2005年 3月14日 0257時 サンサルバシオン市近郊
闇の中を2機の怪鳥が飛んでいた。やや前進角のついた主翼の先端に推進力を生み出すためだけのものとしては異様に巨大なプロペラを備え、機体全体を黒く塗っている。その中では、機体に負けず全身を黒い衣装で覆い尽くした兵士たちが、作戦の開始を待っていた。
「間もなく作戦開始だ。総員時計合わせ用意」
指揮官が命じると、先任下士官らしいベテランの兵士が秒読みを開始した。兵士たちが軍用時計を操作し、時間を0000時に合わせる。
「10秒前。…5…4…3…2…1…てっ!」
先任下士官の合図とともに、機内に竜頭を操作するカチッと言う音が響き渡った。これで、作戦参加要員全員の時計が同じ時間に合ったことになる。
「よろしい。間もなく降下だ。この一戦を持って、大陸にその名をとどろかせた我ら<リュウヤ・フォース>復活の狼煙とする。征くぞ、諸君」
おお、と言う静かな、しかし力強い声が機内に響き渡る。その声を聞きつつ、この作戦の指揮官に任じられたAir陸防隊の遠野中佐は作戦の成功を確信していた。
カノンコンバットONE シャッタードエアー
外伝 翼の還る処
Mission8.95 ノアの箱舟作戦
13日 2138時
時間はやや遡る。サンサルバシオン市は大陸のほぼ中央部にあって、戦前はTactics連邦とAir皇国の国境線に近い交通の要衝だった。その名が世界に知られるようになったのは、1999年7月の危機を救った隕石迎撃砲<ストーンヘンジ>建設の際、この街がその前線基地として使われたことによる。元々はコミューター機用だった小さな飛行場は大幅に拡張されて物資の搬入に使われ、その横にはストーンヘンジ建設に従事する技術者・労働者たちの宿舎となる巨大マンション群が建設された。最盛期には街の人口に匹敵する人間がここに起居していたのである。
その、今は使われていないマンション群の一角に、彼らは住んでいた。いや、住まわされていた。
「ここに寝起きするんは2度目やけど、相変わらず殺風景なところやで。心に潤いがなくなるわ」
そうぼやくのは、2ヶ月ほど前にTactics軍の手で拉致同然にして連れて来られた神尾晴子だった。2度目、と言うのは今から6年以上も前の事だが、彼女がストーンヘンジ建設に関わってこの街に暮らしていた頃の話である。それでもまだあの頃は彼女以外にも数万人の労働者たちがこのあたりに居住していて活気があったが、今は彼女を含めても100人ほどしか住んでいないのだから、逆にその侘しさがひきたつのである。しかも、この部屋は最低限の家具しかなく、電話はもちろん、テレビやラジオといった外部の情報を知るための道具は何も無い。Tacticsの検閲を受けた新聞が差し入れられるだけだ。
「ああ。食い物に困らないのは良いんだが…」
答えたのは居候の国崎往人。数年前、神尾母娘の家にふらっとやってきた謎の青年だ。旅芸人らしいが、普通なら若い男を女世帯に住まわせるなど言語道断だろう。しかし、晴子には彼が悪人にはどうしても見えなかったため、そのまま住まわせていた。留守がちな自分の代わりに、娘を彼が守ってくれるのでは、と思った事もある。
「失礼なやっちゃな。ウチがぜんぜん食わしてへんみたいやないか」
晴子がじろりと往人を睨んだ。止せばいいのに、往人も軽口で応じる。
「晴子に食わしてもらった覚えは無いな。飯を作ってくれたのは観鈴だからな」
一瞬険悪な空気が流れかけた時、二人の間に割って入った人物がいた。晴子の娘、観鈴である。
「わ、わ、往人さんもお母さんも、二人ともケンカしちゃダメ」
本気で慌てている観鈴に、晴子と往人は顔を見合わせると、思わず苦笑した。
「安心し。本気でケンカなんかせえへんからな」
「おう、俺たちは仲良しだぞ」
その言葉に、観鈴も安心したらしく、「にはは、良かった」と笑顔に戻った。そして、ここに着てから毎日のように使われ、磨り減ってきたトランプを取り出す。
