2005年5月7日 0930時 Tactics連邦 首都ファーバンティ 国防総省


「戦略防空軍の南明義大尉、至急主計7科までおこしください。戦略防空軍の……」
 その省内アナウンスを聞き、国防総省内にいくつかある喫茶店で紅茶を飲んでいた男が、窓から差し込む程よい陽光に包まれた心地良い席を立ち、会計を急ぎ済ませると放送にあった場所へ向かう。彼が放送で指名された南明義、Tactics戦略防空軍大尉である。
 南はなぜ自分がこの国防総省――Tactics4軍(陸軍・海軍・空軍・戦略防空軍)の中枢、国をあげての大戦争が行われている現在は各省庁の中でも最も高い地位にあるだろう役所で勤務しているのか、いまいち理解できなかった。しかし、命令とあれば従うしかない。
 戦略防空軍とは、1995年に創設されたTactics連邦軍で最も新しい軍種である。宇宙から飛来した小惑星コーヤサンが1999年7月、地球に隕石を撒布することが判明してから世界はNMD構想を急ピッチで進めてきたが、Tacticsにおけるその成果が戦略防空軍だった。この新たな軍は隕石を撃ち墜とすために生まれたのである。
 コーヤサンが飛来し、多くの隕石が大気圏を突破して地表に降り注ぐ中、戦略防空軍は幾多もの隕石を迎撃した。失敗して犠牲者を出したこともあれば、逆に成功して多くの人命を救ったこともある。しかし、コーヤサンの脅威がひとまず去ってから、大陸全土で戦争が繰り広げられている現在まで、戦略防空軍はほとんど何もしていない。隕石以外で彼らが相手にするのは大陸間弾道ミサイル、中距離弾道ミサイルなど、いわゆる核兵器と呼ばれる部類の兵器であるからだ。無論、どこかの国が自国に核戦争を挑んでくるのであれば、彼らは全力で戦うが、現状でそうなる可能性は零に等しい。世界で核戦争など望んでいる国は存在しない。
 3ヶ月前まで某所のミサイル基地に所属していた南は、いきなり国防総省への出向を命じられたのだが、それはその時の上官――顔面に髭を蓄えたミサイル基地司令、渡辺大佐の指示だった。
 彼はある日、南を呼び出して開口一番、こう言ったものである。
「んあー。南、お前は明日からヘキサゴン(国防総省の通称)に行きなさい」
 理由を聞くと「新型迎撃ミサイル開発が進められているので、運用側の立場から意見を述べてくれ」と説明を受けた。いわばオブザーバーである。
 いきなり出された不条理な命令に、南はささやかに抵抗したが、渡辺は全く聞く耳を持たず、翌日には手荷物をまとめてファーバンティへ向かわざるを得なかった。
(それにしても……どうして俺のような一介の大尉に?)
 この疑問は3ヶ月前からずっと続いていた。しかし自分の中において満足な回答は得られていない。
 ここでの彼は、国防総省の中にある技術研究本部第13課――ミサイルなどの誘導兵器を開発する部署――にいるよりも主計第7課――兵器開発に関する予算や物品に精通し、技研本部13課とも関わりが深い部署――にいる方が多かった。これもまたわからない。なぜミサイルを扱う俺が主計科で帳簿作成や物品調達の手伝いをしているんだろう? 
 しかし、これも髭――渡辺の指示だった。これを考えると、南の頭はいつも混乱する。
(一体あの髭は何を考えているんだ? 俺は主計科なんぞ志願した覚えはないぞ)
 あの人は全く……俺が空士の生徒だった頃から何を考えているのかわからないな。南はまだ自分が空軍士官学校にいた頃のことを思い出す。その時の教官が髭だった。
 懐かしいな……折原、住井、長森さん……。結局あいつらは空軍に行き、俺だけが防空軍に進んだんだよな。みんな元気だろうか? ああ、長森さんはもう……もういないのか……。戦争とはいえ、悲しいな。
 そうこう考えているうちに目的の場所へと辿り着く。すると、女性の主計科員が彼を迎えた。
「お待ちしていました、南大尉」
 現状に軽い不満を持っている南が、主計7課に来て良かったと思える瞬間だった。
 南に敬礼をしたその女性――主計7課の里村茜少尉は、南が密かに想いを抱く相手なのだから。


