『第1特務飛行隊より“スカイエンジェル”へ。本当にそれだけなのか?』
『了解。全機、敵はたった5機だ。落ち着いてやれ』
『了解。A中隊、先行します』
『本機レーダーで目標を捕捉。A中隊、交戦開始』
『さあ来てみろ。叩き墜としてやる……』
『でも何で5機だけなんだ? こっちは24機もいるのに』
『おいおい、無駄口を叩くな。来るぞ!』
『……な、何だこいつら……は、速い! それに……』
『3番、後ろにいるぞ! 回避しろ!』
『駄目だ、振り切れない! うわあっ!』
『くそっ、よくも!』
『フォックス2! フォックス2!』
『かわされた! 当たらない、俺たちのミサイルが当たらないぞ!』
『6番、応答しろ。6番どうした!?』
『おい、奴ら強すぎるぞ! 畜生』
『この黄色野郎め! 墜ちやがれ!』
『全機、13と4の番号の敵に特に気をつけろ。こいつら只者じゃないぞ!』
『こちらA中隊、食い止められない! そっちへ行くぞ!』
『ジーザス!』
『B中隊全機、爆弾を捨てろ! 急いでこの空域から退避するんだ!』
『中止! 作戦中止!』
『くそったれ! 翼がもぎれた。操縦不能!』
『8番、エンジンをやられた! 脱出する!』
『11番もやられた! もう駄目だ!』
『諦めるな! 何としてでも逃げ――』
『た、隊長! 隊長―――』
『……!』
『……!!……』
(通信途絶)

ISAF空軍第1特務飛行隊の交信記録より(2003年11月3日、ストーンヘンジ近郊上空にて)



 カノンコンバットONE シャッタードエアー

Mission4 黄色中隊


 
2004年11月19日 0553時 コンベース港北東 石油化学コンビナート


「投下! 投下!」
 ISAF空軍少尉、相沢祐一がそう叫ぶと彼の愛機、F/A−18Cがガクンと浮き上がるような振動を受ける。同時に主翼下のパイロンから4発の500ポンド爆弾が切り離され、地球の重力に引かれて緩やかな放物線を描きつつ自由落下する。その到達点には、海の上に組まれた大きな櫓と塔――海上油田があった。
 投下からおよそ5秒後、500ポンド爆弾4発中3発が目標を捉えた。まだ夜が明けていない暗い海面に、目も眩むようなまばゆい光が閃き、それはすぐさま炎と煙を生み出した。
 爆撃を終えた祐一は機体を旋回させ、自分の目で目標の壊れ具合を確認する。火災の発生した石油採掘施設の上に、先ほど外した1発の爆弾によって生じた水柱が滝のように崩れ落ちた。火災は瞬く間に消火された、と思いきや再び炎が吹き上がる。油田の火災はそう簡単に消えるものではない。
 これなら破壊は確実だな。そう判断した祐一は現場から200kmは離れているはずの管制機「スカイエンジェル」に報告を送る。E−767早期警戒機のレーダー、AN/APY−2の探知距離は半径400kmを軽く超えるので、何も危険な戦場の上空にとどまる必要はない。もっとも、超音速で飛ぶジェット戦闘機にとって200kmの距離は目と鼻の先に過ぎないが、常に敵の動きを探知しているので、狙われていると思えば逃げてしまえば良い。
「こちらメビウス1、目標の1つをを破壊」
『祐一君、次のターゲットは方位75、距離3000だよっ』
「了解、あゆ」
 2つ目の目標を指示してくるあゆに短く答える。同時に多目的ディスプレイの1つに目標の所在を示した地図が転送された。あゆの指示とディスプレイの表示、その両方に従い機体を75度方向転換する。爆弾を抱えているのに操縦桿は軽い。フライ・バイ・ワイヤの操縦装置がその時々の状況に合わせて操縦感覚を最適化してくれるからである。
 旋回を終えると、祐一の正面には暗闇の中、かすかに油田の採掘塔が浮かび上がっていた。
「メビウス1、新たな目標を視認。攻撃する!」

