このお話は、すっかりかわいらしくなった一人の女の子と、すっかり骨抜きにされてしまった彼女の友人知人たちの織り成す物語……ですが、今回はシリアスに行きます。 


To Heart Outside Story

12人目の彼女


第四十七話「凍りついた時の中で」


 
 隆山温泉郷行きの夜行列車は、走り出してほんの数キロも行かないうちに、本来止まるはずのない駅で停車した。訝る乗客たち。そこへ、車内アナウンスが流れ事情を説明し始めた。
『お客様に申し上げます。当列車の目的地、隆山温泉郷駅付近で何らかのトラブルがあり、現在駅と連絡のつかない状況です。本列車は事情がわかるまで、ここで待機します。繰り返します――』
 それを聞いて、同じ寝台スペースにいた四人の少女たちも、集まって相談を始めた。
「何があったんやろな?」
 真っ先に切り出したのは智子だ。彼女たち後発組は、この電車で移動し、明日の早朝に隆山に到着して、そのままひろのたちと合流する予定だったのだが……
「アースクエイクでも起きたのカナ?」
 首を傾げるレミィ。
「それやったら、地震やってはっきり言うやろ。テレビでもあったら、何かわかるかも知れへんなぁ」
 智子が答えると、琴音がバッグから携帯電話を引っ張り出した。東鳩高校では携帯を学校に持っていくのは禁止だが、プライベートで持つことは特に禁止されていないので、琴音も持っている一人だった。
「これ、ワンセグ見れますよ。つけて見ましょうか」
「ん、お願いするわ」
 琴音は携帯を窓際に置き、ワンセグのボタンを押す。しばらく受信中の画面が表示された後、画面に緊迫した表情の男性――レポーターらしい――が表示された。
『ご覧のように、隆山市を中心として発生した光のドームのようなものは、現在直径十キロメートルに達し、内部との連絡は全く取れない状況です。石川県知事は自衛隊に災害出動を要請し――』
 レポーターの言葉に、四人の少女たちは身を乗り出して小さな携帯の液晶画面に注目した。レポーターの背後に、うすぼんやりと光るドーム状のものがそびえたっている。
「なに、これ……?」
 葵が目を丸くする。画面の大きさもあってスケールが掴みにくいが、ドームの下端には山の影が見える。それから見るに、ドームの頂点は二千メートル以上ありそうだ。
『現在、自衛隊や警察によって、ドームから五キロ以内の立ち入りは禁止され、一部の部隊によってドームへの接近が試みられているとの情報がありますが、詳しいことはまだわかっておりません。なお、政府は午後八時より記者会見を開き……』
 それを聞いて、智子が自分の携帯電話を取り出して、通話を試みたが……
「あかん、長瀬さんも、神岸さんも、長岡さんも繋がらん。みんな、あの中っちゅう事か……」
 智子が携帯をしまいこむのを見て、葵が琴音に聞いた。
「琴音ちゃん、せんぱいたちの所へテレポートで行けない?」
 琴音は首を横に振った。
「今、試そうと思ったんだけど……先輩の居場所を感じ取れないの。あのドームが電波だけでなく、わたしの超能力まで遮断しちゃうみたい」
 場に沈痛な空気が落ちかけたが、それを払ったのはレミィだった。
「ダイジョウブ。ひろのたちなら、多少危ないことがあってモ、何とかできるヨ。助けに行けるようになるまで、ここでウェイティングね」
「せやな。焦ってもここからじゃどうにもでけへん。長瀬さんたちなら、何とか自力で脱出するか、助けを求める方法を思いつくやろ」
 智子も同意する。後輩二人はちょっと納得いかなさそうな、そんなのんびりしたことで大丈夫なのか、と言う表情をしたが、結局少しでも情報が得られるよう、ワンセグの画面に集中する道を選んだのだった。
(先輩……大丈夫かな?)
 
 一方、隆山では返ってきた男が事情説明を始めようとしていた。スイートルームに集まった女性陣と雅史を前に、浩之は口を開いた。
「まず、俺……というか、“ひろの”がさらわれた理由だが、これは芹香先輩ならある程度見当がつくんじゃないかと思う」
 その言葉に、一行の視線が芹香に集中する。
「そういえば、さっき姉さんが、ひろのは神様に近い存在だとか」
 綾香が言うと、浩之は頷いた。
「さすが先輩。そう、神の器って奴だな」
 すると千鶴が言った。
「神様や天使、果ては悪魔は男女の別がない。だから、神の器……になり得る、でしたっけ?」
 千鶴が聞いた。
「そういう事です。悪魔ラルヴァは、連中が崇める邪神ガディムを復活させようとしている……そのガディムの器に最適なのが、“ひろの”と言うわけですよ」
 浩之は答えた。千鶴が年上の女性という事で、珍しく丁寧な口調である。
「なるほど。前に私たちがラルヴァと戦った時は、鬼の血縁者を復活の器に使おうとしたわね。それよりも適した器の存在を知って、また動き出したと言う事ですか……」
 考え込む千鶴に対し、綾香はまだ疑念の残る口調で聞いた。
「それで、あなたはいったい何なの? ひろのの昔の姿という事については了解したけど、どうやって出てきたの? ひろのはどうしてるの?」
 浩之は苦笑した。
「ずいぶん一度にいろいろ聞くんだな。まぁ、それについては一つずつ説明していくか。俺は時間稼ぎのために、“ひろの”から分離させられたんだ」

 それは、数時間前のことだった。
 ひろのは目を覚ました。
(ここは……どこ?)
 プールにいた時に、いきなり異常な事態が起きて、空中に飛ばされた後……身体が闇の中に落ち込んだ事を思い出す。そこまではいい。いや、良くないが……気を失ってしまった後、自分がどうなったのかがわからない。
 そっと目を開けて辺りを見回すと、最初は暗くて何も見えなかった。しかし、完全に闇と言うわけではなく、僅かながら光源があるらしい。次第に目が慣れてくるにつれて、その闇の中に多くの何者かが蠢いている事、彼女の正面に、何か巨大な像のようなものが安置されているのに気がついた。
(これは……怪物? いや……悪魔かな)
 ひろのは思った。この姿になって以来、数々の死線と怪異に遭遇した彼女だけに、悪魔程度では驚く事はない。相手がかつて「来栖川のお島」に遊びに行った日、芹香が召還した格闘魔神に似ていた事もある。
 ただ、その悪魔たちや像から伝わる雰囲気は、邪悪なものだった。格闘魔神など容姿は恐ろしくてもどこか愛嬌があったものだが、こいつらはそうではない。
 しかし、邪悪だけと言うわけでもない。像を囲んでなにやら歌うような声をあげている様子は、まるで喜びの歌を歌っているようでもある。
(何が……嬉しいんだろう?)
 ひろのは疑問に思った。彼らの気持ちが知りたい。そうすれば、この状況をどうしたらいいのか、ヒントになるかもしれない。そう思った時、突然彼らの声が意味を持った。
(喜ばしや、目出度しや)
(我らが神の器が手に入った)
(神を復活させ、この世の全てを統べよう)
 それはまさに喜びの声だった。ただ、陽性のものではない。破壊衝動や支配欲、そう言った邪悪な願望が満たされる事への期待と一体となった、邪悪な喜びだった。
(神の器……わたしが?)
 ひろのは考え続ける。そして、そう言えば、と芹香が話していた事を思い出した。それは、彼女が女性として生きていく事を決意した、数日後の話だった。

