2005年4月2日 0845時 スノーシティー郊外 Tactics空軍野戦飛行場


 草原と田園と丘で構成され、人間に自然を愛する心を思い出させる風景の中に、あまり似つかわしくないものが溶け込んでいる。
 建設途中の高速道路を流用した滑走路。その幅広の道路を通すために、小高い丘の斜面へ開けられたトンネルは、そのまま軍用機の格納庫兼掩体壕になっている。
 パイロットや整備員、その他基地を運用する人々の生活の場たる兵舎は、プレハブの小屋もしくはキャンピングカー。火薬庫と燃料貯蔵庫は穴を掘り、その周りに土を盛り、土嚢を積んだ簡単なもの。
 このみすぼらしい、急造の典型的な例のような野戦飛行場は、その外観とは裏腹に、戦術的には大変意義のある存在だった。なぜなら、ここがTactics空軍最強の誉れも高い第156戦術戦闘航空団――黄色中隊の(当面の)住処だからである。

 急ごしらえの基地とはいっても、その能力は決して低いものではない。
 元が高速道路だけあって、滑走路は約30メートルの幅と2000メートル以上の直線を持ち、大型ジェット戦闘機が楽に離着陸できる。格納庫=トンネルは分厚いコンクリート(ベトンと言った方が正確か)で覆われ、自動車用のトンネルとしてはいささか過剰なまでの強度を持っていた。
 滑走路の脇には比較的細い道路が併設され、それはそのまま誘導路として機能しているし、周囲の空き地は戦闘機のエプロン(駐機場)としてほどよい広さだった。ついでに言えば、基地のすぐ近くには湖があり、防火用水には全く不自由していない。
 まるで軍用基地のような道路なのだが、それもそのはず、この高速道路はKanon国の建設省が軍務省のてこ入れを受けて、有事の際には飛行場として使えるようにとあらかじめ計画されていたのである。
 しかし、道路の完成前にTactics軍の侵攻が始まった。道路はいざとなった時に出すべき能力を出せずに、あえなく侵略者の手に落ちた。そしてKanon国民の税金で造られたこの道路=基地は、皮肉なことにKanon国の敵であるTactics軍が有効利用している。


 
カノンコンバットONE シャッタードエアー

   
Mission10 巨人の最期



 名もなきこの基地の駐機場では、数機の戦闘機が翼を休めていた。
 これらの機体はロシアで設計されたものだが、かつてのロシア機に特有の無骨さは微塵も感じさせない。カナード・主翼・水平尾翼と平面状に翼が3つ並ぶ「スリー・サーフィス」と称される形態。流れるような曲線と曲面、そして力強い直線で構成されたボディは、流体力学の極意とはこのようなものだ、と誇らしく語っているようにも見える。
 スホーイ設計局の傑作、Su−27シリーズの末弟に位置するSu−37スーパーフランカーである。この高性能機を飾る軍用機の化粧――空中迷彩は明暗2種のグレーで塗り分けられ、主翼や尾翼の先には、目にも鮮やかな黄色。これこそが敵味方にその名を轟かせた「黄色中隊」の異名の由来となっている。

 機体に「4」と番号の振られたSu−37が現在、大がかりな整備を受けていた。2基あるエンジンが取り外され、つなぎを着た数人の整備員が張りついてせわしなく動き回っている。その中でも、小柄な女性の作業には目を見張るものがあった。
「みゅー、みゅー♪」
 と、リズミカルに歌いながら(?)、実に手際良くスパナを扱うのは、椎名繭軍曹。「鬼」の定冠詞がつきやすい階級だが、彼女に関してはその定番は全くあてはまらない。彼女は中隊のマスコット的存在であると同時に2番目に腕の良い整備員として、中隊を影から支えている。
「みゅ? みゅー……なんでもないや。次……」
 スパナを使い終えると、今度はエンジンの前に回ってタービンブレードのチェックを始める。本人は真剣なのだが、表情だけを見るとハンバーガーショップでメニューを選んでいるのではないか、と思ってしまっても不思議ではないだろう。繭はいわゆる可愛らしい女の子(と表現しても良い外観と精神を持っている)なのだった。
「そっちはどうかな? 椎名さん」
「みゅ? あっ、整備長さん」
 ブレードを覗き込んでいた繭が男の声に振り向くと、そこにいたのは黄色中隊の整備班長、住井護中尉だった。繭と同じデザインの作業服を油で汚している。それだけを見ると真面目な人物と取れるかもしれないが、悪戯好きそうな顔がその印象を裏切っている。実際、彼は中隊の中でも、隊長の折原浩平少佐と並ぶ問題児で、浩平と共謀して中隊を些細な混乱に巻き込むことは珍しくない。
 その代わり、彼が有能な整備員であることもまた事実だ。繭が中隊で2番目に腕が良い整備員だということは前に述べたが、その1番目は住井である。
「右エンジンは異常ないもぅん」
「そっか。じゃ、一休みしようか」
「うん」
 非常な階級差があるにもかかわらず、まるで旧知の間柄のように話す繭と住井。このふたりに限らず、黄色中隊においては階級で呼び合うことは滅多にない。軍紀という言葉をどこかに忘れてきたようなこの航空隊がTactics空軍で最も強いのを、Tactics軍7不思議の筆頭と言う者もいれば、この自由な仲間意識が黄色中隊の強さの秘密と言う者もいる。
 なお、黄色中隊に配属された(もしくは配属を希望した)者の中には、この独特の雰囲気に馴染めず、隊を離れた者もいない訳ではなかった。「メイデン」のコールサインを持つ空軍第3のエース、七瀬留美中尉もそのひとりだった。
「あ、そうだ。これ食べるか? さっき街で買ってきたんだ」
 と言って、住井は手に持った紙袋を差し出す。
「みゅ? 照り焼きバーガー?」
「いや、残念だけど、これは肉まん」
「うくー……残念……」
 口調も表情も、本当に残念そうだった。繭の反応を予想できた住井は笑いながら彼女をなだめた。
「ま、たまにはこっちもいいだろ。で、どうする?」
「うん。食べる」
「よし、じゃあ――」
「整備長! ちょっといいですかー? それと繭ちゃんも!」
「おっと、悪いな。休みはもう少し後だ」
「みゅー」
 住井は肉まんの入った袋を、右エンジンの近くにあった工作台の上に置き、呼ばれた方へと足を向ける。いつも元気な繭は、既にパタパタと走り出している。
 その行動の差が、命には関わらなかったにせよ、ふたりの明暗を分けた。
 肉まんの袋は、住井の手によって台に乗せられてからきっかり10秒後、爆発した。