 コンベース港への空中補給路を遮断させたとはいっても、それはあくまでも補給路の一部に過ぎず、高槻艦隊の本格的な足止めにはならないことをISAF司令部は熟知していた。ノースポイントへの脅威は未だ薄れていない。
 そこでISAFが次に打ち出した一手が、コンベース港へ大量の燃料を供給している石油化学コンビナートへの攻撃だった。コンベースの北東約80kmにある、かつてKanon石油公団の保有していたコンビナートは海上油田と沿岸の石油精製・備蓄施設から成り立つ完全自給型であり、またそこから伸びるパイプラインはKanon国東部の主要都市に繋がれている。その存在の重要性から「100万バレルの生命線」との異名を取る施設である。
 高槻艦隊の戦力は、大型原子力空母2隻を含む32隻の戦闘艦、それに多数の支援艦艇の存在が確認されている。それ以外にも十数隻の強襲揚陸艦・輸送船及び数個師団の陸戦部隊がコンベース港に集結していると推測された。これだけの大艦隊である。供給すべき燃料もさぞかし膨大な量になるだろう。その燃料供給源を断ち切るべく、ISAF空軍は攻撃隊を送り出した。
 無論、問題はあった。このコンビナートはコンベース港のみならず他の都市にも石油を供給している。Tactics軍だけではなく、Tacticsの占領下にあるKanon国民もここから送られる石油を利用して、生活しているのだ。その供給を止めた場合、民間人の生活にどれだけの影響が出るのか……。
 しかし、高槻艦隊によるISAF完全敗北の恐怖が、ISAF司令部をしてコンビナートの破壊を決定させた。もっとも、その決定の影には、コンビナートから生産される石油の約9割がTactics軍の軍需用、もしくはTactics連邦本国へと持ち去られ、民需用に回されるのは1割足らずという確かな情報があった。その元々の供給量の少なさから市民生活に与える影響も少ないと判断され、最終的にGOサインが下りたのである。

 3つ目の目標に攻撃を加えた時点で、祐一は手持ちの爆弾を全て使い切った。兵装はまだ20ミリバルカン砲と、主翼端のミサイルレールにサイドワインダー空対空ミサイル2発が残っているが、これらは油田施設に致命傷を与えられる装備ではない。
 とりあえず何もすることがなくなったので、機体を上昇させて任務を空中警戒にシフトすると、陸地の方が赤々と燃え上がっているのが見て取れた。沿岸には石油精製施設と備蓄施設が集中している。地獄の業火を思わせるような炎は、おそらくタンクが燃えているのだろう。そしてそこから噴き出る煙は、夜明けに伴い白み始めてきた空を、再び闇に戻そうと言わんばかりに立ち昇っている。
『目的の達成度合は順調だな。爆弾の残っている各機は攻撃を続行、それ以外は状況を見て制空隊に加勢しろ』
 攻撃隊の隊長を務めているのは祐一の恩師である石橋中佐だった。彼は今回の出撃を最後に空中勤務から外れる予定になっていた。現在ノースポイントでは、アメリカやヨーロッパなどの航空機生産国から供与された軍用機がまとまった数になり、これまで旧式機に頼っていたISAF空軍は装備を大幅に強化しつつあった。さらにそれだけではなく、各国が義勇軍という名目で空軍を送り込み、部隊の新編成や再編成も進んでいる。もっとも「供与」「義勇軍」という形式は、世界各国の世論がクラナド大陸のために自国民の血が大量に流されることを拒んだ末の苦肉の策なのだが。
 ことの次第はともかくとして、パイロットとしてはいい加減年齢の限界にあった石橋もようやく引退を許されるだけの余裕が生まれようとしていたのである。
『グラディエイター、了解』
『フリーダム、了解』
「メビウス1、了解」
 各機がコールサインを用いて石橋に返答する。祐一もそれに唱和すると、あゆが現在の戦果を報告してきた。
『洋上の採掘施設はおよそ62パーセント破壊、地上の精製・備蓄施設は70パーセント破壊したよ。あと少しだから、みんな頑張ってねっ!』
 航空無線に陽気な返答や口笛が混じる。「スカイエンジェル」はISAF空軍のAWACSでも特に名を知られた1機だった。管制官が可愛い女性で、しかもこの戦争の初期から幾度も味方を導いた(負け戦が多いが、それはISAF全体に言える)という理由によってパイロットたちに人気があった。その管制官から「頑張ってねっ」などと愛らしい声で言われたのでは、普段から女っ気のない彼らが盛り上がるのも無理はない。
 しかし、あゆの声は急に真剣味を帯びたものに変化して、各機に注意を促す。
『みんな待って! ……5機の国籍不明機――敵機がマッハ2.3で接近中。機種は……え? これって……』
 あゆの言葉が途切れた。
「おいあゆ。これって何だ? おーい、どうした?」
『うぐぅっ! みんな逃げて! 早く逃げてっ!』
 突然叫び出す。管制官に必要とされる要素、冷静さを完全に欠いていた。こういう状態を半狂乱になったとでも言うのだろう。
『黄色中隊だよっ! 黄色中隊が来るんだよっ!』
「!!」
 祐一は「黄色中隊」の言葉に鋭く反応した。そして何も考えずに機首を新たな敵に向けた。友軍機は攻撃から一転して離脱に移り、祐一とは正反対の方向へと飛び去る。
 それは祐一の脳裏に深く刻み込まれた名。愛する人たちの笑顔を奪った者の名。彼が倒すべき敵の名。祐一がパイロットになる決心をした時から望んでいたことを実現する絶好の機会。彼の耳にはあゆや石橋、斎藤たちの制止の声は届かなかった。

