2005年9月26日 0800時 トゥインクル諸島
「あれが、『メガリス』ってやつの効果か……」
相沢祐一大尉は、目の前に広がる空で起きている事象に、信じられないという思いを込めてそう呟いていた。だが、この空にいる全てのISAF軍人が祐一と全く同じ感情を持っている。
『なんてこった。本当に星が落ちてやがる』
『くそっ、Tacticsの亡霊どもめ。本気で世界を滅ぼす気か?』
天空から流星が幾条も降り注ぎ、大気との摩擦熱で燃え尽きる。それは1999年7月の空を彼らに連想させた。そう、クラナド大陸だけでも100万人以上の死者・行方不明者と無数の難民を生じさせ、つい先日終結を見たばかりの大戦争の遠因ともなったあの忌まわしきコーヤサン災害、それとそっくりだった。
いや、そっくりどころではない。今回の情景は、人の力で起こされているのだ。人間がわざと星を落とし、あえて6年前の悲劇を再現しようとしている。祐一から見れば、愚かしい行為以外の何物でもない。祐一の感情は、怒りを通り越して空しさになりつつあった。
(せっかく戦争は終わったのに、どうして連中はこんなことをするんだ?)
理由はわかっていた。Tacticsが秘密裏に開発していた最終兵器「メガリス」を支配するTactics軍の急進的な将校たちが、本日9月26日に行われる終戦調印式の妨害――調印式を中止しなれれば、地上に隕石を降らせる――を目論んでいるのは、既に当事者から犯行声明(彼らは「宣戦布告」と称していた)も出されていたし、祐一も出撃前のブリーフィングで聞かされていた。
『残念だけど、本気みたい。ISAFは迎撃ミサイル部隊のデフコンを1にしてるし、Tactics戦略防空軍も協力を申し出てるみたい。だけど、大きい隕石は……』
現状を最も良く理解しているあゆが、感情を隠せず深刻な声でパイロットたちに呼びかける。彼女の乗機AWACS――E−767のAN/APY−2レーダーは、宇宙から地球表面を目指す流星を無数に捉え、彼女はそれを、画面を通して目の当たりにしているのだろう。それだけに、あゆの言葉には説得力が篭っていた。
『だから、ボクたちが頑張らなきゃならないんだよ。世界はボクたちに託されているから……みんな、本当に、本当に、お願いします』
「ああ。わかってるよ」
『そうそう。そのために俺たちがいるんだ。今日は全員“リボン付き”でさ』
状況の深刻さを感じさせないような口調で、この日も祐一の傍らを飛ぶ「アクトレス」こと斎藤大尉が祐一に続いて言った。いつも己のスタイルを貫き、なおかつ自分を常に守ってくれた無二の戦友の一言で、過剰な緊張感が和らぐ。
「それにしても……」
祐一はようやく空から自機の周囲に視線を巡らせる。
「まさか、俺が中隊長扱いになるとは思ってなかったな」
自分も含め、F−22Aが4機、ユーロファイター2000タイフーンが4機。そのいずれもが、垂直尾翼にメビウスの輪のエンブレムを描いている。祐一のパーソナルエンブレムが、このミッションに限っては作戦参加機全ての旗印として、ISAFでもトップレベルの戦闘機乗りで編成された制空部隊の機体を飾っている。
ISAF空軍、メビウス中隊。人類の命運を託された8機の戦闘機は、メガリスを破壊すべく星降る空を駆け抜ける。
カノンコンバットONE シャッタードエアー
Mission14 奇跡の空
同日 0810時 メガリス
「3、2、1、発射」
「16番、発射。上昇中」
「17番、発射まで20秒」
ISAFのパイロットたちが目の当たりにしている、感性で見れば神秘的、理性で見れば極めて恐ろしい光景を創り出している場所は、メガリスの最深部にある中央管制室。
外部を映しているモニターは、オペレーターの報告が真実であることを証明している。細長い構造物から白煙が湧き、その中から頭を出すミサイル。最初はゆっくりだが、すぐに急激な加速を見せて、高みへ昇ってゆく。
「まさか、本当にこれを使うとは思わなかったな」
巳間良祐技術准将は、誰にも聞こえないような小声でそう呟いた。彼は苦笑していたが、その奥底にある何かを必死に抑えつけている。彼は、このミサイルが完璧に機能した場合、世界にどのようなことが起こるのかを良く理解していた。それゆえの苦笑だった。
小惑星コーヤサンは、地球のロシュ限界で1000以上の塵に分裂し、地表に無数の隕石を降らせた。しかし、コーヤサンの欠片は全てが地球に落ちた訳ではなく、およそ30パーセントが未だ衛生軌道上にとどまり、時折思い出したように流星を降らせていた。
大陸の中央に建造されたストーンヘンジは、大陸のほぼ全てを射程内に収めて、99年には大陸を守ったが、100パーセントとは行かなかった。現にTacticsの首都で、今はISAFに占領されているファーバンティは隕石により壊滅しかかっていた。
このように世界で最もコーヤサンの被害を受けたTacticsは、これら残留隕石に大きな恐怖を抱いていた。隕石は最大で直径50メートルのほどのものもあり、もしもこれが再び地表めがけて降ってきたら……。
メガリスは、そんな恐怖を払拭するため、Tactics連邦が残りの隕石から自国を防衛するために立案した、新たなNMD計画の成果である。それはこれまでのような「落下してくる隕石を迎撃する」受動的なものではなく、もっと能動的に国を守る兵器として開発された。
原理はミサイルというより、ロケットに近い。ストーンヘンジよりも地味な存在だが、小さい隕石の迎撃に大きな効果を見せたNMDの迎撃ミサイルは、大気圏外において隕石を破砕し、大気圏突入の際に燃え尽きるほど細かくするか、爆発で落下軌道をずらして人畜無害な場所へ落とすことを目的として設計されていたが、メガリスのミサイルは全く異なる。弾頭に炸薬や弾芯といった、破壊効果のあるものは一切入っていない。ただ、接着剤のような粘着物と、ハーケンのような鋭い固定器具があるだけだ。