「お話って何ですか? 先輩」
 芹香の部屋に呼び出されたひろのは、開口一番そう尋ねた。
「……」
「え? わたしの身体について……?」
 芹香が答え、ひろのがそれを確認すると、芹香はこくこくと頷いた。彼女はひろのにソファに座るよう促し、その前に一冊の本を差し出す。どちらかと言うと西洋的な魔術に傾倒している芹香には珍しく、和綴じの古書本だった。表紙には「神人列伝」とある。ひろのは試しに適当なページを開いてみた。
「これは? 日本語っぽいようですけど……」
 ひろのは本を見た。かなりの達筆で書かれた古文で、日本語の文章らしい事は理解できるが、意味はわからない。そこで、芹香が解説を始めた。
 その本は、日本の民俗学者が纏めたもので、人として生きながら神の座に登った者たちの伝説に関する研究本なのだと言う。その中に、このような一節があった。
「人はかつて、男と女の両面を持っており、非常に強大な存在だった。人がその力を鼻にかけて、神を敬わなくなると、怒った神は全ての人を二つに引き裂いてしまった。すなわち、男と女に。それ故に、人は失われた自分の半身……異性を求め、愛そうとするのだ」
 芹香がその部分を読み上げても、ひろのには意味が良くわからなかった。それは芹香も気付いたらしく、説明を続ける。
「……」
「え? わたしが……神になった人たちと同じ?」
 ひろのの確認に芹香は頷いた。この「神人列伝」に載っている「神になった人々」は、両性具有であったり、あるいは生まれた後に性別の変わった人々……すなわち、神にも等しい力を持っていた、古代の両性の人々に近い存在なのだと言う。
「そんな事言われても、全然実感がないですけど……え? 料理をしたときの事ですか? 覚えてますけど……」
 芹香が確認したのは、ひろのが料理を作った時、それに強い魔力の澱みが含まれていて、セバスチャンやあかりを食中毒のような症状にした時の事だ。芹香はあれを自分がひろのにかけた魔法の残滓だと最初は判断していたが、それにしては魔力の量が多い事を気にしていた。そこで、ひろのの力を説明できそうな文献を当たっていて、この「神人列伝」に当たったのだと言う。
 つまり、芹香が思うに、あれは魔力の残滓などではない。ひろの自身が神性を帯びてきた事で、彼女が持ち始めた強い霊力が出てきたものだ。本来は人間に害を及ぼすようなものではないが、あの時ひろのは楽しげに料理を作っていたため、精神が高揚して、人間に中毒を及ぼすほどの強い霊力になったのだろう。
 そして、ひろのがそれほどの霊力の持ち主となったとすれば、彼女自身にそれを自覚させ、上手く力を制御する方法を教えなくてはならない。芹香は、だからこの本を持ち出してきたのだ。
「これを翻訳したものを渡すから、しっかり覚えておいてください、ですか? わかりました」
 ひろのは芹香の説明でようやく本の意味を理解した。ただ、自分の中にそんな力が眠っている、と言う事はその後も実感できなかったが……

 今、何者かに囚われながら、ひろのはその時の芹香の話を思い出していた。そして、自分がその力に目を付けられ、攫われた事を悟った。
(このままじゃ……わたし、この連中にどうにかされる……きっと、何か良くないものを呼び出して、わたしの身体をそれに使うつもりなんだ)
 そんな事をさせるわけには行かない。もしこの何者か達が自分の身体を悪用したら、きっと大変なことが起こる。それだけではない。二度とあかりや志保、芹香に綾香……誰よりも、雅史に会えなくなる。そんな事は……
(絶対にさせない)
 ひろのはそう決意し、芹香に貰った「神人列伝」の内容を思い出した。こんな時にはどうすればいいか……そして。
(わたしの中の、もう一人のわたし……違う。わたしのなかの“俺”。もう一度……出てきて……!!)
 ひろのは自分の心の中の奥深い部分に呼びかけた。