 大音響が窓のガラスを震わせる。自分にあてがわれた士官用の個室プレハブ(普通の質素な部屋だが)でくつろいでいた折原浩平少佐は、椅子を蹴るようにして立ち上がると、間髪入れずに外へ飛び出す。そのまま爆音のした方向へ駆け出すと、彼に急ぎ寄って来る女性がいた。
 長くサラサラとした髪に、中隊と同じ色の――黄色のリボン。可愛らしい顔立ちは繭に勝るとも劣らないが、彼女の場合はそれに美しさが付加されている。
 浩平の副官にして僚機、そしてTactics空軍で2番目の撃墜スコアを持つ長森瑞佳大尉だ。
「浩平! 今の聞いた!?」
「ああ、駐機場の方からだ。急ぐぞ!」
「うんっ!」
 浩平と瑞佳はこの時点で、これは空襲ではないと判断していた。だから退避壕に入ることなく、一目散に音の発生源へと向かう。
 爆発現場には、それから30秒もしないうちに着いた。

 音の大きさに反して、変化はそう大きくはなかった。しかし、木でできた工作台は爆発のエネルギーをまともに受けて跡形もなくなり、その破片と台上にあった工具やネジは凶器となって四方八方へと飛び、付近にいた不幸な人々が傷を負っていた。
「住井!」
 その不幸な人々のひとりとなってしまった住井整備班長が、左腕を押さえて顔を歪めている。作業服の左腕の部分には血が滲んでいた。浩平は彼に駆け寄る。
「痛つつつ……折原、お前は大丈夫か?」
「オレは何ともない。それよりもお前だ!」
「ああ、結構痛いけど、大丈夫だ」
 基地要員たちは消火、負傷者の救助のため動き回り、任務を果たそうと努力している。住井にもひとりの衛生兵が寄って来て、負傷した左腕の応急手当を始めた。
「一体何があったんだ? 住井」
「わからない……とにかくいきなりだった。そうだ! 機体は!?」
 怪我をしつつも、整備を任されたSu−37を案ずる住井。一方、
「みゅーっ! みゅーっ!」
「よしよし、繭。もう大丈夫だからね」
 爆発に驚いて泣きじゃくる繭を、瑞佳が胸に抱いてあやしていた。その表情は限りなく優しく、慈愛に満ちている。
「どこも痛くない? 怪我してない?」
「みゅ……うん」
 爆発の瞬間、繭は住井よりも数メートル遠くにいた。運という要素も多分にあるかもしれないが、無傷の繭と軽傷の住井という結果に分かれた。いや、彼らは爆発物の存在を知らなかったから、すべては運で決まっていたのかもしれない。
 しかし、自分では動けない機械は、運からは見放されていたようだ。

 浩平は住井を衛生兵に任せ、瑞佳は繭をなだめ終えて、ようやく被害に眼を向ける。
 人間以外に被害にあったのは、「4」の番号を持ったSu−37の右エンジンだった。爆発地点から1メートルも離れていない場所にあったエンジンは、あちこちが黒く焦げ、燃料などを供給するパイプ類はことごとく引き裂かれ、先ほどまでの繭たち整備員の努力を無に帰していた。
「長森、お前の機体だな」
「うん、そうだね……」
 ふたりとも溜息をつくように言った。
 クラナド大陸戦争は現在、Tactics連邦にとって不利な方向へと進んでいる。
 海軍は壊滅し、大陸南部に上陸したISAFはタンゴ線を越えてAir皇国を解放、さらに兵を大陸奥地へと進めている。その状況をチャンスと思ったのか、占領地域に潜伏するレジスタンスが活動を活発化させ、最近では補給も滞りがちになってしまっていた。
「これもレジスタンスなのかな?」
「そうだな。こんな爆発の仕方をするなんて、それしかないだろう」
 浩平も瑞佳も、この土地が好きだった。基地の周囲にある森や草原、湖などの美しい自然。近くのスノーシティー市は、冬には雪が多いものの良い街で、すっかり常連となった喫茶店もある。だから支配者としての振る舞いは一切しなかった。スノーシティー市民の良き隣人であろうとした。少なくとも黄色中隊の面々は。
 しかし、レジスタンスの破壊活動対象になるということは、自分たちが明らかな「敵」として認識されていることに他ならない。使い物にならなくなったエンジンは、それを雄弁に物語ると同時に、戦争という現状をはっきりと示していた。
 破壊の痕に佇むふたりは、少しだけ悲しくなった。
 だが起こってしまったことは仕方がない。それに彼らは(素行に問題があるとはいえ)立派なTactics軍人だった。
「住井君、代わりのエンジンはないの?」
「うーん、ないことはないけど……」
 瑞佳の問いに、応急手当が終わり左腕を三角巾で吊った住井が答えた。が、いつになく歯切れが悪い。
「耐用時間が過ぎて、調子の良くないのが1基ある。最近補給があまり来ないから、交換部品がないんだ。でもあれを使うのは」
「繭、お願い。急いでつけて」
 住井の言葉が終わるのを待たずに、瑞佳が言った。奥底に強い意志が込められた声だった。それに浩平が慌てたように待ったをかける。
「おい、長森。無茶言うなよ」
「だって、浩平が心配なんだもん」
「心配ったってな、ヤバイエンジンで飛ばれる方がよっぽど心配だぞ、オレは」
 浩平が厳しい口調で諌める。しかし、瑞佳は一歩も引かなかった。
「ありがとう、浩平。でも、わたしはそれでも浩平のことが心配だよ。それに……」
 続く言葉を、彼女は口に出せない。秘めた想いを内心で密かに呟くのがせいぜいだった。
(それに、わたしは浩平と一緒にいたいんだよ。浩平と一緒に飛びたいもん……)
「それに、何だ?」
「えっ? あっ! ううん、何でもないよっ!」
 慌てて首を左右に振り、落ち着きを取り戻したところではっきりと宣言した。
「とにかく、わたしは行くよ。絶対に行くもん」
「……」
 人の良い瑞佳も、こうなると徹底的な頑固者になってしまうことを、浩平はこれまでの経験則上知っていた。こいつは――このオレの幼なじみはなぜかオレのことになると頑固になるな。オレって、そんなに頼りないのか……?
「……好きにしろ」
「うんっ」
 浩平はぶっきらぼうに言うと、瑞佳はうれしそうに返事をした。それを合図に、黄色中隊4号機のエンジン交換作業が始まった。

