2003年10月21日 大陸某所


 雲1つない青空に、まるで黒いインクをこぼしたかのように黒煙をなびかせ、金属の破片をばら撒きながら地上へまっしぐらに落ちる戦闘機から何かが射出され、一瞬の後には1輪の花――パラシュートになった。
 金属片が太陽光線を反射してキラキラと明滅する。見る者にとっては美しい光景と映ることは間違いない。少なくとも、戦争という現実を無視すれば。
 そしてそれを見ながら、口元に満足げな笑みを浮かべる人物がこの同じ空――戦いの空に存在した。
「なめないでよ。あたし……七瀬なのよ」
 この戦争においてTactics空軍で3番目のダブルエース――10機以上の敵機撃墜数を持つパイロットとなった彼女はそう呟いた。
 コールサイン「メイデン」ことTactics空軍少尉、七瀬留美。空を飛ぶことによって、自らの理想の「乙女」への大成を目指す健気な求道者である。


カノンコンバットONE シャッタードエアー

    Mission3 空飛ぶ乙女


  クラナド大陸東部に点在するTactics空軍基地への奇襲攻撃を成功させたISAFはひとまず危機を脱したと言える。ノースポイントにかかる敵の圧力は地上撃破した爆撃機と共に消失したのである。
 しかし、Tactics軍は次なる手を打とうとしていた。海軍の投入である。
 大陸の東南部にコンベースという都市がある。元々はKanon国の都市で、大陸の東海岸でも北部のセントアークに並ぶ大きな港湾施設を持つこの屈指の海運都市は現在、Tactics海軍第1艦隊、通称「高槻艦隊」の根拠地となっていた。
 戦争の初期に活躍し、その圧倒的な戦力から「無敵艦隊」とまで呼ばれた高槻艦隊。これがひとたび港を離れ、本格的にノースポイントへ侵攻して来たらISAFの命運は尽きるだろう。そしてその兆候は現れ始めていた。スパイの諜報活動によって、コンベース港に大量の物資が集積されつつあるのが確認されたのだった。
 高槻艦隊へ供給される物資のうち、約20パーセントが空輸によって運ばれていることも判明した。そこでISAFは、この空中補給路を遮断することで高槻艦隊の出撃準備を妨害し、時間を稼ぐ作戦を立案、実行へと移した。
 時間を稼いだとしても高槻艦隊の出撃そのものを覆すことはできないだろう。だが、ISAF上層部は別のことを考えているようだった。


 
2004年11月7日 1226時 クラナド大陸東部平原上空


『第1目標は輸送機だよ。護衛も多数いるみたいだけれど……よくわかんないや。ごめんね、みんな』
 AWACSのあゆが申し訳なさそうに言う。本来パイロットたちを導き、必要な情報を提供する立場にあるのにそれができないことを悔しがっているようにも思える。自分も彼女に導かれる立場の相沢祐一少尉はあゆの口調からそう想像した。
『第2目標は……敵の電子作戦機。これをやっつけちゃえばレーダーは綺麗になるから』
 あゆの情報によると、敵の輸送隊にはレーダーを妨害する電子作戦機が随伴しているらしい。祐一機のレーダー画面は満足に機能しておらず、それはまた友軍機も似たようなものだった。AWACSは敵の妨害電波の波長をつきとめ、新たな波長のレーダー波で探知しているので戦闘機ほど妨害されてはいないが、敵もまたすぐにその波長に対応してジャミングをしてくるため、全くクリアとはいかない。
「護衛戦闘機のみならず電子作戦機までつけるとはね」
『連中がそれだけこの補給路を重視している証拠さ』
 祐一の雑談に応じたのは「アクトレス」こと斎藤少尉だった。リグリー飛行場への空爆の際に知り合い、その後すっかりうち解けた斎藤は現在、祐一の僚機を務めている。祐一機のちょうど隣に斎藤の機体、F/A−18Cホーネットが見える。
 ちなみに、祐一もここしばらく乗り慣れたF−4EファントムUを降りて、愛機をF/A−18Cに取り替えていた。
 F/A−18ホーネットは、アメリカが1970年代後半に開発した戦闘攻撃機――戦闘機と攻撃機の役割を同時にこなせる機体である。それは「F/A」と、戦闘機を意味するFと攻撃機を意味するAの2つの文字を名前に持っていることにも表れている。
 元々はYF−17という機体で、アメリカ空軍の戦闘機として試作されながらも、当時同じく試作機だったYF−16(後のF−16ファイティングファルコン)との競作に敗れた。しかし捨てる神あれば拾う神あり、敗者のこの戦闘機にアメリカ海軍が目をつけた。旧式化した艦上攻撃機の後継と同時に戦闘機としても使えると海軍は考え、かくしてYF−17は改良の末、F/A−18の機番と「ホーネット」の名を与えられ、本格的なマルチロールファイター(多目的戦闘機)として復活を遂げたのである。
 全長17.07メートル、全幅11.43メートル、そして自重10.45トン。世界最強の艦上戦闘機と呼ばれ可変翼で有名なF−14トムキャットと比べると、空戦性能ではどうしても引けを取るが、先述したように1機で空戦、爆撃とあらゆる任務に対応し、価格も(F−14と比較して)安価なため開発国のアメリカのみならず他7国の空軍で採用される実績を持つ。
 航空機の不足に悩んでいたISAFだったが、10月に入るとアメリカからある程度まとまった数の航空機が提供(表向きは貸与)された。祐一たちが乗るF/A−18Cもその中に含まれるが、もっともそれは中古の機体だった。アメリカ海軍と海兵隊はこれまでのC型に代わり新型のF/A−18Eスーパーホーネット(C型を再設計して大型化、高性能化した機体)の実戦配備を進めつつあり、その結果退役したC型がISAFに回されたからである。
 しかしそれでも祐一は満足だった。これまで乗っていたF−4EファントムUよりも新しく、性能も良い。祐一はリグリー飛行場への攻撃作戦後にこの機体を受け取り、これまで機体転換訓練を受けていたので、今回がホーネットでの初の実戦となる。