 
カノンコンバットONE シャッタードエアー

   
Mission11 防御陣地M



 
同日 0940時 トゥインクル諸島


「何だあれは……?」
 ISAFにとって最大の脅威となっていたストーンヘンジを空爆で破壊するなど、最近活躍著しいISAF空軍の中でも、目立つことを許されない部隊があった。第1戦略偵察航空団。彼らは影として軍事行動を支え、時として存在そのものを抹消される。したがって、陽の光を浴びることができないことを宿命づけられていた。
 華やかな戦闘機パイロットたちがもてはやされる中、日陰者としての立場に甘んじつつも、彼らは黙々と任務に励み、ISAF上層部もその功績を十分に認めていた。軍事衛星が発達した今日でも、航空機による直接的な偵察の重要性は薄れていない。
「大きいな……まるで要塞だ」
 2万4000メートルの高高度を飛ぶ偵察機は、漆黒に塗りつぶされている。超音速全盛の時代、ジェット軍用機はほとんどが後退翼かデルタ翼を持っているのに、この機体はやたらと幅の広い直線翼だった。実際、最高速度は848kmで、音速には遠く及ばない。
 その代わり、上昇限度が2万6000メートルと、普通の戦闘機では到達できない成層圏域を飛行することができる。この高高度飛行性能は黒い偵察機の最大の長所であり、偵察機としての存在意義を確立していた。
 U−2偵察機。冷戦時代、アメリカ(空軍ではなく)中央情報局――CIAの要求によって1955年に生まれ、とても明らかにはできないような秘密任務に従事すること多年に渡り、ソヴィエトの領空で撃墜されたこともある古強者の戦略偵察機である。
 トゥインクル諸島は、大陸の南西沖、Tactics連邦首都ファーバンティの南約300kmにある。位置的にはTacticsの勢力圏真っ只中で、U−2はTacticsの懐を飛行していることになる。はっきり言って危険な任務である。マッハ3の超高速で3万メートルの超高高度を飛べるSR−71ブラックバードならともかく、この古い偵察機には少々荷が重いかもしれない。しかし、パイロットはそれを微塵も感じてはいない。彼の見ているものが彼をそうさせていた。
「一体、なんの施設なんだろう?」
 2万メートル以上の高みからでも、コールサイン「ナイトバット」――ISAF空軍大尉、橘敬介の目にはそれがはっきりと映っていた。言葉に出した通り、それがどんなものなのかはわからない。しかし、とてつもなく大きい建造物であることだけは理解できた。機体に搭載するカメラの望遠レンズも謎の施設を捉え、細部を撮影して実際の寸法を測る目安を掴もうとしている。実際の測定は情報部の写真班の仕事だけれど……。
 敵の迎撃はない。まだ見つかっていない、ということはまずあり得ない。U−2はステルスという概念が実現するより遥か以前の機体だ。ならば、こちらの高度が高過ぎて戦闘機がここまで届かないのだろう。それだったら地対空ミサイルを撃ってくるはずだが、それも今のところない。
「どっちにせよ、何もないほうが遥かにありがたいけどね……」
 敬介はひとりごちて、機体を傾けた。写真撮影、レーダーと赤外線による探知など各種の索敵を終えたのだ。
 しかし、彼の呟きは最悪の形で裏切られた。旋回中に警報ブザーがコクピットに響く。ミサイル警報だ。
「言った傍から、なんてことだ!」
 亜音速しか出せない機体を急降下させ、スピードを稼ごうとする。だがその動きは絶望したくなるほど遅かった。高空を安定して飛ぶことを求められた機体に、戦闘機のような運動性を期待する方に無理がある。ミサイルが機体を貫くかと思われた直前、敬介はチャフとフレアを同時に射出した。Tacticsのミサイルはそちらに引き寄せられて四散したが、破片の一つがU−2の空気取り入れ口に飛び込み、敬介はその後、あらぬ苦労を強いられることとなった。