 4号機のエンジン取りつけは、整備員に多数の負傷者を出したにもかかわらず、異例の早さで終わった。住井も手の怪我を押して陣頭指揮にあたった結果、要した時間は約1時間だった。これは黄色中隊がパイロットだけでなく、整備員の質も一流であることの証左と言えよう。
 瑞佳が愛機のコクピットから指でサインを出す。エンジンの試運転が開始されたのだ。最大推力1万4000kgのAL−35Fエンジンが2基、甲高いジェット特有の曲を奏でる。
(どうやら異常はないようだな……。少なくとも、今のところは)
 その様子を傍らで見ていた浩平がそう考えた時、コクピットに納まった瑞佳が彼の方を向き、にっこりと笑った。どうやら彼女の考えも浩平と同じらしい。それよりも彼は一瞬、瑞佳の笑顔に見とれた。
(はっ! いかんいかん。オレは一体何を考えてるんだ? 相手は長森だぞ)
 その時、伝令がやって来て浩平の煩悩を中断させる。1枚の紙切れを受け取り、文章を視線でなぞると、彼の顔色が一瞬青ざめた。
 やがて浩平はその紙を丸めて投げ捨てると、内心から溢れ出す焦燥感を隠しながら冷静に言った。
「こう伝えておけ。『我、レジスタンスの妨害を受く。整備遅延により10分遅れる見込み』だ」
 浩平の足元に捨てられた紙切れには、
「発 ストーンヘンジ
 宛 空軍第156戦術戦闘航空団
 我、空襲を受く。至急救援を請う」
 とだけ書かれていた。
 その紙は、瑞佳機のエンジン排気に吹かれて、どこかへと転がっていった。


 
同日 1000時 ストーンヘンジ


「最終防衛ライン、突破されました!」
 それは報告ではなく、悲鳴だった。ストーンヘンジの地下指揮所において上がったその声は、ストーンヘンジそのものの悲鳴とも感じられる。
 ストーンヘンジの守りは厳重だった。無数の中距離地対空ミサイルや対空機関砲で幾重にも囲まれ、さらに専門の飛行場と防空部隊まで用意されていた。しかし、この場合は「多勢に無勢」という言葉が良く当てはまるだろう。
 ストーンヘンジ攻撃作戦「ストーンクラッシャー」において、ISAFがストーンヘンジの戦闘正面に投入した航空機はおよそ200機。うち3分の1が爆撃機で、いずれも空中発射型巡航ミサイルを抱えていた。それらが一気にストーンヘンジ外殻の防空施設へと叩きつけられ、防空力が一挙に削がれたのだ。
 それから間もなく、最終防衛ラインに対地兵装を積んだ戦闘機隊(ISAFは戦闘機の全てを多目的戦闘機――マルチロールファイターで編成していた)が、ストーンヘンジを直接守る防空陣地へなだれ込み、爆弾や空対地ミサイルをぶつけて来た。
 防空戦闘機群も既に大空から姿を消していた。彼らは圧倒的多数の敵に対して勇敢に立ち向かったが、その結果は全滅という悲壮なものだった。文字通り1機残らず撃墜されたのである。「大空の玉砕」とでも表現すべきであろうか。
 ストーンヘンジの周りには、金属と火薬と電波で築かれた城壁が確かにあった。しかし、それはISAF空軍という破城鎚によって、脆くも崩されようとしていた。
「全砲門、撃ち方用意!」
 指揮所を覆う陰鬱な空気を吹き飛ばすように、砲台長の中崎准将は叫ぶ。だが、彼の心そのものが陰鬱に覆い尽くされていた。
(駄目だ……ここまで防空網が破られ、近づかれたら、成す術はない……)
 人目がなかったら天を仰いで嘆息していただろう。軍人たる者、勝利の可能性がある限り最後まで諦めてはならないことは中崎もわかっている。そもそも彼は怯懦の将ではない。しかし、ストーンヘンジとの付き合いが長い彼は、巨人の限界を理解し尽くしていた。
 まず、整備が決して完璧とは言い難い。およそ半月前に、ストーンヘンジ開発に携わった技術者たちが集団亡命してから、構造が難しい部分は手つかずの状態となっていた。最先端の技術を用いて造られたこの巨大レールガンは、ごつい外見とは裏腹に極めて繊細な代物なのだ。
 そして何よりも、ストーンヘンジの運用前提に限界があった。ストーンヘンジは、最大で直径100数十メートルの隕石――小惑星コーヤサンの核――を空中で破砕するための性能は十分に与えられていた。が、それは航空機を撃墜するためではない。それでも、戦争初期には幾多のISAF機を冥界へと送っている。確かに、ストーンヘンジの火器管制装置は優秀だった。
 が、今の状況は完全にストーンヘンジの能力外にある。砲の旋回速度が敵機に追いつかない。全長200メートル近くある長大な砲身を振り回して、音速以上で飛ぶ全長20メートルそこそこの物体を、しかも十数kmの至近距離(1200kmの長射程を持つ砲としては)で墜とすなど、不可能に近かった。
(くそっ! ストーンヘンジもこれで終わりか……そもそもこいつを手に入れるために始めた戦争だというのに!)
 ただし、「そもそも」という言葉の前には「戦術的には」という一文が入る。確かに、ストーンヘンジを早急に、しかも無傷で奪取することは戦争序盤におけるTacticsの命題だった。しかし、戦争を始めた本当の(戦略的な)理由は、国内の不満を外にそらす、という戦争原因の典型的な例のひとつなのだが。
 とにかく、中崎は怒鳴り出したい衝動に駆られたが、罵声をぐっと飲み込んで耐えた。泰然自若としているのも、指揮官たる者の義務だった。
「まぁ無理だと思うけど……やるしかないよね」
 その一方で、平然と諦めている者も指揮所には存在した。柚木詩子中尉。ストーンヘンジの操作員として、指揮所中央にあるコンソールで目標指示を行い、これまでに敵に正確な射弾を幾度となく送ってきた彼女もまたストーンヘンジの限界を良く知っていた。
「目標……ばらけちゃってわかんないな……ああもうこれでいいやっ!」
 半ば諦めているとはいえ、詩子は努力そのものを放棄した訳ではない。ペン型のマウスを素早く移動させ、次々と目標を指示する。彼女は最善を尽くす。ここにいる自分と同僚たちの命を繋ぎ止めるために。
 だが、いかに詩子が、ストーンヘンジ操作員たちが頑張っても、機械に設計以上の能力を出させることはできない。砲がいくら敵を追って旋回しようとも、速度と動きに翻弄されて、膨大な火薬と電力を消費して発射された120センチ砲弾は空しく虚空を貫き、空気と水蒸気(雲)以外の何もない空間で炸裂して大量の破片を大気中にぶちまける。もしかしたら、そこを飛ぶ鳥などの小さな生命が犠牲になっていたかもしれない。
 その間にもISAF機はストーンヘンジの最後の守りたる防空ミサイルや対空機銃座を各個撃破していく。ミサイルを今にも発射しようとしていたランチャーが逆に空対地ミサイルの直撃を受け、炎の塊に変わり兵員や機材を呑み込む。機銃座の至近で爆弾が炸裂し、弾丸が誘爆して熱せられた豆のように爆ぜ、四方八方に弾け飛ぶ。
「ISAF機、本砲上空に来ます!」
 オペレーターの恐怖に支配された声の直後、指揮所の人々は頭上で微かに何か爆発するような音と、震度1か2程度の軽い揺れを感じた。

