大に上げた。それからさらに10秒の間に2発の対艦ミサイルを浴び、さしものイージスシステムも性能の限界を超えたミサイル飽和攻撃によって破壊され、機能を停止させられた。
しかし、この一連の情景はあくまでも1隻のものに過ぎない。女神の楯、艦隊防空の切り札を失った高槻艦隊そのものに<エルポッド>の不幸を拡大量産したような悲劇が待ち受けているのは、もはや確実となっていた。
全ての滑空爆弾と巡航ミサイルを射耗した「エスケープ」のB−1Bはノースポイントへ引き返したが、それ以外の航空隊はTactics軍にさらなる打撃を与えようと奮闘していた。相沢祐一のF/A−18Cホーネットもその中の1機だった。
石油化学コンビナート攻撃――黄色中隊に散々追い回された屈辱の後、彼と数人の戦友はノースポイントではなく空母<イタル・ヒノウエ>に帰還するようにと命じられた。理由は彼らが艦載機を扱っているからだった。F/A−18は本来、空母上での運用を前提とした戦闘機である。そのため、作戦や状況に合わせて、空軍の機体が海軍の空母で運用されるというケースはISAFでは珍しくない。今は形式にこだわっている場合ではないのだ。そして今回のミッションは主に艦載機で編成された「エスケープ」の1機として参加している。
「あっ!? 誘爆だ、誘爆した!」
6発の無誘導1000ポンド爆弾を、出撃前のブリーフィングで指定された場所――コンベース港のコンテナ埠頭に上手く落とした祐一は、自分の上げた戦果を目視で確認しているさなかにそう叫んでいた。
「おそらく弾薬でも積まれてたんだろうな……」
空からだとまるで大量の爆竹が破裂しているようにも見うけられる。しかし、それによって発生した爆風は周りのコンテナや梱包された物資を容赦なく薙ぎ払い、さらに火災が広がって追い討ちをかける。この一撃で物資集積場の一つを壊滅させた祐一は周囲の空に注意を払いつつも湾内を見渡す。
彼方に立ち並ぶ石油タンクがまた一つ、友軍機の攻撃で燃え上がる。ISAFの攻撃には全く容赦がなかった。そして既に爆撃の対象となった場所からは、以前に石油化学コンビナートで見たような黒煙がもうもうと天に向かってそそり立っている。
『お見事、メビウス1。俺の仕事がなくなっちまったよ』
今や祐一の相棒として欠かせなくなった斎藤が苦笑交じりの声でそう話しかけてきた。
「ああ、それは悪かったな」
祐一も軽口で答える。このようなやり取りは、このふたりの間では一般的なものになっている。この方が下手に緊張しないで済む。祐一にはありがたかった。
「でも、他に狙うものはいっぱいあるだろ?」
『そいつはどうだろう? もう他の奴に取られて残ってないかもしれないぜ』
斎藤がそう言った途端、祐一はさほど遠くない埠頭で敵の軍艦――空母のように平らな甲板を持つ艦、恐らく揚陸艦だろう――に閃光が煌くのを確認した。
「それは……かもしれないな」
友軍機が揚陸艦に攻撃を与える様を見て、斎藤の発言を肯定する祐一。いつも自分を助けてくれる彼のために何かしてやりたい、と思った祐一は、気がついたらこう言っていた。
「おい、あゆ。目標は破壊したぞ。他に何か残った目標はないか?」
『祐一君? ちょっと待ってて』
空のどこかで祐一たちを見守っている「スカイエンジェル」が即座に答えた。数秒のタイムラグの後、コクピットのディスプレイに新たな情報が映し出された。
『南の方に造船施設があるよね? そこと海を繋ぐ水道に何か動いてるよ』