メガリスは、隕石の表面に吸着して、それを意図した場所へ飛ばしてしまおうという、まさにロケットの目的――大気圏外への物資輸送――を極限まで拡大解釈したような発案から生み出されたのである(この原理そのものは、コーヤサン飛来前にアメリカのNASAによる「対小惑星対策会議」で提唱されているので、別に真新しいという訳ではない。しかし、コーヤサンは大き過ぎてロケットでの移動は困難、また破裂後にかけらをひとつひとつ動かす時間的余裕もないため、結局即応性の高いストーンヘンジとNMDで対応することになった)。小さい隕石はあえて大気圏を突入させて燃やすか、海の真ん中に落として無害化する。大気圏でも燃え尽きない大きな隕石は、地球から遠ざけた後、内部に仕込んだ核爆弾(Tacticsは核を開発できる技術力・資金力・原料を持っている。大陸北部に上陸したISAFにも、核が使用されたのではないかという噂もある)で木端微塵にして、地表落下の危険性そのものを消滅させる。
しかし、その原理が生み出すもうひとつの可能性――恐るべき可能性に気づいたのが、Tactics陸軍参謀本部と戦略防空軍の一部の人々である。隕石を任意の場所へ移動させることができるということは……つまり、隕石を地球上どこでも、好きな場所へ落とすことができる。
コーヤサン飛来に備えるため、世界はNMD計画を推進していたので、弾道ミサイルの迎撃密度が飛躍的に高まり、核兵器の戦略的イニシアティブは相対的に低下していた。そこで、核に代わる新たな戦略兵器としてメガリスを利用できたら……。自国にとって、計り知れない利益となる。おりしも災害による難民問題で大陸諸国との関係が悪化していたから、なおさらのことだった。
Tactics軍が開戦当初、ストーンヘンジを電撃的に奪取した理由の中に、メガリスの能力を妨害されないようにする、というものが密かに含まれていた。質量が大きく、対弾道ミサイルでは迎撃が困難な隕石も、ストーンヘンジならば破砕できるからだ。しかし、そのストーンヘンジは今やない。メガリスはこの地球上で最も破壊力のある大量殺戮兵器として君臨しているのだ。
(小さい隕石は燃え尽きてしまうが、しっかりと大気圏を突入させている。設計通りの性能が出ているのには満足だが……。これから大きい隕石を手がけるとなると、俺は果たして生き残った人類からどんな評価を受けることか……)
良祐はちらりと、窓の外に目を移す。一片が15メートルある正方形のここ中央管制室は、一角に分厚い強化・耐熱ガラスがはめ込まれている。その向こう側は中央ミサイルサイロになっており、そこには巨大な柱が立っている。いや、見上げると先端が細くなっており、柱のように何かを支えているということはない。そこからはパイプがいくつも伸びている。
そう、これはロケットである。とてつもなく大きい。それこそ月まで行けるのではないかと思うくらいに。全高112メートル、直径13.8メートル。メガリスで最大の隕石落下用ミサイルだった。軌道上に残るコーヤサンの破片は、先にも述べたが最も大きいもので直径がおよそ50メートル。この超大型ミサイルはそれを地上へと降らせることが可能なのだ。
(こいつを使ったら、大陸の半分以上を壊滅させることができる。しかし……)
巳間良祐の心境は複雑と葛藤を極めていた。今発射されている、そしてこれから発射されようとしている恐るべきミサイルたちを設計した彼は、10日ほど前は戦争の継続を唱え、現在は先日終結=敗北したクラナド大陸戦争の講和条件に納得が行かないうんぬんでメガリスに立て篭もった陸軍将校連中(大統領を監禁して戦争継続を望んだグループの残党)の思想に同意している訳ではない。
しかし、良祐は彼らの意を汲んで、世界にコーヤサンの悪夢を再現する行為に手を染めている。その真意はただひとつ、自分の作ったものが、自分の進んできた先に何があるのか、それを見極めたいだけだった。どのような結果が待ち受けていようとも。
その時、警報が鳴り響き、管制室の壁にいくつも埋め込まれているモニターのひとつに、女性が現れた。ファーバンティが戦場になる直前、天沢郁未に暗殺された参謀総長からの命令で、ここメガリスにやって来た陸軍参謀本部第2部の名倉友里少将だった。
『敵が侵入してきたわ。これより迎撃に向かうから。ミサイルは大丈夫よね』
彼女は金縁に星ふたつの階級章をつけていた。ここに派遣される直前、2階級特進して良祐よりも上の立場になったのだ。参謀本部が、開発責任者との階級差から、メガリスを思うままにできなくなるのを恐れたのかもしれない。
「ここまでやってこなければ。それで、敵の規模と目標は?」
『規模は1個中隊程度、目標はわからないわ。ミサイルか管制室を陥とせば連中は目標達成だと思うけど』
「……予備管制室だ。あそこならミサイルの発射を少しは制御できる」
良祐の部下は人数が少なく、予備管制室にまで配置する余裕はなかった。一方、友里は約200名の兵士を率い、メガリスの監督及び警護の責任者として、兵員控え室にいる。
『そう、わかったわ。ありがとう。予備管制室をメインに配置につくから』
「ああ……それと」
『え、何?』
「いや、何でもない」
幸運を祈る――後に続くはずだったこの一言を、良祐はついに言うことができなかった。メガリスの開発から数年来の交流がある「同志」名倉友里の無事を祈る気持ちは確かに存在したが、もし友里が運に恵まれていた場合、それは同時にクラナド大陸が多大な不幸に見舞われることを意味していたからだった。
隔壁が爆薬によって吹き飛ばされ、ひん曲がった鉄板に変わる。強引にこじ開けられ、濛々とした煙に満たされる入口から突入した完全武装の兵士たちは、先ほどまで居住性の悪い潜水艦でここまで運ばれていたにも関わらず、素早い動きで展開した。
「あははーっ! 狙いはただひとつ、予備管制室ですよーっ。征きましょうっ!」
「……突撃!」
ISAFのメガリス突入決死隊「マジカル1」の先頭に立ち通路を駆けるのは、倉田佐祐理少佐と川澄舞大尉である。この可憐で勇敢な女性ふたりがマジカル1を統率し、この巨大ミサイル要塞を内部から引っ掻き回す責任者なのだ。