「命中! 目標に命中した!」
 巨大な砲架に、オレンジ色に光る何かがいくつも吸い込まれると、爆発が連続して砲架を包む。するとそれまで天に向けてそそり立っていた全長170メートルの砲身が揺らぎ、日本の庭園によく見られる竹筒「添水(そうず=鹿威し)」のように、急激に下がって砲口を地面のコンクリートに突き刺した。相沢祐一中尉――コールサイン「メビウス1」の放った70ミリロケット弾が収束して命中し、ストーンヘンジの砲架が砲身を支えきれなくなったのだ。
 目標の巨大さ(直径4kmの円形)に比べて、祐一の愛機F/A−18Eスーパーホーネットは全長18.31メートル。砲身1本と比べても10分の1くらいしかない。その大きさを対比すれば「象に群がる蟻」のような光景である。
 だが、祐一のF/A−18Eは蟻などではない。強いて言うなれば蜂だろうか。しかも、鋭い猛毒の針を持ったスズメバチ――まさに「ホーネット」という機名に相応しい存在だった。
 そのスズメバチは合計114本の毒針――19連装70ミリロケット弾ポッド6基で、ストーンヘンジという名の巨象を仕留めんとし、その1匹を狩り討ち果たしたところなのだ。

 ストーンヘンジ攻撃に先だつ先月14日、「ノアの箱船」作戦でストーンヘンジを生み出した技術者たちを救い出した成果のひとつが、祐一の70ミリロケット弾である。そもそもストーンヘンジには、戦争が始まる前から軽い装甲――25ミリ機関砲を弾き返す程度の装甲が張られていた。確率は極めて低いだろうが、コーヤサンの隕石が至近に落下してきた場合、その破片から砲を守るためである。
 だからと言って、際限なく分厚い装甲が張れる訳ではなかった。あまりに厚く重い装甲だと、砲の旋回速度が低下してしまう。それに、そもそも隕石が大きければどんな装甲も無意味である。だから防御力はほどほどにされた。隕石が地表に激突して、抉られた地面が石つぶてとなった時への対応策として。
 が、これはあくまでも新造時のストーンヘンジのことで、クラナド戦争が勃発してTacticsに鹵獲された後はどうなったかはわからなかった。もしかしたら何か改造されているかも知れない、ストーンヘンジがオリジナルのままでいるという保証はどこにもない。
 ISAF情報部はあらゆる犠牲を払ったが、ストーンヘンジの真実を掴むことはできなかった。直接秘密を調べることができないのならば知っている人間から聞き出せば良い、とばかりにISAFは次の手を考え出した。特殊部隊による敵地への浸透とストーンヘンジ開発者の身柄確保という荒っぽい方法が生まれ、実行され、そして(空軍の協力もあり)成功した。
 技術者から得られた情報は、ストーンヘンジへの具体的な攻撃方法を決める決定的な要因となった。砲の台座である直径4kmのコンクリートパネル、その中央に強力なジャミング装置があり、たとえECCM戦(対電子妨害戦)で効力を減じたとしても、ストーンヘンジへのミサイル攻撃は不可能。さらに砲架には増加装甲がつけられ、25ミリどころか40ミリ砲に耐えられるほど防御力は強化されていた。
 誘導兵器は使用できない。主翼に30ミリ機関砲ポッドをぶら下げれば撃ち破れるはずだった装甲は増えている。となると、もっと破壊力のあり、なおかつ無誘導で叩き込める兵器が必要だった。その回答が、対地攻撃では極めてメジャーな70ミリロケット弾で、直接ストーンヘンジを攻撃する機体に装備され、祐一は今、それを見事に使いこなしている。
『祐一君っ、グッドジョブ! やったね!』
「まだだ……ふたつめ、射ぇっ!」
 再びHUDにストーンヘンジの巨体を捉え、それが視界からはみ出すほどに接近した時、ロケット弾の発射ボタンを押す。小気味良い反動と共に、ポッドからロケット弾が幾発も飛び出し、一瞬後には目標に到達した。
 今度の弾着は砲架の片方の脚に集中した。爆発が収まると、ストーンヘンジの巨体がぐらりと傾く。ロケットを受けた脚が折れ、砲身の重みが圧力となり、台風で根ごと掘り起こされた街路樹のように倒れた。土台のコンクリートが砕けてもうもうと砂煙が上がり、ストーンヘンジをしばし覆い隠す。それが風に流されると、現れたのは砲身が砲架から転げ落ち、砲架は旋回部分が抉られて内部のメカニズムが剥き出しになったストーンヘンジの無残な姿だった。
「よし! 2つ目撃破!」
『メビウス1、凄いな。俺も負けてらんないぜ』
 歓喜を吐き出す祐一に、斎藤が感嘆を禁じ得ない口調で話しかけた。そんな斎藤もストーンヘンジの1基に照準を合わせたところだった。巨人の豪腕はスズメバチの群れの毒針に刺されて、次々と壊死していき、やがて、7基の砲全てが死に絶えた。