「それは何だ?」
『うーん、ボクはAWACSだから良くわからないよ。でも、反応を見ると船……だと思うよっ』
AWACSは、空中にあるものは全て見通せても、地上に関してはさほど得意ではない。こういうのは「ジョイント・スターズ」と呼ばれている地上監視機が最も得意としているが、今回のミッションに、それは参加していない。
『おっ、これかこれか……ありがとう、スカイエンジェル。おかげで爆弾抱えたまま帰らなくて良さそうだ』
斎藤が祐一とあゆの会話に割り込む。彼の愛機にも祐一が知ったのと同じ情報が転送されていたのだろう。
『どういたしまして、斎藤さん……じゃなくてアクトレス』
あゆと斎藤は、祐一を通して知り合いになっていた。だから彼女は祐一の戦友を名前で呼び、次いで訂正した。一方、斎藤はそれを喜ぶ。
『いや、別にどっちでもかまわないんだけど、貴女のような美人から本名で呼ばれるのは光栄だな』
『え、えっ? うぐぅ、美人だなんて……』
このうわついたやり取りを聞き、祐一の脳裏にとある記憶が蘇る。
(まさか……いや、まさかな)
祐一は以前、斎藤がなぜ「アクトレス=女優」コールサインを名乗るのか、本人に問うてみたことがある。斎藤は「好きな女優の名前を付けようとしたが、コールサインには向いてないと言われて、“女優”の一言だけが残ったんだ」と笑って由来を教えてくれたが、その後、他のパイロットからある噂を聞いた。
斎藤の「アクトレス」は「スカイエンジェル」のことを指している――。
スカイエンジェル=月宮あゆはISAFで最も有名な管制官だった。有能で美人、とくれば彼女に導かれて戦うパイロットの野郎連中は放っておくはずもない。その人気はまるで有名女優のそれに似ていた。生写真が裏で売買されたり、(航空無線で)直に会話したのを自慢したり……。
昔からのあゆを知っている祐一は最初、その事実を全く信じることができなかったが、戦友たちとの会話で、それが事実だと認めざるを得なくなった。
なお祐一は、斎藤とあゆだけはコールサインで呼ばない。「アクトレス」は男の斎藤には不釣合いでちょっとした違和感を感じていたし、「スカイエンジェル」は微妙に長くて呼びにくいうえ、あゆを「天使」と呼ぶことに気恥ずかしさを持っていたからだ。
結局、今回のやり取りで斎藤の真意は掴めなかったが、噂話が根も葉もないことではない、という点だけは確実にわかった。
(もしかしたら、斎藤のコールサインにまつわる噂は本当なのかもしれない……)
「おい、あゆを口説いてる場合か」
祐一は内心でそう思いつつ、斎藤を軽くたしなめた。そうしている間にも彼らは新たな目標に向けて飛び続ける。
上空ではいくつもの飛行機雲が弧を描き、時折黒煙がなびく。瞬間的に太陽のような明るい光を見せるのはミサイル回避用のフレアだろう。爆撃を終えて任務を制空に変更した友軍機と、空爆と聞きつけて近隣の基地から飛来した敵機が空中戦を展開している。
やがて、燃え盛る燃料タンクや造船ドックがはっきりと確認できるあたりまでやってきた。
『目標の敵艦船は方位60、距離600、すぐ近くだよっ!』
『目標視認、潜水艦が浮上航行しているぞ! 良い獲物だ! メビウス1、援護してくれ!』
「こっちも確認した! アクトレス、了解!」
そして祐一は破壊された造船施設の上空を低空で飛び去る。その時、コンクリートの残骸の中に、黒くて細長いものが一瞬だけ見えた。それはつい先ほど彼もこの目で見た潜水艦に良く似ていた。