「ね、お母さん、往人さん、トランプしよ」
「ええよ。何が良い?七ならべか、神経衰弱か?」
「ババ抜きも捨てがたいぞ」
正直言ってトランプなどいいかげん飽きていたが、それでも晴子と往人は観鈴に付き合って笑顔でトランプを手にとった。いつ、自分たちが解放されるのかはわからない。それでも、いつか来るその日のために、二人は観鈴を守るために力をつくす事を誓っていた。
その後、3人は観鈴が疲れて寝てしまうまでトランプを続けた。時計の針は、14日の夜の2時をさしていた。
「やれやれ…ようやく寝たか」
安らかな寝息を立てる観鈴の顔を見下ろしながら、往人が言う。晴子は立ち上がって伸びをすると、部屋の隅に投げ散らかされた服の中から自分のパジャマを取り上げた。
「疲れたなぁ…ウチはシャワー浴びてくるわ。覗いたら殺すで、居候」
「覗くかっ!」
晴子のからかうような台詞に往人が応じる。その後、二人がそれぞれにシャワーを浴び、寝る準備を整えたのは、時計の針が3時に指しかかろうという時刻だった。
「ほな、おやすみや」
「ああ」
寝る前の挨拶を交わす晴子と往人。爆音が聞こえてきたのは、その瞬間だった。
0302時 団地上空
指揮官の遠野中佐はどちらかと言えば田舎の駅員でもしているのが似合いそうな朴訥そうな外見の男だが、軍歴の大半を特殊作戦に関して積み上げてきた人物である。若い頃はAir防衛隊の特殊部隊<リュウヤ・フォース>の実戦隊員として活躍した。現在の妻と結婚したために実戦部隊に所属する資格を失ったが、その後も作戦立案の面で関与しつづけていた。
そんな彼が再び実戦部隊を率いることになったのは、<リュウヤ・フォース>が直面している問題…深刻な人材不足のためである。戦争初期、侵攻するTactics軍の足止めに活躍した<リュウヤ・フォース>であったが、大きな戦果の反面、払った犠牲もまた大きかったのだ。特に指揮官クラスの不足は深刻だった。
そこで、今は一線を退いているかつての指揮官級のメンバーが再招集されたのである。遠野中佐もその一人だった。
(お国のためとはいえ…家族に心配をかけたくはないのだが)
遠野中佐は思った。かつて、彼は仕事に熱中し過ぎて、家庭を崩壊させかけたことがあった。いや、実を言うと現在も彼の家族は崩壊の瀬戸際にある。彼の二人の娘は戦争の中で行方不明になったままなのだ。妻は心労のあまり精神のバランスを崩し、病院に入院している。本来ならこのような作戦に参加したくは無かった。
(まぁ、この一戦だけだ。これが終われば、あいつの傍にもいてやれるし、娘たちを探す余裕も出てくるだろう)
そう思いながら、彼は向かいの席で緊張した面持ちの女性の兵士に目をやった。高校を出たばかりくらいか…あるいはもっと若いか?下の娘とどっちが年下だろう。
「君、名前は?」
「は、わ、私ですか?」
女性兵士が顔を上げる。
「うむ」
遠野中佐が頷くと、彼女は緊張した声で自分の名前を申告した。
「は、はい。しのさいか一等兵です」
「しのさいか君か。字はどう書くのだ?」
「は、はい。志の野と書いて、名前は彩りが香るで志野彩香です」
手のひらに字を書いて確認し、遠野は頷いた。
「良い字だ。なに、普段どおりにやれば何の問題もない。落ち着いて行きたまえ」
「は、はい。がんばります」
彩香は恐縮したように頷く。恐らく、部隊に配属されたばかりの新人だろう。いくら人手不足と言っても、こうした特殊作戦に素人同然の人間が配属されるとは…と遠野は一瞬顔をしかめかけた。そして、すぐにその考えを打ち消す。いやいや、往年の力はなくとも<リュウヤ・フォース>の名は伊達ではない。彼女もよほど優秀な人物なのだろう。
『間もなく降下予定地点!総員降下用意』
その時、機内アナウンスが流れた。兵士たちの間に一瞬で戦意が漲る。