『敵機接近中、方位140。機数は10機前後と推定される。輸送隊は直ちに全機退避。戦闘機隊は要撃せよ。1機も近づけさせるな!』
「こちらメイデン、了解」
 七瀬留美少尉は短く応じる。と同時に愛機の方向を方位140――右斜め後方へと向ける。三角翼が鮮やかなフランス製の戦闘機、ダッソー・ミラージュ2000が大きく傾き、翼端から出る水蒸気の筋が綺麗に弧を描いた。
(こっちが明らかに有利よね……)
 留美は自分たち――コンベース港へ物資を輸送するTactics空軍第804輸送隊と、彼女の所属する護衛の戦闘機隊、第35戦術戦闘航空団第1中隊の置かれた状況を頭の中で反芻する。
 現在、自軍の戦力は敵の1.5倍。しかも電子妨害によって敵のレーダーは封じられている。無論自軍にも影響がないことはないが、敵のレーダー波の波長のみに絞って妨害しているため、味方のAWACSのレーダーは機能している。あくまでも護衛任務のため戦闘の自由度はあまりないが、それを差し引いても余りある立場にある。留美はそう分析した。
 だから彼女に戦闘をためらう理由はどこにも存在しない。それに彼女はこれまでに18機の敵機を撃墜したエースパイロットであり、飛行技術、経験共に申し分ない。そのため、留美は過去に第156戦術戦闘航空団への転属を推薦された。「黄色中隊」の異名で敵味方にその存在を知らしめたTactics空軍最強の戦闘機部隊に配属されることを素直に喜んだ留美だったが、彼女は早々にそれを諦めなければならなかった。
 黄色中隊は独特な部隊だった。いや、異質と言って良い。その傾向は人材において特に顕著だった。その筆頭が飛行隊長。彼は実に子供っぽい性格を持つ人物で、彼女が部隊を初めて訪れた時には航空燃料のドラム缶をいくつまで重ねられるか、などという悪戯に夢中になっていた(彼女は後で知ったが、それらはさすがに空だったらしい)。
 しかもその後は、基地内の道路で出会い頭に肘鉄を食らわせられるわ、彼女の自慢の1つであるツインテールにまとめた綺麗な髪をいじくられて、あまつさえ切られる(先端を少しだけだが)といった仕打ちを受けた。もともと短気に近い性格の留美は猛烈に抗議する(時には拳を交えて)が、いつも相手のペースに引き込まれて問題はうやむやにされた。
 その飛行隊長の片腕とも言える女性の副長は悪い人物ではなかった――むしろ中隊の中では常識人に含まれる――が、猫をこよなく愛してそれを8匹も飼い、暇さえあれば牛乳を飲んでいた。彼女曰く「牛乳は体に良いんだよ」と、毎日の食事の時も牛乳を欠かさなかった。第2次大戦におけるドイツ空軍の急降下爆撃機エース、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルも牛乳を良く飲んでいたという逸話があるので、確かに正しいのかもしれないが……。
 パイロットが変わり者なら整備員にもまた変わった人物がいた。整備班長は黄色中隊を裏から支える功労者であると同時にムードメーカーでもあったが、人気投票と称して部隊に所属する女性たちの人気を男のみで競ったり(無論彼女たちには内緒で)、飛行隊長とつるんで騒動を起こすこともしばしば、さらに時には飛行隊長をも悪戯の犠牲者にすることもあった。面白い男だが食えない男でもある。
 整備班長がそうなら小柄な女性の整備員も中隊の変人ぶりをよく表していた。腕は一流、エンジンの運転音だけでどこが故障しているかを見分けて、餌を集める小動物のような素早さで修理をしてしまうのだが、試運転の際、至近距離でエンジンがアフターバーナーを吹かすと「みゅーみゅー」と泣き出してしまう変な癖を持っていた。それでよく整備員になれたものだと思う。しかしそれはさほど重要なことではなく、むしろ問題は自分のツインテールにやたらとしがみつかれて、痛い目に合うことにあった。正直、戦闘機に乗っている時のGよりきつく、首の骨が折れるのではないかと思ったのも一度や二度ではなかった。
 これら様々な理由が重なり、結局留美は黄色中隊への転属を断念した。
(はぁ……まさかあの黄色中隊の実態があんなものだったなんて……)
 過去の出来事を思い返し、酸素マスク越しに溜息をついた。しかし、今となっては黄色中隊のあの高校のような雰囲気を少しだけ羨ましく思うこともあった。もっとも、そのアットホームな部隊の中で自分の目指す「乙女」になれるかどうかは疑わしいが。
 やがて、装備している中距離空対空ミサイルの射程に敵機が入り込んだ。ロックオンと同時に留美は発射ボタンを押す。現在18の撃墜スコアを持つ彼女は、この一撃でそれを19に更新できるだろう。