その女性たちは、瓦礫の前でただ呆然と立ち尽くしていた。
彼女らの目の前には、船体にいくつもの大穴が開いて、半ば潰れた黒く長いものがある。潜水艦<ベイオウルフ・π(パイ)>。Tactics海軍が保有する4隻の原子力潜水艦のうちの1隻である。
その艦を収容していたコンベース港の潜水艦用ブンカーは天井が崩れ落ちていた。大型の爆弾かブンカー破壊専用の特殊兵器が命中し、設計で想定されていた以上の負荷がかかって崩壊したのであろうことは建築の専門家ではない彼女たちにも一目瞭然だった。
つまり<ベイオウルフ・π>は、崩れた天井の下敷きになって破壊されたということになる。水深500メートル以上の水圧に耐え得る高張力鋼の船殻も、数百トンの瓦礫の圧力には耐えられなかったのである。ただし、周辺に必要以上に設置された放射能検知機は無音を保っている。原子炉に損傷はないようだ。検知機まで全て壊されているなら別だが……。
轟音を立てて敵機の1編隊が上空を飛び去る。それはまるで、ISAFが勝ち誇って彼女たちを挑発しているようにも感じられるが、あいにく3人の女性の注意は、全てが目の前で瓦礫と共に巨大な屑鉄と化した軍事技術の結晶――原潜へと注がれ、上空を行く戦闘機に気づくことはなかった。
「何てことよ……」
ジェットエンジンの音が和らいだ時、<ベイオウルフ・π>の艦長、深山雪見中佐はただ一言、そう呟いた。
「雪ちゃん……」
艦長の呟きに答えるように言ったのは、雪見の部下で<ベイオウルフ・π>の聴音手を務めている――いや、いた川名みさき大尉。雪見とは幼い時からの付き合いがある。雪見の心情は良く理解できたし、それはみさき自身も全く同じだったろう。
そのふたりの横で目に涙を湛え、しゃくりあげている小柄な女性は上月澪という。彼女は軍人ではなく、ファーバンティタイムズという新聞社の記者で、<ベイオウルフ・π>に従軍記者として乗り込んでいた。目的は戦争の真実を読者に伝えることだが、自分の記事が国民の戦意昂揚に使われることを澪は最も良く理解していた。
澪は泣いているにもかかわらず、嗚咽を漏らさない。彼女は生まれつき声を出すことが叶わなかった。なので日常会話は筆談で行っている。澪が新聞記者になれたのは、文で自分の意思を表す能力が発展して、文章力まで向上した結果だった。そんな澪も、今は酷い光景を前に泣くことしかできていない。
彼女たち3人が乗艦破壊の難から逃れられたのは全くの偶然だった。陸上にある海軍基地の司令部から呼び出しがかかって艦を離れていたからに過ぎない。その時ISAFの空爆が始まり、急ぎ戻ってみたらこの有り様となっていた。なお空爆が開始された時点では、半舷上陸が許されていたため、乗員の半分が陸上にいた。しかし、残り半分の乗員――艦の副長も含まれる――は、未だに艦内取り残されているか、もしくは戦死していることだろう。
「私がついていればこんなことには……!」
歯ぎしりをして喉の奥からかろうじてそれだけを漏らす雪見。だが、目の前にある現状――整備中で動けない潜水艦がブンカーごと破壊されている――では、彼女がいたとしても艦と運命を共にしていた可能性が高い。しかし彼女は艦長としての責任感の高さゆえ、自分を悔いずにはいられなかった。
「……」
一方、みさきは無言だった。だが心の奥底では激情が渦巻いている。
(目が見えないままだったらこんなもの見なくても済むのに……どうして?)