「……まぁ、そうやって起こされたのが俺と言う事だね」
 浩之はそう言って、お茶をすすると、言葉を続けた。
「俺も、気がついたら街外れにいたんで、今本体の“ひろの”が何処にいるかまでは、ちょっとわからん。ただ、俺がこうしている間は、“ひろの”からは神の器としての力は失われているはずだから、ガディムを乗り移らせる事は出来ないはずだ。今の内に何とかしなきゃならん」
 浩之はそう説明を締めくくって、湯飲みをテーブルに置いた。それを聞いて、綾香が戸惑い気味に言う。
「ええと……要するに、ひろのから男の部分を切り離したのが、貴方と言う事?」
 浩之は頷いた。
「そう言う事。男女の要素が同居する“長瀬ひろの”から切り離された男の要素。それが俺なんだが、俺はあくまでも影だ。本体は“ひろの”の方だから、俺自身は……そうだな。あと一日くらいしかこの状態でいられないと思う。その後は本体に戻ってしまうはずだ」
「そんな……それじゃあ、浩之ちゃん、いなくなっちゃうの?」
 涙を浮かべるあかりに、浩之は済まなそうに答えた。
「ああ。ただ、勘違いしないでくれ。俺は男そのものだからこう言う見た目と口調だけど、それでも“ひろの”と同一人物なんだよ。“ひろの”と同じ記憶と感情を共有している、な。だから……元に戻っても、俺はあかりを大事に思ってる」
 そう言うと、浩之は芹香を見た。
「で、先輩。ここからが重要なんだが……ラルヴァの巣を見つけて奴らを叩くには、この人数じゃちょっと足りない。俺が見た感じでは、連中千匹以上はいた」
 それを聞いて、千鶴が唇を噛む。
「多いですね……かつての大発生事件でも、三百体はいなかったと思いますが、その三倍以上ですか」
 そう言って、千鶴は顔を上げた。
「確かに、数が足りません。来栖川さんや、その他の皆さんも只者では無いようですが、私達姉妹を入れても、あと三人か四人は、同等の戦闘力の持ち主が要ります」
「心当たりは無いわけじゃないけど……でも、今この街には誰も出入りできない……んですよね?」
 綾香は言った。予定では、明日には列車で葵と琴音が来る予定だし、対岸の島にはまだセバスチャンがいるかもしれない。セリオとマルチも十分戦力として数えられる。五人がここへ来られれば、戦力としては申し分ないはずだが……
「……」
 結界があるから無理ですね、と言う芹香。それに対し、浩之が手を挙げる。
「いや、ちょっと待ってくれ。そこで諦めたらゲームオーバーだぜ?」
 そう言うと、浩之は芹香をじっと見た。
「先輩、ちょっとの間だけで良いから、結界に穴を開けることはできないか? そうすれば琴音ちゃんたちやマルチを中に入れられるかもしれない。そうすれば、必要な戦力は揃う筈だ」
 芹香はじっと考え込んでいたが、一分ほどして頭を上げ、こくこくと頷いた。
「……」
「一分くらいならいける? よし、それだけあれば十分だ」
 浩之は笑顔で言うと、今度は千鶴のほうを向いた。
「千鶴さん、この辺に霊場とか神域とか、そういう場所はあるかな。先輩の力を高めて、ラルヴァ連中の力を弱めるには、そういう場所で儀式をするのが一番なんだが」
 いきなり問われた千鶴が、ちょっとあせった様子で記憶を辿ろうとして、先に妹の梓の方に答えられた。
「それだったら……あの水門は?」
「水門?」
 事情のわからない宿泊客組の疑問に梓が答える。
「裏山の沢に水門があるんだけど、そこはあたしも何度か不思議な目に逢ってる場所で……ひょっとしたらと思って」
 それを聞いて、芹香は窓の向こうの裏山を見ながら、何かを唱えつつ意識を集中させ始めた。邪魔をしないように一同が黙って見守る中、しばらくそうしていた芹香が振り返った。
「……」
「確かに何かある?」
 綾香の問い返しにこくこくと頷く芹香。もともと風水的には山は大地を流れる「気」の通り道……「竜脈」とか「レイライン」と言われるものが存在する場所だが、それが確かに中腹で一時的に流れを止めて滞留しているのを感じたと言う。
「どうやら決まりだな。そこで結界を破る儀式ができそうだ」
 浩之が言うと、綾香が慌てたように言った。
「ちょ、ちょっと! 何でアンタが仕切るわけ!?」
 さっき出会ったばかりの男に指示される反発から出た言葉だったが、浩之はニヤリと笑って答えた。
「まぁ、自分を助けるためだ。必死にもなるさ。頼りにしてるぜ? 綾香」
「え、ええ」
 思わず素直に答える綾香。何故か心臓が高鳴る。
(雰囲気は違うのに……やっぱりひろのと同じ人間なの?)
 綾香は「男にときめく」という初めての経験に動揺したが、それでもその動揺を悟られないように、胸を張った。
「も、もちろんよ。ラルヴァだかなんだか知らないけど、あたしがいくらでもぶっ飛ばしたげるわ」
「ともかく、全員で現地へ行きましょう。私たちも一緒に行きます」
 千鶴がそういって立ち上がり、あかり、志保も続く。
「もちろん、みんなで頑張ろう!」
「こんな凄い話、見逃す手はないわよね」
 まだ本調子ではなさそうながらも、雅史も頷いた。
「行こう、浩之。さっきはひろのを助けられなかったけど、今度は絶対に助けてみせる」
「お、おお」
 何故か顔を赤くする浩之。それを見て志保が言った。
「何で赤くなるのよ、ヒロ」
「しょ、しょうがないだろう。さっきも言ったけど、俺とひろのは同じ人間だぞ。感情だって共有してる」
 その浩之の答えに、思わず場に沈黙が落ちた。そこから先を口に出すのは、いろんな意味で憚られた。
「ま、まぁ、ともかく善は急げということで……行きましょう」
 千鶴が気を取り直したように言い、一行は鶴来屋を出て裏山に向かった。

 最初の数百メートルは何も起きなかった。しかし、道が山林に入ったその瞬間、一行は空気が変わったことに気がついた。
「……来る!」
 千鶴が言うが早いが、周囲の木の上や茂みの中に、金色の輝きが無数に生まれる。ラルヴァの目だ。
「くそ、五十以上はいやがるな」
 浩之が言うと、それを合図にしたようにラルヴァたちが一斉に襲い掛かってきた。狙いは声を上げた浩之。
〈器の片割れだ〉
〈捕らえよ。持ち帰れ〉
 口々に言いながら、浩之に殺到するラルヴァ。しかし。
「そうはさせないわよ」
「ここは通さない!」
 綾香がすばやく敵の針路前方に回りこみ、続けざまにキックを繰り出す。それをまともに受けたラルヴァが、来た方向に吹き飛ばされた。
 さらにあかりも無数の包丁やテーブルナイフを飛ばし、最初に突撃したラルヴァは、カウンター気味のその攻撃を食らって、針の山のようになって倒れた。
「ふ、何よ。たいした相手じゃないわね」
 綾香は仲間たちを振り返ると、余裕たっぷりに言ったが、それを否定するように浩之が言った。
「まだだ! 連中生きてるぞ!」
 綾香は再度ラルヴァたちを見て……絶句した。必殺の一撃を食らったはずのラルヴァが、首を振って立ち上がってくる。あかりが針山にしたラルヴァも同じだ。大したダメージになっていないのか、身体をふるって刺さっている刃物を周囲に飛ばす。
「な、なかなかタフな連中ね」
 綾香はそれでも余裕を見せようとしたが、並みのエクストリーム選手なら一撃必殺できるレベルの攻撃が通用しなかったことに、ちょっと動揺していた。
「……」
「え? 強がってる場合じゃない? わ、わかってるわよ、姉さん」
 そこへ普段はおとなしい芹香がツッコミをいれ、綾香は恥ずかしさを隠すように答えつつ、再び襲い掛かってきたラルヴァを張り倒す。
「どうやら、相手は浩之君狙いね。浩之君と志保さんは下がってて。いい?」
 一方、千鶴は冷静に状況を読んでそう指示すると、妹たちに声をかけた。
「梓、私と一緒に前衛に。楓と初音は浩之君たちをガード。行くわよ!」
「おう、任せとけ千鶴姉ぇ!」
 梓がガッツポーズと共にラルヴァに襲い掛かり、千鶴と一緒に薙ぎ倒していく。小さい妹たちは下がって浩之と志保を守る位置につけた。
「お二人は私たちが守りますので」
「安心してくださいね?」
 楓と初音が言うが、二人とも小さい……それこそ中学生くらいの少女たちなので、浩之は苦笑交じりに答えた。
「おう、と言いたいところだけど、君たちに守ってもらうと言うのも、男の矜持がなぁ」
「何言ってんの。ヒロは今では本来女の子でしょ」
 志保が茶化す。浩之はまぁな、と答えつつも、志保があまり見たことのない真剣な表情で、前方で繰り広げられている戦いを見守っていた。
 戦闘は綾香、千鶴、梓が前衛になり、遠距離攻撃ができる芹香、あかり、雅史が後ろから援護する、と言う形で進んでいた。その気になれば並みの人間相手なら一個旅団くらいは軽く殲滅しそうな六人だが、今回は相手も人外。決め手を欠いているのが傍から見てもわかる。とにかく、殴っても蹴っても、斬っても焼いても、そう簡単に戦闘不能になってくれないのだ。
「ええい、もう、しぶといわねっ!」
 綾香の苛立った声。左右から襲い掛かってきた相手を、右はストレートで首が百二十度も曲がるほどの勢いで打ち抜き、その反動を利用して曲げた肘を左に叩き込む。しかし、やはり致命傷にならない。倒れたのにすぐ復活してくる。
「くっ、昔の連中より強い……生命力が」
 千鶴も苛立ちと僅かな疲労を滲ませて言う。その時、浩之が言った。
「綾香、千鶴さん、他の皆も聞いてくれ。そいつらを出来るだけ遠くに吹っ飛ばすんだ」
「え?」
 綾香が一瞬振り返り、怪訝そうな口調で聞き返すと、浩之は説明するのももどかしい、と言うように一歩前に進み出た。
「こんな風にだ。見様見真似崩拳!」
 浩之はどっしりとした構えから正拳突きを手近なラルヴァの一体に叩き込んだ。直撃を食らったそいつは数メートルも吹き飛ばされ、茂みの中に叩き込まれると、そのまま起き上がってこなかった。
「ふむ。やはりな」
 わきわきと手を動かしながら手ごたえを確かめる浩之に、綾香はもちろん、周囲の仲間たちやラルヴァも驚いた表情を見せる。
「あ、あんた一体どうやって……それに強いんじゃない!」
「弱い、と言った覚えはないな」
 浩之がニヤリと笑って答えると、綾香は胸がドキーンとなるのを感じた。
(やっぱり……私が男にときめくなんて……)
 ありえない、と狼狽する綾香を後目に、浩之がさらに一匹を一撃KOする。やはり遠くの茂みの中に叩き込んでいた。
「種明かしをしよう。あいつらは時空を操れるんだろ? たぶん、ダメージを受ける前の状態に時間を巻き戻しているのさ。ただ、自分自身は巻き戻せないようだから、仲間のいない方に飛ばせば、回復役がいなくなってダメージは残る」
 そう言いつつ、さらに一匹をKOする浩之。確かに、良く見ると飛ばした方向はそれぞれ違う。
「な、なるほど……わかったわ。楓、初音、二人も戦いに参加して!」
「「はいっ!」」
 千鶴が納得しつつ妹たちに指示を飛ばし、数分後、あれだけ苦戦させてくれたラルヴァ五十匹は全滅していた。
「ようやく片付いたわね……それにしても」
 綾香は浩之を見た。
「戦えるんなら、最初から戦って欲しかったわね」
「済まんな。戦って消耗すると、俺が消えてしまうのが早くなるんでね……だから急ごうぜ。先輩、引き続き案内頼むよ」
 浩之は綾香には軽く謝っただけで、すぐに芹香たちに話を振った。芹香は頷くと、再び先頭に立って歩き始めた。
「ちょっと……」
 綾香は浩之を呼び止めようとした。しかし。
「綾香さん、今は先に行きましょう。確かに彼は謎めいてるけど、味方なのは確かよ」
 千鶴が綾香の肩に手を置いて制した。綾香は頷くと、黙って歩き出す。
(……あいつ、只者じゃない。崩拳を使うなんて……あのセバスチャンと互角に戦う父親の事を考えれば、不思議ではないけど)
 ひろのも性格が変わってリミッターが外れた時なんかは、セバスチャンを一撃KOするような打撃を放ったことがあるから、浩之が出来ても不思議ではないのかもしれないが、それにしても……
 何かはわからないが、浩之にどうしても信を置けない、と思う綾香。しかし、それは彼女が浩之の事を気にしていると言うこと……初めて興味を、そして好意を持った男性である、と言う事でもあった。
 まだ反発が先に立ってはいるが……

