2005年 6月16日 クラナド大陸北部 アイスクリーク地方

 クラナド大陸の最北端に位置するアイスクリーク地方。巨大な半島で構成されるこの地域は、その気候と地形のために大陸で最も開発の進んでいない地域である。シェズナ山を筆頭とする峻険な山脈と無数のフィヨルドからなる複雑な地形は人の居住に適さず、また、ベーリング海を通過してくる北極からの風と海流は一年を通じて雪の解けない寒さをもたらす。
 しかし、半島が北からの寒さを遮ることにより、南側のエドワーズ湾南岸地域は比較的温暖(と言っても気候的には亜寒帯だが)であり、Kanon国の中心地域となってきた。
 大陸南部への上陸…バンカーショット作戦を成功させ、ストーンヘンジをも撃破したISAFは、いよいよ大陸北岸への上陸作戦<オーロラ>を発動した。その前哨として、エドワーズ湾内に浮かぶいくつかの島々に上陸作戦が行われ、飛行場の整備が始められる。ここを足がかりとした最終目標は、Kanon国首都、ポートエドワーズの奪還だ。
 南部の攻勢に対処するため戦力を取られたTactics北部総軍には、これを阻止する戦力は無いはずだった。しかし、半年前にコモナ諸島から打ち上げられた偵察衛星の画像をチェックした結果、そして、ISAFとその同盟軍が実施した諜報活動により、オーロラ作戦に重大な危機が迫っていることが判明した。
 その危機は、北…アイスクリークの方向から現れた。

カノンコンバットONE シャッタードエアー


外伝 翼の還る処


Mission11.5 極北の魔弾



6月18日 0225時

 短い昼が過ぎ去り、太陽が駆け足で地平線の向こうへ沈んでいくと、辺りはたちまち夜の闇に包まれた。やがて、僅かな月明かりに照らされたフィヨルドの上を、数十機の航空機が轟音を発して駆け抜けていく。
 その中に、周囲の航空機とは明らかに一線を画するデザインを持った戦闘機が2機混じっていた。
 ロッキード・マーチン/ボーイングF-22A<ラプター>。実戦テストと営業を兼ねてアメリカがISAFに供与した4機の最新鋭戦闘機のうちの2機である。
 茂美はそのコクピットに座っていた。それまで半年間乗っていたF-2も素晴らしい性能の機体だったが、このF-22はそれ以上だ。次元が違う、と言っても良いかも知れない。
(まさか、私がこんなすごい機体に乗せてもらえるなんて…最初は冗談かと思っていたけど)
 茂美はそう思いながら、初めてこのF-22の話を聞かされた時のことを思い出していた。


4月13日 カンナ市 Air大学医学部付属病院

「そんな…本当ですか?」
 茂美は信じがたい気持ちで目の前の上官…佐久間中佐の話を聞いた。
「冗談ならもっとうまい話を考えるさ。こいつは掛け値なしに本当の事だ」
 佐久間は頷いた。彼が茂美を呼び止めて話した事…それが、ISAFにF-22が供与されると言う話だったのである。
「俺は実戦部隊の指揮官として、F-22のパイロットを推薦してくれと言われていた。まず、メビウス1とアクトレス。こいつは問題ない。アメさんもあの二人を乗せるのは供与の絶対条件だと言っていたくらいだしな…問題は後の2機だ」
 そこで佐久間はベッド脇のテーブルに置かれていた水を飲み、喉を湿らせた。
「実を言うと、そのうちの1機のパイロットは、空軍司令部の指示で俺に内定していたんだ。が、俺はこのザマだ。F-22どころかセスナだって飛ばせやしない。そこで、だ…俺の代わりにシャーマン、お前が乗れ」
 一瞬、茂美は何を言われたのか理解できなかった。それから、大声で「ええっ!?」と叫んだ。その途端、廊下から看護士の「静かに!」と言う叱責が飛ぶ。茂美は慌てて謝ると、佐久間に向き直った。
「本気ですか?私なんかより米屋大尉や岡崎少尉の方が…」
 茂美はそう言ってF-22パイロットになることを固辞しようとしたが、佐久間は首を横に振った。
「ストアは他にやってもらうことがある。バッドガイは性格はともかく腕は問題ないとしても、1機余るだろう。やっぱりお前に乗ってもらうしかない。Air空防隊から誰も選ばれないとなると、政治的にもまずくなるしな」
 佐久間はそう言うと、茂美を驚かせる行動に出た。まだ不自由な身体で上体を起こし、頭を下げたのである。
「頼む、シャーマン。はいと言ってくれ。お前が自分の事をどう思ってるかは知らないが、間違いなくISAFでは5本の指に入るパイロットなんだ。任せられる奴は他にいない。頼む」
 茂美は慌てて佐久間に駆け寄り、元の姿勢に戻した。
「…わかりました。そこまで仰るなら是非もありません。お引き受けします」
 茂美は答えた。佐久間にそこまでして頼まれたのでは、もう断るわけには行かなかった。