 
同日 1015時 Tactics国防総省 主計7課


 まどろみの中にあった南は、綺麗な声で現実の世界に引き戻される。
「……い、大尉」
「……ん? ああ、里村少尉」
「勤務中に寝ないでください」
「ああ、ごめんごめん。天気が良かったからつい」
 目を擦りながら悪びれもせず南は言う。しかし、茜は極めて事務的に対応する。
「これのチェックをお願いします」
 茜から1枚の書類を受け取る。それは前線における防御陣地構築に使用される資材に関するものだった。
「……何だ、去年の書類じゃないか」
 何を今さら、という意味合いを込めたような声で南は言った。茜はそれに気づかなかったのか、それとも気づいていてもあえて無視しているのか、やはり事務的な態度に変化はなかった。
「とにかく、見ていただく規則になっていますから」
「……わかった」
 まぁ、ここはお役所だからな……。内心で呟き、とりあえず一通り目を通す南。しかし、その視線はある個所で止まった。
「……何だこりゃ?」
「どうかしましたか?」
「多すぎるんだ」
「?」
 南が何を言っているのかわからず、茜は顔に疑問の色を浮かべて南を見つめる。
「いくら前線に堅固な陣地を造るにしても、このコンクリートと鋼材は多すぎる。そう、これじゃまるで――」
 まるで、ミサイルサイロ……しかもかなり大がかりなものが造れる量だ。戦略防空軍の軍人としてミサイルの地下基地に勤務した経験を持つ南はそう説明した。
「そうですか。じゃあ、どちらかが間違ってるんですね。この書類か、それとも発注量そのものか」
 そう言って茜もその書類を手に取り、じっくりと眺める。が、
「私にはわかりません。あなたのように建築の専門家ではありませんから」
 と、諦めたような表情を浮かべて書類を机に置いた。
「いや、俺も専門家という訳じゃないけど……。仕事上、ミサイル基地にどれだけの資材が使われるのか知っていただけさ」
 南は笑った。茜もかすかに微笑み返す。彼は茜のそのような表情が好きだった。
 しかし、茜はすぐにいつもの表情に戻る。仕事をする時の表情に。そして例の書類の一番上に書かれている文字を、独り言のようにぽつりと呟いた。
「防御陣地M……ですか……」