 E−767の機内は独特な雰囲気に包まれている。床に固定された座席が並列にいくつも並び、その前にはディスプレイや機械類のスイッチが無数にあり、ここがまさに空飛ぶ司令部と呼ばれるに相応しい場所であることを証明していた。
 コンソールの座席には人が座り、空きがなかったが、その中に女性がひとりだけいた。任務に邪魔にならないように肩より少しだけ下で切り揃えた髪、その頭髪を飾るカチューシャ、その上からマイクつきのレシーバーをあてている。
 コールサイン「スカイエンジェル」――月宮あゆ中尉は戦闘管制の真っ最中だった。
「ミサイル接近中だよっ! みんな避けてっ!」
 本来は冷静さが求められるオペレーターだが、彼女はそれにらしからぬ大声で友軍機に警報を発する。しかし、あゆにとってはこれが冷静だった。現に叫んではいても視線はレーダー画面(敵のジャミングにより鮮明ではない)だけでなくそれ以外の警報ランプにも注目し、手元では視線を向けずにスイッチ類を正確に操作している。
 レーダー画面に移る友軍機の光点と敵ミサイルの光点が重なったと見えた直後、友軍機の光点が1つ、いや2つ減った。
「うぐぅ……」
 味方の撃墜を目の当たりにして思わずうめくあゆ。だが、このような事態にはこの1年半で慣れてしまっている。本人は慣れたくなどないと思っているが。
『スマッシュ3がやられた!』
『デルタ2もだ……』
『誰か、脱出を確認した奴はいるか!?』
『……いや、確認はできなかった』
『畜生め……』
 味方からの会話も逐一、あゆに届く。彼女は戦友を失うパイロットの悲嘆にもまた慣れていた。あゆは(彼女なりの)冷静を保って次の指示を出そうとする。が、その時レーダー画面も兼ねる多機能ディスプレイに新たな情報が表示され、レーダーに新たな敵影が表示された。E−767の機載コンピューターがついに敵電子作戦機の位置解析を果たしたのだった。
「敵電子作戦機の位置が判明したよっ。方位60、距離30km。高度は7000だよ」
『了解。さて、誰が行くんだ?』
『チャーリー小隊、交戦中。手が離せない』
『アルファ、同じく』
『こちらアクトレス。俺とメビウス1が行く』
『了解、頼んだぞ』
『お、おい斎藤……』
「スカイエンジェルより祐一君へ。お願いします」
『……メビウス1、了解』
『さあ行こうか、相棒。さっさと墜としてこの砂嵐画面を綺麗にしようぜ!』