 最初の襲撃が失敗した事は、すぐには敵には伝わらなかったらしい。一時間ほどは順調に進むことができたが、目的地の水門が見えてきたところで、再び敵の襲撃が始まった。
(器の片割れ……来てもらうぞ!)
(邪魔する者は皆殺しだ!!)
 ゾッとするような冷たい声が、辺りの茂みから響き渡った。
「来たわ! ……えっ!?」
 綾香が戦闘態勢を取ろうとして、出てきた相手の意外な姿に、思わず手を止めてしまう。道に立ちはだかるように現れたのは、見るからに悪魔っぽい姿のラルヴァではなく、普通の人間だった。その数二十人。両脇の森からも十五〜六人が出てくる。
「……この人たち、操られてる……そっちのタイプのラルヴァもいたのね」
 千鶴が言った。良く見ると、出てきた人々はいずれも目の焦点が合っておらず、口も呆けたような半開き。ホラー映画に出てくるゾンビさながらの姿だ。
 そして、服装も良く見ると統一性がある。空手着や柔道着を着ているのだ。どこかの武術道場の人間をまとめて操って連れてきたらしい。そいつらはスッと腰を落とし、構えを取った。
「どうするの? 千鶴さん」
 綾香が言った。綾香は基本的に敵を殴る事はためらわないが、相手が操られているだけの人となれば話は別だ。出来れば操っているラルヴァだけぶっ飛ばしたい。
「残念だけど、私達が知っている限り、操られている人を戦闘不能にしないと、どうしようもないわ。芹香さん、あなたの魔法でどうにかできない?」
 千鶴に問われた芹香がふるふると首を横に振った。
「そう、仕方ないわね。さっきと同じ、戦法は変わらないわ。私と千鶴さん、梓さんで前衛を務めるから」
「わたしと芹香先輩で援護ね」
 綾香の言葉にあかりが応じる。
「楓、初音、後ろは任せるわよ」
「はい、姉さん」
「うん、お姉ちゃん」
 千鶴の指示で、再び妹二人が浩之、雅史、志保の前に展開する。浩之は少し前に出て、楓と初音を何かあったらフォローできる位置に陣取り、後ろを振り返った。
「雅史、何かあってもオレがお前を守る。だから心配するな。志保、雅史を頼む」
 言われた二人は、何かちょっと複雑な表情だった。
「喜ぶべきなんだろうけど、本当は立場逆だよねぇ……」
 雅史は苦笑する。怪我さえしていなければ、本来は前線で戦うスタイルだけに、守られる事には納得していない。
「事情わかっててもキモいわ……」
 一方、志保はなかなか酷い事を言っていた。浩之の中身はひろのと同じなので、雅史のことが好きなのは仕方が無いのだが……
「お前、そう言うことはもうちょっと小声で言えよ」
 浩之が志保を睨む。だが、そんなやり取りの間に、前衛と援護の五人はラルヴァに操られている人々と戦闘を開始していた。時間を操るラルヴァがいないため、とりあえず相手をKOすれば良い……と綾香は少し気楽に構えていたのだが。
「まずい、こいつらさっきの連中よりずっと強い!」
 少し打ち合った綾香が、さっきの雑魚ラルヴァたちとはまるで違う手応えに叫ぶ。流石に武術家たちだけあって、その動きは力が強いだけの雑魚ラルヴァに比べ、遥かに洗練されている。綾香たちの攻撃を見切って回避し、あるいはフェイントをかけて反撃してくるものもいる。その攻撃を受けた綾香は、パンチの驚異的な重さに驚いた。
(何よ、こいつら! エクストリームのトップクラスランカーと同等以上のパンチじゃない!!)
 いくら身体が武術家とはいえ、エクストリーム女王の綾香や、その彼女を凌駕する身体能力を持つ千鶴、梓に匹敵するような力の持ち主など、そうはいないはずだ。
 それでも、綾香を凌ぐほどではない。慎重に相手の動きを見切り、逆襲に転じると、相手の攻撃をかわして懐に潜り込み、鳩尾に痛烈な膝蹴りを叩き込んだ。相手が身体を折ったところで、延髄に肘を叩き落す。そいつは物も言わず地面に倒れ伏した。
「よし、まずは一人!」
 綾香が叫んで次の相手に向おうとした時、浩之と千鶴が叫んだ。
「綾香、まだだ!」
「綾香さん、それじゃダメよ!」
 え? と綾香が振り向いた瞬間、その頬に相手の拳がクリーンヒットした。
(!?)
 目から火花が散り、口や鼻の奥に一瞬鉄臭い感覚が広がる。しかし、辛うじて綾香は体勢を立て直すと、自分に一発入れた相手を見た。さっきKOしたはずの、空手家風の男。
「綾香さん、相手は操られているのよ。普通の相手と思っちゃダメ! 完全に、戦闘不能にしないと!」
 千鶴はそう言うと、襲い掛かってきた柔道家らしい男をいなし、道着を掴んで片手でリフトアップした。そして、近くの樹に向けて投げ飛ばす。轟音と共に樹がへし折れ、柔道家はその下敷きになった。
 しかし、そんな常人なら即死しかねない打撃を受けたにもかかわらず、その柔道家は手を動かし、なんとか樹の下から這いずりだそうとしていた。その表情には、苦痛も怒りもなく、ただ虚ろなだけ。かなり怖い光景だ。しかし、どうやらその力では樹をよけることが出来ないようだった。
「そう言うことですか……」
 綾香は相手の身体を操っているのはラルヴァであり、相手の意識そのものではないことを思い出した。おそらく、操っているラルヴァにとっては、その身体の痛みなど何も感じないのだろう。なら、綾香にできるのは……
「はっ!」
 綾香は掴みかかってきた空手家を、足を払って体勢を崩させると、肩を掴んで力を込めた。次の瞬間、ごきりと嫌な音がして、関節が外れる。転倒し、起き上がろうとしても、肩が動かないため何も出来ない空手家。
「よし、これならいける!」
 綾香は頷くと、襲いかかってくる相手にスタンドでの関節技を極め、相手を脱臼に追い込んでいった。一方、そうとわかれば前衛よりも活躍できたのが芹香である。彼女は植物のつるを伸ばす魔法で、相手を絡め取り縛り上げて転がし、あるいは木の枝から宙吊りにした。戦いが終わってみると、千鶴、梓に力づくで戦闘不能にされたのと、綾香に関節を外されて動けなくなった人数と、芹香に無力化された相手が、ほぼ同じ人数だった。
「これで、ここは片付いたか……つっ」
 戦いが終わってアドレナリンがもたらす興奮作用が引いていくと、綾香は頬を押さえた。かなり腫れ上がって、熱を持っているような感じがする。油断していたとは言え、ここまでキツい一撃をもらったのは久しぶりだった。
「大丈夫か?」
 そう言って、浩之はハンカチを差し出した。志保がペットボトルに入れて持ってきたお茶で濡らし、冷やしてある。綾香は礼を言ってそれを受け取り、頬に当てた。
「悪いわね」
「いや、俺を助けてもらうためだからな。ありがとう、綾香」
 浩之が言うと、綾香の顔が赤くなった。
「べ、別にあんたを助けたいわけじゃないわよ!? 私が助けたいのはひろのであって……!!」
 真顔で礼を言われ、綾香は叫んだ。浩之は首を傾げ、真っ赤なままの綾香に言う。
「別に怒る事はないだろう? 俺とひろのは一心同体なんだから」
「そ、それはそうだけど……でも、なんか納得いかないわ!」
 叫ぶ綾香に、浩之は苦笑で答えた。
「まぁ、無理に納得しなくていいさ。綾香が男嫌いなのは知ってるし。俺が勝手に感謝するだけさ」
 そう言って、浩之は綾香の頭を撫でるようにぽんぽんと叩く。さらに真っ赤になる綾香だが、浩之を殴る蹴るとか言う事はなかった。その様子を見ていたあかりが、志保に耳打ちする。
「あー、なんかすっごく浩之ちゃんらしい感じ」
「あの、問答無用で女の子の警戒心をぶち壊しに行く天然タラシっぷりは、ヒロらしいわねぇ」
 頷く志保。こうして浩之が戻ってくるとわかるが、ひろのと浩之は違うようで似ている。どちらも自然と人に好かれるタイプなのだ。まぁ、ひろのは何もしなくても人が寄ってくるタイプで、浩之は付き合っているうちにだんだん良さがわかってくるタイプと言う違いはあるが、最終的なゴール地点として、どちらも人間性が好かれる事は間違いない。
「……」
 その会話に芹香も加わってきた。
「え? 綾香ちゃんにあんなに自然体で接することが出来る男の人は、おじい様とセバスチャンくらい? そうでしょうねぇ……」
 あかりが頷く。その時、志保が芹香に尋ねた。
「ねぇ、来栖川先輩。こういう事って出来ますか?」
 そう言って、ごにょごにょ……と芹香の耳元に囁く。芹香は最初平静な顔をして志保の言葉を聞いていたが、そのうち目を見開いた。芹香にしては珍しく、はっきりと驚いた様子である。
「……」
「あ、できます? 時間はかかるけど? なら、ぜひやってみてください。その方がみんな幸せになれますよ」
 芹香が頷く。その様子が気になったのか、あかりが訊いて来た。
「志保、芹香先輩、何の話をしてるの?」
「え? えっとね……」
 志保が答えようとしたその時、千鶴が言った。
「そろそろ休憩終わりにしましょう。目的地はもうすぐよ」
 頷く一同。志保も立ち上がる。芹香と計画した事も、ここを勝ち抜いて行かなければ、実現する事もできない。自分に戦う能力が無いのが歯がゆい所だ。
「まぁ、歩きながら話すわ。あのね……」
 志保はあかりに話の続きをした。これを聞いてあかりがやる気を出してくれれば、勝率も自分の生存率も上がると言うものである。案の定、あかりは目を輝かせた。
「すごい。それが本当なら……うん、わたし頑張るよ」
 何度も頷くあかりに、志保は芹香と顔を見合わせて頷いた。
 