 
同日同時刻 国防総省内 Tactics連邦軍技術研究本部第13課


 技研第13課のセキュリティは厳重だった。何重ものプロテクト、人物照合がかけられて、さらに歩哨の身体検査を受けて始めて中に入れる、いや、13課は地下4階にあるので、もぐれると言う方が正しいだろう。
 当然、そんな場所であるから中に入れる人物も限られる。どこかの商社のオフィスのようにパーソナルコンピューターの並んだ13課の長は、白衣を纏った長髪の男、巳間良祐技術准将である。彼は、そのパソコンに囲まれていた。
 良祐はデスクの傍らにある写真立てをちらりと見る。その中には彼とひとりの女性が一緒にいた。巳間晴香――幼い時に父親が再婚し、その際にできた義理の妹である。血は繋がっていないが、ふたりの関係は極めて良好だった。
(コンベースで<ファーゴ>が中破したと聞いた時には、どうなったのかと心配したが……)
 先日、戦艦<ファーゴ>の砲術長を務める彼女から届いた手紙によると、とりあえずは元気にしているらしい。<ファーゴ>の修理も、はかどっているとは言い難いものの、確実に進んでいるとも知らせてきた。そしてもうすぐ修理も終わり、再び海原に漕ぎ出せるということも。
「……」
 妹の写真を見ながら、妹からの手紙の内容を思い出して口元に微笑を浮かべると、すぐに自分のすべきことを思い出し、パソコンに向き直る。
 無言のままマウスをクリック。ディスプレイ内にウィンドウが開かれて、細長い飛行物体の図面を映し出す。ミサイルなのかロケットなのか、画面からではそれを窺い知ることはできない。文字による解説がついていないからだ。ただひとつ、ヒントになりそうなことに「M」という単語が図面の左上に書いてある。ただし、これが「Missile=ミサイル」のMだという保証はない。
 それ以外には、寸法らしい数字がいくつか書いてある。全高は「112」、直径が「13.8」とあるが、これも謎で単位がどこにも書いていない。もしもメートルだったら、とてつもなく大きい。人類を月まで運んだアメリカのサターン5型ロケットよりも。とは言え、これがセンチだったら戦闘機搭載のAAMよりも小さくなってしまう。
 結局、この兵器が何なのかは、設計――いや設計はもう終わっている。実際に使用した際のシミュレーションも既に行われた――最後のチェックに没頭している巳間良祐のみぞ知る、だった。
 図面とにらめっこをしていると思えるほどに集中している良祐は、ドアの電子ロックが解除される音に集中力を削がれた。音の方に振り向くと、金庫の扉かと見紛うほど分厚い鉄のドアがモーターで開かれ、長い髪の女性が姿を現した。陸軍の軍服に身を包み、肩からは参謀肩章を吊っている。
「お邪魔します。巳間閣下」
「名倉参謀か」
 Tactics陸軍参謀本部第2部(戦略部)に所属する名倉友里大佐は、上官に見事な敬礼をして見せると一変してくだけた調子になった。
「ええ。結構厳しくなってきたから、様子を見に来たのよ。参謀総長閣下のご命令でね」
「……」
 やれやれ。参謀本部のお偉方から督戦を受けるまで戦況は悪化しているのか。ならさっさと止めてしまえば良いものを……。口にこそ出さないが、これが良祐の本音だった。
「あら、何を言いたいのか、顔に出てるわよ」
「あ、ああ……」
 何時の間にか近くに寄って来た友里に、背中に冷や汗をかきながら口篭もる良祐。目の前の女参謀が切れ者であることを思い出す。もっとも、そうでなければ第2部の中でも先任参謀としてやっては行けないだろうが。しかし、友里は良祐の「敗北主義的」な思考をあえて咎めようとはせず、彼のパソコンのディスプレイを覗き込むような体勢になった。
「でも、こんなの造っても、使い道がないんじゃないかしら?」
「抑止力ぐらいにはなると考えている。が、現実に使うとなると、悪夢以外の何物でもない」
「そうね……」
 友里は良祐の意見に、消極的な同意を示した。彼女は良祐がどんな代物を設計しているのかを知っていた。数年前、その開発命令を良祐にもたらしたのは、他ならぬ友里だったのだから。
 友里はその時のことを思い出していた。彼女は好きこのんで命令伝達役を引き受けてはいない。ただ単に、命令だったからだ。むしろ本心では、そんなものの開発など止めるべきだと、今だにそう思っている。それを造るだけの予算を国土復興・経済再生・難民支援とかの民需に回せば、もしかしたらこの国は戦争という道を選ばなくて済んだんじゃないかしら? もしかしたら、私があんな命令を受けた時点から、祖国の行く末は決まっていたのかもしれない……。
 しかし、彼女の内心には全く対称的な思考も同居していた。彼女は祖国を愛している。その想いが発展した結果、友里は軍人となった。これは余談になるが、そんな友里を尊敬していた彼女の妹も、姉の背中を追うように軍人の道を選んでいる。海軍に奉職し、戦艦<ファーゴ>の艦長にまでなっている名倉由依大佐のことだ(ちなみに、良祐の妹、晴香は由依の部下。良祐も友里も、妹同士が上官・部下の関係にあることを知っている。良祐と友里がある程度親しいのも、妹たちが仲良く頑張っているからという理由が多少はある)。
 それほどの愛国者である名倉友里大佐のもうひとつの思考とは、極めて単純なものである。祖国を守るためならば利用できるものは何でも利用しよう。大陸の大半を射程に収める巨大砲、ストーンヘンジが破壊された今、ISAFに対して戦略的優位に立てる要因は、これぐらいしかないわよね……。
 回想に浸っていた友里を現実に戻したのは、良祐からの質問だった。
「それよりも、敵機の接触を受けたらしいが」
「ええ。でも、手は打ったわ」
 すぐに有能な参謀に立ち戻った友里は、一応ね、とつけ加えて、言葉を続けた。
「空軍に追撃部隊を出すように頼んである。それに、相手はノーム幽谷の方面に向かってるらしいから、墜とすのは難しいことじゃないわよ」
「そうか……だが、な」
「だが?」
「あまりあてにはできない。ISAFも情報の重要性は理解している。もしも偵察機を守るために、あの“リボン付き”が出てきたら、さてどうなるのか」
「……そうね。“黄色の13”にでも追わせない限り、難しいかもしれないわね」
 神ならぬ友里には、良祐の台詞が現実のものになるなど、当然わかるはずもなかった。