 高度を上げて、祐一は先ほどまで自分たちが行った暴力行為の成果を見届ける。
(こうして近づくと、あっけないもんだな)
 射程の長い対空ミサイルも、短い対空機関砲もあらかた潰されると、目標に接近するのは簡単だった。1000kmも先に120センチ砲弾を届かせるのは恐るべき性能だけど、こういう大きいものは接近を許すとやっぱ脆いんだな……。祐一は今回のミッションをそのように総括した。日本の戦国史に興味を持つ者ならば、難攻不落と謳われたものの、策略によって外堀と内堀を埋められ、その後はあっさりと陥落した日本の大坂城――大坂夏の陣を連想するかもしれない。
 かつて恐怖の代名詞のように言われていた巨大レールガンは、7門全てが一寸たりとも動けなくなっていた。ある砲は天を――ISAF機の侵入した方向を向いたまま破壊され、このまま貴様たちに屈してたまるかと叫んでいるようだった。またある砲は砲架がへし折られ、巨大な砲身が放り出されて地面に転がっている。そこから流れ出す黒い潤滑油は、まるでストーンヘンジが流す無念の涙のようにも感じられる。小規模な火災が起きて火刑のようにじわじわと焼かれている砲もあった。空に向かって伸びる黒煙は、ストーンヘンジの魂をあの世に導く道なのかもしれない。
 ただ、全てに共通することは、もはやこれらの砲が永久に巨弾を吐くことはない、ということだった。ISAFは「ストーンクラッシャー」作戦の目的を完全に達成した。
『ヒャッホーッ!』
『万歳! 万歳!』
『見てるか……やったぞ……ついに……っ』
 喜びを爆発させる者がいれば、ストーンヘンジの前に散った戦友に語りかけ、感極まって絶句する者もいた。例外なく言えることは、彼らの眼下に広がる破壊の痕を喜ばない者はいない、つまりはそういうことだった。もちろん、祐一もそこに含まれている。
『おい、メビウス1! 俺たちはとうとう成し遂げたぞ! ストーンヘンジの最期だ!』
「ああ、巨人の最期だ……」
 すっかり興奮した斎藤に、祐一は静かに、しかし声の奥底に喜びを滲み出させながら答えた。彼らはこれまでストーンヘンジに2度、悩まされた。1度目はフェイスパーク地方の渓谷で、2度目はスコフィールド高原のジャングルで。その時、彼らには幸運の女神の守護があったが、それを受けられなかった戦友たちは大空を墓場とした。
『やったね祐一君! 斎藤さん! それにみんなっ!』
 その中でも、あゆの喜びは一層大きいだろう。戦争初期、彼女はストーンヘンジ破壊の任を帯びた特別編成の航空隊、第1特務飛行隊を管制したが、飛行隊は壊滅してストーンヘンジには一太刀も浴びせられなかった。その時のパイロットたちの断末魔は、彼女の脳裏から消えることはなく、悲しさと悔しさはあゆの中にくすぶり続けた。しかし今日、それがようやく消えるのだ。彼らが成し遂げようとしてできなかった、ストーンヘンジの完全破壊をもって。
 が、勝利の余韻に浸るのはまだ早過ぎた。途端に冷静になったあゆが、喜びの声を潜めて歓喜に湧くパイロットたちに言った。
『ちょっと待って! 所属不明機が来るよ。……5つの機影がマッハ2で接近中……黄色中隊だ!』
 勝鬨が瞬時に止む。まさに冷や水を浴びせられたという感じだ。沈黙したまま少しの時間が流れ、あゆの声で再び事態は動き出す。
『うぐぅ……対戦闘機戦闘、こなせる人いるかな?』
 ISAF航空隊は落ち着きをすっかり失って、一斉に騒がしい反応を示した。いわゆるパニック状態に近いものだった。
『遅かったな。ストーンヘンジは全てぶっ潰したぜ!』
『くそっ、なんで今ごろになって!』
『せっかく作戦を成功させたのに、俺は死にたくないぞ!』
 反応は嘲笑が3割、残りの7割が怨嗟だった。しかし祐一はそのどちらにも属さず、ただ詳しい情報を求めようとする。
「あゆ、俺たちは逃げられそうか?」
『……多分ダメだと思う。向こうは怒ったようにスピード出してるから』
「じゃあ、一戦交えなけりゃ俺たちはいつものように叩き墜とされるってことか?」
『でも、空中戦をできる人なんてそんなにいないよ……』
 ストーンヘンジを攻撃するISAF戦闘機は、爆弾やロケット弾など対地兵装だけを装備していた訳ではない。敵空軍の妨害が確実にあると予想したので、空対空ミサイルで武装した制空隊や護衛隊が幌馬車を守る騎兵隊よろしく攻撃隊をエスコートしていたが、ストーンヘンジ防衛部隊と近くの基地から救援に駆けつけた(レジスタンスの破壊工作を免れた)戦闘機隊との戦いで撃墜されたり損傷したり、さらにはAAMを消費したりと、今ではまともに空戦ができる機体は出撃前と比べて著しく減じているのだ。
「それでも、ここで戦わなきゃ送り狼に食い殺されるだけか……せめて時間稼ぎでもできればな」
 祐一はわざとあゆに聞こえるように呟いた。彼の愛機の翼端および翼下のパイロンには、合計4発のAIM−9Sサイドワインダーがそっくり残っていた。ストーンヘンジ攻撃を割り当てられていた祐一だが、自衛用に積んで来たミサイルはここまで使う機会がなかったのだった。
 祐一の声音から、彼が敵戦闘機と戦える余力を残していると確信したあゆは単刀直入に言った。
『祐一君っ、行ける?』
「……ああ。この辺で悪夢の原因をどうにかしたいと思ってたところだ」
 祐一ははっきりと返答した。祐一のトラウマとなっていた黄色中隊。ISAFのトラウマとなっていたストーンヘンジを完全破壊した今、俺もここでひとつの区切りをつけたい。黄色をまだ怖いと思いつつも、それを振り払いたいゆえの一言は、あゆのみならずISAFパイロットたちに一筋の光を与えた。
『じゃあ、スカイエンジェルよりISAF全機へ。ボクたちのエースは向こうより速いよっ! 交戦を許可するねっ!』
『メビウス1、頼むぞ!』
『気をつけろ、奴らは単独でも強いが、編隊戦闘だとさらに強い!』
『俺も行く。メビウス1だけに手柄はやれないからな』
 味方の激励や助太刀表明の中、祐一の最も頼りとする男が淡々として言った。
『アクトレスよりメビウス1へ。俺もミサイルが残ってる。援護してやるよ』
「斎藤、頼む」
『任せとけって。あの黄色中隊と正面から堂々とやりあえるなんて、武者震いがしてくるぜ』
 空戦を行う余力を残している10機のISAF戦闘機は見計らったように回れ右をすると、先ほど葬ったストーンヘンジと同じく、これまで自分たちを散々に苦しめ、悩ませてきた黄色中隊に正対すべくエンジンの出力を高めた。

