あゆちゃんの冒険

第15話
あゆとアイリスの浅草旅行

作:モーグリさん


 その夜、あゆは夢を見ていた。
 夢の中であゆはよくハムスターが運動用に使う回転する輪の中に入れられていた。そして、目の前には大好物のたい焼きがぶら下げられていた。あゆはたい焼きが食べたくて必死になって走った。しかし、あゆがいくら走っても輪がグルグル回転するだけで全然前には進めなかった。それでも必死になって走るあゆを、みんなが外から楽しそうに見物していた。
「きゃー。あゆちゃん、かわいい」
「かわいい、かわいいよ」
「……すごく嫌いじゃない……」
「あうーっ、もっと走れっ!」
 みんなは楽しそうに歓声を上げていた。

 今度は香里とアゼリアが出てきた。この2人は髪と瞳の色が違うのをのぞくと容姿がまるで双子のように似ている。香里は強引にあゆをわしづかみにすると、そのままアゼリアの目の前に持ち上げた。そして無理やり嫌がるあゆの口を開けた。
「月宮さん、お口をあーんしてね」
「さああゆちゃん、たくさん食べて大きくなってね」
 アゼリアは楽しそうに笑みを浮かべると、手に持っていたひまわりの種を強引にあゆの口に押し込んでいく。あゆは食べたくないのに、あっという間に口の中がひまわりの種でいっぱいになった。それを見ている香里もアゼリアもなぜか楽しそうだ。
「やめてよっ!ボク、ハムスターじゃないよっ!」
 たまらずあゆは悲鳴をあげた。

 その瞬間あゆの目がさめた。
「はあ、はあ、はあ、はあ…………」
 あゆは悪夢で全身汗だくになっていた。呼吸も荒い。
「いやな夢だったよ」
 あゆはアイリスが横で寝ている部屋のタンスの上にあるかごの中で寝ていた。そのかごはもともとアイリスが持っていたものだった。中にはタオルがベッド代わりに敷いてあった。
 あゆは立ち上がってあたりを見渡した。外はまだ真夜中で、アイリスは部屋の中でまだ寝ていた。
「アゼリアさんが悪人じゃないのは分かるけど……」
 あゆは昨日アゼリアが頬ずりした後でちゃんとあゆに謝ったことを思い出していた。そのことからアゼリアは根っからの悪人や初めからあゆを嫌っている確信犯ではなさそうだと思っていた。
「ボク、これからどうなっちゃうんだろう?」
 あゆはみんなから愛玩動物みたいにされる夢を見たせいで内心不安になった。このまま元に戻れなかったら一生みんなの愛玩動物にされてしまうのだろうか?とても不安だった。しかし、そのことは今考えても仕方がないので、あゆは考えるのをやめると再び横になって眠りについた。

 翌朝になった。秋子さんは目が覚めると一番に帝劇のベランダに出た。まぶしい朝日と心地よい風が秋子さんの顔に降り注いだ。外の景色も快晴で気持ちいい。
 しばらくすると、目覚めたばかりの祐一がやって来た。
「おはようございます」
「おはようございます、祐一さん」
 二人はあいさつした。
「名雪は今日も寝起きが悪いですね」
「ええ。あれでもわたしの娘(こ)ですから」
 秋子さんが照れ笑いを浮かべた。名雪は太正時代にタイムスリップしても寝坊ばっかりしていたのだ。でも、それがいかにも名雪らしいので二人は楽しそうに笑った。

「秋子さん、俺も昨日驚いたけどこの世界の歴史は明らかにおかしいですよ。この時代にあのアドルフ・ヒトラーが存在しないなんて考えられますか?」
「確かにヘンですね……名雪は単純に喜んでいたようでしたけど……」
「あいつは何も考えてないから気楽ですけど」
「祐一さん、そんなこと言ったら名雪がかわいそうですよ」
「それは分かってますけど」
 祐一がいらいらした表情になった。
「祐一さん、焦る気持ちは分かりますがそんなに怒ったらダメですよ」
 秋子さんが忠告した。秋子さんは祐一が自分の娘の名雪を批判しているのを聞いて心の中で焦っているのではないかと心配になったのだ。