 
同日 1120時 ノーム幽谷


 厚い層雲の下、薄い霧の中を2機の飛行機が寄り添い合って飛んでいる。真っ黒で長い直線翼を持った機体と、灰色の航空迷彩で面積の広い後退翼を持った機体。根本から性質の異なる軍用機のパイロットたちは、互いをコールサインで呼び合い、戦闘が終わった安堵を言葉に代えた。
『メビウス1、助かったよ。ありがとう』
「ナイトバット、礼は俺じゃなくてこの機体に言った方が良いと思うぞ。こいつじゃなかったら、多分間に合わなかった」
『はー……初めて見たよ。ISAFにこんな豪華なものがあったなんてねぇ』
 橘敬介が感嘆したのも無理はない。相沢祐一大尉(ストーンヘンジ破壊と「黄色の4」撃墜の功績で昇進)の愛機は、これまでのF/A−18EにからF−22Aになっていた。
 F−22Aラプター。開発国のアメリカですら実戦配備が始まったばかりという、文字通りの最新鋭機である。
 これまでの主力戦闘機、F−15イーグルの後継として、米空軍のAFT(次期戦術戦闘機)要求に基づき開発されたF−22Aは、全長19.0メートル、全幅13.5メートル。自重14.5トンと、サイズはF−15とほとんど変わらず、重量が少し重くなっているぐらいの違いしかない。が、外見と性能は「次元が異なる」という表現が使えるほどに差がついている。航空王国アメリカがその威信をかけて生み出した、文字通り世界最強の制空戦闘機なのだ。
 ほとんど平面で形作られ、異質ながらも洗練された外見は、この機がレーダーに発見されにくいステルス性を持つことの証で、ミサイルなどの外部兵装を機体の内部に収納し、バルカン砲の発射口まで蓋をしてしまうほどの徹底ぶりだ。そしてそんな特異な形状をしているにもかかわらず、空力的にも優れている。材質もチタン合金や炭素合成素材をふんだんに使い、外も中も最先端のもので溢れている。
 F−22Aの利点はそれだけではない。ステルスと並ぶもうひとつの最大長所として、スーパークルージング(超音速巡航)がある。F119−PW−100エンジンは最大推力が1万8000kgというとてつもない代物であり、F−22Aはこれを2基用いて、アフターバーナーを用いずともマッハ1.5で巡航することができるのだ。まさに驚異的な性能である。エンジンを破損した敬介のU−2がここノーム幽谷で、飛行船型の繋留式ノイズジャマーと敵戦闘機の追撃という2重の危機を免れたのも、機種転換訓練の仕上げを行っていた祐一がF−22Aを駆って、超音速巡航で駆けつけたからに他ならない。
 F−22Aはそれ以外にも、様々な特徴を持つ。大きな主翼と2次元推力偏向スラスターによる高い機動性、電波の照射範囲を(ある程度まで)自在に変えられるアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダー――AN/APG−77マルチモードレーダーによる高い探知能力、高度にデジタル化されパイロットの負担を軽減する操縦装置、そしてVHSIC(大高速一体化回路)と呼ばれる集積回路を組み込んだスーパーコンピューターを始めとする高性能の電子機器や電子戦装置など。とにかく至れり尽くせりの装備である。
 最大速度こそマッハ2.2と、F−15やSu−37よりも若干遅いが、加速や上昇力は優れている。F−22Aこそは、アメリカが現代技術の総力を結集し、現用のいかなる戦闘機をも圧倒できる戦闘機として誕生したのである。
 しかし、性能が高いということは値段も高いというセオリーがあり、F−22Aはその典型だった。高価過ぎ、また冷戦構造の崩壊によりまともな仮想敵国がなくなってしまったゆえに、アメリカ空軍での調達予定数は、当初648機だったものが現在は400機前後までに減らされている。
 そんな貴重な機体がなぜISAFに、しかも自分に与えられたのか、祐一には計りかねた。だがこれにはアメリカ空軍と、F−22Aを開発したロッキード・マーチン社とボーイング社の思惑が絡んでいた。
 米空軍は、自分たちの次期主力戦闘機が実戦でどれだけ強いのか、特に優れたパイロットとの組み合わせにより空戦でどれほどの戦果が出せるのかを試したがっていた。そこで超エースの「メビウス1」をパイロットにするという条件で4機1個小隊分をISAFに提供した。
 一方、ロッキード・マーチンとボーイングの両社は、経営上の理由からF−22Aを輸出したがっていた。しかし、その価格から本家すら数を減らした機体を買ってくれる国などそう存在しない。あったとしても経済大国の日本、潤沢なオイルマネーを持つサウジアラビア、アラブ諸国に(数の上では)劣勢に立たされているイスラエルぐらいか……。
 クラナド戦争が始まる前のKanon国も、アメリカ軍用機産業にとってはお得意様だった。そこで、いわゆる「試供品」としてF−22Aを4機、ISAFに提供したのである。これでF−22Aの性能を実際に知ってもらい、戦争が終わったら是非とも新生Kanon国防空軍の主力戦闘機に、ということである(無論、戦争で興廃した国土の復興が優先されるからすぐには売れないだろうが、彼らは復興後の軍備回復を見越して「営業活動」に励んでいた)。