彼女たちの後に続くは、いずれも選りすぐりの兵士たち。Kanon国防3軍の特殊部隊、さらにはAir防衛隊の皇立特務連隊「リュウヤ・フォース」から選抜された兵(つわもの)だった。この中には、ストーンヘンジの開発者とAirの皇太子をTacticsから救出した「ノアの箱船」作戦に参加した者もいる。
しかし、その彼らをもってしても、このメガリス突入作戦の成功率は五分五分と判定されている。危険で悲壮な任務である。だがマジカル1の各員にそんな雰囲気は全くない。自分たちに課された崇高な使命と、指揮官と副官の人徳が彼らをして、剽悍決死の士にさせていたのだ。佐祐理と舞がファーバンティ包囲戦直前に久瀬参謀に呼び出され、マジカル1を率いるよう命じられたのは、軍人としての戦闘能力もさることながら、部下の統率術に長けていたという理由が大きい。
その舞は部下の兵士たちに、正直な思いを口にした。
「予備管制室はずっと奥、生きて還るのは難しいかもしれない……」
「それでも、我々だけでこれ全部をぶっ壊すとかいう前の計画よりは楽ですぜ。大尉」
部下のひとりが笑って答える。部隊の士気はすこぶる高い。佐祐理は安心して、さらに彼らを元気づけるように、お馴染みの明るい声で命じる。
「そうですねー。まっ、とにかく急ぎましょうっ!」
メガリスの存在そのものは、5月に第1戦略偵察航空団のU−2偵察機が持ち帰った情報から、ISAFもある程度のことは掴んでいた。それは分厚いベトンで建設された巨大要塞ということだったが、あまりにも堅固な造りのため、外部からの破壊は核でも直撃させない限り不可能と判断された。となると、内部から壊すしかない。
だが、それもまた多大な困難がつきまとう。少数の特殊部隊では、縦横それぞれ5000メートル近くあるこの巨大施設を完全破壊することはできない。それこそ数個師団の強襲部隊を編成すべきだったが、ウイスキー回廊やファーバンティでの戦いもあり、時間と部隊の余裕がなかった。
それでもやるしかないと、ISAFは決死隊の編成と訓練を進めていたが、占領したTactics国防総省で得られた情報から、メガリスの構造的特徴が判明する。
メガリスには、3つのミサイル搬入口の奥に、それぞれ1つずつ、合計3つのジェネレーターがあり、それを全て破壊すれば内部に溜まった熱を逃がすために中央の廃熱口が開く仕組みとなっている。その入り口から大型ミサイルの収納された中央サイロまでは一直線だ。だから、航空機でジェネレーターと大型ミサイルを破壊すれば、メガリスを無力化できる。
と、ここまで簡単に言ってしまったが、ジェネレーターへ延びるそれぞれの通路は低く狭く、内部に突入するパイロットには最高の技量と勇気が要求される。ISAFでまずそれを満たす者といえば、メビウス1=相沢祐一大尉が真っ先にあげられる。
しかし、メビウス1がミサイルを破壊しても、その先は行き止まりだ。彼は特攻するしかない。が、大型ミサイルの発射口が開いていればそこから逃げ出せる。これがマジカル1の作戦目的である。倉田佐祐理たちはメガリスを吹き飛ばすメビウス1に死の片道攻撃をさせないために、予備管制室を占拠してミサイル発射口を開くのだ。
マジカル1が敵の抵抗に遭遇したのは、突入から5分ほど経過した頃だった。
「!!」
戦闘を進む舞が声にならない叫びを上げ、倒れこむように伏せると、頭の上を銃弾がかすめる。壁に当たって兆弾となり、殺傷能力を弱められた敵のライフル弾は、部下のひとりの防弾チョッキに少しめり込んで動きを止めた。
良く訓練されたマジカル1隊員たちも、舞と同じように身の安全を計り、同時にISAFがドイツから導入した新鋭自動小銃、G36Eで反撃を開始する。
「これじゃ、先に進めませんね〜っ」
「向こうに行ければ隠れられる」
舞が小銃を撃ちながら視線で示す通路の先には、脇道があった。確かにそこへ駆け込めば十字砲火に身体を晒さなくて済むし、施設の奥にも進める。しかし、そこの入り口を見ると……。
「舞。でも、空いてませんから」
頑丈そうなシャッターが下りていた。彼女たちが持つ最強の火器、手榴弾でも到底破れそうにない。プラスチック爆弾も持ち込んではいるが、それを仕掛けている間に蜂の巣にされてしまうのは敵の火力から見て明白だった。
だが、彼女たちの思いは、不可解なことになぜか天に届いた。重い金属音と共に、シャッターが巻き上げられ始めたのだ。敵がわざわざ自分たちに安全な場所を提供するのか? それとも、何かの罠か?
しかし、現状では他に選択肢はない。このまま身を隠すもののない場所で銃撃戦などしていても、血を浪費するだけだ。
「佐祐理、シャッターが……」
「これで、先に進めます。でも、どうしてでしょう?」
「今は考えてる暇なんかない」
「あははーっ、そうでした。抵抗を排除しつつ前進です、皆さんっ!」
「H−38、39、40、展開……っと、次は……」
Tactics戦略防空軍の南明義大尉は、メガリスの中にある一室――内部隔壁制御室に潜り込んで、新たな「任務」にあたっていた。その任務とは、かつての上官、「髭」こと渡辺大佐が携帯電話のメールで「メガリスを破壊せよ」の一言と共に、今自分たちがいる巨大施設の建造目的と、その意図を外れた使われ方をされている現状を解説してきたことにより発生した。
「次、G−21、22、23の隔壁。里村、頼む」
「……」
「里村少尉!」
「あ、はい。G−21、22、23、開きます」
いつもは(意外にも)行動が素早い里村茜主計少尉は、今日に限ってはなぜか「心ここに在らず」といった調子だった。南はそれが気になるが、今はとにかく侵入してきたISAF特殊部隊の連中をメガリスの奥に案内してやらなければならない。この巨大要塞を自分たちふたりで無力化するのはさすがに無理がある。
(髭の奴……何でこの施設――メガリスとか言ったっけ?――を知ってたんだ?)