「あーあ、派手にやられてるな、こりゃ……」
 これじゃ帰ったらお偉方から大目玉を食らうかな……。Tactics空軍第156戦術戦闘航空団、通称「黄色中隊」の飛行隊長、折原浩平少佐はひとりごちた。夜明け間際の薄闇の中、海上油田や地上の石油備蓄施設からは赤い炎と黒い煙が競い合うようにして発生している。彼の見るところ、施設は6割以上破壊されているようだった。
(まだ3〜4割は残ってるけど……復旧には時間がかかるし、駄目だこりゃ)
 これで高槻艦隊へ供給する燃料が激減してしまった。今後の戦略にも何かと影響が出てくるのは疑いないと浩平は考えたが、それより先を考えることは上層部の仕事なので、彼は思考を中断した。もっとも、彼と彼の優秀な部下たちが燃費も考えず巡航速度を上回るスピードでここまでやって来たのは、破壊された施設を見物するためではない。
『第14管区防空司令部より黄色中隊へ。敵は混乱しているようだ。おそらく諸君が何者かを知って慌てふためいているんだろう』
「黄色の13、了解」
 地上からの通信に浩平はコールサインで返答した。「黄色の13」。黄色中隊と共に、この名こそISAF空軍にとって恐怖の代名詞だった。
「黄色の13より中隊各機へ。交戦を開始する」
 その一言で浩平の両翼に位置している4機のうちの3機が綺麗に散開する。機体の下面と主翼・垂直尾翼・後方警戒レーダーの先端を黄色く塗装していることからいつしか「黄色中隊」と呼ばれるようになった。
 その中隊(現在は5機の小隊だが)を構成する戦闘機は、全機がSu−37スーパーフランカーで占められている。アメリカの誇る「世界最強の制空戦闘機」F−15イーグルにを破るために開発された旧ソ連製の大型戦闘機、Su−27フランカーの発展型として90年代後半に登場したSu−37は、Tactics空軍でもこの黄色中隊と一部の教導飛行団にしか配備されていない最新鋭機である。
 全長22.1メートル、全幅14.7メートル、自重18.4トンという大きなボディに、強力なエンジン(最大推力1万4000kgのAL−37Fターボファンエンジン)2基と高性能のレーダー、高度な電子機器を積み、それでいて極めて高い機動力をも併せ持つ。エンジンのベクタードスラスター(推力偏向スラスター)と主翼前にあるカナードの賜物である。この世界に存在する戦闘機の中でも、最強と言っても過言ではない性能を持っている。
 そして何よりも、それを操るパイロットたちの腕が「最強」に相応しいものなのだ。
「ふーん……敵はあらかた逃げて――おっ!」
 浩平は自らの目で周囲を用心深く観察しながらも、レーダーのディスプレイにも気を配る。するとたった1機の敵が自分たちに近づいてくるのが見て取れた。それは明らかにオレたちを狙っている。そう判断した浩平は斜め後方にいる僚機に呼びかける。
「勇敢なのが1機いるな。おい、長森。ちょっと相手をしてやったらどうだ?」
『えっ、わたし? 人に押しつけないで浩平が自分でやりなよ〜』
「面倒くさい。それにオレは指揮官だぞ。ここからお前たちの様子を見てなきゃならん」
『はあっ……わかったよ』
 溜息混じりの声で命令を受領した女性パイロットの名は長森瑞佳大尉。コールサイン「黄色の4」。黄色の13――浩平と常に行動を共にする彼女は中隊でも浩平に次ぐ腕前と撃墜数を、つまりTactics空軍第2位の撃墜記録を誇るエースパイロットである。瑞佳の可憐な容姿を見た者は、それを皆一様に信じられないと感じるらしいが……。
 また、瑞佳と浩平の関係は、単なる上官と部下にとどまらない。ふたりは幼なじみで、その交友関係は10年以上にも及ぶ。だが、その出逢いは決して幸福なものではなかった。浩平には物心つく前から父親はいなかった。母親と妹の母子家庭。それが浩平の生い立ちだった。
 浩平が10歳になる直前、妹は治る見込みのない病気に罹り、母親はそのショックで怪しげな宗教に走った。最終的に妹は夭逝し、母親は宗教にのめり込んで蒸発する。この幼い少年を襲った不幸は、彼に心を閉ざさせてしまうには十分だった。浩平はこの世に絶望して、その後の毎日を泣いて暮らすようになった。
 そんな時、浩平の前に現れたのが長森瑞佳だった。彼女は浩平を慰め、拒絶されても根気良く浩平に接した。そんな瑞佳に浩平は心ようやくを開き、そして悲しみから救われた。それからは良き友人として、今なお時間と境遇を共有している。だがある意味では不思議なことに、これほど長く深い付き合いがあるにもかかわらず、ふたりはまだ「恋仲」にある訳ではない(周りの人々にとっては、ふたりが良い関係にあることは既成事実なのだが)。
 しかし、このふたりの関係の長さは互いを知り尽くし、信頼関係を築く時間としては十分であり、だからこそ瑞佳は浩平から絶対的な信頼を寄せられている。空中でも、地上でも。
『黄色の4、迎撃します!』
 4の番号が振られたSu−37は浩平機から離れて勇敢な敵機――ISAFのF/A−18Cへと向かう。優雅とも表現できる動作で翼を翻して敵と正対し、レーダーに捕捉されたのを確認するとおもむろに反転、速度を緩めて敵に機体尾部を晒した。撃ってくれと言わんばかりの、空戦ではあまりにも致命的な隙を見せる動作である。