 丸いアナログ式の計器が全くなく、表示装置はフルカラー液晶ディスプレイで占められたコクピットに座る祐一は、このような裏事情を知る由はないが、もし知っていたとしても、どうでも良いと思っただろう。恐ろしいまでの戦闘力を秘めた機に乗れるという事実が、大国と企業の本音をかき消してしまうからだ。とにかく祐一は満足していた。これであの「黄色の13」と対等に戦える戦闘機を手に入れた。後は自分の腕前が愛機に見合うか、黄色とまともに戦えるか、それだけだな……。
『いや、君がその機体を操って僕を助けてくれたんだ。実にグッド・ジョブだったよ。ありがとう』
 敬介の再びの礼に、祐一は自分と愛機の関係に巡らせていた考えを中断して、隣をよたよたと飛行するU−2に(急な事態に対処できるよう用心しつつ)意識を向ける。
『それよりも、見て来たものを報告しないと。まぁとにかく、それができるのも君のおかげだよ』
 祐一が見る限りでは、敬介機の状態はよろしくない。外見は何ともないようだが、エンジンの出力が全く安定していないのだ。時折、止まりそうにすらなる。U−2は単発機なので、エンジンが完全に停止した時が機体そのものとそれが集めた情報の死となる。
 SAM(地対空ミサイル)の迎撃を受けてこうなったとか……。2万の高度まで届くSAM、多分長距離ミサイルだ。その上敵機の追撃、敵はこのU−2をよほど無事に還したくはなかったんだな。
「一体、あんたは何を見てきたんだ?」
『おっと、それから先を言ってはいけないよ』
 祐一の率直な疑問に対し、敬介はやんわりと、しかし頑として回答を拒否した。
「……ああ」
 また機密か。前も――Airの皇太子の件も内緒だった。全く、軍隊ってとこは何かと秘密が多いな……。
 無論、隠すことが重要だというのは祐一も頭では十分理解していた。だがそれでもこんな風に思ってしまうのは、自分が何をしているのか、作戦にどんな意味が、合理性があるのか知り、さらにそこから自分の戦う意義の一部を見つけ出したいからだった。
 祐一が戦う理由はただひとつ、恋人の名雪のためである。しかし、彼はそのために多くの敵を倒した。果たしてそれが正しいのか――祐一は割り切ったつもりだったが、完全にとはいかなかった。彼はある意味、善良な人間なのだ。
 だからこそ、自分が祖国のために、そして正義のために戦っていると思いたかった。無意識のうちの自己正当化であるが、今の祐一にはそれが必要だった。そうでもしなければ、これからますます激しくなるであろうこの戦争を戦い抜けない。罪悪感に押し潰されてしまうかもしれない。
『話せなくて悪いけど、それが仕事だからね。これを破ると軍法会議ものだし、そうなると娘にも逢えなくなってしまう』
 少しだけ鬱になりかけた祐一を救ったのは、話題を変えた敬介の一言だった。
「娘さんがいるのか?」
『ああ、一応ね。でも……ちょっといろいろとあってね』
 と、多少声のトーンが低くなる敬介。
『まぁ、これは僕の責任なんだけど、それで親権争いにまでなってしまってね』
「で、解決したのか?」
 祐一は思わずそう言った直後、しまったと後悔した。いくら相手が自ら話しているからとはいえ、傷口に塩を塗り込むようなことを口走ってしまったと思ったからだ。だが、祐一の考えは杞憂に終わる。敬介はそれを気にすることなく、本来は深刻なはずの話を、まるで世間話のような気軽さで続けた。
『うーん……。した、と言えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない』
「何だそりゃ」
 訳のわからない回答に、祐一は苦笑する。無線を介した相手も同じように笑った。
『でも、もうすぐ僕は口出しできるような身分じゃなくなるかもしれない。一般の親だったら、とても誇らしいことなんだろうけど』
「?」
『おっと、そろそろ行かないと。エンジンがおかしいまま飛んでちゃ、君に助けてもらったのが無駄になりかねないからね』
「そうだな……。じゃあ、悪いけどエスコートはここで終わりになる」
『うん、ありがとう。メビウス1、君に助けてもらえたことを誇りに思うよ』
「ああ。グッドラック、ナイトバット。縁があったらまたな」
 祐一は愛機の翼を左右に大きく振る。別れの挨拶のつもりだった。その時、一体成型のキャノピーが金色に輝いて、挨拶に花を添える。酸化イリジウムとすずによってコーティングされレーダー波を拡散・反射するキャノピーは、光の当たり具合によって金色の光を反射するのだ。エンジンに余裕がない敬介は、狭いコクピットの中で小さく敬礼して祐一に応えた。
 そして、ふたつの機影は離れる。一方は義務を果たし、もう一方はこれから帰還して任務を遂行する。ノーム幽谷を包む折からの霧は濃度を増し、そこを飛ぶふたりの、戦いに託した愛する者への想いすら隠そうとするかのように広がる。U−2とF−22A、2機の姿はその奥へと消えていった。