「降下援護班、配置に就け!」
遠野は命じた。機体側面のスライド・ドア近くに待機していた兵士が弾かれたように飛び上がり、自分の身体をハーネスで機体に結びつけると、MINIMI支援機銃を構え、スライド・ドアを開ける。エンジンの轟音と巨大なティルト・ローターの巻き起こす風が機内に進入してきた。
そのティルト・ローターは通常飛行のための前方を向いた状態から、ホバリング・垂直飛行用の90度立てた状態に移行しつつあった。機体の速度が落ち、空中で制止する。一番危険な状態だ。
「周囲の敵を掃討せよ」
遠野は命じた。降下援護班の兵士が手近な敵兵めがけてMINIMIの弾丸を送り込み始める。突如出現した<オスプレイ>に驚きながらも、迎撃を開始しようとしていた敵兵たちがもんどりうってなぎ倒される。さらに、機体自体に備えられていたロケットランチャーも炎の舌を伸ばした。団地の公園に設けられていた対空機銃座が直撃を食らって消し飛ぶ。
機体のあちこちから苛烈な火力を吐き出して周囲を制圧しつつ、<オスプレイ>は目標の団地の屋上で制止した。本当なら車輪を出して降着したいが、急造された建物に機体の重量を支える力は無いと判断されたため、ホバリング状態からロープでの懸垂降下、と言う突入方法が取られる。機体後部のカーゴ・ランプが開放され、数本のロープが垂らされた。
「よし、降下開始!急げ!!」
遠野が命じると、ゴリラのようにいかつい先任曹長が鬼の形相で怒鳴った。
「ようし、野郎ども!もたもたするな!!動け動け!!」
先陣を切る兵士がロープをつかみ、一気に滑り降りる。屋上に足がつくと、すぐに警戒態勢を取って周囲を窺い、安全を確認してハンドサインを出した。それを見て後続の兵士たちが一斉に降下を開始する。遠野は彩香の様子を見た。思ったより手際よく降下し、安全地帯を確保する。それを見て遠野は自分も降下した。
「よし、屋内へ突入しろ。チームアルファは人質のいる階を制圧しろ。ベータは階段の確保に全力をあげろ。予定通りに事を成すように。行け!」
遠野の指示を受け、各隊員が一斉に行動を開始した。屋上の出入り口のドアをすばやく破壊し、内部へ侵入する。階段を確保するために駆け下りた隊員たちは、途中で走り寄ってくるTactics軍の兵士たちと遭遇したが、たちまちのうちにサブマシンガンの連射を浴びせて制圧した。その間に、他の隊員たちは一斉に人質が囚われていると思われる部屋のチェックを開始した。何しろ、救出対象は百人を越える。ぐずぐずはしていられない。
「こちらはISAFの救出部隊です!ストーンヘンジ開発者の皆さん、貴方達を解放しに来ました」
若手の将校が片端から扉を開け、声をかけて回る。その間にも、建物の他の階層では戦闘が続いていた。が、全般的に状況は予想通りに進んでいる。遠野が満足げに辺りを見回したとき、彼は見知った顔を目にした。
「神尾さん!ご無事でしたか」
晴子だった。バラクラバを被った謎の男に親しげに呼びかけられ、一瞬戸惑ったような表情を浮かべた彼女だったが、すぐに男の声に聞き覚えがあることに気付いた。
「遠野さんとこのご主人かいな…そう言えば軍人さんやったね」
「ええ、まあ」
遠野は頷いた。彼が指揮官に任命された理由の一つがこれ…晴子と同郷である事だった。人質と知り合いであれば、意思の疎通がスムーズにいくと考えられたのである。
「これから空港に皆さんを案内します。そこに救出用の飛行機が降りますので」
遠野が言うと、晴子は頷いて部屋の中に声をかけた。
「観鈴、居候!ほんまに救出隊や!ウチら、ここから出られるで!!」
その声に安心したように、観鈴と往人が部屋の中から出てくる。その光景に、遠野はおやと思った。指揮官に任命された際、最優先で保護すべき人物として写真を渡された青年だった。晴子たちと一緒にいるとは思っても見なかったが…
(何者なんだろうな?)