 こうして、茂美は佐久間の推挙によってF-22のパイロットに選ばれた。アメリカ側も、茂美がISAFでナンバーワンの女性パイロットと知り、全く文句は言わなかった。
I SAFはF-22を受領したパイロットたちに、愛機に公式のニックネームをつける権利を与えた。考えた末、茂美が愛機につけた名前は「プリンセス・オブ・ブルースカイ」。蒼空の皇女、と言う意味だが、茂美としては全く違う解釈でこの名前を付けていた。実家の主祭神にしてAir皇国の守護神、神奈備命にあやかった命名である。その名前はキャノピーの下にゴシック体で刻まれ、神奈備命の祭器、響無鈴(こなれ)を図案化したパーソナルマークがそれを飾っている。
 この命名及び受領式の日は、茂美にとって少し恥ずかしい思い出の残る日である。実家が神社であり、一応神職の資格も持っている彼女に、是非お祓いをして欲しいと他の3人が申し出てきたのだ。
「わ、私が?」
 戸惑う茂美に、メビウス1こと相沢祐一中尉がまじめくさった表情で頷いた。
「ああ。頼まれてくれないか?実際に乗って戦う人間が儀式をやれば、霊験もあらかただと思うしな」
 すると、バッドガイこと岡崎朋哉少尉もにやにやと笑いながら言う。
「いやぁ、川口中尉の巫女さん姿。こりゃ萌えるだろうな。神様よりずっとご利益がありそうだ」
 これを聞いた茂美は岡崎の尻を思い切り蹴飛ばしたが、アクトレスこと斉藤中尉にも丁寧に頼まれ、仕方なく了承した。


5月1日 ウラハ基地

 その日、空は儀式を執り行うにふさわしい雲ひとつ無い晴天だった。世界でも最新鋭の戦闘機と、それを操るにふさわしい実力をもつ最高のパイロットたちをぜひ映像に収めようと、ISAF各国のみならず、世界中からマスコミが集まっていた。もっとも、軍機の絡みもあり、パイロットたちの顔や名前は公表しないようにISAF総司令部から各社へ通達が出されていたが。
 晴天の下、F-22の受領式は始まった。一列に並べられたF-22の前には赤い絨毯が敷かれ、演壇が設けられていた。そこへISAF最高司令官、古河秋生大将に空軍司令官、ロッキード・マーチン社の重役といった来賓が次々に登壇しては祝辞を読み上げる。
 続いて、命名式が行われた。相沢祐一中尉機…「スピリット・オブ・スノーシティー」。斉藤中尉機…「ムーンパレス」、川口茂美中尉機…「プリンセス・オブ・ブルースカイ」…パイロットたちがそれぞれの思いを込めて付けた猛禽たちの名前が読み上げられ、ISAFのコンピュータに登録されていく。
 そして、勝利と幸運を祈願する大祓いの儀式が始まった。それまでフライトスーツに身を包んでいた茂美は、実家から取り寄せた巫女装束に身を包み、手には御幣を持って祭壇の前に立った。パイロットが自ら儀式を行うと言う珍しい光景に、一斉にシャッターが切られる。
(恥ずかしいなぁ…)
 茂美は思いつつも、手にした御幣を軽く振るって気合を入れると、関係者の見守る前で朗々と祝詞を読み上げた。
「高天原に神留ります神奈備の命以て、クラナドの天に禊ぎ払い給う祓戸の大神たち、諸々禍つ事罪穢れを祓い給え、清め給えと申す由の事を、天津神、国津神、八百万の神々と共に、天の班駒の耳振り立てて聞し召せと、畏み畏みも申す」
 4機の猛禽の前で、御幣を振り、不運がその翼を避けて通る事を念じて聖なる言葉をつむいでいく。その様子に、出席していたロッキード・マーチン社の関係者が思わず大声で「エキゾチック!」などと叫んで白い目で見られる一幕もあったが、儀式はつつがなく終了した。