「浩平! ストーンヘンジが……」
「間にあわなかったか……」
 眼下では、かつてクラナド大陸と住人を救った功労者が、救われた立場の人々――大陸の人間による破壊を受けて特大の墓標となっている様子がはっきりと確認できた。
 レジスタンスの破壊工作を受けた黄色中隊は、5分ばかり遅かったのだ。
『ごめんね、浩平』
「? 何がだ?」
『遅れちゃったことだよ。わたしのせいだよね……』
「……別に長森の責任じゃない。あれは事故……いや、敵の攻撃だったんだから、気にするな」
『でもでもっ、わたしがわがまま言わなければ』
「余計なことを考えるなよ、敵が来るぞ。それよりもエンジンの調子はどうなんだ?」
『う、うん。調子は良いよ』
「よし、じゃあ無理するなよ。ストーンヘンジの仇を討つぞ」
『ありがとう、浩平』
 瑞佳の声に、僅かだが感謝以外の感情――強いて言えば、恋する女性の想いのような何かが混じっていると感じたのは、浩平の考え過ぎだろうか? しかし、ストーンヘンジの残骸が視界の隅に入ると慌てて考えを変えた。今日のオレはどうかしているなと思いながら。
(そうだ。レジスタンスの邪魔さえなければ……畜生。オレたちが守るべきものだったのに)
 そう思いつつレーダーを見ると、ISAFは逃げようとしない。これまでは黄色中隊の名前を聞いただけで慌てふためき、戦意を喪失して我先に逃げていたISAF(これは浩平の誤解で、大抵の場合、ISAFは命令によって逃げていた。ただしそれは自由離脱の命令なので、実質的には潰走である)が、今度は正面からオレたちに挑もうとしている。
 ああ、あのリボン付きがいるという話だったな。あいつか……ストーンヘンジを壊したのも。だからISAFは強気なのか。なるほど。確かに初めて空で出逢った時、いや、コモナの時よりもずいぶんと強くなってるみたいだな。でもな……。
「調子に乗るなよ、ISAF! リボン付きっ! 全機散開!」
 内心の怒りと、それに相反する喜びと、全く相容れないふたつの感情をレーダーに映る敵へとぶつける。交戦距離を割ったら感情だけでなくミサイルと機関砲弾もぶつける下準備のようなものだった。
 しかし、敵編隊の動きを注意深く観察していると、ふとあることに気がついた。
(……? 違う。こいつらは、今までとは違う)
 リボン付きが鋭い動きをしているのは一目瞭然だ。だが、それ以外の敵もリボン付きには劣るが、それなりに良い動きを見せる。敵は明らかにベテランが揃っていた。その中でも特に、リボン付きの斜め後方に位置する敵機はリボン付きと神経が繋がっているかのごとく、ぴったりと張りついてパックアップに徹するつもりらしい。恐らく、腕はリボン付きに匹敵するのではないかと思われた。
「黄色の13より全機、用心してかかれよ。敵はこれまでの奴らとは違う!」
 各機から「了解」と返答があって間もなく、5機の黄色中隊と10機のISAF空軍機は入り乱れての空中戦へと突入した。浩平の狙いはただひとつ、最も危険度が高い敵――リボン付き=メビウス1だが、先ほどの浩平の予想――敵がベテラン揃い――は、ここで証明された。他の敵機に阻まれ、メビウス1を補足できない。
 浩平に立ち塞がる敵機は3機。こうなったのは乱戦の末の偶然だったが、これが「普通」の敵だったら苦もなく撃墜して早々にメビウス1と雌雄を決していただろう。が、ある程度苦労して1機を撃墜した時点でレーダーを確認すると、そこでは彼が密かに恐れていた事態が起きていた。離れ離れになった僚機に危機が迫っている。浩平は叫んでいた。

『そっちへ行ったぞ、長森! 例のリボン付きだ!』
「うん、わかったよ」
 浩平の多少逼迫したような警告にも、瑞佳は極めて冷静に、浩平の悪ふざけに対応する時のように答えた。
 その直後、上方から鋭い捻り込みで突っかかって来る敵機を視認した瑞佳は、負けず劣らぬ鋭い動きで回避し、敵が自機をかすめるように通過する。一瞬だけ、今やTactics空軍にとって疫病神となっているエンブレム――メビウスの輪が見えた。
「はぁっ……危なかったよ」
 と言いつつも、表情は特に危機感を持っていない。ただ、額に冷や汗が浮かんでいるのが、彼女の本音を代弁していた。下に去ったリボン付きを追撃するため彼女も急降下に入ると、敵機もそれに気づいて急上昇し、メビウス1と黄色の4はほぼ同高度で巴戦を繰り広げる。
「浩平の言った通りだよ。あの時撃墜しておけば良かったかも――っ!」
 後方からのミサイルを、Su−37特有の高機動とフレアを組み合わせて避けながら、瑞佳は本気でそう思った。急旋回に伴うGに圧迫され、それに耐えるべく彼女は歯を食い縛って、独り言も途切れ途切れになってしまう。その代わりに、
(これじゃ、確かにわたしたちの分が悪くなっちゃう訳だよ……でも、わたしは負けるつもりはないもん)
 と、内心で闘志を新たにする瑞佳だった。それが通じたのだろうか、今度は瑞佳がメビウス1の背後についた。HUDの中央に映るF/A−18Eに、躊躇することなく搭載する短距離空対空ミサイル、AA−11アーチャーを放つ。長森瑞佳は優しい女性だったが、同時に強くもある。自分に、そして何よりも浩平に仇なすものに容赦をしないこの闘志は、戦いの空に生き、撃墜王にまでなったパイロットだということの証拠だろう。
 アーチャーは高機動ミサイルとして、西側諸国でメジャーとなっているAIM−9シリーズよりも優れた性能を持つAAMである。が、目の前にいる強敵は、それすら回避した。さしもの瑞佳も舌を巻かざるを得なかった。これにより、空中戦はさらに続く。
 右へ左へ、上へ下へと飛び回り、空中で鬼ごっこをするSu−37スーパーフランカーとF/A−18Eスーパーホーネット。互いの命がかかった死の鬼ごっこは、さらに逆転してメビウス1が黄色の4をミサイルの照準に捉える。間髪を入れずに撃ち出されるAIM−9Sサイドワインダー。
 これの回避は、瑞佳も良く心得ている。エンジンスロットルを前に倒し、アフターバーナーを全開にして、なおかつ機体の姿勢を劇的に変化させようとした。しかし、この瞬間が彼女の不幸の始まりとなった。
 何かを引っ掻き回すような金属の異音と、妙な振動を起こす機体。
「あっ、あれっ? あれっ?」
 慌てたような声を出す瑞佳。ようやく彼女は年相応の女性らしい反応をした。が、今の自分の顔つきを自覚していない(できない)本人にとってはそれどころではなかった。エンジンが変調をきたしたのだ。出撃直前に交換した――耐用期限の過ぎた右エンジンだった。
 この時のエンジンの状況を要約すると、以下のようになる。
 まず空気を圧縮するためのタービンブレードの数枚が金属疲労によって根元から引き千切られ、タービン全体の重量バランスが崩れる。それと同時に、千切れたブレードが他の無事なブレードを巻き込むような状態となり、タービンは一気に破損し、破片がエンジン内を暴れ回った。そうなると燃焼室へ送られるべき空気が不足し、燃焼不良を起こし、さらに破片が燃料系統や電装系統を痛め、エンジンは停止した。
 その後の結果は、必然中の必然だった。推力を失っても、赤外線の放出はすぐには収まらない。そこに祐一の放ったサイドワインダーが突っ込んで来たのだ。フレアの放出も、このアクシデントによりほんの少しだけ遅れ、ミサイルを食らいつかせることはできなかった。推力が半分になり、瞬発力を失ったSu−37に、ミサイルの敏感な赤外線の眼から逃れる術はない。狙い違わず命中したAIM−9Sにより、黄色の4の愛機は「飛ぶ」から「落ちる」だけしかできなくなった。
 美しい女性を乗せた美しい機体は、美しい炎と、美しい黒髪のような黒煙をなびかせながら、ストーンヘンジが支配していた大空から消え去った。愛する者への想いを抱いたまま……。