「秋子さん、このまま俺たち二度と元の時代に戻れないんじゃないか?最近そういう気がするんです」
「祐一さんがそんな弱気では困りますよ……」
 秋子さんが困惑した顔つきになった。突然祐一が悲観的なことを言い出したからだ。
「でも戻れなかったら、一生俺たちはこの時代で暮らすんですよ」
「ええ、それは分かってます」
「舞や真琴は霊力があるとかで帝国華撃団でも優遇されると思いますが、他の人たちは最悪の場合「そのままこの時代に放り出されておしまい」、とかになりかねませんよ」
「そうですね…………」
 秋子さんそう言うと目をつぶって考え込んでしまった。それを見た祐一は、
(まずいことを言っちゃったかな?)
 と心配になった。自分が悲観的になって言った一言が秋子さんを追い詰めてしまったかもしれないからだ。それによく考えてみたら帝国華撃団の人たちはやさしいのでそんなひどいことはしないと思った。

「え〜っ、着替えですか!?」
 その日の朝食後、祐一たちはさくらの行動に驚いた。突然さくらが祐一たちの着替えの服を両手に山積みにして祐一たちが借りている部屋へやってきたからだ。
「はい、皆様の分をお持ちしました」
「「これを私たちが着る」のでしょうか?」
 さすがの秋子さんもそれを見て驚いていた。無理もない。さくらが持ってきたのは太正時代の一般庶民の服だったからだ。案の定、中には着物まで混じっていた。
「はい、そのための着替えですから」
 さくらはにこにこしている。なんだか楽しそうな表情だ。
「何でまたそんなものを?」
「このままだと皆さんの持ってきた服ではもうもたないと思いました」
「おっしゃる通りこれ一着だけだときついですね」
「それに、皆さんの服装だとこの時代の人が見たら驚きます」
「言われてみればそうですね」
 さくらの説明に秋子さんも納得した。
 そういえば七年前、秋子さんは小さかった頃の名雪や祐一に「見たい見たい」とねだられてレンタルビデオ屋で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズを三部作全部借りてきてみんなで見たことがあった。秋子さんの記憶には、映画の中で主人公のマーティーが過去や未来にタイムトラベルするとその時代の服装に着替えていたシーンがあった。
(やっぱり今のままの格好じゃ目立ちますものね)
 秋子さんはそんなことを考えていた。

「じゃあ皆さんはここで着替えてもらいます。祐一さんは男ですから別の部屋で着替えて下さいね」
「はい」
 そう言うとさっそくさくらは祐一に男物の着替えを渡した。そして部屋の扉を開けると祐一を廊下の向こうの着替室へと案内していった。祐一はさくらにうながされて部屋を出ていった。
 これがTS物だとこれから祐一の着替えシーンが延々と続くのだが、これはそういう作品ではないのでその後の祐一の着替えシーンは一切省略する。

バタン

 祐一が部屋から出ると勢いよく扉が閉まった。閉めたのはさくらだ。
 部屋の中が女性だけになったのを見計らったところでさくらは部屋の中央のテーブルに服をどさっと置いた。そして手早く服をつかむとそれを次々に分けていった。さすがは普段舞台で俳優をやっているだけのことはある。その手際のよさにみんなは驚いた。
「これが皆さんの分の着替えです」
 みんなの目の前でそれぞれの服が置かれた。大人の秋子さんと名雪の母娘には青い色彩の着物が手渡された。舞と佐祐理にはさくらと同じ和服と袴の組み合わせ。そして背の低い真琴と栞には可愛らしいデザインの洋服だった。

「これを着ていいんですか?」
 栞がキョトンとした表情で眺めていた。どう対処したらいいのか分からないようだ。
「どうぞ着て下さい」
「あうー、下着はそのままなの?」
 真琴が質問した。真琴はもともと祐一が幼い頃に可愛がっていた狐が人間になったものである。人間になってからまだそれほど年月がたっていない。そのためこれまで着替えをする機会があまりなく着替えに慣れていないのだ。それに、自分の持っていた下着を手放すのがイヤだったせいもある。
「はい、そのままですよ。よかったら着るのを手伝いましょうか?」
「うん、真琴のを手伝って」
 真琴はそう言うと上着のセーターとジージャンを脱ぎ始めた。さくらはにこにこしながら真琴が服を脱ぐのを手伝っていた。