 FCSが目標をロックオンした。おそらく敵機のコクピット内はロックオンの警報音で満たされているだろう。しかし、祐一にイニシアティブを握られている敵機は回避するそぶりも見せない。
「なんだ……避けないのか?」
 だったら墜としてやる、と言わんばかりに祐一はミサイル発射ボタンを押した。祐一の必殺の意思を受けて飛翔するAIM−9Sサイドワインダー。しかし……。
「!?」
 敵機がいきなり垂直になったかと思うと、消えた。祐一にはそのように見えた。
 命中の直前で目標に消えられ、何もない虚空へ向かって飛ぶミサイル。やがては推進剤が切れて空しく海へ落下することだろう。
 慌てて周囲を見回す祐一。彼が必要としていた情報はAWACSのあゆが把握していた。
『祐一君、上だよっ!』
 その声に反応して上を見やる。するとSu−37が、垂直上昇から一転して急降下へ移ろうとしている様子がはっきり見えた。飛んでいるというより「舞っている」と表現した方が相応しい。
(あ、あれが飛行機の動きか!?)
 驚愕の面持ちでSu−37を凝視する祐一。急降下する大型の機体が圧倒的な威圧感と共に見る見る迫ってくる。
 咄嗟に機体を横転させる。祐一機のすぐ脇を敵機がかすめた。するとそのトリッキーな機動を見せる敵はすぐさま急上昇に移り、まるで祐一を挑発するかのように祐一機の目の前に来た。
「舐めやがって……!!」
 再びロックオン、そしてミサイル発射。しかし、またもや命中寸前にかわされる。その様子はまるでスペインの闘牛士が目前に迫った猛牛を、マントを翻しながら避けるのにも似ていた。
 祐一のミサイルも敵機の尾部から大量に放出される赤外線を追い駆けようとしたが、敵の急激な機動に翻弄されて目標を失い、先ほどの1発目と同じ運命を辿る。
「な、なんて動きだ……!」
 ミサイルが敵機の動きについて行けない! そしてそのミサイルも、今外したもので最後だった。今回のミッションにおいて祐一は海上油田の爆撃を担当していたので、AAMは自衛用の2発しか持っていなかった。そうなると残る攻撃手段は機銃――20ミリM61A1バルカン砲しかない。
 だが、敵機がふと回避行動を止めて直線飛行に移った。空中戦においては単純な直線飛行を長時間続けることは無謀であるというのが常識である。古来、その鉄則を忘れた幾多のパイロット(主に新米が多い)が空に散っている。そしてそれを守った者のみが生き延び、ベテランに成長する。レーダーやセンサーにより、後方監視が容易になった現代でもそれは変わらない。
 眼前の敵機はまるで空戦の何たるかを知らないルーキーみたいに、真っ直ぐ飛び続けている。先ほどまで魔法のような飛行を見せていた敵機と同一とは思えないように。
 もっとも、祐一には敵が何を考えているかなど関係なかった。敵が隙を見せるのならば自分はそれを突くだけ。そうすれば勝てる。彼もパイロット経験はまだ短いにしろダブルスコアを上げた、れっきとしたエースである。
 エンジンのスロットルレバーを押し込む。アフターバーナー点火。身体が前から見えない何かに押さえつけられるようなGの感覚と共に機体が加速する。
「今度こそ仕留めてやる……」
 敵機との距離が急速に縮まる。そのまま一連射を叩き込んで離脱すれば生きて還れるかもしれない。側面や後方に注意を払いつつも追跡を続け、機銃の射程まで近づきHUDの照準レティクルの中央にSu−37をはっきりと捉え、引き金に力を込めようとした瞬間――。
「なっ!?」
 祐一はまたもや信じ難い光景を目撃した。Su−37が機首を上向きにしたと思いきや、なんとその場でクルリと裏返ったのである。
「しまった!」
 音速以上の速度で追撃していたので、急減速をかけた敵機の前に飛び出す祐一のF/A−18Cホーネット。祐一も慌ててエンジンスロットルを引き戻し、エアブレーキを全開にするがもはや後の祭だった。今度は機体をその場で宙返り――「クルビット」と呼ばれる、現在のところSu−37しか成し得ない特殊な空中機動――させた敵機が祐一に食らいつく番だった。
『祐一君! ボクたちじゃ黄色には勝てないよっ! 早く逃げてっ!』
 あゆは黄色中隊の恐ろしさを、身をもって知っていた。約1年前、ストーンヘンジ破壊のため特別編成された第1特務飛行隊を管制した彼女は、F−15Cイーグル12機、F−15Eストライクイーグル12機で編成された精鋭部隊が一方的に黄色中隊に駆逐されるのを目の当たりにしていたのだから。
「ああ、実感したよっ! 畜生!」
 祐一は乱暴に答えつつ、愛機を急旋回させて離脱を図る。ミサイルを2度も避けられ、格闘戦でも相手の巧みな動きに翻弄される。ここまでされれば、祐一も今の自分では勝ち目がないと自覚せざるを得なかった。
 後方からのレーダー波をキャッチしたセンサーが鳴り出した。死の恐怖を増長させる耳障りな音だった。
(俺はやられるのか? 名雪の笑顔も取り戻せないまま殺されるのか?)
 後方を振り返ると、さっきまで自分がひたすら追い駆けていた敵機がまるで怪鳥のように翼を翻して迫りつつある。翼端の黄色い塗装が特に祐一の目に飛び込む。心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えつつも、祐一は逃亡の努力を続ける。
 急旋回から一転、今度は急降下に移る。「スプリットS」と呼ばれる退避戦術を駆使する祐一。だが警報は鳴り続けている。敵機が祐一機にぴったりと追従しているのだ。
 全身に襲いかかる強烈なGに耐えつつ、急降下から引き起こして右に急旋回、左にも急旋回と機体を乱暴に操る。ブレークを連続的に行うことによって敵機をオーバーシュートさせようと試みる。
「ぐうっ……まだか……?」
 それでも敵は祐一から離れなかった。距離は縮まり、先ほどよりも明らかに敵の姿は大きくなっていた。もはや味方の救援も期待できない。友軍機も彼と同じように黄色中隊から逃げるのに必死になっていたからだ。
 速度性能、旋回性能、加速性能、そしてパイロットの技量と、およそ考えられる限りの要素全てに劣る祐一は、完全に手詰まりの状況に陥っていた。
「くそっ、名雪……っ!」
 思わず愛する人の名を叫ぶ。だがその時、警報音が突然止んだ。