みさきは幼少の頃に事故で両目の視力を失っていた。それは4年前に手術を受けて回復したが、目の見えない間に自分の支えとなってくれた親友に恩を返すため、既に海軍士官の道を歩み始めていた雪見を追って海軍に入隊し、そこで聴音手としての適性を見出された。
彼女は視力を取り戻して以来、世界が「見える」ことを素晴らしいと感じていたが、この時ばかりはそれを呪いたくなっていた。目が見えるばかりにこのような悲惨極まる光景を見てしまっている。
その時、空爆の混乱から立ち直った軍港関係者が救援に駆けつけた。防火服を着た消防士がホースを火元に向け、血塗れになった負傷者が担架に乗せられる。コンベース港でのTactics軍の戦いは新たな段階――被害の拡大を抑えることに移り始めたのである。
雪見とみさきの軍服の裾を誰かが引っ張った。振り返ると澪が愛用のスケッチブックを掲げていた。そこにはこう書いてあった。
『あのね、わたしたちも手伝うの』
声を発する手段を失い、それゆえ文章を書くことに長けた新聞記者の、精一杯の感情表現だった。
「……そうだね、澪ちゃん。雪ちゃん」
「わかってるわよ、みさき。わたしたちも行くわよ!」
そこに、半舷上陸で非番になっていた――生き残った<ベイオウルフ・π>の乗員たちも集まり、雪見たちに加わる。こうして彼女たちは新たな戦い――人命を救う戦いへと身を投じた。
「右舷よりミサイル多数接近中! 砲の射程に入ります!」
「右舷速射砲群、全門射撃自由。射ぇっ!」
砲術長の晴香が号令を下した直後、日本の和太鼓を乱打するような、腹の底に響くOTOメララ12.7センチ砲の砲声が断続して発生する。それはごく僅かだが分厚い装甲に囲まれたCICにも漏れ伝わっている。
やがて、その砲声に加えて猛獣が吠えるような――30ミリCIWSゴールキーパーが1秒間に70発の弾を吐き出す音も聞こえるようになった。艦を守る最後の障壁、CIWSが本領を発揮するということはすなわち、ミサイルが命中寸前まで近づいていることを意味する。
(あちゃあ……これは当たっちゃいますね〜)
向かってきたミサイルに対し、自軍の迎撃兵器が絶対的に足りない。自分の戦艦<ファーゴ>が危機的状況にあっても、艦長の由依は冷静な判断力でそう結論した。それは約10秒後に現実となった。「ゴールキーパー」はボールを受け止められなかったのだ。
自艦の対空射撃とは比較にならない轟音、そして振動がCICを襲う。赤い警報ランプが明滅し、警報が響き渡る。大型のディスプレイに被弾箇所が表示される。どうやら後部艦橋付近に被弾したらしい。火災発生の表示も出ていた。
「ちっ……」
晴香が舌打ちする。砲術長として敵のミサイルを墜としきれなかったことを屈辱と感じたらしい。
「ダメコンを急いでくださいっ!」
悔やむ晴香とは対称的に、由依がすぐさま適確に命じる。しかし、さらに重大な問題をレーダー担当のオペレーターが悲鳴に近い声で報告する。
「対水上レーダー、対空レーダー、使用不能!」
「復旧は可能ですか?」
思わず顔面を青ざめさせた由依が聞き返す。ディスプレイに目をやると、CIWSの捉えたミサイルが至近距離で誘爆し、その破片がレーダーに浴びせられたという趣旨の説明が出ていた。
「……駄目です。完全に破壊されました」
オペレーターは絶望的な声音で言った。無理もない。艦船に限らないが、現代のレーダーは兵器の眼も同然である。それを失っては戦闘能力が半減するどころでは済まない。
「くそっ、俺は艦橋に移る!」
高槻は、レーダーの破損によってあっという間に情報鎖国になったCICの現状に業を煮やして、そう吐き捨てるとCICを飛び出した。「今の艦橋は危険です!」と由依や晴香が止める間もない。艦橋はCICほど防御が堅くないのだ。