 みんなは慣れないこの時代の服装の着替えに戸惑っていた。そのせいでさくらはあっちで着替えを手伝ったり、こっちで着物の着付けをしたりとてんてこ舞いだった。ただし、さすがに秋子さんだけは、以前に着物を着たことがあるためなのか簡単に着物に着替えていた。それを見た名雪は「お母さんってすごい」と感動していた。
 そうこうしているうちにみんなの中でも年上の舞と佐祐理がさっそく着替え終わっていた。
「あははーっ、この服装だと二人ともまるで卒業式みたいですね。舞」
「はちみつくまさん」
 二人は楽しそうに服を見せ合った。

「お母さん、わたし着物の着付けなんて出来ないよ〜」
 名雪がおろおろして立ちすくんでいた。現代から来たのだから当然だが、名雪は生まれてから今まで着物を着たことがなかった。そのためどうやって着物を着たらいいのか皆目見当もつかなかったのだ。
「名雪ったら、わたしは昔やったことがあるからやってあげますよ」
「よかったら私も手伝います」
 それを見ていた秋子さんとさくらが2人がかりで名雪の着付けに入った。
「わーい、ありがとう」
 名雪がうれしそうにほほえんだ。

 二人がかりで何とか名雪の着物の着付けが終わった。
「わあ、やっと着られたよ」
「名雪さん、とても似合ってますよ」
 さくらもうれしそうだ。
 この時名雪たちは気付いていなかったが、現代(平成時代)からタイムスリップしてきた名雪たちは、この時代(太正時代)の人たちよりも体格が良く身長も高かった。(普段は「小さい」「お子様」と言われる栞でさえ、この時代の人たちからは誰もそんな風には思われなかった)それに名雪は陸上部の部長で体を鍛えているために他のヒロインよりも体つきがすらっとスマートだった。そのおかげでとても着物が似合っていた。
「ありがとう」
 名雪が笑った。笑うと名雪の自慢のロングヘアーが着物に映えた。
「みなさんもとってもお似合いです」
「そうですか?ドラマの衣装みたいで私もうれしいです」
「あうー、真琴のも見て、見て〜」
 洋服に着替えた栞と真琴もうれしそうに自分達の服を見せびらかしていた。みんな自分たちが普段着ている服と全然違うデザインの服を着ているので何だかとっても面白かったのだ。

「そうだ、祐一さんを呼んできます。ちょっと待っててくださいね」
 さくらはそう言うと部屋を出て行った。バタバタとさくらが廊下を走る音が聞こえる。少したってから廊下から祐一とさくらの会話が聞こえてきた。
「祐一さん、どうぞ」
「この格好で恥ずかしくない?」
「いえいえ、よく似合ってます」
「そうかな、なんか照れるな」
「さあ、どうぞどうぞ」
 さくらに手を引っ張られる形で祐一が部屋へ入ってきた。それを見たみんなは驚いた。祐一もこの時代の服に着替えていたからだ。
「どう?名雪、俺、似合う?」
 祐一は恥ずかしそうにみんなの前に立った。祐一は木綿の緑色のシャツを着て、茶色のズボンを履いていた。そしてズボンにはちゃんとしたサスペンダーが掛けてあった。頭には灰色のハンチング帽をかぶっている。
「うん、祐一、とっても似合ってるよ」
 名雪がうれしそうに答えた。

 しばらくしてアイリスが部屋に入ってきた。
「わーい、みなさん、おはようございます」
「あら、アイリスちゃん、どうしたの?そんなにおめかしして」
 それを見て秋子さんが不思議がった。というのも、アイリスはいつもの服ではなく可愛らしい青いリボンが首についた洋服にフリフリのスカートに着替えていたからだ。手にはふたの付いたバスケットを持っている。もともと小さくて可愛らしいアイリスだったが、その服のせいで本当のフランス人形のように可愛らしく見えた。
「うん、アイリスはあゆちゃんとお出かけするの。浅草に見物に行くの」
 アイリスがバスケットをみんなの方に向けるとふたをカパッと開けた。すると中からあゆが出てきた。あゆは首を外に出してみんなの方を見ている。
「ほら、ボクも一緒だよ」
「あらあら、それはよかったですね」
「ねえ、秋子さん。みんなもどうしてそんな格好をしてるの?」
 あゆがみんなを見ながら言った。みんな着替えをしていつもと格好が違うので驚いていた。
「さくらさんにもらったのよ、似合うかしら」
「うんっ、よく似合ってるよ。秋子さん」
 あゆがうなずいた。
 楽しそうにそばでそれを見ていたアイリスが、あゆを喜ばせようとポケットに手を突っ込んだ。そして中から小さいキャンディを取り出すと、それをあゆの口の中に入れた。