 
同日 1200時 Tactics国防総省 主計7課


 昼休みの開始を告げるサイレンが鳴ると、襲い来る睡魔と戦いながら、デスクに積まれた戦艦の装甲もかくやと思われる分厚い書類を攻略していた南は、待ってましたとばかりに立ち上がると大きく背伸びをした。
「うーっ……あー、終わった終わった」
 退屈極まりない任務――過去の書類のチェックは、茜から与えられた。数値の間違った書類を見終えた後、いきなり彼のデスクに書類の束が乗せられて、茜はニコリともせずに無常に言い放ったものだった。
「次は、こちらをお願いします」
 その苦行からようやく解放された南は、喜びのあまり片想いの女性に、自分でもわからないうちに大胆な一言を発していた
「里村少尉、メシに行こうか? 俺が奢るよ」
 言った後に初めてその言葉の意味に気づく。今まで女性には全く縁がなく、模範的な軍人としての道のみを歩いてきた自分に、こんな気の効いた、女性の気を引くようなことが言えたのか――自分自身を意外に思った。
「良いんですか?」
 そう言って、かすかに喜んだような表情を南に向ける茜。この言葉を肯定として受け止めた南は表情を僅かに希望で輝かせ、戦果を確かなものにすべく攻勢を強めた。
「もちろん! 少尉にはこれまでいろいろ世話になったからね。そのお礼を兼ねて、さ」
「……それでは、お言葉に甘えさせていただきます、大尉」
「じゃあ、行こうか。ここの近くに美味い店が……」
「あ……」
 南の言葉は、茜のふとした呟きによって続きを止められた。彼女が視線を向ける先――オフィスの窓の外は、先ほどまでは晴れていたはずなのに、今は雨がしとしとと降っていた。
「雨だな。いつの間に降ってたんだ?」
 だがそんなことで、茜を食事に誘おうとする南の意志は揺らがない。彼は「まぁいいか、行こうよ」と言おうと口を開きかける。しかし、それよりほんの少し早く発せられた茜の言葉が、彼の努力を水泡に帰してしまった。
「ごめんなさい。やっぱり、わたしはちょっと用事がありますので……」
 この瞬間、南の敗北が確定した。
「そ、そうか……悪かった」
「いえ……」
 茜は南に軽く会釈すると、ピンク色の傘を持って、オフィスのドアをくぐって南の視界から消えた。取り残された南は心底残念そうに大きな溜息を吐くと、窓の外に視線を移した。
(俺、何か里村の気に障るようなこと言ったか?)
 自らを問い詰めるが、回答は見つからない。それもそのはずで、彼に落ち度は特になかった。ただ南の敗因は、里村茜という女性について、あまりよく知らないことにあった。彼女が心の奥に持つ悲しみを知らないことに……。
(嫌な雨だな……もう少しだったのになぁ……)
 初夏の雨を降らす空は、南明義大尉の心と同じ、憂鬱の色をしていた。
 しかし、その空は祖国の今後と同じ色をしているということに気づくまで、彼にはもうしばらくの時間が必要だった。