南と茜は、首都ファーバンティが戦場となる直前に、国防総省からここメガリスへと身柄を移された。今になって考えると、それは――いや、そもそも自分が防空軍から国防総省の主計課へ出向になったのも、渡辺の差し金だったという確信が、南にはある。
そこまで考えが及ぶと、隣で制御盤の画面を触れて、該当する隔壁を開く作業をしている茜を横目で見やった。
(まぁ、おかげで良いこともあったからな……)
まず、傍らで彼に協力してくれている里村茜と出逢えて、ある程度まで親しくなれた。これまで軍務のみに励んできた南にとって、彼女は「初めての恋」をしたと言える女性だった。
次に、空軍士官学校の同期、折原浩平と住井護のふたりと、久しぶりの再会を果たせた。南と茜がメガリスに行かされた時、彼らと黄色中隊はメガリス防空のため、一足先にトゥインクル諸島に展開していたのだ(防衛する施設の真の目的は、当の黄色中隊には知らされていなかったが)。
しかし、首都決戦の幕が開くと、浩平と彼の部下たちは任務を捨てて名誉を取った。宿敵「リボン付き」との因縁に終止符を打つため、北の空に消え、そして還らなかったのだ。
南の瞼の奥には、最期の出撃を迎える浩平の姿が、今もはっきりと焼きついている。空士時代のように自分を「沢口」と呼び、ふざけあって笑いあったが、愛機のコクピットに登る直前、彼は寂しい笑いを浮かべながら、黄色いリボン――彼の愛した女性、長森瑞佳の形見をぎゅっと握り締めると、それを懐に入れて機上の人となった。
(折原……お前は、最初から死ぬつもりだったのか? あんな良い連中を残して……)
中隊全滅の報を受けた整備員たちの嘆きようは、正直見ていられないほどに悲しかった。住井は天を仰いだまま石像になったように動かず、椎名繭という女の子は「みゅーみゅー」と号泣して泣き止もうとはしなかった。他の整備員たちも程度の差こそあれ、似たような様子だった。南も彼らと同じように涙を流せれば、どんなに楽だったことか……。
だが、彼に泣くことは許されなかった。折原浩平が、長森瑞佳が命と引き換えに安寧を保とうとした祖国。ISAFには敗れてしまったが、国そのものが滅びることはない。しかし、メガリスに立て篭もったお偉いさん――正気を保ちながら狂気を実行しようとする連中は、コーヤサンの災厄を再現し、何もかもを消し去ろうとしている。
(そんなこと、折原も長森さんも望んじゃいない)
南明義には、亡き旧友たちの想いに答える義務があった。
「全機、フォックス3! その後は回避自由よっ!」
七瀬留美中尉は怒鳴ると、自らも2発の中距離AAM――AA−12アダーを発射した。黄色中隊のカラーリングを施されたSu−37が15機だから、合計で30本の白線がまだ目では見えない敵へと伸びていく。その結果を教えるのは、電子の眼――自機のレーダーだけだ。
(AWACSがいれば、もっと安心できたんだけど……)
ISAF空軍の有名人は、何も「リボン付き」だけではない。彼の片腕たる「アクトレス」も、この2機のいるところ、常に後方から彼らを支え導いた「スカイエンジェル」も、それなりに名が通っている。しかし今、留美が率いる新しい黄色中隊は、AWACSの支援がない。メガリスにはそれなりに強力なレーダーが置かれていたが、「スカイエンジェル」のそれに及ぶ性能は持っていない。
警報装置が鳴り出す。敵も中距離AAM――おそらくAIM−120――を、自分たちと同じタイミングで発射していた。互いが放った投槍がマッハ6の相対速度ですれ違い、敵機へと急速に接近する。
「!!」
命中する! と感じたほんの一刹那前に、留美は機体を逆落としに反転させていた。おかげで敵のアムラームは機体の至近を通過して真後ろへと飛び去った。
最初の危機を切り抜けた留美はレーダーのディスプレイを見る。自軍のミサイルも、相手に到達している頃だ。が、そこに映っている敵影は、発射前と何ら変かは見られなかった。
1機も墜とせていない! 逆に味方は……周囲を見渡すと、3機が煙を吹いていた。
「ちっ……」
留美は歯軋りしたいのをこらえ、悔しさを内心に貯める。
(AWACSか電子戦機があれば……!)
現代航空戦において、警戒管制機は決定的な存在だということが、また改めて証明された。ISAFのミサイルが命中したのも、自分たちがAWACSにしっかりと探知されていたからだろう。一方、敵にはステルス機がいるらしく、しかもAWACSが妨害電波をしきりに発しているのか、30発がことごとく無駄に終わった。
しかし、まだ戦いは終わっていない。Su−37の最大の特徴は、カナード翼とベクタードスラスターがもたらす無類の高機動性だ。このまま格闘戦に持ち込めば……。しかも、数の上でもまだこっちが上だ。留美は気持ちを切り替え新たな闘志を燃やし、肉眼で見えるようになった憎むべき「リボン付き」のいる敵編隊を見据える。
「もう戦争は終わってるけど、あたしにとっての戦争は今日、ここで終わらせてやるわ。あんたを墜としてね」
留美とて、戦争が終わった今、これ以上ISAFに刃向かうような軍事行動は百害あって一理なしと考えている。だが一方では、これがリボン付きに復仇を果たす最後のチャンスだとも考えていた。このふたつの相反する考えの板挟みに悩んだ結果、彼女をして無意味な戦いに赴かせたのは、上層部――メガリスの参謀たちからの命令だった。彼女はある意味真面目なTactics軍人だったからこそ、ISAFの誇るメビウス1と最後の勝敗を決する機会を得たと言えるかもしれない。
しかし、それが彼女にとって良いことだった、とは限らない。
『何よ、こいつら! 全部リボン付きじゃない!』
留美の戦友で中隊の次席指揮官、広瀬真希中尉が半ばパニックを起こしたように叫んだ。
「本物はどれか1機よ。後はニセモノに決まってるじゃない」
『そんなことはわかってるけど、でも……』
「来るわよ! メイデン、エンゲージ!」
留美には、たとえISAF機の全てにリボンのエンブレムがあっても、自分が狙うべき相手が誰だかすぐに判別できた。他の敵の中核となり、自機だけでなく指揮官のように味方にも気を配る、無駄と隙の全くない動き。間違いない。編隊の先頭にいるF−22Aがリボン付きね。