 もぐもぐ

 面白いようにあゆの口にキャンディが入った。あゆのほっぺたの中でキャンディがころころ転がった。外から見てるとまるでハムスターがほほ袋で物をほおばってるみたいで可愛らしかった。
「わあ、あゆちゃん、キャンディをなめてるのが可愛い」
 それを見てアイリスがうれしそうな表情になった。

「あら、皆さん、おはようございます」
 そのとき下の階段からアゼリアがやって来た。今日のアゼリアは昨日とは一変して格子模様のベストに茶色のロングスカートといった服装だった。その服装だとさくら同じくらいの年齢であることもあって何となく落ち着きがあって上品に見えた。
「あら、アイリスちゃん、どこかへお出かけかしら?」
「あゆちゃんとお出かけ」
 アイリスはむすっとした表情で言った。どうやら昨日のアゼリアとあゆとの一件のことをまだ根に持っているらしい。
「アイリスはあゆさんと2人で浅草見物をするんですよ」
 それを見ていたさくらが横に入った。アイリスの様子を見て心配に思ったからだ。
「アイリスちゃん、あたしも参加していい?」
 アゼリアがバスケットを覗き込んで質問した。

 ぷうっ

 それを聞いてアイリスの持っていたバスケットの中にいたあゆのほっぺたが風船のようにぷくっとふくれた。あゆもアゼリアと一緒に行きたくないのだ。
「あゆちゃんがね、アゼリアお姉ちゃんのこと嫌いだって。一緒に行きたくないんだって」
 それを見ていたアイリスが得意そうな顔つきで言い放った。
「ボクたちだけで行こうよっ」
「そうだね」
 二人はそう言うとそのまま部屋を出て階段を駆け下りていった。アゼリアは何もする余裕もなくただその場に立ち尽くしているしかなかった。

「さくらさん、そこの女性誰ですか?」
 今までのやりとりを横で見ていた祐一が不思議そうな顔つきにさくらに尋ねた。というのも、祐一はここで初めてアゼリアを見たからだ。
「祐一さん。この方は、昨日イギリスからここの見学に訪れたアゼリア・グレンジャーさんです」
 さくらが紹介した。
「そうですか、はじめまして、相沢祐一です」
「こちらこそはじめまして」
(それにしても、香里にそっくりの容姿だな)
 祐一が半ば驚いて半ば感心した。アゼリアは髪が栗色で瞳が茶色なのを除けば香里によく似ていたからだ。ただアゼリアはイギリス人なので体型が西洋人型をしているのが香里と違っていたが。
「祐一さん、昨日窓から見てお姉ちゃんだと勘違いした人はこの人です。お姉ちゃんそっくりです」
 栞も驚いていた。栞にとっても実の姉とそっくりの女性がいるのは驚きだったのだ。
「ああ、確かに香里に似てるな」
 祐一も栞と同じ感想だった。とはいっても、別に香里に西洋人の血が流れているという話は聞いたことがなかったので、二人は赤の他人のようだ。「世の中には自分と同じ人が五人はいる」ということわざもある。

 一方そのころアゼリアが部屋の隅にさくらを呼び寄せた。そして祐一たちに聞かれないように小さい声でさくらに尋ねた。
「さくらさん、あの人たち誰ですか?劇のエキストラか何かかしら?」
「え、ええ。劇のエキストラさんです」
 さくらが適当にごまかした。いきなりここで彼女に祐一たちがタイムスリップしてきた未来人だと言っても理解出来ないだろうと思ったからだ。それならアゼリアが誤解している劇のエキストラにしておいた方がいい。
「ふーん、そうなの」
 アゼリアはそう答えると祐一たちをチラッと見てウィンクして手を振った。そしてさくらと別れて階段を下りていった。