 十分ほどで、水が激しく流れ落ちる音が聞こえてきた。そして、視界が急に開けた。
「ここが、目的地の水門?」
 綾香が聞いた。
「ええ。幸いまだ追手は来ていないようね」
 千鶴が言う。そこは、水門と言うよりは小規模なダムと言ったほうがいい、かなり大きな施設だった。高さ十メートルくらいのコンクリートの堤に、いくつもの鉄の水門が並べて取り付けてある構造だ。幅も百メートル近くあり、上流側はちょっとした湖のようになっている。
「姉さん、何か感じる?」
 綾香が千鶴の確認を受けて、芹香に尋ねる。芹香はすぐには答えず、目を閉じて手を胸の前方に伸ばすと、何か呪文を唱えた。その瞬間、水面一杯に揺らめくような光が現れ、そして消えた。
「……」
「間違いない? OK。儀式を始められる?」
 芹香は頷くと、辺りを見回して、幾つかの大きな石を指差した。
「……」
「え? あの石を、わたしの言うとおりに並べてください……? わかった。任せてくれ」
 浩之が言葉を聞き取って言うと、流木に腰掛けていた雅史が立ち上がった。
「戦うのは無理だけど、僕も手伝うよ」
「大丈夫か? わかった。無理はするなよ?」
 浩之は雅史の言葉に頷いて、二人で大きな石を運び始める。それを見て、千鶴は小さいほうの妹二人に言った。
「楓、初音。二人も手伝ってあげて。私と梓は、敵襲に備えて警戒よ」
「うん、わかった」
「はい、姉さん」
 二人は素直に頷いて、石運びに参加する。流石に姉二人には負けると言っても、鬼の一族。男でも重そうな石を軽々と運んでいく。志保と真帆も小さめの石運びに参加し、綾香、あかり、千鶴、梓が四方を守る中、作業は黙々と進んでいった。やがて、運ばれた石が形作る何かが、その姿を現し始めた。
 いくつもの白い石を並べ、いくつもの円と直線を組み合わせた複雑な図形が、川原に形作られていく。線が交わる要の部分には大きめの黒い石が置かれ、芹香が取り出した筆で、表面に複雑な文字を書いていく。その数が十二個になったところで、それが何なのか、みんなが理解し始めた。
「これは……時計ですか」
 真帆が言うと、芹香はこくこくと頷いた。そう、それは時計の形をした魔法陣だった。この凍りついた時空に穴を開けるには相応しいものと言えるだろう。
「……」
「この空間の中の時間を、無理やり進めて結界を不安定にさせる……ね。理屈はともかく、姉さんに後は任せる。だから……」
 説明を聞いている最中で、綾香は振り向きざまに手にしていた小さな石を投げつけた。それは川原を囲む林の中に飛び込み、次の瞬間怒りと苦痛の咆哮をあげて、ラルヴァが飛び出してきた。今の小石が当たったのか、その目が潰れ赤黒い血がだらだらと流れている。
 そのラルヴァに呼応するように、無数のラルヴァがその後から、そして対岸の林からも飛び出してきた。百匹……いや、二百匹はくだらないだろう。
「今までで一番多いわね!」
 綾香が戦闘態勢を取る。そこへ、彼女に目を潰されたラルヴァが怒号と共に襲い掛かってくるが、綾香はカウンター気味の正拳一発でそれを地面に叩きつけ、頭部へのストンピングで、身体ごと地面にめり込ませた。
「姉さん! 終わるまでどれくらい!?」
 振り向いて聞く綾香に、芹香は五分、と答えを言った。そしてそのまま呪文の詠唱にはいる。同時に魔法陣全体が光り輝き、秒針を示す線が小刻みに動き始めた。その動きは見る間に早くなり、まさに時計の映像を早回ししているような勢いで回転を始めた。それを見て、ラルヴァたちは人間からは表情はわからないものの、血相を変えたように襲い掛かってきた。
(壊せ、壊せ……!)
(我らの結界を揺るがすもの……!)
(何としても壊せ……!)
 全員の頭の中に、焦ったようなラルヴァたちの声が響き渡る。確かにこの魔法には効果があるようだ。が、押し寄せるラルヴァの一角を、あかりの手から放たれた銀色の光が削り取っていく。
「させない! 絶対にここは通さないよ!!」
 あかりが決意を込めて叫べば、千鶴もそれに呼応する。
「五分、何としても持たせるわよ、梓、楓、初音!」
「はいっ!」
 千鶴の号令に柏木家の姉妹たちも魔法陣を囲むように布陣すると、襲い掛かってくるラルヴァたちと渡り合う。さらに。
「よし、俺も加わらせてもらう」
 浩之が防衛陣の一角に進み出ると、神の器に気付いたラルヴァたちが一斉に彼の元へ殺到してくる。そこへ浩之は渾身の攻撃を続けざまにたたきつけた。
「見様見真似崩拳っ!! 見様見真似ローリングソバット!」
 さらに、ダウンした一匹の足を掴むと、ジャイアントスイングで振り回しながら、棍棒代わりに相手を群れごと薙ぎ倒すのに使い、最後にズタボロになったそいつを川の中に叩き込んだ。
「ちょっと、あんた! 凄いけど無理しないほうがいいんじゃないの!?」
 力を使いすぎると消えてしまうはずの浩之の奮戦に、危惧を感じた綾香が声をかける。浩之はまた一匹を殴り倒しながら答えた。
「どのみち、芹香先輩の儀式が失敗したら、何もかもおしまいなんだ。なら、今が力の使い時だろうさ!!」
 そう言っている間にも、浩之は手を止める事無く、次々に相手を沈めていく。その真剣な表情と強さに、思わず一瞬見とれる綾香。
「……って、そんな場合じゃない! 負けるもんですか!!」
 気を取り直し、綾香は意識を戦いに集中させる。ただでさえ数が多い上に、相手は倒しても時間が立つと復活してくるのだ。気を抜いている暇も余裕もありはしない。実際、今の一瞬で脇をすり抜けていこうとしているラルヴァがいたが、綾香は無理やりそいつの腕を掴んで引きずり戻すと、群れのど真ん中に放り投げて、ボーリングのピンのように吹き飛ばした。
「お、さすが綾香」
 一瞬で十体以上のラルヴァを撃沈した綾香の手並みに、口笛を吹いて賛辞を送る浩之。綾香は照れたように赤くなりつつ、浩之に注意した。
「か、感心する間があったら戦ってよ! 敵はまだ一杯いるんだから!!」
「おう、任せとけ」
 余裕めかして言う浩之だが、さっきジャイアントスイングで薙ぎ倒した連中が早くも復活しているのと、それにプラスしてさらに数多くの敵がせまってくるのを見て、流石に渋い顔になる。
「ちょっとは手加減し……を?」
 独り言のように言う途中で、小さな影が二つ、浩之よりも前に飛び出すと、ラルヴァの前に立ちはだかった。楓と初音だ。
「おい、二人とも?」
 戸惑う浩之に、初音が少し振り向いて言った。
「浩之さんのところに、一番敵が集中してますから……お手伝いします!」
 全体を見ると、千鶴、梓、綾香はやや余裕があるか、なんとか捌ききれるだけの相手を引き受けていた。一番余裕が無いのは浩之だ。彼は素直に頭を下げた。
「悪い、助かる!」
 その下げた頭で、手近な相手に頭突きを食らわせ、よろけたそいつを楓と初音が左右から攻撃してとどめを刺す。さらに。
「むっ、浩之ちゃんの援護はわたしがするんだもん!」
 あかりが背後から銀の雨を敵に降らせ、全身フォークや菜ばしが突き刺さってハリネズミ状になったラルヴァが、何体も血飛沫を上げて倒れ伏す。
「あかりもサンキューな! よし、あと三分……これなら持ちこたえられ……」
 楽観的な見通しが立ったその瞬間、それをぶち壊すように厳しい現実が一同の前に突きつけられた。
 一瞬、ラルヴァたちの動きが止まる。今までに無い彼らの動きに全員が注目すると、ラルヴァたちは数箇所に集まり、その影が一つに溶けあいはじめた。
「が、合体した!?」
 雅史が驚きの声を上げる。そう、ラルヴァたちは数十体ずつ合体し、四体の巨大ラルヴァへと姿を変えたのだ。身長は目測で十メートル以上。森の木々をも圧する巨体だ。
「グオオオオオオォォォォォォォッゥ!!」