留美は早速、そのメビウス1とおぼしき敵に正面から突っかかる。赤外線誘導のAA−11アーチャーを、先が黄色い主翼から打ち放つ。しかし、ミサイルの性能から、必中と思われたこの攻撃が避けられた時点で、留美の予想が正しかったことが証明された。
彼女がつけ狙う「メビウス1」は、以前のそれとはまるで別人のようだった。別人のように速く、そして巧みだった。
(な……何よ、あいつは! まるで違う! この前よりも、確実に……)
前前回に戦った時は、ほぼ互角だった。前回も似たようなものだった。勝敗を分けたのは運という偶然的なものに過ぎないと彼女は思っていた。しかし、今は……。
「あたしが劣ってるとでも言うの!?」
留美は恐怖と屈辱を堪えきれず怒鳴ったが、それは彼女だけではない。新生黄色中隊の残存12機全てが、8機のISAF機に圧倒されている。特に、F−22Aに突っかかるSu−37は、たとえ有利な場所からの攻めでもあっさりと後ろを取られて返り討ちにあってしまう。
留美自身も窮地に立たされていた。「本物の」リボン付きF−22Aに、背後にぴったりと食らいつかれている。そしてその間にも、Su−37は12機が11機に、10……2機同時にやられて8……交戦後およそ3分で、黄色中隊は半分にまで減ってしまう。
その差は、機体の性能だけでは決してない。現に性能ではSu−37に劣るはずのタイフーンにすら押されている。ISAFは明らかにエース中のエースを選りすぐってメガリスに挑んでいるのだ。そう、かつて無敵の名を欲しいままにした、黄色の13に率いられたオリジナルの黄色中隊のように。
「どうしてあたしは勝てないのよっ!」
留美の心底からの絶叫は、背後からの爆発音にかき消された。フレアの誤魔化しに惑わされない目標識別能力を持ったAIM−9Xが、機体の尾部を吹き飛ばした瞬間だった。
射出座席のレバーを無意識に引いた彼女が最後に聞いたのは、戦友の広瀬真希の絶望的な声だった。
『ああ、七瀬留美がやられた!』
メガリス上空が、リボン付きの戦闘機隊だけのものとなるまでには、それから5分も必要としなかった。
空の敵を手早く排除しても、物事が解決する訳ではなかった。まだ3つのジェネレーターを壊して、最後に中央サイロ内部を飛ぶという大仕事が残っている。
しかも、急がねばならない。この間にも大型ミサイルは発射準備を終えているかもしれないし、マジカル1が壊滅してしまうかもしれない。現に、その彼らの苦境がオープンにされた回線を通して、祐一の耳にも直に届いていた。
『手榴弾を使え!』
『くそっ! もうすぐで予備管制室なのに!』
切迫した必死な声が折り重なる銃声によって聞こえなくなる。そのうち、本当に聞こえなくなってしまった。発言者が小銃の5.56ミリ弾で身体のどこかを抉られでもしたのだろうか。
『おい、しっかりしろ! おい、返事をしろ!』
『もう無理……』
『彼はもう亡くなってます、置いて行きましょう』
『くそっ……畜生どもめ!』
再び銃声が、そして今度は手榴弾が炸裂する爆音まで発生した。その中に、敵兵の悲鳴らしきものが混じっていたような気がする。
同じ音声を聞いていたあゆが、泣きそうな声で祐一を急かす。
『祐一君。もう空は大丈夫だよ。早くジェネレーターを!』
「わかってるよ。でも3つか……」
『じゃあ手伝ってやる。ひとつくらいはどうにか破壊して見せるぞ』
「大丈夫か?」
メガリス内部には祐一ひとりが飛び込む手筈になっていたので、その予定のない斎藤の一言に、祐一は心配する。
『同じブリーフィングを受けてるんだぜ。俺だってできるさ。俺が右をやるから、メビウス1は左を頼む』
だが、これは戦争であって、祐一がメガリス突入を果たせなくなる可能性もあった。その際、祐一の代わりを務めるのが斎藤とされていたのだ。そのことを思い出し、祐一は絶対の信頼を込めた声で言った。
「ああ、頼む、斎藤」
祐一は左へ、斎藤は右にそれぞれ分かれる。互いに別の場所へ向かうが、彼らの目に映るメガリスが、だんだん大きくなってゆくのは共通の光景だった。ジェネレーターへと続くミサイル搬入路の入り口をはっきり認識した時には、ミサイル発射要塞は視野に全て収めることができないほどに巨大な存在となっていた。
「なんてデカさだ……」
話には聞いていたが、こうして実物を目の当たりにすると聞きしに勝る大きさだと祐一は思った。呆れ果てたような声が喉の奥から漏れる。
「……征くか」
しかし、引くことはできない。この中では、1個中隊の友軍が孤軍奮闘している。祐一は彼らの苦戦を思いつつ、高度を20メートルまで下げて、縦30メートル、横40メートルの狭き門に入り、異次元に続いているかと錯覚させる不思議な空間に抱かれた。
マジカル1の生き残りは、護身用の拳銃で敵と撃ち合っていた。彼らが持ち込んだ自動小銃、G36Eは全ての弾倉を使い尽くして、今は打撃系・刺突系の武器としてしか用を果たさない。
「くそっ、弾切れだ!」
「こっちもだ、畜生め!」
しかし、拳銃弾すらも尽きる時が来た。もはや飛び道具を失ったマジカル1。このまま任務を達成できずに殺されるのかと誰もが思ったが、敵からも銃声はそれきり起こらなかった。先ほどまで奏でられていた戦場音楽が幻のように、静まりかえっている。
(どうしたんでしょうか? もしかしたら……)
佐祐理が通路の角から慎重に顔を出して確かめる。弾は飛んでこなかった。すると管制室の扉の前に、ひとりの女性が仁王立ちしていた。周りには死体が多数。敵はもう彼女しか残っていないようだった。
「敵はあとひとりです。制圧しましょう!」
マジカル1は一斉に飛び出す。その数は今や8人にまで減っていた(彼ら以外は、戦死するか負傷して来る時に使った潜水艦に後送されている)。着剣した小銃を向け、敵兵を取り囲むようにじりじりと接近する。
「ここから先は通さないわよ」
敵兵は壁に立てかけられた短めの自動小銃を手に取る。弾倉はついていない。彼女も弾を撃ち尽くしたのだろう。それならば、先ほどから敵も撃ってこなかった理由がつく。
そのスマートな小銃――ポーランド製のベリル96カービンタイプ(室内での使用を考慮して銃身を短縮、軽量化したもの)の先には、やはり銃剣が取りつけられていた。光を反射させないよう、つや消しの黒で塗られている。