 階段を下りながらアゼリアは考え事をしていた。どうもさっきのエキストラだという説明に納得いかないようだ。
(エキストラにしては変ね)
 アゼリアは日本に来てから、さくらを含めて日本人の身長がイギリス人と比べてかなり低いことを知った。彼女は心の中で「やっぱり東洋人って小さいのね」と驚いた。それなのにあのエキストラはなぜか妙に身長が高かった。明らかに帝劇にいる日本人に比べて浮いていた。
「何であの人たち他の日本人と比べてあんなに発育がいいのかしら?」
 アゼリアはそんな独り言を言いながら帝劇の中をぶらついていた。

 一方そのころアイリスはバスケットを持つと楽しそうな表情で帝劇の正門を出た。そして帝劇の門の前を走っている路面電車のプラットホームにやってくると、そこに並んでいる人の列の後ろに立った。電車を待っている間もあゆのことが気になるらしく、時々手に持っているバスケットのふたを開けて中をのぞいていた。
 数分位待っていると、道の向こう側から路面電車がやって来た。電車が止まって出入口のドアが開くと、アイリスはポケットの中から小銭入れを取り出した。その中から硬貨を取り出すと、中の車掌に硬貨を渡して切符を買った。アイリスの様子が気になった車掌が話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、一人で乗るのかい?」
「うん、アイリスもう子供じゃないもん」
「じゃあ早く乗った乗った」
 車掌は愛想笑いを浮かべながらアイリスに切符を渡した。そして乗客が乗り終わったのを確認してからドアを閉めた。アイリスを乗せた路面電車はゆっくりと走り始めた。

 電車に乗ってしばらくしてから座席に座っていたアイリスがバスケットの中に話しかけた。
「ねえあゆちゃん、外見える?」
「うん、かごの隙間から見えるよ」
 中から小さな声が返ってきた。
「じゃあ、もう少しして乗り換えたら浅草へ向かうね」
 アイリスはそう言うとバスケットをひざの上に置いた。周囲の乗客もアイリスの様子を見て子供が独り言を言ってるんだろうと別に不審には思っていなかった。

 こうして路面電車を乗り継いで二人は浅草に到着した。アイリスは浅草のシンボルマークである雷門の前を歩いていた。雷門には有名な大きな赤い提灯が飾られていた。アイリスは人目につかないようにそっとバスケットのふたを中からあゆが覗けるように開いた。
 実はあゆは今まで一度も東京に来たことが無かった。あゆの住んでいる町は地方都市なので中学校や高校の修学旅行のコースによく東京が選ばれていた。しかし、あゆは木から転落して七年間も植物状態だったので、他のみんなのように修学旅行に参加出来なかったのだ。そのため過去でも東京に来れたのがうれしくてぐるぐる回りの景色を観察していた。さすがに浅草だけあってこの時代でも観光地だった。
「ここは、昔お兄ちゃんに連れて行ってもらったんだよ」
「えっ、アイリスちゃんにお兄ちゃんなんていたの?」
 あゆがビックリした。アイリスに兄がいるなんて初耳だったからだ。
「違うよ。お兄ちゃんって言ったのは花組の隊長の大神一郎中尉のことだよ。アイリスにとっては大切なお兄ちゃんなんだ。今は巴里華撃団の隊長としてアイリスの生まれたフランスに行っているの」
「へえ、ボクもお兄ちゃんが欲しいな……」
 あゆは一人っ子で兄なんかいなかった。普段の生活では一応祐一がそういうポディションだが、祐一はあゆと同い年だし、いつもあゆのことを子供っぽいとからかったりしていた。だからあゆはお兄ちゃんにあたる人がいたアイリスの事をうらやましく思った。

 雷門からしばらく歩くと浅草の参道に出た。帝都でも有数の観光地である浅草寺の参道だけあって、平日でも人がいっぱいでにぎやかだ。アイリスもなんだか楽しそうな気分になってきた。
「じゃあ、あゆちゃんの大好きなたい焼きを買って来るね」
 少し行くと参道にお目当てのたい焼き屋さんの店があった。そこではおじさんがたい焼きの型を火にかけてたい焼きを作っていた。その香ばしい香りがアイリスの方まで漂ってきた。アイリスはさっそく店に向かった。
 たい焼き屋は人気があるらしく何人もの人が行列を作っていた。アイリスもさっそく行列の最後尾に並んだ。しばらくするとアイリスの買う番になった。
「おじさん、たい焼き二個ちょうだい」
「一個20銭で二個だと40銭だよ」
「はい」
 アイリスがポケットから40銭を出した。たい焼き屋のおじさんはそれを受け取ると、型から焼きたてのたい焼きを二つ取り出した。そしてそれを新聞紙でくるむとアイリスに差し出した。
「さあ、どうぞお嬢ちゃん」
 アイリスはうれしそうに包みを受け取った。さすがに出来立てだけあってたい焼きの熱が手の平にまで伝わってきた。