6月18日 0238時

 茂美の回想を打ち破ったのは、後方に控えるスカイエンジェルの切迫した叫びだった。
『うぐぅっ!地面近くに高速移動物体!巡航ミサイルが発射されちゃったよっ!』
 編隊全体がどよめいた。彼らの目的は、その巡航ミサイルを発射以前に基地ごと叩き潰すことだった。ここ数日の情報収集の結果、アイスクリーク地方にTacticsの巡航ミサイル部隊が展開していたことが判明したのである。ISAF総司令部は北部が手薄だった理由はこれだったかと判断したが、実際には違っていた。Tactics軍には本当に戦力の余裕がなかったのである。数少ない投入可能な兵力がこれだったのだ。
 しかし、事情はどうあれこの巡航ミサイルが脅威であることに変わりはない。ISAFは直ちに空爆を決定したが、タッチの差で発射阻止にはいたらなかった。
『ストアよりスカイエンジェルへ。目標の総数は?』
 負傷し、第一線を退いた佐久間に代わって前線部隊の指揮をとる米屋少佐(昇進)が冷静な声で尋ねた。
『少し待ってね…ターゲット数は5。…うぐぅっ!第2波の発射を確認!総数8、2群に分かれて南下中だよっ!!』
『了解。ターゲット数は13だな。制空隊より一個小隊をミサイルの阻止に回す。そうだな…』
 米屋が阻止役を割り振ろうとした時、さらに驚愕すべき報告が入った。
『う、うぐうっ!ターゲット全群、音速突破!マッハ1.1…1.2…1.25まで加速!!』
 その報告に茂美は絶句した。巡航ミサイルと言えばアメリカの<トマホーク>が有名だが、これはせいぜいマッハ0.8までしかでない。音速突破する巡航ミサイルなど聞いたこともなかった。
『くそ、奴らの新型か!これでは追い切れないぞ!』
 さすがの米屋も焦った口調で言った。もちろん、現代のたいていの戦闘機はマッハ2を越す速度が出せる。しかし、その速度を維持できるのはほんの短時間であり、巡航速度は<トマホーク>などとも差はない。超音速で飛び去る物体に追いつくのは至難の業だ。
「隊長、私が行きます!F-22なら追いつけます!」
 茂美は叫んだ。その声に、米屋が喜色を滲ませた声で答える。
『そうか!よし、シャーマン、バッドガイ、頼む!』
「了解!行こう、バッドガイ!」
『おう、任せとけ』
 茂美と岡崎のF-22が翼を翻し、流氷と氷山の浮かぶ海面すれすれに降りると、エンジン出力をミリタリーマキシマムに入れた。機体が一瞬震え、音速を一気に突破する。しかし、燃料を一気に消費するアフターバーナーは作動しない。
 F-22の持つ先進的な能力の一つが、この超音速巡航能力である。従来の戦闘機ならアフターバーナーを焚かなければ出来ない超音速飛行を、F-22は通常出力の中で継続して行えるのだ。
 レーダーに映る13発の巡航ミサイルの影がじりじりと近づいてくる。茂美は岡崎に呼びかけた。
「最初に一番遠い第1波を叩くわよ。その後で、二群に分かれている後続のミサイルを手分けして片付ける。良い?」
『異議なし』
 岡崎が答えた。茂美はウェポン・セレクターを中距離ミサイルに合わせ、第1波にロックオンした。
「フォックス・ワン!」
 機体の腹部に設けられたウェポン・ベイ…隠蔽式の兵装ステーションからミサイルが飛び出していく。その命中を待たず、茂美は左手の第2波第2群に向かって機体を加速させた。岡崎も右手の第2波第1群に向かって行く。
『第一波、全基撃墜!』
 茂美がサイドワインダーの射程に第二波のミサイルを捉えた時、この日初めてのスカイエンジェルの嬉しそうな声が響き渡った。AWACSの誘導を受けた中距離ミサイルが見事に第一波を全弾叩き落していた。
「了解!続けて行くわ…フォックス・ツー!」
 茂美はトリガーを引き絞った。<サイドワインダー>が次々に発射される。F-22に付いてきた最新バージョンのものだ。戦闘機に比べると小さく、速く、そして排気の熱量も小さいミサイルを的確に捉え、次々に粉砕していく。たちまちのうちに三発の巡航ミサイルが氷海の上に散った。
 しかし、最後の一発は違っていた。不規則な動きでミサイルの追撃をかわし、氷山の間を縫うようにして飛んでいく。回避プログラムが他のものとは段違いだった。
「…違う。これだけ何か違う!」
 茂美は戦慄に似た何かを感じて背筋が寒くなった。そのミサイル…最後の一発は、それだけ弾頭の形が違っており、弾体そのものも他のものよりやや大きいような気がした。
(…まさか…)
 核、と言う言葉が頭をよぎった。Tacticsは既に原子力艦船を保有しており、核兵器の開発能力も持っていることは周知の事実だった。
(下手に撃ち落せば爆発するかも…どうすればいいの…!!)
 茂美は考えた。しかし、答えは一つしかない。もし、これが上陸した味方の上に落ちれば…そして、それが核なら…数万人の単位で犠牲が出る。
(今なら…私一人で済むよね)
 茂美は覚悟を決め、武器をバルカン砲に代えた。これで主翼かエンジンか、とにかく弾頭部以外のところを攻撃して撃ち落し、全力で逃げる。それしかない。
「いっけぇーっ!!」
 照準を定め、茂美はトリガーを引いた。光の礫がミサイルに向かって行き、その主翼を叩き斬った。揚力を失い、バランスを崩したミサイルが氷海に墜ちていく。茂美は機体を百八十度方向転換させ、アフターバーナーを噴かして全速で逃げた。
 次の瞬間、眩い閃光が夜空を照らし出した。一瞬遅れて、凄まじい衝撃波が「プリンセス・オブ・ブルースカイ」の機体を揺さぶった。
「きゃあああぁぁぁぁっ!?」
 まるで洗濯機の中に放り込まれたように視界が回転する。それでも、彼女はその衝撃を何とか抜け出して、機体を安定させていた。後ろを振り返ると、赤黒く光る不吉な茸型の雲が、真っ白な海と暗い夜空を貫いて立ち昇っていくのが見えた。そのおぞましさに、茂美は吐き気を覚えた。
『ザザ…ターゲッ…ザ…は全部…とされたよっ…』
 スカイエンジェルの声にも雑音が混じる。電波障害が起きているようだ。水平飛行に移った茂美の機体に、岡崎の機体が近づいてくる。
『大丈夫か?シャーマン』
 一応は上官である彼女にも全く遠慮しない彼の不遜な物言いが、今は頼もしかった。
「え、ええ…大丈夫。他の味方のみんなは?」
 茂美が息を整えて尋ねると、岡崎は明るい声で答えた。
『安心しろ。空爆は成功した。敵のミサイル部隊は全滅さ。任務無事完了だな』
「そう、良かった…」
 茂美はようやく安堵の気持ちを滲ませて言った。もう、あんな光景は見たくない。頭上を仰ぐと、まるで勝利を祝福するかのように夜空にオーロラがたなびいていた。極光の下、二機のF-22は南へ向かって飛び去って行った。