 敵味方が入り乱れて表示され、その上ノイズがかかっているレーダー画面、そこから2つの光点が分離してだんだんと距離を離していくのがかろうじて確認できた。
 無論、敵はそれを阻止しようと動く。しかし、その動きをISAF機がさらに阻止している。両軍共に必死であるのが無機質なディスプレイからも感じ取れる。あゆはそう感じた。
「目標、方位60から70へ。距離15km。護衛が1機いるよ。気をつけて」
 こまやかに指示を出してあゆは祐一たちを導く。やがて、
『目標視認! っと、邪魔が入るな』
『そいつは任せろ、メビウス1』
『アクトレス、頼む』
 短い会話がされて、画面内の光点が動きを活発化させる。
 そして、祐一と斎藤が交戦状態に入る。現状を示すいくつかの無線の後、戦闘開始から1分半後には、
『ビンゴ! イヤッホーィ!』
 と叫ぶ斎藤と、
『目標撃墜。レーダーの機能が回復した』
 と静かな祐一の台詞と共に、あゆの正面にあるディスプレイから全ての乱れが消えた。画面は敵戦闘機の数や機種、果ては今回の最重要目標である輸送機の位置もさらけ出している。今や彼女は天使の如く空の全てを見渡すことができるようになったのである。

『こちら輸送隊、電子戦機が墜とされた! こちらの援護を頼む!』
 Tactics空軍機の無線に悲鳴じみた救援要請が飛び込んだのは、留美が中距離ミサイル全てを打ち尽くし、ISAF機とのドッグファイトに突入して1機を撃墜した直後だった。
(なかなかやるわね、ISAF……でも輸送機はやらせないわよ)
 敵の数が減少して、自分へ敵意を向ける者がいなくなったのをレーダーと戦闘機パイロットの感で確認した留美は一旦空戦域を離れて輸送機の援護へ向かう。が、1分もしないうちに機首レーダーは真正面から接近する敵を捉え、ディスプレイにはっきりと映し出していた。位置関係からして、電子戦機を撃墜した敵だろう。
「あんたね、電子戦機を殺ったのは……」
 敵は逃げようともしない。一戦交えるつもりがあるのは明らかだった。
「じゃあ、望み通り墜としてあげるわっ!」
 自らに喝をいれるように怒鳴った。それは「乙女」と呼ぶに相応しい行為ではなかったが、少なくとも「戦闘機パイロット」としては全く不自然ではない。
「敵機はF/A−18Cが2機。メイデン、交戦開始!」
 無線でそう報告した直後、愛機の電子眼は敵機を捕らえた。ロックオン、短距離AAMの射程内。同時に警報音も鳴り出す。互いに相手をロックし合っているらしい。
 ミサイル発射ボタンを押し込むと、即座に機体を横転させて急旋回運動に入る。キャノピーの外に広がる景色が90度傾き、留美の身体がGにきつく締められる。
 180度旋回するとロックオン警報が消える。敵も健在だった。この第1撃は両者共に無効に終わった。しかし、彼女はこの敵を逃すつもりはなく、敵もまた逃げる素振りを見せない。くしくも両者の意志は一致していた。
「やるじゃないの、ISAF」
 頭上を仰ぐ留美の瞳に、目立たない空中迷彩を施されたF/A−18Cの姿が映る。戦いはまだ始まったばかりだった。