 アイリスはそのまま浅草寺に入ると、人がいない裏手の林の中へと入っていった。そして人がいないのを確認してから、奥の方にあった木の下にちょこんと座ると、大事そうに持っていたバスケットを下に置いた。そしてバスケットのふたを外した。するとバスケットの中からあゆが首を出してきた。かなり窮屈だったらしく、大きく背伸びをして深呼吸していた。
「あゆちゃん、大好きなたい焼きだよ。たくさん食べてね」
 アイリスはたい焼きをあゆの前に出した。
「わーい、たい焼きだ」
 あゆはたい焼きを見るとうれしそうに飛びついた。そして両手でたい焼きを抱えると、おいしそうにたい焼きを頭から食べ始めた。
「おいしい?」
「モグモグ、小豆はやっぱり国産に限るねっ」
 あゆはそう言うと全身ほどもある大きさのたい焼きをどんどん食べていった。それにはアイリスもちょっと驚いた。
(こんな大きいたい焼きがどうやってあゆちゃんの体の中に入るのかな?)
 そんなことを考えながらアイリスももう一個のたい焼きを食べ始めた。あゆがおいしそうに食べているのを見たせいか、そのたい焼きも甘くておいしかった。アイリスも夢中でたい焼きをほおばった。

「おいしかったね」
「うん」
 たい焼きを食べ終わった二人は楽しそうに笑っていた。

「じゃあ今度はアイリスがもっと面白いところへ連れて行ってあげる」
「もっと面白いところ?」
「うん、<浅草十二階>だよ」
 アイリスはそう言うと右上を指差した。その指先はあゆが見た事が無いようなクラシックなレンガ造りの塔が立っていた。かなり高い塔で各階に窓がついている。あゆはこんな建物が浅草にあるなんて全然知らなかった。
「“あさくさじゅうにかい”って、一体何なの?」
 あゆが不思議そうな表情を浮かべた。
「正確には<凌雲閣>っていって、浅草にある高い高い建物なの。上に上れば帝都一円が見渡せるの」
「へえ、面白そうだね」
 あゆはうれしそうにアイリスの提案に同意した。

 ちなみに祐一たちのいた世界の歴史では、凌雲閣は1923年の関東大震災で倒壊しており、この時代にはもう存在していない。しかしこの世界では、帝国華撃団の活躍によって関東大震災の被害を史実よりもかなり小さい規模に押さえることに成功した。そのため凌雲閣が倒壊せずに存在しているのだ。あゆは気付かなかったがここでもこの世界の歴史は自分たちの世界の歴史と違っていたのだった。

 アイリスはしばらく歩いて凌雲閣の入り口にやって来た。観光名物だけあって平日なのにかなり人が多く外の入場券売り場には人が列をなしていた。
「ここだよ」
「うわー、すごいね」
「じゃあまず入場券を買ってくるね。それから面白い乗り物に乗せてあげる」
「面白い乗り物?」
「うん「エレベーター」って言うんだよ」
 アイリスは興奮しながら言った。しかしあゆは普段からエレベーターに乗った事があるのであまり驚かなかった。ちなみに日本ではじめてエレベーターが設置されたのがこの凌雲閣である。

 アイリスはバスケットのふたを閉めると列に並んだ。しばらくしてようやくアイリスの番になった。アイリスはポケットから小銭入れを出すと入場券を買おうとした。
「お嬢ちゃん、お一人?」
「うん」
「はい、どうぞ」
 係員はそう言うとにこにこしながら入場券を渡した。

 アイリスは入り口で入場券を渡すとそのまま中へ入っていった。しばらくするとお目当てのエレベーターが見えてきた。中のエレベーターも満員でどんどん人が入っていた。アイリスは背が低いのを利用してその中に潜り込んでいった。そのおかげで窮屈ながら何とかアイリスもエレベーターに乗る事が出来た。
「それでは、発車します」
 エレベーターの中に乗員が入った事を確認した外の係員が格子状の扉を閉めた。