『浩平〜、もう燃料がないよ〜』
 敵機を撃墜直前まで追い詰めていた瑞佳は、まいったような声を上げて機体を反転させた。同時にスピードも落として燃料の消費を抑制する。
「まぁ急いで飛んできたからな。でも、それでもガス欠が早過ぎないか?」
『うん。急いで離陸したから給油が足りなかったんだよ』
「とにかくこのまま戦ってたら海にドボンだ。引き上げるか。帰るぞ、長森、みんな」
 浩平が集合命令をかけると小隊の各機は適当なところで戦闘を切り上げた。集合までには2分もかからない。
 来た時と同じように5機編隊を形成する。帰路について間もなく、浩平は瑞佳に聞いた。
「にしても、なんで墜とせなかったんだよ? 序盤に遊び過ぎだぞ」
『何言ってるんだよ〜。敵の数が1機とか2機とかいう時は、腕前を試せって命令したのは浩平だもん』
 瑞佳は何も余興のつもりで敵にわざと隙を見せた訳ではなかった。敵が少なく、なおかつ余裕がある場合は、敵が墜とすに値する技量を持っているか否か、それを見極めようとしていたのだ。敵の腕が良ければ撃墜し、そうでなければ無視する。これは浩平と瑞佳の間のみに交わされた命令だった。浩平は無益な殺生を好まない軍人なのだ。
『それに、あのリボンのついた飛行機、結構良い腕してたよ』
「そうか、じゃあ惜しかったな」
『うん。そうだね』
 浩平の言葉の意味は瑞佳も当然理解していた。将来自軍にとって脅威になる可能性を秘めている敵、そういう存在は早めに排除しておくに限るのだ。
「でも、それでもいいか」
 だが、浩平はのんきに呟いた。
(さっきの奴がこれからも生き延びられることができたら、また出逢うこともあるだろうしな……)
そしてその時は、もっと強くなって現れて欲しい。浩平はそういう敵と正々堂々と戦いたいと願っていた。再戦するまでに敵ではなく自分がやられている可能性もあるのだが、浩平は自分が生き延びることについてさほどの疑問も抱いていなかった。