『撃墜したぞ! メビウス1が黄色を墜とした!』
『なんだって!? あの黄色を殺ったのか? 本当か?』
『グッド・キル! グッド・キル! メビウス1がついにやってくれた!』
『さすがはメビウス1だぜ! 俺たちの勝ちだ!』
 ストーンヘンジ破壊に続き、ISAFを再び歓喜と興奮が押し包んだ。今度のそれは先ほどよりもずっと大きく、深い。これまで無敵を誇り、彼らの前ではただか弱い獲物に過ぎなかったISAFが、初めて黄色中隊の1機を撃墜したのだ。しかも「黄色の13」の次に恐れられた「黄色の4」を。
(いや、違う。違うんだ)
 しかし、祐一のみは喜びの渦の中に、自分を浸からせることができない。彼はミサイルが命中することを願いつつも、それが実現するとは思っていなかった。またいつぞやのように、まるで妖精が躍っているような、思わず見惚れるほどの空中機動を見せるものだと判断していた。だが、それが命中した。
(あれは、敵機が何らかのトラブルを起こしたんだ。俺が撃墜した訳じゃないぞ……)
 それに、祐一はミサイルが命中する直前、敵機がにわかにブレて見え、爆発の閃光で包まれる瞬間、エンジンが自ら炎を吐いているのを見ていた。敵に何が起きたか、彼ははっきりと認識していた。実力で勝ったとは毛頭から考えていない。
(それに、まだあの「黄色の13」がいる。あいつを倒さない限りは)
 俺は、悪夢を払拭することはできない。でも、俺にできるんだろうか? 祐一の内心に、憂鬱な気持ちが広がっていった。
『メビウス1、やったな!』
『おめでとう、あんたが黄色を撃墜した第1号だな』
「ああ……」
 だから、祐一は勝利に沸き立つ戦友たちに、気の抜けたような生返事をすることしかできなかった。

「誰か、黄色の4の脱出を確認したのはいるか?」
『……』
「黄色の4の脱出を確認した者は?」
『……確認していません』
 2度目の質問で、ようやく部下からの答えが返ってきた。
「そうか……」
 浩平はそれだけを言うと無線のスイッチを切り、外部からの音声を全て遮断した。コクピット内にはジェットエンジンの音がかすかに響くだけである。
 出撃前より1機減じた編隊は既に味方の制空権内に入っている。自動操縦をオンにした彼はただぼうっと前を見つめていた。
 信じられないと思う。しかし、瑞佳は浩平がレーダーで確認する前で撃墜された。長年自分と一緒にいた人の死を認めたくないから、信じられないと思ったのかもしれない。
 浩平は目を閉じる。すると、脳裏に浮かんでくるのは瑞佳の笑顔、そして彼女との思い出だった。妹を失って泣きじゃくる自分を慰めてくれた瑞佳。高校時代、毎朝自分を起こしに来てくれた瑞佳。浩平が彼女を困らせると、呆れたような顔をしつつも、結局最後は笑って許してくれた瑞佳。そして、浩平はひとつの事実に到達した。それは、失ってから初めて気づいた事実だった。
(そうか……。オレは長森のことが、瑞佳のことが好きだったんだ)
 だが、遅過ぎた。もはや彼女は――オレの愛する人は、この空から消えてしまった。どんなに好きでも、どんなに望んでも、もう……。
 内心で激情が渦を巻いて吹き荒れ、浩平の瞳から熱い液体が生まれ、絶え間なく流れてフライトスーツに落ち、弾けた。それにつられて喉の奥からもくぐもった声が生まれる。
「あいつがやられたことを知ったら、住井や椎名はどんな顔するかな……ははは……瑞佳……瑞佳っ……」
 むせび泣きながら、散った戦友、いや想い人の名を何度も呼ぶ。そうすれば、彼女が帰ってくるとでも思っているかのように。
 浩平の慟哭は、いつ果てるともなく続き、大空に吸い込まれていった。