 ガラガラ…………
 ゴトゴト………… 

 扉が閉まったのを確認してからエレベーターが上昇を始めた。このエレベーターは現代の物と違ってスピードがゆっくりでなんだが動作がギクシャクしていた。あゆはバスケットの中でエレベーターが壊れるんじゃないかと心配になった。

「到着しました」
 ようやくエレベーターが展望台まで到着した。外では、係員がエレベーターの到着したのを確認して格子状の扉を開けた。

 二人は凌雲閣の最上階についた。そこは展望台で360度ぐるっと見渡せるようになっていた。アイリスは手すりにつかまると誰にも見つからないようにそっとバスケットのふたを開けた。中からあゆが出てきた。
「さああゆちゃん、展望台についたよ。ゆっくり見てね」
「わあ、すごいや。周りの風景が小さく見えるよっ」
「風が気持ちいでしょ」
「うんっ」
「向こうに海が見えるでしょ、あれが東京湾なの」
「わっ、本当だっ」
 あゆは今まで海を見た事が無かった。それではじめて海を見て感動したのだ。この時代はまだ東京湾の埋め立てがあまり進んでおらず、浅草からも海を見る事が出来た。

 しばらくしてあゆが浅草近くの池がある場所を指差して質問した。
「アイリスちゃん、あの池があるところ何なの?」
「あそこは上野、あゆちゃんたちが最初に到着したところだよ」
 アイリスがあゆに教えてあげた。それを聞いてあゆがにっこり笑った。二人は楽しそうに展望台から景色を眺めていた。

 それからしばらくして―
 祐一たちは帝劇で昼食のカレーライスを食べていた。
「わたしも、あゆちゃんと一緒にお出かけしたかったな」 
 名雪ががっかりした表情で言った。彼女はあゆと一緒に出かけられなかったのが不満だったようだ。
「あれは、あゆちゃんとアイリスちゃんのお出かけだから、邪魔したら迷惑でしょ」
「あうー、このカレー妙に黄色っぽくてパサパサしてる。家で食べてるのと違う」
 真琴がカレーの事でぶつぶつ言っている。確かにみんなが食べているカレーは秋子さんの作るカレーと違っていた。真琴が言うように汁が茶色くなく黄色がかっていた。それに変にパサパサした感触がある。
「真琴、これはカレールーを使ってないカレー粉で作ったカレーだからよ。粉っぽいのは小麦粉で炒めたからよ。中味の具は変わってないでしょ?」
「へえ、そうなの」
 真琴が納得した。秋子さんの言うように中身の具は現代で秋子さんが作るカレーと同じだった。ただカレー粉で作っているので食べなれない真琴には味がヘンに感じたようだ。ちなみにカレールーが登場したのは戦後になってからである。

 みんなはおいしそうにカレーを食べていた。ところがみんなの中で、栞だけがカレーを食べていなかった。なぜかスプーンでご飯だけをすくって食べている。祐一がそんな栞の様子に気付いて声をかけた。
「あれ、栞、食べないのか?」
「もう、祐一さんったら私が辛いものを食べられないことを知ってるくせに。意地悪です」
「そうだったな、悪かった」
 祐一は以前栞がカレーを食べられなかったことを思い出した。栞は辛いものが全然食べられないのだ。
「この時代はひどいです。コンビニも無ければポテトチョップスも売ってません。アイスも夏にならないと売ってないそうです」
「過去だから当然だろ」
「もう、太正時代は人類の敵です」
(22世紀ならいいんですか?)
 思わず祐一は栞にツッコミを入れようかと思ったが止めた。どうせ口癖の「そんなこと言う人、嫌いです」と言われるのがオチだからだ。