(まぁいいか……うるさいのがいなくなったし、今あいつがいても邪魔なだけだからね……)
晴香が心の中で毒づくが、それは晴香だけでなくここにいる全員の思いと共通していた。彼らは、これまでの高槻のヒステリックな指揮ぶりに愛想を尽かしていたのである。
斎藤は僅か一度の低空爆撃で原子力潜水艦<ベイオウルフ・ν(ニュー)>を屠った。手持ちの爆弾全てを使って広範囲を狙い命中率を高め、そのうちの一発が船体を直撃したのである。
<ベイオウルフ・ν>は航行していた水道を塞ぐようにして沈んだので、これでコンベース港の潜水艦整備施設はほぼ完全に機能を失った。その上、Tactics海軍にとってはブンカーごとやられた<ベイオウルフ・π>に続いて2隻目の原潜喪失となる。高槻艦隊の損害を含めると、余りにも大き過ぎる損害である。
こうして地上攻撃をあらかた終えた祐一たちは洋上を飛んでいた。海上からも陸地と同じように、黒煙がたなびいている。もう既に海底へと消えた艦もあることだろう。そう思ってかつて高槻艦隊が存在した海面へ目を向けている祐一。そこへあゆが全体の戦況を報告してくる。
『敵艦隊は大半を撃沈もしくは撃破したよっ。残存は……ねえ祐一君、爆弾は残ってる?』
「ああ、1000ポンドが2発ある。それがどうかしたのか?」
『10時の方向を見ろよ。大物が1隻、まだ生きてるぜ』
あゆの代わりに斎藤が祐一の疑問を解消する。
祐一の視界の隅に、空母とも巡洋艦とも明らかに異なる艦影が入った。
「……戦艦? <アイオワ>級か……」
『叩ける時には叩いておいた方が良い。それに、今時艦船に爆撃をかける機会などそうないぞ』
中隊長の石橋が口を挟んだ。攻撃を奨めるような台詞だが、祐一は彼との半年以上の――まだ飛行機の操縦桿を単独で握れないパイロット訓練生の頃からの付き合いで、石橋の言葉が実質的な命令に近いことを知っていた。それに、石橋の中隊で爆弾を残しているのは祐一機のみである。
「しかし、いくら手負いって言っても、CIWSに狙われますよ」
『大丈夫だ。弾が切れたか破壊されたらしい。私が見た限り、最後には対空砲火は沈黙していたからな』
石橋は、壊れたのが対空兵器ではなくレーダーだったことを知らないが、祐一が近接爆撃をしかける条件が整っている点は変わりない。
「了解。目標、敵<アイオワ>級戦艦。降爆します!」
まだおよそ1トンの兵装を抱えているにもかかわらず、祐一のF/A−18Cは素早い動きで方向を変え、上昇を始めた。目指す高度は6000メートル。そこから急降下で目標に迫り、残り2発の爆弾を処分して身軽になるつもりだった。
<アイオワ>級戦艦。第2次大戦中にアメリカが建造した高速戦艦である。基準排水量4万5000トン、50口径40.6センチ砲3連装3基9門を搭載し、最大速力33ノットの性能を誇る。
この戦艦は6隻が建造される予定だった。が、1941年に太平洋戦争が勃発すると空母の建造が優先されて5番艦と6番艦の建造が中断される。しかし、1943年6月に1番艦<アイオワ>がフィリピンの制海権を巡り発生した第3次セレベス海海戦で日本海軍の最新鋭戦艦<大和>と激しい夜間砲戦を交わした末に撃沈され、この事態に慌てたアメリカは工事が中断した2隻の建造を再開した。5番艦<イリノイ>は45年に完成してかろうじて戦争には間に合ったものの、6番艦の<ケンタッキー>の完成は翌46年、既に第2次大戦は終結していた。
<ケンタッキー>は戦後の軍事費削減の波に引っ掛かり、祖国へ何の貢献もしないまま解体される決定が下されたが、クラナド大陸の全ての国々と同じく「武装中立」を貫き第2次大戦に参加しなかったTactics連邦が解体直前の戦艦の購入を打診し、アメリカはこれに応じた。その戦艦が今、滅び去る高槻艦隊の旗艦<ファーゴ>なのである。