長い茶髪を持つTacticsの女性兵士はひとりで管制室を死守しようとしているのだった。髪が逆立つほどの殺気と闘志と、並々ならぬ覚悟を佐祐理たちは感じ取っていた。それを最も強く感じていたのは舞である。
舞がひとりで前に出る。腰に下がった軍刀の柄に手をかけ、抜き払った。敵の銃剣とは対称的に、こちらは研ぎ澄まされ、鏡のように光を反射する美しい刀身だった。
「舞」
「佐祐理、下がって」
舞と同じように歩を進めようとした佐祐理をとどまらせた。
「この人、凄く強い……」
「ふ―ん、わかるのね……。あんた、名前は?」
「川澄舞大尉。ISAF陸軍メガリス突入決死隊“マジカル1”副隊長……」
「私はTactics陸軍参謀本部第2課長、名倉友里少将」
名乗りが終わる。そしてそれが、メガリス攻防戦における最後の戦いのゴングでもあった。
「いざ……!」
「尋常にっ!」
向き合うふたりは同時に踏み込んだ。
甲高い金属音が通路に響く。同時に両者の刃から火花が飛び散った。
激しく鍔迫り合い、またつかず離れずの間合いで激しく攻撃を繰り出し、受け流し、舞と友里の間の空間は殺気に満ち溢れた空気に包まれる。
「せぇいっ!」
「くっ!」
煌く軍刀の切っ先が友里の喉元をかすめる。避けるのが0.3秒でも遅ければ、頭と胴は切り離されていただろう。しかし、この斬撃で舞に生じた一瞬の隙を見逃す友里ではなかった。避けのモーションと同時に手の内ではベリルがクルリと回転し、銃身で舞を殴打するような動きをする。
「せえっっ!」
「……っ!」
だが、舞の剣さばきもまた巧みを極めていた。大きく振り抜いていたはずの刀の峰が銃身を受け止めた。堅い金属がぶつかり合う透き通った音がまたも響く。命を預ける武器を押しつけ合ったまま、ふたりの動きが止まった。
「なかなかやるわね」
「……そっちこそ」
ごく短い言葉と、炎すら噴き出すのではないかと思うほど鋭い視線を交わす。
まるで時間が止まったかのような静寂。それは僅か1秒足らずなのか、それとも数分なのか、時間の感覚を狂わせるほど静まりかえった予備管制室前の通路。
それに終止符を打ったのは、万全の注意を払っていた舞の裏をかく、友里の新たな攻撃だった。
彼女はしゃがみ込むような態勢になる。同時に銃を90度回転させて折り畳み式の銃床部を前へと突き出す。舞はこれに対応しきれなかった。
銃床で舞の腹がしたたかに打ちつけられる。ボディーアーマーがかろうじてその衝撃を吸収、内臓へダメージを及ぼさなかったが、それでも痛みは大きい。
「ぐふっ……!」
喉の奥から苦痛のうめきが漏れる。が、すぐに態勢を直す。すると目前に銃剣が迫っていた。間一髪、刀で受け流す。友里も無理な第2撃を仕掛けず、一歩引く。
そしてふたりは一定の間合いで対峙した。その時、爆発音が彼女たちの耳に入る。外部で何かあったらしい。
『3つ目のジェネレーターを破壊したぞ。そっちはどうだ?』
『メビウス1、排熱口が開くぞ! 飛び込める!』
『ちょっと待ってくれ、デカいミサイルが出てきた……これを壊す!』
スイッチが入れっぱなしの無線機からパイロットたちの通信がリアルタイムで入ってくる。彼らの作戦も佳境に入っていた。
「舞! もう時間がありません!」
「佐祐理、わかってる」
舞はそう言うと、大きく息を吸い、止める。肺に溜められたその緊迫した空気は、凄まじい気合と共に吐き出される。それと同時に、軍刀を大上段に振りかぶって、間髪を入れず踏み込む。
「ええぇぇぇいっ!」
「!!」
意表を突いた突然の斬撃に、友里は小銃を横にして防ぐ。そこでポーランド製の優良小銃、ミニ・ベリルに限界が訪れた。強く叩きつけられた刃によって、軽金属製の小銃が真っ二つに分断される。
射撃と取り回しを重視して軽く造られたベリルに、数百年前に名のあるだろう刀匠が魂を込めて鍛えた無銘の刀が打ち勝ったのだ。
「くっ!」
「っはぁぁあああっっ!」
軍刀一閃。
次の瞬間、友里の胸部に舞の軍刀が深々と突き立てられた。
「ぐう……かはっ!」
刀が抜かれると、血飛沫が友里の傷口、そして口から迸る。彼女の脚は立つ力を失い、仰向けにもんどりうって倒れ伏した。
「今です! 早く扉を!」
佐祐理の声に反応した兵士たちが倒れた友里の傍らを抜け、隔壁のコンソールに取りつく。8ケタの数字を打ち込み、扉は左右に開かれた。彼らは中に入る。
その喧騒の中、舞は瀕死の友里に歩み寄る。
「無様ね……銃剣術には自信があったのに……」
「そんなことない……あなたも強かった……」
友里の傍らにひざまずく舞。彼女にも、もはや友里の生命が尽きかけているのが理解できた。友里をそこまで追い込んだのは彼女なのだから。
「ねぇ貴方……もし良ければ……ごほっ、こほっ……」
口から血が噴き出す。瞳も焦点が合わなくなっていた。
「もう喋らなくていい……」
「そうもいかないのよ……由依に、妹の由依に、あたしが死んだと伝えてくれない? それと『ごめんね』って……」
「……わかった。約束する」
「そう、ありがと……」
友里から首を支える力が抜けた。舞は物言わぬようになった友里の髪の先端を、血を拭った刀で切り取る。
「……必ず伝える」
力強く呟き、友里の瞼をそっと閉じてやると、舞は暫し目を瞑る。その背後で――管制室の中から佐祐理と兵士たちの弾んだ声が上がった。
「やった! 発射口が開くぞ!」
「あははーっ、これでメビウス1は逃げられますーっ!」
『祐一君っ! マジカル1がやってくれたよっ!』
「そうか!」
これでメガリスと心中、ということはなさそうだな。祐一は満面の笑みを浮かべて元気良く答えると、再び操縦に全神経を集中した。中央のミサイルサイロ廃熱口は、これまでくぐった3つのミサイル搬入口よりも輪をかけて狭い。彼はその中を時速500kmで、最終目標のミサイル目指して飛んでいるのだから、文字通り寸分の狂いも許されない。自分ひとりの命だけでなく、大陸そのものの命運がかかっているのだ。
永遠に続くかと思われる狭い空間。冷や汗が頬を伝う。刻々と迫るミサイル発射のタイムリミット。そして、これまで自分を支えてくれたあゆや斎藤など、戦友たちに思いを馳せる。彼の人生を狂わせた「黄色の13」のSu−37が脳裏をよぎり、最後に思い浮かんだのは、恋人の無邪気な笑顔だった。