 鉄と炎の暴風が吹き荒れ、それが止んでからしばらく後に、地下の指揮所にいた人々は、破壊を免れたエレベーターを使って地上へと這い上がった。嵐を避けて地下に潜っていたTactics軍人たちの表情は、皆一様に暗い。だが落ちこんでいる暇は与えられていなかった。これで頭上から、想像を絶する巨弾を浴びせられることのなくなったISAF陸軍が大挙して押し寄せて来るという予想は誰にも簡単に立てられたからだった。
 このまま、かつてストーンヘンジだったものに留まるのか、それとも味方の勢力圏へ逃避行をするのか――その答えは、彼らが太陽の光を浴びてから間もなく出た。兵員輸送用のトラックが数台、ガソリンが満タンな状態で残されていたのだ。これを使って逃げようという判断が下されるのは、ごく自然な成り行きだろう。
 荒野を吹く風が、柚木詩子の頬を撫でる。しかし、その風には硝煙と油の燃える匂いが僅かに染みつき、詩子の鼻腔に不快感を与えた。風の吹く方向に振り向くと、つい今まで彼女が自由自在に操作し、砲弾を放っていた巨大な大砲が見えた。至る所が焦げ、油圧系統のオイルは今だに燃えていて、もはや動く気配は全く感じられない。ストーンヘンジは完膚無きまでに打ちのめされ、結局詩子の努力は報われなかった。
 彼女たちは怪我ひとつせず生き残っているが、それは自分たちの奮闘よりもISAFの事情と兵器の性能が理由と言えた。ISAFは最初から脆弱な砲本体を破壊すれば自軍への脅威は消えると考え、地下奥深くにある指揮所には目もくれなかった。もし仮に指揮所の破壊を目論んでいたとしても、地表から150メートルも下にあり、幾重もの装甲やベトンに包まれた指揮所を潰すには、地表貫通核爆弾でも使用しない限りは不可能である。
 同僚たちが次々とトラックへ乗り込む中、詩子だけはただ、じっと立ち尽くしてストーンヘンジの残骸を見つめていた。
(これで終わっちゃったな……あたしの戦争は)
 今後自分がどうなるのか、詩子自身の想像では、あまり見通しの明るいものではない。敗けの込んだ軍隊が良く行うこととして、真実の隠蔽とそれを知る人への緘口令や軟禁などが上げられる。いきなり口封じのため消されることはないだろうが、最前線に飛ばされることもあり得る。
 彼女は祖国がそのような酷い仕打ちをしないと信じたかったが、何分にもストーンヘンジはあまりにも重要な存在として、Tactics国民にも認識されていた。だからその不安は完全には払拭できないでいた。
 今後どうなるにせよ、詩子にとってプラスになるものはどこにもないだろう。そう考えると、今肌に感じる風すらも愛しくなってくる。そして、彼女の網膜に映っている、息絶えた巨大レールガンの姿さえも……。
「さよなら、ストーンヘンジ」
 詩子はこれまで世話になった巨人に、あらゆる感慨を込めた別れを告げると、踵を返して逃亡用のトラックに飛び乗った。

 ISAFのストーンヘンジ接収先遣隊が、UH−60ブラックホーク輸送ヘリコプターでストーンヘンジにやって来たのは、Tacticsのストーンヘンジ要員がトラックで脱出してから30分後のことだった。しかし、ストーンヘンジは完全破壊されたことが既に確認されているので、彼らはそれの確保を急ぐ必要はなく、同時に味方パイロットの救助任務も帯びていた。それに、あと小1時間もすれば本隊の空中機動旅団が到着する手筈になっている。
「佐祐理……見て」
「はい?」
 編隊の先頭機に搭乗していた川澄舞中尉が、上官の倉田佐祐理大尉に耳打ちする。彼女たちはバンカーショット作戦後、しばらく地上部隊の一員として陸地を進んでいたのだが、今回は例外的に空中機動歩兵となっていた。戦争前から厳しい訓練を重ね、レンジャー徽章をつけることを認められたからだろう。舞と佐祐理はそう考えていたし、それは正しかった。
「……飛行機が落ちてる」
 舞が指をさした先に、戦闘機が原型を留めて墜落していた。とある可能性を信じ、佐祐理は操縦席に座っている主操縦士に、背中越しに声をかけた。
「機長さん。3時の方向に戦闘機ですよ」
「えっ? あ、確認しました。でも、あれは……友軍機ではないようですが」
 ヘリの操縦士は、歯切れの悪い返答をした。彼が命じられていたのは「味方の」パイロットの救出であり、脳裏には同じ立場の敵を救うという思考は存在していないようだった。
「関係ない……」
「そうですよーっ。戦う力をなくしたら、敵も味方もありません。名誉ある捕虜ですよっ」
「……そうですね。わかりました」
 ふたりに軽く説得された操縦士は、全くその通りだと思い直して機体の高度を下げ始める。おそらく敵の戦闘機であろう機体も徐々に大きく見えるようになり、その詳細が確認できた瞬間、風防ガラスを通してそれを見ていた、舞と佐祐理を含む乗員たちは、それぞれ驚嘆の溜息を漏らした。
「あれは……」
「はえ〜……」
「マジかよ……」
「本当にやったとは聞いてたけど、信じられないな……」
 その間にも、UH−60は、残骸となってもなお美しい機体の魅力にとり憑かれたかのように、まるで引き寄せられるかのごとく、ゆっくりと降下していった。


 「Mission11 防御陣地M」につづく

管理人のコメント


> 肉まんの袋は、住井の手によって台に乗せられてからきっかり10秒後、爆発した。

 誰が爆弾を仕掛けたのか、一見真琴に見えますが、絶対違うでしょう。彼女が肉まんを爆破するはずがありませんからね(笑)。

>「ああ、巨人の最期だ……」

 まさに感無量、というところでしょうか。

>「……ああ。この辺で悪夢の原因をどうにかしたいと思ってたところだ」

 先の台詞といい、今回の祐一君は渋く決めてくれます。

>(……? 違う。こいつらは、今までとは違う)

 長い激戦を通じ、ISAFのパイロットたちも一騎当千の精鋭に育っていたようです。

>「誰か、黄色の4の脱出を確認したのはいるか?」
>『……』
>「黄色の4の脱出を確認した者は?」
>『……確認していません』


 原作でも屈指の「泣ける」シーンとして知られるこの場面、浩平が演じるだけにより深みが増しているような気がします。


>(そうか……。オレは長森のことが、瑞佳のことが好きだったんだ)

 それが、この一言でさらにドラマ性を増しているといってもいいでしょう。

>舞が指をさした先に、戦闘機が原型を留めて墜落していた。

 瑞佳は生還できたのでしょうか。そして、彼女が再び浩平と巡り合える日はくるのでしょうか。


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