その戦艦<ファーゴ>の艦橋には悲報が絶えなかった。
「巡洋艦<ミンメス>、弾薬庫誘爆! 炎上中です!」
「駆逐艦<クラスシー>、総員退艦命令が出されました」
つい1時間前までは世界でも有数の戦力を誇り、「無敵艦隊」とまで謳われた堂々たる艦隊の姿はそこになく、あるのは誰の目から見ても壊滅しかかっているようにしか見えない哀れな敗残軍だけだった。
「空母<セイレン>転覆しました……」
真っ先にISAFの標的となったイージス巡洋艦<エルポッド>はすでに海底へと消え去り、次に狙われた空母<セイレン>――高槻艦隊を無敵たらしめていた航空戦力の中核である1隻――も7万トンの巨体を裏返し、赤腹をさらけ出している。なお<セイレン>の同型艦<クラスエー>は、<エルポッド>の次に集中攻撃を受け、時が経てば魚の良い住処になると思わせる場所へ旅立っている。
「……な、なんなることだあああぁっっ!」
今まさに滅ぼうとしている自分の艦隊、その現状を目の前にして、艦橋に登ってきた高槻中将は絶叫した。その瞬間、彼の精神は正気を一歩越えた場所へと踏み出す。
「ごぼごぼと沈んでゆくぞ。見ろ、海に沈んでゆくぞ。信じられるか、さっきまで無敵を誇った艦隊だぞ。ぐああぁっ……すごい事実だ……!」
狂ったように叫ぶ高槻。叫び続ける。
「いいのか。憎きISAFに沈められてるんだぞ。とても大事な艦隊を沈められてるんだぞ。くおお……。ほら、また1隻沈んだ! 艦首まで沈んだぁっ!」
常軌を逸した行為に走る司令官を、艦橋要員たちが後ろから羽交い締めにするようにして抑える。「落ち着いて下さい!」と怒鳴って正気を取り戻させようとするが、無駄な努力だった。高槻は彼らの腕を振り解き、暴れ、さらに叫んだ。
「いいのかっ!? これでいいのかああっっ!? 参ったああっ! 俺は参ったああぁっっ! どうすりゃいいんだ、俺はっ!」
どうもしなくとも良かった。
なぜなら、彼の600メートル上空から、メビウスの輪を描いた航空機によって投弾された1000ポンド爆弾が艦橋に直撃し、彼の肉体を、変調をきたした精神ごと、さらに艦橋に詰めていた不幸な人々をも巻き込んで、跡形もなく粉砕したからである。
『無敵艦隊は海に沈んだよっ。これで作戦は終了。さっ、帰ろう、みんな』
あゆから作戦成功の報がISAF全機に伝えられる。その直後、パイロットたちの歓喜が爆発した。
無数の歓声が航空無線を埋め尽くす。無理もない。ISAFがノースポイントへ押し込められて以来、初めて手にする決定的な勝利なのだから。またこの瞬間のために一体どれだけの戦友が空に、海に、そして陸に死んでいったのか。この勝利宣言は彼らの死が決して無意味ではなかったことの証明でもある。
やがて、誰かが声を高らかに、一つの曲を歌い出した。
“おお蒼い空よ緑の大地よ
雪降る街に月明かり
輝く季節は常にこの地に
我等の大陸に”
大陸歌――クラナド賛歌である。
世界が2度目の大戦に突入しようとしていた時、クラナド大陸の諸国は連合にも枢軸にも組さない道を選んだ。大陸武装中立――大陸の全ての国家が団結し防衛力のみを強化、侵略することもされることも許さない、という方針を採ったのである。そこで、大陸の結束を高めるために作られたのがこの歌だった。この歌は大陸に住む多くの人々に愛され、現在もなお歌い継がれている。
歌は2番に入る。今度歌い出したのは、この空にいるISAFのほぼ全員だった。
“神の助けと人の意志で
自由と正義の在る限り
勇気の力で我らは進む
クラナドの未来に”