若さからいって技術者の一員ではないようだし、首を傾げた遠野だったが、すぐにそれどころではないことを思い出した。まだ作戦は継続中だ。
「チームベータ、状況を報告せよ」
遠野が無線に呼びかけると、階段と脱出路の確保に当たっていたチームベータのリーダーから報告があった。
『こちらベータ1。コースはクリアーです』
遠野は頷くと空港制圧に向かった2号機に通信を繋いだ。
「アルファ1よりチャーリー、デルタへ。状況を知らせよ」
『…こちらチャーリー1。空港の管制施設はクリア』
『デルタ1。防衛部隊の敵機は全て撃破』
数秒待って、報告が入ってきた。空港の制圧は完了したようだ。このまま予定通りに進めば、三十分後には彼らを迎えに来る輸送機が到着する。あとは、それに乗ってISAFの勢力圏へ脱出するだけだ。もちろん、最終目的地のウラハ空軍基地に到着するまで彼らの任務は終わらないが、大きな山場は越えたと見て良いはずだ。遠野は手近の兵士たちに命令を下し始めた。
「よし、各員、救出した人々を護衛して空港へ向かえ。救援機到着の五分前までに集結を完了せよ。急げ!」
遠野の命を受け、兵士たちが科学者とその家族たちを守って団地を出て行く。
「神尾さん、我々も行きましょう。志野君、私と一緒に来い」
「わかったで」
「は、はい!」
神尾母娘と往人を守って、遠野と彩香は移動を開始した。団地を出て、公園を兼ねた緑地帯を抜けると、そこはもう空港の敷地である。歩いても10分とかからない距離だが、討ちもらした守備兵の存在を考慮して慎重に進み、20分ほどかけて救出部隊と科学者たちの一行は空港の施設内に到着した。
14日 0340時
「中佐、アーク01、02は間もなく到着します」
空港施設の制圧を担当したチーム・チャーリーのリーダーを務める大尉が報告した。遠野が頷いたとき、微かに羽音のうなるような音が聞こえてきた。その音は次第に大きくなり、やがてエンジンの力強い歌声へ変化した。
救出機、アーク01、02の到着だった。今回の戦争でISAF、Tactics両軍の間で使用されているロッキードC-130<ハーキュリーズ>だ。世界的なベストセラーとなっている戦術輸送機で、物資輸送から特殊作戦までその用途は幅広い。
Air防衛隊では欧州製のトランザールC-160を主力輸送機としていたが、戦争で大半が失われ、載せられる人数も少ないことからC-130の出番となったのだ。機体のライトを消したまま、最終アプローチに入るC-130。これで助かった、と誰もが安堵の息をついた瞬間、全て暗転した。
突然、滑走路脇の緑地の一角から、眩い光を引いて火の矢が打ち上げられた。それは、既に着陸態勢に入っていたC-130一番機の右翼に突き刺さり、爆発と共に内側のエンジン部分から叩き折った。
バランスを崩した一番機はたちまち地面に叩きつけられ、粉々に砕け散って炎上した。続いて、慌てて回避体制に入った二番機にもミサイルが打ち込まれる。二番機は胴体部分が破裂するようにして分解し、緑地帯に突っ込んで爆発した。
「くそっ、守備隊の生き残りか!制圧せよ!」
遠野が無線に叫ぶ。警戒中の<オスプレイ>が直ちにミサイルの発射地点に急行し、ひとしきり地上に向かって火力を叩きつけた。生き残ったTactics守備隊員たちはこれで全滅したが、その影響は余りにも巨大だった。彼らは的確に救出部隊の急所を突いたのである。
「くそ、今からでは代替機を飛ばしても間に合わん…!」
二箇所で炎上する救出機を見ながら、遠野は唇を噛んだ。どんなに急いでも代わりの輸送機を用意してここに派遣するには今日の昼過ぎまでかかるだろう。しかし、近隣のTactics軍が押し寄せてくるのは夜明けぐらいになるはずだ。いや、様々な陽動作戦や欺瞞措置が上手く行っていれば…それでも昼にはやってくるだろう。<オスプレイ>の弾薬も残り少なく、戦闘の最中に脱出機を離着陸させるのは危険すぎる。
かといって、<オスプレイ>では自分たち軍人が全員ここに残って、科学者たちを詰め込んだとしても、半分も乗せられない。まさに万事窮す、だ。
それでも何か打開策はないか、と遠野が考えていた時、彩香が走り寄って来た。