 ようやく食事がすんだので、祐一は食堂を出た。
 すると外にアゼリアが立っていた。彼女は柱にもたれかかり両腕を組んでいた。そして目と口元に意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「あら、こんにちは」
「こんにちは」
「さっきの食事中の会話、聞かせてもらったわよ。あなたたちこの時代の人間じゃないわね。多分未来から来たんでしょ」
 アゼリアが笑みを浮かべながら話し出した。
「ど、どうしてそんなことを!?」
 祐一が驚いた。いきなりアゼリアが自分たちの正体に気付いたからだ。
「だってあなたたちこの時代の日本人に比べて体格が良すぎるもの。あたしの目は節穴じゃないわよ」
「なるほど、「すべてお見通し」って訳ですか」
「もっとも、未来人だって見当がついたのはさっきの食事中の会話だったわ。あんなの、この時代の人じゃしない会話だもの」
 確かにさっきの真琴や栞の会話を聞けば祐一たちがこの時代の人間でないことはうすうす想像がつく。さすがの祐一もアゼリアには脱帽するしかなかった。

「ところでどうやってこの時代に来たの?H・G・ウェルズの小説みたいに未来ではタイムマシンでも発明されたのかしら?」
「いえ、タイムマシンじゃないです」
「ふーん。じゃあなんか魔法の道具を使ったのね。未来の日本は<逆転時計(タイムターナー)>を保有してるのね」
「何ですかそれ?」
「しらばっくれないでよ。あなたたちが<逆転時計>を使ってこの時代に来たことくらい見当がついてるのよ」
 アゼリアが次第に険しい表情になった。どうもアゼリアは祐一たちがタイムスリップした方法について疑っているようだ。しかし祐一には、彼女が言っている<逆転時計>が何のことだかさっぱり分からなかった。

 その時、帝劇のドアが勢いよく開く音がした。

 バタン

「ハア、ハア…………あゆちゃんが…………」
 突然アイリスがものすごい表情で帝劇に走って帰ってきた。顔色が真っ青で全身から汗が噴き出している。相当あわてているようだ。両手にはしっかりとバスケットが握られていた。
 それを見たさくらがビックリして急いでアイリスの元に駆けつけた。扉が閉まる音を聞いたアゼリアと祐一も大急ぎでアイリスの元に駆け寄った。
「どうしたの、アイリス!?」
「お姉ちゃん、あゆちゃんが……あゆちゃんが顔を真っ赤にして倒れちゃったよ。額を触ったらすごい熱があるの。誰か助けてちょうだい!」


つづく


 
あとがき

 今回はあゆとアイリスが浅草に旅行する話です。物語のインターミッション的な話です。
 また次回への伏線も張っています。アゼリアの不審な態度は?あゆの急変は?その訳は次回に続きます。
 実は凌雲閣は史実ではエレベーターが後に危険だからと中止にされてしまうんですが、この話では運行している事にしています。お話の都合上わざとウソを書きました。これもパラレルワールドだからだという事で納得して下さい。
 この話がタイムスリップ編のターニングポイントになる予定です。はたして祐一たちは無事現代に戻れるのでしょうか。


管理人のコメント


 アゼリアとワースト・コンタクト(笑)を果たしたあゆ。さて、二人は仲直りできるでしょうか?


>その夜、あゆは夢を見ていた。

 かなりトラウマになってますね(笑)。


>「アゼリアさんが悪人じゃないのは分かるけど……」

 怒り過ぎだという自覚はあったようです。
 
 
>映画の中で主人公のマーティーが過去や未来にタイムトラベルするとその時代の服装に着替えていたシーンがあった。

 でも、マーティーのファッションは割とハズした物が多いんですよね(笑)
 

>「あははーっ、この服装だと二人ともまるで卒業式みたいですね。舞」

 そういえば、「Kanon」の卒業式では、和服が普通だったようですが……高校としては珍しいですね。
 
 
>「アイリスはあゆさんと2人で浅草見物をするんですよ」

 今でこそ観光地の浅草ですが、史実でも江戸から昭和初期にかけては、現在の新宿や渋谷に相当する繁華街でした。この時代を知るには良い行き先ですね。
 
 
>「もう、太正時代は人類の敵です」

……栞って一体……(笑)


>未来の日本は<逆転時計(タイムターナー)>を保有してるのね

 アゼリアは時間旅行について何か知っているようです。これがあゆ達が未来に戻るきっかけになるのかと思いきや……
 
 
>あゆちゃんが顔を真っ赤にして倒れちゃったよ。額を触ったらすごい熱があるの。

 それどころではなくなった様子。あゆの容態は? そして、逆転時計とは?
 うーむ、盛り上がって参りました。


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