 祐一が1機のミラージュ2000と交戦状態に突入してから5分は経っただろうか。
 今回の彼の相手は、これまでの敵とは根本的に異なっている。敵は明らかにベテラン、いやエースだ。間違いない――祐一そういう結論を得ていた。
 まず、そう簡単にロックオンさせてくれない。苦労してロックオンしたとしてもすぐに外される。そう思ったら今度は逆に自分が危機的な状況にある。敵の後方に食らいついては逃げられ、食らいつかれては引き離すことを繰り返していた。一体これで何度目になるのか、祐一にはそれを考える余裕すらない。
「しぶといな! いい加減にしやがれ!」
 思わず怒鳴るが、それが相手の耳に入ることは当然のことながらないし、有利になる訳でもない。祐一は苛立ちを募らせていた。目の前の強敵に拘束されている間にも、味方が不利になっているかもしれない。今回のターゲットである輸送機に逃げられるかもしれない。
 ましてや、祐一の僚機、斎藤が自分を狙っていた敵機を引きつけ、彼を援護している現状がある。頼りになる相棒も大いに気掛かりだった。
「こいつさえやっつければ……」
 しかし、ここでこの強敵を放置する訳にもいかないことを祐一は熟知していた。下手に後ろを見せれば、この敵はそれを好機として逃がさないだろう。自分が生き残るためにはこのミラージュ2000を墜とす以外にはない。
 全身を圧迫するGに耐え、あらゆる技術を駆使して愛機を操る祐一。また愛機のエンジン、2基のF404−GE−402は最大7330kgの推力を出して祐一の望みを実現させようと奮闘する。そしてその人機一体の奮闘は実った。敵機にどうにか追いすがり、ミサイルを発射できる位置につく。今日6度目のロックオン。最初は電子戦機を捉えた時、残りの5回はいずれも現在交戦中のミラージュ2000、巧みな敵機は祐一のロックを4度も逃れていた。祐一も同じ数だけ敵のロックを避けてはいるが……。
 HUDの表示が人間の緊張感を和らげる緑色から闘争本能をくすぐる赤色へと変化する。
「フォックス2! フォックス2!」
 左右の翼端にあるパイロンからサイドワインダーが1発づつ、合計2発が0.5秒の時間差を置いて射出された。もはやミサイルの出し惜しみをしていたら撃墜できない。1発よりも2発で狙った方が確実だと祐一は判断したのである。しかし、この2発が最後のミサイルでもあった。これで撃墜できなければ機銃で近接戦闘を挑むか、隙を見て離脱するしかない。
 祐一の必殺の意志をその細長い身に負った2発のサイドワインダーは、彼の願い通りの働きをして敵機に追いすがり、義務を果たそうとした。目標に見る見る迫り、祐一が命中をほぼ確信したが、敵機は急旋回してフレアを放出、1発目はその疑似目標に引かれて自爆した。
 だがまだ2発目は生きている。しかし、巧みな敵機はそれも見越していたらしく、再び急旋回してミサイルの飛翔進路から見事に退いた。
「くそっ、外し――!?」
 避けられたと思った瞬間、敵機の下腹の付近でミサイルが炸裂した。目標に接近しすぎたため近接信管が作動して炸薬を爆発させ、細かく裁断された自身の破片を敵のエンジン付近にありったけ叩き込んだのである。こうして2発目のサイドワインダーは義務を果たした。

 留美のミラージュ2000が誰かに尻を蹴飛ばされるような衝撃を受け、留美の対Gスーツを着込んだスタイルの良い身体も大きく振り回される。まるでカクテルの容器にでも閉じ込められて、そのままバーテンにシェイクされたような感覚だった。
(えっ!? 何、当たったの!?)
 途端に操縦桿が反応しなくなる。いくら態勢を立て直そうとも言うことを聞かない。これまで留美の操縦には常に忠実だった愛機が激しく振動して彼女の制御に逆らい、空を飛ぶことを敵に否定させられ、ただ落下するだけの金属と化学合成物質の塊となりつつあった。
「あ、あたしはまだ死ねないのよっ! まだ乙女にもなってないんだからぁっ!」
 そう叫んで脱出レバーを引いた。直後、彼女を包んでいたコクピットのキャノピーが火薬の力で強引に引き剥がされて、彼女の身体は座席ごと空中に放り出された。ミラージュ2000は最期の最期に、操縦者の意思を受け入れた。