「中佐!飛行機があります!!」
その言葉を遠野が理解するまで、しばらく時間がかかった。
「何…飛行機だって?どこだ!?」
「格納庫の中です。たぶん全員乗れるはずです」
その言葉に、遠野は格納庫へ走った。巨大なシャッターの脇に付けられた通用口を潜って中に入った彼は、そこにあったものを見て思わず言葉を失った。エアバスA320−100旅客機。垂直尾翼には白い翼のマークが描かれている。そのマークに遠野は見覚えがあった。祖国の航空会社、Air航空のものだ。
「なんでこんな物がここにあるんだ?」
遠野は言った。この飛行場はストーンヘンジの完成後はほとんど使用されておらず、まして戦争がはじまってからは民間機が飛ぶこともなかった。大型の旅客機がいるはずがないのだ。
混乱する遠野に、二つの人影が近づいてきた。
「これは、戦争がはじまった時に抑留されていた機体です…私たちはそのクルー。えっへん」
背の高い方の人影が言った。旅客機にも驚いた遠野だったが、それにはもっと驚愕させられた。その声と口調に聞き覚えがありすぎたからだった。
「み…美凪!それにみちるまで!!お前たちこんな所にいたのか!?」
遠野の叫びに、人影が揺らぐ。その時、雲間から月が覗き、格納庫の窓を通して彼女たちを照らし出した。それは、まさしく遠野の二人の娘、美凪とみちるだった。
「にょわっ、お父さんだ!」
「…お久しぶり…これは再開おめでとうで賞。ぱちぱちぱち…」
素直に驚くみちると、少しテンポのずれた反応を示す美凪。遠野は苦笑すると、バラクラバを脱ぎ、二人の娘を抱きしめた。
「二人とも…無事でよかった」
1年半ぶりに再開する娘たちの温もりを確かめつつ、遠野は言った。美凪が事情を説明する。この機体…Air航空701便は開戦当時この近くを飛行中で、突然現れた黄色い翼の戦闘機にここへの強制着陸を命じられたのである。
その後、敵国民間人の収容施設に改装されたあの団地で暮らし、今日になってようやく外に出ることが出来た、と言うわけであった。
「そうだったのか。…苦労したな」
遠野は娘を抱く腕に力をこめながら、旅客機を見上げた。これが飛べるなら、事態は一気に解決の方向へ向かう。遠野は父親から特殊部隊指揮官としての意識にスイッチを切り替え、二人に尋ねた。
「美凪、みちる、状況は知っての通りだ。こいつを飛ばせるか?」
問題は、1年半も放置されていた旅客機が飛べるかどうか、だった。精密機械は日々のメンテナンスが重要だ。手入れを怠ればすぐに性能は低下し、最悪の場合は故障する。
「見たところ大丈夫…ここの整備の人たちは、この子も時々いじってたから…一応点検してみるけど」
美凪は答えた。抑留の身ではあったが、1年半も暮らしていればこの基地の人間ともそれなりの信頼関係はできる。彼女は外出を許され、時々愛機の様子を見に来ていたが、整備の人間が暇なのか、それとも機械への愛情ゆえか、701便の整備をしているところを何回か見ている。
「そうか…わかった。私の部下からも人を出す。出来るだけ早く調べてくれ」
「かしこまりました」
「にょわっ!みちるも手伝うぞー!」
父の言葉に美凪が頷き、みちるも続く。その後、特殊部隊の中で機械工作に詳しい者もいれて数名で点検した結果、朝には機体は十分飛行に耐える事がわかった。それから急いで燃料を入れ、滑走路上のC-130の残骸を撤去し、ようやく飛行準備が整った頃には、時計の針は昼近くになろうとしていた。
14日 1304時
「急いで乗ってください!列を乱さないで!!」
隊員たちが科学者とその家族の乗り込みを支援する。その作業はなかなか進まない。タラップ車などという気の利いたものはなかったので、ロープや縄梯子を使っての乗り込みになってしまったのだ。中には幼児やかなり高齢の科学者もいて、そういう人は隊員たちが背負って登らなければならなかった。
『クロウ01よりアルファ・リーダー。敵増援接近中。一個大隊規模。戦闘車両も確認できる』
上空警戒中の<オスプレイ>から報告があったのは、全員の乗り込みがようやく完了したときだった。
「クロウ01、02。阻止せよ。特にAAは確実につぶせ」