結局、第2次大戦において大陸は完全中立を成し遂げた。戦禍を被らなかった大陸諸国は戦後大きく発展を遂げ、後世のとある歴史家は大陸中立宣言を「クラナドに輝く時代をもたらした最大要因」と評した。
しかし今、この大陸の結束は乱れ、2つに分かれて争っている。かつて大陸最大の国家として中立宣言に大きな役割を果たしたTactics連邦は、現在は大陸の敵となってISAFの前に立ちはだかっている。祐一は実に皮肉なことだと思い、戦友たちと歌声を合わせながらも心の中で苦笑した。
(この歌は何も俺たちの専売特許と言う訳じゃないよな……)
今ここで俺たちが歌っている瞬間にも、敵の誰かが同じ歌を歌っているのかもしれない。こういう時には敵も味方も「正義」を旗印にして戦う。正義ってのは、相対的なもんだな……。
しかし、そう思ったところでどうにかなる訳でもない。彼の愛する名雪も、その母の秋子も意識を失って眠り続けたままである。祐一には、己の正義に基づいて、異なる正義を掲げた敵と戦う以外の道はなく、彼自身もそれ以外の道を歩むつもりはなかった。愛する人の笑顔を取り戻すその時まで……。
再び誰かが斉唱を始め、多くの声がそれに同調する。大陸の歌はいつ果てるともなく、航空無線の電波に乗って流れ続けた。
「火災は鎮火しました。機関全力発揮可能。航行に支障はありません」
ISAFの攻撃隊が去って少し経った頃、最も安心できる報告が<ファーゴ>のCICに入る。これを聞いて由依はほっと溜息をついた。
本国からは既に、沈んだ艦から脱出して漂流している将兵を救助した後はファーバンティの軍港へ戻るよう命令が届いている。実質的な作戦中止命令である。もっともこのような状態でなおかつノースポイントへの侵攻作戦を続けるのであれば、それは無謀を通り越して狂気ですらあるが。
ある程度の余裕が生まれたCICで、晴香は由依に尋ねた。
「由依、本艦は中破といったところかしら?」
「そうですね……メインブリッジが全損、後部も火災で使いものになりません。レーダーはどれもメチャクチャです」
「それじゃ帰ったらドック入りね……」
「多分そうなるでしょう。晴香さん」
由依はそこまで喋って考える仕種をし、考えがまとまると話を再開した。
「でも、修理はそんなに優先してくれないと思いますよ」
「……それもそうね」
由依の意見に晴香は賛同せざるを得なかった。32隻の戦闘艦を有していた高槻艦隊は今や8隻しか残っておらず、そのうち無傷の艦は僅か3隻に過ぎない。となると、残り5隻は修理が必要となるが、ミサイルが主役のこの時代、果たして戦艦に直すだけの価値が見出されるかどうか。
しかも今回の敗北で、ISAFにとどめを刺すどころか大陸西半分の制海権を失った。となると、今後予想されるのはノースポイントで再編されたISAF陸軍部隊による大陸反攻である。したがって、これからの予算・資材は陸空軍を中心に配分されるだろう。<ファーゴ>が元の姿に戻れる日はますます遠くなる。いやもしかしたらこのまま廃棄なんていうことも……。
「はぁ……」
「はぁ……」
由依と晴香は計らずも似たような予想をして、同時に深く息を吐いた。祐一の想像は完全に外れ、少なくとも今この場において、クラナド賛歌を歌おうと考える人間はひとりもいなかった。
Tactics海軍はこの戦争の表舞台から、強制的に退場させられたのである。
彼女たちは知らないが、かつて自分たちが支配していた海と空では、ISAFの勝利宣言――大陸の歌が発せられ、電波に乗って大陸中の空へと拡散していった。
「Mission6 ストーンヘンジ咆哮」につづく
後書き(言い訳とも言う)