 この夜、核兵器が使用されたと言う公式の報告はISAF、Tactics共に残していない。真実は闇の中に封印されたのだ。しかし、その夜の記憶を、茂美は生涯忘れることはなかった。

(つづく)


原作者U−2Kのコメント

 多大な困難と貴重な犠牲を伴いながらも、ストーンヘンジ問題とAir皇国の国体の問題は解決しました。
 が、まだ茂美が佐久間から何を言われたのか、そっちが解決していません。
 さて、彼女たち翼の還る場所を取り戻し、平穏を求めるための戦いも大詰めを迎えようとしています。

>(まさか、私がこんなすごい機体に乗せてもらえるなんて…最初は冗談かと思っていたけど)
 でしょうねぇ(笑)。自分を普通の女の子と思っている彼女にとっては。
 実績から見ればある意味当然の措置ではあるのですが、こういう謙虚で遠慮がちなところもまた萌えポイントであるわけで(爆)。

>考えた末、茂美が愛機につけた名前は「プリンセス・オブ・ブルースカイ」。
 彼女は純粋に信仰する神奈備命をイメージしてつけたのは間違いないでしょうが、人によっては茂美自身をこの「プリンセス」と解釈するような(私もそのひとりです:爆)。
 実際、彼女はそう思われるだけの容姿と戦果が、いわば資格があると思います。

>それまでフライトスーツに身を包んでいた茂美は、実家から取り寄せた巫女装束に身を包み、手には御幣を持って祭壇の前に立った。
 つ、ついに、ついに……っ!(感涙)
 ついにきました! 茂美の巫女さん姿っ!(爆) もはや言うことは何もありません、はい(猛爆)。

>その様子に、出席していたロッキード・マーチン社の関係者が思わず大声で「エキゾチック!」などと叫んで白い目で見られる一幕もあったが、儀式はつつがなく終了した。
 叫ぶ気持ちは良くわかります(笑)。
 科学技術の結晶たる戦闘機と、古来からの伝統儀式が組み合わさり、見事に融合したのですから。
 で、この4機は今後、神奈備命の御加護を受けたのか、大活躍することになります。本当にご利益のある神様です。

>後ろを振り返ると、赤黒く光る不吉な茸型の雲が、真っ白な海と暗い夜空を貫いて立ち昇っていくのが見えた。
 す、凄まじい破壊力ですな。
 これが核にしろ、燃料気化爆弾にせよ、上陸したばかりのISAFの頭の上で炸裂すれば北部方面軍は麻痺状態になりますね。そうなると当然、後に控えたスノーシティー解放作戦「ファイアフライ」にも悪影響が出てきたでしょう。
 茂美たちは今後の戦局を左右するほどの、実に良い仕事をした訳です。
 
 ISAFは第2の上陸作戦を成功させ、Tacticsの完全打倒に向けた動きは一気に加速されました。
 この後はスノーシティー解放、ウイスキー回廊機甲戦とISAFの快進撃は続き、戦争は結末を迎えますが、茂美たちのAirの人々は、幸せを取り戻せるのでしょうか……。


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