遠野は簡潔に命じた。無茶な命令だった。2機とも弾薬は不足し、燃料も危ない。恐らく、2機とも無事ではすまないだろう。
『了解。幸運を』
「そちらもな」
しかし、<オスプレイ>のパイロットは何も言わずに躊躇もせず命令に従った。遠野は短く答えて通信を打ち切った。幸運を。お互い、もはや必要なのはそれだけだった。
「美凪、頼む」
「はい」
父の言葉に頷き、美凪はスロットルを操作した。機体がゆっくりと前進を開始し、滑走路へ進んでいく。遠野は<オスプレイ>の姿を探した。彼らの飛んでいった方向には既に幾筋もの黒煙が立ち上り、視界は悪化している。2機とも姿は見えなかった。まだ戦っているのか、それとも撃墜されたのか。それはわからなかったが、確実にわかっていることが一つあった。
遠野があの2機と、そしてその勇敢なクルーたちと再会することは、もうないだろう。
(済まん…君たちの犠牲は無駄にはしない)
機体が加速し、やがてゆっくりと地面を離れた。遠ざかっていく地上の光景に、客室内で期せずして歓声が湧いた。遠野は前方の空を見た。故郷の空へ通じる、青く澄んだ空を。しかし、敵増援の連絡を受け、既に追撃機の準備が始まっているだろう。空はどこまでも青く、そして敵意に満ちていた。
彼らの脱出行最後の試練は、これから始まる。
(つづく)
原作者U−2Kのコメント
今回はこれまでとはうって変わって、実に緊張感溢れる場面から物語が始まっています。
カンナ市の奪回とは別の意味ですが、この特殊作戦も、Air皇国の命運がかかった1戦と言えるでしょう。
そして、「大陸の巨人」ストーンヘンジの運命も……。
>この作戦の指揮官に任じられたAir陸防隊の遠野中佐は作戦の成功を確信していた。
美凪・みちる姉妹の父親ですね。彼も軍人だったのですか。
しかし、サマータウンって小さいながらも凄い町ですね。女性撃墜王の川口茂美中尉、Air大学の神尾晴子博士、そして遠野中佐など、有能な人材の輩出は綺羅星のごとく……。
>「ああ。食い物に困らないのは良いんだが…」
何というか、長いこと放浪の旅をしてきた往人が言うと、凄く切実かつ説得力があるのですが……(汗)。
多分、神尾家で厄介になる前までは、様々な苛酷な体験をしているのでしょうねぇ。
>「は、はい。しのさいか一等兵です」
彼女まで軍人だったのですか。
となると、彼女は幼児期の難病を克服したと言うことなのでしょうか。
>突然、滑走路脇の緑地の一角から、眩い光を引いて火の矢が打ち上げられた。それは、既に着陸態勢に入っていたC-130一番機の右翼に突き刺さり、爆発と共に内側のエンジン部分から叩き折った。
Tactics軍とてISAFや技術者をただで帰すつもりはない訳ですね。彼らも必死でしょうし、また意地もあることでしょう。
しかし、これでISAFの脱出ほぼ不可能に。絶体絶命です。が、
>「にょわっ、お父さんだ!」
>「…お久しぶり…これは再開おめでとうで賞。ぱちぱちぱち…」
何とも美凪らしい対応です。ですが、長い間離れ離れになっていた親子の再会が果たされ、また脱出手段を失ったISAFにも、希望の光が見えてきました。
>しかし、敵増援の連絡を受け、既に追撃機の準備が始まっているだろう。空はどこまでも青く、そして敵意に満ちていた。
>彼らの脱出行最後の試練は、これから始まる。
これまで特殊部隊は、自分たちの力で道を切り開いてきましたが、何も手出しできない機内に押し込められた今では、701便を操る美凪に彼らの命運が託されました。
この後も一波乱あるのですが、これはまた別に語られていますので……。
これでストーンヘンジの秘密を知ったISAFは、満を持してそれの攻略に出ることになります。
しかし、今回は登場しなかったAir空防隊の方がどうなったのかがとても気になりますね。
特に、茂美が佐久間に何を頼まれたのか……。戦争が大きな転換点を迎えようとする中、ようやく祖国を取り戻した彼女たちの戦いもまだ終わる気配を見せません。
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