 2005年6月16日、ISAFはクラナド大陸北部、アイスクリーク地方で上陸作戦を決行した。この「オーロラ」作戦で、新たに大陸解放のため加わった兵力は、ISAF北部方面軍25万人。半年前にシールズブリッジ湾から上陸した南部方面軍は、ノースポイントに逃れたKanon国防陸軍が主力だったが、今度の北部方面軍は、アメリカ陸軍・海兵隊と主として、イギリス・ドイツ・フランス陸軍など各国の部隊で混成された文字通りの多国籍軍である。
 この戦争、ISAFが勝利すると見極めた各国は、空軍だけでなくついに陸軍をも大規模に投入して、「大陸の自由と平和を脅かす敵」Tactics連邦を本気で打倒する決意を固めたのだった。
 アイスクリークは年中氷と雪で閉ざされ、まさかそのような場所に敵の上陸はあるまい、と高を括っていたTactics軍は完全に裏をかかれた。ISAFは防寒装備を完備してこの極寒の地に踏み込んだのだ。慌てたTacticsは上陸直後のISAFに対し、まだ数の揃わない国産巡航ミサイルを発射して反撃を試みたが、ISAFの迎撃により失敗している(この際、Tacticsは核、もしくは燃料気化爆弾をミサイルの弾頭にしたという説もある。その証拠として、迎撃したミサイルが太陽のように輝くのを、多数の将兵が目撃している)。
 ISAF北部方面軍は、敵の防備が整わないうちに進撃を開始、7月5日には大陸北部の交通の要所、スノーシティーの北50kmの地点まで軍を進めた。スノーシティー解放後、北部方面軍と南部方面軍はこの街で合流し、大陸西部派遣軍と名を改めてTactics連邦の本領へ侵攻する計画が既にできあがっている。
 守勢防御(バトル・オブ・ノースポイント)から攻勢防御(リグリー飛行場空爆〜コンベース港奇襲)、限定攻勢(バンカーショット作戦〜ストーンヘンジ破壊作戦)を経て、クラナド大陸戦争は新たな、そして最終的な段階――全面攻勢へ進もうとしていた。


 「Mission12 帰還」につづく


 
後書き――事実は小説よりも……?


 どうも、U−2Kです。この度もKCOをお読みいただき、ありがとうございます。
 今回から、祐一の愛機がF−22Aラプターになりました。この1機200億円とも300億円ともいわれる高すぎる機体を、果たしてアメリカがISAFに提供するのか(しかも祐一の前の愛機も最新鋭のF/A−18Eですから、何と贅沢な乗り代えか:苦笑)という点については、どうかご容赦ください。どうもAC04のパッケージを見る限りでは、F−22Aが(黄色中隊のSu−37と並び)今回の主役戦闘機のようですから。
 ということでついにクラナドの空に姿を現したF−22Aですが、9月21日、現実世界において(私の執筆にとっては)衝撃的なニュースが飛び込んで来ました。F−22の名称が、F/A−22になったというのです。
 どうやら「A」という攻撃機を示す単語をつけ、F−22の多目的性を議会に訴えて調達数を増やす材料にしよう、という魂胆があるとも言われていますが、果たしてどこまで効果があるのでしょうか? パイロンをつければともかく、胴体内に500ポンド2発が限界という事実は名前を変えても変わりませんし……。
 ただ、このKCOの世界では、F−22の名称は変わりません。その理由としては、やはりクラナド大陸の政情です。99年の隕石災害以降、大陸国家は対立しあうようになり、やがては軍事的緊張も生み出します。そんな中、地域紛争に備えて米空軍のF−22調達計画は史実よりも多少締めつけが緩くなります(実際作中でも「400機前後」としています)。ですから、あえて名前を変えるほどの小細工を弄していない訳です。
 それに、この世界ではKanonという国があり、見込み客は現実世界よりも多く、また大陸戦争で戦果を上げればメーカーも格好の宣伝に使えますし。
 とにかく、現実世界での情勢変化が、リアルタイムでSSにも関わってくるのですから、なかなか面白いと言いますか、何と言いますか……複雑な心境です(笑)。
 さて、物語もそろそろ佳境に入ってきますが、今後ともよろしくお願いいたします。


管理人のコメント


>F−22Aラプター。開発国のアメリカですら実戦配備が始まったばかりという、文字通りの最新鋭機である。

 それまでのF/A-18Eでも十分驚きなのですが、やはりこの機体が出てくると驚きますね。日本ですら買いそうもない超高級機ですし。

>『でも、もうすぐ僕は口出しできるような身分じゃなくなるかもしれない。一般の親だったら、とても誇らしいことなんだろうけど』

 うーん、未来の皇妃さまですからねぇ(笑)。しかし、あの二人は政治させずに象徴にするだけなら、見た目もいいし適切かもしれません(不敬罪)。

>ISAFが勝利すると見極めた各国は、空軍だけでなくついに陸軍をも大規模に投入して、「大陸の自由と平和を脅かす敵」Tactics連邦を本気で打倒する決意を固めたのだった。

 水に落ちた犬は打てというか、国際政治の非情さを実感する光景です。

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