 そいつらは水面をも振動させるほどの凄まじい咆哮をあげた。声が突風のように一行に押し寄せ、女性陣のスカートが煽られてはためく。
「こ、これはちょっとヤバイんじゃないの!?」
 耳を押さえて叫ぶ志保。相手が人間大の時は、オブザーバーとは言え修羅場を結構潜ってきた志保を怖がらせるような存在ではないが、こうなるともうほとんど怪獣だ。流石に洒落にならない。しかし。
「ふ、かえって好都合だわ。一人で大勢を抑えるのは大変だけど、こうなれば一対一よ」
 千鶴が不敵な笑顔で指を鳴らせば、綾香も拳と拳を打ち合わせる。
「上等じゃない。何十体がかりであたしたちを倒せないのに、合体した程度で相手になると思ったら大甘よ」
「うわぁ、ノリノリだよこの人達」
 呆れたように言う志保に、雅史が苦笑で答えた。
「まぁ、今更だけどね」
 流石に何度も綾香と戦ったことがあるだけあって、雅史は綾香の性格を飲み込んでいた。相手が強敵であればあるほど燃え上がるのが、綾香と言う少女なのだ。
 そんな会話をしている間に、綾香、千鶴はそれぞれの正面に立つ合体ラルヴァに向けて突撃を開始していた。全速力で間合いをつめ、跳躍するや千鶴は渾身の力を込めた右の拳を、綾香は跳び蹴りを相手の胸板に叩き込む。突進してくる車くらいなら一撃で残骸に変えただろう、凄まじい威力の攻撃だ。
 そして、それはあっさり弾かれた。分厚いレンガの壁を叩くような鈍い音がしたものの、合体ラルヴァは小揺るぎすらしなかったのだ。
「いたっ!?」
 バランスを崩した綾香が、落下して尻餅をつく。彼女にしては平凡なミスだが、それだけ今の蹴りに自信があったのだろう。相手を一発で沈められると思うくらいには。
 しかし、なんらダメージを受けている様子の見えない相手は、無造作に拳を振り上げると、綾香の頭上に稲妻のような速度で撃ち降ろしてきた。
「!?」
 慌ててその場を飛びのく綾香が、一瞬前までいた所にラルヴァの拳が突き刺さる。それは手首の所まで、豆腐を突くように軽々とめり込んでいた。引き抜かれたこぶしは、粉砕された川原の石だった砂で白く染まっている。
「ちょっ……」
 綾香はそれを見て顔を青ざめさせた。石を幾つかの破片に砕くくらい、彼女にだって余裕で出来る。しかし、砂のように細かくするのは不可能だ。セバスチャンにだってできるかどうか。
 呆然とする間もなく、大音響が響き渡る。千鶴と戦っていた合体ラルヴァが、彼女を踏み潰そうと足を地面に叩き付けたのだ。千鶴は咄嗟に避けていたが、地面が大地震のように揺れ、全員がバランスを取ろうとよろけ、倒れかけた芹香の呪文が中断する。その途端に、それまで急速に回っていた魔法陣の時計は動きを止め、逆方向に回り始めた。
「芹香先輩!」
「来栖川先輩!!」
「お嬢様っ!!」
 戦えない志保、雅史、真帆が慌てて芹香の身体を支え、芹香は礼を言う間もなく呪文を再開したが、かなり時計は巻き戻ってしまった。
「ちっ、今ので一分は損したか!」
 浩之は舌打ちし、迫って来る合体ラルヴァを睨む。綾香、千鶴の攻撃が通用しないのでは、自分が攻撃してもやはり通用しないだろう。つまり、物理攻撃ではどうにもならないと言う事だ。
「なら、真似するのは一人だけだな……くっ!」
 浩之は呟くと、親指の先を、自分の歯で噛んで傷をつけた。血がぽたぽたと地面に垂れるのを見て、あかりが悲鳴にも似た声を上げる。
「浩之ちゃん!?」
「心配するな! 大した傷じゃない!!」
 浩之はあかりにそう答え、血のしずくを地面に振りまく。それを見て、呪文を唱えている最中の芹香が浩之の行動の意味に気付いた。彼女が驚きのあまり呪文を止めそうになり、慌てて気を取り直す中、浩之は複雑な印を結んで叫んだ。
「邪悪なる威力よ、退けっ! 見様見真似退魔術っ!!」
 次の瞬間、浩之が振りまいた血……で描いた魔法陣が光り輝き、そのエネルギーが彼の正面にいた合体ラルヴァに襲い掛かった。ラルヴァは一瞬動きを止め、見る間にその全身にひびが入り始めた。
「グオオオウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」
 苦悶の叫びと共に、ラルヴァの体が崩れて行く。そして、光が止むと同時にその身体も綺麗さっぱり消え去っていた。僅かな灰のようなものが、ラルヴァの立っている場所に残されていたが、それもすぐに風に吹き飛ばされて消えた。
「オオオオオウウ!?」
 それを見て、他の三体の合体ラルヴァは怯んだように動きを止めた。綾香は叫んだ。
「あんた、そんな……姉さんの魔法まで!?」
 格闘技は真似できるのが何となくわかるが、魔法まで真似するとは尋常ではない。浩之は振り返ってニヤリと笑った。
「人のすることだぜ? 真似して真似できなくはな……くっ!?」
 しかし、途中で笑みは消え、浩之はガクッと膝をついた。あかりが慌てて駆け寄る。
「浩之ちゃ……ん!?」
 あかりの顔が青くなり、手が震えた。浩之の体が、実体を失ったように僅かに透けて見えるようになっていた。
「くそ、力を使い過ぎた……!! あかり、俺は良い。みんなを手伝ってやってくれ」
「でも!」
 躊躇うあかりに、浩之は笑顔を無理やり作ると、諭すように言った。
「大丈夫だよ、あかり。頼むから、みんなを……」
 その声に、あかりは頷くと綾香たちを援護するために走っていく。楓と初音もそれに続き、合体ラルヴァ一体に対し、二人でかかる状況が作り出された。そして、膝をついたままの浩之の所には、芹香を真帆に任せた志保と雅史が走ってきた。
「ヒロ!」
「浩之、大丈夫!?」
 二人は浩之を助け起こそうとしたが、その手が半分くらい浩之の身体に潜り込んだのを見て、慌てて手を引いた。
「あー、もう実体保つのも難しいか……まだ消えはしないだろうけど」
 浩之が苦笑する。その声も、実体があったときと違って、少し掠れ気味で聞こえにくい。
「バカ、無茶しすぎでしょ!? 消えちゃうのに!!」
 志保が責めるように言う。
「大丈夫さ。まだ実体が取れなくなっただけで、消えるわけじゃない。もう少しは持つはずだ……その間に、みんななら守りきってくれるさ、芹香先輩を」
 浩之が笑みを浮かべたまま言う。振り返ると、そこでは六人が合体ラルヴァ相手に十分な戦いぶりを見せていた。とにかく、普通にやっては倒せない相手だと見極めたうえで、足止めに専念していたのだ。
 綾香はあかりと組み、とにかくひたすら相手の急所や関節部分を殴りつけている。その程度で参るラルヴァではもちろんないのだが、あかりが目や耳など、守りようも鍛えようもない部分を狙って得物を投げつけてくるので、綾香を捉えることが出来ない。
 千鶴は初音とタッグを組んで、ラルヴァを追い詰めていた。パワーはないがすばしっこい初音が囮になり、ラルヴァの攻撃をひきつけると、背後から千鶴が攻撃を加えるのだ。正面より弱い背中に、無数の傷を付けられたラルヴァが、次第に動きを鈍くしていく。
 梓と楓はラルヴァの身体に飛びつき、髪を引っ張ったり、顔面を集中的に狙っている。視界をふさがれたラルヴァは、魔法陣と反対の方向に誘導されていた。
 そして、その戦いの中で、芹香は汗でびしょぬれになりながらもひたすら呪文を続けていた。滴る汗が、地面に落ちるや蒸発していく。今や魔法陣の時計の針はめまぐるしいとしか言い様のない速度で回転し続けていた。
 やがて、その時がやってきた。回転し続けていた針が、ぴったりと午前零時の位置で静止する。次の瞬間、魔法陣から爆発的な光が迸った。
「!!」
 全員が視界を塞がれ、思わず目を覆う。だが、術者の芹香だけは確かに見た。柱のように立ち上った光が、偽りの光で覆われた空の頂点に突き刺さっていく。そして、空が古くなった蛍光灯のように明滅し、暗い空に一瞬夜空が見えた。
 