(名雪、見ててくれ。俺はやるからな)
その時、彼が狙っているものが、ついに見えた。
巨大な円筒状の物体が、全てを圧倒するかのように鎮座している。間違いない。ここの主人たる超大型ミサイルだ。
「あれか!」
チャンスは僅か1度きり。必中を期すため、さらに接近する。それにつれ、ミサイルと周囲の詳細も確認できるようになる。
ミサイルは既に発射準備を終えているのか、燃料注入用のパイプ類はどこにも見あたらない。超低温の液体燃料が収められた個所には、うっすらと霜が張っていることからも、後はボタンひとつ押せば天に放たれ、死神の矢になれる状態にあるのだろう。
そのすぐ上では、間もなく全開になろうとしている発射口があった。マジカル1が自分たちの血肉と引き換えに、祐一のために開いてくれた、生への脱出口。
そして、壁にある発射管制室とおぼしき窓。その中に、ひとりの人物がいた。白衣を着たその人物(恐らく男)は、「見事だ」とでも言っているかのように、笑っていた――少なくとも、祐一にはそう感じられた。祐一は覚悟を決めた相手に応えるべく、心の中で彼に敬礼した。
その直後、祐一はバルカン砲の引き金を、万感の思いを込めて引いた。
もはや、何の手も打ちようがなかった。目の前で燃料の注入を終え、発射まで残り1分を切った巨大ミサイルに、それよりも小さい影が肉薄しつつある。
「これが、俺の見定めようとしていたものか……いや、ある程度は予想していたが」
部下たちを自分の目的の犠牲にするつもりはなく、全員を退去させていたため、自らコンソールの前に立つ良祐は、手元にあるカウントダウン中止ボタンから指を退けた。本当にこれを発射するつもりなど、彼にはなかったのだ。もしそれを実行すれば、彼の家族とて無事では済まない。ただ、ISAFへの脅しになれば、それで良かっただけなのだ。この考えは、名倉友里も同じだったと思っている。
しかし、ISAFは脅しには屈せず、最強の連中をここに送り込んできた。メガリス内部を散々荒らして回った特殊部隊や、今この瞬間も本気ではない良祐を本気で倒そうと近づく敵戦闘機のような強者を。
恐らく、こんな狭い場所に入り込んだISAFのエースは助かるだろう。予備管制室が占拠され、そこからのコントロールによりミサイル発射口がゆっくりと開かれようとしているのが、巳間良祐にも見えるからだ。
となると、敵を撃退すべく予備管制室を守っていた名倉友里は……。
(まぁ、俺もすぐに同じ場所へ行く)
かつて自分に、今まさに破壊されようとしている兵器の開発を持ちかけた女性に、心の中で呼びかける。その良祐の口元には、避けられぬ死を目前にしてもなお微笑が浮かんでいた。
「メビウス1、か。まさに奇跡の存在だな」
時速500kmで目標に迫る機影を凝視し、良祐はそう言った。それが彼の最期の言葉となった。Tacticsの目論みをことごとく――ノースポイント攻略も、高槻艦隊も、ストーンヘンジも、そしてもうすぐこのメガリスも――打ち砕いている「リボン付き」から、一筋の光の束が投げかけられると、それはミサイルに狙い違わず突き刺さった。良祐の視界は真っ白い光に包まれる。
(晴香、済まないな……)
血族ではない妹を想う良祐の最期の意識は、めくるめく光芒と共に、消失していった。
同日 0840時 スノーシティー総合病院
水瀬母子の病室の窓から見上げる空は綺麗に晴れ渡っていた。その青空を、宇宙から降り注ぐ隕石が大気圏で燃え尽きて発生する幾条もの炎の尾が飾っていた。
「一体どうなるのかしら……」
香里はその光景を眺めながら呟いた。その声には言い知れぬ不安が含まれていた。
「わからない……でも、相沢が何とかしてくれる。俺はそう信じてる」
北川が妻を安心させるように言う。彼らもことの次第はある程度知っていた。Tactics軍の若手将校が反乱を起こし、6年前の災厄を再現しようとしていることを。そしてISAFが、彼らの親友、メビウス1こと相沢祐一がそれを阻止しようとしていることも。
「……そうね。そうよね」
自分を納得させるように言う。夫に顔を向けて微笑むと、ベッドで眠る親友に語りかける。
「相沢君が頑張ってるんだから、あなたも早く起きなさいよ……。彼ももうすぐ帰って来るんだからね……」
巳間良祐の最期の台詞にあった「奇跡の存在」とは、もしかしたら相沢祐一ではなく、彼の愛する女性だったのかもしれない。
もう幾度目になるかわからない香里の呼びかけは、この瞬間、ついに届いたからだ。
「ん……うにゅ……」
不意に聞こえた声の方向へ振り向く夫妻。
そこには、ベッドから起き上がって眠そうに目をこする長い髪の女性がいた。
「名雪!」
「水瀬!」
香里と北川が同時に叫んだ。
「あれ、香里と北川君? どうしたの? それにここ、どこ?」
「名雪……良かった……本当によかっ……」
最後は言葉にならなかった。口元を抑えて歓喜の嗚咽を堪え、ただ涙を流す香里。
しかし、そんな親友の様子を訝しがりながら、長い眠りから覚めた少女は無邪気に言った。
「ゆういち……祐一は?」
同日同時刻 メガリス
「やった……」
これで髭からの命令は成し遂げたぞ。大陸を滅亡させる巨大ミサイルの完全破壊をモニターで確認する南の胸には、密やかな満足感が広がっていった。
しかし、それに浸っている暇はない。大陸人の多くの命を取り損なった腹いせなのか、ミサイルはメガリスそのものを道連れにして逝こうとしているらしい。
「長居は無用だ。里村少尉、逃げるぞ!」
逼迫した声を出す南に対し、茜は瞳を閉ざし、ゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ……」
南は一瞬、茜が何を言っているのか理解できなかった。そして次の一言は、彼の理解を超えたものだった。
「わたしは、ここに残ります」
「な……!」
思わず絶句してしまう。制御室にも非常サイレンの音が響き、赤色灯が回転する。南の呆然とした顔も、茜の無表情も、定期的に赤い光に照らされる。
ここで、ようやく合点がいった。里村はここで死ぬつもりなんだ。だから、今日の里村は魂が抜けたように、ボーッとして……。いや、そんなことは認めん!