今回は「無敵艦隊封殺」を扱ってみました。が、そもそも「こんな簡単に奇襲を許すはずない」と思われた方は正直、多いかと思われます。ですが、私はこのシリーズにおいては「エースコンバットを鍵キャラで行う」を(ある程度はアレンジしつつ)貫く方針ですので、どうかご理解……ごめんなさい、奇襲を成功させるだけのまともな理由が見つかりませんでした(爆死)。
それ以外にも、疑問に思われるのではないかという点をいくつか補足しておきます。
まず、B−52Hがハープーン運用能力を持っているのか、という点です。手元の資料では、G型の30機のみが運用可能となっているのですが、この世界では現在運用中のB−52全機にハープーン運用能力が追加されているものとしています。
この世界の地図には、太平洋のど真中にでっかい大陸があるという設定で、アメリカは僅か2000km足らずの距離でKanon国と向き合ってます。可能性は限りなく低いですが、もし仮にKanonと戦争になった場合の対応として、狭い太平洋での戦闘を有利にすべく、全てのB−52が対艦攻撃できるようにされた、と考えていただければありがたいです。
次に、GPS誘導された巡航ミサイルで艦船が攻撃できるか、という点についてです。GPSで移動目標は攻撃できない(らしい)のですが、ただ今回の場合は停泊中の艦が目標となってます。ですから、艦船も地上目標として扱われ、目標の位置データは人工衛星から送られてきた最新のものを発射直前に入力し、敵艦が航行を始める前に発射した、とご理解下さい。
私は軍事知識についてはあまり自信がないので、どの時点で巡航ミサイルにデータを入力するのかはわかりませんので、このあたりは完全にご都合主義となってしまいました(汗)。トマホークなら対艦攻撃可能なものもありますので、素直にそっちを登場させておけば良かったかな、と今更ながら思ってたりもします(笑)。
それ以外にも、艦船を探知するAWACSとか、矛盾は色々ありますが、どうか笑って許してやってくださいm(__)m。
それと戦艦<ファーゴ>に関しては、あれぐらいしか理由が思いつきませんでした。ゲーム本編に出て来る戦艦<クナガー>は、画面でも攻略本でも、どう見てもアイオワ級にしか見えないんですよね(笑)。
それでは、今回もお読みくださり、ありがとうございました。また次回作も読んで頂ければ、私としては幸せです。
管理人のコメント
>通称高槻艦隊
この名前を聞いたときからろくなやられ方はせんな、と予感はしていたのですが。
>(200発……イージスの対応能力を超えてるわよ……)
イージス艦が<エルポッド>一隻しかないようですし、そりゃもうあかんでしょう。ちなみにイージス艦は同時200目標を捉え、そのうち12の目標を追尾可能と言われています。
>「……な、なんなることだあああぁっっ!」
>「ごぼごぼと沈んでゆくぞ。見ろ、海に沈んでゆくぞ。信じられるか、さっきまで無敵を誇った艦隊だぞ。ぐああぁっ……すごい事実だ……!」
>「いいのか。憎きISAFに沈められてるんだぞ。とても大事な艦隊を沈められてるんだぞ。くおお……。ほら、また1隻沈んだ! 艦首まで沈んだぁっ!」
>「いいのかっ!? これでいいのかああっっ!? 参ったああっ! 俺は参ったああぁっっ! どうすりゃいいんだ、俺はっ!」
この高槻の断末魔の台詞を見て爆笑してしまいました。実に素晴らしいです。
>『無敵艦隊は海に沈んだよっ。これで作戦は終了。さっ、帰ろう、みんな』
まさにかの真珠湾攻撃をも上回る大戦果といえましょう。そういえば、黄色中隊はどうしてたんだろう…
さて、次回はいよいよこの物語のキーとでも言うべき存在、対隕石迎撃システム「ストーンヘンジ」登場ですね。大勝利の後に大ピンチが待っているんでしょうか。
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