「何か始まったで!!」
 その様子を、外から智子たちも見ていた。小さな携帯の液晶画面の中で、あわただしい動きが始まっている。
「ご覧ください! 光のドームに変化が始まりました!! まるで瞬くように光が点滅を繰り返して……!!」
 切迫したレポーターの声。画面の前に集合するレミィ、葵。琴音も続こうとして、脳裏に飛び込んできた声に足を止めた。
「その声は……芹香先輩!? ……えっ、今すぐ来てください?」
 意識を集中させ、テレパシーを聞き取る琴音。葵が尋ねる。
「琴音ちゃん! 何かあったの!?」
 琴音はそれには答えず、芹香の言葉に意識を集中し続けた。そして。
「みんな、掴まって! 先輩たちの所に行きます!!」
 事情を了解し、琴音は智子たちに手を差し出した。智子とレミィは顔を見合わせ、すぐにその手を掴んだ。レミィは咄嗟に荷物の中の長いケースを引き寄せる。葵もそれに続き、琴音は三人の手をしっかり握り締めると、意識を集中して叫んだ。
「テレポート!」
 眩い閃光と共に、四人の姿は寝台車の中から掻き消えた。残された携帯電話が、主が行ってしまった事など知る由もなく、実況中継を続けていた。
「今、自衛隊の偵察部隊が……あっ! ドームが元に戻りました!! 一体何があったのでしょうか!? しばらくこのまま中継を続けます!! 周囲では警察、消防もあわただしく……」