「馬鹿なことを言うな!」
気づいた時には、南は罵声を上げていた。しかし茜はそれをごくあっさりと、風にしなる柳のように受け流した。
「わたしは、馬鹿なんです」
そう言った茜の無表情が、一瞬だけ悲痛に歪む。
「わたしには、あの場所で待つことしかできないですから……」
(まだ、あんなことを続けていたのか……)
南は、かつて昼食への誘いを断られた後、彼女が雨の日に何をやっているのか調べたことがある。その時、彼は彼女の抱えている悲しみの一端をようやく理解するに至った。南がとある決意を抱いたのは、雨の中、ピンクの傘をさして空き地に佇む茜の悲しそうな姿を見た時からである。
そして今こそ、その決意を現実に移す時に他ならない。彼はメガリスに敵兵を招き入れた時以上の使命感を総動員して茜に言った。
「少尉。お前が誰を、何のために待っているのかは知らない。でもな、死んじゃったら待つことすらできなくなるぞ」
「もう、待つことも叶いません。あそこはISAFの爆撃で失われてしまいました」
(ああ、首都決戦の時に流れ弾でも食らったのか)
ISAFが空き地を爆撃する理由はない。爆弾の無駄だ。となると、里村は運にも見放されたか……いや、まだ見放しちゃいない。少なくとも、俺は。
「南大尉、お願いですからあなたひとりで行ってください。あなたは義務を果たしたのですから」
「俺は、まだ義務を果たしちゃいないぞ」
「え?」
「俺の義務は、里村をここから連れ帰ることだ。そして、その後は……」
南はごくりと唾を飲み込むと、それまでの厳しい目つきは優しく、しかし真剣なものに変わった。最後の一言を、複合装甲の間に充填されたセラミックスよりも堅い決意を秘めて、茜に放った。
「その後は、俺が里村の――茜の新しい居場所になる。そうなれるよう努力する。だから逃げよう」
その時、茜の表情が強張り、次いで崩れた。瞳からじわりと涙が溢れ、頬を伝う。
南明義がこれまで里村茜に向けた努力は、決して無駄ではなかった。彼の想いは、ゆっくりと、しかし確実に茜の氷の心を溶かしていた。それを、今の一言が完全に氷解させたのである。
「た、大尉……」
「時間がない、行くぞ」
「……はい」
南は茜の手を取り、茜はそれをしっかりと握り返した。
内部から大爆発を起こしたベトンの城、メガリス。その爆炎の中から何かが飛び出した。空に向かって駆ける。まるで流星のように。
『目標破壊! 目標破壊! メビウス1も出て来たぞっ! ばんざーいっ!』
『こちらマジカル1ですーっ。飛び込んだパイロットは無事ですかー?』
『うんっ! 今ここから確認してるよっ!』
『それは良かったです。メビウス1に宜しくお伝えくださーいっ』
『それよりも早く逃げてっ! 崩れるかもしれないよっ!』
『わかってます。それではーっ』
陸海空、心をひとつにして戦った戦友たちの交信が流れる中、急上昇で天を駆け上った祐一はメガリスの上まで来ていたE−767AWACSの隣で水平飛行に戻る。
祐一が愛機の翼を軽く振ると、誰かが言い出した。
『俺たちは……戦争に勝ったのか?』
『それはわからないな。歴史が証明することだ。でも、確実なことがあるぞ』
『それは?』
『これで隕石が降って来なくなることと……英雄は確かに存在すること。俺たちの目の前にな』
少しの静寂を置いて、大歓声が沸き起こった。
斎藤が、メビウス中隊の全員が、あゆが、E−767の乗員全てが、歓喜を大爆発させて絶叫する。
『やった……やったぞ! 世界は救われた!』
『万歳! 万歳! メビウス1万歳!』
『うぐぅ……祐一君っ! ありがとうっ!』
『メビウス1! メビウス1! メビウス1!』
その現象はここだけでなく、あらゆる場所で発生していた。E−767とのデータリンクで戦闘の推移を最初から最後まで把握していたISAF総司令部、Kanon国大統領府、Air皇国内閣と皇家など、とにかく大陸中の重要な場所でクラナド大陸の存続が保証されたことを素直に喜び、程度の差こそあれ笑顔と歓声となって表現されていた。
数分たって、喜びの渦はようやく終息へ向かうが、その中心にあった祐一の心のみは、台風の目のように静かだった。彼はまだ、目的を果たしていない。わざわざパイロットになり、己が命を危険に晒したことが、報われていない。
(名雪、お前はいつまで目を覚まさないつもりなんだ? 俺の戦いはもう終わっちまったぞ……)
祐一の心は、水瀬名雪の色一色に染まっていた。
『はい。スカイエンジェルです……えっ、ホント!? うん! はいっ!』
ひとり孤独に恋人を想っていると、その間に誰かと話していたあゆが、突然祐一に話を振った。
『祐一君っ、吉報があるよ』
その声に、我に戻る祐一。あゆはとても楽しそうで、嬉しそうな声で、もったいぶるように言った。
「吉報? どんな話だ?」
『あのね、今入ってきたんだけど……名雪さんが……』
あゆの言葉が終わる前に、今度は祐一が素晴らしい喜びに支配される番だった。
その歓喜は行動に代えられた。突然アフターバーナーを全開にして、北東に進路を取る。
『あっ!? 祐一君っ?』
『行かせてやれよ。っても、あのままじゃ目的地まで燃料が持たないぞ』
祐一の戦う理由を知っていた斎藤は、相棒の行く先がわかっていた。
『あっ、そうか! じゃあ、タンカーを飛ばしてもらえるか、上に聞いてみるよ』
勝利に沸くISAF空軍総司令部はあゆの要請を直ちに叶えた。自軍を勝利に導いてくれたメビウス1へのちょっとしたボーナスのつもりだったのかもしれない。KC−10エクステンダー空中給油機がメガリスから最も近い基地から離陸したのは要請から5分後、スノーシティー国際空港が緊急閉鎖され、メビウスの輪を描いたF−22Aを出迎える準備を整えたのが、そのさらに15分後のことだった。
相沢祐一の戦争も、この日、ついに終わった。
「エピローグ」につづく
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