(ごめん。名雪、秋子さん。逃げるだけで精一杯だったよ)
 祐一はコクピットの中で、今も病院のベッドで眠り続けているであろうふたりに心の中で詫びていた。
 あの日、水瀬家に戦闘機の残骸を直撃させた敵、黄色中隊。その仇敵をようやく前にしても何もできなかった自分が情けなく、悔しかった。
「今の俺じゃ、あいつらには勝てないのか……」
 歯噛みをするがそれで能力差が縮まるものでもない。とにかく祐一は敵よりも全てにおいて劣っていた。むしろこの場合は、あの黄色中隊に正面から挑んで生きていることを幸運に思うべきだったが、無念さを噛み締め、自分の無力さをただ責めるだけが彼の精神を均衡に保つ精一杯のことだった。
『大丈夫だったか? メビウス1』
 右横に斎藤機が位置していた。そして友軍機も周囲にいる。機数は戦闘開始の時よりも3〜4割は減少している。黄色中隊にだいぶ撃墜されてしまったらしい。
『まったく無茶なことをするなぁ。黄色野郎はとんでもない敵だぜ。それをたったひとりで……』
「なぁ、斎藤……」
『ん、何だ?』
「俺たちは連中に勝てないのか? 黄色中隊に……」
 祐一の問いかけに斎藤は暫し沈黙し、やがてこう答えた。
『わからん。しかし、連中を倒さなけりゃこの戦争にも勝てないだろうな、多分』
 祐一も斎藤も、そして誰もが押し黙った。ISAF空軍の前に高く立ちはだかる壁、味方機を際限なく葬り去ってきた黄色中隊。誰もがその頑敵の存在を意識して、将来への見通しを不安なものにさせた。出撃前の60パーセントに低下した自軍がそれを物語っていた。
 やがて、東の水平線から旭日がその姿を現し、空と海とISAF機の生き残りを白い光で染め上げた。ISAFパイロットたちの心の色とは全く逆の色が、世界に広がろうとしていた。

 大きな損害を出したコンビナート攻撃隊は、それでも作戦目的をほぼ達成したと言えるだろう。コンベース港へ供給される燃料は大幅に減少、高槻艦隊の出撃は当初11月23日と予想されていたが、これで26日前後に延期されるという見通しがついた。この僅か3日の遅れがISAFに大きな勝機をもたらすであろうことを、痛手を受けたコンビナート攻撃隊の中で認識していたのは、隊長の石橋中佐ただひとりである。
(そろそろあれが着く頃だが……今日のこの被害では、私の引退はもう少し先になるだろうな……)