 魔法陣が光の粒子になって消え、その粒子が一点に集まったかと思うと、その中から四つの人影が出現した。
「委員長、それにレミィ、琴音ちゃんに葵ちゃん!」
 志保が叫ぶ。テレポート直後でまだ頭のふらついていた四人だったが、まず智子が辺りをきょろきょろ見回し、合体ラルヴァを見て眼鏡がずれた。
「何やあれ! めっちゃデカイやん!」
「これはビッグゲームネ!!」
 一方、本能でこれは強敵だと悟ったレミィの目がキラーンと光り輝く。彼女が早速、咄嗟に持ってきたケースを開くと、出てきたのはどう見てもライフルだった。
「ちょ、宮内さん! 何でそないなモン持ってきとるんや!?」
「心配ないネ、ただのエアガンだヨ!」
 智子のツッコミにレミィはそう答えるが、セットした弾倉に入っているのはどう見ても実弾だ。エアガンといっても、おもちゃではなく競技用なのだろう。もちろん、持って来た理由の答えにはなっていない。
 一方、葵は綾香に声を掛けていた。
「綾香さん、それは!?」
 巨大なラルヴァと渡り合う綾香に驚く葵に、綾香は助かったと言う表情で叫んだ。
「葵! いいところに来たわ。こいつの動きを少し止めて!!」
「はいっ!」
 葵が飛び出していく。残された琴音は自分は何をしたらいいのだろう? と思ったが、そこへ彼女に指示を出す声が飛んできた。
「琴音ちゃんは右のヤツの動きを止めてくれ! 頼む!!」
「は、はいっ!」
 聞き覚えのない男の声だったが、琴音は反射的にその指示に従い、梓と楓(と言う名前は知らないが)が戦っている相手の合体ラルヴァに、強力な念動力を飛ばした。見る間に動きを止める合体ラルヴァを前に、好機と見た梓と楓が続けざまに襲い掛かった。
「はあっ!」
「やっ!!」
 梓が気合一発、相手の頭部に拳を振り下ろし脳天を打ち抜くと、楓が反対から顎を蹴り飛ばす。脳を振動させられたそのラルヴァは、鼻や耳から血を噴出し、地響きを上げて斃れた。
 ほぼ同時に、千鶴に背中を切り刻まれた合体ラルヴァも力尽き、そして綾香とあかり、葵が立ち向かっていた相手もとどめを刺されていた。元気一杯の葵の突撃で足の関節を破壊され、あかりの飛び道具で目を潰されたところを、綾香の「透し」で防御力無視の打撃を叩きつけられ、地に這ったのだった。
「はぁ……はぁ……なんとか、倒したわね。ありがとう、葵。来てくれて助かったわ」
 荒い息をつきながら、綾香は葵に礼を言った。ここまで数時間、山道を歩くか、戦うか、そのどちらかだったのだ。流石の綾香もかなり疲労していた。
「いえ、それより、一体何が起きたんですか?」
 葵が言うと、智子も話に加わってきた。
「なんか、えらい面倒な事になってるみたいやん。詳しい事情を教えてくれへんか?」
「そうダネ。夜のはずなのニ、ここは明るいママみたいだし……訳がわからないヨ?」
 ライフルを組んだものの、その間に獲物を全部狩られてしまったせいか、ちょっとご機嫌斜めな様子のレミィも聞いてきた。
「そうね。いったん鶴来屋に戻りましょうか。彼の事も心配だし」
 綾香がそう言って振り向いた方向を見て、智子とレミィは驚きに目を見開く。そこには、一年前に彼女たちの前から姿を消した少年が立っていた。
「よお」
 半透明で。
「ゆ、幽霊ーっ!?」
「OH! GHOST!!」
 再び時間が止まった山の中に、悲鳴が木霊した。
(つづく)

次回予告

 心強い仲間たちと合流した一行。しかし、ひろのの居場所……つまり敵の本拠はその位置がわからない。タイムリミットがせまる中、浩之は仲間を信じて決断を下す。ひろのの運命やいかに?
 次回、12人目の彼女 第四十八話
「決意」
 お楽しみに。

前の話へ   戻る    次の話へ