『祐一君、命中だよっ!』
『グッドジョブ、メビウス1!』
 AWACSのあゆと僚機の斎藤が交互に話しかけてくる。墜ちる敵機を注視していると、パラシュートが開くのが見えた。
(脱出できたんだな……良かった)
「ありがとう。ふたりとも」
 いくら敵とはいえ、同じ人間でありパイロットである。できる限り殺したくはないと祐一は思っていた。だから敵が無事脱出したのを見届けると、撃墜スコアを1つ増やしたことに素直な喜びを感じてあゆと斎藤に明るい返事を返すことができた。
(ん、待てよ? 今ので……)
『祐一君っ! 10機目撃墜おめでとうっ! これでダブルエースだよっ!』
 祐一の内心で起きた疑問にあゆが答えた。そう、祐一は先ほどのミラージュ2000を撃墜したことによって2桁の撃墜スコアを持つダブルエースになったのである。
『おめでとう、メビウス1!』
 続いて斎藤が祝辞を述べると、しばらく、ISAF軍機の無線は祐一への賛辞で埋め尽される。
『メビウス1、やったな!』
『帰ったら奢るぜ!』
「いや、何だかいまいち実感が湧かないな……ダブルエースだなんて」
 仲間からの祝いの言葉に多少戸惑いながら素直な気持ちを言う祐一。
『撃墜マークを機体に描けば嫌でもそれを実感できるんじゃないか? メビウス1』
「ふーん、そんなもんかな……」
 などという会話をしていると、あゆが本来の役割を果たすために現状を知らせる。
『敵輸送機は全機撃墜、敵護衛機残存は撤退中。任務完了だよっ。みんなお疲れ様っ』
 祐一の交戦時間は思いのほか長かったらしい。たった1機を相手にしている間に、味方は輸送機を全て叩き落していたのだから。ともかくも任務は達成した。
『帰るか、新ダブルエース。今日は基地でパーティだな』
 斎藤がそう締めくくって、ISAF戦闘機隊は編隊を組み直してノースポイントへの帰路へとついたのだった。

 たった今、自分自身の命を奪おうとした敵機が彼女の近くを飛び去った。垂直尾翼に描かれた、青いリボンをかたどったエンブレムがやけに目立つ。相手に聞こえるはずはないが、彼女はあえて叫んだ。
「ひんっ……覚えてなさいよ、リボンのついた奴っ! 次はこうはいかないわよっ!」
 パラシュートにぶら下がって、空気抵抗と重力に従ってゆっくり落ちるだけしかできない留美の、それが精一杯の抵抗だった。怒鳴りつけた相手の機影が見る見る遠ざかる。
「はぁ……一体これからどうなるのよ……」
 と呟いて自らの不運を嘆く。しかし、それが生き延びた者にだけ許される「贅沢」であることを自覚するには、もう少しの時間――地上に無事降り立ち、味方のヘリに回収されるまで――が必要だった。