 
同日 0630時 ノースポイント


 石橋の考える「あれ」は、朝焼けの空からノースポイントの各地に点在するISAF空軍基地へ次々に降り立った。
 ある基地には50メートル以上の幅を持つ巨大機が4000メートル級の滑走路に、最大時で230トンもあるその巨体を着地させ、誘導員の指示に従い決められた場所で翼を休ませる。直線で構成された角張った外見、見る者に無骨な印象を与えるジュラルミン製の怪鳥――B−52Hストラトフォートレスである。
 またある基地には、見る者に美しさすら感じさせても不思議ではない大型機が、前後に稼動する翼を目一杯に広げて着陸態勢に入った。可変翼の付け根の下には、片翼につき2基のエンジンが1つにまとめられて機体と上手く結合している。こちらにはB−52Hのような無骨さなど微塵もない。研ぎ澄まされた剣や槍のような凄みすら滲み出している。実際、この美しき爆撃機の名はB−1Bランサー(槍騎兵)といった。
 これらの飛行機には、外見からではわからない共通点がある。いずれの機体にもISAFのマークが入っているが、これらはつい最近描き込まれたものだった。その部分にはかつてアメリカ空軍の星マークが描かれていたが、今は機体と同じ色のペンキで消された上から、三角形を組み合わせたようなデザインのISAFマークに描き直されている。アメリカ合衆国が義勇軍という名目でクラナド大陸の戦争に投入する戦略爆撃機部隊が、ノースポイントに続々と集結しているのだ。
 鋭い矢のつがえられた強弓の弦は大きく引き絞られ、射手が指を離す瞬間を今か今かと待ち望んでいた。


 「Mission5 大陸の歌」につづく


 久々の後書き(蛇足とも言う)

 どうも、作者のU−2Kです。本シリーズを掲載してくださるさたびーさん、読んでくださる皆様方には、ただただお礼を申し上げるだけです。
 さて今回は、前回(Mission3)でも軽く触れました黄色中隊の登場となります。しかし、黄色の13=浩平も黄色の4=瑞佳も、軍人にあまり向かない性格をしてますね(自爆)。それでもこのふたりを当てはめたのは、以下のような理由があります。
 エースコンバット04(以下AC04)のプレイヤー=メビウス1が表の主人公なら、「黄色の13」は裏の主人公と言えるでしょう。すなわち主人公がふたり。だったらメビウス1が祐一ならば、黄色の13は折原浩平しかいないじゃないか、と私はふと思いました。幸い、浩平には常に一緒にいる女性がいることですし(笑)。さらにここから本作KCOは、「TacticsのゲームvsKeyのゲーム」という構図が生まれました。
 結局そこから発展して、今のような世界観になったのは、「クラナド大陸史」をお読みいただければご理解下さると思います。
 では、今後ともよろしくお付き合いくだされば、一介のヘボSS書きとしては大変幸せなことです。もっとも、私の趣味=妄想が膨張してしまうかもしれませんが(仮想戦記好きとしては良くあることみたいですが:笑)。
 
 どうもありがとうございました。

管理人のコメント


>ISAF空軍第1特務飛行隊の交信記録より(2003年11月3日、ストーンヘンジ近郊上空にて)

 24対5で圧勝って…エ○ア88ですかこの人たちは(古)。

>Tactics空軍第156戦術戦闘航空団、通称「黄色中隊」の飛行隊長、折原浩平少佐

 黄色中隊、ついに登場ですね。しかし、浩平というと「ばかばか星人」のイメージが強すぎて、こんなに出世しているのがどうもなじめません(笑)。

>自分が生き延びることについてさほどの疑問も抱いていなかった。

 しかもなんか妙に渋いですし。

>アメリカ合衆国が義勇軍という名目でクラナド大陸の戦争に投入する戦略爆撃機部隊

 大国の介入も始まり、いよいよ激化していくらしいクラナド大陸の戦争。今回屈辱をなめた祐一が次回はどんな活躍をするのか楽しみです。

 気がかりと言えば。

>私の引退はもう少し先になるだろうな……

 こう言う事を言ったキャラって、なんか死にやすいと思いません?大丈夫でしょうか石橋先生(笑)。

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