 
2004年11月9日 スノーシティー総合病院


 ベッドが2つ並んだ、清潔感に包まれた部屋に音声が響いている。元々は人間の最も美しい感情――愛情に溢れた声なのだが、口調そのものは淡々として落ち着き、静かなものだった。しかし、その声はそれでも北川潤と北川(旧姓美坂)香里にある種の感銘を与えるには十分な内容だった。
『白い雪に覆われる冬も……街中に桜の舞う春も……静かな夏も……目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も……』
 その声はなおも続き、佳境に迫りつつあった。
『そして、また、雪が降り始めても……俺は、ずっとここにいる。もう、どこにも行かない。俺は……』
 そして、最後の一言――全てを集約した一言がスピーカーから紡ぎ出される。
『名雪のことが、本当に好きみたいだから』
 かつて祐一が、母親の危篤に打ちひしがれた水瀬名雪のために自らの想いを託した目覚し時計は、記憶された情報を全て再生し終えた。北川がスイッチを切り、これで通算何度目になるかわからない呟きを漏らす。
「相沢も粋なことするよなぁ……」
 この時計は祐一がスノーシティーを出る際「週に1回、これを名雪に聴かせてやってくれ」と言って北川と香里に託したものだった。彼らはその約束を律儀に果たし、毎週1回、眠る名雪の枕元で再生している。
「そうね……」
 とだけ言って夫の独り言に相槌を打つ香里。ベッドに横たわる彼女の親友の顔はまるで寝ているように穏やかで、今すぐにでも目覚めるのではないか、との錯覚にとらわれることもしばしばだった。
「相沢君もそう言ってるんだから、あなたも早く起きなさいよね、名雪……」
 そう語りかけたその時、ドアをノックする音が室内に響いた。この叩き方は……。香里にはドアの外にいる人物がすぐにわかった。
「栞?」
 そう言うと同時にドアが開き、彼女の予想に違わぬ人物が顔を見せた。髪は綺麗に切り揃えられたショートカットで、肩からチェック模様のストールをかけた少女――美坂栞、香里の妹である。
「お姉ちゃんっ。あ、北川さん……じゃなくてお義兄さんもこんにちは」
「やあ、栞ちゃん」
 ぺこりとお辞儀をする義妹に北川は軽く手を上げて応じた。
「で、今日はどうしたの? 栞。名雪と秋子さんのお見舞いだけに来たというわけじゃないでしょう?」
 姉が促すと、妹は明るい声で言った。
「あ、はい。そのことですが祐一さんがやったんですっ!」
「相沢君に何かあったの!?」
「い、いえ、違います。祐一さんが10機以上の敵を撃墜したダブルエースになったんです。さっき美汐さんから聞きました」
 戦場にいる友人の身に良からぬことが起きたと勘違いして声を荒げる香里に、多少驚きながらも栞は事情を説明する。
 美坂栞はかつて大病を患っていたが、現在は完治して健康そのものである。そして今はスノーシティーで喫茶店「百花屋」の店員として働いている。現に彼女はストールの下に百花屋の制服――清楚なエプロンを着ていた。
 だが、百花屋の店主、天野美汐は喫茶店を隠れ蓑にしてTactics軍に支配されたスノーシティーのレジスタンス組織、その総元締めをしているのである。栞もその組織の一員としてここ1年ばかり抵抗活動を続けていた。香里はそんな妹が心配でたまらなかったが、本人の意志を尊重してとりあえず好きなようにさせている。
「相沢君が……」
「どうしたんですか? お姉ちゃん。あまり嬉しそうじゃないです」
「まぁ……相沢が無事で活躍してるのは友人として嬉しいけどさ、そうなると今度はここへ帰ってくるのが遅れるような気がするんだよ。栞ちゃん」
 香里の思いを北川が代弁する。考えすぎかもしれないけどな、とつけ加えて苦笑した。
「そうですか……。でも祐一さんの活躍で戦争が早く終わるかもしれませんよ」
「……そうね。ありがとう、栞」
 元気づけてくれた妹に礼を言い、香里もようやく笑顔を見せた。危険な活動に従事している栞には、できるだけ笑顔を見せてやりたかった。それが姉として可愛い妹にしてやれる数少ないことだと思って。
「……名雪さんと秋子さん、まだ起きないんですね……」
「ええ……」
 ベッドの母娘に視線を移して話題を変えた妹に、香里は表情を少し悲しげなものにして対応した。
「大丈夫です。私が助かったように、ふたりも助かります。きっと」
 しかし、栞の力強い一言に、香里は表情を緩めた。栞の言うことにも一理あると思ったからだ。名雪と秋子の現状は、良くもならなければ悪くもならない。言葉を変えれば、今の状態で安定しているということである。一度は危篤状態までになった栞の過去の病状と比べると、遥かに希望が持てるだろう。
「栞、あんたがそう言うなら、多分そうかもしれないわね」
 あまり当てにはならないけどね、と続けて笑う。
「あ、お姉ちゃんひどいですー」
 その後はしばらく姉妹の会話が弾む。やがて太陽が病室を西日で照らす頃、北川が言った。
「香里、栞ちゃん。今日はそろそろ帰るか」
「そうですね、お義兄さん」
 それぞれ帰り支度を済ませて病室を出る。去り際に香里は室内に振り返り、親友とその母親に挨拶をした。声を返してくれることを望みつつ。
「それじゃ、また来るわね、名雪。秋子さんも」
 返事は、返ってこなかった。


 「Mission4 黄色中隊」につづく


管理人のコメント


>「なめないでよ。あたし……七瀬なのよ」

 予想通り七瀬登場!いやぁ、実にすばらしいですな(笑)。てっきり黄色中隊のメンバーかと思ったのですが…

>黄色中隊は独特な部隊だった。いや、異質と言って良い。

 どうやらなじめなかったようですね(笑)。祐一にリベンジするために再転校…じゃない、転属してくるのかもしれませんが。
 黄色中隊自体の登場も楽しみです。

 また、栞と美汐のしおしおコンビ(爆)も登場しましたね。レジスタンスなんて似合いそうもない彼女たちですが、今後どんな役割を持っていくのか気になります。


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